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4サイクルディーゼル機関の技術系統化調査 Historical Development of Four Stroke Diesel Engine 要旨 1776年にイギリス人のジェームス・ワット(James Watt)が蒸気機関を発明したことで、人類は初めて燃料の 燃焼によって動力を得る手段を手に入れた。蒸気機関は製鉄所や紡績工場など多くの工場に設置され、続いて船 舶に搭載され、そして蒸気機関車、自動車を誕生させることになり、文字通り産業革命の原動力となった。 19世紀後半になると、内燃機関の出現が活発になる。ドイツ人のオットー(N.O.Otto)が1860年に発表したオ ットーサイクルはのちのガス機関、ガソリン機関へ発展し、1882(明治15)年のスウェーデン人ド・ラバル (C.G.P.de Laval)と1884(明治17)年のイギリス人パーソンス(C.A.Parsons)による蒸気タービンの発明は蒸 気機関の代替原動機として発展した。そして1885(明治18)年にイギリス人プリーストマン(Prestman)が発明 した石油発動機は、農業機械やポンプ駆動用として1960年代まで盛んに使用され、1886(明治19)年に同じイギ リス人スチュアート(H.A.Stuart)が発明した焼玉機関は、漁船用主機などに1960年代まで数多く使用された。 1897(明治30)年、ドイツ人ルドルフ・ディーゼル(Rudolf Diesel)は5年にわたる実験の結果、ついにディー ゼル機関の運転に成功し世界の注目を浴びた。熱効率の高さと多様な燃料が使用できる点がほかの原動機との大 きな違いだった。ディーゼル機関はまず陸上の発電や動力源に、蒸気機関の代替として利用され、続いて船舶推 進用、鉄道車両用、自動車用などに用途が広がっていく。 わが国へディーゼル機関が入ってきたのは1907(明治40)年ころで、国産1号は1917(大正6)年に誕生したこ とが記録されている。以来船舶、陸用、鉄道車両、自動車など各分野で目覚ましい発展を遂げてきた。船舶では 蒸気機関、蒸気タービンをほぼ完全に排除して高いシェアを維持しているし、鉄道用でも蒸気機関車に完全にと って代わった。また、農業機械に多く使われていた石油発動機も、漁船機関として主流を占めていた焼玉機関も ディーゼル機関の経済性の前には太刀打ちできず1960年代を最後に製造が途絶えた。自動車は商用車中心だった ディーゼル機関が乗用車にも次第に浸透していく勢いである。 このように、ディーゼル機関が各分野で勢いを増している反面、1990年代から特に世論の盛り上がりを見せて いる環境問題に関して、ディーゼル機関は窒素酸化物(NOx)と粒子状物質(PM)の排出量が高く、これらを削 減することが課題になっている。これは高熱効率であることと低質燃料油の使用と密接に関係しており、新しい 燃焼方式、バイオマスなど新たな燃料への適応性も含めて検討すべき課題と思われる。 本調査ではディーゼル機関の利用分野のうち、船舶用、陸用、鉄道車両用の三分野に絞り、4サイクル機関を中 心として系統化し、前年度調査済みの「舶用大形2サイクル低速ディーゼル機関」については重複を避けた。そし てこれらの分野に共通する主要関連技術の発達過程を横断的に調査した。調査対象時期は、ディーゼル機関が発 明された19世紀末から現在までとしているが、記録の散逸が懸念される戦前についても極力記述した。これら機 関にかかわる外国のライセンサや国内メーカーは多岐にわたり、現存しないメーカーもあるが、産業史のなかで 果たした役割について極力記録を残すことに努めた。そして、巻末には機関メーカーの消長に関する年表、ディー ゼル機関の発展系統図、4サイクルディーゼル機関の発達史などを付した。 1 Kazuya Sato 佐藤 一也

4サイクルディーゼル機関の技術系統化調査 1sts.kahaku.go.jp/diversity/document/system/pdf/044.pdf · 4サイクルディーゼル機関の技術系統化調査 Historical

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4サイクルディーゼル機関の技術系統化調査Historical Development of Four Stroke Diesel Engine

■要旨

1776年にイギリス人のジェームス・ワット(James Watt)が蒸気機関を発明したことで、人類は初めて燃料の

燃焼によって動力を得る手段を手に入れた。蒸気機関は製鉄所や紡績工場など多くの工場に設置され、続いて船

舶に搭載され、そして蒸気機関車、自動車を誕生させることになり、文字通り産業革命の原動力となった。

19世紀後半になると、内燃機関の出現が活発になる。ドイツ人のオットー(N.O.Otto)が1860年に発表したオ

ットーサイクルはのちのガス機関、ガソリン機関へ発展し、1882(明治15)年のスウェーデン人ド・ラバル

(C.G.P.de Laval)と1884(明治17)年のイギリス人パーソンス(C.A.Parsons)による蒸気タービンの発明は蒸

気機関の代替原動機として発展した。そして1885(明治18)年にイギリス人プリーストマン(Prestman)が発明

した石油発動機は、農業機械やポンプ駆動用として1960年代まで盛んに使用され、1886(明治19)年に同じイギ

リス人スチュアート(H.A.Stuart)が発明した焼玉機関は、漁船用主機などに1960年代まで数多く使用された。

1897(明治30)年、ドイツ人ルドルフ・ディーゼル(Rudolf Diesel)は5年にわたる実験の結果、ついにディー

ゼル機関の運転に成功し世界の注目を浴びた。熱効率の高さと多様な燃料が使用できる点がほかの原動機との大

きな違いだった。ディーゼル機関はまず陸上の発電や動力源に、蒸気機関の代替として利用され、続いて船舶推

進用、鉄道車両用、自動車用などに用途が広がっていく。

わが国へディーゼル機関が入ってきたのは1907(明治40)年ころで、国産1号は1917(大正6)年に誕生したこ

とが記録されている。以来船舶、陸用、鉄道車両、自動車など各分野で目覚ましい発展を遂げてきた。船舶では

蒸気機関、蒸気タービンをほぼ完全に排除して高いシェアを維持しているし、鉄道用でも蒸気機関車に完全にと

って代わった。また、農業機械に多く使われていた石油発動機も、漁船機関として主流を占めていた焼玉機関も

ディーゼル機関の経済性の前には太刀打ちできず1960年代を最後に製造が途絶えた。自動車は商用車中心だった

ディーゼル機関が乗用車にも次第に浸透していく勢いである。

このように、ディーゼル機関が各分野で勢いを増している反面、1990年代から特に世論の盛り上がりを見せて

いる環境問題に関して、ディーゼル機関は窒素酸化物(NOx)と粒子状物質(PM)の排出量が高く、これらを削

減することが課題になっている。これは高熱効率であることと低質燃料油の使用と密接に関係しており、新しい

燃焼方式、バイオマスなど新たな燃料への適応性も含めて検討すべき課題と思われる。

本調査ではディーゼル機関の利用分野のうち、船舶用、陸用、鉄道車両用の三分野に絞り、4サイクル機関を中

心として系統化し、前年度調査済みの「舶用大形2サイクル低速ディーゼル機関」については重複を避けた。そし

てこれらの分野に共通する主要関連技術の発達過程を横断的に調査した。調査対象時期は、ディーゼル機関が発

明された19世紀末から現在までとしているが、記録の散逸が懸念される戦前についても極力記述した。これら機

関にかかわる外国のライセンサや国内メーカーは多岐にわたり、現存しないメーカーもあるが、産業史のなかで

果たした役割について極力記録を残すことに努めた。そして、巻末には機関メーカーの消長に関する年表、ディー

ゼル機関の発展系統図、4サイクルディーゼル機関の発達史などを付した。

1Kazuya Sato佐藤 一也

1. はじめに....................................................................3

2. ディーゼル機関の誕生から普及まで......................5

3. 船舶用ディーゼル機関の発達過程.......................11

4. 陸用ディーゼル機関の発達過程...........................40

5. 鉄道車両用ディーゼル機関の発達過程...............53

6. 機関種類別の発達過程..........................................62

7. 主要関連技術の発達過程......................................66

8. まとめと考察 .........................................................73

謝辞..............................................................................75

付属資料 ......................................................................77

国立科学博物館産業技術史資料情報センター主任調査員

昭和41年3月 東北大学工学部機械工学科卒業

昭和41年4月 株式会社新潟鉄工所(現新潟原動機)入社

新潟内燃機工場配属

以降主として中低速ディーゼル機関の設計・開

発・製造・品質管理・サービス業務に従事

平成9年6月 同社取締役太田工場長就任

平成10年4月 同社取締役新潟内燃機工場長就任

平成13年11月 同社退職

平成14年4月 財団法人日本海事協会入会

現在 国立科学博物館産業技術史資料情報センター主任

調査員

財団法人日本海事協会

事業創造大学院大学教授

■ Profile

Kazuya Sato佐藤 一也

■ Contents

■ Abstract

Many means of obtaining power by burning fuel have been developed since James Watt invented the

steam engine in 1776. Steam engines were initially installed in plants (iron, textile, and so on) and then later

on ships, in locomotives, and in automobiles. The steam engine was a driving force of the industrial revolu-

tion.

The internal combustion engines appeared during the latter half of the 19th century. The invention of the

Otto cycle engine by Nicolaus Otto, a German, in 1860 led to the gas engine and gasoline engine. The inven-

tion of the steam turbine by C. G. P. de Laval, a Swede, in 1882 and by Charles Parsons, a Briton, in 1885

gradually drove out the steam engine. The kerosene engine, invented by Prestman, a Briton, in 1885 had

been successfully applied to agricultural machinery and the pump driving by the 1960s. The hot bulb engine,

invented by Herbert Stuart, a Briton, in 1886 had been installed on a large number of fishing vessels by the

1960s.

Rudolf Diesel finally produced a successful prototype of a compression ignition engine in 1897 as the result

of much experimentation over the previous five years. His namesake engine had high thermal efficiency and

could burn various kinds of fuel, making it greatly different from the other engines of the time. The diesel

engine was initially applied mainly to power generators and for mechanical driving as a successor to the

steam engine. Its application gradually expanded to ships, locomotives, automobiles, and so on.

The first diesel engine was imported into Japan in about 1907, and production in Japan began in 1917.

Subsequently, the use of the diesel engine in Japan spread remarkably to ships, stationary use, railway cars,

automobiles, and so on. It eliminated the use of steam engines and steam turbines for ship propulsion and the

use of steam engines for locomotive propulsion. The production in Japan of kerosene engines (mainly for

agricultural machinery) and hot bulb engines (mainly for fishing vessels) finally stopped in the 1960s. In the

Japanese automobile industry, the diesel engine is now spreading from commercial to passenger vehicles.

Diesel engines emit high levels of nitrogen oxide (NOx) and particulate matter (PM), and the reduction of

these emissions has been an important research area for the past two decades. This emissions problem is

closely related to the engine's high thermal efficiency and to the low quality of the fuel burned. While many

researchers have tackled this problem, it remains unsolved.

This paper describes the historical development of the four stroke diesel engine for three application areas:

ships, land stationary use and railway cars among its many applications. It is a follow-up to "Historical devel-

opment of two stroke marine diesel engine" published in 2007. It focuses on the period following World War

II, but developments before the war are described in as much detail as possible because of concern about the

loss of the records.

The appendix presents a diagram showing the development time course of the diesel engine, and the

genealogy of the engine builders in Japan is shown as a line drawing.

3

本調査は4サイクルディーゼル機関のうち、発明直

後から長い歴史をもつ船舶用、陸用、鉄道車両用を対

象とした。これらは比較的大中型に属する。小型に属

する自動車用、農業機械用、建設機械用、はん用など

の分野については調査対象外とした。

第2章では、ディーゼル機関のドイツにおける誕生

から普及の過程を見るとともに、わが国における技術

導入から国産化への進展を概観した。

第3章では、船舶用機関の発達過程を、船種ごとに

分けて記述した。外航船を中心とする大型商船は2サ

イクルディーゼル機関が中心であり、前年度の「舶用

大形2サイクル低速ディーゼル機関の技術系統化調査」

で詳述されているので、本調査では4サイクル機関が

使用されている部分について述べた。

4サイクル機関が主力の内航船、漁船、カーフェリー、

作業船、官庁船、艦艇などについては、最初は外国の

技術を導入しながら、わが国独自の技術発展を遂げて

きた歴史的経過があり、造船工業の発展とともにその

推進システムの一翼を担うディーゼル機関の技術的進

歩は間断なく続いてきたといってよい。特に、内航船

や漁船に使用されてきた4サイクル低速機関はわが国

独特のものであり、その発達過程は記憶に留めておき

たいことであり、詳しく記述した。

艦艇は戦前の日本海軍と戦後の海上保安庁、海上

自衛隊に分けてその歴史を記述した。特に日本海軍

がもたらした技術的、人的遺産は、戦後のわが国の

産業復興に計り知れない功績があったことが改めて

認識された。

第4章では、陸用機関を常用発電機関、非常用発電

機関、その他駆動用機関、ガス機関に分けて記述した。

常用発電機は事業用、産業用、民生用などに分けられ

るが、戦後産業の発展と所得増加による電力需要の増

加により、各分野とも設置が大幅に増えてきた。しか

し、1970年代の二度にわたる石油危機で自家発電から

買電への回帰の兆しもあったが、ディーゼル機関の熱

効率向上、低質燃料油の使用などで優位性は維持する

ことができた。それに加えて1980年代から盛んになっ

た熱電併給(コージェネレーション)システムに代表

されるエネルギーの有効活用が内燃機関の利用を促進

した。さらに1990年代から環境問題に直面し、技術的

対策の確立が急務となった。

常用機関の市場のひとつとして、主として途上国向

けのディーゼル発電プラントがあり、欧州の機関メー

カーと激しい競争をしながら実績を積み上げてきた。

世界に通用する品質、性能、価格が維持されている現

れといえる。

非常用発電装置の原動機として、ディーゼル機関、

ガス機関、ガスタービンが優劣を競っているが歴史的

経過と今後の動向について調査を行った。

ガス機関はオットーサイクルの原点でもあり、近年

の各種ガス機関はディーゼル機関から派生した一分野

と位置づけることもできる。歴史的経過と今後の発展

の可能性について記述した。

第5章は、鉄道車両用機関についてディーゼル機関

車とディーゼル動車に分けて述べている。蒸気機関車

で幕開けしたわが国の鉄道が電気機関車、ディーゼル

機関車へと進化していき、ディーゼル機関車がどのよ

うに発展してきたかを記述した。ディーゼル動車は電

車と並んで、動力分散型システムが発達したわが国国

鉄では1970年代に世界最大のディーゼル動車保有国に

なった。その技術水準はきわめて高く、動力システム

も日本独自の技術が各所に採り入れられている。

第6章では、各分野に横断的に共通な技術の発展過

程を低速、中速及び高速の各機関に分けて系統化した。

特に戦後の60年あまりの間に、正味平均有効圧力、平

均ピストン速度、燃料消費率がどのように変遷してき

たか、そしてそれがどのような手段で実現したのかを

明らかにした。

第7章は、ディーゼル機関の技術発展を支えた共通

技術のうち主要なものとして、燃料噴射系、過給機お

よび過給システム、環境対策について系統化を行った

結果を記述した。燃料噴射系では無気噴射が大きな技

術変革をもたらし、近年の電子制御式噴射システムも

熱効率向上と排気ガス性状改善に大きな効果をもたら

した。また排気タービン過給機の発明はディーゼル機

関の出力と熱効率の向上の救世主といってよい。無過

給に比べ5倍の出力と2倍近い熱効率を到達できたこと

は驚異的である。

第8章は、調査を通じて得られた知見を筆者の考察

として記述した。4サイクルディーゼル機関が将来に

向かって生き続けられるのか、ほかの熱機関や燃料電

池などに取って代わられるのかを予測することは難し

いが、少なくとも更なる進化を続けることが不可避で

あることは確かである。

本文中に盛んに使用される専門用語のうち、特に頻

出するものについて、簡単に紹介しておく。

4サイクルディーゼル機関の技術系統化調査

1 はじめに

4 国立科学博物館技術の系統化調査報告 Vol.12 2008.March

(1)正味平均有効圧力(略号Pme、単位:kg/cm2、MPa)

機関の時間容積(回転数と排気量の積)あたりの出

力を表すもので、出力性能の目安となる。

(2)平均ピストン速度(略号Cm、単位:m/s)

ピストンの往復動の平均速度で、回転数とともに速

度の目安となる。

また使用単位は、概ね1990年代以降はSI単位、1980

年代末までは旧単位を使用した。例として出力単位は

旧はPS、新はkWとし、必要なものはkWm(機関出力)

とkWe(発電機出力)に区別した。また正味平均有効

圧力Pmeは旧はkg/cm2、新はMPaを使用した。

出力

1980年代まで

正味平均 有効圧力

1990年代以降 換算係数

PS kW、kWm、kWe 1kW=0.7355xPS

kg/cm2 MPa 1MPa=0.09807kg/cm2

54サイクルディーゼル機関の技術系統化調査

ドイツ人ルドルフ・ディーゼル(Rudolf C. K.

Diesel, 1858-1913)(図2.1)は1892(明治25)年に、

独自の熱力学理論「合理的な熱機関の理論と構造」を

発表し、同時にこの理論に基づく特許を取得した。高

い燃焼圧力により、サイクルの温度差を大きくするこ

とで熱効率を高めることを理論的に証明し、既にオッ

トー(N. O. Otto, 1832-1891)によって発明された火

花点火機関で用いられる予混合燃焼ではなく、燃料を

シリンダの中に噴射する方式を採った。空気の圧縮熱

で点火するいわゆる圧縮点火機関の発明である。

1893(明治26)年に実験機が製作され、長期にわた

る試行の末1897(明治30)年に漸く実用化の目途をつ

けた。この間の経過は自著のなかで詳述されているが、

何度かの危機を乗り越え、最後に成功を勝ち得たのは、

自らが構築した熱力学理論に裏付けられた強い信念が

あったからに他ならない。

一連の膨大な実験は、実に多彩な内容から成ってお

り、今日でも参考になることが多い。例えば、使用し

た燃料は、原油、灯油、ガソリン、都市ガスと当時入

手できる燃料はほとんど試した。燃料の噴射方式も無

気噴射と空気噴射の両方式を試みた結果、空気噴射方

式を採用した。このことは、燃料の気化がうまくいか

なかったことの裏返しでもあり、5年間の実験のほと

んどが燃料の気化による安定な燃焼との戦いだったと

もいえる。

実験機は4サイクルのクロスヘッド型単気筒の機関

で、口径150mm、行程400mmの初号機(図2.2)と口

径220mm、行程400mmの2号機で、いずれも現在ドイ

ツで保存されている。

ルドルフ・ディーゼルが発明家として優れていたの

は単に理論の組立だけではなく、当時全盛だった蒸気

機関に代わる高効率機関の実用化と普及に目標を置い

たことである。そして、実験を経済的、精神的に支え

たのが、ドイツのクルップ(Krupp)社、アウグスブ

ルグ機械製作所(後のMAN社)の2社だった1, 2, 3。

ルドルフ・ディーゼルは実用化の見通しがつく前か

らライセンスの供与に熱心だった。前述の2社のほか、

彼がアウグスブルグの学生時代実習したことのあるス

イスのスルザー(Sulzer)社をはじめ5年間に、表2.1

に示す10社と技術供与の契約を交している。

欧州各地から実験機の視察に訪れた各社へライセン

ス契約を奨めたことはもちろん、各地を回ってディー

ゼル機関の優秀さをアピールし自ら契約を交わした。

また、1913(大正2)年には、アメリカに渡り、発明

王トーマス・エジソン(Thomas A. Edison)とも会っ

ている。

2 ディーゼル機関の誕生から普及まで

ディーゼル機関の誕生2.1

図2.1 ルドルフ・ディーゼル(1858-1913)(MAN Diesel社提供)

図2.2 ディーゼル機関第1号機(MAN Diesel博物館所蔵)

ディーゼル機関の普及2.2

6 国立科学博物館技術の系統化調査報告 Vol.12 2008.March

ルドルフ・ディーゼルの特許は1912年頃から満了しは

じめるが、その後、これらライセンシーが拡張したネッ

トワークで、数多くの会社が独自の設計でディーゼル機

関を作るようになり、急速に普及するようになった。

商用ディーゼル機関の1号機はアウグスブルグで

1897(明治30)年製作され、ドイツ、ケムプテンのマ

ッチ製造会社のユニオン社の動力用として1898(明治

31)年に稼働開始した。これは、4サイクル、2気筒、

60PS/180rpmの機関であった。

一方、Sulzer社は1903(明治36)年に4サイクル、

20PS/250rpmの初のディーゼル機関をポンプ駆動用と

して製作した。そして、B&W社は1904(明治37)年

に4サイクル機関の製造を開始、8~16PSの陸上発電

用として10基を製作した。

最初の舶用ディーゼル機関は、1903~4(明治36~7)

年、フランス、ロシア、スイスで内航船として就航し

た。フランスの運河のはしけ「Petit Pierre号」は、

Dyckhoff製の水平対向ピストン、口径210mm、行程

300mm、25PS機関を装備した。同じ頃、ボルガ河とカ

スピ海を運航する650DWTタンカー「Vandal号」が就

航した。主機関はスウェーデンのAB Diesel製、口径

290mm、行程430mm、120PS/240rpmの4サイクル機関

を3基3軸に配置したものだった。そして1904(明治37)

年には、スイス、ジュネーブ湖の貨物船「Venoge号」

にSulzerの4サイクル、2気筒、口径260mm、行程

450mm、40PS/260rpmのディーゼル機関が搭載された4。

しかし、これら初期の舶用機関は逆転が効かず、プ

ロペラはディーゼル機関直結と電気的逆転式を組合わ

せた取扱いにくいものだった。そこで、Sulzerは1905

(明治38)年に2サイクルの自己逆転機関を開発、続い

てMAN(アウグスブルグ機械製作所の新会社)、

Nobelも自己逆転機関を開発した。

初期のディーゼル機関の適用分野に潜水艦がある。

それまでのガソリン機関に較べ、燃料が引火しにくい

という安全面が重視された。最初の潜水艦用ディーゼ

ルは、フランスの「Circe号」と「Calypso号」で、

MANの4サイクル4気筒、口径330mm、行程360mm、

300PSを4台搭載して、1907(明治40)年に就航した5。

最初の航洋ディーゼル船は1910(明治43)年に就航

したイタリアの「Romagnd号」で、主機としてSulzer

の2サイクルトランクピストン形、4気筒、口径

310mm、行程460mm、380PS/250rpm 2基が搭載され

た。同年末にはタンカー「Vulcanus号」がオランダの

ストーク・ヴェルクスポアディーゼル(SWD)の4サ

イクル、クロスヘッド型、6気筒、口径400mm、行程

600mm、500PS機関を搭載して就航した。そして1911

(明治44)年には、「Toiler号」にSwedish Polarの

180PS 2基を搭載して大西洋を横断した。

1912(明治45)年に、デンマークの海運会社East

AsiaticはB&Wの4サイクル、口径530mm、行程730mm、

1250PS 2基を「Selandia号」(図2.3)に搭載し、欧州と

日本間の航路に就航させた。これをもって、世界初の

本格的航洋船とする説が有力である6。同じ年に就航

した6500DWTの貨物船「Monte Penedo号」は初めて

の2サイクル航洋船であり、Sulzer 4S47形、クロスヘ

ッド型、4気筒、口径470mm、行程680mm、850PS/

160rpmが2基搭載された。

日本人で初めてディーゼル機関に接したのは、新潟

鉄工(現新潟原動機)の技師長笹村万蔵が1900(明治

33)年に欧米視察の際に立ち寄ったパリ大博覧会で展

示されていた実機であると思われる7。

技術供与先

Maschinen fabrik-Augsburg AG

Fried Krupp, Essen

Sulzer Brothers Ltd.

F. Dyckhoff Fils, Bar-le-Duc

Cares Freres, Ghent

Mirrlees, Watson & Yaryan Co., Ltd.

Adolphus Busch

Burmeister & Wain

Marcus Wallenburg (AB Diesel-Motorer に権利譲渡)

Ludwig Nobel Ltd.

国名

ドイツ

ドイツ

スイス

フランス

ベルギー

スコットランド

アメリカ

デンマーク

スウェーデン

ロシア

  契約日

1893年2月21日

1893年4月10日

1893年5月16日

1894年4月18日

1894年4月30日

1897年3月23日

1897年10月9日

1898年1月28日

1898年1月

1898年2月16日

(「Sulzer低速舶用ディーゼル機関の歴史(1)」 D.T.Brown 内燃機関1985年5 月号より)

表2.1 ルドルフ・ディーゼルの技術供与先

ディーゼル機関の商用化2.3

図2.3 世界初のディーゼル航洋船Selandia号(MAN Diesel社提供)

我が国におけるディーゼル機関の誕生まで2.4

1907(明治40)年、日本石油は33PSの単気筒ディー

ゼル機関を1台輸入した。これは本邦初のディーゼル

機関と推定される。同社の機械部門であった新潟鉄工

は、この機関をもとにディーゼル機関の研究を始めた。

一方、三菱重工は1912(大正元)年頃、蒸気タービ

ンの技術習得のため渡欧中の技師が、建造中だった前述

の「Selandia号」の見学の機会を得て、ディーゼル機関

に強い関心を抱き、その報告に基づいて調査研究が開始

された。そして三菱神戸で1917(大正6)年に、清水菊

平らの設計による独自のディーゼル機関、G37.5/50型、

4気筒、口径375mm、行程500mm、250PS/187rpmを完

成し、三菱名古屋に納入した(図2.4)。これがわが国で

製作された最初のディーゼル機関とされる 8, 9。

早くからディーゼル機関の研究を始めていた新潟鉄

工は、1916(大正5)年6月に欧米に視察中の技師加藤

重男にディーゼル機関の調査を命じた。そして同年10

月に、渡英中の海軍機関大佐大内愛七の紹介で、マン

チェスター郊外のマーリス(Mirrlees Bickerton &

Day)社を訪ねたあと、スウェーデンのAB Diesel

(Polar)を視察し、1917(大正6)年帰国した。その

後両社と技術提携の交渉を始めたが、AB Dieselとの

交渉が難航したため、マーリス社と1918(大正7)年1

月に製造権に関する契約を結んだ。

マーリスと提携したものの、非逆転機関のため舶用

としては使えなかったので、マーリス経由AB Diesel

の図面を入手し、4サイクル、4気筒、口径9インチ

(229mm)、行程12インチ(305mm)、100PS/350rpmの

M4Z型機関を1919(大正8)年6月20日に完成、東京月

島工場で始動に成功した(図2.5)。これがわが国で製

造された最初の舶用ディーゼル機関である10。

この頃日本海軍では、潜水艦の主機として、ガソリ

ン機関からディーゼル機関への転換を決定し、欧州メー

カーとの提携を推進していた。

1915(大正4)年に、川崎造船はイタリアのFIAT社

と単動2サイクルの製造権に関する契約を結び、1916

(大正5)年には、三菱神戸がVickers社と提携、1917

(大正6)年に日本海軍はSulzer社から潜水艦用Q型デ

ィーゼル機関の製造権を購入、翌年神戸製鋼もSulzer

とQ型機関の提携を行った。1923(大正12)年頃から、

技術導入が活況を呈し表2.2に示すとおり、ほぼ15年

間で延べ15社が製造権の取得を果している。

74サイクルディーゼル機関の技術系統化調査

海外からの技術導入2.5

契約年

1911(明治44)

1915(大正4)

1917(大正6)

1917(大正6)

1918(大正7)

1918(大正7)

1920(大正9)

1923(大正12)

1923(大正12)

1924(大正13)

1925(大正14)

1925(大正14)

1926(大正15)

1929(昭和4)

1929(昭和4)

契約者

川崎造船

川崎造船

三菱神戸

日本海軍

神戸製鋼

新潟鉄工

三菱神戸

川崎造船

神戸製鋼

新潟鉄工

横浜船渠

三菱神戸

三井物産

三菱横浜

川崎造船

提携先

MAN

FIAT

Vickers

Sulzer

Sulzer

Mirrlees

Vickers

MAN

Sulzer

Nobel

Atlas

Sulzer

B&W

MAN

MAN

製造開始

   ―

1919(大正8)

1922(大正11)

1918(大正7)

1920(大正9)

1920(大正9)

1924(大正13)

1926(大正15)

1924(大正13)

1926(大正15)

1926(大正15)

1930(昭和5)

1928(昭和3)

1930(昭和5)

1934(昭和9)

備考

潜水艦

潜水艦

潜水艦

潜水艦

潜水艦

発電用

商船

潜水艦

練習船

漁船

商船

商船

商船

発電用

商船

サイクル

2

2

4

2

2

4

4

4

2

2

4

2

4

2,4

2,4

表2.2 海外との技術提携の状況11

図2.4 本邦初の国産ディーゼル機関(三菱神戸1917年)(三菱重工提供)

図2.5 本邦初の国産舶用ディーゼル機関(新潟鉄工1919年)(新潟原動機提供)

8 国立科学博物館技術の系統化調査報告 Vol.12 2008.March

わが国において、最初に船舶に搭載されたディーゼ

ル機関は、1917(大正6)年海軍の給油艦「高崎」の主

機B&Wの4サイクル単動500PS 2基であった。引き続き

1918(大正7)年には、大型潜水艦「伊51号」にSulzer

Q45型単動2サイクル空気噴射式、トランクピストン型

機関(6気筒、口径450mm、行程440mm、1300PS/

340rpm)を2基搭載した。さらに1920(大正9)年には、

「伊52号」にSulzer Q54型(8気筒、口径540mm、行程

570mm、3000PS/300rpm)を2基搭載した12。これらは

何れも、欧州から輸入した機関であった。

新潟鉄工は、1919(大正8)年に開発に成功した

M4Z型100PS機関を1920(大正9)年静岡県の東海遠

洋漁業「第二太洋丸」の舶用主機第1号として納入し、

引き続き同型の2号機を漁船「海運丸」に納入した13。

同じ年にマーリス型発電用ディーゼル機関の初号機を

京都の日本絹布(後の鐘紡)に納入した。そして、

1922(大正11)年には農商務省調査船「白鳳丸」に4

サイクル、320PS/270rpm機関2台を納入した。

さらに1924(大正13)年スウェーデンのノーベル

(Nobel)社から2サイクルディーゼル機関の製造権を

取得、1927(昭和2)年に共同漁業のトロール漁船

「釧路丸」に750PS型を搭載した。そして1928(昭和3)

年に、同じノーベル型2サイクル、クロスヘッド型(6

気筒、口径510mm、行程760mm、1500PS/150rpm)

を農商務省調査船「俊鶻丸」に搭載した。本機関は当

時としては、航洋船主機に較べても遜色のない大型機

関として評判になったという14。

池貝鉄工も早くからディーゼル機関の研究に着手し

ており、1920(大正9)年に、独自で開発した4サイク

ル、空気噴射式単気筒、40PSディーゼル機関を完成

し、東京高工に納入した。続いて、1922(大正11)年

には120PSの4サイクル機関を御前崎の漁船「福生丸」、

160PS機関を「明照丸」の主機として納入した15。そ

して1930(昭和5)年には練習帆船「日本丸」「海王丸」

の補助推進機関として、無気噴油式4サイクルディー

ゼル機関(6気筒、口径400mm、行程600mm、600PS/

220rpm)各2基を納入した。この両船はわが国初のデ

ィーゼル練習船であるばかりでなく、50年以上にわた

り海上技術者の養成の場として貢献した。

商船用としてわが国で初めてディーゼル機関が搭載

されたのは、1924(大正13)年三菱神戸で建造された

大阪商船の内航貨客船「音戸丸」で、主機はビッカー

スの単動4サイクル無気噴射式(6気筒、口径463.6mm、

行程686mm、600PS/150rpm)の輸入機関が使用され

た。引き続き建造された姉妹船の「早鞆丸」「三原丸」

には三菱神戸製の同型機が搭載された16。

1924(大正13)年三井物産造船部(現三井造船)は

「赤城山丸」の主機としてB&Wから購入した4サイク

ル空気噴射、クロスヘッド型機関(6気筒、口径

740mm、行程1500mm、1800PS/87rpm)を搭載した。

これがわが国初のディーゼル航洋船である17。船主で

もある三井物産は本機関選定にあたって、初代機関長

となる川合菊平を欧州に派遣し、B&Wの立会のみな

らず他社機関や艤装品の調査にあたらせた18。結局、

主機関としてはB&Wの1台だけの確保に止まったた

め、姉妹船の「秋葉山丸」の主機関は蒸気機関を搭載

することに決まった。

竣工後、同じ北米航路に就航した両船は優劣が比較

されることになり、ディーゼル船「赤城山丸」が航海

日数の短縮と積荷の増加で「秋葉山丸」に大きく差を

付けたと記録されている。

日本郵船が英国の造船所に発注していた初のディー

ゼル船2隻が、1925(大正14)年に日本に到着、1隻は

Sulzerの2サイクル機関を積んだ「愛宕丸」、もう1隻

がB&Wの4サイクル機関を積んだ「飛鳥丸」で、いず

れも2000PSを2基搭載した19。

大阪鉄工(現日立造船)では、大阪・別府航路の客

船「紅丸」主機にB&W、4サイクル単動機関(6気筒、

口径500mm、行程900mm、900PS/140rpm)2基を輸

入して搭載した20。

1926(大正15)年に三菱神戸が建造した大阪商船の

「那智丸」に搭載されたのは三菱神戸製、ビッカース

単動4サイクルクロスヘッド型機関(6気筒、口径

463.6mm、行程686mm、600PS/150rpm)2基で、国産

機関が初めて搭載された商船である21。

1928(昭和3)年、三井物産造船部はB&Wの国産1

号機を完成し、三井物産の「高見山丸」に搭載した。

4サイクル単動、空気噴射式トランクピストン型機関

(6気筒、口径500mm、行程900mm、950PS/160rpm)

だった。これら機関の主要目を表2.3に示す。

わが国におけるディーゼル機関の発展2.6

94サイクルディーゼル機関の技術系統化調査

ルドルフ・ディーゼルが実用化に成功したのは4サ

イクルディーゼル機関だったため、その製造権を得た

メーカーは暫くは専ら4サイクル機関を製造していた

が、1910(明治43)年頃から大型機関メーカーを中心

に2サイクル機関の開発を始めた。Sulzer、FIAT、

Junkers、Nobelなどが比較的早く、続いてMAN、

B&Wなども2サイクル機関の製造を始めた。

船のサイズが大きくなるにつれ、所要出力が大きく

なるが、当時の4サイクルでは出力が不足のため、前

述の「Selandia号」、「Monte Penedo号」のように、2

基搭載して所要出力を確保する方法がとられていた。

正味平均有効圧力(Pme)は4サイクルと2サイクル

で大差がなく、何れも5kg/cm2前後だったので、2サ

イクルにすることで、同一要目で、2倍の出力が得ら

れたことになる。図2.6、2.7に4サイクル、2サイクル

機関の作動原理を示す。

一方、単動式から複動式に移行したのも出力増加の

要求によるものである。蒸気船からディーゼル船への

シフトが進むにつれ、より大きな船へのディーゼル機

関搭載の需要が増し、単機出力も当然大きいものが求

められた。単動式がピストンの片側で燃焼が起こるの

に対し、複動式はピストンの両側で燃焼をさせて仕事

量を稼ぐ仕組みである。概念図を図2.8に示した。

1929(昭和4)年頃、B&Wは4サイクル複動式でPme

5kg/cm2クラスの機関を開発した。これは4サイクル単

動式に較べて2倍の出力である。1930(昭和5)年代に

入ると、MAN、Sulzerが2サイクルの複動式機関を

船名 (納入先) 竣工年

三菱名古屋 1917(大正6)年

第二大洋丸 1920(大正9)年

那智丸 1926(昭和元)年

高見山丸 1928(昭和3)年

俊鶻丸 1928(昭和3)年

日本丸 1930(昭和5)年

帝洋丸 1931(昭和6)年

口径 行程 mm

375 500

229 305

463.6 686

500 900

510 760

400 600

600 900

出力PS 回転数 rpm

250 187

100 350

600 x 2 150

950 160

1500 150

600 x 2 220

3600 x 2 125

Pme* kg/cm2 Cm* m/s

5.4 3.1

5.1 3.6

5.2 3.4

5.0 4.8

4.8 3.8

5.4 4.4

4.4 3.8

機関製造者 機関形式*

三菱神戸 単4空TP

新潟鉄工 単4空TP

三菱神戸/Vickers 単4無CH

三井玉野/B&W 単4空TP

新潟鉄工 単2空CH

池貝鉄工 単4無TP

横浜船渠/MAN 複2無CH

*記号 単:単動、複:複動、2:2サイクル、4:4サイクル、空:空気噴射式、

無:無気噴射式、TP:トランクピストン型、CH:クロスヘッド型、

Pme:正味平均有効圧力、Cm:平均ピストン速度

4

4

6

6

6

6

6

気筒数

表2.3 初期の主な国産ディーゼル機関の主要目

2サイクル・4サイクルと単動・複動機関2.7

図2.6 4サイクル機関の作動原理

図2.7 2サイクル機関の作動原理(図2.6 とあわせ、田山経二郎「舶用大形2サイクルディーゼル機関の技術系統化調査」2006年度より引用)

図2.8 複動ディーゼル機関の概念図

10 国立科学博物館技術の系統化調査報告 Vol.12 2008.March

Pme 5kg/cm2程度でシリーズ化して、2サイクル単動式

と4サイクル複動式に対して2倍という大出力を実現し

た。日本海軍は潜水艦、水上艦用に2サイクル複動を

数機種開発してきたが、戦艦「大和」用に開発した艦

本式13号10型機関はPme 5.0kg/cm2、平均ピストン速

度Cm 7.0m/sと非常に高水準の機関であり、高い技術

を有していたことが分かる。しかし本機関は「大和」

には使われず水上機母艦「日進」に搭載された。

表2.4は代表的な機関の要目を種類別に示したもの

で、すべて無過給であるため、Pmeが4~6kg/cm2程度

であるのに対しシリンダあたりの出力は、2サイクル

または複動にすることにより顕著に増加することが示

されている。このように、終戦までは過給機がまだ普

及していなかったため、2サイクル化、複動化が出力

増加の有力な手段として用いられた。また、平均ピス

トン速度Cmは4~6m/sが多いなかで、艦本13号のみ

7.0m/sと高かったことでも外国勢にひけをとらなかっ

たことがうかがえる。図2.9は口径に対する気筒あた

り出力を比較したもので、2、4サイクルの違いと単動、

複動の違いが分かる。

1「ディーゼルエンジンはいかにして生み出されたか」

R.Diesel(山岡茂樹訳)

