12
-1- 宿鹿16

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高崎市新町公民館

古典文学講座

令和元年十月十六日

万葉集をよむ~令和にちなんで~

第4回

新町公民館

◎前回の宿題

○万葉集の郎女・大嬢・娘子

①郎女……石川郎女、巨勢郎女、大伴坂上郎女、大伴郎女、紀郎女、藤原郎女、(軽

太郎女)

②大嬢……大伴田村大嬢、大伴坂上大嬢のみ

③娘子……舎人娘子、清江娘子、娘子(園臣生羽の女)、依羅娘子(柿本朝臣人麻呂

妻)、筑紫娘子、土形娘子、出雲娘子、勝鹿真間娘子、常陸娘子、河内百

枝娘子、巫部麻蘇娘子、豊前国娘子大宅女、安都扉娘子、丹波大女娘子、

娘子(遊行女婦児嶋)、日置長枝娘子、他田廣津娘子、縣犬養娘子、上総

末珠名娘子、豊前国娘子紐児、播磨娘子、対馬娘子名玉槻、狭野弟上娘

子、遊行女婦蒲生娘子

○内命婦・外命婦

・五位以上の位階を持つ女官が内命婦、夫が五位以上の位階を持つ女官が外命婦。

・凡そ内親王、女王、及び内命婦、朝参に行立せむ次第は、

本位に従れ。其れ外

おのおの

命婦は、夫の位の

へよ。(令義解

後宮職員令1

6

つぎて

なずら

○「ゑまして」(四・六八八)の表記

①青山乎

雲之

灼然

吾共咲為而

人二所知名(原文)

②青山を横切る雲のいちじろく吾と笑まして人に知らゆな(万葉集私注)土屋文明

③青山を横切る雲の

ろくわれと咲まして人に知らゆな(日本古典文学大系)

いちし

④青山を横ぎる雲のいちしろく我れと笑まして人に知らゆな(新潮日本古典集成)

⑤青山を横ぎる雲のいちしろく我と笑まして人に知らゆな(新編日本古典文学全集)

あを

やま

あれ

○信濃国内の「シナ」の付く地名(和名類聚抄において)

①更級郡[佐良志奈]、②埴科郡[波爾志奈]

③更級郡当信郷(「たしな」または「たぎしな」か)、④更級郡更級郷[左良之奈]

⑤高井郡穂科郷[保之奈]、⑥埴科郡倉科郷[久良之奈]

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安麻呂

宿奈麻呂

田村大嬢

坂上大嬢

大伴咋子

馬来田

坂上郎女

稲公

小吹負

祖父麻呂

古慈悲

短歌

長歌

旋頭歌

合計

一八

二一

六四

六四

四九

五一

巻全歌

家持歌

家持歌率

16

六六

七六

一四二

七六

五三・五%

17

17

五九

一〇

六九

一〇七

六九

六四・五%

18

18

八六

一七

一〇三

一五四

一〇三

六六・九%

19

19

七三

七八

二二四

七八

三四・八%

20

20

四二六

四六

四七三

*巻二〇には防人歌九二首を含む

これを除けば家持歌率は五九・一%

*巻八・一六三五番歌は尼との連歌

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*家持は延暦四年(七八五)八月二十八日に没するが、同年九月二十三日に起きた藤原

