Paavo Järvi - NHK交響楽団/NHK Symphony Orchestra, … A NHK SYMPHONY ORCHESTRA, TOKYO 13...

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10 NHK SYMPHONY ORCHESTRA, TOKYO PHILHARMONY | SEPTEMBER 2017

2017年9月13日 午後4時26分

Paavo Järvi

 N響の新シーズンは首席指揮者パーヴォ・ヤルヴィとともに幕を開ける。2015年9

月の首席指揮者就任より3シーズン目を迎えることになった。 昨シーズンを振り返って感じるのは、パーヴォとN響との結びつきが一段と深まり、成熟期を迎えつつあるということ。とりわけ印象的だったのは、シーズンの掉

ちようび

尾を飾ったシューベルトの《交響曲第8番「ザ・グレート」》での快演だ。歯切れよく推進力に満ち、細部まで磨きあげられた精

せい

緻ち

なサウンドや弾力に富んだリズムは、まさにパーヴォの真骨頂。思わず席から立ち上がって踊り出したくなるような躍動感にあふれていた。シューベルトの長大で歌謡的な交響曲の世界を今日的な感性でアップデートさせた演奏は、客席から盛大な喝

かつ

采さい

を受けることになった。 すでに昨年2月の記者会見でパーヴォは「N響とはこれまでの共演を通じてお互いの距離が縮まり、よりよい関係が築けている。有機的でロジカルな結びつきが生まれたと感じている」と述べていた。指揮者とオーケストラの関係についての「有機的」(オーガニック)というキーワードは、以前やはり別の会見でもパーヴォが口にしていた言葉である。指揮者がオーケストラに一方的に求めるだけでなく、オーケストラ側からの自発的なレスポンスが加わって、どちらかだけのものではない一体となった生きた音楽が誕生する、といった

Paavo Järviパーヴォ・ヤルヴィ

3シーズン目を迎えるパーヴォの

多彩なプログラムによる幕開け

文◎飯尾洋一

©Julia B

aier

今月のマエストロ

11NHK SYMPHONY ORCHESTRA, TOKYOPROGRAM A/B/C

2017年9月13日 午後4時26分

Paavo Järviパーヴォ・ヤルヴィ

意味合いの言葉ととらえればよいだろうか。そんな有機的な結びつきが可能にしたのが、あの《ザ・グレート》だった。

 昨シーズンはのべ6か国7都市を訪れたN響ヨーロッパ演奏旅行の成功も大きな話題を呼んだ。このツアーでは演奏の好評ぶりもさることながら、SNS時代のツアーのあり方についても強い印象を残した。海外での演奏旅行を巡る反響は、一昔前とは比較にならないほど直接的かつ迅速に日本の聴衆まで届いてしまう。現地メディアの反応はTwitterやFacebook等を通して、リアルタイムでファンに伝わる。メディアだけではない。アーティスト本人や現地の聴衆の声まで聞こえてくる。 そんななかで、パーヴォは発信力の高さという点でも際立っていた。パーヴォのTwitter

アカウントのフォロワーは2万人を超える。つまり、彼がTwitterでなにか投稿すれば、それが即時に世界中に2万人以上に伝わる(そしてそれが読者によりさらに拡散される)。パーヴォは自身のアカウントで今どこのオーケストラを振っているかといった活動ぶりを写真を交えて投稿したり、公演に対するメディアや個人ユーザーの反響などをリツイートする(リツイー

ト、つまり、他人のコメントを自分の読者に読ませる)。おもしろいのは、パーヴォのアカウントは、英語での投稿でも日本語での投稿でも気にせずリツイートするところ。世界中の読者の画面にもどんどん日本語のツイートが流れてくることになるわけだが、これはいかにも今風のSNSの使い方だと思う。もし読者が意味を知りたければクリックひとつで(正確性は不十分だとしても)機械翻訳させることもできるし、ただ眺めるだけでも彼が多様な文化圏で活躍している様子は生き生きと伝わってくる。彼のTwitterのおかげで、N響とのツアーの様子は世界中の多くの音楽ファンにリアルタイムで知られることになったはずである。 こういったオープンでフラットな姿勢は、日本のファンにとっても嬉

うれ

しいものではないだろうか。現代におけるオーケストラのシェフの役割という点でも考えさせられる。

 さて、この9月にパーヴォが振るのはロシア音楽とバルトークの音楽による3つのプログラムだ。 Aプロはショスタコーヴィチの大作、《交響曲第7番「レニングラード」》がとりあげられる。エストニア生まれのパーヴォは、少年時代に父ネーメに連れられてショスタコーヴィチ本人

大きな話題を呼んだN響&パーヴォのヨーロッパツアー

新シーズンの幕開けはロシア音楽とバルトークの音楽

12 NHK SYMPHONY ORCHESTRA, TOKYO PHILHARMONY | SEPTEMBER 2017

2017年9月13日 午後4時26分

に会った経験があるというだけに、この作曲家への思い入れは深い。N響では彼の交響曲をこれまで《第5番》《第10番》で指揮しているが、今回も緊迫感みなぎる強

きようじん

靭な演奏を聴かせてくれるのではないか。 Bプロはオール・バルトーク・プログラム。モダニズムと民族音楽の融合から生まれたバルトークの峻

しゆんげん

厳な音楽は、パーヴォの持ち味が存分に発揮されるレパートリーといえるだろう。とりわけ《弦楽器、打楽器、チェレスタのための音楽》では、N響の緊密なアンサンブルが聴きどころとなる。 もっとも興味深いのはCプロだ。ロシア音楽の珍しい作品が3曲並んだ。グリンカの《幻想的ワルツ》はパーヴォにとって「子供の頃から大好きだった」という思い出深い作品で、ロシア人の感情の機微が見事にとらえられているという。 デニス・コジュヒンとの共演でラフマニノフの《ピアノ協奏曲第4番》が演奏されるのも

貴重な機会だ。ラフマニノフが故郷ロシアを離れた後に作曲された数少ない作品のひとつ。人気の高い《第2番》や《第3番》の陰に隠れがちではあるが、情感豊かで輝かしい佳品である。 スクリャービンの《交響曲第2番》は、《法悦の詩》や《プロメテウス》以前の作品であり、パーヴォによれば「後期作品にみられる現代性はなく伝統的な交響曲であり、ロシアの感性や香りが全面に出た、心ひかれる作品」。このプログラムには、知られざるロシア音楽の魅力を伝えようというパーヴォの使命感が滲にじ

み出ている。 驚異的に幅広いレパートリーを誇るマエストロならではの多彩なプログラムがそろった。パーヴォとN響の第3シーズンにはどんな驚きと発見が待っているのだろうか。

[いいお よういち/音楽ジャーナリスト]

 エストニア出身の指揮者。生地タリンの音楽学校で打楽器と指揮を学び、その後アメリカのカーティス音楽院で研

けん

鑽さん

を積む。レナード・バーンスタインに師事。シンシナティ交響楽団音楽監督(現桂冠音楽監督)、hr交響楽団(フランクフルト放送交響楽団)首席指揮者(現桂冠指揮者)、パリ管弦楽団音楽監督などを歴任。現在は、ドイツ・カンマーフィルハーモニー管弦楽団芸術監督、エストニア国立交響楽団芸術顧問。エストニアでのパルヌ音楽祭、ヤルヴィ・アカデミーの芸術顧問も務める。2019/20シーズンからはチューリヒ・トーンハレ管弦楽団の音楽監督兼首席指揮者に就任予定。ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団、ニューヨーク・フィルハーモニックなどの名門オーケストラにも客演し、現代を代表する指揮者のひとりとして、世界で活躍している。 NHK交響楽団とは2002年1月に初共演。2015年9月より首席指揮者に就任、聴衆から熱狂的に迎えられた。また、N響と録音したR.シュトラウス『ドン・キホーテ ほか』のディスクが2016年度「レコード・アカデミー賞」を受賞するなど、レコーディングでも成果をあげている。2017年2~3月には6か国7都市にわたるN

