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西洋法制史 ドイツ民法典の編纂 1

ドイツ民法典の編纂 - ocw.osaka-u.ac.jpocw.osaka-u.ac.jp/law-and-politics-jp/european-legal-history-jp/... · ギールケOtto von Gierkeなど、ゲルマン法の研究者たちから激しく批判され

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西洋法制史

ドイツ民法典の編纂

1

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1 民法典編纂前史 ・主要な立法史

・近代ドイツ法学史

ロマニストとゲルマニスト

・ドイツの民法

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主要立法

平田公夫著 「ラスカー法の成立と準備委員会の設置(1)(2)」 (『岡山大学法学会雑誌』30-2、1980年 34-4、1985年)

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1 民法典編纂前史 ・主要な立法史

・近代ドイツ法学史

ロマニストとゲルマニスト

・ドイツの民法

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法学史年表

P・ヴィーアッカー/鈴木禄弥訳『近世私法史』(創文社、1961年)より

6

平田公夫著 「ラスカー法の成立と準備委員会の設置(1)(2)」 (『岡山大学法学会雑誌』30-2、1980年 34-4、1985年)

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Bernhard Windscheid

1817-1892

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Bernhard Windscheid (1817―92) ドイツの法学者。ローマ法、民法を専攻し、1840年ボン大学の私講師、47年同員外教授となり、その後バーゼル、グライフスワルト、ミュンヘン、ハイデルベルク、ライプツィヒなど諸大学の教授を歴任した。彼の学問的特色は、パンデクテン法学とか概念法学とよばれているように、法制度の歴史や判例、さらに社会生活の実情をいっさい排除して、ただ法概念を体系的に位置づけ、論理的に説明することを重視した。このような手法は19世紀ドイツ法学の一大特色をなしていたが、彼はそれまでLehrbuch des Pandektenrechtsの学問の集大成として『パンデクテン法教科書』全 3巻(1862~70)を発表した。この書物は、体系的民法典のなかった当時のドイツにおいては法実務の第一の学問的典拠とされた。80年には民法典起草 委員となり、約2年間立法活動に従事した。87年のドイツ民法典第一草案は、彼の学問体系の決定的影響を受けたものだったので「小ウィントシャイト」とさ えよばれた。この第一草案は、ギールケOtto von Gierkeなど、ゲルマン法の研究者たちから激しく批判されたため修正された。けれども1900年に公布・施行された今日のドイツ民法典は、彼の学問体系の影響を色濃く残している。彼の体系はまた諸外国にも大きな影響を与えた。ちなみに、日本の民法典の編別、ことに財産法の部分は、ドイツ民法典第一草案を基礎にしたものである。

[ 執筆者:佐藤篤士 ]

日本大百科全書(小学館)

9 クラインハイヤー=シュレーダー編/小林孝輔監訳 「ドイツ法学者辞典」(学陽書房 1983年)より

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クラインハイヤー=シュレーダー編/小林孝輔監訳 「ドイツ法学者辞典」(学陽書房 1983年)より

11 クラインハイヤー=シュレーダー編/小林孝輔監訳 「ドイツ法学者辞典」(学陽書房 1983年)より

12 クラインハイヤー=シュレーダー編/小林孝輔監訳 「ドイツ法学者辞典」(学陽書房 1983年)より

13 クラインハイヤー=シュレーダー編/小林孝輔監訳 「ドイツ法学者辞典」(学陽書房 1983年)より

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Rudolf von Jhering

(1818-92)

1888 Aula der Universität Göttingen Photo by Andreas Praefcke with CC License Attribution

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Rudolf von Jhering (1818―92) [ 日本大百科全書(小学館) ]

19世紀後半ドイツの代表的法学者。ハイデルベルク、ゲッティンゲン、ベルリンの各大学に学び、ウィーン、ストラスブール、ゲッティンゲン、ベルリンなどの大学教授を歴任。歴史法学派の立場から書かれた初期の著作『ローマ法の精神』(1852~65)は不朽の名著として知られる。そこでイェーリングは、法律の条文や法解釈が現実社会とどのようにかかわっているかという観点からローマ法を研究し、またローマ法を支えているローマ精神を明らかにした。続く『権利のための闘争』(1872) では、法の目的は現実の社会において相争う利益間の闘争を通じて実現されるとし、そのため日常不断に権利を確保する闘争が重要であることを説いて、単なる 歴史法学派の立場を乗り越えた。さらに『法における目的』(1877~83)では、法解釈にのみ重点を置いて法の目的を考えようとしない概念法学に反対し、目的法学の立場から、法の現実社会との関連をとらえる必要性を説いた。このようなイェーリングの実用主義的、実証主義的方法は、今日の利益法学、自由法論、法社会学などの発展に大きな影響を与えた。 [ 執筆者:田中 浩 ]

