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61 民意とは何か――政治の論理と経済学の論理 1) 根本 2) An Inquiry into the Will of the People in terms of Political Logic and Economic Theory 1) Hiroshi NEMOTO 2) 民主主義社会においては、民意に基づく政治が行われるのが理想であるが、民意が不安定であるのに政治は揺れ る民意の影響を排除できない。このため消費税、TPP、原発再稼動といった最近の重要課題に関する国会審議を円 滑に進めることができず、先送り政治が蔓延している。こうした閉塞状況を打破し、真の国益を追求するためには、 民意の実態を正確に把握し、内外情勢を慎重に見極めながら、冷静に政策決定に導く必要がある。この場合に行わ れる政策決定は、経済理論による客観的な検討を踏まえたものでなければならない。 キーワード:民意、世論、政策形成、消費税、TPP、原発再稼動 1.はじめに 日本の政治、経済、および社会を巡る閉塞状況が長期化している。このような状況のなかで一つの大きな問題は、 民意の解釈について誤解と混乱が蔓延していることではないかと思われる。 言うまでもなく日本は民主主義国家であり、政治の世界において民意が尊重されなければならないのは当然であ る。そのために選挙という制度があり、国政選挙で衆参両院議員を選ぶ場合にも、また地方において首長や都道府 県・市町村議会議員を選ぶ場合にも選挙が行われている。このような制度によって民意が反映されるように考えら れているわけであるが、実際には、いわゆる一票の格差の問題や年代によって投票率に格差があることから国民の 意思が正確に反映されているとは言い難い。 民意は、選挙において重要な意味を持つほかに、さまざまな案件を政策決定する際の判断材料としても重要であ る。しかし、民意を正確に把握することは非常に難しく、また民意そのものが不安定であったり、あるいは民意の 測定方法に問題があったりして、政策決定にそのまま活かすことができないような状況もしばしば生じている。 民意に関するこのような錯綜した状況は、政治の問題ばかりでなく経済的な諸問題にも影響を与えている。本論 において詳説するように、消費税率引上げを巡る議論においても、また社会保障のあり方を巡る議論においても、 さらに TPP への参加を巡る問題においても、民意の動向が政策面に大きな影響を与え、それによって国民の経済 的な側面、すなわち将来における負担と給付(受益)のあり方が決まってくることにもなる。場合によっては、そ れが国論を二分するような大きな経済問題に発展することもあるのである。 このように考えると、民意というものについて政治的な側面と経済的な側面との双方向から分析を加えることが 必要であり、それによって長期化しているわが国の閉塞状況を打開する方策を探し出すヒントも見えてくるのでは ないかと思われる。 1):平成24年10月10日受付;平成24年10月31日受理。 Received Oct. 10, 2012 ; Accepted Oct. 31, 2012. 2):金沢学院大学 経営情報学部;Faculty of Business Administration and Information Science, Kanazawa Gakuin University.

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61

民意とは何か――政治の論理と経済学の論理1)

根本 博2)

An Inquiry into the Will of the People in terms of Political Logic andEconomic Theory1)

Hiroshi NEMOTO2)

要 約

民主主義社会においては、民意に基づく政治が行われるのが理想であるが、民意が不安定であるのに政治は揺れ

る民意の影響を排除できない。このため消費税、TPP、原発再稼動といった最近の重要課題に関する国会審議を円

滑に進めることができず、先送り政治が蔓延している。こうした閉塞状況を打破し、真の国益を追求するためには、

民意の実態を正確に把握し、内外情勢を慎重に見極めながら、冷静に政策決定に導く必要がある。この場合に行わ

れる政策決定は、経済理論による客観的な検討を踏まえたものでなければならない。

キーワード:民意、世論、政策形成、消費税、TPP、原発再稼動

1.はじめに

日本の政治、経済、および社会を巡る閉塞状況が長期化している。このような状況のなかで一つの大きな問題は、

民意の解釈について誤解と混乱が蔓延していることではないかと思われる。

言うまでもなく日本は民主主義国家であり、政治の世界において民意が尊重されなければならないのは当然であ

る。そのために選挙という制度があり、国政選挙で衆参両院議員を選ぶ場合にも、また地方において首長や都道府

県・市町村議会議員を選ぶ場合にも選挙が行われている。このような制度によって民意が反映されるように考えら

れているわけであるが、実際には、いわゆる一票の格差の問題や年代によって投票率に格差があることから国民の

意思が正確に反映されているとは言い難い。

民意は、選挙において重要な意味を持つほかに、さまざまな案件を政策決定する際の判断材料としても重要であ

る。しかし、民意を正確に把握することは非常に難しく、また民意そのものが不安定であったり、あるいは民意の

測定方法に問題があったりして、政策決定にそのまま活かすことができないような状況もしばしば生じている。

民意に関するこのような錯綜した状況は、政治の問題ばかりでなく経済的な諸問題にも影響を与えている。本論

において詳説するように、消費税率引上げを巡る議論においても、また社会保障のあり方を巡る議論においても、

さらに TPPへの参加を巡る問題においても、民意の動向が政策面に大きな影響を与え、それによって国民の経済

的な側面、すなわち将来における負担と給付(受益)のあり方が決まってくることにもなる。場合によっては、そ

れが国論を二分するような大きな経済問題に発展することもあるのである。

このように考えると、民意というものについて政治的な側面と経済的な側面との双方向から分析を加えることが

必要であり、それによって長期化しているわが国の閉塞状況を打開する方策を探し出すヒントも見えてくるのでは

ないかと思われる。

1):平成24年10月10日受付;平成24年10月31日受理。

Received Oct. 10, 2012 ; Accepted Oct. 31, 2012.

2):金沢学院大学 経営情報学部;Faculty of Business Administration and Information Science, Kanazawa Gakuin University.

