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子どもと高齢者そのかかわりあいとまなびあい 13 ゆたかなくらし 2015 年 1 月号 殿 1991 年、保育園、中学校と合築した高齢者施設マイホームはるみ が東京都中央区晴海に開設された(図は同ホーム HPより)。

特集 高齢者のこころとすがた ... - ren-kei.com · 子どもと高齢者―のかかわりあいとまなあい 15 たかなくらし2015年1月号 特集 母と読む絵本を作った。監修者の小澤勲を描く絵本がないことに気づき、自分で介護して、子どもの絵本には老いゆく姿であ

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子どもと高齢者―そのかかわりあいとまなびあい

13 ゆたかなくらし 2015 年 1 月号

特集

高齢者と子どもの関係

 「少子高齢社会」、このことばは、すっ

かり世の中に定着している。その意味は、

子どもの出生数が減る一方、逆に高齢者

数が増える一方だというものである。日

本の総人口に占める子どもと高齢者の割

合に注目するものであって、高齢者と子

どもとの関係については目が向けられて

いない。そこでまず、高齢者と子どもと

の関係に目を向けるとどのような問題が

あるかを考えてみよう。

核家族化のなかで

 

家族問題として「核家族」問題が注目

されてきた。ここでは産業構造の変容と

過密過疎の同時進行に伴い、高齢者と子

どもが同一家族・世帯として生活を共に

しなくなったことが問題視される。それ

は、子育てが家庭内部で自己完結的に行

われていた時代から、女性・母親の社会

的労働への進出に伴う子育ての社会化が

進むことによって、高齢者と子どもとの

関係が切り離されていく過程でもあっ

た。子どもにとっては、家庭内部で知恵

やわざ、あるいは戦争体験などの自分史

を伝え、ときには親からの厳しい叱責か

らの「逃げ場」となっていたお年寄りの

機能を失う過程でもあった。

 「核家族化」の深部では、競争社会の

進展に伴い、子どもたちが学校でつねに

「評価」のまなざしにさらされるだけで

なく、それを背景にした「家庭の学校化」

秩序に耐えられず、そこからはみ出すこ

とによって自己を守ろうとする「非行」

や「引きこもり」問題が沈殿していった。

このような、高齢者と子どもを家族生活

から切り離していく高度経済成長社会が

絵本が子どもに伝える�

高齢者のこころとすがた(1)

小島 

喜孝

1991 年、保育園、中学校と合築した高齢者施設マイホームはるみが東京都中央区晴海に開設された(図は同ホーム HP より)。

14

子どもの成長発達にも深刻な影をおとす

状況への問題意識は、子どもが高齢者を

どうみるか、その現実と期待をつなぐ試

みとして、高齢者と子どもの施設の近接

化や地域交流とともに、「子ども向け高

齢者理解」を企図する出版文化にもあら

われている。

子ども向け高齢者関係出版文化

 

ここで「子ども」というとき、その年

代はおよそ幼児期、小・中学生(ときに、

高校生)を念頭に置いている。「子ども

向け」の本は、だいたい、漢字にふりが

ながふってある。世の中、書籍出版は売

れ行きが厳しいなかでも「子ども向け高

齢者関係本」はさほど多くない。

 

インターネットで検索したそれらしき

本を公立図書館から借りて、ここでそれ

らの本が、高齢者をどのように描き、子

どもたちにどのようなメッセージを送っ

ているかをみてみたい。子ども向けの高

齢者関係本が少なさそうといっても、借

りられた本の奥付をみると、それぞれの

著者がほかにも刊行している絵本などが

あり、ここに紹介する本だけではなさそ

うなことをあらかじめお断りしておく。

 

ところで、およそこれらの出版文化に

は二つの分野がありそうだ。一つは、子

どもに高齢者(お年より)の世界をわか

りやすく知ってもらおうという物語。も

う一つは、子どもたちに主として高齢者

を介護することはどういうことかを理解

してもらおうとする書物。

高齢者の世界をあたたかく描く本

 

