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Analyse of Debussy Pagoda

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Language: Japanese

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Page 1: Analyse of Debussy Pagoda

楽曲分析 2013/09/08   

ドビュッシーのピアノ曲「版画」の中から、「パゴダ(塔)」を取り上げる。この曲

が、万博でのガムラン体験に着想を得ていることは、ドビュッシー関連の文献でしばし

ば言及されるところであるが、実際にドビュッシーの体験したガムランが特定できない

ため、その具体的な楽曲構造にまで踏み込んだ例は少ない。また、Benedictusが万博で

の採譜をもとにいくつかの民族音楽の公演をピアノ用に編曲した曲集”Les musiques

bizzards al’ Exposition” (1889)のなかに、ガムランの公演を編曲したと思われ

る”Danse Javanaise”という楽曲が収められているのだが、この楽曲とドビュッシー

「塔」との間には偶然とは思えないような共通点が数多く見受けられる。このことから

ドビュッシーが体験したガムランの公演と Benedictusが採譜した公演とが同一のもの

である可能性は十分に考えられる。今回、両曲の比較を通じてドビュッシーが体験した

ガムランがいかなるものであったか、また、その体験をどのように自らの作品に反映さ

せているのか、より具体性をもった実像に迫ることができればと思う。

・ドビュッシー「パゴダ」の概観

 音組織としては、全曲を通じて h を主音とするドレミソラの五音音階

(h,cis,dis,fis,gis)を中心に書かれている。いくつかのモチーフが変奏されつつ繰り返

されることによって全曲は統一感を保たれている。また主要主題というべき旋律が T.53

から再現されることによって、全体はより自由な形ではあるものの、二部形式の形相を

示す。この際 T.33から T.36にかけての gisを主音とするドリア旋法を思わせる旋律を副

主題とみなしてよいだろう。全体は A・B・A・A’となる。和声的には、長九や付加六と

いったフランス近代和声を随所に用いつつもより自由な書法で書かれており、また古典

的な終止形にほとんど依拠しないことが、この作品独特の浮遊感をもたらしているとい

える。また、八分音符と三連符の混用、半拍ずらしたような音型が随所にみられ、リズ

ム的な揺らぎを作り出している。

・Benedictus ”Danse Javanaise” の概観

 パゴダとおなじく hを主音とする五音音階を中心に書かれている。全曲を通じてバス

は disまたは cisのみであり、この二音の間をほぼ等間隔で揺れ動く。二拍三連による

disの連打によって、おおまかな楽節ごとの区切りに終止感が添えられているが、いわゆ

る西洋の古典的な終止形はみられない。

・両曲の共通性について

 まず、両曲ともその音組織をみるとドレミソラの五音音階を中心に書かれており、し

かもその音高まで同じであった(h,cis,dis,fis,gis)。五音音階を採用した点は他のドビ

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ュッシーの作品にもみられるものの、音高まで同じであるというのは偶然とはおもえな

い。さらに、両曲で用いられるモチーフに注目したいのだが、一際目立つのが両曲とも

dis,cisの刺繍的な反復を多用し、また強調している点である。パゴダではまず、T.15か

ら三連符によってこの反復があらわれ、これを保続音としてあつかいつつその上部で半

音階的な和声が展開される。さらに、T.19から T.22でもこのモチーフは音域を変化しつ

つも途切れることなく保続される。T.65以降でも同様にこのモチーフがあらわれ、一度

目よりもさらに執拗に T.79まで繰り返される。 一方の”Danse Javanaise”では、冒頭か

ら dis, cisの反復にはじまり、この音型は全曲を通して現れる。T.4から T.9や T.18から

T.31のバスなど枚挙に暇がない。また、パゴダではオルゲルプンクトの上に二声の旋律

という三層構造で書かれた箇所が多々みられるが、これは Danse Javanaiseの T.12, 13

でもみられる。また伴奏音型に関しても、Danse Javanaiseの T.50-57, T.62-65でみら

れるシンコペーションを伴う音型が、パゴダではさらに強調された形で現れる(T.1-10,

T.31-36など)。

 こうした両曲の共通性やパゴダの作曲時期を考えても、ドビュッシーが体験しパゴダ

の着想を得たと思われる公演と Benedictusの採譜・編曲した公演が同一のものである可

能性は高いのではないだろうか。

・両曲の相違に関して

 当然だが、ドビュッシーは Benedictusとは異なり、ガムラン公演から着想を得たとし

ても、それはあくまで自身の作品の表現の一部として取り入れたにすぎない。

Benedictusがあくまで万博の公演をピアノによって擬似的に体験することを目的として

編曲したものと、ドビュッシーの作品が大きく異なるのは当然のことである。この相違

に注目することでドビュッシーがガムラン公演をどう咀嚼し、自身の表現の中に組み入

れていったのか明らかにできればと思う。

・モチーフの展開

 パゴダがガムラン的要素をもつとはいえ、それは西洋音楽の古典的な礎の上でのこと

である。ドビュッシーはガムラン的な要素を西洋音楽の伝統と共存させることを目指し

たといっていいだろう。その最たる例は、パゴダの中で主要なモチーフが変奏を加えら

れつつ展開していくことである。まず冒頭 T.3 からあらわれる主要主題であるが、

gis,cis,disのモチーフを巧みに反復することで強固な統一性が与えられている。この主

題は T.11から三連符と八分音符の混用されたリズムによって変奏され、T.13、T.14とさ

らに変奏されていく。また、この際内声にあらわれるメロディーは T.19からの上声で再

びあらわれる。T.23からは再び主要主題が展開され、これが副主題への橋渡しの役割を

果たす。ドリアを思わせる副主題が奏されたのち、T.37から現れる細かい動きも主要主

題の変奏とみてよいだろう。この展開は T.44まで続く。T.46からは副主題が下声におか

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れつつ展開し、T.53の主要主題再現へと導く。主要主題の再現から T.78までは前半と同

