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朝の15分があなたを変える。
こここここころろろのののごごごはははんんん 2014年3月号 詩篇130篇~箴言10章
きょうのメニュー:詩篇130篇 「礼拝で恵まれたいなら」 ---------------------------------------
3月1日(土)詩篇130:5「私は主を待ち望みます」
この詩には「神を待ち望む信仰の詩」という題がつけられています。詩人は「深い淵
から」(1)とあるから、何か試練や問題があったのでしょう。悩みや問題は神に近づく
手立てです。トントン拍子に自分の思い通りになると、人間は倣慢になり、神を求めな
くなります。問題そのことはあってほしくないのですが、それによって神に近づくのも
事実です。「恵みの度合いは、うえ渇きの度合いに比例する」といいます。礼拝で恵まれ
る秘訣は何でしょうか。それは心をからっぽにすることです。こちら側から近づいてい
くのです。良い作物は良い土壌から生まれるといいます。こんな詩があります。「沈黙は
祈りを生み出し、祈りは信仰を生み出し、信仰は愛を生み出し、愛は奉仕を生み出し、
奉仕は平和を生み出す」と。「祈り」も「信仰」も「愛」も「奉仕」も、実は「沈黙」か
ら始まります。ですから、祈らずしてやった奉仕は苦痛になり重荷になります。すべて
は沈黙と祈りにかかっています。もう一度いいます。恵まれたいなら、ハングリーにな
って、主を待ち望むことです。バケツを逆さまにすると雨はたまりません。からっぽの
部分を上にすると雨はたまります。恵みの雨も同じです。
◎イザヤ書37:31を読んで祈ろう。
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きょうのメニュー:詩篇131篇 「サジをなげない」
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3月2日(日)詩篇131:3「主を待て」
ある教会員が「信仰をもっても何もいいことがなかった」と愚痴をこぼしました。そ
れが今見事に変わりました。あれでもクリスチャン?と疑問に思ったことがありました。
つくづく思います。牧会には「忍耐」「待つこと」が必要だということを。簡単にあきら
めないで長いスパンで人を見た方がいいと思います。主イエスも「いつものように」「い
つもの場所に」(ルカ22:39,40)黙想しました。個人生活は社会生活の基礎です。
一日のどこかに静思の時をもちましょう。その注意点として、第一は自分のペースをつ
かむことです。他人のものまねをしないことです。洋服も自分に合ったサイズのものを
着ます。デボーションも人のマネをしないで、自分に合ったやり方でOKです。第二は
継続です。良い習慣を身につけること、それを続けることです。私は『心のごはん』を
30年間続けていますが、霊性の自己管理になっています。人のためにやっていること
が、自分に還元され、はねかえってきます。「継続は力なり」です。井土ヶ谷教会に赴任
したとき、ある方が「この教会を盆栽教会にしないで」といいました。「盆栽」は外見が
ステキですが、根がないので成長しません。主イエスに信仰を根差しましょう。
◎ヘブル人への手紙10:36を読んで祈ろう。
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きょうのメニュー:詩篇132篇 「奇跡の人」
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3月3日(月)詩篇132:14 「ここにわたしは住もう」
主が選ばれたシオン(エルサレム)は、強大な軍備の保有者ではなく、弱小の民でし
た。しかし、主は「ここにわたしは住もう」と宣言されます。主は弱さを用いて栄光を
現されます。このように神の選びは全く恵みです。「恵み」とは「ふさわしくない者に与
えられる一方的な神の恩寵」です。私たちは選ばれるべき資格がないのに、神はあえて
「無に等しいもの」(Iコリント1:28)を選ばれたのです。先日『奇跡の人』をビデ
オでみました。ヘレンケラーの生涯です。しかし、「奇跡の人」とは、遠い人や有名人の
話ではなくて、皆主にあって『奇跡の人』なんだと思います。それを気づくか気づかな
いかの違いです。以前キリスト教テレビ番組(ハーベストタイムとライフライン)に出
演したことがあります。向こうはプロですから、うまく上手に収録・編集します。その
時も感じたことですが、神はすべての人を人生設計されているので、皆「奇跡の人」と
しでテレビ出演できます。聖書は『わたしの目にはあなたは高価で尊い』(イザヤ43:
4)として見ています。そうです。あなたの選びは偶然ではなく、神の深いご計画によ
るものです。きょう神の一方的な選びに感謝しましょう。
◎Ⅱコリント12:9を読んで祈ろう。
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きょうのメニュー:詩篇133篇 「教会の交わり」
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3月4日(火)詩篇133:1「共に住む」
「神の民の麗しい交わり」という題がつけられています。教会の交わりは、第一に、
「麗しい交わり」(1)です。信徒は皆性格や気貿が違います。オーケストラは異なる楽
器でハーモニーを奏でるように、教会も異なる楽器・音色が寄り集まっています。主イ
エスの指揮棒で一致できる聖霊交響楽団といえます。私はKGK(キリスト者学生会)
で、一つ目的のために奉仕する姿を通して変えられました。肢体が違うように、教派・
教団の強調点は皆違います。第二に、教会の交わりは「他に恵みを及ぼす交わり」です。
2節に「アロンのひげに流れて、その衣のえりにまで流れしたたる」とあります。この
世の交わりは儀礼的・表面的な事が多いですが、真の交わりは霊的祝福を他者に分かち
合うものです。神の恵みは個人から家庭や社会へと浸透していきます。神の祝福は個か
ら全体に流れて行きます。第三に、教会の交わりは「永遠の命に至る交わり」です。3
節に「とこしえの命の祝福」とあります。主のいない交わりはサロン化します。教会の
交わりは天国の先取りです。いつも救いが確認され、信仰が深められ、天国の希望が与