2「ディーゼル機関の発明と初期の改良」K.Luther(笠川

哲訳)日本舶用機関学会誌(以下MESJと略称)1981年5月

3「ディーゼル機関 -世界における第1号機の開発」

K.Luther(三村道夫訳)内燃機関 1978年9月

4「日本の艦艇・商船の内燃機関技術史」藤田秀雄他

MESJ 1995年9月 P624

5「日本の艦艇・商船の内燃機関技術史」藤田秀雄他

MESJ 1995年9月 P625

6「日本の艦艇・商船の内燃機関技術史」藤田秀雄他

MESJ 1995年9月 P632

7「新潟鉄工所百年史」1996年3月 P82

8「神船ディーゼル75年のあゆみ」三菱重工神戸 1992年9月

P15

9「舶用機関技術史」日本船舶機関士協会 2003年5月 P322

10 「新潟鉄工所百年史」1996年3月 P83

11 「舶用ディーゼル機関の技術に関する進歩の年表」村田

正之他 MESJ 1979年2月

12 「日本の艦艇・商船の内燃機関技術史」藤田秀雄他

MESJ 1995年8月 P606

13 「日本漁船発動機史」日本舶用発動機会 1959年7月 P78

14 「新潟鉄工所百年史」1995 P86

15 「日本漁船発動機史」日本舶用発動機会 1959年7月 P83

16 「神船ディーゼル75年のあゆみ」三菱神戸 1992年9月 P17

17 「三井造船のディーゼル50年」1986年8月 P13

18 「舶用機関の回顧談」川合菊平 MESJ 1973年2月

19 「日本郵船百年史」1988年10月 P252, 670

20 「日立造船百年史」1985年3月 P108

21 「神船ディーゼル75年のあゆみ」三菱神戸 1992年9月 P17

Type

4サイクル

単動

2サイクル

単動

4サイクル

複動

2サイクル

複動

製造者

B&W

MAN

Sulzer

FIAT

B&W

B&W

Sulzer

MAN

三菱長崎

日本海軍

口径 mm

740

450

540

440

680

840

760

600

720

480

行程 mm

1500

420

570

450

1600

1500

1200

900

1200

600

出力 PS

1800

1200

3000

1300

5500

6750

7600

3600

8000

8000

6

6

8

6

8

6

7

6

8

10

回転数 rpm

87

450

300

360

100

125

113

125

110

350

Pme kg/cm2

4.8

6.0

4.3

4.1

5.6

5.2

4.2

4.5

4.4

5.0

Cm m/s

4.4

6.3

5.7

5.4

5.3

6.3

4.5

3.8

4.4

7.0

気筒数

表2.4 サイクルと単動・複動の比較

図2.9 機関種類別気筒あたりの出力比較

114サイクルディーゼル機関の技術系統化調査

3-1-1 外航船

国際航海に従事する外航船は、海運大国日本の花形

として産業の発展に寄与してきた。第二次大戦後、蒸

気タービンからディーゼル機関への転換が進んでいく

過程で、ディーゼル機関のなかで2サイクル機関と4サ

イクル機関の競争が始まった。欧州のMAN、SEMT、

Sulzerなどの各社が高性能の4サイクル機関を開発し

たのに対し、当時の2サイクル機関は、潤滑油消費が

多く、燃費も悪かったため4サイクル機関に遅れをと

り、外航船主機としても4サイクル機関優位の時期が

あった。1964(昭和39)年、川崎重工は4サイクル中

速機関を3基1軸に配したコンテナ船「オーストリアン

エンタープライズ」号を建造し、世界最大のマルチプ

ルギヤード機関(複数のディーゼル機関から減速機を

介してプロペラを駆動する方式)として注目された1。

また、石川島播磨重工(現IHI)は1967(昭和42)年

に多目的貨物船「フリーダム」に同社が技術提携した

SEMT社12PC2-2型機関5130PSを搭載、20日ピッチの

短いサイクルで連続建造を開始した。本シリーズは後

続の「フォーチュン」でも16PC2-2V型8000PSが搭載

され1980(昭和55)年までに両シリーズ合わせて実に

233隻という多数を建造し、すべて外国に輸出された。

これら船舶の機関を表3.1.1に示す。

2サイクル機関は、昭和50年代初めから、ロングスト

ローク化、クロスヘッド式(ピストンと連接棒の間に

クロスヘッドという側圧を受ける部分を設ける方式)、

ユニフロー式(掃除空気がシリンダの下部から上部の

排気弁に直進する方式)、静圧過給方式(7-2-4参照)な

どの採用で、低燃費と低質油炊対応を確立し、外航船

(大型船)の分野では確固たる地位を築くことになる。

3-1-2 内航船

わが国は国土面積の割合に広い領海と長い海岸線を

有する島嶼国であり、古くから人や荷物の輸送に船が

使われてきた。第二次大戦後、架橋や海底トンネルな

ど道路や鉄道が整備され、またモータリゼーション時

代の到来で自動車が大幅に増えた結果、1980年代に入

り慢性的な道路の渋滞や自動車からの大気汚染が深刻

な社会問題となった。このため、輸送手段をトラック

から船舶や鉄道にも分担させるいわゆるモーダルシフ

トの取組みが官民一体で行われて今日に至っている。

輸送手段別のトンキロベースの輸送量を図3.1.1に示

すとおり、内航船は過去30年余りに亘って4割前後の

シェアを保ってきた。

一方輸送手段別のトンキロ輸送あたりのエネルギー

消費量は図3.1.2で示すとおり、内航船がトラックに

比較し約5分の1と省エネルギーになっていることがわ

かる。

3 船舶用ディーゼル機関の発達過程

商船用ディーゼル機関3.1

船名または シリーズ船名

オーストラリアン エンタープライズ

フリーダム シリーズ

フォーチュン シリーズ

メーカー 主機型式

川崎MAN V8V40/54 3台

IHI SEMT 12PC2-2V 1台

IHI SEMT 16PC2-2V 1台

口径 行程 mm

400 540

400 460

400 460

出力PS 回転数 rpm

8690x3 400

5130 500

8000 500

Pme kg/cm2 Cm m/s

18.0 7.2

13.3 7.7

15.6 7.7

16

12

16

気筒数

表3.1.1 4サイクル機関を搭載した外航船の要目例

図3.1.1 国内貨物の輸送活動量の推移(国土交通省「陸運統計要覧」より加工)

図3.1.2 輸送手段別エネルギー比較(1998年度「交通関係エネルギー便覧・平成12年度版」より抜粋)

12 国立科学博物館技術の系統化調査報告 Vol.12 2008.March

内航船で運ぶ貨物は、鉄鋼製品、セメント、石灰石、

穀物飼料、紙、自動車、砂利、石油製品など産業基盤

資材から食糧、日用雑貨に到るまでほぼ全般に亘って

いる。これらの貨物の種類によって、種々の船が建造

される。2007(平成19)年3月末現在、内航船は6056

隻、360万6920総トンとなっており、総トン数シェア

でみると、一般貨物船の48%とタンカーの27%で全体

の75%を占め、残りをセメント、土・砂利・石材、自

動車の各専用船が占める。

内航船は小型の199総トンから大型の10000総トンを

超えるものまで、かなり幅広いサイズに分布しており、

主機の出力も概ね1000PS(735kW)から23000PS

(17000kW)クラスまで、広範囲に亘っているが、

1970(昭和45)年ころ以降は専らディーゼル機関が使

用され、およそ3000PS(2206kW)を境に小型は4サ

イクル低速機関が、大型は2サイクル低速機関が主流

となっている。しかし、近年の電気推進機関では4サ

イクル中速機関が使用されている。

小型の代表的船舶である499総トン型貨物船の主機

の変遷をみると、1970年代は1000~1200PSが主流だ

ったが次第に高出力化して2000年代では1800~

2000PS級のものが搭載されている。主な各社の機関

を表3.1.2に比較してみる。

この表から約30年の間に、機関の正味平均有効圧力

Pmeは約50%上昇し、回転数は約30%低下により推進

効率が約10%上昇、燃費は約10%低下したため20%ほ

ど燃料が節約できたことになり、これは速力に換算す

ると7%弱の増加に相当する。実際の航海速力が10ノ

ット前後だったものが、最近では11~12ノットに上が

ってきているのは、燃料消費は若干増えるが、速力重

視の考えに基くものと思われる。

2002(平成14)年、内航電気推進船「千祥」(499総㌧

型ケミカルタンカー)が竣工した。530kWmの4サイク

ル中速機関3基で発電し、2基の電動機で全旋回式可変

ピッチプロペラを回すシステムだった。主機はヤンマ

ーの6N165L-EN型1200rpmであり、在来船の4サイク

ル低速機関とは好対照の機関である。その後できた

499トン型貨物船「新衛丸」も400kWm 3基による発電

システムだった。在来船との比較を表3.1.3に示す。

電気推進システムの導入によるメリットは、

①負荷変動に対する応答性が高いこと

②原動機の種類が2種類から1種類になったことによ

る、予備品共通化と保守の容易化

③推進システムの2系統化による信頼性の向上

④マルチ化による動力分割が自由

⑤推進効率の上昇による燃料消費量の節減

などが挙げられる。

電気推進船は、貨物船だけではなくタンカーや後述

のフェリー、クルーズ船、漁船など大小各種船舶に適

用される例が増えてきており、今後大幅に増加してい

くものと思われる。

3-1-3 カーフェリー

日本では1911(明治44)年に関門海峡を鉄道車両を

運ぶ連絡船が就航したのが初めての車両輸送で、その

後青函連絡船と宇高連絡船が就航した。関門航路は

1942(昭和17)年のトンネル開通まで、宇高航路と青

函航路は1988(昭和63)年の瀬戸大橋と青函トンネル

開通まで鉄道車両輸送の使命を果たした。

青函連絡船では、1955(昭和30)年に初めて「檜山

丸」(初代)にディーゼル機関が使用され、1977(昭

和52)年に竣工した「石狩丸(三代目)」まで16隻建

造された。檜山丸主機は2サイクル無過給機関の2基2

軸だったが2、津軽丸(二代目)では、16気筒の4サイ

クル機関の8基2 軸となり、補機を含めると1隻あたり

の総気筒数が152にも及んだ。以降は口径を大きくし

気筒数を減らす方向に変わってきた3。これには保守

整備上の利点が大きかった。またこの20年間で、正味

平均有効圧力Pmeが無過給の5kg/cm2から過給機関で

12.3kg/cm2と2.5倍程度に上昇していることがわかる。

船種 建造年

499GT

貨物船

1970年代

499GT

貨物船

2000年代

主機メーカー 型式

阪神 6LU28

赤阪 DM28

新潟 6M28AT

阪神 LH34

赤阪 A34S

新潟 6M34BT

6

6

6

6

6

6

口径mm 行程mm

280 480

280 480

280 480

340 640

340 660

340 620

出力PS 出力kW

1000 736

1000 736

1000 736

2000 1471

2000 1471

2000 1471

rpm

380

380

370

270

260

290

Pme kg/cm2 Cm m/s

13.3 6.1

13.3 6.1

13.7 5.9

19.1 5.8

19.3 5.7

18.4 6.0

燃費 推進効率

155g/PSh

39~40%

140g/PSh

43~45%

気筒数

表3.1.2 499総㌧型貨物船主機の要目比較

船種

在来船 499GT貨物船

新衛丸 499GT貨物船

主機

低速 1800-2000PS

推進 動力

1800PS (1324kW)

500kW 2基 (1000kW)

推進器

固定 ピッチ

二重 反転

備考

推進系の 2系統化

補機

中速 180kW 2基

(主発)中速機関 400kW 3基

表3.1.3 在来船と電気推進船の比較

134サイクルディーゼル機関の技術系統化調査

表3.1.4にこれら機関の要目を示す。

昭和40年代の前半、日本は急速な経済成長を背景に、

本格的なモータリゼーションの時代に入った。生鮮食

料品を九州、四国、北海道など各地から首都圏や京阪

神に輸送するのに、トラックでそのまま乗下船ができ

るカーフェリーの利点が認められ需要が一気に増大し

た。また、離島航路に就航していた客船や貨客船に代

わって、トラック、乗用車を運ぶカーフェリーも待望

された。

1968(昭和43)年に神戸・小倉間に就航した阪九フ

ェリーの「フェリー阪九」が長距離(大型)フェリー

のさきがけとなり4、中距離(中型)フェリーでは、

1969(昭和44)年に関西汽船が神戸・高松航路に双胴

船「六甲丸」を初めて就航させた。

初期のカーフェリーの主機として要求される項目と

して

①車両甲板下の機関室に収まるよう機関高さが低い

こと(船体構造)

②B重油燃料が使用可能なこと(経済性)

③故障が少なく定期整備時以外の機関停止が許され

ないこと(定時運航)

④2基2軸または4基2軸など複数推進システムである

こと(安全性)

などが挙げられる。

これら要求を満たすには、4サイクル中速機関が適

しているが、適切な製品が始めから存在していた訳で

なく、機関メーカー各社は国産機種の開発または海外

との技術提携でこれに対応した。大別すると、大型機

関は提携機関、中型機関は国産機関が選択された。主

な機関の要目を表3.1.5に示す。

昭和50年代半ばから初期のカーフェリーの更新時期

に入り、高速化、大型化が急速に進んだ。1979(昭和

54)年に敦賀・小樽航路に就航した「フェリーすずら

ん」と「フェリーゆーかり」は、14300GTの大型で航

海速力22.5ノットと当時としては高速力であった。

1996(平成8)年に敦賀・小樽航路に就航した「す

ずらん」と「すいせん」は航海速力29.4ノットと大幅

なスピードアップを図り所要時間を30時間から21時間

程度に一気に短縮した。これにより同航路は2隻によ

るデイリー運行を実現し、運航効率と顧客の利便性を

向上することができた。主機出力も大幅に増え、中速

機関としては世界最大の出力を持つSEMT社の18PC4-

2B型32400PS/410rpm 2基が提携先のディーゼルユナ

イテッド(DU)から納入された。そして、2004(平

成16)年には舞鶴・小樽航路に航海速力30.5ノットの

「はまなす」「あかしあ」が同時就航した。本船は従来

のフェリーの推進システムとはまったく異なる電気推

進式で、1軸心上に2個のプロペラを対向配置した画期

的なものだった。主機出力は、効率アップの効果もあ

り12600PS 2基と「すずらん」と比べて大幅に小さく

なっている。

表3.1.6に1990年代のカーフェリー用主機の要目を

示す。

メーカ 型式

使用開始

三菱 8TPD48 1955年

川崎MAN V8V22/30mAL 1964年

三井 1226MTBF40V 1965年

ダイハツ 6DSM-32 1976年

出力PS 回転数 rpm

2600 230

1600 1000

1600 560

1500 600

Pme kg/cm2 Cm m/s

5.0 5.4

7.9 10.0

10.1 7.5

12.3 7.6

搭載船

檜山丸(初代) 空知丸(初代) 十和田丸(初代)

津軽丸(二代目) 松前丸(二代目) 八甲田丸ほか

大雪丸、摩周丸 羊蹄丸、十勝丸 (何れも二代目)

空知丸(二代目) 檜山丸(二代目) 石狩丸(三代目)

口径 行程 mm

480 700

220 300

260 400

320 380

2

4

4

4

2

8

8

8

8

16

12

6

サイクル

台数

気筒数

表3.1.4 青函連絡船用主機要目 メーカ 型式

新潟 MG31EZ

ダイハツ DSM-32

MAN V40/54

SEMT PC2-5

Sulzer ZB40/48

気筒数

6,8

6,8

6-18

6-18

6-16

口径 行程 mm

310 380

320 380

400 540

400 460

400 480

出力PS/cyl 回転数rpm

350 600

350 600

560 430

650 500

650 530

Pme kg/cm2 Cm m/s

18.3 7.6

17.2 7.6

17.2 7.7

18.7 7.7

18.3 8.5

出力 範囲 PS

2100~ 2800

2100~ 2800

3350~ 10000

3900~ 11700

3900~ 10400

表 3.1.5 1970年代のカーフェリー用主機の要目

メーカ 型式

WärtsiläZA40S

SEMT PC2-6B

SEMT PC4-2B

MAN 58/64

口径 行程 mm

400 560

400 500

570 660

580 640

出力 kW(PS)/cyl 回転数rpm

750(1020) 510

750(1020) 600

1324(1800) 430

1400(1903) 428

Pme MPa( kg/cm2) Cm m/s

2.51(25.6) 9.5

2.39(24.3) 10.0

2.19(22.4) 9.5

2.32(23.7) 9.1

出力範囲 kW(PS)

4500(6120)- 13500(18360)

4500(6120)- 13500(18360)

7944(10800)- 23832(32400)

8400(11418)- 12600(17127)

6- 18

6- 18

6- 18

6-9

気筒数

表 3.1.6 1990年代のカーフェリー用主機の要目

14 国立科学博物館技術の系統化調査報告 Vol.12 2008.March

1970年代の機関と比べて大型化(10000から30000

PS級と3倍)、高過給化(Pme18から25kg/cm2級と4割

増)、高速化(Cm8から10m/s級と2割増)が図られて

おり、各社の技術開発の努力の結果が現われたものと

思われる。またこれら技術開発の成功の陰には、日本

のライセンシーの協力が大きく貢献したことが挙げら

れる。

3-1-4 高速船

高速船は、船体を浮揚させて水の抵抗を減らすもの

で、種々のタイプが1950年代ころから考案されてきた。

これら高速船の種類と推進システムを表3.1.7に示す。

これらを大別すると、水中翼型、滑走型、エアクッ

ション型とその組合せ型に分類できる。推進器は船速

が35ノット未満では在来のプロペラが、35ノット以上

ではウォータージェット(船底から吸い込んだ水をポ

ンプにより高圧にして船尾の水面近くに排出して船の

推力を発生させるシステム)が適していると言われて

いる。また原動機に要求される項目は、

①機関重量ができるだけ軽いこと。

②経済性が高いこと。

③機関整備は予備機との交換方式も可能。但し軽作

業が船内でできることが望ましい。

が挙げられ、軽量なガスタービンが使用されてきたが、

1980年代頃からディーゼル機関の軽量化が進み、その

経済性と取扱性から2000年以降は、一部の船を除いて

ほとんどがディーゼル機関を搭載するようになった。

軽量化の技術は、機関の高過給化(Pme25kg/cm2/

2.5MPaクラス)、高速化(Cm12m/sクラス)の実用化

と機関本体への補機類(ポンプ、冷却器、フィルター

類)の組込みなどで実現したほか、減速機の軽量化も

システムの軽量化に寄与した。主な高速船の要目を表

3.1.8に示す。

3-1-5 クルーズ船

船を単なる移動の手段ではなく、船旅そのものを楽

しむために作られた船がクルーズであり、20世紀の初

頭に就航した大西洋航路の客船が最初のクルーズ船と

いわれており、1904(明治37)年処女航海で沈没して

1500人余りの死者を出したタイタニック号も初期のク

ルーズ船のひとつである。

時代が下って、1969(昭和44)年に就航したクイー

ンエリザベス2号(図3.1.3)は、70327総㌧の世界最大

のクルーズ船として活躍し、2004(平成16)年にクイー

ンメリー号にあとを譲るまでは世界を代表する船だっ

た。主機は最初蒸気タービンだったが、1986(昭和61)

年にディーゼル機関に換装された。MAN B&Wの

9L58/64型16200PSを9基でそれぞれ10.5MWの発電機

を回し、2基の推進器を2基の44MW電動機で駆動する

世界最大の電気推進式であった。この換装工事により、

燃料消費量が30%強節減され、省エネルギー効果が大

いに発揮された。

型 式

     

     

     

滑走型

半滑走型

エアクッ ション船

SES

半没水 双胴船

ハイブリッド型

水平 貫通型

全没水 単胴型

全没水 双胴型

特 徴

復元力大で 安定走行

高度な 制御必要

上二型式 の中間

小型艇に のみ可能

単胴、双胴 型あり

水陸両用、 超高速

操船性 改善

乗り心地 良い

水中翼+浮力 又は空気圧

適 用 例

シュプラマル

ジェット フォイル

スーパー シャトル

モーター ボート

小型客船 警備艇

ホーバー クラフト

WISES (海面効果翼船)

SWATH、 ウェーブピアサー

スーパー ジェット

推進器

ウォーター ジェット

ウォーター ジェット

プロペラ、 ウォータージェット

プロペラ、 ウォータージェット

プロペラ、 ウォータージェット

空中プロペラ

プロペラ、 ウォータージェット

ウォーター ジェット

ウォーター ジェット

原 動 機

ディーゼル機関

ガスタービン

ディーゼル機関

ガソリン機関 ディーゼル機関

ディーゼル機関

ディーゼル機関

ガスタービン ディーゼル機関

ディーゼル機関

ディーゼル機関

水中翼船

表 3.1.7 高速船の種類と推進システムの比較

船 名 (現船名)

シーガル2

トライデント エース

はやぶさ

シーバード

サンオリーブシー (とらいでんと)

オーシャンアロー

型 式

SWATH(SSH)

スーパージェット

ウェーブピアサ

スーパージェット

SSTH

SSTH

造船所

三井

日立

川重

日立 IHI

IHI

1988

1993

1996

1997

1998

1998

航 路

熱海・大島

関空・淡路

八幡浜・臼杵

長崎・串木野

高松・小豆島

熊本・島原

メーカー 原動機

MTU ディーゼル

新潟 ディーゼル

CAT ディーゼル

新潟 ディーゼル

ディーゼル

MTU ディーゼル

出力・台 回転数

2680 x 4

2750 x 2

7370 x 2 5520 x 2

2750 x 4

5338 x 2 1750

5338 x 2 1750

表3.1.8 代表的高速船の主要目

図3.1.3 クイーンエリザベス2号

154サイクルディーゼル機関の技術系統化調査

電気推進船のさらに進化したものとして、全旋回式

推進器をポッド型容器のなかに収容したアジマス

(azimuth)推進器を装備したクルーズ船が1998(平成

10)年頃から登場した。

推進システムの発達の推移を見てみると、初期の蒸

気タービンから、ディーゼル機関へと移り、ディーゼ

ル機関をベースとした電気推進システムが1985(昭和

60)年頃から始まり、さらに1999(平成11)年頃にア

ジマス推進器が出現した(図3.1.4)。2000年代に入り、

より高出力の要求が高まると、原動機にガスタービン

を使用する船が表れた。

2003(平成15)年、フランスのAlstom社で竣工した

「Queen Mary 2」(150000総㌧)では、ガスタービン

とディーゼル機関のコンビネーションによる電気推進

とアジマス推進器の一種であるMermaid Pod(Rolls

Royce社傘下のKaMeWa社とAlstom社の共同開発)が

使用された。発電規模の大きさとシステムの新規性で

世界の注目を集めた。

クルーズ船の推進機関に要求される性能は

①騒音・振動・排気色などが少なく、船内の環境が

良好に保てること。

②低燃費、低質油使用が可能なこと。

③電気推進に適した機関であること。

などであり、総出力は数十MW級と大きいが、単基出

力は10MW級でも対応できた。

これら要求を満たす原動機は、ディーゼル機関であ

るが、一般商船が2サイクル機関で占められているの

と対称的に、クルーズ船ではわずかな例外を除いて、

4サイクル機関が圧倒的に多いのは、機関の防振対策

が比較的容易なことと、電気推進の場合のコスト面で

の優位性などがその主な理由と思われる。代表的機関

を表3.1.9に掲げる。

正味平均有効圧力Pmeが22~27kg/cm2のかなり高水

準のものが多いが、実際に搭載された機関は上表の最

高出力を上限に、10-20%下げた出力を選定して信頼

性を確保している場合が多い。

日本では、1989(平成元)年日本鋼管(現ユニバー

サル造船)津造船所で建造された5218総㌧の「おせあ

にっくぐれいす」が最初で、主機はフィンランドのバ

ルチラ(Wärtsilä)社16V22HF型3530PS(2596kW)2

基が使用された5。

1989(平成元)年と翌年に三菱神戸で竣工した「ふ

じ丸」「にっぽん丸」は23000総㌧級の船で、主機はい

ずれも2サイクルディーゼル機関三菱8UEC52LA型

10700PS(後者は10450PS)が2基搭載された。

1990(平成2)年、三菱長崎で5万総㌧級「クリスタ

ルハーモニー」が竣工、8640kWの中速ディーゼル機

関4基からなる電気推進船だった。

1991(平成3)年に、三菱長崎で28717総㌧の初代

「飛鳥」が完成、主機は4サイクル三菱MAN B&W

7L58/64型12600PS(9260kW)が2基搭載された。本

船は2006(平成18)年に、「飛鳥Ⅱ」(前クリスタルハ

ーモニー)と交代するまで、わが国最大のクルーズ船

だった。わが国に関連のあるクルーズ船の要目を表

3.1.10に示す。

図3.1.4 アジマス推進器の一種Azipod

メーカー 型式

MAN B&W L58/64

MAN B&W L48/60B

Wärtsilä46

Wärtsilä SulzerZA40S

SEMT Pielstick PC2-6

6-9

6-18

6-18

6-18

6-18

口径mm 行程mm

580 640

480 600

460 580

400 560

400 460

出力kWm/PS 回転数rpm

1400/1903 428

1200/1632 514

1050/1428 500

750/1020 510

552/750 520

出力範囲 kWm

8400- 12600

7200- 21600

6300- 18900

4500- 13500

3310- 9960

Pme kg/cm2 Cm m/s

23.7 9.1

26.3 10.3

26.7 9.7

25.6 9.5

22.5 8.0

気筒数

表3.1.9 クルーズ船用の主なディーゼル機関

船名(現船名) 竣工年

おせあにっくぐれいす (Clipper Odyssey)1989

ふじ丸 1989

にっぽん丸 1990

Frontier Spirit (Bremen) 1990

おりえんとびいなす 1990

クリスタルハーモニー (飛鳥Ⅱ)1000

飛鳥 1991

クリスタルシンフォニー 1995

ぱしふぃっくびいなす 1998

造船所 総㌧数

NKK津 5218

三菱神戸 23235

三菱神戸 21903

三菱神戸 6752

IHI東京 21884

三菱長崎 48621

三菱長崎 28717

Kvaener 50202

IHI東京 26518

船速KN 乗客数

19.6 120

21.7 603

22.4 607

17.5 164

21.0 606

22.0 960

21.9 584

22.0 960

20.8 720

推進方式 原動機

機関駆動 4サイクルDE

機関駆動 2サイクルDE

機関駆動 2サイクルDE

機関駆動 4サイクルDE

機関駆動 4サイクルDE

電気推進 4サイクルDE

機関駆動 4サイクルDE

電気推進 4サイクルDE

機械駆動 4サイクルDE

メーカー 形式

バルチラ 16V22HF

三菱 8UEC52LA

三菱 8UEC52LA

ダイハツ 8DKM32

DU-SEMT 12PC2-6V

三菱MAN 8L58/64

三菱MAN 7L58/64

Sulzer 9ZA40S

DU-SEMT 12PC2-6V

台数 出力kWm

2 2596

2 7870

2 7685

2 2424

2 6818

4 8640

2 9260

6 6480

2 6818

合計出力 kWm

5192

15740

15370

4848

13636

34560

18520

38880

13636

表3.1.10 日本運航又は日本建造の主なクルーズ船

16 国立科学博物館技術の系統化調査報告 Vol.12 2008.March

3-1-6 作業船、特殊船

(1)作業船

港湾や海洋で諸作業を行う作業船には、浚渫船、起

重機船、杭打船などがあり、自力で航行できる自航船

と作業だけに使用される非自航船がある。主な作業船

の種類を表3.1.11に示す。動力の種類として、浚渫ポ

ンプ、クレーン、杭打機などがあるが、これら作業の

ために原動機に対して要求される項目として、

①過負荷や低負荷の連続運転に耐えられること

②大きな負荷変動に追従できること

③燃費、潤滑油消費が少ないこと

④初期投資費用が少ないこと

が挙げられる。このため、使用される原動機はディー

ゼル機関に限られ、とりわけ4サイクル中速機関が使

用されることが多い。

一方、過負荷や低負荷に耐えるため燃料はA重油を

使うことがほとんどで、これが一般商船と異なる点で

ある。また、負荷変動の影響を緩和するために発電機

を介して電動機駆動とするいわゆる電気式や空気圧や

油圧を利用する方式もある。

これらは、初期投資、運転経費の面ではやや不利で

あるが、船としての総合経済性から考慮された結果と

考えられる。

時代の推移とともに、技術の発達過程を見てみる。

(a)黎明期(1945~1959年)

この時期は、ポンプ浚渫船は一般船舶と同じように

蒸気タービンを搭載するものもあったが、作業性と経

済性からディーゼル機関に替わっていき、ディーゼル

機関は過給機付のものが普及し始めた。作業船用機関

専用として開発されたものではなく、一般船舶や陸上

発電用の中速機関が使用された。1959(昭和34)年に

竣工した水野組(現五洋建設)ポンプ浚渫船「駿河」

には三菱横浜MANのV8V30/42AL(2000PS/360rpm)が

採用され、これが大型浚渫船の草分けとなって、1964

(昭和39)年までの5年間で18台の同型機が供給された。

ドラグサクション浚渫船は国の所有船が多く、1960

(昭和35)年に竣工した運輸省第二港湾建設局「海龍

丸」の推進兼用直流発電機関には三菱横浜MANの

G6V40/54AL(1000PS/360rpm)2基が搭載された。

(b)高出力化、高性能化(1960~1979年)

高度成長に支えられて、港湾整備、空港建設、大規

模埋立などの海洋土木工事が最盛期を迎え、各種作業

船が数多く建造されるとともに、浚渫能力の増強も図

られて大型化が進んだ。一方、海外での海洋土木工事

に進出する企業があらわれ、スエズ運河にポンプ浚渫

船を派遣して長年に亘り作業に従事する船もあった。

使用されるディーゼル機関は、5000PS級のものも現

われたが、負荷変動に追従できるように、正味平均有

効圧力Pmeは15kg/cm2程度に抑えた。

1978(昭和53)年に竣工した第五港湾建設局のドラ

グサクション浚渫兼油回収船「清龍丸」には主発電機

関として三菱横浜MANの6L40/54型(3000PS/400rpm)

が2基搭載された。

(c)低燃費化、ハイテク化(1980年代)

二度のオイルショックを経て、作業船の機関に対し

ても一段と低燃費が要求された。また、一般船舶と異

なり、低負荷の連続使用が多いことから低負荷性能の

改善も課題となった。燃費改善については、1980(昭

和55)年ころから、4サイクル中速機関が達成しつつ

あった140g/PSh台のものが適用できた。また、低負

荷対策は、給気加熱方式(低負荷時の燃焼室温度低下

による燃焼不良を防ぐため、機関の冷却水の熱を使っ

て燃焼空気を加熱する方式)などで対処した。

(d)環境対応化(1990年代以降)

2000年以降建造されたドラグサクション浚渫兼油回

収船「海翔丸」、「白山」、二代目「清龍丸」の3隻は、

いずれも電気推進とアジマススラスタ(全旋回式推進

器)の組合せとなり、主機は低NOx型高過給の中速

ディーゼル機関(3200~3600PS)を2基搭載した。

作業船が稼動地域周辺に与える影響として、騒音、

排気ガスがある。騒音については機関の低燃費化に伴

なう燃焼圧力の上昇で、排気騒音が大きくなったため、

消音器の要領増加と性能改善で対処した。また、排気

ガス成分のうち、窒素酸化物(NOx)は燃費とトレー

ドオフの関係で増加が顕著になったが、燃料噴射時期

の遅延や噴射系の最適化で改善をはかり、硫黄酸化物

  名 称  

ポンプ浚渫船

グラブ浚渫船 ドラグサク ション浚渫船

起重機船

杭打船

自航/ 非自航

非自航

非自航

自航

自航

非自航

       機 能

海底の土砂をポンプで吸引し、管路で離れ た場所に移送する

開閉式のバケットで海底の土砂をすくい、 クレーンで運搬船に搭載する

微速で航行しながら、ポンプ先端の金具を 接地して土砂を船内に吸引する

海上で重量物を吊って陸揚げしたり、海洋 構造物の据付作業を行う

杭打機を使って海底に基礎杭や鋼矢板の 打設を行う

表3.1.11 主な作業船の特徴

174サイクルディーゼル機関の技術系統化調査

(SOx)は低硫黄燃料の使用で対処した。ばいじん

(粒子状物質PM)は発がん性も指摘されディーゼル自

動車で規制され始めたが、船舶についても規制が検討

されており今後対策が必要となることは必定である。

(2)特殊船

特殊船には表3.1.12に示すようなものがあり、各種

作業や運輸に従事している。

曳船のうちハーバータグは、大型船が入港する港に

配備され、船の離接岸などを単独または複数で支援す

るもので、操船性の良さが要求される。戦後間もない

ころは4サイクル低速機関と可変ピッチプロペラの2軸

船だったものが、中速機関とドイツのフォイトシュナ

イダープロペラ(船底から縦軸を介して駆動される水

平回転する推進器で操船性に優れたもの)の組合せ

(2軸)となり、さらにアジマススラスタ(全旋回型推

進器でさらに躁船性が良いもの)の2軸になって今日

に至っている。アジマススラスタの代表的なものとし

て、国産技術で開発した新潟鉄工のZペラと川崎重工

のレックスペラがあげられる。

ケーブル敷設船は、微速を要求されることから低負

荷連続使用に耐えられるよう近年電気推進が主流にな

っている。

作業船、特殊船の原動機には、ほとんど4サイクル

中速ディーゼル機関が使用されており、性能、耐久性、

信頼性の向上に加えて環境負荷の小さいものが要求さ

れそれに呼応したものが国産技術として開発されてき

た。具体的な例として、同規模のハーバータグ用主機

の変遷を表3.1.13に示す。

1「ギヤードディーゼルの計画と実際」中野英明 MESJ

1972年2月 P510

2「神船ディーゼル75年のあゆみ」1992年9月 P27

3「ダイハツディーゼル30年史」1996年12月 P97

4「内航客船とカーフェリー」池田良穗 成山堂書店 1996

年6月 P95

5「世界の新鋭クルーズ客船」府川義辰 成山堂 2002年3月

3-2-1 漁船用ディーゼル機関の胎動と戦前の漁船

わが国で漁船に初めてディーゼル機関が搭載された

のは、1920(大正9)年静岡県の鮪漁船「第二大洋丸」

「海運丸」の2隻であり、新潟鉄工(現新潟原動機)製

M4Z型100PSであった。これは舶用機関としても初め

ての国産ディーゼル機関であった。当時の主流であっ

た焼玉機関に比べて、運転経費(燃料と水の消費)が

3割削減できたと大いに注目された1。

1921(大正10)年には、漁業指導船「五十鈴丸」に、

1922(大正11)年には、漁業取締船「白鳳丸」に相次

いでディーゼル機関が搭載された。

1922(大正11)年、池貝鉄工は「福生丸」にスルザ

ー型4サイクル120PSを納入、同年「明照丸」に同じ

く160PSを民間鋼製漁船用として初めて納入した2。

1923(大正12)年頃から無気噴射式ディーゼル機関

の研究が国内でも盛んになり、1926(大正15)年頃に

は、新潟鉄工、池貝鉄工、日本発動機などで実用機が

完成した。そして、1927(昭和2)年に311㌧型トロー

ル漁船「釧路丸」に初の2サイクルノーベル型750PS

ディーゼル機関が搭載された。引き続き、1928(昭和

3)年には取締船「俊鶻丸」にも2サイクル1500PS

ディーゼル機関が搭載された3。

1934(昭和9)年、日本水産はノルウェーから購入し

た捕鯨母船「図南丸」を中心に船団を組み、我が国初

めての南氷洋捕鯨に進出した。同じ大手水産会社の林

兼商店(後の大洋漁業、現マルハ)も1936(昭和11)

年「日新丸」船団を、極洋捕鯨(現極洋)も1938(昭

和13)年「極洋丸」船団を南氷洋にそれぞれ派遣した4。

その後船団数が6となり、世界でも有数の捕鯨国に成

長する。

母船の主機は大型商船よりも大きい1万7千トン級で

あり、蒸気機関が主流の時代に、6隻のうち3隻にディ

ーゼル機関が使用された。捕鯨船(キャッチャーボー

ト)の主機も蒸気機関が多かったなかで、1937(昭和

名 称

曳船

押船

ケーブル 敷設船

         機 能

台船や構造物を曳航するオーシャンタグと港湾内で大型 船舶を支援するハーバータグがある

台船や構造物を船体前部に接続して押し進める船舶で、 特に土砂運搬が多い

微速で船を移動しながらケーブルを繰り出して海底に敷 設する船舶

表3.1.12 主な特殊船の特徴

出力

回転数

気筒数× 口径mm×行程mm

正味平均 有効圧力

平均ピストン速度

燃料消費率

1965(昭和40)年

1200PS/883kW

600rpm

6×310×380 (2基)

10.5kg/cm2

7.6m/s

170g/PSh

2005(平成17)年

2000PS/1471kW

720rpm

6×260×350 (2基)

22.4kg/cm2

8.4m/s

145g/PSh

備考

67%増

20%増

2.1倍

10%増

15%低減

表3.1.13 ハーバータグ主機の新旧比較

漁船用ディーゼル機関3.2

18 国立科学博物館技術の系統化調査報告 Vol.12 2008.March

12)年に竣工した「関丸」に初めて900PSディーゼル

機関が搭載された。そして翌年にできた「文丸」にも

1200PSのディーゼル機関が搭載された。

1923(大正12)年頃から無気噴射式ディーゼル機関

の研究が国内でも盛んになり、1926(大正15)年頃に

は、池貝鉄工、日本発動機、新潟鉄工などで実用機が

完成した5。これら機関の要目を表3.2.1に示す。

3-2-2 戦後の漁船用機関の発展

漁船は沿岸用の1㌧未満の小型のものから捕鯨母船

のように1万㌧を超える大型のものまで幅が広く、従

って搭載される機関の出力範囲も数馬力から1万馬力

くらいまで広範囲に亘る。ここでは、便宜上シリンダ

口径が150mm以上の中大型機関と150mm未満の小型

機関に分けてその発達過程を見ていくことにする。

(1)中大型機関(口径150mm超)

(a) 4サイクル低速機関

戦時、日本海軍の要請で海務院が4サイクルディー

ゼル機関の標準化を行い、これを機関メーカー各社が

戦中戦後にわたって製造した。このうち100PS級の22

型は沿岸、沖合漁船に、200PS級の25型は沖合、遠洋

の漁船に多く使用された。これら標準の代表例を表

3.2.2に示す。無過給機関のため戦前の出力レベルと変

りなかったが、戦後の物資不足、材質不良、粗悪な燃

料油と潤滑油などが原因で、故障が続出し評判は良く

なかった。

1953(昭和28)年頃から、22型を23型に、25型を26

型にそれぞれサイズアップし設計も新しくした。そし

て、1956(昭和31)年ころまでに漁船の大型化に対応

して、28、31、37、42、47、48型などが製作され、6

気筒で1800PSまでの出力がそろった。これら機関は、

小型機関メーカーのみならず三菱横浜、三井造船など

大手造船所においても、戦後しばらく製造された。

これとは別にメーカー各社は、海軍の標準型機関の

在庫流用や独自の機関の製作に着手し、各種漁船に納

入した。1948(昭和23)年、赤阪鉄工はKS6型320PS

を開発し、かつお・まぐろ船主機に納入した7。1949

(昭和24)年、松井鉄工が開発したMDF4-22型120PS

は上記海務院型と同一要目の機関であるが、ミーツエ

ンドワイズ式逆転機(米国の石油発動機メーカーミー

ツエンドワイズ社が開発した円錐クラッチを使用した

逆転機)を組み込んだ独自の設計だった8。1952(昭

和27)年開発の阪神内燃機6Y型650PSと1953(昭和28)

年開発の新潟鉄工のM6DS型900PSは海軍の艦本23

型をベースにした機関であるが、前者はやがて過給機

を装着して900PSとし、双方とも過給機関では独自の

設計となった。このように、昭和20年代は、標準型の

影響を受けながらも次第に各社の独自色を出していっ

た時期だった。昭和30年代迄に市場に出た主な漁船機

関を表3.2.3に示す。

メーカー 型式*

新潟 4単空T

池貝 4単空T

神戸製鋼 2単空T

阪神 4単無T

赤阪 4単無T

新潟Nobel 2単無T

口径mm 行程mm 229 305

152 203

210 350

220 350

260 390

380 610

出力PS 回転数 rpm

100 350

160 350

150 280

100 380

170 360

900 200

Pme kg/cm2 Cm m/s*

5.1 3.6

5.1 3.9

5.0 3.3

4.5 4.4

5.1 4.7

4.9 4.1

船名 竣工年

第2大洋丸 1920

明照丸 1922

呉羽丸 1925

第二明神丸 1930

第二春日丸 1933

関丸 (1937)

*記号 2:2サイクル、4:4サイクル、単:単動、空:空気噴 射式、無:無気噴射式、T:トランクピストン型、 Pme:正味平均有効圧力、Cm:平均ピストン速度

4 4 4 4 4 6

気筒数

表3.2.1 戦前の主な漁船用ディーゼル機関の要目

形式

3-22

4-22

4-25

5-25

6-25

6-31

6-35

気筒 数

3

4

4

5

6

6

6

口径 mm

220

220

250

250

250

310

350

行程 mm

360

360

380

380

380

460

520

出力 PS

90

120

160

210

250

400

500

回転数 rpm

400

400

380

380

380

330

290

Pme kg/cm2

4.9

4.9

5.1

5.3

5.3

5.2

5.2

Cm m/s

4.8

4.8

4.8

4.8

4.8

5.1

5.0

表3.2.2 海務院標準型機関の要目6

メーカー 形式

日本海軍 22型10号

三井 628MTF45

赤阪 KS6

松井 MDF4-22

阪神 6Y

新潟 M6DS

赤阪 KD6SS

阪神 6TS

口径mm 行程mm 430 450

280 450

280 380

220 360

370 520

370 520

470 670

490 700

出力PS 回転数 rpm

2120 560

300 320

320 380

120 400

650 320

900 320

1700 250

2100 250

空気 冷却 器

2

2

2

2

2

2

2

2

Pme kg/cm2 Cm m/s

5.3 8.3

4.8 5.6

5.4 4.8

4.9 4.8

5.4 5.5

7.5 5.5

8.8 5.6

9.5 5.8

10

6

6

4

6

6

6

6

気筒数

弁 数

過給機

表3.2.3 昭和30年代迄の漁船用機関の要目

194サイクルディーゼル機関の技術系統化調査

1952(昭和27)年頃からBBCやナピア社からの過給

機の輸入に加え、国産過給機も優れたものができるよ

うになり、ディーゼル機関とのマッチングが図られ実

用化に大きく近づいた。そして1953(昭和28)年末頃

から、漁船用主機として、次々に採用された9。

主要各社の過給機関の1号機は次の通りである。

1953(昭和28)年愛知県水産高校「晴和丸」(新潟900PS)

