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Meiji University Title � -�- Author(s) �,Citation �, 511: 101-149 URL http://hdl.handle.net/10291/18106 Rights Issue Date 2016-01-30 Text version publisher Type Departmental Bulletin Paper DOI https://m-repo.lib.meiji.ac.jp/

精神史におけるホメロス -バロック,ホメロス,ゲー URL DOI · 2016. 9. 30. · Erinnerungαn Martin Heidegger, 1977) によると,彼はプラトン『国家』

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Meiji University

 

Title精神史におけるホメロス -バロック,ホメロス,ゲー

テ-

Author(s) 角田,幸彦

Citation 明治大学教養論集, 511: 101-149

URL http://hdl.handle.net/10291/18106

Rights

Issue Date 2016-01-30

Text version publisher

Type Departmental Bulletin Paper

DOI

                           https://m-repo.lib.meiji.ac.jp/

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明治大学教養論集通巻511号

(2016・1)pp. 101-149

精神史におけるホメロス

一一バロック,ホメロス,ゲーテ一一

角田幸彦

本稿は私のホメロスへの船出に際しての心構えに終始している。哲学は古

典学を愛する伴侶とすべしとは,我が師コンラー卜・ガイザー(テュービン

ゲン大学教授 1929-87)の「遺言」である。それはニーチェの不断の人生

訓でもあった。精神史は哲学と古典学の紳なくしては歩まれなL、。

重要登場人物 1)哲学者・歴史家, 2)古典学者・神話学者, 3)文学研

究家・文学者(JI民不同)

1) プラトン,アリストテレス,セネカ,ニーチヱ,ショーペンハウアー,

へーゲル,シェリング,ハイデガー, レーヴィット,ガダマー, リクー

ル,デリダ,アドルノ,ベンヤミン,スレザーク,ブルクハル卜,下村

寅太郎,坂部恵,井上忠。

2) ヴィラモヴィッツ=メルレンドルフ,シャーデヴアルト,ラインハル

ト, レーゲンボーゲン, w.オットー, ドゥ・ヨング,岡道男。

3) ゲーテ,シラー, E.シュタイガー。

1

ギリシア哲学に一応研究と思索の視界を置いた者でも,ギリシア悲劇とホ

メロスの叙事詩「イリアス』と『オデュッセイア』に穂々であれ関心を抱き,

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発散的な読書しか行わないにせよ思いを寄せるであろう。御多分にもれず私

もそうであった。私の哲学路はハイデガーによって言葉への集中から始まっ

た,と昔を回顧して思う O ハイデ、ガーへの感激は私の周辺の哲学専門家,つ

まり教わった大学教師たち(哲学,倫理学担当者)が余りの学校哲学的自足

にあることへの不服不満であった。周辺には誰一人ハイデガーに強い関心を

持つ教師はL、なかった。ほぼ全員が科学,科学的理性また社会科学的問いそ

してウイットゲンシュタイン的な言語分析,フッサール「止まり」の意識分

析を立場としていた。今円に至るまで「科学哲学」の深さと味わいはミシェ

ル・フーコーの『言葉と物一一人文科学の考古学 』の方が私には最も味

わい深L、。その中で一人,精神史的哲学を掲げて哲学枠を越えて時代の大き

な諸文化領域を哲学とつなげて捉えようとしていた哲学教授がいた。私の恩

師である下村寅太郎である。下村の最後の作品は彼の 80歳の時の大著『ブ

ルクハルトの世界J0983年3月)である。私はこの本が出た時,プラトン

をドイツの本格的プラトン研究からそろそろ学ばねばという思いでドイツ・

テュービンゲン大学へ--Af.間学びに出発する直前であった。この大作を読む

ことからテュービンゲンでの日々が始まった。そしていつの日か自分も先生

に対抗して何としてもブルクハルトにつき大きなものを書く闘魂が燃えたぎっ

たことを昨日のように思い出す。ブルクハルトは私が 20代から心に響く哲

学的省察のある歴史家であったからである。

私の『哲学者としての歴史家ブルクハルトJ(893頁,人名索引も 893人)

は2014年6月,執筆二年の集中によって刊行された。

この著の副題は「プラトン,オウィディウス,ルーペンス,精神史と共に」

である(当初はプラトンに替えてホメロスを入れようと思った)。確かに私

の単独執筆の 17冊目となるこの著作ははっきりと下村に対抗し,私の著作デノケノ

より 31年前出版の下村のブルクハルト論の不十分,不徹底,思索の足りなIt ね

さへの私なりの不満と批判を発条としたことは否定できない。私の方がブル

クハルトの全人性(Ganzmenschlichkeit)に迫っていると言われるものに

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精神史におけるホメロス 103

したいと思いつつ筆を執っていた。

以前から私が抱いていた下村の哲学,言わば下村精神史学に覚える限界意

識,物足りなさへの精一杯の私の自己表現がこのブルクハルト書を貫いてい

る。ブルクハルト大好き人聞の下村は,本当のところ,ブルクハルトの歴史

思索の射程から大いに逸れていると,私は下村の精神史的全作品を幾度も読

み直して痛切に感ずるようになっていた。一方,学部時代,とても難しかっ

たが,ハイデガーの小品を聞き,強烈な印象も受けた。彼の思索そのものを

示す言葉のふくよかな含みに一種の言語的温もりすら私は感じた。日常的感

性を何より大切にした思索,学校哲学に服さない弾んだ力ぼらないハイデガーデンケン

の思索,これこそ自分も歩みたい哲学であった。私はそこからまず,プラト

ンの対話的思惟,対話,対話哲学によって歩み始めた。ハイデガーによって

自分にしっくりする哲学路に出会った思いの私ではあったが,大方の,杏,

iまぼ全員のハイデガー感激者はストレートにハイデガー哲学を全面的に拍き

かかえ,ハイデガ一一路で論文や研究書を書き始める。

しかし私は,ハイデガーがハイデガー性を「精神史的に」発揮するギリシ

ア哲学解釈路(ソクラテス以前の哲学,プラトン解釈そしてアリストテレス

の存在論・形而上学解釈)でハイデガー的に(彼のこの上ない言語感覚の膿

尾に付して)自らの哲学を築いていこうと 21歳大学4年の秋心中深く期し

。た

人聞の日常性への心の聞きに気付かずに科学哲学,自然科学基礎論,科学

史に自己を投ずる哲学,マルクスやマックス・ウェーパーへ政治的社会的関

心で向かう哲学,そういう私の周囲の哲学傾向,大学哲学的立場の哲学方途

では,私には哲学への身の置き場が全くなかった。生きていることへもっと

直結する哲学を私は求めていた。

私はプラトンに約 25年打ち込んだつもりであるが その一応の成果は

『プラトンとの対話一一イデア・ことば・人間・宇宙一一Jであるー一,私に

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は①プラトンのわりレメニデス』の本当に言わんとするところが何であった

か,それに関連したこととして,そもそもプラトンにおいて,②イデアとは

いかなる存在であり,いかなる意味をもつか,更にもう一つ,③『国家」の

ホメロスやギリシア悲劇(多分エウリピデスの悲劇作品〉へのプラトンの批

判は何を言いたいのか,プラトンへの集中をやめて 30年近く経過した今日

(2015年)であるが,この三つが今も脳裡を離れない難しい問題である。し

かしこれはプラトンの自己表現の覆面性に本質的に貫かれている問題である

と思われる。プラトンはアリストテレスのように一筋縄ではし、かない。私は

プラトンを学んだ後,燥し銀の如きアリストテレスの言葉への執着的思索に

深く感ずるものを覚え,アリストテレスを 15年間細かに考え,形而上学,

倫理学,動物学をまとめたものを書いていった。二つの私のアリストテレス

書にこの行程は「実を結んで」いる。アリストテレスにぶつかることで,プ

ラトンの「恐さJI重さ」そして「教育性Jがよく分かる九

先のハイデガーとプラトンとの関係に少し筆を向けたし、。アリストテリシャ

ンと規定されてよい一一無論,彼はアリストテレスへの批判もはっきり出し

ているのだが一一ハイデガーは,アリストテレスの本質となっているプラト

ンを「脱したj初期ギリシア哲学の大地件:!::::大いなる共感を持っており,アポリス

テナイの都市生活を基盤とする典雅で一一一種ソフィストにも通ずる一一修

辞力満載のプラトン哲学には不満がある。これはハイデガーの抱き続けたフラ

ンスの都会的・パリ的言葉世界に対する不愉快さに通ずるものである。彼はシュヴァル YヴァJレト

黒 い 森の出身の田舎人性を終始脱せなかった。しかもハイデガーを真に

オリジナjレに根本から「継承」したのはドイツの哲学者ではなく,フランス

の都会的哲学者たち,メルロー=ポンティ,サルトル,フーコー,デリダで

あった。加えて詩人ルネ・クレールへの影響も大きい九フランスの現代の

哲学はハイデガーの決定的影響を受けている。

ここでハイデガーとかなり親密な付き合いをした後,ハイデルベルク大学

の神学と哲学の教授になったゲオルグ・ピヒトのことを出したL、。彼はプラ

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精神史におけるホメロス 105

トンの『法律』やアリストテレスの『霊魂論」の著作(共にハイデルベルク

での講義録)があるだけでなく,環境哲学にも手を仲ばした日本には全く見

られない哲学者である。彼の「ハイデガーの想い出J(G. Neske ((HgJ),

Erinnerungαn Martin Heidegger, 1977)によると,彼はプラトン『国家』

の第7巻の所謂「洞窟の比喰」のハイデガーの解釈に疑問を持ち,素気ない

ハイデガーに彼の解釈を敢えて聞いた。ところが,ハイデガーは「あの箇所

は自分には十分に分からないのだ。」と逃げの答えをしたと書かれている。

その対話がピヒトとハイデガーの最後の対話となったと記されている。この

一事がはしなくも示すと思われるが,ハイデガーが余りにアリストテレスに

傾斜して,プラトンにそしてソクラテスへの冷めたさに満ちていたことが私

には大いに不満である。シュヴァルツヴアルトの哲人は都会的哲学が厭いで

あった。

私はテュービンゲ、ン大学でのガイザーそしてクレーマーの影響もあって

実はこの二人に出会う以前から両人の著作に心を動かされていたのだ

が一一プラトン『パルメニデス』がプラトン理解の決定的なものだと今でも

思っている九へーゲルはこの対話篇をそもそも論理学的思考としての最大

のものとしている cr精神現象学」の序文)が,荘、は何もへーゲルに与する

ものではなく,むしろへーゲルのいわゆる汎論理主義に対して,彼の世界史

の図式的説明共々大いに反撮を覚えるものである。ヘーゲルとは全く別に,

プラトンの『パjレメニデス』を「精神(思索)の訓練・磨きJ(イギリス哲

学の解釈)の域を越えた中身のものとしてプラトンの体系的世界像として読

み取りたく私は思っている。しかしこの件は本稿のテーマを越えているので,

これ以上立ち入らない九

2

私はハイデガーをハイデガーの思索の進展一一それは当然思索の深まりで

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もあるが一ーへの方向で追うだけのことはしないし,こういうことを行う気

持ちを持てない。私にとってのハイデガーは専ら(あるいは主として〉現象

学,解釈学的現象学を定慌した人という枠内で見詰めたく思う。彼の言葉を

巡る思索,言葉への(永遠に〉途中存在としての人間の押さえ方,存在(あ

ること)と言葉との密着一一言葉は存在の牧人(護り手)である一ーの主張

に私は止まりたい。これはハイデガーの全体像を損う縮小版的接近であるの

は私は重々未知している O しかし,私のハイデガーへの目線はここを離れた

くない。ドイツ的田舎性を共有する日本は「存在と時間」以後の「玄妙・深

遠なる」ハイデガーに過度にのめり込むのに,私は危険をすら感じている。

解釈学と現象学,或いは現象学と解釈学の切り:lJfflせない相依相属

(Zusammengehorigkeit)・間性 CZwischenheit)の徹底的遂行こそは,

私にとってハイデガーの Denkweiseの汲めど尽くせぬ魅力である。否,彼

の創造的新鮮さはここにこそある。メルロー竺ポンティ日く,現象学は方法

にあらず,進行である,と C~知覚の現象学J)。正しく至言である O 現象学

はやってみるしかないし,日常的事物との「付き合L、」である九そもそも

ひとの心とはメルロー=ポンティが言うように,科学的理性的にものへ向か

うことの奥に働くものである。

現象学は科学(個別科学の各々〉のように分野の細密知・技術知ではない。

政策へ結ぶ知でない。一切のもの(生物も入る)を包み,それらへ及ぶ存在

へ目と耳を向けることである O ものの存在は人聞の言葉性に包まれている O

言葉は主観ではなL、。これはアリストテレスの天才的発見であった。アリス

トテレス以後,これを一歩探めではじめて継承できた人がハイデガーであ

る九科学哲学畑の哲学研究者はこのことに気付かなL、。

解釈学は言葉表現の意味を探る姿勢である。科学的概念を精錬するのでな

く,言葉を駆使する人閣の成果へ向かう学である。ハイデガーの現象学は解

釈学の存在を認めつつ,その不徹底(言葉の言葉性への省察の弱さ)をはっ

きり突くものであった(ディルタイ批判がそれである)。

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しかし現象学は解釈学を自らに遠ざけるのではし、けない(ハイデガーのフッ

