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1 言語・意識・文化 心的構造をめぐる論考 【ジャン・ニコ講義録】 レイ・ジャッケンドフ この文書は,下記の文献の抄訳です: Ray Jackendoff Language, Consciousness, Culture: Essays on Mental Structure MIT Press, 2007.

ジャッケンドフ『言語・意識・文化』

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言語・意識・文化 心的構造をめぐる論考

【ジャン・ニコ講義録】

レイ・ジャッケンドフ

この文書は,下記の文献の抄訳です:

Ray Jackendoff

Language, Consciousness, Culture: Essays on Mental Structure

MIT Press, 2007.

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目次

2.8 さらなる根本的間違い:レキシコン/文法の区別 .................................................... 4

4.1 導入 .............................................................................................................................. 13

4.2 握手 Shaking Hands .................................................................................................. 15

4.2.1 握手の社会的平面 .................................................................................................. 16

4.2.2 握手の物理的平面 .................................................................................................. 18

4.2.3 変数具現化 ............................................................................................................ 23

4.3 コーヒーを淹れること ................................................................................................. 25

4.3.1 基本構造 ................................................................................................................ 26

4.3.2 下位行動の複雑性 .................................................................................................. 28

4.4 構造を構築する ............................................................................................................ 32

4.4.1 言語における語彙構造・統語構造との類似点 ....................................................... 32

4.4.2 空欄を埋める Filling in the Blanks ..................................................................... 36

4.4.3 代替行動から選択する Choosing among Alternative Actions ............................. 40

7.1 問題 .......................................................................................................................... 47

7.2 情動/評価の心理述語 ............................................................................................. 48

7.3 経験者主語の形容詞・動詞 .......................................................................................... 50

7.4 〈刺激〉主語の形容詞 ............................................................................................. 55

7.5 刺激主語動詞 ........................................................................................................... 56

7.6 マクロ役割層を加える ............................................................................................. 62

7.7 マクロ役割層の値:さらなる「心の理論」 ............................................................. 66

7.8 なぜ主観的システムと客観的システムがあるのだろう? ........................................ 68

8.1 導入 .......................................................................................................................... 74

8.2 状況の特殊クラスとしての有生の作用 .................................................................... 75

8.3 状況態度と作用態度 ................................................................................................. 78

8.4 作用態度の素朴形而上学 .......................................................................................... 88

8.5 Believe と Intend の概念構造 ............................................................................... 89

8.5.1 状態・出来事 vs. 作用 ..................................................................................... 89

8.5.2 状況態度と作用態度を形式化する Formalizing Situational and Actional

Attitudes ........................................................................................................................ 92

8.5.3 付値特性の概念化としての COM:心の理論ふたたび .................................... 95

8.6 意図的に物事をすること,作用の意図性,命令文 .................................................. 97

8.6.1 物事を意図的にすること .................................................................................. 97

8.6.2 志向的構え The Intentional Stance ................................................................ 99

8.6.3 命令文 ............................................................................................................. 100

3

8.7 意図を満たすこと vs. 意図を無効にすること;目的 ............................................ 102

8.8 共同意図 ................................................................................................................. 107

8.9 結び ........................................................................................................................ 111

References. ....................................................................................................................... 113

4

2.8 さらなる根本的間違い:レキシコン/文法の区別

どんな言語理論であれ,単語は音韻構造・統語構造・意味構造の複合なのだと考えねばな

りません.一般に,単語の貯蔵庫はレキシコンと呼ばれます.伝統的な形式論理学(e.g. Carnap

1939)を踏襲すると同時に伝統文法(e.g. Bloomfield 1933)も明示的に継承しつつ,『諸相』で

はレキシコンとは文法規則とは別物の言語の一部門とされています.単語は言語のさまざ

まな不規則性の場であるとされる一方で,文法の規則はあらゆる規則性を符号化している

とされました.単語は派生の 初に統語ツリーへと挿入されて文の要素となります.この

段階ではじめて統語ツリーがつくられ,そのあといろんな操作を受け,音韻部門や意味部

門に引き渡されるわけです.レキシコンについてのこうした見方は,figure 2.1 に示したす

べての統語論中心主義的なアーキテクチャで保持されています.しかし,たしかに生成文

法の初期の研究が行われた状況ではこの考え方も妥当ではあったでしょうし,主流の学派

では疑問視されないドグマとして研究の背景でありつづけているものの,その後研究が進

展するとともにこれもまた大きな間違いだったのだと判明しているように私は思います

[fn11].主流の学派と対照的に,この 20 年にわたり,レキシコン/文法の区別はさまざまな

代替フレームワークにおいて捨て去られるようになりました.とくに名前を挙げるなら,

構文文法,主辞駆動句構造文法 (HPSG),認知文法,語彙機能文法 (LFG) などがそうですし,

ここで提案している並列機構フレームワークもそうです(Culicover 1999; Jackendoff 2002a;

Culicover and Jackendoff 2005).

複数の単語からどうやって文ができあがるかに関する標準的な見解がどうして問題含み

なのか理解するには,ツリーに関する伝統的な考え方を考えてみるといいでしょう.その

考え方の例を figure 2.5a に示してあります.このツリーは figure 2.5b を省略したもので,

そちらでは語彙項目は完全に記されています.こうした考え方のもとでは,統語的な派生

は単語の音韻特性と意味特性のすべてを保持することになります.統語規則にはそうした

特性はまったく見えず,しかるべき部門に手渡され「解釈されて」はじめて利用されるの

です.

5

並列機構で考えるなら,これとちがった分析がでてきます.並列機構の考えでは,どの

特性もそれみずからの構造にしか属していないとされます.こう考えると,figure 2.5 に示

した伝統的な統語構造の表記は形式的に一貫していないことになります.というのも,こ

こでは音韻特性も意味特性も統語構造の一部となっているからです.このように,完全な

語彙項目が伝統的なかたちで統語構造に挿入されるのは形式的に不可能のはずなのです.

では,単語はいかにして統語構造に取り入れられるのでしょうか? 答えはこうです――

単語をつくる 3 つの構造それぞれが,みずからのタイプに属す単語の構造〔音韻部門なら音韻

の構造,意味部門なら意味の構造〕を宿しており,それぞれの構造にはお互いを結びつけ合う指

標がついている.このため,たとえば単語の cat は figure 2.6 のように表記されます.

figure 2.4 でこの単語がより大きな構造 (the cats) に寄与するものは明らかでしょう.

このように.単語とは,音韻構造・統語構造・意味構造のパーツどうしの部分的な対応

関係を打ち立てるインターフェイス規則の一タイプであり,それぞれのパーツはみずから

が属す部門の形成規則に従っていると考えるのが 善の策なのです.言い換えるなら,言

語はレキシコン足す文法規則で成り立っているのではなくて,語彙項目は文法規則のあい

だにあるである,ということです.なるほど実に独特な規則ではありますが,規則にはち

がいありません.

これら 2 つの理論のちがいが単語の扱いだけに限られているなら,大して問題はでてき

ません――2 つのちがいは表記のちがいだと考えられなくもないでしょう.しかしながら,

たとえばイディオムのような,単語ではない語彙項目というものを考えてみますと,ちが

NP

Det N

the cat

NP

Det N

/ðə/

Det

DEF

/kæt/

N, 3 sing

CAT

(a) (b)

Figure 2.5

the cat の伝統的な表記(a) と,この伝統的な表記で省略されているもの(b)

Figure 2.6

単語 cat の構造

Wd3

kæt

CAT3 N

3 sing 3

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いは実に大きいのです.kick the bucket のようなイディオムはレキシコンに含まれている

にちがいありません.というのも,その意味は,句を構成する単語の意味から構成的に導

出できないからです.語彙挿入の古典的な分析(および,近年 Chomsky 1995 で示された併

合操作 (Merge))では,個別の単語がその意味を完全にもったままで別々に挿入される必要

があります.したがって,イディオムに含まれるひとつひとつの単語にはとくに意味がな

い場合,こうした分析は支障を来してしまいます:このイディオムの意味は,完全な VP

kick the bucket が組み立てられてはじめて生じるのです.統語論中心主義的な理論では,

この問題はほんのなおざりにしか論じられてきませんでした.しかし,どんな言語にも何

千というイディオムがあって,その語彙のかなりの割合を占めているものです.これはあ

っさり無視して済ませられるような問題ではありません.

並列機構では,kick the bucket は語彙項目として記録された VP だと分析できます.こ

の VP には通常どおりに音韻部門と同一指標が付与されている一方で,個々の単語を意味

論に結びつける指標はついていません.そのかわりに,VP 全体が意味構造 DIE と同一指

標を付与されているのです.この結果として,ひとつひとつの単語 kick, the, bucket はど

れも単独で意味を寄与しません.これこそまさにイディオムのイディオムらしいところで

す:すなわち,単語が通常の意味をもたず,それ全体がひとつの単位として貯蔵されてい

るわけです.

多くのイディオムは,一般的な規則に従う通常の統語構造をもっています:kick the

bucket は VP ですし,son of a gun は NP,down in the dumps は PP,the jig is up は

単文,といった具合ですね.しかし,ごく一部ながら,by and large,for the most part,

all of a sudden のように,変則的な統語構造をもつものもあります.こうしたイディオム

は,標準的な語彙挿入によって標準的なツリーに挿入できません.また,古典的な理論は,

語彙挿入以外でこれらを挿入するような対案を出してはくれません.対照的に,並列機構

では,これらはひとつの単位として記憶に貯蔵され他の統語構造と通常どおりのかたちで

結合する異例な統語構造として扱うことができます.[fn12]

さらに別のイディオムをみると,開かれた座 (place) に変項をとるものもあります:たと

えば,

take NP for granted,

give NP a piece of Pronoun’s mind,

put NP in Pronoun’s place,

the cat’s got NP’s tongue

などがそうです.このことから,「イディオムは統語構造なき無形のかたまりであって,そ

れ以外の普通の統語構造におしこまれるのだ」とみなすわけにはいかないのがわかります.

逆に,イディオムは他動詞などと同じく項構造とおぼしきものをもっているのです.

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また,言語には,(17) のように規格どおりでない発話タイプをはじめ,(18) のように標

準と異なる統語的構成体も含まれており,その生産性の度合いもさまざまです.おそらく,

相当数のこうした「統語的ナッツ」(Culicover (1999) の用語)を含んでいる言語は英語ばか

りではないでしょう.もちろん,統語的ナッツはすべて学習されねばなりません.

(17) a. PP with NP!

Off with his head!

Into the trunk with you!

b. How about X?

How about a cup of coffee?

How about we have a little talk?

c. NP + acc Pred?

What, me worry?

Him in an accident? (Akmajian 1984)

d. NP and S

One more beer and I’m leaving. (Culicover 1972)

e. The more S

The more I read, the less I understand.

f. How dare NP VP

How dare Harry question the orthodoxy!

g. far be it from NP to VP

Far be it from Harry to stick his neck out.

(18) a. 数詞

three hundred fifty-five million

one hundred twenty-five thousand, six hundred and thirteen

b. 焦点反復 (Horn 1993; Ghomeshi et al. 2004)

You make the tuna salad, and I’ll make the SALAD-salad.

Would you like some wine? Would you like a DRINK-drink?

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c. N-P-N 構文 (Williams 1994)

dollar for dollar

face to face

house by house

month after month

こうした表現はイディオムの難しい部分を 3 つ兼ね備えています.すなわち,単語ごと

の挿入が不可能な点,変則的な統語構造,変項の存在です.並列機構(および,主辞駆動

句構造文法や構文文法)では,これらは変項をもつ不規則な統語構造として,その意味と

ともに〔レキシコンの〕リストに含まれていると考えられます.私が知るかぎり,標準的な機

構の支持者はこうした現象をまったく論じていません.

これに対して標準理論の支持者はこう応じるかもしれません.すなわち,Chomsky (1981)

でなされた区別,「核文法」(言語の深い規則性)とそれを飾り立てる「周縁」の区別に訴え

るのです.後者の「周縁」には,「歴史的な偶然事や方言の混交,個人特有の特徴など」が

含まれます(Chomsky and Lasnik 1993, 510).Chomsky and Lasnik は,こうした現象を「脇に

おく」のを提唱していますが,これにはおそらく (17)-(18) であげたようなイディオムや構

成体が含まれます.

こうした弁護は,いくつかの理由で不十分です.第一に,イディオムや構成体は通常の

イミにおいて言語にとって「周縁」ではありません.さきほど述べたように,話し手が知

っているイディオムや構成体の数は単語の数に並ぶほどですし,文章や会話でこうした構

成体は非常に高い頻度であらわれます.

第二に,ここまでに提示してある例から見当がついているかもしれませんが,「周辺」の

現象と「核」の現象を明確に線引きして分けるのは不可能です.なぜなら,言語の完全に

規則的な現象からまったく独特な現象まではなだらかにつながっており,ある言語で規則

的なこと(たとえば使役の形成)も別の言語では部分的にしか規則的でないこともあるから

です.

第三に,規格どおりな単語や構造にみられる「核」の現象と同じ句構造や項構造の仕組

みを統語的ナッツも使っています.たとえば,すでに述べたように,take NP for granted の

ようなイディオムは,ごくふつうの他動詞と同様に項を要求求します.さらに問題含みな

ことをあげますと,言語機能の中心をなすと仮定されている再帰的結合というもっとも基

本的な仕組みをまったく無視できるイディオムが存在します.一例として,(19) の英語の

VP 構成体を考えてみましょう.(これは Jackendoff 1990, 1997b および Goldberg 1995 で

論じられている例です)

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(19) a. He sang/drank/slept/laughed his head off.

(V Pronoun’s head off = 「はなはだしく V する」)

b. Bill belched/lurched/joked/laughed his way out of the meeting.

(V Pronoun’s way PP = 「V しつつ/することで PP 行く」)

c. Sara slept/drank/sang/laughed the whole afternoon away.

(V NP away = 「NP の時間を V してすごす」)

d. the trolley squealed/rumbled around the corner.

(V PP =「V する音をたてながら PP 行く」)

e. Bill drank the pub dry.

(V NP AP =「V することによって NP を AP にする」)

上記の例で斜体字にした補部は,ふつうなら動詞によって決定されるところですが,そう

なっていません.それどころか,こうした構成体では動詞がみずからの目的語をとること

ができなくなっています:

He drank (*scotch) his head off

Sara drank (*scotch) the whole afternoon away

いわば,動詞をさしおいて構成体がみずから目的語の位置を決めているようなものです.

こうした構成体は VP の構造をもつイディオムであり,動詞は通常の意味的主要部として

の役割を果たすかわりに項として機能していることをゴールドバーグと私は論証しました.

このように,こうした「周縁」の現象も,項構造や句構造という「核」の現象と同じ仕組

みを利用しています.なんらかの別途の仕組みによって言語に挿入される単純なごちゃご

ちゃの塊とはちがうのです.こうした構成体は,並列機構におけるレキシコンの考え方を

とればひねりなく分析できますが,その一方で古典的な機構に対しては(これもまた論じ

られてこなかった)深刻な挑戦となります.

こうした広範な現象をみていきますと,個々の形態素から完全にイディオム的な文(The

jig is up など)まで,あらゆるサイズの言語表現が人間の記憶が含まれているにちがいない

という結論が導かれます.さらに,こうした表現は,そこに含まれる変項の数と種類で定

義される一般性の度合いで連続体をなしています.一方の端っこには dog のような単語的

な定項があります.ここには充足されるべき変項がひとつもありません.そこから連続体

を進んでいくと,how dare NP VP や take NP for granted のようなイディオムがあり,

こうしたイディオムでは独特な内容と開かれた変項とが混在しています.さらに一般的な

ものとしては,dismantle NP や put NP PP のように個々の述語がとっている項構造がみ

つかります. 後に,もう一方の端っこにまで進むと,VP → V (NP) というように,ご

く一般的な変項だけから成り立っている規則めいた表現がでてきます.こうした変項もま

た,他と同じくその言語で可能な構造を特定しています.以上の帰結として,語彙項目と

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文法規則の形式的な区別は消失してしまいます.

こうしたレキシコンの理論では,単語と規則のちがいはどんなものになっているのでし

ょうか? 単語も規則も,長期記憶に貯蔵された構造です.規則をまさに規則たらしめるの

は,その構造に変項があるということです.(20) は,上から順に独特な構造からごく一般

的な言語の原則にいたるまでのなだらかな推移を例示しています(構造に含まれる変項は斜

体字にしてあります).

(20) a. 変項のない VP イディオム: [VP [V kick] [NP [Det the] [N bucket]]]

b. 変項をもつ VP イディオム: [VP [V take] NP [PP [P to] [NP task]]]

[VP V [NP Pronoun’s head] [Prt off]]1

c. 下位範疇化する標準的な動詞: [VP [V put] NP PP]

d. さらに変項をもつ VP 構造: [VP V (NP) (PP)]

e. VP の主要部パラミタ: [VP V … ]

f. X バー理論: [XP … X …]

(20a) はステレオタイプ的なイディオムです:すなわち,VP が具体的な音韻で埋まってお

り,特有の意味が定まっています.(20b) の例では変項が登場していますね.Take NP to

task はイディオムですが目的語は統語構造でも意味解釈でも埋められるべき変項となっ

ています.また,V Pronoun’s head off は (19a) で例示した構成体的なイディオムで,動

詞は変項であり,イディオムの解釈に合うように使われます.(20c) は動詞 put の下位範

疇化素性で,補部に NP と PP を要求しています.(20d) はさらに規則に近いものとなっ

ています.全体が変項で構成されていますね.じっさい,これは表記こそちがうものの標

準的な VP の句構造規則に同じです.(20e) は構造をさらに露出させており,VP の先頭

に動詞がくるという規定しか残されていません. 後に,(20f) では,XP はどこかに X を

含んでいることが述べられています.これは,句にはしかるべき範疇の主要部があるとい

う仮説である X バー理論を規定するひとつの方法です.

(20) では,さらに大きな論点が例示されています.それは,句構造のさまざまな「核」

原理は (20e,f) のような一般的範式である一方でもっと独自な規則や完全に特定された〔変

項が 1 つもない〕項目はたいていそうした範式の特殊化である,という論点です.つまり,こ

うした項目は継承階層のどこかに位置付けられる,ということです(この「継承階層」とい

う用語は主辞駆動句構造文法や構文文法のような制約基盤のフレームワークでひろく使われて

いるものです):(20a-c) は (20d) の特殊例であり,(20d) は (20e) の特殊例,そして (20e)

は (20ff) の特殊例,というわけです.他方で,より一般的な原理の特殊例になっていない

独特な規則もありえます.たとえば,N-P-N 範式 (e.g. day after day, month by month) は

1 原文では [VP Pronoun’s head] とあるが,誤植と判断した.

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X バー理論の具体例ではありません.

継承階層は言語に特有のものではなく,非言語的な範疇の知識を特徴づけるのに広く便

利に使われています(e.g. 鳥や哺乳類は動物の特殊例,猫は哺乳類の特殊例ですし,死んでし

まった我が家のピーナッツは猫の特殊例です).ですから,記憶された項目を配列するこの方

法は,「タダで」言語能力にもたらされるわけです.言語能力に特有なのは,継承構造に配

列される要素の種類です:すなわち,言語の単語や規則を構成する音韻構造・統語構造・

概念構造の複合体が言語に特有なのです.

ここで強調しておかねばならないことがあります.それは,現代の言語理論はいずれもレ

キシコン/文法の厳密な区別を支持する論証をしたことがない,ということです.この区

別は伝統文法から引き継がれた仮定,ぼんやりと常識に合致するだけの仮定でしかありま

せん.ここまでに名前を挙げた代替フレームワークはいずれも,イディオムや構成体を検

討した末に,この区別を解消するにいたっています.他方,イディオムや構成体は主流理

論の議論では実質的になんの役割も演じていません.上述の結論が正しいとすると,これ

は言語に関する私たちのヴィジョンに大きな再考を余儀なくさせるほどの深くて重要な洞

察ということになります.そうした再考は統語論中心主義的な機構の仮定においては不可

能です.

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(さらに詳細な図は,R.Jackendoff, Foundations of Language, pp. 109-110; 訳書 pp.127-8 Fig.5.1 参照)

標準理論 (Chomsky 1965)

句構造規則 レキシコン

深層構造 意味表示

変形部門

表層構造

⾳韻論

⾳声形式 論理形式

X バー理論(句構造) レキシコン

D 構造

Move α

S 構造

意味表示

統率-束縛理論 (Chomsky 1981)

…LF(不可視)移動

⾳声形式

…併合 & 移動

論理形式

レ キ シ コ ン

⾳声化…

ミニマリスト・プログラム (Chomsky 1995)

Figure 2.1

これまでの主流理論の機構

意味表示

13

第 4 章 握手すること,コーヒーを淹れるこ

と:複合行動の構造

Shaking Hands and Making Coffee: The Structure of Complex Actions

4.1 導入

認知は,それ自体が目的なわけではありません.私たちがこうして脳をもっているのは,

行為できるようになるためです.生体にとって認知がお得なのは,行動方針を立てるとき

に,認知によって得られたことを利用できるところです.そして,行動はたんなる運動制

御に尽きるものではありません.まして,複合的な(手順が複数ある)行動を計画するとな

ればなおさらです.この章では,ごくありふれた日常の複合行動を 2 つ取り上げて検討し

ます.ひとつは握手,もうひとつはコーヒーを入れることです.この 2 つを題材に使って,

行動を支えている知識と処理のシステムがもつ複雑性を見ていくことにしましょう.

こうして探究に乗り出す動機として,私には 2 つのもくろみがあります.第一に,本書

ではこの先,意図や社会的相互作用を論じたり,道徳性・義務・権利といった社会的相互

作用を統べる規範を論じるということ.こうしたこと全てに,行動の決定が関わっていま

すね.ですから,行動とはどのようなもので,どんな構造になっているのかしっかり押さ

えておくと,後で役に立ちます.

第二のもくろみは,人間の言語機能のどのくらいの部分が認知的な特化でどれくらいが

他の機能から「借用」されているのか,その問いに答えるのに行動の構造を使ってやろう

ということ.この問いは現代の私たちの脳についての問いでもありますし,霊長類の祖先

からの進化・発達の過程についての問いでもあります(Hauser, Chomsky, and Fitch 2002; Fitch,

Hauser, and Chomsky 2005; Jackendoff and Pinker 2005; Pinker and Jakckendoff 2005).たんに脳や

行動に着目するだけでは不十分です:言語とそれ以外の能力とを比較するには,第 1 章で

素描したような言語構造の詳しい説明に相当するものが必要になります.そうした説明は,

音楽については利用できるようになっています (Lerdahl and Jackendoff 1983; Jackendoff and

Lerdahl 2006).しかし,言語と同じく音楽も非常に特殊な人間の能力です.複合行動の能力

は,これよりもさらに生態的に頑健な比較の候補となります.複合行動は時間と階層の構

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造をもつ領域であり,人間の生活の根本をなしています.また,ある程度までなら他の種

と共通しているのは疑いありません.

ここでとる手法は,まず常識的な観察をたくさん積み重ねてそれらに理論的な構造を与

えるのを試みる,というものです.そうすることによって,ロボティクスの先行研究や行

動の遂行と知覚に関する先行研究で論じられてきた論題と私たちの探究が交差することを

示したいと思います.明らかに,ここでの議論はごく予備的なものでしかありません.こ

れに肉付けしていくには,さらに多くの例を研究し,さらに重要なこととして,仮説を実

験的に検討する研究手法をつくりあげることが必要となるでしょう.

この企てを先導する問いは,次のように立てられます:

構造が組み合わされて複合行動を形成するのだとして,その構造のレパートリは

どのようなものでしょうか? この問いは言語理論において文を構成するのに使

われる文法の問いに相当します.

個別の行動において,行動を組み立てる部品として貯蔵されているのはどのよう

なものでしょうか? これは言語理論におけるレキシコンの問題に相当します(人

工知能 (AI) の文献では「ライブラリ」(Fikes and Nilsson 1971; Sacerdoti 1977) や「ア

クショナリ」(Badler et al. 2000) という用語が使われています).

この 2 つの問いは複合行動の基底にある認知構造の【形式】に関わっています.あるイミ

で,これは言語能力の探究に対応していると言えます.こうした構造は次の 4 つの問いで

も登場してきます.以下の問いは,言語運用で文法がどう使用されているかという問いに

相当するものです:

複合行動は実行に先立つ準備段階でどのようにオンラインで構築されているので

しょうか? これは計画立案の問題です.

複合行動はオンラインでどのように実行されるのでしょうか? この問いと上記

の問いは併せて言語産出の問題に相当します.

他人の複合行動はどのようにして認識されるのでしょうか? これは言語の知覚

と認識の問題に相当します.

複合行動は,言語による記述でどのように特定されるのでしょうか? たとえば,

複合行動を遂行する手順を他の人に伝えようというとき,その手順はどのように

定式化されるのでしょうか?

さらに,言語学と同様に,以下の学習理論上の問いを立てることもできます:

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新たに貯蔵された複合行動は,どのように習得されるのでしょうか? オンライン

で複合行動を構成する方法はいかにして習得されるのでしょうか?

複合行動を組み立てたり学習したりする全体的な形式を提供する生得的な基盤は

あるのでしょうか?

ここでは以上の問いを体系的に論じはしませんが,本章でいろんな形で手短に取り上げ

ます.さらに,ここでは取り上げない問いがもう一つあります.それは,こうしたものが

神経上でどう具現しているのか――運動プログラムだけでなく,そこにいたるまでの認知

的な装置すべてがどう神経上に具現しているのか,という問いです(脳の損傷により複合行

動に支障が生じる "action disorganization syndrome" を論じた文献としては,Humphries,

Forde, and Riddoch 2001 を参照).

4.2 握手 Shaking Hands

握手という単純な行為をみると,行動がもつ顕著な特性がいくつか明らかになります.

第一に,握手には 2 つの異なる認知領域で構造をもっています.すなわち,物理的な領域

と社会的な領域,この 2 つです.このさらに一般的な問題については第 5 章で取り上げま

しょう.第二に,それぞれの領域の構造とその相互作用は興味深い複雑さを示します.第

三に,握手は行為者どうしの調整を必要とする協調行動です.

もちろん,握手は社会的な慣習です.幼い子どもたちはそれを「身につけて」おらず,

これを学習しなくてはなりません.しかし,「握手は社会的慣習である」と言うだけでは何

の説明にもなりません. 低限,私たちの「握手の知識」として特徴づけられるものが記

憶に貯蔵されていなくてはなりません.これは少なくとも 2 つの部分に分かれます:「どう

やって」やるのか,そして,「いつ」やるのか,という部分です.もちろん,どちらも学習

される必要があります.これに加えて,これは第 5 章で論じることになりますが,社会的

慣習とはどんな種類の知識なのかという,さらに基礎的な問いもでてきます.

握手がなされる状況は物理的にも社会的にもさまざまに異なっています.握手の知識が

貯蔵されているとき,その知識はありとあらゆる可能な状況に対応した手順を全て提供す

ることはありません.ですから,握手の知識はなんらかの図式的なかたちで貯蔵されてい

るはずです.この「握手という行動タイプ」または「スキーマ」は個別のトークン状況に

合わせて調節・適合・調整されることになります.この点で,行動の範疇化は知覚の範疇

化によく似ています:たとえば全ての犬や全てのテーブル,全ての自転車がそっくり同じ

だというわけではありませんね.すると,その範疇〔犬なら犬の範疇〕の貯蔵された符号化は,

いろんな場面で見かける個別のトークンに合わせて調節・適合・調整されねばなりません.

ここに意外なことはなにもありません.

16

他方で,突き詰めて言うと行為者はこうした貯蔵されたスキーマを使ってトークン行動

を産出しなくてはなりませんから,行動の理論には構成の原理が含まれねばなりません.

個別の状況に合わせて行為者がスキーマを調節・適合・調整して複合的な運動の手順とし

て――おそらくはワーキングメモリで――実現するのを可能にする,構成の原理が必要で

す.発話産出は,そのおなじみの例ですね:貯蔵された単語の運動産出〔≒発音〕は,音調

曲線や全体的な発話の速さ,感情的な調子によってさまざまに調節されますし,さらに,

場合によっては話し手がガムを噛んでいたり煙草をくわえていたりといったケースにあわ

せて調節されることだってあります.

4.2.1 握手の社会的平面

第 5 章で詳しく見ていきますが,人間は,人・行動・人工物を物理的平面と社会的平面

という 2 つの平面で範疇化します.この 2 つの平面(または第 1 章で述べた意味での「層」

(tier))は互いに独立しつつも相互作用します.物理的平面には空間を動き互いに作用を及ぼ

しあう物体の概念が関わります.社会的平面には,人物の概念が関わります:すなわち,

社会的関係を取り結ぶ個人の概念です.人々とその社会的行動は典型的にこれら 2 つの平

面で同時に符号化されています.

当然,握手の知識にも物理的平面が関わっています.実際にどのようにこの行動を遂行

すればいいのかが分かっていなくてはなりません:手を適切に差し伸ばし,相手の手を握

り,手を振って,離す――そのやり方を知らねばならないわけです.これについてはすぐ

後で論じることにします.しかし,この行動を遂行する理由..

は,握手の社会的な意義に根

ざしています:すなわち,握手は社会的なつながり・連帯の確証や確認だということに.

ひとが握手をする状況は少なくとも 5 とおりあります:挨拶,お別れ,取引の締めくく

り,自己紹介,お祝いの 5 つです.1 つ目から 4 つ目までは対称的です.つまり,握手をす

る参与者のどちらから握手を開始してもかまいません.ところがお祝いの場合にはお祝い

をされる側ではなくする側から握手を開始する必要があります〔=非対称〕.

どんなときに連帯や社会的つながりを確認するのが適切なのか知るためには,行為者は

挨拶やお別れといった行動が同定されるより大きな社会的フレームを同定できねばなりま

せん.不適切なときにもひたすら握手をしていたり,握手がいつ必要となるのかわからな

いようでは握手を理解していることになりません.より一般的に言うなら,どうして私た

ちはお互いに挨拶やお祝いをするのかが問われてよいでしょう.こうした行動の一部とし

て社会的つながりの身振りがこれほど必要とされるのでしょうか? また,握手が象徴する

「社会的つながり」の本質とはどんなものなのでしょうか? こうした問いは第 5 章で論じ

ます.

同じ社会的な意義がさまざまに異なる物理的身振りに付与されていることもあります.

