6
教会は今、主の復活を祝っている。主が起き上がり、墓から出 て新たな歩みを始められたように、私たちも、主と共に、新たな 歩みを始めている。この歩みは「イエスに従う民衆」としての歩 みである。ルカ福音書の中に、イエスに従う人びとの歩みを見 てみたい。 漁師であるシモンとその仲間は、「すべてを捨ててイエスに 従った」(5・11)。イエスは、レビという徴税人に、「『わたしに従 いなさい』と言われた。彼は何もかも捨てて立ち上がり、イエス に従った」(5・27-28)。イエスは、十二人、七十二人と、ご自分 に従う弟子たちを任命された(6・12-16、10・1-12)。 イエスはご自分の死と復活を予告した後、弟子たちに言わ れた。「わたしについて来たい者は、自分を捨て、日々、自分 の十字架を背負って、わたしに従いなさい。自分の命を救いた いと思う者は、それを失うが、わたしのために命を失う者は、そ れを救うのである」(9・23-24)受難のためにエルサレムに上って行く途上、エリコの近くで 物乞いをしていた盲人は、イエスにいやされた。「盲人はたち まち見えるようになり、神をほめたたえながら、イエスに従ったペトロとこの婦人たちと同じように、わたしたちは希望を奪われ悲しみに暮れて いては、いのちを見いだすことはできません。自分の中に閉じこもるのではなく、自 分自身の封じられた墓 わたしたちは皆、それがどんなものか知っていますが を主に向けて開け放ちましょう。そうすれば、主が入られ、いのちを与えてくだ さいます。わたしたちの恨みの石と過去の岩、わたしたちの弱さと過ちという重荷 を主に託しましょう。キリストは、わたしたちを苦しみから引き出すために、わたした ちを訪れ、手を取ろうとしておられます。わたしたちを自分自身の中に封じ込める 失望。それこそが今夜、取り除くべき最初の石です。主が復活しなかったかのよう に生き、自分の問題が人生の中心であるかのように感じている、希望のないキリス ト者になるという罠から、主がわたしたちを解放してくださいますように。 (カトリック中央協議会HPから引用) 私たちは、復活の主日から聖霊降臨の主日までの50日間 「復活節」 と呼ばれる時を過ごし、 復活節40日を経た主日に第7週 「主の昇天」 を祝います。復活節中、教会は聖書を通して復活 後に出現されたキリストを中心におき、主の復活を証しした弟子たちのいきいきとした姿とそ の復活信仰の足跡をたどっていきます。 「聖霊降臨祭」 は五旬祭と呼ばれ、旧約聖書では収穫 を祝う日でしたが、エジプト脱出、すなわち過越しから50日目に結ばれたシナイ契約を記念 する日となり、キリストの復活を祝う「大いなる50日」、復活節のしめくくりとして聖霊降臨祭 を祝うようになりました。典礼暦は続いて、5/27に年間主日最初の 「三位一体の主日」 、6/3 「キリストの聖体」 を祝います。 (編集委員) これを見た民衆は、こぞって神を賛美した」(18・43)。エルサ レムに迎えられたイエスは、神殿の境内で教えておられた。 「民衆〔は〕皆、夢中になってイエスの話に聞き入っていた」 (19・48)「民衆と嘆き悲しむ婦人たちが大きな群れを成して、[十字 架への道を歩まれる]イエスに従った」(23・27)。十字架につ けられたイエスを、「民衆は立って見つめていた」(23・35)。イ エスと共に十字架につけられた犯罪人の一人が、この民衆に 加わった。彼は言った。「イエスよ、あなたの御国においでに なるときには、わたしを思い出してください」(23・42)エマオという村に向かっていた弟子たちは、復活された主 に出会った。弟子たちは、この出会いの体験を、次のように語 る。「道で話しておられるとき、また聖書を説明してくださったと き、わたしたちの心は燃えていたではないか」(24・32)。主の 復活を体験した、体験している私たちも今、心が燃えている。 この心をもって、ルカ福音書が伝える民衆の群れに加わり、イ エスに従って行きたい… わな カトリック河原町教会だより 2018年 5 6月 イエスに従う民衆 洛東ブロック担当 一場 修 神父 「わたしは 世の終わりまで いつもあなたがたと共にいる」 教皇フランシスコ2016年復活徹夜祭ミサ説教から フラ・アンジェリコ画 『キリストの復活』 エル・グレコ画 『聖霊降臨』 復活節からつづく典礼暦