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62 金沢学院大学紀要「経営・経済・情報科学・自然科学編」 第11号(2013)

2.世論から民意へ

すでに「民意」という言葉を使って本論を始めているが、これは前置きなしに使える言葉ではないので、ここで

民意という言葉そのものについて若干の考察を加えておきたい。

結論から言えば、「民意」の前に「世論」という言葉があり、「世論」が形骸化したことを受けて新たな装いを

もって登場したのが「民意」なのではないか、というのが筆者の推論である。一つ付け加えておきたいのは、世論

は「せろん」とも「よろん」とも読まれるが、「よろん」と読むべき本来の漢字のかたちは「輿論」であったとい

う事実で、これは忘れてならないことである。ただ、本稿においては、「輿論」にまでさかのぼって議論すること

は考えていないので、すでに定着している「世論」という言葉との関連で「民意」について論じることにしたい。(注1)

戦後民主主義の浸透とともに、盛んに使われるようになった「世論」という言葉に込められているのは、政治的

な判断に際して依拠すべきものであり、大切な基準として尊重されなければならないもの、という意味合いである。

実際に、新聞やテレビ、それに多くの調査機関によって各種の世論調査が盛んに実施され、その結果は大きく取り

上げられ、それが新たな世論を形成するという形で影響力を増してきている。

しかし、世論には不安定な側面があることも事実である。あるテーマで人々の意見を聞くと、大多数の国民にと

ってはその問題の専門家ではないので、はっきりした意思表明ができない場合が多いのではないかと推察される。

「はい」でも「いいえ」でもなく、「わからない」とか「どちらとも言えない」といった答えが多くなるのは、そ

の表れである。あるいは国全体の利益を考えた場合にどうなのかを問われたときにも、自分自身の利害に即した答

え方をすることが多いのではないだろうか。長期的視野に立った答えが期待されるような場合でも、多くの国民は

短期的な視野でしか答えられないのが普通だと思われる。また、任意でアンケートの対象者を選定した場合でも、

実際に答えるのは関心のある層であり、回答者の比率が低いほど回答結果に一定の偏りが生じることは避けられな

い。アンケートにこのようにさまざまな問題があるとすれば、その結果を見る際には一定の幅をもって解釈する必

要が生じることになる。(注2)

デモなどによって国民(市民)の意思表示がなされる場合についても、参加者は特定の意見を強く表明したい人々

であり、そうでない人々、すなわち「声なき大衆」の存在との対比で考えなければならないことは広く指摘されて

いる。

このような例にみられるように、人々にさまざまな形による意思表示があった場合に、それが果たして「世論」

と言えるものなのかどうかについては、議論の対象となってきた。実際に戦後日本の長い政治過程の中で、われわ

れは多くの実例に即した経験を積んできているわけである。そして世論がアンケートやデモの形で具体的に表され

たものであっても、また時によってはそうであればあるほど、必ずしも全体の意思を代表するものではない場合も

あり得ることが知られるようになってきた。

このような経験を積んだ結果、為政者の側、すなわち政治家に「世論離れ」ともいうべき感覚が生じたのではな

いか。すなわち、いかにも国民の具体的な意思表示のように見える世論であっても、いくらかの留保条件を付けて

解釈しなければならないことを政治家は体感したのではないかと考えられる。政治家は、世論を参照はするけれど

も、それに100%依拠するのは危険であると知ったとき、民主主義の下で依って立つべき新たな基盤として、ある

意味で世論ほど具象的なものではなく、より漠然としたものではあるが国民の総意を表す言葉として「民意」とい

う言葉に思い至り、これを尊重すべき大事なものと位置付けたのではないか。

最近の政治家の言動から判断すると、具体的な「世論」よりも抽象的な「民意」に意識が向いているように思わ

れる。メディアの論調を見ても民意に傾斜してきているのではないか。本稿において「民意」をテーマとして取上

げたのは、このような背景に基づくものである。

3.民意の揺れ

世論から民意へと政治家の意識は微妙に変化してきていると思われるが、世論であれ民意であれ国民の総意を把

握することと、実際に政策をどの方向へ持っていくかということとは完全に一致するものではない。基本的には、

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63根本:民意とは何か――政治の論理と経済学の論理

世論に従い、民意を汲んで政策を進めて行くわけであるが、場合によっては必ずしも国民の意向に沿って問題の解

決が図られたとは言い難いケースが歴史上あったことをわれわれは知っている。国民投票制度がないわが国では、

議会制民主主義のもとで重要な案件について政府の判断を貫いたこともたびたびあった。結果の善し悪しについて

は、ある程度の時間が経過してから判断されるが、場合によっては価値判断が逆転するなどの大揺れがないとは限

らない。(注3)

民意そのものにも「揺れ」があることは周知の事実であろう。これまでの議論で世論から民意への流れを説明し

てきたが、民意は漠然とした概念であるからさまざまな要素が含まれており、アンケート調査の結果によって判断

される世論の動向も当然その中に含まれる。そこで、ここではまず最近のアンケート結果から民意の揺れを示して

みる。

野田第三次改造内閣が2012年10月1日に発足した直後に実施された世論調査によれば、内閣支持率は29.2%で前

回調査(9月)の26.3%からやや上昇したものの、改造効果はかなり狭い範囲にとどまった。一方、野党である自

民党の政党支持率は30.4%となって前回より11.1ポイント上昇し、与党民主党は12.3%となって0.6ポイント下落

した。(注4)

与党に内閣改造効果がなく、野党に支持率上昇という現象が生じたことは次のように説明できよう。すなわち、

今回の内閣改造は、野田首相というトップが交代せず、半数程度の閣僚が入れ替わっただけのものであり、政策面

等で大きな変化は期待できない。それに対して野党であるが自民党の方は、谷垣総裁に代わって安倍新総裁が選出

されている。安倍氏は再度の総裁職であるが、折しも領土問題など外交課題に関心が集まる中で、保守色の強い新

総裁ら新執行部への期待が高まったのではないか。金融など積極的な経済政策への期待も大きい。

トップの交代によって内閣や政党に対する支持率が大幅に変動するのは、最近の常態である。われわれは、新し

い内閣が成立し、政策対応に国民が満足せず支持率が落ち込み、新首相が誕生することで内閣支持率が急回復する

という現象をしばしば見てきた。その結果、内閣の支持率が低下してくると「今の首相では次の選挙を戦えない」

という党内非主流派の声が強くなり、その流れが党内を支配し、やがて党首選が行われて新しい顔が登場するとい

ったケースがたびたびあった。過去いくつかの例を見ても明白にそうした結果が示されている。表1にあるように、

全体(与野党の支持者、および無党派の総計)で見て、安倍内閣の当初の支持率は63%であったが、末期には33%

と30ポイントの低下となっているが、次の福田内閣が成立すると同じ政党であるにもかかわらず支持率は53%に急

回復している。麻生内閣発足時にも福田内閣の25%から48%への急回復が見られた。民主党政権になってもこの傾

向は変わらず、鳩山内閣の支持率が71%から17%へと54ポイント低下した後に登場した菅内閣の当初の支持率は

60%となっている。(注5)