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クラインハイヤー=シュレーダー編/小林孝輔監訳

『ドイツ法学者事典』(学陽書房、1983年)より

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クラインハイヤー=シュレーダー編/小林孝輔監訳 「ドイツ法学者辞典」(学陽書房 1983年)より

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ゲルマニステン著作

平田公夫著「ラスカー法の成立と準備委員会の設置(1)(2)」(『岡山大学法学会雑誌』30-2、1980年34-4、1985年)

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Georg Beseler

(1809-88)

© Humboldt-Universität zu Berlin, Universitätsbibliothek

23 クラインハイヤー=シュレーダー編/小林孝輔監訳 「ドイツ法学者辞典」(学陽書房 1983年)より

24 クラインハイヤー=シュレーダー編/小林孝輔監訳 「ドイツ法学者辞典」(学陽書房 1983年)より

25 クラインハイヤー=シュレーダー編/小林孝輔監訳 「ドイツ法学者辞典」(学陽書房 1983年)より

26 クラインハイヤー=シュレーダー編/小林孝輔監訳 「ドイツ法学者辞典」(学陽書房 1983年)より

27 クラインハイヤー=シュレーダー編/小林孝輔監訳 「ドイツ法学者辞典」(学陽書房 1983年)より

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Johann Caspar

Bluntschli

(1808-81)

明治9年

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Johann Kasper Bluntschli (1808―81)

19世紀ドイツの代表的法学者。スイスのチューリヒ生まれ。1827年ベルリン大学で歴史法学者サビニーに学び、28~29年ボン大学でローマ法の相続法関係の論文で博士号を取得。33年チューリヒ大学准教授、36年教授。37年議員に当選、「自由・保守党」を創立し、急進・守旧両派に対抗して自由主義的改革を図る。48年ミュンヘン大学に移る。61年にはハイデルベルク大学に転ずる。ここでも政治活動を行い、ビスマルクの統一政策を支持。主著『一般国法学』(1852)は国家有機体説の立場から社会契約説を批判し、国家主権説を唱えて、反動的な家産国家論や絶対君主論とその対極にある人民主権論をともに排撃した。この本は加藤弘之(ひろゆき)によって『国法汎論(はんろん)』(1876)として抄訳され、明治政府の正統性を弁護する役割を担った。ほかに『ドイツ私法』(1853)、『一般国法学および政治学史』(1864)、『近代国際法』(1868)など。 [ 執筆者:田中 浩 ]

[ 日本大百科全書(小学館) ]

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クラインハイヤー=シュレーダー編/小林孝輔監訳

『ドイツ法学者事典』(学陽書房、1983年)より

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クラインハイヤー=シュレーダー編/小林孝輔監訳 「ドイツ法学者辞典」(学陽書房 1983年)より

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1 民法典編纂前史 ・主要な立法史

・近代ドイツ法学史

ロマニストとゲルマニスト

・ドイツの民法

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ドイツで妥当して民法

平田公夫著 「ラスカー法の成立と準備委員会の設置(1)(2)」 (『岡山大学法学会雑誌』30-2、1980年 34-4、1985年)

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19世紀法分布図

Die Landkarte zum BGB, 100 Jahre Rechtseinheit in Deutschland, Keip Verlag Goldfbach , 1996.

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ハンス・シュロッサー著/大木雅夫訳 『近世私法史要論』(有信堂、1993年)

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2 民法典編纂の要求

・統一民法典編纂の要求

北ドイツ連邦

ミケル提案

第二帝制期

ミケル、ラスカー

1873年12/20 憲法改正帝国法

Lex Miquel-Lasker

第4条第13号改正

Eduard Lasker

Johannes von Miquel

37 高田敏・初宿正典編訳『ドイツ憲法集』(信山社、1994年)より引用

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3 民法典の編纂過程

連邦参議院の主導

(1)準備委員会の開催(1874年)