えられる交わりです。このように教会の交わりは、この世限りではなく、御国へ続きま
す。
◎黙示録14:13を読んで祈ろう。
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きょうのメニュー:詩篇134篇 「教会成長の秘訣」
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3月5日(水)詩篇134:2「聖所に向かってあなたがたの手を上げ」
どうやったら教会が数量的に増えるのか、ヒントがここにあります。結論をいうと、
方法論ではなく、祈りのモーターが何人いるかです。信仰の5原則は、第1に祈祷、第
2に聖書、第3に伝道(あかし)、第4に礼拝、第5に献身といいます。他国で燃えてい
る情報が入ると、すぐテクニックをものまねしようとします。聖霊や祈りより、その教
会の方法論が大きく見える誘惑があります。聖書は「聖所に向かってあなたがたの手を
上げ」といいます。「手をあげる」行為は祈りの姿勢を意味します。スポルジョンの教会
を見学のために、5人の神学生がロンドンにやってきました。彼らは教会成長の秘訣を
探り出そうと思ったのです。彼らが集会の前に着いたら、一人の老紳士が「皆さん、こ
の教会のモーターを見たくありませんか」と尋ねました。彼らは教会の地下室でたくさ
んの人が祈っている姿を目にしました。「これが私たちの教会のモーターです。これから
始まる集会のために、みんなで熱心に祈っているんですよ」。それを見て彼らは、有名な
スポルジョン牧師がいるから、人がたくさん集まるのではなく、熱心にささげられる祈
りがあるから、教会が祝福されているのだということがわかったのです。
◎マタイによる福音書18:19~20を読んで祈ろう。
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きょうのメニュー:詩篇135篇 「ただ命さえ助かったら」
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3月6日(木)詩篇135:1「ハレルヤ。主の御名をほめたたえよ」
「ハレルヤ」とはヘブル語で「主を賛美せよ」の意味です。以前、新聞にお母さんが
出産したものの、赤ちゃんは保育器に入れられ、チューブと管がまかれ、奇跡的に助か
った記事がありました。医者の「障害が残るかも知れない。命が危ないかも知れない」
という言葉に、「ただ命さえ助けてほしい」と思ったといいます。親が子供に過度の期待
や欲が出てきた時、いつも保育器に入れられたわが子のアルバムを見て、「ただこの子の
命さえ助かったら、あとは何もいらない」と思ったときのことを思い出すそうです。親
はある一定の「行為」を求めがちですが、神は「存在」を求めておられます。自分の短
所を丸ごと認めると楽になります。神はどんなことがあってもあなたを見捨てません。
ただいるだけでいいのです。あなたの存在そのものが証です。あなたは神の目には高価
で尊い存在です。あなたの子はあなたの子でいいのです。ほかの子と比べることは愚か
なことです。子供の悪い所ではなく、いい部分を引き出してあげましょう。子供は無限
の可能性を秘めています。子供は磨けば光るようになります。命が危ないとき、子供の
成績をやかましく言う親はいません。今あるは神の恵みです。(Iコリント15:10)
◎ローマ人への手紙8:28を読んで祈ろう。
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きょうのメニュー:詩篇136篇 「ユーモアの力」
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3月7日(金)詩篇136:1「主に感謝せよ。主はまことにいつくしみ深い。その恵
みはとこしえまで」
最近の新聞に、日野原重明先生が「真のユーモアが持つ力」というテーマで記してい
ます。8月8日は「ワッハッハ」という「笑いの日」だそうです。「笑う門には福来たる」
といいますが、これは気持ちの上だけでなく、医学的にも解明されています。笑いやユ
ーモアは、免疫力がつくとか、NK細胞の働きが増加するとか。といっても、笑う材料
がないといわれるかも知れません。「死への準備教育」を唱えてきた上智大教授のアルフ
ォンス・デーケン神父は、「にもかかわらず笑う」ことの意義は大きい、と述べています。
もちろん、笑いと喜び・感謝は異なります。前者が外見的なのに対して、後者は内面的
で、心の底から沸き上がってくるものでしょう。「作り笑い」はあっても「作り喜び」は
ありません。笑いはその人の価値観、心のゆとり、心の拠り所が外に笑顔となって表れ
るのでしょう。「笑いは心を癒す」といいます。難病患者会で落語家を招いてゲラゲラと
笑ったことがあります。恵みが当たり前になると、感謝を発見できません。大切なもの
を失ってみて、存在の有り難みに気付くのでしょう。健康もそうです。きょう日々の何
気ない一コマ一コマに感謝できる「心の目」を養いましょう。
◎ネヘミヤ記8:10を読んで祈ろう。
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きょうのメニュー:詩篇137篇 「バビロン捕囚民の嘆き」
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3月8日(土)詩篇137:3「シオンの歌を一つ歌え」
この詩篇は「バビロン捕囚民の嘆き」です。イスラエルの民はバビロンの人々から、
神をたたえる賛美歌の一つでも歌え、と皮肉をいわれました。1節に「シオンを思い出
して泣いた」とあります。彼らは、生まれ故郷の「シオン」を思い出して泣きました。
人々は自分の感情を押し殺さなかったのです。今の気持ちを率直に表に出しました。感
情を奥にためておくと、ストレスになって爆発したり、心の病になったりします。案外、
教会というところは、自分の感情を表に出しにくい所です。弱音をはくと、「あんなに取
り乱して信仰がどこへ行ったの」と、冷たい視線でみられます。クリスチャンはこうあ
るべきだと型にはめています。つまり、悲しい時も泣きたい時も歯を食いしばってガン
バッテしまいます。つらいときは泣けばいいのです。思いっきり、イエス様のふところ
