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135 1 2 西

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 『暁月夜』は明治二六年(一八九三)二月、『都の花』に掲載された作品である。前年十月二十二日に『都の花』編

集者の藤本藤陰に会い、執筆を依頼されたというが、十一月十一日に田辺花圃に「かねてものしかけしがしばしにて

まとまらんとする」と語っているのを見れば、既に指摘されているように、この依頼の前から作品の構想があったと

も考えられる)

1(

。結ばれなかった恋を描くこの物語は「つれなく見えし有明の、月の形見を空に眺めて、「暁ばかり」

と叫うめ

きけんか知らず)

2(

」という一文によって閉じられており、これが『古今集』巻第十三、恋歌三に所収の壬生忠岑の

和歌「有明のつれなく見えし別れより暁ばかり憂きものはなし」に拠ることは明らかで、題名もまたそれに由来する。

 『暁月夜』の典拠としては、同時代作家である幸田露伴の『対髑髏』や尾崎紅葉の『拈華微笑』などが指摘されて

樋口一葉『暁月夜』の典拠

││『西鶴諸国ばなし』利用の可能性││

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いる)

3(

。しかし全体的に、『暁月夜』は先の壬生忠岑の和歌や西行歌を作品中に織り込み、また『源氏物語』や『伊勢

物語』を踏まえた優雅で装飾的な文体や作品世界に拠りかかるところも多く、その古典的流麗さがかえって、前近代

的と評価されているように思われる)

4(

。それに対して、この作品の一年後、明治二七年に発表された『大つごもり』は

一葉の評価を高からしめた。そこにはこの年五・六月に刊行された帝国文庫版『西鶴全集』の影響が大きく、西鶴の

リアリストとして社会を見る視線を一葉が学び取ったとされる。『暁月夜』は言うなればその夜明け前、一葉が本領

を発揮する直前の時代の作品と位置づけられるのかもしれない。

 

しかし本稿においては、この『暁月夜』においてもまた、井原西鶴の作品『西鶴諸国ばなし』(貞享二刊)がその

典拠の一つとなっている可能性を指摘して、大方のご批正を得たいと思う。

 

西鶴の浮世草子『西鶴諸国ばなし』は『好色一代男』、『諸艶大鑑』(好色二代男)に続いて執筆された西鶴の第三

作である。諸国の怪異奇談、全三十五編を収める本作はいわゆる奇談物に分類され、初期の一群の好色物の中にあっ

て独自の位置を占めている。内題は『大下馬』、肩部には『近年諸国咄』とあり、当初は別の題名で出版を予定され

ていたが、間際になって本書と同年同月刊の『宗祇諸国物語』を意識し、急遽外題に西鶴の名を冠して『西鶴諸国ば

なし』の題で出版されたと考えられている。序文に「熊野の奥には、湯の中にひれふる魚あり。筑前の国には、ひと

つをさし荷ひの大蕪あり。……都の嵯峨に、四十一迄大振袖の女あり。」と様々な妖怪変化や珍談奇話を列挙、「是を

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おもふに人はばけもの、世にない物はなし」と締め括って、人間の心ほど不可解なものはないという現実認識を示し、

人の心の奥底に潜む闇を凝視する西鶴の冷徹な人間観察の様が窺われる)

5(

 

ところで、樋口一葉の『暁月夜』に、この『西鶴諸国ばなし』に収められた一話、巻四-

二「忍び扇の長なが

歌うた

」と類

似する場面設定がある。『暁月夜』第一回の末尾、主人公の文学書生森野敏が、独身を通す香山家の美貌の令嬢一重

に近付きたい一心で香山家の庭男として住み込む、という設定である。この設定について『全集樋口一葉』の脚注は、

「森野敏の行動はいささか突飛であり、ストーリーの不自然さを物語っている。「恋の奴のさても可笑しや」とことわ

らざるを得なかったのも当然)