響ヨーロッパ公演を大成功へと導き、現地でのN響の評価を高く引き上げた。この9月から3シーズン目を迎えるN響との音楽作りに、いっそうの注目が集まっている。

プロフィール

N響ホームページでは、パーヴォ・ヤルヴィが9月定期の魅力を語るインタビュー動画をご覧いただけます

13NHK SYMPHONY ORCHESTRA, TOKYOPROGRAM A

2017年9月13日 午後4時26分

[指揮]パーヴォ・ヤルヴィ[ゲスト・コンサートマスター]ロレンツ・ナストゥリカ・ヘルシュコヴィチ♦

[conductor]Paavo Järvi

[guest concertmaster]Lorenz Nasturica-Herschcowici

PROGRAM

ANHKホール第1864回

9/16 □土 6:00pm

9/17 □日 3:00pm

NHK HallConcert No.1864

September16(Sat) 6:00pm

17(Sun) 3:00pm

ショスタコーヴィチ交響曲 第7番 ハ長調 作品60「レニングラード」[73′]

Ⅰ アレグレット Ⅱ モデラート(ポコ・アレグレット) Ⅲ アダージョⅣ アレグロ・ノン・トロッポ

*この公演に休憩はございません。 あらかじめご了承下さい。

Dmitry Shostakovich (1906–1975)Symphony No.7 C major op.60 “Leningrad”Ⅰ AllegrettoⅡ Moderato (poco allegretto)Ⅲ AdagioⅣ Allegro non troppo

*This concert will be performed with no intermission.

♦ロレンツ・ナストゥリカ・ヘルシュコヴィチ:フィンランド国立歌劇場のコンサートマスターを経て、1992年からはミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団のコンサートマスターを務める。オーケストラでの活躍はもとより、ソリストとしてもチェリビダッケ、ティーレマン、マゼール、メータ、ゲルギエフなどと共演する他、室内楽など、幅広く活動している。N響とは初共演。

14 NHK SYMPHONY ORCHESTRA, TOKYO PHILHARMONY | SEPTEMBER 2017

2017年9月13日 午後4時26分

 第二次世界大戦時、ドイツ軍のソ連侵攻が始まった直後の1941年6月末にドミートリ・ショスタコーヴィチ(1906~1975)は軍隊入りを志願する。この希望は認められなかったものの、7月には人民義勇軍に入隊し、レニングラードの防壁作りなどの作業にあたった。続いて消防隊員に配属され、勤務地である音楽院の屋根の上で火事の監視役を務めている。レニングラード市民と共に闘おうとする急

くような気持ちは、ほどなくショスタコーヴィチを《交響曲第7番》の執筆へと駆り立てた。 7月から一気呵

成せい

に書き進め、最初の3楽章はレニングラードで書き上げている。この間、ドイツ軍は侵攻を進め、9月4日にはレニングラード市内への爆撃が、6日には包囲による封鎖が始まった。すでに多くの芸術家、アカデミー関係者が疎開しており、ショスタコーヴィチ一家も当局からの命令で10月1日にレニングラードを離れた。最終的な疎開先は南シベリアのクイビシェフで、ここにボリショイ劇場本館の関係者たちと移り住み、最終楽章はこの地で書き上げた。 ショスタコーヴィチの勇姿と《交響曲第7番》は人々を大いに鼓舞した。すでに執筆中の段階から注目を集め、完成直後に本人が友人ソレルティンスキーに送った手紙によると、この時点ですでにスターリン賞という国家賞の候補に挙がったことを耳にしていたようである。そして実際に翌年、本作はスターリン賞第1席を受賞した。 ショスタコーヴィチは執筆中の段階からラジオや紙面でその標題性についてさまざまに言及していたが、その表現からは逡巡する様子もうかがえる。完成前の1941年10月9日の新聞には、「《第7交響曲》は私の創作のなかで初の標題音楽に、そして長調で書かれた初めての交響曲になります。……もしうまくまとまったら、この交響曲をレニングラードに捧げたいと思います」とある。作品タイトルの通称「レニングラード」はここからきている。たしかに後年の1951年にも、第1楽章「戦争」、第2楽章「思い出」、第3楽章「祖国の広大な天地」、第4楽章「勝利」と名付けようとしたと回想している。また1942年3月下旬の『プラウダ』紙ではより具体的に標題を説明し、「第1楽章はわれわれのすばらしく平穏な生活に、恐怖の力、戦争が押し入ってきた様子を語っている。……中間部のエピソードはずっと戦争の主題である。[この後の]葬送行進曲、より正確には戦争の犠牲者たちのレクイエムが第1楽章の中心的な位置を占める[再現部に該当]」とある。だが1941年9月には「第2・3

Program A

ショスタコーヴィチ交響曲 第7番 ハ長調 作品60「レニングラード」

15NHK SYMPHONY ORCHESTRA, TOKYOPROGRAM A

2017年9月13日 午後4時26分

楽章に特定の標題はない」とも記している。結局のところ、いまだレニングラード包囲戦の最中にあって、物語化は難しかったにちがいない。しかしながら響きからは苛

酷こく

な戦禍の様子、そして同郷の民や国民に向けた想いが、切実なまでに伝わってくる。 一方、第1楽章の有名な「戦争の主題」の構成は、《オペラ「ムツェンスクのマクベス夫人」》(1930~1932年)第7~8場間の間奏曲の主題によく似ている。またこの後の作品、《ヴァイオリン協奏曲第1番》(1948年)の第3楽章〈パッサカリア〉、《交響曲第15番》(1971年)の第4楽章などの主題でも同様の類似性が認められる。《交響曲第7番》と《ヴァイオリン協奏曲》の類似については本人も認めているように、これらの音楽語法とパッサカリアのパターンは生涯にわたって好んで用いられた。晩年の《交響曲第15番》で回想されたことからも、思い入れのある作品を結ぶ特別な意匠であった様子が垣間見られる。 第1楽章 アレグレット、4/4拍子、ハ長調、自由なロンド・ソナタ形式。冒頭、オーケストラが明朗な第1主題を奏でる。叙情的な第2主題には展開部の主題動機が先取りされている。展開部にあたる長大な中間部では「戦争の主題」が変奏されながらゆっくりと徐々に興隆し、やがて拮

きつ

抗こう

するエピソードと衝突する。再現部では第1主題が衝撃的な変へん

貌ぼう

を遂げ、決然たる葬送行進曲として轟

とどろ

く。対照的に第2主題は悲しみに打ちひしがれた葬送行進曲、ないしレクイエムである。コーダでは明るい光が差し込むが、終盤では戦争の主題が遠くでなおも不気味に聞こえてくる。 第2楽章 モデラート(ポコ・アレグレット)、4/4拍子、ロ短調、3部形式のスケルツォ。軽快な冒頭主題に、独特なリズム・オスティナートを伴う愁いを帯びた副主題が続く。中間部の主題はときに暴力的なまでに勇壮に響く。 第3楽章 アダージョ、3/4拍子、ニ長調、複合3部形式。冒頭、管楽器とハープによるオルガン・コラール風の神 し々い響きに続いて、美しく凛