このように支持率が発足当初に急回復するのは、前内閣への失望感からの反動という意味合いもあるが、未知の

魅力を秘めた新内閣への期待感の現れであることは明白である。それにしても、支持率にこのように大きな変動が

みられることは民意に揺れがあることの証明である。(注6)

(表1)支持政党別に見た内閣の初期と末期における内閣支持率の変化(%)

全体 与党第一党支持者 野党第一党支持者 無党派

初期 末期 差 初期 末期 差 初期 末期 差 初期 末期 差

安倍 63 33 ▲30 89 78 ▲11 39 13 ▲26 47 19 ▲28

福田 53 25 ▲28 82 59 ▲23 35 8 ▲27 38 13 ▲25

麻生 48 19 ▲29 85 64 ▲21 19 1 ▲18 31 9 ▲22

鳩山 71 17 ▲54 97 58 ▲39 33 3 ▲30 55 7 ▲48

菅 60 14 ▲46 89 45 ▲44 34 10 ▲24 46 7 ▲39

(備考)御厨貴編(2012)『「政治主導」の教訓』の表1-1(p.p.16~17)をもとに作成したもの。

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64 金沢学院大学紀要「経営・経済・情報科学・自然科学編」 第11号(2013)

4.政策形成と民意

政策形成にあたって民意は尊重すべきものであるが、これまで分析してきたように民意には「揺れ」が伴うこと

は避けがたい事実となっている。実際に、最近の重要政策課題の審議についても、民意の揺れがさまざまな形で影

響を与えているので、いくつかの事例を取上げて具体的に吟味していく。これらの事例は民意に関する考察の必要

上ここに議論するものであり、それぞれの事例に関する詳細な分析自体が主目的ではない。したがって、そうした

角度からの分析は行っていないことを付記しておきたい。

(1)消費税の場合

消費税に関する論議は長期にわたって行われてきており、1989年の導入(3%)までの経緯、1997年の5%への

税率引上げまでの経緯もあるが、ここで取上げるのは、その後の税率引上げを巡る議論の過程で民意がどのように

影響したか、という点である。

税負担が重くなることは歓迎されず、基本的に国民は消費税率引き上げには強く反対する。政治家もそれを十分

承知しているから、次の選挙のことを考えて消費税率には慎重な姿勢を示す。ところが、経済の現状を見ると、長

期停滞しているため税収は低迷している。それにもかかわらず高齢化が進行して社会保障費がかさむことや景気刺

激の必要もあって、年々歳出は膨らむ一方となっている。その結果、歳入不足に陥り、国債の発行額が増加して各

年度の予算における国債依存度が高くなり、発行残高は年々累増している。

このような現状を打開するには歳出を削減するか、さもなければ歳入増を図らねばならない。歳入増には消費税

が第一の候補となるが、世論調査によると民意は増税には反対で、歳出削減を求める意見が多くなる。そこで政府

もまず徹底的なムダの削減に言及する。はじめはムダを削減すれば財源を捻出できるとの考えから事業仕分けなど

も実施されたが、それだけでは必要な財源が捻出できないことが分かってくる。そのうちアンケート調査でも消費

税増税に対する反対意見の割合はしだいに低下し、やがて賛否が拮抗するレベルにまで達してくる。一部の政治家

は、マニフェストで国民に約束したからとか、景気の現状を見ると増税は不可能だとか、格差をさらに拡大するこ

とになるからとか、いろいろな理由で増税反対の旗を降ろさない。政府は財政破綻に対する懸念から国民に対して

財政が危機的状況にあることを訴えるが、増税反対の立場の政治家や国民の声にかき消されてなかなか認めてもら

えない。それだけでなく一部のメディアや政治家からは官僚悪玉論さえ聞かれるようになる。多くのエコノミスト

や経済学者、ことに財政学者の中には、財政の異常な状態を放置することのリスクが非常に大きくなっていること

に警鐘を鳴らす人が増えてくる。しかし、増税反対の大きな声にかき消されて彼らの意見は広まらない。

こうして苦しい財政事情を改善する方策は見つからず、長く膠着状態が続いたが、ギリシャ危機に始まる EUの

混乱の主因が財政悪化にあることが明らかになるなどのグローバルな状況変化も一因となって、政治的にも長い論

争に終止符を打つ時期が近づいた。野党が消費税率引き上げの方向をはっきり打ち出し、与党の民主党においても

菅総理が引上げに言及し、野田政権になってから税と社会保障の一体改革を進める中で自民党、公明党との3党合

意が成立し、条件付きながら消費税率引き上げの基本方針が結着したのが2012年6月である。これに基づき消費税

・子育て支援・年金改革関連8法案が6月26日に衆議院、8月10日に参議院で可決され成立した。民主党の中には

マニフェストに書かれていないことなどを問題視して多数の造反離党議員が出たが、消費税率引き上げの方向が明

示されたことは「決められない」、「先送り」政治からの脱却という意味において画期的なことである。

(2)社会保障の場合

高齢化の進行に伴い社会保障関係費が膨らみ、平成24年度予算において26.4兆円と一般会計の29.2%、一般歳出

の51.5%を占めるに至っている。それでもなお若年者対策や就労支援対策等の不備が指摘され、年金・医療・介護