で泣けばいいのです。イエス様でさえ、涙を流したことがあります。(ルカ19:41,
ヨハネ11:35)。泣いたイエス様って、信仰がないのでしょうか。「バビロン捕囚民
の嘆き歯医者は「痛かったら、教えてね」といいます。「クリスチャンなら少しくらい痛く
ても我慢して」といいません。自分に正直でOKです。背伸びしないで、あるがままで
生きましょう。
◎ヨハネによる福音書14:1を読んで祈ろう。
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きょうのメニュー:詩篇138篇 「さあへりくだりましょう」
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3月9日(日)詩篇138:6「主は…低い者を顧みてくださいます」
旧約聖書に、重い皮膚病になった人が3人出てきます。第一は「ミリヤム」です。彼
女はモーセのお姉さんでしたが、弟のモーセが大変用いられるので、嫉妬しました。第
二は「ゲハジ」です。彼はエリシャのお弟子さんでしたが、欲望にやられました。第三
は「ウジヤ王」です。この王様は神に大変用いられて高慢になってしまいました。この
「嫉妬」「欲望」「高慢」がくせものです。先日も多額の金を手に入れた牧師の落とし穴
を聞きました。講壇の説教とやっていることが違うのです。お金を握らせたら、その人
がわかるといいますが、金は必要ですが、ときには身を滅ぼします。金にまつわるスキ
ャンダルの話が多いです。何かである前に、罪深い人間に過ぎません。何でも苦労しな
いで簡単に手にすると堕落しますね。社会的な地位がその人を駄目にすることがありま
す。身分が低い時は上司の命令に従うことは簡単ですが、偉くなると部下の忠告に耳を
傾けることができにくいものです。人を使うことはできても人に使われることができな
いのです。トントン拍子にうまくいっている時、恵みの絶頂ほど一番危ない時です。神
に用いられている時や人からほめられた時はへりくだるようにしましょう。
◎ルカによる福音書17:10を読んで祈ろう。
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きょうのメニュー:詩篇139篇 「病気に打ち勝つ秘訣」
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3月10日(月)詩篇139:16「あなたの書物にすべてが、書きしるされました」
この詩篇は「全知の神への深い感謝」です。1~6節は「神の全知」、7~12節は「神
の遍在」、13~16節は「創造の神秘」、17~24節は「正しい生活を願う祈り」と
いう題がつけられています。私は平成元年に難病を宣告されました。この病気は5年~
10年のいのちですが、私の場合25年間生かされてきました。どんなに教会で恵まれ
ても、現実の生活が待っています。お盆やお正月は病気に休みはありません。毎日がリ
ハビリです。歩行をやめたら、歩けなくなります。「病気に打ち勝つ秘訣は何か」と聞か
れます。もちろん、家族の助けも有益でしょう。どんなに親しい仲でも限界があります。
最終的には聖書のことばです。人の言葉がどうでも良いというのではありません。でも、
神のことばはカギです。イザという時に、神が背中を押してくれます。触れたものに染
まります。神のことばがあるか、ないかです。教会を出て、家に帰ってから、本当の戦
いがはじまります。そこでは号令をかける人はいません。司会者も祈祷当番もいません。
神の前には単独者です。来年度の標語は「下に根を張り、上に実を結ぶ」(イザヤ37:
31)です。各人が信仰の自立・独り立ちを目指しましょう。
◎ヨハネによる福音書15:5を読んで祈ろう。
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きょうのメニュー:詩篇140篇 「神への祈り」
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3月11日(火)詩篇140:6「私は主に申し上げます」
日本国際飢蛾対策機構の小冊子に、「国際協力の第一歩は知ることから」とありました。
ボランティアでは相手の国の必要性を知ります。スポーツも対戦相手の弱点を知ろうと
します。プロの登山家は「登山にとって大切なことは、自分自身を知ることだ」といい
ました。自分の現界を知ることは大切です。「まさかあの人が」と良く聞きます。自分を
過信してしまうと命取りになります。「一病息災」で気長にうまく自分と付き合うといい
です。『生きるのが楽しくなる15の習慣』(日野原重明)を読みました。著者は今も現
役の医師です。「健康で長生きの秘訣は何ですか」と、最も良く受ける質問だそうです。
先生は幼い頃、腎臓病を患い、また大学生のとき、結核になり、1年間休業したそうで
す。過去にそんな病気があったから、自然と「良い習慣」を身につけたのでしょう。「生
活習慣病」の生みの親だそうです。(それまでは「成人病」と呼ばれ、平成8年に名前を
変更になったとか)。まだ生かされているのは偶然ではありません。神の尊い使命がある
証拠です。使命感がある間は生かされています。自分の今の状態をよく知って、無理を
せず、あせらず、あわてず、一歩一歩いきましょう。
◎マルコによる福音書9:29を読んで祈ろう。
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きょうのメニュー:詩篇141篇 「ことばの力」
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3月12日(水)詩篇141:3「主よ。私の口に見張りを置き、私のくちびるの戸を
守ってください」
詩人は3節で「私のくちびるの戸を守ってください」と言います。これは舌(言葉)
の重大さを知っている人の祈りでしょう。「口はわざわいのもと」と言います。船は小さ
いかじによって思いどおりに動くように、舌はからだの中でごく小さな器官ですが、私
たちの人生を破滅に陥れます。言葉の暴力という表現があるように、私たちだけではな
く、他人をも傷つけ殺すことにもつながります。しかし、舌そのものが悪いのではあり
ません。それを使うところの人間が問題なのです。聖書に「心に満ちていることを口が
話す」とあります。最大の原因は心の内側にあります。これは人間の努力や修業では良