6(

」とする。確かに、庭男となった森野は「勿躰なや、古事記旧事記を朝夕に開らきて、

万葉集に不審紙をしたる手を、泥鉢のあつかひに汚がす」と、それまでとは全く一変した立場に身を置くのであり、

将来ある国学書生である森野が、好奇心に惹かれてただ一目垣間見たばかりの一重に心奪われるだけでなく、すべて

を擲ち、名さえも変えて住み込みの庭男に身をやつすなど、ストーリーとして不自然極まりないと言ってよい。なぜ、

森野は唐突に学業を断念するのであろうか。この設定は一葉の全くの独創なのであろうか。

 

この箇所に関しては従来、笹渕友一により「着想には典拠がありさうであり、或はこの非写実的な着想は歌舞伎・

浄瑠璃などに繋がりがあるかもしれない)

7(

」として義経伝説が例示されるが、未だ明確な典拠の指摘はなく、物語を成

り立たせるために考え出された少々無理な設定として不問に付されてきたように思われる。しかし、ここに『西鶴諸

国ばなし』「忍び扇の長歌」を置いてみれば、どうであろうか。近代的な解釈によれば唐突なこの設定は、もしかし

たら西鶴作品に影響を受けての創作ではないか、という疑問が浮かんでくるのである。

 

そこで、一葉が「忍び扇の長歌」を繙いた可能性については後述するとして、まずはこの二作品を取り上げ、その

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関係性を検討してみたい。まず「忍び扇の長歌」を、少々長くなるが全文を引用する。論の都合上、私に段落に分け

て番号を付した)

