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6 14 2013 1 | 楊柏琪 港区合気会の弐段の審査の作文 港区合気会の弐段の審査の作文 港区合気会の弐段の審査の作文 港区合気会の弐段の審査の作文 楊柏琪 – Jason Yang 人が喜ぶ技 人が喜ぶ技 人が喜ぶ技 人が喜ぶ技 「祐子さん、この前の 入り身投げでコンタ クトをズラしてしま って、すみません。」 「いいえ、大丈夫です よ。たまにおこるの、 楊さんに限らず。」 「そっか、ならいいん だけど、俺の技、痛 い?」 「楊さんの技はちょ っと容赦ないという ところがある。私にはいいんですよ。初心者なら、もっと手加減をしてあげたほうがい いこも… マッスンだったら、バシッとやっても大丈夫だけど。」 二人で笑った。 最近、人が喜ばせる技を心がけている。先日、特に女性に優しくてしてみた。まずは肩 取り面打ち第二教を女性の井口さんとやった。井口さんがびっくりした顔をして「どう したの?」ときいた。

Aikido 2nd Dan Essay v2 - … · 6月14 日2013 年 4 | 楊柏琪 あっていることで、皆がつながっている。 足場鳶 私は合気道の一級を持ったとき、一年半足場鳶の仕事をした。

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6 月 14 日 2013 年

1 | 楊柏琪

港区合気会の弐段の審査の作文港区合気会の弐段の審査の作文港区合気会の弐段の審査の作文港区合気会の弐段の審査の作文

楊柏琪 – Jason Yang

人が喜ぶ技人が喜ぶ技人が喜ぶ技人が喜ぶ技

「祐子さん、この前の

入り身投げでコンタ

クトをズラしてしま

って、すみません。」

「いいえ、大丈夫です

よ。たまにおこるの、

楊さんに限らず。」

「そっか、ならいいん

だけど、俺の技、痛

い?」

「楊さんの技はちょ

っと容赦ないという

ところがある。私にはいいんですよ。初心者なら、もっと手加減をしてあげたほうがい

いこも… マッスンだったら、バシッとやっても大丈夫だけど。」

二人で笑った。

最近、人が喜ばせる技を心がけている。先日、特に女性に優しくてしてみた。まずは肩

取り面打ち第二教を女性の井口さんとやった。井口さんがびっくりした顔をして「どう

したの?」ときいた。

6 月 14 日 2013 年

2 | 楊柏琪

「優しい稽古をやってみようと思った。どう、今の技?」

「違う人とやっているみたい。気持ち悪い!」

それから横面打ち四方投げは西原さんと組んだ。同じくぶつからないよう、力を使わな

いよう、大きく崩して小さく投げるようにやったら、西原さんが喜んだ。「楊ちゃんあ

りがとう!今日は優しいね!」という好評だった。

そして後ろ両肩取り第四教は調布から港区に出稽古している市川さんとくんだ。優しく

やるつもりで、技に入ったら、痛がられた。「すみません。」とが謝った。

「いや、大丈夫です。逆に教えてもらいたいです。」と市川さんが言った。

そうして痛みを食らいながら、市川さんが四教を受けていた。

これで無理に優しくしなくてもいいと思った。技に入っていると相手が痛くなくてびっ

くりするくらいがいいだろう。そのびっくりすることこそ合気道ならではの感動だろう。

実はこの感動に惹かれて私が合気道で他に手が付かなくなった。

型の意味型の意味型の意味型の意味

技は型の中から生まれてくる。技が料理だったら、

型がそのレシピ。出会い、捌き、崩し、投げ、一

連の動きに正中線を感じながら、意識が足と手の

指先まで行き届いているか、全体を見ているのか、

呼吸をしているのか、胸を張っているのか。型が

技を許容するような体を作くる。

合気道は試合がないと取り上げられているのだ

が、確かに試合はルールがあって、試合の稽古ば

かりすると型にはまってしまう。

例えば、極真空手の試合では顔面突きは試合で許されない、試合に勝つためにそれに慣

れてしまったら、顔面突きの隙は忘れてしまう。そうすると町喧嘩になったらすぐにや

られてしまうだろう。合気道は試合がないのだが、実は同じように型にはまってしまう

危険がある。馴れ合いの稽古にならないようには努力が必要である。特に受けは攻撃の

意図を持たなければならない。技を返すまではしなくてもいいけど、力がぶつかったら

止める、間合いが近かったら手をのばして知らせる、最初の出会いと捌きでバランスを

取り戻すようにする。バランスが崩れていなかったら自分から受け身をとらない。型の

6 月 14 日 2013 年

3 | 楊柏琪

中でこれらをすべて探らないといけない。

そうすれば、型の制約の中で生きた動きができるようになるって、技が生まれる。

誰の技?誰の技?誰の技?誰の技?