・ゴールトシュミット他4名の委員

全員が上級裁判所の実務裁判官

・編纂に関する「計画と方針」を答申

プロイセン控訴裁判所長官 シュミット

バイエルン上級控訴裁判所長官ノイマイアー

ヴュルテンブルク上級裁判所長官キューベル

ザクセン上級控訴裁判所長官 ヴェーバー

Levin Goldschmidt http://de.wikipedia.org/wiki/Levin_Goldschmidt

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Levin Goldschmidt (1829―97)

19世紀後半のドイツ商法学界を代表する学者。ハイデルベルク大学教授を経て、北ドイツ同盟高等商事裁判所の判事を務めたのち、ベルリン大学教授となり、在職中に没した。商法の研究に歴史的方法を取り入れ、その歴史的方法と解釈学的方法との融合をみごとに果たし、商法学の発展に寄与した功績は高く評価されている。彼の代表的な業績は、『商法提要』(未完成)の冒頭を飾る「一般商法史」であり、それは希代の傑作としての誉れが高い。そのほか、彼が刊行した『総商法雑誌』Zeitschrift f ür das gesamte

Handelsrecht(略称ZHR)は、商法学の研究にとって不可欠の雑誌である。彼は学者のほか、裁判官としても活躍し、またドイツ統一運動と法の統一実現のためにも尽力したが、他方、ユダヤ人として人種差別問題に心を痛めたことが伝えられている。

[執筆者:戸田修三]

[ 日本大百科全書(小学館) ]

「計画と方針」

● 既存の法典等をモデルとせず、独自の草案を作

成する。

● 各委員の草案起草と委員会全体による編集作業

の結合。

● 民法全体を包括した法典の作成。商法典は除く。

地方的特殊性の強い鉱山法、漁業法、森林法、

水利法、狩猟法などは、ラント法に留保。

● 指導原理と重要な帰結を規定し、体系化する。

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(2)第一委員会設置(1874年) 1879年~82年

部分草案の策定

1881年~87年

全体委員会での審議

→ 第一草案を理由書とともに公表

(1888年)

それまでの編纂過程は秘密

現行法の体系化

法律学的体系性と厳密性

41 第1草案理由書

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第一委員会

平田公夫著「19世紀後半のドイツ社会と民法典」(上山安敏編『近代ヨーロッパ法社会史』ミネルヴァ書房、1987年、所収)

第一委員会の委員構成

(1)委員は各国の利益代表者

(2)帝国の政治勢力を忠実に反映

/5大国が優先

(3)4大法領域(プロイセン一般ラント法、

普通法、フランス法、ザクセン法)を考慮

(4)実務家、とくに現職裁判官が多数派

(5)各委員の立法経験を考慮

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(3)第一草案批判

様々な分野から約600に及ぶ意見書が ・オットー・フォン・ギールケ 『ドイツ民法典草案とドイツ法』 (1889年)

『私法の社会的課題』(1889年)

・アントン・メンガー

『民法と無産者階級』(1890年)

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Otto von Gierke

(1841-1921)

http://de.wikipedia.org/wiki/Otto_von_Gierke

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クラインハイヤー=シュレーダー編/小林孝輔監訳

『ドイツ法学者事典』(学陽書房、1983年)より

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クラインハイヤー=シュレーダー編/小林孝輔監訳

『ドイツ法学者事典』(学陽書房、1983年)より

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クラインハイヤー=シュレーダー編/小林孝輔監訳

『ドイツ法学者事典』(学陽書房、1983年)より

49

クラインハイヤー=シュレーダー編/小林孝輔監訳

『ドイツ法学者事典』(学陽書房、1983年)より

50

『ドイツ民法典草案 とドイツ法』1 Der Entwurf eines

bürgerlichen Gesetzbuches

und das deutsche Recht , 1889

石部雅亮論文「ドイツ民法典編纂史概説」より引用

51

『ドイツ民法典草案 とドイツ法』2

石部雅亮論文「ドイツ民法典編纂史概説」より引用

52

私法の社会的課題

Die soziale Aufgabe

des Privatrechts,

1889

石部雅亮論文「ドイツ民法典編纂史概説」より引用

53

S.15-16

Die soziale Aufgabe

des Privatrechts, 1889

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(3)第一草案批判

・オットー・フォン・ギールケ 『ドイツ民法典草案とドイツ法』 (1889年)

『私法の社会的課題』(1889年)

・アントン・メンガー

『民法と無産者階級』(1890年)