等の高齢者に向けられる比率の高い分野の予算も今後ますます必要性が増大する。

一般に、社会保障のあり方によって各国政府は「大きい政府」と「小さい政府」に分けられ、北欧型の大きい政

府とアメリカ型の小さい政府が対比される。日本の場合は、それらの中間のタイプが目指されていたと見られる。

しかし、高齢化等に伴って給付が増大するにもかかわらず、税や保険料の引上げを実行できず、結果的に「高福祉

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65根本:民意とは何か――政治の論理と経済学の論理

低負担」状態が現出した。

このような状態に至った道筋、すなわち給付(歳出)の増大に負担(歳入)の増加が追いつかないという経緯は

基本的に消費税の場合と同様である。ここにも民意による圧力を感じないわけにはいかない。すなわち、社会保障

に対するニーズが強いので、年金・医療・介護等の制度を整備する。高齢化が進めば年々給付は増加する。一方、

そのために必要な財源は税収の低迷等によって確保できなくなる。仕方なく国債を発行して一時しのぎをする。景

気は回復せず、税収は落ち込む一方なので、さらに国債発行額を増やす。こうして債務は累積するが、財政バラン

スを改善する方向へ舵を切るメドは全く立たない。

民意は各種のアンケート調査結果にも表れており、高齢者が充実した社会保障を必要としていることは当然であ

るが、若年層においても低所得層が増加し格差が拡大したとの意識から社会保障に対する期待が膨らんでいる。実

際問題として、生活保護受給者数が増大し、戦後のレベルを超える状況となっていることなどから給付増を期待し、

一方で負担増は拒絶するという空気が支配的となっている。

(3)TPPの場合

環太平洋諸国のあいだで経済連携協定を結び、貿易自由化を推進する目的で TPPに関する協議が進められてい

る。当初はシンガポールなど4カ国の FTA(自由貿易協定)としてスタートしたが、アメリカ、オーストラリア、

カナダなども参加を表明し、枠組みが拡大している。日本の参加については国内に賛否両論の論議が起こっている

が、菅政権から野田政権にかけて政府は参加に向けて検討する姿勢を打ち出している。しかし与党内からも強硬な

反対論が出されており、意見の統一が図られたわけではない。

TPPにおける民意について分析を進めていて気付くことは、消費税や社会保障における民意とはかなり性格を異

にするということである。まず、各種のアンケート調査を見ると、調査母体、実施時期、調査対象などによって結

果には相当の違いが見られる。この問題への関心は高いと言えるが、関心がない人や知らないと答えた人も2~3

割程度は存在する。かなり多くの業種で TPPに何らかの関連があるという認識は持たれている。しかし、関連す

る分野のうち、特に強い影響を受けることが確実視されているのは農業などの一部の産業である。そのため反対運

動で表面に出てくるのは農業団体などが中心である。一般企業へのアンケートでは賛成が多く、経済団体も積極的

に参加賛成論を展開している。一方で、有識者の意見は割れている。経済学者などの自由貿易推進論者を中心に賛

成意見が主張されているが、一部の有識者のあいだに反対論が広がっている。(注7)

TPPは、どの産業に従事しているかによって利害がはっきり分かれる問題であり、とくに農業関係者などの反対

意見は強硬である。それに比べると強い調子で賛成意見を展開するといった産業分野があるわけではないが、グロ

ーバル化する国際競争に勝ち抜くためには自由化を進めることが必須と考えている企業人は多い。このように濃淡

に違いはあるものの産業によって賛否がくっきりと色分けされているのが特徴である。

利害関係のはっきりしている人を除く一般の国民の対応はどうだろうか。冷静に利害得失を比較検討して客観的

に結論を出せる人は少なく、メディアの論調や反対運動の勢いに影響される人も多いだろう。調査によって結果に

大きな違いが出ているのは母集団に影響される TPPという問題の性格によるものと思われる。

では最終的に政府与党としては、どのように民意を汲み、国益を忖度して、結論をどう導くべきなのか。以上の

ように TPPの場合、消費税や社会保障政策の場合のような民意の示され方とは違い、反対勢力の強い意志表示を

どうくみ上げるのか、それが一部の産業の自己保全のための狭量な主張にすぎないのか、あるいは国民的な利害に

かかわる大きな問題として理解すべきなのか、そして自由貿易推進による国の利益についてはどう評価するのか、

それによって長期的に日本経済発展の道筋を描くことができるのか、といった問題がある。政府与党は、TPPへの

参加に向けて舵を切るに当たっては、こうした問いに明確に答えなければならない。

(4)原発再稼動の場合

2011年3月11日の東日本大震災は、地震や津波による被害も甚大であったが、さらに福島第一原子力発電所の事

故が深刻化するという事態に至った。事故対応は緊急を要するものであり、当初から関係者の真剣な努力が伝えら

れた。にもかかわらず、その後事故対応の過程における多くの不手際が指摘されている。

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66 金沢学院大学紀要「経営・経済・情報科学・自然科学編」 第11号(2013)