1953(昭和28)年鮪延縄漁船「第28琴平丸」(池貝850PS)

1954(昭和29)年鮪延縄漁船「第7香取丸」(阪神400PS)

1954(昭和29)年鮪延縄漁船「第8万栄丸」(赤阪900PS)

そして、1956(昭和31)年に、新潟鉄工が英国ナピ

ア社と、1958(昭和33)年に石川島重工がBBCとそ

れぞれ技術提携したことで、過給機の普及に弾みがつ

いた。

1967(昭和42)年に赤阪は4弁式高過給機関

UHS27/42型1000PS(Pme16kg/cm2)を開発し、鰹鮪

漁船「日吉丸」に搭載して高過給漁船機関に先鞭をつ

けた10。

(b)2サイクルディーゼル機関

戦後2サイクル機関が比較的大出力を要する捕鯨船、

捕鯨母船、冷凍運搬船等の主機に採用された。表3.2.4

に示すように、終戦直後の無過給機関から近年の高過

給機関まで過給度の上昇と、ピストン速度の上昇で、

出力が格段に上昇しているのが分かる。

(c)4サイクル中高速機関

戦時標準型の低速機関がシリーズ化されていた一方

で、減速機を介してプロペラを推進する中速、高速機

関の開発も始まった。

1947(昭和22)年、新潟鉄工は4気筒M4BR型、口

径160mmの100PS/900rpmの中速機関を開発したが、

戦後の材料不良や取扱いの不慣れなどで故障が多く、

数年で製作中止となった11。

1952(昭和27)年、ヤンマーディーゼル(現ヤンマー)

が6気筒6MS型、口径200mmの180PS/600rpmを減速機

付きで完成した。当初逆転クラッチに問題があったが、

その後解決され200PS以下の用途に使用された12。

その後も中高速機関の開発が続けられ、1962(昭和

37)年頃までに、信頼性の高い製品が、ヤンマー、ダ

イハツ工業(現ダイハツディーゼル)、新潟鉄工等で

完成し、まき網灯船、鮪延縄漁船等に搭載され、次第

に各種漁船にも採用されるようになった。1962(昭和

37)年、ダイハツは大都漁業向底曳網漁船用に6PSTb

M-26D型を初のギヤードディーゼルとして納入した。

複数の機関を接続して一つのプロペラを駆動するい

わゆるマルチプルギヤード式は1963(昭和38)年、東

京水産大(現東京海洋大)練習船「神鷹丸」に2基1軸

(計800PS)、1971(昭和46)年には水産庁の漁業取締

船「東光丸」に4基1軸(計8000PS)が適用された13。

後者は可変ピッチプロペラ付で、減速機の上に発電機

が2基搭載される斬新なものだった。本機関の4基の工

場運転の状況を図3.2.1に示す。

(d)低燃費化の推進

1973(昭和48)年の第1次、1979(昭和54)年の第2

次石油ショックによる燃料の高騰で漁業経営が極度に

圧迫され、漁船の省エネルギー対策が緊急の課題とな

った。とりわけ主機関、補機関の低燃費対策が強く求

められ、燃焼最高圧力の上昇、静圧過給方式や高効率

過給機の採用、燃料噴射系改善による短期噴射の実現

などのほか、低速機関はロングストローク化傾向に一

層拍車がかかった。その結果、1975(昭和50)年から

1980(昭和55)年の5年間で中速機関は160から150g/

PSh前後に、低速機関は155から145g/PSh前後とそれ

ぞれ6~7%程度の燃費低減を達成した。

低速機関は減速しないでプロペラを回すため、減速

メーカー 型式

三井B&W 1062VF115

三井B&W 642VTBF90

神発 8UET45/75C

日立B&W 12M42CF

日立B&W 12L35MC

川崎B&W 6L35MC

口径mm 行程mm 620 1150

420 900

450 750

420 750

350 1050

350 1050

出力PS 回転数 rpm

5400 125

2400 200

5000 230

5900 248

7320 200

5280 210

Pme kg/cm2 Cm m/s

5.2 5.8

7.2 6.0

10.3 5.8

8.6 6.2

13.6 7.0

18.7 7.4

船種 船名(竣工年)

捕鯨母船

第1日新丸(1946)

トロール船 天城丸(1960)

捕鯨船 第1京丸(1971)

トロール船 おおとり丸(1971)

捕鯨母船 日新丸(1987)

捕鯨船 第2勇新丸(1998)

10

6

8

12

12

6

気筒数

表3.2.4 漁船用2サイクル機関の主要目

図3.2.1 「東光丸」4基1軸機関(新潟原動機提供)

20 国立科学博物館技術の系統化調査報告 Vol.12 2008.March

して大口径プロペラを回すことができる中速機関に比

べ、推進効率の面では不利な状況にあったが、1979

(昭和54)年頃から、減速機をつけて大口径プロペラ

をつけるものが鮪延縄漁船で出現した。推進効率が

45%から54%まであがり、1航海の燃料消費量が12%

ほど低減した例も報告されている14。

(e)低質燃料油の使用

燃料費の節減のもうひとつの方法として低質燃料油

を使用する試みが盛んに行われた。大型まき網漁船、

以西底曳網漁船、鮪延縄漁船などでC重油またはA重

油とC重油の混合油(ACブレンド油)が使用された。

1982(昭和57)年竣工の大洋漁業499㌧型まき網漁

船(赤阪2200PS/270rpm)では、通常負荷ではC重油、

50%負荷以下ではACブレンド油を使用した。以西底

曳漁船ではスペースの関係で船内にブレンド装置を備

えることが難しいため、陸上で調整したACブレンド

油を受け入れる方法を採用した。遠洋鮪延縄漁船は1

航海が12~18か月にも及ぶ長期に亘るため、途中での

燃料補給が可能なC重油を使用できる設備を備えた。

これらの漁船は昭和50年代後半にかなり普及した

が、外地および国内の漁港における低質油の供給体制

が十分ではなかったため、ごく限られた船にしか使わ

れなかったことと、燃料価格が次第に鎮静化したこと

もあり、ほとんどの船が従来のA重油に戻った。

(f)動力システムの改善

漁船は一般的に網を曳いたり、獲った魚を冷凍したり

するための動力いわゆる補機動力の、推進動力に対する

割合が商船に較べて大きいため、これをいかに小さくす

るかが船全体の省エネルギーに大いに影響する。1978

(昭和53)年頃から、発電機、油圧ポンプ、冷凍機を燃

費の良い主機から駆動することで、発電機関の数を減ら

したり、容量を小さくするなどの方法が考案された。

(2)小型機関(口径150mm以下)

小型ディーゼル機関の歴史は戦後始まったといって

良く、およそ10PS以下が石油発動機、10~50PSが焼

玉機関、50PS以上がディーゼル機関で構成されてい

た。漁船の総隻数は、図3.2.2に示すように1965(昭和

40)年から2000(平成12)年までの35年間で40万隻前

後と大きく変わらないが、動力船が55%から96%に大

きく増えたこととFRP船が1970(昭和45)年ころから

現われ、その後30年間で全漁船の87%を占めるに至っ

たことが分かる15。

以下およそ10年の刻みで発達の過程を追ってみる。

(a)黎明期(昭和20年代)

1947(昭和22)年、山岡内燃機(現ヤンマー)が単

筒縦型5PSと2気筒10PSのディーゼル機関を開発した。

本機はやがて7PS、14PSにそれぞれ増馬力する。同じ

年新三菱重工が単筒7PSを、1950(昭和25)年久保田

鉄工(現クボタ)が単筒8PSをそれぞれ開発した(図

3.2.3)。

山岡のディーゼル機関は口径100mmで、主軸受が

吊りメタル方式(クランク軸をクランク室に下から押

え込む構造)、燃料噴射ポンプにはボッシュ式(7.1.2

参照)を採用した当時としては斬新なものだった16。

この時期の機関は表3.2.5に示すように、少数気筒が

多く、無過給のため正味平均有効圧力Pmeは6kg/cm2

前後と低く、平均ピストン速度Cmも5m/s以下の低速

機関並だった。また、逆転機を装備するのが普通で、

減速機は付けずにそのままの回転数でプロペラを駆動

する方式がほとんどであった。

(b)多気筒化、高速化及び省力化(昭和30年代)

初期の高速機関は1000rpmm以下が普通だったが出

力増加の要請から、次第に高速になり1955(昭和30)

年にヤンマーは単筒6PS/1400rpmを開発、久保田も翌

年V2気筒30PS/2300rpmを開発したが、振動が多いな

どの問題がありやがて姿を消した。一方ヤンマーは前

記単気筒に続き、2気筒12PS、3気筒18PSを完成した。

本機関は、ピストンをアルミ合金製、シリンダ内面に

図3.2.2 漁船総隻数の推移(水産庁漁船統計2006年版ほか)

メーカー 型式

山岡 LB

三菱 DV7

久保田 FMD8

口径mm 行程mm 100 160

105 150

110 160

出力PS 回転数 rpm

7 900

7 900

8 900

Pme kg/cm2 Cm m/s

5.8 4.8

6.2 4.5

5.3 4.8

重量kg 比重量 kg/PS

330 47

290 41

530 54

開発年

1947 (S22)

1947 (S22)

1950 (S25)

1

1

1

気筒数

過給機

表3.2.5 昭和20年代に開発された漁船機関要目

上の数値は総隻数、下の数値は動力船の割合を示す

214サイクルディーゼル機関の技術系統化調査

硬質クロムメッキ施工、吊メタル式にしたため軽量化

が進み、船速は8~10ノット程度まで向上した。また、

軸受寿命の向上のため主軸受、クランクピン軸受は銅

鉛合金(ケルメットメタル)を使用し、クランク軸は

高周波焼入れして研磨仕上とした。1960(昭和35)年、

三菱はこのクラスでは大型の4気筒、口径135mmの

86PSを開発した(図3.2.4)。

この時期に開発された機関は無過給のため、Pmeは

依然6kg/cm2強程度で、Cmが7m/s近いものが出現し

てやや高速になったことと、出力あたりの重量(比重

量)が20kg/PSを切るものが現われやや軽量化した。

省力化も進み、昭和30年中頃からそれまで手差し注

油をしていた弁腕各部を自動注油する機関が出現し

た。また、減速逆転機の前後進操作と主機の速度制御

をワイヤケーブルによる簡易式遠隔操縦方式が開発さ

れた。これらにより、機関室には常時人を配置する必

要は無くなり、機関室無人化が実現した。漁船のトン

当たり主機出力は昭和30年代の初め10PS程度だった

ものが、30年代終りには15~20PSまでアップし、船

速も10~12ノット程度まで増加した17。

(c)高出力化(昭和40年代)

小型漁船は木造船がほとんどであったが、昭和40年

代になると強化プラスチック(FRP)船が出現した。

そしてこの頃、小型ディーゼル機関にも過給機が装着

されるようになって、一気に高出力化が進み、それが

FRP船とうまくマッチして15~18ノットという驚異的

な船速が実現した。

この時期に、いすゞ自動車や日産ディーゼルが自動

車用ディーゼルを転用して舶用市場に参入を図った。

無過給ながら、Cmが10m/sの高速回転のため比重量

は7kg/PS前後と小さく、過給機関より軽量だった。

船の軽量化と機関の高出力化が急速に進んだ結果、

船体振動の問題が起こり、船体や機関取付台を補強す

るなどの対策がとられた。これは、FRP船が剛性不足

なところに、機関の高出力化による起振力の増大によ

って生じた問題である。1963(昭和38)年ころから、

3~4気筒機関には二次バランサー(運転によって生ず

る不釣合力を軽減する装置)を設置したり、釣合の良

い6気筒機関を搭載する船が非常に多くなった18, 19。こ

の時期を代表する機関の要目を表3.2.7に、そのうちの

1機種の外形断面図を図3.2.5に示す。

図3.2.3 FMD8型機関(久保田8PS)(「日本漁船機関技術史」漁船機関技術協会より)

メーカー 型式

久保田 3MCZ

三菱 4DVB-3b

ヤンマー 3ST

口径mm 行程mm 110 150

135 180

95 150

出力PS 回転数 rpm

30 1200

86 1200

18 1400

Pme kg/cm2 Cm m/s

5.3 6.0

6.3 7.2

4.7 5.4

重量kg 比重量 kg/PS

670 22

1350 16

480 27

開発年

1958 (S33)

1960 (S35)

1961 (S37)

3

4

3

気筒数

過給機

表3.2.6 昭和30年代に開発された漁船機関要目

図3.2.4 4DVB-3b型機関(三菱86PS)(「日本漁船機関技術史」漁船機関技術協会より)

メーカー 型式

三菱 6GAC-2

ヤンマー 6KD-HT

久保田 M6D45CSN

いすゞ E120B

日産ディーゼル SD336

口径mm 行程mm 145 200

145 170

145 200

135 140

83 100

出力PS 回転数 rpm

282 1250

200 1200

210 1250

190 2200

70 3200

Pme kg/cm2 Cm m/s

10.3 8.3

8.9 6.8

7.6 8.3

6.5 10.3

6.1 10.4

重量kg 比重量 kg/PS

2860 10.1

2570 6.8

2200 10.5

1290 6.8

495 7.1

開発年

1967 (S42)

1971 (S46)

1972 (S47)

1972 (S47)

1972 (S47)

6

6

6

6

6

気筒数

過給機

表3.2.7 昭和40年代に開発された漁船機関要目

22 国立科学博物館技術の系統化調査報告 Vol.12 2008.March

(d)省エネルギー化、高出力化(昭和50年代)

1973(昭和48)年の第1次石油ショックにより、漁

船の建造が急減した。これに対処するため、機関メー

カーはこぞって低燃費化に取り組んだ。まず、小型機

関では従来予燃焼室式が主流であったが、直噴式への

変更が盛んに行われた。また、機関冷却水は海水を使

用するのが一般的であったが、これを清水冷却方式に

変更し、比較的高い温度で冷却することで冷却損失を

減らしたり、過冷を防止して部品の寿命を長くするこ

とに努めた。過給機関では給排気弁各2個の4弁式が主

流となり、出力が上昇したことと、回転数も3000rpmm

級のものも現われ、比重量4kg/PS台の機関が出現し

た(表3.2.8)。

この市場が拡大するにしたがってさらに参入するメー

カーが増え、小松製作所は建設機械用ディーゼルの舶

用転用型のEMシリーズで、ヤマハ発動機はMDシリ

ーズ機関を船体との一体販売でそれぞれこの市場に参

入を図った(図3.2.6)20。

(e)環境対応と軽量化(昭和60年代以降)

過給機が普及すると、さらに空気冷却器を装備して

増馬力を図るケースが増え、比重量は2kg/PS台のも

のが現われた。またユニットインジェクタ式(7-1-3参

照)の燃料噴射装置を小型機関にも適用することで、

低燃費と軽量化を同時に実現する機関も現われた。

一方、国際海事機関(IMO)の大気汚染防止条約の

発効の動きが予測され、各社とも窒素酸化物(NOx)

の低減に取組み始めた。噴射圧力の上昇、燃焼室形状

の最適化、噴射時期遅延などにより規制に備える動き

が目立った。この時期に開発された機関の要目を表

3.2.9に示す。

(f)船内外機用ディーゼル機関(昭和50年代以降)

欧米で、主としてプレジャーボートの推進用に使用

されていたガソリン船内外機のドライブ装置を輸入し

て国産ディーゼル機関と組み合わせて漁船用として使

用する試みが昭和50年代に始まった。減速機と舵付プ

ロペラを船内のディーゼル機関と直結してコンパクト

にまとめることができ、操縦性の良さとスピードの速

さが船内機よりも優れていた(図3.2.7)。

市場が拡大にするに従ってドライブ装置も国産が始

まりディーゼル機関も前述の船内機の転用で出力レン

図3.2.5 6KD-HT型機関(ヤンマー200PS)(「日本漁船機関技術史」漁船機関技術協会より)

メーカー 型式

ヤマハ MD20

ヤンマー 6HAK-HT

三菱 6ZKAC-1

久保田 MH50CS

いすゞ E120TC

日産ディーゼル FD6T06

小松 EM440A

口径mm 行程mm 95 105

130 150

135 150

119 145

135 140

100 125

105 125

出力PS 回転数 rpm

60 2800

240 2000

380 2200

270 2100

280 2200

175 2700

116 2260

Pme kg/cm2 Cm m/s

6.5 9.8

9.0 10.0

12.1 11.0

12.0 10.2

9.5 10.3

10.8 10.8

10.7 9.4

重量kg 比重量 kg/PS

402 6.7

1354 5.6

1700 4.5

1980 4.6

1550 5.5

775 4.4

640 5.5

開発年

1976 (S51)

1977 (S52)

1979 (S54)

1980 (S55)

1980 (S55)

1981 (S56)

1983 (S58)

4

6

6

6

6

6

6

気筒数

過給機

表3.2.8 昭和50年代に開発された漁船機関要目

図3.2.6 MD20型機関外形図(ヤマハ60PS)(「日本漁船機関技術史」漁船機関技術協会より)

メーカー 型式

いすゞ 6BG1TC

三菱 S6M3-MTK

日産ディーゼル PN6TA06

ヤマハ MD629KUH

ヤンマー 6CA-ET

小松 6M108A-1

口径mm 行程mm 105 125

117 135

132.9 150

105.8 118

105.9 125

108 130

出力PS 回転数 rpm

210 2600

460 2500

420 2100

285 2900

300 2600

345 2520

Pme kg/cm2 Cm m/s

11.9 11.8

19.0 11.3

14.4 10.5

12.2 11.4

15.7 10.8

17.2 10.9

重量kg 比重量 kg/PS

770 3.7

1080 2.3

1485 3.5

825 2.9

870 2.9

940 2.7

開発年

1989 (H1)

1990 (H2)

1990 (H2)

1990 (H2)

1991 (H3)

1992 (H4)

6

6

6

6

6

6

気筒数

過給機

表3.2.9 昭和60年代に開発された漁船機関要目

234サイクルディーゼル機関の技術系統化調査

ジを広げていった。表3.2.10に船内外機の代表的ディー

ゼル機関の主要目を時系列で示す。船内機と同様に

Pmeが10kg/cm2前後から14 kg/cm2程度まで上昇、Cm

も12m/s前後へ上昇して、小型軽量化が10年余りのあ

いだに急速にすすんだ21。

(g)船外機用ディーゼル機関(昭和50年代以降)

昭和50年代に、1㌧未満の小型漁船ものFRP船が普

及しはじめ、ガソリン船外機が取り付けられた。二度

に亘る石油危機の到来で、1984(昭和59)年、水産庁

の主導で官民連携で船外機用ディーゼル機関の開発が

行われた。開発を委託されたヤンマーが1987(昭和62)

年に、D36型(36PS/4500rpm)を商品化した。そして

D18型(18PS/4500rpm)、D27型(27PS/4500rpm)

(図3.2.8)とともにシリーズ化を図った(表3.2.11)22。

無過給機関であるが、4500rpmという高回転のため、

プロペラを含めた比重量でも3.5kg/PSと大幅に軽量化

を図っている点が注目される。燃費は190g/PShと2サ

イクルガソリン機関の300g/PSh、4サイクルガソリン

機関の230g/PShと比べて大幅に低い。したがって、年

間稼働時間が多い定置網、養殖漁業などに従事する漁

船には経済性の上からディーゼル船外機の利点が多い。

1「新潟鉄工所百年史」1996年3月 P66

2 「日本漁船発動機史」日本舶用発動機会 1959年7月 P83

3 「日本漁船発動機史」日本舶用発動機会 1959年7月 P90

4「日本漁船史」漁船協会 1986年10月 P311

5 「日本漁船発動機史」日本舶用発動機会 1959年7月 P92

6「日本漁船史」漁船協会 1986年10月 P173

7「赤阪鉄工所60年史」1970年 P81

8 「日本漁船機関技術史」漁船機関技術協会 1995年3月 P63

9 「日本漁船機関技術史」漁船機関技術協会 1995年3月 P83

10 「わが社の歴史を飾った1台のエンジン」日本内燃機関連

合会 2005年7月 P12

11 「日本漁船機関技術史」漁船機関技術協会 1995年3月 P103

12 「日本漁船機関技術史」漁船機関技術協会 1995年3月 P104

図3.2.7 船内外機外形図(ヤンマー6LY-UTZ型)(「日本漁船機関技術史」漁船機関技術協会より)

メーカー 型式

久保田 OMH2600C

三菱 S6E2-MYTK

ヤマハ D200KH

小松 EM640-T

ヤンマー 6PHM-HTZ

三菱 S6F-MYTK

ヤマハ SX420KSH

ヤンマー 6LY-UTZ

口径mm 行程mm 82 82

98 98

91.5 100

105 125

95 110

98 98

94 100

100 110

出力PS 回転数 rpm

43.6 2712

125 3200

74 3050

130 2450

130 3100

140 3100

230 3600

245 3000

Pme kg/cm2 Cm m/s

5.6 7.4

7.9 10.5

11.1 10.2

7.4 10.2

11.4 8.1

9.2 10.1

13.8 12.0

14.2 11.0

重量kg 比重量 kg/PS

270 6.2

495 4.0

220 3.0

810 6.2

510 3.9

510 3.6

450 2.0

575 2.3

開発年

1978 (S53)

1982 (S57)

1984 (S59)

1984 (S59)

1984 (S59)

1987 (S62)

1990 (H2)

1990 (H2)

6

6

6

6

6

6

6

6

気筒数

過給機

表3.2.10 船内外機用ディーゼル機関の要目

図3.2.8 ヤンマーD27型船外機カット図(「日本漁船機関技術史」漁船機関技術協会より)

メーカー 型式

ヤンマー D18LE

ヤンマー D27LE

ヤンマー D36LE

口径mm 行程mm 70 70

70 70

82 70

出力PS 回転数 rpm

18 4500

27 4500

36 4500

Pme kg/cm2 Cm m/s

6.7 10.5

6.7 10.5

6.5 10.5

重量kg 比重量 kg/PS

80 4.4

95 3.5

120 3.5

開発年

1988 (S63)

1985 (S60)

1987 (S62)

2

3

3

気筒数

過給機

表3.2.11 船外機用ディーゼル機関の要目

24 国立科学博物館技術の系統化調査報告 Vol.12 2008.March

13 「日本漁船史」漁船協会 1986年10月 P177

14 「日本漁船機関技術史」漁船機関技術協会 1995年3月 P86

15 「漁船統計表」水産庁統計 2006年

16 「日本漁船機関技術史」漁船機関技術協会 1995年3月 P142

17 「日本漁船機関技術史」漁船機関技術協会 1995年3月 P147

18 「日本漁船機関技術史」漁船機関技術協会 1995年3月 P152

19 「漁船用小形ディーゼル機関」水沼達夫 内燃機関

1977年3月、1978年4月

20 「日本漁船機関技術史」漁船機関技術協会 1995年3月 P158

21 「日本漁船機関技術史」漁船機関技術協会 1995年3月 P166

22 「日本漁船史」漁船協会 1986年10月 P192

蒸気機関や蒸気タービンが船舶の推進用に使われて

いたときは、発電機やポンプの駆動源も蒸気を使うこ

とが普通であったが、推進用にディーゼル機関が使用

されはじめると、補助機関も次第にディーゼル機関に

置き換わっていった。

1926(大正15)年、池貝鉄工所は4サイクル、6気筒

200PSディーゼル機関を135kWの直流発電機と結合し

て、日本海軍巡洋艦「足柄」ほかに納入した。

1928(昭和3)年、川崎造船は海軍伊4号潜水艦の補

助発電機用に450PSディーゼル機関を300kWの発電機

と結合して納入した。これは舶用ディーゼル発電機と

して当時最大のものだった。同じ年池貝は、千葉県の

漁業指導船「安房丸」の発電機に、ISD22型25PSを

15kWの直流発電機と組合せて納入した1。

1929(昭和4)年、三菱神戸は大阪商船「ぶえのす

あいれす丸」の発電機関として4サイクルMR6C型

(350PS/310rpm)のディーゼル機関を搭載した2。

三井造船は、同じ年に大連汽船の「崑山丸」「崙山

丸」に4サイクル131MTHK35型(50PS)を1台、1930

(昭和5)年、国際汽船「葛城丸」に428MTHK45型

(210PS)を3台、さらに1931(昭和6)年には、231MTKH

35型(105PS)を5隻分14台搭載し、補機の分野にも

進出を図った3。

1934(昭和9)年、川崎造船は「東和丸」の発電機関

にMAN G7V28.5/42型(440PS/375rpm)を搭載した4。

1936(昭和11)年、三菱神戸は海軍の水上艦発電用

として8G31/32型(670PS/600rpm)を開発、引き続き

1938(昭和13)年に完成した6G31/38型とともに、1939

(昭和14)年から終戦までに44台を製作し、戦艦「大和」、

「武蔵」(ともに蒸気タービン推進)と全ディーゼル式

の潜水母艦「大鯨」の発電機関として搭載した5。

1939(昭和14)年、山岡内燃機は海軍基地の動力用、

照明用として、M2DM、M3DM型(40~60KVA)の

ディーゼル発電機の製造を開始した6。また、戦時海

軍の小型艦艇の発電用として、海軍標準N5~N10型3

~6kWeのディーゼル機関を製造した7。

1930年代の初頭、国内ディーゼル機関メーカーは高

速化に成功し、市場進出を図ったが、主な用途は自動

車、鉄道車両であった。この高速機関に着目したのが

日本海軍で、舶用発電機に積極的に採用していった。

それと同時に、中高速機関の標準化に着手し、口径

100、120、160及び260mmの機関の試作を、池貝、新

潟、三菱の各社に指示して、これらが完成すると、海

軍の制式機関として各社に発注した8。

戦後間もない1947(昭和22)年、運輸省(現国土交

通省)は船舶の計画建造に着手し、海運業と造船業の

復活を企図した。運輸省は合理的な船舶とするため、

運航費並びに船価低減の方針を打ち出したが、民間は

これに呼応して合理化に取り組んだ。そのひとつが、

電気設備の交流化とそれに適合する発電用ディーゼル

機関の開発であった。

1953(昭和28)年に竣工した油送船「さんるいす丸」

にはAC230V/275kVAの発電機が2台装備された。また

1955(昭和30)年に竣工した貨物船「相模丸」には

AC450V/280kVAの発電機が3台装備された。

交流発電機は過渡特性の優れた自励式が開発され、

1958(昭和33)年、富士電機が制作した自励交流発電

機の第1号が貨物船「長良丸」に搭載された。

舶用補機関3.3

型式

N5

N16

N42

N120

N380

1

3

4

6

6

口径 mm

100

100

120

160

260

行程 mm

150

150

180

220

340

PS

5

16

42

120

380

kWe

3

10

25

80

250

回転数 rpm

1000

1000

1200

900

650

Pme kg/cm2

3.8

4.1

3.9

4.5

5.9

Cm m/s

5.0

5.0

7.2

6.6

7.4

気筒数

出力

表3.3.1 海軍の発電機用制式機関の要目(代表例)

図3.3.1 海軍制式N42型25kW舶用発電機関

254サイクルディーゼル機関の技術系統化調査

発電機関メーカーは本格的な交流化に向けて、周波数

(60Hz)と極数から決まる回転数ごとに機関出力を設定

するシリーズ化に着手し、この市場の要求に応えた。

ダイハツディーゼルは、1967(昭和42)年末までに、

輸出商船300隻にPS型発電機関を搭載、同市場の過半数

を占めた。そして、1968(昭和43)年に、英国スコッ

トランド造船所から補機6PST-26D型(540PS/600rpm)

を3隻分9台を受注、初の単体輸出となった。また、

1969(昭和44)年、原子力船「むつ」の主発電機関と

して、8PSHTc-26D型を受注した。さらに、石川島播磨

重工がシリーズ建造した多目的貨物船「フリーダム」

船に1967(昭和42)年から1975(昭和50)年までに、

87隻分210台の発電機関をPS型(360~460PS)と非常

用のPK型(90PS)で納入した9。同じ時期に函館ドッ

クのバラ積貨物船でも、6PST-26D型(540PS)を48台

受注した。同社はこの時期に、舶用補機メーカーとし

ての地歩を築いたものと思う。

ダイハツの補機市場での攻勢はさらに続き、1979

(昭和54)年から翌年にかけて香港船主向に50隻分150

台、1983(昭和58)年には三光汽船バラ積み貨物船向

として、6DL-20型50隻分170~180台を受注した10。し

かし、後者の大型建造計画は投機的な仕組船であった

ため、三光汽船は1985(昭和60)年倒産するに至った。

1993(平成5)年に完成したダイハツのDK-20型機

関は、従来の主流だった6、8気筒のほかに3、5気筒を

追加して出力レンジを広くとった。小型の中速機関で

は珍しいシリーズ化の手法をとったもので、顧客にも

製造側にも部品共通の利点をもたらした。

山岡内燃機(現ヤンマー)は1942(昭和17)年に、

海軍の小型艦艇用ディーゼル発電機用として、前記制

式機関N5、N10型を製作開始し、戦後発展への足掛か

りを築いた。

1968(昭和43)年ころからブームになった大型タン

カーの補機市場をねらって、まずG型シリーズ(口径

240mm、720~2900PS)を開発し、続いて1970(昭和

45)年、一回り小さいU型シリーズ(口径220mm、

600~1050PS)を完成した。

さらに、1971(昭和46)年にはヤンマーとしては過

去最大の機関Z型シリーズ(口径280mm、1800~

5000PS)を開発した。V型16気筒(5000PS)は1979

(昭和54)年に完成した。

1980年代になると補機のベストセラーとなるM200

型(口径200mm、830PS/900rpm)の開発、さらに軽

量、高出力、低燃費のN型シリーズとして、6N165型

(口径165mm、720PS/1200rpm)を開発した。

1990年代、N型シリーズを拡大し、6N280型(口径

280mm、2450PS/720rpm)、6N330型(口径330mm、

3600PS/720rpm)などの大型機関を開発した。さらに

これら機関は8気筒を追加して出力範囲を広げた。

そして、各種船舶のなかで、発電用として最も用途

が多い400~600kW級の機関として、従来のM 200型、

S185型の後継機種となる高過給機関6N18型(口径180

mm、823PS/720rpm、973PS/900rpm)と6N21型(口径

210mm、1156PS/720rpm、1387PS/900rpm)を開発した。

このようにヤンマーは、この市場での商品のライン

アップを図るとともに技術開発をたゆみなく続け、わ

が国のトップメーカーであるばかりでなく世界の補機

市場をリードしている。

舶用発電機関は戦後大きな発展を遂げたが、特に

1973(昭和48)年と1979(昭和54)年の2度にわたる

オイルショックで大きな試練を経てそれを乗り越えた

ことが特筆される。それを列記すると次の項目になる。

(1)燃料消費率の大幅低減

(2)低質燃料油の使用

(3)メンテナンス間隔の延長

燃費低減に関しては、燃焼最高圧力の上昇が顕著で、

オイルショックを挟む1970年と1980年の10年間で、8

~15%程度の改善が認められる。

低質油は主機のみならず発電機関にも同質油の使用

が要求され、従来小型機関では不可能とされたIF380

と呼ばれる高粘度C重油を使用できる目途をつけるに

到った。機関側では、噴射系の改善、排気弁、過給機

などの耐食性改善などいくつかの方策が講じられた。

わが国の商船補機の市場には、かつて外国メーカー

が市場参入を狙ったことが何度もあったが、いずれも

成功していない。その理由はいくつかあるが、上記国

産2社が徹底した合理的生産システムの構築でコスト

競争力を維持したことと、顧客、造船所に対する引合

いから納入後の部品供給に至るまでのきめの細かい

サービスが認められたことが挙げられると思う。もち

ろん技術的水準が外国勢と比べて劣っていないことが

条件ではあった。

1「日本の艦艇・商船の内燃機関技術史-周辺機器-」

藤田秀雄他 MESJ 1997年1月 P13

2「神船ディーゼル75年のあゆみ」三菱重工神戸造船所

1992年9月 P18

3「三井造船のディーゼル50年」1986年8月 P25

4「舶用ディーゼル機関の技術に関する進歩の年表」

村田正之他 MESJ 1979年2月 P150

5「神船ディーゼル75年のあゆみ」三菱重工神戸造船所

1992年9月 P21

26 国立科学博物館技術の系統化調査報告 Vol.12 2008.March

6「舶用ディーゼル機関の技術に関する進歩の年表」

村田正之他 MESJ 1979年2月 P151

7「日本の艦艇・商船の内燃機関技術史-小型舶用内燃機

関編-」藤田秀雄他 MESJ 1997年4月 P277

8「日本の艦艇・商船の内燃機関技術史-周辺機器-」

藤田秀雄他 MESJ 1997年1月 P14

9「ダイハツディーゼル30年史」1996年12月 P72

10 「ダイハツディーゼル30年史」1996年12月 P137

3-4-1 日本海軍の艦艇

(1)日露戦争から第一次大戦まで

1904(明治37)年~1918(大正7)年

日露戦争中にアメリカのエレクトリック・ボート社

から購入した潜水艇5隻が、わが国で保有した最初の

潜水艇であり、180PSのガソリン機関が搭載されてい

た。その後各国の潜水艇を調査し、1911(明治44)年

にイギリス・ビッカース社から、1913(大正2)年に

フランス・シュナイダー社からそれぞれ潜水艇を購

入、1915(大正4)年に川崎造船がイタリア・フィアッ

ト社の潜水艇およびディーゼル機関の製造権を取得し

た1。3社とも潜水艇とその主機用ディーゼル機関を自

社製作しており、ビッカースは4サイクル無気噴射

600PS、シュナイダーは2サイクル空気噴射1100PS、

フィアットは2サイクル空気噴射1300PSであった。

川崎造船はフィアット社に多数の技術者を派遣して

技術習得に努め、1919(大正8)年に第1号機を完成し、

引続き3隻分6台を製作したが、これは日本で初めての

1000PSを超える国産ディーゼル機関であった2。

これらの購入潜水艇と川崎造船および海軍呉工廠で

建造した同種の潜水艇の経験から、海軍は海中形潜水

艦(水上速力17ノット)を標準形に制定し、1919(大

正8)年より横須賀、呉、佐世保の各工廠にて建造を

始めた。主機はSulzer2サイクル、空気噴射式6気筒

1300PS機関で、海軍および神戸製鋼で製造した3。

また三菱造船(神戸)では1917(大正6)年ビッカー

ス社より製造権を得て、L形潜水艦とビッカース機関

の製造を開始した。同機関は4サイクル、無気噴射、

12気筒、1200PSで三菱神戸で製造した4。

(2)第一次大戦後からロンドン軍縮会議まで

1919(大正8)年~1930(昭和5)年

第一次大戦でのドイツ、イギリス潜水艦の活躍はめ

ざましいものがあり、潜水艦の軍事上の価値が再認識

された。1921(大正10)年に開かれたワシントン軍縮

会議で日本は主力艦のトン数を米英の6割に制限され

たが、潜水艦を含む補助艦は意見がまとまらず制限は

設けられなかった。

我が国はドイツから潜水艦を購入するとともに、ド

イツ人技師を招聘して機雷潜水艦、巡洋潜水艦の建造

技術を習得する一方、海軍独自開発の海大潜水艦など

作戦目的に応じた潜水艦を盛んに建造して軍事力を増

強した。

これら潜水艦の推進および発電を担ったのが、表

3.4.1に掲げるディーゼル機関であり、潜水艦用として

設計されたものであったが、故障が多く信頼性に乏し

かった。ビッカースは排気色が悪く隠密性に欠けたし、

MANは強い捩り振動があり、またクランク室爆発事

故も起こした5。Sulzerはピストン、シリンダライナの

海水による腐食やクロスヘッドメタルの焼損事故を起

こした。そしてその解決に数年を要している。

(3)ロンドン軍縮会議後から第二次大戦まで

1931(昭和6)年~1945(昭和20)年

(a)潜水艦用ディーゼル機関

ワシントン軍縮会議で主力艦を米英対比で6割に制限

された日本が、制限のない潜水艦の増強を図った矢先、

1930(昭和5)年のロンドン会議で潜水艦の保有量を米

英日同量に制限されることになった。すなわち、保有

排水総量の制限、単艦排水量の制限などにより、日本

の相対的競争力は著しく低下する結果になった。これ

を回避するため、潜水艦の高速化、すなわち水上速力

25ノット級の高速艦の開発に力を注ぐことになった。

当時、ラ式2号3000PS、ズ式3号3400PSと同一寸法、重

量で5割増の出力の機関が必要になったが、これを国産

化するか外国製を購入するか種々検討された。外国製

を求めるとすれば、Sulzerがフランス海軍のために開

発した9Q54形と、MANがドイツの豆戦艦Deutschland

主機用に開発した複動機関MZ形が候補に挙ったが、

予算の関係から自ら開発することになった6。

海軍ではかねてから将来に備えて単筒大型複動ディー

ゼル機関を試験中であり、さらに1930(昭和5)年に

なって4気筒の試験機にとりかかっていた。1931(昭

艦艇用ディーゼル機関3.4

名称

ビ式

ラ式1号

ラ式2号

ズ式2号

ズ式3号

ライセンサ

Vickers

MAN

Sulzer

サイ クル

4

4

4

2

2

噴射 方式

無気

空気

空気

空気

空気

シリン ダ数

12

6

10

6

8

PS

1200

1200

3000

1300

3400

ライセンシ

三菱神戸

川崎造船

海軍工廠

神戸製鋼

表3.4.1 潜水艦用ディーゼル機関要目

274サイクルディーゼル機関の技術系統化調査

和6)年に試験は終了し、艦本式1号機関の基礎ができ、

翌年末には実用機が完成した。そして1932(昭和7)

年に海大形伊号潜水艦主機に搭載され、待望の24ノッ

ト高速潜水艦の誕生をみることになる。同艦は16日間

の巡航試験を終え、ここに艦本式1号内燃機関の実用

性が確認された7。

昭和初年頃には、複動機関に関する実用的な資料は

皆無であり、特異な構造に関する部分的な基礎実験か

ら始め、単筒機関から4気筒機関を経て実用機へと進

めていったが、幾多の困難に直面した。基本設計の段

階では、

①溶接構造クランクケース

②鋳鉄シリンダライナなしのシリンダ

③ピストン棒クロスヘッド結合部の構造

などの問題に遭遇し、期限内の解決は極めて困難な状

況だった。また、実験初期段階における燃焼不良は、

2サイクル機関の掃気の本質に関わる問題の解決を迫

られた。

これら問題を解決したのは、当時の造機部長林田恒

雄の強力なリーダーシップのもと草川浩、近藤市郎を

はじめとする有能な技術者、技能者の功績によるもの

であった。こうして完成した艦本式1号機関に続き、行

程を増して出力を向上した艦本式2号機関が誕生した8。

中形潜水艦用としては1930(昭和5)年、多量生産

に適するサイズとして気筒あたり250PSを目標に、単

動4サイクル、無気噴油ディーゼル機関の開発が呉海

軍工廠で行われた。単筒および6気筒試験機で種々試

験が行われたが、所期の目標出力は得られず、1933

(昭和8)年8気筒1500PSとして実用機が誕生した。そ

して本機関の10気筒機関が2350PSの22号10形機関と

して伊12号潜水形巡潜の主機用に搭載された9。

三井造船では、海軍からの要請でこれら1号、2号、

22号機関を多数製造した10。そして、1941(昭和16)