クラインハイヤー=シュレーダー編/小林孝輔監訳 「ドイツ法学者辞典」(学陽書房 1983年)より

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社会法学

社会法に関する学問あるいは法社会学と同じ意味に理解されることもあるが、それと区別される場合には、アントン・メンガー、グスタフ・ラートブルフ、カール・レンナーなどによって代表されるところの、法学的方法を通して社会理想を実現しようとする法学傾向、ないし法に対する社会本位の立場を確立しようとする法学志向をさす。たとえばメンガーは、法律秩序一般を一個の国民の内部に歴史的に形成される権力諸係の体系とみなし、資本主義社会における私的所有と不労所得取得に対する法学的批判から進んで、労働全収権、生存権、労働権の確立を通して社会主義への移行を展望する、一種の法曹社会主義の理論を主張した。社会法学は伝統的な法解釈学との対比においては、後者の個人主義的・形式主義的傾向に対して反個人主義的・実質的であり、形式論理的方法に対しては目的論的方法を特色とする。 [ 執筆者:大江泰一郎 ]

[ 日本大百科全書(小学館) ]

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『民法と 無産者階級』 石部雅亮論文「ドイツ民法典編纂史概説」より引用

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S.15-16

Die soziale Aufgabe

des Privatrechts, 1889

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(4)第二委員会(参議院)設置(1890年)

帝国議会・経済界の代表も委員に

しかし、高級官僚が中心に

審議結果の逐次公開

1895年10月 第二草案作成

第一草案批判の反映

所有権濫用禁止、労働者保護等

→ 帝国宰相に提出

(5)連邦参議院

1895年~96年審議

→ 第三草案作成

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第二委員会

Gottlieb Planck

平田公夫著「19世紀後半のドイツ社会と民法典」(上山安敏編『近代ヨーロッパ法社会史』ミネルヴァ書房、1987年、所収)

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(6)帝国議会

総会・第12委員会審議:政治的議論に

社団法・婚姻法等の一部修正

→1896年7/1 議会可決(SPDは反対)

(7)連邦参議院

1896年7/14 同意可決

8/18皇帝裁可/8/24官報にて公布

1900年1/1施行に

日本民法典: 1896年財産編

1898年親族・相続編

公布・施行

Reichsgesetzblatt (RGBl.) am 24. August 1896

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4 民法典の特徴 ● 19世紀的社会観

自由主義的

● パンデクテン法学

・抽象的、体系的 Erstes Buch. 第1編 総則 (Allgemeiner Teil)

Zweites Buch. 第2編 債務関係法

(Recht der Schuldverhältnisse)

Drittes Buch. 第3編 物権法 (Sachenrecht)

Viertes Buch. 第4編 親族法 (Familienrecht)

Fünftes Buch. 第5編 相続法 (Erbrecht)

・他条文引用技術:

抽象的な用語の概観を困難に

● 現代的問題への未対応

・私的自治の優位

→ 特別法による対応へ

暴利禁止法(1893年)

割賦販売法(1894年)など

・家父長主義的な家族法(夫に財産管理権等)

・官憲主義的な社団法

● ラント法の留保

Einführungsgesetz zum Bürgerlichen

Gesetzbuche(民法施行令)

連邦制的対応、伝統的ラント法の存続

農場法、鉱山法、水利法、森林法等

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5 影 響

● 世界への伝播

東欧、日本、ロシア、中国、ギリシャ、中南米

等々

● 法実証主義

非歴史化 ローマ法の歴史学化

● 概念法学

思考の硬直化、時代への不適応

自由法運動へ

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【参考文献】 ・シュロッサー/大木訳『近世私法史要論』

(有信堂、1993年) ・ヴィーアッカー/鈴木訳『近世私法史』 (創文社、1981年) ・石部雅亮「外国法の学び方 ―ドイツ法」 (『法学セミナー』1973年10月号 ~1976年10月号) ・赤松秀岳「歴史法学派から法典編纂へ」

・石部雅亮「ドイツ民法典編纂史概説」 ・平田公夫「ドイツ民法典と帝国議会」

(以上、石部雅亮編『ドイツ民法典の編纂と法学』 九州大学出版会、1999年所収) ・平田公夫「ラスカー法の成立と準備委員会の設置(1)(2)」

(『岡山大学法学会雑誌』30-2、1980年、34-4、1985年)

・平田公夫「19世紀後半ドイツの社会と民法典」

(上山安敏編『近代ヨーロッパ法社会史』ミネルヴァ書房、

1987年、所収)