冒頭から直接子どもを念頭においた作

品ではない本の紹介で恐縮だが、『おば

あちゃんになったら』(スゼット・ヘイ

ドン・エルギン著、荒木文枝訳、求龍堂

2000)は、「おばあちゃんになるの

は喜ぶべきこと……、おばあちゃんに対

する誤解を解き、三つの基本的主張をす

るため」(著者はしがき)として、歳をとっ

てからの固有の役割、「おばあちゃんが

家族を幸せにするための二十一カ条」を

示す。訳者の翻訳趣旨が、本稿が問題に

するところと同趣旨なのだ。このように

いう。「子育てや子どもの教育問題を扱っ

た本は書店に行けばいくらでも見つかる

……。でもおばあちゃんになる心構えや

孫への接し方を教えてくれる本は聞いた

ことがない。……問題になるのは親子関

係ばかりで、祖父母と孫の関係や祖父母

と成人した子どもたちとの関係はすっぽ

り抜け落ちています」(訳者あとがき)。

 

その通りで、「核家族化」の進行に対

するオルタナティブ(もう一つの道)と

して子ども向け高齢者理解出版は貴重で

ある。

 

アメリカの『わたし 

大好き』(リ

子どもと高齢者―そのかかわりあいとまなびあい

15 ゆたかなくらし 2015 年 1 月号

特集

ディア・バーディック作/ジェイン・

フリーマン絵、みらいなな訳、童話屋

2006)も直接子ども向けではないが、

「並んですわって、認知症の人のひざと

あなたのひざを、くっつけます。そして

この絵本をふたりのひざの上にひろげ

て、読んでみようと声をかけます」(「こ

の絵本の使い方」)。この絵本読みを楽し

んで、一緒に有意義なときを過ごしてみ

て下さい、というのがこの絵本のねらい

である。作者はアルツハイマーの母親を

介護して、子どもの絵本には老いゆく姿

を描く絵本がないことに気づき、自分で

母と読む絵本を作った。監修者の小澤勲

氏は言う。「『ぼけ』ゆく人たちとともに

暮らしていると彼らは人生の夾雑物を少

しずつ取り除いていって、ついに清明な

世界に至るのだと感じることがありま

す」(同、読者の方に)。すべてのページ

が、「わたしは……が大好きです」とい

うフレーズで繰り返される。

 

いくつかひろってみよう。「わたしは 

顔をお日さまに向けるのが大好きです。」

「わたしは 

あたたかいお風呂にはいっ

て 

からだをあらうのが大好きです。」

「わたしは 

窓べの花に 

水をやるのが 

大好きです。」「わたしは 

お日さまがし

ずんでいくのを見るのが大好きです」な

どなど。

 

身近な生活情景の中で自分が好きなこ

と、これを声を出して語るという作業の

中で、認知症の方の心の中には自己否定

や憂鬱ではない自己肯定感・清明な世界

が広がるのではないか。

 『ペコロスの母に会いに行く』(岡野雄

一著、西日本新聞社2012)は、グルー

プホームに入居する自分の母の日常を4

コマ漫画で描いたユニークな高齢者理解

の本である。ペコロスとは、頭がはげた

著者の「小たまねぎ」を意味するペンネー

ムのようだが、酒乱だった父親とのこと

や母親の幻想、少女になった母など、著

者の目を通した認知症の母親がとてもす

てきだ。これは、著者自身の心の窓が認

知症の母をそう見させている。

子ども向けの心あたたまる高齢者絵本

 『おじいさんのいえ』(植垣歩子作/

絵、偕成社、2010)は、ずっと前に

畑仕事も牛の世話もリンゴの木の手入れ

もいっしょにしてきた奥さんを亡くした

16

おじいさんが、さみしくて、いつの間に

か村の人たちと笑い合うこともなくな

り、ある日1匹の飼い犬と旅に出る。い

ろいろな場面に出会うが、それはみな動

物たちが暮らす家。さいごにリンゴの木

が見える、そこはかつて暮らしていた場

所。おじいさんはもう1度家を作ること

にした、というお話。旅に出て、人間で

はなく動物たちのすみかとの出会いを通

して、生きていることは家という居場所

があることだと感じさせてくれる。

 

