8 30 JUL 2020 / No 1148 征くシリーズ 西93 13 14 16 姿調13 調13 ●征くシリーズ●取材・執筆/本誌編集部 ダイバーが自動呼吸装 置 を 伴 う ス キ ュ ー バ(Scuba = self-contained underwater breathing apparatus)が 1950 年代に普及するまでは、このヘ ルメット式潜水が唯一の潜水方だったとされる。ダイバーは、 ゴム引き帆布などの防水素材による潜水服とガラス窓のついた 真鍮製のヘルメットを着用。このヘルメットには空気供給ホー スの接続口や排気バルブ、水上と交信するための通信装置など が取り付けられており、ダイバーは潜水服内の空気量を手動で 調節しなくてはならない仕組みになっていた。 この方式は、空気ポンプさえ正常に作動していれば、時間の 制限なしに潜水可能な上、潜水服やヘルメットがかなり大きめ に作られているため、万が一、空気ポンプの誤作動で空気提供 が断たれても、ダイバーは潜水服内の空気で5分程度は生存で きるという利点がある。 ヘルメット式潜水とは ■ このままではこの重要な大聖堂が倒 壊してしまう…! イングランド最大 級で、古都ウィンチェスターが誇る 大聖堂を救うべく白羽の矢が立てら れたのは…。 潜り続 けた5年半 大聖堂 救った ダイバー 物語 © Mball93

© Mball93ルメット式潜水が唯一の潜水方だったとされる。ダイバーは、 ゴム引き帆布などの防水素材による潜水服とガラス窓のついた

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Page 1: © Mball93ルメット式潜水が唯一の潜水方だったとされる。ダイバーは、 ゴム引き帆布などの防水素材による潜水服とガラス窓のついた

830 JUL 2020 / No 1148征くシリーズ

 

ロンドンから電車で南西へ小1時間

というウィンチェスターは、全体を歩

いて周ることのできるこぢんまりとし

た町。今ではのどかな郊外の町のひと

つにすぎないが、かつてはここに、イ

ングランド7王国時代に優勢を極めた

ウェセックス王国の首都があった。中

世らしい閑静な街並みや歴史的建造物

などからは、古都ウィンチェスターと

しての誇りが感じられる。

 

ノルマン征服後に首都がロンドンに

移された後も、国王戴冠式はウェスト

ミンスター寺院だけでなく、ウィン

チェスター大聖堂でも行う必要があっ

たというから、この町がイングランド

の歴史上いかに重要な役割を果たして

いたかがおわかりいただけるだろう。

 

かつて7王国時代には、現在の大聖

堂の北側に約3分の1の大きさの旧聖

堂「オールドミンスター」が存在した。

1079〜93年、ノルマン人により新

たに大聖堂が建てられると、オールド

ミンスターは解体された。その後、大

聖堂は13、14世紀にかけて拡張され、

16世紀に現在のゴシック建築として完

成。イングランド最大級の聖堂として

知られる。

 

今から115年前、この由緒正しい

大聖堂が倒壊の危機にさらされていた。

今、我々が目にする壮麗な姿は、ある

男の一騎当千の働きなしには存在しえ

なかったのである――。

木と泥の上に

 

1905年1月、ウィンチェスター

大聖堂の定期調査を行っていた建築家

のJ・B・コルソンは教会の奥内陣(祭

壇や聖歌隊席の裏手となる部分)を構

成する南側の壁が外側に大きく傾斜し

ていることを懸念し、早急に措置をと

る必要があるとの報告書をまとめた。

なぜそれほどまで傾斜するに至ったか

は定かではなかったが、聖堂が拡張さ

れたという13世紀の工法に理由が隠さ

れているのではないかとコルソンは推

測した。

 「おそらく基礎が不安定なのだろう。

しかし果たしてどうやって基礎を強化

すべきか…」、コルソンは頭を痛めた。

というのも、大聖堂界隈は海抜が低く、

冬には聖堂の地下室が水浸しになるこ

とも少なくないからだ。水浸しの状態

では基礎に手を加えることもできない、

今できることは、傾斜している壁に木

の支柱をつっかえ棒として何本も添え

立て、これ以上壁が倒れないように支

えることぐらいだろう――コルソンは

そう提案し、この傾斜を軽視すべきで

はないと警鐘を鳴らした。

 

聖堂参事会から助言を求められた

ウィンチェスター教区の建築顧問、

トーマス・ジャクソンは、壁の外側を

掘り進み、地盤調査を実施。すると、

床下から数メートル下方に、13世紀の

職人たちが基礎として敷いた流木が露

になった。しかも、その流木の数十セ

ンチ下方には分厚い泥炭の層が広がる。

コルソンの推測どおり、「木と泥」では

600年以上にわたる石造建築の重み

に耐えかね、基礎が揺らぎ、壁が傾く

のも無理はなかった。

 

不幸中の幸いは、泥炭のさらに下層は

硬質の砂利層になっていることだ。この

砂利層ならどんな重みにも耐えられる。

問題は、基礎から砂利層までの3メート

ル弱の隙間をどうやって埋めるかだ。そ

こで次の5つの措置が提案される。

 