各種のメディアによって事故現場の惨状が伝えられ、避難地域の住民の退避生活が苦難に満ちたものであること

も明らかになった。また、放射能が広域的に拡散していることが報じられ、風評被害が広がり、国民生活にさまざ

まな悪影響が及ぶことが次々に知らされた。さらに、現地の事故処理には長期の対応が必要であることのほか、想

像を絶する長期にわたり使用済燃料の処理等の問題が大きな課題として残されていること、なども知られるように

なった。

実態としては、国内に50基余りある原子炉は定期点検等のため次々に運転が休止され、浜岡原発に対する菅総理

(当時)の運転停止要請などもあって、2012年5月には一時的に国内にあるすべての原子炉が運転停止の状況とな

った。その後、電力需要がピークとなる夏場を迎えるにあたり、電力不足が懸念され、野田総理は福井県の大飯原

発の再稼動を決断した。結果的には既存火力発電設備のフル稼働や節電努力が実を結び、電力需給が深刻な事態に

直面することもなく夏場を乗り切れたのは幸いであった。

しかし、多くの国民が直感的に原発の危険性を深刻に受け止めているのは事実であり、脱原発を主張する国民の

声が政府主催の公聴会なども含めさまざまな場に届くようになってきている。電子メディアによる呼びかけに応じ

て参加する一般の人たちからなる首相官邸付近でのデモの参加者数は次第に増加し、大飯原発再稼動後には反原発

集会への参加者は10万人規模に達したとされる。

一方、経済界、産業界からは、一定レベルの生産活動を続け、雇用の維持を図り、競争が激化するグローバル経

済の中での日本の位置が後退することのないよう、原発を含めたエネルギー政策には慎重を期すべきだとの要請が

出されている。

福島の原発事故に関する調査報告書も相次いで(政府、国会、民間、東電社内の4報告書)公表され、事前の対

策や事後の対応に不備があったことなどから事故原因は人災であるとの論調が支配するようになった。

政府は12年7月14日のさいたま市をスタートにして8月初めまでに仙台、名古屋など11都市で新たなエネルギー

・環境政策についての意見聴取会を開催した。ここで示されたのは、10年度に約26%だった原発依存度を30年まで

に、0%、15%、20~25%のいずれにすべきかという選択肢で、0%を支持する声が圧倒的に多かった。

以上のように、アンケートや公聴会において示された回答者・参加者の声からも、反対集会に参加した多数の市

民の姿勢からも、原発再稼動に対する厳しい見方が伝わってくるので、ここから民意を判断するとすれば、脱原発

依存という方向で一致するとみて間違いはない。原発といえば放射能被害が意識されるわけで、がれき処理受入に

対する市民の反応にも示されたように、「きずな」で結ばれたはずの日本人の間にも、こと放射能に関しては反応

が全く異なることが明らかになっている。

しかし、「脱原発依存」に関しては、このような形で表される民意だけを判断材料にして政策決定することには

問題がある。エネルギーの確保は、生産活動を継続的に行うために必須であり、国民生活にとっても必要不可欠で

ある。今後のエネルギー需給を見極め、必要量を確保することなしには経済も国民生活も成り立たないわけだから、

単純な感情論だけで済む問題ではない。確かに安全性の確保は重大問題なので、この点に関しては万全を期する必

要があるが、火力や自然エネルギーなどですべてをまかない、原発をゼロにすることが実際に可能なのか。この点

に関しては十分に精査しなければならない。また、人々がもっとも懸念する安全性に関しては、安心安全な技術レ

ベルを確保できるよう徹底しなければならない。

他の論点と同様に、民意は尊重すべきであるという点に関してはいささかの異論もないが、こと原発に関しては、

民意を尊重するということは、「エネルギー政策の決定には、他の問題と比較して“より”慎重を期す」というこ

とではないか、と考えられる。

(5)領土問題の場合

日本近海を巡る領土問題は、北方領土をはじめとして竹島、尖閣諸島などが知られている。北方領土に関しては、

国民のあいだに、領土自体がかつてのソ連や現在のロシアによって不法占拠されているという意識が強いし、旧住

民には漁業権などの問題もあった。最近も、メドベージェフ大統領(当時)が10年11月に国後島を訪問し、わが国

から強い反発を受けた。12年7月には首相として再度国後島を訪問した。プーチン大統領とのあいだで領土問題の

進展が期待されている中でのメドベージェフ氏の行動には怪訝な思いを抱く国民も多い。竹島については、戦後の

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67根本:民意とは何か――政治の論理と経済学の論理

混乱に乗じて韓国によって占拠され、そのまま実効支配されているとの認識である。もとは島根県の隠岐諸島の漁

民が漁業基地として活用していた時代もあり、今でも隠岐の住民はその意識を持っている。

尖閣諸島を巡る状況が北方領土や竹島と違うのは、実効支配しているのがわが国である点である。1895年の閣議

決定により正式に日本領土に編入され、現在は沖縄県石垣市に属している。状況が急変したのは1968年の海底調査

で周辺海域に石油・天然ガスなどの資源が埋蔵されている可能性が高まってからである。71年以降、中国と台湾は

はっきり領有権を主張するようになっている。近年はとみに領海への監視艇や漁船の接近事例が増加し、海上自衛

隊との衝突事件が起こっている。

一般に領土問題ほど国民世論が結束し一致団結しやすいものはなく、日本人として領土意識を持たない国民を想

像することは非常に難しいだろう。これまでは北方領土にしても竹島にしても、ロシア(ソ連)や韓国が実効支配

し、それぞれ一方的に領土問題は存在しないとの通告を受けてきたので、国民のフラストレーションは相当に高ま

ってきている。それに対して、最近の尖閣問題は、日本が実効支配している点で状況が違っている。北方領土や竹

島の例にならえば、今回こそは中国や台湾に対して、領土問題は存在しないと宣言できるはずだと思っている国民

が多いだろう。実際、政府の基本的スタンスはそうなっているが、少し押しが足りないように見えてならない、と

いうのが国民の実感ではないだろうか。

5.「民意を反映させる」ということ

前節において5つの具体的な事例を取上げ、それぞれの場合に政策形成に対して民意がどのような役割を果たし

ているのかを分析してきた。比較検討すると明らかなように、各ケースで示されていると考えられる民意には性格

的にはっきりした相違点がある。本節においては、各政策課題について、①民意の実態、すなわち民意の示され方、

②民意をどのように受け止めるべきか、もし民意に沿えないとすれば、その客観的な状況、および、③政策形成の

方向、すなわち実際にどのような政策として実行され、あるいは実行するべきなのか、の3点に集約して議論を進

める。

(1)消費税の場合

消費税増税については、財政の現状からみて避けがたい政策選択として多くの識者のコンセンサスを得ている。

しかし、民意は税率引上げには心情的に反対する傾向が強く、その背景にはかつては無駄の排除によって財源確保

は可能だという意識が強く働いていた(現在は、その意識は以前と比較すると薄らいでいる)。最近でも、消費税

にはいわゆる「逆進性」(注8)があるという議論が盛んであることからわかるように、低所得階層にとってより厳し

い税であると考えられていることがあり、その根底には若年者を含めて「格差拡大」(注9)が進んでいるとの認識も

ある。

しかし、財政は危機的な状況であり、今後も高齢化の進行などで歳出の増大が見込まれる現状においては、安定

した財源の確保が是非とも必要となっている。ギリシャの財政危機が EU全体に影響を及ぼしている状況を見ても、

他人事と見過ごすことはできない。

したがって、全般的にさらにムダを徹底的に省いて歳出削減を実施することが最低限の前提となるが、そのうえ

で社会保障についても使途を厳しく限定するなどの姿勢で臨み、民意の納得を前提にしたうえで増税に踏み切る、

という姿勢が重要である。

(2)社会保障の場合

社会保障に対する意識は、基本的に給付はできるだけ厚く、負担は極力軽くというのが民意であることは理解で

きる。論理的には高福祉高負担か低福祉低負担かのいずれかしかあり得ないのは分かっていても、給付は期待する

が、負担は望まないのが民意というものである。

しかし、財政の実態を見ると急速な高齢化による歳出の急増にもかかわらず、税収が伸び悩み、財政バランスが

大きく崩れている。今後も高齢化はますます加速し、財政負担が増大することは避けがたい情勢である。退職後の

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68 金沢学院大学紀要「経営・経済・情報科学・自然科学編」 第11号(2013)

