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島津家 年表 幕末年表より 島津と薩摩の名前が出ている項目を抜粋しました。 島津斉彬銅像鹿児島市 照国神社20 00年 5月5日撮影 島津斉彬 肖像画 文化三年 1806 島津忠剛 薩摩藩主島津斉宣の七男として生まれる 文化六年 1809 9月28日 島津斉彬 江戸に生まれる 島津久光 銅像 鹿児島市 照国神社島津久 肖像画

島津家 年表 - Shuji KITAZAWA Institute for mountainous ...³¶津家 年表 幕末年表より 島津と薩摩の名前が出ている項目を抜粋しました。 島津斉彬銅像鹿児島市

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島津家 年表 幕末年表より 島津と薩摩の名前が出ている項目を抜粋しました。

島津斉彬銅像鹿児島市 照国神社2000年 5月5日撮影 島津斉彬 肖像画 文化三年 1806 ? 島津忠剛 薩摩藩主島津斉宣の七男として生まれる 文化六年 1809 9月28日 島津斉彬 江戸に生まれる 島津久光 銅像 鹿児島市 照国神社島津久

光 肖像画

文化十四年 1817 10月24日 島津久光 生まれる 文政七年 1824 10月15日 島津邦丸 江戸城で将軍徳川家斉に拝謁、斉彬と改名 文政八年 1825 ? 島津忠剛 今和泉島津家の養子となる 文政九年 1826 3月 4日 長崎出島商館長一行 江戸に入り島津重豪と斉彬に面会 文政十一年 1828 ? 調所広郷 薩摩藩財政改革主任に抜擢される 天保三年 1832 ? 調所広郷 家格を引き上げられ薩摩藩家老格に昇進 天保四年 1833 ? 島津重豪 没 天保六年 1835 11月15日 島津斉彬 江戸を出発、鹿児島に向う 12月19日 天璋院篤姫 指宿今和泉島津家に生まれる 天保九年 1838 ? 調所広郷 薩摩藩家老になる 天保十年 1839 ? 島津忠剛 今和泉島津家の家督を相続 天保十一年 1840 4月21日 島津忠義 生まれる 天保十二年 1841 ? 島津斉宣 没 弘化三年 1846 ? 松平慶永 阿部正弘と島津斉彬を対面させる 6月 8日 島津斉彬 江戸より鹿児島に向う 7月25日 島津斉彬 二度目の鹿児島入り ? 薩摩藩 青銅砲の生産を開始し海岸に要衡に砲台を築く 弘化四年 18473月15日島津斉彬江戸に向う5月10日 島津斉彬 江戸到着 嘉永元年 18485月 島津斉彬の次男 寛之助死亡 12月18日 薩摩藩家老 調所笑左衛門広郷 服毒自決 嘉永二年 1849 6月 島津斉彬の四男 篤之助死亡 12月 6日 島津斉興 斉彬擁立派の弾圧を開始 嘉永四年 1851 1月30日 島津斉興 幕府に隠居願い提出 2月 2日 島津斉彬(43歳)薩摩新藩主となる 5月 9日 島津斉彬 藩主として鹿児島に初入部 嘉永五年 1852 2月29日 島津斉彬 伊達宗城に将軍正室として送込む姫が側室になる 可能性が有るので幕府に実子として届出たと手紙を書く 嘉永六年 1853 1月11日 島津斉彬 近衛忠熈に手紙を書く

3月10日 今和泉島津家の娘一子 島津斉彬の養子となり名を篤姫と改める 5月28日 篤姫 歌道入門誓詞を書く 6月 篤姫 鶴丸城に入る 7月 島津藩 篤姫の出府首途式を行う 7月10日 島津斉彬 近衛忠熈と江戸家老、末川久平に予定通り篤姫参府と手紙を書く 8月21日 篤姫 鹿児島を出発し江戸に向う 10月 2日 篤姫 京近衛家に参殿 10月 6日 篤姫 伏見から草津本陣に入る 10月29日 篤姫 江戸の三田薩摩藩邸に入る 安政元年 1854 1月21日 島津斉彬 西郷吉之助と参勤のため江戸に向かう 2月 島津忠剛(49歳) 病没 3月 6日 島津斉彬 江戸到着 3月 島津斉彬 西郷吉之助を庭方役に任命する 5月29日 島津斉彬 久光に幕府より正式な婚礼の沙汰なしはペリー再来や 御所炎上が原因と今泉島津家に伝えるよう手紙を書く 安政二年 1855 ? 肝付尚五郎 薩摩藩奥小姓御近習番になる 5月14日 薩摩藩建造蒸気船「昇平丸」幕府献上のため品川沖香回航 9月 肝付尚五郎 薩摩小松家の養子になる 10月 篤姫 江戸三田薩摩藩邸被災のため渋谷別邸に移る 安政三年 1856 2月22日 朝廷 篤姫と近衛家の養子縁組の許可を出す 2月28日 朝廷 島津斉彬に篤姫縁組の内意書を出す 4月 島津斉彬 近衛忠熈に養女内諾のお礼の手紙を書く 4月 島津斉彬養女篤姫 右大臣近衛忠熈の養女となり敬子と名を改める 4月 敬子(篤姫) 近衛忠熈に口上書を書く 7月 1日 幕府 江戸薩摩藩邸に婚儀の日程を内示する 7月28日 幕府 島津家に老中奉書を出す