私の技じゃないだろ

う。というのも、たま

たまこの器に入って

きた技。大先生にさか

のぼっても、彼もまた

先生があった。人がや

る技はその人の技で

あるまい。(神技?)

言葉で例えてみると、

作家が作品を書いた

ら、その作品には著者

が読んだ本、出会った

人、の影響を受けた。誰の作品?一方著者の作品だが、一方著者が触れたすべての人の

魂が部分的に著者という器を通して、実ったものである。

器と中身の話をする。野菜スープを作るときに、お鍋は必要だけど、本質は鍋じゃなく

て、スープなのだ。そして作るスープは日に変わっているかもしれない。合気道の技を

こういう風に考えるようになったら、自分の中での建て替え、建て直しが行われやすく

なった。型稽古の間に相手に当て身を入れられたら「私の技」が拒まれているより「こ

の動き方」が行けないと思うようになった。

でも、この反面、技がうまく掛かる時も自分の技じゃない。よく「やった!」と思って

次に同じようにしようとすると技がうまく掛からなくなる。この上手いときの技も私の

技じゃなくて、たまたま掛かった技。掛からない技、掛かる技、どちらの方に気にしす

ぎてもよくない。客観的に見るしかない。

大先生の晩年に合宿稽古をしたときの話が残っている。ある日に「昨日言ったのが間違

え。今日訂正します。」そうやって年をとっても最後まで技を見直して発展していた。

大先生の技も生きている間にずっと変化していた。人が技を含む器だけだろう。鍋はス

ープを所有できないし、人も技を所有できない。合気道で触れ合ってお互いの器に移し

6 月 14 日 2013 年

4 | 楊柏琪

あっていることで、皆がつながっている。

足場鳶足場鳶足場鳶足場鳶

私は合気道の一級を持ったとき、一年半足場鳶の仕事をした。

感じたのは、周りの人の動きへの意識の張り方、衝撃の重心で

の収め方、足腰からの力の出し方、高所で重いものを持ちなが

ら前を見て軸をぶらない歩き方など、合気道と通ずることが多

かった。しかも忙しい環境の中で如何にも自分の平常心を保て

るのが勝負。最高の稽古だ!