①コルソンの案の通り、壁を木の支

柱で支えること、②奥内陣のアーチ天

井を木の梁で固定すること、③南北の

●征くシリーズ●取材・執筆/本誌編集部

                 ダ イ バ ー が 自 動 呼 吸 装置 を 伴 う ス キ ュ ー バ(Scuba = self-contained underwater breathing apparatus)が 1950 年代に普及するまでは、このヘルメット式潜水が唯一の潜水方だったとされる。ダイバーは、ゴム引き帆布などの防水素材による潜水服とガラス窓のついた真鍮製のヘルメットを着用。このヘルメットには空気供給ホースの接続口や排気バルブ、水上と交信するための通信装置などが取り付けられており、ダイバーは潜水服内の空気量を手動で調節しなくてはならない仕組みになっていた。 この方式は、空気ポンプさえ正常に作動していれば、時間の制限なしに潜水可能な上、潜水服やヘルメットがかなり大きめに作られているため、万が一、空気ポンプの誤作動で空気提供が断たれても、ダイバーは潜水服内の空気で5分程度は生存できるという利点がある。

ヘルメット式潜水とは?

■ このままではこの重要な大聖堂が倒壊してしまう…! イングランド最大級で、古都ウィンチェスターが誇る大聖堂を救うべく白羽の矢が立てられたのは…。

潜り続けた5年半

大聖堂を救ったダイバーの物語

© Mball93

Page 2: © Mball93ルメット式潜水が唯一の潜水方だったとされる。ダイバーは、 ゴム引き帆布などの防水素材による潜水服とガラス窓のついた

30 JUL 2020 / No 11489 征くシリーズ

壁を鋼棒でつなぎ、壁の傾斜を防ぐこ

と、④壁内の小さな隙間や穴に液状セ

メントを流し込み塗り固めて強化する

こと、⑤壁は砂利層を基礎とするべく、

新しい建材で基礎固めをすること。

 

最も困難を極めたのは⑤の基礎の補

強であった。まず流木を切り外し、泥炭

を掘り起こす。そして現在の床面から

砂利層までの隙間を硬質の建材で埋め

ていくというのが計画であるが、泥炭

を掘り起こすと同時に地下水が満ちて

きて、水位は作業が可能なレベルのまま

下がっていてはくれない。強力ポンプで

水を吸い上げる方法は、泥炭だけでなく

硬質な地盤をも削り取り、壁の倒壊を

むしろ促す危険性をはらんでいた。

 

ポンプを使わずに作業するにはどう

すればいいか。そこであるアイディア

が浮上する。「ダイバー(潜水士)なら

できるかもしれない!」。

 

こうして2人の潜水士が候補者とし

てウィンチェスターに召喚された。

熟練ダイバー参上

 

当時のダイバーの仕事といえば、漁

業はもちろん、港湾建設などの水中土

木作業のほか、海難救助、沈没船引き

上げなど軍事上、保全上にまつわるも

のが主であった。

 

当時の一般的な潜水方法は、水上か

らホースで空気を供給する「ヘルメッ

ト式潜水」(1820年頃発明、右頁参

照)。しかし空気供給ホースが水中の障

害物に絡まる危険性や、手動による空

気供給を誤った場合に高気圧障害や窒

息死を引き起こす可能性もあり、ダイ

バーには熟練したノウハウと強靭な肉

体が要求される。さらに、水中で安定

した姿勢を取ることができるよう装備

重量がとりわけ大きいのが特徴で、そ

のため水上では1人で移動することが

難しく、水中での機動性もきわめて低

かった。

道のりであったか察しがつくだろう。

 

古い基礎を新しく差し替えるこの作

業は、壁が倒れる危険性を常に伴うた

め、一度に大きな面積に着手するわけ

にはいかず、狭い範囲を地道にやり進

める必要があった。当時、優秀な潜水

士が限られていた背景もあるが、一度

に何人もの潜水士が作業することは物

理的に不可能だったのである。

 

ウォーカーの潜り口として掘られた

溝の数はなんと235ヵ所。作業が5

年5ヵ月に及んだことを考えると、1

年に約43ヵ所、つまり、1ヵ所の溝の

作業を終えるのに約1週間かかった計

算になる。ちなみに彼の積み上げたコ

ンクリートバッグは2万5800個、

コンクリートブロックは11万4900

個、レンガは90万個にのぼったと伝え

られている。蘇

った大聖堂

 

6年におよぶプロジェクトに費やさ

れた総工費は現在の金額で5000万

ポンド以上におよんだ。自治体からの

援助はなく、聖堂参事会にとっては資

金調達が何より悩みの種であった。人

件費が賄えず、土木作業員を解雇せ

ざるを得ないこともしばしばであっ

たという。それでも国王を含め、寛

大なスポンサーたちが名乗りを挙げ、

1911年8月上旬、ウォーカーの使

命は果たされた。ウィンチェスター大

聖堂はついに倒壊の危機から救われた

のである。

 

それから7年後の1918年10月31

日、ウォーカーはヨーロッパ中に蔓延

したスペイン風邪に罹患し、この世を

去ってしまう。トップダイバーとして

強靭な肉体を持っていたウォーカーだ

が、伝染病の猛威には打ち勝つことは

できなかったのである。享年49。あま

りにあっけない英雄の最期であった。

 

暗闇の中、その手の感触だけを頼り

に働き続けた5年半―。イングランド

の歴史を背負ったウィンチェスター大

聖堂が倒壊していたかもしれない事実

を考えるとき、彼の偉業は聖人の域に

達していると思わざるをないのである。

1 修復中の大聖堂© Dr John Crook/Chapter of Winchester/The works in progress on the north side of the east end of the cathedral.