10月 敬子(篤姫) 平和を願う和歌を短冊に書く 11月10日 島津斉彬 敬子(篤姫)に密命を伝える 11月11日 近衛忠熈養女敬子(篤姫) 江戸城大奥に入る 12月18日 近衛忠熈養女敬子(篤姫) 徳川家定と婚礼 安政四年 1857 4月 島津斉彬、西郷吉之助 帰国に向かう 安政五年 1858 3月 敬子(篤姫) 近衛忠熈に一橋慶喜将軍擁立を朝廷に働きかけるよう手紙を書く 3月 西郷吉之助 京に入り近衛忠熈に敬子(篤姫)の手紙を渡す 3月 勝海舟 鹿児島で島津斉彬に拝謁 3月20日 西郷吉之助 近衛忠熈より敬子(篤姫)宛ての返書を持ち京より江戸に向う ? 敬子(篤姫) 近衛忠熈に家定が老中の対応に立腹している様子を伝える手紙を書く 6月 7日 西郷吉之助 鹿児島に帰国し島津斉彬に拝謁、松平慶永の書簡を渡し井伊直弼大老就任後の情勢報告をする 6月11日 島津斉彬 近衛忠熈に天運に任せると手紙を書く 7月 8日 島津斉彬 天保山で諸隊連合大操練を行う 後発病 7月14日 西郷吉之助 梁川星巌を訪問し情勢を島津斉彬に手紙で報告 7月15日 島津斉彬 久光の子忠義を継嗣にすると遺言 7月16日 島津斉彬(50歳)赤痢で死亡 7月24日 西郷吉之助 島津斉彬の訃報を京で聞く 8月 9日 幾島 近衛家老女村岡に敬子(篤姫)の家定死後の様子を伝える手紙を書く 8月11日 西郷吉之助 月照に島津斉彬を失った心境を手紙に書く

8月26日 島津斉興 江戸より鹿児島に向う 8月29日 徳川家定夫人敬子(篤姫) 落飾し天璋院と号す 9月 8日 島津斉興 伏見に入る 11月15日 薩摩藩 西郷吉之助に月照を日向に潜伏させることを命じる 12月 天璋院 従三位を叙任 ? 有村雄助、次左衛門兄弟 薩摩藩を脱藩 安政六年 1859 9月12日 島津斉興(69歳)病死 11月 4日 大久保一蔵 島津久光に拝謁 11月 5日 薩摩藩主 島津忠義、精忠組に論告書を書く 11月 6日 精忠組 薩摩藩主島津忠義への請書に署名血判し提出、総数49名 11月 9日 島津久光 薩摩藩人事改革に着手 万延元年 1860 3月 3日 桜田門外の変 井伊直弼(46歳)水戸17名、薩摩1名により斬殺される 3月11日 大久保一蔵 島津久光に拝謁 3月13日 島津忠義 参勤の途につく 3月25日 薩摩に桜田事変の報届く 閏 3月 大久保一蔵 薩摩藩勘定方小頭格に昇進 10月 天璋院篤姫 江戸城大奥取締のため本丸に移る 10月 和宮 天璋院篤姫に大奥入りの条件を伝える ? 島津忠義 病気を理由に参勤を取止め引き返す 文久元年 1861 1月 薩摩藩 小松帯刀に長崎遊学を命じる ? 小松帯刀 鹿児島に帰国 5月 小松帯刀 薩摩藩御側役になる 6月14日 小松帯刀 薩摩磯海岸で電気水雷の実験に成功 ? 薩摩藩 家老職総入替、大久保一蔵小納戸役、有馬新七造士館訓導師に昇進 文久二年 1862 1月17日 薩摩藩内に島津久光の上洛が布告される