りん

とした人間的な主題が弦楽器の温かみのある音色で奏でられる。途中、劇的な中間部を挟む。切れ目なく最終楽章へと続く。 第4楽章 アレグロ・ノン・トロッポ、2/2拍子、ハ短調。冒頭動機から導かれた主題の展開を要として、さまざまなエピソードがときに瞑

めい

想そう

的に、ときに熾し

烈れつ

に駆け巡る。中盤、荘重なサラバンド、あるいは固執低音に支えられたパッサカリアのように「戦争の主題」のヴァリアントも秀逸に登場する。終盤では第1楽章第1主題がハ長調で祝祭的に響きわたる。

[中田朱美]

作曲年代 1941年7月19日~12月27日

初演 1942年3月5日、クイビシェフ、サムイル・サモスード指揮、ボリショイ劇場管弦楽団

楽器編成 フルート3(ピッコロ1、アルト・フルート1)、オーボエ2、イングリッシュ・ホルン1、クラリネット3(Esクラリネット1)、

バス・クラリネット1、ファゴット2、コントラファゴット1、ホルン4、トランペット3、トロンボーン3、テューバ1、

ティンパニ1、トライアングル、タンブリン、小太鼓、シンバル、サスペンデッド・シンバル、大太鼓、タムタ

ム、シロフォン、ハープ2、ピアノ1、弦楽。別動隊:トランペット3、ホルン4、トロンボーン3

NHK SYMPHONY ORCHESTRA, TOKYO PHILHARMONY | SEPTEMBER 2017

2017年9月13日 午後4時26分

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[指揮]パーヴォ・ヤルヴィ[コンサートマスター]伊藤亮太郎

[conductor]Paavo Järvi

[concertmaster]Ryotaro Ito

PROGRAM

Bサントリーホール第1866回

9/27 □水 7:00pm

9/28 □木 7:00pm

Suntory HallConcert No.1866

September27(Wed)7:00pm

28(Thu) 7:00pm

バルトーク弦楽のためのディヴェルティメント[25′] Ⅰ アレグロ・ノン・トロッポ Ⅱ モルト・アダージョ Ⅲ アレグロ・アッサイ

Béla Bartók (1881–1945)Divertimento for String OrchestraⅠ Allegro non troppoⅡ Molto adagioⅢ Allegro assai

バルトーク舞踊組曲[17′] Ⅰ モデラート─リトルネルロ Ⅱ アレグロ・モルト─リトルネルロ Ⅲ アレグロ・ヴィヴァーチェ Ⅳ モルト・トランクイロ─リトルネルロ Ⅴ コモドⅥ 終曲:アレグロ

Béla BartókDance SuiteⅠ Moderato–RitornellⅡ Allegro molto–RitornellⅢ Allegro vivaceⅣ Molto tranquillo–RitornellⅤ ComodoⅥ Finale: Allegro

バルトーク弦楽器、打楽器、チェレスタのための音楽[28′] Ⅰ アンダンテ・トランクイロ Ⅱ アレグロ Ⅲ アダージョ Ⅳ アレグロ・モルト

Béla BartókMusic for Strings, Percussion and CelestaⅠ Andante tranquilloⅡ AllegroⅢ AdagioⅣ Allegro molto

・・・・ intermission ・・・・・・・・ 休憩 ・・・・

NHK SYMPHONY ORCHESTRA, TOKYOPROGRAM B

2017年9月13日 午後4時26分

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 バルトーク(1881~1945)は1930年代半ばから、小規模なアンサンブル、あるいは室内オーケストラのための作品の分野で秀作を立て続けに書く。本日最後に演奏される《弦楽器、打楽器、チェレスタのための音楽》(1936年)、《2台のピアノと打楽器のためのソナタ》(1937年)、そして《弦楽のためのディヴェルティメント》(1939年)と続く作品群だが、これらはバルトークの全創作を代表する作品であると同時に、20世紀前半に書かれた音楽の中でも最もオリジナリティにあふれ、最も密度の高いものだったと言って良い。実は、これらの作品はひとりの人物、パウル・ザッハー(1906~1999)という20世紀最大の音楽のパトロンの委嘱によって書かれた。 ザッハーは、スイスのバーゼルに生まれ、世界的製薬会社の相続人という財力をいかして、バーゼル・スコラ・カントルム(後のバーゼル市立音楽アカデミー)を創立し、その院長を務めるとともに、バーゼル室内管弦楽団や合唱団を組織し、自ら指揮をした人物である。バルトークとは、1929年に知り合い、深い信頼関係で結ばれることになった。バーゼル室内管弦楽団は、演奏能力という意味では決して最高水準の楽団であったわけではなかったが、ザッハーの指導のもとに入念なリハーサルを行い、バルトークにとっては理想的な演奏媒体となっていった。本作は、ザッハーのグリュイエールにある別荘で書かれた作品である。 曲は3つの楽章から成る。第1楽章の基本はソナタ形式だが、バロックのコンチェルト・グロッソのようにソロと総奏が交代する。前後相称的なリズムも印象的。第2楽章は、3部形式。半音階的な哀歌の中からハンガリー民謡風の付点リズムが立ち上がる。そして終楽章は、村の踊りの旋律を回帰主題とするロンド形式。中間部はフーガになっており、しかもその主題は途中から反行形となる(ロンド主題自体もその後反行形で現れる)。民俗的なエネルギーと厳格な構造とを結びつけようとした意欲的な終曲である。

[伊東信宏]

Program B

バルトーク弦楽のためのディヴェルティメント

作曲年代 1939年夏

初演 1940年6月11日、パウル・ザッハー指揮、バーゼル室内管弦楽団

楽器編成 弦楽

NHK SYMPHONY ORCHESTRA, TOKYO PHILHARMONY | SEPTEMBER 2017

2017年9月13日 午後4時26分

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 この作品は、1923年、ブダ、ペスト、オーブダの合併50周年(この合併によって今日のブダペストが成立した)を記念して催された式典のために、政府からの委嘱に応えて書かれた。当初バルトーク(1881~1945)はこの作品について次のようなぶっきらぼうな文章を発表したに過ぎなかった。 「ここで演奏される《舞踊組曲》は、私の最も新しい作品で、この夏に書かれたものである。これは休みなくアタッカで連続して演奏される5つの部分から成る。5つの舞曲はどれももともと民俗的なものだが、ただし実際の民俗音楽の旋律を使っているわけではない。休みの代わりに、各舞曲の間には小さなリトルネルロ、管弦楽による間奏が置かれる。このようなリトルネルロは、第1楽章と第2楽章の間、第2と第3の間、第4と第5の間にある。5番目の楽章ないし舞曲のあと、アタッカでフィナーレ風の部分が続き、ここで以前に使われた主題がすべて再帰するのである」。 しかし、この形式的な素描の背景に、実はかなり明確なコンセプトがあったことが判っている。その要点は、各々の部分、そしてそれをつなぐリトルネルロが、それぞれ特定の地域の民俗音楽をモデルとしたものである、ということだ。つまり、第1曲はアラブ的な荒 し々い旋律、第2曲はハンガリー的な動機、第3曲はハンガリーのバグパイプ風の音楽とルーマニアの農民によるヴァイオリンを思わせる旋律との交代、第4曲は再び「アラブ的」な音楽、第5曲は「原始的な音楽」、という具合に。さらに、これらさまざまな民俗の舞曲が、第6曲で再帰し、共存する、という点も重要である。第一次世界大戦後、急速に閉鎖的になっていたハンガリーの政情に対するバルトークなりのメッセージが、この音楽の背景にあった。