2018 5.6月 P2 P5catholickawaramachi.kyoto/000600/20180506tayo.pdfカトリック河原町教会だより 2018.5・6 「灰の水曜日」から「主の復活」までを過ごして

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金曜日19:15      村上 透磨神父

金曜日 17:30[洗礼準備講座]菅原 友明神父

土曜日 11:00    〃 菅原 友明神父

     17:00    〃 菅原 友明神父 

 教会は今、主の復活を祝っている。主が起き上がり、墓から出

て新たな歩みを始められたように、私たちも、主と共に、新たな

歩みを始めている。この歩みは「イエスに従う民衆」としての歩

みである。ルカ福音書の中に、イエスに従う人びとの歩みを見

てみたい。

 漁師であるシモンとその仲間は、「すべてを捨ててイエスに

従った」(5・11)。イエスは、レビという徴税人に、「『わたしに従

いなさい』と言われた。彼は何もかも捨てて立ち上がり、イエス

に従った」(5・27-28)。イエスは、十二人、七十二人と、ご自分

に従う弟子たちを任命された(6・12-16、10・1-12)。

イエスはご自分の死と復活を予告した後、弟子たちに言わ

れた。「わたしについて来たい者は、自分を捨て、日々、自分

の十字架を背負って、わたしに従いなさい。自分の命を救いた

いと思う者は、それを失うが、わたしのために命を失う者は、そ

れを救うのである」(9・23-24)。

 受難のためにエルサレムに上って行く途上、エリコの近くで

物乞いをしていた盲人は、イエスにいやされた。「盲人はたち

まち見えるようになり、神をほめたたえながら、イエスに従った。

 ペトロとこの婦人たちと同じように、わたしたちは希望を奪われ悲しみに暮れて

いては、いのちを見いだすことはできません。自分の中に閉じこもるのではなく、自

分自身の封じられた墓  わたしたちは皆、それがどんなものか知っていますが

   を主に向けて開け放ちましょう。そうすれば、主が入られ、いのちを与えてくだ

さいます。わたしたちの恨みの石と過去の岩、わたしたちの弱さと過ちという重荷

を主に託しましょう。キリストは、わたしたちを苦しみから引き出すために、わたした

ちを訪れ、手を取ろうとしておられます。わたしたちを自分自身の中に封じ込める

失望。それこそが今夜、取り除くべき最初の石です。主が復活しなかったかのよう

に生き、自分の問題が人生の中心であるかのように感じている、希望のないキリス

ト者になるという罠から、主がわたしたちを解放してくださいますように。

                               (カトリック中央協議会HPから引用)

 私たちは、復活の主日から聖霊降臨の主日までの50日間「復活節」と呼ばれる時を過ごし、

復活節40日を経た主日に第7週「主の昇天」を祝います。復活節中、教会は聖書を通して復活

後に出現されたキリストを中心におき、主の復活を証しした弟子たちのいきいきとした姿とそ

の復活信仰の足跡をたどっていきます。「聖霊降臨祭」は五旬祭と呼ばれ、旧約聖書では収穫

を祝う日でしたが、エジプト脱出、すなわち過越しから50日目に結ばれたシナイ契約を記念

す る 日 と な り、 キリ ス トの 復 活 を 祝 う 「 大 い な る 5 0 日 」 、 復 活 節 の し め くくりと し て 聖 霊 降 臨 祭

