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Bar納屋界隈ver 3

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どの時代でもまじめで明るかったであろう私の先祖へ、両親と兄弟、妻V

atey

へ、子供と孫

へ、そして子孫へ。君たちに笑顔がある時、世界は正しく存在していると私は信じる。

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行方をくらませた甲斐さんの残した文章の一つ

三艘の小舟が川に浮かんでいる。

手漕ぎの舟は休む暇もなく櫂を漕ぐが、大して動きはせず、結局は川下に流される。

機関のある舟は自由に走り、自分の行きたいところまで進む。行き先は自分で決める。

風に好かれた舟は風に任せて進み、風の選んだ場所に行き着く。行き先は風が決める。

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第一章

車で行くほどの距離でもない。でも歩けば、夏には汗だくになるし冬は芯まで凍る。それ

くらいのところにBAR納屋はある。

ここら町のはずれは開発がずいぶん後回しにされて、長いあいだ水田や畑が広がっていた。

ところどころに農作業の納屋があり、田舎風景のアクセントになっていたが、近年の住宅建

造ブームで次第に、田畑も納屋も姿を消した。

BAR納屋は、名前の通りその納屋が今もバーとして使われており、小奇麗な住宅街に一

戸だけがぽつんと残って、昔の名残をわずかにとどめていた。

納屋をバーに改造したのは甲斐下松という人で、かれこれ二十年くらい前のことだったら

しい。私が初めてそこを見つけた時には、甲斐さんはずいぶん高齢だったが、下の名前が私の

郷里山口県の下松(くだまつ)と同じであったため、同郷にまつわるいわれでもあるのかと思

ってたずねてみたところ、彼は戦前、台湾南西部の台南という古都で生まれ、祖父が下松の

出身だったためその名をつけられたらしい。敗戦で家族ともども日本に引き揚げを余儀な

くされたが、岡山の庭瀬というところに住み着いたため、下松の地を訪れたことは一度も

ないらしかった。子供らは岡山にいる、そう言って自分に身寄りがあることを教えてくれた

が、それ以上は触れなかったので、彼の子供と私が会ったのはずっとあとのことだった。

納屋の所有者は甲斐さんと同じ台南第一中学で学んだ宮内久雄という同級生だ。

終戦時に台南一中で学んでいた日本人中学生は日本に引き揚げたのち、全国に散らばっ

て縁はほとんど絶えたが、昭和もやがて終わろうというころ誰かがNHKの深夜ラジオに台

南での思い出を投稿し、それが読まれたことで台南一中の同窓会ができ、それで甲斐さん

と宮内久雄氏が老いた姿で再会できた。二人は中学生当時、ほとんど親友の間柄だったと

いう。その馴染みからか、甲斐さんはこの納屋に住まわせてくれないかと打診した。宮内氏

は同窓のよしみで快諾し、ずいぶんお金をかけて外に便所を作って井戸を掘り、電気も引い

た。それで甲斐さんはリュック一つの軽装でこの町に引っ越してきた。当時このあたりに民家

はほとんどなく、彼は宮内夫婦の農作業や雑事を手伝い、夜は裸電球一つの納屋で本を読

んで過ごすといったような生活をはじめた。

納屋がバーに作り変えられたのは甲斐さんの気紛れからだった。どうせ住むならバーの方

が粋ではないかと思い立ち、醤油の木樽を二つ据えて上に板を渡し、地べたには木パレットを

敷き詰めた。内壁の桟には酒の瓶を並べ、板切れに「BAR納屋」と書いて外に吊るした。そ

うしてマスター気分で酒をちびちびやりながら読書にふけったのである。

やがて看板のおかげで客が来た。最初は家主の宮内氏だった。二人は酒を酌み交わしな

がら台湾時代の話に花を咲かせた。宮内氏の奥さんもたまに来て手作りの料理を添えた。

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そのうちに周辺の田んぼで耕作している農民がやってきた。夜になると納屋に明かりが灯っ

てラジオの音楽も聞こえてくるのがいいと彼らは言った。この地を離れたことのない人たちに

ずいぶんモダンな感じがしたようで、甲斐さんの台湾話に興味を示した。農繁期には燃料

補給だと言って来、農閑期にはひまを理由に来た。酒は焼酎がほとんどだった。肴は持ち寄

りで、自家製の漬物や干し柿を持ってくる者もいた。そして誰もが帰りぎわにいくらかの金

を置いた。

夏には虫の声を聞き、冬には木枯らしが鳴いた。春にはつくしの佃煮が出された。こうし

て納屋は近隣の農家の拠り所となったが、たまに宮内氏が来た時は農民が静まった。宮内

家は豪農で、戦前は地主としてここらの田畑を大半所有していたからである。宮内氏の父

は次男だったが長男に男児がいなかったため、帰国後に本家のあと取りとして育てられた。

台湾で学んだ日本人中学生は英才教育を受け、戦後本土の中学校に編入した際、学力

の高さに教師が舌を巻くことも多かったという。宮内氏も甲斐さんも高い学識を有してい

ることが表情に出ていた。読書を好むかスポーツが得意か、音楽が好きか、そのどれもやら

ない奴はたいしたことがないと甲斐さんが言ったことがある。宮内氏は、テニスの腕前は相当

なものだと後日聞いた。

農民の次には山林作業者や土木作業員、さらには農協職員や郵便局員も来た。個人商

店の店主や消防団員、たまに自治会役員も来るようになった。大抵が顔見知りだった。手

ぶらでも自前の酒を手に下げても、どちらでもいいから気が楽だった。納屋だから敷居は低

かったのである。市議会議員選挙が近づくと候補者の身内が酒を置いて帰った。小学校の運

動会があった日は特に客が多く、結婚式や葬式があった日にも、豪雨で遠賀川が氾濫した

日にも客は増えた。火事やコソ泥が捕まった日にも情報を聞きに客が来た。

こうなると納屋が手狭になり、甲斐さんの寝床が確保しにくくなった。納屋を建て増し

した方がいいと誰かが言い、それを聞いた誰かが、運送会社で働く親戚に頼んでかなり大き

な木造の廃船を運んで来、ひっくり返して納屋の後ろにくっつけて置いた。ちょうどいい具合

に船は、トラックに載せられるように二分割された一方だったため、納屋の板壁を切り欠い

て船と結合することで別室が一つできた格好となった。その「廃船別室」は竜骨(キール)ま

での高さが二メートル近くあってかなり奥まで入れたので、甲斐さんはそこに廃物のベッド

と風呂釜を置き、船体の一部をくり抜いて外に焚口を作った。日曜日には何人かの常連客

が、今は屋根となった船底にペンキを塗り、明り取りの窓も設け、周囲にみぞを掘った。地

面との設置面は、隙間風を少しでも防ごうとブロックや石をコンクリートで固めた。適当に

行なった作業でも大工や左官や造園業者の手によってかなりうまくやられたのである。

平成になってこの近辺にも家が建ちはじめ、田畑も小川もあぜ道も徐々に埋め立てられ

たが、甲斐さんのいる納屋だけはずっと残り、今度は若い勤め人が来るようになった。彼ら

はここを隠れ家みたいだと評した。もっとバーらしくした方がいいと言って美術図鑑の絵を

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切り抜いて飾る者がいた。冷蔵庫が置かれ、グラスもシェーカーも揃い、棚が作られてジンや

ウォッカが並べられた。扇風機が片付けられて旧式のクーラーも備わった。音楽もモノラル

からCD付きFMラジオへと進歩した。そういった物はどれも客の手で持ち込まれ、納屋は

少しずつ変化していった。

このころになると農民の足が遠のいた。田畑の減少が主な理由だったし、勤め人が客とし

て増えたからでもあった。両者は馴染めなかった。BAR納屋の成り立ちを知っている人の来

訪はずいぶん減った。私がBAR納屋を見つけたのがちょうどこの時期で、保健所の指導で

手洗い場とシンクと水洗トイレが増設されたころのことだ。したがってここまでの話は直接見

聞きしたのではなく、おもに甲斐さんから聞いた話にもとづいている。

頭痛と肩こりがひどくて町医者を探していた時だった。偶然このあたりを車で通り、ずい

ぶん際立っている納屋を見つけた。

その納屋は二百坪くらいの敷地に座り込んでいた。わりと大きくて中二階があり、長方

形の建物の一面が道路に接していて、その面が真ん中から左右に開く造りで、しかし今は

太い角材で閂(かんぬき)のように固定され、その横にあるドアが出入りに利用されている

ようだった。三つある窓は不ぞろいで、どれにもカーテンが下がっていた。納屋のそばの看板

は、まな板くらいの板にワインのコルクで「BAR納屋」と表示し、上からニスでコーティングし

てあった。

目を引いたのは建物の背後で、半分に切られた木造船が伏せた状態でくっついていた。二つ

の窓は中から布で覆われていた。船体は白い防水ペンキが塗られ、一部にブルーシートや波

トタンを乗せて、上に重石が置いてあった。

古い納屋と後ろにくっついている曲面の船底は、円谷映画のモスラか宮崎駿の風の谷のナウ

シカに出てくる這蟲(オーム)を連想させた。その奥にはバナナの木があり、しなやかに広げ

た葉の一端が船底屋根に覆いかぶさって、亜熱帯地方にある原住民の住まいにも見えた。

納屋の左隣は二階建ての新しい家、右は屋根に温水ソーラーのある西洋風な家、奥の家

も左右の家と競っていそうな洒落た造りで、それらが納屋を孤立させていた。

駐車スペースは五六台分ありそうで、今は軽自動車が一台停まっていたが、この納屋がバ

ーとして営業しているかどうかは判別できなかった。周辺の風景とあまりに違いすぎるので、

近所から遠まわしに立ち退きを迫られているにもかかわらず意固地になって踏ん張ってい

るのかもしれなかった。最近の「犬猫屋敷統計」によれば、人口十五万人あたり平均二軒の

犬屋敷または猫屋敷が見受けられるという。この町も十万人余りだから、その類いだとし

てもおかしくなかった。

菰田駅前に「きのこクリニック」という内科があった。李という院長の名字にちなんだ名前

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らしく、李院長から診察されているあいだ、パームテールという、たいてい閉まっている喫茶

店を思い出した。松の尻尾。隣の家に松尾という表札がかかっていた。

診断は単なる疲れだったようだ。頭痛薬を処方してもらって、再び車を納屋の前に停めた

ころには、陽はやや傾いて隣家の影の一部が納屋の上に落ち、納屋自体の影もその反対側

の地上に落ちて砂利や雑草をかげらせ、そのコントラストは印象深いものがあった。バナナの

木の向こうにはボタ山がかすんで見えていた。そこに日傘を差した女性が通りかかったので、

この店は営業しているのかとたずねると、彼女はまぶしそうな表情をこっちに向け、毎晩や

っているみたいですよと言った。

その夜、今度は歩いて納屋を訪れた。昼間の軽自動車はなく、隣家の窓や外灯のまばゆい

光が、目の前の黒々とした一角をいっそう孤独にさせていた。しかし納屋の窓にもほのかな

明かりがあり、「BAR納屋」の看板も豆電球が額縁のように輝いていた。音楽もかすかに聞

こえ、今が営業中であることを教えていた。

店に入ると小さなカウンターがあった。うす暗い棚に酒が並び、天井や壁は荒削りの梁

や鴨居がむき出しで、柱と柱のあいだの高いところに木の梯子が横向きにかけてあった。天

井から数か所、電灯の笠が下がって裸電球が灯り、その光の硬さが室内にあるあらゆる物

に濃い影を生じさせ、その影がみんな下方に黒々と、垂直だったり斜め方向だったり、ある

いは部屋の隅の薄暗がりの中へ溶け込んでいた。流れている音楽はアイルランド民謡のT

he

water is W

ide

で、カウンターにバーテンダーはおらず、それは席を外しているというよりハナ

からいないように察せられた。どこもかしこも質素で古びており、わずかでも飾ろうという

意思を廃している光景は、前もって抱いていたバーのイメージとは程遠かったが、音楽は似つ

かわしかった。

老人が二人、木製テーブルに椅子を寄せて話をしていた。一人は大柄でもう一人は小柄、

グラスが二つあって、和え物らしき小皿も一つ出ており、白い紙が何枚か広げられていた。

二人の老人がこちらを向き、小柄な方が、「やあいらっしゃい。どうぞ好きな場所におか

けください」と言ったので、彼らの横の折りたためるスチールテーブルについたが、椅子はディ

レクターチェアだったため座りにくかった。テーブル席は七つあり、丸い寄木のものや黒くて

四角いものなど、統一性がなかった。いちばん奥にはグランドピアノの天板を活用した大き

なテーブルも見えた。

先ほどの小柄な老人が座ったまま上体だけこちらに回して、ここは勝手に飲んで料金を置

いていく店だと説明したので、少々面喰い、しかしこのまま帰るのも失礼になりそうなので、

カクテルを一杯飲みたいのだと言った。

老人は額をポリポリかきながら、「そこにバーブックがあるから自分で作ればいい」と答え

た。そのやり取りを大柄な老人は表情を緩めて見ていたが、少しは粋な店かと期待してい

た私は、再びここに来ることはないだろうと決心していた。

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カウンターの端に置いてある日本バーテンダー協会発刊のバーブックをめくりながら、こ

んな本が置いてあるのにカクテルの一つも作れないとは本当にふざけた店だと思いながら、

冷蔵庫からウォッカのボトルを出して彼らを少しのあいだ見た。あとで分かったことだが、応

対したのが甲斐さんで、もう一人が納屋の所有者である宮内氏だった。

宮内氏は鳥打帽をかぶって黒いゴム長靴を履き、怒り肩であるため威圧感があった。甲斐

さんは痩せて無精髭を剃っていない風体で、灰色の作業ズボンに雪駄履きだった。二人は私

にお構いなしに、おもに甲斐さんが卓上の紙にボールペンで曲線を描きながら話し、それに

宮内氏が相槌を打っていた。紙の曲線は単純な放物線だけでなく、数学の授業で習ったよ

うな関数曲線に似たものもあった。その線に沿うようにして甲斐さんは文字も書き加えて

説明を続け、宮内氏が質問を寄せるといった按配だったが、私の視線に気づいたためか甲斐

さんは紙を集めて二つ折りにし、ズボンのポケットに押し込んだ。

私はそ知らぬ顔でウォッカを冷蔵庫に戻し、棚にテキーラがあるのを見つけて、ここでマル

ガリータでも作れば彼らは驚くだろうと思ったが、その気持ちを見透かすように甲斐さん

が、「その年になってもまだ自分の酒が見つからんのかね」とたずね、自分のグラスを持ち上

げて、「私はドライジンのストレートだ」と言った。こちらを客扱いしないくせにお節介だなと

思ったが、私はここに酒を飲みに来たわけではなかった。気になったから来てみたまでだ。酒

を飲むのが目的ならもっと気の利いた店に行く。

「じゃあそれと同じにしますよ」。そう答えてライムはあるかと聞くと、甲斐さんは人懐っ

こそうな目になって、「冷蔵庫にスダチがある。氷は製氷皿のを使ってくれ」と言った。

スダチを切ってジンの中に絞り落とし、そのグラスを持ってスチールテーブルに戻ると、ここ

らの人かとたずねられた。それで私は、今は不動産屋の友人の斡旋で安アパートに無賃暮

らしをしているが、それまでは鯰田にある三角と四角を組み合わせたようなマサミアート

という建物の二階で一年ほど生活していたこと、それは離婚を前提にした冷却期間のため

で、妻も二人の娘も私が独り身になろうとしているのをうすうす察しているであろうこと、

友人の仕事を手伝いながら細々と生計を立てているが、将来に不安はあまりないなどと説

明した。甲斐さんは時折うなずきながら、その建物なら見たことがあるとか、それは結構

なことだなどと語り、「人生はカクテルと同じように、いろいろあった方がいい。最後の酒に

出会うために」と言い、「若い人がいろんな音楽を聞くのもさまざまな本を読むのも、あち

こちに旅行するのも、最後に一つを見つけるための選択行動だ」とも言った。

そこにドアが開いて一人の若い男が入ってきた。彼は甲斐さんと宮内氏からイシちゃんと

呼ばれていた。年齢は三十くらいで、頭を野球部生徒のように短く刈り、顔色は青く頬は

こけて、唇は松葉のように薄く、目も狐目で、チラチラあたりをうかがうのが癖のようで、

総じてチンピラの子分程度の薄っぺらさを漂わせていた。それでもなんだか機嫌がよさそう

で、カウンターに入るなり「今日は何を作るかな」と甲斐さんらに体を半分向けて呼びかけ、

言われるがままソルティドッグとジントニックを作った。彼の動作は手馴れており、ジガーカ

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ップやバースプーンの使い方も申し分なかったが、本業は塗装工で、たまにここでカクテルを

作るのが好きらしかった。彼自身はカルーアミルクを作って飲んだ。

イシちゃんは私に強い印象を与えた。それは甲斐さんとの次の会話である。

「ゆうべUFOを見たっす」。イシちゃんが夜空に奇妙な光を見つけたらしい。

「たぶん飛行機だよ」。そう甲斐さんは答えたが、イシちゃんはUFOだったと断言した。

「じゃあ人工衛星だったかもしれんな」。しかしイシちゃんは、あれはUFOだと言い張る。

それを聞いた甲斐さんは、淡々と言葉を置いた。

「何千人もの世界中の天文学者が、百年以上も前から二十四時間夜空を観察していて、

しかしUFOのことなど一度も口にしない。でもイシちゃんは、たまたま夜空を見上げてUF

Oを見たと言う。どういうことだろうね」

イシちゃんはエヘヘと笑い、「でもUFOだったっす」と念を押した。彼の言うUFOは未確認

飛行物体というより宇宙人の乗り物であるらしかった。

甲斐さんは仕方なさそうに、「実を言うとね、私は宇宙人なんだ」と言った。

するとイシちゃんはまたエヘヘと笑って、それはないと首を横に振った。

「いや、本当だ。UFOを見たのなら、わしが宇宙人でもおかしくないだろう」

しかしイシちゃんは、それはないと笑うのである。

「なぜ信じないんだ、おかしなやつだな。でも魔法にかかっているあいだは幸せだ。ずっと覚

めないことを祈るよ」

そう会話を打ち切った甲斐さんは、バーにはバーテンと同年代の女性客が来るから、早く

一人前になって若い娘が集まるようにしてくれとか、女の客とくっついてサラ金に多額の借

金があるのが本物のバーテンだとか、子供扱いの口調でしゃべり、からかい半分でしかイシち

ゃんに接していなかった。私の目にイシちゃんは、地方都市の場末でいかがわしい風俗店の呼

び込みをするのがせいぜいのように映った。彼の生涯に絶頂期があったにしても、それはこの

店で脇役を気取るくらいのことだと思われた。そこにまたドアが開いて中年夫婦が入って来、

甲斐さんに親しげに挨拶したあと、「今夜は手間が省けるな」と笑いかけてイシちゃんにノ

ンアルコールのカクテルとチンザノを注文した。こうして初めて納屋のドアを開けた夜、裸電

球の下で目にした光景に不思議な印象が残った。

私はBARに格別の印象を持っている。大阪で働いていた二十代のころ、京阪京橋駅から徒

歩で数分ほどの場所にあったバー「ドミノ」の常連だったからである。細面のマスターが一人い

る小さな店だったが、カウンターの壁にコロンビアのバーテンダーコンクールで優勝した記念の

大きなパネルが飾ってあった。コロンビアという国名には、やや危なげな響きがあった。マスタ

ーはかつて高校の教師だったという。彼とトランプで遊んだりチェスを習ったりもして、かっこ

いい大人の仲間入りをしたような気分になった。一杯二万円もする酒を医者が夜更けに飲

みに来るような店で、私にそんなお金はなく、五百円のカクテルばかり作ってもらったが、

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雑誌の知識でレインボーを注文した時は、あれは見るもので、飲むものではないと断られた。

店の隅っこにはジュークボックスが置いてあって、私はそれに百円玉を入れてユーモレスクを聞

いた。その時の、道を少し外れた場所にひっそりとある空間、背伸びして大人の気分に浸っ

ていた自分の存在は、十年ほどの大阪暮らしの中で、一つの切り取られた記憶として今も鮮

やかに思い出せる。私は大阪で結婚して二女を授かり、ふるさと山口に帰郷することにな

ってドミノに挨拶に寄ると、マスターは二万円のブランデー飲ませてくれた。でもその味はじ

きに忘れた。何年かのちに大阪に行く用件があり、ついでにマスターに会おうとしたが、ド

ミノを探し出せなかった。店に向かう小路にすらたどり着けなかった。

さらに私は納屋という建物にも強い興味を抱く。それは、実家の近くに住んでいた叔父

が自分の納屋で縊死したからである。彼は入り婿として勤労人の家から農家に嫁いだが、

婿養子のため肩身が狭いことに加え、体が弱くて農作業がはかどらず、近所や親戚の間で

さんざんな烙印を押されていた。さらに若いうちから耳が遠く、人の声がほとんど聞こえ

なかった。晩年には胃を悪くして入退院を繰り返すようになったが、妻が付き添うわけで

もなく、四人の子供にも相手にされない有様だったらしい。最後の退院の時、彼は病院から

一人タクシーで帰宅したが、自分の田んぼの前で車を降り、納屋に入って鴨居に紐をかけた。

自宅まであと数十メートルの距離だった。叔父は別の世界に歩を進め、そのメッセージを彼

の家に届けた。表向きも、法手続きの上でも家長だったが、死んだ方がましなつらさが家の

中に充満していたことが推察された。

残された身内や親戚筋、あるいは本家である私の実家も含めて、叔父の縊死は恥ずかし

いことだった。警察の検死を受けたので新聞の片隅に載るかもしれないと恐れもした。病気

で亡くなったのならよかった。病院で自殺してもどうにか納得できた。でも退院して家の手

前だった。ついでながら、警察から戻ってきた棺には首吊りに使用した紐も入っていた。

その出来事は私が大阪で働いていた二十代の時に起こったが、母から知らされたのはずっ

とあとになってからである。当時私には妻がいたので、妻方の家に気を使ったのだろう。

もっと後年になって、その叔父のことが私と母との話題になった。「首を吊るだけの体力が

残っていたなら」と母は恨めし気に言った。それに対して私は、だからこそと答えた。「だから

こそあそこで踏ん張ったと思う。はた目にどう見えようと、自殺で救われたんだよ」。そう

かもしれないと母は言った。

納屋には大まかに三つのグレードがある。最も粗末なのは、器用な農民が波トタン板と木

材で作った囲い程度のものである。「掘っ立て小屋」とも呼ばれ、藁やガラクタを入れておく

程度にしか使われない。その次が、「納屋」と呼んでも恥ずかしくない作り込みがしてある

もので、基礎がしっかりし、内壁に合板を張ったり窓を作ったりして快適性と堅牢さを目指

している。柱や梁にC型軽量鉄骨を使ったものもあり、自分の代はずっと使いたいとの願い

が感じられる。叔父が亡くなった納屋がこれにあたる。一番グレードの高い納屋は、中二階

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か二階建ての高さを持ち、床面積は広く、外壁は総板張りで、内壁に耐火石膏ボードで囲

ったものもある。用途はさまざまで、米俵を保管するほかに、中で餅をついたり、脱穀機を

備えたり、農牛を飼って上階にえさの藁を置いたりする。庄屋の蔵に匹敵するから、たいて

いは母屋の敷地内にある。BAR納屋は豪農の持ち物として田畑の中ほどに建てられ、農機

具類の保管と、田植えや稲刈りの際に作業者たちの休憩や食事の場所として使われた。

足しげく通うほどではなかったが、私はBAR納屋の客の一人になった。

何度目かに訪れた時、口ひげを生やした四十歳くらいの男が、コンロにかけたフライパンに

オリーブオイルを垂らしていた。「私のペペロンチーノはおいしいですよ」と自慢しながら、き

びきびした動作で茹で上がったスパゲティを湯切りし、あらかじめ炒めて小皿に移しておい

たニンニクと鷹の爪とを混ぜ合わせる時に、「これが隠し味です」と言ってチキンコンソメの粉

末を加えた。そして完成したペペロンチーノを二つの皿に分け、バジルをぱらりと振りかけて

鷹の爪を上に乗せた。

「ほら、簡単に作れるでしょ」。そう言って彼は一皿を甲斐さんに差し出し、自分もフォー

クでくるくる巻いて食べながら赤ワインをごくりと飲んだ。

「わしは作らんが、あんたから習ったばかりのコックがそこにいる」。甲斐さんは私の方をア

ゴでしゃくったあと、「おお、これはおいしいね」とひどくよろこんで口に入れはじめた。男も

よほど腹が減っていたのか、せわしそうに口を動かしながら私の方に目だけを上げ、「たま

にはジャガイモや玉ねぎをいっしょに茹でたらいい。サーモンも合いますよ」と言った。

彼は本町にあるワインバー「ラ・ピエロ」のマスターで、久保井と名乗った。ソムリエよりもラン

クの高いシニアソムリエの肩書きがあり、休店の日や博多からの帰りにたまに納屋に飲みに

来るが、料理メニューが貧弱なので、手軽でおいしいレシピを伝授しに来たそうである。その

久保井氏が私に、ワインは好きかとたずねた。

「ワインはよく分からないから」。そう答えると彼は、「ウィスキーや焼酎は、おいしくない

とかきらいとか言うのに、ワインは、よく分からないとか難しいとか言うでしょ」と言い、私

と甲斐さんの両方に教えるように、ワインを冷やすのはフランスやドイツの気温に戻すと理

解しておけばいいとか、残ったワインは微量のオリーブオイルで表面に一ミクロンの膜さえ作

っておけば空気に触れないなど、なるほどと思わせる話を聞かせた。私が大仰に感心する

と、「でもワイン以外は何も知らないんですよ。それでいいんだろうかと思うこともあります

よ、特にこの店であれを読んだ時にね」と言って、へらっと笑った。それはトイレに貼ってある

短い文章のことだ。

年月を幾数十年も重ねて歩んできた過去を振り返り、ああ、目標を持つことがいかに

自分の視野を狭めたか、いかに体験や経験の広がりを損ねたことか、わずかな希望と引

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き替えに、多くの実りのない行為に翻弄されてきたことか、あるいは目標を持たない事

が人として劣ってでもいるかのように恐れさせられて、目標を探すために、目がどんなに

曇らされてきたことか。自分を見つめる目がどんなに歪ませられたことか、そう感づいて

煩悶する事になったなら、気がついたという点では幸運だが、分かってしまったという意

味ではまことに不幸というしかない。

久保井氏は帰り際に、特別なワインの飲み方を教えた。ワイングラスに氷を一つ浮かべる

というだけの簡単な方法で、実際に製氷皿の氷を一つ入れて注いでみたら、氷がワイン色に

透けてアメジストのように見えただけでなく、一口飲むたびに氷がグラスに当たって打楽器

のベルのような音を奏でた。また氷の表面がほんのわずか融けて味がまろやかになった。

「これは日本人に合うんじゃないか」。甲斐さんはよろこんで、この飲み方の名前をたずね

た。久保井氏は首をひねり、「ロックアイスより四角い氷の方がきれいだから、キューブワイン

でいいんじゃないですか。でも店で出すなら、たぶん日本でここだけですよ」と言った。

「レイニーブルー」の曲が流れる中で甲斐さんがめずらしくマルガリータを飲んで上機嫌に

なっていた。彼は私を見るなり聞いた。「マルガリータの伝説を知っているかね」と。

「それは猟銃の暴発事故で死んだ、バーテンダーの恋人の名前ですよ」

「じゃあダイキリは?」。これはラム酒を使ったカクテルである。

「キューバの鉱山の名前だったかな。そこの鉱夫が好んで飲んだらしいですね。シャーベット

を入れたらヘミングウェイの好物フローズンダイキリ」。続けて私は、シンガポールスリングはシ

ンガポールのバーテンダーが考案したなど、いくつか知っていることを話した。

すると甲斐さんが、「それらはみな虚飾なんだよ。虚飾を飲んでいるだけ」と言った。彼の

論によれば、ウォッカをトマトジュースで割っただけの酒に「ブラディマリー」という名前をつ

け、十六世紀のイギリス女王が大量処刑した血の色に由来するとか、「マティーニ」はマリリ

ンモンローが映画の中で飲んだとか、「サイドカー」は第一次世界大戦でサイドカーに乗って

いた大尉が作ったとか、もっともらしい話を客に信じさせ、原価に比べてずいぶん高い料金

を払わせるのだという。

「それに客も乗せられて、やっぱりジャズですねえと物知り顔で語っているけど、いったい何

人が日ごろジャズを聞いていると思う?

葉巻はキューバ産に限ると言っている客のほとんど

が、家では普通のタバコだ。バーはファッションなんだよ」

彼いわく、「虚飾の酒」の効果を高めるために店を虚偽で飾り、照明にしても直接照明と

間接照明のほかにロウソクの灯りがあり、小さく揺れる炎で時の経つのを忘れさせるという。

さりげなく置いてある小物も非日常を演出し、酒にではなく店に酔わせる。だからバーテ

ンもそれに即した身のこなしやミステリアスさを漂わせていなければ、いくら店を飾っても

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客はしらふに戻ってしまい、この程度の酒がなぜこんなに高いのだと感づいてしまう。

「この店はそんな技は使わない。ロウソクの火で火事にでもなったら大変だ」

甲斐さんは天井から下がっている裸電球に目をやり、「間接照明があるとすれば宮内さ

んの頭だな。照明というより反射鏡だが」と言った。そこに、甲斐さんの船室とも呼ばれて

いる隣室のドアが軋んだ音を立てて開き、話題の当事者である宮内氏が顔を出して「ちゃん

と聞こえているぞ」と怒って見せ、漏電は心配ないがネズミがいるみたいだと説明したあと、

顔を私に向けて「これでも若いころはパーマもかけていたんだ」と自慢げに言い、すかさず甲

斐さんが「だったら火傷しただだろう」と応じて、三人の笑いが店に溢れた。宮内氏は手を

洗いながら、「ここに派手な女を置いとけばスナックだ。真面目な娘がいれば喫茶店だし、婆

さんなら小料理屋になる。本当は甲斐さんの暇つぶしの場所でしかないのに」と言った。

今日はいつになく多弁だなと甲斐さんが舌打ちし、たまにはあんたのお株を奪うのもいい

だろうと返事を返して宮内氏は帰っていった。

店に静けさが戻り、ちょっと間を置いて甲斐さんが、バーは仮面をかぶっている客が多いと

言った。バーで気取ることで、これが本当の自分だと主張しているそうだ。「サンダル履きで

入るには気が引ける店は、案外しょぼい客が多いものだよ」。

「だったら、しょぼい男がバーで女を口説けばうまくいくかもしれませんね」

何気ないその言葉に甲斐さんは壁が揺れるくらいの声で笑った。

「それはイシちゃんのことか?