高齢者に年金等の社会保障が必要なことは言を俟たないし、少子化対策のためにも財源が必要である。

したがって、政府には社会保障制度の持続可能性を確保していくことが求められている。しかも一定の給付レベ

ルの確保、低所得層の生活維持といった課題に対処し、財政バランスも改善していかなければならない。将来的に

は、国民の納得を得ながら給付水準を見直すこと、財源不足が顕在化した場合には新たな財源措置が必要になるこ

とも覚悟しなければならないだろう。

(3)TPPの場合

TPPには農業などの強力な反対勢力が存在する。一方で、経済界、産業界は賛成意見を表明している。識者のあ

いだでも意見は割れている。自由化のメリットについての理解は浸透しているが、全員がメリットを受けるわけで

はなく、一部には壊滅的な被害を受ける産業があるとの予測もある。反対勢力の意見はメディアにもたびたび登場

し、強い印象を与えている。一般の国民にも心情的な支持者がいるのが現状となっている

しかし、グローバルに状況をみると、日本が各国との FTA等の自由貿易協定の締結状況において後れをとって

いることは明らかとなっている。製造業は、円高、高い法人税率、人口減少、新興国の追い上げなどによって厳し

い状況を強いられており、TPPへの参加が遅れるようでは競争条件の悪化は致命的となる。企業サイドばかりでな

く、雇用者にとっても、企業が厳しい状況に置かれることはマイナスであり、自分自身の雇用にも響いてくる。

したがって、政府は各産業の置かれた状況を総合的に把握し、長期的な視野に立って、国益の観点から参加の是

非を冷静に判断することが必要である。その際、TPPの枠組みへの参加によって甚大なマイナスの影響を受けるこ

とが予測される産業等に対しては、実態に合った対策を講じることが求められる。

(4)原発再稼動の場合

原発問題に対する民意の特徴としては、まず放射能に対する非常に強い拒否反応があげられる。また、福島原発

事故における「人災」の部分が強調されることから、技術への不信感が非常に強くなっていることも指摘されよう。

一般に恐怖感ほど人の感覚に強く訴えるものはないので、とにかく原発はいやだという素朴な感情が民意の基底に

あることは間違いないであろう。

しかし、だからといって今すぐに原発を全廃したらどうなるかは容易に想像がつく。代替エネルギーのうち火力

には化石燃料の確保という問題があり、自然エネルギーの開発はまだ先の読めない不安定な存在である。いずれに

してもコストの問題があって、かなりの電気料金の負担増となって跳ね返ってくることが予想される。また、原子

力から100%手を引くことは、今後の国際的な原子力問題への対応を困難にし、廃炉など将来必ず必要になる重要

案件に対応できる技術者の確保が難しくなるという問題を生じさせる。(注10)