年B&W社との契約に艦艇用機関を追加した。B&W社

から来日した技師と、三井造船神戸分室で、2サイク

ル複動無気噴射式機関642WU56/20形(6000PS/

450rpm)の試設計を行った。そして玉野工場にて単

筒の試験機関を作ったが、戦争の推移のなかで実機の

製造には至らなかった。気筒当り1000PSという当時

としては画期的な高出力機関で、ほぼ実用化の目途が

立った時点で、残念ながら幻のエンジンとなってしま

った11。

第二次大戦の初期、ドイツの潜水艦Uボートは英国

など連合国の艦艇に大きな打撃を与え、目覚ましい活

躍をした。日本軍は三国軍事協定の関係から2隻のU

ボートを無償提供された。この目的は日独共同で印度

方面の連合国側の海上交通に打撃を与えるために、日

本での潜水艦技術の向上を図るものだった。したがっ

て日本に回航されたU551形(呂500潜)にはドイツ人

技師が乗船してきたほか、船体、機関、電気などの図

面や資料が多数積み込まれてきた。日本海軍では、部

門別にドイツ人技師と意見交換して技術の習得と向上

に努めた。主機はMANが開発したM9V40/46形で、日

本海軍の22号形と同級の機関であった12。この図面を

日本語に翻訳し、26号9形機関として調整して横須賀

海軍工廠造機部が製作を担当することになった。しか

しこのプロジェクトも1945(昭和20)年5月のドイツ

の無条件降伏で中止となり実機として製作されること

はなかった。この機関は戦後MAN社から独立して、

フランスのSEMT社を設立したグスタフ・ピールス

ティック(Gustav Pielstick)がPC2形機関として世に

広めた機関のプロトタイプである。これら機関の要目

を表3.4.2に示す。

(b)水上艦用ディーゼル機関

艦艇用推進機関は低燃費(長い航続距離)、良好な

始動性、増速性能が良いことなどが強く要求される。

水上艦にディーゼル機関を用いる試みは1928(昭和3)

年、敷設艦「厳島」にラ式1号1200PSが3軸で使用さ

れたのに始まる。しかし、主力水上艦用の推進機関と

しては1基5000PS以上が要求され、また重量も

25kg/PSの軽量形が求められた。

ドイツ海軍は第一次大戦後潜水艦の保有を禁止さ

れ、また戦艦の排水量は1万トン以下に制限されたの

で、推進機関の軽量大出力化で性能向上を図った。こ

のころ建造されたのが1万トン形豆戦艦Deutzchland

で、この推進用に採用されたのが7000PSの2サイクル

複動ディーゼル機関で、8基2軸の構成であった13。

日本では潜水母艦「大鯨」が建造されることになり、

船体は溶接構造、主機はディーゼル機関が使用される

ことに決まった。機関は艦本式11号機関で、これを4

基2軸としフルカンギヤで連結するシステムだった。

しかし、溶接構造からくる船体の問題に加え、主機も

ピストン棒クロスヘッド接合部の折損事故を起こすな

ど、計画の5割程度の負荷しか出せない状況で失敗に

型式

1号10形

2号10形

22号8形

26号9形

サイ クル

2

2

4

4

単複動

気筒数

10

10

8

9

口径 mm

470

470

430

400

行程 mm

490

530

450

460

出力 PS

6300

7800

2080

2200

回転数 rpm

350

350

600

470

Pme kg/cm2

5.1

5.8

6.0

8.1

表3.4.2 潜水艦用ディーゼル機関要目

28 国立科学博物館技術の系統化調査報告 Vol.12 2008.March

終った14。

「大鯨」に続いて高速給油艦「瑞穂」「剣崎」「高崎」

の主機用、水上機母艦「千歳」「千代田」の巡航用な

どに11号機関を搭載する計画が進められた。しかし

「大鯨」の不具合を完全に解決するに至らなかったこ

とから、ディーゼルの信頼性を回復することができず、

タービンに変更された。唯一ディーゼル機関が使用さ

れた「瑞穂」は就役して間もなく沈没したため、その

成績は残されていない。

1935(昭和10)年、日本海軍は戦艦「大和」の建造

計画に着手した。排水量約7万㌧、速力27ノット、航

続7000海里の世界でも最大級の巨艦で、所要出力は4

軸で15万PSと計画された。当時、大出力の原動機は

蒸気タービンしかなかったため、4基の蒸気タービン

駆動方式が最有力と思われていたが、燃料消費率の少

ないディーゼル機関の採用の可能性が検討され、1万

PS級ディーゼル機関4台をフルカンギヤで1軸に結合

することで、4万PSが可能と結論づけられた。一方、

大戦艦では大砲の砲塔旋回用に大容量の水圧ポンプが

必要であり、この動力源として蒸気が必要であること

から、内側2軸を蒸気タービン、外側2軸をディーゼル

機関で駆動する方式が最終案として浮上した。

これを実現するために複動2サイクルで単機1万PS

のディーゼル機関の開発に着手し、試作実験が行われ

た。しかし、「大和」の竣工期の関係から決定の期限

が迫ったが、それまでにディーゼル機関の信頼性の確

認が間に合わず、全タービン方式に決定した。ディー

ゼル機関を推した人にとっては、まことに悔しい決定

であった15。

この機関は間もなく、13号内燃機関(口径480mm、

行程600mm、シリンダ当り出力800PS、350rpm)とし

て完成し、水上機母艦「日進」の主機として10気筒2

基と12気筒1基の3基をフルカンギヤで1軸にしたもの

を2組で構成した6基2軸合計47000PSが搭載された。

1942(昭和17)年に完成したが、残念ながら使用実績

を確認することができなかった。これら機関の要目を

表3.4.3に示す。

(c)魚雷艇用ディーゼル機関

日本海軍は戦艦「大和」「武蔵」など優秀な艦艇を

造る技術を持っていたが、魚雷艇に関しては技術が遅

れていた。それは、魚雷艇に搭載する適当なディーゼ

ル機関、すなわち1500~2000PS級で馬力あたり重量

が4kg以下条件を満たす機関が日本には存在しなかっ

たことによる。そのようななかで、横須賀機関実験部

において、61号内燃機関が開発された。これは、航空

技術研究所において開発した2サイクルディーゼル機

関を舶用化したもので、V16気筒、口径140mm、行程

180mm、1000PS/1600rpmで馬力当り重量は約3kgだ

った。しかし、実験段階でシリンダヘッドからのガス

漏れ、ピストンリング膠着、潤滑油の上昇などの問題

が生じ、これを解決するための工作精度にも限界があ

り、ついに開発を断念した。

その後、2サイクル、4サイクルの各種機関の開発や

ドイツからの技術導入が試みられた結果、いずれも実

用化には到らなかったが、三菱東京製作所から2サイ

クルZC707形、V20気筒、口径150mm、行程200mm、

2000PS/1600rpmの機関が提案された。試作実験の結

果、1500PS/1450rpmで良好な成績を得たが、量産に

移る前に終戦を迎えた。これは64号内燃機関として、

海軍の歴史に名を留めている。これら機関の要目を表

3.4.4に示す16。

戦後三菱重工ではこの機関を改良、発展させ

2000PS級の20ZC機関や3000PS級の24WZ機関などを完

成した。そして海上自衛隊の魚雷艇主機に採用される

など、高速艇用軽量大出力機関として確固たる地位を

築いた。

(d)特攻兵器用ディーゼル機関

第二次大戦末期に、多種の特攻兵器が考案され、製

造された。甲標的はそのひとつで、特殊潜航艇とも呼

ばれ母艦より発進して敵艦隊に突進するもので、魚雷

を大形化したものともいえる。甲、乙、丙、丁型があ

り、ハワイ真珠湾攻撃に参加したのは甲型で、電池電

気推進であった。その後、戦局悪化に伴い基地防衛用

にディーゼル機関を搭載した電気推進方式となり、乙

型、丙型、丁型として改良され比島及び沖縄作戦で活

躍し、丁型は本土決戦用として多数建造された。丁型

の別称「蛟龍」は超小型ディーゼル機関の潜水艦で電

気推進方式だった。主機は艦本式51号丁6形、4サイク

ル、6気筒、口径140mm、行程200mm、150PS/1500rpm

型式

11号10形

13号10形

サイ クル

2

2

単複動

気筒数

10

10

口径 mm

450

480

行程 mm

600

600

出力 PS

8500

8000

回転数 rpm

400

350

Pme kg/cm2

5.4

5.1

表3.4.3 水上艦用ディーゼル機関要目

型式

61号16形

64号10形

サイ クル

2

2

単複動

気筒数

16

10

口径 mm

140

150

行程 mm

180

200

出力 PS

1000

1000

回転数 rpm

1600

1600

Pme kg/cm2

6.3

8.0

表3.4.4 魚雷艇用ディーゼル機関要目

294サイクルディーゼル機関の技術系統化調査

で新潟鉄工の設計によるものだった。「蛟龍」の終戦時

の完成隻数は115隻で建造中が500隻に達した17。

「海龍」も有翼潜水艇で、主機はいすゞ大型トラッ

クDA60ディーゼル機関で4サイクル、6気筒、口径

110mm、行程150mm、110PS/2200rpmの電気推進で、

本土決戦に備えて224隻造られた。

人間魚雷「回天」は頭部に1.5㌧の弾薬を積んで30

ノットの速力で敵艦に突進する一人乗り魚雷であり、

まさに玉砕戦術の手段として考案された。これに使用

された機関は、石油を純酸素で燃焼させてその高温高

圧ガスを往復動機関に供給して動力を得たもので

550PSであった。この「回天」は1型とよばれ、1944

(昭和19)年末から終戦まで、米艦船を多数撃沈して

敵に多大な脅威を与えた。2、3及び4型も1500PSの往

復動機関とガスタービンを搭載し、40ノットに能力ア

ップして試作されたが実用機は誕生しなかった18。

(4)日本海軍の功績

明治末期の日露戦争に端を発し、第二次大戦終結ま

での約40年間は、我が国にとっては戦争の歴史でもあ

った。日本の陸海軍にとっても欧米露の列強に負けな

い兵力と隊員のスキルを上げるためにあらゆる努力を

し、世界に誇る技術力を有していたことは紛れもない

事実である。しかし第2次大戦の敗北は、敵の高高度

爆撃と情報戦の弱さが原因と言ってもよいであろう。

海軍には誇れる技術がいくつかあり、その例として

潜水艦用複動機関艦本式1号型、2号型、戦後の高速

ディーゼルの礎となった魚雷艇用の三菱重工ZC型機関、

さらに戦後の国鉄制式のDMF、DML型の源流となっ

た新潟鉄工のSV型から発展した巡洋艦用発電機関な

ど、大きな功績を残したものが多い。そしてさらに大

きいのは、日本海軍の優秀な人材が、戦後海運、造船、

自動車、航空機、機械産業などの分野に転身して、こ

れら産業・技術の発展に大きく貢献したことであり、

このことは永く記憶にとどめておきたいことである。

3-4-2 海上保安庁

(1)海上保安庁と海上自衛隊の誕生

第二次大戦後の日本周辺海域は密航、密輸、略奪な

どが横行し、また戦時中に日米海軍が敷設した機雷に

接触する事故が頻発していた。連合軍最高司令部は、

これら事態に鑑み、海の秩序回復と接雷事故防止のた

め、日本政府に対し、米沿岸警備隊(USCG)になら

った海上保安体制の整備を求めた。その結果、1948

(昭和23)年5月に海上保安庁(海保)が誕生した。

1950(昭和25)年に勃発した朝鮮動乱を契機に、海

上防衛の必要性が認識され始め、1952(昭和27)年4

月に海保の機関として海上警備隊が発足し、同年8月

に、海保から離れて、新設の保安庁警備隊と名前を変

えた。この時点で、海保の役割は 警備救難、水路、

灯台の三つになった。そして、1954(昭和29)年7月

に保安庁警備隊は海上自衛隊として創設された19。

(2)海上保安庁の草創期

1950年代の日本は戦後の混乱から抜け出せないなが

ら、急速に経済発展を遂げ、工場からの廃棄物やタン

カーの揚荷によるスラッジ等が海洋に廃棄され、海の

汚染が著しく進んだ時期だった。国際的にも海洋汚染

が深刻となり、1954(昭和29)年のオイルポリューショ

ン条約を皮切りに規制が強化されるとともに、国内法

の整備も進んで、海保は汚染防止活動と監視取締りの

役割を担うことになる。

海難では漁船の転覆や沈没事故が深刻だった。主と

して荒天時の出漁と過積みが原因で、さけます船団の

大型遭難事故も発生した。近年は様相が変わり、海難

件数のトップは漁船からプレジャーボートに入れ替

わっている。

警備面では、密航、密輸などの取締りの主要任務の

ほか、韓国、ソ連の領海周辺で操業する漁船のこれら

の国による拿捕の防止が海保の任務だった。近年では、

北朝鮮の工作船など不審船の監視や麻薬、覚醒剤の取

締りが主要な警備上の任務になっている20。

1950(昭和25)年以降、海保は順調に歩み始める。

まず、1951(昭和26)年に、南極観測船「宗谷」が建

造された。2500総㌧の砕氷船で、主機として新潟鉄工

製2サイクルディーゼル機関TN8E形2400PSが採用さ

れた21。

(3)各種巡視船の発展過程

1)350㌧系巡視船

1954(昭和29)年には、350㌧型巡視船「とかち」

が就役した。主機は池貝鉄工の4サイクルディーゼル

機関6MSB31S形700PS/525rpm 2基が採用された。こ

の350㌧型巡視船は改「やはぎ」型、改2「まつうら」

型、改3「くなしり」型、改4「びほろ」型として改良

を重ねながら継承され、1978(昭和53)年竣工の「し

なの」などまで、20年間に亘り40隻余りが建造され、

文字通り海の秩序回復や警備救難業務に活躍した。

1974(昭和49)年に東京湾で起きたLPGタンカー

「第十雄洋丸」の衝突炎上事故を契機に、火災事故、

油流出事故に備えるための特殊防災型巡視船特350㌧

型「たかとり」が1978(昭和53)年に竣工した。

30 国立科学博物館技術の系統化調査報告 Vol.12 2008.March

新海洋法秩序対策の一環として、「びほろ」型の拡

大改良型、500㌧型巡視船「てしお」(後の「なつい」)

が1980(昭和55)年に竣工した。主機出力を維持した

ままで同一速力を確保した。

近年になり、高速化する密漁船への対応や事故現場

への時間短縮のため、巡視船高速化の要求が一段と高

まってきた。新350㌧型の登場で、速力を500㌧型の18

ノットから25ノットへと上げるため、船型を半滑走型

とし、船体を高張力鋼、上部構造を軽合金として軽量

化し、さらに主機出力は2軸で7000PSと500㌧型の2倍

以上とした。1番船「あまみ」は1992(平成4)年に竣

工し、1998(平成10)年竣工の「くなしり」「みなべ」

まで4隻が建造された。2003(平成15)年竣工の「と

から」型から軽合金製船体に3基3軸のウォータージェッ

ト船となり、5000PSの高速機関が採用された。

これら巡視船の主機の要目を表3.4.5に示す。本表に

示す主機の中で、池貝鉄工と新潟鉄工が納入した機種

が同一であることが注目される。これは、海保の主導

で両社が共同設計して生まれた機種で、巡視船専用に

製作されたものである。本機関を含め、改3型までは

自己逆転式の4サイクル中速機関が使用された。その

後改3型の後半1972(昭和47)年竣工の「やえやま」

から主機の形式は4サイクル低速機関となり、推進器

も固定ピッチから可変ピッチに変わり、操船性は格段

に向上し燃費性能も大幅に改善された。主として内航

貨物船や漁船の主機として使用されていた4サイクル

低速機関を採用したのは、その信頼性に負うところが

大きい。

本シリーズは、その後高速機関の2基2軸から、さら

に3基3軸に変り、合計出力は15000PSにも達して当初

の船とはすっかり様変わりしている。

2)1000㌧級巡視船

1965(昭和40)年、1000㌧型に先立って900㌧型巡

視船「えりも」が竣工した。主機は三井造船の2サイ

クル中速機関635V2BU45型が2基使用された22。翌年に

は同型船「さつま」が竣工し、北と南の海域の警備に

携わった。海上保安庁で2サイクル機関が使用された

のは「宗谷」とこの船だけと思われる。

新海洋秩序維持の目的で、新しい船型として1000㌧

型巡視船が計画され、1978(昭和53)年11月竣工の

「しれとこ」から1982(昭和57)年3月竣工の「あまぎ」

までわずか3年4か月の間に28隻が完成した23。北は稚

内から南は石垣まで主要保安部に広く配属され、警備

救難の機動力増強に大いに貢献した。主機は新潟鉄工、

富士ディーゼルの4サイクル低速ディーゼル機関、

3500PS/380rpmが2基搭載され、速力は20ノットと500㌧

型の18ノットを上回っている24。

1000㌧型はやや大型化した新船型として1989(平成

元)年に完成した「のじま」(のちの「おき」)に継承

される。そしてこれの発展改良型が1991(平成3)年

に竣工した新1000㌧型「おじか」で、2000(平成12)

年竣工の「もとぶ」まで7隻が建造された。主機は

3500PSの中速機関2基が搭載された25。

これら機関の要目を表3.4.6に示す。

3)3000㌧超級の巡視船

「しれとこ」が建造されたと同じころ、日本近海の

広範な海域をより機動的に警備救難するため、ヘリコ

プター搭載の巡視船が計画された。その1番船が1978

(昭和53)年に竣工した「そうや」であり、初代「宗

谷」と同様砕氷能力を備えていたが、南極観測支援は

海上自衛隊の所管になったため、釧路に配備されて専

ら警備救難業務に従事した26。続いて1979(昭和54)

年竣工の「つがる」から2001(平成13)年9月竣工の

「だいせん」まで9隻のヘリコプター1機搭載船が建造

されて北海道から沖縄までの主要保安部に配備され

船型 (建造隻数)

350㌧ とかち型(2)

改350㌧ やはぎ型(7)

改2-350㌧ まつうら型(5)

改3-350㌧ くなしり型(7)

改4-350㌧ びほろ型(20)

500㌧ なつい型(14)

350㌧ あまみ型(4)

350㌧ とから型

一番船 竣工年

1954

1956

1961

1969

1973

1980

1992

1998

2003

主機 製造者

池貝 新潟

池貝 新潟

池貝 新潟

新潟 富士

新潟 富士

新潟 富士

新潟 富士

新潟

新潟

形式

6MSB31S

6MSB31S

6MSB31S

6MA31X 6MD32H

6M31EX 6SD32H

6M31EX 6SD32H

6M31EX 6SD32H

16PA4V 200VGA

S12U-MTK 16V20FX

2

2

2

2

2

2

2

2

3

出力 PS

700

700

700

1300 1500

1500 1500

1500 1500

1500 1500

3500

3494 5020

回転数 rpm

525

525

525 550 600

380 380

380 380

380 380

1475

1175 1650

表3.4.5 350㌧系巡視船の主機要目

船型 (建造隻数)

900㌧ えりも型(2)

1000㌧ しれとこ型(28)

1000㌧ おじか型(7)

一番船 竣工年

1965

1978

1991

主機 製造者

三井 新潟 富士

新潟

形式

635V2BU45

8MA40X 8S40B

8MG32CLX

2

2

2

出力 PS

2400

3500

3500

回転数 rpm

475

380

600

表3.4.6 1000㌧型巡視船の主機要目

314サイクルディーゼル機関の技術系統化調査

た。「そうや」も含め、長さ100m、3000総㌧級の大型

船だけに主機はフランスSEMT社の12PC2-5V形2基の

15,600PSと巡視船としては過去最大の出力となり、

SEMT社のライセンシである石川島播磨、日本鋼管、

新潟鉄工の3社が製造した。

さらに機動力を増すためにヘリコプター2基搭載型

巡視船「みずほ」が1986(昭和61)年完成し、2年後

に竣工した「やしま」とともにそれぞれ名古屋と横浜

に配備された。主機出力は増強されて、同じSEMT社

の14PC2-5V形2基の18,200PSとなった。これらの機関

の要目を表3.4.7に示す。

このほかヘリ搭載船として1992(平成4)年に完成

した「しきしま」はプルトニウムの海上輸送を護衛す

るために建造されたもので、長さ150m、7000総㌧級

と世界最大級の巡視船であるが、保安上の問題から速

力や主機出力などは明らかにされていない。

大型巡視船のうち、1993(平成5)年に竣工した

「こじま」は同名巡視船の後継として、呉に配属され

海上保安大学の実習船を兼ねた3000㌧級の大型船で、

ヘリコプターの発着ができる甲板を備えている。

1995(平成7)年1月に発生した関西淡路大震災では

救援活動の中心となるべき第5管区海上保安部自身が

被害を受け、救援活動が十分行えなかった。そこで、

優れた通信機材を備え、災害対策本部としての機能が

果たせる巡視船の整備が計画された。1997(平成9)

年に完成した3500㌧型巡視船「いず」がそれである27。

続いて1998(平成10)年10月に竣工した巡視船「み

うら」は「いず」に続く災害対応型で、船型は「こじ

ま」と同型で、災害対策本部機能のほか、医療・給食

設備を備えている。また、横須賀に配備され海上保安

学校の海上実習船としても使用されている。これら機

関の要目を表3.4.8に示す。

4)180㌧型巡視船

1985(昭和60)年日向灘で発生した不審船事件を契

機に、外洋を高速で警備する巡視船の整備が計画され

た。180㌧型35ノットの高速船であり、船体は軽合金

製、高速ディーゼル機関3機3軸で両玄2機がプロペラ

駆動、中央機がウォータージェット駆動という画期的

なものだった。主機出力も3機で9400PSと小型船では

類を見ない大出力のものだった。この主機の選定にあ

たっては、軽量大出力という条件で国産と海外製品の

両方が選定された。国産では三菱重工のSU-MTK型が、

海外製品では欧州海軍などの実績からSEMT社の

16PA4V-200型(提携先の富士ディーゼルが製作)が

採用された。一番船「みはし」(のちの「あきよし」、

「しんざん」)が1988(昭和63)年に完成したあと1991

(平成3)年までに4隻が竣工した28。

「みはし」型の航続距離を延ばし、さらに食料、水

の搭載量を増し居住性も改善した「びさん」が1994

(平成6)年に完成した。主機は「みはし」型と同一形

式であるが、中央機の出力を両玄機と同一に増加し、

3機合計で9600PSとなった。また、主機メーカーは富

士ディーゼルが1998(平成10)年廃業したのに伴い、

PA4シリーズのライセンスを継承した新潟鉄工が製作

を担当した。これら機関の要目を表3.4.9に示す。

図3.4.1 巡視船「そうや」

船型 (建造隻数)

そうや(1) つがる型(9)

みずほ型(2)

一番船 竣工年

1978 1979

1983

主機 製造者

IHI、NKK、 新潟

IHI、NKK

形式

12PC2-5V

14PC2-5V

2

2

出力 PS

7800

9100

回転数 rpm

520

520

表3.4.7 ヘリ搭載型巡視船の主機要目

船型 船名

3000㌧ こじま みうら

3500㌧ いず

竣工年

1993 1998

1997

主機 製造者

新潟

新潟

形式

8MG32CLX

8PC2-6L

2

2

出力 PS

4000

6000

回転数 rpm

650

520

表3.4.8 3000㌧超級巡視船の主機要目

船型 (隻数)

みはし型 (4)

びざん型 (8)

一番船 竣工年

1988

1994

主機 製造者

三菱

富士 新潟

新潟

形式

S12U-MTK S8U-MTK

16PA4V- 200VGA 12PA4V- 200VGA

16PA4V- 200VGA 12PA4V- 200VGA

2 1

2 1

2 1

出力 PS

3500 2400

3500

2400

3500

2400

回転数 rpm

1475

1475

1475

1475

表3.4.9 180㌧型巡視船の主機要目

32 国立科学博物館技術の系統化調査報告 Vol.12 2008.March

5)測量船

海底の地形の測量、海流や潮流の観測、海洋汚染の

調査などに従事する船が測量船であり、近年建造され

た大型測量船では、1983(昭和58)年に竣工した「拓

洋」と1998(平成10)年に竣工した「昭洋」があり、

前者はディーゼル機関2基2軸のプロペラ駆動に対し、

後者はディーゼル機関2基と電動機2基による電気推進

方式を海保として始めて採用した。主機は造船各社が

国家プロジェクトとして共同開発し、三井造船が製作

した高性能機関6ADD30V型が採用された29。これら機

関の要目を表3.4.10に示す。

6)巡視艇

海保には既述の巡視船など大型船のほかに概ね長さ

40m以下の巡視艇が多数ある。2006(平成18)年4月

現在の在籍数は、20mを超えるPC型が60隻、20m以下

のCL型が170隻と合計230隻にのぼる。因みに既述の

巡視船は同時期で計117隻で、巡視艇はこの約2倍を有

することになる。巡視艇の役目は、港内、湾内など比

較的狭い海域の警備救難哨戒などであるが、海難事故

は沿岸が圧倒的に多いことからこれら巡視艇の常駐性

と機動性は重要な要素である。

35m型「はやなみ」型は1993(平成5)年から1996

(平成8)年までの間に11隻建造され、速力25ノット、

主機はドイツMTU社の高速ディーゼル機関12V396TB

94型(2000PS/1975rpm)の2基2軸で130㌧型巡視船に

匹敵する出力がある。

「はやなみ」の改良型「はまぐも」も1999(平成11)

年から翌年の間に4隻が竣工した。推進システム及び

出力は「はまなみ」と同一である。

特23m型「あきづき」型は狭水道の通行監視用に整

備された巡視艇で、1975(昭和50)年から1983(昭和

58)年までの間に12隻が建造された。軽合金製船体で

22ノットを出す一方、港内速力12ノットを長時間維持

することが要求されるため推進システムはディーゼル

機関による3機3軸の方式を採用した。所要速力に応じ

て主機の運転台数を1から3台に切換える方式である。

23m型「しまぎり」型は1985(昭和60)年に3隻竣

工、軽合金製船体で速力30ノット、主機はMTU社

12V396TB93型(1500PS/1975rpm)の2基2軸式だった。

1990(平成2)年に2隻竣工した特23m型「なつぎり」

型は、1988(昭和63)年の潜水艦「なだしお」と遊漁

船「第一富士丸」の衝突事故を契機に横須賀周辺の航

路哨戒用として建造された。船体は高張力鋼としたた

め、速力は27.5ノットとやや低下したが、推進システ

ムは「しまぎり」を踏襲した。

30m型「あそぎり」型は23m型の後継であるが多目

的巡視艇であり、30ノットを出すため主機はMTU社

16V396TB94型( 2600PS/2040rpm)の2基2軸と大出

力になり、1994(平成6)年から4隻が竣工した。同じ

30m型「かがゆき」型は新日韓漁業協定の発効により

高速の韓国漁船を取締まるために1999(平成11)年か

ら3隻が竣工した。36ノットを出すため、軽合金製船

体で主機はMTU社16V4000M70型(2600PS/1940rpm)

の2基で2台のウォータージェットを駆動する方式を採

用した30。

同じ30m型であるが、新海洋秩序に対応して整備さ

れた30ノット型「むらくも」は1978(昭和53)年に竣

工し、1983(昭和58)年までに22隻が建造された。軽

合金製船体で2200PSの高速ディーゼル機関2基2軸プ

ロペラ方式が採用された。

20m型「ちよかぜ」型は1968(昭和43)年から1976

(昭和51)年までの間に96隻建造と隻数の記録を作っ

たが、その後継として1992(平成4)年に完成した

「すずかぜ」型は124隻と記録を更新した。高張力鋼製

船体で30ノットを出すのにMTU社12V183TE92型

(910PS/2230PS)の2基2軸でプロペラ方式が採用され

た。これら船舶と主機の要目を表3.4.11に示す。

船名

拓洋

昭洋

竣工年

1983

1998

主機 製造者

富士

三井

形式

6S40B

6ADD30V

2

2

出力 PS

2600

4050

回転数 rpm

380

720

表3.4.10 測量船の主機要目

船型

35m型 はやなみ型

35m型 はまぐも型

特23m型 あきづき型

23m型 しまぎり型

30m型 あそぎり型

30m型 かがゆき型

30m型 むらくも型

20m型 すずかぜ型

隻数

11

4

12

3

4

3

22

124

一番船 竣工年

1993

1999

1985

1985

1994

1999

1978

1992

船体 材料

高張力鋼

高張力鋼

軽合金

軽合金

高張力鋼

軽合金

軽合金

高張力鋼

速力 kt

25

24

22

30

30

36

30

30

基数 軸数

2 2

2 2

3 3

2 2

2 2

2 2

2 2

2 2

推進器*

FPP

FPP

FPP

FPP

FPP

WJ

FPP

FPP

合計出力

4000

4000

3000

3000

5200

5200

4400

1820

*FPP:固定ピッチプロペラ、WJ:ウォータージェット推進器

表3.4.11 巡視艇の主機要目

334サイクルディーゼル機関の技術系統化調査

(4)海保のあゆみと功績

戦後の混乱のなかで発足した海保は、時代の趨勢と

ともに、変化し発展してきた。沿岸200海里を専管漁

業水域とする新海洋秩序への移行や、広域化する船舶

事故の対応、周辺国との漁業をめぐるトラブルの対処、

不審船の取締りなどその都度船艇の整備やシステムの

強化を図ってきた。船舶推進システムの面でみると、

昭和40年代終盤までの自己逆転式ディーゼル機関か

ら、可変ピッチプロペラの採用、さらには低速直結か

ら中速ギヤード機関への移行、そして高速化に伴う軽

量大出力の高速ディーゼル機関とウォータージェット

推進方式など、新しい技術の導入に積極的に取組んで

きた。

一方機関メーカーの側からは、商船や漁船用で培っ

た過酷な使用条件における信頼性の確保は海保船艇に

対しても全く同様であり、海保向けに特化した機関を

設計するより、汎用性のある機関を提供してきた。

そして海保船艇の一番大きな特徴は、一部の小型艇

がガソリン機関を使用している以外は、圧倒的多数が

4サイクルディーゼル機関で占められていることであ

り、官民を通じて最大のユーザーとして、この分野の

技術発展に貢献してきた点に注目すべきであろう。

3-4-3 海上自衛隊

(1)海上自衛隊の創立期

1954(昭和29)年7月1日の海上自衛隊(海自)発足

時、保有する艦艇は、警備艦(PF)17隻、警備艇

(LSSL)12隻及び海保から移管された掃海艇など76隻

だった。海自発足直前の、1954(昭和29)年5月に調

印された「日米艦艇貸与協定」に基き、警備艇「あさ

かぜ」「はたかぜ」等ほか潜水艦1隻が日本に貸与され

ることになった。米海軍潜水艦「ミンゴ」(Mingo)

が1955(昭和30)年9月に、米サンディエゴ海軍基地

を訓練を受けた海自隊員の手で横須賀に向け出航し

た。本艦は「くろしお」と命名され、その後の潜水艦

の発展に大いに貢献した31。

(2)国産艦艇の建造

海自発足前の1953(昭和28)年度予算で艦船建造費

30億円が計上され、護衛艦5隻、掃海艇3隻、魚雷艇6

隻、電纜敷設艦艇2隻の16隻が計画された。そして

1955(昭和30)年12月、三菱日本重工において戦後初

の国産艦である敷設艦「つがる」が竣工、翌年には初

の国産護衛艦「はるかぜ」が就役するなど、各種艦艇

が次々と完成した32。

1958(昭和33)年度から1976(昭和51)年度に亘り、

防衛力整備計画が4回実施された。通称「1次防」から「4

次防」まででこの間に国産艦艇が本格的に建造された。

以下、艦種ごとにその技術推移を見てゆく。

(3)各種艦艇の発達過程

1)護衛艦

諸外国では一般にデストロイヤ(Destroyer、駆逐

艦)とよばれているものを海自では護衛艦と称してい

る。装備が「外への攻撃」ではなく「外からの防御」

に重点をおいていることもあるが、軍隊ではなく自衛

隊と呼ぶのと同様の配慮からのことである。戦時中の

日本海軍の主力艦の主機が蒸気タービンであったのに

対し、護衛艦主機は蒸気タービンかディーゼル機関か

で大論争があった。その結果、1000㌧型護衛艦が蒸気

タービンとディーゼル機関の両方で造られることにな

り、それぞれ「あけぼの」と「いかづち」として1956

(昭和31)年に竣工した。「いかづち」は三菱長崎が開

発した2サイクルの排気タービン過給式中速機関

9UET44/55が使用された。本機は引渡しまで幾多のト

ラブルに見舞われたが会社をあげての対応の結果、遂

に問題を解決したことが記録されている33。2番艦「い

なづま」主機には三井造船の2サイクル過給機関

950VBU60型6000PS/350rpmが採用された34。単機

6000PSは戦前では複動機関で漸く実現できた出力で

あり、過給機の装着で成し得た大きな成果であった。

1960(昭和35)年頃から、さらに大出力主機の護衛

艦が計画され、ディーゼル機関の単機出力では限界が

あるためギヤードディーゼルが検討された。1960(昭

和35)年に三井造船が製作開始した1235VBU45V型

4000PS/350rpmは上記50VBU60型機関を小型化したも

ので、これを4基2軸にして、DE型護衛艦「いすず」

の主機用に納入した。続いて1963(昭和38)年、同系

の護衛艦「おおい」に、さらに小型の1228V3BU38V

型4250PS/650rpmが4基2軸で納入された。1964(昭和

39)年から就役した「ちくご」型11隻のうち7隻に三

井の同型機が使用され、4隻に三菱の2サイクル中速V

型機関12UEV30/40N型4250PS/600rpmが使用された。

1964(昭和39)年竣工したDDK型護衛艦「やまぐ

も」型はさらに大出力が要求されたため、6基2軸の推

進システムとなり、三井は1628V3BU38V型5600PS/

650rpm 2基と1228V3BU38V型4基の組み合わせ、三菱

は12UEV30/40型4650PS/600rpm 6基で合計推進出力

26,500PSとなった。これら機関は流体継手と減速機で

結合された。28V3BU38V型は10隻分で計46台が護衛

艦用として納入された35。これら艦艇の主機要目を表

3.4.12に示す。

34 国立科学博物館技術の系統化調査報告 Vol.12 2008.March

護衛艦のなかで、ミサイル護衛艦(DDG)「あまつ

かぜ」(1964年就役)、多目的護衛艦(DDA)「たかつ

き」(1966年就役)、ヘリ搭載護衛艦(DDH)「はるな」

(1972年就役)などはいずれも主機出力60000~

70000PSと大きく、適応するディーゼル機関がなかっ

たため、蒸気機関の2基2軸方式が採用された。1982

(昭和57)年竣工のDDG「さわかぜ」まで、これら3

艦種で12隻が同様のシステムで建造されている。

1981(昭和56)年就役した護衛艦(DD)「はつゆき」

の主機に初めてガスタービンの4基2軸方式が採用され

た。巡航用には4620PS2基、加速用に22500PS2基がそ

れぞれ使用されるシステムでCOGOG式(Combination

Of Gas turbine Or Gas turbine)とよばれる方式が採用

された。「はつゆき」型は1986(昭和61)年まで12隻

が建造された。

一方、1980(昭和55)年から3隻就役した「いしか

り」型護衛艦(DE)は前述のディーゼル艦「ちくご」

型の後継艦であるが、推進システムはCODOG式

(Combination Of Diesel Or Gas turbine)の2基1軸方式

が採用され、ディーゼル主機は三菱重工の2サイクル

中速機関6DRV35/44型4650PS/570rpmが使用された。

これに続くDE「あぶくま」型は1989(平成元)年

から1993(平成5)年にかけて6隻建造されたが、主機

は4基2軸のCODOG式でディーゼル主機として三菱4

サイクル高速機関S12U-MTK型3000PS/1200rpmが2基

搭載された。

1994(平成6)年に竣工した練習艦「かしま」は4基

2軸のCODOG式が採用され、ディーゼル主機は三菱

の高速機関S16U-MTK型4000PS/1200rpmが使用され

た。これら艦艇の主機要目を表3.4.13に示す。

2)潜水艦

潜水艦の建造は1次防でスターとし、まず1960(昭

和35)年に「おやしお」が竣工した。主機は川崎

MANのV8V22/30mAL型1350PSが2基搭載された。2次

防では「おおしお」型5隻が建造され、主機は同じ

MANのV8V24/30mMAL型1800PSが2基搭載された。3

次防では、海自初の涙滴型「うずしお」型が1971(昭

和46)年に完成し、水中速力が20ノットと大幅に増加

した。この型は1978(昭和53)年までに7隻建造され

た。そして4次防になると、1980(昭和55)年に拡大

改良型の「ゆうしお」型が完成し、1989(平成元)年

まで、11隻が建造された。さらに改良された「はるし

お」型は1990(平成2)年から1997(平成9)年まで7

隻が就役した36。

続いて1998(平成10)年に、「おやしお」型が初め

て葉巻型として完成した(図3.4.2)。潜水艦主機の要

目を表3.4.14に示す。30年の間にPmeが77%、Cmが

18%それぞれ増加し、その積である出力率がちょうど

2倍になっていることが分かる。

潜水艦はディーゼル機関で発電し、バッテリーに電

気を蓄えて、その電力で推進モーターを回し、プロペ

ラを駆動するディーゼルエレクトリック方式が採用さ

れている。水上ではディーゼル機関が運転できるので

電力の需給はバランスがとれるが、水中ではディーゼ

ル機関を停止するため、蓄えたバッテリーの電気量分

だけ航走できる。そこで、水中でも運転できる機関す

なわち大気に依存しない推進システムAIP(Ai r

Independent Propulsion)が以前から研究されていた。

そのひとつが、原子炉を搭載した原子力潜水艦であり、

米ソでは多く建造されたが、わが国では造られていな

船型 初竣工年 (隻数)

いかづち型 1956(2)

いすず型 1960(4)

ちくご型 1964(11)

やまぐも型 1965(6)

みねぐも型 1968(3)

主機メーカ 型式 三菱

9UET44/55

三井 950VBU60

三井 1235VBU45V

三井 1228V3BU38V

三井 1228V3BU38V

三菱 12UEV30/40N

三井 1228V3BU38V

三井 1628V3BU38V

三菱 12UEV30/40

台数

2

2

4

4

4

4

4

4

6

サイ クル

2

2

2

2

2

2

2

2

2

9

9

12

12

12

12

12

16

12

口径 行程 440 550

500 600

350 450

280 380

280 380

300 400

280 380

280 380

300 400

出力 回転数

6000 380

6000 350

4000 475

4250 650

4250 650

4250 600

4250 650

5600 650

4650 600

Pme kg/cm2 Cm m/s

9.4 7.0

7.3 7.0

7.3 7.1

10.5 8.2

10.5 8.2

9.4 8.0

10.5 8.2

10.4 8.1

10.3 8.0

気筒数

表3.4.12 護衛艦用主機ディーゼル機関要目

船型初竣 工年(隻数) /システム

いしかり型 DE/1980(3) CODOG 2基2軸

あぶくま型 DE/1989(6) CODOG 4基2軸

かしま TV/1995 CODOG 4基2軸

主機メーカ 型式

Rolls Royce TM3B

三菱 6RDV35/44

Rolls Royce SM1A

三菱 S12U-MTK

Rolls Royce SM1C

三菱 S16U-MTK

台数

1

1

2

2

2

2

サイ クル

-

2

-

4

-

4

--

6

--

12

--

16

口径 行程

---

350 440

---

240 260

---

240 260

出力 回転数

22500 5490

4650 570

14000 5500

3000 1200

14000 5500

4000 1200

Pme kg/cm2 Cm m/s

---

14.5 8.4

---

15.9 10.4

---

15.9 10.4

気筒数

表3.4.13 護衛艦、練習艦の主機要目

354サイクルディーゼル機関の技術系統化調査

い。AIPのひとつであるスターリング機関を用いたシ

ステムが実用化の段階にはいっており、さらに液体水

素と液体酸素を使った燃料電池を搭載の推進システム

も研究が行われており、海外で実用された例が報告さ

れている37。

3)掃海艦艇

第二次大戦で米軍が日本周辺に敷設した機雷に接触

する事故が戦後も頻発し、海上保安庁(海保)の設立

のきっかけにもなった。海自発足により、機雷を処理

する掃海業務は海自に移管され、海保所有の掃海艇76

隻も海自に移管された。掃海艇が最初に活躍したのは、

海保時代の1950(昭和25)年に勃発した朝鮮戦争で、

ソ連軍が敷設した機雷の掃海業務だった。近年では、

1991(平成3)年に湾岸戦争後のペルシャ湾の機雷掃

海に参加して計34発の機雷を処分している。

掃海艦艇は磁力を感知して爆発する機雷から自らを

護るため、木造船でありこの技術を継承しているのは、

日本鋼管鶴見造船所と日立造船神奈川工場の2造船所

だけであり、戦後の掃海艦艇の建造はすべてこの2社

が担ってきた。この2社の造船部門が合併して、現在

はユニバーサル造船京浜事業所となっている。

1000㌧級の掃海艦MSO(Minesweeper Ocean)「や

えやま」型は深深度に敷設された機雷を除去する目的

で、1993(平成5)年から3隻建造され、主機は三菱4

サイクル非磁性ディーゼル機関6NMU - T K I型

1200PS/1000rpmが2基2軸で搭載された(図3.4.3)38。

一方500㌧級の掃海艇MSC(Minesweeper Coastal)