五分間くらいはバレないかもしれんが」

さらに一呼吸置いて、「バーテン狙いの女はどこにもいるからな。でもそんな女にやさしく

すると、翌日から毎日のように恋人気取りで現れて、バーテンがほかの女性客と親しげに

しようものなら、すごい目で睨みつける。ところがなぜかそんな女とバーテンは恋仲になり

やすく、女から借金してますます逃げられなくなり、店の金に手をつけて行方をくらます。

それがバーテンのてん末だ。でもイシちゃんは女が寄って来ないから大丈夫だろう。相当なハ

ンデのある女なら別だがね。ハンデの重さが同じ男女はうまくいくから」と言った。

ハンデのある女の想像は簡単だった。私にもずいぶんハンデがあるからだ。離婚が前提の一

人暮らしで定職もなく、見栄えがいいわけでもなく金持ちでもない。車は知人からの借り

物だし、住居も家主に無断で使っている。そんな私に似つかわしい女はパチンコ屋にずいぶん

いそうだ。そんなことを考えているうちに気分は徐々に塞いでいった。

ハンデキャップの重さが同じ男女がうまくいく例として、盲目の男と足の不自由な女を想

像してみた。男は健脚だが目が見えないのでうかつには歩けない。女の方は、目は見えるけ

れども歩けないからどこにも行けない。そこで男は女を背負い、障害物をよけながら目的

地に到着し、女の望む場所にも連れて行く。こうして二人は一体となって歩く。するとその

そばを、一組のカップルが手をつないで楽しそうに歩いている。健常者である彼らは、盲人と

膝行(いざり)の二人を気の毒そうに見るがすぐに目を背け、ハンデのある二人も五体満足

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なカップルをうらやむような表情を見せはするが、すぐにギクシャクした移動に集中するの

である。果たして、背負い背負われて一体となった二人と、手をつないだカップルのどちらが

離れやすいだろう。どちらがパートナーに対して感謝の念を強く抱くだろう。

「どうかしたかね」

甲斐さんがピーナッツを皿に入れて目の前に置きながら心配気に尋ねた。

「ハンデの重さが同じ男女はうまくいくと聞いて、妻との関係を振り返っていたんです」

「ああそうかい」。甲斐さんは受け流し、「考えるチャンスはいつもあるが、きっかけは滅多

に来ない。今はたっぷりと考えることだな」と言って背を向けた。私は氷のほとんど融けたジ

ントニックを口に運びながら先ほどの続きを考えた。

十年も離れて暮らしていれば夫婦も他人同然になると、離婚を経験した女性から聞いた。

その言葉を拠り所にして私は今この町にいる。

妻がまだ恋人だった時、彼女はどこもかしこも魅力にあふれていた。そうでないものは一つ

も見当たらなかった。私は彼女に焦がれ、毎日のように会い、会えない日は心をかきむしら

れた。やがて私は、次の手順がそう決められているかのように、根拠のない希望を頼りに結

婚を求めた。そうしなければ自分に不誠実だと思っていた。ある吉日に私たちは牧師の前

で永遠の愛を誓ったが、おそらく私は、自分のために彼女を選んだ。相手のための私ではな

かった。私の人生はこれで補完されたと思ったが、妻を補完したかどうかについては考えな

かった。妻は補強材料でしかなかったのかも知れない。彼女もたぶん同じ心境だったろう。

妻を大切にしたのは私にないものを奪うためだった。妻は奪い取る相手だった。私たちは

周囲にいる人たちと同じ程度に善良だったが、もっとも身近な奪う標的の位置に相手を置

いたと、まったく言えないわけではなかった。

カップルでいるあいだはそれでよかった。四六時中いっしょではなかったから、奪う量も奪わ

れる量も少なくて済んだし、補充も効いた。その勢いで結婚したのちもしばらくうまくいっ

ていた。それは子供に与えたからである。子供から奪ったものも多分にあっただろうが、そ

れを考えないまま与えることを心がけていた。奪い合う夫婦が与える親になった。私は父親

として子供には与えたが、夫として妻には与えなかった。

子供が生まれたころから夫婦に会話がなくなった。子供に関する情報交換を会話だと思

い違えていた。子供に話しかけるのは楽しかったが、それが夫婦の会話の代用になるわけが

なかった。子供はやがて親の手を離れる。そのころから再び奪い合う夫婦に戻った。その意

味で私たちは出会った当時のままだった。相手が大切にしているものに価値を見出せば奪お

うとし、そうでなければ腹の中で笑った。やがて、奪うものが妻になくなった。こちらにも枯

渇した。それによって腹立たしく思うことが増え、なんとなく息苦しい、風通しの悪い雰囲

気が生まれたが、それからもかなりの間、日々を取り繕うことでどうにかやってきた。しか

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しついに行き詰った。見た目は夫婦であっても当に破局していることにようやく私は気がつい

た。妻はそれに気づいていただろうか。

結婚したことで何が成長したかといえば、それはなかった。そのこと一つ取ってみても私た

ちは奪い合う夫婦だった。何を奪うかは自分が決めるので成長は不要なのだ。もしも与え

合う夫婦なら、与えるものは相手によって決まるので、往々にしてそれを持ち合わせていな

い場合が多く、それで自分が変化するよりほかにない。そこに夫婦が成長する秘訣がある

のではと今は思う。「相手は私の不足を補おうと努めている」。そのことを双方が知らずに

うまくいくはずはない。

思うように奪えなくて疲れ果てた私の心は妻から離れ、さまよって、落ち着ける場所をほ

かに探した。それに気づいた妻は引きとめようとしていくつか手を打ったが、それの効果が

期待できないことも彼女は知っていた。

もっと夫婦の会話をしておくべきだった。無意味な話やばかばかしい思い付き、打ち明け

話を増やしておけばよかった。たとえば稲光は神様が自分を写真に撮っているのだと幼少の

ころ信じていたというような話である。あるいはテレビの歌謡曲を伴奏にして夫婦で合唱す

るとかである。そういった滑稽でくだらない話題がもっとあればよかったが、その逆を大切に

し、夫婦の会話に意義や目的や価値を必要とした。特に私はそうすることで相手を品定

めした。建設的で生産的な関係だけを求める私は果たして夫である必要があったのだろう

か?

私はなにを演じていたのだろう。

見知らぬ場所に旅する準備をしていたら、立派な人が「この道を真っ直ぐ行きなさい」と

言った。道草はよくないと注意もされた。それで私は杓子定規に、道が曲がっていても真っ

直ぐ進んだ。電柱があれば体当たりし、小川を飛び越え、じゃまな垣根はバキバキ壊して一

直線に、休むことなく進んだ。そして後ろを振り向くと、妻は傷だらけで疲れきっていた。

真っ直ぐ行くとは状況に応じて右に左に曲がることだというのを私は知らなかった。サボる

のと休息の違いも分からなかった。

小さな咳払いが聞こえた。甲斐さんが射るような視線で私を凝視していた。そして目が合

うと表情を緩めてよそを向いた。年寄りはたまにこんな目をする。ビートルズ世代の私には、

五つくらい年配のボブディラン世代を越えられない壁がある。それは「抵抗の真似をした世

代」と「抵抗を試みた世代」との差からくるものだが、戦中派の甲斐さんは「殺し合いを見た

世代」なのだ。彼を理解できると思うのが間違いだ。

「今夜はやけに静かですね」

「いつもと変わらんよ。キミが考え事をしているからじゃないか」

「考えていると電車の中でも無音になりますからね」

「そんな時は時間も早く過ぎるのを知っているかね」

「あ、もうこんな時間だ、というやつですね」

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「そう。時間には三種類あってね、手足の時間と腕時計の時間、それに脳みその時間だ」

「意味が分かりませんね」

「ついでに教えておくが、考えることについても、手足で考える、脳みそで考える、額の前あ

たりで考える、の三通りがある」

「何ですかそれは。ちっとも教えたことになってないですよ」

「興味があれば説明してあげてもいいがね」

「いえ、こわいからやめときますよ」

今夜はほかに客が来そうになく、店を早く閉めたいかも知れないと勝手に思って席を立っ

た。Skeeter D

avis

のThe E

nd of the World

が心地よく耳に流れ込んできた。音楽は時とし

て、私を諌めたり鼓舞したりする。でもなぐさめてくれる場合がいちばん多い。

ハンデの話に私はとらわれた。浴槽に浸かりながら考え、布団の中でも考えた。

与え合う夫婦がうまくいくなら、「私を幸せにしてくれそうだから」と結婚した人はおも

わしくない結末を迎えやすく、「この人を幸せにしたいから」と願って結婚した人のうまくい

く割合は高くなる。そうすると大半の夫婦はいずれ行き詰まるが、離婚率がそこまで高く

ないのは、世間体を気にしての我慢や、子育てで奪い合いを休止中などの理由があり、「相

手がしあわせになってしまうのを阻止するために離婚しない」という夫婦もいるだろう。

奪うのも与えるのも各人の世界観から生じる正しき行ないだから、奪い合う夫婦の子供

は奪う人間に育ちやすい。あらゆる機会に奪い取る方法を教えられるからである。中には

自分の子供から奪う親もいて、彼らはいずれ奪う目的で子供を太らせる。

一方が奪い、他方が与える夫婦の子供は、一方の親からは奪われ、他方の親からは与え

られるから、将来どちらに針が振れるかは受け継いだDNAや生活環境に拠るだろう。時

と場合によってどちらかの顔が都合よく現われるかもしれない。

与え合う夫婦の子供は奪う手法が身につかず、ことあるごとに与えることを教わるので、

与える人として世に出ることになる。

奪う人が与える人にどう説こうと、与える人が奪う人をいくら諭そうと、互いの世界観

が変わることはない。奪う人にとって与える人の言葉は、自分から奪うための巧みな口上

あるいは自虐的妄言にしか聞こえないし、与える人にすれば奪う人の助言は、早晩立ち行

かなくなる予告、破滅のすすめでしかない。

奪う人は「他人の繁栄は我が衰退」と信じ込んでいるために、独占欲や執着心、妬(ねた)

み心が強く、言葉に出来るすべてを奪おうとする。友も名声も知識も奪って平気な顔をす

る。与える人は、放っておいてもどこかで誰かから与えられるはずだと思っているから執着

心が淡白だ。

奪う人は、奪ったもので自分を装飾するから、奪う人の方が豊かに、優れて見える。与え

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る人は飾るものに欠けるため、どことなく貧しく、弱々しく映る。それでこの世は奪う人の

方が正しい道を歩んでいるかのように思われてしまうが、だからといって与える人が与える

のをやめて奪う道に転じることはない。「奪っていては自分が成り立たない」という世界観に

満ちているからである。奪う人にしても「与えていたら先細りになって生きていけない」とい

う強固な世界観の中で暮らしているので、奪うことをやめられない。だから、世界観が同じ

「奪い合う夫婦」よりも、「一方が奪い、他方が与える夫婦」の方が壊れやすい。いずれどこ

かで世界観の同じ異性に出会い、ごく自然にそちらに乗り換えることになる。その時よう

やく晴れ晴れとした気持ちで、新たなパートナーとともに再出発するだろう。

かつての知り合いに、奪い合う結末として離婚せざるを得なくなり、再婚した相手とも再

び奪い合う羽目に陥った夫婦がいる。彼らは、最初の配偶者からこうむった痛手から学んで、

次こそ上手に奪おうとした。それが本心だった。彼らは前より注意深く、たまには与える

真似もしながら、自分がいかに立派であるかを相手の耳に吹き込んだ。「自分の方が何かに

つけて優れていると相手に思い込ませること」。それが両者に共通した特徴だった。優位な

方が奪う側に回れるからである。

その夫婦は外では町一番の上品さを気取りつつ、内では口げんかが絶えなかったし、陰で

相手の親兄弟を罵ることも頻繁におこなって「優位座席」を奪い合った。だから二人の心は

すぐに離れ、またも、再婚相手は自分が幸せになるのをじゃまする敵になった。彼らが今ど

うしているかは知らない。私に向ける彼らの顔はそれぞれ笑っていたが、二人が一緒にいる

時にはどちらも笑顔が消えた。目も合わさず、言葉もほとんど交わさなかった。おそらく

それが本当の姿なのだ。私への笑い顔は何か魂胆があってのことだったろう。

私の思考は漏斗(ろうと)のように深く狭くなって行き、眠りと覚醒の狭間でさまよいな

がら、やがて混濁する中で、ずいぶん奇妙な夢を見た。

大きな箱庭の中央部あたりに、ピーナッツくらいの人間が無数にうごめいていた。左右の

端に高い山があり、どちらの山頂にも首都の置かれた、二つの小国の箱庭だった。

国の名前は判然としなかったが、一方が「奪う国」、もう一方は「与える国」で、箱庭の真

ん中に国境があり、そのあたりに平野部が広がっているため人口が最も密集していた。しか

し国境には明確な線引きがなく、両国民が頻繁に行き交うので、奪う人が与える人を演

じたり、与える人が奪う人になったりもしていた。国境から首都に登る山道は細くて険しい

ため、国境付近の人が首都に詣でることは滅多になかった。

両国は対峙していたが、あからさまな対立はしておらず、「与える国」の首都から平野部

に向かって、生暖かくて湿ったきらきら光る霧のようなものが振り撒かれていた。「奪う国」

の首都はその霧を吸い寄せるのに躍起になっていたが、そのことに国境付近の人々はまった

く気がつかず、ささやかに与え、あるいはわずかに奪うことに精一杯だった。そんな光景を

私はほんの少しの興味を持って眺め下ろしていた。

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山頂の首都に目を凝らすと、奪う国の牙城に暮らす人々は、持物や嗜好品、あるいは趣

味や知識に贅や一流を求め、粋を極めているかのように振舞っていたが、自分の粋を他者

に示そうとしてために、逆に野暮ったかった。野暮を飾るといっそう野暮になった。

与える国の首都にいる人たちを見ると、表情から悲痛なまでの自己犠牲が感じられた。

彼らは何をさて置いても施すことを尊んだが、内実は青息吐息で、それでも与えることを

やめられなかった。よろこびに罪悪感があり、所有がわずかに膨らむことさえ恐れ、押しな

べてとても質素であり、なかには自分の存在を恥じる人も見受けられるほどだった。

そんな二つの山の裾野に、程度を弱めつつ、あたかも城の周辺に武家屋敷があり、その周

囲を商工人の家が取り巻き、さらにその外側に勤め人や農漁民の棲家が散らばっているか

のごとく、奪う人と与える人がそれぞれの力を弱めながら広がり、真ん中の平野部で互い

に入り混じっているような風景になっていた。

群集の中に一組の若いカップルがいた。小さすぎて顔はよくわからなかったが、ほがらかに

手をつなぎ、奪う国の遊技場であるパチンコ屋に出入りし、与える国の道場である福祉施設

でボランティアに汗を流すこともしていた。彼らは善良そうな人々に囲まれ、たまには陰り

のある人たちとも共にいた。二人は再び群衆の中に消え、次に見つけた時には二人の女の

子の手を引いていた。そして山頂を指差して、あそこに行きたいのかい?

と娘に聞いている

ような仕草をした。でも返答がなかったので、首都を目差したいのは親の方であるかもしれ

なかった。この小さな家族はまた雑踏に消えていこうとして私に背を向け、そのとき男親が

振り返って、自分たち親子を上空から誰かに注視されているのを感づいたかのような表情

で顔を上に向け、私の方を見た。しかし彼には何も見えなかった。彼は上空に何も見つけら

れなかった。そんな彼と、素朴な彼の家族の姿に、私は涙をこぼした。その涙は箱庭の上に

落ち、落下の途中で散って細かな雨になった。やがてコバルトグリーンの雲が箱庭を覆い始め

た。その雲は親子の姿をかすれさせ、群衆も国境も両国の山々も見えなくしたあと、私の

視界全体に広がり、そこで夢は終わった。

男女が元気に入ってきた。馴染み客のようだが私には初顔で、ここに来る前にどこかで飲

んできたらしく、男はテンションが上がり、女の方は艶っぽい声を出していた。

BAR納屋の馴染み客には大まかに二種類ある。一つはこの二人のように、懇意な店でも

客としての一線を崩さないタイプ、もう一つは馴れ馴れしい客である。双方の違いは体勢に

現われる。客らしく振舞う客は姿勢がどことなく硬く、馴れ馴れしい客は少し前かがみに

なる。カウンターが体を預ける場所か障害物かといったような違いがそれぞれにある。いつ

までも他人行儀な客に対して甲斐さんは客扱いし、馴れ馴れしい態度の客にはくだけた態

度をとった。

最近おもしろい酒はあるかと男がたずね、甲斐さんがジンのボトルを出して、「フィリピン

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は南国だから麦も完熟するのかね」と冗談を添えてグラスに注ぎ、それをぐいっと飲んだ男

は、なるほど甘みが強いねと物知り顔で答えてボトルを手に取り、「ふーん、ギルビーか」と

つぶやいた。女は赤ワインを男にせがんだ。あいにくうちはボトルしか出さなくてねと甲斐

さんが男の方に目をやり、あまり高いのはパスですよと念を押されたのを確認して、カウン

ターにノランテとヴィノ・シティを置いた。

「ここで飲まずに持って帰ってもいいよ」。それを聞いた女は甘えるような表情で男を見た。

しかし男は「ちょっとポピュラーすぎるなあ」と言い、三本目に出されたミシオネスに目をと

めた。ラベルのデザインが白い十字架で、「ミシオネスはチリの言葉でミッション、教会の教区

だろうね」との甲斐さんの解説が効いたようだった。酒を高く売る物語に男は乗せられた。

ワインの注文をきらうバーは多い。仕入れが安くない上に、ずいぶん時間をかけて飲むか

らである。それなら店の値段で持ち帰らせた方がいいと甲斐さんは考えたのだろう。

女がワインを抱えて早くも帰るそぶりを見せたので、男は苦笑いして勘定を払った。

麻生スーパーの袋に入れたワインを手に下げて二人はドアの向こうの闇の中に消え、Ella

Fitzgerald

のSumm

er time

がその後を追った。この闇のどこかに彼らの明かりが点る居場所

があるのだ。私もそろそろ帰ろうと思った。彼らと同じ暗闇に消え、ルクスの明るさはあって

も明日の灯らない一室に。

「あんたにあんな女はおらんのか。先はまだ長いから不便だろう」。甲斐さんが私を見た。

「いませんねえ。今はずっと独り身ですよ」

「女はもう懲りたってわけか」

「そうかもしれませんね。女というものは、結婚するまでは誰もが天使だけど、結婚した

らみんな強(したた)かになる。それが分かってしまうとね」

「女から見た男も同じだよ。若い男は若い女が好き、年取っても若い女が好き、ってね」

「たしかに」。私は笑い、「所詮男と女は水と油ですよ。子供を乳化剤として交わり合って

も、いずれまた水と油に戻るんです」と続けた。「水と油でもくっついてはいられますけどね、

波風が立たないように息を殺して」。そこまで極端には思っていないが、ここはバーである。ち

ょっと気取ってみた。

「それを言うんだったら、キミの乗っている車は水と油で走るんじゃないのかね」

会話が途切れ、ずっと昔に聞いた音楽がゆるやかに流れてきた。その曲は私の最も深い場

所に到達し、深部の一箇所を選んで軽やかに揺り動かしはじめた。

「この曲は何だったろう。すごく好きだった記憶があるんだけど」

甲斐さんはCDケースの裏を見て、「曲名はウィートランド、演奏はオスカーピーターソン

トリオで1964年に収録」と教えてくれた。

そうだった。これは十代半ばに繰り返し聞いた曲だ。やさしく洗練された調べは崇高なほ

どにモダンで美しく、私は幾度となく目を閉じて異国の香りを嗅いだ。広い世界をこれほど

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感じさせてくれる音楽はほかに見当たらず、私にとって外国に思いを馳せる基点とでも言

えるもので、W

heat

が小麦であることもそのとき知った。

私の耳は若々しい耳に戻った。体も心も一足飛びに当時に戻った。私はよみがえった若い

耳と体とうぶな心で、この美しい曲を懐かしみながら堪能しようとした。でもそうはいかな

かった。やせ細って単調で、緻密ではなく隙間だらけだった。音色も光沢も褪せて、古式の

記念碑でしかなかった。音楽の遺物、小さな通過点でしかないこの曲に、若い私は感銘と感

化を受けていたのだ。むろん今でも素晴らしいと思う人もいるだろう。夜と静けさと大人。

若干の古臭さを差し引けばいまだに美しくて素敵な名曲の一つに違いない。でも今の私の耳

はフレッシュとは程遠かった。体も若々しくはよろこべなかった。心も初心とは言い難かった。

私は歳を取ったことを知った。かつて浸った曲がはるか遠くにあった。過ぎ去った年月の向

こうにあった。しかし体は歳を取っても、心と耳が成長したことを、W

heat Land

が教えてく

れた。もっと豊かで、芳醇で、骨太で、心躍らせる曲をふんだんに知っていた。私の心と耳は、

あのころよりもずいぶん広く、とても深く、まったく別の場所まで来ていた。

体は老いても心は成長するという確信が心に灯った。私はそのことを甲斐さんに伝えよ

うとした。でもそれは次の一言で立ち消えた。

「ニューヨークジャズってのは、あれだな」。CDジャケットを見つめて甲斐さんが言った。

「ちょっと気取りすぎているね。まあ、ブルースみたいにブルーじゃない分、不真面目に聞け

るから気分が楽だが」

第二章

朝の六時。目覚まし時計がうるさく鳴る。止めてからまた鳴り始めるまでのあいだ、目を

閉じたままいろんなことを考える。

今朝は犠牲と献身について考えた。

二人の人間がいて、両者共に、左にある物を右に移す作業をしている。その作業について、

一人は自分を犠牲者だと思い、他方は献身していると思っている。評価が違えば、同じ事実、

同じ作業が違った意味を持つ。一人は社会の犠牲になり、家族の犠牲にもなり、何かを失っ

ている。他方は社会に貢献し、家族にも貢献し、何かを得ている。犠牲者と貢献者が同じ

場所で同じ作業をしているのである。犠牲者には犠牲者が集まり、貢献者にも貢献者が集

まる。それによって両者は、自分の評価にいっそう確信を持つことになる。

昨日の朝は好人物と賢明な人について考えた。好人物は周囲に喜びをもたらすから、そ

れによって周囲が助けてくれる。賢明な人は自らを助けられる。では、好人物でも賢明でも

ない人はどうやって助かるのだろう。そのまた前の朝は、同じような曖昧な時間の流れの中

で、「浅く広く」と「深くせまく」について考えた。本当のところ、浅く広くはありえない。浅

い人はせまいのだ。深い人こそ広いのである。夢うつつの中でこんなことをよく考える。

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今日は草刈りの仕事を友人から請けている。顔を洗ってバターロールを三つ、冷えた牛乳

で流し込む。作業用のジーパンを履き、薄手の長袖シャツを着て帽子を被る。首にタオルを

巻いて運動靴を履き、下駄箱の横に立てかけてある草刈機と燃料の入った容器を手にして

玄関を出る。作業場所まで車で二十分。空き地にびっしり生えた人の背丈ほどのセイタカ

アワダチソウをきれいに刈るのである。土地の所有者に近所の住人から、蛇が出たから何

とかしてほしいと苦情があった。それが不動産屋を営む友人に相談され、こっちに仕事が回

ってきた。

車から朝焼けを見上げ、雨は降りそうにないと思いながら、どうせ今日も汗だくになる

だろうと、早くもうんざりする。後部座席には現場で履き替えるゴムの長靴、助手席には

軍手が常備してある。軽自動車は狭いから草刈機のアームが後ろから運転席まで伸びて、

円盤状の刃が耳のあたりに来る。しかし保護バンドが巻いてあるから安全だ。

現場に到着し、作業の準備に取りかかる。まずはゴム長靴に履き替えて現場の観察。これ

は草刈機の刃を傷めないために必要で、空き缶類がどれくらい投げ入れられているか、大

小の石がどこにどれほどあるか、隣接地との境がブロックで仕切られている時は鉄筋が出て

いるかどうかを確認しながら、同時に作業の手順も考える。今日はかなり厄介で、一日で

は終わりそうにない。まず腰の高さまで刈り、そのあと根元で刈り落とす「段刈り」の必要

がある。現場周辺の住民宅に出向いて、草刈作業を行なう旨を通知することは大事だ。住

民の声が届いたのを暗に知らせるためである。これを怠ると、草刈機がうるさくて子供を

寝かしつけられないとクレームがつけられることもある。私の訪問でどの家も安心した顔を

し、風通しも悪くなったとか、火事になる危険もあるからと不安材料を並べ立てられた。そ

れでも挨拶したために私は歓迎された。

作業を開始するのは午前七時半ごろから。通勤時間に合わせるのが頃合いとしてちょう

どいい。車の後部に草刈バサミと熊手と片刃の折りたたみ鋸(のこぎり)を並べて置き、草刈

機に混合燃料を入れてエンジンをかける。想像以上の大きな音を立てて振動する草刈機を

肩から下げ、手元のチョークでパワーを調整する。腰をやや落として足をほんの少し前後に

構え、自分を軸として体を左右に振りながら、まず膝くらいの高さまで、そのあと地面す

れすれに刈る。草は扇状に刈り倒され、私は二三歩前に歩を進める。それの繰り返しであ

る。耳をつんざくエンジン音、混合燃料の燃える臭い、草の茂みから上がるムッとした青い匂

い、逃げ回る虫やトカゲ、時おり回転刃に小石が触れて金属音を鳴らす。何分か経つと刃

に大量の草が絡まって回転が止まる。つる草を巻き込んだり低木の枝に刃が食い込んでし

まったりすることもある。私はエンジンをアイドリング状態にして、絡まった草や蔓(つる)を

取り除き、またエンジンを全開にして刈り進む。

作業は手馴れているが、初めのころはとてもこうはいかなかった。草刈機を肩から吊り下

げただけでふらついた。エンジンを発動させて少し振り回してみると足元がおぼつかなくなっ

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た。そばで見ていた友人が笑った。頭では知っていたし理屈も分かっていた。手足もどうすれ

ば草刈りがはかどるかを了解していた。でもそれぞれがうまくつながっていなかった。つなげ

るには経験がまったく不足していた。手に負えるか負えないかは経験を重ねたのちに分かる

ことだった。私はその答えが出るまで経験を増やそうと努めた。そして草刈りの場合はうま

くいった。それによって、体験と経験の違いがよく分かった。体験とは、たとえば「地引き網

体験イベント」のように、珍しがって網を力任せに引いて、束の間漁師の気分に浸ることであ

る。しかしそれで漁業の何が分かるというのか。それが体験というものの正体だ。

エンジンが甲高く唸ってセイタカアワダチソウが刈り倒されていく。すぐに全身が熱(ほ)て

り、額に汗が浮かぶ。何度か水分を補給し、タバコを吸い、またひたすら、無心に草刈りを

続ける。まるで自動装置のように作業は行われて行くから脳みそに余裕が生じ、仕事は手

と足に任せて、中断されていた「ハンデの重さが同じ男女はうまくいく」についてまた考える。

こないだはどこまでいったんだっけ。ああ、盲目の男と歩けない女だった。でもあの例えは

生々しすぎる。もう少し論理的な表現はないだろうか。考えるでも感じるでもない思いに

満たされ、突如二つの歯車が浮かんだ。歯車の凹の部分がハンデだとすれば、こっちでも説

明がつきそうだ。

陽が高くなって汗が滴り落ち、草刈機を止めて日陰で休む。近くの自動販売機でコーラ

を買い、喉を鳴らして飲み干す。時刻は十時少し前。汗が引くまでもう少し休んで、午前

中の作業は十一時ごろに終わりにしよう。午後は二時過ぎから再開だ。この調子でいけば

明日の午後には刈った草の処分までできるだろう。請負だから一日で終えてしまうのが理

想だが、思い通りにはいかない。それでも毎日この仕事があれば月収はサラリーマンより多

くなる。草刈り作業が静まったためか、隣家の老婆からジュースの差し入れがあった。その隣

の家からは、うちの草刈りも頼めないだろうかと相談された。私を草刈り専門の業者だと

思っているようだ。人間というものは自分のやらないことのできる人物を専門家だと決め付

けたがる節がある。

腰を上げてまた仕事にとりかかる。エンジン音以外は何も聞こえない。夢中で作業してい

ると時間が止まっているような気分になる。思考が内面に向かい、意識が宇宙くらいに膨

張したり、逆にミクロサイズになって自分がとても小さくなったりする。やがて意識するこ

と自体が消え、空と地面の狭間で、静寂に包まれて、頭も心も手も足もどこかに行ってし

まい、あらゆるものから解放される。頭と心と手足がうまく連動している時は誰だってこう

なるはずだ。

家に帰ったのは夕方五時前だった。仕事をくれた友人に電話してあらかたの目処がついた

ことを報告し、民家があるから除草剤は撒かないことを依頼人に伝えてくれと付け加えた。

友人は了解して、あさって野立て看板周辺の草刈りをしてくれと言った。来週は引越しの手

伝いが一つあるという。空白のカレンダーにそれが書き込まれる。

温(ぬる)めの風呂にゆっくりと浸かって歯車を思い浮かべ、ハンデについてまた考える。

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相手とうまく組み合わさるにはハンデを隠さないことだ。そうでなければ相手も嚙み合い