? 大久保一蔵 京に入り近衛忠房に島津久光の上京を告げる 2月 和宮 天璋院篤姫に大奥で対面 2月15日 西郷吉之助 島津久光に拝謁、上洛に強硬に反対 2月16日 島津久光 西郷吉之助に上洛参府を条件に策を立てる事を命じる 2月17日 西郷吉之助 島津久光に上下二策を提出 3月16日 島津久光 薩摩藩兵を率い鹿児島出発 大久保一蔵、小松帯刀、大山弥助、西郷信吾同行 3月23日 西郷吉之助 島津久光の命令を無視し京に向う 3月28日 島津久光 下関に入る 西郷吉之助の単独行動に激怒 3月30日 大久保一蔵 島津久光より先行し大坂に向うため乗船 4月 6日 島津久光 姫路に入り西郷吉之助、村田新八の逮捕命令を出す 4月 9日 島津久光 兵庫に入る 4月10日 島津久光 薩摩藩士の他藩士との交流を禁じる 4月11日 大久保一蔵 島津久光に進退伺を提出 4月13日 島津久光 伏見薩摩藩邸に入る 4月16日 島津久光 京、近衛家に参殿した後、伏見に戻る 4月17日 島津久光 勅命により軍を率い京に入る 4月23日 寺田屋騒動 有馬新七他、島津久光の内命により誅殺される 5月 島津久光 幕府への勅諚三箇条を書く 5月22日 島津久光 勅使、大原重徳と江戸に向う 6月 7日 島津久光、大原重徳 江戸に入る 8月20日 長州藩世子、毛利定広 江戸で島津久光と会見 8月21日 生麦事件 閏 8月 6日 島津久光 京に入る 閏 8月 9日 島津久光 参内 閏 8月23日 島津久光 帰国に向う 11月12日 朝廷 島津斉彬に照国の神号を与える 12月 小松帯刀 薩摩藩家老に昇進 文久三年 1863 1月 薩摩藩 寺田屋事件で謹慎していた藩士を赦免

3月14日 島津久光 京に入る 4月11日 島津久光 鹿児島に帰国 5月 天璋院篤姫 京の徳川家茂に手紙を書く 5月29日 薩摩藩 京都政界から墜落 6月 天璋院篤姫 京の徳川家茂に早々の帰城を願う手紙を書く 6月22日 英代理公使ニール キューバー提督指揮の英国東洋艦隊七隻で横浜出港、鹿児島に向う 6月27日 英軍艦隊 鹿児島湾に入る 6月28日 英国軍 薩摩藩に生麦事件の解決を迫る 7月 1日 薩摩藩と英国軍の交渉決裂する 7月 2日 薩英戦争 英国艦隊、鹿児島を砲撃 8月13日 薩会秘密同盟 薩摩藩密使、高崎佐太郎、会津藩公用方、秋月悌次郎を訪問 8月17日 中川宮朝彦親王 会津、薩摩に宮門の閉鎖を命じる 8月18日 禁門の政変 薩摩藩会津藩宮中の長州藩勢力を追放、大和行幸中止 同 天璋院 江戸城二ノ丸に移る 9月12日 島津久光 藩兵を率い京に向う 9月 西郷吉之助に薩英戦争の情報伝わる 10月 3日 島津久光 京に入る 10月 5日 薩摩藩使者 横浜で生麦事件の賠償金支払と犯人捜索を英国側に約束 10月16日 西郷吉之助 琉仲為に子供に読み書きを教えているなどの近況と薩英戦争の詳細を知らせてくれた礼状を書く 11月 1日 薩摩藩 横浜で英国代理公使ニールに賠償金10万ドルを渡し和議を結ぶ 11月15日 大久保一蔵 京に入り島津久光に復命 12月30日 松平春嶽、伊達宗城、山内容堂、島津久光、一橋慶喜、松平容保 朝廷より朝議参与に任命 元治元年 1864 1月 7日 島津久光 朝廷へ上書案文を書く 1月13日 島津久光 特例により従四位叙任