は1979(昭和54)年以降に竣工した「はつしま」型

(23隻)が普通深度の機雷掃海を担い、1990(平成2)

年以降に竣工した「うわじま」型(9隻)と1999(平

成11)年に竣工した「すがしま」型は中深度の掃海を

担っている39。

掃海母艦MST(Minesweeper Tender)は掃海艇へ

の水や油の補給やダイバーの救護などの支援業務を担

う。1997(平成9)年と翌年にそれぞれ就役した「う

らが」と「ぶんご」の2隻があり、機雷敷設能力はあ

るが、掃海能力はない。これら艦艇の主機要目を表

3.4.15に示す。

図3.4.2 潜水艦「おやしお」

船型 初竣工年 (隻数)

おやしお型 1960(1)

おおしお型 1964(5)

うずしお型 1970(7)

ゆうしお型 1979(10)

はるしお型 1990(7)

おやしお型 1997(11)

口径 行程 mm

220 300

240 300

240 300

240 300

250 250

250 250

出力PS 回転数 rpm

1350 850

1350 850

2100 850

2100 850

2700 1200

2700 1200

Pme kg/cm2 Cm m/s

7.8 8.5

8.8 8.5

10.2 8.5

10.2 8.5

13.8 10.0

13.8 10.0

16

16

16

16

12

12

主機メーカ 型式

川崎 V8V22/30mAL

川崎 V8V24/30mMAL

川崎 V8V24/30AMT

川崎 V8V24/30AMT

川崎 12V25/25S

川崎 12V25/25S

2

2

2

2

2

2

4

4

4

4

4

4

台数

サイクル

気筒数

表3.4.14 潜水艦主機要目

図3.4.3 掃海艇「やえやま」

船型 初竣工年 (隻数)

やえやま型 1993(3)

はつしま型 1979(23)

うわじま型 1990(9)

すがしま型 1999(11)

うらが型 1997(2)

口径 行程 mm

240 260

150 200

240 260

240 260

420 450

出力PS 回転数 rpm

1200 1000

720 1350

900 1000

900 1000

9900 600

Pme kg/cm2 Cm m/s

15.3 8.7

5.7 9.0

11.5 8.7

11.5 8.7

19.8 9.0

6

12

6

6

12

主機メーカ 型式 三菱

6NMU-TK I

三菱 12ZC15/20 I

三菱 6NMU-TA I

三菱 6NMU-TA(B)EI

三井 12V42MA

2

2

2

2

2

4

2

4

4

4

台数

サイクル

気筒数

表3.4.15 掃海艦艇主機要目

36 国立科学博物館技術の系統化調査報告 Vol.12 2008.March

3-4-4 その他の官公庁船

(1)練習船関係

わが国には古くから、海員養成のための商船学校が

各地に設立され、大学として東京高等商船(東京商船

大学を経て現東京海洋大学)と神戸高等商船(神戸商

船大学を経て現神戸大学)の2校と、富山、鳥羽、弓

削、大島、広島の5つの商船学校(現商船高専)があ

り、独自で練習船を保有していた。

一方、運輸省(現国土交通省)には航海訓練所があ

り、上記商船関係学校の学生を含めて、海員養成のた

めの練習船を保有してきた。古くは1930(昭和5)年に

竣工した初代帆船日本丸、海王丸に代わって1984(昭

和59)年と1989(平成元)年に竣工した日本丸Ⅱ世、

海王丸Ⅱ世には、補助推進機関として4サイクルディー

ゼル機関が搭載されたが、50年余りの歳月を経ている

ので、両船の機関の進歩は際立って見える。(表3.4.16)

正味平均有効圧力Pmeと平均ピストン速度Cmの積を出

力率と呼んでいるがこれはピストン面積当たりの出力

を表す指標である。両者の出力率の割合は約5倍になっ

ており、同一口径ならば出力がその倍率で増えたこと

と同じである。

一方、漁船の乗組員の養成のための練習船も古くか

らあり、大学水産学部、水産高校が独自に所有してき

た。これら練習船は漁労実習ができるよう実際の漁船

と同一の設備を有しており、主機もその時代の実用機

関を搭載して訓練の用に供していた。表3.4.17に1950

年代と1990年代に建造された水産高校練習船の主機要

目を対比してその進歩を明らかにした。

これら機関はすべて、4サイクル低速機関であって、

遠洋まぐろ漁船主機として使用されていたものである。

無過給から過給機関に変わったとはいえ、この40年

で出力率で4~5倍に上昇したことになり、前期練習船

と同じような技術進歩が見てとれる。

東京水産大学(現東京海洋大学)では、1963(昭和

38)年に、400PSの中速機関を2基1軸に配して、練習

船「神鷹丸」の主機に搭載した40。中速ギヤード機関

(減速機を介してプロペラ回転数を落とすシステム)

がまだ出現して間もない時期に、マルチプルギヤード

システム(複数の機関で1個のプロペラを減速して回

すシステム)が出たことは先駆的と言ってよい。

(2)取締船関係

(a)税関監視艇

税関では、貿易港を拠点として監視艇を配備して、

入港する外国船舶や外国に寄港した日本漁船等に対

し、密輸入の取締りを行ってきた。

1950(昭和25)年ころから、警備艇が建造され、主

機として米ゼネラルモーター(GM)社(現デトロイ

トディーゼル社DDC)製、2サイクル高速ディーゼル

機関4-71型144PSまたは6-71型230PSが1基が搭載され

た。その後2基搭載型になり、まず1961(昭和36)年

に6-71型230-270PSが、続いて1963(昭和38)年に8V-

71N型320PSが、そして1973(昭和48)年に8V-71TI型

390-425PSが、それぞれ採用された。

1995(平成7)年ころから、ドイツのMTU社製の高

速機関が採用されるようになり、比較的小さい

12V183TE92型911PS(670kW)から、高速機関として

は中型の16V396TE94型2768PS(2036kW)まで、数種

類の機関が選定された。これらの機関の要目を表

3.4.18に示す。

長年2サイクル高速機関を製造してきたDDC社と4

サイクル高速機関の専門メーカーのMTU社は、2001

(平成13)年に技術提携を行い、性能、環境両面から

世界に通用する製品の共同開発に着手した結果、2サ

イクル機関は環境対策面から断念し、4サイクルの新

シリーズで電子制御化した2000及び4000シリーズにシ

フトし、高速船市場に実績を延ばしている。

船名

竣工年

主機メーカー 型式・台数

シリンダ数

口径 x 行程

出力/回転数

Pme kg/cm2

Cm m/s

出力率

初代日本丸 初代海王丸

1930年

池貝 2台

6

400mm x 600mm

600PS/220rpm

5.4

4.4

24

二代目日本丸

1984年

ダイハツ 6DSMB-28N 2台

6

280mm x 340mm

1500PS/720rpm

14.9

8.2

122

二代目海王丸

1898年

ヤンマー Z280-ST 2台

6

280mm x 360mm

1500PS/650rpm

15.6

7.8

122

表3.4.16 練習帆船の新旧機関の比較

船名 竣工年

雄山丸 1956

海洋丸 1995

長水丸 1953

やいづ 1990

三重丸 1954

土佐海援丸 1991

口径mm 行程mm

260 400

280 480

300 420

310 530

310 440

280 530

出力PS 回転数 Rpm

320 410

1500 420

380 370

1800 370

400 350

1600 380

出力率

26

121

27

118

27

130

Pme kg/cm2 Cm m/s 4.8 5.5

18.1 6.7

5.2 5.2

18.2 6.5

5.2 5.1

19.4 6.7

主機メーカー 型式 新潟 M6F26

新潟 6M28HFT

赤阪 MK6

赤阪 K31FD

阪神 6CP

阪神 LH28L

6

6

6

6

6

6

気筒数

表3.4.17 水産高校練習船の主機要目の比較

374サイクルディーゼル機関の技術系統化調査

(b)水産庁および都道府県取締船

戦後水産庁では、1952(昭和27)年に取締船「白鷺

丸」「白嶺丸」を建造し前者には400PSの4サイクル中

速機関を、後者には470PSの4サイクル低速機関をそ

れぞれ搭載した。

1971(昭和46)年に水産庁は1基2000PSの中速機関

を4基1軸に配置した「東光丸」を完成した。可変ピッ

チプロペラ付で減速機の上に発電機を2基搭載すると

いう斬新なものだった41。このシステムの工場試運転

の模様を図3.4.4に示す。1995(平成7)年に竣工した

新「東光丸」には1基4000PSの中速機関の2基1軸方式

が採用された。機関の出力率が33%向上し、総気筒数

が24から16と3分の2に減少して、保守整備も容易にな

った。新旧比較を表3.4.19に示す。

都道府県の取締船は20総トン数未満の小型漁船を取

り締まるのが主目的のため、機動性の高い高速船型が

用いられてきた。出力は1基1000PS以上の高速機関を

2基2軸で構成し、外国製のDDCとMTUが多く使用さ

れが、国産機関では新潟鉄工の16FX型が使用されて

いる。代表的な機関を表3.4.20に示す。この分野でも

軽量な2サイクル機関から4サイクル機関へ代ってお

り、4サイクル機関の過給度の向上による軽量化と低

燃費、低公害の利点が生かされた結果と思われる。

(3)試験船・調査船

(a)水産庁関係

1949(昭和24)年、農林省の調査船「天鷹丸」が竣

工し、主機には430PSの4サイクル中速機関が使用さ

れ、1954(昭和29)年完成の調査兼取締船「東光丸」

には2300PSの2サイクル低速機関が使用された。続い

て1956(昭和31)年に完成の「照洋丸」には農林省の

船として初めての過給機付1200PS 4サイクル低速機関

が搭載された。

1967(昭和42)年に竣工した「開洋丸」は電気推進

の一番船であり、主発電機関には池貝鉄工がダイム

ラーベンツ(Daimler Benz)社と提携して製作した

950PSの高速機関4台を搭載した斬新なものだった42。

1991(平成3)年に竣工した新「海洋丸」は大型化さ

れ3500PSの中速機関2基による電気推進が採用され

た。新旧の比較を表3.4.21に示す。

メーカー 型式

DDC 4-71N

DDC 16V-149TI

MTU 12V183TE92

MTU 16V4000M70

DDC:デトロイトディーゼル社(米) MTU:MTU Friedrichshafen GmbH(独)

サイ クル

2

2

4

4

口径mm 行程mm

108 127

146.1 146.1

128 142

165 190

出力PS 出力kW

144 104

2135 1570

911 670

3154 2320

rpm

2300

2100

2230

2000

Pme kg/cm2 Cm m/s

6.1 9.7

11.7 10.2

16.8 10.6

21.8 12.7

2

2

4

4

気筒数

表3.4.18 税関監視船の主機要目

船名(竣工年)

主機メーカー 型式・台数

気筒数(総数)

口径×行程

出力/回転数 総出力

Pme・Cm

出力率

東光丸(1971年)

新潟 6MG31EZ 4台

6(24)

310mm×380mm

2000PS/600rpm 8000PS

17.4kg/cm2・7.6m/s

132

東光丸(1995年) ヤンマー

8N330-UN 2台

8(16)

330mm×440mm

4000PS/620rpm 8000PS

14.9kg/cm2・9.1m/s

176

表3.4.19 漁業取締船東光丸の新旧比較

図3.4.4 東光丸4基1軸の工場試運転の模様(新潟原動機提供)

メーカー(年) 型式

DDC(1980) 16V-92TI

MTU(1993) 12V396TB94

新潟(1997) 16V16FX

サイ クル

2

4

4

口径mm 行程mm

123 127

165 185

165 185

出力PS 出力kW

1100 809

2373 1745

2750 2022

rpm

2300

2040

1950

Pme kg/cm2 Cm m/s

8.9 9.7

22.0 12.6

20.0 12.0

16

12

16

気筒数

表3.4.20 都道府県の漁業取締船の機関要目(代表例)

船名(竣工年) 推進システム

主機メーカー 型式・台数

気筒数(総数)

口径×行程

出力/回転数 総出力

Pme・Cm

出力率

開洋丸(1967年) 電気推進式

池貝ベンツ MB820Db 4台

12(48)

175mm×205mm

950PS/1200rpm 3800PS

12.0kg/cm2・8.2m/s

98

開洋丸(1991年) 電気推進式

ダイハツ 8DK-32 2台

8(16)

320mm×360mm

3500PS/720rpm 7000PS

18.9kg/cm2・8.6m/s

163

表3.4.21 漁業調査船開洋丸の新旧比較

38 国立科学博物館技術の系統化調査報告 Vol.12 2008.March

開洋丸の新旧比較では、出力率の6割以上の上昇も

さることながら、総出力が2倍近いにも関わらず、総

気筒数を3分の1に減らして保守整備の簡易化を狙って

いることが注目される。また、前述の漁業取締船と並

んで、中高速機関の採用、電気推進システムの採用な

ど新機軸をとりいれたものが多く技術開発推進の役割

を果たした。

(b)南極観測船

初代「宗谷」は、気象観測船として1951(昭和26)

年に竣工し主機は新潟鉄工の2サイクル機関TN8E型

2400PS 2台が搭載され、1956(昭和31)年から南極観

測に従事した43。しかし砕氷能力その他の性能が劣る

ため、二代目「ふじ」が建造され、1965(昭和40)年

に竣工した。推進システムは砕氷時の操船性から電気

推進が採用され、三菱MANのV8V30/42AL型3500PS 4

基による直流発電機駆動方式であった44。また、推進

電動機は2250kW 2台を串型につないだものが2組とい

う斬新なものだった。圧巻は、工場で1軸分の電動機

を水制動計(水車の原理を応用し、動力を吸収して計

測を行う装置)と接続し、機関の運転とともに総合試

運転を行ったことだった。

三代目「しらせ」は更に大型化、高性能化し1982(昭

和57)年に竣工した。主機は三井の12V42M型5750PS 6基

と推進電動機6基3軸によるディーゼル電気推進である。

(C)海洋科学技術センター(現海洋研究開発機構)

同センターでは潜水調査船「しんかい6500」とその

支援母船「よこすか」を1990(平成2)年に完成した。

「よこすか」の主機には3000PSの中速ディーゼル機関が

2基可変ピッチプロペラ付で搭載された。潜水船との交

信に使う超音波の障害にならないよう母船の振動と騒

音が厳しく規制された。特に防振対策として主機をV字

型の防振ゴムを介して据え付ける方式を採用した45。

2005(平成17)年に完成した地球深部探査船「ちきゅ

う」は、世界初の大深度の科学掘削船として注目を集

めた。推進システムは5000kW6台と2500kW2台のディ

ーゼル機関による電気推進式で、船首、船尾に

4200kW各3台のアジマススラスタ(全旋回式推進機)

が搭載された大規模で斬新なものだった。主機は造船

7社が国のプロジェクトとして共同開発し、三井造船

が製作したADD30V型が8台搭載された。

前項の観測船と合わせ代表的な船の機関要目を表

3.4.22に掲載する。

ADD30型機関の出力が突出していることがこの表

から読み取れる。

1「日本海軍の艦艇用内燃機関の発達史」 近藤市郎他

内燃機関 1980年12月 P48

2「川崎重工業百年史」1997年6月 P369

3「日本の艦艇・商船の内燃機関史(その1)」藤田秀雄他

MESJ 1995年7月 P478

4 「神船ディーゼル75年のあゆみ」三菱神戸 1992年9月 P16

5「日本の艦艇・商船の内燃機関史(その1)」藤田秀雄他

MESJ 1995年7月 P483

6「日本の艦艇・商船の内燃機関史(その1)」藤田秀雄他

MESJ 1995年7月 P484

7「日本海軍の艦艇用内燃機関の発達史」 近藤市郎他

内燃機関 1980年12月 P52

8「日本の艦艇・商船の内燃機関史(その1)」藤田秀雄他

MESJ 1995年7月 P485

9「日本の艦艇・商船の内燃機関史(その1)」藤田秀雄他

MESJ 1995年7月 P486

10 「三井造船のディーゼル50年」1976年8月 P31

11 「三井造船のディーゼル50年」1976年8月 P33

12 「日本の艦艇・商船の内燃機関史(その2)」藤田秀雄他

MESJ 1995年8月 P613

13 「日本海軍の艦艇用内燃機関の発達史」 近藤市郎他

内燃機関 1980年12月 P53

14 「日本の艦艇・商船の内燃機関史(その1)」藤田秀雄他

MESJ 1995年7月 P486

15 「日本の艦艇・商船の内燃機関史(その1)」藤田秀雄他

MESJ 1995年7月 P486

16 「日本の艦艇・商船の内燃機関史(その2)」藤田秀雄他

MESJ 1995年8月 P608

17 「日本の艦艇・商船の内燃機関史(その2)」藤田秀雄他

MESJ 1995年8月 P613

18 「日本の艦艇・商船の内燃機関史(その2)」藤田秀雄他

MESJ 1995年8月 P615

19 「21世紀を迎える海上保安庁」邊見正和 世界の艦船

2000年5月 P133

船名 竣工年 ふじ 1965

しらせ 1982

よこすか 1990

ちきゅう 2005

2

6

2

6

2

サイ クル

4

4

4

4

4

メーカー 型式

三菱MAN V8V30/42AL

三井 12V42M

ダイハツ 8DLM-32

三井 12ADD30V

6ADD30V

口径mm 行程mm 300 420

420 450

320 400

300 480

300 480

出力PS 出力kW

3500 2574

5750 4229

3000 2206

7166 5270

3583 2645

rpm

600

600

600

720

720

Pme kg/cm2 Cm m/s

11.1 8.4

11.5 9.0

17.5 8.0

22.0 11.5

22.0 11.5

16

12

8

12

6

気筒数

台数

表3.4.22 主な観測船・調査船の主機要目

394サイクルディーゼル機関の技術系統化調査

20 「21世紀を迎える海上保安庁」邊見正和 世界の艦船

2000年5月 P134

21 「新潟鐵工所百年史」1996年3月

22 「三井造船のディーゼル50年」1976年8月 P31

23 「世界の艦船」2003年7月号 P144

24 「警備救難業務用船」世界の艦艇 2004年7月 P149

25 「世界の艦船」2003年7月号 P151

26 「世界の艦船」2003年7月号 P140

27 「世界の艦船」2003年7月号 P156

28 「世界の艦船」2003年7月号 P150

29 「新大型測量船「昭洋」の推進システム」小坂光雄他

MESJ 1998年8月 P559

30 「世界の艦船」2003年7月号 P170

31 「海上自衛艦隊50年の歩み」長田博 世界の艦船 2002年

5月 P140

32 「自衛艦隊その誕生から今日まで」山崎眞 世界の艦船

2007年1月 P124

33 「開発と創造の60年-泉修平さんの追想-」2007年 P46

34 「三井造船のディーゼル50年」1976年8月 P69

35 「三井造船のディーゼル50年」1976年8月 P71

36 「川崎重工業百年史」1997年6月 P369

37 「世界の艦船」2007年1月 P142

38 「海上自衛隊艦艇と航空機集」平成18年度版 海上自衛

新聞社 P125

39 「わかりやすい艦艇の基礎知識」菊池雅之 イカロス出版

P238

40 「日本漁船史」漁船協会 1986年10月 P177

41 「新潟鉄工所百年史」1996年3月 P162

42 「日本漁船機関技術史」漁船機関技術協会 1995年3月

P105

43 「新潟鉄工所百年史」1996年3月 P133

44 「三菱重工横浜製作所百年史」1992年2月 P513

45 「ダイハツディーゼル30年史」1996年12月 P167,206

40 国立科学博物館技術の系統化調査報告 Vol.12 2008.March

(1)陸用ディーゼル機関の起源

ルドルフ・ディーゼルがディーゼル機関の実験に成

功したあと、最初の商用機はアウグスブルグで1897

(明治30)年製作され、ドイツ、ケムプテンにあるユ

ニオン社の動力用として1898(明治31)年に稼働開始

した。これは、 4サイクル、2気筒、60PS/180rpmの

機関であった。そして、1904(明治37)年から1907

(明治40)年にかけて、ロシアのキエフに発電用とし

て、2400PSの機関を6台納入した。これは世界初の発

電用ディーゼル機関に記録されている(図4.1)。蒸気

機関が全盛時代にディーゼル機関の良さはなかなか理

解されなかったが、動力用、発電用の分野で次第に普

及していった。

(2)わが国の陸用機関

日本では、1915(大正4)年に三菱神戸が、東京ガ

ス大森森ヶ崎発電所に設置されていたドイツのDeutz

社製ディーゼル機関(4気筒、250PS(150kW)発電

機関2台)を手本に設計を開始した。そして、1916

(大正5)年末に初号機が完成したが、安定運転された

のは1917(大正6)年の春だったという。これがわが

国最初に回った国産ディーゼル機関と推定される。こ

の機関は三菱名古屋に発電用として納入された1。

1918(大正7)年、新潟鉄工(現新潟原動機)は英国

マーリス社と技術提携するが、1919(大正8)年最初に

製造したディーゼル機関はポーラー型をベースにした

舶用機関であった。そして1920(大正9)年にマーリ

ス型空気噴射式4サイクル300PSを完成し、京都山科

絹布に発電用として納入した2。同じ年、池貝鉄工は

自社開発の空気噴射式4サイクル単気筒40PSディーゼ

ル機関を東京高等工業学校に実験用として納入した3。

1926(昭和元)年、池貝鉄工は無気噴射式175kW及

び250kWディーゼル機関を軍部に納入、また、伊藤鉄

工はMAN型単気筒無気噴射式ディーゼル機関を完成、

焼津市の帆布工場に納入、1929(昭和4)年には、

110PS無気噴射式機関を清水市の上水道用として納入

している4。

1928(昭和3)年、新潟鉄工は2サイクルクロスヘッ

ド、空気噴射式LN6G型1650PS機関を新潟水力電気に

発電用として納入した。これは当時わが国として最大

の陸用機関であった5。

このころ、原動機は蒸気機関のほか、石油発動機、

ガス発動機、焼玉機関、ガソリン機関などが各種用途

に使われていたが、陸用、舶用とも大型になるほど

ディーゼル機関の経済性が認められて、次第に普及した。

1930(昭和5)年、横浜船渠(現三菱重工横浜)は、

前年に提携したMAN社の初号機4サイクルG2V21.5/33

(55PS/450rpm)型を完成し、内務省仙台出張所の灌

漑ポンプ駆動用に納入した6。

三井造船は1932(昭和7)年、日本製粉神戸工場に4

サイクル533MTS60型450PSを陸用1番機として納入し

たあと、1934(昭和9)年と翌年に神島人造肥料に

J331MTS35型150PSを2基納入した。同社ではこれら

を含めて戦後までに、4サイクルを15台、2サイクルを

2台陸用機関として納入した7。

山岡内燃機(現ヤンマー)は、1939(昭和14)年2,

3DM形(50~90PS)立型機関を海軍から陸上発電用

として艦政本部の制式として採用された8。

このように、戦前においてはわが国の陸用ディーゼ

ル機関は小規模で、かつ基礎的な産業分野への普及に

止まったが、確実に実績をのばしていった。また、4

サイクルが主流ではあったが、2サイクル機関もかな

り使われていた。

4 陸用ディーゼル機関の発達過程

戦前の陸用機関4.1

図4.1 世界初の発電用ディーゼル機関(MAN Diesel社提供)

414サイクルディーゼル機関の技術系統化調査

(1)産業用ディーゼル機関

戦後の産業復興に際し、わが国政府は戦争で甚大な

被害を蒙った電力設備の復旧と各地に分散していた電

力会社を9社にまとめるなど、電力供給網の整備に取

り組んだが、供給量が絶対的に不足しかつ停電の頻発

など供給が不安定な状態が相当長く続いた。

産業界は、この状況を打開するため自ら発電設備を

設置して電力確保に努めた。戦後間もないころに設置

されたディーゼル機関は、2サイクルまたは4サイクル

低速で、無過給機関がほとんどだったが、次第に4サ

イクルの中速機関で過給機付に変わっていった9。1960

年代までに設置された主な常用機関を表4.1に示す。

1970年代になると、日本各地の大容量電力消費の工

場に、大規模自家発電装置が次々と設置された。代表

的なものに表4.2のようなプラントが挙げられる。

当時大型機関では、ドイツのMAN社、フランスの

SEMT社などが提携先を通じて日本市場に浸透し始め

た時期で、三菱横浜が納入した三菱化成直江津工場は

アルミニュームの精錬のため大電力を要し、1~4系ま

での発電所に米国Cooper Bessemer社ガス機関(4.4ガ

ス機関参照)とMAN型ディーゼル機関あわせて74台、

総発電容量301,850kWというわが国随一の大規模自家

発電装置となった10。

一方、新潟鉄工では40X型中速機関(図4.2)を自社

開発し、陸用、舶用の分野に浸透を図った結果、岡山

化成倉敷工場、日本セメント上磯工場などの大型プラ

ントの受注に成功したほか、各種用途に進出を果した11。

これらに使用された機関は単機5000kWクラスで、

大型プラントでは台数が増える点で、やや効率が悪か

った。

中速機関は舶用、陸用の双方で需要の多くなった

10000kW(14000PS)級への大型化が図られた。代表

的な大型機関を表4.3に示す。

1974(昭和49)年にIHIが自社相生工場の自家発電

用に設置した12PC4V型18000PS/400rpmは同社が

SEMT社と共同開発したPC4型初号機である。

国内各社も陸舶兼用の大型機関の開発に取り組ん

だ。三井造船はV60M(1500PS/cyl.)、新潟鉄工は

V54X(1000PS/cyl.)の開発を行った。これらはその

後実機として市場にでた、V42M(三井)、V46HX

(新潟)のそれぞれさきがけとなった12。図4.3に三井

が開発したL42Mの断面図を示す。

常用機関4.2

納入先 年

椿本チェーン 1952

東洋レーヨン 1954

近藤紡績 1953

東亜紡織 1953

機関 メーカー

三井

三井

新潟

三菱神戸 Vickers

形式 サイクル

425MTBS40 4サイクル

642VS75 2サイクル

L7D 4サイクル

RCD8A 4サイクル

口径 工程 mm

245 400

420 750

370 520

310 450

出力PS 回転数 rpm

300 450

1500 240

788 327

780 360

Pme kg/cm2 Cm m/s

7.9 6.0

4.6 6.0

5.5 5.7

7.2 5.4

4

6

7

8

気筒数

表4.1 1960年代迄の主な常用発電用機関の要目

納入先 総出力

岡山化成倉敷 60,500kW

日本軽金属新潟 47,250kW

三菱化成直江津3系 85,050kW

三菱化成直江津4系 80,325kW

昭和電工大町 46,400kW

日本セメント上磯工場 56,500kW

メーカー

新潟

富士 SEMT

三菱 MAN

三菱 MAN

三菱 MAN

日本 鋼管

新潟

口径 mm

400

400

400

400

400

400

400

行程 mm

520

460

540

540

540

460

520

回転数 rpm 400

500

400

400

428

500

429

Pme kg/cm2 Cm m/s

16.7 6.9

12.9 7.7

15.8 7.2

15.9 7.2

16.9 7.7

14.2 7.7

16.1 7.4

出力 kWe×台数 PS×台数

5500×11 7750×11

5250×9 7435×9

4725×18 6690×18

5400×16 7650×16

5800×8 8160×8

5800×5 8215×5

5500×5 7750×5

形式

16V40X

16PC2-2V

V7V40/54

V8V40/54

V8V40/54

18PC2-2V

16V40X

16

18

14

16

8

18

16

気筒数

表4.2 1970年前後の大型発電プラントの要目

図4.2 新潟16V40X型機関(新潟原動機提供)

42 国立科学博物館技術の系統化調査報告 Vol.12 2008.March

1986(昭和61)年に、通産省(現経産省)から「コー

ジェネレーションガイドライン」が発布されたのを契

機に、買電から自家発への流れが急速に進んだ。産業

用、民生用とも電気のほかに機関からの排熱を利用す

るコージェネレーションプラントが設置された。

原動機は、ディーゼル機関、ガス機関およびガスター

ビンの3種類を電気と熱の需要割合によって使い分け

られ、都市型はガス機関またはガスタービン、非都市

型はディーゼル機関が使用されるケースが多かった。

機関メーカー各社が提案した機関のサイズは1000~

5000kW級がほとんどで、所要出力によって単機出力

と台数を組合せて最適なプラントを構成する方法をと

った。代表的な機関の要目を表4.4に示す。これによ

ると、正味平均有効圧力Pmeが20~22kg/cm2程度に、

平均ピストン速度Cmが9.0m/s前後になっており、表

4.3に示す機関よりも出力レベルが上昇していること

が分かる。

1995(平成7)年に、電気事業法(電事法)の改正

があり、電力会社に卸電力を供給する独立発電事業者

(IPP)の参入と、大型ビル群など特定地点を対象とし

た特定電気事業者の小売供給が認められた。これによ

り、商社、金融、石油、ガス、製造などの多くの業種

が単独あるいは共同でIPP事業に参入を図ってきた。

これらIPPは電力の調達を、自前で発電をするか購入

するかの何れかであるが、余剰電力を持っているとこ

ろは少なく、結局新たな発電所の建設が必要となり、

各地に続々と新設された。

発電の原動機は、蒸気タービンを使用する大規模発

電所のほか、ディーゼル機関、ガス機関、ガスタービ

ンなどの中規模のもの、そして自然エネルギーの利用

促進の見地から風力タービンなどを使う小規模発電設

備など種々のものが建設された。

ディーゼル機関に関しては、コージェネレーション

ブームの際に普及した単機出力5000kW級が相変わら

ず需要の中心だった。

電力の自由化はさらに進み、2000(平成12)年には、

2000kW以上の大口需要家に対し、特定規模電気事業

者による小売りが認められ、2004(平成16)年には

500kW以上、翌年には50kW以上に引下げられ、小規

模需要家に対しても小売が認められるようになり、小

型コージュネレーションが普及した。

(2)島嶼発電用ディーゼル機関

戦後、各地域に分散していた中小規模の電力会社が

1951(昭和26)年5月、9電力会社に統合され、水力主

体の電源構成から、次第に火力に比重が移っていくこ

とになる。一方、わが国には多くの島があり、これら

に対し発電所が整備されていくが、その規模と効率面

図4.3 三井L42M型機関(三井造船提供)

ライセンサ ライセンシ

MAN 三菱、川崎

SEMT IHI、NKK、新潟

Sulzer 日立造船

MAK 宇部興産

三井

MAN 三菱

型式

L(V)V52/55B

PC4-2L(V)

ZVB40/48

M551AK

L(V)42M

L58/64

気筒数

6-18

6-18

6-18

6-18

8-18

6-9

口径 mm

520

570

400

450

420

580

行程 mm

550

620

480

550

450

640

出力PS/cyl 単機出力PS.

1200(V:1055) 7200-18990

1650 9900-29700

650 3900-11700

667 4050-12150

750 4500-13500

1905 11430-17140

回転数 rpm

450

400

500

429

530

428

Pme Cm

20.6 8.3

23.5 8.3

19.4 8.0

16.0 8.3

20.0 8.0

23.7 9.1

表4.3 陸用大型中速機関の要目

機関 メーカー

SEMT新潟

新潟

三菱

ダイハツ

形式

PA5

32CX 32CLX

KU30A

DK-32

気筒数

6-18

6-18

12-18

6-16

口径 mm

255

320

300

320

行程 mm

270 360 420

380

360

出力 PS/cyl.

260

500

444

500

回転数 rpm

900 1000

720 600

720 750

720 750

Cm m/s

8.1 9.0

8.6 8.4

9.5 9.1

8.6 9.0

Pme kg/cm2

21.8 19.6

21.6 22.2

20.7 19.8

21.6 20.7

表4.4 コージェネレーション用機関の要目

434サイクルディーゼル機関の技術系統化調査

で内燃力発電すなわちディーゼル発電が設置された。

1952(昭和27)年、離島の電力整備の第1号として、

東北電力佐渡火力発電所に新潟鉄工の2サイクルLN7B

型1100PS2基が設置された13。

昭和30年代に設置された、ディーゼル発電機関はち

ょうど過給機が装着され始めたころで、出力は1000~

2000kWクラスが主体であった。その後、次第に島の

産業が発達したり、家電製品や冷暖房の普及などで電

力需要は増加し、昭和40年代には4000~6000kWクラ

スの新設、増設が多数行われた。さらに昭和50年代に

は、効率性を求めて単機10000kWクラスのディーゼル

機関の需要が出始め、内外の機関メーカーはこれに呼

応するように、このクラスの機関開発に力を入れた。

これは、前項の産業用機関の大出力化の時期とも一致

しており、表4.5に示すような大型中速機関が開発さ

れた。

1985(昭和60)年ころのわが国全体の島嶼発電装置

の台数は約260台、総出力は約240MWに達した。

本表で、正味平均有効圧力Pmeは初期のころは

10kg/cm2程度だったものが次第に増加し17kg/cm2程

度に増加しており、中速機関の発展の傾向を表してい

るが、それぞれの機種のトップ出力に対しては約80%

を定格出力として、信頼性の確保に重点を置いた機種

選定になっている。これは事業用発電と民間の自家発

電との大きな違いといえる。

(3)海外発電プラント

陸用機関の市場のひとつとして、海外の発電プラン

トがある。プラントの立地条件や規模によって、選定

される原動機が変る。最近多くなった大規模発電の場

合は、火力(石油、石炭、天然ガスなど)、水力、原

子力などが選ばれることが多いが、100MW級以下の

中小規模発電では以前から、ディーゼル発電が選ばれ

ることが多かった。

発電用ディーゼル機関の輸出の記録として、1926

(大正15)年に、三菱神戸がビッカースVA6型機関

(535PS/277rpm)を朝鮮(現韓国)の咸興に進出した

日本窒素の工場に納入したものが、最も古いものと推

定される14。日本企業の海外進出に伴うものではある

が、この頃の海外工事には大変な苦労があったものと

推察される。

戦後になって、新潟鉄工は、1956(昭和31)年ころ

から東南アジア、南米で開かれた日本機械見本市に、

ディーゼル機関を出品して宣伝に努めた結果、1958

(昭和33)年に、アルゼンチン向にL6F43BHS型機関

(1450PS/375rpm)など30台の受注に成功した。そし

て、1961(昭和36)年ころからインドネシア向にLF

型、LD型、KB型などの機種を大量に輸出した。また、

1962(昭和37)年には、韓国の6000kW発電所向に

L8F43AHS型(2200PS)4台を受注した15。

三菱神戸は1963(昭和38)年、ラオスの3000kW発

電所にJB16VA型1000kW 3台を納入した。標高の高い

土地であることと常用発電であることを考慮して

1600kWの能力のある機関を1000kWにおさえた16。

同じ年、三井造船では、東レのタイ工場に1026MT

BF40V型1500PS 3台を納入した。同型機が2年後に1台

増設されて4台プラントになった17。

1969(昭和44)年、ダイハツはエチオピア電力省向

に8PSHTb-26D型860PSと6PSTc-20F型274PSを各8台を

生活用常用電源として納入した18。

これらの機関の要目を表4.6に示す。

1970年代になるとわが国産業の国外進出が盛んにな

り、特に韓国、タイ、インドネシアなどに、繊維、化

学工業などが海外工場を盛んに建設した。これらの諸

国は、労働力は豊富にあったが電力は自前で準備しな

機関メーカー 形式

新潟 L8F43AHS

MAN G6V30/42AL

新潟 16V40X

SEMT 16PC2-5V

MAN V8V52/55

SEMT 12PC4V

三井 8L42M

新潟 16V46HX

口径 mm

430

300

400

400

520

570

420

460

行程 mm

540

420

520

460

550

620

450

600

回転数 rpm

360

500

400

514

450

400

450

450

Pme kg/cm2 Cm m/s

9.6 6.5

9.1 7.0

13.8 6.9

15.9 7.9

15.0 8.3

16.6 8.3

16.8 6.8

17.6 9.0

出力PS .発電出力KWe

2400 1650

900 600

6400 4500

8400 6000

14000 10000

14000 10000

4200 3000

14000 10000

8

12

16

16

16

12

8

16

気筒数

表4.5 島嶼用ディーゼル発電機関の要目

メーカー 設置年 新潟 1962

三菱神戸 1963

三井 1963

ダイハツ 1969

形式・台 サイクル

L8F43AHS 4台 4

JB16VA 3台 4

1026MTBF40V 4台 4

8PSHTb-26D 8台 4

口径 行程 mm

430 540

275 400

260 400

260 320

出力PS 回転数 rpm

2200 360

1620 500

1500 600

860 720

Pme kg/cm2 Cm m/s

8.8 6.5

7.7 6.7

10.6 8.0

7.9 7.7

国 総発電出力

韓国 6000kW

ラオス 3000kW

タイ 4000kW

エチオピア 4400kW

表4.6 戦後(1970年迄)の輸出用発電機関の要目

44 国立科学博物館技術の系統化調査報告 Vol.12 2008.March

ければならない状況で、自家発電設備を設置するケー

スがほとんどだった。発電の規模は1000~5000kW級

が多く、従って単機出力は1000~2000kW級を組合わ

せて使うことが多かった。

新潟鉄工では1970(昭和45)年ころから数年間に、

インドネシアの日系繊維企業だけで表4.7に代表され

るような1000~3000kWe級の発電セットを50台余り納

入した。これらの機関の中には、35年余り稼働しまだ

運転し続けているものもある。これら機関はいずれも

中速高過給機関であったが、常用出力をやや下げて運

転していたこと、比較的良質な燃料油を使用していた

こと、適切なメンテナンスを維持してきたことなどが

相乗して、記録的な長寿命に貢献しているものと推定

される。

1975(昭和50)年ころから、海外進出は日系企業に

依存しない幅広い分野に広がっていった。そのひとつ

は、発展途上国の電力会社向で、韓国、台湾、マレー

シア、インドネシアなどのアジア地域のほかサウジア

ラビアなど中近東諸国などに多くの需要があった。こ

れらの市場には、日本のほかに欧州の機関メーカーが

競合することが多く、いわゆる国際入札による熾烈な

受注合戦が展開された。そして、出力規模が次第に大

きくなってゆき、単機5000~10000kW級がその中心と

なっていった。

これらの需要を見こして世界の機関メーカーは競っ

て大型開発に力を入れ、多くの新機種が生まれた。こ

れは国内プラントの大型化の時期とも一致し、前出の

表4.3に示すような機関がこの市場にも投入された。

その代表としてPC4-2型機関の断面図を図4.4に示す。

1980年代の後半に入ると、インド、パキスタンや中

国での電力需要が急速に増加し、インド、パキスタン

では電力会社の送電網の整備が遅れていたため、繊維

産業を筆頭に、製鉄、セメント、化学、などの基幹産

業用が自家発電設備を導入することが多く、ディーゼ

ル発電機が多く設置された。一方、中国では特に産業

発展の著しい広東省など南部を中心に地域発電所の建

設が活発となり、単機5000~9000kW級のディーゼル

機関を複数台設置するものが多かった。これら地域で

は、日本と欧州の受注競争が行われたが、インドでは

日本が有利に、中国では欧州がやや有利に展開した。

使用された機関は、日本勢は純国産と提携機種、欧州

はライセンサ自身の製作によるものが提供された。こ

れらの機関要目を表4.8に示す。

1990年代になると、海外でも独立発電事業者(IPP)