ようがない。凹がハンデで、凸が相手の出番。歯車の理屈から言えばハンデが相手の出番を

作ることになる。でも人はハンデを隠したがる。そうすると相手の出番を損なうことになる。

そのことにも考えをめぐらす。ハンデは隠せても消せはしない。結局隠し通せないのだ。しか

し似たことは誰にもある。賢そうに振る舞ったために賢くないことが余計に知られてしま

う。賢くないままにしておけば、いずれ賢い人が助けてくれたかもしれないのに、そのチャン

スを逃し、誰が賢いのかも知ることができない。しかしハンデを武器に出番を強要すること

だってありそうだ。そうなると組み合わさることがすべていいわけでもない。

電話が鳴った。甲斐さんだった。今夜は店に来るかと聞かれ、行くつもりだと答えた。

「そのとき頼んでもよかったんだが、明日の朝、秦商店につれて行ってくれんかね」

秦商店は潤野という地区にある八百屋で、仕入れた野菜を段ボール箱に入れたまま道

路にまで広げて並べ、ほとんど叩き売りのように販売している。値段は驚くほど安く、

小柄な店主が競り市のような甲高い声で、今日の仕入れは高かったとか安かったとか、買っ

ておいた方がいいとかそうでもないとか、声を張り上げて教えてくれる。試食と称してミカ

ンや八朔の皮を剥いて配ることもある。客は近所の主婦のほかに飲食店を営む人たちも多

く、たまに東南アジアの女性も顔を見せる。店が開く前から数人が待っているのが常で、い

わば朝市の風情がここにはあり、めぼしい野菜は午前中にほとんど売れてしまう。秦商店の

向かいは広い児童公園で、金網のフェンスに沿うようにして桜の木が何本もあり、春には花

びらが店の前の道に雪のように舞い落ちる。桜の根元に目をやると野菜の屑がまとめて捨

ててあり、その周辺から何かの野菜らしき芽がいくつも出ている。

甲斐さんと秦商店との付き合いは古く、昔は自転車で頻繁に買いに行っていたというが、

足腰が弱ってそれが億劫になった。私がBAR納屋を知ったことで、以降たびたび車で秦商

店に連れて行く役目になった。

「あす何時に行くかはそっちに行って決めましょう」

電話を切って普段着に着替え、先の尖がった革靴を履いて家を出た。暗い中を歩きながら、

今夜は何を飲もうかと考える。明日の草刈り開始は時間を少し延ばすことにした。

ほんのり石鹸の匂いがした。朝七時半ごろ納屋に行くと甲斐さんは外で待っていて、すぐ

に車に乗り込んできた。いつもすまんね、いいえ構いませんよ、あそこは安いからな、大雑把

な売り方ですけどね。いつもと同じ挨拶を交わして車を発進させる。秦商店までおよそ十

分、甲斐さんは助手席に沈み込むように座り、小声で鼻歌を歌い始める。

「それ、何の歌です?」

「渡辺はま子の、ああモンテンルパの夜は更けてだ」

Page 24: Bar納屋界隈ver 3

「古そうな歌ですね」

「フィリピンの刑務所で日本兵が作ったんだよ」

「甲斐さんは歌が好きなんですか」

「嫌いじゃないね。特に鼻歌は」

「カラオケとか行くんです?」

「あれはスポーツだからな」

「スポーツですか」

「競ったり汗をかいたり、弾けたいんだろう。それのどこが音楽だ」

「そんな人は多いですよ」

「鼻歌の一つも出ないくせにカラオケならがんばれるというのはどうなんだろうな」

「それを言われると身も蓋もないですね」

「カラオケというのは場所のことじゃない。鼻歌は世界一小さなカラオケボックスだよ」

「なるほど。自由に持ち歩けますね」

「そうそう。いつでもどこでも取り出せる。でもそれをやりもしないんだから笑わせるよ」

車は細い道に入り、民家の間を縫うように走って秦商店に到着した。葉を茂らせた桜の

枝が公園から秦商店の屋根近くまでせり出して、木漏れ日がアスファルト道路に斑点模様

を落としていた。店はすでに開いており、何人かの女性がダンボール箱に入った野菜や果物

を覗き込んでいた。

「久しぶりやね、元気ばしとったと?」。店主が声をかけてきた。「たまには飲みに行きた

かばってん、酒ばいっちょん飲みきらんけんね」。そう言ったあと上体をぐるりと回しながら

大声で、「きょうはどれも安いし味もいいよお」と叫んだ。甲斐さんはキャベツやジャガイモや

人参や玉葱など保存の効く野菜を買った。「ジューシー一つ食べてみんね」。蜜柑よりも一回

り大きい果物の皮を店主は手早く剥いて差し出した。酸っぱそうだなと思って口に入れる

と、ずいぶん甘くてさっぱりしている。店主の言った「ジューシー」はみずみずしいという意味

ではなく、どうやらその果物の名前らしかった。七つか八つ盛ってある笊の上に、「ジューシ」

と書かれたダンボール紙が乗っていた。甲斐さんはそれも買い求め、二つ私にくれた。

甲斐さんを納屋まで送ったあと二日目の草刈りの作業に取りかかった。きのう刈られた

大量のセイタカアワダチソウは乾燥して幾分小さく、軽くなっていた。私は両腕で抱えて数

箇所に山積みし、手ごろな長さに折って市指定のゴミ袋に詰め込んだ。足も使って押し込ん

だ。投げ捨てられていた空き缶やプラスチックごみの類は別に分けた。袋はいくつにもなった。

刈っては集め、袋に入れる。それの繰り返しである。ジューシを食べながら、タバコも吸い、汗

をタオルで拭きつつ、今日は鼻歌を歌った。昼の休憩を二時間ほど取ってうどん屋に行った。

午後の作業も順調にすすみ、様子を見に来た土地の所有者を安心させた。この所有者は

平山という女性で、近所に焼肉店をいくつかと、イタリア料理の店を一軒持っている。草刈

Page 25: Bar納屋界隈ver 3

りの仕事をくれた友人からそう聞いた。

作業が終わりに近づき、草刈機では刈れない隣地との境は草刈バサミでていねいに刈った。

これをやると作業全体の見栄えがよくなる。最後に熊手箒を使って刈り跡を均(なら)した。

そのあと車の助手席も倒してゴミ袋を入るだけ入れたが、三回分はありそうだった。車内

に青い臭いが充満し、窮屈な思いをしながら車をのろのろ走らせて枯れ草を捨てる場所を

探した。しばらくすると住宅街の一角にブロック塀で囲まれたごみ収集場があった。広い割

にはゴミ袋がほとんどなかったので、そこに車を横付けした。ところが折悪しく、近所の住人

らしき中年の男がそこに来合わせて、よそのゴミをここに捨ててはいけないと強い口調で言っ

た。そんなことは分かっているが、なにも悪行を働こうとしているのではないし、お互い初対

面なんだから言い方があるだろう。たとえば笑いながら諭すとか、二つ三つくらいなら許す

とか、見て見ぬ振りをするとかである。しかし小太りの男は全身に怒りをみなぎらせている。

どんなに小さな非も最大限に責めるつもりのようだ。私は彼の抗議をあしらうように謝罪

して車を発進させた。そしてちらりとサイドミラーを見ると、男はごみ収集場のそばに仁

王立ちし、「俺の目はごまかせないぞ。この場所はあきらめるんだな」といったような威圧を

送ってきていた。

草刈りの現場に戻った私は昨日ジュースを差し入れてくれた老婆に、この膨大な数のゴミ

袋をどう処分すればいいかと相談した。老婆は、「市指定のゴミ袋に入れてあるから、道の

そばに積んどけばそのうち収集車が持って行くさ」と言った。最初からそうすりゃよかった。

私は頭を何度も下げてお礼を言い、老婆が洗濯物を干す際にじゃまになるイチジクの枝を

何本か切ってあげた。

近くで見たらずいぶん大きな工場だった。株式会社ヤマダ送風機。つけの支払いを何度催

促しても取りあってくれないと、スナック酔って恋のママが納屋で愚痴をこぼし、それで私が

請求書を社長に届ける羽目になった。そんなスナックは知りもしないが、渡すだけでいいとい

うから引き受けた。

正門を入るとスレート葺きの高い建屋があった。中は薄暗く、右にH型やアングル、平型鋼

材の置き場があり、その横のブレーキプレスで工員が鉄板を折り曲げていた。グラインダー

の火花が散り、溶接の閃光もまばゆい。その奥には風洞実験用の巨大なダクトがあり、そ

ばに銘板を貼り終えて出荷間近と思われるターボファンや軸流ファンが数台並んでいた。

少し離れた場所に製作途中のシロッコファンが横倒しの状態で置いてあった。頭上には南北を

横切るようにホイストクレーンが二基あり、女性の作業員が一基を作動させて丸鋼の束を

移動させていた。そういった鉄工場特有の暗さと強い光と金属音、機械油と鉄粉の匂いの

中を私は足元に注意しながら歩き、図面を持って足早に歩いている作業員を呼び止めた。

「社長いる?

ちょっと会いたいんだけど」

Page 26: Bar納屋界隈ver 3

作業員はいぶかしげに私を見て、建屋の横に事務所があるからと言った。私はいったん外

に出て、建屋の外壁にくっつくようにある狭い鉄階段を上がった。

二階の事務所に太った男が一人いた。電話で、いま社長はいません、どこにいるかも分かり

ませんとため息混じりに話している。そして私に目だけ向け、片手でちょっと待ってくれと

制止した。事務所の窓から市営のごみ焼却場と廃熱利用の温水プールが見えていた。ここ

らは工業団地のためほとんど民家がない。男は電話を終え、どちらさん?

と訊いた。これ

を社長に渡したいんだが、と答えて請求書と売り上げ伝票のコピーを見せると、男は「これ

なら」と言ったあと、社長は現場にいると言った。それでまた階段を下りたが、事務所を出

る時また電話が鳴って、「だから社長はまだ帰ってきていませんって」と答える声が聞こえた。

工場内に戻った私は先ほどの図面を抱えた作業員が定盤の上で墨を打っているのを見つけ、

事務所で聞いたが社長はどこにいる?とたずねると、困った顔で束の間黙ったあと、あっち

で溶接していると顎(あご)で示した。

社長は地べたにしゃがみこんで溶接棒を焚いていた。背後から声をかけると、手に持った

防護面からわずかに顔をこちらに向け、再び戻して溶接を続けた。再度呼んでも返事をし

なかったが、じきに溶接棒を使い果たしてしまったため億劫そうに立ち上がり、近くにいた

若い作業員に大声で溶接棒を持って来いと命じたあと、ようやく、あんたは誰だと聞いた。

年齢は六十を過ぎていた。私よりも背が高く、百八十センチくらいはありそうだった。

「これを預かって来たんだけど」。ぶっきらぼうに請求書を渡すと、ちらりとそれを見て、

そんな金はない、あれば払うよとつっけんどんに言い、店の者かと聞くので、ただの客だと答

え、あんたに渡すように頼まれただけだと付け加えた。

集金じゃないのか。彼はそう言いながら溶接棒を溶接ホルダーに挿み、抵抗器のハンドル

をぐるぐるっと回して電流を上げ、このまま払わなかったらママはどうするかなと言った。

「それは知らないが、客の次は客じゃない者が来るんじゃないか」

「ママがそう言ったのか」。男が睨んだ。

「いや。でも俺だったらそうするよ」

「そういうものかな」

「たぶんね。銭金の問題じゃなくなっていると思うから」

「あんた詳しいな。そっちの筋の者か」

「だから普通の客だって。今日は仕事が休みなんだよ」

「向こうが強気に出るならこっちは警察を呼ぶだけさ」

「そちらの好きにすりゃいいが、ママから相談された時点で店の顧問ということになる。来

るとすればそういった連中だ。商行為に警察は介入しないよ」

「これっぽっちの金額じゃ割が合わんだろう」

「お好み焼きのつけを払わずに印刷会社を取られた社長がいる。今それを思い出してる。

この町の話じゃないけど」

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「嘘だろ。そんなことあるわけない」

「顧問料はお好み焼き屋持ちじゃないんだ。解決金も別途いる。そこにやつらは目をつけ

る。あんたがどこまで踏ん張れるかで結果は変わるがね」

「そういうのもありか」

「俺は今日しか来ないし明日には忘れているが、そいつらはどこにでも行くよ。顧問になれ

ば当事者だから」

社長は沈黙し、事務所で金をもらってくれと言った。私は再び二階に上がり、先ほど応対

した男に請求書と伝票を渡して、社長から了解を取り付けたと話すと、彼は無表情で引

き出しから封筒を取り出して中身をひいふうみいと数え、端数はまけてくれと言った。

門の前に横付けしていた車のところで後ろから呼び止められた。振り向くと防毒マスクで

鼻と口を覆った作業員が立っていた。帽子も深く被っている。グレーの作業服は塗料で汚れ、

安全靴にも色が付着していた。彼はマスクの中でモゴモゴ何か言ったあと、帽子とマスクを脱

いだ。イシちゃんだった。口の周りにマスクの跡が赤く着いていた。

「なんだ、ここで働いていたのか」

「お久しぶりっすね」

「あの送風機はイシちゃんが塗装したのか?」

「いや、俺は下地の錆び止めとかスパッタ落としです。完成塗装は職人さんの仕事っすね」

「だからそんなに汚れてるんだな」

「ところでオレの会社、どうかしたんですか」。汚れた軍手を尻ポケットに突っ込みながら

イシちゃんは聞いた。「朝からいろんな人が事務所に来てるんすけどね。社長は居ないこと

になってるし」。

「甲斐さんに言われて飲み屋の請求書を持ってきただけだよ」

「そうなんすか。なんか、オレの会社、あぶないんじゃないすかね」。彼なりに深刻そうだっ

た。株主じゃあるまいし、オレの会社ではなく、オレの働いている会社と言うべきだ。

「なんで?」

「いつも事務所に座っている社長が現場にいるし、こないだは専務の車がガス欠で立ち往生

して、社員が自分の車で迎えに行ったっす」

そこに工場から大柄な男が走り出てきた。手にした清涼飲料の缶を一気にあおって地べ

たにしゃがみ、側溝の中に嘔吐した。そしてすばやく立ち上がり、私に獰猛な一瞥を送った

あと小走りで工場の中に消えていった。

「今のは何だ?」

「班長の西さん。いつも追い詰められている感じっすね」。イシちゃんは私の興味に気がつい

て、その班長は気が荒く、ほかの工員を突き倒したことが最近あったと言った。

「俺にもハンマーが飛んできたっす」。イシちゃんは悲痛な顔をした。西班長はジャイアンと

陰で呼ばれてあざけられ、工場長や社長の前では周囲の工員に敬語を使うのでカメレオン、

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あるいはハチ公とも呼ばれているらしい。なるほど、ニシがハチか。ほかにも、朝の六時には出

社して、始業時間まで作業長に取り入っているとか、作業長が会社に来ない日は定時を待

たずにこっそり帰宅することもよくあるとイシちゃんは言った。一人息子が二度目の傷害

事件を起こして服役中だという。この工場には設計室、営業部、電気班、加工班、組立班、

塗装班があり、西班長の受け持つ加工班の工員がよく辞めるのは、班の朝礼で毎日誰かが

吊し上げられるからだそうである。

「あんなやつがいるような会社がうまくいくわけはないっすよね」。そう言って途方に暮れ

た顔をした。

「イシちゃんは社長の身内か何か?」

「いえ、他人すけどね」

「だったら何も心配することはないよ」

「ホントっすか」

「ああ。たとえ何かが起こっても、リスクは向こう持ちだ」

「なんすか、それ」

それ以上イシちゃんを相手にせず、簡単な挨拶を残して車を発進させた。

夜を待って納屋に行き、集金してきた金を甲斐さんに渡したら手間賃として二割くれた。

草刈り作業の数日分に匹敵する額だ。酔って恋のママは半分でも取れたら満足らしい。でも

残りの三割を甲斐さんは取らず、イシちゃんがいたことについても関心を示さなかった。

その夜遅く、タクシーを外に待たせて酔って恋のママが来た。ゆで卵のような体形で、黄色

のドレスがちっとも似合わず、目に生気がなくて顔が浮腫(むく)んでいた。ふと、ヤマダ送風

機の社長と事務所の男は、この女と私が特別な仲ではないかと勘ぐったかもしれないと考え

てゾクッとしたが、そんな気持ちも知らずに彼女は私に何度も礼を言い、あの会社はあぶ

ないらしいわよと勝ち誇ったように言った。納入先が倒産して煽りをくったらしい。彼女が

ヤマダ送風機の悪口をひとしきりしゃべるのを甲斐さんと私は黙って聞いた。

十一

数日後には納屋の代理で自治会総会に出た。「店は閉められんし、かといってこの町内に

も客がいるから不義理はできんしなあ」と甲斐さんは弁解めいた。住民の同意を必要とす

る議題があり、代理でもいいから出席してほしいと回覧板が回って来たそうだ。

公民館は元宮バス停そばの目立たない場所にあった。入口の掲示物によれば昼間は塾や

習い事教室として使われているようだった。総会の看板は出ていないが、土間口にたくさん

の履物が脱いであった。私は満杯の下駄箱の上に靴を置き、公民館のスリッパを履いて会場

の大広間に入った。すでに三十人くらいがパイプ椅子に座って配布資料に目を落としており、

私も後ろの方に腰掛けて手渡された資料に目を通すふりをした。出席者の多くは女性だっ

た。会計係らしい男性が決算と予算の報告をしているところで、全員の拍手で承認された。

Page 29: Bar納屋界隈ver 3

会場正面の長テーブルに自治会役員と思われる男性が五人並び、そのうち二人は納屋で

見かけたことがあって、私に目で会釈した。

「それでは今日の主な議題を自治会長から説明していただきます」。進行係がそう言い、

恰幅のある初老の男性が前に進み出た。早口で自己紹介したため名前が聞き取れなかった

が、ほかの出席者は知っているのだろう。彼は続けて、この地方に古くから残っている獅子舞

が町内にもあり、それの存続のために全戸から会費を徴収したいと提案した。この議題を

出席者はあらかじめ知っていたのか、誰もが無言でうつむいていた。

「どなたかご異議ございませんか」。進行担当者が呼びかけた。すると若い女性が挙手を

して立ち上がり、自分の家族はこの町に来て日が浅く、いきなり獅子舞のためにお金を出

せと言われても困るとの旨を述べた。それについて会長は、郷に入りては郷に従えという言

葉もあるように、町の習わしに従うことで地域に早く溶け込めるのだと説明した。女性は

納得がいかないようだったが押し黙った。他の出席者は顔を上げないままである。私は議題

の取り扱いに違和感を覚えたので手を挙げ、納屋の代理だが発言しても良いかと確認した

あと、獅子舞は神事だろうから全戸が費用を負担するのはおかしいし、自由意志が尊重さ

れなければ習わしも形骸化するのではないかと質問した。

出席者の何人かが盗み見するようにこちらを見た。会長は目の焦点をぼんやりさせたあ

と、いきなり憤懣を露わにして「あんたらみたいな人がいるから、まとまる話もまとまらん」

と声を張り上げ、大股で役員席に戻って体を投げるように座った。そして皆に聞こえるよ

うに「たかがタバコ一箱くらいの金が決まらん」と吐き捨てた。

会場は静まり返って、つばを飲み込む音すら聞こえそうだった。もはや自治会総会ではな

くなって、どう収拾がつくかもわからなかった。すると最後部席にいた細身の男性が、自分

は公民館の担当職員ですがと断ったあと役員席に向かって、「こういったことは強制できない

ですよ」と口を挟んだ。すると会長は憮然とした顔で、「あんたがそう言うなら、たぶんそ

うだろう」と言った。私はあっけにとられた。こいつは自分の言っていることが分かっているの

か?

でも出席者の多くは胸を撫で下ろしたはずだ。彼らは金を払えと言われれば黙って

払い、払わないで済むなら払おうとしない。

気まずい雰囲気の中で総会は終了し、出席者は椅子の音を立てて帰り支度を始めた。何

人かが私に好意的な視線を送り、軽く頭を下げる人もいた。彼らはこうやって、今までも

これからも、自分の言いたいことを誰かに言わせるのである。だがそんなことはどうでもよ

く、私の脳裏には珠暖簾が何度も思い起こされて、それを熟考するのに夢中になっていた。

球形または管状の珠に糸を通して下げた珠暖簾の珠を個々の人間だとすれば、暖簾全

体を一つの組織に例えるのにそう無理はない。今日のような自治会や、国であってもいいわ

けだ。

つぶさに見れば珠だけが実体として存在するが、珠暖簾になることで初めて意味あるも

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のとして扱われる。「暖簾とは何か」と問われて、「珠という実体が集まっている虚体」だと答

える人は少ないだろう。人は秩序や機能、あるいは全体のイメージにだけ目を向けて、暖

簾こそ実体だと思うのである。だから珠にはまったく自由がなく、自分では何も決められ

ない。全部の珠を連ねる「横棒」が右に動けば右に、左に動けば左に、上下に動けば上下に、

やや送れて従うだけである。

大方の珠は横棒の存在に気が付かず、自分たちが動きを決める民意だと思っているが、

「自由のない珠の意思」が民意を形成するはずがない。だから真に自由な珠として暖簾の動

きに異を唱えたければ、秩序という名の糸を切って暖簾から脱落するしかない。そうやって

珠暖簾から離れ、ただの玉になって足元に落ちる。それは家人に拾われてゴミ箱に入るか、

再び珠暖簾の一番下に戻される。しかし前とは違った位置にあるために暖簾が違って見え

る。暖簾は以前のままだが、珠の価値観が変わる。脱落と最下位に戻した家人の手の意味

を珠は知る。その時初めて珠の意識は暖簾全体を斜断し、突き抜ける。

玄関で靴を履く順番を待っていると、背後から会長が私に声をかけ、右手を出して「さす

が甲斐さんは素晴らしい人を寄こしてくださった」と張りのある声で言い、強引に私の手を

握って「今度飯でも食いましょう」と、彼なりの弁解と私へのあざけり、そして余裕のあると

ころを自他に見せようとした。玄関にいる七八人が全身を耳にして私の反応を期待してい

るし、こちらの意志を明確に伝えておく必要もあったので、湿ってぶよぶよした彼の手を解

きながら、「今度と誘われて実行されたことは一度もなかったです」と返事した。会長の目

に私への憎しみと恐れ、あるいは失望と敗北の黒い炎が灯ってすぐに消えた。夜の帳はとう

に下りていたが、彼と私のボケと突っ込み、無料喜劇の緞帳も降りた。

総会の報告を甲斐さんは面白がり、「アレがそんなことを言ったか」と小ばかにした。

「アレは昔、農協の職員だった。若いころはよくうちに来て、人気者だったがお調子者でも

あった。参与にまでなったところで市会議員の選挙に担ぎ出され、農民の支持をバックに上

位当選したが、何を勘違いしたのか翌年の市長選に鞍替えし、三人の新人の中でダントツの

最下位だった。票が一桁違ったな。そこで次の市議選にまた出たが、農民のために何もしな

かったんだから相手にされない。それでまたもや悲惨な結果に終わったわけだ。家族を泣か

せ、他を笑わせただけ」

自治会長は獅子舞が奉納される熊野神社の総代でもあるらしく、ほかにも社会福祉協

議会とか地域のこまごました役員をほとんど引き受けており、「そういった世話好きがいる

のはありがたいが、アレは何をやるか分からないから監視が必要だ」と甲斐さんは言った。ど

うやら今夜の総会に私を出席させたのもそのためで、見事に役目を果たしたことになる。

甲斐さんは自治会長を「アレ」と呼んだので、名前は分からずじまいだった。

「選挙に出る出ないで家族と言い争いになっていたから、もっと慎重に考えろと助言してや

ったんだよ。ところがアレは、こっちが何か言うたびに『でもね』と言い返してきた。結果は話

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した通りさ」。それ以来二人は距離を保ってけん制しあっている間柄となったようだ。

十二

赤い自転車を停めて若い女性が来ていた。一人カウンターに着いて甲斐さんと話をしてい

る最中で、顔を回してこちらを見、ほんの少し微笑んだ。瞬間ではあったがその笑顔は息を

呑むほど美しく、ふくよかな赤い唇が強いアクセントになっていた。後ろ姿も理想的なまでに

整っており、どこか外国の血が混ざっているように見えた。甲斐さんが私に「九北新聞の記

者さんだよ」と紹介して彼女の名刺を見せた。苗字は黒江別府、名前は理恵とあった。この

町で広く読まれている県紙、西日本新聞としのぎを削っている新聞社である。

「読者から投書があって、ここを取材したいんだとさ。わしは断るつもりだが」。それを聞い

た彼女はまた私の方を向いて「いい提案だと思うんですけどねえ」と、大きな目から色香を

噴出させながら同意を求めた。私はドギマギして目を逸らし、それを気取られないように

冷蔵庫からウィスキーを出してマンハッタンを手早く作った。彼女はコーラを飲みながら、バ

ーテンさんですかと私についてたずね、うちは客が自分の酒を作るんですよと甲斐さんか

ら説明されて、そういえば投書にそんなことが書いてありましたねと答えた。私はいつもそ

うするようにスチールテーブルに着き、彼女の姿を横からちらちら盗み見たが、体のどこ

を触っても指先が弾き返されそうなほど肉感的で、それでいてそれを意識していない開放

感と油断を兼ね備えていた。理想的な曲線で、背筋をピンと伸ばし、特に目を引いたのは

胸の大きさで、ふくらみの底部をカウンターの上に乗せているのかと思うほどだった。長い

脚の伸ばし方も美しかった。

甲斐さんはいつになく軽い口調で、なぜ取材してほしくないかの理由を述べた。新聞に載

ると日ごろ来ない客が殺到し、そのことで付近の住民から路上駐車などの苦情が寄せられ、

客にしても店がごった返して待ち時間が長くなり、それがサービスの低下を招いて評判を

落とすそうである。彼女はふんふんとうなずいている。

「それよりもあんた、たまにこのカウンターに立ってみないかね。あんたがいれば男の客が

激増し、女の客は全滅だ」と持ち上げた。この手の話に彼女は飽いているようで、まったく興

味がないことを無関心な態度で示した。

「あんたに政治は無理だな。取材どころじゃなかったろう」。甲斐さんに同情された彼女

は、複数の議員からプライベートな誘いを受けたと答えた。社会部を希望して今の新聞社

に入社し、警察回りをこなしたあと県議会担当になったが、取材する側が逆に好奇の対象

となり、仕事にならなくてこの町の支局に配属され、地域の話題を拾って歩く仕事を与え

られたと言った。

「まあ気を楽にしてこれでも食べなさい」。甲斐さんは何日か前に秦商店で買ったジューシ

を一つ渡した。彼女は皮を難しそうに剝いたあと房(ふさ)を一つ口に放り込み、ちょっと

噛み砕いて、「これはおいしいですね」とうれしそうな顔をした。「皮は剥きにくいが実は柔

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らかくて甘いな」。甲斐さんが相槌を打った。

「あんたにすれば政治の世界が実の部分かも知れんが、わしら庶民は日ごろの生活が実で、

政治とか事件とかの方が皮のように感じるね。今の部署と望んだ仕事の、どっちが実でどっ

ちが皮かは思いようでどちらにもなるんじゃないか。記者の仕事はよく知らないが、どこに

配属されても甘い果実のように感じなけりゃ、勤まらないだろう」

それを聞いた彼女が何かを言おうとしたところに、イシちゃんが威勢よく現れた。さすが

バッドタイミングだ。

イシちゃんの目は黒江別府記者の後ろ姿に貼りついた。彼女が上体をよじって会釈すると

メドゥーサと目が合ったかのように石になった。イシちゃんが石ちゃんになって、立ったまま

失神しているようだった。口を縦に大きく開け、目も剝いて瞬き一つしなかった。私は人がこ

れほど驚いたのを見たことがなかった。その姿を甲斐さんも驚きの目で見ていたが、すぐに

また彼女と話し始めたのでイシちゃんも我に帰った。しかし明らかにうろたえて、カウンタ

ーの中で彼女と向き合う勇気はなさそうだったので、私は手招きして隣に座らせ、彼の代

わりにカルーアミルクを作ってやった。

イシちゃんは彼女の圧倒的な存在感とあふれんばかりの輝きによって、いつにも増して暗

く、いよいよ薄っぺらで、壁に投影された幻灯ほどの存在にさせられていた。グラスを手に取

ることも忘れて視線が彼女に釘付けだった。顎を少し引き、すくい上げるように見つめるそ

の目は血走り、暗黒世界の扉が開いているようだった。舐めるように黒江別府記者を眺め、

目が触手となってジャケットやブラウスや下着をすり抜け、彼女を丸裸にして観賞している

のがありありと分かった。それでいて視線が定まっていないのは、脳裏でどう猛な生き物が暴

れまわっている証拠だった。ふと見るとイシちゃんの喉仏がひくひく動いていた。唇も微妙に

振動している。何かの言葉が口からほとばしり出そうになっているにもかかわらず、その言

葉が見つからないためにそうなっているようだった。さすがに甲斐さんも彼の異変に気がつ

いたらしく、奥のピアノテーブルに彼女を誘い、彼女はすぐに応じた。こういった場面には慣

れているようだった。イシちゃんは自分を取り戻し、カウンターに立って棚の酒瓶を一本ずつ

拭き始めた。

黒江別府記者はコーラに少し口を付け、支局に回されて気持ちが楽になったと言った。

「田舎道はスピードを落とすくらいがいい。大きな道より風景が変わりやすいから」。こん

な表現は甲斐さんならではのもので、相手の頭の中に絵を描くように話すのが得意だった。

「たまにローカル線に乗ってみるのもいいね。都会にはない顔がいくつも見つかるよ」

「そういえばこの町からも出ていましたね」

「ああ、後藤寺線だ。あれは真冬がいいな。ディーゼルエンジンのヒーターがよく効いて車内

がぽかぽか暖かい。しかも単線だ」

「単線ですか。近いうちに乗って旅行記でも書くかな」

二人の会話は私とイシちゃんにも届いており、突然イシちゃんが、今まさに一番鳥がいな

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なくかのように顔を上に向けて喉を精一杯伸ばし、「でも不便っすよ!」と叫んだ。その声

は悲鳴にも似ていた。

「不便?