したがって、「原発依存からの脱却」という基本原則には問題はないが、これから新しいエネルギー政策を進め

て行くに当たっては不確定要素が多いので、時間をかけて慎重に合意形成を図っていくことが重要である。たとえ

ば30年までの目標を今すぐに決めて固定的に考えていくのは実態に合わない。技術力の向上にも期待していいし、

新たなエネルギー資源の開発が進む可能性もあるので、焦りは禁物である。

(5)領土問題の場合

他の問題と違って領土問題に関しては国民的な総意が得やすい状況にあると考えられる。これまで長年にわたっ

て北方領土や竹島で味わってきた屈辱感を一掃するようなすっきりした対応を、尖閣諸島の問題に関して国民は政

府に期待しているのではないかと推察される。中国で起こったようなデモや暴動などといった激しい行動を日本国

民が起こすことは考えられないが、政府の対応には注視している。

しかし、日本政府の対応には慎重さが求められる。中国では反日教育が浸透しており、若い世代を中心に日本に

対する反感は非常に強いものであることがわかる。現地で受けた日本企業の損害にも配慮しなければならない。だ

からといってこれまでの主張を変えるのは論外であるが、中国政府との関係を途絶させることなく、状況を冷静に

観察しながら対処する必要がある。

したがって、政府は領土の帰属については一歩も引くことなく毅然とした態度を取り続けることである。一方で

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69根本:民意とは何か――政治の論理と経済学の論理

中国政府に対し、両国の経済面における協力体制にひびが入ることはお互いにとって大きな損害であり、40年にわ

たる友好関係を無にするものであること、将来の建設的な関係を見据えた対話の継続が必要であることを粘り強く

訴えて行くことが求められる。

(表2)民意と政策形成の関係

民意の実態 客観的な状況 政策形成の方向

消費税の場合・税率引上げに反対がベース

・格差拡大を懸念

・財政の窮状

・海外の破綻事例

・ムダ排除、使途限定のうえ税

率引上げ

社会保障の場合・給付増を期待

・負担増を望まない

・急速な高齢化

・財源不足の拡大

・持続可能な給付内容

・低所得層の生活維持

TPPの場合・農業など特定分野の強い反対

・自由化のメリットも浸透

・グローバルな状況

・雇用問題にも影響

・長期的な視野に立ち国益を冷

静に判断して結論を出す

原発再稼動の場合・放射能への強い拒否反応

・技術への不信感

・不透明な自然エネルギー開発

・技術水準を維持する必要性

・原発依存からは脱却の方向

・時間をかけて合意形成

領土問題の場合・領土保全に国民的な総意あり

・溜まったフラストレーション

・相手国の反発

・日本企業の被害などの実損

・現地の日本人や経済問題にも

配慮し、慎重に対処

6.むすび

「民意とは何か」をメインテーマとする本稿において、サブタイトルとして「政治の論理と経済学の論理」を掲

げたのは、民意は基本的に政治に関連するテーマであるが、最近の政治的な争点の中では経済問題がトップの座を

占めることが多くなっているからである。たとえば民主党のオバマ氏と共和党のロムニー氏との間で戦われ、本稿

執筆時点で最終段階のテレビ討論が行われているアメリカ大統領選挙における最大の争点も景気回復や雇用などの

経済問題である。EU各国でも財政危機や異常に高い失業率などの経済問題が最大の課題となっている。いずれの

場合でも、民意が最終的な方向を決める際の重要なポイントであることは共通している。

本稿では、国民が深い関心を持っている国内問題を分析対象とし、具体的に5つの事例を取上げた。これらの事

例は、大きな政治問題になっているが中心は経済問題であることが多い。最初の3つは明らかに経済問題が政治問

題化している例である。4つ目の原発再稼動については、政治的な要素が強いが、背景には化石燃料の輸入や自然

エネルギーの開発コスト等の経済問題があるし、補償問題や廃炉などの処理コストは電力料金に関係してくる。5

つ目の領土問題は、非常に政治的要素が強いが、経済問題が全くないわけではない。中国進出企業の受けた影響な

どは経済的に処理されねばならないし、漁業を巡る経済的な利害関係も大きな問題である。

このように政治問題が経済問題化している背景には民意が密接に絡んでいる。あらためて民意の背景を考えてみ

ると、アンケート調査の結果やデモ等の直接行動、それに労働団体や経済団体等による組織的な意見表明、あるい

は各種のメディアを通じて示される学者・有識者等の意見なども民意を構成するものと思われる。

市場を通じた個別の取引によって決まるような事柄であれば、民意の問題は、その経済的取引の中に自然に解消

している。すなわち、価格を媒介として需給関係が決まるから、民意をあらためて問題にする必要はない。民意が

問題となるのは、出発点において政治的な問題であるものに限られる。

政治的な環境は、2009年の衆議院選挙で自民党を中心とする枠組みから民主党を中心とする枠組みへの政権交代

で新たな方向へ展開した。この時点で政権交代は民意の表れであったが、新しい政権が掲げた政策方針である「マ

ニフェスト」とともに、スローガンとして掲げられた「政治主導」、「国民の生活が第一」、「コンクリートから人

へ」なども個別の問題への対処に躓くことで次第に色あせ、それとともに民意を測るモノサシとも言える与党支持

率や内閣支持率も低下傾向を示している。(注11)

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70 金沢学院大学紀要「経営・経済・情報科学・自然科学編」 第11号(2013)

民意の離反は、政権交代後の与党の政策運営に対する失望の積み重ねによる。首相が代わるたびに一時的に人気

は回復するが、支持率を一定期間維持できた例は稀である。支持率低下は与党内に不満勢力の広がりとなって現れ、

離党者が出たり新党結成につながったりする。政権交代後の与党が民意に沿った政策を必ずしも継続できないのは、

対外関係や財源(経済問題)といった「現実」に直面することも理由の一つだろう。離反者が出るのは、政策に不

満といった理由もあるが、本音は次の選挙への懸念にあると見られている。以上を総括すれば、「政治、経済、民

意の三すくみ状況」が現出していると言うことができる。

「三すくみを解消することはできるのか」について考えてみるために、もう一度、三者に関する論点を整理して

みよう。

第一に、政治については、一部の政治家の資質に疑念が呈せられている。官僚を排除するなどの狭量な姿勢は、

独断的な政治判断を横行させ、政策遂行のスピードを遅らせた。また、党利党略を優先させ、国会審議をなおざり

にした。さらに、次の選挙を念頭に置いた政治行動によって先の選挙における有権者の意思を踏みにじった。一言

でいえば、政治家の使命を忘れ、自己中心的な言動に終始している。

第二に、経済については、何が国益につながるのかといった価値観が変動している。たとえば1970年頃に八幡・

富士や第一・勧銀の合併問題が浮上したとき、一部の経済学者が連名で反対するなど経済学の立場からの反論が示

された。現在では、たとえば新日鉄・住金の合併問題に専門の立場から反対するような空気がないことに示される

ように、合併による市場占拠率の高まりに懸念を示すような風潮がなくなっている。この問題に象徴されるように

何が国益かを判断する際の基準となるような考え方が変化している。また、TPPの場合のように、経済学的には自

由貿易の利益が自明であっても、弱体な産業を一時的に保護することが国益と判断する立場もあるので、慎重に結

論を導くことが必要となっている。

第三に、民意については、それを尊重すべきことに誰も異議はないはずであるが、民意には本質的に不安定な一

面があること、それを正確に把握することが必ずしも容易ではないこと、いちいちそれに従っていては選挙制度を

通じた代議制の意味をなさないことなどの問題がある。

このように考えると、三すくみを解消し「民意を尊重しつつ、民主主義に基づく政治制度を通じて、経済的な意

味での国益を実現する」という状況を導くためには、前節において検討したように、それぞれ具体的なケースに応

じて、①民意の実態を正確に把握し、②内外情勢を慎重に見極め、③客観的かつ冷静に政策形成を図る、ことが求

められる。こうした政治過程は、経済学的な裏付けに基づく慎重な検討を踏まえて進められなければならない。(注12)