8(

(句読点、筆者。適宜仮名を漢字に、漢字を仮名に改めた)。

① 

屋かた住ひ、気づまりも、上野の花に忘れて、諸人の心玉浮き立つ、春のありさま、衣装幕の内には、小歌ま

じりの女中姿、ほんの桜よりは詠なが

めぞかし。

② 

日も暮くれ

に近き折ふし、大名の奥様めきて、先に長刀・二つ挟はさみ

箱ばこ

持たせて、高蒔絵の乗物続きて、跡より二十あ

まりの面影、窓のすだれのひまより見えけるに、その美しさ、和国美人揃のうちにも見えず。うかうかと付いて

まはりける、この男、やうやう中ちゆう

小ご

姓しやうぐらゐの風俗、女の好かぬ男なり。思ふに及ばぬ御方を恋ひ初そ

め、跡より

行く中ちゆう

間げん

に尋ねしに、「さる御大名の姪めひ

御ご

様」と、あらまし様子を語り捨て行く。

③ 

さてはとその所を知りて、奥かたへの御奉公をかせぎしに、よき伝つて

ありて相済み、二ふた

年とせ

ばかり勤めしうちに、

あなたこなたへの御供申せし折ふし、思ひ入れし御乗物に目を付けけるに、

④ 

縁は不思議なり、あなたにもいつともなう、思し召し入られ、末々の女に仰せ付けられ、長屋の窓より、黒くろ

骨ぼね

の扇を投げ入れける。若い者中間より見付けて、かの半はした女と心のあるやうに申すを、沙汰なしに酒など買うて、

口をふさぎぬ。

⑤ 

その夜、御扇開き見るに、筆のあゆみ、只ただ

人びと

のぶんがらにもあらず。思し召す事ども、長なが

歌うた

にあそばしける。

よくよく読みてみるに、「我を思はば、今宵のうちに、連れて立ち退くべし。男にさま替へて、切きり

戸ど

をしのび、

命を限り」との御事、

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⑥ 

このかたじけなさ、身を砕きてもと思ひ定め、その時を待つに、御知らせ違はず、小こ

者もの

姿すがたにして、御お

出いで

あそば

しけるを、御門を紛れ出いで

、はやその夜よ

に、土かはらけ器町まち

といふ所に、よしみの者あり、これにしのび、少しの裏うら

棚だな

を借

りて、人知れず住みけるに、

⑦ 

何の心もなく出いで

たまへば、世を渡るべき種もなければ、御守まもり

脇差しを少わづ

かの質しち

に置きて、月日を送らるるう

ちに、またかなしく、男は夜よる

々よる

、切きり

疵きず

の膏かう

薬やく

を売れどもはかどらず。後のち

にはせんかた尽きぬれば、手慣れたまは

ぬすすぎ洗せん

濯だく

、見る目もいたはしく、近所も不思議を立てける。

⑧ 

屋敷よりは、毎日五十人づつ、御ゆくへをたづねしに、半年あまり過ぎて、探し出し、大勢とりかけ、かの男

は縄をかけて、その夜よ

に成敗にあひける。

⑨ 

その後のち

、姫は一ひと

間ま

なるかたに押し込め、自害あそばすやうに、しかけ置きても、中々その志こころざしもなく、時節移

れば、「いかに、女なればとておくれたり。最後を急がせ」と、大おほ

殿との

より仰せければ、姫の御かたに参りて、「世

の定まり事とて、いたはしくは候へども、不義あそばし候へば、御最後」と申し上ぐれば、

⑩ 「我われ

命惜しむにはあらねども、身の上に不義はなし。人間と生しやうを請けて、女の男只ただ

一人持つ事、これ作法なり。

あの者下した

々じた

を思ふはこれ縁の道なり。おのおの世の不義といふ事を知らずや。夫ある女の、外ほか

に男を思ひ、また

は死に別れて、後ご

夫ふ

を求むるこそ、不義とは申すべし。男なき女の、一生に一人の男を不義とは申されまじ。又

下した

々じた

を取り上げ、縁を組みし事は、昔よりためしあり。我少しも不義にはあらず。その男は殺すまじき物を」と、

泪なみだを流したまひ、この男の跡とふためなりと、自みづから髪を下ろしたまふとなり。

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以上の内容を要約すれば、次のようになる。

①上野の花盛り、武家屋敷の女性たちも花見を楽しんでいる。

②身分の低い武家の男が偶然、美しい姫を垣間見て心奪われ、後を付けて、姫の素性が大名の姪であることを知る。

③ツテを求めて、姫の屋敷で奉公を始め、姫に心を懸けつつ二年が過ぎる。

④姫もいつしか男に思いを寄せ、扇を届けさせるが、周囲は勘違いをして冷やかす。

⑤扇には、長歌に託して姫の思いの丈が述べられていた。

⑥男は男装した姫と駆落ち、人目を避けて暮らし始める。

⑦二人は不慣れな生活に苦しみ、困窮する。世慣れぬさまを近所も不思議がる。

⑧二人は屋敷からの探索によって捕らわれ、男は成敗される。

⑨姫も座敷牢に入れられ、不義者として自害を迫られる。

⑩姫は「これは不義ではない」と抗議して涙をこぼし、男の菩提を弔うため出家する。

『諸国ばなし』冒頭の目録には各話のテーマを明示しており、これは「恋」である。身分違いの恋とその破綻を描い

た章段である。この姪は当主にとっては厄介者的存在であることは既に指摘がある)

9(

。これを一読すればすぐに、②③

が『暁月夜』の設定と酷似していることが了解されよう。もちろん、大きな相違点はある。例えば、『暁月夜』にお

いて森野が一重を一目見たいと願ったのは、「令ひ

め嬢のうはさ耳にして、「可を

か笑しき奴やつ

」と笑つて聞きしが、その独ひとり

栖ずみ

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理わ

け由、我れ人ともに分らぬ処ところ

何ゆゑか探りたく」、「何なん

ともしてその女一ひと

目め

見たし。否いな

、見たしではなく見てくれん」

という好奇の念に突き動かされてのことであり、一重の存在とその境遇は既に噂として耳にしていたのであって、偶

然見かけた見知らぬ女性の美しさに打たれた「忍び扇の長歌」の状況とは異なる。しかし、一読してより強く印象付

けられるのはそういった相違点よりもむしろ、この二人の出会いの場面における不思議な顛末の奇妙なまでの一致の

方ではなかろうか。具体的に指摘してみよう。

(1)男が偶然、乗物に乗る高貴な女を垣間見て心奪われ、後を追って女の素性を知る。

 