くなりません。神に質的変化を祈ることです。「わたしの内側を変えて下さい」と祈りま
しょう。私は「今の若い者は」とさばかないようにしています。必ず、その後に否定的
な批判的な言葉が続きます。エジプトのナイル河口付近で、古い遺跡が発掘されました。
そこに「近頃の若者は、ちっとも年寄りのいうことを聞かない」とあったそうです。い
つの時代でも、同じ事が語り継がれています。触れたものに染まります。マイナスの言
葉を浴びせるとマイナス的になり、プラスの言葉をかけるとそうなります。
◎マルコによる福音書7:21~23を読んで祈ろう。
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きょうのメニュー:詩篇142篇 「今の時」
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3月13日(木)詩篇142:1「声をあげて叫びます」
表題に「彼が洞窟にいたときに」とあるように、この詩はダビデがほら穴にいた時に
よんだ歌です。ダビデは、この時、流浪の旅を重ね、友もなく洞窟で雨露をしのぎまし
た。この詩は「孤独な人の祈り」というテーマです。「なぜ」「どうして」と理不尽を覚
えたと思います。2節に「御前」「御前」と2度強調されていますが、ダビデは心にある
悩みを神の前に素直に言い表したのです。そして、一時的な気分で決断しないで、神の
時に歩調を合わせました。主イエスは今の「時」がどんな時であるかを自覚しておられ
ました。たとえば、あのカナの婚礼において、「わたしの時はまだ来ていません」(ヨハ
ネ2:4)と言われました。また、ガリラヤ宣教に従事しておられた主イエスに対して、
兄弟たちがユダヤに行ってもっと効果的に伝道した方がいいと促したときも、「わたしの
時はまだ来ていません」と、その提案を退けられました(ヨハネ7:6)。主イエスは今
の「時」がどんな時であるかを自覚しておられました。人生の大事な選択において間違
いのないようにしましょう。野球の選手がいちいち監督のサインを見て行動するように、
一時的な感情で決断しないで、神のみこころに耳を傾けて歩みましょう。
◎ローマ人への手紙13:11を読んで祈ろう。
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きょうのメニュー:詩篇143篇 「律法に束縛されない」
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3月14日(金)詩篇143:8「朝にあなたの恵みを聞かせてください」
この詩は「神の助けを要請する嘆願の祈り」です。クリスチャン新聞のある女性記者
が「クリスチャンぽくないよね」と多くの方から言われショックを受けたそうです。「え
っ、なんでだろう?」。じゃ逆に、クリスチャンぽいって何だろうと考えたといいます。
「アーサー&バーバルトークショーの取材に行った。アーサー氏の話しぶりを見てびっ
くりした。外見だけで誰がこの人を牧師と判断できるだろう?バーバルも『クリスチャ
ンという形にこだわるな』とメッセージしていた。そうか。形にこだわらなくて、いい
んだ。急に気が楽になった。私は私なりのクリスチャンで通そう。それが私の個性」と、
彼女は証しています。信仰は歯をくいしばって努力してするものと勘違いしている人が
います。特に、日本人は「努力」という字が大好きです。型にはめて、窮屈にしている
から苦しいのです。信仰はがんばる世界ではなく、恵みの世界です。12節にも「あな
たの恵みによって」とあります。でも、これは怠惰でいいという意味ではありません。
もはや律法の世界から解放されたのです。もっと自由に、のびのびと生き生きと自分ら
しく恵みの世界を楽しみましょう。(ガラテヤ書3:2)
◎ローマ人への手紙6:14を読んで祈ろう。
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きょうのメニュー:詩篇144篇 「旅支度の備え」
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3月15日(土)詩篇144:4「人はただ息に似て、その日々は過ぎ去る影のようで
す」
以前、三浦光世氏から『愛つむいで』という本が贈呈されました。その中に「何百億、
何千億のお金を積んだとて、死んだ人は帰らない。つまり私たちは、お金では買えぬ尊
い命を与えられて日々生きている。しかし漫然として、何もなすこともなく、我がまま
勝手に生きているとしたら、その何千億をもってしても買うことのできない尊い命を、
毎日無駄に捨てていることになる」とありました。毎日のように悲しいニュースが報道
されています。まだ命が使えるのに、自殺という形で自分の命を奪っています。死ぬま
で生きたらいいです。健康な時は命を惰性に、時を粗末にしがちです。もしあなたが、
医者から「あと1ケ月」「今夜が峠」と宣告されたら、きっと「今」を大事にするはずで
す。中世の修道士トマス・ア・ケンピスの言葉に、『一日が何をもたらすか、いったい誰
にわかりましょう。ですから神さま、一日一日をこの世における最後の日であるかのよ
うに生きることできますように』とあります。死は、すべての人に、例外なくやってき
ます。それも突然・予告なくやってきます。確率100%である「死」に対して、いか
に旅支度をしているでしょうか。残りの命を生かすも殺すもあなた次第です。
◎マタイによる福音書24:13を読んで祈ろう。
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きょうのメニュー:詩篇145篇 「内なる人」
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3月16日(日)詩篇145:5「あなたの奇しいわざに思いを潜めます」
自殺者が約3万人を突破していると報告されています。男女別では圧倒的に男性が多
く、年齢別では多い順に、60代、50代、40代となります。原因・動機別では「健
康問題」が最多で、次に「経済・生活問題」が続きます。機械も何十年も使っていれば
当然どこか部品の交換や修理が必要です。国は平成18年に自殺対策基本法を制定し、国、
地方公共団体や事業主、国民のそれぞれの責務を制定、政府は自殺対策の大綱を定め自
