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石巻復興支援ネットワーク(やっぺす石巻)の1月14日~17日までの復興まちづくり研修・視察の報告書です。
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神戸復興まちづくり研修・視察
報告書
石巻復興支援ネットワーク
渡部慶太
はじめに
目的:
• 神戸まちづくり研究所主催の研修に参加。神戸の復興まちづくりの様子を参考にし、今後の支援活動に活かす。
• 石巻の現状、感謝の想いを伝え、届ける。
参加者: • 石巻復興支援ネットワーク
兼子佳恵、萱場裕子、戸田佳代子、渡部慶太
現地受入団体: • 神戸まちづくり研究所、神戸復興塾、FMわいわい
日程
1日目: • まちづくり協議会の経緯・活動と外部支援者の役割 @長田区御蔵通
• 東日本復興トークマラソン
2日目: • 神戸i-ウォーク 参加
• まちづくり協議会の経緯・活動と外部支援者の役割 @兵庫区松本地区
3日目: • コレクティブハウス「ココライフ魚崎」見学
• まちづくり会館見学
4日目: • 1.17集いに参加
• FMわいわい「ラジオ出演」
• みなとのもり公園 見学
住民主体の復興まちづくり①
~まちづくり協議会の経緯・活動と外部支援者の役割~(御蔵地区)
長田区御蔵通 まち・コミュニケーション 田中保三
さん(御蔵5・6・7丁目 街づくり協議会 会長)に御蔵のまちづくりのお話を伺った。行政との連携、地元自治会との関係に苦慮されながらも、街づくり協議会を10年間に350回開催し、まちづくりに努めた。人口が約八割になり、経済はそれ以上に低下。人口減少を防ぐために、生業が必要とのことであった。
御蔵地区
人口の変動@御蔵
人口の変動
・御蔵地区 78%
・長田区全体 73%
御蔵地区は、そのうち、元の住民は、約1/3
⇒元の住民が戻ってくることが復興まちづくりにおいて、重要。
人が戻ってきていただけるための餅つき等の数々のイベントを実施。
御蔵地区
慰霊モニュメント@御蔵 御蔵の慰霊碑は、住民の方が自ら資金調達をし、バケツリレー等をし住民の手で製作した。設計はユニークで、天井は穴が開いており、光が透過し、石版の地図を照らす。照らされた場所は、亡くなられた方の家の場所を指している。
御蔵地区
街中の風景@御蔵 区画整理を行った為、土地が狭くなり、3階建ての家が多い。無造作に立つ電線のない電柱。
公園内に設置されている下水道へ通じる穴。災害時のトイレ用に使用される。
面影の残す古民家の再生。
御蔵地区
公園づくり@御蔵
花壇整備、植樹等の公園づくりを通じ、コミュニティー形成をしていきました。共同作業が大切です。
御蔵地区
共同住宅@御蔵
共同住宅も一緒になって、作られたそうです。
御蔵地区
東日本復興トークマラソン 被災地市民交流会主催の東日本復興トークマラソンに参加した。東北の他地域の方々も参加されていた。関西と東北の方々がマイクを回しながら、想いを語った。当団体の代表兼子もスピーチをした。台湾からも追悼のメッセージが届いていた。多くのNPO関係者が参加されており、支援者同士の繋がりを実感した。
イベント
神戸 i ウォーク に参加
~市民主体の復興まちづくり~ 神戸i ウォークに参加。1999年に初めて行われたi ウォークでは、3000人以上の方が参加し、復興の様子を見てまちあるきをした。現在も有志で続けており、今回は約110人の方が参加した。復興の様子を見ると同時に、支援者の同窓会のような機能としても働いている。
i ウォーク
再開発された新長田地区 再開発された新長田地区。鉄人28号、三国志等のまんが活用、また、震災前に生産が盛んであったケミカルシューズを活かしたくつのまちとして、特徴を生かした再開発を行った。再開発され一見復興したように見えるが、震災前に住んでいた住民は仮設住宅での生活後、元の地域に戻れず、他地域の復興公営住宅に入居した方が多いとのこと。空きテナントが目立つ等の課題が残る。再開発時に、様々な住居の提供をするべきであったとのことであった。
i ウォーク
神戸を歩きながら
地域住民の方が、毎月消火訓練を行っている。(野田北地区)
商店街の方が、協力し合って作っているハートの飾り。
東北のママのグループが、神戸のケーキショップとコラボレーションして作ったケーキ。
地域住民が、名前を話し合い決めた通り。(鷹取)
i ウォーク
新長田北地区 新長田北地区のまちづくり協議会の会長のお話を伺った。震災当時は、右下の写真のようであったが、現在は、公園として整備されている。区画整理する際の減歩率が高く、住民との話合いに苦労されたとのこと。苦労されたとのこと。ようやく区画整理が、2011年3月に終わった。
i ウォーク
住民主体の復興まちづくり②
~まちづくり協議会の経緯・活動と、その後~
(兵庫区松本地区) 前松本地区まちづくり協議会会長 中島克元さん、(株)環境緑地設計研究所 辻信一さんより当時の様子から現在に至るまでの過程、また自身の体験をお話いただいた。