女の年齢は「忍び扇の長歌」(以下、「忍び扇」)では「二十あまり」、『暁月夜』では「今歳廿」である。いずれに

しても当時としては花の盛りを過ぎた年頃であるが、その類まれな美貌を垣間見て男は魂が抜けたようになり、思わ

ず乗物の後を付ける。そして、「忍び扇」では行列の末を行く中ちゅう

間げん

に聞くことによって、一方『暁月夜』では車が香

山家の屋敷に入っていくのを見届け、また「車夫の被はっぴ布の縫」も思い合わせてあれこれ推量することによって、男は

女の素性を間接的に知るのである。

(2)女に近づくため、それまでの生活を捨てて女の家の使用人となる。

 『暁月夜』では明確に、国学書生から庭男へというかけ離れた立場に身を置いたことが記されるのに対し、「忍び扇」

では二人が出会った時の男の身分や立場は明記されず、「やうやう中ちゆう

小ご

姓しやうぐらゐの風俗」とあるだけである。よく見

て中小姓程度、というから身分は高くないものの、士分ではある、ということである。それが伝手を求めて姫の住む

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大名家の奥向きに仕えることとなったのである。境遇の変化の程度という点に着目すれば、「忍び扇」では同程度の

身分のまま、別の勤め先を求めた、ということになり、この点では二作品は異なると言ってよい。しかし、生まれな

がらに身分が定まっている江戸時代において、極端な身分の変動は特殊な場合を除いてあり得なかった、ということ

を念頭において読む必要がある。その前提のもとに考えれば、「忍び扇」においての眼目はやはり、男が女の側近く

に仕える目的で新たに仕事を求めた、忠でも孝でもなく、「ただ一人の女のために」自分の人生を変えようとした、

という点にあったと思われ、その観点からすれば「忍び扇」と『暁月夜』の構図は相似形である。

(3)女はその家の当主の姪である。

 「忍び扇」では、男は行列の末に連なる中間に尋ね、女が「さる御大名の姪めひ

御ご

様」であることを知る。『暁月夜』で

は第六回に、一重が自ら、実の両親が子爵の妹と馬廻りの男であることを語る。現在の父である子爵から見れば、一

重は姪に当たるのである。

(4)二人の思いは通じ合う。

 「忍び扇」ではいつとなく男の思いを察した姫が、自ら駆落ちを申し出る。『暁月夜』では第六回で、一重が自分の

境遇を語り、「「お志しの文ふみ

、封は切らねど御覧ぜよ、この通り」と、手文庫に誠を見せし」と、敏の気持ちを無にし

た訳ではなかったことを示すことに、一重のほのかな思いが読み取れるように思われる。

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以上のように、「忍び扇」前半部と『暁月夜』とには大きな枠組みとして、共通する設定や構図を見出すことができ

るのである。

 