文化によっては,握手の変わりに互いにお辞儀することもありますし,また別の文化では

17

ハイタッチをすることもあります.文化によっては,しかるべき場面で男性と女性が交わ

す身振りとは男性が女性の手にキスすることが適切となっていることもあります.米国の

文化ですと,いくらか親密な仲であれば握手のかわりにハグおよび/またはキスが許容(ま

たは要求)されますね.どちらを選ぶかは,ジェンダーと性的志向といった要因に左右され

ます(異性愛者の男性が握手のかわりにキスするにはおそらく 大限の親密さが必要となるこ

とでしょう).ヨーロッパでは,両頬にキスすること(オランダでは 3 回繰り返すこと)が求

められます.こうしたことの大半は非常になじみ深く,わざわざ気にとめることもないほ

ど透明なものとなっています.とはいえ,すでにお分かりのように,「社会的な意味を表現

する」のにふさわしい物理的行動を選ぶには,参与者の地位と彼らの文化的予期について

入り組んだ知識が必要となります.後者には少なくとも (a) 文化,(b) ジェンダー,(c) 場

面の格式度合い,(d) 個人どうしの親密さの度合いが含まれます.

物理的な行動の調節が社会的意味をもつこともあります.いちばんあからさまなケース

を挙げますと,差し出された手に応じないのは明白な冷遇となります.また,もっと親密

な行動がふさわしい場面で格式張った行動をするのもよそよそしいふるまいとなりますね.

逆に,あまりに親密すぎる行動を示すと社会的な侵犯とみなされます.意識的にするにせ

よそうでないにせよ,手を握る力の強弱や,握手と同時に交わすアイコンタクトの性質も

また,支配やよそよそしさの確認といった社会的な意味をもちます.

こうしたことのうち,どれくらいが「握手の知識」として貯蔵されているのでしょうか?

その中には,握手以外に属しているものもあるでしょう.その分だけ,記憶される「握手」

スキーマは簡素化されます.第一に,社会的相互行為において,異なる目的それぞれで独

立に親密度は判断されねばなりません.たとえば二人称代名詞を格式的なものにするか略

式的なものにするか(フランス語の vous と tu)の選択,敬語の選択(たとえば日本語),

言語使用域まるごとの選択(格式的 vs. 略式的)において,それぞれ親密度は独立に判断さ

れねばなりません.第二に,ハグは主に親愛のしるしですから,親愛の気持ちを表立って

示すのが適切だと独立に判断されるかどうかによって,部分的に,握手とハグの選択は左

右されます.たとえば,来客を自宅に迎えるときと比べて,形式的なセレモニーではハグ

はあまり適切ではありません.第三に,握手の強弱や同時にするアイコンタクトの調節は,

親しみ・回避・好き嫌いの合図に関わるもっと一般的な原則にはおそらく属さないのでし

ょう.しかし,こうしたことは記憶された握手スキーマに含まれないと考えるのであれば,

その分だけ,組み合わせシステムに仕事が任されることとなります.この組み合わせシス

テムは,親密度・格式度・ジェンダー・態度の判断を統合して,〔スキーマから〕さらに肉付

けされた行為遂行スクリプトにまとめあげねばなりません.

他方で,特定の個人とのやりとりの仕方を記憶しておけば,こうした判断の一部は省略

して飛ばすことができます(自分の兄はハグが好きじゃないとか,義理の姉は口にキスして挨

拶する,など).こうした特定の記憶は,特定の物体についての記憶に類比されると私は考

えています:テーブル一般のスキーマだけが記憶されているわけではなく,自分のキッチ

18

ンにあるテーブルのスキーマも記憶されている,というわけです(この問題はセクション 4.4

で改めて論じます).記憶されたスキーマと特殊事例と同様の関係は,言語学でも「継承階

層」(セクション 2.8)に見られます.継承と類似した概念は,行動に関する AI の先行研

究でも引き合いに出されています(e.g. Kautz 1990; Pollack 1990; Kipper and Palmer 2000).

4.2.2 握手の物理的平面

一次近似として,握手の物理的な行動は 5 つの下位行動の連なりとして記述できます:

(1) 相手に手を差し伸ばす > 相手の手を握る > 振る > 手を離す > 手を引っ込める

こうして部分に分けていくことは,Tversky, Zacks, and Lee (2004) でいろんな行動につい

てやられています.この後すぐに見ていきますが,握手にはこの連鎖につきない構造があ

ります.しかし,まずは (1) の理論的な地位を問うことにしましょう.

もし (1) が握手のやり方の物理的側面について人が知っていることだとしますと,これ

は長期記憶に何らかの形で貯蔵されていなくてはなりません.ある時点でこれがワーキン

グメモリに可能な行動として呼び出され,その状況ならではの文脈に取り込まれたとしま

しょう:これは計画としての地位を占めます.2

次に,行為者がこの計画にコミットしたとしましょう.すると,握手は意図の地位を得

ることになります. 後に,握手のスキーマを実行に移すためには,時間的な順序で読み

取られる実際の運動手順に具現化されねばなりません.このとき,握手は【意志的行動】

となります.つまり,計画・意図・意志的行動を私たちは直観的に異なる存在として区別

していますが,これは行動の構造が認知と実行で果たす役割にきれいに対応しているわけ

です.(計画・意図・意志的行動については第 8 章であらためて論じます.)

さて,(1) の連鎖をもっと詳しく考えてみましょう.(1) を構成素に構造化するのは意味

をなします.それぞれの構成素にはひとつの下位行動または下位構成素が主要部 (Head) と

して含まれています.連鎖 (1) 全体の主要部は手を実際に振ることです:手を振ることが

この連鎖の眼目であり,全体はこの下位行動のために....

あります.手を差し伸ばして相手の

手を握ることは,手を振るための準備段階を構成していることになります.また,手を離

して引っ込めるのは「締めくくり」すなわち終結 (Coda) を構成します.興味深いことに,

こうした成り立ちは,下位行動の記述され方にみられる非対称性に反映しています.人は

握手するために...

手を差し伸ばして握りますが,手を離して引っ込めるために...

手を振ったり

2 fn.2: この言葉遣いについて Bratman (1990) がいいことを言っています:ここで私が言わん

としているのは「握手【について for】の計画」――すなわち,これは検討中の行動を指します.

「握手をする【ための to】計画」はコミットメントまたは意図を表します,こちらは実行に移

す前のステップです.

19

はしません.そうではなく,人は社会的つながりを確かめるために握手し,もとの状態に

戻るため,「ことをおさめる」ために手を離して引っ込めます.

準備や終結にも内部構成はあるのでしょうか?「ある」と私は考えます.「手を握るため

に手を差し伸ばす」と言うのは妥当なように思われます.つまり,差し伸ばすのは握るた

めの準備となっているわけです.また,「手を引っ込めるために手を離す」と言うのも妥当

に思われます.そうしますと,全体の構造は (2) のようなツリー構造で符号化できること

になりますね.こうした形のツリーは,たとえば Litman and Allen 1990 の AI の文献や

Whiten 2002 の心理学の文献,そして Werner and Topper 1976 の民族誌学の文献などに

登場してきます.

「手を振る」の構成素にも,さらなる構造があります.直観的に言いますと(これは経験

的に検証したいと思うのですが),ここには手を上下に動かす連鎖がありますね.つまり,ニ

ュートラルな位置から高い位置へ手を動かし,下に下げ,さらにニュートラルな位置の下

から上へと動かすという連鎖が「手を振る」にはあります.この連鎖には決まった時間の

尺があるわけではなく,また,主要部となる単一の行動があるわけでもありません.そう

すると,これを (3) のツリー構造で表記することができそうです.高い位置・低い位置・

ニュートラルな位置をそれぞれ H, L, N で表し,任意の回数の反復をスター * で表します

(形式言語学の「クリーネスター」の慣習に従って).ニュートラルな位置に手をもどすこと

は「手を振る」構成素の終結をなしていると分析します.

握手

主要部ヘ ッ ド 準備 終結コ ー ダ

振る

準備 主要部 準備 主要部

握る 差し伸ばす 離す 引っ込める

20

この構造のかなりの部分で,実行中に相手の参与者との調整が必要となります.差し伸

ばす手は知覚された相手の手の高さと距離に合わせて調節されます.握手をしようという

とき,手を相手の顔面に突き出す人はいないでしょう.二人の間のちょうど中間あたりに

向けて手をもっていくものですよね.相手の背が高ければ高い位置に手をもっていくでし

ょうし,背が低かったり座っているなら低い位置にもっていくでしょう.手を握る力の強

弱は相手に合わせて調節されます(まあ,たいていの人はそうしますよね).手を振るテンポ

と振り幅は相手と調整されねばなりません.手を離すタイミングはほぼ同時となるように

計らねばなりません.手を差し伸ばすときの調節は視覚にもとづいており,また,手を握

ってからは触覚と固有受容感覚で調節されます.

こうした行動のタイミングが個人の間で調整されているのは,奇跡のたまものではあり

えません.そうではなく,握手は協調行動――Gilbert 1989, Searle 1995, Clark 1996,

Bratman 1999 が言う意味での「共同行動」(joint action) なのです.たんに私があなたの手

をとって振るのでもないし,私があなたの手をとりあなたが私の手をとるのでもありませ

ん.私たちがいっしょにそれをやっているのです.共同行動には必ずしも社会的な意図は

含まれません.たとえば重いものをいっしょに持ち上げるといった場合がそうですね〔重

いものを持ち上げることが目的であって,挨拶をするといった社会的行為は意図されてい

ない〕.しかし,共同行動は一種の社会的なつながりを創出します.つまり,「あなたと私

が一体となって行為する」ことをとおして,つながりをつくるわけです.

Clark (1996) の指摘によると,共同行動は通常,一方の参与者が「申し出」をしてもう

一方がそれを「受ける」ことが必要になります.とりわけ握手の場合,一方の参与者が行

動をはじめてもう一方がそれを受けるとき,きわめて素早くなされねばなりません(おそ

らく 500 ミリ秒かそれ未満でしょう).しかも,これは意識されずになされます.握手のき

っかけを意識するのは,それが不発になった場合ぐらいでしょう.たとえば,私の方は手

をゆるめたのに相手はまだ手を振り続けている,というような場合ですね.社会的な文脈

が握手という行動の呼び水になる〔プライム〕ことは大いにありそうです.握手をはじめよう

とした相手への反応は,しかるべき文脈では他の文脈と比べてより速くなることでしょう.

(授業中に唐突に握手を切り出すと,犠牲者となった学生の反応はたいてい著しく遅いもので

振る

主要部 終結

H L N *

21

す.)また,おそらく握手をして手を振り続ける時間にはおおよそこれくらいというデフォ

ルトの長さがあり,このため,手を離す適切な時点はこれくらいだろうとあらかじめ見当

がつきやすくなります.ようするに,実践的には握手で手を振る局面には開始と反応が必

要となる,ということです.

こうした行動は,他の行動と並行してなされることもあります.たとえば,道を歩いて

いたらたまたま知人が向こうからやってくるのが見えたとしましょう.このとき,次のよ

うにシナリオが進むこともありえますね:歩きつつ,握手する距離に入る前に自分から手

を差し伸ばす.握手しつつ言葉を交わす.手は握ったままで,二人ともくるりと進行方向

に背をむけ,後ろ向きに歩き続ける.そして,手を離して引っ込めつつお互いに離れてい

く.この手を引っ込める動作はそのまま流れるように相手に手を振る動作につなげられる

〔さよならの合図で〕――このように,動作スクリプト全体は握手スキーマをいくつもの点で

他の動作パターンに重ねるわけです.話しながらガムを噛むのと同じく,これには行動構

成の理論が必要です.

物理的なパターンのどのような側面が握手スキーマの一部として記憶されているのでし

ょうか? 「手を振る」の構成素 (3) だけが記憶されている,とみてよさそうです.これは

2 人の参与者の中間点で互いに手を握ることを前提します.「手を振る」構成素を実行する

には,それぞれの参与者は適切な姿勢にうつらなくてはなりません.これには (2) の準備

局面の構成素の行動計画を構築することが含まれます.さらに,手を握ったまま固まらな

いようにするため,それぞれの参与者は (2) の終局の構成素の行動計画も構築しなくては

ならないでしょう.つまり,他の構成素はオンラインで構築されるので,「手を振る」の構

成素はそれ自体で十分な構造を与えられるかもしれない,ということです.ここでも,こ

れが実行可能となるには行動の構成が可能な行動の理論を提示する必要があります.つま

り,貯蔵された部品から複合行動をつくりあげることが可能でなくてはならないのです.

ここで,どんなものを「十分な構造」というのかはっきりさせておきましょう.いまや,

「手を振る」の構成素は「手を上下に何回か動かす」とだけ言って済ますわけにはいきま

せん.そうではなく,次のように言わねばなりません:

(4) お互いにとってちょうどよい正中線の位置で自分の右手で相手の右手を握る.右

手を何回か上下に動かす.

これまでは 1 つ目の文の情報は全て「手を差し伸ばす」・「握る」構成素の終点に符号化さ

れていると考えておきました.ここでは,これは「手を振る」の構成素のニュートラルな

位置として符号化されることになります.

こうした情報全てをツリーに取り入れるにはどうすればいいのでしょうか? 上下の動

作で調節される基本的な位置があると考えてみたいと思います.(5) がその試みです.

22

(5)

主要部はニュートラルな位置で,これが上下の動作で調節されます.図の「調節」構成素

がこれを表記したものです.「調節」は点線でより大きな行動につながっていますが,これ

は「調節」が主要部に後続するのではなく同時なのだということを示しています.(3 次元

で表せるなら,この構成素はこのページの平面に対して直角の方向に点線の枝をのばしたいとこ

ろですが.) こうしたツリーの配置は腕を振るといった行動を特徴づけるときにも便利です

(「腕を真上にのばし,前後に揺する」).また,これは手話での手の位置と動きについて考え

られている構造にいくぶん似てもいます(そのさまざまなモデルについては Fischer and

Siple 1990 を参照).

(5) はアイコンタクトが握手と同時の行動として追加されるケースを表記することもで

きます.ここでも点線で表記するわけです.アイコンタクトは手を握るのと独立になされ

うるので,これは「調節」ではなく同時進行の主要部,一種の共-主要部 (co-Head) にあたり

ます.対照的に,握った手の上下動作の「調節」は手を握ることなしに起こりえません.

要点をまとめておきましょう:ここでの仮説は,(5) のような構造は握手の物理的平面と

して記憶に貯蔵されており,(2) の「準備」と「終結」はワーキングメモリでオンラインで

構築されて基本姿勢から/への移行〔する動作スクリプト〕を提供する,というものです.

日本語〔英語〕による姿勢の記述はもちろん適切な空間/固有受容感覚フォーマットでの

姿勢の符号化の近似でしかありません.ひとつの可能性として,Jackendoff 1987, 2002a で

提案した空間構造のレベルが考えられます.これ事態は Marr (1982) の 3D モデルにある

程度まで基づいており,とりわけ Marr and Vaina (1982) の一般化を物体運動の符号化に

主要部

握手

(主要部)

主要部 調節

終結 姿勢:行為者 1 と行為者 2 が

正中線で右手を握る

H L *

姿勢:行為者 1 と行為者 2 が

アイコンタクトをとる

N

23

取り入れています.詳細がどうであれ,これは言語に直接写像されるような命題構造では

ありません.この点についてはあとで改めて論じることにしましょう.

さて,(5) は社会的平面の握手の構造に長期記憶とワーキングメモリの両方で結びついて

います.社会的平面では,この構造は「あいさつ etc. の文脈で社会的つながりを確認する

こと」というものです.この同じ社会的構造は,握手以外の物理的な行動とも結びついて

います.たとえばハグ,ハイタッチ,手の甲へのキスといった行動ですね.興味深いのは,

これら全ては (5) に似た構造をもっているという点です:こうした行動は,「短い時間にわ

たってある姿勢がとられ,ときにより調節がなされたりなされなかったりする」と特徴づ

けることができます.そうした姿勢はどれも体を近づけることと離すことの方略を必要と

しますが,そうした方略はオンラインで構築されると仮定しておいてよいように思われま

す.また,これらには協調のための手がかりも必要となります:たとえば,どちらが先に

動くか――レディが先に手を差し伸ばすのか,紳士の法が頭を下げつつ相手の手へと唇を

近づけていくのか,といったことの手がかりが必要となります.これは場合によりけりで,

どちらを選択するかによって社会的な意味合いがでてきます.

4.2.3 変数具現化

さきほどの (5) には,それまでになかった要素を入れて分析をさらに抽象的にしておきま

した.その要素,すなわち「姿勢」構成素は,2.人の人物が.....

握手してアイコンタクトを交わ

すと述べてあり,「自分と相手が」とは述べていません.さて,どんな出来事においても,

私たちは 2 人の他人が握手をしているのを認識できるようにする知覚スキーマが必要とな

ります.おそらく (5) はまさにそのスキーマにあたるでしょう.しかし,(5) をそのように

使うのに何が必要となるか,注意しなくてはなりません.個別の状況では,行為に関わっ

ているのは特定の誰かであって,「人」一般などではありません.私たちは単に 2 人の人物

が握手しているのを認識するのではなくて,たとえばルーズベルトとドゴールが握手して

いるのを認識するのです.こうした認識を達成するには,「行為者 1」と「行為者 2」を変

数あつかいにする必要があります.この変数が個別の場面で特定の誰かと誰かに具現化さ

れるわけです.言い換えますと,他人の行動を既知の行動として認識するには,オンライ

ンでの変数具現化が必要になる,ということです.ここで,議論は出来事知覚の研究と接

点をもつこととなります (Zacks and Tversky 2001).とくに,Cavanagh, Labianca, and

Thornton (2001) の示唆によれば,歩行のような日常的な動作パターンは「高次アニメー

ション」または「スプライツ」として貯蔵されており,知覚されたパターンを同定する補

助に用いられるそうです.握手もこうしたものの一つかもしれません.

さて,(5) の変数がたまたま「自己」(または「我」)で埋められた場合にはどうなるでし

ょうか?その結果できあがるのは「自分と相手が握手する」という行動ですね.世界に関

しては,ある基本的な非対称性があります:単にそうしようと意図したところで,私が他

24

人の身体を動かすことなんてできませんが,自分の身体なら動かせる,という非対称性で

す.つまり,行動の概念的な形成と運動システムには,尋常でないつながりがあるわけで

す:概念化された行動の行為者が「自己」であるときに限って,運動システムは運動プロ

グラムの形成に関与できるのです.これが正しいとすると,(5) は握手の知覚と産出に適用

されることになり,もっとも一般的なレベルで握手をスキーマ化するはたらきをすること

ができます.握手の産出は,行為者の一方が「自己」のときに限ってなされることになり

ます.

他方で,行動を知覚する能力と行動を遂行する能力には大変な落差がある場合もよくあ

ります.多くの人は優れたダンサーやバスケの選手をダメな人から区別できますが,自分

で上手にできるわけではありません.私の叔父のバーニーは筋金入りのオペラ・ファンで

したが歌は調子外れでした.おそらく,こうしたスキーマを使って行動を遂行するには,

固有受容感覚と運動制御に特化した心的構造にそのスキーマがリンクされねばならないの

でしょう(普段の発話はその好例です).実際に行動をやってみることで,固有受容感覚と運

動制御は洗練されていきますが,他人がやっているのをみても上手くはなりません.私た

ちはこれまで 1 度もやったことがない行動をそれと認識することはよくありますが,ここ

には知覚と産出の隔たりが現れています.たとえば,私はレディの手の甲にキスするなん

てことはやったことがありませんし,ましてキスされるレディの側になったこともありま

せん.しかし,こうした行動の心的な符号化は必要で,そうでないと,そうした行動を認

識し,しかるべき文脈でそうした行動が正しくなされているかどうかを判断できません.

知覚と産出で一役買う行動スキーマが貯蔵されているというアイディアは,単語もそれ

と同様だということを思い出すなら,さして驚くことでもありません.第 2 章の話を思い

出してください.心的構造のつながりは記憶されており,もちろんこれらは言語の知覚と

産出の両方で用いられます.行動と同じく,ある単語をそれと認識できる(文脈においてそ

れを解釈できる)のに,それをうまく産出する方は必ずしもできない(流暢に適切な形で単

語を使用できない)ということもあるわけです.すると,ここでも行動と言語との類似性に

着目することが今の議論の目的に役立つことがわかります.ここでの議論全体の眼目は,(5)

のような構造は行動の知覚と行動の起点なっている,という点にあります.

さらにもう一歩議論を進めましょう:いまの定式化では,他人の行動をマネするには (a)

知覚にもとづいて (5) のような行動スキーマを形成し,(b) 必要な行為者項に「自己」を代

入し,(c) そうしてできたもの〔自分が相手に~する〕を運動制御構造にリンクさせることが

必要となります.Whiten (2002) は,複合行動の文脈で模倣を論じています.ただ,使っ

ているツリーはさきほどのものとは異なりますが.ここには,おそらくはミラーニューロ

ンの出番があることでしょう――他人が行動を遂行しているのをみたときにも自分がその

行動を遂行しているときにも反応するニューロンの出番が (Rizzolatti et al. 1996; Flanagan

and Johansson 2003; Nelissen et al. 2005).このところ知られるようになった知見によりますと,

他の霊長類は人間ほど上手に模倣ができないそうです (Donald 1998; Hauser 2000).心的構造

25

のつらなりのどの部分でその違いでてきているのか考えてみるのも興味深いでしょうね(明

らかに既知のミラーニューロンではありませんね.なにしろ,これが 初に発見されたのは猿だ

ったのですから.)

ここで握手の話は一区切りつけて,次にすすみましょう.

4.3 コーヒーを淹れること

コーヒーを淹れる行動には社会的な側面はありませんが,それに代わって,また別の複雑

さがあります.コーヒーを入れる行動は,物体の扱いも含む「実践的知識」の代表例です.

こうした知識がもつ 2 つの側面に注目したいと思います.第一に,人工物を使う適切な方

法の知識.私たちは非常に多くのそうした知識を有しています:5 歳児でも,いろんな人工

物の扱い方を知っていますね.シャツやソックス,ジッパー,マジックテープ,ベッド,

ドア,椅子,電話,テレビ,照明のスイッチ,クレヨン,鉛筆,紙,スプーン,カップ,

シンク,お風呂などなど.こうした知識は物体の構造と行動の構造を記憶の中でリンクさ

せています(また,Myung, Blumsein, and Sedivy (2006) によれば,物体の名称への語彙的な

アクセスにもこの知識は影響するそうです).実践的知識の第二の側面は,人工物の知識をい

ろいろ入り組んだ一連のふるまいで用いる能力です.朝目覚めたときにいつも決まってや

っていることを考えてみてください:シャワーを浴びる,服を着る,新聞を読む,キッチ

ンを片付ける,などなど.これら全てには大変な〔行動の〕組織化,複雑性,柔軟性が必要

となります.

Humphries, Forde, and Riddoch (2001) は,脳の損傷によってこうした能力がどのよう

に損なわれるかを示しています.「action disorganization syndrome」を患う患者は,複数

の手順からなる作業でいくつか手順を飛ばしてしまったり,行動の項〔誰が誰に何を~する〕

をまちがって具現化してしまうことがあります.たとえば,紅茶を入れるとき,こうした

患者はティーバッグをポットに入れるのを飛ばしたり,ミルクをカップではなくポットに

入れてしまったり,カップに入れた紅茶ではなくポットの中の紅茶をまぜてしまったりす

るのです.彼らは,新奇な課題(「カップからポットに注ぐ」)をやるときには,ステレオタ

イプな課題(「ポットからカップに注ぐ」)よりもいっそう困難を覚えます.ひとつの課題に

固執して何度も繰り返したりすることもあります.たとえば,包み紙を小さく切り分けつ

づけて,これでは箱を包むには小さすぎると自分で口に出しておきながら,そこからさら

に切り分けつづけたりするのです.Humphries, Forde, and Riddoch はさらに二重の解離

を記録しています:患者の中には,特定の物体(たとえばカップ)で行う行動を記述できる

のに実行はできない人もいれば,逆に適切な行動を実行できるのに記述できない人もいる

そうです(後者は「意味性痴呆」に分類されます).彼らの見解によると,こうしたことから,

言語的なワーキングメモリと行動の形成にあてられたワーキングメモリは異なることが示

26

されているそうです.これは,前節での議論と一致しています.前節では,行動の構造は

直接に言語への入力になるフォーマットではなく空間構造のようなフォーマットで符号化

されているのだと論じておきました.

4.3.1 基本構造

この例の分析に進みましょう.コーヒーを淹れる行動は,どんな種類のコーヒーメーカー

を使うかによって変わってきます.自分が知っているコーヒーメーカーの種類は限られて

くるでしょう.〔たとえば〕私はエスプレッソ・マシーンの使い方がわかりません.両親のサ

マーハウスには古いパーコレーターがありましたが,あれの使い方はいま拙宅のキッチン

にある自動フィルターのコーヒーメーカーとは違います.このように,ごく限られた領域

であっても,行動の知識はその道具ごとに極めて限定されているものです.ここでの分析

では,手頃な例として拙宅のキッチンにあるコーヒーメーカーを取り上げることにします.

さきほどと同じく,ここでもごく大まかなレベルから話を始めましょう.すると,コー

ヒー淹れの手順は (6) のように記述できます.

(6){コーヒー粉を入れる/水を入れる} > コーヒーメーカーのスイッチを入れる > コ

ーヒーができるまで待つ

握手の例と同じく,その構造はたんなる時間的な継起関係に尽きません.ここにあるのは,

全て,行為者が待っている間にコーヒーメーカーがその機能を遂行するための準備です.

つまり,行為者は実際には行動の主要部〔コーヒーを淹れること〕を遂行するわけではないの

です.そうしますと,この行動の構造を符号化するには,行為者と機械それぞれの役割を

考えなくてはなりません.行為者は機械が何をやってくれるのか承知しておかねばなりま

せん(ただし,機械がそれをいかにしてやっているのかを知る必要は必ずしもありません――

自分の車やパソコンがどうやって動いているか知っている人はどれほどいるでしょうか?).

2 つの下位行動についてはまだ見ていませんでした.コーヒーと水はどちらを先に機械に

入れてもかまいません.とにかく両方とも機械を動かす前に入れておけばいいわけです.

とはいえ,この 2 つをやるデフォルトの(または習慣的な)順番は人それぞれに決まってい

ることもあるでしょう.私はと言えば,たいてい水を先に入れます.同様のことは,もっ

と大きな単位の行動でも成り立っています:朝起きた後に,コーヒーを淹れる,シャワー

を浴びる,猫にエサをやる,これら 3 つはどんな順番でも論理的には問題ありません.ど

の順番であれ,これらは私の「朝起きてやること」という行動の下位行動として不可欠な

ものとなっており,デフォルトの順番も決まっています.こうした事情は,言語において

句を自由な順番に置けることと類似しています.Bill arrives on Thursday at 8 と言っても,

Bill arrives at 8 on Thursday と言っても,どちらでもかまいませんが,口に出すときには

必ずどちらかの順番を選ばなくてはなりません.

27

この (6) をツリー構造に置き換えるには,こうした「習慣で決まっているが必然的では

ない」時間順序を行動の文法にどう符号化したものか考えておく必要があります.ここま

では,必然的な時間順序が決まっていました:たとえば,握手で手を握らずに手を振るこ

とはできませんね.こうしたことは,ツリーでは連結の依存関係として現れます:準備が

主要部に連結し,主要部は終結に連結する,という具合です.これと対照的に,水を入れ

るのとコーヒー粉を入れるのは,論理的にたがいに独立しています.この 2 つを,ここで

は準備の下に枝分かれする 2 つの独立した主要部として{}で括って表記します.

もうひとつ問題となるのは,これら 2 つのステップは機械のスイッチを入れるための準

備なのか,それとも,機械を動かして動作させるという 2 つからなる大きな構成素のため

の準備なのか,という点です.前者の可能性を (7a) に,後者の可能性を (7b) に示します.

私としては,後者の方がよさそうに思います.ただ,その論拠となるものはいまのところ

持ち合わせていません.(この論拠は言語学の構成素のテストと類似したものとなることでし

ょう.また,直観や実験手順などもこれに含まれるかもしれません.)

(7) a.

コーヒーを入れる

準備 主要部

機械がコーヒーを入れる 準備

主要部 主要部

主要部

行為者が機械を起動する

行為者が

機械にコーヒーを

入れる

行為者が

機械に水を

入れる

28

b.

4.3.2 下位⾏動の複雑性

「行為者が機械に水を入れる」という下位行動をもっと詳しく見てみましょう.この行

動にはいろんな遂行のやり方がありますね.私の場合ですと,ポットをコーヒーメーカー

から取り外して,蛇口から正しい分量の水を入れて,ポットをしかるべき箇所にもどしま

す.ツリー構造にすると,これは (8) のようになるかもしれません:

(8)

これにはさらに細部があります.たとえば,「蛇口から水を適切な水位まで水を入れる」は

さらに細かい部分をもっています.ひとつの問題は,「適切な水位」とは何か,ということ

です.水の分量は,煎れたいと思っているコーヒーの分量と相関しています.コーヒーの

分量はこの課題を具体的な指定において自由パラメタになっており,おそらくはデフォル

トの設定が決まっています(私の場合は 6 杯ですが).このパラメタは「コーヒーを機械に

コーヒーを入れる

準備 主要部

機械が

コーヒーを

入れる

主要部 主要部

行為者が

機械にコーヒーを

入れる

行為者が

機械に水を

入れる

主要部 準備

行為者が

機械を

起動する

コーヒーを入れる

ポットを機械に

戻す

終結部 主要部

行為者が

機械を

起動する

準備

準備 主要部

水道からポットに

に適切な分量の水を

注ぐ

ポットを

機械から

取り外す

29

入れる」に再び登場します.こちらの行動では,煎れようとしているコーヒーの分量に合

わせてコーヒーの粉の計量しなくてはなりません.

ここから,ツリーをどのように配するかという問題がすぐに出てきます.行為者は蛇口

の下にポットをもっていき,栓をひねります(必ずしもこの順番とは限りません).すると,

2 つのことが同時になされることになります(これには,たとえばポットを目線の位置に持ち

上げて見るといった確認の手順も追加で含まれることもあるでしょう).水位が基準の位置に

まで上がったら,行為者は水を止めてこのプロセスを終了し,ポットを蛇口の下から取り

去ります(何らかの順序で).ここでは,水がポットに注がれるプロセスが主要部となって

いるものと思われますが,その一方で,行為者がポットを蛇口の下から取り去るのは,こ

こまでの定義における「終結」にはなっていないように思われます.そこで,これら 2 つ

の構成素をそれぞれ「プロセス」と「終了」(termination) と呼ぶことにしましょう.これは

言語学における事象構造とアスペクトの研究の用語法を多少踏襲したものです.

