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日本機械学会誌 2007. 1 Vol. 110 No. 1058 65 ─ 65 ─ Langmuir-Blodgett 法による 感圧分子膜の作成とその可能性 1. はじめに 近年,感圧塗料 (Pressure Sensitive Paint: PSP)による圧力計測手法が脚 光を浴びている.PSPによる計測法は, 従来の圧力孔を用いた手法に比べて, 本質的に面計測であり表面上の連続的 な圧力分布が得られること,また風洞 模型上に多数の圧力孔および圧力セン サを設ける必要がないことから,適用 が簡便かつ安価であることなどの利点 があり,開発当初は主に航空宇宙分野 で風洞実験における航空機・宇宙機模 型表面の圧力計測法として発展してき た.近年では,航空宇宙分野以外への 応用も期待されており,その適用範囲 を広げるべくさまざまな研究が進めら れている (1) .例として,走行中の自動 車が受ける圧力の計測など低速度領域 における風洞実験への適用 (2) や超低 密度気体環境における実用化 (3) ,マイ クロノズル内部の圧力計測 (4) などが 挙げられる.特に,マイクロ・ナノデ バイス中では,スケールの問題上圧力 孔による計測が不可能であり,分子が センサとして作用する PSP への期待 は大きい.近年はサブミリスケールの 領域へ PSP の適用が広がりつつある が,従来の PSP では膜厚が µm 以上 のオーダーとなるため,マイクロ・ナ ノデバイスへの適用には,PSP のさ らなる薄膜化が必要不可欠である. 本稿では,PSP 技術の適用範囲をマ イクロ・ナノレベルまで広げるため, Langmuir-Blodgett 法 (LB 法) による 分子膜生成法を応用したナノメートル オーダーの膜厚を持つ感圧分子膜の開 (5) (6) について述べる. 2. 原理 PSP は発光分子を含む塗料を固体 表面上に塗布し,光を照射して燐 りん 光発 光させ,これが酸素によって消光され る現象を利用して圧力が計測される (図1).発光強度の強い部分は圧力が 低く,弱い部分は圧力が高いことを示 す.PSP で計測されるのは固体表面 にかかる酸素の分圧であるが,空気は 一定割合(約21%)の酸素を含むため, 空気の圧力計測法として用いることも 可能である. LB 膜生成法は,水面に油滴を浮か べた際,油滴が油膜となって広がり, 最終的には 1 分子の厚さを持つ超薄膜 (単分子膜)となる現象に基づいてい る.LB 法では,親水基と疎水基を持 つ両親媒性分子を揮発性の有機溶媒に 溶かし,その溶液を水面上に滴下して 展開する.その後,水面上をバリアで 掃引することで,水面上の両親媒性分 子がかき集められ,緻 密な構造の単分 子膜となる.この時,分子の持つ親水 基が水面方向を,疎水基が大気側(水 面から遠ざかる方向)を向くため,分 子配列的にも整然とした構造となる (図2).こうして形成された膜を基板 へ写し取ることで,基板上に単分子膜 が形成される.LB 膜は,1 層あたり の厚さが膜分子の大きさと同程度とな るため,ナノメートルオーダーの厚さ を持つ. 本研究では,PSP の発光分子とし て一般的に使われてきたポルフィリン 類の中で,両親媒性を持つメゾポル フィリンのパラジウム錯体 (Pd(II) Mesoporphyrin IX) を LB 法により薄 膜化して堆積し,感圧分子膜の生成を 行った. 3. 結果 本研究では,感圧分子膜をスライド ガラス上に堆積し,試料を作成した. 本試料を用いて圧力感度を調査したと ころ(図 3),従来の PSP と遜 そん 色ない 感度が得られた.感圧分子膜では発光 分子の絶対数が少ないため従来の PSP より感度が低下することが予想されて いたが,十分使用に堪える感度と言え る. スライドガラス上に堆積した感圧分 子膜の表面構造を原子間力顕微鏡 (AFM)で観察し,その表面粗さを従 来の PSP と比較した(図 4).感圧分 子膜の表面粗さは nm オーダーであ り,従来の PSP の表面粗さが 0.1µm オーダーであるのに比べてずっと小さ い.また,実測はしていないが,LB 法の原理上膜厚は nm オーダーとな り,µm 以上のオーダーの膜厚を持つ 従来の PSP よりもかなり小さい.こ のことから,マイクロ・ナノデバイス に感圧分子膜を適用してもデバイスの 形状に影響を与えないと言える. 4. おわりに 本稿では,PSP 技術を応用した感 圧分子膜について紹介した.現在,感 圧分子膜をマイクロノズルなどのマイ クロ・ナノデバイス中に適用する実験 を実施中である. (原稿受付 2006 年 11 月 2 日) 〔森 英男 名古屋大学〕 ●文 献 ( 1 )学際領域における分子イメージングフォー ラ ム,2005 年 度,http://www.iat.jaxa.jp/ info/event/pim/index.html ( 2 )Yamashita, T. ほか,PSP Measurement of the Flow around a Simplified Car Model, 12th International Symposium on Flow Visualization , (2006-9) , ISFV12-67.4. ( 3 )新美智秀・ほか,PSP の低圧力域における 基礎特性に関する研究,日本機械学会論文 集,68-676, B (2002) , 3360-3368. ( 4 )Huang, C. Y. ほか,Molecular Sensors for MEMS, AIAA paper , 2002-0256 (2002) . ( 5 )松田佑・ほか,高クヌッセン数流れでの圧 力計測に適した感圧分子膜の開発,日本機 械学会論文集, 72-718, B(2006) , 1475-1482. ( 6 )森英男・ほか,酸素感応膜及びその製造方 法,特願 2005-278731 (2005) . 図 2 Langmuir-Blodgett 法 図 3 感圧分子膜の感度 図 1 PSP の原理 図 4  感圧分子膜の表面粗さ