1月 島津久光 西郷吉之助赦免に同意 ? 島津久光 孝明天皇の宸翰の写しを取り忠義に送る 2月 1日 島津久光 大隈守を任ぜられる ? 高杉晋作、中岡慎太郎 島津久光の暗殺を計画 3月18日 西郷吉之助 島津久光に拝謁 4月17日 島津久光、大久保一蔵 京より鹿児島に向う 6月 8日 西郷吉之助 大久保一蔵に長州が暴発しても薩摩は動かず御所を一筋に守ると手紙を書く 6月 幕府 薩摩藩に淀への出兵を命じるが薩摩藩これを拒否 6月25日 西郷吉之助 大久保一蔵に長州と会津の私闘に薩摩は軍を動かさないと手紙を書く 7月19日 蛤御門の変 7月 西郷吉之助 小松帯刀と協議し被災者救済のため押収の長州軍兵糧米五百俵を東洞院錦小路薩摩藩邸で放出 慶応元年 1865 ? 薩摩藩 留学生19名を英国へ送り出す 4月 薩摩藩家老小松帯刀 海事掛を兼任 5月13日 桂小五郎 薩摩藩との接触を藩に進言 ? 井上聞多 小松帯刀と薩摩に向う ? 薩摩名義 長州藩船「ユニオン丸」長崎入港 慶応二年 1866 1月22日 薩摩藩邸で薩長秘密攻守同盟成立 4月14日 大久保一蔵 大坂城の老中板倉勝静に薩摩藩出兵拒絶の建言書を提出し趣旨を説明 6月17日 英国公使パークス キング提督と鹿児島に入る 7月 天璋院と和宮 徳川家茂の容体を案じ奥医師の漢方医を大坂に送る 7月16日 天璋院と和宮が派遣した奥医師三名大坂に入る 7月26日 天璋院と和宮 徳川家茂に見舞の品を送る 8月 5日 天璋院と和宮と本寿院 徳川家茂に見舞の品を送る 9月 天璋院篤姫 江戸城西ノ丸に移る 慶応三年 1867

3月 9日 中岡慎太郎 島津久光に拝謁 ? 島津久光 薩摩軍を率い京に向う 4月12日 島津久光 京に入る西郷吉之助同行 6月22日 京三本木料亭 西郷、小松、大久保、寺村、坂本、中岡、後藤、乾、福岡 薩土盟約 6月26日 王政復古について薩摩藩、土佐藩、安芸藩の意見一致 薩土芸盟約 8月14日 西郷吉之助、大久保一蔵、小松帯刀 京都薩摩藩邸で倒幕挙兵の密議 9月 3日 島津珍彦(久光三男) 兵一千を率い大坂に入る 9月 7日 西郷吉之助 後藤象二郎より大政奉還案、提出を聞くが賛成せず薩土盟約を破棄 9月15日 島津久光 鹿児島に向う 9月18日 長州、薩摩 統幕挙兵の順序を約定 9月19日 大久保一蔵 下関に入り薩長の出兵協定を結ぶ 10月14日 薩摩、長州に倒幕の密勅降りる 11月13日 島津忠義 西郷吉之助を参謀に3千の兵と鹿児島を出港 11月16日 西郷吉之助 藩主、島津忠義と三田尻に入り木戸準一郎と会談 11月23日 島津忠義、西郷吉之助 三千の兵と入京し相国寺に本営を置く 12月 9日 薩摩藩兵 警備を名目に御所内に入り宮門内を制圧 明治元年 1868 1月 3日 鳥羽伏見の戦い 朝廷、薩摩、長州、土佐に官軍の称を与える 1月12日 徳川慶喜 天璋院に面会し状況を報告 1月 天璋院 薩摩藩隊長宛に徳川家存続の嘆願書を届ける 4月 4日 天璋院に朝廷よりの江戸城退去命令が伝えられる 4月10日 天璋院 徳川家定生母本寿院と共に一橋邸に移る ? 天璋院 従三位を剥奪される

7月 9日 天璋院 輪王寺宮公現法親王と仙台藩主、伊達慶那に薩長を追討し徳川の再興を願う手紙を書く 明治二年 1869 7月 6日 徳川家達 天璋院に手紙を書く 12月 4日 大久保利通、木戸孝允に毛利敬親、島津久光、西郷隆盛に上京命令を伝えるため帰国せよの命令が出る 明治五年 1872 11月 西郷隆盛 鹿児島に入り島津久光より詰問14ヶ条を受け詫び状を出す 明治六年 1873 3月 1日 天璋院 断髪許可証を得る 明治七年 1874 2月14日 島津久光 横浜を出港、鹿児島に向う 2月20日 島津久光 鹿児島に入る 4月27日 島津久光 左大臣に任命 5月27日 木戸孝允 島津久光に大久保利通について手紙を書く 明治十年 1877 5月 3日 島津久光 桜島に避難 明治十三年 1880 10月 9日 本寿院 天璋院に手紙を書く 明治十六年 1883 8月22日 天璋院 徳川泰子に手紙を書く 11月12日 天璋院篤姫(48歳)東京千駄ヶ谷徳川邸で病没 従三位に複される 明治二十年 1887 12月 6日 島津久光(71歳)死亡 12月18日 島津久光 国葬 明治三十年 1897 島津忠義(57歳)死亡