行為者が水位をモニタすることを表記する方法が必要となります.我々のささやかな行

動の文法にさらに補足を加えて,確認手順を取り込む必要がありますね.この目的に合わ

せて,?x? という表記を導入しましょう.これは「x が成り立っているかどうか確認せよ」

を表し,x は事態を表しています――いまの場合ですと,水が基準の水位に達しているか

どうか,ということです.答えに応じてこの行動 ?x? には 2 つの構成素が可能です.[fn.6]

これらを全て取り込みますと,「ポットに蛇口から適切な水位まで注ぐ」は (9) のように精

緻化できそうです.

このツリーのうち,どれだけの部分がコーヒーを入れる行動の知識として記憶されていな

くてはならないのでしょうか? 蛇口から基準までモノに注ぐ行動はこれよりもさらに一

30

般的な課題であり,また,いかなる目的であれ水を出すために蛇口を開いたり閉めたりす

るのはそれよりもさらに一般的な課題です.そうしますと,おそらくコーヒーを淹れる行

動の知識はこのプロセスの終了状態 (endstate) を指定しているのでしょう.つまり,ポット

に適切な分量の水が入っているという終了状態が指定され,後はオンラインでの構築にゆ

だねられていると考えられます.

さらに細かな詳細がまだ残っています.〔ポットに水を入れるという課題において〕ポットを掴

み,機械から取り外し,それをもって流しまで歩いていく必要がありますし,水を注ぎ終

わったら機械のところまで歩いて戻らねばなりません.水を注いでいる間は,ポットを蛇

口の下で手に持って固定しておかねばなりませんが,これには注がれた水が増えるにつれ

てだんだん手に加える力を増していく必要があります.蛇口をひねって開け閉めするには,

蛇口の仕組みの知識が必要です.蛇口のどこにどれくらい力をかければいいのか,といっ

たことの知識ですね.コーヒーメーカーからポットを取り外す方法も,この機械でコーヒ

ーを入れる場合の知識に含まれるかもしれません(この知識は他に用途があるでしょうか?).

しかし,ポットをつかんだり,手に握ったり,歩いたりといったことはそうではないでし

ょう.また,蛇口の仕組みに関する知識もコーヒーを入れる行動スキーマの一部ではない

でしょう.むしろ,それ自体が小さなスキーマであり,キッチンの蛇口やその他の既知の

蛇口に関する詳細がこの知識には詰まっており,おそらくはこれに関連した総称的スキー

マがあって,初めて見かけるタイプの蛇口を扱うときにはこれが助けとなっているものと

思われます.コーヒーを入れる行動のスキーマに含まれていない下位行動は,全てオンラ

インで呼び出され進行中の行動の構造に統合される必要があります.

さらに興味深いのは,水を入れる前にポットを洗浄する必要があるケースです.これは

すぐ後で論じることにします.

(7) の「コーヒーを淹れる」構成素では,さらにいくつか新たな細部を提示しています.

私のコーヒーメーカーには備え付けのフィルターがあり,これは取り出して洗浄してやら

ねばなりません.大半の人は,そうではなく紙のフィルターを使っていますね.どちらの

場合にも,フィルターを扱う必要があり,また,コーヒーを保存している容器もしかるべ

き場所(私の場合は冷蔵庫)に置いてあるでしょうから,これを取り出して開封し,コー

ヒーを計量して適切な量をフィルターに入れ,保存用の容器を閉めてしかるべき場所にも

どさねばなりません.すると,この構造はさきほどより部分的に拡張されて (10) のように

なります.

31

フィルターの洗浄や除去(さらに流しを利用する手順)は上記に含まないでおきました.こ

れらは「フィルターを準備する」という行動の下位に位置づけられます.また,「コーヒー

の計量」と名付けられるさらに下位の構成素の構造もさらに詰めてしません.これには (a)

コーヒーの分量と水の分量を合わせることと (b) 〔コーヒーを保存している〕缶からコーヒー

粉をすくって全体の分量を確認しながらフィルターに入れることが必要となります.これ

を取り入れると,(9) に示してあるものよりもさらに精緻なヴァージョンとなります.もち

ろん,匙ですくう行動は運動制御にとってさらに興味深い問題を提示することとなります.

(10) で主に精緻化してあるのは,開始部分と終了部分です.〔コーヒーの計量で〕缶のフタ

をもどす終結部や〔コーヒーを元に戻す手順で〕冷蔵庫を閉める終結部は必ずしも必要ではあ

りません.むしろ,握手の終結部と同様に,これらは旧状を保持しておくのに必要とされ

ているのです.

間違いなく,(10) の構造の大部分はコーヒーを淹れる定番の動作ル ー チ ン

(routine) の一部に含ま

れてはいないでしょう.そうではなく,おそらくは,コーヒーを入れるルーチンにはコー

ヒーを計量してフィルターに入れる行動プラスコーヒーの保管場所の知識が含まれている

でしょうが,〔コーヒーを〕もってきたり開けたり閉めたりといった行動はオンラインで構築

されているものと思われます.とはいえ,こうした下位行動は全てが遂行されねばなりま

せん.したがって,その全ては一連の運動手順の指示へと統合されねばなりません.これ

はつまりどういうことかと言えば,遂行される行動は,ワーキングメモリで構築され,深

い埋め込みの階層構造をもつことになる,ということです.いまの例ですと, (8) と (10)

は (7b) に埋め込まれ,さらに (9) は (8) に埋め込まれる上に,プラス,ここではいちい

ち完全な構造にまで拡張せずにおいたものも全て埋め込まれていくわけです.このツリー

は非常に複雑ですので,ひとまとめに書きあらわす手間は省いておきましょう.

32

さらに 3 つ,非常にややこしい事柄を考慮に入れておく必要があります.第一に,コー

ヒーを淹れている 中に電話がかかってきたときには何が起こるでしょうか? 作業を中

断して電話に出る時点をみつけねばなりません(これは構成素の境界部分となる可能性が高

いはずです).このとき,課題のどこで中断したかを表すポインタを残しておいて,電話に

出て,電話が終わったら中断したところから課題に戻らねばなりません.これは,言語で

言うと,談話の途中でコメントを差し挟む必要が生じた場合に少し似ています.また,そ

のコメントが長くなってしまい,元々考えていたことの筋道をたどれなくなることがある

ように,電話の話が長びいてコーヒーを入れる作業に戻るのを忘れてしまうこともあるか

もしれません.

他方で,2 つの行動を同時並行することもありえます.つまり,電話で話ながらコーヒー

を淹れる作業をつづけるわけです.そうしますと,2 つの行動の間で注意を切り替えながら

複数課題マ ル チ タ ス ク

をこなす可能性も考慮する必要があります.

後に,コーヒーを入れる行動は,別に同じ人がとおしてやらねばならないわけではあ

りません.〔たとえば〕私の妻がコーヒーを淹れ始めて,淹れ終わる部分は私がやることだっ

て可能です.あるいは,彼女が水を計量している間に私がコーヒーを計量してもいいでし

ょう.このとき,妻と私の両方とも,どの手順が完了したか進み具合を把握することにな

ります.おそらく,これは,コーヒーを淹れるルーチンとごく一般的な共同行動とを合成

した産物であろうと思われます.

4.4 構造を構築する

4.4.1 言語における語彙構造・統語構造との類似点

こうした行動を分析する際に繰り返し登場する問いがあります.それは,「構造のどの部分

が行動そのものの一部として記憶されていて,どの部分はオンラインで構築されているの

か――項の具現化,記憶にある他の行動の付加,文脈に合わせたスキーマの調節などによ

って構築されているのか」という問いです.その見取り図は少しずつ見えてきつつありま

す.もっぱら握手に関わる記憶内のスキーマは実際の握手の行動とその社会的意味を符号

化しています.コーヒーを淹れる行動のスキーマは,場面が部分的につらねられた構造と

なっています:つまり,あらかじめ決めておいた分量の水を水道からポットに計量しつつ

注ぎ,ポットからコーヒーメーカーに水を入れ,水野分量に見合ったコーヒー粉を計量し

て缶から取り出し,機械のスイッチを入れ,動作させる,こうした場面のつらなりとして

構造化されているわけです.どちらの場合にも,「結合組織」の一部は欠落しています.そ

の部分はどこからやってきて,どのように統合されるのでしょうか?

33

勝手にどうとでもなるという立場はとれません.ロボット工学の人たちが指摘するよう

に,なるにまかせてロボットがうまく機能してくれると期待するわけにはいかないのです.

常識的にここはこうするだろうと言っても,そんな常識なんてものはロボットに存在して

いませんからね.多くの場合,必要な下位行動はより一般的なプロセスから取り入れられ

ます.歩くときには必ずどこかからどこかへと歩くわけで,コーヒーメーカーから流しに

行って戻ってくるばかりではありませんね.手を差し伸ばすときも,我々は実に様々な位

置にあるあらゆる種類のモノに手を差し伸ばすわけで,相手の手ばかりときまってはいま

せん.コーヒーを淹れるときに限らず,我々は流しをいろんな用途に使っています.冷蔵

庫を開ける理由は様々ですし,冷蔵庫からモノを出し入れするのはキャビネットや食器棚

からモノを出し入れすることの特殊例にすぎません.とはいえ,こうした行動のなかには,

その行動に特化した部分をもつものもあります.たとえば,自作したキッチンの蛇口の使

い方はそうですね

さらに,行動の組み立てはたんに下位行動を順番に並べるだけの問題ではありません.

たとえば,歩くという一般的なプロセスを流しまで歩くという目標に適合させるとき,歩

行の目標地点の変数は適切に具現化されねばなりません.これよりもっと複雑な場合です

と,たとえば水を計量してポットに注ごうと思ったらポットにコーヒーの残りが澱になっ

てるのに気付いたとしましょう.そのまま水を注ぐのはイヤですから,まずはポットをキ

レイにしておかねばなりません――こうして,「準備」の段階はさらに複雑になりました.

同様に,コーヒー粉を計量しようと思ったら粉がもうなくなっていたのに気付いたとしま

しょう.ひとつの可能性としては,この課題をまるごと放棄してしまう手もあります.今

朝はコーヒーはなしにしておこう,というわけですね.ですが,どうしても飲みたいとい

うときには――たとえば来客の予定があって定番の「もてなし」の行動をひととおりやら

なくてはならないときには――外にコーヒーを買いに行くことになる場合もあるでしょう.

このとき,構成された (10) の構造には,「冷蔵庫からコーヒーを取り出す」の代わりに,

自動車を運転してお店に行ってコーヒーを買うというとても大きな「準備」構成素が入っ

てくることになります.そして,さらにこの運転の行動には車のキーを見つけるといった

さらに埋め込みの深い「準備」が入ってきます.このように,構成された行動の構造は,

予測できないかたちで埋め込みが深くなることもあるわけですね.

こうしてみますと,行動の組み立ては文の組み立てとますます似たところが多くなって

きますね.自分がしゃべれる文を全部あたまの中に記憶しておくことなんて,できません:

あまりに多すぎる――無限にあるので,記憶のしようがないわけです.その逆に,言語の

部品が記憶されていて,それをリアルタイムで組み合わせてその場の目的にあった文を創

り出しているのです.さらに,たいていの場合,口に出す前に文全体をすっかり組み立て

ておくことはしません.それと同じく,実際の行動に移る前に複合行動の全体をすっかり

組み立てておくこともしません.そうではなく,必要がでてくるのに応じて(または,必要

になりそうだと予測がでてくるのに応じて)だんだん部品を付け足していくものです.とは

34

いえ,どちらの場合にも,部品を付け足していくときは,その出力が首尾一貫したものに

なるようにしなくてはいけません.言語の場合,首尾一貫性とは文法性と有意味性をでき

るだけ達成することにひとしいのですが,これがいつも完全に達成されるとは限りません.

ここで我々が考えているのは,行動において首尾一貫性の概念はどのようなものなのだろ

うか,ということです.

言語学の標準的な見解では,単語と,それを組み合わせて構造をつくる結合規則が少々,

部品として記憶されていると考えられています.単語は数万個ほどある一方で,結合規則

の数は分かっていないものの相対的に少ないとされています.しかし,さまざまなところ

で独立に発展中の見解,セクション 2.8 で論じた見解は,これと異なります.これによれ

ば,単語と規則はくっきりと区別されはしません.そうではなくここには連続性があって,

dog のような単語が一方の端にあり,kick the bucket のような統語構造のあるイディオム,

英語の規則的複数形の -s のような規則的形態素,the more you read, the less you

understand のようなイディオム的構文ときて,もう一方の端には VP ⇒ V - NP のよう

なごく一般的な結合原理がくるのだと考えられています.特殊事例は,それより一般的な

事例に関連しており,継承階層によって特殊事例は一般事例を具現化するものとなってい

ます.その継承階層にしても,それより一般的なデフォルトの分類階層の一種です.この

分類階層は汎用の範疇化にとって独立に必要とされています:たとえば,「X はコマドリで,

コマドリは鳥の一タイプ,鳥は動物の一タイプだから,X はコマドリ・鳥・動物の全ての

属性を継承している.ただし,これは違うという情報がある場合は例外で継承しない」と

いう具合ですね.記憶されている部品から文を組み立てる基本原理は「単一化」(unification) と

呼ばれています(Shieber 1986; セクション 2.9 も参照):これは,とにかく可能な方法のい

ずれかによって,記憶されている部品を結び合わせる操作で,この操作それぞれの部品が

課す制約に合致するようになされます.この操作によって構成される構造の特徴は,必ず

記憶された部品のいずれかによってもたらされているわけです (Shieber 1986).

こうしたアプローチは,複数のスキーマからなる複合行動の構造とその構成を考えるの

にも適しています.まず,レキシコンに相当するものを考えてみましょう.セクション 4.3

で示唆しておいたように,我々は非常に多くの行動スキーマを記憶しています.これには,

何千という人工物の使い方も含まれます.この「行動レキシコン」のサイズは言語のレキ

シコンと同等の大きさだと考えてよさそうです.さらに,セクション 4.2 で示唆しておい

たように,記憶されているやや一般的な行動とかなり特殊な行動の関係を考えてみましょ

う.一般的な行動とは,たとえば錠前の鍵の使い方などのことで,一方の特殊な行動とは

自分の家の玄関のドアに鍵をさしてうまく揺すって開ける方法などのことです.この 2 つ

の関係は, PP ⇒ P - NP のような一般的な構文と in luck や in good humor のような

イディオム的な前置詞構文の関係に似ています.鍵と錠前の一般的な知識にさらにひねり

が加わってはじめて特殊事例ができ,これはイディオム的な行動知識として記憶されてい

35

るわけです.つまり,一般的なものと並んで,これも行動レキシコンの項目となっている

のです.

次に,記憶されている「不完全につらねられた場面」(semi-connected vignettes) を考えてみま

しょう.これは,さきほどコーヒーを淹れる行動スキーマについて措定しておいたもので

す.これには非連続的な部分が含まれます.言語のレキシコンにも,これと同様の非連続

的な事例がみつかります.たとえば take … for granted のイディオムはたしかに記憶され

たユニットではあるのですが,通常は真ん中の … の空所がなにかで埋められないかぎり

文のなかに用いられることができません.もうひとつおなじみの例として,フランス語の

分離否定辞の ne … pas があります.一方,ではこうした表現は何によって結ばれている

のかと言いますと,それは,非連続な部品どうしがツリー構造のなかでつながっているの

です.これはコーヒーを入れる行動スキーマの部品についても成り立っているように思わ

れます.

複合行動を構成する原理に話を移しましょう.階層構造の構築と変数の具現化について

はすでにお話ししました.〔言語の複合表現と複合行動の〕対応関係は,もっと他にもみつかり

ます.文の組み立てに関わる原理の中には,指示の束縛 (referential binding) というものがあり

ます.いまの議論の文脈に特に適した例としては,関係節が挙げられるでしょう:関係節

にはある種の代名詞的な要素が含まれており,これは関係節を従えている名詞と同一指示

になっている(またはこれに「束縛」されている)と考えられます.たとえば,I drank the coffee

that I made last night を考えてみましょう.この関係節は I made (some) coffee last

night と解釈され,たとえば I made a cake last night には解釈されません.この制約は

ここまで取り上げてきた状況を想起させます.たとえば,お店に行ってチーズを買うのは

コーヒーを淹れる行動の「準備」としては「不適格」です.また,洗う必要があるのはポ

ットなのにスプーンを洗うのは意味をなしません.つまり,関係節をその主要部名詞に結

びつける変数束縛の形式的装置は,「準備」段階の下位行動で扱われる対象を主要な行動で

扱われる対象に結びつけるケースについてもおおむね当てはめれるわけです.

こうした類似性は,計量するコーヒーの量と計量する水の量を相関させる必要性にもみ

られます.こうした相関は For each cup of water, put in one scoop of coffee(水 1 カップ

あたりコーヒー1 匙をいれる)というかたちでひねりを加えずに表現できます――すなわち,

量化をともなう文で表されるのです.こうした行動構造における相関は,言語で表される

相関の助けなしに達成できるものなのかどうか,問題を立ててみると面白そうです.ただ,

その正解について私は直観を持ち合わせていませんが.

まとめましょう.「行動の文法には,言語の文法の構造と際だった対応関係が見出される」

36

4.4.2 空欄を埋める Filling in the Blanks

行動が非常にスキーマ的なかたちで記憶に貯蔵されているのだとして,では,必要な部品

をあれこれ取り出してきてこれらを実行される主要スキーマに統合するのはいかにしてな

されているのでしょうか?

ここでも言語モデルを引き合いに出したいと思います.記憶された行動スキーマが言語

における記憶された単語やイディオムに対応することはすでに確認しておきましたね.こ

うした単語やイディオムが無限にさまざまな文脈でいろいろな文構造に統合されることを

みておきました.文を組み立てるとき,こうした単語・イディオムが活性化されるのを「動

機づけている」のは,話し手の頭に思い浮かんでいる〔こういうことを言い表そうという〕意味

です.心理言語学的な証拠 (e.g. Dell, burger; および Svec 1997; Levelt 1999) によりますと,レ

キシコンからの「呼び出し」は非常に一般的で,いわば「みなさんのなかにしかじかの意

味をお持ちの方はいらっしゃいませんか?」のようなものになっていることがわかってき

ています.表現されるべき特定の意味の必要に応じて,〔単語・イディオム・構文といった〕語

彙項目は,能動的かつ手当たり次第に「志願」しているのだとみなすことができます.語

彙項目どうし,自分を表現に使ってくれと活発に競り合っているわけです.選択のプロセ

ス(おそらく勝者全取りのかたちの活性化)で実際に発話されるものが取り出されます.競

合が適切に解決されなかった場合には,発話エラーが発生し,たとえば trouble と

problem が入り交じって troblem などと言ってしまったりするわけです.

複合行動についてもこれと同様に考えるのは適切なように思われます.ここは握手する

のがふさわしいところだろうと判断したとして,そのときの自分の手の位置と,手をもっ

ていく必要がある位置(e.g. 相手の手を握る)とには隔たりがあります.このため,行動レキ

シコンに呼び出しがかかり,そこへ手をもって行く行動が探されることとなります.記憶

されている「x に手を伸ばして x の手を握る」ルーチンがこれに応じて「志願」し,「手

を振る」の準備段階として付け足されるのです.その際,その一環として,このルーチン

の変数はその場にあるしかるべき物体によって具現化されます(ちょうど,動詞の変項が主

語や目的語によって具現化されるのと同じですね).この具現化によって,しかるべき位置に

手を差しのばし,しかるべきものをつかむわけです.〔あるべき状態と現状の〕同様のミスマッ

チにより,コーヒーメーカーから流しに意って戻ってくることになったり,あるいはコー

ヒーを買い足しにお店に車を走らせ帰ってくることになったりもします.(後者では車をお

いてるところまで歩いていく必要もでてきますね.) つまり,「いま自分はここにいるけど,

あそこにいく必要がある」という隔たりがあることで,そのときどきの文脈ごとにさまざ

まなルーチンが呼び起こされる,ということです.これは直感的な説明ですが,計画立案

(planning) に関する人工知能研究 (Pollack 1990) やロボティクスの研究 (Badler et al.) では,こ

れがさらに肉付けされていますたとえば,ロボティクスの方ではヴァーチャル・ロボット(ス

クリーン上のアニメーション)が座っているとき,これにどこそこへ歩けと指示を与えたり

37

します.こうした命令を実行可能にするため,まずロボットの行動計画立案プログラムは

自動的に「立ち上がる」という準備行動を付け足します.

隔たりに基づく準備には,他にもごく一般的な種類があります.まだ手に抱えていない

物体を使うという場面で生じるのが

それで,たとえば「水道からポットに適切な高さまで水を注ぐ」という行動でこの準備

行動が生じます.準備行動として,まずはポットをとらねばなりません.しかし,これじ

たいの準備として,ポットの位置を特定しなくてはならなくなります──つまり,どこに

ポットがあるかみつけなくてはなりません.私の場合ですと,ポットはコーヒーメーカー

にいつも入れてあるのがわかっています(ということは,コーヒーメーカーの場所は知ってお

かなくてはならないということですが).そこで,これが (8) の構造に組み込まれます:「機

械からポットを取り出せ」しかし,これはデフォルトのコーヒー入れ行動スキーマの一部

であるに過ぎません.場合によっては,コーヒーポットがいつもの場所にないこともある

でしょう.この場合,前にどうしていたかという記憶をたよりにすることとなります:た

しか水切り棚においてあるか水につけてあるんじゃなかったかな,ちょっと探してみよう,

という具合ですね.それでもダメなら,探す範囲を広げて失せもの探しを始めることにな

ります.

ここでの要点は,特定の物体を使う必要があるという隔たりがあることによりそれを探

す行動の引き金が引かれ,もの探しはその物体についての知識によってやり方が限定され

てくる場合がある,ということです.その物体はここ..

にあることになっているけれど,そ

れ以外のしかじかの場所にあることもありうる,といった知識ですね.これと同じことを

家の中にある全部の物体についても繰り返してみると,その知識はとてつもなく豊かにふ

くれあがりますね.ケーキの型はどこにおいてたかな,予備の鍵はどこだっけ,ベティお

ばさんの純銀の蝋燭消しは?これはじぶんの家にとどまりません:近所のスーパーはどこ

にパスタをおいてるんだっけ? ビールは? などなど.さらに,我々はあれこれのエピソ

ード固有の場所も記憶しています:「10 分前に読書用眼鏡をどこにおいたっけ?」「今日は

車を駐車場のどこに駐車したっけ?」という具合ですね.

「物体 x をみつける」というかたちの一般的なルーチンによって,(10) の「コーヒーを

計量する」ルーチンで冷蔵庫や缶を開け閉めする行動の詳細の多くが埋められます.この

おかげで記憶されたスキーマは簡素化されますが,もちろん,そうするとオンラインでい

ろんな部品を追加でたくさん付け足さなくてはならなくなります.コーヒーがいつもの場

所になかったら,次の手としてコーヒーを手に入れられる場所はお店で,そうすると「お

店まで行く」ルーチン全体が構築されることとなります.

次に,さきほど出しておいた問題を考えましょう.コーヒーポットに水を入れようとし

たら,洗浄する必要があるのに気付いたとします.洗浄のルーチンそのものはコーヒーを

淹れる行動の一部になってはいないはずです:洗うものはポットに限らずありとあらゆる

38

ものにわたりますからね(この運動制御もとてつもなく複雑なものです――お皿を洗っている

とき,自分の手の動きを注意して見てください).しかし,ポットを洗う必要があるとき,そ

の洗浄ルーチンは (9) の準備として挿入されねばなりません.これはおそらく (11) のよう

になるでしょう.

(11)

こうするひとつの方法は,記憶された構造に確認のステップを加えることでしょう.これ

はおそらく (12) のようになります.

(12)

私としては,この解決策は気に入りません.構造内のあらゆる分岐点に確認のステップ

を付け足して,必要なことがみたされているか,まずいことにならないか確認するように

すると,計算量が爆発的に増えてあの忌まわしいフレーム問題におちいる恐れが生じてし

まいます (McCarthy and Hayes 1969):たとえば,コーヒーメーカーから流しに歩いていくと

き,流しがちゃんとそこにあるか一歩ごとに確認しなくてはならないでしょうか?床はち

ゃんと消えずに存在しているか,じぶんの足がいまもちゃんと股にくっついているか,確

認しなくてはならなかったりするでしょうか? まちがいが起きる可能性は何通りもあり

ますし,それを修復する方法も何通りもあります.あまりに多すぎて,個別のルーチン全

てにこれらを組み込んでおくことはできません.

(11) を構築する方法は他にも可能なものがあります.コーヒーを入れるルーチンではき

れいなポットがあるのを要求しておくのです.ちょうど,握手ルーチンで手の初期位置を

しかるべき水位までポットに水を注ぐ

準備 主要部

(9) ポットを洗浄

しかるべき水位までポットに水を注ぐ

準備 主要部

… ?ポットはきれい? 継続

ポットを洗浄

y

n

39

特定しておくのと同じ要領です.もしポットがすでにきれいなら〔要求と現状に〕隔たり

はありませんから,水を計量するルーチンに加えるべきものはなにもありません.しかし,

もしポットがきれいでなかったら,状態の隔たりを正すべく「X を洗浄」が準備行動として

呼び出されるわけです.

しかし,この解決策も要点を逸しています.つまり,およそ台所用具を使う時には,我々

はいつでも....

それがきれいであることを求めている,という要点を捉えていないのです.こ

こから,食べ物を用意する行動の一環としてなされる台所用具の使用には一般的な制約が

あるのがうかがわれます:コーヒーポットに限らず,どんな...

台所用具であろうと,使用前

にきれいにしておかねばならない,という制約です.こうしたケースは他にも挙げられま

す.たとえば,コーヒー(であれなんであれ)が不足しているのに気付かせてその品目を買

い物リストに書き付けさせる一般的なルーチンがそうでしょう――これにより,ある行動

について,あらかじめ計画していなかった準備行動が準備されるわけです.こうした一般

的な分岐ルーチンには Lindsay and Norman (1977) のいう「デーモン」めいたところが

あります:デーモンとは,いわば自立的かつ無意識の見張り番で,どんな状況であれそれ

が正当とされるときにはいつでも介入していきます.

後に,「終結」(coda) について考えてみましょう.ここまでは「終結」とは旧状に復帰す

ることなのだと語ってきました.終結の場合,隔たりは行動の主要部の終わりに生じる事

態とその行動の開始以前に成立していた状態との間にあります.握手の場合ですと,この

終結は必要により動機づけられています:つまり,いつまでも相手の手を握ったままでは

いられない,という必要があって手を離すわけですね.コーヒーを入れる行動のいろんな

ステップでは,終結はそうしたことよりも注意や先の見通しにより多く動機づけられてい

ます.つまり,ものごとを順序立てて行おうという欲求に動機づけられている,というこ

とです(これもデーモンの 1 つでしょうか).そのため,この種の終結は省略しやすくなって

います.とくに子どもたちはこの部分を飛ばしがちですね.彼らの注意や先の見通しは親

たちの基準に達しないものです.我が子を社会化するとき,彼らがタスクから終結部を省

いてしまうのは一般的な問題のようです.子どもたちの後片付けをして回ったり何時間も

前に小僧どもが出て行った部屋の明かりを消したりに我々が奔走しているのは,まさにこ

のせいですね.

行動の構成へのこのアプローチで面白いと思うのは,主要ルーチンは必ずしも全ての下

位行動を呼び出す責任をもたないという仮説を含んでいる点です.「コーヒーを淹れる」と

いう行動は,ありとあらゆる確認事項でいっぱいにならなくていいのです――「ポットは

きれいか」「冷蔵庫にコーヒーはあるか」「コーヒーを入れた缶のふたはとってあるか」「い

ま自分は流しに立っているか」「流しはまだそこに存在しているか」などなど,いちいち確

認事項を含めなくていいのです.そうではなく,下位行動は,いま現在の文脈でスキーマ

を個別の行動に適合させる統合プロセスによって呼び出されます.この統合プロセスは実

行中のルーチンの要求事項と現状との隔たりを察知するようになっています.さらに,隔

40

たりを検出した場合にも,統合プロセスはこれと決まった下位行動を選び出したりはしま

せん.ちょうど単語の呼び出しと同じように,統合プロセスはその隔たりを正す行動の募

集をだし,それに適した下位行動がみずから「志願」するのです.

さらに難しいケースは,適した行動がひとつも....

志願してこない場合です.ここはおそら

く意識的な計画立案が割り込みをかけるポイントでしょう.この計画立案において,一連

のステップのなかで望ましい時点に達する方法が模索されます.そうしたステップはいず

れもすでに記憶されたスキーマとなっています.この議論の筋道はこれ以上追わないこと

にして,たとえば古典的な Newell and Simon (1972) の一般問題解決器 (General Problem

Solver; GPS) といった,計画立案に関する先行研究における他のいくつかの伝統に議論をつな

げることに話を移しましょう.

4.4.3 代替⾏動から選択する Choosing among Alternative Actions

語彙選択との類似点はさらに他にもあります.思い出してください――発話産出でレキシ

コンが呼び出されるとき,適切さの度合いのさまざまな単語が活性化し,その後に目下の

発話に取り込むべき単一の単語を選択する過程がやってくるのでしたね.これと類比でき

る状況は,行動の構築においても生じます.意識的であることもしばしばです(ちょうど単

語の選択と同じく,いつというのでなく折に触れて意識されます).「コーヒーを淹れる」行動

の構成素のうち,まだ詳しくみていないものを考えてみましょう:「機械のスイッチをいれ

る」3がそれです.私がスイッチを押したとします.しかし,機械の電源がオンになりませ

ん.このことに気付く理由はいくつかありえます.たとえば小さい赤いランプがついてい

ないためであったり,押してから 10 秒経っても水が吸い込まれる音がしないためであった

り,あるいは 2 分後に見に行ったらポットにコーヒーができていなかったためであったり,

という具合です.こうしたきっかけで〔機械の不調に〕気付くには,機械の動作についてどん

なことを予期すべきか分かっていなくてはいけません.とりわけ,電気的な装置について

知っている必要があります.そして,〔不調が起きているときに,なされるべき動作と実際の動作と

の〕隔たりに注意が向けられる必要があります.

私がそうした隔たりを検知したとしましょう.次はどうなるでしょうか?私の行為レキ

シコンには,実にさまざまな修復方略がおさめられています.そのなかには,このコーヒ

ーメーカーに固有のものもあるでしょう:たとえば,上部をうまく叩いてみたり揺すって

みたりすると動き出すことがある,といった方略です.しかし,大半はもっと一般的です.

たとえば,電気がつかない電気器具を扱う方略として,プラグが差してあるか確認する,

ヒューズが切れていないか確認する,本体の電源がオフになっていないか確認する,とい

3 fn.7 さらに個別的な物体の知識:機械のどこにスイッチがあって,どうやって押すのかも知

らなくてはなりません.いままで見たこともない機械ではいつでも見てすぐにわかると限らない

ことを思いだしてください.私のお気に入りの例は,ホテルのランプです.