による発電所建設が盛んになり、規模も大きいものが

多く前述の10000kW級のディーゼル機関がこれに用い

られた。

戦前から始まった海外発電ビジネスは、戦後市場拡

大を求めて、国産品のPRに努めた結果、次第に認知

されるようになり1960年代に輸出が復活した。さらに、

1970年代の日系企業の海外進出が牽引役を果たし、輸

出は大幅に増加した。続いて、アジア諸国で各種産業

が成長するが、電力事情が悪く、建設工期の短いディ

ーゼル発電装置が、電力会社または需要者によって設

置されるケースが増えてきた。さらに1990年代には、

IPPによる大規模発電所が世界各地に建設されるよう

になってきた。この間、常に海外機関メーカーとの競

メーカー

新潟 6L31EZ

新潟 8L40X

気筒数

6

8

口径mm 行程mm

310 380

400 520

PS kWe

2150 1500

3600 2750

rpm

600

400

Pme kg/cm2 Cm m/s

18.7 7.6

15.5 6.9

表4.7 インドネシア向発電機関の要目

図4.4 PC4-2型機関横断面図(ディーゼルユナイテッド社提供)

メーカー 型式 富士 16VH32

新潟 18V32CLX

Sulzer 18Z40/48

SEMT 18PC2-6V

気筒数

16

18

18

18

口径 行程 mm

320 470

320 420

400 480

400 460

出力PS kWe

7800 5500

8390 5960

11330 8000

11330 8000

rpm

600

600

500

500

Pme kg/cm2 Cm m/s

19.3 9.4

20.7 8.4

19.4 8.0

20.2 7.7

備考

インド

インド、 パキスタン

中国

中国

表4.8 インド、中国等向の主な発電機関の要目

454サイクルディーゼル機関の技術系統化調査

合を繰広げてきたが、技術力やアフターサービスの面

からわが国の製品は高く評価され、成功した事例は多

かった。

(1)非常用発電機関

1939(昭和14)年、発動機製造(現ダイハツディー

ゼル)は、日本放送協会(NHK)の放送会館にディー

ゼル機関8LS-21型300PSを納入した19。これはわが国初

の非常用ディーゼル機関と推定される。

戦後、しばらくの間電力の供給が不安定であったた

め、放送局、電報電話局など公共性の高い施設では特

に非常用電源設備を必要とした。日本電信電話公社

(現NTT各社)ではいち早く、非常用電源を導入し、

1955(昭和30)年にヤンマーディーゼル(現ヤンマー)

製LEM型機関を使用した無停電装置を20、そして1959

(昭和34)年には、三菱神戸製JB12VA型および

JB16VA型を全国各局に設置した21。

NHKでは東京五輪に備えて非常用発電設備の強化を

図るべく、1963(昭和38)年に2500kW級の設備を渋

谷の放送センター内に設置し、ディーゼル機関は新潟

鉄工製3500PSの16V33XB型を使用した22。

昭和40年代後半になると、電力供給網は良く整備さ

れ、安定供給という面からも他の先進国にひけをとら

ないほど高水準といわれるレベルに達した。しかし、

台風や地震など自然災害や人為的な事故などによる停

電に備えて、非常用電源を確保することは自衛上必要

なことであり、また法的に義務付けられている施設も

あった。

このような事情から、非常用発電設備の需要は以前

から多かったが、近年のコンピューターの普及による

システム障害や、高度に進んだ製造プラントのライン

停止による復旧の困難さなどを回避するため、急速な

予備電源の立上げや無停電装置などの要求が増えてき

ている。

このような非常用電源に供される原動機は、常用発

電機の場合と同じく、ディーゼル機関、ガス機関およ

びガスタービンの3種の内燃機関に限定されるといっ

てよい。これらがどのように選定されるかは、それぞ

れの機関の特徴をいかにうまく使うかにかかってい

る。表4.9に特徴を比較した結果を示す。

非常用発電装置は、ビルなどの施設内では屋上や地

下室などに防音仕様のパッケージとして設置されるこ

とが多いため、音源の大きいディーゼル機関、ガス機

関はパッケージの価格がその分高くなる。

非常用に使用されるディーゼル機関は、常用機関と

共通の機種が選定されることが多いが、定格出力は常

用機関と比べて高めに設定することが一般的である。

別の表現をすれば、非常用はその機種の設計最大出力

を定格とするのに対し、常用機関は最大出力から10~

15%程度減じた出力を定格とする場合が多い。燃料の

質が非常用は軽油、A重油に対し、常用はC重油という

ような使い分けをする場合も考慮してのことである。

非常用ディーゼル機関には、ほとんどの場合4サイ

クル中高速機関が使用される。それは、燃費で代表さ

れる維持経費よりも始動性、負荷追従性などの動的性

能や建設費を加味すると、中高速機関が有利であるこ

とによる。

非常用ディーゼル機関4.3

始動確実性

始動後負荷投入 までの時間

負荷投入量

燃料

燃料遮断リスク

設置スペース

冷却水

価格

排気ガス

振動・騒音

ディーゼル機関

最も良い

10-15秒位

部分負荷投入要

軽油、重油

なし、但し時間 制限あり

大きい

必要

最も安い

NOx、PM

大きい

ガス機関

やや劣る

40秒位

部分負荷投入要

ガス

供給ラインの遮断 リスク

大きい

必要

中間

NOx

大きい

ガスタービン

ディーゼルとほぼ 同等

40秒位

全負荷投入可

軽油、ガス

左の何れか

小さい

不要

最も高い

NOx

小さい

表4.9 非常用発電機関の得失比較

図4.5 SEMT PA6型機関(新潟原動機提供)

46 国立科学博物館技術の系統化調査報告 Vol.12 2008.March

(2)原子力発電用非常用ディーゼル機関

わが国の商用原子力発電は、1966(昭和41)年に運

転開始した日本原子力発電東海発電所1号機の166MW

であり、2006(平成18)年に運転開始した北陸電力志

賀原子力発電所2号機の1358MWまで累計56基、総出

力49,746MWに達している。うち1号炉の東海発電所が

1998(平成10)年に停止になった以外は、営業運転を

継続しており、わが国電力の主要電源になっているこ

とは周知の事実である。

これら原発の中枢ともいえる原子炉の冷却材が万一

喪失した場合、原子炉に冷却水を供給し、燃料の過熱

を防ぐための安全保護装置として、多重化された炉心

冷却装置が設けられており、各種ポンプ、モーター等

で構成されている。その電源は発電所外からの送電に

より供給されるが、地震その他で外部電源が喪失した

場合を想定して、非常用発電装置を、1原子炉あたり2

~3基備えており原動機はディーゼル機関が使用され

ている。

ディーゼル機関に要求される性能として、耐震性を

備えていること、急速始動が可能なこと、過負荷を含

むロード・シーケンスに耐えることなどである。しか

し、機関の大きさが5000~10000PS級の大型となり、慣

性力も大きいため急速始動には不利であり、種々の対

策が施されている。具体的には、始動空気系の強化と

ガバナ(機関の回転数を保つようにする装置)の応答性

の向上などである。また、負荷応答性は燃料制御機構

を含めたガバナ系の改善を行っている。原子炉の型式

に沸騰水型(BWR)と加圧水型(PWR)の2つがあり、

それぞれに使用されている機関の要目を表4.10に示す。

本表のPme、Cmの推移をみると、約40年間の間に

大幅に高過給化、高速化が進んでいることがわかる。

これは、原子力発電所が信頼性確保が最大の課題で

ある一方、建設費の削減も強く要請されており、非常

用発電設備も信頼性を維持しながら、より軽量コンパ

クトな製品(図4.5、4.6)にシフトしてきた経緯が顕

われている。またわが国の原子力発電プラントは、初

期のころは米国から実績のあるプラントの輸入であ

り、その後は技術提携により供与された図面により国

産化に取り組んだ。そして、次第に自主技術によりプ

ラントの大型化や信頼性の向上に成果をあげてきた。

一方、非常用ディーゼル機関は前述の基本性能を満

足するために、むしろ国産機関のほうが対応しやすい

との考えから、最初から国産機関を充当し次第に実績

を積んで、より良い機種選定が行われてきた経緯があ

る。従ってプラント全体として自主技術の確立に大い

に貢献した側面がある。

(3)水処理関係施設

日本国内には、都市農村とを問わず、上水を処理供

給する浄水場と下水を処理排水する下水道施設が高度

に普及している。これらの施設は、いずれもポンプ動

力と熱源を必要としており、ポンプの駆動源としてモー

ターまたはディーゼル機関が選ばれる。

電力は、通常時は売電でまかない、停電に備えて

非常用発電設備を設置する場合と自家発電設備を設

置する場合がある。いずれの場合も、ディーゼル機

メーカー 運転開始年 機関形式

川崎(1963) V8V22/30ATL

新潟(1968) 12V33XB

新潟(1969) 18V40X

新潟(1978) 18PC2-3V

新潟(1987) 18PA6V

新潟(1999) 18V32CX

川崎(2004) 18PA6-CL

三菱(1970) V6V30/42AL

三菱(1975) V6V40/54

三菱(1977) V5V40/54A

三菱(1984) 18V40/54

三菱(1991) 16V40/54A

注:同一機種で、向先により出力/回転数が異なる場合は、トルク(Pme)最大値   を表示した。

16

12

18

18

18

18

18

16

12

10

18

16

口径mm 行程mm 220 300

330 450

400 520

400 460

280 290

320 360

280 350

300 420

400 540

400 540

400 540

400 540

出力PS 回転数rpm

1740 750

2900 514

9300 429

9450 500

7200 1000

8750 750

7200 720

2835 600

5100 400

5100 400

9780 400

10400 450

適用発電所名

東海

敦賀1号

福島第一1-6号 東海第二

福島第二1-4号、浜丘3,4号 柏崎刈羽1-5号

柏崎刈羽2-7号、女川2,3号 東通1号

女川3号、東通1号

志賀2号

美浜1号ほか

玄海1号ほか

伊方1号ほか

敦賀2号

大飯1号ほか

Pme kg/cm2 Cm m/s 11.4 7.5

11.0 7.7

16.6 7.4

16.3 7.7

20.2 9.7

20.1 9.0

23.2 8.4

11.9 8.4

14.1 7.2

16.9 7.2

18.0 7.2

19.2 8.1

炉型式

気筒数

BWR

PWR

表4.10 原発非常用ディーゼル機関の要目

図4.6 原子力発電所向SEMT 18PA6型機関(新潟原動機提供)

474サイクルディーゼル機関の技術系統化調査

関が原動機として使用されることが多かったが、近

年ガスタービンの使用も増えてきている。その理由

に、常用電源の場合排熱の利用がしやすいこと、非

常用電源の場合コンパクトで冷却水のいらないこと

などが挙げられる。

下水道施設の整備が本格的に始まったのは、1965

(昭和40)年の「第一次下水道整備5カ年計画」からで、

第二次、第三次と継続されていく。

水処理関係では、ほかに排水機場などポンプの動力

用としてディーゼル機関が使用されることが多い。代

表的な機関を表4.11に示す。

4-4-1 ガス機関の黎明期

ガス機関の起源は、ドイツのオットー((Nicholus

O. Otto, 1832-1891)が1867年に完成した4サイクル大

気圧ガス機関にさかのぼる。1972(明治5)年には、

「ドイツガス機関製作所」を設立し、各種工業用にガ

ス機関を製造した。カール・ベンツ(Carl Benz 1844-

1929)も、1879年の大みそかに2サイクルガス機関の

始動に成功した。横型クロスヘッド1PS/135rpmだっ

た(図4.7)。そして、1883(明治16)年に、「ベンツ・

ラインガス機関製造所」(後のMWM社)を設立した23。

1900(明治33)年頃から、石炭ガスの価格が急上昇

したため、MWM社は石炭からガスを発生させる、ガ

ス発生装置を付けたガス機関の販売を開始した。当時

の燃料の違いによる単位馬力、単位時間あたりの費用

は、最も高いガソリンを10とすると、電気モーターが

7、石炭ガス使用のガス機関が6に対し、ガス発生機に

よる石炭ガス使用のガス機関が1と断然自家製ガスが

安かった24。

このころの内燃機関は、ダイムラー、ベンツなどが

発明する自動車用ガソリン機関が普及する前で、主と

して蒸気機関の代替として、ガス発動機*が各種工場

の動力用として使用されていた。そして、発動機とガ

ス発生機はドイツ、英国を中心にクロスレー、ラスト

ン等多くのメーカーが手がけ、両者は必ずしも同じメー

カーの組合せでなくても良かった。

日本にガス発動機が導入されたのは、発動機製造

(現ダイハツ工業、ダイハツディーゼル)が1908(明

治41)年に6PSを2台完成させたのが初めてである。

前年に竣工した大阪の自社工場に発電用に設置した英

国のラストン・プロックター社製の吸入ガス発動機を

参考に自社で設計、製造したものである(図4.8)。そ

して、製品のシリーズ化を行い、8PS~100PSまで7機

種の品揃えを図った25。

同社のガス発動機は、当時小型内燃機関の主流だっ

た石油発動機に較べ非常に経済的だったのと、石炭

(コークス)や木炭という手近な燃料が利用できたこ

とから、陸上発電用と船舶用の両方に使用された。特

に1909(明治42)年頃から日本各地に設立された電灯

会社には、吸入ガス発動機が多数納入された。発動機

製造のガス発動機は、さらに大型化を図り、1915(大

正4)年に日立鉱山に400PSを3基、1919(大正8)年

に津電灯会社に500PSを1基納入した26。

*19世紀後半に種々の内燃機関が発明されたが、初期のものは空気や混合気を圧縮しないかまたは圧縮比が低いもので、石油(灯油)を燃料とし火花点火するものが「石油発動機」、同じく重油や軽油を赤熱点火するものが「焼玉機関」、ガスを燃料とし火花点火するものを「ガス発動機」と呼んでいる。「吸入ガス機関」、「大気圧ガス機関」という呼称の機関は圧縮比が小さいという意味で、ここでは「ガス発動機」という呼称とする。なお、圧縮比が高い内燃機関は、1876(明治9)

年にオットーが発明した火花点火式の「ガソリン機関」と、1892(明治25)年にルドルフ・ディーゼルが発明した圧縮点火式の「ディーゼル機関」であり、ここで扱う「ガス機関」はディーゼル機関並の高圧縮比のガス燃料機関という意味で、「ディーゼル機関」の一分野と位置づける。

メーカー 型式

ダイハツ 6DS-28

新潟 8L40X

6

8

口径mm 行程mm

280 360

400 520

PS

2000

4000

rpm

720

429

Pme kg/cm2 Cm m/s

18.8 8.6

16.1 7.4

備考

大阪府など

東京都など

気筒数

表4.11 下水道処理場向機関の要目

ガス機関4.4

図4.7 ベンツが発明したガス発動機(1879年)(「創立100年を迎えたMWM社」内燃機関1980年12月号より)

48 国立科学博物館技術の系統化調査報告 Vol.12 2008.March

1910(明治43)年、三井鉱山は三池焦煤(コークス)

工場に、コークス炉ガスと高炉ガスを燃料とする大型

ガス機関の導入を決定した。当時大型ガス機関の実績

は日本では皆無であり、最も経験のあるMAN社に発電

所全体の建設を発注した。機関の型式は、4サイクル横

型複動くし型4気筒DTZ型で、口径1000mm、行程

1200mm、3000PS/100rpmが2台、合計6000PS

(4160kWe)の巨大な発電所が、1913(大正2)年に完

成した。その後電力需要が増えたので、三井三池製作

所では輸入機をもとに国産化を計画し、国内素材メー

カー等の協力により、1919(大正8)年と翌年に同型機

をそれぞれ1台増設し、合計4台で常時3台(6240kWe)

の発電所となり、1949(昭和24)年まで、30年近くに

わたって稼働を続けた。なお、同じMANの複動2気筒

DT13b型、口径1200mm、行程1300mm、2400PS/94rpm

4台が鉄道省矢口発電所に、1914(大正3)年に竣工し

たが、1926(大正15)年に撤去された27。

4-4-2 ガス機関の停滞と第二次大戦前後の発展

石油燃料が次第に普及してくると、石油発動機、焼

玉機関、ガソリン機関、ディーゼル機関などいわゆる

液体燃料を使う内燃機関が優勢となり、ガス機関の需

要はしばらく頭打ちになった。特に1920(大正9)年

台になって、効率に優れたディーゼル機関が各種用途

に使用されるようになったため、ガス機関はガスの入

手しやすい地区を中心に使用されるに留まった。

第二次世界大戦が近づいた1940(昭和15)年頃から、

日本では燃料の統制が始まり、とりわけ石油燃料は極

度に使用が制限され、戦後の1951(昭和26)年に統制

解除されるまでひっ迫状態が続いた。この間、鉄道車

両、路線バスなどのディーゼル機関はガス機関として

使用され、燃料には天然ガス、木炭などが使用された。

ディーゼル機関はガス炊のための改造が必要だった

が、メーカーやユーザーの努力で何とか実用になるも

のができた。木炭はガス発生機を搭載したバスに多く

使用されたが、数十年前に開発されたガス発生機の技

術が役立ち、またガス機関が一時的にせよ重要な役目

を果したことは記憶にとどめたい。

4-4-3 戦後のガス機関の復活と技術の進化

戦後の内燃機関は、小型では石油発動機、焼玉機関、

ガソリン機関、中大型ではディーゼル機関が優勢を占

めていた。しかし時代の推移とともに、ガス機関の低

公害性が脚光を浴びてきた。すなわち、硫黄分がごく

微量のためSOxが少ないこと、低NOxが比較的容易に

実現できること、ばいじんが出ないこと、化石燃料中

最少のCO2排出量であることが挙げられる。そして、

都市ガスの供給網の整備や消化ガス、バイオガスなど

の入手性の向上からガス機関の需要が次第に増加して

いった。

ここでは、ガス機関の種類ごとにその発展過程を

追ってみる。

(1)二元燃料ガス機関

戦後比較的早い時期に、国産のガス機関が生まれた。

最初のタイプはディーゼル機関をベースにしたもの

で、比較的大型の直噴二元燃料型であり、性能はディー

ゼルモードとほぼ同等なものだった。

1963(昭和38)年神戸製鋼は、米国クーパー・ベッ

セマー(Cooper Bessemer)社と同社が開発したLSV

型機関の技術提携を行った。純ガスモード、二元燃料

モード、純ディーゼルモードの3通りの運転モードが

できるトライヒューエル機関と呼ばれるもので、火花

点火のガスモードとパイロット燃料点火の二元燃料

モード及び純ディーゼルモードの切換えは、点火栓と

噴射弁の交換作業に数時間を要するだけで、ユーティ

リティの高い機関として注目を集めた。常用発電用に

特化した機関ゆえ、正味平均有効圧力は11.6kg/cm2と

低めに抑えて、信頼性の確保に重点を置いた28。

フランスのSEMT社も1960年代から二元燃料ガス機

関を開発しており、PC2およびPA6シリーズと後に開

発されたPA5シリーズなどに適用された。IHI、NKK、

富士ディーゼル(後に新潟鉄工が継承)の3社が国内外

の発電用に納入した29。そのほか、富士ディーゼルでは、

同社オリジナル機関のラインアップを図り、200~

5000PS級までそろえ、発電用として多数納入した30。

表4.12に代表的な二元燃料ガス機関の主要目を示す。

図4.8 発動機製造の国産初のガス発動機(1908年)(ダイハツディーゼル提供)

494サイクルディーゼル機関の技術系統化調査

(2)ストイキ燃焼(三元触媒)ガス機関

ガス機関の一方式として、理論空燃比(燃料の燃焼

に必要な理論空気量と燃料の質量比)付近で燃焼させ

るストイキ燃焼方式がある。

ヤンマーでは、1983(昭和58)年大型ガス機関

SHLG型を開発し、16気筒で900PSまでカバーするシ

リーズ化を図った。1986(昭和61)年、新潟では本方

式のガス機関を開発し、ゴミ埋立地から発生する消化

ガスを燃料とするガス機関を東京都夢の島に設置し、

施設内の電源を供給した。ダイハツでは、1987(昭和

62)年に札幌市のスポーツセンターにコージェネレー

ション用としてLPG燃料の8GSV-22型1200PS/1000rpm

を2台とさらに増設2台の合計4台を納入した31。

日本鋼管(現JFEエンジニアリング)では、ガス機

関で高い技術を有する米国Waukesha社製のストイキ

機関を技術提携し、日本の市場に参入した。これら機

関の主要目を表4.13に示す。

ストイキ機関は、理論空燃比のために排気温度が高

く、排熱回収率が高くできる反面、ノッキング(燃料

が瞬時に燃焼して異常圧力を発生すること)しやすく、

排気温度が高いため出力が制限される。また機関自身

のNOx値は高いが、三元触媒(残存酸素がない状態で、

NOx、CO、HCの3つの有害成分を除去する物質で通

常多孔質セラミックス製)が使用できるので機関出口

でのNOx値を十分低くできた。

(3)ガス噴射機関

1979(昭和54)年、三井造船は新しいタイプのガス

機関を開発した。ガスインジェクションディーゼル機

関(GIDE)という名称で、高圧(24.7MPa)に圧縮し

たガス燃料を、上死点近辺でシリンダ内に直接噴射し、

同時期に従来のディーゼル機関用燃料弁から噴射され

るパイロット燃料で点火させる方式のため、ディーゼ

ル機関並の出力と熱効率が得られる利点があった32。

最初、4サイクル機関で基礎試験をしたあと、1985

(昭和60)年には2サイクル6L35MCE型機関で燃焼試験

を行い、1994(平成6)年には自社工場の常用電源設

備を兼ねた40MW級大型実証プラントを建設した33, 34。

2サイクル機関を使用したのは、蒸気タービンが主に

使用されているLNG船主機としての適合性を実証する

ためであった。また4サイクル機関においては、三井

のデンマーク子会社が受注したデンマークの地域発電

所の原動機に、MANB&W16V28/32-GI型ガス噴射機

関が納入され、燃料噴射弁は三井が開発したものが使

用された35。

フィンランドのバルチラ(Wärtsilä)社でも、ガス

噴射機関を開発し、欧州を中心にかなりの納入実績が

報告されている。これらを表4.14に示す。

これらのタイプはガスを高圧に圧縮するための動力

が5%程度必要となり、総合効率の点で、後述の希薄

燃焼式に劣るためこれにとって替わられた。

(4)希薄燃焼ガス機関(火花点火式)

ガス噴射機関と並行するかたちで新しい型のガス機

関の開発が行われた。いわゆる希薄燃焼副室火花点火

式といわれるもので、低NOx型である。三菱重工、新

潟、ヤンマー、ダイハツなどが1985(昭和60)年頃から

相次いで開発に乗りだし、常用発電とりわけコージェ

ネレーション(熱電併給)用として急速に普及した36。

また、米国のWaukesha、オーストリアのJenbacher

(現GE Jenbacher)、フィンランドのWärtsiläなどが日

本市場に参入を図った37。

燃焼方式は副室(予燃焼室ともいう)内に吹き込ん

だ少量のパイロットガスに点火プラグで点火しこのエ

メーカー 形式

Cooper Bessemer LSV-

SEMT PC2-5DF

富士 G32X

SEMT PA5DF

12- 20 6- 18

6- 18

5- 18

口径 mm

394

400

320

255

行程 mm

559

460

380

270

出力 PS/cyl.

350

535 535

275

180 200

回転数 rpm

400

500 514

600

1000 1200

Pme kg/cm2

11.6

16.7 16.2

13.5

13.1 13.1

Cm m/s

7.5

7.7 7.9

7.6

8.1 9.0

4

4

4

4

気筒数

サイクル

表4.12 二元燃料ガス機関の主要目

メーカー 形式

ヤンマー SHLG

新潟 NSAK-SG

ダイハツ 8GSV-22

NKK Waukesha F(L)-GSI

6-16

4-16

8

6,12

口径 mm

165

132.9

220

238

行程 mm

185

160

280

216

出力 PS/cyl.

46.9 56.3 68.3

34.9 41.2

150

113.3 131.4

回転数 rpm

1000 1200 1500

1500 1800

1000

1000 1200

Pme kg/cm2

10.7 10.7 10.4

9.4 9.3

12.7

10.6 10.3

Cm m/s

6.2 7.4 9.3

8.0 9.6

9.3

7.2 8.6

4 4

4

4

気筒数

サイクル

表4.13 ストイキ燃焼ガス機関の主要目

形式

三井MAN B&W 12K80MC-GI-S

WärtsiläVASA 18V32GD

MAN B&W 16V28/32-GI

2

4

4

12

18

16

口径 mm

800

320

280

行程 mm

2300

350

320

出力 kW

40680

7200

3200

回転数 rpm

103.4

750

750

Pme kg/cm2

17.4

23.9

18.4

Cm m/s

7.9

8.8

8.0

気筒数

サイクル

表4.14 ガス噴射機関の主要目

50 国立科学博物館技術の系統化調査報告 Vol.12 2008.March

ネルギーを主室の希薄混合ガスの燃焼に利用するもの

で、従来のストイキ燃焼式、ガス噴射機関に較べNOx

値が格段に低く、ばいじんが皆無であることに加えて、

熱効率が高いことが特徴である。

ヤンマーでは、1989(平成元)年開発したNHLGシ

リーズにミラーサイクル(給気弁を早くまたは遅く閉

じて、圧縮比に対して膨張比を大きくして熱効率の向

上を狙ったもの)方式を適用した6NHLM-ST型機関を

1999(平成11)年に開発した。

三菱重工でもミラーサイクル、高性能過給機の採用、

燃焼系の改良などにより高効率ガス機関を開発した。

JFEエンジニアリングでは排ガス再循環(EGR=排気

ガスの一部を新気と混合して再びシリンダに導くこと

で、NOxの低減とノッキング防止を狙ったもの)方式

を採用して、高出力と高効率を実現した。

また、川崎重工でも熱効率を大幅に向上した希薄燃

焼ガス機関を開発し、実用化に成功した38。

これらの新しいタイプのガス機関は後述の圧縮点火

の2方式に比べても、同等以上の熱効率を有しており、

今後競争が一段と激化することが予想される。このタ

イプに属する機関の要目を表4.15に示す。

(5)希薄燃焼ガス機関(副室マイクロパイロット点火式)

2000(平成12)年頃からディーゼル機関並の高出力

で低NOx、高効率ガス機関の開発が始まった。その結

果、火花点火ではエネルギーが小さいため、瞬時に燃

焼し得る混合気量(燃料と空気の混合気)の限界があ

るので、出力アップが容易ではないこと、点火プラグ

の寿命がディーゼル機関固有の部品に較べて短いこと

などからパイロット点火を液体燃料で行うことによ

り、これら欠点を補うことが考えられた。しかし、従

来の二元燃料のようにガス運転モードで液体燃料の割

合が5~10%と多い場合は、液体燃料の燃焼によって、

NOx、ばいじんが多く発生し、ガス運転の利点が相殺

される問題があった。

本方式は、パイロット燃料を1%程度におさえ、極

力クリーンなガス機関の特徴を生かすことに工夫をこ

らし、火花点火式と同じように副室を設け、少量でも

確実な点火が得られるようにした。

三菱重工横浜では、本方式とコモンレールを併用し

たガス機関MACH-30G型を開発して国内のコージェネ

レーション市場に大きく進出した39, 40。

新潟原動機でもマイクロパイロット点火方式の

22AG型、28AG型の2型式を開発し、1~6MWクラス

の出力範囲をカバーしてこの市場への進出を図った41。

(6)希薄燃焼ガス機関(直噴式)

2005(平成17)年ころから、さらに新しい概念のガ

ス機関が登場した。三井造船とダイハツディーゼルが

共同で開発したもので、希薄燃焼で低NOxを維持しな

がら、直噴型コモンレール式を採用した。そして、空

燃比を最適に制御することで、安定運転、NOxの制御

および良好な燃焼を実現した42, 43 。

(5)、(6)の二つの方式のガス機関の主要目を表4.16 に

示す。

形式

三菱重工 GS-R

三菱重工 KU30G

新潟鉄工 V26HXG

新潟鉄工 V33CXG

ヤンマー NHLG-ST

JFEエンジニアリング F(L)-GDSI

Jenbacher JMS3

Waukesher AT27GL

ヤンマー NHLM-ST

Wartsila 34SG

JFEエンジニアリング E3G

川崎重工 KG

6- 16

12- 18

12- 16

12- 18

6- 16

6 12

12- 20

8- 16

6

12- 18

6,12

12-18

口径 mm

170

300

260

335

165

245

135

275

165

340

400

300

行程 mm

180

380

275

360

185

260

170

300

185

350

500

-

出力 PS/cyl

69.1 79.3

290 290

200 222

348 360

73.8 83.8

118 118

52.7 65.1

251 279

73.3

469

850 605 582

回転数 rpm

1200 1500

720 750

900 1000

720 750

1500 1800

900 1000

1200 1500

900 1000

1500

750

600 720 750

Pme kg/cm2

13.4 12.2

13.5 13.0

13.7 13.7

13.7 13.7

11.2 10.6

9.6 8.7

16.0 16.0

14.1 14.1

11.1

17.7

20.3

-

Cm m/s

7.2 9.0

9.1 9.5

8.3 9.2

8.6 9.0

9.3 11.1

7.8 8.7

6.8 8.5

9.0 10.0

9.3

8.8

10.0

-

気筒数

表4.15 希薄燃焼ガス機関(火花点火式)の主要目

形式

新潟 22AG

新潟 28AG

三菱 MACH-30G

Wärtsilä50DF

MAN 51/60DF

三井/ダイハツ MD20G

三井/ダイハツ MD36G

方式

副室

副室

副室

副室

直墳

直墳

直噴

気筒数

6- 18

18

8,12- 18

6- 18

6- 18

6,8

6,8 12-

口径 mm

220

295

300

500

510

200 360 360

行程 mm

300

400

380

580

600

300 480 460

出力 kWe/cyl.

167 186

322 335

305 319

917 917

975 1000

139 139

469 450

回転数 rpm

900 1000

720 750

720 750

500 514

500 514

900 1000

600 600

Pme MPa

1.96 1.96

1.96 1.96

1.96 1.96

2.00 1.95

1.91 1.91

2.05 1.84

2.00 2.00

Cm m/s

9.0 10.0

9.6 10.0

9.1 9.5

9.7 9.9

10.0 10.3

9.0 10.0

9.6 9.2

表4.16 希薄燃焼ガス機関(液体噴射式)の主要目

514サイクルディーゼル機関の技術系統化調査

4-4-4 舶用ガス機関

ガス機関の舶用への応用例は、1981(昭和56)年に

富士ディーゼルが二元燃料型6LG32X型(6気筒、口径

320mm、行程380mm、1600PS/600rpm)を豪州の石

灰石運搬船の主機として納入した例がある。本機は世

界で初めてロイド船級協会に合格した二元燃料ガス機

関であり、天然ガスを使用した44。

近年、環境問題が世界的に論議されるなか、ノル

ウェーのフェリー(郵便船)で、従来のディーゼル機

関推進では、排煙による霧の発生で運航が妨げられる

ことと、北欧で特に顕著な酸性雨による森林枯渇を防

止する目的で、液化天然ガス(LNG)炊きのガス機関

が主機として選定され、当初は欧州製機関が使用され

ていたが、2000(平成12)年に就航したフェリー

「GULTRA」に三菱GS12R675kWeが4基、電気推進方

式で採用された45, 46。LNGタンクにすることで、燃料

の容積を小さくすることが可能となり、従来のフェリ

ー並の積載車両数を確保した。ガス機関のタイプは前

項(4)の火花点火希薄燃焼式である。

ガス機関のもう一つの用途としてLNG運搬船があ

り、航海中のLNGタンクの昇圧を防止するために発生

するボイルオフガス(BOG)の利用や再液化して

BOGそのものを減らす試みがなされてきた。現在は

BOGを燃料とする蒸気タービンが主流であるが、効

率のよいガス機関の使用は以前から研究されてきてお

り、最近漸くこれが実現した。Wärtsilä社の中速機関

50DF型を主機として4台搭載した電気推進船で、前述

の副室希薄燃焼式が採用されており、フランスのガス

公社向ほか多数の建造が行われている。MAN社でも

大型ディーゼル機関をベースにした51/60DF型機関を

開発した。従来の二元燃料機関と異なり、ガス運転

モードでマイクロパイロット噴射とし、高出力と高効

率を両立させ、舶用ならびに陸用市場への参入を図っ

ている。

これらガス機関が船舶用に使用されるようになっ

て、船舶の検査組織である船級協会(主な海運国にあ

り、わが国では財団法人日本海事協会)では、安全面

から機関室およびガス機関の規則を制定しており、ガ

ス検知器の設置やガス供給ラインの二重化などを要求

している。

1「神船ディーゼル75年のあゆみ」1992年9月 P15

2「新潟鉄工所百年史」1996年3月 P83

3「舶用ディーゼル機関の技術に関する進歩の年表」

村田正之他 MESJ 1979年2月 P147

4「舶用ディーゼル機関の技術に関する進歩の年表」

村田正之他 MESJ 1979年2月

5「新潟鉄工所百年史」1996年3月 P86

6「三菱重工横浜製作所百年史」1992年2月 P512

7「三井造船のディーゼル機50年」1976年8月 P25

8「燃料報国」ヤンマー1996年3月 P25,P196

9「神船ディーゼル75年のあゆみ」1992年9月 P15

10 「三菱重工横浜製作所百年史」1992年2月

11 「新潟鉄工所百年史」1996年3月 P374

12 「三井造船のディーゼル機50年」1976年8月 P121-123

13 「新潟鉄工所百年史」1996年3月 P164

14 「神船ディーゼル75年のあゆみ」1992年9月 P18

15 「新潟鉄工所百年史」1996年3月 P157

16 「神船ディーゼル75年のあゆみ」1992年9月 P33

17 「三井造船のディーゼル機50年」1976年8月 P97

18 「ダイハツディーゼル30年史」1996年12月 P74

19 「ダイハツディーゼル30年史」1996年12月 P36

20 「燃料報国」ヤンマー 1996年3月 P25, P196

21 「神船ディーゼル75年のあゆみ」1992年9月 P28

22 「新潟鉄工所百年史」1996年3月 P165

23 「創立100年を迎えたMWM社」オノ・ジュアセン 内燃

機関 1980年12月 P36

24 「創立100年を迎えたMWM社」オノ・ジュアセン 内燃

機関 1980年12月 P37

25 「ダイハツディーゼル30年史」1996年12月 P4

26 「ダイハツディーゼル30年史」1996年12月 P5

27 「三池のマンモスガスエンジン」山岡茂樹 内燃機関

1993年7月 P73-79

28 「LSVトライヒューエルエンジン(1)(2)」川上茂三他

内燃機関 1967年8月 P47

29 「天然ガス焚機関の長期無解放運転とその結果」

J.F.シャピュイ 内燃機関 1990年5月 P64

30 「富士ガスディーゼル機関」川崎昭久 内燃機関 1983年9月

P29-37

31 「ダイハツディーゼル30年史」1996年12月 P166

32 「The development of high output, highly efficient gas

burning diesel engines」CIMAC Congress, 15th '83,

M.Miyake et al.

33 「ガスインジェクションディーゼル機関における最近の

開発」三宅幹彦他内燃機関 1987年10月 P44-46

34 「Development of the World's First large-Bore Gas-

Injection Engine」21st CIMAC Congress'95 D51,

T.Fukuda et al.