殺対策を推進しています。からだと心は一体です。切り離すことはできません。「外なる
人」は日々衰えていきます。年齢と共に順調に進化します。しかし「内なる人」は日々
新たにされます(Ⅱコリント4:15)。八木重吉の詩集に『死ぬる瞬間まで生きるとい
う努力を捨てない』とあります。何もしなくていいです。いるだけでいいです。ただ生
きているなんて、と思うかも知れませんが、「普通」がいいです。普通でないことが起こ
ると感謝がわいてきます。あなたの存在が素敵です。「自分のような枯れ木」が教会に行
っても、と思うでしょう。「枯れ木」ほど良く燃えます。存在そのものが証しです。牧師
にとって、あなたが教会にいるだけで嬉しいです。
◎イザヤ書46:4を読んで祈ろう。
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きょうのメニュー:詩篇146篇 「伝道の秘訣」
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3月17日(月)詩篇146:5「幸いなことよ。ヤコブの神を助けとし、その神、主
に望みを置く者は」
詩篇146~150篇は「ハレルヤ詩篇」と呼ばれ、各篇の始めと終わりに「ハレル
ヤ」(主をほめたたえよ)があります。この5つの詩篇はイスラエルの民がバビロン捕囚
から帰った時の作です。この詩人は、生きて働いておられる神に望みをおく者の幸いを
歌っています。「宗教年鑑」によると、日本で多い順から創価学会、立正校正会、霊友会、
生長の家、天理教、PL教団、基督教がきます。いろんな新興宗教がある中で、真の神
に信頼して歩みましょう。榎本保郎先生は「伝道の成功の秘訣は何ですか」と人から尋
ねられると、それは「人に頼らないことです」といつも答えるそうです。その人とは、
他人でもあるし、自分でもあることを覚えたいのです。もちろん、神は人を用いて働か
れます。その意味では、人材がどうでも良いというのではありません。人の忠告も参考
になります。しかし、神以上に、聖霊以上に、人をあてにすると落とし穴にはまります。
聖書は「鼻で息をする人間をたよりにするな」といいます。人に依存している間は、本
気で神に頼ることはできません。伝道だけではなく、日常生活のすべての問題を自分で
解決をしないで、「望みの神」に解決していただきましょう。
◎ローマ人への手紙1:16を読んで祈ろう。
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きょうのメニュー:詩篇147篇 「朝の来ない夜はない」
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3月18日(火)詩篇147:3「主は心の打ち砕かれた者をいやし、彼らの傷を包む」
これはバビロン捕囚から帰ってきた人々が、神殿の再建にとりかかった頃のものでし
ょう。彼らのバビロンでの捕囚生活は大変苦しい毎日であり、むち打たれながらの苦役
に彼らの心は打ち砕かれました。しかし、神は彼らの心をいやし、その傷をいやされた
のです。神の前にはいつも試練と同時に「脱出の道」が備えられているのです。「夕映え
の季節を生きる」という本を読みました。その中に「朝の来ない夜はない」とありまし
た。作家の吉川英治さんもこの言葉で励まされたといいます。夜は暗いもの、苦しいも
のです。しかし、夕映えの後には、夜がきます。夜には星が輝きます。ついでに夜を観
察すると再発見できます。昼間は見ることのできない星がそこにはあります。夕映えで
一日は終わりません。輝く星の夜が待っています。そして、夜の後には、神は必ず希望
の朝を備えていて下さいます。そういえば、主イエスが弟子たちに現れたのは、「夜が明
けたころ」(ヨハネ21:4)でした。弟子たちは、何の獲物もとれない「夜」を過ごし
ていました。今あなたは失望の夜、絶望の夜、スランプの夜を過しているでしょうか。
夜は夜で決して終わりません。主は「夜」を「朝」に変えて下さいます。
◎Iコリント10:13を読んで祈ろう。
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きょうのメニュー:詩篇148篇 「すべて神の栄光のため」
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3月19日(水)詩篇148:13「彼らに主の名をほめたたえさせよ」
この詩篇には「主をほめたたえよ」という表現が12回使われ、「主をほめたたえよ」
で始まり、「主をほめたたえよ」で終わります。徹頭徹尾、主のみ名が崇められることを
歌ったのがこの詩篇といえます。「あなたはあと何年間生きたいですか」。これは管理職
研修セミナーで、講師の語られた質問です。人生に目標があると、だらだらと過ごさな
い秘訣です。生の延長戦上に死があるのでなくて、終末から今を考えるといいです。年
をとって、順番に死ぬのではありません。若い人の葬式をしたこともあります。私たち
の教会では月に一度証を取り入れています。それも5分以内で。奉仕という名のもとに、
己の力を誇示し、人によく見せようと誘惑があります。意外と「自分では失敗した」と
ガッカリした証が人の心を捉えることがあります。ある方が、失敗すると「あの人も人
間なんだ」と親近感があり、親しみやすいといいました。「大成功に終わった」と思うの
は自己満足のときが多いです。人間的な成功は必ずしも神の栄光に結びつかないことが
あります。神は人の弱さや失敗や挫折を用いて神の栄光を現すことがあります。ありの
ままで、自然体で、そのままの飾らない姿でいいのです。
◎ローマ人への手紙14:7~8を読んで祈ろう。
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きょうのメニュー:詩篇149篇 「感謝の多様性」
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3月20日(木)詩篇149:3「御名を賛美せよ」
女預言者ミリアムは、紅海脱出に感謝して、タンバリンを手に取り踊りました。また、
ダビデは長い間ペリシテに奪われていた契約の箱をエルサレムに奪い返した時、跳ねた
り踊ったりしたといいます。私たちも神の恵みに満たされる時、私たちは喜びに踊るの
です。人生を楽しく喜びましょう。自分が喜んでいなくて、人に神を紹介できません。