41

った方略は機械の相違に関わらず一般的です.妻に言わせると,どんなものでも修理する

いちばんの方略は「レイを呼ぶ」ことだそうですが.

どの修復ルーチンでも,「タスクを放棄する」という選択肢があります.この選択肢が選

ばれると,放棄することになった下位行動を必要とするあらゆるものが行動の構造から取

りのぞかれます.ですので,たとえばコーヒーメーカーのスイッチを入れるのを放棄した

場合,コーヒーを淹れることも放棄することになります.そうなると,(通常のシナリオで

は)コーヒーを飲むことも放棄することになるわけです.これは命題論理における推論規則

[[P→Q] & ~Q] → ~P に対応する行動の論理の規則です.他方で,代替的な行動指針を行

動ツリーのもっと上位で追求することも可能です.コーヒーメーカーがうまく作動しない

なら,カフェに出かけてコーヒーを飲んでもいいのです.

たくさんある修復方略のどれを試すか,どのように選択されるのでしょうか? 大量の選

択肢に対する古風なプログラミングのアプローチでは,順序のついたチェックリストを用

意するところでしょう.たしかに,場合によってはそうした構造化されたメタ方略を使う

こともあります.しかし,一般的な解決法としてはこれでは不十分だと思います:いつで

も同じ順序で選択肢を試す理由はありはしないからです.さらに,可能な修復のリストだ

けではうまくいかない状況もあります.あなたと知人がパーティで出くわしたとしましょ

う.ここは握手をするのが適切です.しかし,相手はお皿とグラスで手がふさがっていた

り,自分はついさっきまで手羽先を食べていたせいで手が油でギトギトになっていたり,

相手は部屋の向こう側で誰かとおしゃべりに興じていたりするのです.こうした場面では,

即興で象徴的な握手を演じることもできます.たとえば,相手の方に手を伸ばして,手は

握らないまま上下にしっかりと手を振ったりするのです.これまで 1 度もそんなことはし

たことがないかもしれません.その場合,これは新しい行動としてその場で考案されるわ

けです.そうすると,これはリストに入っているはずがありませんね.(他方で,将来のそ

うした突発事にそなえてリストに入れておくこともできます.)

行動の自由構築について我々がここで試みているアプローチの気構えをとって,これと

は別の可能性を考慮しましょう.複数の単語がこうしたことを表したいという意味に応じ

て「志願」するのと同じく,行動の空所を埋めるべく複数の行動が「志願」してくればい

いのです――じっさい,すべてのおおむね適切な行動はそうしているのです(これには,象

徴的な握手のように,通常のルーチンを調整したバージョンのものも含まれます).コーヒーの

例に話をもどせば,「スイッチを押したがコーヒーメーカーはオンにならない」という食い

違いに対応すべく,一般性の度合いもさまざまな行動がたくさん活性化されるのです.

どの選択肢が選ばれるのでしょうか? 合理的選択・ 適化・ヒューリスティックスに関

する研究を動機づけているのと同じ直観にしたがって,選択の主要な規準は予測される便

益と予測されるコストだと答えておきましょう.コーヒーメーカーがうまく動作していな

いとき,電源プラグを確認するコストはたいしたものではありませんが,ヒューズを確認

42

するのは一手間ですし,コーヒーメーカーを分解するとなると大仕事です.同様に,鍵を

探す場合,いちばんありそうな場所から探し始めます.そうすることによってコストを

小限にとどめようとするわけです.相対的なコストは個別の状況に合わせて計算の仕方が

変わってくることに注意しておきましょう.たとえば,コーヒーメーカーをうまく動作さ

せようとする試みを放棄するコストは,自分がどれくらいコーヒーを飲みたいか(あるいは,

いますぐ飲みたいと思っているかどうか)によって変わってきます.コーヒーを淹れるのが

「もてなし」ルーチンの準備局面となっている場合,これを放棄するコストは自分のため

だけに入れる場合よりも大きくなります.

こうしたことはすべて,行動を実際に遂行する前にそのコストを推定できるのを前提に

しています.先行研究をひととおり眺めてみた印象では,この計算はじつにとんでもない

量に急速にふくれあがるようです(おそらく語彙選択の計算ほどではないのでしょうが).ま

た,Gigerenzer et al. (2000) の「安く早く」方略4のようなヒューリスティックスに訴える

ケースは頻繁にあるようです.ここで,道徳性すら行動の理論に影響を及ぼすこととなり

ます:道徳的判断は特定の行動の価値やコストにバイアスをつけるため,行動の選択肢か

らの選択がこれに影響されるわけです.この論点は第 9 章であらためて取り上げます.

ここまでの議論で得られたものをまとめてみましょう:

いちばん単純で日常的に繰り返される行動にも複雑な階層構造があるのがわかる.

そのなかには,行動スキーマとして記憶されているものもあれば,記憶された行

動スキーマをオンラインを組み合わせてできたものもある.

記憶されている行動スキーマは他人がその行動を遂行するのを知覚するのにも使

われるし,みずから行動を実行するのにも使われる.

行動の構造には社会平面と物理平面の両方が関わる.物理平面には機能の記述(達

成すべきことは何か)が関わるほかに,もっと厳密に物理的な記述(どんな動きを

伴うか)も関わる.後者は実際の運動スクリプトとリンクしており,このスクリプ

トは固有受容感覚に導かれた筋肉の活性化としてその行動を実現する.

行動の構成を支える構造的な関係には,次のものが含まれる:

a. 複数の行動を〈主要部〉〈準備〉〈終局〉としてもっと大きな行動を構成するこ

と;

b. 同時進行の主要部の調節;

c. 確認による〈プロセス〉の調節;これにより〈プロセス〉は終了となる;

4 "fast and frugal strategies"

43

d. 時間順序のない主要部(e.g. 水の計量とコーヒーの計量)

e. 同時に生起する〈主要部〉(e.g. 握手とアイコンタクト);また,おそらくこれ以

外にも可能な時間関係はあるだろう.こうした構造の選択肢は行動の「文法」

の一部をなしていると考えられる.

人の記憶にはさまざまな装置の仕組み・はたらきに関する情報が大量に貯蔵され

ている.その情報は,特定のものだけに限定されているもの(私のキッチンの蛇口)

から,非常に一般的なもの(電気器具)まで,あらゆる度合いの特定性に及んでい

ると思われる.おそらく,「素朴物理学」はこうした種類の情報のもっとも一般的

なスキーマのひとつなのだろう:つまり,「物体や物質ははどんなはたらきをする

か」というスキーマなのだ.

また,特定の事物の通常のありかについても大量の情報が記憶されている.

行動のオンラインでの構築は,多くの場合,記憶されたルーチンの明示的な選択

によって推し進められているわけではない:あらゆる選択を明示的にすると,計

算量が爆発してしまう(フレーム問題).そうではなく,行動はある程度まで骨格

のみのスキーマ的なものとして記憶されている.実行される行動がもつ複雑性は

次の a-b の帰結である

a. 複数の記憶された行動の構成;

b. 目下の文脈に合わせてスキーマの変項を具現化・束縛する.これには他の行動

との合成も含まれる.こうした変項には,その行動に関わるキャラクタや移動

先の場所などが含まれる.

多くの場合,行動の構成は意図された行動を開始するのに必要とされる状況が目下の状

況からどのようにかけ離れているかによって動機づけられている.この隔たりは物理的に

必要な事柄(自分の手をしかるべき位置にもっていく,物体をつかむ,など)の問題であるこ

ともあれば,知覚的な注意の問題(コーヒーポットの汚れ〔に気付くこと〕)であったり,予見

の問題(コーヒー豆が不足する)であったりすることもある.

状況の隔たりにより,行為レキシコンへの呼びかけが惹起される.この呼びかけ

に対しては,記憶された行動から適切なものがことごとく我も我もと応答してく

る.実際に実行される行動の選択は,コストが 小になるものはどれかという規

準でなされる.ここでいうコストは,いまのところきわめて文脈依存的なワイル

ドカードとなっている.

44

ここでの議論には,Schank and Abelson (1975) の「スクリプト」や Minsky (1975) の

「フレーム」を想起させるものが含まれていますね.こうしたアプローチでは,複合行動

は構造化された知識として記憶されているため,毎回いちから(一般問題解決器か何かを使

用して)複合行動を組み立ててやらなくてすむのだと主張されました.こうした主張は,ス

トーリーを理解するためには行動についてどんなことがわかっていないといけないか,と

いう観点から述べられていました――たとえば,「ビルはハンバーガーを頼んだけど,焦げ

ていたのでチップをはずまなかった」という語りで言外のウェイターがいることを理解す

るには,レストランについてどんなことを知っている必要があるか,といった論じ方がな

されたわけです.もちろん,ここで私たちが関心をもっているのは,「行動を実行するには,

それについてどんなことを知っておく必要があるか」ということです.とはいえ,これら

異なるタスクも結局のところは同じ種類の知識を必要としていると考える方が妥当でしょ

う.たとえば,「コーヒーを淹れるルーチンではどんなことが記憶されていないといけない

か」という問いを別の言い方に翻訳するなら,「コーヒーメーカーに付属する説明書にどん

な文章や図解をいれておかねばならないか」とでも言えるかもしれません.(こうした初期

のアプローチでは〔行動の理解と実行が必要とする知識が〕同じものにいきつく可能性が認識され

ていたと私は考えています.)

私の印象を言いますと,スクリプト/フレームという着想が失敗したのには多くの理由

があったように思います:第一に,偶発的な事柄が多すぎてスクリプトで明示的に言及し

ておくのは無理でした;第二に,混合したスクリプト(e.g. レストランでの誕生日パーティ

ー)が関わる状況を特徴づけるのが困難だと判明しました;第三に,ごく明確なスクリプト

からごく一般的なスクリプトへの円滑な推移を可能にする継承階層の概念がありませんで

した.ここで述べてきたアプローチでは,次の a-b によってこうした問題を回避しようと

します.(a) 構成性を持ち出すこと.とくに,スキーマそのものに明示されている手引き・

指示によって常に推し進められているとは限らない〔行動の〕構成性に訴えること.(b) 一

般性の継承階層によって行動スキーマを組織化すること.ここで私は,発話産出における

語彙のアクセスと構成とのアナロジを用いています.発話産出はこの 25 年間で花開いた認

知科学の一分野です.(1970 年代の AI 研究でこれにもっとも近いアナロジは,おそらく

Lindsay and Norman (1977) の「デーモン」の概念でしょう.Minsky (1986) の「心の社会」

もこれと似たような路線ですね.)

言語の場合と同じく,行動にも学習の問題があります:私たちはいかにしてこうしたス

キーマ的な行動を頭に記憶していろいろなレパートリをもつにいたっているのでしょう

か?たしかに,スキーマ的な行動の中には明示的に教えられたものもありますが,それ以

外はちがいます.こうした新しい項目はどこからやってきたのでしょうか?これらはオン

ラインで集めた部品から組み立てられねばなりません.では,そうした部品はどこからや

ってきたのでしょうか?言語の場合と同じく,ここでも,さまざまな要素からなる基礎を

探すのがよいかもしれません.この基礎によって行動が組み立てられるわけです.これに

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は,基本行動だけでなく,基本行動を組み合わせる構造規則も含まれています.たとえば

主要部・準備・終局への分解も含まれます.そうしますと,ここで我々は,行動レキシコ

ンを習得する初期状態にあたる一種の「普遍文法」を模索しているわけです.

ここまで,複合的なプランを意識的に....

立てるプロセスは論じないでおきました.このプ

ロセスでは,おおよそゼロから出発して,行動がうまくいくように非常に多くの手順が計

画に付け足されていきます―― たとえば,コーヒーメーカーを発明する....

のがこれにあたり

ます.本章では,我々が日常生活でいつもやっている行動のおおよそ自動的な構築を論じ

てきました.その要点は,そうした他愛ない何気ない行動ですらいかに豊かであるかを見

ることにあります.もちろん,こうしたスキーマが記憶に増えれば増えるほど,行動は円

滑になります:行動レキシコンへの呼び出しは多くの結果を返すようになり,そこから行

動を選択できるようになります.呼び出しの結果がゼロなら,意識的な創意工夫に頼らな

くてはならなくなります.

この章の締めくくりに,言語理論との類似点をまとめておきましょう.言語構造と同じ

く行動の構造もそこここで構成素を二重三重に埋め込んだ構造となりえます.言語構造と

同じく,行動の構造も,とりうる構造の範囲を限定するある種の文法によって決定されて

いるように思われます.そうしますと,この行動の文法は Hauser, Chomsky, and Fitch

(2002) の仮説への反例となります.彼らの仮説では,再帰の存在こそが人間の言語を他の

認知能力と異なる独自なものにしているとされているのです.さらに,行動レキシコンは,

言語のレキシコンと同じく巨大で,行動スキーマのなかにはその行動に関わる対象物に部

分的にインデックスをつけられているものもあります.言語のレキシコンと同じく,行動

レキシコンは継承階層で構造化されています.この継承階層により,一般的なスキーマか

ら特殊なスキーマまで,あらゆる一般性の度合いのスキーマが相互に関連づけられます.

言語尾構造の構成と同じく,行動の構造の構成にも,変項の具現化と束縛が関わっていま

すし,もしかすると量化も関わっているかもしれません.また,言語産出からの類推によ

って,行動のオンライン構築についてもいくらか妥当な主張を立てることができました.

さらに,言語構造と同じく,行動の構造もじぶんの行動の産出だけでなく他人の行動の理

解にも利用できます.

言語に特殊な性質があることを否定したいと願うひとたちは,ここから言語は行動一般

から派生した産物だと言いたくなるかもしれませんね.そうした結論は誤っていると私は

思います.なんといっても,いまのところ行動の理論は安楽椅子でなされた思弁に毛が生

えたようなものでしかないのです.その根拠はロボット工学や計画立案の研究がいくらか

あるばかりで,心理学的な実験はほとんどなく,深く突っ込んだものになってもいません.

ですので,何十年にもわたる言語研究を否定するまともな正当化にこれを使うことはきわ

めて困難なのです.

46

加えて,ここで達成したごく原始的な段階においても,〔言語と行動の〕重要な相違点は認

められます.たしかに,言語には構造の組織化,記憶,処理など心の他のシステムと共有

された一般原理がたくさん関わっています.これは当たり前のことです.しかし,言語が

心の機構で果たしている役割は他と異なっています.言語は,思考の構造と明示的なコミ

ュニケーションの表現とを双方向でつないでいるのです.行動はこれとかなり異なる役割

をもっています.また,これ以外に言語を特別なものとしているのは,個別の構造の形式

に一般的な原理が適用されているという点です.行動にもツリー構造はありますが,その

構成素の範疇と配列は言語のツリー構造のそれ(とくに,音声と統語のそれ)と異なります

(本書の第 1 章と第 2 章,および,Pinker and Jackendoff 2005, Jackendoff and Pinker 2005

を参照).行動と言語の構造に共通の基盤があるとしたら,それは概念構造でしょう.おそ

らく,概念構造ならば複合構造の諸相を符号化することが可能です.しかし,概念構造は

思考一般の組織化であって言語に特有のものではありません.

このように,結論は入り混じっています.ときに主張される説と異なり,言語の再帰的

な創造性は言語に特有ではありません.しかし,言語はそのはたらきから見ても使用され

る具体的な構造の素材から見てもたしかに特殊なシステムにちがいないのです.

47

第 7 章 主観的/客観的な心理述語・評価述語

Objective and Subjective Psychological and Evaluative Predicate.

7.1 問題

本章では,interesting や bored のような評価述語と心理述語の分析を発展させる.第 6

章で言及したように,一部の知覚動詞とおなじく,こうした動詞が構成する領域も意味的

な項を統語論に写像することがむずかしいことがこれまでに知られている.問題は,(1a, b)

が同義語に限りなく近いのに,その主語と目的語は入れ替わっているということだ:

(1) a. John fears sincerity.(ジョンは誠実さを恐れる)(経験者主語,刺激目的語)

b. Sincerity frightens John.(誠実さはジョンを恐れさせる)(刺激主語,経験者目

的語)

人間による概念化という観点から見てもっと重要な問題もある.それはこうした述語の

解釈から生じる問題だ.これのうまい例は,学者の間であまりにおなじみの修辞的な方略

にみつかる:ある権威が (2) のように発話するとしよう,

(2) Problem P isn't interesting.(問題 P はつまらない)

すると,問題 P に取り組んでいる人たちはそろって自分が愚かなような気がしたり,愚弄

されたような気がしてくる.それでいて,理由はよくわからない.ところが,その同じ人

が次のように発話すると修辞的な効果はさっぱり切れ味が悪くなってしまう:

(3) a. Problem P doesn't interest me. (問題 P はぼくにはつまらない)

b. I'm not interested in problem P. (ぼくは問題 P に関心がない)

直観的にどこが違うかというと,(3) は面白さを観察者の心の中のこととして主観的に枠

づけるのに対して,(2) は面白さを客観的で視点に左右されない問題の特性として枠づける

ので,これに対して異議を唱えるというのはばかげたことになってしまう.このため,(2) を

48

発話すると,自分は真理に関して力をもっているのだと言外に想定していると匂わせるこ

ととなり,見解の相違の余地は残らなくなる.

もちろん,面白さは問題に内在しているわけではない.そこが興味を引く.面白いと感じ

る何者かが必要なのだ.というわけで,問題はこうなる:どういうわけで,概念システム

は面白さを対象の客観的特性として扱ったりするのだろうか,そして,この述語の体系で

客観的なものと主観的なものにはどんなちがいがあるのだろうか? セクション 6.6 で観

察したように,同じ問題は知覚動詞にも生じる.たとえば,You look marvelous, darling と

いう文では,その見え方が客観的な事実であり見る者に左右されないかのように動詞が使

われている.

7.2 情動/評価の⼼理述語

この 2 つの問題にほどよく一般的なかたちで取り組むべく,〔いま取り上げた〕 interesting

を含む情動/評価の表現のクラスに目を向けることにしたい.意味論で体系立っているこ

とと形態論で部分的にしか体系立っていないこととを区別してやるには,言語的な細部を

たっぷりと検討しておくのがいい.

ここでは 6 つの文法形式を取り上げる.(4) では,これらの形式を語用論的な傾斜にそって

並べている.上から,経験者をもっとも前景化するものにはじまり,順に下って 後に刺

激をもっとも前景化するものがきている.それぞれの語幹は,6 つある形式のうちの一部に

しかあらわれない. bore と detest の 2 つで語形変化を埋めて説明しよう.

(4) a. I'm bored. (経験者-形容詞)

b. I'm bored with this. (経験者-形容詞-刺激)

c. I detest this. (経験者-動詞-刺激)

d. This bores me. (刺激-動詞-経験者)

e. This is boring to me. This is detestable to me. (刺激-形容詞-経験者)

f. This is boring. This is detestable. (刺激-形容詞)

表 7.1 (pp. 220-223) には,どういう形式であらわれるかという順序でこうした述語を約 70

点列挙している.

こうしたデータからは,いくつものことが観察できる.

まったく同じ形容詞がフレーム (4e) と (4f) にあらわれている.このため,(4e) の経

験者の項は一様に随意的なのだとみなせる.これは表 7.1 に反映していて,タイ

プ (4e) と (4f) は E/F の列にまとめてある.

動詞 V が刺激-動詞-経験者のフレーム (4d) に生起する場合,通常はその動詞には関

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連する経験者形容詞の V-ed (フレーム (4a, b))や刺激形容詞 V-ing(フレーム

(4e, f))がある.Bore はその典型例だ(bored と boring);こうした動詞はテー

ブル 7.1 のグループ Ia にあらわれている.ところが,こうした動詞の中にはち

がう接辞がついた派生形容詞をもつものもある

(e.g. attract/attracted/attractive,

disgrace/disgraced/disgraceful,

endanger/endangered/dangerous,

impress/impressed/impressive,

nauseate/{nauseous/nauseated}/nauseating,

offend/offended/offensive, scare/scared/scary).

また,別の動詞のグループが Ib にみつかる.このグループには関連する形容

詞がない;〔たとえば〕bug (This problem bugs me) や matter には関連する形容

詞がない.

経験者-動詞-刺激のフレーム (4c) に生起する多くの動詞には関連する刺激形容詞があ

る(フレーム (4e, f)).これはグループⅡにみられるとおりだ

(e.g.

abhor/abhorrent,

detest/detestable,

enjoy/enjoyable,

like/likable,

loathe/loathsome,

value/valuable).

しかし,こうした動詞の大半には,関連する経験者形容詞がない(フレーム (4a,

b))(ただ,形式 fear/feaful/?fearsome は存在する).

たいていの場合,同じ動詞が経験者-動詞 -刺激のフレーム (4c) と刺激-動詞-経験者の

フレーム (4d) に生起することはない.しかし,Pesetsky (1995) の指摘によると,

動詞によっては両方で生起するものもあるそうだ(グループⅢに挙げてある):

delight, grieve, puzzle, worry.

(5) a. I delight in this. vs. This delights me.

b. I grieve over this. vs. This grieves me.

c. I've puzzled over this. vs. This puzzles me.

d. I worry about this. vs. This worries me.

50

フレーム (4a, b, e, f) に生起する多くの形容詞と同じく,bored, boring および

detestable は形態的に動詞の語幹から派生したものだ.ただ,グループⅣにみら

れるように,これは必ずしも一般的に成り立つわけではない.たとえば,happy,

ecstatic, nervous はフレーム (4a, b) に生起するけれども,動詞に関連してはい

ない;funny, worthless, important はフレーム (4e, f) に生起する.さらに,グル

ープⅠb とⅣにみられるとおり他のパターンも可能だ.たとえば,形容詞の calm

はフレーム (4a) に生起するとともに,動詞 calm としてフレーム (4d) にも生起

するし,形容詞 calming として (4e, f) にも生起する.Elated はフレーム (4a, b)

に生起するけれども,(私の方言では)elate という動詞はなく,そこから「派生」

したわけではない.Apprehensive はフレーム (4a, b) に生起するけれども,動詞

apprehend は意味が全くちがう.Curious と sad は経験者特性(フレーム (4a, b))

と刺激特性(フレーム (4e, f))のどちらにもあらわれる.

フレーム (4b) の形容詞は選ばれる前置詞にちがいがある.その選択の仕方は大半

が独自で規則性はない:bored with this, apprehensive about this, amazed at this,

という具合だ.こうした選択の背景には意味的な動機づけがあるのかもしれない

が,ここでは論じないでおく.

一部の例では,フレーム (4b) で刺激をあらわす補部が2つ別々にあわわれていい

ものもある(e.g. angry with Bill about the party, irritated at Mary about the

mistake).Pesetsky (1995, 60) では,「ターゲット」と「主題」という 2 つの役

割を区別している;さしあたり,ここでは 2 つを区別しないでおく(ただ,そうす

ることで見失うものがあることはたしかだ).

ようするに,心理動詞と形容詞は派生形態論によくある準規則性と非規則性を示す,と

いうことだ.

7.3 経験者主語の形容詞・動詞

では,(4) のフレームを形式化することから手をつけるとしよう.目標は,こうしたフレ

ーム間の意味的関係に自然な説明をつけることだ.フレーム間に形態的な関係がなりたっ

ている場合,そうした関係は重要な手がかりとなる.形態的に関連した項目は意味的な中

核を共有していることがよくあるからだ.まずは,フレーム (4a, b) にある経験者主語の形

容詞からみていこう.

経験者主語のフレーム (4a) の形容詞には,重要な区分がある.一方でたとえば bored の

ような形容詞は,(6a) のように純粋な,あるいは内在的な「感覚・気分」をあらわす.他

51

方で,たとえば interested のような形容詞にはつねに暗黙の〈刺激〉項がある:「なにか」

に関心を持つことなく興味を覚えるなんてありえない.このため,(6b) は不適切となって

いる.

(6) a. I'm not bored with anything in particular, I'm just (plain) bored.

〔べつにこれといってなにに退屈してるってワケじゃない.ただ(とにかく)退屈なんだよ.〕

(他に calm, depressed, distressed, elated, enraged, excited, happy, joyful,

nervous, sad, scared, terrified, upset なども同様)

b. *I'm not interested in anything in particular, I'm just (plain) interested.

〔*べつにこれといってなにに関心を持っているワケじゃない.ただ(とにかく)興味があ

るんだよ.〕

この区別は,Table 7.1 の A 列と B 列の構成に反映している.A 列には bored のように

内在的な感覚・気分をあらわす形容詞しか含まれない.B 列には interested のように何か

かに差し向けられた感覚をあらわせるものが含まれている.内在的な感覚・気分をあらわ

す形容詞は全て指向的な感覚をもあらわせるので,B 列には A 列の形容詞も全部含まれて

いる(ごくわずかな例外もある.itchy や nice のような刺激主語の変異をもつものがそれだ).

これら 2 つのクラスの対比は,swallow と eat にみられる対比と並行している.

(7) a. I didn't swallow anything, I just swallowed.

b. *I didn't eat anything, I just ate.

Jackendoff 2002a 第 5 章での分析を踏襲して言うと,eat(食べる)という動作には必ず

2 つのキャラクタが関わっている.そのうちの一方は義務的に統語的にあらわれる.このた

め,ある人が食べているなら,その人は必ず「何か」を食べている.これに対して,swallow

(飲み込む)という動作には意味的な項で義務的なものはひとつしかない.それは行為者

(Actor) だ.飲み込まれる物体(〈被動者〉)はその動作において随意的なキャラクタとなって

いる.同じ分析は bored 対 interested にも適用できる.図 (8) のとおりだ.

52

(8)

つまり,退屈は「純粋な気分」でもありうるし,特定の刺激に結びついたものでもあり

うる.このことは,Table 7.1 の A 列にある述語全てに成り立っているようだ.これと対照

的に,興味はある刺激に差し向けられている(B 列の他の述語でも同様).このことは,刺激

がそれと名指されることなく文脈から推測されている場合でもかわらない5.

このような「純粋な気分」と「指向的な気分」のちがいは,言語と関係はないようにみえ

る.そうではなくて,人間の経験から生じるものであるらしい.感情の文化的普遍事項に

関する研究 (Ekman and Davidson 1994) をみると,経験には周囲から独立した「気分」(mood) や

「純粋な感情」(pure emotion) と特徴づけうる側面がある,ということが示されているようだ.

こうした側面には,しあわせ・悲しみ・平穏・不安・おそれ・いらだちなどが含まれる.

一方で,内在的に「指向的な感情」もある.たとえば〔何かに〕魅力を感じること,うんざ

りすること,興味をもつこと,屈辱を覚えること,恥じ入ること,などがそうだ.こうし

た感情は,まわりの環境にある(もしくはみずからの心の内にある)なにごとかへと結びつ

く必要がある.ところが,「純粋な感情」もまた特定のなにごとかに差し向けられたり結び

つけられたりすることができる.よって,たとえば (6) に例示してある意味分類は偶然の

産物ではない.こうした分類は心理的に自然なものなのだ.

概念意味論における形容詞述語の標準的な形式化を (9) に示す.NP be Adj の統語フレー

ムにあらわれた形容詞は,その主語によって明示される個体の特性をあらわす.(9) の添字

i と j は,それぞれ,意味的な項位置の X が統語的主語に対応することと,意味的な項位

置 Y が形容詞句に対応することを示している6.さしあたって,マクロ役割層は考慮から

外しておこう.この点はセクション 7.6 であらためて取り上げる.

5 Interested の暗黙的な項は eat のそれとちがって定 (definite) だ:I’m eating は I’m eating something を短くしたものであるのに対して,I’m interested は I’m interested in it/that を短くしたものだ.定の

暗黙的な項は,たとえば know や remember にも生起する:I know/remember は ‘I know/remember it/that’ を意味するのであって ‘I know/remember something’ を意味するわけではない (Grimshaw 1990; Culicover and Jackendoff 2005, 176). 6 この形式化は,伝統的な論理学的な形容詞述定の分析とはその精神において異なっている.そのやり方

で形容詞述定を表記するなら,下記の (i) のようになる:

(i) 音韻/統語: NPi is APj

意味: Yj (Xi)

NP is bored (with NP)

X BORED (Y)

NP eat (NP)

X EAT (Y)

NP swallow (NP)

X SWALLOW (Y)

a.

b. NP is interested (in NP)

X INTERESTED (Y)

53

(9) 音韻/統語: NPi be APj

意味: Xi BE [Property Yj]

例: Sam is old = SAM BE OLD

ここで分析対象としている形容詞をこのテンプレートにあわせたい.そこで,これらを全

て (10)-(11) のように特性として符号化しよう.

(10) 経験者-形容詞-(刺激)(内在的または指向的)

a. Sam is bored.

SAM BE [Property BORED]

b. Sam is bored with school.

SAM BE [Property BORED (SCHOOL)]

(11) 経験者-形容詞-刺激(指向的な感情のみ)

a. Sam is interested.

SAM BE [Property INTERESTED (Z)]

b. Sam is interested in school.

SAM BE [Property INTERESTED (SCHOOL)]

例: Sam is old = OLD (SAM)

分析 (i) では,例としてあげた形容詞は 1 座の述語であり,それがたまたま統語的な適格性のために意味

のない動詞 be を要求しているのだとみている.これと対称的に,本文 (9) の分析では,単純な形容詞は

「特性空間」の位置を明示する意味的な定項とみている.この分析では,動詞の be にも意味があると考

えられる:Sam is in Pittsburgh の be が主語と空間的な場所のつながりを確立させるのと同じように,

ここでの動詞 be は主語と属性のつながりを確立させるのだ.Jackendoff 1983 第 10 章では,けっして内

項の主語をもつことがないという形容詞句の統語的な項構造が (9) の分析にはより密接に反映されている

と論じた.さらにこの論証からは get older のような句のうまい分析が導かれる.この句は特性空間にお

いて「OLD の方向への」変化を明示しているのだと分かるのだ.また,この論証にしたがえば,three years

older than Harry のような複合的な形容詞句にも自然な分析ができるようになる.この句の意味は three

miles down the road from Harry のような空間表現の意味と完全に平行しているのがみてとれる.

それでもなお上記の (i) に示したような分析を好む読者は,〔標準的な表記に〕翻訳することをすすめる.

とくに,個々の形容詞の意味分析に項をもう 1 つ加える必要が出てくる.これは主語に対応する項だ.た

とえば,interested in Z には 1 つではなくて 2 つの項があるとすることになる:つまり,Z プラス主語だ.