スウェーデンの『おばあちゃんにささ

げる歌 

にんち症と共に生きる』(アン

ナ=レーナ・ラウリーン〈文〉、ネッテ・

ヨワンソン〈絵〉、ハンソン友子〈訳〉、

ノルディック出版2006)は、なかな

か良くできている。九歳の女の子アス

トリッドを主人公に、働くママとシャ

スティンおばあちゃんが主な登場人物。

「1.おばあちゃんは、ママのお母さんで、

はじめは小さい女の子だったなんて」で、

ママやおばあちゃんが子どもだったころ

の話から入りながら、「2.おばあちゃ

んのおかしな病気」「3.おばあちゃん

が大ぼうけんをした時のこと」「4.ト

ンチンカンなことをするおばあちゃん」

「5.世界中で一番やさしいおばあちゃ

ん」という構成で子どもがおばあちゃん

をどのように受け止めたらよいかを描

く。おじいちゃんが亡くなってから一緒

に暮らすようになった。おばあちゃんの

部屋のドアにはアストリッドと妹が作っ

た「ここはシャスティンおばあちゃんの

部屋です。どうぞお入りください!」と

いうプレートがかかっている。

 

おばあちゃんは昔のことはよく覚えて

いる。しかし食事中も同じ話を何度も繰

り返すので、ママはイライラしはじめる。

でも「ほんとうはママは悲しいんだと思

います」と、「邪魔者」扱いしているよ

うに見えて、実は悲しいのだというママ

の葛藤する内心を提示する。そこから徘

徊の大冒険やトンチンカンをするおばあ

ちゃんの話に進み、認知症高齢者にみら

れる「思い込み」の世界が繰り広げられ

る。例えば、おばあちゃんはかつてホー

ムヘルパーの仕事をしていた。「おばあ

ちゃんは、時々、自分が働いていた、も

う一つの仕事場にいると思っていること

もあります。……ある日、ママとパパと、

おばあちゃんが三人で家のおそうじをし

た時に、おばあちゃんがこうたずねまし

子どもと高齢者―そのかかわりあいとまなびあい

17 ゆたかなくらし 2015 年 1 月号

特集

た。『さあ、次は何をしましょう』……

『……そうじきをかけましょうか。それ

とも、次の家に行く時間ですか?』……

おばあちゃんは、わたしのパパが家事の

できない年寄りで、私たちの家に手伝い

にきていると思っているんです。」

 

生活を共にするなかで生じるさまざま

なズレや困りごとを描いたあと、それら

を子どもがどう理解したらよいかをママ

はこのように示す。「『自分のまわりでお

こっていることが、分からなくなってい

るのよ』……『病気になる前のおばあちゃ

んを覚えるようにして、おばあちゃんが

いろいろわすれても、がまん強く、やさ

しくしましょう』とママは、わたしたち

に言います。」……「わたしが年をとっ

たらおばあちゃんみたいになりたいと

思っています。でも、できたら病気には

なりたくありません。これがわたしのお

ばあちゃんのお話です。」

 

これも九歳の子どもの本音だろう。こ

の絵本は、このように高齢者と子どもの

気持ちをともにリアルに描きながら認知

症高齢者に子どもがどう向き合うかを提

示する一つのモデルといえる。

 

オーストラリアの『おもいではチョコ

レートのにおい』(バーバラ・マクガイ

ア作/絵、杉本詠美訳、アールアイシー

出版2007)も、アルツハイマーに

なったおじいちゃんにベンというぼくが

向き合う絵本。ベンの年齢は明示されて

いないが、前半は物語、後半はアルツハ

イマーの子ども向け解説という構成から

すると、少なくとも小学生後半であろう。

後半の解説「アルツハイマー病を知ろ

う」では、「認知症をあらわす『ディメ

ンシャ』ということばは、『心がどこか

に行ってしまう』という意味のラテン語

からきています。」からはじまり、米国

のレーガン大統領もこの病気と診断され

たこと、以下、「アルツハイマー病にな

ると」「むかしのことはおぼえている」「忘

れるということ」「幻想、幻覚、つくり話」

「だれかとつながっていたい」「思いやり

をもって」「コミュニケーションのとり

かた」「いつまでも、たったひとりの大

切なひと」で終わる。「たったひとりの

……」では、「そのひとだけがもつ自分

らしさのことを『アイデンティティ』と

いいます。……アルツハイマー病になっ

たひとは、病気という仮面をつけていま

す。でも、仮面のむこうにいるのがだれ

なのか、よく考えてください。それがか

けがえのない大切なひとであることに

は、いつだって変わりはないのです。」

〈以下次号〉

(こじまよしたか/元北海道教育大学教

授、権利擁護センターれんけい理事)