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新報リポート 5月 29 日、企友会(バンクーバー日系ビジネス協会)主催の吉 田潤喜氏の講演会が、バンクーバー・ダウンタウンのローズウッド・ ホテル・ジョージアで開催された。「アメリカのソース王」として 日本でも有名な吉田氏の講演に対する関心は非常に高く、ビジネ スマンや学生ら約230人の参加者が会場を埋め尽くした。関西 弁で熱く語られる吉田氏の波瀾万丈なライフ・ストーリーと、そ の溢れんばかりの情熱に魅了され、圧倒された二時間だった。 19 30 18 姿32 吉田潤喜氏(右)と企友会会長の松原雅輝氏 企友会 25 周年記念イベント ヨシダソース創業者 ヨシダグループ会長兼CEO 吉田潤喜氏 講演会 人生は一度きり。 100%の情熱で夢を追いかけよう バンクーバー新報 6 月 14 日号掲載、 Vancouver Shinpo Japanse Weekly Newspaper

2012 Junki Yoshida Lecture Vancouver

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Page 1: 2012 Junki Yoshida Lecture Vancouver

新報リポート

5月 29日、企友会(バンクーバー日系ビジネス協会)主催の吉

田潤喜氏の講演会が、バンクーバー・ダウンタウンのローズウッド・

ホテル・ジョージアで開催された。「アメリカのソース王」として

日本でも有名な吉田氏の講演に対する関心は非常に高く、ビジネ

スマンや学生ら約230人の参加者が会場を埋め尽くした。関西

弁で熱く語られる吉田氏の波瀾万丈なライフ・ストーリーと、そ

の溢れんばかりの情熱に魅了され、圧倒された二時間だった。

パワー溢れるアメリカンド

リームの体現者〜無一文か

ら億万長者へ

 

1949年に京都市で生ま

れた吉田氏は、19歳で単身渡

米。当初、所持金はほとんど

なく、車の中で寝泊まりして

いたという。その後、空手道

場経営などを経て、30歳を過

ぎてからソースの生産販売の

ビジネスを始めた。そして、

今や全18社、年商250億円

となったヨシダグループの会

長兼CEOだ。まさにアメリ

カンドリームの体現者である

吉田氏が、トレードマークの

テンガロンハット姿で表れる

と、会場からは大きな拍手が

沸き起こった。バンクーバー

を訪れるのは実に32年ぶりだ

という吉田氏。「あんまりノー

トとること心配せんでええて。

ノートとらんかてね、パワー

をね、体でバーンて受け止め

て。」という吉田氏の説明通り、

講演の内容もさることながら、

吉田氏が全身から放ち続ける

パワーに多くを学んだ講演会

だった。

「こんちくしょう、今に見

とれ!」〜悔しさをポジ

ティブなエネルギーに変え

る吉田氏の生き方

 

吉田氏は四歳の時、遊んで

いる間に針が目に突き刺さる

という非常に稀な事故で、右

目を失明した。子供時代はそ

れが原因でからかわれ、その

悔しさから、空手を学び、強

くなった。人からバカにされ

た時に感じる「こんちくしょ

う、今に見とれ!」というと

てつもないエネルギー。このエ

ネルギーを、ネガティブな思

考にではなく、ポジティブな

パッションに変換させる。それ

はやがて周りの人を巻き込ん

で、大きな渦になり、ビジネ

吉田潤喜氏(右)と企友会会長の松原雅輝氏

企友会 25 周年記念イベント ヨシダソース創業者

ヨシダグループ会長兼CEO吉田潤喜氏 講演会

人生は一度きり。100%の情熱で夢を追いかけよう

バンクーバー新報 6 月 14 日号掲載、 Vancouver Shinpo Japanse Weekly Newspaper

Page 2: 2012 Junki Yoshida Lecture Vancouver

むしゃらにやってきて、気付

いたらここまで来ていた。始

めた頃は一日に三百本詰める

のがやっとだったソースだが、

今は工場で毎日七万本を生産

している。「今でも、工場行っ

たら感無量よ」と吉田氏は語

る。

「商売は目立ってなんぼ」

〜実演販売で学んだ笑顔の

力 

ヨシダ・グルメソースの販

売拡大のためには、まずグロー

サリー(食料雑貨店)の棚に

ソースを置いてもらい、それ

を消費者に手に取ってもらわ

なければならない。まだ知名

度の低いソースには難題だっ

た。そこで始めたのが実演販

売。会員制卸売りチェーン「コ

ストコ」と契約を結び、テン

ガロンハットに着物姿、さら

にはエルビス・プレスリーや

バレリーナの格好までして実

演販売を行った。バカにされ

ることを怖がってはいけない。

商売は目立ってなんぼ。出る

杭打たれてなんぼ。奇抜な衣

スの成功にもつながる。「嫌な

ことが、いっぱい起こるから人

間なんや」と語る吉田氏。片

目の視力を失うという大きな

試練があったからこそ、吉田

氏は後に、生き馬の目を抜く

ようなアメリカ社会で成功す

ることができたのだ。

ヨシダソースの誕生は偶然

〜空手の生徒に送ったプレ

ゼントがビジネスに発展

 