35 「Development of the 28/32 Gas Injection Engine」

ISME Kobe '90

36 「ヤンマーNHLG形希薄燃焼ガスエンジンの研究と開発」

卜蔵伝一郎他 内燃機関 1992 年1月 P87-93

37 「Making Cogen Work in Japan」Diesel & Gas Turbine

Worldwide May 2007 P16

52 国立科学博物館技術の系統化調査報告 Vol.12 2008.March

38 「川崎重工業の8MW級大型ガスエンジン」桜井秀明

クリーンエネルギー 2007年11月 P45-48

39 「高性能希薄燃焼ガスエンジンの研究開発」中川洋他

三菱重工技報 1997年7月

40 「更に進化した世界最高効率41.5%のガスエンジンコー

ジェネレーション発電システム」野口知宏他 三菱重工

技報 2005年10月

41 「高効率・高出力ガスエンジン22AGの開発」後藤悟他

石川島播磨技報 2003年11月

42 「小型ガスエンジンMD20型の稼働実績」田中一郎他

三井造船技報 2007年6月

43 「高効率大型ガスエンジンの開発」近藤守男他 三井造

船技報 2007年6月

44 「富士ガスディーゼル機関」川崎昭久 内燃機関 1983年9月

P29-37

45「LNGガスエンジン搭載電機推進船」角濱義隆 エンジン

テクノロジー 2006年6月 P34

46 「LNGを燃料とするガスエンジンを搭載した欧州フェリー」

角濱義隆 日本造船学会誌 2000年10月 P68-71

534サイクルディーゼル機関の技術系統化調査

5.1.1 ディーゼル機関車の誕生と戦前の発達

わが国では、1927(昭和2)年頃から国産の小型デ

ィーゼル機関車が日立、川崎車両、汽車会社などで作

られ始めたが、構内運搬や鉄道工事用が主であった。

国鉄の最初のディーゼル機関車は、第一次世界大戦

後にドイツから購入した2両で、国鉄形式でDC11、

DC10と呼ばれ、それぞれ1929(昭和4)年と1930

(昭和5)年に日本に到着した。DC11形はエスリンゲ

ン社製の電気式機関車でMAN社製ディーゼル機関が

搭載され、DC10形は機械式で車両、ディーゼル機関

ともクルップ社製であった。DC11形は故障が多く、

特に機関トラブルが多発し、1935(昭和10)年休車

となり、1945(昭和20)年に廃車となった。DC10形

はトラブルは少なかったが、歯車3段の変速機は具合

が悪く、歯車の切換に時間がかかり操作性が悪かっ

た。これらの機関は実用上の問題はあったがその後

の国産化の研究に役立った1, 2。図5.1にDC11形機関車

の外観を示す。

純国産の国鉄向けディーゼル機関車は、1932(昭和7)

年のDB10形8両の製造が最初である。機関は4サイクル、

4気筒、口径120mm、行程180mm、50PS/1000rpmで池

貝鉄工、神戸製鋼が製造した。歯車式動力伝達方式で、

最高速度25km/h、車長6mの小形機関車であり、専ら

構内入換用として使用された。大きさも性能も、とて

も本格的なものとはいえなかった3。

1935(昭和10)年、本線で使えるディーゼルをめざ

して、国鉄と車両メーカー6社の共同設計で電気式の

DD10形を開発した。車両は川崎車両、ディーゼル機

関は新潟鉄工がそれぞれ担当し1936(昭和11)年に完

成した。機関要目は、直列立形、水冷4サイクル、8気

筒、口径250mm、行程290mm、500PS/900rpm、

7700kgで、軽合金製ピストンを使用するなど、当時と

しては最新鋭の機関であった4。

1937(昭和12)年に日華事変が始まると、燃料規制

が実施され、石油系燃料が使えなくなり、ディーゼル

機関車に代わって蒸気機関車が復活することになる。

1952(昭和27)年この規制が撤廃されるまで、ディー

ゼル機関車の空白の時代が続き、欧米の技術に大きく

遅れをとることになる。戦前の主なディーゼル機関車

の要目を表5.1に示す。

5.1.2 戦後のディーゼル機関車の発達

1945(昭和20)年、駐留米軍が本国から持ち込んだ

DD12形ディーゼル機関車8両が戦後初のもので、主と

して軍用貨物の運搬用に使われた。ディーゼル機関は

キャタピラ(Caterpillar)社製D1700形2基、4サイク

ル水冷、無過給、予燃焼室式で8気筒、口径146mm、

行程203mm、180PSで動力伝達方式は電気式であった。

1956(昭和31)年に国鉄に払い下げになったあと、

1973(昭和48)年まで使用された5。

1952(昭和27)年に石油製品の統制が撤廃されたの

を機に、国鉄ではディーゼル機関車の製作が検討され、

まず電気式DD50の開発に着手し、1953(昭和28)年、

新三菱重工(神戸)で3両が完成し北陸本線の急勾配

区間で使用されたが、非常に好成績だったという。機

関は新三菱がSulzer社と提携して製作した8LDA25形

で、4サイクル、列形、水冷式、直接噴射、排気ター

5 鉄道車両用ディーゼル機関の発達過程

ディーゼル機関車用ディーゼル機関5.1

図5.1 国鉄最初のディーゼル機関車DC11形(ドイツ製)(神代邦雄「わが国鉄道における内燃機関発達史(6)」

内燃機関1972年12月)

車両メーカー

製作年

動力伝達方式

メーカー

サイクル

PS/rpm

シリンダ数

口径x行程

排気量 L

用途

製作両数

DC11

Esslingen

1929(昭和4)

電気式

MAN

4

600/700

6

280x350

140

本線・入換

1

DC10

Krupp

1930 (昭和5)

機械式

Krupp

4

600/540

6

320x350

169

本線・入換

1

DB10

川車、日車、 日立

1932(昭和7)

電気式

池貝、神鋼

4

60/1000

4

120x180

8.1

入換

8

DD10

川車

1935(昭和10)

電気式

新潟

4

500/900

8

250x290

114

本線

1

ディーゼル機関

表5.1 戦前のディーゼル機関車の要目

54 国立科学博物館技術の系統化調査報告 Vol.12 2008.March

ビン過給式で、8気筒、口径250mm、行程320mm、

900PS、850rpmという大出力機関で最高速度は

90km/hだった6。

1957(昭和32)年3月にDF50が出現した。ディーゼ

ル機関はSulzer8LDA25A形で1080PSに出力を上げたタ

イプであった。川崎車両と日立製作所は同形車を1958

(昭和33)年に製作し、MAN V6V22/30mA形機関

1200PSを搭載した(表5.2)。DF50は国鉄標準機関車

となり、1963(昭和38)年までに、新三菱が63両、川

車、日立が合わせて73両の計136両を製造した7。

1954(昭和29)年、気動車用として開発されたディー

ゼル機関DMH17B形と液体変速機を各2基搭載した

DD11形が試作され、入換用として使用されたのが液

体式機関車の最初である。DMH17Bは立形直列、水

冷4サイクル予燃焼室機関(8気筒、口径130mm、行

程160mm、160PS/1500rpm)で、気動車用ディーゼル

機関として最も多く使用されたDMH17シリーズの1機

種である。DD11形(図5.2)は本機を2基使用し320PS

としたが、入換用としても出力不足で、9両で製作は

打ち切られた。しかし液体式機関車のさきがけとして、

その後の発展の礎となった。

1958(昭和33)年に登場したDD13は新開発した

DMF31S形ディーゼル機関370PSを2基搭載した。

DD11と同様入替用及び支線用であったため、出力に

余裕があったこともあり、液体式ディーゼル機関車と

して信頼性が高かった。ディーゼル機関が前後に配置

されたセンタキャブ方式で、その後のディーゼル機関

車の基本スタイルになった。DMF31S形機関は、戦前

に使用された横形、口径180mm、行程200mmの流れ

をくむもので、直列、立形、水冷、4サイクルで、6気

筒、口径180mm、行程200mm、370PS/1300rpmの予

燃焼室式で、国鉄、新潟鉄工、振興造機(後の神鋼造

機)、ダイハツ工業(現ダイハツディーゼル)の4社の

共同設計だった。この機関は1961(昭和36)年に、主

要運動部分の強化、ピストンクラウンの形状変更、噴

射ポンプ、噴射ノズル、予燃焼室噴口の改良等により

500PS/1500rpmに出力アップされ、名称もDMF31SB

に変更された(図5.3)。このDD13形ディーゼル機関

車は1967(昭和42)年まで409両製作された8。

わが国では、主要幹線はすべて電化するという方針

が打ち出されていたので、本線用ディーゼル機関車の

活躍する分野はおのずと閑散線区に限られてしまい、

従って、投資効率からも安価なディーゼル機関車が求

められていた。本線用の機関は2000PS程度が要求さ

れるが、当時はまだ1000PS級の高速国産機関すらな

かったので、まず1000PS級を完成しこれを2基搭載し

て2000PSとすることを計画した。そこで、前述の

DMF31SB 500PSをベースに、1960(昭和35)年にV形

12シリンダにしたDML61Sが1000PSとして誕生した。

DD51形に本機関が2基搭載され、時速95km/hを実現

した。1号機は、日立水戸工場で1962(昭和37)年に

完成し、国鉄車両史上でも名機のひとつといわれるほ

どの外観であった9。

ライセンサ 形式

Sulzer 8LDA25A

MAN V6V22/30mA

口径 mm

250

220

行程 mm

320

300

N

8

12

PS

1080

1200

rpm

800

900

Pme kg/cm2

9.5

8.8

重量 kg

8600

7900

表5.2 DF50形機関車の搭載ディーゼル機関

図5.2 DD11形ディーゼル機関車(神代邦雄「わが国鉄道における内燃機関発達史(7)」

内燃機関1973年1月)

図5.3 DMF31SB形機関(神代邦雄「わが国鉄道における内燃機関発達史(8)」

内燃機関1973年2月)

554サイクルディーゼル機関の技術系統化調査

DML61S形機関は、1964(昭和39)年に空気冷却器

を付けてDML61Z形1100PS/1500rpmとなり、稼動済

の機関もすべてこの形式に置き換わった(図5.4)。

DD51が完成すると、DF50(1000PS級)とDD51

(2000PS級)の間の出力の亜幹線用の貨客兼用ディー

ゼル機関車の必要性が論じられ、その開発が決定した。

そして、日立、新三菱、日本車輌の3社が試作したデ

ィーゼル機関車を国鉄が借用して、試用するかたちを

とった(表5.3)。

これらのうち福知山線で試用されたDD91が好成績

をおさめ、これをベースにディーゼル機関は、三菱神

戸が提携して製作したマイバッハMD870形を使用し、

その他の搭載機器も国産に置換えたのがDD54である。

マイバッハ社は世界的に有名な高速ディーゼル機関

メーカーであり、MD870形機関は、水冷4サイクル、

過給機付、予燃焼室式で、クランクケースは鋼板溶接

構造、クランク軸主軸受はコロ軸受式のトンネル形、

連接棒はフォーク形、シリンダヘッドは給排気弁各3

個の6弁式の頭上カム(OHC)方式という斬新なもの

だった10。

D51が開発された時点で、機関車用の国産ディーゼ

ル機関は1000PSのDML61S形と500PSのDMF31SB形

の2系列になった。このうちDD13はDMF31SBが2台搭

載されており、これを1000PSのDML61S形1台に置換

えた車両の生産が1958(昭和33)年に始まった。しか

し、1000PSは支線区用としては、不足であることと

ブレーキ性能が蒸気機関車より劣るため、1966(昭和

41)年、入替、支線区兼用のディーゼル機関車DE10

形が、空気冷却器独立冷却式機関DML61ZA形1250PS

を搭載して完成した11。

1967(昭和42)年には、主軸受にコロ軸受を使用し

てトンネル形クランク軸構造のDML61ZB形1350PS

(図5.5)が試作され、1970(昭和45)年に、DE10形

の機関として採用された。鋼製ピストンクラウン、ピ

ストン内部強制冷却、シリンダライナの内外周クロム

メッキなどを採用して信頼性の確保を図った。DE10

形は1977(昭和52)年までに708両が製作された。

DML61Z形の後継機とし、V形16気筒のDMP81Z形

が1969(昭和44)年に試作され、2000PS/1500rpmと

して、国際鉄道連盟UICの耐久試験に適合することが

確認された。そして1970(昭和45)年に本機関を搭載

したDE50形ディーゼル機関車が完成した12。

図5.4 DML61Z形機関(神代邦雄「わが国鉄道における内燃機関発達史(8)」

内燃機関1973年2月)

車両メーカー・形式 機関メーカー・形式

新三菱重工DD91 Maybach MD870

日立、日車DD93 MAN L12V18/21mA

口径 mm

185

180

行程 mm

200

210

N

16

12

PS

1820

1100

rpm

1500

1500

Pme kg/cm2

12.7

10.3

表5.3 試作機関車の主要諸元

図5.5 DML61ZB形ディーゼル機関(長谷川一夫「国鉄ディーゼル機関の開発と現状」

内燃機関1974年11月)

図5.6 DMP81Z形ディーゼル機関(副島廣海「車両用DPM81Z形ディーゼル機関」

内燃機関1970年5月)

56 国立科学博物館技術の系統化調査報告 Vol.12 2008.March

5.1.3 民営化後のディーゼル機関車

民営化で発足した貨物輸送会社のJR貨物は国鉄時代

のDD51形などを主力に使っていたが、幹線の電化率の

低い北海道では老朽化による出力不足から止む無く重

連運転を強いられていた。これを解消すべく1992(平

成4)年にDF200形ディーゼル機関車を開発した。動力

伝達方式は1957(昭和32)年に完成したDF50形以来実

に35年ぶりの電気式が採用された。これは大出力対応

の液体変速機の開発が困難であったこととインバータ

制御など電気機器システムが長足の進歩を遂げたこと

で小型化と保守の容易化が可能になったことによる。

機関はドイツのマイバッハ(Maybach)社の流れを

くむ、MTU社の高速機関12V396TE14形1700PS/

1800rpmが2基使用された。本機関は艦艇や高速船に

世界的に広く使用されている軽量大出力機関である。

そして1999(平成11)年以降の改良型車両からはコマ

ツのSDA12V170-1形1800PS/1800rpmに変更になった。

この機関は、DD51形の機関換装に使用された実績か

ら機種統合による保守整備性の向上を狙ったものであ

る13。これら大型機関の要目を表5.4に示す。

5.2.1 戦前のディーゼル動車

我が国では、1928(昭和3)年に長岡鉄道が最初に

MANの45PS機関を搭載したディーゼル動車を採用し

た。その後1933(昭和8)年までに、メルセデスベン

ツ、AEC、ユンカースなどの外国製ディーゼル機関を

据付けた地方鉄道向のディーゼル動車が続々製作され

た。そして1934(昭和9)年、国産ディーゼル機関の

初号機LH6Z形85PSが誕生し、筑前参宮鉄道に納入さ

れて以降、新潟鉄工、池貝鉄工、三菱重工製を取り付

けたディーゼル動車が現れた。これらディーゼル機関

は製作技術が未熟だったためにトラブルが続出し、ガ

ソリン機関に換装されるものもあった14。

国鉄では、1934(昭和9)年にキハ41000のガソリン

機関GMF13形(100PS/1300rpm)と同等で代替可能

なディーゼル機関の開発を計画し、新潟鉄工と三菱重

工が試作機を製作した。新潟のLH6形は口径130mm、

行程160mmの渦流室式、三菱の6100形は直噴式の口

径135mm、行程170mmで何れも立形4サイクル、6気

筒で、キハ41000に搭載され名古屋地区で試用された。

このころ、150PSのGMH17形を搭載したキハ42000

形ガソリン動車が現われ、これをディーゼル機関に置

換える試みがなされ、新潟、三菱、池貝の3社がそれ

ぞれ試作を行った。新潟、三菱はLH6形、6100形を8

気筒にしたLH8形、8100形を、そして池貝は8気筒、

口径130mm、行程160mmの8HSD13形を製作した。こ

れらの機関は、キハ42500という呼称で試用されたが、

3両だけで終わってしまった15。

1935(昭和10)年ころ、ドイツで固定編成の電気式

ディーゼル動車が活躍しているのに影響され、わが国

でも単車のガソリン動車から、連結による総括運転可

能な電気式ディーゼル動車の製作が検討された。1937

(昭和12)年に完成したキハ43000で、3両編成の両端

が動力車、中央が付随車の構成だった。この動車は機

関、発電機など動力装置をすべて床下に装備したこと

が特徴で、そのためディーゼル機関は当時としては珍

しい横型となった(図5.7)。国鉄と新潟、三菱、池貝

が共同設計の形をとり、基本的な諸元は共通にしたが、

噴射装置と燃焼室は各社自信のあるシステムを採用し

た。6シリンダ、口径180mm、行程200mm、240PS、

1300rpmの基本仕様に対し、

新潟、三菱-予燃焼室

池貝-蓄熱式渦流燃焼室

であった。この機関は、キハ43000に使われただけで

終わっているが、戦後に完成したDMF31S形機関の原

型となった。

ディーゼル機関車と同様その後の燃料規制の実施

により、ディーゼル動車の発展は戦後を待たなければ

ならなかった。

形 式

DML61Z

DML61ZB

DMP81Z

12V396TE14

SA12V170-1

SDA12V170-1

口径 mm

180

180

180

165

170

170

行程 mm

200

200

200

185

170

170

気筒数

12

12

16

12

12

12

出力 PS

1100

1350

2000

1700

1100

1800

回転数 rpm

1500

1550

1500

1800

1500

1800

Pme kg/cm2

9.8

12.8

14.7

17.9

14.3

19.4

主な 搭載車両

DD51

DE10

DE50

DF2000

DD51換装

DF2000

表5.4 大型機関の主要目

図5.7 240PS横形ディーゼル機関(神代邦雄「わが国鉄道における内燃機関発達史(2)」

内燃機関1972年8月)

ディーゼル動車用ディーゼル機関5.2

574サイクルディーゼル機関の技術系統化調査

5.2.2 戦後のディーゼル動車復活

戦後の旅客の急増と客車の不足に対処するため、気

動車運転の復活が計画されたが、依然として燃料の入

手が難しく、天然ガス産地の千葉、新潟地区で実車で

天然ガス使用のための車体改造が行われた。圧力

150kg/cm2の40Lボンベを20~24本床下に収納できる

ようにしたキハ42000が製作され、出力はガソリン機

関に較べ85%程度であった。34両が改造されたが、衝

突時の危険が予想されたことと、機関自体の老朽化か

ら1952(昭和27)年頃までに、ディーゼル機関に置換

えられている。

1950(昭和25)年、キハ41000のGMF13形ガソリン

機関の換装用として、当時自動車用として最大だった

日野DA55形ディーゼル機関(4サイクル、直列、立型、

6気筒、口径120mm、行程160mm、75PS/1200rpm)

が選定された。ディーゼル機関換装のキハ41000形は

キハ41500と改称され、1951(昭和26)年までに、新

製、改造あわせて123両に達した16。

5.2.3 国鉄標準ディーゼル機関の誕生

国鉄標準型ディーゼル機関、DMH17形の設計が

1942(昭和17)年に行われたままになっていたが、主

要鍛造部品が神戸製鋼大垣工場に残っていることがわ

かり、まもなく同工場が独立してできた振興造機が製

作を始め、1951(昭和26)年2月に1号機が完成した。

これがDMH17A 150PS機関である。そしてこのシリー

ズは改良を加えながら7000台以上が製作された。

1951(昭和26)年にDMH17A形機関が完成すると、

直ちにキハ42000に搭載のGMH17形ガソリン機関との

換装が始まり、キハ42500と称された。本機関は直列、

立形、水冷、渦流燃焼室式、4サイクル、8気筒、口径

130mm、行程160mm、150PS/1500rpmで、振興、新

潟、池貝、三菱の4社あわせて63台が製造された。

そして、1952(昭和27)年には、石油製品の統制も

撤廃され、ディーゼル動車の需要が急速に高まってき

た。また、それまでの単車式から連結による効率的な

輸送が指向され、それを実現するために重連統括制御

方式の研究が始まった。最初が日野DA55形の電気式

ディーゼル動車で、その後のキハ44000形の電気式に

はDMH17A形ディーゼル機関が採用された。2両連結

を基本とし、最大6両まで連結可能で、最高速度

90km/hだった17。

5.2.4 液体式ディーゼル動車

戦前から行われていた液体変速機の研究が、戦後鉄

道技術研究所と振興造機により再開され、実用的なト

ルクコンバーターが1952(昭和27)年に完成した。

DMH17の改良形DMH17B形と組合せて、総括制御可

能なキハ44500形が1953(昭和28)年3月に4両試作さ

れた。DMH17B形はトルクコンバータと接続するた

め、ハズミ車室の形状が変更になったほか、燃焼室が

渦流室式から予燃焼室式に変わり、噴射弁もピントル

形からスロットル形(7.1.1参照)に変更された。これ

らの変更で、出力も10PS上がって160PS/1500rpmとな

った。キハ44500は非常に成績が良く、その後のディ

ーゼル動車の標準型としての基礎を築いた。

1953(昭和28)年から翌年にかけ、キハ44500の後

継車となるキハ45000(キハ17)、キハ46000(キハ18)

形が量産され一気に220両に達した。トルクコンバー

ターはその後の標準機種となる、振興造機のTC-2形と

新潟コンバーターのDF-115形の2機種が採用され、機

関はDMH17B形が継続使用された。

1955(昭和30)年ころから、輸送の近代化の要請を

うけて、急行、準急列車、こう配区間の登はん能力増

強、北海道の輸送強化、一等車の増車など新形気動車

の需要が飛躍的に増し、以降数年にわたり毎年200両

から400両も生産された。そして1959(昭和34)年に

は、気動車の総数は1800両ともなり、全国各地の急行、

準急、緩行列車として活躍した。その間に機関は1958

(昭和33)年に、DMH17C形に改良された。

DMH17C(図5.8)の改良点は、予燃焼室の噴口穴

数を4から3個に、噴射ポンププランジャの径を8から

9mmに、給排気弁タイミングおよび噴射時期を変更

し、出力を20PS向上して180PS/1500rpmとした。

図5.8 DMH17C形ディーゼル機関(神代邦雄「わが国鉄道における内燃機関発達史(3)」

内燃機関1972年9月)

58 国立科学博物館技術の系統化調査報告 Vol.12 2008.March

5.2.5 新形ディーゼル動車の出現

1958(昭和33)年から、DMH17C形を2基搭載して

こう配区間の出力不足を克服する列車が現れた。しか

し床下に2台搭載することの配置上の問題や、1編成あ

たりの保守点検の負荷の増加などから、これを1台で

まかなう400PS級機関の開発が要請された。

ちょうどこのころ、国産の入換用ディーゼル機関車

DD13形が開発されており、これに使用したDMF31S

形機関(370PS/1300rpm)を横形とし、さらにピスト

ン冷却方式の改善や過給機の改良で、出力を400PS/

1300rpmに上げたDMF31HSA形機関が出現した(図

5.9)。そして1960(昭和35)年に誕生したキハ60形式

に搭載された。キハ60は3両しか製作されなかったが

新技術が導入され、その後の特急車両や新幹線にも受

け継がれていく。

5.2.6 ディーゼル特急の誕生と横形機関

非電化区間の特急気動車の動力用に、1959(昭和34)

年に、DMH17系ディーゼル機関を2基床下に搭載する

横形機関DMH17H形(図5.10)の開発が始まった。

DMH17C形との部品の互換性を極力維持したうえで、

横形の特徴である車両艤装上のメリットを生かす設計

が行われた。また冷房用電源の発電機関として姉妹機

のDMH17H-G形が160PS/1200rpmとして同時に開発

された。

1960(昭和35)年10月に日本で「第2回アジア鉄道

首脳会議」が開催されることになり、この機会に国鉄

の高い技術力をアピールしようと、キハ80系の特急形

気動車が開発されることになった。キハ81(図5.11)

は設計開始からわずか10ヶ月で完成し、公試運転が大

宮・小山間で行われ、鉄道首脳会議のメンバーには日

光見物に試乗してもらうなど開業にむけて好調なすべ

りだしだった。こうして12月10日に上野・青森間に

ディーゼル特急「はつかり」がさっそうとデビューし

たが多難な幕開けとなった。初期故障が続発し、特に

機関の排気管過熱による発煙や制御関係のトラブルで

運行停止になることもあった。さらに、翌年1月には

火災事故を起こし、マスコミから「はつかりは故障ば

っかり」と叩かれた。しかし、関係者の努力で故障も

やがてなくなり、安定した運行を維持することができ

た18, 19。

「はつかり」のあと、1961(昭和36)年から2次特急

キハ82などが量産され各地で活躍した。

この気動車から採用されたDMH17H形機関は、急

行形キハ28、58、通勤形キハ35、36、近郊形キハ45、

23などに使用され、車種が異なっても徹底した標準形

原動機として10000台近く製作され、取扱いと保守の

面で計り知れないメリットをもたらした。

5.2.7 新形ディーゼル動車と新形機関の出現

DMH17シリーズは気動車の標準機関として、標準

化されて効率的な運用の実現に大いに寄与したが、開

発から20年近い歳月を経て、やや能力不足が目立って

きた。即ち、こう配区間では、180PS機関2基搭載で

も電車に比べパワー不足であり、また冷房装置の取付

スペースが確保できない問題もあった。

図5.9 DMF31HSA形ディーゼル機関(神代邦雄「わが国鉄道における内燃機関発達史(4)」

内燃機関1972年10月)

図5.10 DMH17H形ディーゼル機関(神代邦雄「わが国鉄道における内燃機関発達史(4)」

内燃機関1972年10月)

図5.11 キハ81形ディーゼル特急(交通科学博物館ホームページより)

594サイクルディーゼル機関の技術系統化調査

そこで次世代の気動車用の動力システムとして、

ディーゼル機関と流体変速機の開発が1961(昭和36)

年から始まり、まず1962(昭和37)年にDW3形流体

変速機が完成し、続いて1963(昭和38)年には新形機

関DMF15HS形が完成した。検修体制や設備を維持す

るため、従来機関の口径、行程を大きく変えない要目

とした。口径は130から140mm、気筒数は8から6と小

さくしたが、過給機を装着して240PS/1600rpmと3割

ほど出力を上げている。このプロトタイプをベースに

空気冷却器を付けて300PS/1600rpmとしたのが、

DMF15HZ形、対向12気筒にしたのが、500PS/1600rpm

のDML30HS形である。DML30HS形機関は床下搭載

のディーゼル機関としては世界的に見ても最大級のも

のであった(表5.5)20。

1966(昭和41)年には、新形気動車が誕生し、新潟

鉄工製のキハ90形にはDMF15HZAが、富士重工製の

キハ91形にはDML30HSA(図5.12)がそれぞれ搭載さ

れ各種試験が実施された。そして1967(昭和42)年に

これら試験に基づき改良設計が行われ、DML30HSB

となり、試作車10両が完成し、同年10月から名古屋・

長野間の急行として営業運転に入った。引続き、新形

気動車、キハ181系が従来のキハ82系の後継として誕

生し、1968(昭和43)年10月の白紙ダイヤ改正時に中

央西線の特急「しなの」として投入された。そして、

特急「しなの」に続いて「つばさ」「おき」「やくも」

「南風」「しおかぜ」などが新設された21。

機関は試作車の使用実績に基づいて、改良形

DML30HSCを搭載した。しかし、運転開始早々トラ

ブルが続出し、機関関係では、エンストやガスケット

からのガス漏れなどが多発し、やがてDML30HSE形

に改良されていく22。

DML30HS系のクランク軸(図5.13)は、ジャーナ

ルがクランクアームと兼用になっており、ころがり軸

受が使用されている。そしてクランクアームの厚みの

中心で各スローが締め合わされており、クランク室は

コロ軸受でクランク軸を支えるトンネル構造であり、

機関全長を大幅に短縮した。しかし、クランクアーム

の締め合わせ面がフレッティングを起こす不具合があ

り、一体型に設計変更された23。

DMF15Hシリーズは1977(昭和52)年に開発された

普通列車のキハ40系に、220PS/1600rpmのDMF

15HSA型として採用された。これは、DMF15HZAの

空気冷却器を外して、出力を下げたものである。しか

しキハ40系は、車両重量が重かった割に、機関出力が

小さかったため速度が低く、のちに空気冷却器を付け

て出力を上げたり、大出力機関への換装で増強を図っ

たが十分な成果が得られず、1960年代の車両であるキ

ハ52形(DMH17H 180PS 2基搭載)がなかなか現役を

退けない原因にもなった。

5.2.8 民営化移行期の気動車

国鉄の民営化が行われた1987(昭和62)年に向けて、

いくつかの動きがあった。そのひとつとして、1986

(昭和61)年11月の国鉄最後のダイヤ改正からキハ185

系が登場した。軽量ステンレス製の特急気動車で、新

型の直噴型ディーゼル機関DMF13HS(250PS/

1900rpm)が2基搭載された。民営化後のJR四国、JR

九州に継承され幹線の特急用として使用されている。

本機関は、1983(昭和58)年に完成したキハ37形に初

めて直噴形として搭載されたDMF13S(230PS/

1900rpm)型機関を横型にして出力アップしたもので

ある。これまでの国鉄制式機関ではなく、新潟鉄工所

が船舶用と気動車用兼用で開発した機関であり、国鉄

制式からの離脱が民営化の時期と奇しくも一致した。

形式

DMH17H

DMF15HZC

DML30HSC

口径 mm

130

140

140

行程 mm

160

160

160

気筒数

8

6

12

出力 PS

180

300

500

回転数 rpm

1500

1600

1600

Pme kg/cm2

6.4

11.4

9.5

Cm m/s

8.0

8.5

8.5

表5.5 横形機関の新旧比較

図5.12 DML30HSC形ディーゼル機関(石井幸孝「新しい国鉄ディーゼル動車用水平機関」

内燃機関1966年8月)

図5.13 DML30HSC形クランク軸(石井幸孝「新しい国鉄ディーゼル動車用水平機関」

内燃機関1966年8月)

60 国立科学博物館技術の系統化調査報告 Vol.12 2008.March

そしてこのシリーズ機関は1986(昭和21)年から製

造され、のちにJRに移管されたJR九州のキハ31形、JR

四国のキハ32形に1台/両、そしてJR北海道のキハ54形

500番台に2台/両が搭載されて、ローカル線の普通列

車にそれぞれ使用されている。

5.2.9 振子気動車

振子車両は曲線部での速度を維持するための車両構

造で、台車と車体の間にコロまたはベアリングを挿入

して、曲線部で発生する遠心力が台車に伝わるのを緩

和するように考えられた構造である。欧州では1955

(昭和30)年頃から研究が始められたが実用には至ら

ず、日本で1973(昭和48)年に381系電車が、中央西線

の長野・名古屋間の特急電車「しなの」として世界初

の振子車両として登場し、大幅な時間短縮に貢献した。

1989(平成元)年、JR四国が開発したディーゼル振

子車両2000系が登場した。こう配と曲線の多い土讃線

のスピードアップを狙ったもので、乗り心地が悪かっ

た従来の自然振子式から曲線の前後で徐々に傾斜をさ

せる制御付自然振子式と呼ばれる方式を採用した。車

両は富士重工が製作し、機関はコマツが開発した

SA6D125H形(330PS)が採用された。

振子気動車は1994(平成6)年と1997(平成9)年に

それぞれデビューしたキハ281系、キハ283系に継承さ

れJR北海道の幹線特急用として130km/hを実現した。

機関はコマツの同一モデルを350PSにアップしたもの

を採用した。

5.2.10 JR各社の気動車

1988(昭和63)年、JR東海は軽量ステンレス製で大

きな窓を設けた新型特急キハ85系を登場させた。機関

は戦後初めてとなる外国製で、カミンズNTA855-R1形

(JR名称C-DMF14HZ)水平形直墳350PS/2000rpm 2基

で、最高速度120km/hを出した24。また、1989(平成

元)年に、ローカル線用としてキハ11形気動車をカミ

ンズC-DMF14HZ形330PS/2000rpmを1基搭載して完成

した。そして急行用として1993(平成5)年に完成し

たキハ75形には85系と同じ機関350PS 2基を搭載した。

JR東日本では、1990(平成2)年にローカル線のスピー

ドアップのためキハ100系を運用開始した。機関はコ

マツDMF14HZ(SA6D125H)と新潟DMF13HZの

330PSが搭載された。そして急行用への転用を意図し

たキハ110形は新潟DMF13HZAとカミンズDMF14HZ

(NTA855-R4)の420PS/2000rpmが使用された。

1997(平成9)年にJR北海道が運用開始したキハ201系

は近郊電車と同性能でかつ協調運転ができる気動車と

いう条件で設計され、機関は新潟のN-DMF13HZE形

450PS 2基搭載で130km/hを達成した。

JR四国では、振子気動車2000系が完成した1989(平

成元)年にローカル線の高速化、近代化のために1000

形気動車も完成した。機関はコマツSA6D125H-1形

400PS/2000rpmとなり増強された。

JR西日本では京阪神から山陰に至る路線の一部を持

つ智頭急行が、1994(平成6)年に完成させたHOT

7000系振子気動車の運用を受託した。JR四国の2000系

を踏襲したが、機関は同一機種で出力のみ350PSにア

ップした。2001(平成13)年には、急こう配、急カー

ブの多い山陰線の高速化のため、キハ181系の代替用

としてHOT7000の流れをくむ振子気動車キハ187系を

完成した。機関はコマツSA6D140H形450PS/2100rpm

2基が搭載された25。これら機関の要目を表5.6に示す。

形式

新潟 DMF13HS

新潟

DMF13HZ

新潟 DMF13HZA

新潟 DMF13HZE

コマツ SA6D125H

コマツ SA6D125H-1

コマツ

SA6D125H-1

コマツ SA6D140H

カミンズ NT855-R1 C-DMF14HZA

カミンズ NTA855-R4

口径 行程 mm

130 160 130 160

130 160

130 160

125 150

125 150

125 150

140 170

140 152 140 152

出力PS 回転数 rpm

250 1900

330 2000

420 2000

450 2000

330 2000

350 2000

400 2000

450 2000

350 2000 420 2000

主な搭載車両 (台/両)

キハ185(2) キハ31、32(1) キハ54(2)

キハ100(1)

キハ110(1)

キハ201(2)

2000(2)

HOT7000(2) N2000(2)

キハ281、283(2)

1000(1)

キハ187(2)

キハ85(2)

キハ110(1)

Pme kg/cm2 Cm

9.3 10.1 11.6 10.7

14.8 10.7

15.9 10.7

13.4 10.0

14.2 10.0 16.3 10.0

17.5 11.3

11.2 10.1 13.5 10.1

6 6

6

6

6

6

6

6

6 6

気筒数

表5.6 民営化後のディーゼル機関要目

614サイクルディーゼル機関の技術系統化調査

1「わが国鉄道における内燃機関発達史(6)」 神代邦雄

内燃機関 1972年12月 P91

2「日本のディーゼル機関車 国鉄DL 40年のあゆみ」

駒澤信勝 鉄道ジャーナル 2006年9月 P63

3「わが国鉄道における内燃機関発達史(6)」 神代邦雄

内燃機関 1972年12月 P92

4「新潟鉄工所百年史」1996年3月 P93

5「わが国鉄道における内燃機関発達史(7)」 神代邦雄

内燃機関 1973年1月 P75

6「神船ディーゼル75年のあゆみ」1992年9月 P25

7「国鉄ディーゼル機関の開発と現状」長谷川一夫 内燃

機関 1974年11月 P22

8「わが国鉄道における内燃機関発達史(8)」 神代邦雄

内燃機関 1973年2月 P74

9「わが国鉄道における内燃機関発達史(8)」 神代邦雄

内燃機関 1973年2月 P75

10 「国鉄ディーゼル機関の開発と現状」長谷川一夫 内燃

機関 1974年11月 P27

11 「わが国鉄道における内燃機関発達史(9)」 神代邦雄

内燃機関 1973年3月 P93

12 「車両用DPM81Z形ディーゼル機関」副島廣海 内燃機

関 1970年5月 P39-46

13 「北海道のディーゼル機関車」鶴通孝 鉄道ジャーナル

2006年9月 P32

14 「わが国鉄道における内燃機関発達史(2)」 神代邦雄

内燃機関 1972年8月 P67

15 「わが国鉄道における内燃機関発達史(2)」 神代邦雄

内燃機関 1972年8月 P68

16 「わが国鉄道における内燃機関発達史(3)」 神代邦雄

内燃機関 1972年9月 P89

17 「わが国鉄道における内燃機関発達史(3)」 神代邦雄

内燃機関 1972年9月 P90

18 「わが国鉄道における内燃機関発達史(4)」 神代邦雄

内燃機関 1972年10月 P102

19 「名列車列伝シリーズ4」イカロス出版 1998年5月 P78

20 「新形気動車用ディーゼル機関と液体変速機」真野�

内燃機関 1977年8月 P25-35

21 「名列車列伝シリーズ4」イカロス出版 1998年5月 P93

22 「国鉄車両用DML30HSH形ディーゼル機関」堀田公郎

内燃機関 1975年9月 P41-47

23 「新しい国鉄ディーゼル動車用水平機関」石井幸孝

内燃機関 1966年8月 P27-33

24 「JRのディーゼル特急」鉄道ジャーナル 2007年7月 P38-41

25 「振子式ディーゼル特急スーパーはくと」鉄道ジャーナ

ル 2007年7月 P27-37

62 国立科学博物館技術の系統化調査報告 Vol.12 2008.March

これまで、4サイクルディーゼル機関を中心に、そ

の利用分野別に発達過程を見てきたが、本章では機関

の種類を下記のように分類し、それぞれについてその

発達過程を見ていく。

①4サイクル低速機関

②4サイクル中速機関

③4サイクル高速機関

おおむね、シリンダ口径が230~500㎜、回転数が

400~200rpm、平均ピストン速度Cmが5~7m/sくらい

の範囲の機関を指す。各種漁船や内航船の主機として、

わが国独自で発展してきた分野で、諸外国には存在し

ない分野である。しかし、ディーゼル機関の初期のも

のは上記低速機関の範囲に入ることを考えると、この

分野はディーゼル機関の源流ともいえる。

わが国でこの分野が発展したきっかけは、1940(昭

和15)年に、日本海軍の要請で制定された海務院型舶

用機関であった。特に、終戦後機関メーカーでは製造

設備の不備や要員の不足で機関の製造に支障を来して

いたので、この標準型の図面や仕様の提供は非常に大

きな助けとなった。表6.1に海務院型のうち、比較的

多く各社が採用した型式を示す。

昭和20年代後半に、過給機が普及してくると、海務

院型の主要目をベースにしながらも、次第に各社独自

の仕様に変化していく。そして、昭和30年代に入ると、

各社が大型機関の開発に着手する。代表的なものが、

1956(昭和31)年の赤阪鉄工KD6SS(6気筒、口径

470mm、1700PS)や1957(昭和32)年の阪神6TS型

(6気筒、口径490mm、2100PS)などで主に大型まぐ

ろ漁船などに使用された。これらの機関の正味平均有

効圧力Pmeは9~10kg/cm2位であった。

昭和40年代には、更なる出力向上の研究が進み、そ

れまでの2弁式(給気弁、排気弁各1個)にかわって、

中速機関と同じ4弁式(給気弁、排気弁各2個)として、

過給機、空気冷却器付きと組み合わせてPmeの向上を

図った。1967(昭和42)年、日本舶用機器開発協会の

委託により、赤阪、阪神の2社が共同でUHS27/42型

(6気筒、口径270mm、1000PS)機関の開発に成功し

た。Pmeはそれまでのレベルを大幅に超え16kg/cm2に

達した。これを契機に各社が4弁式高過給機関を競っ

て開発し、昭和40年代後半にはPmeが18~20kg/cm2時

代に突入する。

二度の石油ショックを経て、低燃費、低質燃料油対

応、取扱いの容易性が強く求められた結果、昭和50年

代は、低速機関にとって大きな転機をむかえた。各社

のとった対応策は次のようなものだった。

①ロングストローク化

②高Pmax(燃焼最高圧力)化

③2弁式でかつ弁箱型給排気弁(シリンダヘッドの

分解なしで弁の保守ができる構造)

④清水高恒温冷却

1976(昭和51)年、松井鉄工はMS245GSC型(6気

筒、口径245mm、行程470mm、1000PS/420rpm)機

関を開発した。行程口径比(S/D比)が1.92とそれま

での1.5~1.6を大幅に上回るロングストローク機関だっ

た。燃費152g/PShはこのクラスでは5~6%の改善で

6 機関種類別の発達過程

4サイクル低速機関6.1

型式

4-22

6-25

6-37

気筒数

4

6

6

口径 mm

220

250

370

行程 mm

360

380

520

出力 PS

120

250

650

回転数 rpm

400

380

320

Pme kg/cm2

4.9

5.3

5.5

Cm m/s

4.8

4.8

5.5

表6.1 代表的海務院型機関の要目

型式

新潟 M6DS

赤阪 KD6SS

阪神 6TS

気筒数

6

6

6

口径 mm

370

470

490

行程 mm

520

670

700

出力 PS

900

1700

2100

回転数 rpm

320

250

250

Pme kg/cm2

7.5

8.8

9.6

Cm m/s

5.5

5.6

5.8

表6.2 過給機付機関の要目(昭和30年代)

型式

赤阪阪神 UHS27/45

松井 MS245GSC

阪神 6EL32

赤阪 A31

新潟 6M31BLT

口径 mm

270

245

320

310

310

行程 mm

420

470

640

600

600

出力 PS

1000

1000

2200

1800

1800

回転数 rpm

390

420

280

290

290

Pme kg/cm2

16.0

16.1

22.9

20.6

20.6

Cm m/s

5.5

6.6

6.0

5.8

5.8

6

6

6

6

6

気筒数

表6.3 昭和40年代以降の高過給機関の要目

634サイクルディーゼル機関の技術系統化調査

あり、低回転による推進効率の改善とあわせ省エネに

大いに貢献した。1980(昭和55)年に、阪神6EL32型

(口径320mm、行程640、S/D比2.0)、赤阪A31型(口

径310mm、行程600、S/D比1.94)はいずれもロング

ストロークであるばかりでなくPmeが20kg/cm2を超え

る低燃費高過給機関でもあった。

昭和60年代から平成時代にかけて、環境に対する厳

しい目が向けられ、とりわけ排気ガスの環境への影響

を少なくすることが求められた。低速機関は舶用用途

が主であることから、国際海事機関(IMO)が定めた

大気汚染防止条約に基づき窒素酸化物(NOx)の排出

濃度の規制を受けるようになり、燃料噴射系や給排気

系などの改善によりこの規制に通るよう対処している。

戦後の低速機関の主要諸元の推移を振りかえってみ

る。まず、正味平均有効圧力Pmeの変遷を図6.1に示

す。戦後50年で約5倍となっていることがわかる。

次に図6.2に平均ピストン速度Cmの変遷を示した。

昭和50年代から6m/sを超えるものが現われ、その後

かつての中速機関の領域だった7m/sを超えるものが

あらわれ現在に至っている。戦後50年でのCm上昇率

は25~30%とみることができる。

図6.3に燃料消費率の推移を示した。第1次石油ショッ

クの1973(昭和48)年のあとに140g/PSh台を達成し

たものが出てきて急速に低燃費化が進んだ。戦後50年

間で、20~25%の改善が達成された。これは正味熱効

率で約10ポイントの上昇に相当する。

中速・高速機関を区分する明確な定義はないが、こ

こでは回転数1000rpm以下、平均ピストン速度Cm7.5

~10.0m/sを中速機関とする。中速機関と呼ばれる機

関が出現したのは、戦後舶用主機に減速機が使用され

たことが契機になったと推測される。ここでは世代を

3つに区切ってその発展のようすを見てゆく。

6-2-1 第一世代の中速機関(1945-1964年)

戦時ドイツのMAN社で潜水艦Uボート主機として開

発された、M9V40/46型機関はわが国にも図面が提供

され日本海軍の艦本26号9形として制定されたが、終

戦を迎え日の目を見なかった。戦後MAN社を退職し

て故郷のフランスに帰ったピールスティック(G.