2 大聖堂を救ったウォーカーの胸像が聖堂内に飾られている。

3 聖堂地下室は大聖堂の中でも最古の部分。中央に立つのは、1986 年に設置された現代彫刻家アントニー・ゴームリーによる作品「サウンド II」。今でもこの彫刻の腰の部分まで浸水することがあるという。© David Spender

1912年7月15日に執り行われた、修復完了を

祝う感謝祭。ジョージ5世と王妃メアリーをのせ

た馬車がアルフレッド大王像のそばを過ぎゆくの

を群集が見守る。セレモニーで国王は「あなたの

力で聖堂を救うことができたのですね」とウォー

カーに賛辞を伝えた。

13

2

ホールだけが残る。アーサー王物語に登場する「円卓の騎士」たちの名が記されている「アーサー王の円卓」が掲げられている。■ ウィンチェスター・カレッジ(Winchester College)…イートン校、ハロー校と並ぶ3大名門校のひとつ。ガイドツアーは現在休止中。■ウルヴァジー城(Wolvesey Castle)…メアリー1世とフェリペ2世の披露祝賀会が行われた城跡(廃墟)。■ジェーン・オースティン記念館(Jane Austen's House Museum)…ジェーン・オースティンが晩年を過ごした家。現在は博物館(新型コロナの影響で閉鎖中)。中心部から約 25 キロ。

中世の香り漂う古都ウィンチェスターに行こう!

町を見据えるウェセックス王・アルフレッド大王の像

観光スポット

■ ウ ィ ン チ ェ ス タ ー 大 聖 堂(Winchester Cathedral)…リチャード 1 世の戴冠式やメアリー1 世とフェリペ 2 世の結婚式が行われた。また、作

家ジェーン・オースティンの墓碑もある。■ ウ ィ ン チ ェ ス タ ー 城

(Winchester Castle) …1067 年に建てられたウィンチェスター城が 14 世紀に大火で焼け、グレート・

ロンドンからのアクセス

電車:ウォータールー駅から約 1 時間車:南西に 70 マイル程度(M3 をジャンクション9で下車)。

2020 年7月 24 日現在

WinchesterWinchester

 

ウィリアム・ウォーカー(1869

〜1918年)がウィンチェスターに

召喚された時、彼はロンドンのヴィク

トリア埠頭で働いていた。英国王室海

軍にて上等水兵であったウォーカーは

潜水の訓練を受け、21歳にして英国の

トップクラスのダイバーになった。数

年後に除隊してからは、民間のダイビ

ング会社に所属、チーフ・ダイバーに

昇格し、ジブラルタル軍港での4年の

赴任を終え、英国に戻ったばかりで

あった。37歳、経験に裏打ちされた

自信にあふれ、男性として最も脂の

乗った時期でもある。候補者のうち、

ウォーカーが抜きん出ていることは誰

の目にも明らかであった。

暗闇の5年半

 

聖堂参事会から大きな期待が寄せら

れたウォーカーには、以下の任務が課

せられた。

 

まず、土木作業員が壁の外側に1

メートル強幅の細い溝を掘り進め、古

い基礎として使われていた流木を切り

出す。そこにウォーカーが潜り込み、

泥炭を掻き出す。と同時に、地下水は

どんどん満ちてくるので、ウォーカー

はその真っ黒な泥水の中をさらに潜水

し、泥炭をかきわけながら壁の真下へ

と潜り込む。土木作業員はその泥炭を

取り除き、地下水が澄んできたら、コ

ンクリートバッグ、コンクリートブ

ロック、レンガなどを壁下のウォー

カーに送る。ウォーカーはそれらをひ

とつひとつ積み上げ、砂利層から床下

までを埋めていく。この間、ウォー

カーの視界は真っ暗で手の感覚だけを

頼りに作業するしかない。ウォーカー

の積み上げ作業が終わり、コンクリー

トが2、3時間して固まると、初めてポ

ンプによる水の汲み上げが可能になり、

その後は完全に水を排除した状態での

補強作業ができるようになる。

 

と、書きまとめると、きわめて秩序

だっておりその困難さが伝わらないか

も知れないが、1日6時間潜り続けて

も5年半の月日を要したといえば、こ

の一連の作業がどれほど気の遠くなる

大聖堂を救ったダイバーの物語を動画で見よう!

© Dr John Crook/Chapter of Winchester