どうして?」

そう甲斐さんが問いただしたのに対してイシちゃんは大威張りで答えた。

「だって単線でしょう。一日に一回じゃないっすか」

今度は三人が固まった。甲斐さんは天井を見上げ、黒江別府記者は笑いをかみ殺した。

さすがにイシちゃんも空気を察したのか、「オレ何か間違った?」みたいな不安な表情を送っ

て寄こしたが、私は何事もなかったかのように背伸びをして、「さあて、次は何を飲むかな」

と幾分大きな声を出した。それで店は普段の納屋に戻り、イシちゃんの言葉はないのと同

じになった。

「取材を断ったのにたずねるのもあれだけど」。それを枕詞にして、甲斐さんから記事を

書くコツをたずねられた黒江別府記者は、含蓄のある説明をした。

取材する際、記者はあらかじめ頭の中にダミーの記事を書いておき、写真もそれに合わ

せてイメージとして撮っておく。そして現場でその記事を訂正するというのである。取材は

「粗完成させておいた嘘の記事の校正作業」みたいなもので、記者の人的レベルと記事の格調

は比例すると彼女は語った。ほかにも、写真には相手との関係が出るから、シャッターを押

す瞬間に被写体を好きになっておくとか、ストロボは使わずにその場の光を使った方がいい

など、経験者でなければ分からないことを話して甲斐さんをうならせた。

それに気をよくした彼女は長い脚を組み替えて、「入社して最初の研修で先輩の記者が、

お母さんのカレーライスという話をしてくれたんですよ」と切り出して、次のように話した。

母親が、今夜はカレーを作ろうと思って材料を買いに行く時、頭の中にはすでにカレーが

出来ていて、それに向かって玉ねぎやジャガイモなどを買う。カレーを知らない人が具材を

適当にいじくっていたらカレーができた、とはならない。イメージが最初にあって、手や足は

それをあとから追っかけて行く。だから出来上がったカレーは、イメージしていた味よりおい

しくならず、まずくもならない。もし母親が自分のためだけにカレーを作れば手抜きをす

るだろうが、それでも味は普段と変わらない。イメージが手足の動きを制御するからであ

る。この母親が、子供の口に入るものだからと思えば、食材を買う時点で吟味する。イメー

ジは普段と同じなのに、材料も手足の動きも質が上がり、結果としてカレーのクオリティー

もあがることになる。「誰かのために」と考えることは、行動の質を上げる働きがある。先輩

記者はそう説明し、読者のためにいい記事を書いてくださいと結んだという。

ほほう、と甲斐さんが目を光らせた。「つまり、すでに記事は出来上がっているんだね?

写真も撮られているわけだ。しかもあんたの格調で」

「それが仕事ですから」と彼女は笑った。「内容はずいぶん変わりましたけどね」。

「なんだ、結局取材されたんじゃないか」

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「メモ帳を取り出すまでもないですよ、子供じゃないんだから」。彼女はいたずらっぽい顔を

した。そして、「今日は自己紹介ということで、いずれ書かせていただきますね」と言ってバッ

グから携帯電話を取り出し、今夜は直帰するからと支局に連絡した。次は客として来ま

すと約束して彼女は帰っていった。ドアが閉まると店内が少し暗くなったように感じた。外

で自転車の錠前を外す音が聞こえ、そのあとブレーキがギッと、一回だけ鳴った。

「すっげーいい女だったすねー、コリティーって何かわからなかったけど」。イシちゃんが勢い

を取り戻した。「今度はいつ来るんすかね」。

「たぶんイシちゃんのいない昼間だろうな」。そうからかって甲斐さんは、あの記者は北海

道の出身だと言った。たしかにそれっぽい苗字ではあった。「彼女にはロシアか北欧の血が混じ

っているかもしれないな」。そう甲斐さんは推測したが、それは十分あり得た。

「でも彼女は新聞記者には不向きだよ、あんなに女の匂いを撒き散らしてたんじゃな」

「めまいがしそうでしたね」

「記者は没個性の方がやりやすいんだ。人間的過ぎると相手を警戒させる」

「装置ならしゃべりやすいってことですね」

「個性を出したければ雑誌の方がいい。そっちは主観の固まりだから」

「それにしてもあんなにいい女はそういませんよ」

「あの色気は尋常じゃない。それで思い出したが、桂川町にあれ以上の女がいるんだ」

「本当ですか」

「これにはちょっとした逸話があってね。うちの客に末永という男がいる。あと何年かで定

年退職するくらいの歳だが、そいつが朝方うちに店に来た。その日は三交代勤務の明けら

しかった」

話しながら甲斐さんはおかしそうに笑っている。

「末永が言うには、桂川のパチンコ屋に色気の固まりみたいな女が働いているらしい。どれ

ほどの色気かというと、その女を会社の同僚二人が一目見たとたんに我慢できなくなり、

天神までタクシーを飛ばして風俗店に駆け込んだ」

そのパチンコ屋は久留米方面に向かう国道と桂川町に行く道の三叉路に建つビルにある。

「わしは末永に、今から行ってみようと思っているんだろうとたずねてやった。末永は恥ず

かしそうに、ウンと言った。さらにわしは聞いた。でも天神を目指す事態になったら困るか

ら、一緒に行ってほしいんだろ?

ってね。これにも末永はウンと答えたな」

「で、実際に行ってみたんです?」

「もちろん行ったよ、末永の車に乗せてもらってね。その女はパチンコ屋のカウンターにいる

からすぐ分るらしく、名前も同僚から聞いていた。車の中でわしらは大はしゃぎだった。そ

れほどの女には一度も会ったことがないからな」

ふと気がつくとイシちゃんが鼻息を荒くして甲斐さんを凝視していた。その表情は黒江別

府記者に目を奪われた時ほどではなかったが、ほとんど同じだった。

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「パチンコ屋に到着したわしらは転げるように店に入ってカウンターに突進し、女を探した。

そしてすぐに、いた!と末永が小さく叫んだ。女は確かにいた。胸の名札で確認できた」

イシちゃんの鼻息がいっそう荒くなった。もうじきよだれも垂らすだろう。それにしても

臨場感のある話だ。「で、どうだったんです?」。私は続きを急がせた。

「数分後、末永とわしは再び車に乗って帰路についていた。行きと違って無言だった。末永

がぼそりと、あいつら、もう友達やない、とつぶやいた」

私は爆笑し、甲斐さんも腹を抱えて笑った。その傍らでイシちゃんだけが、風船の結び口

がほどけたかのように急速に萎んでいった。

十三

【フィルター】

答えを最初から知っていて、でもそれに気づくのに時間がかかるように幾重ものフィル

ターをかけている。それが人生というものだ。

ひょろりと痩せて背のずいぶん高い青年が入って来た。両目は非常に落ち窪んだ奥目のう

えに、その窪んだ目が激しく瞬(しばた)いて、どこを見ているのか分からず、ぱっと見には盲

人特有の目のようだった。彼はテーブル席に落ちるように座った。額は汗でびっしょりだ。甲

斐さんは彼を「にいちゃん」と呼んだ。しかしその「にい」が苗字の新居や仁井であるのか、単

なる「兄ちゃん」なのかは分からなかった。

「にいちゃん、こないだあげた帽子は父親が使っているかな」

そうたずねながら甲斐さんは彼のために色のきれいなノンアルコールカクテルを作り、銘菓

「通りもん」を二つ与え、汗を拭くお絞りも出した。

「いえ、まだ家に置いてあります」

にいちゃんはグラスを口に持っていき、「通りもん」の袋を破って一口食べたあと、グラスを

手にしたまま動かなくなった。しかし窪んだ眼窩の奥の目は依然として瞬いており、何かを

考えているか夢見ているかのようだった。私は彼に、近所に住んでいるのかと聞いた。にいち

ゃんはグラスをまたちょっと口に運び、こちらには顔を向けずに目をかすかに瞬かせ続けな

がら、隣の町に両親と住んでいると答えた。

にいちゃんは寡黙ではあったが話すことを嫌っているわけではなかった。彼はこの町まで自

転車で通勤しており、週末にここで時間をつぶすのが楽しいと言った。ぽつりとしゃべってま

た沈黙に入るのだが、黙っている間はまるで眠っているように見えた。勤務先は「ラムドゥー

ル・シナン」という福祉がらみの団体で、あちこちから到着する段ボール箱を荷降ろしした

り運び込んだり、トラックに積み込んだりするのが仕事だが、中に何が入っているかは知ら

ないという。そういえばバスセンターそばの交差点近くにそんなアルファベットの看板があった。

それにしても彼に働き口があるのはいいことだった。週末に一度、帰宅する前にこの店に立

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ち寄る彼の気持ちはなんとなく推察できた。バーに来ることで社会の一員であることを確

かめているのかもしれなかったし、一人前あつかいされることを確認しているようでもあった。

甲斐さんが彼に帽子をあげたのは、世間に彼の居場所がきちんとあることを親に知らしめ

ようとしたのかも知れない。

ふと思い出したように彼は口を開いた。

「よく考えることがあるんですよね」

そしてしばらく黙り、再び「よく想像するんですよ」と言った。

「何を?」

「僕の親父がよその女との間に、人には言えない子供を作ってしまうんです。その子は女な

んですけど、人には言えない子供だから結婚できなくて、しょうがないから僕と結婚するん

ですよ」

にいちゃんは顔をゆるめてそう話し、また沈黙の中に戻っていった。思うに、彼は少々劣っ

ているかも知れないが肉体は健全で、それでこのような想像話をことあるごとに引っ張り出

して楽しんでいるに違いなかった。おそらくこの話は年齢とともに成長するのだろう。彼は

生涯この秘密のストーリーを育みながら、ある時は生々しく、またある時はメルヘンチックに、

そしてドラマチックに、幸も不幸も混ぜ合わせながら、別の人生も生きている。そうやって、

虚を実とし、実を虚とすることによって自己を存在させているのだった。

夜もそろそろ更けて来て、彼はまた来ますと挨拶して立ち上がり、甲斐さんは、「夜道に

気をつけて帰りなさいよ」とやさしく送り出した。

彼がこの店に来るようになったのは、雨の日にずぶ濡れになって自転車に乗っていたので、

店でしばらく雨宿りしたらいいと誘ったことがきっかけだったという。彼が尋常ではないこと

については、「人間は不完全な生き物だから、確率として誰かが引き受けなければいけない

んだ。あるいはキミだったかも知れないよ」と言った。

私は立ち上がって冷蔵庫からタンカレーのボトルを出し、何杯目かをグラスに注いだあと、

カウンターの端っこに座り直して甲斐さんに、この店にはさまざまな客が来るが、あなたは

その人たちに合わせてうまく扱えている。それはなかなか真似できないことだと本心から

褒めた。甲斐さんは当然顔で、「簡単なことでも子供にはむつかしい。子供が大人の真似を

しようとするから営業トークが必要だ。ところでキミは大人になれたのか」と言った。

「甲斐さんに比べれば子供でしょうけど、いちおう大人のはずですよ」。そう答えると甲斐

さんは、「キミなら大人の仲間入りはしていそうだな」と言い、「大人の三要件」について説明

してくれた。

「わしがまだ軍国少年にすらなっていないくらいに年少だったころの話だ。数年後に太平洋

戦争が始まることも知らず、当時の台湾は平和だった。とは言っても支配者である日本人

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だけだったかもしれないがね。

当時の思い出はいくつもある。どんな経験も年月が経てば思い出になるのはいいことだ。そ

んな思い出の一つに正月の出来事がある。でも特別なことが起こったわけじゃなく、おそら

く初めて味わった感慨のようなものだ。

どこかの広い場所で親子が凧揚げをしているのをわしは遠くから見ていた。その親子は見

るからに夢中になっているようだったが、それを眺めながらわしは思ったんだ。あの親子はた

ぶん凧揚げを好きじゃない。本当に好きなら夏にもやるはずじゃないか。でもやりはしない

だろう。彼らは正月に踊らされているだけだ、と」

「小学生のころにそう思ったんです?」

「ああ、思ったよ。そのころのわしにとって正月は難儀と言うよりほかなかった。大人が急に

子供みたいにはしゃぎ、それにわしも付き合わされる。餅つきも初詣も、日ごろの大人はど

こにもおらず、みんな呆けてしまっている。お年玉も子供のような顔でくれるので、こっちは

もっと子供じみた態度でよろこばなくてはいけないから一苦労だ。飛び上がったり走り回っ

たりしてな。それが子供のわしには不思議でならなかった。大人というのは、ある年齢を境

になれるもので、その日が来るのを心待ちにしていたくらいだ。ところが何歳になっても大人

という立派な存在にはなれなかった。キミくらいの年齢に達するまではね。

わしのような子供は二千年前からいただろうね。ゲーテ曰く、昔の人が考えなかったこと

を今の人が考えたことはない、だ。キミは読んだかね、ファウストを」

私は首を横に振った。

「ところで、子供に食事を与えたら体が大きくなるだろう。なおも食べさせると身長が伸

び、やがて声が変わり、そのうち顔にしわができ、髪が薄くなって腰も曲がる。でもどこで

大人になった?

そのチャンスはいつ訪れた?

中身はずっと子供のままだ。子供が寿命を終

えて世を去るだけだよ。

いわばこの世は子供の世界だ。子供が世界を動かしている。キミの周囲を見回しても子供

ばかりが目に付くはずだ。でもそれでいい。子供が大人の苦しさを知る必要はないからね。

そうは言っても、子供の世界にも秩序が必要だから、たとえば二十歳以上は大人という

ことにする、と頭のいい子供同士で決める。でも決め事に本質的な意味はないから、十五で

も二十五でも構わないんだ。三十歳ということにしても困りはしない。子供の言う大人とい

うのはその程度のことさ。そして彼らは一人前に大人の権利を主張する。権利とは何かを

知らないまま、図々しく主張する。でも子供だからしょうがない。

本当の大人というのは、二十歳で突然なれるものじゃない。そのずっと前から、人によって

は小学生のころ大人になる場合もあるだろう。ただしずいぶん未熟な大人だがね。

大多数の子供の中にごく少数の大人がいる。子供と大人は、見た目は似ているが、よくよ

く観察してみると、大人には、挨拶をする、ありがとうを言う、相手をほめる、の三点が備

わっている。それゆえ大人なんだ。

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子供だって挨拶はできるよ。ただし知っている相手にだけね。これは躾(しつけ)の賜物で、

犬猫の条件反射と同じだ。大人は、偶然居合わせた他人にも挨拶する。バス停とかエレベー

タの中とかね。だから、誰にも挨拶しないやつは子供ですらない。犬猫でもない。二足歩行

する虫だな。

ありがとうも子供は言うが、自分が得した時だけだ。これも犬や猫と同じだな。犬に餌

をやれば尻尾を振るし、猫を撫でるとゴロゴロ喉を鳴らす。何かを施(ほどこ)されてありが

とうを言うのは犬猫並みだ。つまり子供は犬や猫とそう違わない。大人のありがとうはそ

うじゃなく、施す側として感謝する。店で料金を払う時に言うのが大人のありがとうだ。

ためしにファーストフードの店で、おいしかった、ありがとう、と店員に言ってみれば、その時、

この気分が大人なのだと分かるだろう。うちの店でも、物言わず入ってきて、こっちが挨拶

しても返答せず、帰る時も無言でいなくなる客がいる。そいつらはどんな生き物だ?

ナメ

クジだろうな。付け加えておくと謝罪も本来は感謝が形を変えたものだ。

相手を褒めることも、子供にもできる。ただし子供は、相手が褒められる状況の時だけ褒

める。やっかみもしくは憧れを動機としてね。賞賛されるべき人を賞賛するのは子供のやる

ことだ。大人の賞賛というのは、褒める理由のない人も褒めるということ。しかも賛辞を使

っちゃだめなんだ。慣用句に本心は込められないんだよ。大人は、褒めたと気づかれないよ

うな褒め方をする。

この三要件に、読書すること、音楽に親しむことが加われば知性的な大人になる。スポー

ツをやればほがらかな大人になるんだ。

それにしても大人は不便だな。なんといっても難しいのは、子供の前では子供のふりをしな

ければならないことだ。つまり、大抵いつも子供のふりをする必要が生じている。これには骨

が折れるが、やらないでいたら世間という名の子供の群れからはじき出されるんだ。

残念なことにわしは大人だよ。キミもそれに近いかもしれんな。大人の目には子供と大人

を判別できるが、子供には大人が見えないんだよ。いわば、母親の足に抱きつく子供は、母

親の背丈は膝までだと認識して、母親と自分とが同等であると思っているようなもので、イ

シちゃんやにいちゃん、あるいはほかの客が店に来てくれるのも、彼らから見ればわしも子

供なんだ。一風変わった、が冠(かんむり)につくがね」

何人かの顔が思い浮かんだ。挨拶できない二足歩行ナメクジは二人いた。そのほかは機嫌

よく挨拶する人たちだったが、親しくない人の前では不機嫌面(ふきげんづら)を露わにす

る人も多そうだった。施す側として感謝していそうな人は幾人かいたが、感謝を押し付けて

いる場合もありえた。褒められる理由のない人を、それとは気づかれないように褒める、に

ついては、理解できなかったので思いつけなかった。

翌日の夜、片島のジョイフルで晩飯を食べていると、突然怒声が聞こえたので顔を上げたら、

レジの前に十代後半の男女五人が横一列に並べられ、四十歳くらいの男が怒鳴り声を上げ

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ながら平手打ちを食らわせた。他の客もいっせいにそれを見たので静まり返った店内に音が

よく響いた。男は大股で店を出、殴られたヤンキー風の五人もしばらくして、頬を撫でさす

りながら店から出て行った。しんとしていた店はまた普段に戻った。一時(いっとき)して駐

車場に行くと、先ほどの五人が体育座りでぼそぼそ話をしていた。今後どうするかを話し

合っているようだった。私は甲斐さんの言葉を思い出した。こんな身近なところにも子供の

世界が動いているのだ。

それよりもずっと前、これも片島のジョイフルで深夜に文庫本を読んでいた時に、三つ向こ

うのテーブルにいた大柄な若い男が立ち上がって私の横に座り、「おいちゃん、なに読んでる

の?」と話しかけてきた。坊主頭で首が太く、いかつい顔をしていた。彼は首を曲げてページ

に目をやり、「あ、俺、字が読めないんだった」と笑った。そしてテーブルの上の折れたタバコ

をつまみあげ、これは吸わないのかと聞く。折れているからねと答えたら、彼は折れたとこ

ろを切り離して先端を逆に向け、フィルターのところに上手にくっつけて吸えるようにして

くれた。うまいもんだなと感心すると彼は、ついこないだまで刑務所にいたと打ち明け、所

轄の刑事ならよく知っているから、困ったことがあれば紹介すると言って二人ほど名前を挙

げた。それくらいしか手持ちの話題がなさそうな彼に興味が沸いた私は本を伏せ、何の罪

で捕まったのかとたずねた。すると向こうの席から同年代の女性が彼を呼んだ。目を尖ら

せて首を横に振ることで余計なことは言うなと命じている。彼女の膝には赤ん坊がいた。彼

は「おいちゃん、またね」と言い残して元の席に戻っていった。

十四

一人暮らしの私はたいてい外食で、店はその日の気分によって決め、BAR納屋でもたまに、

材料費を払って作ることもある。

真冬の夜、片島の吉野家で豚丼を食べていると、外の冷気を巻き込んで一人の老婆が入っ

て来た。客は私のほかにカップルが一組いるだけで、それが寒さをつのらせていた。

老婆は派手な服を重ね着して丸々としており、席に座るなり強い眼光で「牛丼の並!」と

叫び、店員が水を手に近づくとまた「牛丼の並!」と言い放った。そして運ばれてきた牛丼

を抱え込むようにして食べながら、目の前の空席に向かって小声でしゃべり始めた。内容は

私まで届かなかったが、表情や身の乗り出し方などから、おそらく非常に親しい誰かと話

しているようだった。彼女は再び店員に向かって、二回ほど強い口調で「キムチ!」と言い、ま

た自分の世界に戻って会話を続けた。その身は片島の吉野家に一人あることを知ってか知

らずか、老婆はたえず誰かと一緒にいた。

もしも毎日がこの調子なら、彼女は侵犯されることのない幸福を手に入れているかもしれ

ない。さらに歳を取って死の床にあっても誰かと親しくしゃべり続けているなら、彼女は傍に

いる誰よりも幸福に死ぬだろう。傍に迷惑をかけつつ、それを露ほども知らずに。

彼女を見ながら、二十代のころに大阪の地下鉄環状線で目にした光景を思い出した。

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私の乗った地下鉄がどこかの駅に停まり、自動ドアがプシュゥと開いて乗客がドヤドヤと入

ってきた。その中に老夫婦らしき二人がいて、並んで席に座った。私は吊革を持って立ち、そ

の老いた男女を目前に見たのだが、二人は膝の上に等身大のリアルな子供の人形をそれぞ

れ抱き、その人形に笑いかけながらしきりに話しかけていた。一区間ほどの短い時間だった

が、二人が会話することはついぞなかった。次の駅で彼らは降り、乗降客が行き交う駅構内

を歩き去って行く背中を私は目で追った。ドアが閉まって地下鉄が動き始めるまでのわずか

な間ではあったが、二人はくっつくように歩きながら、やはり言葉を交わしている様子はな

かった。私はあっ気にとられていた。ほかの乗客もそうだったに違いない。実情のまったく分か

らない光景だったし、三十年くらい昔のことだから彼らはこの世を去っているだろうが、二

人の心を覗いてみるに、何かの絶望的な事情があってそこに逃げ込んだにしても、吉野家の

老婆と同様、やはり侵されることのない幸福に満たされていたのではないかと思う。死が訪

れる瞬間にも、まだ人形と楽しく会話し続けていたら、傍の者が、最後くらいは正気に戻っ

てほしいと涙ながらに願っていたにせよ、それを知らずに笑っていられたらと思う。

私は特定の宗教を持たないが、イエス・キリストは伝道の地で、「貧しき者は幸いである」と

語ったという。イエスの言う「貧しき者」とはこういった人たちであり、納屋で縊死した私の叔

父であり、映画「エレファントマン」に類似した人たちであって、金銭的に貧しかったり身分や

地位の低かったりする人たちのことではないだろう。どれほど教会に寄付しても、貧しい人

たちを救うためにいくら寄進しても、温かな食事の前に懸命に祈っても、彼らのだれも天

国の入口をくぐれない。

第三章

十五

我が身はいかにあろうとも、心に城はたえず建ちゆく

「こないだ大人の三要件について話したのを覚えているかね」。アイスピックで氷を割りなが

ら甲斐さんが顔を上げた。私はその氷をロックグラスに一つ落とし、テキーラを注いだ。

「褒める理由のない人を褒める、でしょ。それがどうかしたんですか?」

「あれはあれで間違ってはいないが、それで大人になれるほど甘くはないんだ」。そう言って

部屋の隅をアゴで示した。無造作に丸めて置いてあるコーヒー豆の麻袋の上に球根が五つ六

つあり、二つから太い芽が出ていた。

「近所の婆さんがくれたものだが、何の花だったか、いつ植えればいいのかも忘れてしまって、

放っておいたらああなった」

こっちも何の球根か分からないので、ああそうですかと相槌を打つよりほかなかった。

「待ちきれなかったんだろうな。あれが人間だと考えたら興味深い」

私はテキーラを舌でまろやかにし、のどが焼けないようにジワリと胃袋に流し込んだ。

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「発芽が内部から強制的に起こることを、自己破壊とわしは呼ぶことにしているんだよ」

私にとって自己破壊は精神病院に入るようなことだから、自分にあってはならなかった。

「自己破壊が真に大人になるための条件だとすれば、それの起こらなかった人間は、発芽

しないまま終わる。スイカの種がスイカの大きさほどに膨らむわけだ。芋虫なら、さなぎに

ならずにクロワッサンくらいにまで膨張するわけだね」

「孵化せずに、さなぎの群れの一人として終わるんですね」

「そうだな。背中が割れて羽を広げる力が内部に溜まりきらなかった。というよりも、む

しろその方を選んだのだろうな。自己破壊を怖がった」

「じゃあ甲斐さんは、ある日それが起こったというわけですか」

「その日がわしにあったとすれば、敗戦のショックだろうな」。そうさらりと言った。

「当時十五歳だったわしは日本の勝利を露ほども疑わない軍国少年で、早く立派な軍人

になって敵兵をたくさん殺し、勲章をいくつも授かって父や母をよろこばせよう、たとえ死

ぬことになっても親が誇りに思えるような死に方をしよう、そして靖国神社に祀られ、そこ

で戦友らと互いの勇気をたたえ合うのだと本気で思っていたし、戦況がかんばしくなくても、

いずれ神風が吹くから、その時はその風を背に受けて敵陣に雄々しく乗り込み、思う存分

暴れまわってやると誓っていた。そして鬼畜米英を打ち負かし、アジア統一の礎(いしずえ)

になるつもりでいた。それがわしの全世界、すべてだった」。心なしか甲斐さんは興奮している

ようだった。そして、「結果は知っての通りだよ。その時わしは、たぶん自己破壊を余儀なく

されたんだ」と声を落とした。

「甲斐さんみたいな人は多かったんですか?」。すると彼は首を横に振り、「みんな上手に

そこを克服したよ」と言った。この戦争が正しくないのは最初から分かっていたとか、大本営

にまんまとだまされたとか、今は祖国の復興が求められているとか、自由な時代がようや

く来たとか、経済でアメリカに勝ってやるとか、いろんな理由を自分に当てはめたのだとい

う。そういった気持ちは私にも理解できた。もうこれで死なずにすむというのが大多数の気

持ちだったろうし、軍国少年の甲斐さんにもそれは少なからずあったはずだ。

「きのうまでの軍国主義が今日は熱烈な民主主義になり、軍国主義を捨てきれない者は

すねたが長くは続かなかった。各人さまざまに、スイカの種がスイカくらいの大きさになり、

芋虫のまま巨大化した。彼らはそれぞれ変化した。でも変貌はしなかった」

私の反応を気にせず、まるで自分自身としゃべっているように言葉は続いた。

「信じていた道のほかにも道があって、次はそちらを歩けと言われたからそれに従った。そ

うやってきのうまでやせ細っていた子供が腹いっぱい食べ、やがて老いて太った子供に育った」

私の父も戦中派だが、このような考え方をしていたようには思われなかった。せいぜい、下

松と徳山の境を流れる末武川にかかる鉄橋にグラマンの射撃痕があったとか、姪っ子を背

負って砂浜で子守をしていたら徳山方面から数十機のB29爆撃機が頭上を通過し、怖く

て松林に隠れたくらいの思い出話で、一少年として戦時をどう見ていたかについて語ること

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はなかった。母はといえば父の元に嫁いでくるまで小野田にいて、宇部の町に米軍機から焼

夷弾が落とされている光景を眺めながら、花火のようにきれいだったと懐かしそうに話し

たが、これも父と同様、ただそれだけのことだった。山口県東部の大島郡にずっと暮らして

いる叔母も、岩国の軍需工場で働いていた暑い夏の朝方、東の方角に巨大な白煙が高く上

がっているのを見て、広島にある海軍の火薬庫が爆発したのだろうと、同じ工場で働く女工

同士で話したと言うが、原爆のきのこ雲を目撃した者として、それが彼女の戦後にどう影

響したかについて、家族や身内に語って聞かせるようなことはなかった。敗戦に直面して自

己破壊した甲斐さんのような人は意外に少なくて、大多数の日本人は身内や親しい人に

戦争の被害者がいようがいまいが、案外のんびりと終戦を迎えたというのが本当のところだ

ったかもしれない。

それから長々と甲斐さんの思い出話を聞かされた。それによると甲斐さんら同窓生は数

年前まで定期的に同窓会を開いていたが、今は存命者がずいぶん減って開催のめどが立た

ない状況だという。同窓会が盛大に行なわれていた時には、台南時代の話はむろんのこと、

戦後の日本で各人がどう生き延びてきたかの話に花が咲いた。いかに自分が恵まれた人生

を得るに至ったかを自慢する場であったらしい。ある人は敬虔なクリスチャンになり、ある

人は事業を興して軌道に乗せ、またある人は大きな会社の重役になり、省庁の役人になっ

た人もいたしプロ野球のピッチャーになった人までいた。自分の子供や孫がどれほど優れてい

るかを繰り返し語る人もいた。甲斐さんは小さな会社の社員として勤めを終えたのでもっ

ぱら聞き役に回ったが、各人の成功談や自慢話を聞きながら、そのことが異国台湾で終戦

を迎えたことにどう関連しているのか、兄のように慕われた英語の教師が召集されてブー

ゲンビル島で戦死したことや、和田というクラスの人気者が米軍機の機銃掃射で命を落と

したことを、「戦後日本の繁栄は尊い犠牲の上に成り立っている」の言葉だけで片付けられ

るのか。そういったことを考えながら、同窓生が大いに酒を飲み、肩を組んで軍歌を歌い、

最後に「台南一中万歳」を三唱する様子を、自らも加わりながら不思議な気持ちで眺めて

いたという。みんな台南当時と変わっておらず、顔にしわを刻み、腰が曲がり、足元がおぼ

つかず、わずかばかりの蓄えと子孫を得ることにまい進した人生だった。それに半世紀以上

もかけた。だったら十代半ばに死を覚悟することも空襲の下を逃げ回るのもまったく無駄

なことだった。

「そして今、死が確実にみんなに迫ってきたというわけさ」

では、彼らと違って自分は大人だと言う甲斐さんの内心はどうであるのか。ここまでの話

で私はくたびれ、しかし無言のままでいるのもどうかと思い、もし大半の人に自己破壊が起

こったら、日本はどうなっただろうかとたずねると、それはキミが考えればいいが、そのため

にはキミ自身に自己破壊が必要だと言われた。それで私はまた沈黙し、自分がそうなる状

況とは一体なんだろうと考えてみたが、容易に思いつけなかった。そこでまた、この平和な

日本で私が自己破壊するとすれば、どういった場合があるだろうかと聞いてみたら、彼は

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おかしそうに笑って球根の方に顔を向け、発芽は内面の圧力に外皮が耐えられなくなった

時に起こるに違いなく、しかし人間は球根やさなぎと違って自然の摂理に逆らい、自然を

捻じ曲げて繁栄しようとするから、それと引き換えに自己破壊が起こりにくいのかも知れ

ん、それの激しく行なわれなかった太古には変貌を遂げた人が今よりずっと多かっただろう

と言った。私はふと、納屋の外観が大きな芋虫に似ているのを思い出し、「いつか納屋の屋根

が割れて、中から新たな甲斐さんが羽ばたくかも知れないですね」とからかうと、彼はびっ

くりした顔になり、本当に大切なことは向こうからやってくるから、その時は従うしかない

ねと言った。

十六

あごひげを生やした太目の男がカウンターで淡い緑色のカクテルを飲んでいた。甲斐さん

はカウンターの中で棚のボトルを並べ替えながら、私を見て、よう、と目で話しかけた。

その男は頬杖をついて天井や壁をながめながら、

「こんな感じがいいなあ。廃墟とか座礁

して錆びている廃船みたいな感じ?