米国に渡って数年後、吉田

氏は知人から空手道場を引き

継ぎ、順調に経営していた。

しかし不況が起こると一転して

生徒数が激減。生徒からのク

リスマスプレゼントのお返し

もできない状況になった。そ

んな時に思い出したのが、日

本で焼肉屋を営んでいた母が

作るソース。醤油とみりんを

ベースにしたそのソースを作

り、生徒にプレゼントとして

渡すと大人気となった。これ

が、「ヨシダ・グルメソース」

のビジネスにつながったのだ。

その後は、毎日ソースをビン

詰めして売ることに精一杯。が

装を着て買い物客に笑顔で話

しかけ、少しでも笑ってもら

えれば、もうこっちのものだ。

試食した人の大多数は、ソー

スを買ってくれる。やがて、

グローサリー側からも、「『ク

レイジー・ヨシ』がどこまで

行けるかを見てみたい」と応

援してもらえるようになった。

ビジネスは「金儲け」ではな

く「人儲け」。支持してくれる

人が集まれば、必ずうまく行

く。吉田氏は、ソース以外の

ビジネスも並行してやり始め

た。

人生は家族があってこそ〜

山あり谷ありの人生を支え

る家族の存在

 

吉田氏は「これや!」と思っ

たものには100%の情熱を

かたむけて挑む。この100%

の情熱とは、欲しいものを死

に物狂いで追い求める情熱、

1%のあきらめの気持ちも許

さない情熱だ。これまで約40

年間連れ添ってきた愛妻リン

ダさんも、100%の情熱を

捧げた存在だという。米国に

渡って二年後に出会ったリン

ダさんに一目惚れした吉田氏

は、出会って二週間で求婚。

リンダさんが首を縦に振るま

で押しに押した。三人の娘に

も恵まれ、リンダさんとは仕

事で起こったこと全てをシェア

する仲。良い時も悪い時も、一

緒に乗り越えて来た。ゴルフ

場のビジネスが大失敗し、自

分のこめかみにピストルを突

きつけた時も、家族への愛が

引き金を引くことを許さな

かった。「わし死んだら、リン

ダと子供どうすんねん。」家族

がいたから、悔しさをエネル

ギーに変えて、敗者復活戦に

挑むことができたのだ。

「絶対にこの恩を返したる」

〜恩返しの精神

 

吉田氏は悔しさをエネル

ギーに変えて生きてきたが、

もう一つの大きなモチベーショ

ンは、恩返ししたいという強

い気持ちだという。吉田氏の

長女が生まれて五日目に、大

変な病気になった。感謝祭の

祝日にもかかわらず、五人の

専門医が朝から晩まで面倒を

みてくれたおかげで長女の命

は助かった。しかし当時、空

手を教えることで生活してお

り、保険も持っていなかった

吉田氏は退院の時に我に返っ

た。治療費を払えるのか。し

かし、請求されたのはたった

の250ドル。なぜそんなに

安いのかと病院に聞くと、貧

しい人のために寄付金を集め

ているのだからと言われた。

吉田氏は泣いた。「絶対にこの

恩を返したる。」ビジネスを始

めたのは、恩返しをするため

だった。そして今、吉田氏は

小児病院や子どもガン協会な

どの慈善団体の理事を務め、

さまざまなボランティア活動

に力を入れている。

周りの人を巻き込む〜一緒

にバスを押してくれる人を

引き寄せる

 

情熱は周りの人を巻き込

む。MBAの生徒を相手に講

演すると、計画性に重点を置

かないビジネスのやり方に「夢

と情熱しかないのか」とあき

れられるが、吉田氏に言わせ

れば「MBAなんて、ただの

統計学」。統計を見て時間を

かけて考えているうちに、ビ

ジネスチャンスは逃げていく。

それよりも実行。目的地まで

バスを走らせたいならば、あ

らゆるリスクについて考える

前に、バスに乗って運転し始

める。もし止まってしまったら、

バスを降りて、後ろから押す。

一人の力では動かないかもしれ

ないが、死に物狂いで押して

いると、不思議なことに一緒に

バスを押してくれる人が現れ

るのだ。

講演の中で最も感動的だった

のは、吉田氏と義父とのストー

リーだった。リンダさんの父

であるブーマーさんは、二人

の結婚に大反対。そこには、

まだ19歳の一人娘を渡したく

ないという気持ちだけでなく、

太平洋戦争に行ったことによ

る東洋人への拒否感もあった

という。吉田氏を最初は「憎

んでいた」というブーマーさ

ん。しかし、ある時、ビジネ

スの資金繰りがつかず倒産の

危機に直面した吉田氏にブー

マーさんが差し出したのは、

何十年間にわたって貯めた貯

金の全て。「M

y S

on

(息子よ)、

これを使いなさい」という義

父の言葉に、吉田氏は涙が

止まらなかった。アメリカ人

は、情熱のある人に動かされ

る。吉田氏の100%の情熱は、

ブーマーさんさえも巻き込ん

だのだ。

 

講演会の最後には、聴衆全

員がある実験に参加した。そ

の詳細はこの記事の中で明か

すことはできないが、参加者

が一体となって「バスを押す力」

を体験し、実験が終わると会

場は笑いと感動の渦に包まれ

た。

 

愛する家族、100%の情

熱を捧げられる仕事、ボラン

ティア活動や空手を通しての

社会とのつながり。これほど

満ち足りた人生があるだろう

か。人生の限られた時間を、

ありったけの情熱を持って生

きている吉田氏が「苦労話は、

おぼえてへん」というのもう

なずける。吉田氏の力強い講

演と、人を惹きつけてやまな

いその笑顔に、一歩踏み出す勇

気をもらった。

     

(取材 

船山祐衣)

「これや!」と思ったものには100%の情熱をかたむけて挑む吉田氏

講演後にガッツポーズを見せる吉田氏。会場からは割れんばかりの拍手が沸き起こった

バンクーバー新報 6 月 14 日号掲載、 Vancouver Shinpo Japanse Weekly Newspaper