種継暗殺事件に関与していたとされ、処分された。『続日本紀』編纂時には家持はま

だ名誉回復されておらず、そのためか、『続日本紀』の家持死没記事には家持の享年

が記されておらず、生年が分からない。

*『公卿補任』の宝亀十一年(七八〇)条の大伴家持の項には「天平元年己巳生」とあ

るが、それでは家持は五歳頃に初月歌を作ったことになり、また十歳で内舎人を勤め

ていることになり、信じがたい。同書の天応元年(七八一)条の大伴家持の項には「六

十四」とあり、それによって逆算すると生年は養老二年(七一八)となる。その生年

であれば、家持の官歴・事績との矛盾はない。

西

七一七

七一八

旅人

中納言。この頃、家持誕生

54

七一九

七二〇

日本書紀撰進

七二一

長屋王

七二二

七二三

太安麻呂没

七二四

七二五

七二六

憶良筑前守

七二七

旅人大宰帥

10

七二八

11

七二九

長屋王自殺

12

藤原武

七三〇

梅花の宴。旅人上京

13

智麻呂

七三一

旅人没

14

七三二

憶良上京か

15

七三三

憶良没か。この頃、家持、初月歌

16

七三四

17

七三五

18

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七三六

遣新羅使人の歌

19

七三七

藤原四兄弟没

20

七三八

一〇

橘諸兄

家持、内舎人

21

七三九

一一

亡妾悲傷歌

22

七四〇

一二

藤原広嗣の乱。恭仁京に遷都

23

七四一

一三

24

七四二

一四

25

七四三

一五

26

七四四

一六

難波宮に遷都。安積皇子挽歌

27

七四五

一七

都を平城京に戻す。家持従五位下

28

七四六

一八

雪の応詔歌。家持越中守。書持没

29

七四七

一九

30

七四八

二〇

31

七四九

天平勝宝元

家持、従五位上。陸奥国黄金献上

32

七五〇

33

七五一

家持、少納言、帰京

34

七五二

東大寺大仏開眼

35

七五三

家持、春愁三首

36

七五四

鑑真来朝。家持、兵部少輔

37

七五五

家持、防人歌収集

38

七五六

藤原

聖武太上天皇没。家持、喩族歌

39

七五七

天平宝字元

仲麻呂

家持山菅の歌。橘奈良麻呂の変

40

七五八

家持、因幡守

41

七五九

恵美

万葉集最終歌

42

七六〇

押勝

43

七六一

44

七六二

家持、信部(中務)大輔

45

七六三

46

七六四

家持、薩摩守。恵美押勝の乱

47

七六五

天平神護元

48

七六六

49

七六七

神護景雲元

家持、大宰少弐

50

七六八

51

七六九

52

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七七〇

道鏡左遷。家持、正五位下

53

七七一

藤原永手

家持、従四位下

54

七七二

55

七七三

大中臣

56

七七四

清麻呂

家持、左京大夫兼上総守

57

七七五

家持、衛門督

58

七七六

家持、伊勢守

59

七七七

家持、従四位上

60

七七八

家持、正四位下

61

七七九

一〇

62

七八〇

一一

家持、参議・右大弁

63

七八一

家持、兼春宮大夫。従三位

64

七八二

藤原魚名

家持、謀反に連座、解任。復任

65

七八三

家持、中納言

66

七八四

藤原

家持、兼持節征東将軍

67

七八五

是公

家持没。藤原種継暗殺に連座除名

68

【越中以前】

大伴宿祢家持の初月の歌一首

みかづき

①振仰けて若月見れば一目見し人の眉引思ほゆるかも(六・九九四)天平五年

みかづき

まよびき

大伴家持の秋の歌四首(そのうちの一首)

②雨隠り

いぶせみ出で見れば春日の山は色づきにけり(八・一五六八)天平八年

あまごも

こころ

右の四首は、天平八年丙子秋九月に作れるなり。

十一年己卯夏六月、大伴宿祢家持、

りし

を悲傷びて作る歌一首

みまか

をみなめ

③今よりは秋風寒く吹きなむをいかにか独り長き夜を宿む(三・四六二)天平十一年

ひと

また家持、

の瞿麥の花を見て作る歌一首

みぎり

ほとり

なでしこ

④秋さらば見つつ偲へと妹が植ゑし屋前の石竹花咲きにけるかも(四六四)

月移りて後、秋風を悲しび嘆きて家持の作る歌一首

⑤うつせみの世は常なしと知るものを秋風寒み偲ひつるかも(四六五)