そういうのに弱いんですよ」と言った。

「あんたんとこはもっと明るくてきらびやかじゃないか。そっちの方がきれいでいいだろう」

「きらきらさせているだけですよ。ダーツの客なんて女の子さえ置いてりゃいいんです。音

楽もがんがん鳴ってさえいればいいんで、とにかく騒がしくさせることですよ」

男はふと黙り、「あー、この曲はきれいですねえ」と耳を立てるように顔を傾けた。

「プアオレナというんだよ。これでもフラダンスの曲なんだ」と教えてくれた。

「へえ、こんなのもあるのか」。男は体を起こした。

「こんな曲を選ぶ店が本物なんですよ」

「あんたの店でも流せばいいじゃないか、どうせだれも聞かないんだろ」

「でもちょっとテンポがねえ、もっとガンガンいかないと」

「だったらスタッフ全員がアロハシャツを着てさ、トロピカルドリンクでも出せばいい」

「そういうやり方もありますね。いっそハワイアンダーツバーにするかな、その日の優勝者

には女の子がレイをかけるんですよ」

二人の会話は小気味よく進んでいく。

「でも廃墟は演出できないですねえ。廃人ならこの俺ですが」

男はひげを触りながらせせら笑った。

「人が好む家には二つの方向があるんだよ」

そう前置きして甲斐さんが話すには、あらゆるものを削ぎ落として無価値な方を選び続

け、行き着く先は洞穴か防空壕という家が一つの方向で、どんどん増設してたえず新しく

し、理想は日本の城かベルサイユ宮殿というのがもう一つなのだという。

「いくら立派な家に住みたくてもベルサイユ宮殿は建てられないし、洞穴は不便で住めない

から、その両極端のどちらかを目指しながら人は住む場所を見つけるんだ」

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男は何度もうなずいた。

「無人駅に住みたいと本気で思ったことがあるんですよ。田舎の廃校とか分校とかも。で

も洞穴はどうかなあ。そういえば甲斐さんは防空壕に隠れたことあるんでしょ?」

「何度もある。あとから飛び込んできた同級生は爆撃の破片が背中に刺さって死んだよ」

甲斐さんの表情がわずかにかげったが、すぐに明るい顔になり、「ここよりほかに行く当て

のないわしが言うのもあれだが、家は外に建てるほかに、内にも建てられる。いくら立派な

家で暮らしても、心の中が荒れ放題なのは嫌だな。心は内面にしか住めないんだから」。そ

れを聞いた男は「ふうん、そんなものかな、でもよく分からんね」と言ったあと、欠伸をして

目に涙をためた。

「さあて、店に戻るかな。今日の売り上げを勘定しなけりゃいけないんですよ」

男が去ったあと、私は店を見回して、たしかにここは廃墟の匂いも漂っているなと思い、ふ

と宮内氏の顔が浮かんだ。

「そういえば最近宮内さんを見ませんね。お元気なんですか」

宮内氏とは、この店で会った時に挨拶を交わす程度の関わりしかないが、同年輩のおとな

しそうな奥さんを連れてスーパーで買い物をしているところを見かけたことがある。

「ちょっと具合が悪くて寝たり起きたりの生活らしい。まあこの年だからね」

甲斐さんは声を落としたあと黙りこくった。私たちは次の言葉を探し出せないままFMラ

ジオの音楽に身を任せていた。流れていたのはクラシックで、この世のものではない何かが地

面を這っているような恐ろしさが響き、寒々とした荒野に横殴りの木枯らしがいつまでも強

く吹き続けているような印象があった。

「ずいぶん染み入る曲ですねえ。なんだか私の心みたいです」

「ああ、これはアルビノーニのアダージョだ。私の葬式で流してほしいのがこの曲だよ。菰田

に住んでいる土師さんというピアノ教師も同じことを言っていたな」

「好きだった音楽が流れる葬式というのも悪くはないですね」

「たしかにね。でも好きというだけではねえ。松田聖子の『スイートメモリー』はちょっと場

違いじゃないか。山口百恵の『いい日旅立ち』ならそのままいけるが」

「サッチモの『聖者の行進』も、題名は完璧だけど明るすぎますよ」

私の言葉に甲斐さんは笑いながら、氷を入れたグラス二つにウォッカを三分の一とオレン

ジジュースを三分の二ほど注ぎ、スクリュードライバーを作って一つを私の前に置き、自分も

手にして横に座った。こんな時は甲斐さんの奢りとなる。

「しかし、自分の葬式でアダージョが流れても、棺の中の自分は冷えた死体だし、葬儀に参

列した人のうち何人が自分の死を悼んでいるかは分からないだろう。よろこんでいる奴もい

るかもしれない。それに不慮の死もあるじゃないか。遺体の見つからない死もあるだろう。

だったら葬式よりも、死ぬ瞬間に自分の中を流れたほうがいい。それなら確実だ。『葬式で

流してほしい』ではなく、『自分の中を流れたらいい』と言い直すべきだろうな」

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どう答えていいかわからない私はまた沈黙し、オレンジ色のスクリュードライバーをごくり

と飲んで、仕事や近所づきあいで葬儀に何度か参列したことを思い出した。でも神妙な顔

をするのが面倒だっただけで、今は名前を思い出すこともない。

しかし父親の死は、やはり悲しかった。膵臓癌で入院して一ヵ月後には帰らぬ人となった。

下松の日立病院で十人近い親族に看取られて息を引き取ったが、まだ悲しみにくれている

というのに看護婦が治療道具を片付けはじめたので居心地が悪くなり、私と二番目の弟が

浴衣着のままガリガリに痩せて死んでいる父をおぶってエレベータで一階まで下ろし、弟の自

家用車に乗せて、私は後部座席で父親の体がぐらぐらするのを支えて自宅に向かった。

日立病院から実家まで、人口五万余人の下松の中心部、JR下松駅や下松市役所や、西

友ストアを左右に見ながら走る車の中で、今日はクリスマスだというのに、浴衣一枚の父は

口をあんぐり開け、横に倒れないように私に支えられている姿はずいぶん滑稽で、そのころ

には私と弟の涙は乾いて笑いすら漏れていた。「久々の親父とのドライブがこれだからな」。

見慣れた風景をぼんやり目に入れながら私は言い、「父親の仕事は死ぬことである。母親の

仕事は生きることである」という言葉が浮かんだ。

父は亡骸の状態で帰宅した。私と弟は布団を敷いて父を横たわらせ、明日には灰になって

二度と会えなくなる顔を上からのぞきこみながら、小心者のくせに今まで威張ってばかり

だったから、顔にマジックインキでメガネとかひげとか、まぶたにぐりぐりと黒目を書いてや

ろうか、それを見て母は笑うかもしれないなどと冗談を言いながら、また涙が幾筋か頬を

伝わり落ちた。そして鋏(はさみ)で遺髪を少し切り取った。

父の死は、私の中に長らくあった、父と母のどちらが先に死ぬだろうかという思案に好ま

しい解決をもたらしてくれたし、父と別れる時間が持てたのもさいわいだった。三番目の弟

はそのころ京都発の新幹線の車中にあり、速度の遅さを呪っていたに違いなかった。けれど

もいま思うに、死んで背負うのではなく、生前に背負ってやればよかった。私は終生父とな

じめず、それは父にとってさみしいことだったろう。おそらく父も私も心に鎧を着ていた。そ

の鎧は私の方が脱ぐべきだったが、それができなかった。日立病院に入院して父の意識が混

濁しはじめる少し前、まだどうにか意識がしっかりしている時に私はようやく鎧を脱ぎ、父

の手を握ってはらはらと涙をこぼし、母のことは心配するなと伝えると、父は無言で私の目

をじっと見ていた。

「葬儀は集まってくれなくてもいい人が大半なんだよ」

その声に我に返ったが、意味がわからなかった。

「たとえば身近な誰かが死んだと聞いて、喪服はどこにあるかとか、香典はいくら包めば

失礼にならないだろうかとか、自分が行かなければあとで何か言われるだろうとか、それ

を考えるだけの心の余裕、時間的なゆとりのある人は、本当の意味で死を悼んでいるわけ

じゃないんだね。保身だよ。あわよくば繁栄に繋げられないかなとか思う人だっている。市

長や国会議員からの弔電がそうだし、会社から花輪が届くのだってそう。そんな人が百人

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来ようと千人集まろうと、どうでもいいわけさ。取る物もとりあえず、あわてて裸足で表

に飛び出すくらいのつきあいがある人は何人くらいいるかな」

それはたしかに、そのとおりだった。

「儀式としての葬式は、これからも生きていく人のために必要だが、死んだ当人にはまった

く不要だ。でも多くの人が、自分の葬式に並ぶ花輪や参列者の数を気にして、それが多い

ことを願う。盛大な葬式が行われるようにと老体にムチ打っていろんな役を引き受け、褒

章を受けるまで死ねない老人もいる。死んでなおベルサイユ宮殿をめざすわけだ。死ぬ間際

に何が去来するかという最も重要なことをすっ飛ばして、自分では確認できない後々のこ

とを重要視するんだよ。それは自分の生涯と死に対して不誠実なことだと思うがね」

父の死を知って近所の人が集まりはじめたのは、病院に支払いを済ませた母や妻や二人の

娘が戻ってしばらくしてからのことだった。三男もようやく到着し、横たえられた父を見る

なり泣き崩れた。彼は翌日の葬儀が終わるころまで泣いていたが、私は長男としてそれなり

の顔をしつつ、葬式が滞りなく終わることだけを気にかけていた。少々難儀だったのは、一

人の叔母が父の葬儀に乗じて何がしかの金を母から巻き上げようとしたことだった。その

叔母は私が中学生のころ、たまにうちの家に来て、近所の誰それが酒で大失態を演じたと

か、世をはかなんで自殺しようとした人がうまくいかずに未遂に終わったことなどを、自分

があたかもそばにいでもしたかのように詳しく、目を輝かせて話した。どんな小さな集落に

も何人かいるそんな一人が私の叔母だった。彼女はある男に話を持ちかけ、絶望のふちにい

る母に二人して取り入ろうとした。しかし彼らの不運は、路上でひそひそ話しているところ

を私に見られたことだった。その叔母は若いころから素行が悪くて身内の鼻つまみ者だった

し、一方の男も、彼の父が納屋で首を吊った、その息子だった。この男はアル中が原因で何度

か問題を起こし、勤め先にもどうにか首がつながっているような人物だった。それで私に感

づかれたのである。二人の画策が失敗に終わったあとも男は台所でビールを飲み、横柄な態

度でいたので私は彼を追い返した。そうでもしなければ弟が殴り倒していたに違いなかった。

「これはまた美しい曲だな」。甲斐さんがつぶやいた。Enya

のMay it be

がFMから流れ始め

ていた。

私の父はかわいそうな子供時代を過ごしたと、死後に母から聞いた。生後間もなく母親

が死に、父親は後妻を娶って家を出たため、農業を営む祖父母にあずけられた。祖父の千

太郎は頑固一徹な人で、父を厳しく育てたらしい。父は小学校の成績がずっと一番で、勉

強のできない同級生の家で一緒に宿題をやるようなやさしい子だったが、農民に学問はい

らないと祖父に言われ、中学校に行かせてもらえなかった。大半の同級生は中学校に進み、

登校中に父が農作業をしている姿を見てかわいそうだと思ったという。

千太郎も無学だったがずいぶん賢かったようで、戦時中は遠くから刑事に見張られていた。

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社会主義者でも反戦家でもなかったが、口を開くと面倒なことになる人物だと官憲には思

われていたようだ。戦後の農地改革で大勢の小作人が千太郎に助言を求めてきて、借金し

てでも買えるだけ買っておけと言われ、その通りにして裕福になった家がずいぶんあるとい

う。しかし千太郎自身はそれをやらず、生涯を一農民で通した。

千太郎は私の祖祖父にあたる。私が五歳のころ亡くなったが、ずっと同じ布団で寝ていた。

冬には私の足を自分の脚のあいだに入れて温めてくれた。一緒に遊んだ思い出もあり、臨

終も出棺もおぼろげながら覚えている。それが私の最も古い記憶だ。

そのあと父は農業をやりながら鉄工所で働くようになり、図面を家で広げて計算尺で積

算するようなこともやっていた。だから家に遊びに来るのは少々乱暴な、入れ墨に失敗して

途中でやめたような若い男も多かった。ある男は玄関を上がるなり私の頭を撫でて、「硬い

もんばっかり握っちょらんと、たまにゃあ柔らかいもんもさわりさん」(鉛筆ばかり握らずに、

たまには女性の柔肌も楽しめ)と言って笑った。父はそういった部類に慕われ、うまく使った

ようだ。それを亡くなる前の年まで続けた。だから葬儀にはどこか見覚えのある、かつては

粗暴だった老人もかなり来ていた。

十七

あなたが笑顔の時、私の判断は正しかったと思う。あなたが笑っていない時、あの時の

私の判断は間違っていたのかもしれないと思う。

一度に四人が座るなんて滅多にないことだった。しかも東南アジア系の女性三人と、日本

人の中年男。彼が三人を連れてきた。女性の一人は二十歳前後で、かなりの美人だった。し

ぐさも控えめで、民族衣装っぽいスレンダーなドレスが似合っていた。あとの二人は三十くら

いで、普段着とジーパン、パンプスなどから質素な生活が想像された。三人とも日本の女性

とは体型がずいぶん違い、鹿のように身が引き締まっていた。

店に男が入ってきた時の様子はちょっと見ものだった。右足がほとんど動かせず、歩く時は

棒のような右足を、ぐるりと半円を描くように外にまわして前に出し、その右足を支点と

して次は健常な左足を前に出すといった具合で、杖をつくほどではなかったが、急ぐ時は左

足だけで前屈みにケンケン歩きをした。年齢は七つ下の弟くらいか。背丈は低く、前歯がず

らりと出ているうえに、目が大きく見えるのは度の強い黒縁めがねをかけているからで、髪

は豊かだが、生え際の様子から黒く染めているのが分かった。四人は初めてこの店に来たら

しく、男が、閉店時間や食事のメニューをたずねた。

「何時まででも構いませんよ。食事はスパゲティとフライドポテトくらいですかね。あとは

野菜サラダかチーズ。ほかにご要望があれば彼に買いに行かせますよ」

男は私を見たあと女性らに「コカコーラ、オッケー?」と声をかけた。二十歳くらいの娘は

静かにうなずき、あとの二人は声高に「コカコラァ」と、ラァのところを高く発音した。そして

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一人が親指と人差し指で隙間を作って「ウィスキー」とささやいた。

「この子らに何でもいいから食わせてやってくれませんか。俺はまずビール。それとスパゲッ

テーをもらうかな」

甲斐さん一人では手が足りないので私もカウンターに入り、フライパンを二つガスコンロに

かけて、一つにはオリーブオイルを落とし、もう一つにはサラダオイルをたっぷり入れて火

を点けた。大皿に盛った市販のポテトチップスを彼女らがほおばっている間に、包丁でニンニ

クと玉ねぎとキュウリをスライスし、キャベツをざっくりちぎり、鷹の爪の種を振るい落し、

ウィンナーソーセージやジャガイモを細切りにし、できた野菜サラダに市販の和風ドレッシ

ングをたっぷりかけ、揚がったフライドポテトには、レモン果汁に黒コショウと塩を溶いたソー

スをつけた。甲斐さんは氷を入れたグラスをカウンターに並べてコーラを入れ、バーボンの瓶

をそばに置いた。女性の一人がバーボンを指さして笑い転げ、コーラに少し混ぜた。フライパ

ンに湯が沸き立ち、私はスパゲティを落とした。

彼女らは野菜サラダをあっというまに平らげ、フライドポテトも手製のソースがよほど合

ったらしく、すぐに皿から消えた。三百グラムのスパゲティもなくなろうとしている。

「このご近所で?」。甲斐さんが遠まわしに聞いた。

「ああ、さっき店が終わってね。この近くにぼろ家を二軒借りてるんですよ」

「店は遠賀川のそばの緑色のビルです?」

「あそこはロシアンパブですよ。こっちは松竹通りのフィリピンパブ。二十人くらいいるよ」

「そのお嬢さんは歌手ですか?」

そう言って甲斐さんは若い方の女性に「Singer?

」とたずねた。彼女は穏やかな目で「ハイ」

とだけ答え、ほんのわずかほほ笑んだ。あとの二人は席をテーブルに移し、母国語でにぎや

かに話している。お互いのアクセサリーをほめたり品定めしたりしているようだった。私はカ

ウンターの端に立ってタバコを吸いながら、カウンターでの会話に耳を傾けていた。

「こいつは女房だから歌手でなくてもいいんです。あの二人はダンサーってことになってる」

「現地で一応オーディションとかやるんでしょ」

「容姿しか見ないけどね。こいつはとびきりいい女だったんで、日本に来てすぐ結婚したん

ですよ。直方に病気の母親もいるし」

当時は日本に三万人くらいのフィリピン人女性が歌手やダンサーという肩書きで来日し

ていたが、売春や偽装結婚にまつわるトラブルが多発し、日本政府が九割を国外退去させ

た経緯がある。

甲斐さんが私に、二人のどちらかを嫁にもらったらどうかと水を向けた。笑ったまま返事

をしないでいると、会話に気づいた一人が自分を指さして「ワタシ、ワタシ」と売り込んだ。

するともう一人が後ろから女に抱きつき、二人でじゃれはじめた。そして手を取り合い、

Mary H

opkin

のThose W

ere The D

ays

に合わせて踊りはじめた。

「あの二人はデキてるんですよ。こっちに来てくっついた。その方が管理しやすいけど、客と

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デートしないから小遣いが少なくて。だからこうして、たまに遊ばせるんです」

「なるほどね。日本では何かと気苦労が絶えないでしょうねえ」。同情するように語りかけ

ると男は、「ほら、俺がこんなだから」と切り出して、年の離れた彼ら夫婦がこの町でどんな

目にあっているかを語りはじめた。

「こいつがヘアカットの店に行きたがるから、西町の大きな美容院に連れて行ったんですよ。

するとこいつを見た女のスタッフが、髪の質を検査して結果が出るまでに一週間かかるから、

今日はカットできませんと言うんです。要するによそに行けってことでしょ。それで俺が、ほ

かの客もみんなそうするのかと聞いたら、じゃどうぞ座ってください、だってさ」

「そりゃひどいねえ。奥さんはショックを受けたでしょう」

「病院でもこいつが待合室のソファに座っているとほかの人はみんな立っていて、名前を呼ば

れて立ち上がったら全員が座るとかね」

「平気でそんなことをするの?」

「たぶん平気だろうね、こいつを人間だと思ってないんでしょ、穢(けが)れなんですよ」

「私だったらくっつくように座るけどねえ」

その言葉に男はアハハと笑った。

「バス停でバスを待っていた時、横に若い母親と小さな女の子がいて、女の子は女房がめず

らしいからジロジロ見ますよね、それが子供でしょ。母親のほうは一切こっちを見なかったん

だけど、女の子の頭の上に手を置いて、ぐいっと前を向かせたんですよ」

今度は甲斐さんがけたたましく笑った。

「でもまったくの他人ならまだいいんで、こいつと結婚したとたんに友達の女房から、もう

家に遊びに来ないでくれと言われましたよ。しかも複数から」

「え?

本当に?」

「ある友達は夫婦で俺たちを小料理屋に招待してくれたけど、友達はこいつに、日本の料

理は何が苦手かとたずねて、それをまず店に頼むんです。巻き寿司とか茶碗蒸とかね。巻

き寿司なんかは食べ慣れていなくて口からぽろぽろこぼすでしょ。それを見て友達は、これ

が食べられなければ日本では暮らせないぞと笑うんですよ。ほかの国でだれがそんなことを

します?

食べたい物をまず聞くんじゃないですか?

日本人でも苦手な食べ物があるじゃ

ないですか。友達の女房はもっとひどくて、一切しゃべらず、鉄仮面みたいな顔で横を向い

たまま、その横顔から、東南アジアの若い女がなんぼのもんじゃい、みたいな金切り声が伝

わってくるんですよ」

「それもつらい話だねえ」

「村八分は村だけの話じゃないです。俺たち夫婦と親しげに話す奴でも、あるとき女房が

道ばたでそいつに出会ってあいさつしたら、目の前を無言で通り過ぎたらしいです」

「そういうのはたとえば、川の向こう岸からみんなが親しげに手を振るので、信じて橋を

渡ったら、みんな背を向けて逃げ出した、みたいな感じだろうね」

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「うまいこと言いますね。他人なら手を振らないでもらいたいです。だったら橋を渡らずに

他人同士としてうまくやっていけるのに。日本もフィリピンも島国だけど、日本人は海の向

こうから来た人間を異常なまでに怖がりますね。近くにいるとパニックになって目を合わせ

ようとしない。だからまわりに何百人いようと俺たちは二人ぼっちですよ」

男に悲壮感や怒りはなく、日本人へのあきらめや突き放し、あるいは見下げすら感じら

れ、日本人には何の期待もないといったふうだった。

「外国に行けば日本が分かるとか言うけど、観光旅行で分かるのは物価や味や文化の違

いくらいでしょ。こっちは日本にいながら日本人が分かって、うんざりですよ」

「私も中学の時に台湾から引き揚げてきたんだがね、日本の中学に編入したあと、なにか

につけて台湾帰りと言われたよ。社会人になってもそれは付いて回ったから、内緒にするこ

とに決めた」

「俺は女房に、ただ愚かなだけだから許してやれと教えていますよ。こちらの気持ちを伝

えたところで悪気は一切ないから、いつ、どこで、何時何分何秒に?

と詰め寄られるのが

オチ。そいつらはみんな車に轢かれるか、誰かに刺されて死んでしまえばいいんだ。他人だけ

残ってくれたらいい」

「うちの客に台湾人の施という男がいるけど、日本人と結婚して十年近くなるのに、奥さ

んの親戚の家に招かれたのは一度だけらしい。だから彼は日本に帰化しないそうだよ」

「国籍が日本でも許してくれないからね。俺たちに子供が生まれて学校に行くようにでも

なったら、こいつと子供がどんな目にあうか、今から想像できますよ」

私は二人の話を聞きながら、哲学者の森有正が著書の中で、日本に長期滞在していたフ

ランス人女性が、「もしも三度目の原爆が世界のどこかに投ちるとすれば、やはり日本であ

るに違いない」と語った箇所を思い出した。彼女も同じような目にあったのかもしれない。

男はうっぷんを吐き出して楽になったのか、帰るからタクシーを呼んでほしいと頼んだ。妻

は横で相変わらず静かにたたずみ続け、テーブル席の二人は椅子を寄せ合って手を握り合

い、うつらうつらしていた。タクシーのエンジン音が聞こえ、椅子の音を立ててみんな立ち上が

った。店を出て行く際に男は振り返り、「そうは言ったものの八割の人はやさしいんです。で

もいい人は記憶に残りにくいんですよ。ひどい二割が印象の八割を占めるんです」。そう言っ

て別れの手を上げた。

十八

少し長すぎる注釈

ここで、本来なら序章とか「はじめに」で語るべきかも知れないことについて述べておく。

登場人物のほとんどは実在している。話さなかった言葉、聞かなかった会話もない。ただし

テーマに沿うかたちで大きく変えた箇所も少なくない。複数の人に共通点を見つけ、一人

として描いてもいる。その上に立って甲斐さんの経歴も事実に基づいている。背景も身近に

同類のものがあり、たとえばBAR納屋は隣町にあるバーをモチーフとしている。現物は太

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平洋戦争のさなかに作られた堅牢なドーム型の防空壕で、今そこは市の所有地として現存

しているが、知人が鍵を管理してバーとして使っていたことがあり、カクテルとかのアドバイス

は私がしたという経緯がある。

およそ十年前、五十になったころから書き進めたこの小説には、「どれほど偉業を成した

としても、それは安らかな死をちっとも保証しないのでは?」というテーマがある。

ずっと昔にとても恐ろしい夢を見た。それは私が死ぬ瞬間の夢だった。

夢の中で私は仰向いて寝ていて、天井が見えていた。そしていきなり死が訪れた。強引で強

制的な死だった。私は上を向いたまま、つまり天井だけを見ながら、体がすごい力で下方へ、

地面へ、あるいは地中に引っ張られた。それは落下にも似ていた。急速に落下した。果てのな

い落下であることを背中が感じた。それでも視線は天井に向いていたので、天井がすごい速

さで遠ざかり、それと同時に、目には見えないけれども私の周囲にあるもの、夢の意識の中

では全世界だったが、それが崩壊して、急速度で落ちていく私の上に崩れ落ちてきた。そし

て私の背中は、いま向かっている先には良からぬことが待ち受けているというメッセージをし

きりに出していた。

目が覚めて、おそらく私はこんな心持ちで死ぬだろうと思った。しかしなぜこんなにもこ

わい、絶望の中で死を迎えなければならないのか、その理由が思い当たらない。その日から

私は「どのように生きるか」ではなく「どのように死ぬか」について考えるようになった。「どの

ように死ぬか」を知らずして「どのように生きるか」はまったく意味を持たなくなった。今の

ままではどう生きてもたぶんそうなるだろうからである。

ほとんどの人は「どのように生きるか」だけを考えている。頭のいい者も悪い者も、のんき者

も神経質な者も、成功者も失敗者も、吝嗇(りんしょく)家も浪費家も、ホームレスも大統

領も、皆が皆「どのように生きるか」だけを考えていて、しかしそれだけでは、最後に等しく

訪れる死の大きな恐怖や苦しみ、あるいは死の圧倒的な重圧から逃れられないのではない

か。なぜなら、「どのように死ぬかから出発して、どのように生きるかという道筋を探る」こ

とをしないからだと私には思われた。

そういったことをずいぶん前から熟考し、最近ようやく考えが出尽くして、答えを得られ

る足がかりを得た。それについても簡単に述べておくと、人がどのような心持ちで死を迎え

るかについて五種類に大別できる。一つは天から光明が射してくるような安堵感、二つは谷

底に落ちる時のような恐怖と絶望、三つは牛や馬のように無意識のまま果て、四つ目は生

きているのか死んでいるのか分からない夢心地の中で生涯を閉じ、五つ目は本当に素晴らし

かった人生を振り返りながらよろこびとともに人生の幕を閉じる。先にも述べたが、「どの

ように生きてきたか」あるいは「どう生きていこうか」だけでは、ほとんどの人が二番目とな

らざるを得ない。私自身も今のままでは十中八九そうなる。しかしそれだけは絶対に避け

たい。せめてそれ以外の死が訪れるような生き方、というよりも心の持ちようについて、今

のうちから判っておきたいというのが、この文章を書きはじめた動機となっている。

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すべてに感謝する気持ちが大切だとか、信仰心が重要だと思っている人もいるだろうが、