54

2 つのちがいは (10a) と (11a) にみてとれる:後者では,たとえ明示的な NP 補部が不

在だったとしても「了解済みの」または「暗黙の」項 Z があって,これに関心が差し向け

られている.これにより,(8) の分析が導かれる.このため,boring のような形容詞(Table

7.1 の A 列にある形容詞)の一般的な構造は (12a) となり,interesting のような形容詞(A

列ではなく B 列にある形容詞)のそれは (12b) となる.F についている添字はこの 2 つの

クラスを区別している.

(12) a. 内在的または指向的な感情(e.g. bored, calm, depressed, happy)

[Property Fi <(Z)>]

b. 指向的な感情(e.g. amazed, amused, interested, pleased)

[Property Fd (Z)]

ここまでの分析にでてきたフレームは (4a)(経験者-形容詞)と (4b)(経験者-形容詞-刺激)

だけだった.次いで,これをさらに広げてフレーム (4c)(経験者-動詞-刺激)も含めてみよ

う:like, loathe, detest といった動詞がそれだ.直観的に言って,こうした動詞が明示す

るのは目的語=対象に対して主語がいだく感情だ.これらは形容詞でなく動詞なので,動詞

be は不要となる.こうした動詞を扱ういちばん簡単な方法は,指向的な感情には (13) の

ように述定関数 (predication function) の BE が結合しているとすることだ.

(13) a. 〈経験者〉主語を伴う他動詞(e.g. adore, fear, hate, like, loathe)

音韻/統語: NPi V NPj

意味: Xi BE [Property Fd (Zj)]

b. 〈経験者〉主語と斜格の〈刺激〉を伴う動詞(e.g. delight in, grieve over)

音韻/統語: NPi V [PP P NPj]

意味: Xi BE [Property Fd (Zj)]

上記のように,こうした動詞は標準的な述語テンプレート (9) にうまくおさまる.ただ

し,形容詞の意味とは異なる点もある:特性を特定するにとどまらず,これらの動詞は述

定関数 BE を「組み入れて」いるのだ.このため,連結動詞 (linking verb) の be は統語構

造には不要となっている.これはちょうど,(たとえば)セクション 6.1.2. で論じたように

enter のような動詞に GO と INTO が組み込まれているのと類似している.Enter と同

じく,こうした動詞は状況内の 2 つのキャラクタを指定せずオープンにしており,それぞ

れ動詞の主語と目的語(または斜格目的語)によって表現される.

55

7.4 〈刺激〉主語の形容詞

次に,フレーム (4e) を考察しよう.このフレームでは,形容詞が刺激主語と明示的な経

験者をとる (e.g. Golf is interesting to Bob).まず大まかな第一次近似として言うと,(14) に示し

た 2 つの文は同じ状況を記述している.唯一の違いは,Bob と golf の関係がどう表され

ているかという 1 点のみにある.

(14) a. Bob is interested in golf.(経験者主語)

b. Golf is interesting to Bob. (刺激主語)

言うまでもなく,(14a) は (11b) で取り上げた形式だ.我々としては,これにごく近い

ものから (14b) を得たい.そのひとつの方法は,形式論理でよくあるパラフレーズを使う

ものだ:すなわち,「ゴルフとはボブが興味をもっているようなものである」(Golf is such

that Bob is interested in it) とパラフレーズしてやる.このパラフレーズには (14a) と同

じ述語 ‘interested in’ が含まれている.ところが,これが述定しているのは変項の第一項

〔Bob〕ではなくて第二項〔golf〕の方だ.こうしたパラフレーズの関係は (15) のようない

わゆるラムダ抽象化によって形式的に得られる.ここにある λz という表記を非形式的に

読むと「~であるような」(such that) となる.INTERESTED の項となっている束縛変項の

z はそれを受ける代名詞の it と読むことができる.

(15) Golf is interesting to Bob.

GOLF BE [Property λz [BOB BE [Property INTERESTED (z)]]]

‘Golf is such that Bob is interested in it.’

〔ゴルフはこんなものだ:ボブが興味をもっているようなもの〕

こうした分析のもとではフレーム (4e) の形容詞の一般的な形式は (16) のようになる7.

(16) 刺激-形容詞-経験者 (e.g. amazing to X)

[Property λz [X BE [Property Fi/d (z)]]]

‘such that X has such-and-such a feeling about it’

7 こうではなく,逆に (14) のフレームを関連づけることも可能ではある.その場合,〈刺激〉特性を基本

にしてそこからラムダ抽象化により〈経験者〉特性を導き出す.これは間違ったやり方だと私は考える.

理由は 2 つある.第一に,これでは bored のようにまったく刺激の関係しない内在的な感情について説明

できない.第二に,こうした形容詞を「心理述語」たらしめているのは,本質においてこれらが観察者に

およぼす影響に関わっているということだ.このため,観察者の反応──感情──を基本にしてそれをも

とに〈刺激〉特性をつくるのは有意味となる.逆だとそうでない.

56

では,本稿のもともとの問題を考えるとしよう.これはフレーム (4f) に属する:That’s not

interesting. この文と (4e) の違いは,明示的な経験者がないという一点だけにある.この

相違は,セクション 6.6 での look/sound/seem/etc. の分析とそっくり対応している.前置

詞 to を使っているところまでおんなじだ.

(17) a. Pat looks wonderful to Bob. (主観的な判断の報告)

b. Pat looks wonderful. (視点を限定しない)

c. Golf is interesting to Bob. (主観的な判断の報告)

d. Golf is interesting. (視点を限定しない)

このように,どうやらここでも同じことが成り立っているとみるのが適切なようだ:す

なわち,不特定の総称的な観察者に関心・興味を帰属させるといい.この総称的な観察者

は概念構造において YA と表記する8.この分析をとると,Golf is interesting は (18) の

ようになり,フレーム (4f) の形容詞の一般的な形式は (19) となる.

(18) Golf is interesting =

GOLF BE [Property λz [YA BE [Property INTERESTED (z)]]]

‘Golf is such that one is/people are interested in it.’

〔ゴルフとはこんなものだ:人が/人々が関心をもっているようなもの〕

(19) 「客観的な」刺激主語形容詞((16) と同じ形容詞だが to X がない)

[Property λz [YA BE [Fi/d (z)]]]

‘such that ya/people have such-and-such a feeling about it’

〔みんなが/人々がそれについてしかじかの感情をもっているような〕

これと異なる分析として可能なものをセクション 7.6 で示す.

7.5 刺激主語動詞

後に,フレーム (4d) を考えよう.これは,This interests me の interest のような刺

激主語の動詞だ.いちばん単純な分析の仕方は,This interests me は本質的に This is

8 本書を出版に回したあとになって発見した Lasorsohn 2005 では,本章で論じた刺激主語述語の部分集

合について形式意味論的な分析を提示している.Lasorsohn が記すところでは,「客観的な」形式の暗示

的な〈経験者〉は語用論的に確立される.たとえば Was that fun?(あれは面白かった?)は Was that fun for you?(あれはキミにとって面白かった?)を意味する.ここでは記していなかった事実だ.ただ,〈経験者〉は

総称的な「人々」または YA でもありうるというここでの提案を Lasorsohn は棄却している.前章と本

章で論じている述語の総体をみてみれば,彼の結論が間違っているとみる方が妥当と考えられる.

57

interesting to me に同義だとすることだろう.そうすると,非形式的なパラフレーズとし

て This is such that I am interested in it’(「これは私が興味を持っているようなものだ」)が

得られる.形式的な構造は (20a) だ.しかし,(20a) は形式的には冗長で,外側〔左側〕

の BE とラムダ抽象化が論理的に打ち消しあっている.これと論理的に等値でずっと単純

なのが (20b) で,これを非形式的にパラフレーズしてやると ‘I am interested in this’ と

なる.

(20) 音韻/統語 NP1 interests NP2

意味 a. X1 BE [λz [Y2 BE [INTERESTED (z)]]]

‘NP1 is such that NP2 is interested in it.’

b. Y2 BE [INTERESTED (X1)]

‘NP2 is interested in NP1.’

(20a) と (20b) の唯一のちがいは,(20a) ではラムダ抽象化によって〈刺激〉項がより

顕著となっているという点だけだ.これは〈刺激〉項を主語位置においたことの意味論上

の相関だとみることもできるだろう.次のセクションでは,これとはちがう方法で同じ効

果を得ることをみる.第 6 章で提案したのと同じ路線でマクロ役割層を使うのだ.

しかし,まずはこれ以外の可能性を排除しておかないといけない.Pesetsky (1995) は,刺

激主語動詞は意味が異なるのだと提案している.彼の見解では,こうした動詞は使役動詞

なのだという:This interests me が意味するのは,おおまかに言って ‘This causes me to

be interested in it’(「これによって私はこれに興味を持たされる」)だというのだ.これを本書の

枠組みで形式化すると (21) のようになるだろう.

(21) 音韻/統語 NP1 interests NP2

意味 X1 CAUSE [Y2 BE [INTERESTED (X1)]]

‘NP1 causes NP2 to be interested in NP1.’

こうした分析は,とくにこのクラスの動詞,たとえば attract については妥当だ(ただし

Pesetsky は attract を例にあげてはいない).この動詞には空間的な意味がある.たとえば

The magnet attracted the iron(磁石が鉄を引き寄せた)は大体 ‘X causes Y to move toward

X’9 という意味だ.その心理的な意味の方にもこれと並行した感じがする:This problem

9 まあ,そうとも言い切れない.これは The magnet attracted the iron filings, but they didn’t move(磁

石が鉄くずを引き寄せたが,鉄くずは動かなかった)のような例からわかるとおりだ.もっと正確な分析

をするなら,含まれるのは CAUSE ではなくて CSu という変異となる.この CSu は Jackendoff 1990 の第 7 章で示したもので,Talmy 1988 の「力動性」分析を踏襲している.CAUSE と CSu のちがいは,

Bill forced Sam to leave と Bill pressured Sam to leave のちがいで例示できる.どちらもビルによって

力がサムに加えられている.しかし,サムを立ち去らせるという目標を達成するのは前者だけだ.こちら

58

attracts me は,その「問題」が放つ心理的な力が「私」に作用して私がそれに取り組む方

へと近づくのだと示唆する.同じく enrage と embitter も ‘cause to become enraged’ や

‘cause to become bitter’ とパラフレーズできるということからみて,同類の候補とみてよ

さそうだ.

他方で,このクラスの他の動詞だと使役文へのパラフレーズがかなりぎこちなくなる.

Pesetsky 自身も,This appeals to me や This matters to me のような刺激主語動詞をあ

げて,これらでは使役文のパラフレーズがナンセンスだと指摘している:*’This causes me

to be appealed to/mattered to by it’.同じように,ふたたび interest について考えてみよ

う. ’cause to become enraged’ と比べて,使役分のパラフレーズ ‘cause to become

interested in’ はどちらかというとぎこちなく感じられる.

たしかに,一定の文脈でならこのクラスの多くの動詞にも使役の読みがでてくる.(22a, b)

にみられるとおりだ.

(22) a. Will tried/intended to please Harry. (Will tired/intended to make Harry be

pleased with him.)

b. In order to puzzle the cops, … (‘In order to make the cops puzzled, …’)

しかし,このことはこうした動詞が常に使役的だと言うことを必ずしも意味しない.な

ぜそうなのか理解するには,be quiet のような状態述語を考えてみるといい.こうした動

詞が常に変わらず動作主的 (agentive) だとは誰も言わないだろう:動作主がいなくとも機械

や夜は quiet になる.しかし,(22) と似た文脈があれば,明らかにふるまいが意図的に操

作されているという含意がでてくる.

(23) a. Will tried/intended to be quiet.

b. In order to be quiet, …

第 8 章でみるように,こうした意図的操作の意味は try, intend, in order to が誘発する

「強制」によって生じているのであって,quiet そのものに由来しているわけではない.と

うてい意図的な操作をしようがない述語であれば,こうした文脈でも不可能となる.

(24) a. *Will tried/intended to be born two years later.

b. *In order to be born two years later, …

が真性の使役すなわち CAUSE だ.後者の場合,サムがじっさいに立ち去ったのかどうかハッキリしない.

これは CSu からの適正な推論だ.

59

このように心理述語と並行していることからみて,おそらく (22) の動作主性も同じく強

制の結果だと考えられる.

したがって,多くの刺激主語動詞には,単純な状態読みがあり,その読みでは This Xs me

(e.g. This interests/pleases/worries me)は実質的に I am Xed Prep this(I am interested

in/pleased with/worried about this)と同義となる.言い換えると,attract や enrage のよ

うに内在的に使役的な刺激主語動詞と,interest, please, appeal to といった内在的に非使

役的な動詞とがあるということだ.ただし,この後者は一定の文脈では (22) のように強制

によって使役読みにできる.

Pesetsky の観察によれば,cause や make といった使役動詞を明示的にともなう文では,

動作主は必ずしも〈刺激〉でなくてもかまわない.(25) にみられるとおりだ.他方で,単

純な動詞の anger や worry は,(25) のように〈刺激〉の表現が動作主と異なるのを許容

しない.

(25) a. The article in the paper [動作主] made Sam angry at the government [刺激].

Dan’s behavior [動作主] made Barbara worry about his sanity [刺激].

b. The article in the paper angered Sam (*at the government).

Dan’s behavior worried Barsbara (*about his sanity).

Pesetsky はこの観察にはより深い一般性を反映しているのだとみており,これには普遍

文法による説明がもとめられるのだという.そこで,彼は統語理論の根本的な改革へと向

かう長い推論の筋道をたどってゆく.しかし,実のところ,(25b) の文末の PP が非文法

的なのは,まったく根本的な問題などではない.Pesetsky 自身も指摘するように,このク

ラスの多くの動詞は (26) のように動作主と刺激が異なるのを許容し,ほぼ同義ありながら

許容しない動詞と 小対をなすこともしばしばだ (27).

(26) a. Nancy riled Fred up about their taxes.

b. The news got Sam down about his income.

c. The concert turned me on to Beethoven.

d. The article in the paper pissed Sam off at the government.

e. Dan interested Barbara in chess.

(27) a. Nancy irritated Fred (*about their taxes).

b. The news depressed Sam (*about his income).

c. The concert excited me (*about Beethoven).

d. The article in the paper angered Sam (*at the government).

e. Dan intrigued Barbara (*with chess).

60

終的に Pesetsky は統語的/形態的な機構の奥ふかくに隠れた素性をアドホックにこ

うした相違に結びつけてしまっている.統語的な下位範疇化の表面的な相違に結びつけて

やる方がそれよりも単純(かつ学習者にとって自然)だと思われる.筆者がとるのはこの立

場だ.(Pesetsky の方略に対するさらに周到な反論は Culicover and Jackendoff 2005 を参照.)

さらに,(26)-(27) の動詞タイプだけが使役的な刺激主語動詞の変異形だというわけでは

ない.

動詞によっては,〈刺激〉は動作主と同一だと理解される;これはたとえば This

attracts/repels me の場合に間違いなく成り立っている.

別の動詞では,〈刺激〉が動作主と同じであってもそれは破棄可能なことでしかない.

これは Pesetsky の例 This article about heart disease worries me – and not

about my own health にみられるとおりだ.

さらに別の動詞では,内在的な感情の使役があらわされる.たとえば The ghost

story frightened/depressed me がそうで,この場合,「私」は怪談ことを恐れたり

暗い気持ちになっているのではなく,たんに恐れたり暗い気持ちになっているのだ.

こうした場合,主語はもはや〈刺激〉ではなく,たんに動作主であるにすぎない.

このように,まぎれもない使役読みが可能なときには〈刺激〉の地位は動詞によっ

て異なってくる.

Pesetsky は,一般に〈刺激〉は動作主と同一だとはかぎらないことを示そうとして次の 2

つの例を挙げている (1995: 57-58):

(28) a. *John worried about Mary’s poor health, but Mary’ poor health did not

worry John.

b. (*)Mary’s poor health worried John, but John did not worry about Mary’s

poor health.

彼の主張によれば,(28a) は矛盾しているが (28b) は矛盾していない.Mary の容態がす

ぐれないことでジョンが心配になったのは何か別のことかもしれないからだ.私としては,

Zubizarreta (1988; Pesetsky (1995, 300n52) に引用) に同調して,Pesetsky の判断をしり

ぞける:(28a,b) はどちらも等しくよくない.この点は,動詞を attract や annoy にする

といっそう明らかとなる.

(29) a. *John was attracted to/annoyed with the dog, but the dog did not

attract/annoy John.

b. *The dg attracted/annoyed John, but John was not attracted to/annoyed

61

with the dog.

ただし,動詞を frighten にするとちがいがでてくる.

(30) a. *John was frightened by the news, but the news did not frighten John. (矛

盾あり)

b. The news frightened John, but John was not frightened of/about the news.

(矛盾なし)

(30b) の of/about を by に変えると,文は矛盾したものとなる.2 つめの節が一つ目の

文の受動文になるためだ.刺激主語動詞のあいだにこうした変異がみられるがみられるこ

とから,〈刺激〉が動作主と同一となる必要があるかどうかに関して多くの語彙的な変異が

あるという結論が確証される.

こうして,刺激主語動詞については事態は次のようになっているということになる.単純

な非使役読みは一般に上記の interest のような分析と似たものになる;下記の (31a) にそ

の一般的な形式を示す.(31b-d) は使役読みの 3 とおりの変異を与えるもので,〈刺激〉項

の地位に関してそれぞれに異なっている.

(31) 刺激-動詞-経験者

a. 刺激主語を伴う動詞,非使役読み(e.g. appeal to, interest, please)

統語 NP1 V NP2 または NP1 V [PP P NP2]

意味 Y2 BE [F (X1)]

b. 動作主主語を伴う動詞で経験者を追加の項にとる(e.g. (26)

統語 NP1 V NP2 [PP P NP3]

意味 Z1 CAUSE [Y2 BE [F (X3)]

c. 動作主主語を伴う動詞,動作主は必ず刺激と同一(e.g. attract, repel)

統語 NP1 V NP2

意味 Y1 CAUSE [X2 BE [F (Y1)]

d. 動作主主語を伴う動詞,動作主は刺激と破棄可能な形で同一であり,刺激は〔動

作主と〕異なってもよいし,不在でもよい(e.g. frighten, depress, excite)(破

棄可能な項をイタリックで示す)

統語 NP1 V NP2

意味 Y1 CAUSE [X2 BE [F <(Y1)>]]

62

使役動詞のなかには,能動態で使える「使役的な」形容詞をつくるものがある.わかりや

すい例は annoying だ.これは進行形にとても上手く収まり,迷惑 (annoyance) を生じさせ

るようにふるまうことを表す (32a).こうした文脈は,astonishing では不可能と言ってい

い (32b).

(32) a. Harry is being annoying.

HARRY BE [Property λx [x CAUSE [YA BE [ANNOYED (HAPPY)]]]]

b. *Harry is being astonishing.

このことから,こうした述語のあいだに語彙的な変異があるという確証が得られる.

これで (4) の 4 つのフレームが主題層 (thematic tier) のみを使って解決できる.それでは,

ここで元にもどって,マクロ役割層を手がかりにそれぞれのフレームを見直すことにしよ

う.

7.6 マクロ役割層を加える

セクション 7.1 で観察したように,もともと心理動詞が問題となったのは (33) に示したよ

うな 小対を言語学者たちが取りざたしたときだ.このセクションでは (33a, b) のような

動詞を取り上げる.(33c) のような事例はセクション 6.5 で論じた.

(33) 〈経験者〉主語 〈刺激〉主語

a. John fears rejection. Rejection frightens John.

b. John likes golf. Golf pleases John.

c. John regards Sue as smart. Sue strikes John as smart.

ここまでの 3 つのセクションでやった分析を踏まえると,(33a) にはこんな構造を描くこ

とができる:

(34) a. John fears rejection.

JOHN BE [Property AFRAID (REFECTION)]

b. Rejection frightens John.

i. REJECTION BE [Property λz [JOHN BE [AFRAID (z)]]]

あるいは

ii. JOHN BE [Property AFRAID (REJECTION)]

63

さっき述べたように (34bi) と (34bii) の選択は問題含みだ.一方で,ラムダ抽象化は形

式的に込み入りすぎで,REJECTION を表現の外側にもっていって主語位置にリンクさせ

る機能しかはたしていない.他方で,(34bii) は (34a) と同一で,fear と frighten がちが

う動詞だということがはっきりしない.

第 6 章で示したマクロ役割層の分析がこの解決策をもたらしてくれる.(33) の動詞はすべ

てジョンの心の状態を記述しているから,どれもマクロ役割関数の EXP を含んでいる.

セクション 6.6 で提案したように,EXP は AFF とちがって,どのマクロ役割が主語位

置にリンクされるか内在的に決定しない.そのかわり,それぞれの EXP 動詞は個別にそ

の主語を標示しなくてはいけない.まさにこれこそ,我々が (33) の制約に必要としていた

ものだ.

(35) a. John fears rejection.

JOHN BE [AFRAID (REJECTION)]

JOHN EXP REJECTION

b. Refection frightens John.

JOHN BE [AFRAID (REJECTION)]

JOHN EXP REJECTION

つまり,明らかにややこしい (34bii) を捨て去っても動詞のちがいを捉えられるというこ

とだ.

マクロ役割層は〈刺激〉主語動詞の使役バージョンでも役だってくれる.顕在的な主語が

ある場合,マクロ役割層は AFF を含まないといけない.動作主(〈能動者〉(Actor) の一種)

は何者かに作用するからだ(したがってこの何者かは〈被動者〉(Patient) となる).もっとも

明瞭な例をあげると,interest の非使役バージョンと使役バージョンを比べてみるといい.

(36) a. Golf interests Bob. (非使役 = ‘Bob is interested in golf ’)

BOB BE [INTERESTED (GOLF)]

BOB EXP GOLF

b. That article interested Bob in golf. (使役)

ARTICLE CAUSE [BOB BE [INTERESTED (GOLF)]]

ARTICLE AFF BOB

同様に,内在的な感情の使役も AFF によりふつうの使役として分析できる.

64

(37) The story depressed me.

STORY CAUSE [I BE DEPRESSED]

STORY AFF ME

Bill amazed me のように動作主と〈刺激〉が同一の場合,2 つの可能性がある.ひとつは

(38a) で,CAUSE が予期される.もうひとつは (38c) のように主題層が非使役的な (38b)

と同じだがマクロ役割層は異なる構造だ.

(38) Bill amazed me.

a. BILL CAUSE [I BE [AMAZED (BILL)]] (動作主読み)

BILL AFF ME

b. I BE [AMAZED (BILL)] (純粋な経験者読み)

I EXP BILL

c. I BE [AMAZED (BILL)] (動作主読みの代替)

BILL AFF ME

これにより,amaze の 2 つの読みは feel の動作主読みと経験者読み(第 6 章 (26))や

look と see にとてもよく似たものとなる.(38a, c) の読みは作用であり,このため受動文

の I was amazed by Bill に等しくなる.これに対し,(38b) の読みは〈経験者〉主語形容

詞の I was amazed at Bill に等しくなる.これが正しい分析なのか,そしてこのように

CAUSE なしで済ませられるのか,私には定かでない.しかし,この可能性にはそそるも

のがある.

ここまで,マクロ役割層を心理動詞に割り当ててきた.ここで形容詞を考えることにしよ

う.心理形容詞にマクロ役割層があるのかどうか,私には定かでない.しかし,もしある

とすると,心理形容詞は心的状態を記述しているので,その関数は EXP のはずだ(ただし

annoying のような「使役的」形容詞は例外となる.これについては後述).〈経験者〉主語形

容詞の方は問題ない.

(39) a. Sam is bored. (内在的な感情)

SAM BE BORED

SAM EXP

b. Sam is amazed at Frank. (差し向けられた感情)

SAM BE [AMAZED (FRANK)]

SAM EXP FRANK

65

〈刺激〉主語形容詞の場合,2 つの可能性がある.一方では,セクション 7.4 で得た構

成に EXP 層を付け加えてやればいい (40).他方では,形式的に雑然としたラムダ抽象化

を消し去ってマクロ役割層にその仕事をさせられる (41).これは〈刺激〉主語動詞でやっ

たのと同じことだ.

(40) a. Frank is amazing to Sam.

FRANK BE [λz [SAM BE [AMAZED (z)]]]

SAM EXP FRANK

b. Frank is amazing.

FRANK BE [λz [YA BE [AMAZED (z)]]]

EXP FRANK

(41) a. Frank is amazing to Sam.

SAM BE [AMAZED (FRANK)]

SAM EXP FRANK

b. Frank is amazing.

YA BE [AMAZED (FRANK)

EXP FRANK

EXP 使用の例外のひとつは,annoying のような使役的形容詞の場合で,こちらはおそ

らく (42) のようなものとなる.

(42) Frank is being annoying.

FRANK BE [λx [z CAUSE [YA BE [ANNOYED (x)]]]]

FRANK AFF

ここで驚きとなりうるのは (39a) と (40b)/(41b) だけだ.(39a) はサムの経験を記述して

おり,その経験は世界とのつながりをもたない.このため,マクロ役割層には〈刺激〉が

ない.(40b)/(41b) は,Pat looks wonderful の分析を踏まえると,マクロ役割層に〈経験

者〉をもたない.その帰結として,この文はサムの属性に関する視点に縛られない「客観

的な」判断を表している.そしてこれが──やっと!!──ここまで我々が求めてきた結果

だ:Problem P isn’t interesting が客観的な判断にみえる理由がここにある.

66

7.7 マクロ役割層の値:さらなる「⼼の理論」

セクション 6.2 で記したように,マクロ役割関数 AFF には〔正負の〕値がともなう.AFF-

は第 2 項を〈被動者〉とする.つまり,このキャラクタに対してその出来事が起こる,と

いうことだ.AFF+ では第 2 項が〈受益者〉となる.つまり,このキャラクタの利益となる

ように出来事が起こるのだ.この 2 つのちがいは語彙的に標示されていることも多い.た

とえば hurting は AFF- で helping は AFF+ だ.心理述語の文脈では,新たに導入した

マクロ役割関数 EXP がこれと同様の値をとる.

この点を理解するため,まずは感情には正の値と負の値がともなうという当たり前の観察

から出発するとしよう:たとえば happy や calm は正,sad や angry は負という具合だ.

このため,内在的な感情の概念構造には値の特性が含まれているはずだ.指向的な感情に

も値はある(ただし impressed や puzzled のような少数の例外はあるかもしれない.これに

ついて私は判断をつけかねている).このことを関数にプラスやマイナスの記号をつけて表そ

う.

(43) a. delighted about Z

[DELIGHT+ (Z)]

b. disgusted with Z

[DISGUST- (Z)]

指向的な感情の値はマクロ役割層に反映される.このことはマクロ役割関数が AFF の場

合にいちばんはっきりしている.AFF で正負の値が意味することについてはすでに見てお

いたとおりだ.使役的な amuse と annoy のような事例を考えよう.それぞれ (37) や

(38a, c) のように分析される.amuse のように感情が正の値をもつ場合,その文は〈経験

者〉に利益がもたらされると解釈される.このため,AFF は感情の値にあわせて「調節」

されていると言える.

(44) a. What Sue did for/*to Tim was amuse him. (AFF+)

b. What Sue did to/*for Tim was annoy him. (AFF-)

この値の調節は EXP に拡張しても意味をなす.

(45) a. Sue is delighted with Tim.

SUE BE [DELIGHTED+ (TIM)]

SUE EXP+ TIM

67

b. Sue is disgusted with Tim.

SUE BE [DELIGHTED+ (TIM)]

SUE EXP- TIM

正負の値をとった EXP は「〈経験者〉が〈刺激〉について良い/悪い経験をする」とで

も考えるといい.(EXP にはこれ以外の場合もある.たとえば動詞 see は中立の値をもつ.)

マクロ役割関数を調節して感情の正負値に合わせる原則は次のようにまとめることができ

る:

(46) 値の調節

[…Fα … ]

(X) AFF/EXPα (Y)

(αは + から - までの範囲をとる)

これは 2 つの値の照合を保証する概念構造の適格性条件だ.10

セクション 6.4 では第 3 章で提案した意識の値特性すなわち経験において実体に付与され

る「感じ」へと EXP を関連づけておいた.see のような知覚動詞の文脈では,EXP は付

値 [+external, -self-initiated] の概念化として機能する.評価述語の文脈で値の記号が

EXP に付与された場合,さらにもう 1 つの特性が登場する.EXP+ の〈刺激〉項は

[+affective: valence+] と知覚された実体,すなわち肯定的な感情に彩られた実体に対応す

る.〔反対に〕EXP- の〈刺激〉項は [+affective: valence-] の実体,すなわち負の感情を

負う実体に対応する.(EXP の値をとらない知覚動詞は [-affective] か中立となる.)

通常,付値特性は当人の経験にしかあらわれない.つまり,〈経験者〉が ME のときにか

ぎられる:要するに〈刺激〉が腹の底から快いまたは不快だと当人が感じるときだ.対照

的に,他人の付置特性を経験することはできない.このため,EXP の値は他のひとたちの

経験を概念で代用したものとして機能する.だから,このことは心の理論のさらなる一面

を示しているわけだ.この概念化により,我々はみずからの経験に対応するものであるか

のように他人の経験について推論できるのだ.

10 これではあまりに単純すぎではある.That’s not interesting は「否定的な」値をもっていながらも,し

かしその指向的な感情そのものは肯定的だからだ.その重要なテクニカルな細部は別の機会にゆずるとし

よう.

68

7.8 なぜ主観的システムと客観的システムがあるのだろう?

本章では一貫して評価述語と心理述語に「主観的な」バージョンと「客観的な」バージ

ョンを区別してきた.第 9 章ではこの主観/客観の 2 分法を拡張して道徳的なそれも含む

価値にまで適用する.これは第 5 章で述べておいた事実にとってカギとなる.それは,道

徳システムは客観的・普遍的・無時間的なものと捉えられるという事実だ.また,「道徳的

相対主義」という用語が自己矛盾しており「没道徳的」にひとしいものだと多くの人に受

け取られる理由にとってもこの 2 分法はカギとなる.

どうしてこのように別々のシステムが認知に存在しているんだろう? また,一方と他方は

どう関わっているんだろう? 本章の 初で観察しておいたように,ある重要な一点におい

て,「主観的」な評価の方が人生にとって真実味をもっている:関心をもったり退屈するこ

とは根本において対象と知覚者の関係なのだ.ところが経験においては「客観的」な評価

の方があらゆる点で妥当だ:我々は特定の対象を単純に不快だと捉え,特定の人たちを単

純に魅力的だと経験するのであり,みずからの知覚に関する事実とは受け取らないのだ.