ところが、私たちは「礼拝はこうあるべきだ」「お祈りはこうすべきだ」などと、信仰を
型にはめて窮屈にしていることがあります。もちろん、形がどうでもいいといっている
のはありません。でも、信仰の中身(命)がもっと大事のような気がします。宗教に命
がなくなったら、形骸化・形式的になります。手をあげたり、喜びを表現すると、あい
つは過激だとか批判されます。「あれでもクリスチャン?」と変な目で見られます。数年
前の修養会で日本舞踊を通して神を賛美していました。ある方は、ゴスペルフラーを踊
って救いの喜びを表現します。ある人はミュージックで、ある人は絵画で、ある人は書
道で表す人もいます。人それぞれです。神の栄光の表現の仕方は多様性に富むべきです。
そして、共通のゴールは3節にあるように、「御名を賛美せよ」です。
◎ルカによる福音書17:16を読んで祈ろう。
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きょうのメニュー:詩篇150篇 「相手に寄り添う」
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3月21日(金)詩篇150:2「神をほめたたえよ」
私たちは友人の悩みや出来事の理由や原因を詮索したり、解釈したりする傾向があり
ます。友人であるという理由を大義名分にして、平気で人の心に土足で踏み込んで、人
を傷付けていることがあります。27年前日航ジャンボ機が墜落し、500人以上の犠
牲者がでました。最愛の夫を亡くした奥様を柏木哲夫医師が受診しました。その方は言
葉に傷付きました。「~さん、ご主人が亡くなったのは、神のみこころだったのよ」「き
っと教会を離れた息子さんが教会に戻ってくるためよ。きっとそれに違いないわ」。本人
がそう納得するならいいのですが、第三者が説教するならカチンと来るでしょう。『ここ
ろにやさしく』(堀肇著)という本に、「むしろ、何の解釈もしないで黙って耳を傾け、
その心の悩みに共感してあげるほうがどれほど大きな助けになることか。その意味で『解
釈しない』というのは一つの優しさだと思うようになりました。苦難の解釈や意味づけ
などは、本人が神との交わりの中で徐々に教えられていくものですから、私たちはそこ
に入り込まず、温かいまなざしを向けながら接していくことができたら」とあります。
神の座に立って、あれこれと解釈しないで、心の痛みに寄り添う者となりましょう。
◎ヨハネによる福音書13:7を読んで祈ろう。
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きょうのメニュー:箴言1章 「主を恐れる生活」
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3月22日(土)箴言1:7「主を恐れることは知識の初めである」
「主を恐れることは知識の初め」とは、本書の主題です。「主を恐れる」とは、神を敬
うという意味です。反対に、「愚か者」とは頭が悪いということではなく、神を恐れない
不敬虔な者という意味です。先日テレビで「夜回り先生」で有名な定時制高校の教諭の
働きをみました。何度も家庭では「愛」が必要だと話していました。「愛は言葉ではあり
ません。親が子供をギュッと抱きしめてあげて下さい」と話していたのは印象的でした。
そうです。多く語る必要はありません。主はあなたのために十字架にかかり、尊い命を
捨ててギュッと抱きしめて下さいました。聖書は永遠のベストセラーです。毎年5億冊
以上出版されています。なぜそれほどまでに読まれているのでしょうか。現代は物が豊
かで便利になりました。その反面、心が貧しいです。心の空洞を埋めてほしいと願って
いる人が多いからではないでしょうか。愛の反対語は憎しみではありません。愛の反対
語は「無関心」です。教会が大きくなると、(感謝なことですが)だれかがやってくれる
という無関心な人が増えます。教会の未来はあなたにかかっています。牧師や人に依存
しないで、自主的、主体的な奉仕に励みましょう。
◎マタイによる福音書6:33を読んで祈ろう。
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きょうのメニュー:箴言2章 「こころのお掃除」
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3月23日(日)箴言2:6「主が知恵を与え、御口を通して知識と英知を与えられる
からだ」
私たちの人間関係が修復不可能という場合があります。嫁と姑の間、夫と妻の間、職
場の上司と部下との間でもそうです。ねじれた心は、二つの物差しを持つ心です。この
物差しは自分には甘く、他人には厳しいです。自分で花びんを壊したら、「あっ、壊しち
ゃった」で済みます。しかし、敵対関係にある嫁が壊そうものなら、「不注意だ! 心が
入っていない! どうしてくれるんだ!」と相手をさばいたり、非難したり、小言を言
ったりします。このように、ねじれた心から、ねじれた言葉、ねじれた行為が出て、人
間関係をくさらせ、じめじめさせます。自分を知れば知るほど、人を審けなくなります。
自分の欠点や短所が見えてくるからです。この世の最大の難問題は対人関係だそうです。
遠い人を責めません。身近な存在ほど責めます。神こそ、ねじれた人間関係を修復する
方です。対人関係は対神関係です。みことば貯金ほど大切なものはありません。試練の
とき、すぐに心の友・祈りの友に相談しないで、まず神に祈ることをお勧め致します。
そんな経験をいっぱい持つことが心の財産です。自分で解決しようとせず、神の決着に
ゆだねましょう。人間の無条件降伏が神の最も働かれる時です。
◎マタイによる福音書7:3~4を読んで祈ろう。
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きょうのメニュー:箴言3章 「あるがまま」
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3月24日(月)箴言3:6「あなたの行く所どこのおいても、主を認めよ」
『神に失望したとき』(フィリップ・ヤンシー)の再版が、品切れになるほどブームと
なったといいます。ハードカバーで結構なお値段、内容も決して易しくないと思われる