Langmuir-Blodgett法による 感圧分子膜の作成とそ 本機械学会誌 2007. 1 Vol. 110 No.1058 65 65 Langmuir-Blodgett法による 感圧分子膜の作成とその可能性

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Page 1: Langmuir-Blodgett法による 感圧分子膜の作成とそ 本機械学会誌 2007. 1 Vol. 110 No.1058 65 65 Langmuir-Blodgett法による 感圧分子膜の作成とその可能性

日本機械学会誌 2007. 1 Vol. 110 No.1058 65

─ 65 ─

Langmuir-Blodgett 法による感圧分子膜の作成とその可能性

1.はじめに 近年,感圧塗料 (Pressure Sensitive Paint: PSP) による圧力計測手法が脚光を浴びている.PSPによる計測法は,従来の圧力孔を用いた手法に比べて,本質的に面計測であり表面上の連続的な圧力分布が得られること,また風洞模型上に多数の圧力孔および圧力センサを設ける必要がないことから,適用が簡便かつ安価であることなどの利点があり,開発当初は主に航空宇宙分野で風洞実験における航空機・宇宙機模型表面の圧力計測法として発展してきた.近年では,航空宇宙分野以外への応用も期待されており,その適用範囲を広げるべくさまざまな研究が進められている(1).例として,走行中の自動車が受ける圧力の計測など低速度領域における風洞実験への適用(2) や超低密度気体環境における実用化(3),マイクロノズル内部の圧力計測(4) などが挙げられる.特に,マイクロ・ナノデバイス中では,スケールの問題上圧力孔による計測が不可能であり,分子がセンサとして作用する PSP への期待は大きい.近年はサブミリスケールの領域へ PSP の適用が広がりつつあるが,従来の PSP では膜厚が µm 以上のオーダーとなるため,マイクロ・ナノデバイスへの適用には,PSP のさらなる薄膜化が必要不可欠である.本稿では,PSP 技術の適用範囲をマイクロ・ナノレベルまで広げるため,Langmuir-Blodgett 法 (LB 法) による分子膜生成法を応用したナノメートルオーダーの膜厚を持つ感圧分子膜の開発(5)(6) について述べる.2. 原理 PSP は発光分子を含む塗料を固体表面上に塗布し,光を照射して燐