「客観的」な評価の場合,その当人が評価判断に寄与することは完全に透明で,その点は

ある対象の大きさや色の判断に当人が寄与することと似ている.この特性は知覚者によら

ず不変なので,計算的により単純となっている.しかし,個々人の評価のちがいを概念化

するためには「主観的」なシステムも必要だ:「この本はキミにとっては面白いけどボクに

とっては退屈だ」とか「この行為はキミにとってはおぞましくてボクにとっては魅力的だ」

という具合だ.しかし,こうしたちがいを認識するには心の理論が(私じしんの心も含め

て)必要となる──つねに認知的な切り替えが必要なのだ.

実践的推論において,我々はあっさりと 2 つのシステム間をジャンプしている.ときに (47)

のようなものが適切な推論の規則となっているようだ.

(47) 客観化と主観化

Y BE [Property λz [X BE [F (z)]]] ⇔default Y BE [Property λz [YA BE [F (z)]]]

(e.g. Y is interesting to X) (e.g. Y is interesting)

まずは,規則を左から右に読んでみよう.ME を経験者 X とする.すると,この規則に

よれば,私が Y のことを好きであるとき,あるいは Y が私にとって面白かったり価値が

あるとき,他の条件が同じならば,Y は客観的に面白いもの,価値あるものとなる.言い

換えれば,私みずからの判断はデフォルトにより客観的な価値の判断となるのだ.さらに

ちがう場合を考えるとして,私は Y についてなんにも知らず,ただキミが Y を好んでい

ると知った場合,あるいはキミにとって Y が面白かったり価値あるものだったりした場合,

YOU を (47) の〈経験者〉に使うと,デフォルトにより Y は客観的によいもの・価値あ

69

るものだと結論づけられる.言い換えると,左から右に読んだとき (47) は価値の客観化を

表示しているということだ.

客観的な価値にたどり着くことがどうして重要なのだろうか? その理由は,この規則を〔さ

っきと逆に〕右から左に読むと Y に対する他人の反応が予測されるからだ.一般に,誰かが

ある対象に下す評価をたしかに予測するにはその反応についての証拠が欠かせない.そう

した証拠がない場合,私は (47) にもどって相手の反応を予測する.ある物事が客観的に面

白かったり価値あるものであったりするなら,それはあなたにとっても,私にとっても,

さらに他の人にとっても,面白かったり価値あるものであると信じるのが妥当だ.

そのため,実際において我々は 2 つのシステム間を都合に合わせて行き来する.我々は可

能であれば予測のきく客観的なシステムの方を優先するが,ちがいがあるという証拠があ

るときにはあっさりと主観的なシステムに後退してしまう.これはとても論理的な推論と

は言い難いものだが──しかし現にそうやっているのだ.

とはいえ,客観的なシステムと主観的なシステムの軋轢から生じる価値判断もある.

(48) みずからの判断が客観的な現実と軋轢を起こしている人物は否定的な評判を得

る.

この原則を厳密に立てる形式的な道具立ては第 9 章までおあずけとなるが,その着想は

すでに明瞭だ:「間違うのは良くない」──これだ.

(48) からは難しい実践的問題が生じる:私があなたと意見を異にするとき,どちらが客観

的な価値や真理を制しているのかというのが問題となる.ひとつの可能性は,たとえば相

手の方が権威であるからといったことを理由に,私があなたの判断を信用するというもの

だ.このとき,(48) からは「私が」わるいという結論が導かれ,私の評判は下がる.この

ように,(48) は本章の冒頭でかかげたパズル,どうして「問題 P はつまらない」が自己へ

の疑いを引き起こすのかというパズルの 後の1ピースをもたらしてくれる.11

しかし,もっと標準的な状況では,「じぶんが」客観的な真理と価値を握っていると考え,

よって「あなたは」劣ると考えることとなる.これがなりたつ典型的な場合は,2 つの文化

が出会い,お互いに相手の文化をより未開・野蛮で価値で劣るものとみなすときだ.第 5

章と同じく,ここでもわざわざ深いな帰結を詳述するには及ばない──世代間,宗教間,

科学と人文学の間,学問の下位分野の間〔にこうした相互侮蔑がみられる〕.対話が起こりうる

のは,両者がともに自己と相手それぞれの主観的システムに切り替えることができるとき

に限られる.さきほど示唆しておいたように,この切り替えはつねに認知の切り替えだ.

11 たとえばそれまでその逆だと信じていた場合でも「Y はよい/正しい」を「Y は悪い/間違い」に置き

換えることでわたしが自分の知識基盤を「修復する」のはいかにしてなのか,というのは興味深く重要な

問いだと思う.しかし,これはここでの試みの射程をはるかに超えている.

70

さらに,これはみずからが正しいとの思い込みを取り払うので,自尊心を失うリスクを伴

う.知的な謙虚さの一部はこうしたリスクを引き受ける意志から成り立っている.

71

Table 7.1

A B C D E/F

Exp-Adj Exp-Adj-Stim Exp-Verb-Stim Stim-Verb-Exp Stim-Adj-(Exp)

(inherent) (directed)

I'm bored I'm bored with this I detest this This bores me This is boring (to me)

Group Ⅰa: 刺激主語動詞で -ed または -ing 派生形をもつもの

amazed at/about amaze amazing

amused at/about amuse amusing

annoyed at/about/with annoy annoying

attractedto attract attractive

bored bored with bore boring

depressed depressed about depress depressing

desgraced by disgrace disgraceful

disgusted with/by disgust disgusting

distressed distressed about distress distressing

embarrassed about embarrass embarrassing

excited excited about excite exciting

frightened frightened about frighten frightening

horrified about horrfy horrifying/horrible

humiliated by/about humiliate humiliating

impressed with impress impressive

insulted by insult insulting

interested in/by interest interesting

irritated with/by/about irritate irritating

moved by move moving

nauseated/nauseous nauseated by nauseate nauseating

offended by ofend offensive

outraged by/with outrage outrageous

pleased about/with please pleasing

scared scared about/by scare scary

soothed by soothe soothing

surprised at/by surprise surprising

terrified terrified by terrify terrifying

thrilled at/with/by thrill thrilling

upset upset at/with/by upset upsetting

72

Group Ⅰb: 刺激-主語動詞で -ed と -ing 派生形のどちらも欠くもの

angry angry at/with/about anger

appeal to appealing

bug

calm calm calming

elated (elate?)

endanger dangerous

enraged enraged about enrage

matter to

(peevish?) peeved with peeve

repel repellent/repulsive

shame (?) shameful

stink (intrans.) stinky

Group Ⅱ:経験者主語動詞

abhor abhorrent

detest detestable

enjoy enjoyable

fearful fearful about fear (feasome?)

hate hateful

like liable

loathe loeathsoe

value valuable

Group Ⅲ:刺激主語と経験者主語形式のどちらもある動詞

delighted about/with delight in delight delightful

grieved about/over grieve over grieve

itchy itch (intrans.) itch (trans.) itchy

puzzled about puzzle over puzzle puzzling

smell (trans.) smell (intrans.) smelly

worried about worry about worry (worrying)

Group Ⅳ:形態的に関連する動詞のない形容詞

afraid afraid of/about

apprehensive apprehensive about

curious curious about curious (?)

ecstatic ecstatic about

funny

happy happy about/at

73

(incredulous?)

joyful

nice nice

nervous nervous about

sad sad about sad

worthless

74

第 8 章 意図することと意志的作用

Intending and Volitional Action

8.1 導入

哲学や心理学の文献では「心の素朴理論」を「命題態度」の観点で語ることが多い.命題

態度とは要するに「信念・欲求など」のことだと定義づけられている12.しかし,人々が他

者の心について推論している方法を理解するには,態度についてもっと細やかな区別をし

た説明をする必要がある.本章で検討するのはとくにひとつの事例,すなわち「意図する

こと」(intending) だ.さらに,これに関連する事例や対照的な事例にも注意を払うことにし

よう.

ここで信念ではなく意図に焦点を当てるのは,あとで示すように,意図の方がより複雑

な構造をもっており,そこから心の素朴理論についてきめ細かい理解が得られるためだ.

とくに,意志的作用の概念は──意図的に作用を遂行するという概念は──他者の心を理解

する上で決定的に重要であり,また,これにはよく知られた文法的な反映がある(その一部

については Culicover and Jackendoff, chap. 12 を参照).さらに,意図や意志的作用の分析

はあらゆる様態の社会的相互行為の取り扱いにとって基底をなすものとなる.たとえば,

典型的に言語行為では聞き手があることを知るに至るのを話し手が意図したり聞き手にな

んらかの反応をさせるよう意図することが関わってくる(セクション 8.6.3 と 8.7 を参照).

取引では,キャラクタ同士が相手に何かをしてあげる代わりに自分に何かをしてもらう(セ

クション 10.5).また,協調の基本的な要素をなしているのは共同意図と共同作用の概念だ

(セクション 5.8, 8.8).

第 6 章・第 7 章と同じく,ここでも問題を概念構造の観点から考察する.私が問題にし

ているのは「意図する」(intending) ということばの意味だ.すなわち,誰かが何かを意図し

12 本稿の元になったバージョンは Carlos Otero 記念論文集に掲載された (Jackendoff 1995).ま

た,Jackendoff 1985 からもいくつか文章を取り込んでいる.Carlos は 1970 年以来の親しい

友人で,当時,彼は私の研究に熱意を示してくれ,また,「言語学戦争」では実質的な問題や政

治的な問題で紳士的に支援してくれた.こうしたことは私にとって非常にありがたいものだった.

さらに,社会的認知の領域を構想する予備的な試みに熱心なコメントを加えてくれたことにも感

謝している.

75

ていると言ってよい状況をひとびとはどう概念化しているのだろうかという点をここでは

問題にしている.これを問うときに私がやっているのは人間の認知の研究であって究極的

な現実の研究ではない:私が問題にしているのは,他人に意図を帰属させているときに人々

の脳で現実に...

おきていることではないのだ.これは第 6 章で look と see を取り上げたと

きに明らかになっていたかもしれない.この 2 つの動詞に付与されている概念構造が視覚

システムで現におきていることとなにか類似性があると主張する人はいないだろう.だが,

この動詞の分析によってものを見ること (looking) とものが見えること (seeing) の概念化の

され方の重要な特性が捉えられるのだ.言い方を変えるなら,Fodor (1987) と違って私は

心の素朴理論が心の科学理論に類似する必要があるとは想定していないのだ.

ただ,私は Churchland (1981) や Stich (1983) にも異論がある.彼らによれば,心の

素朴理論は「たんに間違い」であり,したがって科学的に面白いことなどないのだという.

心の科学的理論は人間の概念の全範囲を記述しなくてはならない.その中には,空間や力

の概念と並んで,みずからの心や他人の心に関する概念が含まれる(e.g. Dennett (1987) が

いう志向的構え).そして,こうした概念が科学的にどれほど「正しいか」「間違っているか」

という点は問題にならない.

ここでの私の分析は Searle 1983 および Bratman 1987 の議論に基づいている.また,

Miller and Johnson-Laird 1976 も有益だった.

8.2 状況の特殊クラスとしての有生の作用

意図と意志的作用を定義づけできるようになるには,まず,その言語データを理解しな

くてはいけない.それにはいくらか下準備が必要となる.指示の問題から手をつけよう:

言語はいかにして世界を指示するのだろうか.セクション 6.1 の論点に立ち返ってみよ

う:概念意味論では,言語表現は世界のあれこれの事物に直接に結びついているとは考え

ない.この点がフレーゲ,タルスキーの意味理論や現代の形式意味論,さらにはフォーダ

ーの認知主義とちがう.そうではなくて,表現は言語使用者によって概念化された事物を

指示するのだ.「そこにある」対象からなる「現実世界」は知覚システムと概念システムの

相互作用によって言語使用者に与えられる.これは第 2 章・第 3 章で論じたとおり(および

Jackendoff 1983, chap. 2; 2002a, chaps 9-10 も参照のこと).こう考えると,意味と指示の理

論はすっぽりと心理学に収まることとなる.

明確に指示的な表現のタイプに,いわゆる直示的照応表現がある──この代名詞の指示を

固定するのは先行表現ではなく視覚環境に存在するものであり,しばしば指さしの補助を

ともなう.下記の例 (1) は指さしとともに言われる:

(1) Would you pick that up right now [床にある鉛筆を指しながら]

76

モノ以外の存在を指すことも可能だ.〔たとえば〕that … happen の構文を使って (2a) の

ような種類の出来事を指すことができるし,do that や do this の構文を使って (2b, c) の

作用を指すこともできる.

(2) a. That[酔っぱらって床に寝転がっているひとを指して]had better never happen in

my house!

b. You’d better not do that around here[聞き手が唾を吐く様を身振りで示しつつ]

c. Can you do this [スケートボードの技をやってみせながら]

こうした例からは,基本的な結論がひとつ得られる.人間の知覚と概念化はたんに世界を

物へと切り分けているだけでなく,そうした物が関わる出来事や作用にも分けているのだ.

(この切り分けは Cutting (1981) と Zacks and Tversky (2001) により実験で研究されてい

る.) さらに,状況や作用は((2) のように)代名詞で指示されるばかりでなく,一定の種

類の名詞句 (3) や文 (4) でも指示される.

(3) a. a performance of Harold in Italy by Zukerman on Thursday

b. the US invasion of Iraq

c. Bill’s speech at the conference

(4) a. Zukerman played Harold in Italy on Thursday.

b. The US invaded Iraq.

c. Bill spoke at the conference.

フレーゲ系の伝統から発展してきた主流の意味理論は,通常,文が指示するのは出来事

や作用ではなくて真理値だとみなす.しかし,代名詞の使用を考えてみると,(5b) のよう

な例は完全に (5a) に対応している.

(5) a. There was a performance of Harold in Italy by Zukerman on Thursday. I

heard it. It was fabulous.

b. Zukerman performed Harold in Italy on Thursday. I heard it. It was

fabulous.

(5b) では私が聴いたのはズーカーマンが上演したという命題の真理値ではないし,その

真理値が素晴らしいなんて思ったわけがない.そうではなくて,(5a) と同じく,私はその

出来事...

を聴いたのであり,その出来事...

が素晴らしかったのだ.(5a) で it は a performance

と同一指示になっているのであり, (5b) では it は 初の文全体と同一指示になっている.

77

このように,文もまた出来事を指示しているにちがいない.(こうした証拠は指示に関する哲

学の文献では滅多に考慮されない.ただ,ほんの一時だけ流行した状況意味論 (Barwise and

Perry 1983) では大黒柱となっていた.)

出来事や作用はより上位の階層である状況に属している.状況には,Bill is tall のような

状態も含まれる.出来事と状態を区別する標準的な言語的規準は,出来事は「起こる」(happen)

ものだけれども状態はそうでない,ということだ.

(6) a. 出来事

What happened was (that) Zukerman performed Harold in Italy on

Thursday.

What happened was (that) the US invaded Iraq.

What happened was (that) Bill received a letter.

What happened was (that) Fred was hit by a falling brick.

b. 状態

*What happened was (that) Bill was tall.

*What happened was (that) I had a bicycle.

*What happened was (that) Sue liked ice cream.

作用はと言えば,出来事の下位クラスであり,〈作用因〉(Actor) (これは文の主語により表さ

れる)がなにかを「する」(do) と言えるようなものがこれにあたる.このテストはセクショ

ン 6.2 で look(作用)を see(状態)から区別したときにすでにみておいた.

(7) a. 作用

What Zukerman did was perform Harold in Italy on Thursday.

What the US did was invade Iraq.

b. 作用以外の出来事

*What Bill did was receive a letter.

*What Fred did was be hit by a falling brick.

〈作用因〉はべつに意図的でなくてもいいし (8a),それどころか意図的に作用する能力が

なくてもいい (8b).

(8) a. What Bill accidentally did was roll down the hill.

b. What the rock did was roll down the hill.

78

ただし,意図やその欠落の問題を論じるには,文が有生の〈作用因〉をともなって作用

を表していないといけない.たとえば,intentionally や unintentionally は状態 (6b) や

作用以外の出来事 (7b) には現れることができないし,また,(8b) のような無生の〈作用

因〉をともなう作用にも現れることができない.

(9) a. *Bill (un)intentionally received a letter.

b. *Bill (un)intentionally was tall.

c. *The rock (un)intentionally rolled down the hill.

ここでは,意図的でありうる作用を指すのに「有生の作用」(animate actions) という用語を使

う.

かくして (10) のオントロジーが得られた.

(10) 状況 ⊃ 出来事 ⊃ 作用 ⊃ 有生の作用

8.3 状況態度と作用態度

次に,命題態度動詞の統語論と意味論の全般を検討することにしよう.believing(信じるこ

と)と intending(意図すること)のちがいをみれば,命題態度の主たる区分がはっきりとみ

えてくる.信念とは,どんな状況(状態であれ出来事であれ)に対してもとることのでき

る態度で,具象的であろうと抽象的であろうと,どんな時にでも,またそこにあらわれる

キャラクタがどんな組み合わせになっていてもちがいはない.たとえば,(11) の that 従

状態 state

状況 situation

出来事 event

作用 action

有生の作用 animate action

79

属節は状況を表している.(これと同様の範囲の従属補文をとるものには claim, imagine,

doubt, assume, presume など他多数の動詞がある.)

(11) John believed …

that he was shorter than Bob.

that Bob was born 10 years earlier than he really was.

that Susan was descended from royalty.

that the sky is green.

that Sue would bring a cake to the party.

これと対照的に,意図できるのは作用に対してのみであり,しかもみずからが〈作用因〉

でないといけない──つまり,自発的な....

作用..

(self-initiated action) でないといけない.このた

め,たとえば intend といっしょに現れる標準的な統語構造は不定詞の動詞句 (VP) となっ

ており,その主語は intend の主語でもあると解される.意図する者は必ず有生だから,

intend に後続して容認される VP は全て有生の作用となる.(同様の範囲の共起可能性をも

っている動詞に be willing, plan, offer など他多数がある.)

(12) John intended …

to look at Sue.

to scratch his nose.

to prove Fermat’s theorem.

*to be shorter than Bob.

*to have been born 10 years earlier.

*to be descended from royalty.

この believe, imagine のような動詞を状況態度の動詞 (verbs of situational attitude) と呼び,

intend, be willing, plan といった動詞を作用態度の動詞 (verbs of actional attitude) と呼ぶこと

にしよう.

(11)-(12) で例示した意味的なちがいで区別されるのに加えて,作用態度はその時間依存性

の点でも状況態度から区別される.たとえば,信念や主張は過去・現在・未来のどの時間

にある状況に対しても差し向けることができる.しかし,意図は過去の作用に差し向ける

ことはできない.(13) にみられるとおりだ.

(13) a. John believes himself to have talked to Sue yesterday.

b. John claims to have talked to Sue yesterday.

c. *John intends to talk/to have talked to Sue yesterday.

(作用)

(作用以外)

80

未来指向性(非過去指向性というべきか)は他の全ての作用態度でもみられる13.

John planned today

John decided today

Bill persuaded John today

(14) * John is willing today to talk/to have talked to Sue yesterday.

Today it occurred to John

John is obliged

John swore today

こうしたちがいこそあるものの,状況態度と作用態度には重要な対応関係がいくつかある.

たとえば,哲学と論理学では長らく命題態度(ここで言う状況態度)に関するさまざまな

問題が論じられているが,そのひとつにいわゆる指示の不透明性がある14.指示の不透明性

には 3 つのよく知られた特徴がある.第一に,それだけを取り出すと矛盾している節であ

13 ただし,未来指向性は作用態度に限定されるわけではない.状況態度動詞 wish, desire, expect の不定詞補文にもみられる.

John wishes

(i) * John desires to talk/to have talked to Sue yesterday.

John expects

ただ,こうした動詞の that 補文は全て異なっている.wish の条件的な that 補文は (iic) にみられるように過去指向だ.Expect は直説法の that 補文では未来指向を保持する:(iic) は,

容認される場合には (iid) か (iie) のような強制された未来指向解釈を隠し持っている.

(ii) a. John wishes that he had talked to Sue yesterday. b. *John desires that he talk/have talked to Sue yesterday.

c. ??John expects that Bill talked to Sue yesterday.

d. John expects to find out that Bill talked to Sue yesterday.

e. John expects it to turn out that Bill talked to Sue yesterday.

wish がとる 2 種類の補文にはもうひとつのちがいがある.不定詞補文には事実に反するという

強い語感がともなうが,じつは必ずしも事実に反していなくてもいい.これは (iiia) にみられ

るとおりだ.これに対して条件文の that 補文は必ず事実に反している.こちらは (iiib) に示

されている.

(iii) a. I wish to be exactly as I am.

b. *I wish that I were exactly as I am.

14 指示の不透明性については豊富な先行研究がなされている.Russell 1905 と Quine 1956 にはじまり,言及しきれないほど大量の研究が積み重ねられている.代表的な文献と

しては Linsky 1971, Heny 1981, Searle 1983, および Jackedoff 1983, chap. 11 を参照.

81

っても,命題態度動詞に後続して生起するとちゃんと意味をなす.たとえば Susan is taller

than she is は矛盾しているが (15a) のように believe に後続して生起できる(この特徴を

指摘したのはバートランド・ラッセルだ).第二に,命題態度に中に現れたキャラクタ,たと

えば (15b) の a goat は広い作用域の存在汎化を受けつけない.すなわち,(15b) の推論は

妥当でない(この特徴はフレーゲによって指摘されたものと思う).第三に,たまたま同一指

示となっている表現を命題態度の内部で入れ替えることは一般に可能ではない.(15c) の推

論は妥当でない.これは,ラルフはオートカットのことを聞いたことがないかもしれない

ためだ.(この特徴はクワインにより指摘された.)(ここでは # を使って妥当でない推論を表

す.)

(15) a. Ralph believes that Susan is taller than she is.

ラルフはスーザンの背が実際よりも高いと信じている.

b. Ralph believes that a goat walked into the room.

#Therefore, there is a goat such that Ralph believes it walked into the

room.

ラルフは山羊が部屋に入っていったと信じている.

#従って,部屋に入っていったとラルフが信じているような山羊が存在する.

c. Ralph believes that the man he saw on the beach is a spy.

Ortcutt is the man Ralph saw on the beach.

#Therefore, Ralph believes that Ortcutt is a spy.

ラルフは海岸で見た男はスパイだと信じている.

ラルフが海岸で見た男とはオートカットだ.

#したがって,ラルフはオートカットがスパイだと信じている.

(同様の判断は他の全ての状況態度に成り立つ)

同じ特徴が intend の不定詞補文にもみられる15.

(16) a. Ralph intends to give away more than he has.

ラルフは手持ち以上の金額を寄付しようと意図している.

15 こういった特徴は全ての不定詞補文に現れるわけではなく作用態度を表すものに限られる点

に注意.たとえば manage to は作用態度の動詞ではない.(16) で intends の代わりに managed を入れると,(16a) はおかしなものとなるか,少なくとも皮肉めいたものとなってし

まうし,また,(16b, c) の推論は筋道が立つようになる.

82

b. Ralph intends to buy a goat.

#Therefore, there is a goat such that Ralph intends to buy it.

ラルフは山羊を買おうと意図している.

#したがって,ラルフが買おうと意図しているような山羊が存在する.

c. Ralph intends to shoot the man he saw on the beach.

Ortcutt is the man Ralph saw on the beach.

#Therefore, Ralph intends to shoot Ortcutt.

ラルフは海岸で見た男を撃とうと意図している.

ラルフが海岸で見た男とはオートカットだ.

#したがって,ラルフはオートカットを撃とうと意図している.

(同様の判断は他の全ての作用態度に成り立つ)

つまり,信念と同じく意図も「狭い内容」に個別化されているのだ:(15)-(16) の判断を

もたらしている「不透明な指示」読みが生じるのは,当該の状況や作用を(部分的にせよ)

その態度の持ち主の視点から記述しているためだ(これと類比的な状況態度・作用態度が

Searle 1983 でも指摘されている;さらに多くの事例は註 14 を参照).

残念ながら,状況態度の動詞と作用動詞の動詞は統語法の観点では信頼できる区別がつけ

られない.たしかに,典型的には that 節は状況態度にみられ不定詞節は作用態度にみられ

るものの,いつも変わらずそうなっているというわけではない.たとえば,wish と claim

は不定詞節と共起したときにも状況態度を表す.

(17) John wished/claimed …

to be shorter than Bob.

to have been born 10 years earlier.

to be descended from royalty.

さらにここでの分析にとって重要なことがある.それは,intend は叙想法の that 節と

も for-to 不定詞とも共起できるということだ.これらは自発的でなくともかまわないし,

その上,作用を表していなくてもいい.

(18) a. John intended that Sue bring a cake.

b. John intended for Fred to be hit by a falling brick.

とはいえ,たしかに統語法は制約に反しているけれども,もっとよく検討してみると

(18a, b) の意味は...

ちゃんと intend の制約に従っているのがわかる:(18a, b) の解釈は強制

83

によって変化し16,補文が記述する状況をもたらす.....

ようにジョン(意図する者)が行為する

というものとなっているのだ.つまり,その意味にはたしかに自発的な作用が含まれるか

たちになっているわけだ.たとえば,(18a, b) は (19a, b) にすんなりとパラフレーズして

やれる.パラフレーズした方では intend に VP 不定詞が続いている.

(19) a. John intended to bring about that Sue bring a cake.

b. John intended to bring about that Fred be hit by a falling brick.

そして,叙想法の that 節と for-to 不定詞節のうち intend と共起できるものの範囲は,

意図する者がもたらしうる物事の範囲とぴったり重なる.これは (18)-(19) を (20) と比較

してみるとわかる.

(20) a. *John intends that the sky be cloudy.

*John intends for Fred to be 10 years younger.

b. *John intends to bring it about that the sky be cloudy.

*John intends to bring it about that Fred is 10 years younger.17

ここで注意しておきたいのは,bring about でのパラフレーズがうまくいかない場合がある

ということだ.従属節の作用そのものが意図する者によって遂行されるものであるときに

はうまくいかない.

(21) ??John intended to bring about …

that he look at Sue.

that he scratch his nose.

that he prove Fermat’s theorem.

16 ある文内の語彙項目が寄与する意味成分につきないものをその文の解釈が含んでいて,しか

もその余分な意味がないと文が意味的に適格とならないとき,その文は強制を受けている

(coerced) という (Pustejovsky 1995).とても明快な例を Nunberg (1979) が挙げている.

(i) [2 人のウェイトレスの一方がもう一方に向かって]The ham sandwich wants more coffee.

動詞の want には有生の主語が必要なので,(i) の ham sandwich の解釈は強制を受けて「そ

のハムサンドウィッチと文脈上の結びつきがある人物」という意味になる.強制一般についてさ

らに詳しい議論は Jackendoff 1997a, chap.3 および 2002a, sec. 12.2 を参照.intend のよう

な動詞にみられる強制を論じたものとしては,Culicover and Jackendoff 2005, chap. 12 を参

照.また,強制を含む文処理に関する心理言語学的な証拠は Pinango, Zurif, and Jackendoff 1999, Pinango and Zurif 2001 を参照. 17 こうした文が適切になる場面も想像できる:たとえばジョンが舞台の背景用に空を青く塗っ

ているとか,フレッドのパスポートを偽造したりフレッドの役を演ずる役者を選んでいるような

場面が考えられる.こうしたシナリオなら (20a) も (20b) も正しくなり,対応関係が保持され

る.

84

また,動詞が状況態度を表している場合にもうまくパラフレーズされない.

(22) a. John claimed that Sue brought a cake. ≠ John claimed to bring it about

that Sue brought a cake.

b. John wished that Fred would be hit by a falling brick. ≠ John wished to

bring it about that Fred would be hit by a falling brick.

これは強制でよくあることだ:強制が適用されるのはその文の“単純な”解釈がおかし

く,強制すればそれが「修繕される」場合に限られるのだ.

ようするに, 初に立てた意味論的な一般化は通用する,ということだ:すなわち,作用

態度の動詞は補文が自発的な作用に解される必要がある.一見すると反例に思われたもの

も,たんに統語法の違反にすぎない:強制によって挿入される意味要素のおかげで,折り

合いの悪い補文もこの制約に適合するように解釈されるようになる.本章ではこのあとこ

うした強制の例がさらにいくつか出てくる18.

どんな種類の動詞にどんな種類の補文がともなうかに関しては不規則性が観察されるもの

の,状況的な補文と作用的な補文に成り立つ関係には興味深い相関がある.英語では,that

節が後続する場合に状況態度を表し,不定詞が後続する場合には作用態度を表す動詞はど

く少数しかないのだ19.

18 intend のさらなる用法として ‘intend to say’ や ‘intend to convey’ のようなものがある.た

とえば Fred intends (by that remark) that he hates linguistics((あの発言で)フレッドが意図し

ているのは言語学が嫌いだってことだ)がそうだ.こうした用法の intend の成分も,やはり通常

の intend の制約にしたがっている. 19 (23) に示した動詞の中には,agree のように叙想法の that 節を受けつけてこれを強制で作

用に解釈されるものもあるが,persuade のようにそれを受けつけないものもある.動詞 remember と forget も that 節と不定詞節をとってそれぞれに異なる解釈を受けるが,これは (21) よりももっと複雑だ.John remembered/forgot that he should go(彼は行かなきゃいけないの

を思い出した/忘れた)は叙実的となっている.John remembered/ forgot to go(彼は行くのを思い出し

た/忘れた)で前提とされるのは「ジョンは行くべきだ」の場合と「ジョンは行くことになってい

る」のいずれかとなる.さらに詳しくは Culicover and Jackendoff 2005, chap. 12 を参照.

85

(23) a. John persuaded/convinced Bill …

ジョンはビルを説得した…

that the sky was green.

空が緑色だということを

that he has a big nose.

彼の鼻は大きいということを

that Fermat’s theorem was provable.

フェルマーの定理は証明可能だということを

that Sue would bring a cake to the party.

スーがパーティにケーキを持ってくるということを

b. John persuaded/convinced Bill …

ジョンはビルを説得した…

to look at Sue.

スーを見るように

to scratch his nose.

鼻をこするように

to prove Fermat’s theorem.

フェルマーの定理を証明するように

*to have been born 10 years earlier.

10 年早くうまれたように

*to be descended from royalty.

王族の血筋であるように

c. John agreed that he was born 10 years before Bill. (状況的)

ジョンは自分がビルより 10 歳年上だということに賛成した.

d. John agreed to look at Sue/*to have been born 10 years before Bill. (作用的)

ジョンは{スーを見ることに賛成した/*ビルより 10 歳年上であろうと同意した}.

e. John swore/decided that he was born 10 years before Bill. (状況的)

ジョンは自分がビルより 10 歳年上だと認めた/判断した.

f. John swore/decided to look at Sue/ *to be born 10 years before Bill. (作用的)

ジョンはスーをみようと誓った/決めた|ビルより 10 年年上であろうと誓った/決めた.