そんな言葉の仕入れだけで残りの人生を突っ走るほどの自信家ではない私は、身近にいる人

物を小説に登場させることで予測を極力リアルにし、想像を、実際に起こりえる可能性に

まで引き寄せて、効果の期待できる答と処方を得たいのである。しかしそれが、一つの表現

としてうまく言いあらわせるか。そこはなかなか胸を叩けないところではある。

十九

クリーム色の軽自動車があった。ここを最初に見つけた時にあった車と似ていた。店に入る

と若い男が甲斐さんと赤ワインを飲んでいた。ミニチーズのアルミ箔を剥いては口にぽいと入

れ、ぐちゃぐちゃ噛んで口の中でワインと混ぜるような、お世辞にも品がいいとは言えない

飲み方をしていた。黄色いベルトの腕時計をし、赤いチューリップハットをかぶり、着ているコ

ートは女物だった。私はいつものようにスチールのテーブルに着き、今日はギムレットでも飲

もうかと言うと、その青年が振り向いて「大人ですねえ」とからかった。

「岡ちゃん作ってあげてよ」。そう頼まれて岡ちゃんという青年は、軽快にキンキンと金属

音を立てながらシェーカーを振り、切れのよいギムレットを私の前に置いた。そのとき彼の目

にわずかに闇が存在していたのを私は見逃さなかった。外の車が気になって、飲酒運転はま

ずいだろうと忠告すると、「今夜は車の中で寝るんですよ」と当然そうな顔をした。

彼は岡村という姓で、1982年生まれというから私の娘よりもずっと若く、仕事は建設

現場に足場を組む鳶で、県外のあちこちに出張しているらしかった。きのう数か月ぶりに金

沢から伊田の実家にもどり、次の現場が決まるまで家で待機するのだと言う。同じ現場仕

事でもイシちゃんとは印象がずいぶん違い、納屋には岡村青年の方がしっくりきていた。

「現場でも親元に戻っても、酒を飲んでるか踊っているかですよ」

彼の趣味は踊ることで、出張先ではよくディスコに行くと言った。

「マスター、ここで踊ってもいい?」

二本目のワインの栓を開けながら岡村青年が聞いた。

「いいけど、音楽はどうする?」

「車の中にCDがあるよ」

「テーブルは脇にどけようか?」

「このままでかまわないよ、盆踊りを踊るわけじゃないから」

そう言って彼はディスクホルダーを持って来て、店のCDラジカセに一枚入れた。

彼は踊った。軽快な音楽に合わせて踊った。周囲を気にせず踊った。狭い場所をあまり動

かずに踊った。その踊りは、彼だけの踊りだった。左右の肩を交互に上げたり下げたり、ド

ジョウすくいでもあり、ブレイクダンスだったり、炭坑節のようでもあり、大きく上に突き上

げたり下に縮んだり、ディスコティックでもあったし、子供のお遊戯、クラシックバレエ、インド

や東南アジアの香りもし、おわら風の盆のごとく止まり、軸足を中心にしてサッと回り、伸

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びたりねじれたり、足をドンと踏んだりチョンと置いたり、何かを探し、みつけ、爬虫類や

鳥や、波や竜巻や、太陽と闇、サーカス団員やミュージカルダンサーにも彼はなった。

踊ることで何者かになろうとはしていなかったが、しかし同時に、いつかどこかで見たこと

のある踊りをつなぎ合わせただけにも思えた。珍しくはあっても新しくはなかった。そこが、

目は奪われたが感動が沸かない理由だった。私は最近貼り替えられたトイレの文章を思い

出していた。そこにはこうあった。

詩人の定義

詩人というのは、私たちが学校で習ったような、一風変わった文体で風景をきれいに書

く人のことではない。国語の点数や作詩能力とも関係がない。文字による表現テクニック

のある人を言うのではないのである。

詩人は歌を詩のよう歌うが、音楽の点数とは関係がない。

詩人は絵を詩のように描くが、美術のテストがよいわけではない。

詩人が撮った写真には詩が感じられるが、カメラにくわしいわけでもない。あり方が詩

的なだけだ。

だから詩人は、漁夫の中にも、看護婦の中にも、教師の中にも、トラック運転手の中に

もいる。どこにも、わずかに、しかし必ずいる。

彼ら詩人は、たとえ群れの中にいても、自分の世界で遊ぶ。

この定義に当てはめれば、目の前にいるのは鳶職の中のダンサーだった。ふと私は、アーテ

ィストというのは、それで生計を立てているかどうかではなく、アートに満たされている人の

ことではないかと思った。詩人の漁夫はカモメや波しぶき、星のまたたき、沈み行く夕日か

ら詩を受け取り、音楽家の農夫は風に揺れる稲穂の奏でる音楽に耳を傾け、画家の工場

労働者は、設備や働く人が水墨画や油絵のように見えるのではないかと。しかし、いま目の

前にいるのは、せいぜい組み合わせに長けた踊り好きといったところだった。彼はダンスを並

べていた。珍しくはあっても新規性に乏しいダンスを。詩のないダンサーだ。

やがて音楽が終わり、踊りも終わった。彼は額に汗を浮かべ、ふうと一息ついてワインを水

のように飲んだ。そして晴れがましい笑いを見せた。

二十

翌日の朝十時に納屋に行った。昨夜の岡村という青年が、今日もこの町にとどまって夜ま

た車で寝ると言ったので、じゃあちょっと商店街をぶらついてみようということになった。

岡村君は車で音楽を聴きながら待っていた。甲斐さんは朝からどこかに出かけたらしい。

私たちは彼の車で商店街に向かった。ほかに行きたい場所は二人になかった。

中央商店街は通路が半円の屋根で覆われているアーケード街で、今は空き店舗が目立つ

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が、古くは長崎街道の宿場町として栄え、長崎から江戸への行き帰りにこの町に立ち寄った

ドイツの医師フランツ・フォン・ジーボルトが「江戸参府紀行」に、このあたりは特に美人が多

いと書き残している。戦前と戦後しばらくは炭鉱景気に沸き、炭鉱の火が消えてもその余

韻がずいぶん続いたが、今その面影はどこにもなくなった。

有料駐車場に車を停め、私たちは通行人のほとんどいない商店街に足を踏み入れた。品

揃えが豊富なわけでも、近くに無料駐車場があるわけでもなく、目を引く商品も並ばず、

価格も大して安くなく、遅い時間に店を開け、早く閉める個々の商店が集まっている商店

街に空き店舗が多いのは当然で、いまだに存続している方が不思議だった。店はなんの統一

性もなくばらばらで、明るくて清潔な店の隣に、まるで客を拒否しているような薄汚い店

もあったが、どこからか流れてくるL

ouis Arm

strong

のWhat a W

onderful World

が、廃れて

いきつつある商店街と妙にマッチしていた。

十分ほど歩いただけで私は飽きたが、岡村君はコートの内ポケットから小型のカメラを出

し、ちょっと目立つジュエリーショップに向けた。その店は隣の建物との境である化粧壁が少

し剥げ、下から赤い煉瓦の壁が覗いていた。

「なるほど。この建物はもともと煉瓦造りだったんだな」

岡村君はそうつぶやき、少し後ろに下がって、露出した煉瓦壁を縦位置で撮った。

「こんな所に人の油断を感じるんですよ。どこか別の世界の入口という感じもしますよね」

そんなものかなと思う私を尻目にどんどん歩いて行き、閉店して久しい空き店舗の前に

落ちている、輪ゴムでまとめた宝くじ券の束や、何らかの目的で引かれた道路の白墨線を、

周囲の風景も入れて撮った。

昼飯時になったので再び車を走らせ、市役所近くの綏芬河(すいふんが)で豚骨ラーメン

を食べた。この店の亭主は中国からの引揚者だと岡村君が言った。そして壁に掛かったメニュ

ーを示し、「太郎麺」は地元出身の麻生太郎衆院議員の好物で、帰郷のたびにここで食べる

と教えてくれた。この町に来た当初、豚骨味は山口県育ちの私には臭くて馴染めなかった

が、慣れてしまうと、故郷の中華そばはあっさりし過ぎて口に合わなくなった。

「納屋が開くまでワインを飲みませんか。おごりますよ」との提案で、駅前の五龍酒店で

北イタリアのノランテとチリのコンチャ・イ・トロ、そしてブルーチーズを買い、コンチャ・イ・ト

ロを開けてもらって紙コップを二つもらった。岡村君はその足で五龍酒店の隣にある「スリー

パー」に行き、RE

ALIS

T

というロゴの入ったTシャツを試作したいと頼んだ。スリーパーはスケ

ートボードが立てて置いてあるラフな雰囲気のデザイン工房で、岡村君より五つか六つ上く

らいの控えめな男性が応対した。二人はちょっとした知り合いらしかった。さらに五龍酒店

の斜め向かいにある喫茶店「太陽」に入って挨拶だけした。喫茶太陽は戦後まもなくオープ

ンした古い店で、店にいた老齢の姉妹が、吉田茂元首相の専属料理人から習った親子丼の

味を今も守り続けているそうである。このあたりのいろんな店を彼が知っているのは、この町

Page 55: Bar納屋界隈ver 3

にある近畿大学デザイン学科を卒業したからである。

納屋に戻った私たちはバナナの木の下に腰を下ろした。昼間から住宅街の一角で酒盛り

をするのは不思議な気分だった。

二人並んでぼうっとしながら、岡村君が納屋に来るようになったきっかけを聞いた。

「けっこう前ですけど、博多行きの電車に乗ったんですよ」

その日彼は天神で映画を見ようと思って福北豊線の車中にあった。

「吉塚にもうすぐ着くという時に、ちょっと離れたところの座からこうもり傘の柄が斜め

上にするするっと伸びて、吊り革のわっかに引っ掛けて立ち上がった年寄りがいたんです」

「それが甲斐さんだったんだな」

「そうなんですよ。面白い爺さんだなと思っていたら、今度はつり革にぶら下がったんです。

五秒くらいだったけど、ちょっと揺れていました」

「そりゃ変わってるよ。乗客は大勢いた?」

「博多の一つ手前ですからね」

老人は吉塚駅で降り、岡ちゃんも降りて老人のあとをつけた。

「キミもかなり変わってるね」

甲斐さんは駅から歩いて十分くらいのところにある薄暗い市場に入っていった。そこを岡村

君は「戦後の闇市」と評した。「物を売るおばさんがタバコを吸っていたり、店の前に木の台を

出して店主が缶ビールを飲んでいたり、あちこち破れたシートを日除け代わりに通路の上

に張った靴屋とかもあって、福岡で一番の観光地になりそうでした。パン屋の名前にしても

ヨーロッパンですからねえ」。

狭い通路の両側に揚物屋や魚屋や肉屋、あるいは弁当屋や食堂が並び、半ズボンの西洋

人がうれしそうに自転車で走る横を中国人の若いカップルも歩いていたという。空き地には

モンゴルの遊牧民が暮らすゲルが張られ、モンゴル料理店として営業もしていたらしい。

そんな不思議な市場を老人は突っ切って、自家焙煎コーヒーとドイツのパンを売っている

「パルル」という店に入った。市場のはずれで人通りが極端に少なく、岡ちゃんは仕方なく、

パルルの露天テーブルに席を取ってコーヒーを注文した。

「その店には甲斐さんより若い爺さんがいて、二人で立ち話を始めました。会話の内容か

ら、パルルは、その爺さんが経営している精神的に不安定な人の休息施設でした」

そして甲斐さんと施設の爺さんが岡ちゃんに気を回して、ゆっくりしていきなさいと声を

かけ、そのあと甲斐さんが、「博多の知り合いのところに観葉植物の苗をもらいに行くから

一緒に行くかね」と岡村君を誘い、結局その日は夜まで付き合うことになった。

「なにがきっかけになるかわからないね」

「そうですね、あとをつけなかったら今こうしてワインを飲むこともなかったわけだし」

「おれも頭痛にならなければ今ここにいないよ」。そう言って私も経緯を簡単に話した。

「そういえば去年、長崎で夜の街をうろついて、バーに入ったんですよ」

Page 56: Bar納屋界隈ver 3

「長崎はしょっちゅう行くの?」

「いえ、初めてでした」

その店はカウンターに中年のカップル、テーブル席にも若い女性がいた。岡村君からカクテ

ルを注文されたバーテンダーは、滅多に見ない格好でシェーカーを振り始めた。

「普通は右の耳あたりに上げて振るでしょ、客の方を向いて」。岡ちゃんは馴れた手つきで

その格好をしてみせ、「でもそのバーテンはシェーカーを胸に抱くように持って客に背を向け、

両肘を左右に大きく広げて前後に振るんですよ」と、その格好もして見せた。

「それを見て甲斐さんの言葉を思い出したんです。胸のあたりで小さめに振るバーテンダ

ーには姉か妹がいると。だから聞いてみたんですよ、姉か妹のいる振り方をしますねって」

するとバーテンダーは目を丸くし、隣にいた中年カップルも唖然とした顔になったらしい。

「こっちこそびっくりですよ。だってそんな振り方じゃないですかとごまかしましたけどね。

それにしても甲斐さんって、ジジイのくせして何でいろんなこと知ってるんですかね」

「さあね。ただ酒が好きなだけじゃないか」

「僕の親父も酒好きだけど、あんなじゃないですよ」

そう言ってブルーチーズをかじりながら紙コップに目を落とし、「ワインの味を知ったら人

生の残り半分を手に入れたようなものだと久保井さんは言ったけど、僕にはまだ分かりま

せんねえ」と言った。久保井とは納屋にたまに来るシニアソムリエである。

「当たり前だよ、キミはまだ半分も生きていないんだから」

「でも一年が過ぎるのは早いですよね、もう正月が二十回以上も終わったなんて」

「こっちはあと二十回あるかないかだ」

「僕の親もそれくらいですね。一緒に過ごせる正月があと二十回くらいか」

なるほど、人生を正月の回数という単位で計るとずいぶん少ないものである。

「今の仕事をいつまでもやる気はなくてね、お金を貯めてタイに飛ぶつもりですよ。むこう

でいとこ夫婦が食堂をやっているんです」

「納屋みたいな民家を見つけてバーをやればいいんじゃないか」

「それも楽しそうですね。うまくいけば親も呼ぶかな」

「鳶が本当に飛ぶんだな」

今を打開したい気持ちになることは誰にもある。でもそれを行動に移す人は少ない。う

まくいくよりも損が大きいと思うからである。しかしそれをとめられない人もいる。

眠くなった岡ちゃんは車の寝袋にもぐりこんだ。彼はまた今夜もノランテを飲み、車で夜

を明かす。私は千鳥足で住処(すみか)に戻りながら、甲斐さんくらいの年齢になれば誰で

もあれくらいの知性に到達するのだろうか。なぜ自分は今そうなっていないのかについて思い

をめぐらせた。

Page 57: Bar納屋界隈ver 3

二十一

熊野神社大祭が二日間の日程で催されると甲斐さんが言う。神事のあとの町内祭りに

参加してくれないかと頼まれた。祭りを準備する役員にビールも一ケース差し入れたいら

しい。「日曜日は暇だろう?」。それが殺し文句だったが、どうせ自治会長対策だ。「役員連

中を手伝えば納屋の評判も上がるが、それではアレが調子に乗るから」。やっぱりそうだ。

この大祭は盆と秋を一まとめにしたような祭りで、初日の土曜日は朝から神事が行なわ

れ、午後から子供神輿(みこし)が奉納される。翌二日目の午前中は氏子による獅子舞が

町内を回り、午後には高学年の児童らが吉凶のあった家々を訪れて、紐の先にくくられた

大人の頭ほどの石で敷地を何度か搗(つ)いて、家の安全と繁栄を祈願する「猪子(いのこ)」

がある。昔は男児だけで行なったが、最近は三割が女児だそうである。そして薄暗くなり始

めたころ公民館横の公園でカラオケ大会や町民による演芸が披露される。毎年メインの出

し物があって、今年は地元出身の演歌歌手が来るというし、高校生バンドもロックを演奏す

る。いわば年に一度の大きな町内フェスティバルで、何年か前には山口県から「周防の猿回し」

を呼び、テレビのCMに出た猿の一座が来ると評判になって新聞社も取材に来たほどだが、

出演料が大きな出費となり、以降演芸会は地味にやろうということになったらしい。

町内会の男役員七八人が、公民館公園の隅に、脚部を紅白の幕で囲った屋根つきの舞台

を作り上げていた。金色のひらひらしたモールで飾られ、「熊野大祭演芸会」と大書した看

板が掲げられている。屋根の上から電気コードを結わえたワイヤが、公園の上を跨ぐよう

にして何本か渡され、それに提灯がいくつもぶら下げられていた。私がBAR納屋からの差

し入れだと言ってビールを一ケース持ち込むと、提灯に電球を取り付けえていた若い男が

脚立の上から頭を下げた。

いったん家に戻って夕方にもう一度顔を出した。まだ祭りは始まっておらず、音響業者が

マイクを握って「テス、テス」と音量の調節をやっているようなころで、スピーカーからハウリン

グする音も聞こえていた。役員らはほぼ準備を終え、いくつかのテーブルに散らばってのど

を潤したり歓談したりしており、舞台の対面に三つ四つ張られたテントでは女性たちが料

理を作っていた。結構な規模の祭りになるようだ。

「納屋さんがお見えになるとは、今年はちょっとした大祭になりますな」。自治会長が破

願一笑して、これも自分の人徳だとでも言いたそうな大げさな身振りで、舞台の横のテン

トに私を招き入れた。長テーブルには「役員席」「来賓席」と書かれた紙が貼ってある。自治

会長の胸には名札が下がっていたが、赤いバラがじゃまをして読めなかった。

「ここは私の座る場所ではないでしょう」。そう辞退すると会長は、「納屋さんをほかに座

らせたら町内に顔向けできませんよ」と言い、私の背を押すようにして椅子に着かせて自

分も隣に座った。猿回しを呼ぼうと決めて独り突っ走ったのがこの男である。そして新聞に

自分の写真とコメントだけが載って町民の立腹と失笑を同時に買ったのだ。

Page 58: Bar納屋界隈ver 3

会長は満足気な顔で体をこちらに向け、「この町の町作りはさっぱりですな」とぼやいた。

どう答えていいか分からないでいると、「地域の活性化は誰がやると思っているんでしょうね

え。かけ声だけで町興しが出来るわけがない」と、私を試すように見た。しょうがないので

私は顔を前に向けたまま、「地権者か大企業の社長にでもならなければ町は変えられない

ですよ」と、ごく当たり前のことを答えた。

「すると、住民は黙っていろとでも?」。自治会長が気色ばんだ。なるほど彼は最初から論

争を吹っかけるつもりだったのだ。それは私に甲斐さんの姿を重ねてのことだろうし、勝つた

めには私でなくてはならないのである。それで私は少しの間、意識のどこかに埋もれている

言葉を探した。

「町作りを唱える人に、どの一角のことなのかとたずねても答えられないでしょうね。そり

ゃそうだ。答えたところで地権者でも住民でもないんだから何の権限もない。地域の子供の

将来がどうのこうのと言いはするけれども、子供の名前は挙げない。親でも親戚でもないん

だから当然ですけどね。かといって自分の子供や孫の名前を言うほどの正直さもない。万

事がその調子で、目立つために責任の及ばない場所で愚痴っているだけですよ。そんな人は

何もしませんよ、というより出来ないんですけどね」

「じゃあ成るに任せるしかないと言いたいわけですか」。会長の声がけんか腰になった。

「自分の仕事に励んで家庭をしっかり守るだけでいいんじゃないですかね。というか、それ

しかやれないでしょ。それで余裕があれば身近な人を助けてあげればいいんですよ」

ひんやりした空気が流れ、ずいぶん気まずい雰囲気になった。自治会長からの返事はなか

った。彼は私に殺意を抱いたかもしれない。そこに、「納屋さん、こっちで一杯やりましょう」

と誰かが呼んだ。三人の若い男が丸テーブルに陣取って、一人が缶ビールを片手に手招きし

ている。彼らは祭りの設営をしていた役員で、祭りが始まるまで時間をつぶしていた。

その声を理由に腰を上げると会長は私を見上げ、「ほう!」という表情で口を丸く開けて

目を見開いた。この表情(ほう!)は、彼が判断に迷った時の時間稼ぎで、そのわずかな間に

感情を整理する。彼は特別な感情になる前振りとして、かならず最初に「ほう!」が来るの

である。そのあと彼はとても嫌な顔をした。

その場を捨てるように席を離れた。謝辞もしくは詫びの言葉を告げるいわれはなかったし、

特別な扱いをされたいわけでもなかった。だから私の背に「あいつらに、順繰りでいいからこっ

ちに来て座れと言ってください。そうしないと示しがつかない」と聞こえたが、伝えるはずも

ない虚しい依頼であった。私に命じず、自分から彼らに近寄ればいいのだ。

「せっかく来たのに災難でしたね」。ビールの缶を握り潰しながら言ったのは、脚立に乗って

提灯をぶら下げていた男である。ビールはすでに二缶空いており、手の空き缶を高く上げて、

テントで飲み物の準備をしている女性に次を催促した。髪をオールバックにした男が「まあの

んびりしていってください」と言った。彼の前にもビールの缶が横になっていた。ペットボトルの

緑茶を飲んでいる黒縁眼鏡の男もいて、彼は赤い顔で携帯電話を耳に当て、体をよじって、

Page 59: Bar納屋界隈ver 3

今夜は少し冷えるかもしれませんねと誰かに話していた。こちらもビールが二缶空になって

おり、発泡スチロールのトレイにおでんの玉子とごぼう天を少しかじったまま置いていた。や

がて彼は電話をぱちんと閉じて二回ほど小さなゲップをしたあと、「さっきの話はどうなっ

た」と聞いた。

「いま俺たちはある事件のことで盛り上がっていてね、去年の秋ごろ隣の町内で焼身自殺が

あったのを知ってます?一軒家が丸焼けになった事件」

私を呼んだ男がそう言いながら顔をしかめて次の缶をプシュッと開けた。

「いや、知らないですね」

そう答えると三人はそれぞれ私に説明しはじめた。

「さいわい雨の夜で隣は燃えなかったけど、原因が釈然としないらしくて」

「一部上場の会社を定年退職した独居老人が貯金も退職金も全部下ろして灰にしてし

まったらしいです。土地も金に換えて全部燃やしたそうですよ」

「近所の話では、そいつは道端で見知らぬ年寄りと何回か話をしていて、そのあたりからお

かしくなったらしいね」

「その話し相手は納屋の甲斐さんじゃないかと俺は思っているんですよ」

「そうかもしれませんね」。そう答えたら三人の空気が少し凍った。

「やっぱりな。お前ら、俺に奢れよ」

「甲斐さんならありそうだという意味ですよ」

「ところで、あなたは甲斐さんの息子さん?」

「いや、ふるさとが同じというだけの間柄です」

「じゃ、台湾の人です?」

「いえ、甲斐さんの先祖と私の出身地が山口県の下松というところなんですよ」

「なるほどね、同郷のよしみってやつですか」

「そんなところかな。それで使い走りみたいなことをよくやらされるんです」

「甲斐さんの後継者かと思ってましたよ、あのへんでちょくちょく見かけるから」

「いや、店を気に入っているだけ。歩いて行ける距離ですし」

「ところでこないだの総会は助かりました」

「そうですか?」

「あれは俺たちが言わなければいけなかったんですよ、役員会でも出ていた議題だし」

「どっちみち市の職員が止めたんじゃないですか」

「いえ、それと住民の気持ちが反映されるのとは違いますから」

「それはそうですが」

獅子舞が存続しようがしまいが私には関係なかったし、住民が必要だと思えば自ら参加

すればいいだけである。伝統なら何でも残せばいいというわけでもない。

「火事で思い出したんだけど、線路沿いの八百屋がボヤを出したことがあったろう」

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別の火事の話題になった。

「婆さんがやっていた店だろ。二年くらい前だったかな。あそこらは古い家が多いから」

「田所さんというんだけど、家は大して焼けなかったし水浸しにもならなかったから、店を

また始めたいと近所に言っていたころの話だよ」

「でも今は空き家だよね」

「うん、ずっと雨戸が閉まってる。息子のところに身を寄せたと聞いたけど」

「あの近辺を検針している時に、田所の婆さんが誰かと話しているのが聞こえたんだ」

「盗み聞きは水道屋の特権だな」

水道屋によると、田所という婆さんは家の前を通りかかった養護施設の女性職員に、店

を再開する話をしたが、その職員から一方的に、まともな品揃えもできないのに自己満足

でやられたら近所が気を使うとか、年齢的に将来展望はないだろうとか、こっぴどくやり

込められたらしい。

「それを言われたら何も出来ないじゃないか」

「しかも関西弁で言うものだから、からかっているのか親切心なのかよく分からなくて。で

も田所の婆さんはずっと黙っていたよ」。水道屋はその職員の関西弁を女声で真似て笑った。

「そいつはたぶんマリコ先生というんだ」。黒縁眼鏡の男が言った。

「知ってるのか」

「ここらの主婦連中には口の悪さで有名だよ」

「碇川の横の養護施設か。豊楽園だっけ?」

「たまに、人を小ばかにしたような言い方をする女っているよね」

「そんな女は毒と書いたマスクをつければいいんだ。これを外すと毒が出ます、みたいなの」

「女だけとは限らんよ」。脚立の男が水道屋になにか囁き、二人は声を殺して笑った。

「パーティグッズで売れないかな。皮肉マスクと愚痴マスクの三点セットで」

「あったら買うよ。課長の机にこっそり入れておきたい」

「どうしてそんな人間がいるんだろうな」

「親から同じような扱いを受けて育ったんだよ。性格はみんな親譲り」

あたりが騒がしくなったので見渡すと、町民がずいぶん集まっていた。各々席に着き、手に

食券を持ってうろうろしている者もいる。舞台にマイクスタンドが置かれていよいよ始まるよ

うだ。間もなく自治会長が舞台に進み出て挨拶し、司会者が最初の出し物を紹介した。こ

こで帰ったら目立つし失礼にもなるので、二つ三つ見物することにした。最初に三人の高校

生がロックを演奏したが、歌詞が聞き取りにくくてアウアウアウであるうえに、「もっと、き

っと、キミのため」の歌詞を「モッツォ、キッツォ、クィミノツァメ」と発音して、まるで言語障害

者だ。帰国子女でもそうは言わない。音もばらばらだし、動きも全身が痙攣(けいれん)し

ているようだった。それでも住民らは顔を見合わせて感心したり褒めたりしていた。

次は若い母親くらいの年齢の女性が七人並んだ。黒の上下に赤くて長い鉢巻をし、化粧は

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濃かった。出し物はいわゆる「ご当地よさこい」で、この地方ではある年齢に達したヤンキー

連中が社会復帰の足がかりとして踊ることが多い。今日もその臭いがした。彼女らは派手

で大仰な音楽に合わせてチャキチャキ踊り、「ハッ!」とか「ヨイヤサ!」と声を揃え、しゃが

んだり回転したりして威勢のよさを見せたが、住民の手拍子はあったものの声援は一切な

かった。どうやら「元はヤンキーでした」の自己紹介に終わっただけのようだった。

「何か食べませんか?」。役員が食券を差し出した。「いえ、次の出し物を見てから帰りま

すから」。そう断って三つ目のプログラムを待った。

女性五人がフラダンスの衣装で整列した。耳の上に大きな花飾りをつけている。でも年齢

が高すぎた。踊りも一人くらいは上手かと思ったが、ただゆらゆら揺れているくらいのもの

で、元気もないし優雅でもない。それでも拍手喝采だ。あれくらいの歳で色気を振り撒くの

にフラダンスは最適で、案外そういった取り入れられ方を日本ではされているのかもしれな

い。彼女らの退場に合わせて私も席を立った。三人に軽く会釈をし、公園を出たころにメイ

ンの演歌歌手が登場したようで、背後にどっと沸く声が聞こえた。これから最高に盛り上

がるだろう。

納屋で手短に報告したが、会長との会話は伝えなかった。焼身自殺した老人の話も思い

出さなかった。甲斐さんも深くは聞かずに、何でも好きなものを飲んでもいいと言うので、

久しぶりにウォッカを生のまま口に含みながら、下松の地を訪れてみたいと思わないのかと

たずねてみた。甲斐という苗字は下松では珍しいだろうから子孫が見つかるかもしれない。

それについて甲斐さんは、自分のふるさとは台南で、それも戦争の足音が聞こえてくる中を

川や海で泳いだり、戦争さなかに低空飛行するグラマンから逃げ回ったり、燃えながら落

ちてくるゼロ戦を見上げたり、布団に隠れて蓄音機でベートーベンを聞いたりしていた時代

こそが故郷の風景で、それより以前でも以後でもなく、祖父は下松村の中村という集落の

出身だが、そこに子孫がいたにしても、共通点より違っている点の方が多いだろうから、会っ

ても虚しいだけだと言った。私は思わず、自分は中村小学校に通ったのだと言おうとしたが、

それを伝えたところで何の意味ももたらさないので、なるほどと答えるにとどめた。

「下松という地名の由来を知っているかね」

「松の木に星が落ちたという話ですか」

「やっぱりあったんだな」。甲斐さんが驚きの声を上げた。

「知っているんですか」

「もちろん知っているとも。台南で爺さんから聞いたよ」

その言葉に私は感動を覚えずにはいられなかった。戦前の台湾で下松という地名の起こり

が語られていたのと、甲斐さんが下松の血を引く者であることが証明されたことへの感銘だ

った。甲斐さんは矢継ぎ早に、その松の木は今も残っているのかとか、隕石はどこかに保管

されているのかなど質問したが、私はそれを知らず、「飯塚という地名も何かのいわれがあ

るんですか」と逆にたずねると、「高貴な人物がこの地を訪れた際に炊かれた飯が、塚ほど

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の小山を作ったらしい」と答えた。でもその高貴な人が誰なのか、どんな事情で立ち寄ったの