りん

光発光させ,これが酸素によって消光される現象を利用して圧力が計測される

(図 1).発光強度の強い部分は圧力が低く,弱い部分は圧力が高いことを示す.PSP で計測されるのは固体表面にかかる酸素の分圧であるが,空気は一定割合(約 21%)の酸素を含むため,空気の圧力計測法として用いることも可能である. LB 膜生成法は,水面に油滴を浮かべた際,油滴が油膜となって広がり,最終的には 1 分子の厚さを持つ超薄膜

(単分子膜)となる現象に基づいている.LB 法では,親水基と疎水基を持つ両親媒性分子を揮発性の有機溶媒に溶かし,その溶液を水面上に滴下して

展開する.その後,水面上をバリアで掃引することで,水面上の両親媒性分子がかき集められ,緻

密な構造の単分子膜となる.この時,分子の持つ親水基が水面方向を,疎水基が大気側(水面から遠ざかる方向)を向くため,分子配列的にも整然とした構造となる

(図 2).こうして形成された膜を基板へ写し取ることで,基板上に単分子膜が形成される.LB 膜は,1 層あたりの厚さが膜分子の大きさと同程度となるため,ナノメートルオーダーの厚さを持つ. 本研究では,PSP の発光分子として一般的に使われてきたポルフィリン類の中で,両親媒性を持つメゾポルフィリンのパラジウム錯体 (Pd(II) Mesoporphyrin IX) を LB 法により薄膜化して堆積し,感圧分子膜の生成を行った.3. 結果 本研究では,感圧分子膜をスライドガラス上に堆積し,試料を作成した.本試料を用いて圧力感度を調査したところ(図 3),従来の PSP と遜

そん

色ない感度が得られた.感圧分子膜では発光分子の絶対数が少ないため従来のPSPより感度が低下することが予想されていたが,十分使用に堪える感度と言える. スライドガラス上に堆積した感圧分子膜の表面構造を原子間力顕微鏡

(AFM) で観察し,その表面粗さを従来の PSP と比較した(図 4).感圧分子膜の表面粗さは nm オーダーであり,従来の PSP の表面粗さが 0.1µmオーダーであるのに比べてずっと小さい.また,実測はしていないが,LB法の原理上膜厚は nm オーダーとなり,µm 以上のオーダーの膜厚を持つ従来の PSP よりもかなり小さい.このことから,マイクロ・ナノデバイスに感圧分子膜を適用してもデバイスの形状に影響を与えないと言える.4. おわりに 本稿では,PSP 技術を応用した感圧分子膜について紹介した.現在,感圧分子膜をマイクロノズルなどのマイクロ・ナノデバイス中に適用する実験を実施中である.

(原稿受付 2006 年 11 月 2 日)〔森 英男 名古屋大学〕

●文 献( 1 )学際領域における分子イメージングフォー

ラ ム,2005 年 度,http://www.iat.jaxa.jp/

info/event/pim/index.html( 2 )Yamashita, T. ほか, PSP Measurement of

the Flow around a Simplified Car Model, 12th International Symposium on Flow Visualization, (2006-9), ISFV12-67.4.

( 3 )新美智秀・ほか,PSP の低圧力域における基礎特性に関する研究,日本機械学会論文集,68-676, B (2002), 3360-3368.

( 4 )Huang, C. Y. ほか,Molecular Sensors for MEMS, AIAA paper, 2002-0256 (2002).

( 5 )松田佑・ほか,高クヌッセン数流れでの圧力計測に適した感圧分子膜の開発,日本機械学会論文集,72-718, B(2006), 1475-1482.

( 6 )森英男・ほか,酸素感応膜及びその製造方法,特願 2005-278731 (2005).

図 2 Langmuir-Blodgett 法

図 3 感圧分子膜の感度

図 1 PSP の原理

図 4  感圧分子膜の表面粗さ