しの

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また、家持の作る歌一首

短歌を

せたり

あは

(長歌は省略)

反歌(三首のうちの二首)

⑥出でて行く道知らませばあらかじめ妹を留めむ関も置かましを(四六八)

⑦妹が見し屋前に花咲き時は経ぬ我が泣く涙いまだ干なくに(四六九)

*妹が見し

の花は散りぬべしわが泣く涙いまだ干なくに(七九八・憶良)

あふち

悲緒いまだ息まず、また作る歌五首(そのうちの四首)

かなしび

⑧かくのみにありけるものを妹もわれも千歳のごとく憑みたりける(三・四七〇)

とせ

たの

⑨世間は常かくのみとかつ知れど痛き

は忍びかねつも(四七二)

よのなか

つね

こころ

⑩佐保山にたなびく霞見るごとに妹を思ひ出泣かぬ日はなし(四七三)

⑪昔こそ外にも見しか吾妹子が奥つ城と思へば愛しき佐保山(四七四)

よそ

橙橘初めて咲き、霍公鳥飜り嚶く。此の時候に対ひて、詎そ志を暢べざらむ。因り

とう

きつ

かけ

むか

なに

て三首の短歌を作りて、鬱結の緒を散らさまくのみ。(そのうちの一首)

⑫あしひきの山辺に居れば霍公鳥木の間立ちくき鳴かぬ日はなし(一七・三九一一)

天平十三年

右は、四月三日に、内舎人大伴宿祢家持、久迩の京より弟書持に報

へ送れり。

こた

大伴宿祢家持、

家の大

に贈る歌二首

り絶えたることあまた年にして、復会ひて相

さかのうへの

いへ

おほいらつめ

さか

聞往来す

⑬忘れ草わが下紐に着けたれど醜の醜草言にしありけり(四・七二七)

しこ

しこ

くさ

こと

⑭人も無き国もあらぬか吾妹子と

ひ行きて副ひてをらむ(七二八)

たづさ

たぐ

さらに、大伴宿祢家持、坂上大嬢に贈る歌十五首(そのうちの二首)

⑮夢の逢ひは苦しかりけり

きてかき探れども手にも触れねば(四・七四一)

いめ

おどろ

⑯一重のみ妹が結ばむ帯をすら三重結ぶべくわが身はなりぬ(七四二)

大伴家持の晩蝉の歌一首

ひぐらし

⑰隠りのみ居ればいぶせみ慰むと出で立ち聞けば来鳴く晩蝉(八・一四七九)夏雑歌

こも

ひぐらし

大伴家持の霍公鳥の歌二首(そのうちの一首)

⑱夏山の木末の繁に霍公鳥鳴き響むなる声の遥けさ(八・一四九四)夏雑歌

ぬれ

しげ

とよ

はる

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痩せたる人を嗤咲ふ歌二首

⑲石麻呂にわれ物申す夏痩せに良しといふ物そ

取り食せ(一六・三八五三)

いは

むなぎ

⑳痩す痩すも生けらばあらむをはたやはた鰻を捕ると川に流るな(三八五四)