この本の魅力は一体にどこにあるのでしょうか。ある方は、「今の時代のクリスチャン、
キリスト教は、二つの両極に走っているように思う。一方は、力パワー・しるし、もう
一方は、痛み・弱さ・試練。前者は現状を克服し、変えようとする動き、後者は現状(痛
み、弱さ、神の沈黙)を受け止めよう、受け入れようとする動きである」といいます。
パウロも「喜んで自分の弱さを誇ろう」と、弱さを受け入れ、弱さと共に生きた人です。
普通は強さを自慢し、誇る者ですが。彼は一つの病気をかかえていましたが、良くなっ
てから手紙を書いたのではありません。新約聖書27巻中、13の手紙は彼の手紙だと
いいます。何と約50%占めています。彼は、ありのままで、そのままで主に仕えたの
です。教会というところは、「ねばならない」「こうあるべきだ」と型にはめてしまうと
ころがあります。もはや人と比べる必要はありません。工藤は工藤でいいのです。自分
らしく、普段着の自分で、自然体で生きましょう。
◎ガラテヤ書5:1を読んで祈ろう。
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きょうのメニュー:箴言4章 「心の油断とスキ」
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3月25日(火)箴言4:13「訓戒を堅く握って、手放すな」
サムエル記下11章2節には、油断して失敗したダビデの記事があります。ダビデは
家来たちを戦場にやり、自分は宮殿に残っていました。たぶん彼は敵を甘く見たのでし
ょう。そして、2節に「ある日の夕暮れ、ダビデは床から起き出て、王の家の屋上を歩
いていたが、屋上からひとりの女がからだを洗っているのを見た」とあります。誘惑は
目からきます。ダビデは宮殿を建て、何不自由のない生活、つまり順調な生活をしてい
た時のことでした。すべてがトントン拍子にいっている時、人間は油断やスキを見せる
ものです。ここに「成功と共にある落し穴」があります。私は教会の階段から落ちたと
きも、てっぺんからでなく、もうすぐの所で失敗しました。それが不思議と低い位置な
のです。高い所は無意識のうちに注意するものです。油断とスキが身を滅ぼすことにな
ります。あの木登りの名人が低い所で「気をつけろよ」と言ったのは理解できます。で
は、悪魔に勝利する方法は何でしょうか。神の恵みは貯金しておくことはできません。
神の恵みは冷凍保存が効きません。そうです。まず自分自身を知ることです。自分が金
銭に弱い、異性に弱く堕落しやすい者であることを素直に認め、へりくだりましょう。
◎エペソ人への手紙6:13を読んで祈ろう。
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きょうのメニュー:箴言5章 「あすをゆだねよ」
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3月26日(水)箴言5:21「主はその道筋のすべてに心を配っておられる」
昔、イスラエルが敵に囲まれたとき、エリシャは召使の目が開かれるように祈りまし
た。「敵を倒してください」と祈りませんでした。最大の敵は相手ではなく、自分自身で
す。自分の霊の眼が開かれるかどうかでした。(列王下6:16参照)。あなたは信仰が
ぐらついたり、揺さぶられたりした経験はないでしょうか。マルチン・ルターが、ある
ことでとても落ち込み、自分の部屋で椅子に座ってうなだれていました。「あなた、どう
したんですか?」「……」。妻から聞かれても、下を向いて答えることができません。妻
は部屋を出て、真っ黒な喪服を着てルターの前に出ました。「おまえ、どうしたんだ。だ
れか亡くなったのか?」「はい、神さまがお亡くなりになりました。だから、これからお
葬式に参ります」「バカなことをいうんじゃないよ。神さまが亡くなるわけがないじゃな
いか」「だったら、なぜあなたは落ちこんでいるんですか?」。この言葉を聞いたルター
は、はっとしました。「そうだ。神は生きているんだ」。あすのことをクヨクヨ心配して
も病気が治るわけではありません。心配するのは主、ゆだねるのは私たちのすることで
す。神は最善以下をなさいません。きょう心の目を生ける神に向けましょう。
◎ルカによる福音書11:13を読んで祈ろう。
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きょうのメニュー:箴言6章 「蟻に学ぶ」
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3月27日(木)箴言6:6「蟻のところへ行き、そのやり方を見て、知恵を得よ」
アリから学ぶことが多いです。8節に「夏のうちに食物を確保し、刈り入れ時に食料
を集める」とあります。第一に、「時」の認識です。今がどういう時代であるか自覚して
います。蟻は「夏」という時にすべきことを知っていました。クリスチャンもこの時代
に派遣されています。教会には変えていいものと変えてはならないものがあります。福
音の内容は変えてはなりません。しかし、福音の方法(手段)は、その時代のニーズに
合わせて変わっていいのです。人が教会に何を期待し、何を求めているかを冷めた目で
見ていくのです。そうしないと、教会が地域に仕えるどころか、教会が独善的に、独り
善がりになり、地域から浮き上がってしまいます。第二に、「終末への備え」です。蟻は
「夏のうちに食物をそなえ」とあるように、冬に向かって備えたのです。ある神学校で
「あす再臨があるとしたら、あなたはどうするか」という試験問題があったそうです。
神学生はいろいろと答案用紙に書いたのですが、「明日も同じ事をする」というのが解答
だといいます。これは普段から「永遠への備え」ができている証拠です。私たちは「死」
と向かい合って暮らしています。だから、神に会う備えをしましょう。
◎ローマ人への手紙13:11を読んで祈ろう。
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きょうのメニュー:箴言7章 「病気に打ち勝つ秘訣」
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3月28日(金)箴言7:1「わが子よ。私のことばを守り、私の命令をあなたのうち
にたくわえよ」