[伊東信宏]

Program B

バルトーク舞踊組曲

作曲年代 1923年夏

初演 1923年11月19日、エルンスト・フォン・ドホナーニ指揮、ブダペスト・フィルハーモニー協会

楽器編成 フルート2(ピッコロ2)、オーボエ2(イングリッシュ・ホルン1)、クラリネット2(バス・クラリネット1)、ファゴット2(コン

トラファゴット1)、ホルン4、トランペット2、トロンボーン2、テューバ1、ティンパニ1、トライアングル、グロッ

ケンシュピール、中太鼓、小太鼓、大太鼓、シンバル、サスペンデッド・シンバル、タムタム、ハープ1、

チェレスタ1、ピアノ(連弾)、弦楽

NHK SYMPHONY ORCHESTRA, TOKYOPROGRAM B

2017年9月13日 午後4時26分

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 20世紀最大の音楽のパトロンでもあったパウル・ザッハーは、自身が組織したバーゼル室内管弦楽団の設立10周年を記念する演奏会のために、1936年6月にバルトーク(1881

~1945)に新作を委嘱した。バルトークはこの委嘱にすぐに反応し、ほんの数日後には、「弦楽器と打楽器のための(つまり弦楽器に加えて、ピアノ、チェレスタ、ハープ、シロフォン、その他の打楽器のための)」作品を書く、と明言している。これほど明確なイメージを、委嘱から数日で書いていることからすれば、おそらくバルトークは同様の曲の構想をすでに持っていたと考えられる。作曲は快調に進み、1936年8月31日にバルトークは手紙で、作品が「ほぼ完成した」と報告している。この手紙には、楽器編成の詳細や、作品が4楽章であり、約24分かかることなども記されていて、作品が現在知られている形でほぼ出来上がっていたことを示している(自筆譜に書き込まれた完成の日付は9月7日である)。 初演のリハーサルに際して、バルトークはその様子をこんなふうに書き留めている。「予期に反して、準備はうまく行っていて、ほとんど完

かん

璧ぺき

だよ。多くの時間をリハーサルに費やし、とても徹底してやった(彼らはこの曲に全部で25回もリハーサルをしてくれたらしい)。指揮者もオーケストラも、僕との練習に大変な情熱と献身を示してくれていて、皆この作品に熱狂している(僕も!)。いくつかの場面は、自分で想像していたよりももっと美しく、驚くべき音がする。本当に並外れた響きがいくつかあるんだ」(妻に宛てたバルトークの手紙)。 この手紙に書かれたとおり、初演は大成功をおさめ、瞬く間に世界中で再演が行われ(日本での初演は1939年5月10日ローゼンストック指揮、N響の前身である新交響楽団の演奏)、バルトークの代表作として知られるようになっていった。 作品は4つの楽章から成る。第1楽章はかなり厳格に構想されたフーガの一種である。その主題は第1楽章冒頭にヴィオラで奏される。この主題は、ラを主音として最高音ミまでの完全5度の音域のすべての半音を使うものだが、これが次の主題の入りでは5度上で現れ(第4小節のミから)、3番目の入りでは5度下で(第8小節のレから)、以後シ(第12小節)→ファ♯(第26小節)→ド♯(第34小節)→ソ♯(第35小節)と5度ずつ高く、またソ(第16小節)→ド(第27小節)→ファ(第33小節)→シ♭(第35小節)と5度ずつ低く入って来て、この5度の連鎖がレ♯(ミ♭)に達した後、クライマックスに至り(第56小節)、そこから主題が上下反転した形で現れて、ふたたびラへと収束してゆく。音量もppからfffへと高まり、またpppへと

Program B

バルトーク弦楽器、打楽器、チェレスタのための音楽

NHK SYMPHONY ORCHESTRA, TOKYO PHILHARMONY | SEPTEMBER 2017

2017年9月13日 午後4時26分

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静まってゆくので、音楽は構造的にも、音量的にも、強力な弧を描く。このクライマックスは、楽章の中心よりも少し後ろにずれており(全体の3分の2あたりにある)、それが黄金比と関連している、という説もある。バルトークがそのような構造をあらかじめ計算して作曲したとは考えにくいが、彼の作品の多くが中心より少し後ろにずれたところにクライマックスを持っていることは確かである。 第2楽章は、ドの音を中心とする第1主題、ソの音を中心とする第2主題という2つの主題を中心とした、かなり厳格なソナタ形式で書かれている。第1主題は、第1楽章のフーガ主題と密接に関係している。 第3楽章の全体はABCBAという前後相称的、回文的構造(バルトークの用語では「ブリッジ構造」)だが、そのそれぞれの部分間の4回の接合部分に、第1楽章のフーガの主題の4

つの節がそれぞれひとつずつ回想される。バルトークはこの楽章について「海」を表している、と言ったとも言われている(ただし内陸国ハンガリー生まれのバルトークにとっての「海」がどのようなニュアンスを持っていたか、については慎重に考える必要がある)。 第4楽章はちょうど起・承・転・結のような構成を持つ舞踏的な音楽。このうち、「転」にあたる部分で、第1楽章における半音階的なフーガ主題が、全音階的に拡大されて現れる。 調関係からみると4つの楽章の中心音はラ─ド─ファ♯─ラとなっていて、両端のラを中心にその短3度上(ド)と短3度下(ファ♯)をめぐるという構成である(結果的に第2楽章と

第3楽章はド─ファ♯の増4度関係となる)。 バルトークが50代半ばにさしかかった頃の本作品のなかでは、彼を導いてきた民俗音楽の発想やその活力、音楽家として学んだ対位法やソナタ形式などの厳格な書法、そして彼独自の繊細でかつ大胆直裁な美的感覚などさまざまな要素が、絶妙のバランスを作り出している。

[伊東信宏]

作曲年代 1936年夏

初演 1937年1月21日、パウル・ザッハー指揮、バーゼル室内管弦楽団

楽器編成 [第1グループ]第1ヴァイオリン、第2ヴァイオリン、第1ヴィオラ、第1チェロ、第1コントラバス

        [第2グループ]第3ヴァイオリン、第4ヴァイオリン、第2ヴィオラ、第2チェロ、第2コントラバス

        [その他の楽器]小太鼓、シンバル、タムタム、大太鼓、ティンパニ1、シロフォン、チェレスタ1、ハープ1、

ピアノ(連弾)

21NHK SYMPHONY ORCHESTRA, TOKYOPROGRAM C

2017年9月13日 午後4時26分

[指揮]パーヴォ・ヤルヴィ[ピアノ]デニス・コジュヒン[コンサートマスター]篠崎史紀

[conductor]Paavo Järvi

[piano]Denis Kozhukhin

[concertmaster]Fuminori Maro Shinozaki

グリンカ幻想的ワルツ[9′]