一方、この二作には全く違った面があることもまた一目瞭然である。そこで本章では相違点に注目しつつ、改めて

別の方面から二作品の関係性を検討してみたい。

(1)男の立場

 「忍び扇」では男は「やうやう中ちゆう

小ご

姓しやうぐらゐの風俗、女の好かぬ男」であり、身分が低く風采の上がらない、冴え

ない男である。当初から身分違いの片恋であって、恋の成就する可能性は皆無に近かったはずである。それに対して

『暁月夜』では森野は国学を学ぶ書生であり、将来の立身出世も考えられる。また森野の容姿は第四回に描かれる如

く、「見る目に見なば美男とも言ふべきにや、鼻筋とほり眼め

もと鈍からず、豊しもぶくれ頬の柔和顔なる敏さとし、流さすが石に学問のつけ

たる品位は、庭男になりても身を放れず」と、身をやつしてもなお品位の漂う端正な男である。庭男の吾助となった

彼は一重との仲立ちを期待して幼い弟、甚之助に接近し、思惑通り、彼を通じて森野の多才ぶりは一重に伝わってい

た。

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(2)恋を伝える側

 「忍び扇」では男が恋心を打ち明けたのではなく、男の忍ぶ思いにほだされて次第に姫も好意を抱くようになり、

姫の方から扇にしたためた長歌に託して思いが語られるのに対し、『暁月夜』では文を送るのは森野であり、一重へ

の思いを森野が何度も一方的に書き送るのである(ただし第二回の末尾に「見るは邂た

ま逅なる令ひ

め嬢の便りを敏は日ひ

毎ごと

手に取るばかり」とあり、甚之助の口伝えにより敏は一重の「消息」を受け取っている)。

(3)結末

 「忍び扇」では男女が駆落ちし、束の間の愛を育む。しかし、やがて男は捕えられて処刑、姫も死を迫られるが、

自害を拒否して出家するのである。それに対し、『暁月夜』では森野の思いを知りつつ、一重は身を引き鎌倉の別荘

への転居を決意する。第六回に至り、物語では初めて一重の心に秘めた思いが語られる。最後にせめて一声だけでも

交わしたいと切望する森野が前栽に忍んで待ち伏せし、月に誘われて姿を現した一重と遂に二人きりで対面、森野は

一重の思いを知るのであるが、はかなく明けゆく空に二人の思いが託されて終わる。二人は限りなく接近しながら、

遂に思いを遂げることなく別れて行くのである。ここには『源氏物語』「朧月夜」巻の影響が指摘されているが、『伊

勢物語』の面影も色濃い。例えば、思いを懸けた女が「ほかにかくれ」てしまい、「ありどころは聞けど」、二度と逢

瀬の叶わぬ境遇となってしまった男が「我が身ひとつはもとの身にして」と悲嘆する第四段、伊勢斎宮とのただ一度

の逢瀬を描く第六十九段などが彷彿とする、はかない恋の終焉である。

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では、これらの相違点は一体どのように考えるべきであろうか。単純に、両者が全く無関係であることを表すと考

えてよいのであろうか。今、特に(3

)の結末部分を取り上げて考察してみたい。

 『暁月夜』第六回、いよいよ明日は鎌倉へ出立という前の晩、一重はただ一人、孤独の思いを噛みしめつつ我が身

の運のつたなさを回想する。一重は「不幸の由も

と来に悟り初そ

めて、父恋し母恋しの夜よ

半は

の夢にも、咲かぬ桜に風は恨ま

ぬ独りずみの願ひ固く」なったと告白する。つまり、一重が頑なに独り身を貫いたのは、許されぬ恋に散った両親へ

の複雑な思いがあるからなのであった。「何なに

某がし

家け

の奥方ともまだ名をつけぬ十六の春風、無む

惨ざん

や玉た

簾すだれふ

き通してこの

初はつ

桜ざくらち

りかかりし袖そで

、馬廻りに美男の聞えはあれど、月の雲井に塵ちり

の身の六ろく

三さ

、何なん

としてこの恋なり立たち

けん、夢ばか

りなる契り」を交わしたのは、子爵の妹、すなわち一重の母と、馬廻りとして仕える父であった。高貴な女性と下々

の男の恋、不思議に通じた互いの思い。そしてその恋の成就の表現として、風の吹き通る「簾」とその風に散る「桜」

の言葉が選び取られる。「風」は既に指摘されているように「吹く風にわが身をなさば玉簾ひま求めつつ入るべきも

のを」(『伊勢物語』第六四段)を踏まえる。そして「簾」は女と男を隔てる身分の象徴でもあろうが)10(

、ここに「桜」

の季節に「簾」越しに女を見知った「忍び扇」①②の場面との重なりを見ることもできよう。言うなれば、身分違い

の恋は、一重のものでもあり、一重の母のものでもあったのだ。

 