を祝うようになりました。典礼暦は続いて、5/27に年間主日最初の「三位一体の主日」、6/3

に「キリストの聖体」を祝います。(編集委員)

これを見た民衆は、こぞって神を賛美した」(18・43)。エルサ

レムに迎えられたイエスは、神殿の境内で教えておられた。

「民衆〔は〕皆、夢中になってイエスの話に聞き入っていた」

(19・48)。

「民衆と嘆き悲しむ婦人たちが大きな群れを成して、[十字

架への道を歩まれる]イエスに従った」(23・27)。十字架につ

けられたイエスを、「民衆は立って見つめていた」(23・35)。イ

エスと共に十字架につけられた犯罪人の一人が、この民衆に

加わった。彼は言った。「イエスよ、あなたの御国においでに

なるときには、わたしを思い出してください」(23・42)。

 エマオという村に向かっていた弟子たちは、復活された主

に出会った。弟子たちは、この出会いの体験を、次のように語

る。「道で話しておられるとき、また聖書を説明してくださったと

き、わたしたちの心は燃えていたではないか」(24・32)。主の

復活を体験した、体験している私たちも今、心が燃えている。

この心をもって、ルカ福音書が伝える民衆の群れに加わり、イ

エスに従って行きたい…

わな

カトリック河原町教会だより2018年5・6月

イエスに従う民衆 洛東ブロック担当  一場 修 神父

「わたしは 世の終わりまで いつもあなたがたと共にいる」教皇フランシスコ2016年復活徹夜祭ミサ説教から

フラ・アンジェリコ画 『キリストの復活』

エル・グレコ画 『聖霊降臨』

復活節からつづく典礼暦

カトリック河原町教会だより 2018 .5・6(2)

「 ようこそ ユン神父様 」洛東ブロック協力司祭として着任

洛東ブロック四旬節黙想会の一日 2018年3月11日(日)

 春の陽ざしが注ぐこの日、洛東ブロック四旬節黙想会が奥村豊神父の指導により伏見教会で行われました。 奥村神父司式による10時からのミサに続いて、午前と午後の二回にわたる講話がありました。その後奥村神父と一場神父によるゆるしの秘跡・個人黙想の時間があり3時半頃終了しました。

 

 奥村神父の講話テーマは「いのちの輝き」で、「いのちの現状」、「旧約におけるいのちのとらえ方」、「新約におけるいのちのとらえ方」、「永遠のいのち」という、四つの観点からのお話でした。 参考文献にアンドリュー・キンブレル著 『生命に部分はない』 を取りあげ、現代社会におけるテクノロジーの発達に伴う「いのち」のとらえ方に疑問を投じられました。「臓器の売買」など現代医療に関わる問題、また食品問題に関しても、人間がいかに利潤目的でさまざまな研究をしているか等、具体的な例をいくつかあげられました。人間の利益目的の画策にキリがないこの現状の中、私たちは一体どうすれば「いのち」を取り戻し、それを輝かせることができるのか、それが今の大きな問いとなっていると問題提起されました。 そして私たちが、ないがしろにされているたくさんの小さな命に目を向けることを通してのみ、「いのち」とその輝きを取り戻すことができると強調。聖書との関わりから「いのち」について

考える時、「一人の回心」がいかに周りの人たちの状況を変え得るかと、「回心」の大切さを話されました。 また、社会や教会の高齢化、少子化などについても否定的な見方に陥らないこと、長い聖書の歴史を見る時、どんなに不条理な悲惨な出来事が起きた時も、そこにはいつも計り知れない神の恵みと働きがあったと語られました。 「平凡な暮らしの中で、具体的に信仰を生きるとはどういうことか。み言葉は生きる中でひも解かれていく。聖書を読む時には、見方の転換が必要。人間の苦難や試練を超えて、命を輝くものとしてくださるのは神様・・・」等、さまざまな示唆にとんだ言葉をいただきました。 (編集委員)