右は、吉田

といふひとあり。字は

麻呂と曰へり。所

謂仁敬の子なり。その老、人と為り

むらじおゆ

いは

いはゆる

身体

く痩せたり。多く喫飲すれども、形飢饉に似たり。

に因りて大伴宿祢家持の、

かに

いた

これ

いささ

この歌を作りて、

れ咲

ふことを為せり。

たはぶ

わら

【越中時代】

長逝せる弟を哀傷しぶる歌一首

短歌を

せたり

あは

①天離る

鄙治めにと

大君の

任のまにまに

出でて来し

われを送ると

あをによし

あまざか

ひな

をさ

おほ

きみ

まけ

奈良山過ぎて

泉川

清き川原に

馬とどめ

別れし時に

真幸くて

吾帰り来む

さき

あれ

けく

斎ひて待てと

語らひて

来し日の極み

玉桙の

道をた遠み

山川の

たひら

いは

きは

たま

ほこ

どほ

へな

りてあれば

恋しけく

日長きものを

見まく欲り

思ふ

玉梓の

使の来れば

あひだ

たま

づさ

嬉しみと

吾が待ち問ふに

逆言の

狂言とかも

愛しきよし

吾弟の

何しか

およ

づれ

たは

こと

おと

みこと

時しはあらむを

はだ

穂に出る秋の

萩の花

にほへる屋戸を

言ふこころは、

すすき

この人、人となり花草花樹を愛でて多く寝院の庭に植う。かれに花薫へる庭と謂へり

朝庭に

出で立ち平な

夕庭に

踏み

げず

佐保のうちの

里を行き過ぎ

あしひきの

山の木末に

たひら

ぬれ

白雲に

立ち棚引くと

吾に告げつる

佐保山に火葬せり。かれに佐保の内の里を行き過ぎといへり

あれ

(一七・三九五七)

②真幸くと言ひてしものを白雲に立ち棚引くと聞けば悲しも(三九五八)

③かからむとかねて知りせば越の海の荒礒の波も見せましものを(三九五九)

こし

右は、(天平十八年)九月二十五日に、越中守大伴宿祢家持、遥かに弟の喪を聞き、感傷しびて作

れり。

*悔

しかもかく知らませばあをによし国内ことごと見せましものを(七九七・憶良)

くや

ぬち

忽に枉疾に沈み、

に泉路に臨む。よりて歌詞を作りて、悲緒を申ぶる一首

わう

しつ

ほとほと

歌を

せたり

(そのうちの長歌省略、短歌二首のうち一首)

あは

④世間は数なきものか春花の散りの乱ひに死ぬべき思へば(一七・三九六三)

よのなか

まが

右は、(天平)十九年春二月二十日に、越中国の守の

にして、病に臥し悲しび傷みて、

やかた

いささ

に此の歌を作れり。

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立山の賦一首

短歌を

せたり

此の立山は、新川郡にあり(長歌省略、短歌二首のうち一首)

たち

やま

あは

⑤立山に降り置ける雪を常夏に見れども飽かず神からならし(一七・四〇〇一)

かむ

(天平十九年)四月二十七日に、大伴宿祢家持作れり。

新川郡の延槻川を渡る時に作る歌一首

にひ

かわ

はひ

つき

がは

⑥立山の雪し消らしも延槻の川の

浸かすも(一七・四〇二四)

たち

やま

はひ

つき

わたり

あぶみ

奥国より

を出せる詔書を賀く歌一首

短歌を

せたり

みちのくの

くがね

いだ

あは

⑦葦原の

瑞穂の国を

天降り

領らしめしける

天皇の

神の

御代重ね

天の

あし

はら

みづ

あま

くだ

すめ

ろき

みこと

かさ

日嗣と

領らし来る

君の御代御代

……

然れども

わご大君の

諸人を

ひ給

つぎ

もろ

ひと

いざな

善き事を

始め給ひて

黄金かも

たしけくあらむと

思ほして

下悩ますに

した

とり

が鳴く

の国の

陸奥の

小田なる山に

黄金ありと

申し給へれ

……

此をし

あづま

みちのく

ここ

あやに貴み

嬉しけく

いよよ思ひて

大伴の

遠つ神祖の

その名をば

大来目

うれ

かむおや

おほ

主と

負ひ持ちて

仕へし

海行かば

水浸く

山行かば

草生す屍

大君の

ぬし

つかさ

かばね

辺にこそ死なめ

みは

せじと言立て

大夫の

清きその名を

今の

かへり

こと

ますらを

いにしへ

をつつ

流さへる

祖の子等そ

大伴と

佐伯の氏は

人の祖の

立つる言立

人の子は

おや

うぢ

おや

こと

だて

おや

の名絶たず

大君に

奉仕ふものと

言ひ継げる

言の

手に取り持ちて

こと

つかさ

あづさゆみ

大刀

腰に取り佩き

朝守り

夕の守りに

大君の

御門の守護

われをおきて

つるぎ

ゆふ

かど

人はあらじと

弥立て

思ひし増さる

大君の

御言の幸の

一に云はく、を

聞けば

いや

こと

さき

たふと

一に云はく、貴くしあれば

(一八・四〇九四)