様なので省略する。T.80からは fisを主音とするドレミソラの五音音階が上声部で細かく

動くが、この際、内声部で主題が奏される。

以上のような全曲に及ぶ主題の展開によってこの楽曲は強固な統一性を与えられてい

る。一方、 “Dance Javanaise”では同型のフレーズが反復されることは多々あるものの、

パゴダにみられるような精緻な動機展開はみられない。動機展開の書法は西洋音楽の作

曲家にとって共通の伝統であり、ドビュッシーも他の作曲家の例に漏れずしばしばこの

書法を用いている。しかし、パゴダほどの執拗な主題やモチーフの展開はドビュッシー

にはめずらしいといってよく、こうした古典的かつ強固な統一性がこの作品に必要だっ

たことが推察される。

・楽式論的な面から

 先に触れたが、パゴダは主要主題(T.3)および副主題(T.31)とみられる二つの主題

が現れ、なおかつ主要主題が後半で再現される(T.53)という、ソナタ形式にも通ずる

きわめて古典的な形式で書かれている。ソナタ形式と比較すると、第二主題の後にその

まま第一主題が再現され、展開部を欠いた形となっており、また、後半で第二主題が再現

されないが、いずれにせよ、こうした古典的な楽式の採用は先の動機展開の書法とあい

まって、この作品に古典的な様式美を添えている。

一方のDanse Javanaiseでは、明確な主題というものは存在せず、その楽式的な分析は

やや不毛におもえるが、二拍三連による disの連打によって一応の終止とみられる箇所

(T.11,17,45,82)がいくつかあり、その存在によっておおまかに4つの楽節が形成され

ている。この四つの楽節を便宜上前から順に A, B, C, Dとする。このうち A, Bは 11 小

節、6 小節と短く、それに比べ、C, Dは 28 小節、37 小節とかなり長い。C, Dはそれぞ

れ、T.32, T.66で前半後半に分けることができ、その後半はほぼ同一のものである。

・和声に関して

 パゴダとDanse Javanaiseではその和声の扱いが大きく異なる。まずパゴダについて

だが、T.4から T.5の fisから h への五度下降するバス、T.5の属七の和音など、やはり古

典的な機能和声をふまえてはいるものの、全曲に及ぶ大胆なオルゲルプンクトないし保

続音、非和声音の処理、T.15からの半音階的進行などにみられるように、より自由な書

法を用いている。

 Danse Javanaiseでは単旋律や二声のみの箇所、cis, gisや dis, aisといった第三音を

欠いた五度の堆積がみられるにすぎず、いわゆる西洋音楽の和声とは異なる体系の上に

成り立っているといえる。また、先にも触れたがバスは cis, disの二音のみでであり、二

音間を往復するかたちとなっている。 

パゴダにおける和声書法に関しては、オルゲルプンクトが全曲に及んでいることや五

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音音階の和声的な処理方法など、ガムランの影響が考えられる点もあるが、大方の手法は

それ以前のドビュッシーの作品でもすでに試みられている上、ガムランにはこうした西

洋音楽的な和声概念が薄いことからしても、和声に関してガムランの影響はさほど大き

くないといってよいだろう。

・リズムと伴奏の音型について

 パゴダでは三連符と八分音符の混用がそのリズム的な特色としてあげられるが、

Danse Javanaiseでは二拍三連がしばしば現れる程度であり、より簡潔な書法を採って

いる。またパゴダではシンコペーションをともなう半拍ずれたような伴奏音型がしばし

ばみられる(T.1-10, T.31-36など)が、これも Danse Javanaiseではより簡潔な形で

現れる(T.50-57, T.62-65)。全体としてリズムや伴奏音型に関してはパゴダの方がよ

り複雑であり、Danse Javanaiseはより簡潔で、困難なく演奏できるように書かれてい

る。この理由として、Benedictusの編曲が、より多くの人々に自分でピアノを弾き万博

を疑似体験してもらうことを目的としたものであったため、演奏が平易になるように考

慮したという可能性が考えられるが、この点は定かではない。

また、パゴダではオルゲルプンクトの上に二声の旋律を重ねた三層構造をなしている

箇所が多々みられ、Danse Javanaiseにおいても T.12-13の二小節間においてのみでは

あるが、同様の構造がみられる。その他の部分は主に二声で書かれているが、これも

Benedictusによる演奏上の困難を取り除くための編曲であり、本来の公演の採譜は三声

であったという可能性も考えられなくはないだろう。