Mikhail Glinka (1804–1857)Valse - Fantasie

ラフマニノフピアノ協奏曲 第4番 ト短調 作品40(1941年版)[27′]

Ⅰ アレグロ・ヴィヴァーチェ Ⅱ ラルゴ Ⅲ アレグロ・ヴィヴァーチェ

Sergei Rakhmaninov (1873–1943)Piano Concerto No.4 g minor op.40 (1941 version)Ⅰ Allegro vivaceⅡ LargoⅢ Allegro vivace

スクリャービン交響曲 第2番 ハ短調 作品29[48′] Ⅰ アンダンテ Ⅱ アレグロ Ⅲ アンダンテ Ⅳ テンペストーソⅤ マエストーソ

Aleksandr Skriabin (1872–1915)Symphony No.2 c minor op.29Ⅰ AndanteⅡ AllegroⅢ AndanteⅣ TempestosoⅤ Maestoso

PROGRAM

CNHKホール第1865回

9/22□金 7:00pm

9/23□土 □祝 3:00pm

September 22(Fri) 7:00pm

23(Sat) 3:00pm

NHK HallConcert No.1865

・・・・ intermission ・・・・・・・・ 休憩 ・・・・

22 NHK SYMPHONY ORCHESTRA, TOKYO PHILHARMONY | SEPTEMBER 2017

2017年9月13日 午後4時26分

 1986年ロシア生まれ。ルガーノでのマルタ・アルゲ

リッチ・プロジェクトやムスティスラフ・ロストロポーヴィ

チの生誕75歳記念のサハロフ音楽祭をはじめ、各地

の音楽祭に参加している。2003年、ヴェルビエ音楽

祭・アカデミーでロイター財団賞を受賞し、翌年の同

音楽祭でデビュー・リサイタルを行う。2006年リーズ

国際ピアノ・コンクールで第3位入賞を果たし、2009

年リスボンのヴァンドーム・コンクールで第1位。2010

年、エリーザベト王妃国際音楽コンクールにおいて、

圧倒的な評価を得て優勝を飾る。

 2011年初来日。東京のリサイタルは各誌で絶賛

され、NHKによって収録・放送された。2011~2012年、BBCスコットランド交響楽団とプロコフィエ

フのピアノ協奏曲チクルスを行う。2013年再来日し、プロコフィエフのピアノ・ソナタ全曲(9曲)演奏会

を敢行し、話題を集めた。同来日では、オール・ショパン・プログラムも披露した。2015年オランダのレー

ベルと契約し、録音にも意欲を示している。強きようじん

靭なテクニックと豊かな表現力を備えた逸材で、ロシア・

ピアニズムの真の継承者である。

[伊熊よし子/音楽評論家]

Program C|SOLOIST

デニス・コジュヒン(ピアノ)

© Felix B

roede

23NHK SYMPHONY ORCHESTRA, TOKYOPROGRAM C

2017年9月13日 午後4時26分

 グリンカ(1804~1857)は1835年にマリヤという女性と結婚するが、その結婚生活はすぐに破たんし、創作意欲の衰える日々が続いていた。そのような中、1839年のある日、妹のサロンでエカテリーナ・ケルンという女性と知り合い、グリンカはすぐに恋に落ちる。結局その恋愛は成就しなかったのだが、しばらくの間は相思相愛で、グリンカはケルンをミューズとし、「愛の告白」とも言うべき作品をいくつか残した。この《幻想的ワルツ》はその恋愛のさなかに書かれた一曲である。 初めに書かれたのはピアノ独奏曲版だった。それをドイツ人のヨーゼフ・ヘルマンが管弦楽用に編曲し、その編曲によってこの曲は広く知られるようになる。その後、グリンカ自身も1845年に管弦楽用に編曲したが、どちらの編曲版もその後失われてしまい、グリンカは1856年再び管弦楽編曲を行い、それを決定版とした。 曲はロンド風の3部形式と考えられる。冒頭の上昇型のフレーズに続いて、詩情あふれる優雅な主要主題が軽快なワルツの伴奏に乗って登場する。1856年3月に管弦楽編曲版が完成した際、グリンカは「この音楽は恋と青春の日々を思い起こさせるだろう」と友人への手紙に書いているが、この主題は若きグリンカが深く魅

せられたケルンの踊る可か

憐れん

な姿なのだろう。ときに力強い、ときに清澄な主題が挟み込まれるものの、この主要主題のもつメランコリックな詩情が曲全体の基調をなす。 ロシアの高名な音楽批評家ボリス・アサフィエフは、「ロシアのワルツはすべてグリンカの《幻想的ワルツ》の中に含まれていている」と述べているが、確かにチャイコフスキーやグラズノフをはじめとするその後のロシアの作曲家たちの叙情的なワルツの源流は間違いなくここにある。

[高橋健一郎]

Program C

グリンカ幻想的ワルツ

作曲年代 [ピアノ独奏版]1839年夏 [管弦楽版最終稿]1856年3月21日(旧ロシア暦では9日)

初演 1856年4月17日(旧ロシア暦では5日)、サンクトペテルブルクにて

楽器編成 フルート2、オーボエ2、クラリネット2、ファゴット2、ホルン2、トランペット2、トロンボーン1、ティンパニ1、

トライアングル、弦楽

24 NHK SYMPHONY ORCHESTRA, TOKYO PHILHARMONY | SEPTEMBER 2017

2017年9月13日 午後4時26分

 ラフマニノフ(1873~1943)は、1917年の十月革命後ロシアを離れてからは演奏活動に明け暮れ、ほとんど曲を書いていなかった。1924年に友人のロシア人作曲家ニコライ・メトネルから「なぜ作曲をしないのですか」と問われたラフマニノフは、「メロディが浮かんでこないのにどうやって作曲をするんです」と答えたという。それでも、そのやりとりがひとつのきっかけになったのだろう。その後すぐにラフマニノフは、1914年頃にスケッチを行っていた本作の作曲にとりかかっている。そして1926年に完成させ、メトネルに曲を献呈した。 初演は1927年。不評だったため、ラフマニノフは大幅な改訂を加えて1928年に出版。しかしそれに満足できず、さらに1941年に大規模な改訂を行い、それを決定稿とした。 この作品は「インスピレーションが枯渇している」という評価を受けたこともあるが、その一方で劇的な表現や巧妙なオーケストレーション、ジャズの影響が感じられる現代的なリズムや和声が高い評価を受けてもいる。確かにかつての濃厚なロマンチシズムは後景に退き、リズムや和声進行の面で鋭さや渋さを増しているが、それは「インスピレーションの枯渇」というより、後期のラフマニノフが到達した新しい音楽世界と捉

とら

えるべきものだろう。 第1楽章 アレグロ・ヴィヴァーチェ。自由なソナタ形式。厳かな第1主題と夜想曲風の第2主題からなる。 第2楽章 ラルゴ。3部形式。シューマンの《ピアノ協奏曲》を想起させる優しい主題をもつ。コーダの部分は自作の《音の絵》(作品33–3)からの引用である。 第3楽章 アレグロ・ヴィヴァーチェ。2つの主題がラプソディー的に目まぐるしく展開される。コーダではそれまでのさまざまな要素が回想されながら、華 し々く曲が閉じられる。

[高橋健一郎]

Program C

ラフマニノフピアノ協奏曲 第4番 ト短調 作品40(1941年版)