ユン・サン・ホ(尹相鎬)神父(クラレチアン修道会司祭)のご紹介

ユン神父様から信徒の皆様へ

生年月日: 1957年11月9日  韓国アンソン市生まれで、1歳からソウルで育つ。    日本で哲学を、韓国で神学を学ぶ。助祭叙階: 2007年9月22日    (東京大司教区 聖イグナチオ教会で)司祭叙階: 2008年3月30日      (大阪大司教区カテドラル 聖マリア聖堂で)霊名: 使徒ヨハネ・レオナルド クラレチアン会宣教師として7年間、東京で神学生の   養成協力にあたる。その後大阪の今市、門真、大東の 教会で司牧にたずさわり、4月から京都教区洛東ブロ ック協力司祭として着任。月曜日と木曜日は枚方レジ デンスで執務の一方、洛東ブロックでミサと入門講座 やレジオ・マリエなどを、また火曜日は伏見教会で、 聖書の集い・分かち合いも担当される。趣味: 旅行、テニス、サッカー、映画鑑賞(主にドキュ メンタリー映画)など

 運動好きの神父様で、日本語は大変流暢です。カトリック会館にお住まいで、自炊もしておられます。「食べ物がとても美味しいし、鴨川のほとりをよく歩いています」と京都をとても気に入られたようです。

“神父様、どうぞよろしくお願いいたします”

 京都は初めての地です。東京や大阪とも違う“良さ”を感じています。足りないことがたくさんあると思いますが、一生懸命頑張りたいという思いでいっぱいです。 この時期は花粉症がひどく、咳やくしゃみなどに悩まされていますが、皆さん!ご理解の上、どうぞよろしくお願いいたします。

〈司祭叙階の時に選んだ“大切なみ言葉”〉「み言葉は人となって、わたしたちの内に住まわれた」

(ヨハネ1・14)

カトリック河原町教会だより 2018 .5・6

「灰の水曜日」から「主の復活」までを過ごして 2月14日「灰の水曜日」から始まった四旬節を、私たちは過越しの秘儀への準備期間として過ごしました。罪の現実をかかえた目に見えるこの世界に生きている私たちですが、復活によって罪を打ち破ったキリストの愛と、神の働きを信じ、それぞれの信仰を新たにされたいと思います。

写真提供:京都教区広報委員会

(3)

 四旬節第6主日3月25日は受難の主日(枝の主日)でした。会衆は皆棕櫚(しゅろ)の枝を手にし、司祭の入場

と共に祝福を受けました。今年はB年。菅原神父司式のミサでは「マルコによる主イエス・キリストの受難」が朗読

され、この日からいよいよ聖週間が始まりました。

            その翌日、祭りに来ていた大勢の群衆は、イエスがエルサレムに来られると聞き、              なつめやしの枝を持って迎えに出た。そして、叫び続けた。             「ホサナ。主の名によって来られる方に、祝福があるように、イスラエルの王に。」                                        (ヨハネ12・12‒13)

「受難の主日」枝の主日 3/25

 主の晩さんの夕べのミサでは福音書(ヨハネ13・1-15)の朗読後「洗足式」が行われ、最後に「聖体安置式」が行わ

れました。ミサは大塚司教、小川神父、ホン神父の共同司式でした。司教は「イエスは僕のように蔑まされましたが、

主の愛への信頼ゆえにどこまでも謙遜で神に従順であられました。私たちも主がしてくださることはどんなことも謙虚

に受け取り、イエスの愛をいただいて歩んでいきましょう」と語られました。(編集委員)