サール批判がそれを示している)。現象学が解釈学と手を携えることによっ

て,現象学はフッサール的な意識の現象学一一それは人聞の世界存在性(In-

der-Welt-Sein) ~捉えられないところに立っている一ーを脱して,世界

と共にある存在,世界の意味を読み取り,世界を自己の周囲に分秘(メル

ロー黒ポンティ)している現存在(需人間)の根本資勢にならなければなら

ない。しかも現存在は世界を空間的広がり以上に時間的広がりとしており,

ここに生物一般とは全く違う存在性を持っている。この時聞は自然の春夏秋

冬,朝・昼・夜という宇宙的な時間ではなく,歴史的時間である。人聞の時

間性を人聞の歴史性から徹底的に捉えたのはハイデガーの強烈なフッサール

反撮である。

作品創造者は歴史的時間に貫かれており,時代に定位しつつ,超時代的永

遠性を具現しようとする。この方向にハイデガーからガダマーを経て現象学

の解釈学的展開が進む。詳論はできないが,ガタホマーの専らの詩の解釈から

物語(文芸と史述)の解釈学へリクールの道が延びている。

私のホメロス論はリクールに支えられた解釈学的現象学に新しいホメロス

接近の物語論 Cnarratology)を接木するものとなろう。

先に下村の精神史・精神史的哲学について触れたが,下村の講義や著書を

聴き読んできた長い年月において,精神史が科学と芸術(とりわけ絵画と科

学に裏打ちされた絵画)に専ら結び付いている下村の視界と問題意識に,精

神史はこの枠でよいのか次第に疑問を持つようになった。下村の精神史には

言葉世界への強い関心が全く見られなL、。文芸,詩の解釈の熱意が全然出て

いない。例えば,下村のイタリア・ルネサンスの精神史は専ら造形芸術,就

中絵画しか取り上げられていない。絵画が科学精神と強く結び付いているこ

とをレオナルドの枠を越えてルネサンスの芸術家たちに広げてルネサンスの

科学精神が強調されているo それはょいとして,下村にはダンテ,ペトラル

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カ,ボッカチオ,また人文主義, ヒューマニズムの哲学的意義が全く意に介

されていない。かっルネサンスの時代に孤高に自己形成を呆たした者たち

(教会宗派に属せず孤高にキリスト的生を深めていく者たち〉への敬意,お

ろそかに出来ないという認識意志が皆無なのである。しかも下村のレオナル

ドの解釈は実は詩人哲学者ヴァレリーやガントナー(パーゼル大学美術史教

授〉に専ら(否,完全に)依拠しておりへ下村自身の一歩そこを出たオリ

ジナリティー的味付けが見当たらない。

*レオナルドは「絵(商くこと〕で哲学したり一一ヴァレリー説一一.Iレオナルド

は意図的に未完成を行った」一一ガントナ一説一一,など。このことを私は『哲学

者としての歴史家プルクハルト」でも敢えて下村批判として示した九

更に下村精神史学への私の不満を続ける。太いパイプとしては.本稿で論

ずるホメロスというそもそもヨーロッパ精神の礎を全面的に形作り得た大詩

人への(心のこもった)関心がどこにも見られなL、とは雷え,日本人は明

治初年哲学という全く新しいヨーロッパ的問題提起に目が聞かれたものの,

哲学を学ぼうとした人の誰もホメロスを真剣に読んではこなかった。従って

ホメロスへの無関心は何も下村だけのことではない。精神史を標模する下村

であるが,科学精神の根底にあるヨーロッパ精神一一ブルーノ・スネルはホ

メロスをヨーロッパ精神の発見者と呼んだ町一が先ず以てホメロス(の作品)

において創造されたかに思いを致すことが全くなかったのである。その点,

下村が最終的に立脚するブルクハルトは,ホメロスを繰り返し読み,ホメロ

スに創造されたヨーロッパ性,ヨーロッパの各時代を包む普遍的ヨーロッパ

精神を力説しているのと雲泥の差がある九

そもそもブルクハルトは詩人 (Dichter)である。言葉で自分の心を精妙

に表すことをこそ喜んだ人である。彼の詩の数々を私はブルクハルト書を著

すとき読んだ。彼の歴史家性は根本的に詩的魂に貫かれている。 Dichter同

Denkerとしての Historikerブjレクハルト,ここが見えなければいけない。

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精神史におけるホメロス 109

そして自分も Dichter-Denkerであったからこそ,ハイデガーはブルクハル

トに心を寄せたのである(詳述は拙ブルクハルト書に出ている)。上記の拙

書とは別に,私には「ブルクハルトとハイデガー」という論文がある九

下村のブルクハルト論とブルクハルト像はブルクハルト安介してルーペン

スをそしてルーペンスの時代ノ〈ロックを発見したことと連なっている。ここ

でもまた下村のパロックには造形芸術(絵画)に引き寄せられたもの,極端

に言語芸術を寄せつけないものになっている。バロックには二類型がある。

①北欧型のバロック。具体的にはベルギーのバロック,オランタoのバロック,

ドイツのバロック,②南欧型のバロック。具体的にはスペインのバロック

(ポルトガルのパ口ックも入ろう),イタリアのバロックがある。バロックは

カトリック側の反宗教改革の精神(自己浄化精神〉の高まり安中心とするが,

この勢いは特にスペインに大きくなっていった。絵画のバロック性はスペイ

ンではベラスケスに端的に表現されているが(エル・グレコはルネサンスと

バロック聞に出たマニエリズムの代表者であった),ペラスケスはルーペン

スからの影響・深い粋がある。スペイン・バロックは画家ベラスケスにおい

てと共に,或いはむしろこの結び付き以上に,劇作家カルデロン(1600-

1681)の演劇に表出されている。このことは坂部恵がベンヤミンの『ドイツ

悲劇の根源』を混として力説している。ベンヤミンは「近代悲劇(パロッ

ク悲劇)が悲しくさせる劇ではなく,悲しみが満足を見出すための劇,悲し

んでいる人びとの前で演じられる劇」と言っていることのみ本稿は指摘して

おく川。

ゲーテはカルデロンの弟子とすら目される。ブルクハルトもカルデロン演

劇をパリで観た。カルデロンに前後するスペイン 16-17世紀はスペインの黄

金時代である。こういうヨーロッパ・バロック精神の開展,バロック精神史

を下村は不問にしてしまっている。演劇は悲劇と喜劇である。バロックによっ

て人間劇が全開したと言える。喜劇の市民社会的状況,その奥にあるカトリッ

ク教会の権勢,徹底的世俗化,宗教救済を笠に着た強欲,ここを突く喜劇が

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110 明治大学教養論集通巻511号 (2016・1)

やがてフランスのモリエールによって創られてくる。宗教の自己浄化と共に

それに自己を投ずることのできないカトリック教会の既得権益の保持の矛盾,

少なくとも緊張,これこそはフランス・バロックの(=モリエールの)創造

である。モリエールはスペインとフランスとの精神的な相違と対立を最も良

く表した。下村のパロック観がパロックの平衡感覚に満ちた理解を示さなかっ

たことについて,まだまだ私は尚言いたいが,この辺で止める。下村はまた

スペインを単に反宗教改革そしてここにスペイン的に連動するスペイン神秘

主義一一これはエル・グレコそしてイタリア・ヴェネツィアのティツィアー

ノ,ティントレット,コレッジオとの精神の共同でもある一ーから特色付け

るのが日につくが,なんと言っても言語芸術への心の聞きのなさが下村の弱

さになっている。これは下村が人間の日常性(社会性,歴史性と言うべき)

に関心を持つこと 身近な小さなことへの勇気を哲学に求めたのは O.F.

ボルノーである一ーのないことによる。更にずばり言って,男女の恋心,エ

ロス性,こういうフランス精神の重要要素が下村の視界から全く抜けている

ことを意味する。故に下村には(カルデロンの弟子)ゲーテへの心も全く開

かれていない。

下村の文字文化,言語芸術,言葉世界,詩作,叙事詩,悲劇,総じて人間

の絵模様の描出・再現代ーメーシス),人聞の心理の奥に禍巻く葛藤への

冷ややかさと無関心は,私の以前から気になるところである。下村の弟子た

ちからの下村への深い理解も鋭い批判も皆無であった。レーヴィットは日本

の哲学者への批判を込めて, Iヨーロッパ精神とは批判の精神である」と打

ち上げているω。

レーヴィッ卜にあやかつて私はここで言いたL、。「ヨー口ッパ最大の文芸ひだ

の創造者であり,人間の心の袋をあれ程細やかに表現できたホメロスの創造

的精神の中に早くも根源的に十分に批判精神が開花していたということであ

る。私が最も新しく読んだホメロス論にトーマス・スレザークの『ホーマー』

(Thomas A. Szlezak, Homer oder Die Geburt der abendlandischen

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精神史におけるホメロス 111

Dichtung, Munchen 2012)がある。本年8月スイス・チューリヒの毎年幾

度も運脚するクリオ書庖で出会い購ったものである。今迄のいかなるホメロ

ス研究書よりもスレザークのこの作品は,ホメロスを精神史的に (geist-

geschicht1iche BetrachtungとL、う語が 8.139に出ている)捉えている。

元々プラトン研究一本であったスレザークであるが,彼の魂の深さはむしろ

ホメロス論に出ている,と今回私は発見したのである。

ブルクハルトは「ヨーロッパの文化(=精神)は最初に完成していたJと

繰り返し書いているが,今私が述べたように,ホメロスは伝承,過去の英雄

物語(言わば騎士物語)を統合的にまとめたのではなL、。彼は古い神話表象

に立っていた以前の叙事詩を自分の時代の新しい時代精神を受け止めて包括

し,その上で新しい人間像を力強く打ち上げたのである。そして彼は人の世

の惨さをしみじみと哀歌的に詠い得た(~イリアスJ)。ホメロスはそれ迄の

叙事詩枠を越えている。『イリアス」と「オデュッセイア』は勇士的豪気さ

の虚しさをはっきり照らし出している。過去への愛慕以上に過去の人間像へ

の批判性がホメロスに花開いている。

私に言わせると,そもそもホメロスは哲学の始祖である。これはダンテが

ルネサンスを開く哲学者と言われたことにも符合する。人聞の救い難さ,人

間の心の深淵を熟視できること,これは哲学者の真の存在価値ではなかろう

か。

ホメロスは或る意味で早くも現象学的で実存的なイマジネーションたっぷ

りの哲学を物語ったと私は捉える。ここで敢えてメルロー=ポンティに言及

したい。彼はカントには他者(の問題)がなかったと突いている。カントに

先立つて彼が言及するのはデカルトである。デカルトにも他者は眼中になかっ

た,と彼は言う。

デカルトが窮極において語ったのは神であるし,カントが語ったのは

意識であって,われに相対して実存するあの他者でもなければ,現に私

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112 明治大学教養論集通巻511号 (2016・1)

がそれである自我でもないのだ。……人聞の裡にある形而上学的なもの

は,その経験的存在の向う側にあるものに一一神や意識にーー帰され得

ない。人聞は,かれの存在そのものにおいて,愛や憎しみにおいて,個

人的もしくは集団的歴史において形而上学的なのであり,従って形而上

学は,もはやデカルトがいったような,一ヶ月に数時間しかおこらない

ものではなく,パスカルが考えたように,心情の最も微細な運動の中に

存在しているのであるヘ

我々日本の哲学徒は配倒的にカントそしてデカルトの影響(極めて薄っぺ

らな影響であるが)で哲学してきた。当然反主知主義に立つハイデガー研究

者も上のパスカル的,メルロー=ポンティ的織細さには遠く及ばない。

ホメロスを哲学徒が学ぶ真の意味は何か。ヨーロッパ精神の源流を知るこ

とに加えて,パスカル的・メルロー=ポンティ的な繊細な心に目が聞かれる

ことであるまいか。近代合理主義, C自)我の自覚一一これはライプニッツ,

スピノザ,カント,フィヒテ,ヘーゲルを五柱としているーーの根本的異義

を申し立てること,私はホメロスの,とりわけ「イリアス」の学びを通じて

こう痛感する。完全に醒めた自己認識,徹底的懐疑など絶対に不可能であり,

我々は定かならぬ,自己決定に包まれない行動そして思い,感情,情動にい

つも包まれている 1ヘホメロスほど心情のある物語り手 CErzahler)はいな

いであろう。

ホメロスによって人間学的自己省察がはじめて可能となったと迄,私は主

張したい。向,一言。余りにハイデガーにもたれかかって,人間学を一段低

い哲学方途であるとする者が日本に多い。ホメロスをハイデガーにぶつけて,

(心情の〉人間学の意義に気付いてもらいたいと私は思う叫。

ホメロスの作品世界はパロックのヨーロッパ 06-17世紀)を深く刻印し,

根本的に規定している。こう私は見ている。パロックは坂部が捉えるのとは

違い,決して専ら中世ヨーロッパへ還る傾動ではなL、。むしろ艶やかでそし

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精神史におけるホメロス 113

て情味の溢れるホメロスの作品精神にこそ決定的に結び付いている。ホメロ

ス精神は物語ること(問。oAoyelV)の起源であり,世界の活写である。物語

の言葉形成がバロックでは言葉だけでなく,色彩と形体,言い換えると,絵

画と建築による物語性となってふくよかになってくる。バロック建築の生の

充実の表現はホメロス的である。一方,ゴシック建築(カテドラル, ミュン

スター)の天上へ昇るキリスト教性は生の現世的充実を拒否している。天へ

向かうゴシックと人聞の現世的在り方を抱き込んでいるバロックをルネサン

スとバロックという対抗軸i日以上に重要視することが長い廃史的スパンで

ヨーロッパ文化の真の理解にとって大切であるヘノ〈ロック精神の絵画的中

柱たるルーペンスは静と動の調和,平面と空間(三次元)の共鳴に成功した

(ディーター・イエニヒ口>)。バロック音楽は多声音 (polyphony)音楽であ

る。バロック絵画も色彩の音楽である。しかしルーペンスが指摘しているよ

うに,色彩の過剰にはなっていなL、。ルーペンスの絵画の意義の一つは,ホ

メロスを忘れたヨーロ、yパにホメロス再認を促すものであったと言えないで

あろうか。

バロックの絵画は寓意性・物語性濃厚な絵画である。物語としての絵画で

ある。バロックを考える場合,我々は演劇(就中スペインの演劇)に向かう

べしと言う坂部の主張に「演劇にも向かうJべしと変えて私は同意する。バ

ロックの絵画は基本的に寓意蘭(生きることへの聞いを出している絵画)で

ある。寓意は具象的事物や場面で神話(ホメロスやオウィディウスの詩や物

語における)を表現し,とりわけオウィディウスの『変身物語~ (Metamor-

phoses)を下敷にして絵画化される。ベルギー絵画とは違ってオランダ絵

闘にはオウィディウスの影響がないではなL、かと苦うのは大いなる無理解で

ある。男と女との恋情を描くオランダ風俗画の数々は,オウィディウスの驚

くべき修辞性に満ちた四作品「愛の技法~ ~名婦の書簡.ß ~女の化粧法~ ~恋

の療治』が働いていたことを我々は知らねばならない。

オランダ絵画について更に綴る。よくオランダ絵画は写実一本であると捉

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114 明治大学教養論集通巻511号 (2016・1)