「病気に打ち勝つ秘訣」は何でしょうか。結論からいうと、「私のことばを守り、私の
命令をあなたのうちにたくわえよ」(1)とあるように、みことばです。もちろん、すぐ
そばにいる人たちの手厚い看護も有益でしょう。彼らの労苦も無視できません。でもそ
れ以上に、背中を押してくれるのは、聖書の言葉です。私が25年前、医者から病名を
宣告されたとき、「この人が罪を犯したのでもなく、両親でもありません。神のわざがこ
の人に現われるためです」(ヨハネ9:3)というみことばで慰められ励まされました。
最終的には、みことばが心の中にあるかどうかです。聖書の言葉をたくわえる、といい
ましても偏食してはなりません。普段の食事もバランスのいいメニューが必要です。ま
んべんなく栄養を摂るようにしましょう。私の故郷の近くに太宰治(1909-1948)の生家
「斜陽館」があります。昨年もそこを見学しました。彼は聖書を読んだのですが、最後
は自殺しました。ある方がいうには、彼は旧約聖書を読んだが、新約聖書を読まなかっ
たといいます。聖書は「私の命令をあなたのうちにたくわえよ」といいます。さあ、今
からでも遅くありません。静まってみことばを心の中にたくわえましょう。
◎ヘブル人への手紙4:16を読んで祈ろう。
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きょうのメニュー:箴言8章 「すべては主の御手の中」
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3月29日(土)箴言8:14「摂理とすぐれた知性とはわたしのもの」
A兄は 2/12 に「くも膜下出血」で緊急入院し、2/14 に83歳で召天されました。私
たちは少しでもいのちが長いように祈りました。でも結果的には、あっという間の出来
事でした。すべては「摂理」のうちにあるので、絶対主権の神のなさることに文句はい
えませんが、残された者にとって少し寂しいでしょう。でも再会の希望があることは遺
族にとって慰めです。このように人間の都合に左右されないで、神のみ旨のみが成就し
ます。すべては主の御手の中です。自分の思いどおりにならないと、「なぜ?」「どうし
て?」と思います。聖書に「今は知らず、のちに悟るべし」(ヨハネ13:7)とありま
すが、神のなさることは理解できません。人間には納得できないことが多くあります。
赤ちゃんはお母さんの胎から生まれ、まず酸素(空気)を吸います。ずっと後で、この
地上に酸素が存在することを知識で理解します。中学生にもなると、「オ―2」という記
号まで習います。今の時点では納得できなくても、あとで見えてくることもあります。
「どうぞ、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの願うことではな
く、あなたのみこころのままを、なさってください」(マルコ14:36)と祈りましょ
う。
◎箴言20:24を読んで祈ろう。
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きょうのメニュー:箴言9章 「教会は心のクリニック」
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3月30日(日)箴言9:4「わきまえのない者はだれでも、ここに来なさい」
以前「富弘美術館」でこんな詩に出会いました。「たち止っていいんだよ。ふり返って
いいんだよ。そこに美しいものを見たのなら、すわりこんでずうっと見ていていいんだ
よ」と。人生でしばしば「立ち止まり」を経験します。その危機がもう一度自分を見直
す絶好の機会でもあります。教会は心の病院です。「落ちこぼれ」でも気軽に来られる、
開かれた教会っていいですね。人間の作った枠から落ちこぼれても、神の作った枠から
落ちこぼれないようにしたいです。もし教会の目的が何かの事業を成し遂げ、効率を上
げることであるなら、教会の求める人材は学歴があり、財産があり、才能があり、地位
も名誉もある人でしょう。しかし、教会は本質的には利益を追求する存在ではありませ
ん。むしろ、弱さを大切にする場所です。私たちは物事をマイナス思考で見ることがあ
ります。「どうしよう」「またやっちゃった」「そんなことでどうする」など。そんな否定
的な言葉を克服する言葉があります。それが「大丈夫」という言葉です。焦った時、忙
しい時、不安な時、ドジをした時、「大丈夫」という前向きな言葉を何度も言い聞かせる
といいです。なぜなら、神はいつも「大丈夫」と励ましていて下さいますから。
◎マタイによる福音書11:28を読んで祈ろう。
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きょうのメニュー:箴言10章 「主は見捨てない」
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3月31日(月)箴言10:3「主は正しい者を飢えさせない」
表題に「ソロモンの箴言」とあるから、これはソロモン王の詩です。彼は王さまです
から、何不自由のない生活を送っていました。「正しい者」とは、倫理・道徳のことでは
なく、神を認める人の意味です。クリスチャンは貧しいことがあっても乏しいことはあ
りません。幸せの基準は何でしょうか。健康や財産や地位が幸福にしません。五体満足
で立派な家に住んでも、不平不満が絶えない人がいます。物質の豊かさで幸福度は決ま
りません。もちろん、金銭がないよりある方が便利の場合もあります。幸せは何かを握
るのではなく、気づくものです。学歴のない方は、学歴さえあればと思います。ある方
は健康さえあればと願います。地位のない方は、社会的な地位さえあればと思います。
私は今まで34年間、3つの教会で奉仕しました。相模原教会に3年、横浜教会に6年、
井土ケ谷教会に25年です。どれも自分にとって必要なものばかりです。教会は、牧師
が育てる面もありますが、信徒が牧師を育てる面もあります。教会に育ててもらいまし
た。「主は正しい者を飢えさせない」(3)とありますが、主に従って間違いはありませ
ん。Ⅱコリント4:8。主は最善以下のことをなさいません。
◎ローマ人への手紙8:28を読んで祈ろう。
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