作曲年代 [初稿]1926年8月 [第2稿]1928年 [最終稿]1941年

初演 1927年3月18日、作曲者自身のピアノ、レオポルド・ストコフスキー指揮、フィラデルフィア管弦楽団、

フィラデルフィアにて

楽器編成 フルート2、ピッコロ1、オーボエ2、イングリッシュ・ホルン1、クラリネット2、ファゴット2、ホルン4、トラン

ペット2、トロンボーン3、テューバ1、ティンパニ1、トライアングル、タンブリン、小太鼓、シンバル、サス

ペンデッド・シンバル、大太鼓、弦楽、ピアノ・ソロ

25NHK SYMPHONY ORCHESTRA, TOKYOPROGRAM C

2017年9月13日 午後4時26分

 1901年、スクリャービン(1872~1915)29歳の作品。彼は生涯に5つの交響曲を作曲した。周知のとおりスクリャービンは、すばらしいピアニストであり、管弦楽のための作品よりピアノ作品の方に圧倒的にそのオリジナリティが現れている。後年の「ピアノ・ソナタ」に見られる独自な和声語法の開発や思想の展開、すなわち神秘和音、神秘思想やニーチェの影響による超人思想などはいまだここには潜在的に、部分的にしか現われない。初期の交響曲の全体構成にまずアイディアを与えているのはベートーヴェンであり、たとえばこの《第2番》の直前に作曲された《第1交響曲》の最後に2人の独唱と合唱がついた讃歌を置いたのは、その対位法的なテクスチュアとともに当然《第9交響曲》がそのモデルであろう。また《第2番》におけるハ短調という調選択、そして終楽章でハ長調となりファンファーレ風な楽想で開始されるところは、《運命交響曲》を強く想起させる。また交響曲を構成している5

つすべての楽章がソナタ形式を採用していること、すべての音楽的素材が全体の序である第1楽章の冒頭に提示される主題に由来しているということも、ベートーヴェンの盛期以降の創作にその源がある。 作品は大規模な構成を持っている。モスクワ音楽院のピアノ科教授に就任しながらも、作曲家として生きたいという欲望は強く、こうしたスクリャービンの思いが強く感じられる野心的力作である。音楽語法としては、古典的な音使いやフレーズ感、堅固な和声感を基調としているが、その内声にはワーグナーを思い起こさせる半音階の動きを内包し、また対位法的なテクスチュアにも事欠かない。管弦楽の豊麗な音の響きは、シェーンベルクの初期作品やワーグナー、R.シュトラウスのそれと類似している。冒頭の主題を奏するA管のクラリネットのくすんだ音色は特徴的で、この楽器はその後第2楽章の第2主題ほか、さまざまな重要な場面に現われる。ヴァイオリンのソロを含む弦楽器の艶

つや

やかな扱いをはじめとして、管弦楽の多彩なパレットを十分に展開する技術をすでに自家薬

やく

籠ろう

中のものとしている。その発想がピアノ的であったとしても、管弦楽作品として決して見劣りのしないすばらしい作品であり、初演当時この作品が大変不評であったという事実は、現在としてはにわかに信じ難い。 5つの楽章のうち、第1楽章と第2楽章、また第4楽章と第5楽章が続けて演奏される。一方で緩徐楽章にあたる独立した第3楽章は、非常に充実していて、曲全体を俯

瞰かん

するような構成を持っている。すなわち、全体は伝統的な4楽章形式を5楽章へと拡張したもの

Program C

スクリャービン交響曲 第2番 ハ短調 作品29

26 NHK SYMPHONY ORCHESTRA, TOKYO PHILHARMONY | SEPTEMBER 2017

2017年9月13日 午後4時26分

ながら、同時に真ん中の第3楽章を中心とするアーチ型の構造というシンメトリーな側面を合わせ持っている。また全体の調の動向を見ると、主調であるハ短調は第2楽章でその関係調、変ホ長調へと向かった後、ミ♭─シ─ファ─ドと各楽章でほぼ5度音程ずつのぼりながら、最終楽章のハ長調へと到達している。このことも偶然とは思えない。 第1楽章 アンダンテ、ハ短調。上にも記したA管クラリネットの「セリオーソ(厳粛な)」の主題から始まり、次第に全管弦楽の響きが導入されて行く。途中に挿入されたアレグロ・ジョコーソ(ハ長調)の楽想は、第4楽章最後にも終楽章との間をつなぐ蝶

ちようつがい

番の役割りとして再び使われている。 第2楽章 アレグロ、変ホ長調。第1主題は短調の和音の借用が多い独特な響き。8分の6拍子の2拍子と、4分の3拍子の3拍子が交換するリズムを持っている。展開部は主題の組み合わせや、その対位法的処理などとても凝った作りで、大変充実した瞬間である。 第3楽章 アンダンテ、ロ長調。フルートの柔らかい響きで導入されるが、ヴァイオリンのソロで美しい「表情豊かな」主題が提示されると、フルートはその背後で「鳥の歌」を奏する。楽章中何度もアジタートやアパッショナートとなり、別の楽章の素材をも演

えん

繹えき

しながら、大きな起伏を感じさせる。 第4楽章 テンペストーソ、ヘ短調。スケルツォにあたる楽章。ティンパニを使った劇的な導入に続いて、ヴィオラやヴァイオリンに出現する断片的な動機が、次第に全管弦楽を巻き込んで、大きな渦を作るように発展して行く。メノ・モッソの弦楽器のみで奏される第2主題が束

つか

の間の休息となる。 第5楽章 マエストーソ、ハ長調。輝かしい第1主題は、第1楽章の冒頭の主題が長調化して性格がファンファーレ風に変わったもの。さらに第1ヴァイオリンのさざ波に乗って管楽器が歌う第2主題も、これまた第1楽章の第2主題をそっくりそのまま用いたものであり、ここにも上に記した「アーチ型の構造」が明確に現われている。再現部で第1主題はトゥッティによってさらに輝かしい響きを獲得している。 なお、この作品には長い間「悪魔的な詩」という題名が付けられていた。これは他のスクリャービンの交響曲が《第3番「神聖な詩」》《第4番「法悦の詩」》《第5番「プロメテウス(火の詩)」》と「~の詩」というタイトルを持っているために、こうした呼称が付けられていたが、本人によるものではない。

[野平一郎]

作曲年代 1901年

初演 1902年1月12日、アナトーリ・リャードフ指揮、サンクトペテルブルクにて

楽器編成 フルート3(ピッコロ1)、オーボエ2、クラリネット3、ファゴット2、ホルン4、トランペット3、トロンボーン3、

テューバ1、ティンパニ1、タムタム、サスペンデッド・シンバル、弦楽

27NHK SYMPHONY ORCHESTRA, TOKYO

2017年9月13日 午後4時26分

 私は昔の録音を聴いたり、演奏会の記録を読んだりするのを仕事のひとつとしている。 昔はよかった、俺の若い頃はすごかった、とノスタルジーにひたるためではなく、むしろ逆に、美化しやすい自分の思い出を、悠久の歳月の流れのなかでできる限り相対化したい、と考えているためだ。 自分の思い出だけを信じて「昔はこうだった」と若い者に語りたいのが人間というものだが、歴史をちゃんと調べると、自分が生まれる前の「昔」は、自分の思い出とはまったく違っていたりする。長い伝統と思い込んでいたものが、意外とほんの数十年前には存在していなかったりする。 こんなふうに思い出が相対化される瞬間に出会うと、現在の姿も未来の予想も、大きく変わっていったりする。その瞬間が、楽しく