聖なる過越の三日間 第1日目「聖木曜日」(主の晩さん)夕べのミサ 3/29

 聖金曜日の典礼は、人類の救いの歴史全体におけるキリストの受難と死を思い起こ

し、復活の希望をもって主の十字架を賛美するものです。主の死は過越しの途上の出来

事にあったことから、この日はミサは行いませんが聖体拝領を共にします。十字架も置

かず、御像は覆われて祭壇布もかけられず、キリストの死を黙想しました。

聖なる過越の三日間 第2日目「聖金曜日」(主の受難) 3/30

 侍者合宿を終えた子どもたちが侍者を

つとめ、大塚司教と教区司祭団の共同司式

で「聖香油のミサ」が行われました。聖香

油が聖別され、洗礼志願者の油と病者の油

が祝福されました。油は司祭が各小教区に

持ち帰り一年間使用します。また、司祭団

が司教の前で、司祭叙階の日の“司祭の約

束”を更新しました。

聖香油のミサ 3/28

 イエスは十字架で息を引き取り、墓に納められました。その

十字架から逃げてしまった弟子たちは、最後の晩餐をした、

あの高間にいました。イエスの死から二日目の夜、弟子たち

にとって、それは悲しみと恐れに満ちた眠れない夜でした。

 一方、イエスを埋葬する時に付き添っていた女性たちは、

その夜マリアと共に寝ずに起きていました。それは安息日が

終わるのを待って、イエスの遺体に香油を塗るためです。女

性たちはイエスが納められた墓に赴きます。どうやって中に

入ったらよいのか、誰があの墓石を転がすのかと案じていま

した。しかし墓に着くと、入り口をふさぐ重い石はすでにわき

へ転がしてありました。墓は開いていたのです。彼女たちは

予想外の出来事に動転します。しかし、すぐ墓の中に入るこ

とにしました。イエスの遺体がどのようになっているのか確か

めようとしたのです。すると、墓は「から」でした。イエスの遺体

はありませんでした。ますます不思議な気がします。それは

「神の業の不思議」を思い起こさせる出来事でした。

 墓をふさぐ石、それはこの世と死後の世界を遮るものです。

ところが今、それはなくなっています。墓の中に入ることがで

きるのです。墓の中に入るとは、この世から死後の世界に入

っていくことであり、婦人たちはその時、神秘の世界に入って

いったと言えるでしょう。

 今晩この復活徹夜祭で10人の方が洗礼を受けられます。

洗礼を受けるとは、まさに神秘の世界へ入ることだと言えま

す。この世にいながら、死後の世界に希望をもたせる信仰の

世界に入るのです。この神秘の世界に入るためには現実を

恐れてはなりません。現実から逃げるのではなく、自分の中

に閉じこもったり、よく理解できない事柄から逃げるのではあ

りません。人生の問題を見て見ぬふりをしたり、否定したり忘

れ去ったりするのでもありません。この神秘の世界に入るに

は、居心地のよい世界から出て行かなければなりません。今

までの古い自分を引っさげている安逸や快楽、自分中心の

生き方を捨てることであり、神秘と愛に向けて、古い自分を出

て行くことであると言えるでしょう。洗礼を受けると決意した時

に、すでにそれが神からの呼びかけであると分かり、私たち

はそれを受け止めたのです。

 私たちは、その呼びかけに応える力もいただいているの

です。神を信じるようになる、イエスの復活を信じるようにな

る、イエスの十字架の死によって罪が赦され、永遠の命をい

ただくことを信じるようになるのです。この世には理屈では理

解できない出来事があるでしょうが、人間の理性を超えた神

の超自然の働きの中に留まる恵みを与えられたのです。 

 洗礼を受ける皆さん、今から信仰宣言をし、キリストの復活

の証人として生きていく人生が始まります。今どのような思い

でしょうか。洗礼を受けて自分はどう変わるのでしょう。私た

ちは今日、第二朗読のパウロの言葉を聞きました。「あなた

がたは知らないのですか。キリスト・イエスに結ばれるために

洗礼を受けたわたしたちが皆、またその死にあずかるために