えられてしまう。景観画ですら実は決して写実主義に収まらない。理想化さ

れている。況んや風俗画はそして静物画(絢澗な花々などの絵〉も強く頑固

なメッセージ一一人生の惨さーーを訴えている。そこに点在する生活用具も

寓意的な意味を込められて描かれている。この点も下村の遺稿のオランダ風

景画論は浅い観方にとどまっているヘ

オランダの風俗画について,フェルメール安出して論じたいのだが,止め

ることにする。ただフェルメールで有名な画題となった「手紙を書く女」

「手紙を読む女Jr手紙を受け取る女」一一フェルメール以外にもこういうテー

マは多く描かれたオランダである一ーをめぐって,手紙(特に女性が前面に

出て,書く・読む・受け取るという情景の言わば中点)というものがオラン

ダ市民社会の一大表現であったことを教えてくれる極めて興味深い一書を紹

介しておく。前野みち子『恋愛結婚の成立』名古屋大学出版会, 2006年。

その第 l編第 l章「手紙とオランダ社会」同第 2章「オランダのラブレター」

はオランダ精神史となっている。

私は長らく下村精神史の視界に影響されつつも,下村の造形芸術と科学の

枠内の精神史にはその手狭さへの批判を消し難かった。私は大学定年後遅蒔

きながらホメロス研究に本格的に取り組みつつある。そして美術と文芸(演

劇〉への関心から,バロックが改めて気になるようになってきた。私はホメ

ロスへ来る前, rブルクハルト+ルーペンス」の相互的突き合わせを数年考

えてきた。無論,私のバロックへの関心はここに始まっている。そして私は

ブルクハルトがゲーテとも深く連なっており,このゲーテがスペインの黄金

時代演劇の頂点に立つとされるカルデロンに大きな影響を受けていることを

知った。そして私はカルデロンの作品を幾っか翻訳によってではあるが,聞

く日々を持つようになってきた。スペイン精神にはじめて心がときめいた。

ホメロスを改めてヨーロッパ精神史の根源として学ぶ日々を送っている私

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精神史におけるホメロス 115

は,坂部恵の新しい精神史の視界(会く下村の精神史とは違う問い掛け)に

バロックそしてスペインの「シェークスピア」カルデロンが重要になってい

るのに引き寄せられた。「ヨーロッパ精神史入門J(1997年〉と「モテ'ルニ

テ・バロック 現代精神史序説 J (2005年)の二冊には下村とは全く別の

精神史の展望があった。無論,私は坂部の視界・問題設定に全面的に同感す

るものではない。彼には言葉世界・言語芸術への比重が余りに大きすぎると

思う。この坂部には造形芸術(就中絵画)への関心は全く窺えない。しかも

神秘主義とか霊性が,哲学では「処理」できないものとして,精神史の中点

に置かれているのも,私には違和感安否定できない。彼には私の「愛するJ

ブルクハルトに広がる社会,都市生活という文化への関心がこれ文全く見当

たらない。霊性への関心が坂部に強すぎる。

しかし彼によってはじめてベンヤミンの『ドイツ悲劇の根源』への本格的

関心が高まったことを私は認めない訳にはいかない。このベンヤミンも先の

カルデロンモバロック精神の支柱と位置付けている。既述のように,私とカ

ルデロンとの縁はベンヤミンとの出会い以前に,ブルクハルトやゲーテによっ

て結ぼれていた。

ここで敢えてベンヤミンと私について少し書く。実は私は 15年程前既に

『景観哲学をめざしてJ(1999年)と『景観哲学への歩みJ(2001年〉の執筆

中ベンヤミンに言及していた。ベンヤミンの「眼前の光景を言い当てて過不

足ない言葉を見出す一一これはどんなに難しいことであるか19)Jと,イタリ

アのサンジェミアーノについての「造園の奥まった邸宅よりも,この町は幾

倍も美しし、」というこの二つの文言は,私の景観本の支えにすらなった。更

にベンヤミンの「パリのパサージュ論」は何度かのパリ滞在で散歩の伴侶と

なっている。

ベンヤミンのものはほぼ全て目を通したが,唯一「ドイツ悲劇の根源」が

読み通せないままになっており, しかもいつも気になりかっ呼び掛けるー著

であった。なんとしてもべンヤミンのこの主著を,敢えて大きなことを雷え

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116 明治大学教養論集通巻511号 (2016・1)

ば,いつか自家薬龍中の物にすること,換骨奪胎して使いたいと思うように

なっていたことも事実である。と言うのは,セネカの悲劇作品のヨーロッパ

演劇への影響の章を「ローマ帝政の哲人セネカの世界」執筆で書いていたか

らである。以下,少しそれに触れたい。

この拙著はセネカの悲劇作品が,①スペイン②イタリア③フランス④イギ

リス⑤ニーダーランデ(オランダ中心〉⑥ドイツにいかに強いインパクトで

迎え入れられたかを 40頁にわたって論じている。この⑥において, ドイツ

の悲劇作家でセネカと紳を結ばなかった者はいなかったことをオピッツ

CMartin Opitz 1597-1630),グリュピウス CAndreasGryphius 1606-64)

そして「ドイツのセネカ」と称されたローエンシュタイン CDanielCasper

von Lohenstein 1635-1683)の三人を出して追考した。そしてドイツの悲

劇作家のセネカ熱はドイツ演劇の改革者ゴットシエト(Johann Christoph

Gottsched 1700-66)から下火になる。彼はアリストテレス「詩学」の説

く悲劇の三つの原則一一行為,時間,場所の同一性ーーを演劇の普理的に守

るべき公準であることを断固として説いた。彼はパロック,特に後期バロッ

クの演劇をシュヴルスト CSchwulst)だと批難した。この形容調形シュヴ

ルスティヒ Cschwulstig) とは「ごてごでしたJI腫れあがったJI不自然

に誇張されたJI表現過剰な」といった意味である。彼はセネカ悲劇の全て

をソフォクレスの『オイディプスJと対比させ,当代のセネカ的傾向をソフォ

クレスに戻すべしと強烈に主張した。

ゴットシエトは情念を去り,徳義,人間性,友愛を表立てる演劇, 18世

紀の市民劇を創造した人物であり, ドイツ演劇の種をまいた彼は,カントで

大成するドイツ哲学を敷設したライプニッツと並んで, ドイツ精神史の基礎

を作った両輪である。

この人物にライプツィヒ大学で教わったのがシュレーゲル(Johann Elias

Schlegel 1719-49)である。彼はレッシング CGottholdEphraim Lessing

1729-81)に先立つ大劇作家と雷える。彼もいかにもドイツ人らしく,ロー

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精神史におけるホメロス 117

マのセネカやイタリア,スペイン,フランス南欧を脱した市民劇,よき教養・

趣味を身に付けた市民層の演劇のみを目指すべしと演劇人に呼び掛けた。そ

の後ドイツの市民劇はセネカではなく,ストア的立場を採っていく。しかし

私に言わせると,セネカはバロック的艶やかさ,情念の噴出に全面的に立つ

てはおらず,ローマ帝政時の最大最深のストア派的哲人であったことを忘れ

るべきではなL、。セネカの哲学のストア性と彼の悲劇の言わばバロック性は

彼の中で決して激しく抗争しているのではなL、。人聞はこの両面, ethosと

erosを抱きかかえており,豊かな人間性とは ethosとerosとの共存,共鳴,

である。バロック性とストア性の共鳴こそセネカに花開くオリジナリティー

である。ホメロスにもこのことは早洞見されていたというのが私の把握であ

る。セネカとバロックの縁をより深く理解することでバロックの物語的精神

に接近できるであろう。

尚,坂部に言及する。彼のご冊目の単独執筆書「理性の不安 カント哲学の生成と

構造J(1976年)は,それが出版されてすぐ入手し開いたものである。認識行為を

大切にする人カントと日々を自己決定で生きるカント,こういう二面性の中でのカ

ントの不安(理性の不安),アイデンティティ・クライシス(自己の一貫性の危機)

を問題にしたこの著を今約 40年振りに読み,思った。誠実で教養豊かであり, I専

門馬鹿」や単なる技術施行者(圧倒的多数の医者も然り)でない限り,こうした不

安は何らカント固有なものではない,と。むしろカントの腹は揚っていた,人間は

ストア派自己制御に服すべし,と。科学すること(科学者を貫くストア性)は,人

間の生の豊かさ,価値高い求道性(人倫性)には到底及ばないことをカントは迷う

ことなく肯定していた。とれが私の坂部批判である。

自然認識と倫理意識,対象への一方的関わりと自己への一筋縄ではいかない執着,

この対立は何もカントに閲有の,カントならではのものではない。カントは主観

(普遍的自己)の構成こそが白然認識であること,認識は対象のあるがままの再現

ではない,認識は我々の自我に引き寄せられたもの,主観的認識の有する決定的力を

主張し,所謂「コペルニクス的転回jで押し切ろうとしたカント。彼には人間の生き

方,行為においても管理能力を強く唱えるオプティミスティクな甘さが大きかった。

セネカはカントと全く違う。彼における哲学者存在と悲劇作家存在,この統合さ

れない相克をセネカはたじろがずに抱き込んだ。セネカはカント以上に深い人間省

察者である。坂部はカントばかりでなく,是非セネカへも問い掛けを行うべきであっ

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118 明治大学教養論集通巻511号 (2016・1)

た。セネカこそは坂部のその意義を力説するバロック演劇jを支えた存在である。そ

もそもヨーロッパ演劇(悲劇)にギリシア悲劇など全く較べようのない影響を与え

たのはセネカなのである。

坂部のバロックに関する先の二著は,既述したが,私にとってベンヤミン

への大きな導きとなったのであるが,私のパロックへのd思いは,かつてのセ

ネカへの私の思いに深く繋がっている。セネカの勉強と坂部のバロック論と

の出会いによって,ベンヤミンの主著『ドイツ悲劇の根源』が私に響き出し

てくるようになった。精神史とバロックを自分の哲学の中柱に立てた坂部へ

の日本における理解はこれ迄全く聞こえていなL、。バロックにはセネカの他

に,オウィディウス cr変身物語」そして『愛の技法』他のギャラントリ

〈女性への送量さ〉を表す作品)そしてキケロー(その修辞的言葉世界)の

精神が大きく働いている。

坂部の哲学は政治論が全くない。しかし彼の足場とするバロック(の時代)

は極めて政治的激動の時代であった。私のセネカ著はセネカの悲劇の背景に

ある政治に大きく目を向けたものである。バロック視界にはバロックの政治

も入ってこなければならな L、。バロック人『シェークスピアの政治哲学』

(シェークスピア 1564-1616,彼はルーペンスと同年齢)という一書がある

ことを,私はまだ聞いていないが知っている。セネカだけでなく, rホメロ

スの政治哲学Jというテーマの論文もいつか書こうと思っている私である。

へーゲルの政治哲学,市民社会の分析(社会哲学)は 20世紀から今日ま

で彼を現代を照射する哲学の王者としている。彼の学友で若い時完全にヘー

ゲルを弟子の枠にとどめたシェリングには全く政治哲学,社会哲学がなL、。

この領域に彼は完全に沈黙を押し通した。そして晩年神秘主義的哲学に集中

した。ブルクハルトをここで出す。彼はパーゼル大学からベルリン大学に移っ

てすぐ, ミュンヘン大学からプロイセン国王の肝入りでベルリン大学の招聴

に応じたシェリングの哲学(多分『啓示の哲学』として後出版されたもの)