てたまらないのである。

 N響の歴史でいえば、常任指揮者や首席指揮者の活動ぶりがそれにあたる。 現在はパーヴォ・ヤルヴィが首席指揮者として充実した活動を繰りひろげているが、シャルル・デュトワが1996年に常任指揮者に就任するまで、N響では31年間もこのポストが空席だったことは、この『フィルハーモニー』の読者なら多くの方がご存じだろう。 ところが同じ常任という名前でも、休止前と復活後とでは、その仕事ぶりに、大きく異なる点がひとつある。 定期公演のうち、常任が指揮する割合だ。

現代のオーケストラをめぐる

さまざまなトピックを深掘りしていくシリーズ。

第十回は、音楽評論家の山崎浩太郎さんに

「指揮者とオーケストラ」の関係について

語っていただきます。

オーケストラの

ゆくえ

山崎浩太郎

Kotaro Yam

azaki

第十回

指揮者とオーケストラ

シリーズ

常任指揮者、首席指揮者、専任指揮者

28 NHK SYMPHONY ORCHESTRA, TOKYO PHILHARMONY | SEPTEMBER 2017

2017年9月13日 午後4時26分

現代では多くの客演指揮者も登場して、分担するのが当然になっている。ところが、ジョセフ・ローゼンストックが専任指揮者に就任した1936年から、ウィルヘルム・シュヒターが常任指揮者を退任した1962年3月までは、戦中戦後の混乱期を除くと、定期公演を指揮するのは、原則として常任ただひとりの仕事だったのである。 専任、常任というのは、それほどに重い、文字どおり常に任ずる指揮者だったのだ。歴代の常任は、まさしく「定期の顔」となっていたのである。 これは、当時の定期公演が月1回、2日間か3日間しか行なわれず、数が少なかったことも大きいだろう。その合間にある特別演奏会や放送演奏、ツアーなどでは、常任以外の指揮者が登場することも少なくなかった。 1962年4月に常任が不在となり、6月から11月までは小澤征爾が指揮したが、1963年1月以降の定期公演は、ジャン・フルネ、岩城宏之などが分担した。1964年8月に休止前最後の常任となるアレクサンダー・ルンプフが着任、翌年7月まで在任したが、定期公演は

分担制で、ルンプフの登場は限られた。 そして1965年11月には毎月の定期公演がAとBにわかれ、1972年11月にはCもつくられて定期公演の数は激増し、数人の名誉指揮者と客演で分担するようになる。この間、本拠地の移転や定期の日数の増減、さらに常任の復活、音楽監督の誕生などの変遷を交えながら、現在に至るのである。

 こうしてみると、現在のパーヴォが常任ではなく首席指揮者というポストにあるのは、字義として納得がいく。定期を分担する指揮者陣のうちの首席という意味なのだろう。 現実問題として、現在のN響の定期公演をすべてパーヴォが指揮している姿は、想像しがたい。過ぎたるは及ばざるがごとしで、毎回パーヴォひとりだとしたら、指揮する方も演奏する方も聴く方も、いくらなんでも飽きてしまうだろう。適度な指揮者交替で鮮度を保ちつつ、同時に客演だけでは築きにくい緊密な

左:ジョセフ・ローゼンストック(専任 1936年8月~46年9月/常任 1956年3月~57年3月)中:ウィルヘルム・シュヒター(常任 1959年2月~62年3月)右:アレクサンダー・ルンプフ(常任 1964年8月~65年7月)

N響の現在

29NHK SYMPHONY ORCHESTRA, TOKYO

2017年9月13日 午後4時26分

© Iwan Baan

パーヴォ・ヤルヴィ(首席 2015年9月~)

連携、信頼関係、意欲的な選曲を首席として行なっている現状がよいと思う人が多いのではないか。 しかしそれはそれとして、半世紀と少し前までは、定期公演を同じ指揮者が振りつづけていて、むしろそれが当然と思われていた時代があったことを、忘れてはならない。定期公演の数が少なく、また交通が今ほど整備されていなくて、旅行が簡単ではなかった時代。そしてあえていってしまえば、日本がはるか極東の小国で、欧米の一流の指揮者を招くことが容易ではなかった時代。 とはいっても、これは日本に限ったことではない。本場も本場、ウィーン・フィルの定期演奏会にしても、首席を置かない客演指揮者制として有名だが、1933年まではひとりの指揮者が専任で振る時代が長かったのだ。20世紀でいえば、20年近くつとめたフェリックス・ワインガルトナー(任期1908~1927)のあと、ウィルヘルム・フルトヴェングラー(1927~1930)、クレメンス・クラウス(1930~1933)と続く。昭和期のN響の常任指揮者制は、こうした例を参考につくられたのだろう。

 定期公演の数が増え、指揮者の旅行がさかんになっていくにつれて変化したとはいえ、1970年代までは世界各国のオーケストラにおいて、ひとりの指揮者が長期間にわたってオーケストラに君臨するのが当然だった。定期公演のすべてを指揮するわけではなくても、オーケストラの顔として、楽員や客演の人事や曲目の選定に、主導的な役割を果たす存在である。 エフゲーニ・ムラヴィンスキーはレニングラード・フィルハーモニー交響楽団の首席指揮者を50年間、ユージン・オーマンディはフィラデルフィア管弦楽団の音楽監督を42年間もつとめていた。2人は芸歴の大半をひとつのオーケストラで過ごしたことになる。 ベルリン・フィルでも、フルトヴェングラーは1922年から亡くなる1954年まで、数年の中断期間をはさみつつベルリン・フィルの首席指揮者だった。その後任のヘルベルト・フォン・カラヤンも、1956年から1989年まで30年以上、首席指揮者と芸術監督を兼務している。 しかしカラヤン時代の末期から、オーケストラとの関係には変化が生じていた。カラヤンは世界的な名声と成功をオーケストラにもたらしたが、あまりに独裁がすぎるのではないかという疑念がふくらみ、反旗をひるがえす楽員が増えて、カラヤンは亡くなる3か月前に、終身とされていたポストを辞任している。 そしてベルリン・フィルは、次のシェフを選ぶにあたり、楽団上層部とマネジメント会社で決めていたこれまでの方式をやめ、楽員の総意で、つまり合議と投票で選ぶことにした。そうして選ばれたのがクラウディオ・アバドであ

世界のオーケストラと指揮者の関係

© Prague Spring Festival / Zdeněk Chrápek

30 NHK SYMPHONY ORCHESTRA, TOKYO PHILHARMONY | SEPTEMBER 2017

2017年9月13日 午後4時26分

り、サイモン・ラトルであり、来年就任予定のキリル・ペトレンコである。

 アバドやラトルとベルリン・フィルとの関係は、カラヤン時代とは大きく異なるものだった。独裁的カリスマとして君臨するのではなく、音楽を一緒につくっていく仲間、その代表としての指揮者。 たとえばラトルが十

お は こ

八番とする、ストラヴィンスキーの《春の祭典》のような大編成の複雑な難曲では、指揮者のリーダーシップがものをいうが、そのような曲でも、楽員は創意を発揮する。そうして、個人技とアンサンブルという、矛盾しかねない要素を両立できるように導くのが、現代の指揮者に求められる役割なのである。 このありかたは、ベルリン・フィルでの活動と並行して、ユース・オーケストラの育成に力を注いでいたアバドが、種をまいたものといえる。そこではカリスマ指揮者の統率のもと、一