反歌三首(そのうちの二首)

⑧大伴の遠つ神祖の奥津城はしるく標立て人の知るべく(四〇九六)

かむおや

おく

しめ

⑨天皇の御代栄えむと東なる陸奥山に黄金花咲く(四〇九七)

すめろき

みちのくやま

天平感宝元年五月十二日に、越中国の守の館にして大伴宿祢家持作れり。

《参考》

・……聞こし食す食国の

奥国の小田

出でたりと奏して

れり。…

をす

くに

ひむがしのかたみちのくの

だのこほり

くがね

まを

たてまつ

…又大伴・佐伯宿祢は、常も云ふ如く、天皇が

守り仕へ奉る事

なき人等にあ

みかど

かへりみ

ひと

ども

れば、

たちの祖どもの云ひ来らく、「海行かば水づく屍、山行かば草むす屍、

いまし

おや

おほきみ

のへにこそ死なめ、のどには死なじ」と云ひ来る人等となも聞こし召す。是を以ちて

ひと

ども

ここ

遠天皇の御世を始めて、今朕が御世に当りても、内の

と心の中のことはなも遣は

とほすめろき

うち

つはもの

うち

つか

す。……(第十三詔・天平感宝元・四・一)

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史生尾張少咋に教へ喩す歌一首

短歌を

せたり

ししやう

くひ

さと

あは

(漢文は省略)

⑩大

彦名の

神代より

言ひ綴ぎけらく

父母を

見れば尊く

妻子見れば

おほなむち

すくなびこ

かな

しくめぐし

うつせみの

世の

と……(四一〇六)天平感宝元年

ことわり

*父母を

見れば

妻子見れば

めぐし

世の中は

かくぞ

……(八〇〇・憶良)

たふと

うつく

ことわり

反歌三首(そのうちの一首)

は移ろふものそ

の馴れにし衣になほ若かめやも(四一〇九)

くれなゐ

つるばみ

きぬ

右は、五月十五日に、守大伴宿祢家持作れり。

天平勝宝二年三月一日の

に、春の苑の桃

の花を眺矚めて作る二首

ゆふべ

ももすもも

⑫春の苑

にほふ桃の花下照る道に出で立つ少女(一九・四一三九)

そのくれなゐ

⑬わが園の

の花か庭に降るはだれのいまだ残りたるかも(四一四〇)

すもも

堅香子草の花を攀ぢ折る歌一首

⑭物部の八十少女らが汲みまがふ寺井の上の堅香子の花(四一四三)天平勝宝二年

もののふ

遥かに江を

る船人の歌を聞く歌一首

さかのぼ

⑮朝床に聞けば遥けし射水川朝漕ぎしつつ歌ふ船人(四一五〇)天平勝宝二年

あさ

どこ

みづ

がは

挽歌一首

短歌を

せたり

(長歌省略)

あは

⑯遠音にも君が嘆くと聞きつれば哭のみし泣かゆ相思ふわれは(四二一五)

⑰世の中の常無きことは知るらむを

尽すな大夫にして(四二一六)