(状況的)

(作用的)

86

g. It never occurred to John that he was descended from royalty. (状況的)

自分が王族の血筋だとはジョンには思いもよらなかった.

h. It never occurred to John to look at Sue/*to be descended from royalty.(作

用的)

{スーを見ようなんて/*王族の血筋であろうなんて}ジョンには思いもよらなかった.

これほど多くのさまざまな動詞が状況態度と作用態度の交代をみせるという事実の説明

は 2 つありうる.ひとつのアプローチでは,これら全ての動詞がたまたま曖昧なのだと考

える──基本的に (23) にみられる事実は奇妙な偶然なのだ,というわけだ.もっと知的に

有意義なアプローチでは,こうした動詞はどちらの場合にもまったく同じ態度を表してい

るのであって,ちがいは態度が向けられる対象が状況なのか作用なのかという点にしかな

いのだと考える.私はこの後者のアプローチを追求する20.

この仮説には重要な帰結がともなう.動詞の decide が that 節とともに使われた場合,だ

いたい「~と信じるにいたる」という意味になるのだ(e.g. John decided that it was cloudy

= ‘John came to believe that it was cloudy’).不定詞といっしょに使われた場合には,「~し

ようと意図するにいたる」くらいの意味になる(John decided to leave = ‘John came to intend

to leave’).同様に,(23a) をパラフレーズすると ‘John caused Bill to come to believe that

…’ になるし,(23b) は ‘John caused Bill to come to intend to …’ になる21.我々の仮説に

したがえば,decide と convince はどちらの場合にもそれぞれ同じ態度を表していること

になる.こう考えると,believe と intend もそれぞれまったく同じ態度を表しているので

あり,一方ではそれが状況(または命題)に向けられているのに対し他方では作用に向けら

れているのだという結論が導かれる.

この仮説を確かめるひとつの方法としては,believe と intend がそれぞれ同じひとつの単

語に訳される言語があるかどうかみてみるといい──つまり,英語と同じく起動相 (‘come to

X’) も使役もともに同じ単語で表されている言語があるかどうかみてみればいい.少しばか

り調べてみると,そうした言語があるらしいのがわかる.Ken Hale, Moira Yip, and

Virginia Yip(私信)が筆者と独立に観察したところによると,標準中国語の単語 xiang は

どうやら両方の意味にとれるらしい:wô xiâng tā jīntiān bú hùi lái ‘I think/believe he’ll be

coming today’(彼は今日やってくると思う)対 ‘I intend/would like to try’(私はやってみようと

思う). また,Sylvain Bromberger(私的通信)の観察によると,フランス語の動詞 penser

20 Bratman (1999) はこれと同様の見解を Castaneda (1975) に帰している.しかし,カスタ

ネダは believe と intend の項をそれぞれ命題と意図としており,状況や作用とは考えていな

い.また,それを支える言語的な証拠も示されていない. 21 パラフレーズを使って意味構造のテストにすることの妥当性,とくに使役のそれの妥当性お

よび Fodor (1970) による反論については Jackedoff 1990, sec. 7.9; 2002a, sec. 11.2 を参照.

87

も,通常は ‘think/believe’ と訳されるのだが,やはり文脈によっては Je pense partir ‘I

intend to leave’(私は立ち去ろうと意図する)というように使われるそうだ.

状況と作用のどちらに適用された場合にも decide は同じ態度を表しているとはいえ,2 つ

の場合で意味されることは同一ではない.たとえば,作用態度の John decided to stop

smoking(ジョンは禁煙しようと決意した)の意味は状況態度の John decided that he should

stop smoking(ジョンは禁煙すべきだと判断した)によく似ている(後者は実際には規範に対す

る態度だ).ただ,Searle 1983, Jackendoff 1985, および Bratman 1987 が指摘している

ように,この 2 つは同義ではない:(24a, b) にみられるように,一方だけが正しく他方が

偽となるようなケースがあるのだ.これらを (24c) と比べてみよう.こちらの動詞 claim

は that 節でも不定詞でも状況態度を表す.これだと対応する表現どうしはたしかに矛盾す

る(矛盾を # で示す).

(24) a. Although John decided to stop smoking, he didn’t decide that he SHOULD

stop smoking. (ジョンは禁煙しようと決意したものの,喫煙すべきだと判断してはい

ない.)

b. Although John decided that he SHOULD stop smoking, he didn’t actually

decide TO stop smoking.(ジョンは禁煙すべきだと判断したものの,禁煙しようと決

意してはいない.)

c. #Although John claimed to have stopped smoking, he didn’t claim that he

stopped smoking.(ジョンは禁煙したと主張したが,禁煙したと主張しなか

った.)

ここでの仮説にしたがうと,believe と intend とに同様の帰結が生じると予測される:

(25) が示すように,意図とそれにほぼ等しい未来の状況に関する信念は同義ではない.

(25) a. Although John intends to stop smoking, he doesn’t believe that he WILL

stop smoking.(ジョンは禁煙しようと意図しているが,彼はじぶんが禁煙すると思って

はいない.)

b. Although John believes that he WILL stop smoking, he doesn’t actually

INTEND to stop smoking.(ジョンはじぶんが禁煙するものと思ってはいるが,本当

に禁煙しようと意図してはいない.)

88

8.4 作用態度の素朴形⽽上学

ここまでの考察をまとめておこう.有生の作用は状況の下位クラスだ.作用態度は状況

態度にとてもよく対応していて,とくに不透明文脈をつくりだす点で似ている.けれども,

作用態度は状況態度の下位クラスではない.意味的に別物だからだ.両者のちがいには 3

つの特徴が見られる.第一に,作用は自発的だ:つまり,作用の〈作用因〉はその態度の

持ち主と同一でないといけない.第二に,作用は時間の上で態度が成立している時点より

後であってはならない.第三に,同じ動詞が状況態度と作用態度の両方を表せる場合,そ

の 2 つの文は同義でない.どうしてこうしたことになるのか,その理由を大づかみにとら

えておこう.

印象論で言うなら,概念化された作用を転換してじっさいに実行された作用にする方法を

心は持ち合わせていないといけない──つまり,意志という超越論的な行為のことだ.し

かし,作用を概念化してただちにこれを実行というわけにはいかない:それでたんに衝動

に駆られて振る舞うことになるだけだ.これでは,たとえば一連の...

作用を順に行ってそれ

を実現させることができなくなってしまう;一連の作用のうち,どれでもとにかく頭に浮

かんできたままに思いつきでやりだすはめになってしまう.それに,手順を頭に思い描い

て,それからやるべきときを選ぶといったことも不可能になる.よって,計画と行動にな

んらかの複雑なところがあるときには,現在とは別の時に結びつけられた作用を概念化す

るのが可能となっていないといけない──そして,その作用計画を記憶しておいてあとで

使用できないといけない.

我々はみずからの概念化した作用の操作をあれこれと思い浮かべる〔=作用の概念を操作する〕

が,そうした操作を記述するのに作用態度の動詞を使う.このことにより,作用態度が向

けられる作用に課せられている制約がただちに説明される.第一に,そうした作用が自発

的でないといけないのはおよそ実行可能と考えうるのはそうした種類の作用にかぎられる

からだ.たんに意志するだけで他人の体を動かすなんてことはできない.第二に,作用態

度が非過去指向でないといけないのは,みずからがその実行を思い描いている作用に結び

つけうる時は未来時以外にありはしないからだ.

こうした印象論的な説明が神経科学と関連するかどうかはさておき,ともあれ作用態度の

素朴理論に関しては悪くない考察ではある.この素朴理論は,意志的な作用を思い描いて

実行するとはこういうことだと人々に感じられていることから派生しているのだ.よって,

作用態度の動詞は,実行に先立って我々によって概念化される作用の操作の概念化...

を表し

ているものとみなすことができる.この概念化においては,意志的な作用とは概念化され

た作用から生じるものなのだ.

89

8.5 Believe と Intend の概念構造

8.5.1 状態・出来事 vs. 作用

ここまで形式化をできるだけ後回しにしてきたけれども,いまやこれに取りかかるべき時

だ.まず 初になすべき仕事は,状況と作用の形式的な区別を作り出すことだ.その区別

は,一方では作用を状況の特殊な下位クラスとしつつ,しかし他方では作用態度を状況態

度から差異化できるようなものとならないといけない.

概念意味論では,概念化された存在はそのオントロジー上の範疇で大まかに分類される.

もっとも重要なオントロジー上の範疇は〈物体〉(Object)22,〈状況〉(Situation),〈場所〉(Place),

〈特性〉(Property),〈量〉(Amount),そして〈時間〉(Time) だ.ここでの表記法では,これら

は当該の存在の記述内容を囲うカッコ内のラベルとして登場する(これらはセクション 6.1

で〔概念意味論の〕表記法を示したときには省略しておいた.ただ,〈特性〉は第 7 章で登場して

いる).たとえば,(26) は図 1.1 で示した The little star’s beside a big star という文の概

念構造を再掲したものだ.

(26) [Situation PRES [State

ここではいちばん外側にある〈状況〉は現在成立している〈状態〉で構成されている;

その〈状態〉はある〈物体〉で構成されており,これはある〈場所〉に存在している;2 つ

の〈物体〉はともに星であり,一方は「小さい」という〈特性〉を,他方は「大きい」と

いう〈特性〉を備えている.

状況と作用のちがいをとらえるひとつの方法は,〈状況〉と異なる新たなオントロジー上の

範疇として〈作用〉を導入してやることだ.しかし,そうした区別を立てるのは,どこか

22 実のところ,〈物体〉はより一般的なクラスの一部であり,そのクラスにはモノの集合

(assemblages of objects) や実質 (substances) も含まれる.Jackendoff 1991, 1996c では,このより大

きなクラスを〈物質〉(Material) と呼び,一群の特性によって下位クラスに類別している.それ

と同じ特性によって出来事は閉じた出来事(達成)・過程・出来事の集合(たとえばたくさんの蛙が

次々にジャンプするようなこと)へと区分される.

STAR

BE [Place BESIDE [Property BIG] ]]

Object INDEF

STAR

[Property LITTLE]

Object DEF

90

疑わしいところがある.セクション 8.2 でみたように,〈作用〉は〈状況〉の特殊なものだ

からだ.こういう場合に通常なされる説明は,関連する範疇どうしがなんらかの特性で異

なっているとするものだ.たとえば,〈出来事〉と〈状態〉はどちらも〈状況〉の種類であ

り,これらをそれぞれ [+Eventive] な状況と [-Eventive] な状況として範疇化してやると

いい.

すると今度は〈作用〉とは〈出来事〉の部分集合だということになる.あとで明らかにな

る理由により,この区別は次のようなものと考えておくことにしたい.すなわち,一定の

〈出来事〉には 2 つの概念化が可能だと考えるのだ:ひとつは純粋な〈出来事〉(起こるこ

と)であり,もうひとつは〈作用〉(〈作用因〉がなすこと)だ.後者の概念化においては,

出来事は [+Action] の特性をもち,前者の概念化では他の〈状況〉ともども [-Action] の

特性をもつ.以上から得られる特性のタクソノミーを (27) に示す.

(27)

このタクソノミーで考えると,態度の範疇化は単純なものとなる:Believe のような状況

態度の動詞は [Situation, -Action] の構成素に適用され,また,intend のような作用態度

の動詞は [Situation, +Action] の構成素に適用される.さらに,decide のように状況・作

用のどちらにもとれる態度の動詞はどんな種類の [Situation] 構成素にも適用されるのだ

と言うことができる.当該の状況が [-Action] である場合,decide は状況態度の動詞とし

て機能し,状況が [+Action] である場合には decide は作用態度の動詞として機能する.

〈作用〉と捉えうる〈出来事〉とそう捉えられないものとを区別するのは何だろうか? 基

本的に,その規準となるのは主語が何かを「している」と捉えうることで,これは (7) で

例示した do テストで示される (What John did was …).このテストに通る典型的な事例では,

文は受動でなく能動で,主語〔の指示対象〕は動作しているか,あるいは別の〈出来事〉を

引き起こしている.次の (28) は (7) をもとにしたもので,この区別を例示している.

〈状況〉 Situation

[+Eventive]

Events viewed

as pure Events

みられた〈出来事〉 純粋な〈出来事〉として

[-Action]

みられた〈出来事〉 〈作用〉として

Events viewed

as Actions

[+Action]

〈状態〉 State

-Eventive

-Action

91

(28) a. 〈作用〉として捉えうるもの

Zukerman performed Harold in Italy.(主語が音楽の産出を引き起こす)

The US invaded Iraq.(主語が動いている(その他のことと並んで))

b. 〈作用〉以外の〈出来事〉

Bill received a letter.(ビルではなく手紙が動いている)

Fred was hit by a falling brick.(受動文;煉瓦が動いている)

言い換えると,(28a) の文は [+Action] にも [-Action] にもとれるということだ;方や

(28b) の文は〈出来事〉ではあるものの,[-Action] にしかとれない.

特性 [±Action] を取り扱う理由はいまや明らかだ.ズーカーマンの演奏は Zukerman

decided to perform という作用態度において潜在的な〈作用〉となる一方で,Zukerman

decided that he would perform という状況態度においてはたんなる〈出来事〉となる,

ということを我々としては言いたいのだ.つまり,いずれの場合にもこの〈出来事〉の記

述的な内容はすべて同じだということだ:ようは,〔2つの場合において〕〈出来事〉がまっ

たく異なる見方をされているわけだ.(これには他にも巧妙なやり方があるかもしれない.だ

が,私にはこれ以上に他の事実と整合のとれるやり方は思い浮かばない.物事は分けて考えね

ばならない.)

〈作用因〉の概念はセクション 6.2 で形式的に明確にしておいた.この役割は,作用主

や主題といった標準的な主題役割のいずれにも対応しない.作用主も主題も,ともに〈作

用因〉として機能しうるからだ.(29) でセクション 6.2 の例をもう一度見ておこう.

(29) a. Bill threw the ball.

〈作用主〉 〈主題〉

b. The car hit the tree.

〈主題〉 〈目標〉

セクション 6.2 では〈作用因〉の役割をマクロ役割層の関数 AFF の第一項として提示

した.以上のように [+Action] として捉えうる状況にはマクロ役割層 X AFF <Y> がある

(直観的に言うと ‘X が状況に影響する’ ということ).と同時に,X は主題層の役割も担う.

たとえば動作主や主題といった役割がそれだ.

(Bill は〈作用因〉:What Bill did was throw the

ball.)

(The car は〈作用因〉:What the car did was hit the

tree.)

92

8.5.2 状況態度と作用態度を形式化する Formalizing Situational and

Actional Attitudes

次に,態度の考察に進もう:信じる,意図する,考える,想像する,といったことがこ

れにあたる.こうした述語を一般にひっくるめて ATTITUDE と表記することにしよう.

そうすると,BELIEVE や INTEND は ATTITUDE の特殊事例ということになる.これ

はちょうど,POODLE が DOG の特殊事例であり DOG が ANIMAL の特殊事例である

のと同じことだ.

態度をとっているのは,ひとつの〈状態〉だ.この状態には 2 つの項がある.第一の項

はその態度をとっている個体 X で,これは有生(〈物体〉の特殊クラス)でないといけな

いし,できれば第 5 章で述べた社会平面 (social plane) 上の〈人物〉であることがのぞま

しい(が,必須というわけではない).第二の項は態度が向けられている〈状況〉または〈作

用〉だ.こうして,全体の形式は (30) のように表記できる.(ここでもカッコについてい

る添字はオントロジー上の範疇を示している.)

(30) [Situation, -Eventive [Animate/Person X] ATTITUDE [Situation Y]]

BELIEVE のような状況態度は,Y 項が [-Action] であるという制限をさらに加える.

INTEND のような作用態度だと,この Y 項が [+Action] でないといけなくなる.このよ

うに内容が増した結果として,これらの態度の形式は (31a,b) のようになる.

(31) a. 状況態度

[Situation, -Eventive [Animate/Person X] ATTITUDE [Situation, -Action Y]]

b. 作用態度

[Situation, -Eventive [Animate/Person X] ATTITUDE [Situation, +Action Y]]

次に,作用態度に特有の制限をいくつか取り入れなくてはいけない.これらは (31b) に課

せられるさらなる制限として規定できる.まず,〈作用〉項にはその態度の持ち主と同一の

〈作用因〉がなくてはならない,という制限を考えよう.この項は [+Action] なので,仮

定によりここにはマクロ役割層の X AFF が含まれないといけない.よって,我々が求める

制約は,この層の〈作用因〉役割の X が態度の第一項と同一でないといけない,というも

のになる.この制約は〈作用因〉役割を態度の持ち主に束縛する....

(binding) ことにより規定で

きる.束縛の表記 (Jackendoff 1990) には,ギリシャ文字を束縛される役割につけ,それ

93

と対応する添え字をその役割を束縛している位置につける23.この表記法を作用態度に適用

すると (32) の構造が得られる.(覚えやすくするため,本章ではこれ以降,X aff のかわり

に X ACT と表記する.)

(32) [Situation, -Eventive Xα ATTITUDE [Situation, +Action α ACT]]

作用態度にかかる第二の制約は,〈作用〉の時間は態度の時間に先行してはいけないという

ものだ.これをいまの定式化に取り入れるには,〈時間〉の構成素を導入する必要がある.

〈時間〉は動詞の項構造の一部ではない.そうではなくて,〈時間〉は時間副詞と時制の組

み合わせにより合図されるのだ.このため,ここでは状況の〈時間〉を表すのに,状況の

関数-項構造にセミコロンをつけて表すことにする.(33) のような具合だ.

(33) [Situation S; [Time T]]

「状況 S は時間 T で成立している」(‘Situation T obtains at time T.’)

意図には 2 つの時間が含まれる.意図という態度が成立する時間と,思い描かれている

作用の時間だ.

(34) [Situation Xα ATTITUDE [Situation, +Action α ACT; T2]; T1]

「T1 において X は作用態度をとっており,これは T2 における作用に対する

態度である」(At T1, X has an actional attitude toward acting at T2)

ここでも未来指向の条件がある.意図される作用の時間 T2 はその態度が成立している

時間より前ではないという条件だ.これを表すのに,(32) で使ったのと同じ種類の束縛表

記を用いることにする.今度は〈時間〉構成素が束縛されるわけだ.

(35) [Situation Xα ATTITUDE [Situation, +Action α ACT; [Time T2 ≥ β]]; T ]

「T1 において X は作用態度をとっており,これは T1 に後続する時間での作

用にたいする態度である」(At T1, X has an actional attitude toward acting at a time

subsequent to T1)

23 再帰代名詞がこうした束縛の典型例だ.Bob washed Harry を (i) のように表記すると,Bob washed himself は (ii) のように表記できる.ここでは WASH の第二項となっているαが第一

項により束縛されている.Jackendoff 1990, Culicover and Jackendoff 2005, chaps. 6, 10, 11, 12 を参照.

(i) [Situation, +Eventive BOB WASH HARRY]

(ii) [Situation, +Eventive BOBα WASH HARRY α]

94

(35) は概念構造が整合的な作用態度となるための適格性の条件(または公理)とみなせる.

第二項が [+Action] となっている態度が定式化される場合はいつでも (35) の構造がまる

ごと自動的にもたらされる──これは一種の強制だ.この構造は作用態度と状況態度に根

本的な非対称性を産み出すものだが,これは,作用態度は潜在的に自分で遂行できるもの

に対する態度でないといけないという事実からの帰結だ.

さて,具体的に信じることと意図することに目を向けると,セクション 8.3 の仮説だと

両者はまったく同じ態度を表しており,唯一のちがいは believe は非〈作用〉に対するも

のである一方で intend は〈作用〉に対するものだという点にある.この両者に共通の要

素は「コミットメント」として表現できよう:ある状況が成り立っていると信じるのは,

その存在にコミットするということであり,何かをするよう意図することはそれをするこ

とにコミットするということだ.これにともない,当該の態度を COM (‘commitment’) と呼ぶ

ことにする.すると,believe に付与される概念構造は (36a) となり,intend に付与され

るのは (36b) となる24.

(36) a. X believes that P.(X は P だと信じている)

[X COM [Situation, -Action P]]

b. X intends to act.(X は~しようと意図している)

[Xα COM [Situation, +Action α ACT; [Time T2 ≥ β]]; Tβ]

すでに述べておいたように,動詞 decide は〔状況態度・作用態度の〕どちらでも起動相と

なっている:「信じるに至る」と「意図するに至る」のどちらの意味にもなるのだ.また,

convince はどちらの使役にもなる:「信じさせる」と「意図させる」のどちらの意味にもな

る.よって,こうした動詞は (37a,b) のように形式化できる (INCH は ‘it comes about that’

〔~となるにいたる〕と読む).

(37) a. X decides that P/to P.

[Situation, +Eventive INCH [X COM [Situation P]]]

b. Y convinces X that P/to P.

[Situation, +Eventive Y CAUSE [INCH [X COM [Situation P]]]]

P が [+Action] の場合には (35) のテンプレートがはたらいて作用態度にふさわしい制

限が課せられる.その結果が (38) だ.

24 第 3 の種類のコミットメントとして規範へのコミットメントがあるかもしれない(第 9 章で

登場する N-価値の意味での規範).たとえば,「X することに信念をもつこと」(believe in doing X)

は必ずしもそうするよう意図することと同じではないが,(a) X することは規範的に良いことだ

との信念プラス (b) この規範にしたがうというコミットメントは含意する.

95

(38) a. X decides to act.

[Situation, +Eventive INCH [X COM

[Situation, +Action α ACT; [Time T2 ≥ β]]; Tβ]]

b. Y convinces X to P.

[Situation, +Eventive Y CAUSE [INCH [X COM

[Situation, +Action α ACT; [Time T2 ≥ β]]; Tβ]]

この形式化をはっきり理解しておくために,(39) のほぼひとしい信念と意図を比較してみ

よう.両者の実質的なちがいはひとつだけしかない.それは,信念では he will stop smoking

(彼は喫煙をやめる)は純粋な〈出来事〉の扱いになる一方で,意図では同じ〈状況〉がジョ

ンの思い描いている〈作用〉の扱いになる,ということだ.現在時制なので主節の〈時間〉

は〈いま〉となる.(39) の従属節は未来時制のためにたまたま〈いま〉に後続しているが,

意図される〈作用〉の〈時間〉は〈いま〉より後となるよう束縛されている.

(39) a. John believes that he will stop smoking.(ジョンはじぶんが禁煙するものと信じて

いる.)

JOHN STOP SMOKING; T > NOW

Situation, -Action α ACT

b. John intends to stop smoking.(ジョンは禁煙しようと意図している.)

[JOHNα COM

α STOP SMOKING; T ≥ β

Situation, +Action α ACT

8.5.3 付値特性の概念化としての COM:⼼の理論ふたたび

形式化は一休みして,COM とはどんな種類の概念だろう? ここでもセクション 3.3 の

議論を思い起こして欲しい.あそこで提案しておいたように,意識の性質は部分的に付値

特性によって決まる.これが知覚対象にその「感じ」を与えるのだ.提案しておいた特性

の中には [±committed] があった.この特性は,有意味なものと知覚される対象に適用さ

れる.さらに,この特性には 3 つの下位クラスがあるとも述べておいた.

[+committed: valence+] は「現実」とみなされる知覚対象に──ひとが「信じて

いる」知覚対象に──付属する.

[+committed: valence-] は「非現実」とみなされる知覚対象に付属する──たと

えばふっと頭に浮かんだ光景などだ.

[-committed] が付属する知覚対象は,いかなるかたちでもその現実性にひとがコ

; NOW]

; NOWβ]

96

ミットしていないもの,たとえば思い描いているイメージなどがそうだ.

以上のような見方をしてみると,COM は意識にのぼっている肯定的なコミットメントの

「感じ」を概念化したものであるように思われる.しかし,セクション 6.4 と 7.7 で論じ

たように,EXP の場合にはこの述語はたんにみずからのコミットメントの感覚を指示する

のに使われるだけにとどまらない:これを使ってこの付値を他者に帰属させもするのだ.

言い換えると,EXP と同じく,この述語 COM も心の理論の本質的な要素となっている,

ということだ.この述語をもたない生体でも知覚対象の現実性へのコミットメントなら感

じられる(または現実性の経験をもつ).付値特性はどんな出来事のなかにも現れているから

だ.しかし,そういった生体はこういう知覚対象を他者に帰属させることはできないし,

みずからのコミットメントを問うこともできない.付値特性そのものは概念構造の要素で

はなく,推論規則に出番がないからだ.こうした認知タスクには述語 COM が必要となる.

この述語はいわば付値特性 [+committed: valence+] の認知的なシミュレーションなのだ.

これ以外の状況態度・作用態度の中には,すでにあげておいた以外の付値特性の組み合

わせを概念化しているものもある.(40) にセクション 3.3.4 で論じた可能性を再掲してお

こう.

(40) a. 命題態度

[+committed: valence+]: あることが成り立っていると信じる

[+committed: valence-]: あることが成り立っているのを信じない・疑う

[-committed]: 命題を思い浮かべる

[-committed; +affective: valence+]:あることが成り立っているのを望む/求

める

[-committed; +affective: valence-]: あることが成り立っているのを厭う/

恐れる

b. 作用態度

[+committed: valence+]: あることをするよう意図する

[+committed: valence-]: なにかを避ける

[-committed]: あることをするのを考慮する

[-committed; +affective: valence+]: なにかをしたいと望む/求める

[-committed; +affective: valence-]: なにかをしたくないと厭う/恐れる

さまざまな属性の総体を COM の姉妹概念で形式的に精緻化する方法については,今後

の研究にゆだねたい.

97

8.6 意図的に物事をすること,作用の意図性,命令文

(36b) に示した意図の形式化によって,意図を中心とするさまざまな概念をまとめて定式

化することが可能となる.

8.6.1 物事を意図的にすること

作用を意図的にするとはどんなことなのか考えよう.これは Searle (1983) や Bratman

(1987) で主題となっている問題だ.ブラットマンが指摘するように,ある人が特定の作用

を意図的にやったからといって,その人が帰結までも意図しているとはかぎらない.たと

えば,私が雨の中を意図的に走って家まで帰ったとして,靴をぬらすことまでを意図して

いることにはならない.同様に,サールは物騒なシナリオを論じている.じぶんの叔父を

殺そうとしてサールが車を走らせる.その途中,あまりに気が高ぶっていたので彼は濃霧

の中で通行人をひき殺してしまう──ところが本人はご存じないもののその通行人が偶然

にもまさに殺そうとしていた叔父その人だったのだ:この通行人をひき殺すという行為は

サールの意図を充足するものではない.それどころか,当人はなお殺意をもってナイフを

握りしめたまま叔父の家へと向かうかもしれない25.

こうしたシナリオを分析してサールはこう述べる.ある作用=動作を意図的に遂行できるの

は,その作用=動作を遂行するという意図を満たそうという意図をもっているときに限られ

るのだ,と.しかし,いっそう複雑となったこの意図はどうやって満たされるのだろう? 無

限後退をはじめてしまっているのではないだろうか.ここから脱出するには,束縛表記を

巧妙に使ってやる手がある.(41) に示すのがそれだ.

25 サールのひき逃げ状況は,セクション 8.3 で論じた意図における指示の不透明性のうまい例

となっている.彼のシナリオでは,(i) も (ii) もともに真となる読みがある.

(i) a. Searle did not intend to kill the unknown pedestrian.(サールはその見知らぬ通行人

を殺す意図をもっていなかった)

b. Searle intended to kill the unknown pedestrian.(サールはその見知らぬ通行人を殺す

意図をもっていた)

こんな不思議なことになる理由はなぜかというと,態度記述においては全ての項に体系立った曖

昧性がでてくるためだ.態度記述は,まさにその態度の持ち主がその想像上の出来事を記述する

仕方を記していることがある(その態度の不透明記述 a.k.a. 狭い内容の記述だ).その一方,その態

度に関わる個体・状況・特性の話し手による記述の仕方を記していることもある.そうした記述

は態度の持ち主がそれらをみずから記述するときにたまたまとられる記述の仕方から独立して

いる(態度の透明記述 a.k.a. 広い内容の記述).サールの意図の狭い内容は「私はじぶんの叔父を

殺そうと意図している」と表現されると仮定しよう.すると,(ia) は「未知の通行人」の不透

明読みにおいて真となる〔=見知らぬ通行人を殺す意図はなかったことは真となる〕.しかし,サール

は知らずにいたにせよ,「彼」が「叔父」として記述している人物は奇遇にも「見知らぬ通行人」

とも記述されうる人物なので,the unknown pedestrian の透明読みにおいて (ib) は真となる.(もちろん,(ia) は不透明読みで偽になるし,(ib) は不透明読みで偽になる.)

98

(41) X intentionally performs action Y.(X が作用=動作 Y を意図的に遂行する)

Y

Xα ACT

[FROM [α COM [Situation, +Action β]]]

これが言っているのはどんなことだろうか? 英語(日本語)のパラフレーズで書き下して

みると,大体 ‘X does Y out of an intention to do so’(X はそうしようとの意図から Y する)く

らいになる.1 行目が符号化しているのは作用 Y の主題的な内容で,これはなんでもいい.

2 行目はマクロ役割層で,X が〈作用因〉となっている.一番 後の行で大事なのは修飾

部だ.FROM で表記されているのがその主要な関数で,項が原因であることを示す(They

died from hunger(彼らは飢えで死んだ)と同じ要領だ)26.FROM の項は αが〈作用=動作〉

の β を意図しているという状況だ.すると,β の束縛により,α の意図はこの〈作用=動

作〉そのものに対するものとなり,これで〔β は〕意図をともなう作用になる〔(41) の右上に

ついている βは,意図されている作用がこの Y 全体であることを示す〕.つまり,この意図は部分的

に自己言及的なのだ(サールの用語では「因果的に自己言及的」(causally self-referential) という).

βは intend の作用項に課せられた制約を満たさねばならないという事実によって,βへ束

縛された主要な関数 Y が〈作用〉となることが保証される.

ここでブラットマンとサールそれぞれのシナリオに戻ろう.靴をびしょ濡れにするのは意

図的なことではない.それは,この行為が意図の差し向けられたことではないからだ──

つまり,コミットメントは他ならぬその行為に対しての.............