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精神史におけるホメロス 119

を聴いた。そしてぞっとする気味の悪L、思いになった。このことを彼は

1842年 6月 13日友人のキンケル(詩人で政治的急進思想の持ち主)に書い

た。その手紙を拙訳するO

シェリングは言葉の本来の意味でパシリデス(130年頃生まれのグノー

シス派の哲人)のようです。というのは,彼の講ずるところには気味の

悪さ,怪物めいたととろ,形にはっきりしないところがあります。僕は

彼を見ていると,アジアの荒々しい魔神のようなものが 12本の腕と 6

つの頭を持って気味悪くよたよた現われるように思えるのです。ベルリ

ンの学生らでさえ,この恐ろしいあやふやな感覚的直観と表現に我慢す

るのは段々不可能となっていくでしょう(シェリングはベルリン大学に

赴任してまだ日が浅L、。一角田補記)。救世主イエスの運命についての

長々とした歴史的分析を拝聴するのはぞっとすることです。シェリング

の講ずるイエスを愛せる者は余程心の広い者でしょう。ベルリンの上層

市民たちは正統的一一敬度主義的一一貴族的立場から,それでもなおシェ

リンク守に関心を寄せています則。

皮肉屋のプルクハルトの面白躍如の文面である。このシェリングに対し,

本来非政治の哲学姿勢一筋の坂部は「シェリングは深く人聞を考えたゆえに,

かえって同時代(ドイツの〕の社会哲学と波長の合う形でみずからの社会哲

学を展開することができなかった21)Jと共感を寄せている。シェリングは

(とりわけ)芸術哲学と(次いで)宗教哲学一一しかし彼の宗教哲学はギリ

シア神話まで向かう脱キリスト教的なものであったーーに彼の真骨頂があっ

たことは間違いない。人聞を深く考えたシェリングは社会哲学(政治哲学も

社会哲学に包まれるとしてもよかろう)へ向かうことなど全く歯牙にも掛け

なかったと言う坂部は,必ずしも不当な見解を出したわけではない。しかし

芸術哲学へも耳を傾ける仕事をしたへーゲルは,同時に見事な「市民社会の

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120 明治大学教養論集通巻511号 (2016・1)

解剖学J(マルクス)も行い得たのである。この点坂部はどう反論するか聞

きたかった。シェリングには自分より五歳年上でありながら, I弟子」の時

代を持ったへーゲルへの改めての対抗心が強かったのではないか。尚,余談

になるが,ゲーテはシェリングがイエナ大学教授になるのに尽力した。しか

し余りにシェリングが汎神論的になっていくので,やがて支援者から降りた

と伝えられている。

尚,坂部に一言。彼は私の景観哲学に「土地・街柄・街並みの雰囲気にじっ

くり耳を欽てている」と好意的感想を寄せてくれた思い出がある。彼に私の

フソレクハルト著そして今手を染めているホメロス研究を読んでもらいたかっ

~.

れ』。

3

私はホメロスの「イリアス』の現象学的解釈学的分析に筆を執る前に,長々

と私の哲学の立場を綴ってきた。坂部やベンヤミンそしてブルクハjレトやセ

ネカを出して私の哲学することの立場,一つのはっきりした(少なくとも私

には)方向を書いてきた。これ迄の私の全思索はホメロス研究へ合流してい

ると思うからである。

バロック,とりわけベルギーとオランタoの絵画に位置を定めつつ,演劇の

バロックについても大いに関心の高まってきたここー,二年である。ここで

もホメロスへの結ひ。付きは常に意識されてきた。

私はホメロスを本格的に学ぼうと思い,ふとアリストテレスの『詩学」

(松本仁助,岡道男訳,岩波文庫)を開いてみた。二冊持っていたが,偶々

聞いた方に,完全に失念していたのだが,訳者の一人岡道男の謹呈のしおり

があった。繊細な黒万年筆で「角田幸彦様 岡道男」と記されていた。第二

刷(1997年 5月6日,第一刷は同年 1月16日)が出てすぐの頃,岡は贈っ

てくれたものと思われる。この 1997年7月15日から 100日間,私はドイツ・

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精神史におけるホメロス 121

マールプルク大学へキケロ一文献を集めに出掛けた。

聞には思い出がある。私は 1983年一4年,テュービンゲン大学の古典学教

授でプラトン研ー究家ガイザー教授の許で学んだが, このガイザー教授の師で

20世紀最大のホメロス学者シャーデヴアルトは岡の師でもある。私が岡と

言葉を交わしたのはたった一回であり,本当に残念である。大学停年後ホメ

ロスを勉強しはじめた私に古典学的細密さで身が引き締まる思いを呼び覚ま

してくれたのは,聞の大著唯一冊である O 岡道男『ホメロスにおける伝統の

継承と創造J(1988年)である。折に触れて幾度となく開いてきた私である。

しかし一言すると,この労作に欠けているのは一一それは時代的に仕方のな

いことなのだが一一物語論 Cnarratology)という視界でなかろうかと思う O

敢えて言うなら,物語論的ホメロス解釈はホメロスの中に一種のバロック的

な多彩さ豊穣さを発見することである。古典学に余りに縮小された専門ホメ

ロス学の打破の意欲が物語論の生命であろう。この点,常に哲学の非専門化,

学際化,精神史化を孤立して唱導した坂部恵にこの手法は重なっていよう。

今日ホメロス学は(ギリシア)古典学の伝統的視界を踏み出,細かい文句

の解釈,精撤な知を固めることから踏み出て作品全体を捉え,部分と全体のナラトロギ一

関係という作品構造をはっきりさせる物語論へ転換していっている2九ア オ イ ドイ

このことは,口諦詩(文字のない時代吟謂詩人たちに詠い継がれ,内容が

増大していった)という多数の手(多数の口)の集積が『イリアス』そして

『オデュッセイア』であるというパリ ω1ilmanParry 1902-33)以来の一

種の公準的見解の呪縛(沢山の吟請詩人の手の強調〉を敢然と脱出しようと

したことを意味する。この脱出はこれまでもラインハルト,シャーデヴアル

ト,シュヴィングなどになされてきたが,物語論的ホメロス研究はその一層

の徹底である。ホメロスが複数いたという分析論の幕を開いたヴォルフ

CFriedrich August Wolf 1759-1824,ゲーテと同時代人〉の衝撃は「イリ

アスJ~オデュッセイア」のホメロスの「一人業」を打ち砕くものとして途

方もなく大きかった。先のパリも基本的にヴォルフに与するものであった。

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122 明治大学教養論集通巻511号 (2016・1)

19世紀から 20世紀,この方向はヴィラモヴィッツ=メルレンドルフに一層

徹密に徹底される。

ここで, この人物について,私とのつながりが深いのでさをを向ける。「古

典学の帝王」ヴィラモヴィッツはまだ 20代,ブルクハルトの『ギリシア文

化史』を全く思いつきの主観論であり,読むに耐えぬもの,非学問的な代物

と毒付いた批評を挑戦的に公にしたことでも有名である。尚,彼の著作一覧・

全ての論文タイトルを載せた一書を私は所蔵しているが23) 著書がなんと 60

冊以上,論文が 200篇以上あった人物である。私の『哲学者としての歴史家

フ守ルクハルト」の 661-2頁は,彼のブルクハルト酷評を紹介しである。私は

このことではブルクハルトを擁護してヴィラモヴィッツに猛反発したが,他

方,彼のプラトン解釈では我が意を強くした思い出がある。ヴィラモヴィッ

ツはブルトマン, レーヴィットそして私の師下村などに唱えられた「ギリシ

アにはそもそも歴史哲学はなかった。ギリシアには自然哲学のみがあった」

という理解(定説的誤解〕へ反論を呈し, Iプラトンこそは歴史哲学の創始

者だった」と高らかに主張した最初の人である。夜、は最初の著作である『歴

史哲学としての倫理学J(1993年〉でこのことを引用した。また最近の「哲

学者としての歴史家ブルクハルトJ(2014年)でもこのことに触れた。敢え

て正確にヴィラモヴィッツの文言を出すと, Iプラトンは確かに歴史学

C Geschich tswissenschaft)を軽蔑したが, しかし歴史哲学 CPhilosophie

der Geschichte)を創設した」と彼は述べている。私のこの大古典学者へ

の思いは同感と反対の二極に分かれている。今引用した彼の文言にも私は反

接があるのである。アリストテレスの歴史(叙述)への低い評価と違って,

プラトンは極めて腔史的思惟に貫かれたと言うべきであるO この点ヴィラモ

ヴィッツは私の心強い味方である。しかし彼は歴史学と歴史哲学を簡単に区

分するが,この点には私は簡単に同意できない。何らかの歴史哲学性のない

歴史学(史述)はない筈である。この辺の私の反ヴ、ィラモヴィッツは『哲学

者としての歴史家ブルクハルト』が自説を詳述している。

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精神史におけるホメロス 123

今の私にはホメロスのみが問題なので,彼のホメロス研究にのみ目を向け

ることにする。彼のヴォルフに連なる分析論的ホメロス像は,一見冷静で

(学問的で)無理がないと見えるが,今日の narratologyからのホメロス論

の成果を検討すると,完全に克服されていると言えよう。とは言え, narra-

tologyによって柔軟なホメロス研究への道は,自らの反面教師としてのヴィ

ラモヴィッツをしっかり批判しなければならなL、ω。分析論的にホメロス作

品の矛盾・多義性を掛り起こすよりも,一人の詩人・物語作家の妙技を重要

視する narratologyの方向が最も味わい深い解釈と私には思われる。

ホメロスをホメロスを越えて文学全般に通用される narratologyから学

び直すことが大切である O これはギリシアそしてローマの文芸の枠にのみ身

を置かずに,中世,バロック,近代の文芸への関心とファンタジーの織物へ

の全面的関心の重要さを意味することでもある。ホメロスは他の文芸と比較

的に考察されるべき文学である。ホメロスの作品世界はこのことではじめて

見えてくるのである。

私はそもそも哲学は扶い学校哲学枠にとどまらない視界の広さ,問いの大

胆さ,新しい出直しが必要であると常々考えでいる。哲学は哲学者の個別研

究に満足してはL、けないと思う。こういう枠内の研究書が日本で如何に多い

ことか。私の『景観哲学への歩みJ(2001年)の出版記念会に出席してくれ

たギリシア哲学の井上忠は「日本の哲学研究は単に哲学者の研究ばかりであ

る。このようにテーマで哲学することが大切である」と祝詞で言ってくれた

ことを思い出す。私は下村の影響で 20代から精神史的視界で哲学したく,

広くものを考えてきたつもりである。

ここで narratologyの方途を行く研究書を一応列挙すれば,以下の 5著

が有力である。 narratologyは「人間経験の沃野の歩み」と私は言おう。

Griffin, J., Homer on Life and Death, Oxford 1980.

Latacz. J.. Der Planungswille Homers im Aufbau der Ilias. in: Die alten

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124 明治大学教養論集通巻511号 (2016・1)

Sρrachen im Untemcht 28, no.3: 6-16.

, Zeus' Reise zu den Aithiopen CZu Ilias 1, 304-495) in:

Gnomosyne Festschrijt jur Walter Marg, hrsg. G. Kurl et al., 53-80.

De ]ong, 1. ]. F., Nαrrators and Focalizers: The Present,αtion oj the Story

in the lliad, Amsterdam 1987.

,A Nαr1iαtological Commentary on the Odyssey, Cam bridge

2001.

Richardson, S., The Homeric Namαtor, Nashville, Tenn. 1990.

ホメロスは彼に先行する,また彼と同時代の吟遊詩人たちと共に何を行っ

たのか,ホメロス(の作品〉の中で(真に)ホメロス的なのは何か(また何

処か),これに答えることは大切なのは当然である。

しかし世界文学の幅,比較文学の回線,作品のまとまりでホメロスを考え

ることがより一層大切でみる。

私は, narratologyの方途のホメロス研究(とりわけ「イリアス』に視界

を限つての研究〕の手法を学ぼうとしている。そして先に示した研究書に加

えて, グレートライン CJonasGrethlein, Das Geschichtsbild der Ilias

Eine Untersuchung aus phanomenologischer und narratologischer Perspek-

tive, Gottingen 2006)に同感する所大である。グレートラインはハイデガー

cr存在と時間』のみ),ガダマーそしてリクールを実によくこなしている O

しかも単に同調するのでなく,この三人の偉大な哲学者に対決し,彼らの現

象学的解釈学の不足を突いている。そして私が益々感ずるのは,ホメロスは

単に文学I隔でではなく,哲学する心によって読まれる(味読される)べきで

あるということである O このことをグレートラインが力強く私に教えてくれ

た。そしてここでいう哲学するということは端的に時間の中で(歴史的時間

の中で)人間存在へ肉迫するということ以外のものではない。

ここで和辻哲郎に言及する。彼は出版早々のハイデガー「存在と時間」を

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精神史におけるホメロス 125

留学時ベルリンで読んだ。和辻はそこには空間の問題,人聞の空間性が欠け

ていると,早とちり・全くの誤解を堂々と宣告した。空聞を前面に出して

(立てて)~風土」を著した(尤も元々は京都大での講義〉ことは哲学・倫理

学畑で知らぬ者はいない。幾度か私は和辻の「天の邪鬼j(戸披澗)につい

て書いたが(~景観哲学をめざして」や他の論文で),そもそも人聞は空間的

存在以上に時間的存在である。このことを和辻は拒否するのである。安らぎ

は空間性にあり,不安や緊張や覚悟は時間性である。人間存在は本来不安存

在である。通ってきた「これまでj,まだ来ない「これからj,人聞は先ず第

一に時弘思って成長する。悲しみも審びも全く時的刻印を持つ。そもそも現

象学は時間軸による人間存在論であり,空間輸はあくまでも時間あってのも

の,従属的である。時間と空聞は「対等」ではない。安らぎの広がり(空間)