そう考えると、『暁月夜』は、単なる一重と森野をめぐる物語ではなく、母娘二人の恋物語、廻る因果を引き受け

ざるを得ない娘から見た

4

4

4

4

4

母の恋物語、という側面があることを見逃してはならないのではないだろうか。この物語は

その重層性を前提として読むべき物語であると思われる)11(

 

そのような視点で改めて「忍び扇」と『暁月夜』、特に一重の母の恋に注目してみれば、「忍び扇」に描かれる高貴

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な女と下賤の男の恋という構図は、森野と一重との間の実らなかった恋とは別に、身分の差を顧みず束の間の恋を成

就させた一重の両親の恋として、『暁月夜』中に反映されていると言えるのではないだろうか。しかし、一度は思い

を遂げながら、やがて二人は引き裂かれ、「忍び扇」の男は処刑され、『暁月夜』の六三は自責の念に駆られて命を落

とすのである。「人間と生しやうを請けて、女の男一人持つ事、これ作法なり」「一生に一人の男を不義とは申されまじ」と

いう姫の叫びは、そのまま一重の母の叫びでもあろう。「いよいよ恋は浅ましきもの果は

敢か

なきもの憎くきもの。我が

生しやう

涯がい

のこの様やう

に悲しく、人に言はれぬ物を思ふも、浅ましき恋ゆゑぞかし」という一重の嘆きは、深く因果の底に

沈みゆく我が運命への絶叫でもある。「「お志しの文ふみ

、封は切らねど御覧ぜよ、この通り」と、手文庫に誠を見せし」

一重は、一方で「その人床ゆか

しからねどその心にくからず」と言い、「よし人目には恋とも見よ、我が心狂はねば」と

言う。揺れる思いの中で両親の運命を反芻し、自らに恋を禁じて、思いを封印してきたのである。

 

これまで『暁月夜』と「忍び扇の長歌」との関係性を探るべく、縷々考察を進めてきた。しかし根本的な問題は、

一葉が『暁月夜』執筆以前に西鶴の作品、なかんずく「忍び扇」を読んでいたかどうか、ということであろう。平田

禿木の一葉宛て葉書(明治二十七年十月十九日付)に「御約束の鶴全集近きに持参いたすべく」とあることから、一

葉が帝国文庫版『西鶴全集』を手にしたのはこれ以降であることは明らかで、その後に執筆した『大つごもり』には

その感化の跡が著しいことは既に多くの指摘がある。しかし『暁月夜』執筆は『西鶴全集』発刊の一年以上も前であ

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り、一般的に考えて、西鶴の作品を容易に手に取れる状況ではなかった)12(

。日記等を検索しても『西鶴諸国ばなし』『大

下馬』などの書名は出て来ず、蔵書リストにも書名を見出すことはできない)13(

。また帝国図書館(上野図書館)で手に

取った可能性を考えたいが、『編新帝国図書館和古書目録)14(

』にも書名が見当たらず、一葉が『西鶴諸国ばなし』を読ん

でいたとは全く断言できない。しかし、作品の共通項は単なる偶然の一致であると簡単に片付けてしまってよいであ

ろうか。西鶴再評価という当時の時代背景を考慮すれば、一葉がそれに無関心であったとは思われず、発刊されて間

もなく『全集』借覧の約束をしていることからも、西鶴への関心は決して低くはなかったはずである。『全集』借覧

以前に西鶴本を閲覧する可能性は全くなかったのであろうか。確証がないということは、直ちにそれ以前に一葉が西

鶴作品に触れていた可能性を排除するものではないのではないか。

 