洗礼を受けたことを。」洗礼を受けた私たちは、キリストの死

にあずかる生き方が始まります。洗礼を受けた後も人生の多

くの試練にさらされます。時に悲惨で不可解な出来事の中

で、信仰の喜びを感じられない時もあるでしょう。信仰を迷

い、神を疑うことがあるでしょう。しかし、私たちが信仰を感じ

られない時でさえ、それはキリストの死にあずかり、救いの道

を歩んでいるのだということを決して忘れてはなりません。

 私たちはすでに新しい命を生きているのです。新しい命を

生きているから、キリストの死に結ばれているのです。私たち

は罪に対して死んでおり、キリスト・イエスに結ばれて神に対

して生きているのです。婦人たちは「あの方は、あなた方より

先にガリラヤに行かれる。そこでお目にかかれる。」と告げら

れます。キリスト信者のガリラヤ、それはこれからの毎日の生

活そのものです。そのガリラヤでイエス・キリストとの親密さの

うちに共に生きるのです。

 それではここに集う皆さん、墓に入った女性たちと共に、

そして洗礼を受ける人たちと共に、沈黙のうちに私たちも墓

の中に入っていきましょう。耳を傾け、静かにささやいておら

れる神の声を聞きましょう。そのために謙遜になりましょう。傲

慢であさましい「自分という台座」から降りて身を低くし、強さ

も弱さも持ったゆるしを必要とする罪人であることを神に告白

しましょう。そしてこれから洗礼を受ける方々と共に、全世界

の人々と共に、命の贖い主である神の救いの業を記念して

賛美と感謝をささげ、救いの恵みを告げ知らせる恵みと力を

ここに祈りましょう。              (文責:編集委員)

カトリック河原町教会だより 2018 .5・6(4)

み言葉の祭儀

3.31 大塚司教の説教

光の祭儀

 「復活徹夜祭では、主の死と葬りを記念し、そして主の復活をたたえます。キリストの死に結ばれた者、キリストの

葬りに結ばれた者、キリストの復活に結ばれた者となりなさい。これが洗礼なのです」(『信仰に生きる〜典礼暦に沿っ

て』聖書講座シリーズ12から引用)この夜10名の方が洗礼の恵みに与り私たちの共同体に加わりました。

聖なる過越の三日間 第3日目 復活の主日「復活の聖なる徹夜祭」 3/31

洗礼の祭儀

カトリック河原町教会だより 2018 .5・6 (5)

「全能の父よ、あなたは、きょう御ひとり子によって死を打ち砕き、永遠のいのちの門を開いてくださいました。主イエスの復活を記念し、この神秘にあずかるわたしたちを、あなたの霊によって新たにし永遠のいのちに復活させてください」               (集会祈願より) 10時半のミサで大塚司教は、「私たちは死にたいほどの苦しみに直面することがあります。しかし、死から過越し、いのちを生きる力を与えられていることを忘れないでください。イエスの復活の信仰は私たちに希望を与えます。共にいてくださるイエスを、時間をかけて実感していった弟子たちのように、神に愛されている新しい自分を日々見出しながら主と共に歩んでいきましょう」と語られました。日本語に続き、この日は英語での説教もされました。

 10時半のミサ後、前庭とヴィリオンホールにおいて懇親会が開催されました。手作りのスイーツやコーヒー、おにぎりやサンドイッチ、たこ焼き、綿飴、ぜんざい、ソフトクリームなどが準備され、和やかな楽しいひと時を過ごしました。ガールスカウトの皆さんが、ご復活祭の卵を配るお手伝いをしてくれました。

“受洗者の皆さん おめでとうございます”

“イースターエッグをどうぞ”

復活の主日 日中のミサ 4/1 7:00・10:30・14:00(英語)

5

6

7

曜日日月 行   事   予   定

◇ 2018年 5月〜7月の行事予定 ◇

(予定は変更になる場合があります)

[復活節第6主日] 評議会5月例会 10:30ミサ後     世界平和の日

[主の昇天] [復活節第7週]

[聖霊降臨の主日] 南部地区合同堅信式 14:00(北白川教会)

[三位一体の主日][年間第8週]