こころつく

ますらを

右は、大伴宿祢家持、聟南右大臣家の藤原二

郎が慈母を

へる

ふ。

なかちこ

うしな

うれへ

とぶら

(天平勝宝二年)五月二十七日

*「南右大臣家」は南家藤原氏。不比等の子供たち藤原四兄弟のうち長男武智麻呂の家

系。武智麻呂の長男豊成が天平勝宝元年四月に右大臣になった。「藤原二郎」は豊成

の次男。誰を指すか明らかではないが、継縄か。ただし、家持の娘が継縄の妻になっ

たという記録はない。

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【越中以後】

(二月)二十三日、興に依りて作る歌二首

①春の野に霞たなびきうら悲しこの夕かげに鴬鳴くも(一九・四二九〇)天平勝宝五年

②わが屋戸のいささ群竹吹く風の音のかそけきこの

かも(四二九一)

むらたけ

ゆうべ

二十五日、作る歌一首

③うらうらに照れる春日に雲雀あがり

悲しも独りしおもへば(四二九二)

こころ

春日遅遅にして、鶬鶊正に啼く。悽惆の意、歌にあらずは

ひ難し。よりて此の歌を作り、式ち

はら

て締緒を展ぶ。但し此の巻の中、作者の名字を称はず、

年月所処縁起のみを

せるは、皆大伴

ただ

しる

宿祢家持の裁作れる歌の詞なり。

に喩す歌一首

短歌を

せたり

やから

さと

あは

(長歌は省略。短歌二首のうちの一首)

大刀いよよ研ぐべし古ゆ清けく負ひて来にしその名そ(二〇・四四六七)

つるぎ

さや

天平勝宝八年

右は、淡海真人三船の讒言に

りて、出雲守大伴古慈斐宿祢解任せらる。

を以ちて家持此の歌

あふ

つらな

ここ

を作れり。

《参考》

・出雲国守従四位上大伴宿祢古慈斐・内竪淡海真人三船、朝庭を誹謗して、人臣の礼无

ゐや

きに坐せられて、左右衛士府に禁ぜらる。(続日本紀

天平勝宝八・五・一〇)

つみ

・詔して並びに放免したまふ。(同

同一三)

病に臥して無常を悲しび、修道を欲して作る歌二首(そのうちの一首)

ほり

⑤うつせみは数なき身なり山川の清けき見つつ道を尋ねな(四四六八)

さや

以前の歌六首は、六月十七日に、大伴宿祢家持作れり。

き勝宝九歳六月二十三日、大監物三

の宅に宴する歌一首

かたのおほきみ

⑥移り行く時見る毎に心いたく昔の人し思ほゆるかも(四四八三)天平勝宝九年

ごと

右は、兵部大輔大伴宿祢家持作れり。

⑦咲く花は移ろふ時ありあしひきの山菅の根し長くはありけり(四四八四)天平勝宝九年

やま

すが

右の一首は、大伴宿祢家持、物色の変化を悲しび

びて作れり。

あはれ

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《参考》

○天平勝宝九年七月四日

橘奈良麻呂の変

・安宿王、黄文王、橘奈良麻呂、大伴古麻呂、多治比犢養、多治比礼麻呂、大伴池主、

多治比鷹主、大伴兄人等が共謀。

・黄文王、道祖王、大伴古麻呂、多治比犢養、小野東人、賀茂角足は「並杖下死」。

・安宿王と妻子は佐度に配流。

・信濃守佐伯大成と土左守大伴古慈斐は任国に流罪。

・遠江守多治比国人は伊豆国に配流。

・それ以外は「或死獄中」あるいは配流。

二月、式部大輔中臣清麻呂朝臣の宅に

する歌十五首(そのうちの一首)

うたげ

⑧八千種の花は移ろふ常磐なる松のさ枝をわれは結ばな(四五〇一)天平宝字二年

くさ

右の一首は、右中弁大伴宿祢家持のなり。

三年春正月一日、因幡国の庁にして、饗を国郡の司等に賜ふ

の歌一首

いな

あへ

うたげ

しき年の始の初春の今日降る雪のいや重け吉事(四五一六)天平宝字三年

あらた

右の一首は、守大伴宿祢家持作れり。