神戸の場合、まちづくり条例により、まちづくり協議会は、立場が守られている。まちづくり協議会の役割は、地域の総意を取りまとめることであるが、地権等の個人の利益に関わることなので、総意を取ることが難しかったとのことであった。市民・行政・専門家による合意形成をとることが復興まちづくりに置いて重要である。
松本地区
新たな住まい方の提案~コレクティブハウジング見学~
ココライフ魚崎 ココライフ魚崎を運営している(特活)てみずの会 桑原美智子さん、設計をされた優空間工房 野崎瑠美さんにお話を伺った。
手水仮設住宅から退去するに伴い、4名の方が見守りを受けながら、助け合い、自立した生活を送れる場所を探してほしいという依頼を、当時生活支援員である桑原さんが受け、始まった。
現在は、15名の方が共同生活を送っており、近隣住宅への配食、ショートステイ等も行っており、地域福祉の拠点になっている。また、家出した学生の駆込所になり、居場所にもなっている。尚、2階以上は住居を分譲している。
運営上の課題は、資金調達とのこと。桑原さんを始めとする一部の方に運営が依存している。多くの方が運営できるような制度作りが必要だと感じた。
コレクティブハウス
まちづくり会館
こうべまちづくり会館では、市民が主役のまちづくり活動を積極的に支援するため、ホール、会議室、ギャラリー等のご利用にあわせ、ここを拠点とした活発な地域活動ができるよう、行政が運営している。震災前より在り、震災後、まちづくり専門家を派遣するための拠点となった。
まちづくり
センター
慰霊碑@魚崎 魚崎地区でも、206名の方が亡くなられました。
このような震災モニュメントは、国内外で約300が設置されているようです。
慰霊碑
阪神大震災1.17のつどい 1998年より行っている。阪神大震災1.17のつどい」に参加しました。東遊園地にて、震災が発生した5時46分に黙とうを行った。被災し、家族を失った方々が、追悼の言葉や「しあわせ運べるように」を独唱。東北からも多くの方々が参加されていた。 17年を迎え、早朝にも関わらず、5千人が参加したとのこと。
悲しみの傷は、17年経ってなお、癒されないのだと再認識しました。
参考HP
http://kobe24.jp/2009/02/117-2.php
イベント
多文化、多言語コミュニティー放送局
『FMわいわい』に出演 FMわいわいとは、多文化、多言語コミュニティー放送局です。世界の10言語で神戸・長田から放送しています。
「1.17 KOBEに灯りを@ながた」の震災特別番組に出演しました。テーマは「震災で繋がる人と人の輪」。緊張してうまく話せませんでしたが、繋がりに本当に感謝しています。
(参考HP)
• http://www.tcc117.org/fmyy/index.php
イベント
市民参加型公園~みなとのもり公園~ みなとのもり公園は、まちづくりコンサルトの辻信一氏が、行政から委託を受け、住民の方とワークショップを重ね、植樹等をしながら一緒に作った市民参加型の公園である。震災の経験と教訓を後世の人々に継承するために整備されました。
(参考HP)
• http://www.city.kobe.lg.jp/life/town/
park/intoro/fukkopark.html
• http://www.eonet.ne.jp/~sya-oooo-
rin/minamori/index.html
震災公園
「神戸から元気を!」@みなとのもり公園
1月17日にみなとのもり公園で行われたイベントにいきました。
当団体の応援歌「やっぺす♡石巻」を歌ってくださっている石田祐之さんが出演するので応援しにいきました。
最後に皆さんで合唱し、元気をいただきました。
イベント
所感
震災を経て、17年が経過し、市民活動が各地域で盛り上がり、活発に感じた。
17年経ても、被災された方の心の傷は、震災当時が思い出され、決して、癒されることはない。
約40%の神戸市民が、震災を経験していない。風化させず、後世に伝えていこうと努力されているようであった。
復興まちづくりにおいて、合意形成をとることは、非常に骨の折れる作業であるが、逃げては通れないようだ。
阪神大震災と東日本大震災は異なるが、神戸の知見は大変参考になる。今後の支援活動を活かしていきたい。
まちづくりセンター、コレクティブハウス、まちづくり協議会等、今後、必要な機能は被災地で、生まれてくるであろう。
参考)震災遺児 ~鈴木佑一さん~
阪神大震災で震災遺児となった鈴木佑一さんの記事が、滞在中、毎日新聞の一面に掲載されていた。鈴木さんは、石巻の子どもたちが神戸に行った際にお世話になった方である。石巻にも来て支援をしてくださった。阪神大震災以降、一時記荒れた生活を送ったが、「遺児でも、やればできる」という信念を証明するため、大学に進学し、今年英国留学をすることになった。
東日本大震災でも、遺児となった子が数多くいる。鈴木さんのように、逆境に負けないようになってほしい。
東北から神戸へ。神戸から東北へ。