は極めて時間的である O 時間は悲しみのそして不安の影をいつも引きずって

いる。科学とは基本的に空間的である。布置的満足である。科学への本質た

る空間的性格は時聞に浸された人間の悲しみに「音痴Jである。

ホメロスの「イリアス」は戦いの空間,アカイア勢とトロイア勢の戦闘の

空間の摘出ではない。長らく続いた両陣営の戦いそして戦いの元となったヘ

レネの誘拐,ヘクトールの死, トロイアの落城,アキレウスの死,アガメム

ノンの帰国後妻とその愛人の手による死(謀殺), トロイアの女たちの運命,

ヘクトールの子の殺害という聞く者誰もが知っている(物語として〕大きな

筋を背景とした物語,民族的歴史の中の物語である。ホメロスの作品の妙技

は時間の流れをどう表現するか,明確に言えばアキレウスと共に過ぎ行く時

間と,彼不在の状侃でのギリシア勢の戦いの時間のつながり,二つの異なっ

た時間の結び付き(連関)のつけ方にある。このことについては別の機会に

詳述するが, narratologyの手法は時聞と物語,物語の時間性を物語成立の

根源とすることである。

和辻がハイデガーに抗って立脚した空間尊重の人間学は極めて甘いもので

ある。尚,閉じくハイデガーに抵抗し,人聞の安らぐ「空間J安論じたボル

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126 明治大学教養論集通巻511号 (2016・1)

ノーは和辻の風土化した空間,余りに具体的になりすぎ概念的踏み込みのな

いところに放置された空聞を越えるよき意味での思弁性を示している。しか

しボルノーにも narratologyの視界が受け継いでいるハイデガーの時間性

の現象学が捉えられていなL千九

ホメロスに戻ると,彼の作品の成功性,見事さは時間の直線性(過去へ連

なる〈抱き込む》展望と未来への予知性)と時間内の同時的進行である。こ

こを押さえてはじめてホメロスの「イリアス』解釈は充実する。物語ること

とは空間的行動(戦闘)ではなく,根本的に時間軸,過去から未来への直線

の中に空間をしっかり「抱き込むJことなのである。

ホメロスの「イリアス」における歴史観念・歴史像はハイデガーの死へ張

り巡らされた時間,覚悟を決めた生としての時間に速なっている。間延びしアイゲノトリッヒ

た日常的時間(非本来的時間〉に対して本来的時間(=張りつけた時間)

が『イリアス』を貫いている。この作品への物語論的接近とは個的(個人枠

の)時間以上の時間・歴史時間へ我々が目を向けることである。私自身,古

典学へも十分耳を傾けてホメロスの勉強を歩みたいのと,あわせて,この課

業は通常の哲学幅を越えて歩むべしと思う。ずばり言って,歴史時間そして

歴史物語を問うことであると捉えている 26)。哲学者の主著や他の著作群の細

やかな後追い作業を旨とする哲学科(どまり)の哲学は,人心に声なき声を

発して響く歴史的時間という深さにはいつまでも歪らなL、。先に出した坂部

恵も,専門的精綴さのみを競う学校哲学(学科哲学〉がいかに哲学を損うも

のかをはっきり批判している。彼は日本哲学会の異端児であった。

4

ここで改めてアリストテレスの「詩学』に目を向けることにする。ギリシ

ア哲学の研究者はプラトンやアリストテレスの哲学だけでなく,ギリシア精

神史という豊かな沃野へ歩を向けるべし,が私の根本主張である。それはギ

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精神史におけるホメロス 127

リシア悲劇,ギリシアの叙事詩一一端的に言ってホメロスの作品一ーからプ

ラトン,アリストテレスに欠けている面の人間論・人間省察を汲み上げるべ

きということである。更にギリシア精神史の学びには,へロドトスとツキュ

ディデスの歴史(叙坊)へも身安乗り出すことが要求される。

ホメロスを学ぶ道にあって,私は私のかつてのツキュディデス一辺倒を改

め始めている。ヘロドトスへ関心が高まってきた。それはヘロドトスとホメ

ロスとの精神の共同が私に響きつつあることと思われる。

あらゆる学聞を作ったとすら目されるアリストテレスは,歴史的感覚を十

分持っていながら,歴史を詩(叙事詩と悲劇〉に劣るものと規定したのはよ

く知られている。詩は起こるべきこと,必然的なこと,言わば人間的生の不

変性を書くのに対して,歴史は起こった一回限りのことのみを書くというの

が,歴史が詩に劣る理由とされる。しかしよく考えてみると,例えばブルク

ハルトによってはじめて自覚的に構築された文化史 (Kul turgeschich te)

は,決して出来事の個別性,一回限りの内容を捉えるものでないという歴史

への態度がはっきり打ち上げられている。ツキュディデスが戦争を描いたの

は,戦争における一種の狂気がいかに恐ろしいものであったかを怯えること

で,今後人聞がこういうことを犯さないようにと極めて倫理的教育的な思い

があったこととブルクハルトは同道している。そもそも人間の行動安考える

ことには,行動の特殊形態以上に,普遍的反応,普遍的決定を見出そうとす

る目が働いている。

尚,ヘロドトスはギリシア的な自由・自治とペルシア的専制・帝国化のコ

ントラストを具体的に活写する。しかし彼はツキュディデスのように,戦争

に一極集中しはしない。ペルシア戦争だけでなく,エーゲ海のギリシアのポ

リスのペルシアの覇権からの独立を描いてもいる。すなわち,地中海世界史

になっている。彼の人聞の気質の描出は一脈文化史的でもあった。とは言え,

人聞の精神の深い省察という哲学性はむしろ戦争にのみ集中したツキュディ

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128 明治大学教養論集通巻511号 (2016・1)

デスに表出されていると言ってよL、。ツキュディデスが「文化史の父」とす

れば,へロドトスはむしろ「民族社会学・社会史の父」である。

私がこれまで 50年間の哲学路において研究文献に目溢しない程徹底的に

当たり,原典を精読したのは,アリストテレスとキケローの二人のみである。

敢えて三人目を挙げるならセネカも加わる。キケローはローマ最大の哲学者

であるが,その深い史的感性は彼がもしもっと生きたならば一一彼は 63歳

で死刑になってしまった一一ローマ最大の歴史家になったであろうとは,同

じローマの歴史家ネポスの言葉である。キケローはへロドトスを「盛史の父」

と呼んだ cr法律篇J{De ligibus)冒頭)。私をキケローが引き付けたのは,

何よりも彼の歴史的感性であった。では,ツキュディデスはどうか。ツキュ

ディデスを貫くプルクハルト性が私を魅した。この「文化史的判断の父J

(ブルクハルト)の精神史としての政治史に私は圧倒された。彼の洞察はヘ

ロドトスと別の意味でホメロス的である。戦争の非理性的残虐行為,名誉心

による暴走の摘出(ツキュテゃィデスの『戦史』の本当のテーマ)は,戦争そ

通して平和の奥に隠された人聞の恐ろしい残虐さを描き,この残虐さを人間

本性の不変性であるた伝えている。へロドトスの客観的叙述,ツキュディデ

スの人間学的叙述(人間心理の省察〉の統合が歴史家の永遠の課題ではなか

ろうか。尚,プラトンとツキュディデスの歴史把握の相違については拙著

「哲学者としての歴史家ブルクハルトJの64-87頁が詳述しているo

既述したが,私は今漸くホメロスの神話世界を介してへロドトスに大

いなる関心を寄せるところとなっている。その機縁は藤縄鎌三『歴史の

父 へロドトスJ(新潮社. 1989年)を偶々開いたことによる。ツキュ

ディデス党の私の片寄りをこの大著は取り除いてくれた。かつてへロド

トスは私には妙に神話的宗教的臭みが強く,何か気味悪さを否めなかっ

た。しかし藤縄の次の言葉によってにわかに蒙が啓かれた思いとなった。

「へロドトスの特徴としては,貴族主義よりも,むしろ特異な芸宗教性が

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精神史におけるホメロス 129

顕著である。そして,この宗教性こそ幼時からの素質や環境に根ざして

いるものと想定されよう。……へロドトスは宗教には深い関心をもち,

前兆とか神の摂理とかを信じていたmo

ここからアリストテレスへ戻る。彼が詩に対して歴史を劣ったものと見る

のは,歴史は「一回限りの出来事の単なる記録にすぎなL、」という考え方に

拠る。あれ程全てに柔軟な頭脳の持ち主のアリストテレス最大のミステーク

と私は思う。そもそも腫史であれ,知る働きは決して個別に止まらない。個

別に闘が向けられでも何らかの不変なもの(普遍なもの〉が同時に据えられ

ている筈である。しかも個別なるものはいつも普遍に何らか包まれてしか存

在しょうがない。そもそも中世哲学における個別か普遍か(概念か〉なる有

名な普遍論争は誤った論争なのである。

「詩学」は悲劇論が中心であり,叙事詩は悲劇と並ぶ詩という位置に立っ

ているわけではなL、。アリストテレスの悲劇の本質についての定義を見てみ

ょう O

悲劇とは,一定の大きさをそなえ完結した高貴な行為の再現代ーメー

シス)であり,快い効果をあたえる言葉を使用し, しかも作品の部分部

分によってそれぞれの媒体を別々に用い,叙述によってではなく,行為

する人物たちによっておこなわれ,あわれみとおそれを通じて,そのよ

うな感情の浄化(カタルシス)を達成するものである船。

しかしながら「高貴な行為の再現(ミーメーシス)Jということは,エウ

リピヂスの悲劇作品には全く眼目となっていないと思われる。この悲劇作品

はことごとく情念,狂気に通ずる情念劇ではあった。かつて私はエウリピデ

スの「パッカイ』を読んで驚いたことを思い出す。またソフォクレスの『オ

イディプス』も単純に高貴な劇作と言えるだろうか。そもそもポリスの市民

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130 明治大学教養論集通巻511号 (2016・1)

(大衆)を観客とする演劇が高貴を掲げることができたであろうか。私はで

きたとは,思わない。

次いで叙事詩についてのアリストテレスの規定を見ることにする。

叙事詩の筋は,悲劇の場合と同様に,劇的な筋として組みたてら

れなければならなL、。すなわち,それは,初めと中間と終わりをそなえ

完結した一つの全体としての行為を中心に,組みたてられなければなら

ない。そうすることによって,それは一つの完全な生きもののように,

それに闘有のよろこびをっくり出すことができるであろう四)。

そしてアリストテレスは,叙事詩における出来事の組み立てぞ臆史と異なっ

たものでなければならないと指摘し,歴史において一つの行為が問題ではな

し一つの時間(時期〉の解明が肝要だと言う。要するに,歴史は時閣の中

の出来事をできるだけ捨象せずに,叙述に取り込むしかないというのである。

他方,叙事詩は一切合切(無論,歴史叙述者への選択は働くのではあるが〉

取り込むことはしないホメロスは, トロイア戦争 10年聞のわずか 50日間

(より正確にはわずか 14日〉にのみ場面を限った。この時間枠における中点

たる「アキレウスの怒り」のみを練りに線った表現で描出する。そして過去

の出来事と将来に予想される一一先行する,また同時代の詩人に歌われたも

の cr叙事詩の輪」と言われるもの〉で既に確定されている将来なのだがーー

出来事を散らして描く。「アギレウスの怒り」にトロイア戦争の全体(はじ

めと中間と終わり〉が見事に収束される(集中的に高められる)。言わば作

品自体の心臓部がアキレウスの怒りである。そしてそこから一切が流れ出る。

一切のトロイア物語が「脇の舞台Jに退くことによって,かえって見事な花

園として芳香を放つ。間延びした,ただ展開を綴るという作り方(歴史叙述

性〉は見事に克服されているω。そして「アキレウスの怒り」はトロイア戦

争全体安真の意味のある悲劇としている。そもそも悲劇は腫史的でなければ

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精神史におけるホメロス 131

ならない。

5

怒りは怒りを自分に生じさせた他者一一アキレウスにとってはアガメムノ

ンーーのせいのままで持続しない。自分は悪くなかったという確信を持続さ

せはしない。確かに怒りはこれを起こした相手のせいである。しかしアキレ

ウスは次第に怒りが一種の迷いでしかないことを悟る。これはアガメムノン

の方にも抱かれる自己反省である。大いなる恥ずかしい取り乱し,抑えの効

かない悪しき醜態,こういう自覚がアキレウスに(そしてアガメムノンにも〕

抱かれてくる。しかも「イリアスJは①アキレウスの(アガメムノンに対す

る)怒りと,②アガメムノンの(アキレウスに対する)怒りに加えて,③ア

ポロン神の怒り(トロイアの神官へのギリシアの総大将アガメムノンの扱い

に対する〕という鼎性の怒りが鹿闘のエネルゲイア(活源)である。

そして彼のアガメムノンに対する怒りは,パトロクロスという幼い時から

一緒に育てられた友の死, トロイアの総大将ヘクトールに討たれたことへの

怒りによってその炎が小さくなっていく。アガメムノンへのアキレウスの怒

りは天を突く程烈しかった。仲間が和解を取り持ち,アガメムノンが自分の

非をはっきり認めたことを伝えられても,アキレウスの怒り安解くため和解

を取り持つ使者が数多くの品を持ってきても,アキレウスは断固それを突っ

接ねた8九しかしパトロクロスの死は彼には応えた。彼にとってパトロクロ

スは単に親友以上の,また肉親以上の存在であり,このニ人は何やら精神的

な同性愛の関係にあることすら匂わせる。パトロクロスはアキレウスの為に

どこまでも一切を榔って尽くし,一方,アキレウスはパトロクロスを弟の

ように,否,それ以上に思い護っている。パトロクロスはホメロス以前から

アキレウスに関する伝承の中に見られたのか,そうではなく,ホメロスのは

じめての創作なのかははっきりしないものの,私はホメロスの創造と考えて

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いる。

男同士の友情の強さが異性(女性〉への愛以上に強いのは,ギリシア

民族にのみ見られるという主張安私は読んだことがある。今から 19年

前(1996年),ハイデルベルクのエリザベート教会の軒下に庖を出して

いた古本屋で買った次著である。 Renatavon Scheliha, Patroklos

Gedank巴nuber Homers Dichtung und Gestalten, Basel1943, bes. S. 290-l.