糸乱れずに演奏する軍隊のようなありかたよりも、自発性を持ったチームが理想となる。 もちろんN響はウィーン・フィルやベルリン・フィルのような、楽員が指揮者の人選や運営に強力な主導権をもつ団体とは異なるから、その結びつきには単純ではない、複雑な要素が働く。近年は数年でシェフが交代するような、流動的なオーケストラも増えてきている。指揮者との関係が変化していくなかで、その潮流をうまくつかめていないからではないかと、私は思う。 毎年12月にやってくるデュトワとの、近年の素晴らしい成果は、長い歳月で関係が変容を重ねながら熟れてきた、その賜

たま

物もの

だろう。パーヴォともあのような関係を築いていってほしいと、願っている。

山崎浩太郎(やまざき こうたろう)

音楽評論家。著書に『演奏史譚 1954/55』『クラシック・ヒストリカル108』『クライバーが讃え、ショルティが恐れた男』など、訳書にジョン・カルショー著『ニーベルングの指環』など。日本経済新聞の演奏会評、専門誌『レコード芸術』などにも多く寄稿している。

© ThomasRosenthal.de

現代、そして未来の指揮者たち

シャルル・デュトワ(常任 1996年9月~98年8月/音楽監督 1998年9月~2003年8月/名誉音楽監督 2003年9月~)

© Chris Lee

31NHK SYMPHONY ORCHESTRA, TOKYO

2017年9月13日 午後4時26分

 10月の定期公演には、2人の指揮者が登場する。Aプロは、本年1月定期に続いての下野竜也、B・Cプロは、今年77歳となったドイツの巨匠クリストフ・エッシェンバッハが、N響定期の指揮台に初めて立つ。

モーツァルトとベルクを組み合わせた下野竜也のアプローチに注目

 海外でのキャリアに加え、国内のオーケストラの要職を歴任する下野は、知られざる名曲の発掘や数々の日本初演を手がけるなど、いま最も充実した活動を続ける日本人指揮者のひとり。今回は、ウィーンに縁のある2

人の作曲家、モーツァルトとアルバン・ベルクの作品を組み合わせた、下野らしいひねりのきいた魅力的なプログラムを披露する。 前半と後半はともに、モーツァルトのオペラの序曲で始まる。《イドメネオ》と《皇帝ティトゥスの慈悲》は、どちらもオペラ・セリア(正歌劇)に分類される作品。モーツァルトのオペラのなかでは《魔笛》や《フィガロの結婚》などに比べると上演機会は少ないが、劇的な緊張に満ちた序曲は、華麗かつ味わい深い。下野の指揮による演奏が楽しみだ。

 一方、新ウィーン楽派の作曲家、ベルクの作品には2人の女性ソリストが登場する。音列に基づく無調の響きと濃厚なロマンチシズムが共存する《ヴァイオリン協奏曲「ある天使の思い出のために」》は、2010年仙台国際コンクール優勝はじめ、数々のコンクールで上位入賞を果たし、活躍の場を世界に広げている韓国系ドイツ人のクララ・ジュミ・カンがソリストを務める。ここではN響と初共演の若手のしなやかな演奏に期待したい。 《歌劇「ルル」》のエッセンスが5曲の小品に凝縮された《「ルル」組曲》には、ソプラノのモイツァ・エルトマンが3年ぶりに登場する。ベルリンの歌劇場でルル役を演じて高い評価を得たエルトマンの表現力豊かな歌唱が楽しみである。そして、さまざまな読み解きが隠されたベルクの音楽に下野がどのようなアプローチをみせるのか、興味は尽きない。

エッシェンバッハの弾き振りによるモーツァルトの《ピアノ協奏曲第12番》

 BプロとCプロは、エッシェンバッハが指揮する。もともとは、クララ・ハスキル国際ピアノ・コンクール第1位など、輝かしい経歴で国際的に活躍したピアニストで、N響とは、1979

年にギュンター・ヴァント指揮の定期公演で、ベートーヴェン《ピアノ協奏曲第1番》のソリストとして初共演を果たした。その一方で、若い頃から指揮者としてキャリアを重ね、欧米のオーケストラで首席指揮者や音楽監督を務めてきた。1987年の来日でもN響を指揮したが、定期公演は今回が初登場となる。 Bプロでは、モーツァルトのピアノ協奏曲を弾き振りする。《第12番》は、ウィーンに移住したばかりのモーツァルトが、新天地での活

© ThomasRosenthal.de

10月定期公演の聴きどころ

32 NHK SYMPHONY ORCHESTRA, TOKYO PHILHARMONY | SEPTEMBER 2017

2017年9月13日 午後4時26分

躍を夢見て書いた、明るく晴れやかな作品。エッシェンバッハは、かつてモーツァルトのピアノ・ソナタを全曲録音するなど、モーツァルトを得意とし、この協奏曲は、2010年に自身の70歳を祝した演奏会で当時音楽監督を務めていたパリ管弦楽団とともに演奏している。今回は、艶

つや

やかな音色のN響とアンサンブルの名手でもあるマエストロが香り高い音楽を聴かせてくれるだろう。後半は、ブラームスの《交響曲第1番》を取り上げる。ここではロマン派のレパートリーに定評のあるエッシェンバッハの指揮に注目したい。

ブラームス《第2番》《第3番》の貴重な連続演奏

 Cプロでは、ブラームスの4曲の交響曲のうち、《第2番》と《第3番》を指揮する。エッ

シェンバッハは、アメリカのヒューストン交響楽団音楽監督在任中の1990年代にブラームスの交響曲全曲を録音。その後も世界の名門オーケストラとブラームスの交響曲を演奏してきた。この2曲はともに長調の交響曲だが、独特の味わいがあり、明朗な《第2番》は「ブラームスの田園」と評され、《第3番》は、第3楽章の哀愁を帯びた旋律が映画音楽に用いられたことでも有名である。どちらもドラマチックな表現で、マエストロならではの心揺さぶる音楽を作り出してくれるだろう。 N響はこれまで多くの指揮者とブラームスの交響曲を演奏してきた。エッシェンバッハの円熟の指揮によるブラームスの連続演奏は貴重な機会であり、このプログラムも聴き逃すことはできない。

[柴辻純子/音楽評論家]

10/20□金 7:00pm

10/21□土 3:00pm

NHKホール

C

指揮:下野竜也ヴァイオリン:クララ・ジュミ・カン ソプラノ:モイツァ・エルトマン *

10/25□水 7:00pm

10/26□木 7:00pm

サントリーホール

B

指揮・ピアノ:クリストフ・エッシェンバッハ

モーツァルト/ピアノ協奏曲 第12番 イ長調 K.414ブラームス/交響曲 第1番 ハ短調 作品68

ブラームス/交響曲 第3番 ヘ長調 作品90ブラームス/交響曲 第2番 ニ長調 作品73

指揮:クリストフ・エッシェンバッハ

モーツァルト/歌劇「イドメネオ」序曲ベルク/ヴァイオリン協奏曲「ある天使の思い出のために」モーツァルト/歌劇「皇帝ティトゥスの慈悲」序曲ベルク/「ルル」組曲*

10/14 □土 6:00pm

10/15 □日 3:00pm

NHKホール

A10月の定期公演

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