ことではないからだ.同様に,サ

ールの叔父がひき逃げで死ぬのが意図的な殺害とならないのは,見知らぬ通行人を車では

ねるのはサールがコミットしている行為ではないからだ.このことは,さきほどの形式化

において,意図された作用=動作((41) の β)がその作用全体を束縛できていないという形

であらわれている.靴をびしょ濡れにするという作用=動作は走って帰宅するという意図さ

れた作用=動作によって束縛されることができない.束縛されるのは走って帰宅するという

作用=動作だけだ.意図の狭義の内容(脚注 4 参照)が重要だ:(当人から見て)見知らぬ通

行人(とされる人物)を殺すというサールの作用=動作は叔父(と当人により同定される人物)

を殺すという意図された作用=動作によって束縛されえない27.

26 FROM は Jackendoff 1990, sec. 5.4 で提案した.直観的に言うと,その項は〈状況〉で,

FROM が修飾している〈出来事〉をこの〈状況〉が引き起こす(e.g. Hunger caused him to die(飢

えが彼の死を引き起こした)).つまり,これは CAUSE の逆にあたるわけだ.よって,FROM Z の読み下しには (i) がありうる.これは ‘the property of being caused by Z’(Z により引き起こさ

れているという特性)ということで,この場合 (41) の 後の行は (ii) のようになる. (i) [Property λx(Z CAUSE x)] (ii) [Property λx(α COM [Situation, +Action β] CAUSE x)]

27 言語学者は,副詞 intentionally の意味としてどんな意味構造が記憶されているのかに関心

をもつことだろう.じっさい,Y と Xα ACT が文脈的な特性として扱われる場合には,(41) そ

β

99

8.6.2 志向的構え The Intentional Stance

心の素朴理論で重要な要素となっているのは,作用が志向的になされているというデフ

ォルトの想定だ.つまり,いつでも可能であれば意図が作用の背後にあると想定されるの

だ.他者の心について推測するとき心を観察できなくてかまわないのは,まさにこのため

だ.もちろん,失敗することも多い.こういう意図があるのだと見込んでいたのに,実際

には相手の作用にはそんな意図がない(と主張される)ことはよくある.しかし,この想定

は多くの場合にうまくいっている.さらに,無生のモノが作用の引き金となっているとき,

それを擬人化しがちな傾向があるのもこれが理由となっている.風や雲をはじめ,とくに

コンピュータなどで顕著だが,我々はモノがなにかを「やりたがっている」と言ったりす

る.

この想定はデネット (1987) がいう志向的構えの一部をなすものだが,形式的に言えば

(42) のような形式のデフォルトの(破棄可能な)推論規則として定式化できる.

(42) 志向的構え (The intentional stance)

[X ACT] ⇒default

これはつまり,そうではないという証拠がないかぎりどんな作用にも意図があると想定

されるということだ.

規則 (42) はたんに意図の帰属という哲学的/心理学的な問題に関連しているだけではな

い.この規則によって,言語の意味論に興味深い帰結がもたらされるようになるのだ.つ

ねづね指摘されてきたように,roll や slide といった動詞には主語が意志的かどうかとい

う曖昧さがある:ジョンが丘を転がったり滑ったりするのは,彼がそうしようと意志決定

してやった結果であることもあれば,ポンと押されてしまった結果であることもある.こ

れについて議論がなされた際にとられてきた標準的な仮定(とにかく筆者の仮定ではあった)

は,こうした動詞は全て多義的なのだ,というものだった──こうした動詞には随意的な

特性として意志性が語彙項目に含まれている,というわけだ.だが,それならこうした動

詞の一部だけではなくて全てがそうなっているのはどういうわけだろうか(surprise のよう

な心理動詞も含まれる;第 7 章を参照).随意的な語彙特性を仮定するだけでは,この問いが

説明されないままとなる.

れじたいがトリックをするようになる.言い換えると,副詞 intentionally がなければ概念構造

が Y プラス Xα ACT となる文の音韻・統語に intentionally を加えると,この修飾語と (41) の束縛が概念構造に加えられることとなる.

Xα ACT

[[FROM [α COM [Situation, +Action β]]]

β

100

だが,文解釈の一般原則には規則 (42) も含まれていると考えてみるとどうだろうか(語用

論の規則であれ,グライス流の推意であれ,Gleitman et al. 1996 のいう構造的意味の原則であ

れ,あるいは Jackendoff 1997a の定義での強制の原則であれ).すると,有生主語をともな

うどんな作用動詞でも自動的に意志解釈の可能性がでてくる.よって,意志性の特性はこ

うした動詞の語彙項目に記載されなくてすむ.これでレキシコンは大幅に簡素化される.(た

だし,murder のように意志的な主語を必要とする動詞は別で,その語彙項目になんらかの意志

述語を含むことになる.) この分析によれば,John rolled down the hill のような文の意味

内容がもつ重要な要素は単語ではなくて原則 (42) からでてくることになる.

8.6.3 命令文

これは私にはいくぶん意外な結果に思われることなのだが,平叙文と命令文の関係を考

えてみよう.

(43) a. Bill ate the pizza.(ビルはピザを食べた)

b. Eat the pizza. (ピザを食べろ)

VP が意志的な作用を表すかどうかを調べる標準的なテストは,それが命令文に使えるか

どうかをみることだ.なぜかといえば,命令文に課せられる周知の選択制限は意図された

作用のそれと同一だからだ.命令文では,暗黙の主語 YOU が意志的な〈作用因〉である

ことが求められる.このため,状態述語の命令文 (44a) や自制不可能な出来事の命令文

(44b) は容認されない.

(44) a. *Be descended from royalty.(王族の血筋であれ)

b. *Grow taller.(もっと背が高くあれ)

可能な場合には,こうした容認不可能な事例は強制を受けて使役読みになる.

(45) a. Be quiet. = Make yourself quiet.(静かにしろ)

b. Be examined by a doctor. = Get yourself examined by a doctor.(医者にみて

もらえ)

さらに,命令文は非過去指向でないといけない.

(46) Leave the room now/in five minutes/*five minutes ago.({いま/5 分後に/*5 分前

に}部屋を出て行け)

101

以上のような類似性は偶然の一致とは考えにくい.そこで,命令文の効力に対応する概念

構造は単純に (47) なのだと仮定しよう.

(47) Do such-and-such.(しかじかのことをなせ)

[Situation,+Action α ACT]

ここからいかにして命令文の効力が導き出されるのだろうか? 文がその発語内効力を

どのようにして得るか,考えてみよう.発語内効力に関する理論はほぼ全て,慣習的なコ

ミュニケーションによって文の内容になんらかの追加の素材が貼りつくのだと仮定してい

る.その素材が正確に言ってどういうものなのかという点では,理論ごとに見解が違う.

たとえば,(48) は平叙文に貼り付けられた追加情報をインフォーマルに説明している(簡

便のため Wierzbicka 1987 の書き方を採用している).

(48) 概念構造 [Situation P] をもつ平叙文 S は次の発語内効力をもつ:

私はあなたに S を言う

そうするのは,あなたが [Situation P] を信じるようにさせようとの意図からであ

る.

I am saying S to you

out of the intention to cause you to come to believe [Situation P].

ここでの目的にとって重要なのは you believe の部分だ.本書の形式化では,これは (49)

のようになる.

(49) … out of the intention to cause [YOU COM [Situation,-Action P]]

(… [YOU COM [Situation,-Action P]] を引き起こそうとの意図から)

平叙文の代わりに (47) の意味をもつ命令文をこの定式化にはめ込んだとしたらどうだろ

う.すると,(49) に代わって (50a) が得られる.COM の項は [+Action] なので,作用態

度のテンプレートが適用されて (50b) の形式がでてくる.

(50) a. … out of the intention to cause (…次のことを引き起こそうとの意図から)

[YOU COM [Situation,+Action α ACT]]

b. … out of the intention to cause (…次のことを引き起こそうとの意図から)

[YOUα COM [Situation,+Action α ACT]]; [Time T2 ≥ β]]; Tβ]

102

ここで注意すべきなのは,(50b) の形式化された部分は you intend to act(あなたは行為

しようと意図している)に対応しているということだ.よって,(48) の you believe に代えて

you intend を入れると (51) が得られる.

(51) 概念構造 [Situation,+Action A] をもつ命令文 S の発語内効力は次のとおり:

私はあなたに S を言う

そうするのは,あなたが [Situation,+Action A] を意図するようにさせようとの意

図からである.

I am saying S to you

out of the intention to cause you to come to intend [Situation,+Action A]

これこそ命令文の効力としてふさわしい.とりわけ,文で意味されるのが要求なのか指

令なのかを捨象している〔のがいい〕.さらに,A は作用態度の対象となるので,これは自動

的に (35) の構造に限定される.(50b) にみられるように,この構造では〈作用因〉は YOU

に束縛され,時間は現在(命令文が発話される時間)に先行しない.つまり,命令文の意味

に関するこのごく単純な説明は,観察された制限を作用態度への制限の特殊事例として予

測してくれるのだ.

よって,命令文の概念構造が (47) だと仮定すると,余分なあれこれを言わずとも平叙文と

命令文それぞれの発語内効力の記述が統合できる.より一般的な記述は (52) だ.

(52) 概念構造 [Situation,±Action X] をもつ平叙文または命令文の発語内効力は次のとお

り:

私はあなたに S を言う

そうするのは あなた α が [α COM X] となるのを引き起こそうとの意図からで

ある

I am saying S to you

out of the intention to cause youα to come to [α COM X]

8.7 意図を満たすこと vs. 意図を無効にすること;目的

意図には充足されると消失するという面白い性質がある.大ざっぱに言って,私が指を

動かそうと(または新車を買おうと)意図しているとして,じっさいに指を動かすと(じっ

さいに新車を買うと),その意図はなくなる.

みずからの記述する出来事の生起をへて「存在しなくなる」という,この実体はどんな種

類のものなのだろう? 信念は,それが正しいとわかっても消え去ったりしない.他方で,

103

義務や願望(ともあれ何らかの種類の義務なり願望)は充足されると消え去る.飢え・渇き・

痒み・排尿の必要性といった身体の感覚は,その充足に関連する出来事が起きると消え去

る.無生のものがもつ必要性もそうで,たとえば家に新しい屋根が必要だといったことも

充足されれば消え去る.

こういったふるまいが奇妙に思われる理由は,「意図」(intention),「願望」(wish) といった言

葉の文法に見いだされる.たしかにこうした言葉は名詞で,したがって表面上は何らかの

抽象的な対象物を明示するのだが,これは文法的な幻覚とみた方がいい:こうした言葉は

対象物ではなくて状態を明示しているのだ.intending(意図すること)と having an

intention(意図を有すること)の意味には実質的なちがいはない.ただ,同じ考えを後者はい

わゆる軽動詞の構文で言い表しているだけのことだ.この構文では述語の本当の内容は本

動詞の have ではなくて名詞の intention の方にある.これと同じことは,他の多くの軽

動詞構文にもみられる.(軽動詞構文がいかにしてこういった解釈をされるにいたったかにつ

いて,ひとつの提案は Culicover and Jackendoff 2005, sec. 6.5.1 を参照.)

(53) a. John has the intention/a wish to go to Texas. (= John intends/wish to go to

Texas)

(ジョンはテキサスに行こうという意図/願望をもっている)

b. John has a tendency to sneeze. (= John tends to sneeze)

(ジョンはくしゃみをする傾向がある)

c. John took a walk to the store. (= John walked to the store)

(ジョンはお店に歩いた(Lit. お店に歩みをとった))

d. John put the blame on Bill for the accident. (= John blamed Bill for the

accident)

(Lit. ビルに事故の責を負わせた))

e. John gave a performance of the Waldstein. (= John performed the

Waldstein)

(ジョンは Waldstein の演奏を披露した)

誰かがあることをやりがちだとか,誰かが歩くだとか,誰かが責めるだとか,誰かが演

奏するといったことから独立に「傾向」・「歩み」・「責」といった実体が存在しているわけ

ではない:あたかも独立の足場をもっているかのように傾向や歩みや責めや演奏を物象化

するのはまちがいだ.同様に,意図や願望その他の状況態度・作用態度を物象化するのも

まちがっている──これには信念も含まれる! 意図が「存在しなくなる」のは意図すると

いう状態が終わったときだと結論づけよう.「意図の充足」とは,意図された作用の遂行の

結果として意図するという状態が終熄することなのだ.

104

とはいえ,充足されなくても意図が存在しなくなる(i.e. 意図するという状態が終わる)こ

ともある.エイミーが猫に餌をやろうと意図しているとしよう.ところが,ベスがとっく

にやっておいてくれたとわかる.このことを知った結果として,エイミーはもはや上記の

意図をもたなくなる──けれども,別に充足したわけではないのだ.これも含めてより一

般的な状況を意図の「無効化」(voiding) と呼ぶことにしよう.

このとき何が起きているかというと,エイミーの意図に含まれる内容はたんに猫に餌をや

ることだけに尽きないのがわかるのだ.そうではなく,彼女はある暗黙の目的(または目

標)を達成するために猫に餌をやろうと意図している.おそらくそれは猫を飢えさせない

ようにするという目的だ.もちろんこれは語用論的な推論の一部となっている:彼女は雨

が降ろうが槍が降ろうが断固として猫に餌を食らわせるつもりで,当の猫に食べる気があ

ろうとなかろうと知ったことではないのかもしれない.だが,それよりは彼女に何らかの

妥当な目的をデフォルトで帰属させる方が寛容というものだろう.直感的に言って,彼女

は意図は,その目的が充足されたと彼女が信じるにいたれば無効になる.(注意.とにかく

目的さえ充足されればいいというのでは十分でない:ベスが猫に餌をやっただけではエイミーの

意図は消えない.ベスが猫に餌をやったのをエイミーが知ってはじめて意図は消えるのだ.)28

もちろん,意図の背後にある目的ははっきりと表現できる.たとえば (54) のような具合に.

(54) a. John intended to go home in order to see his mother.

母親に会うためにジョンは帰宅しようと意図している.

b. John intended to buy a car in order to get to work more easily.

もっと通勤を楽にするためにジョンは車を買おうと意図している.

ここでも,もしジョンが母親に会いに行く他の手段が手に入ったりもっと楽に通勤する

方法ができたりすれば(たとえばバイクをゆずってもらったり新しいバス路線の運行がはじま

ったりすれば),意図は無効になる.

直感的に言うなら,目的とはその人が欲し,行為しようとの意図を動機づけるものと考え

られる29.これを (55) のように形式化しよう.

28 もっとトリッキーな場合として,セクション 8.6.1 でみたサールの話をもう一度みておこう.

彼が見知らぬ通行人をひき殺した時点では,彼の意図に変化はない.しかし,しばし後になって,

彼はひき逃げ事件で逮捕される.このときになって彼は犠牲者が誰だったのか知ることになる.

この時点でおそらく彼の意図は無効化される.叔父を殺そうという彼の意図の背後にある理にか

なっているもののいくぶん冗長な目的をサールに帰属させると,この例もいま論じているものに

該当する:その目的とは,叔父が死ぬ,というものだ.いまや彼はこの目的が充足されているの

を知っているので,意図は消え去る. 29 これは意図をもちうる存在に帰属される目的にのみ適用される.目的は人工物に適用される

こともあるし(A phone rings to let us know someone’s calling(ベルは誰かが呼んでいるのを

教えるために鳴る)),感覚をもたない生物に帰属されることもある(A tree has leaves to collect

105

(55) X intends to do something in order for Z to come about.(Z を実現させるために X

はあることをしようと意図する)

Xα COM [Situation,+Action α ACT]

[FROM [α WANT Z]]

(55) では,統語論の従属役割にあわせて目的は FROM 修飾部の扱いになっている.こ

れが意味するのは,Z をもとめる Y の欲求が X をして行為させしめるものだということ

だ.(さしあたり WANT は未分析の状況態度としておく.セクション 8.5.3 で示唆しておいた

さらなる分析がこれによって妨げられることはない30.)

intend 以外の動詞,たとえば go や buy だと目的はどうなっているだろうか.

(56) a. John went home in order to see his mother.

(母親に会いにジョンは帰宅した)

b. John bought a car in order to get to work quicker.

(もっと早く通勤するためにジョンは車を買った)

分析の手がかりとなるのは,目的は意志的作用にしか関わらないということだ.「~する

ために背が高くなる」(grow taller in order to…) とか「~するために王族の血筋に生まれる」(be

descended from royalty in order to…) とか「昨日通勤するために今日車を買う」(buy a car in order to get

to work) なんてわけにはいかない.言い換えると,およそ目的というものは意図を前提する

ということだ.では (56a,b) の概念構造に意図はどう組み込まれるのだろう? いちばん単

純な可能性は,志向的構えによって意図が提供される,というもの── (42) で示したデフ

ォルトの伴立規則だ:「反対の証拠がないかぎり,その作用は意図的に遂行されていると仮

定せよ」というわけだ.この規則をあてはめてやると,目的を付加できる意図ができあが

る.(57) は (56a) から〔デフォルト規則によって〕帰結する構造を示している.

(57) JOHNα GO HOME

α ACT

FROM

‘John went home out of the intention to do so, where the purpose behind

sunlight(木には葉っぱがついているのは陽光を集めるためだ)).これらにはいくぶん異なる構

造がある.理想的な分析では,これらを共通のテーマのさまざまな変奏として統合することだろ

う.ここではやめておく. 30 もし註 15 で示唆したように [FROM Z] が λx[Z CAUSE x] を短縮したものだとすると,当

該の推論規則はかなり直截単純なものとなる:原因が生じなければその結果はふつう起きたりし

ない.

α COM [Situation,+Action β]

[FROM [α WANT [α SEE MOTHER]]]

β

106

the intention was a desire to see his mother.’(帰宅しようとの意図からジョンは

まさにそうした.この意図の背後にある目的は母親に会おうとの欲求だ)

(57) から引き出せる推論を調べてみよう.第一に,ジョンは帰宅したのがわかる.第二に,

帰宅したことにより帰宅しようとの意図は充足されるのは,彼はもはやそうする意図をも

っていない.第三に,(57) はジョンが母親にあったとまでは断定していない──ただそう

したいと彼が望んでいたとしか言っていない.したがって,母親に会おうというジョンの

欲求が充足されて消え去ったかどうかはわからない.こうした推論は (56a) について正し

いと思われる.

後に,命令文の話に戻るとしよう.要求でも指令でもなく指示や助言に命令文の形式が

使われることがある.

(58) a. To make more money, work harder.(お金を稼ぐには,もっとしっかり働きなさい.)

b. To bake a cake, take 3 cups flour, …, and put it in the oven for an hour.(ケ

ーキを焼くには,小麦粉を 3 カップ用意し,…,それからオーブンで 1 時間焼く)

面白いことに,こうした文は目的節を含んでいる.これらがこのような効力をもつ理由

を説明できるだろうか?

前節で概略を述べておいた命令文の発話内効力の分析をもう少し精緻化してみよう.命令

文に目的節を加えると,聞き手にそうしようと思ってほしいと話し手が望んでいる意図が

加わる.すると,目的節を伴う命令文の(発語内効力を含む)概念構造は (59) のようにな

る.

(59) Act in order to Z.(Z するために行為せよ)

I am saying S to you out of the intention to cause youα to come to

(私が S をあなたに言っているのは,あなた α を次のようにさせようとの意図からである)

α COM [α ACT]

FROM [α WANT [α Z]]]

これは正しい効力にかなり近い.聞き手が Z したいと望んでおらず,思い描かれている

作用を遂行しようとの聞き手の意図を引き起こすのが Z である場合にもやはり意図は消

失する.他方で,聞き手が Z しようと望んでいる場合にはその意図があらわれる.これこ

そ指示や助言だ:「もしあなたが Z したいならしかじかのことをなせ.」

ここで,猫に餌をやろうとエイミーが意図しているというさっきの例を思い出してほしい.

その暗黙の目的が充足されるとこの意図は無効化される──べつに彼女がその作用=動作

を遂行しなくても.同様のケースが命令文でもでてくる.

107

(60) a. Shake well.(よく振ってね)

b. Do not use near fire or flame.(火の気の近くでは使用しないでください)

これらは指令ではなくて手引きだ:ある物体を適切に機能させたかったら,以下のよう

にせよ,というわけだ.このように,一般的な命令文の指令用法は暗黙の目的という論理

の分析から導かれる.

こうした例からは,ある重要な論点がでてくる:発話意味のかなりの部分は文に含まれる

単語の意味には存在していない.....

のだ.これは intend に伴う主観的な that 節の強制や有生

主語に意図を帰属させる(志向的構えの)要因となっている構文意味との関連ですでに出て

きていた論点だ.いまや,語用論の研究,それもとくに強制や共合成 (co-composition) の研究

がさかんとなったおかげで,この問題に論争の余地はない (Pustejovsky 1995; Jackendoff 1997a).

とはいえ,ひとつ強調しておきたいこともある.すべての意味内容は単語の意味からもた

らされるのであり,これが統語的な配置にしたがって単純につなげあわされるだけだとい

う仮定は少なくともフレーゲまでさかのぼるもので,いまも言語学・哲学で広くとられて

いる.いま述べた論点は,これに対する中和剤として強調しておきたい.

8.8 共同意図

第 5 章で,協調行動の必須部分として共同意図 (joint intention) と共同で意図される作用=

動作の概念を導入しておいた.この下敷きになっているのは Gilbert (1989), Searle (1995),

Clark (1996), Bratmant (1999) の議論だ.本章で述べた形式を増強して,共同意図も取り

込めるようにしよう.これは,とくに共同で意図される作用=動作は売り買いや取引その他

の契約といった交換取引の分析に必要不可欠なので重要となる.これについてはさらに第

10 章で論じよう.

共同作用の背後にある直観を思い出してほしい.長椅子をいっしょに動かすとき,この課

題はたんに私が一方の端をもって動かしあなたがもう一方の端をもって動かすのを足しあ

わせるだけの話ではない.いっしょにデュエットをやるとき,この課題はたんに私がひと

つのパートをやりあなたがもうひとつのパートをやるというだけの話ではない.そうでは

なく,こうした課題は両者が共同で実行するというかたちで概念化されないといけない─

─つまり,あなたがじぶんの担当をやり,私もじぶんの担当をやり,必要なら時間も調整

する,ということだ.共同の課題を開始して調整するには,参与者たちはみずからの意図

を合図しないといけない.その合図は言葉である場合もある:

(61) A: じゃあ長椅子を動かそうか. (共同の課題のオファー)

B: いいよ. (推定上の共同意図の確立)

108

A: いい? せーの,よっと! (調整の合図)

または,身振りで合図することもある:握手するのに手を差し出す(第 4 章)のはオファ

ーとみなされる.無意識に動作を微妙に変化させることも重要で,たとえば握手やハグを

いつ終わらせるのかをそうやって感じ取ったりする.

ここでは,こういったことのほんの一部だけを取り上げることにしよう.すなわち,共同

作用と共同意図の概念化だ.(いかにして.....

参与者が共同意図に到達するのか──場合によって

は駆け引きしたり強制したり脅したりすることによって──という部分は非常に大事だが,ここ

では取り上げない31.) 〈作用因〉が個体ではなくて集合となっているというのが鍵となる

着想だ.(62) は 2 人の個体が〈共同作用因〉(co-Actors) となっている作用=動作を示してい

る(もっと多くの参与者にまで一般化する方法ははっきりしている.ただ,それを規定するの

に必要な形式上の仕掛けを工夫するのはしないでおく).

(62) X and Y jointly performs action.(X と Y が共同で作用を遂行する)

[{X, Y} ACT]

次に,この作用を分解して X が遂行する部分と Y が遂行する部分にわけてやらないとい

けない.これを表示するには,新たに演算子 COMPOSED-OF(から-成り立つ)が必要だ.

この演算子は共同意図にとって重要だが,それだけにとどまらない.物体や物質の構成部

分や成分を明確にするときにも重要だ.たとえば,(63) は「チキン・ヌードル・スープ」の

ような表現についての符号化だ(Jackendoff 1991 参照).

(63) chicken noodle soup

SOUP

COMPOSED-OF {CHICKEN, NOODLE}

この演算子を共同意図の符号化に適用すると,(64) のような表現が得られる.ここでは

ACTx と ACTy は X と Y それぞれが共同作用に寄与する部分を示している.

31 Bratman (1999) は一方の参与者が強制されたために参加することとなった共同課題のケー

スを共同意図から除外することを考えている(e.g. [銃を聞き手に突きつけながら]We’re going to New York together, OK?(俺たちはニューヨークまで同行する.いいよな?)).私はどちらかというとこう

したケースも共同で意図される作用に含める方がいいように思う.強制は共同意図が形成される

過程の一部であると考えるのだ──たしかにこの過程は悪辣ではあるが.

109

(64) X and Y jointly perform action A, where X’s part is ACTx and Y’s part is ACTy.

(X と Y が共同で作用 A を遂行する.X の担当は ACTx で Y の担当は ACTy である.)

{X, Y} ACTA

COMPOSED-OF {X ACTx, Y ACTy}

すると,作用 A を遂行しようという X と Y の共同意図は (65) のように定式化できる.

(65) X and Y jointly intend to perform action A.(X と Y が作用 A を遂行しようと共同

で意図する.)

α ACTA

COMPOSED-OF {β ACTβ,γ ACTγ}

これに関しては注意が必要だ:(65) は共同意図の概念化であって,X と Y は同じ作用=動

作へのコミットメントを共有しているものとみなされている.こうした事態の概念化をす

るには,X と Y が本当に...

同じ意図を共有している必要はない.第 5 章で述べておいたよう

に,これには誤解や欺瞞の余地が大いに残るわけだ.

いまや (65) のおかげで参与者たちのコミットメントや他者のコミットメントについての

知識をもっと厳密にすることができる.これには 2 つの側面がある.第一に,それぞれの

参与者はみずからの担当部分をすると意図している.だが,これでは不十分だ.あること

をする意図はあっても実行しないという場合もあるからだ.そこで,第二の側面として,

それぞれの参与者はみずからの担当部分をやる義務を相手に負っている (Gilbert 1989;

Bratman 1999).第 11 章でみるように,これはつまり,X が遂行しなかった場合にはつぐな

いをもとめる権利が Y に生じるということだ──いちばん単純なケースなら謝罪の言葉

だろうし,もっと込み入ったケースなら契約違反で定めた賠償といったものとなるだろう.

(66) に示してあるのは義務の形式化で,これについては第 11 章でさらに発展させる.

(66) X is obliged to Y to perform action ACT.(作用 ACT を遂行する義務を X は Y に負

っている)

Xα OB (α ACT, TO Y)

こうした部品が全部そろったところで,共同意図からでてくる以下の伴立をまとめること

ができる.

[{Xβ, Yγ}α COM ]

110

(67) [{Xβ, Yγ}α COM ] ⇒

a. Xβ COM [ΒACTβ]

b. Yγ COM[γ ACTγ]

c. Xβ OB (β ACTβ, TO Y)

d. Yγ OB (γ ACTγ, TO X)

参与者各自がこうした推論をできる──そして他人もできると知っている──ので,相

互知識に期待される条件がすべて満たされる.

一般に,共同作用は意図的でなくてもかまわない:2 つの化学薬品が相互作用するのを考え

てみるといい.ただ,ここで我々が関心をもっている共同作用=動作はすべて意図的なもの

だ.このため,共同課題の構造 (64) を意図的作用=動作の構造に結合してやる必要がある.

(68) がその完全な構造だ.

(68) X and Y intentionally perform action A jointly.(X と Y が作用 A を共同で意図的

に遂行する)

{X, Y} ACTA

COMPOSED-OF {[X ACTx], [Y ACTy]}

[FROM [{X, Y} COM α]]

(68) の 3 行目すなわち共同課題を遂行しようとの共同意図から,(67a,b) の推論が導かれ

る.

ここで注意.with NP や together には,共同課題の意味を誘発する用法もある.

(69) a. Sue baked a cake with Sally.(スーはサリーとケーキを焼いた)

b. Sue and Sally baked a cake together.(スーとサリーは一緒にケーキを焼いた)

このように,ちょうど intentionally が修飾部 FROM [X COM α] を導入するのと同じ

く together や with NP も共同作用の構造を強制することがある.ただ,この技術的な細

部は本書の射程を超える.

本章の分析を踏まえるなら,相互信念は COM の右側の項が [-Action] の構成素となる点

以外は同じ表記になるのは言うまでもない.相互信念の伴立は (67a,b) に並行したものと

なる:つまり,どちらの参与者も当該の命題を信じているということが推論できるわけだ.

ただし,〔共同で意図される作用の担当部分のように〕その信念のうちそれぞれの参与者がとくに

α ACT

COMPOSED-OF {β ACTβ, γ ACTγ}

111

担当する部分があるわけではない.また,(67c,d) に相応するものもない:参与者が他人の

ためになすよう期待されるものはなにもないのだ.

(70) 相互信念とその伴立 (Mutual belief and its entailments)

[{X, Y} COM [Situation,-Action P]] ⇒

a. [X COM P]

b. [Y COM P]

8.9 結び

まとめよう. intend とは関数 COM が作用的な補部に適用されたものだと我々は分析

した.この関数 COM により intend は believe と並行したものとなる.この分析を動機

づけているのは,両者それぞれの起動相 (decide) や使役 (persuade/convince) が並行して

みられるという事実だ.と同時に,いまやすべての態度は心の理論を符号化した述語とし

て理解することができる:これらは経験に現実ないし非現実の「感じ」をあたえる付値特

性のいずれかを概念化したものなのだ.

(35) に示した作用態度に固有の特性により,作用態度が差し向けられる作用は自発的かつ

その態度の時間に先行しない時点で成り立つものでないといけないという事実が説明され

る.こうした制限の帰結として,intend に続く叙想法の that 節は,意図する者が当該の

出来事を実現させるのを意図しているという意味形式に強制によって変えられることを要

求する.

この分析から,doing Y intentionally(Y を意図的にする)の直截単純な分析が導かれる.破

棄可能な推論の規則 (42) はデネットがいう志向的構えを述べたもので,これにより随意的

な意志性の特性を非常に多くの動詞の語彙項目から除外できる.また,この分析により,

目的とその意図への関係,および意図の無効化で暗黙の目的が果たす役割の説明も得られ

る.ここでも,発話意味は〔文を構成する〕単語の意味よりも豊かであることがわかる.さら

に,この分析からは 2 種類の命令文の発語内効力の上手い説明も引き出せる. 後に,共

同意図とその伴立を符号化することができた.これらは協調作用の記述に必須の概念だ.

これだけの帰結が得られれば,ひとつの章としては十分というものだろう.

112

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References.

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Mass.: Harvard University Press. (マイケル・ブラットマン『意図と行為―合理性、計画、

実践的推論』門脇俊介・高橋久一郎=訳,産業図書,1994 年.)

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ニエル・デネット『志向姿勢の哲学』若島正・河田学=訳,白揚社,1996 年.)

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linguistic theory: Studies in honor of Carlos P. Otero, 198-227. Washington, D.C.;

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Cambridge, Mass.: MIT Press.