<参考文献>

伊藤元重(2011)『時代の“先”を読む経済学』PHP研究所

内橋克人編(2011)『大震災のなかで――私たちは何をすべきか』岩波書店

大下英治(2011)『田中角栄に今の日本を任せたい』角川書店

大島堅一(2011)『原発のコスト――エネルギー転換への視点』岩波書店

小塩隆士(2012)『効率と公平を問う』日本評論社

小野善康(2012)『成熟社会の経済学――長期不況をどう克服するか』岩波書店

熊谷亮丸(2012)『消費税が日本を救う』日本経済新聞出版社

齊藤誠(2011)『原発危機の経済学――社会科学者として考えたこと』日本評論社

佐伯啓思(2012)『反・幸福論』新潮社

桜井良治(2011)『消費税は「弱者」にやさしい!――「逆進性」という虚構の正体』言視舎よ ろん せ ろん

佐藤卓己(2008)『輿論と世論』新潮社

島田晴雄(2012)『盛衰――日本経済再生の要件』東洋経済新報社

志村嘉一郎(2011)『東電帝国 その失敗の本質』文藝春秋

新藤宗幸(2012)『政治主導――官僚制を問いなおす』筑摩書房

外岡秀俊(2012)『3・11複合被災』岩波書店

千葉悦子・松野光伸(2012)『飯舘村は負けない』岩波書店

徳田雄洋(2011)『震災と情報――あのとき何が伝わったか』岩波書店

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71根本:民意とは何か――政治の論理と経済学の論理

中谷巌(2008)『資本主義はなぜ自壊したのか――「日本」再生への提言』集英社インターナショナル

中谷巌(2012)『資本主義以後の世界――日本は「文明の転換」を主導できるか』徳間書店

中野剛志(2011)『TPP亡国論』集英社

根本博(2011)「政府の論理と非営利活動の役割」『金沢学院大学紀要(経営・経済・情報科学・自然科学編)第9号』

根本博(2012)「少子高齢社会における先送り財政のリスクについて」『金沢学院大学紀要(経営・経済・情報科学・自然科学編)第

10号』

波頭亮(2010)『成熟日本への進路――「成長論」から「分配論」へ』筑摩書房

原田泰(2012)『震災復興 欺瞞の構図』新潮社

文藝春秋編(2012)『日本の論点2012――大転換の始まり』文藝春秋

三木義一(2012)『日本の税金 新版』岩波書店

御厨貴編(2012)『「政治主導」の教訓――政権交代は何をもたらしたのか』勁草書房

宮崎勇・田谷禎三(2012)『世界経済図説 第三版』岩波書店

八幡和郎(2012)『松下政経塾が日本をダメにした』幻冬舎

山口二郎(2012)『政権交代とは何だったのか』岩波書店

脇坂紀行(2012)『欧州のエネルギーシフト』岩波書店

<注>

1)佐藤卓己(2008)『輿論と世論――日本的民意の系譜学』(新潮社)による。「輿論」が初めて用いられたのは福沢諭吉『文明論

之概略』においてであり、本来の意味は「公の場において主張し、反論を受けて立ったうえでさらに主張する責任ある意見」のこ

とだったのが、戦後の漢字制限で「輿」の字が使えなくなり、代わりに「世論」が「よろん」として登場してから民衆の感情を示

す不安定な言葉となったことなどが論じられている。

2)2012.9.13日本経済新聞『大機小機』欄の「エネルギー政策 決定手法の疑問」は、「民意には『自分の身近な範囲を対象とし

て』『短期的な視野で』判断しやすいという『民意のバイアス』があり、原発依存度は、この民意のバイアスが作用しやすい。」と

指摘している。

3)サンフランシスコ講和会議における単独講和、安保改定、消費税導入などは民意というより政府の方針によって遂行された。

4)世論調査は、2012年10月1日、2日の両日にわたって電話による聞き取り方式で共同通信社が実施したもの。結果については、

2012年10月3日の北國新聞による。

5)御厨(2012)による。

6)アンケート調査については、500人以上を対象とする調査が1年間に1,500回以上実施されている(2010年、内閣府調べ)。調査は、

無作為に抽出された固定電話番号に調査員が電話し、通常は主婦がまず電話口に出るケースが多いことから、家族構成を聞いたう

えでバランスよく家族の誰かを指名して回答を得る方式が取られている。同じ日に同じ内容で別の機関によって実施されたアンケ

ート調査の結果に、しばしば大きな差が現れることがあり、不可解な印象を持たれることがあるが、これは調査員の質問の仕方の

差から生じる差であるとされる。すなわち、ある質問に対する回答で、初めは「わからない」、あるいは「どちらとも言えない」

と答えた場合に、そのままで質問を終えるか、「しいて答えるとどちらか」とさらに質問を続けるかによって結果に大きな違いが

生じることがある。このような質問の仕方の違いによって、たとえば内閣支持率に10ポイント以上の差が出る場合があり、これは

明らかに判断を惑わす要因となる。そのほかに、固定電話のみが調査対象となっていることで、携帯電話に傾斜している若年者の

意見が取り込まれていない可能性があり、このことも問題視されている。アンケート調査に以上のような各種の問題があるとすれ

ば、民意を推し測るための手段の一つと位置付けることにも慎重にならざるを得ない。

7)TPP賛成論として、伊藤元重(2011)では、自由貿易が日本経済の未来を切り開くので TPPへの参加表明は重要な意味を持つこ

と、自由化は日本農業にとってもチャンスになることなどが説かれている。反対論として、中野剛志(2011)では、輸出主導での

成長戦略は間違っており、TPPは国益にはならないことを力説している。

8)逆進性については 三木義一(2012)などに一般的な解釈が示されている。一方、桜井良治(2011)には逆進性の議論は虚構で

あるとの見解が示されている。

9)格差拡大に関しては、これまでに多くの論争があり、文献も多数存在している。格差拡大を肯定する論者もあるが、実際の分析

結果からは格差の拡大傾向は見いだせないとする論者もある。ただ、高齢化によってもともと格差の大きい高齢世代のウェイトが

高まった結果として現れた格差の部分があること、若年世代の雇用状況の悪化によって格差の拡大がみられることなどについては

コンセンサスとなっている。

10)大島(2011)は、原発のコストが政策コストやバックエンドコストまで含めると通常示されるものをはるかに超える莫大なもの

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72 金沢学院大学紀要「経営・経済・情報科学・自然科学編」 第11号(2013)

になることを指摘している。佐伯(2012)は、人々が「豊かな暮らし」か「安全な暮らし」かという二者択一、すなわち価値観の

選択の問題に直面していると述べている。(p.201)

11)新藤(2012)には、自民党政権でも中曽根(1982~)、橋本(1996~)、小泉(2001~)の各政権において政治主導が唱えられた

が、いずれも政治による官僚の取り込みといった性格のものであり、公務員改革そのものを本格的に考えたのは民主党政権である

ことが指摘されている。御厨(2012)は、政権交代後の具体的な問題を取上げ、政権交代が何をもたらしたかを考証している。山

口(2012)は、政権交代が国民の期待に応えられなかった理由を分析している。

12)本稿を執筆した平成24年9~10月時点においては、与党は民主党であり、野田内閣が政権を担当していた。その後、12月に実施

された衆院選において、まさに民意の反映により政権交代が行なわれ、自民党を中心とする第2次安倍内閣が成立した。本稿は、

政治の論理が主要なテーマのひとつとなっているが、政治状況の変化によって内容に本質的な影響が及ぶものではないので、平成

25年1月時点における初校(第1次校正)および2月時点における再校(第2次校正)の際にも原文を修正することは行っていな

い。