合気道の型で作った体が実践に力仕事で活躍できて、お金をも

らえて。イグチさんが「ある意味合気道のプロだよ!」とほめ

てくれた。

鳶職は本当に命をかける仕事で、高所で危険にふれて、気持ちが上がって叫び合い、叱

り合うことはあるが、その後の休憩時間で一緒に笑ったりお互いのことを馬鹿にしたり

してストレスを発散する。武道の精神を引き継いでいる職業だろう。日本での一つの貴

重な経験で、合気道をやっていなかったら、鳶職ができる体になっていなかっただろう。

楽でいられる楽でいられる楽でいられる楽でいられる

ある日、本部道場で植芝充央先生が初心者クラスで坐技呼

吸法を指導した。「手を自分の前でつかませて、手を上げ

ながら、体が入る。」と説明しながら動いた。「手を上げ

てから入るのじゃなくて。まあ、私もやってしまうときが

あるのですが。手を上げながら入る。」といった。そのと

きに「好き」と思った。もちろん先生生徒の関係だが、一

瞬の謙虚で同じく合気道が好き人同士がここで稽古して

いると感じた。

6 月 14 日 2013 年

5 | 楊柏琪

あれから私が初心者に技の説明仕方が変わった。今目指したいのは教えるより、気づか

せること。言葉にするより、技の動きの中で気づいてほしいところをよりゆっくりする

ことで私が話すより、技を話させる。楽でいるのはエゴを除去して技が私と相手の体を

通して流れているのを見ること。

同じ位のレベルの人と10分くらい同じ型を稽古すると時に見やすい。お互いのやり方が

変わってくる。相手が私の持つ技の要素を取り入れてみるし、私も相手に要素取り入れ

る。隙がないように気をつけるが、それ以外はできるだけ執着を持たずに、技が自由に

流れ込むようにしたい。

執着執着執着執着

先日、華道相阿彌流の横地先生が火曜日の稽古に訪れたとき、彼

が子供のころのお父さんの花を生けることに手伝った話を聞かせ

てもらった。作品がほぼ完成のときに、二人で枝の微調整を行っ

ていた。お父さんが「そこ、右に出ている枝をもう少し丸く捲っ

て。」子供である横地先生が手を伸ばして枝を丸めようとしたら、

ポキッと折ってしまった。それをごまかして隠そうとしながらも、

音が聞こえて、お父さんが怒るのを怯えて待っていた。しばらく

したら、お父さんが「じゃあ、そこの左の枝も同じように折って。」

といって、子供の横地先生がためらって、お父さんの顔を確認し

た。お父さんはうなずいて、「そこ、左も同じように折っておい

て。」息子が手を伸ばして念入りに枝を折った。

お父さんが「うん。じゃあ、こっち来て。」

息子がお父さんのほうに下がって、遠くから作品を見た。

「私はあの枝にこだわりすぎていた。今のほうがいい。」

華道の型から生きた作品が生まれると同様、合気道では

型から技が生まれてくる。型の通りに行かないことも多

い。たとえば、腕押さえでは本当相手のひじに親指を引

きかけて人差し指の付け根(空手で言う背刀)で制した

いが、それが滑って手刀になるときがある。そのときに

与えられた情況と条件下で技を完成させなければいけ

ない。過去はもう変えられないから、左右できる「今」

に意識を逸らせてはいけない。

6 月 14 日 2013 年

6 | 楊柏琪

合気道の中で体がこう動かなければならない。体が適応よく動いたら、心も執着なく動

けるようになると信じたいけど、なかなか難しい。だから、横地先生の話を聞いて、美

しいと思った。

技以上のこと技以上のこと技以上のこと技以上のこと

(2013年4月12日にフェースブックで掲載)

また熊野へ。港区で稽古し、22:45の横浜発のバスに

乗った。明朝の7:45分に着く。四日間の稽古、瞑想、

遊び。そこには東京にないことがある。落ち着くこ

ともあれば、刺激されることもある。

熊野塾は道場長も変わって、一つ一つの稽古は大切

にしてよかったと思う。

今日は港区で業務会議があったが、業務的作業は楽

しくないけど、先生の苦労があって、私たちに稽古しやすい場があると改め

て思った。

橋橋橋橋

日本ではもう七年住んだら、アメリカに行くときに異国な感じもした。武道の稽古に参

加したら、これがもしかして向こうの岸への橋と思って、感謝した。

(2011年1月7日の先生へのメール・当時は二級)

赤坂先生、永井先生、

港区合気会の楊です。いつもお世話になります。

今年もご指導のもとに武道を極めることを楽しみにしています。

お励みの通り、アメリカにいる間に、武道を稽古してきました。そのときに

6 月 14 日 2013 年

7 | 楊柏琪

武道の人間の心をつなぐ力を感じました。

私 はいいつもアメリカに帰ると逆カルチャーショックを受けます。物事が変

わったか、私が変わったか、いろいろ違って感じます。その中で武道をする

ことで、感 じなれている心と心の間の繋ぎを経験できて、とても安心しまし

た。こうして、武道は言葉や国境を超えるものだと実感できました。参加し

たのは合気柔術で あって、又これに就いて感想を話したいと思います。

言葉を超えたこと言葉を超えたこと言葉を超えたこと言葉を超えたこと

言語学がすきで 5 ヶ国語を話せるが、合気道は言語に似ているとよく思う。出会い、捌

き、崩し、投げ(あるいは抑え)、という文法で一つの技が成り立つ。人の技に性格・

心境が出ていて、技を交わすことで言葉を超えたコミュニケーションが取れる。

出張先、旅先の道場を調べて出稽古してお世話になるとお互いの表現幅が広まるし、現

地の人と楽しく触れ合うことができる。これを始めたら、これをしていなかった私はど

れだけ旅先の現地の人との触れ合いが浅かっただろうと思う。

もともと先祖が秘伝としていた武術が不思議なことで大先生を通して世界中に広がって、

おかげで人間としての感動が濃くなった。