パトロクロスは,親友アキレウスが思り後飽く迄解かず,戦いの先頭にい

つも通り立たないことにより,味方が次々と倒されていく様をこれ以上座視

できず,アキレウスの甲胃をつけ(偽装して〉一一アキレウスが戦いに復帰

したと敵軍にも味方にも恩わせて アキレウスの願いのもと出陣する。し

かしトロイアの総帥ヘクトールとの一騎打ちに敗れ殺され,武具を剥ぎ取ら

れる。この転末を耳にしたアキレウスは働突し,新しい武具を作ってくれと

母神テティスに願う。母神は承諾し,へパイストス(鍛冶の神〉に作らせる。

そしてアキレウスは目覚ましい戦い振りで次々とトロイアの勇士を打ち倒し,

遂にトロイアの総大将ヘクトールを殺す。アキレウスのアガメムノンへの怒

りが親友パトロクロスを殺したヘクトールへと矛先を変え,凄まじく燃え上

がった。トロイアの敗北,城が落ちるのはまだ先のこととして,アキレウス

のヘクトールへの怒り,ヘクトールの遺骸への非人間的な暴行,ヘクトール

の父トロイアの王プリアモスの息子の遺体を返すようにとの懇願に耳を貸さ

ず口汚なく罵るアキレウス。しかしプリアモスの「おぬしがこういう目(遺

体となった自分になされる探繭)にあったら,父君はどれ程悲嘆に暮れるか」

という言葉でやっと自分の暴挙に気付き,ヘクトールへの(この上なく酷い〉

怒りを解く。こういう時間的展開で「イリアス」は終わる。ここで終わり,

トロイア城落城で終わらないことが見事な文学性を示している。

ホメロスはトロイア戦争を真の人間(葛藤〕劇としてアキレウスの怒りか

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精神史におけるホメロス 133

ら描き出した。ここに彼の驚嘆すべき天才性がある。

『イリアス」の笑際の展開は,それまでの伝統,つまり吟遊詩人たちの歌

において必ずしも中心的役割を演じなかったアキレウスに決定的に大きなス

ポットライト奇当てていることが注目されるとは,岡道男の先の大著の指摘

である。実際にトロイアの城を落とした功績者はオテ'ュッセウスであり,そ

れはオデュッセウスによる木馬の考案によることは,ホメロス以前に歌われ

てきた。 トロイア戦争という発端からアキレウスの怒りへ及ぶ 10年の長い

時間,それまでのトロイアへのアカイア(ギリシア勢)の出征〈言わば復讐

戦)からアキレウスがヘクトールを討ってその後生ずることになっているト

ロイア落城へと更に年月が続く。単なるギリシア勢の勝利という言わば歴史

的叙述(戦史)なら, ~イリアスJ におけるアキレウスの複雑な人間形象は

深い悲劇性を帯びた魅力的なものにはならない。『イリアス』はこつの大勢

力(ギリシア勢とトロイア勢〉の撃突を飽く迄も背景にとどめ,アキレウス

という特定個人(の悲劇)に高めている。しかし脇役(人間と神々)も単に

脇役ではなL、。彼らの各々が光っている。アキレウスと共に人聞の心の象面

を「分担Jして示している32)。ホメロスは二大勢力のイリアス攻防劇を人間

劇に深めたのである。人閣の心の振幅はアキレウスというギリシアの勇士た

ち中の第一人者においてこそ追求され,描出されなければならない。トロイ

ア城を実障に落とした企みに秀でたオデュッセウスでは, ~イリアスJ の主

人公たり得なL、。結果でなく,戦いの直中にこそ人聞の心の物語が聞かれて

くる。アキレウスの人間的複雑さが中心に置かれてはじめて, トロイア勢ー

の勇士ヘクトールが「二枚看板」となる。ヘクトールの婁アンドロマケーと

弟パリスが誘惑して連れてきたヘレーネーという二人の女性への心の優しさ

によってである3針。

アキレウスが「トロイア物語」の中点になること,このことへホメロスは

知何に天才的な人間洞察を言葉世界へもたらしたかは,容易に見てとれる。

『イリアス』は「オデュッセイア」とは全く違う精神的な深さを湛えている。

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プルクハルトは「忍耐し,努力し,行動するJ人聞を文化史はテーマとすべ

しと言っている。しかしこれはオデュッセウス型であり,アキレウス型では

ない。アキレウスはどこまでも悲劇的であり,オデュッセウスと違って幸福

な余生を与えられていなL、。ブルクハルトに物申せば,怒り,自己を見失い,

傷つきながらも自己を取り戻すアキレウス型の人間も(この型の人間こそは

と私は言いたくもあるのだが)十分文化史のテーマとなるのではないか。ど

ん底に追い込まれた救い難き孤絶,ここへ迫る歴史(歴史叙述)があるとす

れば,それはアキレウス理解に支えられたものではないだろうか3410 アキレ

ウス割英雄とオデュッセウス型英雄は青年期と壮年型の人間像でもある。こ

ういう二タイプの人間像は相補的になっており,ここにこそホメロスの天才

性が存した。

アキレウスの怒りがアガメムノン(が自分の護得物のトロイアの女ブリセ

ウスを奪ったこと)に対する言わば情念の遊り,それにいつまでも捕らえ

られている一種の女女しさには,識の心も次第に,アガメムノンの側の無体・

無法への批難の気持ちから,アキレウスの方へ,彼の公的責任(戦いに出る

こと〉の放棄への非難に変わってL、く。ここからアキレウスが立ち直るには,

彼自身の自省からは不可能であった。彼の憤怒の高まりは彼をそうさせない。

アキレウスへの激怒からの回復には,親友パトロクロスが敵に殺されるとい

う外発的原因がどうしても「必要Jなのであった。アキレウスのアガメムノ

ンへの怒りは,パトロクロスを殺したヘクトールへの怒りが生じなければ,

どんな説得がなされても解かれなかった(~イリアス」第 9 歌)。根を張って

いた怒りが消え,別の新しいもっと本格的な怒りがめらめらと燃え出す。内

攻した怒りが新たに外へ遊り出た怒り(友ノfトロクロスを倒したヘクトー

ルへと噴き出る怒り〉に吸収されて消えてしまう。味方(アガメムノン〉へ

の怒りは名誉を傷つけられた怒りであった。しかし友の死を知って噴き出た

怒りは名誉ではなく,自己のパトロクロス依存の存在の崩壊への怒り,自分

の生そのものの崩壊への怒りである。アキレウスへ投げ付けた怒りは,雷わ

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精神史におけるホメロス 135

ばまた収めるべき,収めねばならない自分の意固地さと繋がっているが,ヘ

クトールへの怒りはヘクトールを殺すことでしか収まらないものであった。

私はスタンダール,フローベール, ドストエフスキー,ゲーテをこれ迄時々

読んできたが,ホメロスから感激を受けた文学者はゲーテだけであろう。ゲー

テの創作意欲はカルデロン,シェークスピアそしてホメロスに大きく支えら

れている。この中で彼の人生全体を決定的な力をもって包んだのはホメロス

だけであったと私は思う。ゲーテがホメロスの叙事詩をアキレウスを一層中

心に立ててアキレウスの人間劇,人間悲劇に仕立てようとしたことは知る人

ぞ知ることであるが,彼は『イリアス』の中からアキレウス, wオデュッセ

イア』の中からナウシカを各々主人公として叙事詩を作ろうとしたことは,

彼が如何にホメロスの世界に心を寄せていたかを雄弁に物語っている。そも

そも彼の『ファウスト』第二:部も『イリアス』から決定的に想を得ているこ

とも知らぬ人はいないであろう。

6

私のホメロスへの関心は古典学畑の,言わば専門家たちのそれとは大いに

違う出所からきていることを,我が歩みを省みて思う。ハイデガーの『存在

と時間』における哲学史上はじめての人聞の時間性(時性)の現象学への感

激は,私に決定的であった。そしてやがてガ、ダマーの「真理と方法」におけ

る詩 CDichtung)の解釈学によって,真の現象学は解釈学にこそ実現され

るのではなL、かという思いが私には強くなっていった。更にガタ余マーの解釈

によって,人の生は,真の自日の充実は一種の自巴の現代と過去との(人間

観・世界観の)闘争であることを私はしみじみ教えられた。やがて,ガダマー

とハーパーマスの解釈学を巡る論争も知るようになった。詳論はできないが,

私はハーパーマスが余りに人聞をイデオロギー(マルクス主義の根本思想)

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的存在一一社会階層への帰属存在一ーと捉えることの中に,彼は十分マルク

ス主義に批判的ではないと思わざるを得ないのである。ハーパーマスは余り

に社会哲学・政治哲学に闘まっている。更にアドルノを読む中で「ホメロス

は既に十分啓蒙的一一古い伝統の打破者一ーであったJという言葉に出会い,

全く同感できる気がした。また,ニーチェ以来のギリシア精神の発見者(ケ

レーニー)と言われる神話学者ワルター・オットーの「ギリシアの神々」を

聞き,ホメロスが太古のギリシアの神々とは異なる神々を創造しているのを

知り,ホメロスを学ぼうとする意欲が益々高まった。ホメロスの精神も貫く

伝承との闘いは私に大いなる展望を聞いてくれた。このように自己の時代か

ら過去の時代と相対峠し対決することは,ヤスパースの言う「愛するための

闘争JCliebender Kampf) ,そしてデリダの「闘争愛J(philopolemologie)

ということである。これはフーコーを貫く一種のハイデガー性,つまりヨー

ロッパの学校・大学哲学の視界への対決から自己の哲学思索を創る闘いの道

でもある。こういう対決性に私は大いに啓発された。そして改めて,私にそ

もそもの哲学する喜びを与えてくれた二人の「師」下村,ハイデガーに対し

私のホメロスへの学びの道程から対決しようと燃えてくるようになった。こ

れが私の今日的状況である。

「イリアス』を貫く構想力の絶大性について,私は岡道男の前掲書の熟読

から大いなる教示を得た。聞は,アキレウスの位置を詩的展開の決定的な中

点に持ってきたことに,ホメロスの最大のオリジナリティーを見る。「城を

落とした・城を滅ぼす者J(町0入iπopooc)オデュッセウスに, ~叙事詩の輪」

(白lKδCKUKAοc) は全面的に規定されているのを,ホメロスは主役をアキレ

ウスに変えたことである。私に言わせると,真の人間劇の出現である。宇宙

的歴史の人間化とも言える。

「叙事詩の輪」とは,ホメロスが『イリアスJと『オデュッセイア』

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精神史におけるホメロス 137

を自己の作品化へと高める過程において利用した吟遊詩人たちの作品で,

今日断片で5伝わっているトロイア戦争の物語詩の総称である。叙事詩の

輪の作品名を列挙すると以下のものである。「小イリアスdlrイリウ・ペ

ルシスdlrノストイ.Drテレゴニア』というトロイア閣のものそして圏外

から伝わっている「ティタノマキア.Drオイディポディア.DrテパイスJ

『エピコノイJである(岡道男前掲書目次X-XIより)。

私は『イリアス』におけるホメロスの真の独創とは伝承の構造化であると

思う。構造化とは多彩な伝承の区分を持ったーなる筋道の創造である。これ

に関連して私が非常に感銘した一書がある。それは BruceLouden, The

Iliad Structure, Myth and Meaning, Baltimore 2006である。ルーデンは

『イリアス』全 24歌は 1-7歌(発端部), 8-17歌(中間部), 18-24歌(終結

部)から成ることを力説し,この三区分こそは全 24歌の巻分節化(前3世

紀のアレキサンドリアの文献学による)よりも『イリアス」理解にとって決

定的に重要である,と主張している。これは極めて重要な指摘である。

『イリアス』の構造について,ルーデンはイギリスの古典学者ウエストに

同意し,近東(西アジア)の神話との強L、結び付きを主張する。しかしこの

ことはウエストに先立つて,スイスのギリシア神話学者ブルケルトに既に明

確に主張されてきた(尚,ブルケルトを私は彼のピュタゴラス派の研究書で

既に 30年前知っていた)。

改めて,ここでもう一度私が着目しているホメロスの narratology的解

釈について書きたL、。この解釈方法は私のホメロス接近への目下最大の導き

手である。 narratology的解釈の第一人者はアムステルダム大学のドゥ・ヨ

ング女史である。しかし彼女がルーデンを参照文献に入れていないのはどう

したことであろうか。不思議である。単なる目溢しであろうか。私の彼女の

著作との対話は次回に詳細に出すことにする。

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138 明治大学教養論集通巻511号 (2016・1)