かまでは知らないようだった。

第四章

二十二

風が吹き降りてきた。森の上に一斉に吹き降りてきた。

森の木々を揺らして風が舞った。木はざわざわ揺れた。左右に揺れた。円を描くように、

あるいは弧を描いて揺れた。葉を落とす木があった。葉の舞い上がる木もあった。落ちな

い葉も細かく振動し、枝はしなやかに曲がった。地上には大きくしなる草もあった。その

ようにして風が舞い降りて、森全体がさまざまに、そして嵐のように一つに揺れた。

ところどころ、場所は離れているのに同じ揺れ方をする木があった。それは同じ種類の

木で、似たような枝ぶり葉ぶりで、似たような土壌の上に立っており、幹の太さも高さ

も似通っていたため、お互いが共鳴しているわけではなかったが、もしも森の観察者の目

にとまったとすれば、両者はまるで意思を疎通して揺れているように思い違えたであろ

う。しかし木は、ただその木を果たしているだけだった。その木らしく幹を震わせ、葉を

揺らし、枝をたゆませている一本の木に過ぎなかった。

儲け話があってこの町を十日間ほど留守にしていた。

母から久しぶりに電話があり、広島の桑田さんを知っているかと聞く。私の居所をたずね

てきたらしい。

桑田君は年下の幼馴染みで、今は三原市のゑびす屋という土産菓子店で副社長をしてい

る。電話して用件をたずねると、近々広島駅前のデパートで一週間ほどフェアを開催する

予定だが、菓子の梱包機に右手を挟まれて大けがをし、動きがままならない。それでフェア

を手伝ってほしいとのことだった。宿などの経費は心配しなくていいと言う。フェアと併せて

母にも会えるし、その話に乗ることにした。

車検と重なったので郷里には電車で帰った。福北豊線の折尾から鹿児島本線で下関まで

乗り継ぎ、下関から山陽本線で下松に向かう鈍行列車の行程で、半日近くかかった。途中、

宇部か小野田あたりでめずらしい形の雲を見た。左右の窓から見えるほど横に長い、黒々

とした葉巻のような巨大な雲が一本、ほぼ真上に横たわっていた。北側の端っこは中国山脈

の上にあり、南側の端は遠く瀬戸内海の上空にあって、九州の方角を向いていた。地震雲な

らすごいと思い、実家に着いて母に話したら、そばから弟が「写真を撮っておけばよかったの

に」と残念がった。二日後のニュースで、大分県で小さな地震があったと知った。

母は相変わらず近所の誰かを敵にして怒っていた。今回は最近越してきた隣の若夫婦で、

その前は筋向かいの家だった。さらにその前は数軒離れた家や昔からの友達といったふうに、

常に敵を作り、そのわけを私たち息子に暴き立てることで生きた心地を味わっていた。父の

Page 63: Bar納屋界隈ver 3

死後、母の敵でないのは三人の息子だけで、あとは皆どこかに許せない箇所を見つけ、それ

を大きく膨らませることで敵に見立てていた。今回の帰省でもそういった愚痴を聞かされ

た私は、時々相槌を打ちながら聞き流し、必要に応じてなだめたり諌めたりした。しかし

母はなかなか聞き入れない。納得したかに見えても次に帰省した時にまた蒸し返して怒り

を露わにするのである。この調子のまま母が臨終を迎えるとすれば、この世を去る瞬間に

どのような光景がまぶたに浮かぶのだろう。最後に残るこの世はどんな味わいを母に残す

だろうと思うと私の気持ちは重くなる。

フェアは忙しくはあったが退屈した。ハッピを着ていらっしゃいませを連呼しているだけでよ

く、あとは店のスタッフがやってくれた。商品のメインは蛸を使った煎餅「ゑびす屋のたこせ

ん」で、結構な売れ行きだった。桑田君は右手に包帯を巻いて痛々しかった。ベルトに挟まれ

て骨が粉々に砕けたそうで、形は再生できそうだが、動きは元に戻りそうにないと言った。

「じゃあ治ったら俺とジャンケンするか」。そうからかったらさみしそうに笑った。それでも

彼には没頭できる仕事があり、家には妻と小学生の娘二人がいて幸福のようだった。幸せに

囲まれている人にあまり近づくと、その人の幸せを揺らがせるかも知れないので、あまり踏

み込まないようにした。私はそういう行動をとることがよくある。桑田君は日曜日に二人

の娘を連れて来て、店の奥であれこれと手伝わせていた。彼は父の威厳を保ちながら、やさ

しくもあった。その光景をほほえましく見ながら、私は娘と久しく会っていないことに胸が

痛んだ。会えるのは夢の中だけである。

帰路も在来線を使い、急ぐ理由はなかったが実家を素通りした。列車は櫛ヶ浜、徳山、富

田、戸田、富海、防府に停まり、次の山陽本線小郡駅で五分ほど停車して、山口線と宇部

線からの乗り換え客を待った。小郡は県庁所在地の山口市に南接し、種田山頭火がしばら

く過ごした地として有名で、明治陸軍を創設した大村益次郎の出身地にも近い。やがて増

えた乗客を乗せて列車は出発した。

隣の車両から変テコな男がのっそりと入ってきた。年齢は六十くらいで、きちんとスーツを

着、坊主頭のずんぐりした体型で、大きなリユックを背負っていた。彼のどこが変テコだった

かというと、その動きだった。この車両に入るなり立ち止まり、首をサーチライトのように

左右にゆっくり振って、ある一点を見定めて目をカッと大きく剝き、そちらにゆっくり歩い

て深く息を吸った。男が歩み寄った先には若い女性が座っていたので、二人は知り合いかと

思ったが、男に気がついた女性は怪訝な表情になって顔を窓の外に向けた。すると男はその

場を離れながら、再び首を振って車内を見回し、また一点を探り当てたが、今度はまぶた

を細く閉じ、背を丸めて息を深く吐き出しつつ、すすっと早足で進んだ。見るとそこには中

年の女性がいた。男はこうして右に左に首を振りつつ、時には目を最大限に開け、時には糸

のように細くして、また息をゆっくり吸ったり大きく吐いたり、そして歩みも速めたり遅く

したりを繰り返しながら次の車両に移って行ったが、私には目もくれなかった。首を伸ばし

てドア越しに隣の車両を見ると、先ほどと同じ動きをしながら歩いている背中が見えた。

Page 64: Bar納屋界隈ver 3

小野田駅から乗客が減った。私は窓の外のどういうこともない風景に目をやり、線路脇の

家々が早い速度で流れてゆく様子や、まるでゆっくり回転してでもいるような低いビル群や、

しばらくは身動きしそうにない遠くの山々や雲をぼんやり眺めた。小さな踏切を通過す

る際に警報機がカカンカンと鳴りながら後方に消えていき、トンネルに入ると窓ガラスに車

内の灯りが映った。

ガラッと戸が開いてまたあの男が入ってきた。乗客はぽつりぽつりとしかおらず、男はつま

らなさそうで、首をサーチライトのように振らず、次の車両を目指して目の前を通り過ぎ

ようとした。

「どうかしたんですか」。彼に声をかけた。

男はハッとした表情で私を見た。

「さっきは歌舞伎の稽古かなにかをされていたんですか」

すると男は、ああ、と納得した顔をし、リュックを下ろして横に座った。

「あれは呼吸法ですよ、タガミ式呼吸法。よく気がつかれましたなあ」

気がつくもなにも、あんな奇妙な動きなら誰だって目に止まる。

「ほほう、どんな呼吸法ですか」

「ギャルのいる所では息を大きく吸い、オバンのいる所では吐く、というやつです。私が編み

出したんですよ」

クスッと私は笑い、目も動かしていましたよねと聞くと、「それはタガミ式近視矯正法です。

ギャルを見る時はカッと開き、オバンの前では細めるわけです」

私はアハハと笑い、あの独特な歩き方にも意味があるんでしょうねとたずねると、「あっち

はタガミ式足腰鍛錬法」とまじめ顔で答え、「ギャルにはさっと近寄り、オバンからはいち早

く遠ざかるってやつです」と予想通りの返事を返した。私が腹を抱えて笑ったために男は

少々機嫌を損ねたようだったが、すぐに気を取り直し、「でもギャルばかり相手にしている

と息の吸い過ぎで呼吸困難になり、目も乾くから長くは続きません。かといってオバンは息

を吐き続けて酸欠状態に陥り、意識が遠退いたうえに視界が悪いまま早歩きするので、ヘ

タをすればオバンの上に倒れ込むおそれがあるんですよ」と続けた。私は爆笑し、「だったら

聴力強化法とか想像力活性法とか、何でもありじゃないですか」と煽り立てると、男はニカ

ッと笑って「それは無理。オバンの声は鼓膜を痛めるし、想像力をオバンに使うのは地雷を踏

むのと同じ」と言った。

それから私と男は、嗅覚強化法は洗濯バサミが必要になるのでバレるとか、指先感度向上

法は金がかかるなどと想像をたくましくして時間をつぶした。彼によれば、これらの方法は

深い意味を含んでいて、たとえば天気のいい日には窓を開け、天候が崩れたら窓を閉めるの

が人の常だが、人間関係に対してはそれをやらず、いやな場面でも我慢を続ける人が多い

そうである。雨が振れば誰でも傘を差すのに、自分の心には無防備な人ばかりだと言った。

「要するに自分の脳は自分で守れということですよ」

Page 65: Bar納屋界隈ver 3

男は語尾に「ごわす」、語頭で「じゃっどん」を何度か使ったので鹿児島の人かとたずねてみ

たらやはりそうで、クリーニング業界のコンサルタントをしており、山口市での講演を終えて

鹿児島に戻るところだそうである。明日は友人の娘の結婚式でスピーチを頼まれているので

今日中に帰るつもりだと言ったが、娘という言葉のところで目を細めたのは、その娘の結婚

をよろこんでのことではなく、顔を思い出してついそうなったと思われた。しかし視界を狭め

たら想像がさらに強調されるはずだから、ここは逆に窓の外の風景をたっぷり取り入れる

とかして上書き消去すべきだろう。

列車は厚狭駅で停まって美祢線からの客を拾い、埴生駅、小月駅の順に停車した。

小月は瀬戸内に面した小さな町で、海上自衛隊の航空基地があり、単発プロペラの練習

機が飛んでいるのを何度か目にしたことがある。車両が小さく揺れ、「次は長府駅、長府駅」

のアナウンスに送られてのんびりと走り出した。日はやや西にあったが夕暮れには遠かった。

斜め向かいの席に、若い娘が腰を下ろした。淡い紫色のワンピースに柔らかそうなニット帽

を被り、長い髪を左右に分けて、目鼻の整った小顔は良家の娘を思わせた。男の目が彼女

に固定された。眼球を目いっぱい露出させて彼女を見続けている姿は、黒江別府記者を見

つめるイシちゃんに似ていた。気配を感じた女性はそわそわし始め、自分の服装に乱れがな

いかと点検したあと、膝小僧をぴたりと合わせてハンドバッグを上に置いた。それでも男はピ

クリとも動かず、まるで目を開けたまま絶命しているかのように彼女を凝視し続けていた。

私は気味が悪くなり、この男と知り合いではないのを示すために、体を逆に回して窓の外に

目を移し、なるほどこうやって風景を変えるのかと納得しつつ、窓ガラスに映り込んでいる

女性と男の様子もあわせて観察した。

ついに女性は立ち上がり、その場を逃げるように歩き去った。男はハッと我に返り、そのま

まじっとして何かを思いあぐねているようだった。やがてぎこちなく席を立ってリュックを背

負いながら、「あまり一人旅のじゃまをしてもいけませんから」とつぶやくように言い、彼女

を追うようにあたふたと歩いていった。

本州の西の端に下関駅がある。その二つ手前は新下関駅である。列車が新下関駅のプラッ

トホームに滑り込んだ。「もうじき下関だな」。そう思って何気なくホームに目をやると、二

人の制服警官があの男を挟むようにしてどこかに連行している光景が目に飛び込んだ。そ

の後ろには、斜め向かいに座っていた女性が憤慨した顔で、婦人警官に付き添われている。

男は頭を激しく振ってわめいていたが、その様子を車中から眺めている私と目が合った。男

は警官に何か言いながら私の方を指差した。警官も私の方を見、一人が肩の無線機で誰か

と短く話したあと、素早く列車に乗り込んで私のそばに立った。

「あの人を知っていますか?」。警官が目を外に振って聞いた。

「しばらく前までここに座っていた人ですよ」

「お知り合いですか?」

「いえ、知らないです。鹿児島に帰るとか言っていましたが」

Page 66: Bar納屋界隈ver 3

「つい先ほどまでここにいたというのは本当ですか」

「長府駅あたりでどこかに行きました」

「あっちの女性はご存知ですか」

「あそこの席に座っていました。誰かは知りません」。そう言って彼女のいた席を指差した。

「なにか変わったことは起きませんでしたか」

「いえ、何も。女性がどこかに行き、しばらくしてあの男の人もいなくなりました」

「同じ方向に?」

「そうです。あとのことは知りません。私はここを離れませんでしたから」

警官は手帳にメモし、私の名前と電話番号を控えた。

「彼が何かやったんですか?」

「まだ分かりませんが、たいしたことじゃないでしょう」

警官がていねいに挨拶してホームに戻り、列車は警笛を鳴らして走り出した。警官に身柄

を確保されている男の後ろ姿が乗降客の中に見え隠れしながら遠ざかった。たぶん友人の

娘の結婚式は欠席になるだろう。

何をしでかしたか知らないが、「指先感度向上法」を試みたのなら保釈金か罰金か、ある

いは慰謝料か示談金かを払う羽目になるから、「指先感度向上法は金がかかる」というのは

証明されるわけだ。甲斐さんが聞いたらさぞ喜ぶだろう。それにしても少々くたびれた。

新下関から下関駅まではすぐだった。山口県で最も人口の多い下関市は、関門海峡を挟

んで九州に接しているため交通の要所で、高杉晋作が騎兵隊を挙兵した地として維新ファ

ンに知られている。下関駅を出た列車は関門トンネルをくぐって九州の門司駅に着いた。

門司から小倉、戸畑、八幡、黒崎と、林立するビルを見ながら列車は進み、折尾に着いた。

ここから単線に乗り換える。

二十三

福北豊線の車内は適度に混んでおり、新聞紙で包んだ猫柳を手にした老婆と相席になっ

た。私が軽く会釈すると、近くのお寺にお参りしてきたと言う。そして柔らかな物言いで、

「こんな私でも天国に行けるでしょうか」と言った。自分の信心深さを念押ししたかったのか、

それとも本当に案じているのかは分からなかったが、私は彼女に、「人は死んだら全員が天

国に行けるから心配しなくてもいいですよ」と小生意気に助言した。老婆はただの慰めだと

思ったらしく、「そうだといいですけどねえ」と軽く微笑んだので、私はその理由を説明して

あげた。

「悪の限りを尽くした極悪人がいたとします。当然地獄に落ちるでしょうが、そこは恐怖

と暴力に満ちた彼好みの場所なので、ここは天国だとよろこぶことになります。彼にとって

本当の地獄とは、完全な善の世界ですが、そこに行かせてしまうと、彼には地獄かもしれま

せんが、そこはあなたのような人が行く場所なので、今度はあなたが彼を見て、なぜ私は地

Page 67: Bar納屋界隈ver 3

獄に落ちたのかと嘆くことになります。それで彼はあなたから見た地獄、つまり彼の天国

に戻ることになるんです。こうして極悪非道の彼も、彼の天国に行くんですよ。同様にして

酒池肉林三昧は酒池肉林天国へ、虫けら人間は虫けら天国に、意地悪は意地悪天国に行

くことになりますね。だからあなたも天国に行けるから心配しなくてもいいんです。ただし

今がそのまま再現された天国にね。別の天国には行けませんよ」

私にすれば尊敬の念もこめて話したつもりだが、老婆は硬い表情で聞いていた。今の話を

受け入れてしまうと、これまでの篤い信仰が無駄になるかもしれず、その折り合いをどうつ

けようかと思案しているようにも見えた。

やや間を置いて老婆は「何か宗教の活動をなさっているのですか」と聞いた。「それなりの

年齢になれば誰にも分かることですよ」と軽口を叩くと、「ずいぶん勉強されているんです

ね」と私を勉強家にしようとした。それに私はむっとして、「それはそうと、もし天国がある

とすればどんなところだと思います?」と聞いてみた。話の向きが変わって安心したのか、

彼女は明るい声になった。

「もちろん行ったことはないですけど、きれいな花がいっぱい咲いて、鳥が美しい声でさえず

り、清らかな小川が流れているそうですね。会いたい人にはいつでも会えるみたいです」

「そうらしいですね」。私は何度も頷き、「でも、きれいな花はこの世にもたくさん咲いてい

ますよ。鳥もそこらで鳴いているし、川もずいぶん澄んでいます。天国はそこら中にあるのに、

なぜ存分に味わおうとしないんでしょう。それに、会いたい人に会えたら困ることもありま

すよ。向こうが会いたくない場合もあるだろうし、それはこちらにも言えますね。それなの

に誰かが望めば必ず会うことになる。それは天国です?

会いたくなければ会わずに済む

この世の方がよほど天国なんじゃないですか」と話した。

「そうかもしれませんねえ」。そう老婆は言ったが、もはや聞いていないのは明らかで、私の

横に座ったおかげでせっかくのお参りがぶち壊しになった様子だった。

「あの世で別々の天国に行くようになることも含めて、身内や親しい隣人と永遠に会えな

くなる日がやがて来ることを、私たちはもっと分かっておく必要がありますね。この世と大

して変わらない天国のために祈る時間があるなら、今しっかり会っておいたほうがいいんじゃ

ないでしょうか」

老婆は困り果てているようだった。

直方駅で老婆は降りた。うんざりした表情だったが、彼女は自分の天国が予告されたこ

とに気がついただろうか。今のままでは、仮にあの世があったとしても、私のような者が次々

に出現する彼女の天国、すなわち地獄を。

何の脈絡もなく私は、三十代のころの出来事を思い出した。

山口県徳山市にある喫茶店で、私はある女子高生から一人の中年女性を紹介された。

女子高生は節ちゃんという名で、彼女の母親と私は仕事で親しい関係だった。節ちゃんの説

明によれば、この女性には人の前世が分かる能力があるらしかった。私はそんな人に会った

Page 68: Bar納屋界隈ver 3

ことがなかったので強い興味を覚えた。

その女性は、私がかつて誰であったかを教えてくれた。今の私にどのような使命があり、来

世はどんな人物に生まれ変わるかも、かなり詳細に話した。その自信たるや「言い当てた」

の表現がふさわしかった。彼女の話はエスカレートしていき、「あなたには二人の娘さんがいる

はずです。そのうちの一人は江戸時代、素浪人のあなたに恋焦がれている町娘でした。でも

かなわぬ恋だったので、あなたの娘として生まれてきました」。彼女の横で節ちゃんは興奮し、

「ね、ね、すごいでしょ」などとはしゃいでいたが、そろそろ飽きてきたので、「そこまで詳しく

分かるなら、今ポケットに小銭がいくら入っているかくらいはもっと簡単に分かるでしょう?」

と質問した。

答えられるわけがなかった。ポケットの小銭についてデタラメは通用しなかった。当てずっ

ぽうすら言えなかった。彼女は彼女自身がどんな目に合うかを事前に言い当てられなかっ

たのである。私は彼女に大恥をかかせたが、節ちゃんのためには必要だった。

これに似たようなことが弟にもあったらしい。

JR徳山駅の前で弟が友人を待っていた時、一人の男が近寄ってきた。

「あなたの血をきれいにして幸せにしてあげたいので祈らせてください」

そう語りかけられてよろこんだ弟は「ぜひ私の血をきれいにしてください」と頼み、目を閉

じて頭(こうべ)を垂れた。男は手のひらを弟の頭の上にかざし、小声で何事かを唱えはじめ

た。すると弟はその男の手首をつかみ、ぐいっと百八十度ねじって、あんたの頭の血をきれい

にしろとばかりに男の額にかざしてやったという。その話を聞いて私は大笑いした。世の中

には私や弟のように自己主張できる人は少なく、たいていは言われ放題だ。

天国や神、あるいは霊的な存在のあるなしを保留している私からみても、あると主張す

る人の根拠が幼稚でばかばかしくて、行ないも非常識で、自分都合でしかないことに少しも

疑問を持たないのはどういうことだろう。同じ時代の日本で、似たような環境にあって、彼

らはどこで分岐したのか、それが私には分からない。

二十四

久しぶりにBAR納屋を訪れた。一週間ぶりのことだった。Schubert

のAve M

aria

が重々し

く、大音量で響いていた。親しげに声をかけてくるはずの甲斐さんは、今日は無言で、表情

も硬く暗かった。音楽に満たされていたいのだろうと思い、私も黙っていつもの席についた。

「宮内さんが亡くなったんだよ。葬式はおととい終わった」

酢橘を落としたロックグラスにジンを入れて私の前に置きながら、しんみり言った。死因は

心筋梗塞で、病院で妻の時枝さんと息子に看取られながら息を引き取ったという。

返す言葉がなかった。それは宮内氏に息子がいたのを知らなかったくらいに親しくなかっ

たのと、甲斐さんの気持ちを充分に汲み取れないのとが理由だった。突然のことで言葉が探

し出せないこともあった。時枝さんはずいぶん気落ちして、見ているのもつらいと甲斐さんは

Page 69: Bar納屋界隈ver 3

言った。息子は心ここにあらずといった態度でいたそうである。

葬儀は盛大だったようだ。私は甲斐さんがどんなふうに宮内氏の死と向き合ったか、つま

り喪服のあるなしを気にしたか、それとも裸足で走り出すほどの出来事であったかを考え

たが、今それを確認するのは酷を塗り重ねるだけだから聞かずにいた。それにしても宮内

氏の死は、それが避けられないことであったにせよ、甲斐さんの中で何か大きな一つが終わ

ったのではないかと思った。親しい人の死は、それ自体一個の終わりであると同時に、親しい

人にも何かを終わらせる。大きな幕が下りる周辺で小さな幕もいくつか下りる。この夜の

音楽は人の死を悼むことを妨げないクラシックばかりが普段よりも大きな音量で流されて、

私たちはあまり会話をしなかった。トイレの文章は「世界で一番小さなカラオケボックス」と

いうタイトルに替わっていた。

得たしあわせとは、伴侶がいるのではなく、伴侶がいたこと。子供がいるのではなく、子

供がいたこと。豊かなのではなく、豊かであったこと。友人が多いのではなく、友人が多か

ったこと。そして今、身のまわりに見るべきもののほとんどなく、鼻歌ひとつあること。

これは宮内氏と甲斐さんのどちらのことだろうかと考えた。鼻歌は今の甲斐さんの心境

でもありそうだった。クラシック音楽が口から流れ出たとしても、それはちっともおかしいこ

とではない。寂しい時や悲しい時にこそ鼻歌は歌えるのだ。

九北新聞の黒江別府記者がまた来たという。甲斐さんの紹介で秦商店を取材し、一緒に

田川後藤寺にも行ったらしい。「あのボディにぴっちりしたセーターは目の毒だな」。気持ち

をどうにか切り替えたのか、甲斐さんは珍しく照れた。

秦商店は地方版に載り、その切抜きを見せてもらった。正直が取り柄の店主が野菜を抱

えて微笑し、横で数人の客が大口を開けて笑っている写真は店の雰囲気をよく伝えていた。

記事もうまくまとめられ、ディスカウント店よりも安い理由を「うちは持ち家だから店員

二人の給料さえ払えればいい」と店主がコメントし、記事は「内装や陳列に無頓着なことが、

逆に野菜の新鮮さを際立たせた」と短くまとめたうえで馴染み客二人の声を添え、「住民

が気づかなくても地域を活性させる種は、いろんな場所に息吹いている」と結んでいた。

「読者の反応がよくて、連載になるかもしれないらしい」

「どうってことない店なんですけどね。ところで田川後藤寺の方はどうでした?」

駅のホームから見た風景を気に入って写真に撮っていたね。ちょうど夕暮れで、たしかに

物悲しくはあったな」

その時の写真も「薄暮の田川後藤寺駅」との見出しで新聞の片隅を飾った。色彩の落ちた

夕暮れのプラットホームから何本かの線路がやや右に曲がりながら遠ざかり、鉄道信号機

だけが赤い光を放っている写真の横に、「風景は何も語らない。人が風景に語りかけ、そこか

ら何かの答えを受け取る人がたまにいるだけ」とあった。

Page 70: Bar納屋界隈ver 3

「そっちも反響があったらしいが、苦情の電話も寄せられたらしいよ。こんなマイナスイメー

ジの記事を載せるなとか、これは記事じゃないとかね。でも反応が多いのはいいことだ。どっ

ちにしても読者と対話が出来ているわけだから」

「私はそばに甲斐さんがいたことの方が面白いですね。駅から引き返してきたんです?」

「いや、後藤寺駅から日田彦山線に乗り換えて豊前川崎駅まで行き、駅前の上り坂をぶ

らぶら歩いた。昔はにぎやかだったことが偲ばれる程度の、どこにでもあるような場所だっ

たがね」

その上り坂を利用して彼女に手を引いてもらったりしたんですか」

それは思いつかなかった。ついでによろけて、もたれかかるべきだったな」

でも押し倒しちゃ駄目ですよ、カメラが壊れるから」

乗りかかってもいいんだったらカメラくらい弁償してやるさ」

こっちが弁償する立場に回りたいものですよ」

わしらは道のずっと奥にある酒屋まで歩いたんだが、その酒屋に喫茶コーナーのような一

角があったので、中に入ってコーヒーを飲んだ。店には働き者らしい奥さんと、ずんぐりした

亭主がいて、黒江別府記者が、このあたりにアメリカのカーネギーホールに出演したバンド

のメンバーが住んでいるって本当ですかとたずねた。すると亭主が、それは私ですよと答え

たんだ。さすがに記者さんだね、いろんなことを知っている」

へえー、知らなかったなあ。それで取材したんですか?」

「いや、名刺も出さなかった。酒屋を出たら外灯が点り始める時刻だった。その夜に宮内

さんが亡くなったんだよ。最後の言葉は、まだ向こうに行きたくない、だったそうだ」

駅の写真と宮内さんの死が重なった。「薄暮の田川後藤寺駅」の切抜きを私はじっと見た。

信号機が停止を命じているにもかかわらず、いやおうなしに一人で出発しなければならな

い心細さと怖さ。日暮れのプラットホームは宮内さんが出立する時の心境を表しているよ

うに思えた。「風景は何も語らない。人が風景に語りかけ、そこから何かの答えを受け取る

人がたまにいるだけ」のキャプションが小さく踊った。

それがヒントになって、広島から戻ってくる際に出会った変てこなコンサルタントと、参拝帰

りの老婆に天国について語ったことを思い出し、甲斐さんに話して聞かせた。コンサルタント

については大仰なジェスチャーも取り混ぜながら微に入り細に入り、納屋を車内に見立て、

舞台劇を見せでもするかのように、一人で三役も四役も演じて見せたので、甲斐さんは時

にはカウンターを両手で叩き、時には私を指差して仰け反り、また時には上体を前に倒し

て笑い転げた。しかし天国と地獄の話になると真剣な面持ちで聞き始め、相槌を打ちはす

るもののまったく無言で、当の私が自分の言葉に自信を失うほどだった。私が強調したのは、

老婆に語った内容のほとんどが、老婆に会うまでは一度も考えたことがなかったという点だ

った。「こんな私でも天国に行けるでしょうか」と老婆が口にした途端にあの言葉が流れ出

はじめ、それに驚いたのはほかならぬ私だった。

Page 71: Bar納屋界隈ver 3

甲斐さんの目の奥で何かがぐるぐる回りはじめたように思えたが、それはわずかの間で、

すぐに普段の表情にもどり、「旅の疲れと電車の揺れが、キミの何かをこじ開けたと考えて

もあながち間違いではないだろう。キミは奥義を得る場所の近くにたどり着いたのかも知れ

んね。天国と地獄の話は各人の興味に任せるとしても」と理解しがたいことを言った。

「キミはよく旅をするかね、旅は好きか」。そう聞かれて答えられないでいると、「人のする

ことのうちで最も意味があるのは旅をすることだ。旅をしない人は経験を時系列に整理で

きないから」と言って一本の箸を私の目の前で横にして見せ、「これが旅をする人の記憶」、

次にその箸を九十度まわして先端を私の方に向けて「こっちが旅をしない人の記憶だ」と言

った。そして、「生涯のほとんどを一つの場所で過ごす人は経験が上書きされるから、過去

の経験が混ぜこぜになって取り出すのが難しい。昔の記憶は、ただ古いという意味しか持た

ないんだ」。そしてまた箸を横に戻し、「旅をする人は経験を時間の上で整理しているので、

混乱しないうえに鮮度も長持ちする」と語った。

それが少しも理解できなかったので、「甲斐さんから奥義のような話をいくつも聞かせて

もらっていますよ」と言って話を終わらせようとした。しかし彼はそれをさえぎって、「あん

なのは奥義でもなんでもない。うまく生きる知恵とかコツのようなもので、知恵をいくら磨

いたところで奥義にたどり着きはしないよ」と言った。

何を話しているのかちっとも分からなかった。それを無視して甲斐さんは続けた。

「わしの奥義をここで話しても、知恵や知識になってしまうから、キミには伝えられない。

言葉にした途端にゆがみ、欠けると古人も戒めている。しかしいい機会だ。キミに入口を教

えてあげよう。奥義を得る者のほとんどがこの入口をくぐるといっても差し支えない」

私は困惑の極みに立っていた。Phantom

of Opera

の音楽と相まって怖さすら湧き上がって

きた。しかし先ほどまで黒江別府記者を押し倒すという冗談や変てこコンサルタントの話で

笑い合っていたのである。まさか彼がずいぶん前から用意周到にして、私をどこかに連れて

行くつもりではないだろう。私の沈黙が話の先を期待しているのと同じになった。

二十五

「小さい子供が扇風機に指を突っ込んで痛い思いをする。あるいは父親のライターをいじっ

て熱さに飛び上がる。それが貴重な経験となり、大人になってから大きな機械が高速回転

しているのを見ると、不用意に近づいてはならないと分かり、火事で人が死んだというニュー

スを見て、どんなに熱かっただろうと同情する。小さな経験によって、扇風機と大型機械、

ライターの小さな火と火事のあいだに共通の要素を見つけるわけだ。犬猫でも見つけられ

る程度の要素だがね」

私は安心し、恐怖が消えた。いきなり呪文でも唱えはじめるのかと思っていた。

「私も中学生の時に、台風で時化(しけ)ている瀬戸内海に同級生三人と舟を漕ぎ出して

死にそうな目に合い、それからは荒海を見るたびに、どれほど怖いかが分かりますよ」

Page 72: Bar納屋界隈ver 3

「そこにも共通要素があるね。ただしそれも犬猫でも学べる程度だな」

「奥義というものは経験の数がモノを言うんです?」

「いや、ちっとも。ただし奥義を察知するのに不可欠な勘は、整合性を感じる能力によって

働くから、かなりの年月はかかる。ところでキミは、猫はネズミを食べないのを知っているか

ね?