明治二七年五・六月刊の帝国文庫『校訂 

西鶴全集』(尾崎紅葉・渡部乙羽校訂)は明治二六年一月に内務省の出

版許可を得ており、『西鶴諸国ばなし』はその下巻に『諸国はなし』と題して収載されている。「巌谷氏所蔵」とある

ので、恐らく硯友社同人であった巌谷小波の所蔵本を底本としたのであろう。ところで、ここに一つ注意すべき点が

ある。昭和五年(一九三〇)出版の帝国文庫『改訂 

西鶴全集』の藤村作の解題に「旧帝国文庫本は、巻四の第二話

まで収めて、後は缺けてゐたが、この度完本を得てこれを増補し、五巻を完備させることが出来た」とあるように、

この巌谷氏蔵本は現在知られる版本『西鶴諸国ばなし』とは異なる不完全な形だったということである。作品の配置

も異なり、旧帝国文庫本「巻一」には版本の巻一-

一から巻一-五の五話、「巻二」には版本の巻一-

六から巻二-

三の五話、「巻三」には版本の巻二-

四から巻三-

二の六話、「巻四」には版本の巻三-

三から巻四-

二(巻三-

四「紫

女」を除く)の六話、合計二二話を収める。この巌谷氏蔵本に拠れば、今問題にしている巻四-

二「忍び扇の長歌」

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は最終話ということになる。もし一葉が本書を手に取ったと仮定するならば、目録にテーマを「恋」と明記された、

江戸を舞台とするこの作品に一葉が関心を示したとしても不思議ではないであろう)15(

 

あるいは間接的な西鶴作品の摂取の可能性も考えられるかもしれない。一葉には古典作品ばかりでなく、同時代作

家の作品の影響を受けた作品も少なからずある。例えば第一作『闇桜』は饗庭篁村の『窓の月』を踏まえており、ま

た『うもれ木』は幸田露伴の『風流仏』の影響を受けているという)16(

。同様に『暁月夜』も尾崎紅葉の『拈華微笑』(『国

民之友』第六九号附録(明治二三年一月)、叢書『国民小説』第一集に再録)の影響を受けていると考えられる。『拈

華微笑』は、ある下級官吏の青年が毎朝出勤途中に車上の女性と顔を合わせるようになり、挨拶を交わし合ううちに、

いつしか互いを意識するようになるが、誤解が元で二人の関係が破綻するという話である。岡保生によれば、明治二

二年から二四年にかけては紅葉作品に西鶴摂取が顕著に見られる時期であり、この作品の執筆はまさにその期間中で

あった。岡は『拈華微笑』を「それまでの紅葉作品の系列からみると、明らかに異色篇」として、前年の『色懺悔』

以来の江戸的色合いの濃い作品が連続している中にあって「一転して当代世相の中に題材を求めようとした」とする

が)17(

、身分の高くない男が車中の美しい女に心奪われ、常に見つめているうちに女に思いが通じる、という点に着目す

れば、「忍び扇の長歌」と構図が似通うように思われる。紅葉が『拈華微笑』において、あるいは「忍び扇」を参照

していたかもしれない、という推測は的外れであろうか)18(

。そして、もしそうだとすれば、一葉は車上の女の美貌に惹

かれて恋をするという「忍び扇」の構図を間接的に利用したという考え方も成り立つであろう。ただその場合は、敏

が境遇を変えてまで、という点に関しては一葉のオリジナル、ということになろうか。

 

以上、『暁月夜』と「忍び扇」との類似点を出発点として、二作の関係性について考察してきた。今回、一葉が「忍

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び扇」を読んだという明証は得られなかった。しかし、その作品内部に西鶴作品の影響と見なすことのできる一致点

が見出されたことは確かであろう。一葉作品を丹念に読み解くことによって、これ以外にも同様の事例が明らかにな

る可能性もある。一葉が江戸の作品から何を学び取ろうとしたのか、という視点は、近世文学研究の側からも大変魅

力的にして意義あるものである。今後の課題としたい。

注(1) 『樋口一葉全集』第一巻(筑摩書房、一九七四)「暁月夜」補注による。

(2)

以下、『暁月夜』本文は『全集樋口一葉』(小学館、一九九六)による。

(3)