Pielstick)はSEMT社を設立し、この機関をベースに

PC1型機関を開発した。この機関はPC2型になってか

ら、日本の石川島播磨(現IHIおよびディーゼルユナ

イテッド)、日本鋼管(現JFEエンジニアリング)、富

士ディーゼルの3社が1964(昭和39)年技術提携して

製作することになる。そしてMANの中速機関R(V)

V40/54型は三菱横浜と川崎重工で製作され日本の舶

用、陸用市場に多数納入された。新潟鉄工では、1962

(昭和37)年に漁船用ギヤード機関第1号の6MG18型を

納入、引き続き中速機関の開発が行われ、L(V)40X

型などが各種用途に納入された。一方1962(昭和37)

年ダイハツでもギヤード機関として6PSTbM-26D型が

納入された。表6.4にこれら中速機関の要目を示す。

図6.1 正味平均有効圧力Pmeの変遷

図6.2 平均ピストン速度Cmの変遷

図6.3 燃料消費率の推移

4サイクル中速機関6.2

64 国立科学博物館技術の系統化調査報告 Vol.12 2008.March

6-2-2 第二世代中速機関(1965-1984年)

舶用主機として、2サイクル機関との競争が激化す

るなか、4サイクル機関は大型化に向かった。1968

(昭和43)年、MAN はVV52/55(1000PS/cyl.)を、

1972(昭和47)年、SEMTは石川島播磨と共同でPC4

型(1500PS/cyl.)を開発した。スイスSulzerは2サイ

クルの中速V型機関Z40型を4サイクルの対抗としてき

たが同じ口径・行程の機関を4サイクルにモデルチェ

ンジして新たにZ40/48型として1970年代後半にデビュー

した。

国内でも大型化の開発が行われ、三井造船では1970

年代後半にV60M(1500PS/cyl.)を、さらにV42M

(750PS/cyl.)を開発して広範囲の出力に対応した。

中型では、ダイハツのDS32型(450PS/cyl.)や新潟が

SEMTと共同開発したPA5型(300PS/cyl.)が市場に

投入された。この時期の代表的な機関の要目を表6.5

に示す。

6-2-3 第三世代中速機関(1985-2000年)

中速機関は、2サイクル機関と大型船主機の首座を

争ってきたが、1980年代に入って、2サイクル機関が

低燃費を実現し、次第に優勢になってきた。その結果、

中速の大型機関は特定の船舶、フェリー、RORO船、

クルーズ船や陸用機関などに焦点を絞って開発を進め

ることになった。そして、ロングストローク化やV型

から列型への変換、さらに低燃費、低NOxを両立させ

ることが大きな課題となった。SEMTではPC20L、

PC40L、MANではL58/64 など列型シリーズが開発さ

れた。フィンランドWärtsiläでは32型の上位機種とし

て、同社として最大の機種となる46型機関を開発して、

陸用及び舶用分野への進出を図った。

国内では新潟がV32CXで陸用市場に参入を図るとと

もに、それに続くHXシリーズとしてV46HX型、

V41HX型の大型のほか、HLXシリーズとして22、28及

び34型を開発した。このHLXシリーズはPme25kg/cm2

(2.45MPa)、Cm10m/sと世界最先端を行く水準だった。

また、NOxに関しては船舶の国際条約基準を満たすの

はもちろんのこと、地域ごとの規制に準拠するよう一

層の低NOx化が図られた。

正味平均有効圧力Pmeは無過給の5~5.5kg/cm2から

最新のもので27kg/cm2まで約5倍に上昇しており、戦

後50年で大きな発展を遂げたことを物語っている。平

均ピストン速度Cmは中速機関だけに最初から8m/sク

ラスのものもあったが、概ね6m/s以下であったこと

から、1.5~2倍程度に上昇していることがわかる。

型式

IHI、NKK、SEMT PC2

三菱、川崎MAN R(V)V40/54AL

新潟 L(V)40X

ダイハツ PSTbM-26D

三井、日立B&W 26-MTBF-40(V)

気筒数

6-18

5-18

6-18

6,8

5-16

口径 mm

400

400

400

260

260

行程 mm

460

540

520

320

400

出力 PS/cyl.

465

500

500

116

180

回転数 rpm

500

400

400

680

600

Cm m/s

7.7

7.2

6.9

7.3

8.0

Pme kg/cm2

14.5

16.6

17.2

8.6

12.7

表6.4 第一世代の中速機関の主要目

型式

三菱、川崎 MAN VV52/55

IHI、NKK、SEMT PC4V

三井 LV42M

日立、住友、Sulzer Z40/48

ダイハツ DS-32

新潟 SEMT PA5

気筒数

12-18

12-18

6-18

6-18

6,8

5-18

口径 mm

520

570

420

400

320

255

行程 mm

460

540

520

320

400

270

出力 PS/cyl.

1000

1500

750

750

400

300

回転数 rpm

430

400

500

512

600

1000

Cm m/s

7.9

8.3

7.5

8.5

7.6

9.0

Pme kg/cm2

17.9

21.3

20.4

20.4

19.6

19.6

表6.5 第二世代の中速機関の主要目

型式

三菱、川崎 MAN L58/64

IHI、NKK、SEMT PC40

Wartsila 46

Wartsila-Sulzer ZA40S

新潟 34HLX

ダイハツ DKM-36

気筒 数

6-9

6-9

6-18

6-18

6-18

6,8

口径 mm

580

570

460

400

340

360

出力kW/cyl PS/cyl.

1400 1903

1214 1650

1050 1428

750 1020

552 750

552 750

回転数 rpm

428

350

500

510

600

600

Pme MPa kg/cm2

2.32 23.7

2.17 22.2

2.62 26.7

2.51 25.6

2.43 24.8

2.26 23.0

Cm m/s

9.1

8.8

9.7

9.5

10.0

9.6

行程 mm

640

750

580

560

500

480

表6.6 第三世代の中速機関の主要目

図6.4 正味平均有効圧力Pmeの変遷

654サイクルディーゼル機関の技術系統化調査

燃費に関しては、先に見た低速機関と同じく、過給

機の装着により大きく低減したのちも種々の対策で、

改善が続けられ、1990年代後半には遂に130g/PShを

切るものが出現した。戦後50年における改善幅は30%

に達し、正味熱効率の改善幅に換算すると12~13ポイ

ントに相当する。

高速機関には大きく分けて2つの分野がある。ひと

つははん用機関と呼ばれる小出力、少気筒、小口径の

ものでポンプ駆動、農業機械、小型船舶などで使われ

るもので、世界的に見てもわが国が技術的にも生産量

的にもトップの座にある分野である。もうひとつは主

に高速船の推進用に使用される比較的大型の高速機関

であり、3-1-3高速船や3-4艦艇用ディーゼル機関でも

取り上げたものである。本稿では、対象分野の関係か

ら後者の高速機関について記述する。

高速ディーゼル機関は艦艇、官庁船、民間船などの

用途に使用されてきた歴史を持ち、ドイツのダイム

ラーベンツやマイバッハなどがルーツと思われる。米

国でもゼネラルモーターズのディーゼル部門が高速機

関を世界に供給してきた。一方わが国でも日本海軍が

魚雷艇用に開発した艦本61号などは戦後の高速機関に

継承された。これらには、2サイクル、4サイクル機関

の両方があるが、機関の高速化、高出力化に伴って次

第に4サイクルに集約されていった経過がある。

図6.7に4サイクル高速機関の出力率(PmeとCmの

積でピストン面積あたりの出力を示すもの)の変遷を

示す。第一世代と第三世代では出力率で約2倍の差が

あることを示している。

第三世代の各種類別の出力率を比較してみると、

低速機関 23.0×7.3=168 kg/cm2×m/s

中速機関 27.0×11.0=297 kg/cm2×m/s

高速機関 25.5×12.1=307 kg/cm2×m/s

と中高速機関がほぼ300(kg/cm2×m/s)に達してい

るのに対し低速機関は170クラスにとどまり、歴然と

した差が出ている。低速機関は平均ピストン速度が高

くとれないことのほか、2弁式のため給排気の交換が4

弁式に比べ不利なため正味平均有効圧力Pmeが低めで

あることが影響している。

図6.5 平均ピストン速度Cmの変遷

図6.6 燃料消費率の推移

4サイクル高速機関6.3

図6.7 4サイクル高速機関の出力率変遷

66 国立科学博物館技術の系統化調査報告 Vol.12 2008.March

燃料噴射系のなかで、燃料をシリンダ内に噴霧する

燃料噴射弁と高圧の燃料を作る燃料噴射ポンプについ

て、技術の発達過程を調べてみる。

7-1-1 燃料噴射弁

燃料噴射弁は圧縮された燃焼室のなかに液体燃料を

微粒化して噴くもので、噴射の3要素として霧化

(Atomiza t i on)、分布(Dis t r ibu t i on)、貫通力

(Penetration)を備えたものでなければならない。

タイプは図7.1に示すように、ピントル型(A)(B)、

スロットル型(C)、単孔型(D)、多孔型(E)などに

分けられるが、いずれも一定圧(開弁圧)以上で開き、

一定圧(閉弁圧)以下で閉じる自動弁である。

ピントルノズル、スロットルノズルはいずれも針弁

の周囲の環状すきまから燃料を噴くが、ピントルノズ

ルが最初から流量が確保されるのに対し、スロットル

ノズルは開き始めの噴射量を抑えている。どちらも、

副燃焼室(副室)に使用される。

単孔型はほとんど使用されず、多孔型は直噴型のあ

らゆる機関に使用される最もポピュラーなものであ

る。直噴型が口径100mm以下の小型機関にまで適用

されている現在では、ごく小型機関を除いてほとんど

が多孔型といって良い。

噴射弁の技術的発達は、構造面よりも過酷な使用環

境への対応であり、初期の無気噴射で20~30MPaだっ

た噴射圧が120~150MPaまで上がったこととC重油の

ような粗悪燃料に如何に耐えるかであり、材質、熱処

理、工作技術の進歩がこれらを解決したといえる。

7-1-2 燃料噴射ポンプ

ルドルフ・ディーゼルが運転に成功したディーゼル

機関は、圧縮空気を使って燃料を霧化する空気噴射式

だったが、圧縮空気を作るのに出力の10%程度の動力

が必要であったこともあり、後の研究者は燃料を直接

噴射する方法を盛んに実験研究した。

クロックナー・フンボルト・ドイツ(KHD社)が

考案したスピール型と呼ばれるもの(図7.2)は、プ

ランジャで加圧した燃料を噴射弁に送り込む際、偏心

軸を介してスピール弁から燃料を解放することで噴射

量の制御をする方法だった。また、噴射始めの調整は、

プランジャの下部に設けた噴射時期加減弁で行うこと

ができた。この型の噴射ポンプは主に大型機関を中心

に、1960年代まで使用されていた。

ロバート・ボッシュが考案したいわゆるボッシュ式

噴射ポンプは、スピール弁を使わない自動逃がし機構

付ポンプで、構造が簡単で応答性も良いため、高速機

関に適していた(図7.3)。プランジャの上端より吸い

込んだ(A)燃料を加圧した後(B)、斜めの切欠き溝

の上縁が吸入ポート下縁と一致した瞬間に、圧力が解

放され(C)噴射を終わる。プランジャの縦溝が吸入

ポートにかかっていると(D)圧力が立たず、無噴射

となる。負荷に応じて適切な噴射量がガバナからの出

力で制御される。

この方式が発明されるや否や、世界中に急速に広まっ

た。日本ではヂーゼル機器(現ボッシュ)がロバー

ト・ボッシュのライセンスを取得して、製作販売した。

本発明はディーゼル機関の発展に計り知れない貢献を

し、今日まで噴射ポンプのベストセラーの地位を保ち

続けている。そして、機関のサイズや燃料の種類(軽

7 主要関連技術の発達過程

燃料噴射系7.1

図7.1 燃料噴射弁の種類(仲谷新治「ディーゼル機関講義中巻」より)

図7.2 スピール型噴射ポンプ(KHD社考案)(仲谷新治「ディーゼル機関講義中巻」より)

674サイクルディーゼル機関の技術系統化調査

油、重油、灯油、バイオ燃料など)を問わず、ほとん

どあらゆる分野のディーゼル機関に利用されている。

7-1-3 ユニットインジェクタ

噴射ポンプと噴射弁をつなぐ噴射管が長くなると、

圧力波が発生し噴射系に乱れが出たり、噴射遅れが生

じたりする不都合があるので、噴射管を極力短くする

工夫がされてきた。その究極は、噴射ポンプと噴射弁

を合体したユニットインジェクタであり、管継手から

の燃料の漏洩や管そのものの破損が解消される。上部

が噴射ポンプ、下部が噴射弁で燃料は直接送油される。

米ゼネラルモーター社が開発し、のちにそのディー

ゼル部門が独立してできたデトロイトディーゼル社

(DDC)に引き継がれた。構造上、頭上カム(OHC)

とともに使用され、自動車用を含め高速機関に多く使

用されている。

7-1-4 コモンレールシステム

全盛を誇ったボッシュ式噴射ポンプにも限界があ

り、低負荷(低回転)になるほど噴射圧が下がること

で良質の噴射が得られないことと2000気圧(200MPa)

級の超高圧は構造的に難しくなることなどである。こ

れらを一挙に解決し、かつ噴射タイミングを任意に制

御するシステムがコモンレールシステムである。高圧

ポンプで昇圧した燃料をコモンレールと呼ばれる蓄圧

管に蓄えておき、噴射弁に接続して任意のタイミング

で噴射を電子制御する。

自動車用の小型機関に比較的早く採用され、次第に

舶用など大型にも拡大し近年は2サイクル舶用低速機

関にも適用されている。さらに、4サイクル機関にも

適用され始めており、種々のサイズの機関への適用が

進んでいくと思われる。

機関メーカーと噴射装置メーカーの共同開発で生ま

れたものが多く、デンソー、ボッシュ(Bosch)、デ

ルファイ(Delphi)などが本システムを提供している。

近年、ディーゼル機関に対する環境対策が一段と強く

要求され、燃費(CO2)を維持したままでNOx、微粒子

(PM)を削減が求められているが、コモンレールシステム

は特にPM削減に大きく寄与することが確認されている。

7-2-1 過給機の発明と普及

過給機には機械式と排気タービン式があり、前者は

クランク軸で空気圧縮機を駆動するもので、スーパー

チャージャとも呼ばれ、最初は主として航空用ガソリ

ン機関の高度性能を維持する目的で使用された。後者

は機関の排気ガスエネルギーで空気圧縮機を駆動する

ものでターボチャージャともよばれ、スイス人ビュッ

ヒ(Alfred J. Buchi)によって、1905年に発明された。

図7.3 ボッシュ式噴射ポンプ(長尾不二夫「内燃機関講義上巻」より)

図7.4 ユニットインジェクタ(長尾不二夫「内燃機関講義上巻」より)

図7.5 コモンレールシステム(デンソー技術資料より)

過給機7.2

68 国立科学博物館技術の系統化調査報告 Vol.12 2008.March

その構造は図7.6に示されるように、タービンの内部

に往復動機関を内蔵した複動機関である。

ディーゼル機関に、排気タービン過給機が利用された

のは、スイスのブラウンボベリ社(BBC 現ABB社)、英

国ナピア社、ドイツMAN社などが過給機を製造しはじ

めた1920年代からである。その基本原理を図7.7に示す。

三井造船では1931(昭和6)年に「那智山丸」主機4

サイクル855MTBF100型に過給機を装着した1。そして、

1936(昭和11)年、新潟鉄工はBBCから過給機を購入

し、2サイクル機関T6YB型350PSに装着した2。さらに、

横浜船渠(現三菱重工横浜)は、1939(昭和14)年に

台湾総督府向「開南丸」主機G6V28.5/42型(500PS/

375rpm)にわが国初の国産過給機を搭載した3。

7-2-2 戦後の過給機関

戦後の混乱期を過ぎたころから、過給機に対する重

要性が再認識され、1952(昭和27)年新潟鉄工は英国

ナピア社から過給機を購入して、鮪魚船「福洋丸」主

機M6F28S型550PSと愛知県水産高校練習船「晴和丸」

主機M6DS型900PSに取付け好成績を収めた4。

三井造船は提携先のB&Wが開発した過給機を装着し

て、1952(昭和27)年、陸用発電用に4サイクル過給機

関425MTBS40型300PSを納入した。そして1953(昭和28)

年「有馬山丸」換装主機B&W774VTBF160型(8200PS/

115rpm)を完成した。これはわが国で初めての2サイク

ル過給機関である。続いて「榛名山丸」向974VTBF160型

のほか、艦艇用として1956(昭和31)年、「はやぶさ」主

機に1222VBU34V型2000PS、「いなづま」主機に950VBU

60型6000PSのいずれも2サイクル機関を搭載した5。

三菱神戸は1953(昭和28)年、陸用RCD8A型780PS/

360rpmで陸用として初めての過給機付きディーゼル

機関を納入した6。

阪神内燃機は1953(昭和28)年、6NS型400PSを初

の過給機関として完成した7。

池貝鉄工は1954(昭和29)年、鮪漁船「琴平丸」に6-

37型800PSを三菱横浜製の過給機を付けて完成した8。

これらの過給機関の要目を表7.1に示す。

7-2-3 排気慣性機関

過給機の普及が始まったころ、新潟鉄工では、斉藤

宗三らによって排気管内の排気脈動圧を応用した排気

慣性方式の研究が進められ、1954(昭和29)年その初

号機として、M6F26R型350PSが完成し、漁船「第3共

進丸」に搭載された。出力は15~20%増し、燃費は5

~10%低減するという画期的なものだった。理論的に

は、気筒数に関係なく利用することができたが、最も

ポピュラーな6気筒機関に適用することが多く、過給

機が普及するまでの間、数百台に適用された9。その

原理を図7.8に示す。

図7.6 ビュッヒが特許を受けた複動機関(ターボシステムズユナイテッド(TSU)社提供)

図7.7 排気タービン過給機の基本原理(TSU社提供)

船名 (納入先) 納入年

那智山丸 1931

開南丸 1939

椿本チェーン 1952

有馬山丸 1953

榛名山丸 1953

福洋丸 1952

晴和丸 1953

琴平丸 1954

はやぶさ 1956

いかづち 1956

メーカ 型式

三井B&W 855MTBF100

三菱横浜MAN G6V28.5/42

三井B&W 425MTBS40

三井B&W 774VTBF160

三井B&W 974VTBF160

新潟 M6F28S

新潟 M6DS

池貝 6-37

三井B&W 1222VBU34V

三井B&W 950VBU60

4

4

2

2

2

4

4

4

2

2

8

6

4

7

9

6

6

6

12

9

口径mm 行程mm 550 1000

285 420

245 400

740 1600

740 1600

280 420

370 520

370 520

220 340

500 600

出力PS 回転数rpm

1848 140

500 375

300 514

8200 115

11250 115

550 380

900 320

800 320

2000 800

6000 350

Pme kg/cm2 Cm m/s

6.2 4.7

7.6 5.5

7.0 6.9

6.5 6.5

7.1 6.5

8.4 5.3

7.5 5.5

6.7 5.5

7.3 9.1

9.9 7.0

サイクル

筒数

表7.1 初期の過給機関主要目

694サイクルディーゼル機関の技術系統化調査

また、鐘淵デイゼルはこれに刺激されて、6気筒の機

関で、吸気管を3気筒ずつの2組に分けて長さを適当に

選ぶことで、吸気の充填効率が高まる吸気慣性方法を

考案したが、排気慣性ほどの効果は得られなかった10。

7-2-4 過給機の技術提携と国産化

1951(昭和26)年、石川島重工業(現IHI)と芝浦

タービン(現IHK)は国産過給機IEG型、LA型を開発

した11(図7.9)。

三菱重工横浜では1956(昭和31)年に、2サイクル

のMAN型K3Z78/140試験機関で動圧過給方式を確立

し、実機では「佐渡丸」主機K9Z78/140C(1200PS/118

rpm、Pme=7.6kg/cm2)に初めて搭載した12。同じ年

三菱神戸では、スルザー7RSAD76型(9300PS/118rpm)

で、初めて過給機を装着した13。

1956(昭和31)年、新潟鉄工は英国ナピア社と技術

提携し翌年HP90型を完成した14。また1958(昭和33)

年、石川島重工はスイスBBC社と技術提携し、VTR型

などの過給機を生産開始した。

一方、三菱重工長崎では自社開発の2サイクル機関

用に1964 (昭和39)年にMET型過給機の開発に成功

し、「むらさき丸」に搭載して2年間の耐久試験を無事

故で完了した15。

これら、技術提携と国産技術の融合により過給機の空

力性能の改善、材料の開発が進みより高い圧力比、温度

に耐えられる製品の開発が進んでいく。そして、機関の

正味平均有効圧力Pmeは、4サイクル機関で8kg/cm2程度

から1960年代には20kg/cm2台へと飛躍を遂げる。

7-2-5 二段過給

Pmeが20kg/cm2を超えると排気温度や圧力比の点

で、過給機の限界が近づいてくる。したがって次のス

テップすなわちPme25kg/cm2級では、過給機を直列に

配置する二段過給が必要とされた。

三菱横浜では、早くから二段過給の開発に取組んで

おり、1954(昭和29)年に、MAN12V40/45型で

Pme25.3kg/cm2の試験に成功した16。

富士ディーゼルでは1969(昭和44)年に4サイクル

W6M26H型で初の二段過給の試験を行いPme25kg/cm2

の試験に成功した17。SEMT社では1970年代に、PC2-

5BTC型(850PS/cyl)の二段過給を発表し、日本のラ

イセンシIHI(現ディーゼルユナイテッド)は約20台の

二段過給機関を納入した。2サイクル機関の実用機は、

1975(昭和50)年三菱重工が開発した8UEC52/105E型

(10600PS)を神戸発動機が世界で初めて製作した18。

これらの機関は、出力増加率25~30%となり、1970

年代末ころまで製作されたが、その後過給機の高圧力

比が進み、一段過給でもPmeは4サイクルで25kg/cm2、

2サイクルで19kg/cm2程度まで出るようになり、二段

過給は姿を消すことになる。二段過給の概念図を図

7.10に、主要目を表7.2に示す。

図7.8 排気慣性の原理

図7.9 石川島製LA26型過給機(TSU社提供)

図7.10 二段過給の概念図(田山経二郎氏提供)

開発年

1954

1969

1978

1975

4

4

4

2

12

6

16

8

口径mm 行程mm

400 450

260 320

400 460

520 1050

出力PS 回転数rpm

9900 520

2120 750

13600 520

10600 175

Pme kg/cm2 Cm m/s

25.3 7.8

25.0 8.0

25.5 8.0

17.0 6.1

メーカ 型式

三菱横浜MAN 12V40/45

富士ディーゼル W6M26H

IHI SEMT 16PC2-5BTC

三菱長崎 8UEC52/105E

サイクル

筒数

表7.2 二段加給機関の主要目

70 国立科学博物館技術の系統化調査報告 Vol.12 2008.March

7-2-6 動圧過給と静圧過給

ビュッヒが最初に発明した過給機は動圧方式といっ

て、機関からの圧力脈動をそのまま過給機のタービン

翼に導くもので、排ガスエネルギを有効に利用する一

方法である。特に気筒数が3の倍数のときは、3気筒の

排ガスを1本の排気管に集合して過給機に導くと非常

に効率よくエネルギーを利用できるが、たとえば8気

筒の場合、4気筒ずつ1本の排気管にすると排気干渉が

おこり性能低下を来す。これを回避するために、2気

筒ずつ集合した2組の排気管を過給機の直前で結合す

るパルスコンバータ方式なども考案されたが、排気管

の配列は複雑になる難点があった。

これらの解決策として登場したのが、静圧過給方式

と呼ばれるもので、径の大きい集合管に一旦集めた排

ガスを過給機に導く方式で、文字通り平滑化された圧

力を伝えるものである。従来から、負荷変動の少ない

陸上機関ではこの方式が採用されたことはあるが、負

荷変動が多くかつ低負荷も用いられる舶用主機では不

向きだとされてきた。しかし、排気弁の啓開角度や排

気管の径を適切に選ぶことと2サイクル機関では低負

荷用の補助ブロアとの併用で、静圧過給の欠点を解決

した。

2サイクル機関では、三菱横浜が1963(昭和38)年に、

「宝永丸」主機MAN K7Z60/105C型(6300PS/165rpm)

に初めて採用した19。そして、1978(昭和53)年三菱重

工が開発した6UEC52/125H型(8000PS)を神戸発動機

がUE型として初めて完成し翌年に出荷した 20。

4サイクル機関では、1968(昭和43)年三菱横浜が

三菱化成直江津向の発電用MAN V7V40/54型18台に適

用したのが最初と思われる21。新潟鉄工では、1970

(昭和45)年に納入した岡山化成の発電用16V40X型11

台に適用した22。同じ年三菱横浜は阪九フェリーの

「フェリーせと」、「フェリーはりま」の主機V7V40/54

型に舶用として初めて静圧過給方式を採用した。また、

SEMT社はPC2-6型機関で、静圧過給の一種であるが

集合管の径を小さくしかつ枝管の断面形状を特殊にし

た方式を考案し、陸用と舶用の両方に多数納入した。

7-2-7 水冷過給機と無冷却過給機

初期の過給機は、タービンケーシングの排気ガスに

よる熱応力に対処するために、ケーシングを海水また

は清水で冷却していたが、燃料中の硫黄分によるガス

通路の硫酸腐食でケーシングの寿命が、2~3年と短い

ことが問題だった。そこで、過給機メーカー各社は無

冷却過給機の開発に取り組んだ。

三菱重工業では無冷却式のMET型過給機を1964(昭

和39)年に開発し、自社UE型機関のみならず、各機

関メーカーに納入しこの分野をリードした。MANは

大型のNA型と小型のNR型過給機を1980年代に開発し、

日本のライセンシー、三井、川崎、新潟を通じて国内

機関メーカーへ売込みを図った。無冷却型でやや出遅

れたBBC社(現ABB Turbo Systems)は1981(昭和56)

年に2サイクル機関として無冷却のVTR型過給機を、

また1990年代の後半に、大型のTPL型と小型のTPS型

を開発し、それまで高いシェアを維持してきた水冷過

給機VTR型の実績と知名度を武器に浸透を図った。

7-2-8 シーケンシャル過給

過給機の性能や過給方式の改善で、正味平均有効圧力

Pmeが上昇し高負荷における性能が良くなった代りに、

低負荷における性能が犠牲になることが多かった。低負

荷では大容量過給機を効率よく回すエネルギーが不足の

ため、過給機の性能が十分発揮できないことによる。

これを回避するため、大容量過給機1台を小容量過

給機2台に分けて、負荷によって1台と2台を使い分け

る方式が開発され、これをシーケンシャル過給という。

1990年代初めにMTUと新潟鉄工の高速機関で実施さ

れ、各種高速船に納入されている。本技術の最も難し

い点は、過給機入口の排気管通路の開閉をバルブで確

実に行うことであり、高温部だけに耐熱性がありかつ

確実な作動が要求されることであるが、現在では信頼

性のあるものが開発されている。

7-2-9 可変ノズル付過給機

シーケンシャル過給と同じ目的で、過給機の性能を

広範囲に維持するために、タービンの入口に設置され

ている静止翼(ノズル)の面積を負荷に応じて変える

のが可変ノズルと呼ばれるものである。この研究は

1970年代から過給機メーカー各社で行われていたが、

高温部に可動部分を設けることによる確実性、信頼性

の確証が得られず実用例はほとんどなかった。

しかし、2000年代になり過給度が一段と上昇したこ

とから、従来の固定ノズルでは低負荷性能が確保でき

なくなり可変ノズルの実用化研究が活発になった。

(図7.11)

特に陸用発電用ガス機関など空気量制御が必要な機

関においては、信頼性の評価も終り実用化されている

ものもある。舶用機関においては燃焼残渣の影響が大

きいため、実用化に向け引き続き試験評価が行われて

いる。

714サイクルディーゼル機関の技術系統化調査

ディーゼル機関は熱効率の優位性などから、熱機関

のなかでも確固たる地位を築いてきたが、環境に対し

ては負の影響を与えてきた側面もある。振動や騒音が

他の熱機関より大きいこともそのひとつであるが、こ

れらは実用的に問題ないレベルまで対策がとられてい

る。一方排気ガスに関しては窒素酸化物(NOx)、一

酸化炭素(CO)、炭化水素(HC)、粒子状物質

(Particulate Matter:PM)等の排出が問題であり、この

うちCOとHCはガソリン機関に比較すれば小さい。一

方、NOx、PMに関してはディーゼル機関の燃焼方式

と使用燃料性状に大きく依存している。すなわち高い

熱効率と粗悪重油の使用可能という経済効果と引き換

えに、これら有害物質の排出を余儀なくされている。

以下この二つの物質についての現状と課題について検

証してみる。

7-3-1 窒素酸化物(NOx)

NOxは燃焼中に空気中あるいは燃料中の窒素分が酸

素と結合することによって生成する。問題になるのは、

空気中の窒素がNOxに変換されるサーマルNOxで、こ

れは燃焼温度が高いほど、燃焼時間が長いほど生成量

が増えるため熱効率と負の相関(トレードオフ)とな

る。したがって4サイクル機関に比べ低速2サイクル機

関が高く、同じサイクルなら回転数の低いほうが高い

NOx値を示す。

我が国でNOxが社会問題になったのは、1970年に光

化学スモッグが初めて確認されたころで、以来自動車

を皮切りにNOx規制が始まり、固定型内燃機関には

1988(昭和63)年から、船舶に対しては国際航行船が

2000年(平成12年)から、内航船が2005(平成17)年

からそれぞれ規制が始まった。船舶のNOx国際規制は

二次、三次と強化されることが決定しており、沿岸に

適用される三次規制は一次の80%削減という大幅なも

のとなっており、機関単独で対処できる水準を超えて

いる。したがって、これをクリアするために脱硝装置

(排気ガス中のNOxを、触媒などにより化学的に処理

する装置)などの設置が必須となり、初期投資や維持

費用の負担が増えることになる。一方ディーゼル機関

の技術上の競争は、NOx排出量よりも燃費が対象にな

ることも予想され、再び1980年代の低燃費競争が激化

する可能性がある。

7-3-2 粒子状物質(PM)

従来、この物質はバス、トラックなどの自動車用デ

ィーゼル機関からの排出が問題となってきたが、近年

になって船舶からの排出が陸上にも影響を及ぼすとの

観点から関心が高まってきた。PMの種類として、ド

ライスート(固形状炭素)、可溶性有機成分(Soluble

Organic Fraction:SOF)、燃料中の硫黄分が酸化してで

きるサルフェート(Sulphate)があり、燃料成分や燃

焼の方法などで排出が決まってくる。

大都市圏のディーゼル車は2001(平成13)年から規

制を受けるようになり、ディーゼルパティキュレート

フィルター(DPF)の設置を義務付けられており、さ

らに2007(平成19)年に規制が強化されている。

船舶からのPMはわが国では現在、規制の対象には

なっていないが、欧州ではECボート指令で2005(平

成17)年から小型機関に適用された。PMの測定は精

密な質量計測を含めて専門的な技術が要求されること

から、船舶用機関で行う場合、工場や船上で測定する

場合の調査研究が始まっており23、今後測定方法の確

立とともにPM削減の手法が研究されていくものと考

えられる。

1「三井造船のディーゼル50年」1976年8月 P65

2「新潟鉄工所百年史」1996年3月 P87

3「三菱重工横浜製作所百年史」1992年2月 P513

4「新潟鉄工所百年史」1996年3月 P156

5「三井造船のディーゼル50年」1976年8月 P69

6「神船ディーゼル75年のあゆみ」三菱重工神戸 1992年3月

P26

7「ハンシン技術ニュースNo.33」1998年9月 P10

8「日本舶用発動機史」日本舶用発動機会 1959年7月 P126

9「排気慣性機関第1,2報」斎藤宗三 日本機械学会論文集

1963年2月

10 「日本舶用発動機史」日本舶用発動機会 1959年7月 P130

11 「日本舶用発動機史」日本舶用発動機会 1959年7月 P124

12 「三菱横浜製作所百年史」1992年2月 P520

13 「神船ディーゼル75年のあゆみ」三菱重工神戸 1992年9月

P26

環境対策7.3

図7.11 可変ノズル(MAN Diesel社提供)

72 国立科学博物館技術の系統化調査報告 Vol.12 2008.March

14 「新潟鉄工所百年史」1996年3月 P156

15 「舶用大形2サイクル低速ディーゼル機関の技術系統化調

査」田山経二郎 国立科学博物館 2006年 P219

16 「三菱重工横浜製作所百年史」1992年2月

17 「2段過給方式による高過給機関の開発について」

浅見与一他 MESJ 1974年6月 P63

18 「神船ディーゼル75年のあゆみ」三菱重工神戸 1992年3月

19 「三菱重工横浜製作所百年史」1992年2月 P520

20 「神船ディーゼル75年のあゆみ」三菱重工神戸 1992年3月

21 「三菱重工横浜製作所百年史」1992年2月 P515

22 「新潟鉄工所百年史」1996年3月 P156

23 「小型船舶用ディーゼル機関から排出される粒子状物質等

の測定方法に関する調査報告書」日本小型船舶検査機構

2004年3月

734サイクルディーゼル機関の技術系統化調査

本調査を通じて多くの知見が得られたし、新たな発

見もあった。それは同時に、今後の技術動向の方向性

を占うヒントにもなる。

まず船舶用の分野では、造船業の発展に牽引される

形で、ディーゼル機関が産業としての地歩を固める。

特に戦後20年くらいの間の、日本の復興の原動力とな

った造船業は、蒸気タービンからディーゼル機関への

転換の時期とも一致する。そして、2サイクル機関と4

サイクル機関は大型船の分野で激しい技術競争を展開

する。4サイクル機関が過給機付き、ギヤードディーゼ

ル、潤滑油消費などで、1960年代に優位を占めたが、

1970年代に2サイクル機関は、ロングストローク、低燃

費、低質燃料油対応などで4サイクル機関を次第に敗北

に追いやった。そして1980年からさらなるロングスト

ローク化と静圧過給の採用で確固たる地位を築いた。

この間、4サイクル機関も大口径機関600mm級の開

発を、世界の主要メーカーが手掛けたが結果的に2サ

イクル対抗機関としては成功していない。大型化する

船舶単機出力として、30,000PSクラスでは不足してい

たことと燃費も同等レベルだったからだ。ただ、4サ

イクル機関は舶用の中でも外航貨物船やタンカーを除

く他の分野では主流を占める。特にフェリー、クルー

ズ船、高速船など客船は4サイクル中高速機関が断然

多いし、漁船、作業船、官庁船、艦艇、内航貨物船な

どの分野でも4サイクルの低中速機関が主に使用され

ている。また、電気推進方式が次第に増えることは4

サイクル機関の需要を高めることにつながる。

舶用機関の発展は2サイクルと4サイクルの競争もさ

ることながら、日本の造船業が韓国や中国の激しい追

上げにどう打ち勝つかにかかっている。つまり、造船

業の隆盛がディーゼル機関を含む舶用工業の興盛につ

ながり、技術進歩もそこから生まれてきたし今後も間

違いなくそうなる。

陸用機関の歴史は、舶用機関とほぼ同じ経緯をたど

ることになる。その理由は、大中型の陸用機関は陸用

専用に開発されたものはまれで、ほとんどが両者兼用

機関として、開発されているからである。すなわち、

汎用性をもたせて量的効果を出すことで価格競争に打

ち勝つことをめざした。そして陸用機関は舶用に先立っ

て1990年ごろからNOxの対策を求められた。国、地方

条例の厳しい規制に対応すべく対策を講じたが、脱硝

装置など後処理装置を備えないとクリアできない製品

は価格競争を失って、他の原動機、ガス機関、ガスタ

ービンに市場を奪われたこともある。火力発電のうち、

事業用の大型はガスタービンと蒸気タービンの複合発

電や原子力発電が主流で、ディーゼル発電は中小規模

のものに限定されるが、島しょ発電や分散型発電で役

割を果たすことが期待される。

車両用機関のうち、ディーゼル機関車は蒸気機関車

に代わって非電化線区の無煙化の役目を担った。1964

(昭和39)年から量産されたDD51形ディーゼル機関車

はその後14年間の間に実に649両という多数が製造さ

れ、高度成長期の日本の運輸部門を支えた。一方ディー

ゼル動車は、分散型動力車として、電車が都市型だっ

たのに対し地方線区の輸送をまかなった。わが国は、

狭い国土を網の目のような細かく鉄道網が敷設され、

機動性の高い電車やディーゼル動車の割合が高く、特

にディーゼル動車は1970年代に、世界最大の保有国と

なり、1800両あまりが全国を走っていたという。急こ

う配や急カーブの多いわが国の地形をディーゼル動車

が、所定の速度で走るために車両側の対策として、近

年振り子形車両も開発されたが、ディーゼル機関には

小型で高性能のものが常に要求され、それに応えてき

た歴史がある。

次に、技術開発に果たした官民の役割について考察

してみる。ディーゼル機関の技術導入は基本的に、民

間ベースで始まったが、日本海軍が1932(昭和7)年

に完成した艦本式1号2サイクル複動ディーゼル機関

は、純国産の高性能機関だった。このあと海軍制式機

関が種々の艦艇用として数多く開発され、技術の蓄積

が進む。これらの技術は戦後、舶用高速機関、鉄道車

両用機関の基となって結実する。また、人材も各方面

で活躍して斯業の発展に貢献した。

海上保安庁でも、初期の巡視船用機関で官民共同で

標準型機関を制定したことがあるが、比較的短期間に

解消されてメーカー独自設計のものに変わった。

鉄道車両機関における国鉄と民間の関係について

は、設計段階から官民共同の形でスタートし、数々の

製品を生み出してきた。いわゆる国鉄制式機関である。

製作は設計を担当した機関メーカーが分担したが、ユー

ザーの国鉄が設計に関わったことで、運用方法、保守

方法を容易に取得できるとともに、設計へのフィード

バックが円滑にできたと推定する。1988(昭和63)年

の民営化後は、民間各社が独自に開発した機関を採用

するようになり、制式機関の役割が終わった。

漁船用機関が戦後間もなく海務院型標準形式でスター

8 まとめと考察

74 国立科学博物館技術の系統化調査報告 Vol.12 2008.March

トし、機関メーカーの設計負担を軽減して製造を支援

した。戦後、設備も人材も不足していたメーカーが生

産を軌道に載せるきっかけとなった。

このように、わが国では官民が重要な局面で協力体

制を築き、技術開発や標準化に取り組み、メーカーが

力をつけるとメーカー主導に変えて競争原理を働かせ

て合理的な調達を行うように変わっている。このこと

は歴史的にみると技術の発展にプラスの効果をもたら

したと思われる。

いまディーゼル機関が直面している最大の課題は環

境問題である。短中期的には窒素酸化物(NOx)、粒

子状物質(PM)の削減が求められているが、長期的

には二酸化炭素(CO2)の削減がどこまでできるかで

真価がとわれている。ディーゼル機関の理論熱効率は

60~70%といわれているので、50%を超えた現在、ほ

ぼ限界に近いところまで来ているが、排熱からの動力

回収でこれに10ポイントくらいの上積みは可能と思わ

れる。これを経済的に成立させるための技術開発が今

後期待される。

754サイクルディーゼル機関の技術系統化調査

謝辞

本稿を執筆するにあたり、多方面の方々から資料や情報の提供はもとより、記述内容に対する貴重な意見を寄

せていただいた。組織名と代表者の氏名だけ掲げたが、このほかにも多くの方々にご協力をいただいたことを付

記して、深くお礼を申し上げたい。

株式会社赤阪鐵工所 見澤 啓介氏

川崎重工業株式会社 桜井 秀明氏

キャタピラーインク日本株式会社 大橋 英雄氏

株式会社小松製作所 芦刈 真也氏

JFEエンジニアリング株式会社 戸田 伸一氏

ターボシステムズユナイテッド株式会社 秋田  隆氏

ダイハツディーゼル株式会社 中田  薫氏

ディーゼルユナイッテド株式会社 梅本 義幸氏 

富永物産株式会社 押谷 幸男氏

新潟原動機株式会社 遠藤 次郎氏

バルチラジャパン株式会社 駒形 泰史氏

阪神内燃機工業株式会社 佐々木卓郎氏

マンディーゼルジャパン株式会社 佐々木 耕氏

三井造船株式会社 田中 一郎氏

三菱重工業株式会社神戸造船所 若月 祐之氏

三菱重工業株式会社東京製作所 山本 俊英氏

三菱重工業株式会社横浜製作所 長面川昇司氏

ヤンマー株式会社 沢田 浩一氏

社団法人海洋水産システム協会

財団法人日本海事協会

日本内燃機関連合会

社団法人日本舶用工業会

社団法人日本陸用内燃機関協会

登録候補一覧

76 国立科学博物館技術の系統化調査報告 Vol.12 2008.March

774サイクルディーゼル機関の技術系統化調査

付属資料1ディーゼル機関の発展系統図

78 国立科学博物館技術の系統化調査報告 Vol.12 2008.March

付属資料24サイクルディーゼル機関の発達史

794サイクルディーゼル機関の技術系統化調査

80 国立科学博物館技術の系統化調査報告 Vol.12 2008.March

付属資料3ディーゼル機関メーカーの変遷

814サイクルディーゼル機関の技術系統化調査

国立科学博物館技術の系統化調査報告 第12集

平成20(2008)年3月28日

■編集 独立行政法人 国立科学博物館

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(担当:コーディネイト・エディット 永田宇征、エディット 大倉敏彦・久保田稔男)

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