「説明する Cerklaren)できないものは物語る Cerzahlen)するしかないJ

とはローマ法学者でチューリヒ大学教授フェゲン女史の名言である O

narratologyは実はこの道を行くものである 3九

更にここで,アリストテレスについても少し書く。

アリストテレスの詩学は叙事詩論ではなく,悲劇論に比重が置かれている。

彼は,悲劇と叙事詩を詩の概念に包み,詩の与える喜びはこの両者共哀れみ

と恐れからの喜びとし,悲劇jの方が哀れみと恐れを効果的にしかも短かい時

間(一作品の行数は精々千行故)で与えることができると言う。

叙事詩にも悲劇と同じく哀れみと恐れが存在するとしてよいであろうが,

やがて現われてくる自己制御の省察こそが,叙事詩の持つ絶大な力である。

ホメロスにこそ我々は悲劇以上に人間的深みに触れる喜びを感得する筈であ

る。叙事詩こそは,言わば大文字で書かれた悲劇ではないか。

今我々が見たアリストテレスの悲劇優越論は,彼の次の文言ーとは対立する

のは明らかである。多分今日伝わっている「詩学』は彼の種々の悲劇論(ノー

ト)をつなぎ合わせて編集されたものであろう。

アリストテレスは悲劇を複合劇(全体が逆転と認知から成る),苦難劇,

性格劇,視覚的装飾を主とする劇の四つに区分する。明らかに彼は逆転と認

知の見事な例としてソフォクレスの『オイディプス王』を指摘する O

そして叙事詩について『詩学』第 24章は以下のように述べる。

叙事詩の構成要素は,歌曲と視覚的装飾をのぞき,悲劇のそれと同じ

でなければならない。また,叙事詩には逆転と認知と苦難がなければな

らない。さらに,思想と語法においてもすぐれていることが必要であるo

ホメロスは,これらのものすべてを最初に,十分な仕方で用いた詩人

である。じっさい,彼の二作品について見るなら, ~イリアス』は単一

の構成であって(岡の注によると,人物の聞に認知がおこなわれない,

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精神史におけるホメロス 139

ということ)苦難をあつかい, ~オデュッセイア』は複合的な構成であっ

てーーなぜなら全体を通じて認知がおこなわれるからである一一性格を

あつかっているο さらにこれに加えて,語法と思想、の点においても,ホ

メロスはほかのすべての者にまさっている。〔岡道男訳90-1頁〕

上の単一対複合,性格的対苦難というアリストテレスの分け方は,詳述は

しないが,必ずしも決定的,説得的区分ではない。『イリアス』はアキレウ

スと母神テティス,主神ゼウスとテティス,テティスとへラ,アキレウスの

怒りとアポロンの怒り等々,実に複雑な仕立てになっているではないか。ホ

メロス学 CHomericscholarship)の歴史はホメロスをアリストテレスの把

握から「解放」し,本当のホメロスの妙技と深遠さ,更には人間省察の深さ

を発見することであったと見るべきである。更にこの方向は継承されねばな

らなL、。ホメロス学は西洋古典学的字句的穿撃,細目的のみのこだわりを越

え出て, narratologyに就くべきである。それはホメロス研究がアウエルバッ

ハーリクール的世界文学研究の広さを包みかかえることである。リクールは

フ。ルーストの『失われた時を求めて』やトマス・マンの『魔の山』と並べて

物語論を展開しているが,私はホメロスの『イリアス』と『オギュッセイア』

をそれに加えたいものである。

7

ゲ、ーテとホメロス

少年時代からゲーテはホメロスを愛読した。大文豪でホメロスを自らの創

作意欲にしっかり抱き込んだのは恐らくゲーテだけである。彼の畢生の大作

「ファウストJC特に第二部)の完成はホメロスの存在に決定的に負う。ゲー

テをゲーテたらしめた三大作家を挙げると,スペインのカルヂロン,イギリ

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140 明治大学教養論集通巻511号 (2016・1)

スのシェークスピアそしてホメロスであろう。彼にはホメロスの作品を学問

的分析的に一人の手に成るものか,多くの詩人(吟遊詩人)の歌から成るも

のか,などというホメロス学 CHomericScholarship)的目線は全く問題で

はなかった。とにかく今伝えられているホメロス作品全体を最深の人間省察,

芸術の命綱としてのファンタジー,構想力の統合から味詠することしか彼に

は一大事でなかった。今日ホメロスを現象学,解釈学,物語論と歴史記述を

見事に結び付けたりクールの視界をより具体化するホメロス接近である物語

論 narratology的統一解釈が隆盛になっているところに,私はゲーテへの

紳を見出すのである。

ゲーテはホメロスの『イリアス』をその主人公アキレウスに一極集中して,

しかもホメロスのギリシア性号越えて創造的,対抗的に近代詩に改めようと

して Achilleisに手を染めた CGoetheWerke Hamburger Ausgabe Bd.2

を私は用いた〉。近代人ゲーテの人間像,叙事詩創作へ向かう磨ぎ澄まされ

た熟慮からアキレウスの存在を形作ろうとした。 50歳の頃である。ゲーテ

はホメロス『オデュッセイア』に登場する可憐j育楚この上ない乙女ナウシカ

を詩作 (Dichten)することも意欲したが,植物学への関心・熱意の高まり

が彼にこの詩を作ることの実を結ばせなかった。かのブルクハルトは,植物

学の発見なと、と違って,余人を以て替え難い文学(言葉世界のオリジナルな

形式) ナウシカ物語一ーがゲーテに書かれなかったことはヨーロッパ文

学史上の最大の痛恨事であると歎いたのは知る人ぞ知るであろう。「アキレ

ウス物語JlCAchilleis)がわずか第 1歌で一一計画は全 8歌一一未完のまま

終わっているにせよ,この作品において(つまり『ファウスト』だけでなく),

我々がゲーテのホメロスへの敬慕と感謝をまざまざと見ることができること

に感謝せねばならない。

ゲーテはギリシア史に不快感を表明している。それは 1824年 11月

24日のエッカーマンとの対話に出ている。ギリシアは外敵に向かう時

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精神史におけるホメロス 141

は偉大で輝かしいが, しかし国々は細分化されており,園(アテナイな

ど)の内部が永遠の戦争状態であるのには耐えられない,と。つまりゲー

テはギリシア人の闘争性(アゴーン)が気に喰わなかった。

ドイツ文学の領域でL、か程の数の研究者がゲーテの Achi1leisを聞いてき

たか,多分ほとんどいないと思われる。そしてヨーロッパ精神のニ大光源ホ

メロスとゲーテを真に深く紳化して文学を,文化をそして更に人閣を考えて

いる日々を持つ人は日本では, ドイツなどとは違ってこれ迄一人もいなかっ

たのではあるまいか。我々が単にホメロスに向かうのではなく,近代のホメ

ロスたるゲーテの人間性,創作意欲,作品群,ファンタジーの沃野からホメ

ロスを眺めることも,脇道へ入ることではないと私は信ずる。私はゲーテの

『ヴィルヘルム・マイスターJ(修業時代と遍歴時代の二作品)がホメロスの

「イリアス」と『オデュッセイア」と強く結び付いている人間教育の書と思

うに至っているo

この Achi1leisを巡る研究史一一それはあわせてゲーテのホメロスという

視点の研究史でもあるが一一,このことに関して書誌目録によれば,今から

22年前の 1993年現在 100篇程の論文がある紛。この中に,私のギリシア哲

学・ローマ哲学研究の 50年の道程において出会い,深い教示安得た三人の

ギリシア・ローマ古典学者の論文が載っていた。①ローマの哲学者・悲劇作

家セネカに迫る一書を手掛けていた私は, Otto RegenbogenのSchmerz

und Tod in den Tragodien Senecasから忘れ難い洞察力に満ちた解釈に出

会ったが, この人物に UberGoethes 'Achilleis' 1942という論文がある。

②私はプラトンの勉強の途上,パルメニデスへも多少時聞を掛けたが,パル

ニデス研究の一書のある KarlReinhardt <b Tod und Held in Goethes

'Achi1leis' 1947を書いた。更に③Wolfgang SchadewaldtのDieAnfange

der Philosoρhie bei den GriechenとDieAnfange der Geschichtsschreibung

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142 明治大学教養論集通巻511号 (2016・1)

bei den Griechenからギリシア人の初期哲学(所謂自然哲学)と彼らの腰史

叙述の偏見のない目線につき大いに教示された。彼にも Goethes‘Achilleis¥

Rekonstruktion der Dichtung 1947の40頁程のものがある。この Schade-

waldtと先の Reinhardtはホメロス学の 20世紀最大の学者の二人である。

私は両人のホメロス研究書の数々は常に手元に備え,その解釈の柔らかい光

に浴することを幸せに思っている。

私は昨年 50年間の宿志「ブjレクハルトを書物に!Jを実現し, 893頁の

『哲学者としての歴史家ブルクハルト」を公刊した(この中にホメロスへの

言及は 50箇所ある〉。私はブノレクハルトに即して,歴史一一歴史を書くこ

とーーは叙事詩(時代と民族の悲劇)と悲劇(個人の叙事詩)の統合を目指

さねばならないと書いた。ホメロスを人類の恩人,ヨーロッパ精神の中に永

遠に働く酵母と敬愛するブルクハルト,彼はゲーテに次ぐ 19世紀の文章家

とされる。いかなる冷徹な歴史的「事実Jを叙しても,ファンタジーの農か

な薫りに満ち満ちた筆致に「事実」を包むのがブルクハルトである。ブルク

ノ、ルトからゲーテへ,この両人から彼らの根源 (WurzeJ)たるホメロスへ,

こういう鼎性の中で(中でこそ)ホメロスは超時代的・超民族的に味読され,

一切を考える(哲学する〕最も豊かな(単に深いのではなL、)光源となるの

である。

『ゲーテ伝」と言えば先ずスイスのゲーテ学者 EmilStaig巴rの名が独文学

者にも出てこよう。私はもう 40年前になるが,彼の Goethe3 Bandeを購

入しておいた。今回ゲーテとホメロスという視界でこのゲーテ伝を開いてみ

ると,ゲーテは当時打ち込んでいた植物研究への高まった心を抑えて,

Achilleisに執筆の一大決意を固めたと記されていたgη。このゲーテの誠実

色慎重点学究性は彼を単にホメロスの『イリアス』の換骨奪胎の域に甘

んじらせることはなかった。ホメロスの作品周辺の他の詩人たちの手になる

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精神史におけるホメロス 143

所調「叙事詩の輪JC白t1COc1C'UKλoc)の諸篇へ,特に『キュプリア」へもゲー

テはホメロス枠を越えた構想、を育むため自を向けたのである。

『キュプリア』はゼウスの意図・高みからの計画 (s1OCsOUA.1])から

トロイア戦争が起こされたとなっている。人類の過剰(増え過ぎ)と不

敬,ガイア(大地)の哀願,ガイアへのゼウスの同情は全くホメロスの

『イリアス』には出てとない。『キュプリア』については,岡道男「ホメ

ロスにおける伝統の継承と創造」の叙述 162-248頁を繰り返し読むべし

とのみ雷っておこう。

ゲーテは計商ではホメロスをより以前の伝承から,つまりアドルノの言う

「既に啓蒙されているホメロスの世界J(ホメロスの人間像)を越えて,人間

に関わる神々以前のへシオドス的神話(ティーターン神肢の神話)へも凶を

向けようとしたと私には思われるが,このことはいずれ詰めることにする。

残念ながらゲーテの当初抱いた全 8巻の計画は第 I巻で打ち切られた紛。そ

もそもホメロス固有のアキレウスの怒り(同V1Cλχ仏同oc)の根は宇宙的怒

り=神の怒りと深くなっているというのが真実である制。怒りが人聞を越え

た世界の成立の源であるとは,一般にオリエントの全ての神話の主軸になっ

ている。無論ホメロスの神表象は全く非オリエント的である。

ここでゲーテの創作の全てにおける相談相手,常に想、を錬りつつ意見を受

けたシラーとの手紙を四通引用する。①1797年 12月23日②1797年 12月

27日③1798年 5月12日ゆ1798年 5月161::1 0 以下,要約する。尚,ゲーテ

はシラーの『素朴文学と情感文学JCuber naive und sentimentalische

Dichtung)をいつも念頭に置いて, 自分の創作の構想をシラーの思想と対

話させていた。特に今我々が言及している Achilleisにはその構想・イマジ

ネーションがゲーテにとって極めて最終的に匝まらなかった故に,この対話

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144 明治大学教養論集通巻511号 (2016・1)

はゲーテには大変な支えとなった。シラーとの出会いと友誼そしてシラーか

らの批判がゲーテをゲーテたらしめたと私はつくづく思う。とれはヨーロッ

パ精神史の大きな出来事であるO

① ゲーテ日く,全く奇抜な計画がある。それは,ヘクトールの死とギリ

シア勢の帰国への出航の聞の出来事として今一つ叙事詩 (einepisches

Gedicht)が書けるか書けなL、か思案している中のことだが。

② このところ『イリアス』を学んでいた。どうしてかと言うと, rイリアス』と『オデュッセイア』の聞に今一つ叙事詩を作れぬだろうかとい

う思いがあるからだ。この聞に立つ叙事詩は素柑としては悲劇しかない

が,かと言って叙事的詩以外は無理だ。アキレウスの人生の終わりは完

全に叙事的な取り扱い方しかで、きないが, しかし悲劇仕立てになんとか

ならないであろうか。悲劇的な素材でもそれを叙事的に取り扱うことは

難しいだろうか。我々新しい(近代の)人聞は新しい効果を求める。情

動的な関心 (einepathologische Interesse)のみが時代の賛同を得る

のだ。

③ 『イリアス1は人間界を越え,神々の動きまわる世界に重きがあるが,

とすれば私の試みの中から主観的情動的なもの一切を放棄しなければな

らないのだろうか。

④ 『イリアス』は改めるところ手を加えるところが全くない完全さで出

来上がっている。私の Achilleisは時間的(時代的)には『イリアス』

と並んで、いることを描くが,このように敢えて『イリアス』と離れたも

のとして作ってよいのか。

私の Achilleisは一個の悲劇的素材(巴intragischen Stoft)である

が,それなりの長さ(全8歌,多分行数 5000行以上)故に叙事的取り

扱い (eineepische Behandlung)を拒めない。この素材は全くのとこ

ろ情念的 (sentimental口シラーの用語では sentimen talisch)である。

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精神史におけるホメロス 145

情念的であるというところが(私の Achilleisの)悲劇と叙事詩という

二つの固有な性格で現代劇に仕立てられると思うが。私のテーマ(対象)