笹渕友一『『文学界』とその時代・上』(明治書院、一九六〇)第八章「「文学界」客員論」第一節「樋口一葉」、山根賢吉「一

葉と露伴」『大阪学芸大学紀要』一四号(一九六六・二)、同「一葉と紅葉」『大阪教育大学紀要』一六号(一九六八・一)、岡

保生『薄倖の才媛 

樋口一葉』(新典社、一九八二)など。

(4)

橋本のぞみ『樋口一葉 

初期小説の展開』(翰林書房、二〇一〇)第一章「『暁月夜』│女性〈物語〉生成の場│」ではこう

いった従来の評価を確認しつつ、そこに男性による女性幻想の虚妄性を暴く一葉の戦略があったことを指摘する。

(5)

暉峻康隆『西鶴 

評論と研究・上』(中央公論社、一九四八)に、真山青果、志賀直哉、芥川龍之介らも『西鶴諸国ばなし』

に関心を示しているという指摘がある。

(6) 『全集樋口一葉』(小学館、一九九六)脚注。

(7)

注3

笹渕論文。

(8)

本文は『〈新編日本古典文学全集〉井原西鶴集②』(小学館、一九九六)による。

(9)

西島孜哉『近世文学の女性像』(世界思想社、一九八五)「西鶴の描いた地女・武家女」。

(10) 「玉簾」の語に関しては、注4

橋本論文に別の箇所における同様の用例の指摘がある。

(11)

一重による母の物語について、菅聡子「『大つごもり』論」『論集樋口一葉』(おうふう、一九九六)、島田裕子「潜在する女

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の物語│「暁月夜」の語り│」『論集樋口一葉Ⅱ』(おうふう、一九九八)は「語り」の視点から考察、また関礼子「更新され

る「文化の記憶」│樋口一葉「暁月夜」論│」『亜細亜大学学術文化紀要』一六号(二〇一〇・一)は古歌の散文としての形

象化と捉える。

(12) 明治期の西鶴再評価については注5

暉峻康隆論文、竹野静雄『近代文学と西鶴』(新典社、一九八〇)等に詳述されるよう

に淡島寒月・饗庭篁村らの発掘、紅葉・露伴らの作品への利用など周知である。近年、木村洋『文学熱の時代』(名古屋大学

出版会、二〇一五)第三章「明治中期、排斥される馬琴│松原岩五郎の事例」は知識人の言説と「平民の言葉」との乖離とい

う興味深い問題を提示している。

(13)

神作研一「特集=樋口一葉 

山梨県立文学館蔵樋口一葉・則義旧蔵書目録稿」『文学』一〇-

一(一九九九・一)。

(14) 『編新帝国図書館和古書目録』(東京堂書店、一九八五年)。

(15) 『文学』一〇-

一(一九九九・一)「《座談会》一葉の誕生」において、山田有策は「露伴などを読み始めたときには、西鶴も

同時に読んでいたのではないか。裏付けはむずかしいのですが、かなり前から読んでいたんじゃないかという気がします」と

発言している。日記によれば明治二五年九月一六日には、当時は活字本もなく稀覯であった上田秋成の『春雨物語』も読んで

おり、写本・版本を入手する何らかのルートがあったようである。

(16)

前田愛「作家一葉の誕生まで」『全集樋口一葉①小説編一』(小学館、一九七九年)。

(17)

岡保生『尾崎紅葉│その基礎的研究│』(東京堂、一九五三)「「拈華微笑」を中心として│紅葉の方法│」「紅葉と西鶴」「「子

細あって業物も木刀の事」小論│西鶴の武家物と聯関して│」を参照。

(18)

注15前掲書九二頁に「紅葉が西鶴の主要作を一応全部読んでゐたらうことは、全集を編纂してゐるくらゐだから疑ひを容れ

ない」という指摘がある。

本論は高田知波先生に『暁月夜』なる作品の存在をご教示いただいたことが執筆の契機となった。記して感謝申し上げる。

(このえ・のりこ/本学教授)