[キリストの聖体][年間第9週] 評議会6月例会 10:30ミサ後

[年間第10主日]

[イエスのみ心]

[年間第11主日]

[洗礼者聖ヨハネの誕生][年間第12週]   聖ペトロ使徒座への献金

[聖ペトロ聖パウロ使徒]

[年間第13主日] ペトロ岐部と187殉教者列福10周年記念ミサ 大塚司教霊名〈パウロ6/29記念日〉のお祝い 10:30ミサ 評議会7月例会 10:30ミサ後

[年間第14主日]

[年間第15主日]

[年間第16主日]

洛東ブロック会議(河原町教会)14:00

[年間第17主日]教会美化デー

6

13

20

27

3

8

10

17

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29

1

8

15

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28

29

カトリック河原町教会広報部発行

〒604-8006 京都市中京区河原町三条上る下丸屋町423 担当司祭:一場 修

TEL:075-231-4785  FAX:075-211-8021 URL:http://CatholicKawaramachi.Kyoto

カトリック河原町教会だより 2018.5・6

(1F集会室)

水曜日15:30           一場 修 神父

木曜日19:00           一場 修 神父

金曜日11:00     一場 修 神父

金曜日19:15      村上 透磨神父

金曜日 17:30[洗礼準備講座]菅原 友明神父

土曜日 11:00    〃 菅原 友明神父

     17:00    〃 菅原 友明神父 主よ、取りあげ、受け入れてください 私の一切の自由を 記憶を 理解を 意志を。

主よ、取りあげ、受け入れてください 私の所有する一切を。

すべてはあなたのくださったもの。 私はすべてをあなたにお返しし すべてをあなたにお委ねいたします。

私の神、すべてはあなたのもの。 お望みのままに すべてをお使いください。

あなたの愛と恵みをこそ 私にお与えください。 それだけでじゅうぶんです。

私の神、主よ  これが願いのすべてです。

カトリック河原町教会だより 2018 . 5・6(6)

河原町教会 ミサの時間日曜日 (主日のミサ)

(主日のミサ)

*英語ミサ (第2・4週)

7:00

火曜日月曜日

6:306:30

水曜日 6:30木曜日 6:30金曜日 18:30

18:30

土曜日 6:30 18:30

10:3012:00

信仰の学びのお知らせ

◇洛東ブロック信徒養成講座◇

◇『ラウダート・シ』読書会◇

【河原町教会】 第1土曜日19:30〜20:30

菅原 友明神父

【伏見教会】 毎火曜日10:00ミサ後〜11:30 

ユン・サン・ホ神父

         毎木曜日14:00 菅原 友明神父

【桃山教会】 毎火曜日15:00 菅原 友明神父

指導:Sr. メリー・レベッカ・我部

(1F集会室/毎月2回第2・4木曜日)14:00〜15:30

◇主日の福音を読む集い◇

      毎週日曜日9:30〜10:15

(3F・301号室)

「ぶどうの会」では下記の通り、巡礼バスツアーを計画しました。お誘い合わせの上、多数ご参加ください。(先着50名)

行き先:大和八木教会(滝谷花しょうぶ園、三輪素麺見学)日 時:2018年6月2日(土) 8:00集合(教会前庭)昼 食:橋本屋     解 散:午後5時半頃の予定   参加費:6,500円

「ぶどうの会」巡礼バスツアーのご案内

『 聖人たちの祈り 』 (ドン・ボスコ社)から

 「すべてを取りあげ、受け入れてください」(聖イグナチオ・ロヨラ)

◇南部地区信徒養成講座◇

大塚 乾隆神父「典礼を学ぶ」

(6F会議室/毎月1回水曜日)

※洗礼準備講座希望の方は教会事務室まで ご連絡ください

5月9日(水)・6月13日(水)・7月11日(水)

 13:30〜14:50(注:時間変更)

◇信仰入門講座◇

※どなたでもお気軽にご参加ください