は個人的(=アキレウス)の利害のみが問題だが, ~イリアス』では民

族(トロイアとギリシア)の利害(思わく),世界のニつの部分,地上

と天空の利害(恩わく〉が問題なのだ。

ゲーテの創作上の悩みをシラーからの手紙と突き合わせること,シラーの

文学理論(文学の素朴性と情感性一一古典主義とロマン主義一一)からゲー

テの心の揺れを吟味するのも一興である。しかし何よりもゲーテのホメロス

対抗とゲーテの新しい構想を『アキレイス』で味わうことが本質的である。

以下, 4点に私は纏めた。

① アキレウスの母神テティスの描写において,ゲーテはホメロス以上に

情感的で繊細である。ここに「永遠で女性的なものJ(~ファウスト」第

二部)を越えた「永遠に母性的なもの」が表されている。

② ゼウス(男性原理)とへラ(女性原理)の追いがホメロス以上に明確

になっている。更に女神でもへラ対テティス, レトという対立がはっき

り示されている。テティスとレトの二人だけの俺しい対話 (das

einsame Wechselgesp抽出, 303行)というゲーテの表現に私は妙に心

引かれた。

③ 運命,死の近いことへの落ち込みに負けず,諦めず,生命を燃焼させ

るべしというゼウスの言葉を敢えて出すゲーテの健康さが光っている。

④ アキレウスが戦いで死が迫っていることを覚悟している時,何か願う

ことはないかと女神アテネに訊ねられる。彼は言う。「自分のことに関

しては何もなL、」と。そしてただ自分の墳墓一一ノfトロクロスと共にそ

こに入るーーの造営の任に当たり日夜激しい苦役に関わっている兵士ら

を十分ねぎらうべく尽力してくれるようアテネに願う。そのねぎらいと

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はパンと葡萄酒,実り肉そして俸給である。ここに「ヴィルヘルム・マ

イスターの修業時代」におけるゲーテの非教条的敬度主義 CPietismus)

美しい魂ーーがはっきり示されている。

ホメロスを古典学の視界を越えて哲学するには,この『アキレイス」を

『ファウストJIT'ヴィルヘルム・マイスター』と抱き合わせて聞くべきではな

かろうか刷。

《注〉

1) ホメロスの叙事詩を過去の分析論,統一論の長い対立する解釈から物語論

(narratology)の方向で私は目下学び始めている。 LataczとdeJong,特に後

者を手引きとして。そしてホメロスを,アリストテレスの『詩学~ Cl448a19サ8,

1460,,5-11) とプラトンの『国家~ (II 376dII 398b, X 595a-608b)がどう解釈し

ているかを精細に追考する予定である。

2) これこそヨーロッパの精神史でありそして文化共同体の縁である。我々日本に,

また中国に,このような自己深化を目指して他国の哲学に決定的にとすら言える

依拠を誠実に果たしたことは全くない。本稿にも触れるが, 日本の哲学に批判性

(自己へのというべき批判性)が全くないことをはっきり指摘したのは東北大学

の外人講師として哲学を教えたレーヴィットである。レーヴィットの批判を逆批

判し,開き直る反論を私は恩師筋から聞いたが, r(日本人のヨーロッパ哲学への

態度は〕虚栄のみならず不遜が含まれているJ(レーヴィット)と言うべきと私

は思う。

3) ヨーロッパ精神史理解は,ずばり言ってホメロスの『イリアス』と『オデュッ

セイア1 プラトンの『国家』に加えて,プラトンの『パルメニデス』の読解に

かかっている。

4) プラトンを通して送り出されたギリシア人の言わば「精神現象学」・人間の意エピスチーメー ドクサ アイステーνス

識と認識全体 知 と意見と感 覚 へのはじめての問い掛けとしてこ

の「パルメニデス』を読むことが決定的に大切である。日本の大方の『パルメニ

デス』解釈はイギリス分析哲学にのめり込み(或いは圧倒されて),単なる思想

性のない言葉遊びと捉えてきた。 RichardRobinson, Plato旨EarlierDialectic,

Oxford 21953は 20年前の A.E. Taylor, The Parmenides 0/ Plato, Oxford 1934

をより精綴にしたものであり, 1960年代日本のプラトン学者に随分高く買われ

た。しかし私はロビンソンに同意できなかった読後感を持つ。

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精神史におけるホメロス 147

5) 現象学とは何かという方法論的問いのみに専らな現象学者は心を砕く問題であ

る。メルロー=ポンティが言うように,実際に現象学的に事柄を考えることこそ

現象学である。まさしくフーコーもそうであった。フランス留学のドイツ哲学に

ない身に付いた現象学的目線に我々日本人は訓練を受けるべきである。方法をで

なくものを考え,立派なこくのある日本語でそこを披漉すること,このことに今

だに道遠い日本の哲学でないか。

6) 本文に書けなかったが,アリストテレスはしかし十分に科学・理性枠を出て現

象学的にもの,心に向かわなかったことへ,ハイデガーは一方で猛然と批判した

のである。

7) 下村の風景画論/風景の官学(著作集第 10巻)でも M.フリードレンダー,

A.リーグス, E.H.ゴンブリッチに完全に即した叙述のみで,自分の目で(メル

ロー=ポンティ的に)オランダ絵画を幾度も観て想を錬ったものではない。

8) 繰り返しになるが再度記す。精神史というヨーロッパ全文化の統合a性への視界

は,ホメロスとプラトン両人の思索の文章世界の熱読なしには広がらない。

9) 角田幸彦,明治大学教養論集 498号, 2014, pp.41-820 日本のハイデガー研究

者は一人としてハイデガーのブルクハルト洞察にそしてその確かさに触れていな

L 、。10) 浅井健二郎訳『ドイツ悲劇の根源』上 ちくま学芸文庫 255頁。

11) K.レーヴィット「ヨーロッパのニヒリズム』柴田治三郎訳 筑摩書房 「日本

の読者に与える殿」特に 119頁。

12) M.メルロ一口ポンティ『窓味と無意味」永戸多婆雄訳 国文社, 1970, 48頁。

13) ホメロスの方がデカルト的・近代的主知主義より優れた人間の意識(心)の省

察者であるーーかくして私に言わせると,ホメロスは哲学者である一一と捉えた

ホメロス研究書がある。 ArbogastSchmitt, Selbstandigkeit und Abhan-

gigkeit menschlichen Handelns bei Homer Hermeneutische Untersuchung zur

Psychologie Homers, Stuttgart 1990.私はマールクールク大学でキケローを勉強し

執筆した 3ヶ月強の滞在時,氏に大変世話になった。ハイデガーのマールフールク

時代の住まい(邸宅だった〉にも彼は我々夫婦を連れていってくれた。

14) ハイデガーはマックス・シエラーに対抗する姿勢から人間学を攻撃したのであ

る。素直に言って,ハイデガーは『存在と時間』において,人間学を非人間学的

に意地を張って構築したと見ることもできる。

15) Heinrich Wolfflin, Renaissance und Barock, Munchen 1888.

16) ゴシック建築の精神史について私は次著を長らく開いてきた。 Gunter

Bindung, Was ist Gotik? Darmstadt 2000. 特にゴシック建築の historische

und geistige Grundlagen S. 35-52に目が関かれた。ゴシック(13世紀)精神

史については,特に樺山紘一『ゴシック世界の思想像」が私の愛読書となってい

る。ゴシックとバロックの対比考察も営学的に欠かせない。

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148 明治大学教養論集通巻511号 (2016・1)

17) この DieterJahnigは私がテュービンゲ、ン大学でプラトンを学んでいた当時,

芸術史の講義に出さしてもらった哲学者で,ブルクハルトの芸術論研究の今日の

隆盛を作った人である O

18) ~下村著作集jJ 10, 587-608頁での把握に私は大いに異論がある。イタリア絵幽,

ベルギー絵商から軸点をオランダ絵画に移して, 2015年からヨーロッパ美術館

巡りを始めた私である。

19) ~都市の肖像』藤川芳朗訳 晶文社, 1975, 84-5頁。

20) Jacob Burckhardt, Briefe Bd. I. Basel 1949, S. 202-3.

21) 坂部恵『モデルニテ・バロ、ソク 現代精神史序説』哲学書房, 2005年, 200頁。

22) 物語論の哲学(理論面〕はリクールに,そのホメロスへの適用とその効力につ

いては,ラタッツ CJoachimLatacz, Homer His Art and His WorId, Transla-

tion by J. P. Holka, Ann Arbor 1999)に聞くべきである。

23) M. Armstrong u.a. (hrsg.), Ulrich von Wilamowitz-Moellendorff Biblio

graphy 1867-1990, Hi1desheim u.a. 1991

24) このヴィラモヴィッツに完全に,言わばとりこになったのが和辻哲郎である。

彼が narratologyに対面したら,むしろこの方法に彼は感銘したであろう。

25) narratologistたちはハイデガーの『存在と時間jJ,ガダマーの『真理と方法jJ,

リクールの『時間と物語』に深く支えられているという私の主張は別に尽き詰め

られよう。

26) つまり私に言わせると,ハイデガーとの対決,ハイデガー批判である。更にハ

イデガーをホメロスとパロック絵画(文芸の方ではなく〉から解釈することであ

る。尚,加えると,ベンヤミンをホメロスから見てみることである。

27) 藤縄鎌三,前掲書, 348頁。

28) アリストテレス「詩学」松本仁助・岡道男訳岩波文庫. 34頁。

29) 同上,訳書, 88頁。

30) とは言え,歴史も叙事的な工夫,味付けを真剣に意欲しなければ単なる社会学,

平板な厚みのない,読ませるエンターテインメント性のないリポート (narra-

tiveならぎる report)になりさがってしまう O こういう史書しか日本の西洋史

学界は書けなかったと私は批判したL、。歴史は事実の Historyというよりも,

Metahistoryである。歴史(叙述)は常に imaginationの所産である。このこ

とに関して見事な洞察が次著にある。 HaydenWhite, Metahistory, Baltimore &

London 1973.洞察力のある歴史(史述,歴史学)は歴史が神話(的本性)から

逃れられないことを我々は知るべきである。

31) ~イリアス』第九歌のアキレウスへのアガメムノンの和解を告げる使節派遣,

使節らの必死の和解の懇願,アキレウスの養育を担った老人のポイニークスの語

るnarrative(物語)は,緊迫の極,事が決まる境目であっても「語ること」ーー

それは言葉の花園を紡ぐことである が大きな意味を持っていることをはっき

Page 50: 精神史におけるホメロス -バロック,ホメロス,ゲー URL DOI · 2016. 9. 30. · Erinnerungαn Martin Heidegger, 1977) によると,彼はプラトン『国家』

精神史におけるホメロス 149

り我々に示していよう。

32) 脇役と主役の登場・役割は,実は個の光をしっかり捉えた時代精神史一一精神

史の魅力はただここにしかないーーの秘繍である。フェルメールを主人公とした

17世紀オランダ・バロックの精神史,ルーペンスを主人公に立てた 17世紀南ネー

デルラント(ベルギー)の精神史も私は書く決意である。

33) 全ての脇役はアキレウスの精神の一部,一面を示していよう。どうしても多彩

な人間像が必要なことをホメロスは洞見できていた。

34) プルクハルトは生来の詩人である。彼の詩現は歴史(史述〕を完全に導いてい

る。しかし叙事詩のアキレウス的悲嘆と自己反省の相乗を彼が据え得たとは必ず

しも言えない。「ホメロスは英雄の世界を人間化しただけでなく,英雄の世界を

倫理的にした」とはスレザークの名言である。 T.A. Szlezak, Homer oder Die

Geburt der abendlandischen Dichtung, Munchen 2012, S. 141.

35) M. Th. Fogen, Romische Rechtsgeschichte, Gottingen 2002.

36) Elke Treisbach, Goethes "Achilleis“Heidelberg 1994, S. 232-35.

37) Emil Steiger, Goethe Bd. I!, Zurich 1956, S. 273.

38) この中断,放棄は挫折であることは明らかである。恐らくシラーからの苦言・

批判がそこに働いているようである。ここを更に詰めるのは別の機会にする。

39) Leonard Muellner, The Anger of Achi11es, Menis in Greek Epic, Ithaca and

London 1996が力強くこのこと安追考している。

40) 私が傍に常に置いているゲーテ論は同じ著者の次の二つである。 Rudiger

Safranski. Goethe & SchiIler Geschichte einer Freundschaft, Munchen 2009.

Goethe. Kunstwerk des Lebens Biographie, Munchen 2013.

(かくた・ゆきひこ 元農学部教授〕