ネズミも猫に喰われることはない。猫は猫を食べ、ネズミはネズミに喰われるんだ」

私の混乱ぶりは、目が×

印になって頭のまわりを星がいくつも回っているふうだったはずで

ある。そんな状態にお構いなしに甲斐さんの話は淡々と進んでいった。

「猫に食べられるネズミは、いずれ猫の体になるから、未来の猫であると言える。そして猫

の体はネズミの肉で出来ているので、過去のネズミであるとも言えるわけだ。それで、猫は未

来の猫を食べ、ネズミは過去のネズミに喰われるというわけだよ。そう考えれば、魚も野菜

も牛も、わしに食われることはないんだ。わしはわしを食べ、魚は魚に食われ、牛は牛に喰

われ、野菜も野菜に食べられるに過ぎない。同様にして共通要素を見つけていけば、人は

木々であり、野鳥であり、雪でもあるし雨でもあることが腑に落ちることも容易だ。あるい

は、森は住居であり、今の住居も森そのものであり、さらにもっと向こうに、世界には自分

しかいないのだと知る場合もあるだろうし、過去に知った人も大勢いただろう。ところでキ

ミは今、わしを狂人だと思っているだろう」

「いえ、そうは思いませんが、まったく理解できないんです」

「まあそうだろう。繰り返して言うがこれは奥義ではない。とはいえ、自分は渾然(こんぜ

ん)一体の一部であり、すべてでもあるということが分からなければ、そこから先には行け

ない。どんな奥義にも、対立物の障壁を取り除き、もしくは融合させることが基本として

あるからね。意識の錬金術みたいなものだな。付け加えておくが、自分はそれであり、それ

は自分である、という宣言の匂いがしない奥義めいたものは、怪しげな入口を通っているから

警戒したほうがいい」

「私は別に奥義とか知りたくはないですよ」

「望んだからといって得られるものじゃない。入口を通過して向こうに立てば、普段の生活

の中でいつの間にか会得が終わっているほどの小さなことだ」

単語の意味は知っていた。でもそれが二つ三つ並ぶと途端に意味が伝わってこなくなる。

「ところでさっき、入口を通過するという表現をしたが、開いた入口からこっちに吹き込ん

でくる感じの方が近い。通過は自分で選べるが、向こうからやってくるものは拒めない。創作

の世界で言うところの、天から降ってくるというのがそれに似ている」

もはや私の手には負えなくなった。

これくらいでパニックになったかと甲斐さんは笑い、「じゃあ中学生にもわかる話をしてや

ろう」と会話をシフトダウンした。

「電車で若者が年寄りに席を譲っているところを見たことがあるかね」

「ええ、何度かあります」

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「どんなふうに譲った?」

「年寄りには席を譲らなければいけないというような、切羽詰まった感じでしょうか。唐突

でバネ仕掛けのような動きでした。マナーというか、道徳心というか」

「それが若者だ」。甲斐さんは満足したようだった。「では中年が席を譲るのは?」。

「最近二回くらいありますよ。そっちは動きが自然だったかな。お年寄りの背中に軽く手

を当てて上手に誘導していました」

「年寄りを見る目が、若者と中年とでは違ったんだ。若者は自分の善行に囚われたが、中

年の方は相手を母親か父親のように見たんだろう。それが動きの違いとなったわけだな」

「あー、なるほどねえ」

「では、もしもキミが疲れ切って座っているところに老婆が来たらどうする?」

「今までだったら、自分もくたびれているから、と思って無視したでしょうね」

「そして母親を立たせておくわけか」

「いや、母親はもっと疲れているはずだと思いますね、たぶん、これからは」

「でも実際にはほとんどの乗客が席を譲ろうとしない。おそらく心の底で自分の親を毛嫌

いしているんだよ。だから罰を与えているんだ」

その瞬間だった。私は広島から戻る電車の中で参拝帰りの老婆を困惑させたことに大き

なショックを受けた。私の母親をとことん打ちのめして途方に暮れさせるのと同じことをし

た。あの老婆にとって私は息子だったかもしれないのに、ひどい仕打ちをしていい気分に浸っ

ていたのである。

「席を譲らない奴らは座り心地の悪い小さな椅子を必死で守る程度の人生だ。目の前の

年寄りと自分の親が重なって見えないんじゃ、いずれ自分も同じ目に合う」

その声が遠くに聞こえた。過去に私からこっ酷い目に合わされた人たちが大挙して私を

同じ目に合わせはじめた。私は一斉に袋叩きに合った。そしてそれは、私が私を罰している

のだった。私はその苦しさを遠ざけようとして、「じゃあ黒江別府記者も私だから、彼女を

押し倒そうがどうしようが自由ということですね」と話の向きを変えた。

「もちろんそうだが、駆けつけてくる警官もキミであることを見落としてはならんね。キミ

はキミに捕らえられ、キミから裁かれ、牢獄という名のキミの中に閉じ込められ、キミをそ

んなふうに育ててしまって涙をこぼす過去のキミから差し入れを受けるんだ。未来のキミも

面会室で泣き崩れるだろう。そんな面倒くさいことになるより、自分は彼女の下着だと思

えばいいじゃないか、上だろうと下だろうと、様々なデザインで、持ち上げたり張り付いた

り、着られたり脱がされたり、無造作に丸められて放り投げられたり、大切にクローゼット

に仕舞われたりしてよろこんだらいい」

眉を上げて甲斐さんは笑い、私も下卑た笑いを返しながら、「それはそうと、いつだったか

大人の三要件について話してくれましたが、あれも奥義の一つですか」とたずねると、「あん

なものは入口のあたりにごろごろ転がっている。でも残念なことに、宮内君はその場所に立

Page 74: Bar納屋界隈ver 3

てなかった。こっちと向こうという障壁にとらわれた」と寂しそうな顔をした。

二十六

その夜はなかなか寝付けなかった。何度も寝返りをうち、目の前の人を身内や家族だと

思うことについてあれこれ考えた。

現場作業で「後工程はお客様」という言葉がある。次の工程の作業者を客だと思って働け

という意味だ。でも「客」には顔がない。これを「後工程には身内がいる」と言い換えると、情

と動作は連動しているから、動きが確実に変わるはずだ。でも周囲はそのような心の操作

を知らないので、あいつは仕事がていねいで気が利くと思われ、「前工程があなたでよかった」

と感謝されるようになる。その逆に、「前工程があいつじゃなければよかったのに」と嘆かれ

るような働き方もむろんあって、そちらを選ぶ人は、対立や衝突から生じる摩擦を原動力

にするしかない。両人は実際にいて、どちらも容易に思いつける。

日常生活でも、隣人を身内の誰かだと思っても構わないし、もっと広げて、コンビニの店員

は縁戚の誰かだし、バスを待っている女性は初めて会う遠方の親戚、みたいな感じになる。ば

かばかしいと否定する人は根っこのところで親や兄弟を恨み、心の奥底で世間を呪っている

のではないか。だから周囲に冷淡でいられる。あんがい人生観というものは、そっくりそのま

ま家族観と言い換えられるかもしれない。

甲斐さんが、健常とは言いがたいにいちゃんのことを、私の身代わりになってくれたのかも

しれないと言った。あるいは納屋を初めて訪れた夜、ていねいさを欠いた客あしらいだったの

で彼の機嫌を損ねたかも知れないと思ったが、何十年も行方が知れず顔を忘れた息子がひ

ょっこり帰ってきた時の態度だったと理解すればいいだろう。いや、そうではなく、折角だか

ら「何十年も消息を絶っていた私が親に会いに戻った」と思った方がいいのだ。

私は電車で隣り合わせた老婆をしたたかな目に合わせたことをまた思い出した。実際に

彼女がどう思ったかは知らないが、甥っ子に久しぶりに出会い、うれしくて声をかけたら牙

を剥いて食ってかかられたというわけだ。私の方はと言えば、せっかく叔母に会ったにもかか

わらず最初からけんか腰だった。どうしてそちらの方向に会話を進めたのか。

「心の底では自分の親を毛嫌いしているからだろうな」。甲斐さんの言葉を思い出した。あ

れが私の、母への本心なのだ。猫柳を抱えた老婆に、私の天国、すなわち地獄を表現したに

過ぎない。あの場面が繰り返されるのは、むしろ私の方だ。

何人かの知人がこれまでとは違って見えてきた。なかでもいやな印象の相手は顕著だった。

ある鼻持ちならない会社役員は、気弱に見えた。無愛想な経理事務の女は、今は寂しそう

だった。命令口調の施設理事長は、そうやって自分の小心さを隠していた。彼らは強そうに

見えても、本当は弱かった。人はみんな、強く叩けばすぐに壊れるガラス球だ。

電車で猫柳を手にした老婆からこうして多くの恩恵を得た。彼女はそのために現われた

と思うのが自然だった。出会いに無駄はなかった。偶然は偶然のまま、必然に変えればいい

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のである。

そのことから私は、ずいぶん昔に、私の前世と来世を教えようとした女性についても考え

た。彼女の鼻を明かしてやった程度の経験よりほかに何か学ぶことはないかと。そこで彼女

を、初めて会った私の姉だと仮定してみた。なるほど、こうやって甲斐さんの言った「対立物

の障壁を取り除く」ようにすれば、わずかに彼女の内部に入れるような気がする。姉の中

に入って彼女の目を借り、私がどう見えるかを知れば、彼女の心持ちが推察できる。

彼女は私をとても恐れていた。彼女はすべての大人を怖がっていた。初対面の相手にさえ

自分の胸のうちを読まれるのではと気を揉み、心の隙間から入ってこられて滅茶苦茶に荒

らされることに怯え、決して明らかにできない秘密に気付かれるのではないかと心配した。

だから最初に一発かませて距離を詰めさせないでおく。そうでもしなければ彼女自身を維

持できなかった。

私の弟が徳山駅で出くわした、手かざしで血をきれいにする男もおそらく似たり寄った

りだ。他人が怖いなら家にいればよさそうなものだが、引きこもってしまうと自分の弱さが

内面に露呈して、それで心が折れてしまいそうになるため、たえず他人から仰ぎ見られる

存在であることを、手っ取り早く確認するための自助行為。それが彼女の場合は霊感、男

の場合は手かざしになった。彼女も手かざしの男も、内心では自分の存在価値を疑っている

から、そうではないことを確かめなければ気が済まないのである。新興宗教に熱心な信者

が新たな信者獲得のために奔走するのも同じ心境だろう。自分がおろかでない証拠固めに

仲間を増やすのである。クエンティン・タランティーノの映画「From

Dusk T

ill Daw

n

」で、牧師

役のハーヴェイ・カイテルが車で逃亡しながらそれに似たセリフをしゃべっていた。「教会で何

度も思うことがある。俺はバカではないのかと」

しかし自分の弱さを隠すために前世や来世を告げられ、頭に手をかざされたのではたま

らない。でもなぜ彼女や彼はそれが出来るのか。彼らはそれどころではないのである。自分

の行ないが引き金になって他人がどうなろうと知ったことではないのだ。

人生を左右するくらいの大きなトラブルを抱えている人から助言を求められても私は前

世の話を持ち出さないし、血が汚れていると決め付けもしない。「市役所か弁護士に相談し

たほうがいい」と答え、一人で行く勇気がなければ同行してあげる。そこに霊感や占いを持

ち出す人は、解決を妨害しながらいい気分に浸っている冷えた人、ということになる。

二十七

宮内氏の死後、納屋には昔の顔ぶれがけっこう訪れた。葬儀の際に久しぶりに甲斐さんと

顔を合わせた旧知の人がまた顔を見せるようになった。どの人も素朴な顔をしており、今

のBAR納屋にはあまり似つかわしくなかった。ずいぶん遠くの原田町にある杉山酒舗から、

ワインバーの久保井氏から依頼で銘柄の違う赤ワインが五本届けられた。そのうちの一本、

スペイン産の十年物セニョリオ・ソラーノ・グラン・レセルバを甲斐さんと飲んだ。フルボディな

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のに味は弱く、香りも上がってこなかったので、瓶をシェイクした。幾分まろやかにはなったが、

二人の気分を少しも高揚させなかった。八木山で如水窯を開いている二宮という陶芸家は

大きな花器と絵皿を置いていった。展示会に出展した自信作らしかった。浄土真宗豊山寺

の住職も、最近ここに檀家が寄ると知って一度だけ顔を出した。イシちゃんもたまに来たし、

にいちゃんも週末には大抵やって来た。宮内氏の訃報とは何の関わりもない常連客もいつも

通り来たから、しばらく店はにぎわった。甲斐さんはいつもと変わらないように見えたが、

客に距離を置いて接しているように見えた。そして何か月かのち、「世界で一番小さなカラ

オケボックス」に替わって次の文章が貼ってあった。

旅人の定義

旅先で、明日はどこに行こうかと考える。そして翌日、次の地でまた明日はどこに向か

おうかと考える。すなわちその日、その人の心はその地にいないのである。明日の自分を

思う己がいるだけだ。彼はどこにいるのか。しかしそれは、明日を思いわずらう彼には無

関心で済ませられる程度のことだ。

方々を訪れながらどこにも行けなかった旅行者。それはこっけいなことである。

旅人とは、ほんのいっときであっても明日の訪問地など忘れて、訪れた地で暮らすこと

を真剣に考える人のことである。たとえ一日であっても、一時間であっても。

そのためには巷に溶け込む心構えがいる。それを望む人生観も必要とされる。それを

知らず、次から次へ体を距離的に移動させる行為は、旅とは言えない。今日を見つめるこ

とを怖れ、明日を今日と同じように無にする行為、自己逃避の賜物だ。

旅とは、その地に住み着くことを本気で考えることである。旅人とは、訪れた地で暮ら

してみようと考える人のことである。どこにでも帰れる人であり、帰ってきた人であり、

しかし、どこにも帰れず、帰ってもいない人のことである。

私は甲斐さんがどこかに行ってしまうのではと心配した。しかしそれを問うのは怖かった。

その通りになることを恐れた。そして、いなくなる方が彼らしくもあった。

二十八

「時間よ止まれ」が柑橘系の霧のように流れていた。ふいに私の中から何かが込み上げて

来た。その私の面前に丸くかがめた背中が止まってあった。すぐにあの男だと分かった。止ま

ったその背中が動いて、なにやら熱心に話している最中だった。横に妻はいなかった。男はち

らりと私を見、こないだはどうも、みたいな視線を寄こした。甲斐さんが私に、「この人は宇

摩さんと言うんだよ。宇摩権造さん」。

今日はずいぶん弱々しく見えた。髪はぼさぼさで顔に艶がなく、生気に欠けていた。一人

でいる時はこうも違った。

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あの日以来、権造氏は妻と、昼間に何度かここを訪れているようだった。妻は甲斐さんの

紹介で日本語とピアノを習い、それに権造氏はとても感謝して、「俺には準備してやれない

環境で、本当にありがたいです」と繰り返した。日本語は教員免許のあるボランティアが二

瀬公民館で週に一回無料で教えており、生徒はイギリス人二人、中国人五人、ベトナム人

の夫婦、韓国人が一人、ブラジル人夫婦も一組いるという。ピアノの教師は褒めるのが上手

らしく、化粧のうまさに驚き、服のセンスを褒め、笑顔を褒め、フィリピンでの生い立ちに感

心し、いっしょに笑い、ピアノが似合うと褒め、音が澄んでいると褒め、リズム感がいいと褒め

るらしい。さほどの教育も受けていないだろうとの推測を容易にさせる若いフィリピン女性

が田舎町のフィリピンパブで働きながら、日本人の女性からそこまで褒められることは相当

な自信につながるのではないかと思われた。教えているのは菰田の土師という人だろう。

「あの人にも苦労はあるだろうが、それを柔らかなベールで包める人なんだよ。苦労が身

につく人は皆そうだ」

「うちに来る客もみんな苦労の成れの果てですが、苦労が身につくんじゃなく、苦労が取

り憑いている。ホステスもそれと同じだから微妙にバランスが取れてますけどね」

水商売同士ゆえの心安さか、同業者として口が堅いと思ったのか、あるいは権造氏の生活

圏に打ち解けて話せる相手がいないか、親子ほどの年齢差の為せる技か、二人はいろんな点

でちょうどいい距離にあるようだった。

「いい人にはいい人しか集まらないから、一人のいい人と知り合うと連鎖的にいい人に出会

えるが、いい人の連鎖はちょっとした言動で切れやすい。そこは注意が必要だな。逆に、悪い

奴の連鎖はなかなか切れない。ちょっとした言動で、ますます悪いつながりが増える」

権造氏は爆笑し、口を閉じる際、乾いた歯茎に唇が引っかかって閉まるのがやや遅れた。

音楽は吉田拓郎の歌に替わっていた。詩がすばらしくて恐ろしくさえあったので曲名をた

ずね、「アイム・イン・ラブ」だと知った。

「うちのお客さんのCDなんだよ。次にまたかけてくれと置いていった」

最近はそんな客がたまにいるそうである。

「いちいち相手にしてたんじゃ、最後には演歌バーになってしまいますよ」

そう私は笑ったが、ここは浪曲ですら似つかわしい場所のようにも思えた。

「ヘレン・メリルでもかけようか」

これも悪くはなかった。

そこに、爽やかな風のように一人の女性が入ってきた。その風はつかのま店の中を明るく

した。彼女は権造氏の妻、若くて無学なフィリピン人だった。今は物言わぬ美しい人形では

なく、全身に血の通った一人の女性だった。目に意思があり、笑顔に心が漏れていた。口元

に明確な主張が塗り込められていた。肩のあたりに思案が残っていた。脚には生活の慣れが

あった。歩く姿は明日に確固たるものを感じさせた。彼女は私を見て、お久しぶりですねと

目で会釈した。そのあと甲斐さんに、目で何かを報告した。そして夫にも目で「今日もうま

Page 78: Bar納屋界隈ver 3

くいったよ、心配しないで」と伝えた。権造氏は喜びを露わにし、顔に血色がみなぎって息を

吹き返した。

「ピアノは楽しいかね、アニーさん」

「はい、とてもたのしいです。はじせんせいもやさしいです」

「土師さんの娘さんは大分県の外国語大学に行っているから、フィリピン人の留学生と会

えるかもしれないね。アニーさんが日本のことをいろいろ教えてあげたらいいよ。あなたのす

べての経験が学生には役に立つ」

大分はこの町から車で二時間くらいのところだと夫が教えた。アニーは甲斐さんの言葉が

おぼろげながら分かったようで、「はい、そうします」と答えた。そのあと甲斐さんは夫に、

アジア一帯からの留学生は帰国後要職に就く人が多いので、うまく関わればアニーの家族

や彼女自身の損にはならないし、納屋の客に九州大学の職員がいるから、そっちの方も当た

ってみようと言った。この夫婦の選択でもっとも正しかったのは、かつてのあの日BAR納屋の

戸を開けたことだった。無学なアニーは彼女自身の中に、いずれ自分の将来を切り開いてい

く運命が内包されているに違いなく、いっときは不利な環境にあっても、劣った条件下に長

くあっても、運命は時として、それらを踏みつぶし、あるいはそれらが幸いして、不利を有利

に、劣を優に変えることもあるのだ。

その日の深夜、というよりも翌日の明け方、こんな夢を見た。

夜の闇に、目も眩みそうなまばゆい大きな輝きが一つ、はるか上空にあった。その光りに

照らされて地上には、地平線まで覆い尽くすくらいに大勢の人々が座り込み、あるいは立

ち上がって、天を見上げて泣き叫んでいた。

光の正体は、やがて地球に落ちてくる大隕石だった。一握りの富豪や権力者は火星に逃

れることで寿命をわずかに伸ばしたが、彼らを待ち受けている運命もまた過酷なのは分か

りきっていた。金持ちや有力者が得たのはその程度のことだった。

大地は慟哭する人や悲鳴を上げる人で埋め尽くされていた。私もその中にあって自失呆

然となっており、運の悪さを呪いたくもあったが、それでは絶望に油を注ぐだけのことにな

るので、周辺に座っている人のうち、耳をこちらに傾けるだけの余裕がまだ残っていそうな

人たちに、「大変なことになってしまったが、いくら悲しんでも事態は好転しそうもない。だ

ったら今までの自分の人生がどれほど幸福であったかを思い起こし、その一つ一つに感謝し

たほうがいい」と語りかけた。それを聞いた幾人かはほんの少し表情がおだやかになり、う

なずきはしなかったが肯定の視線を私に投げかけたあと、無表情なまま首を垂れて、自分

の思い出の中にそれぞれ入り込んでいった。しばらく経って、わずかに微笑む人や、あたたか

な涙をこぼしている人、そっと両手を合わせる人などがそこ彼処(かしこ)にいた。時が経つ

につれてその数は、少しずつではあったが放射線状に増していった。

その光景を眺めながら私は、しかし自分自身にはこの期に及んで感謝に値する幸福はあっ

ただろうかと胸のうちを探ったが、見つけることはできなかった。

Page 79: Bar納屋界隈ver 3

ここで目が覚めた。布団に横たわったまま、あの大隕石は何を暗示していたのだろうかと

考えたが、いくつもありそうで、しかしどれも的を射ていないようにも思われた。

二十九

窓の外に乳白色の強い明るさが満ちていた。いつもと違う冴えた白さだった。起き上がって

窓を開けた。冷たい霧が吹き込んできた。三メートル先が見えない濃い霧で、雲の中にでも

いるようだった。何となくうれしくなり、突っ掛け履きで外に出て、濃霧の中を少し歩いた。

ヘッドライトを点けた車が一台通過したほかは静寂だった。日ごろ見慣れている小路やブ

ロック塀やモルタルアパートの錆びた鉄階段が現れ、消えた。黒い人影が見えた時は少しド

キリとした。近所の家人が外の様子を見に出てきたようだった。映画のミストみたいになった

ら怖いなと思いながら、ああいった場面に出くわしたら自分は店内に残るだろうか、それと

も立ち去る側に回るだろうかと考えた。家に戻ってまた蒲団にもぐりこみ、今日は何もせ

ずにおこう、今日が何曜日か知らないが、日曜日ということにしておこう、それで誰かが困

るわけでもない。そう考えて霧の中の朝のまどろみをもう一度楽しむことにした。

第五章

三十

アップライトピアノを弾きながらしゃがれ声で歌うT

om W

aits

のYou're Innocent W

hen

You D

ream

は実に素敵だ。夢のあるキミには誰もかなわない。O

n the Other Side of the

World

もまるでこの店にふさわしい。

このあたりではそう目にすることのない高級車が一台停まっていた。とはいえ、これがセダ

ンなのかハードトップなのか、それともクーペとかいうものなのか、車は走るだけでいいと思っ

ている私には皆目分からなかった。

カウンターに男が二人いた。甲斐さんと対面している方はスーツ姿で恰幅があり、バーボ

ンを飲んでいた。その横で脇役然としている男は水色の作業服を着、コーラをストローです

すっていた。その作業服には見覚えがあったが会社の名前は思い出せなかった。ちょうど会

話が途切れたところで、二人はこっちを振り返った。私が軽く会釈すると、作業服の方は会

釈を返したが、スーツの男は無視して背を元に向けた。彼らはだいぶ前から来ていた。灰皿

に吸殻が何本もあったし、タンブラーのコーラも無くなりかけていた。スーツの男は久しぶり

に顔を見せたふうで、表情は硬く、甲斐さんも顔からいつものやわらかさが消えていた。私

が来るまでに相談事でも持ちかけられたか、愚痴を散々聞かされたか、それともケチでも

つけられたか、それに関して甲斐さんが言い返そうとしているところのようだった。

「キミから友人が離れてゆく、というよりも逃げ出すのは当然だ。友人は賢明だと思うね。

私だってキミが客でなけりゃ近づきはしないよ。ここに来はじめたころは友人や後輩らと一

緒だったが、彼らがキミに話しかけるたびに、あるいは彼ら同士の会話にさえ、揚げ足を取

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ったり茶化したり、混ぜ返したりして、ことごとく話の腰を折っていたじゃないか。たとえば、

今日は寒いですねと言うと、冬が寒いのは当たり前、昨日おいしい料理を食べた、と言えば、

本当の味が分かっとらんな、というふうに。なかでも最高の出来は、頭を使うのはこの俺で、

お前らは黙って従えばいい、だったが、キミは相手の表情や態度の変化にまるで気がつかない。

周囲をたえずこき下ろし、傷つけているキミに残ったのは、逃げ出せない家族と従業員くら

いのものだ。でも子供はいずれ家を出るし、奥さんも愛想笑いさえしておけばいい。ごく少

数の人だけが腹の中で苦虫を噛み潰しながら、損得勘定で愛想を見せているだけさ。そう

いうわけでキミが自分のことをどう思おうが、ずいぶん前から一人ぼっちなんだよ」

スーツ姿の男はにやけたような、それでいてバツの悪そうな顔で黙り、コーラを飲んでいる

男の方はこの場をどう扱えばいいか分からない様子だった。

「たぶんキミは機嫌のいい人を見ると反発し、不機嫌な人を見たら安堵するんだ。猫の笑

顔はネズミの涙、という言葉を覚えておけばいい。キミがまさにそれで、相手が笑顔を見せ

ると損をした気分になるので、自分の安泰のためにまわりを泣き顔にする。そんなキミでも、

お客様のよろこびとか、顧客満足とかの言葉はどこかで聞きかじっているから、店のなるべく

目立たないところに貼ってあるかもしれんな。でも腹の底では、どこでどう反転したのか、要

するに自分が損をすれば客が喜ぶくらいにしか思っていない。キミの泣き顔イコール相手の

笑顔というわけだ。だから客と社員が笑って言葉を交わしているのを見ると、店が何らかの

損をしていると反射的に身構え、客と親しくするなと社員に忠告するはずだ。キミにとっ

て、幸と不幸はシーソーで、むこうが沈んだらこっちが浮かぶ。実際に見たわけじゃないがた

ぶん当たっているだろう。でもキミは正しい。狡猾なネズミが悪いんだ。キミの世界観ではそ

うなっている。自分が笑うにはネズミを泣かせることだと」

私はカウンターの後ろでビールケースをガチャガチャ積み上げたり氷をアイスピックで砕い

たりしながら聞き耳を立てていた。スーツ姿の男はゆったり構え、ほほう、というような表

情を見せていた。甲斐さんはバーボンを注ぎ足して続けた。

「ひょっとしてキミは、相手を川に落としてから引き上げるという善行を得意としてない

か?

まず川に突き落としておいて、下手に出た者だけをかわいがり、そうしないやつは下

流に流される。実際には流されたのではなく、自分の意思でキミの前から消えたのだが」

こんな場面で傍の者は居場所が見つかりにくい。作業服の男はモノと化していたし、私も

透明になりながら、過去に出会った何人かを俎上に乗せてみた。でも甲斐さんの言うよう

なケースの人物は発見できなかった。

「たぶん本当のキミは、何事にも自信がないんだよ。相手とまともに接したのでは自分の薄

っぺらさがばれてしまうと恐れている。だからこき下ろすことで見下げようとする。自分よ

り劣っていれば安心なわけだ。あるいはこう思っているかもしれん。みんなこの俺を卒業した

と。それならキミの中で理由がつく。そうすると、キミを切り捨てたかつての知り合いを、あ

いつには飯を食わせてやったと、昨日のことのように言うんだ」

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スーツ姿の男は貝のように黙っていた。作業服を着た方も今にも泣き出しそうな顔になっ

ていたが、内心は拍手喝采かも知れなかった。

「誰からも取り合ってもらえなくなったキミは地域ボランティアみたいなことをやる。少年

野球か少年サッカーが手ごろなところだ。老人ホームの慰問などはお年寄りの笑顔を見る

ことになるから、それはキミの涙に通じる。でも子供相手のスポーツなら叱っていればいい。

それで子供が泣き出したら、キミは笑うと思うよ。中学生相手は技量的に無理だが、小学

生なら子供だましで充分だ。まさしくキミのことだな。さらにキミがボランティアに精を出

している時間、奥さんは息詰まりから自由になれる。キミも奥さんと二人きりでいると落

ち着かず、それをごまかすために家を空ける理由が必要だ。ひと言で言えば、家が面白く

ない、それがボランティアの理由さ。だからキミの中ではいつも肌寒い風が吹いている。そして

その風は外にまで吹き出ている」

作業服の男が「マスター、もうそれくらいでいいですよ」と顔をゆがめた。

「わしは面白い話をしているはずなんだがね」。そう甲斐さんが言うとスーツの男は二三度

うなずき、手で作業服男の言葉を止めた。甲斐さんはバーボンのボトルを持ち上げ、スーツ

の男にグラスを空けるように勧め、またダブルで注いだ。彼は顔が高潮しているうえに硬直

もしていたので、どうにか持ちこたえているのがありありと分かった。

「そういえばいつだったか、客からチケットをもらって嘉麻高校の吹奏楽を市民ホールに聞

きに行ったら、そこにキミも奥さんと来ていたね、わしに気がつかなかったようだが」

「ああ、息子がクラリネットをやってるから」

「最近の高校生はレベルが高いな。キミも真剣に聞いていたみたいだったね」

「定期演奏会には欠かさず行ってますよ」

「じゃあ息子さんから両親の姿は見えていただろうね。キミは後ろの方の左端に座り、奥

さんはずっと前の右側にいたが、観客席の対角に離れて座っている両親の姿は、息子さんの

目にどう映っただろう。ほかの子供の親もみんなそうやって座っていたのか?」

泥のような空気が漂った。顔は見えないが、心がぐらりと揺れたか折れたかしただろう。

「わしの想像では、キミは自宅に書斎を持っている。平日は仕事や飲み会を理由にして遅

く帰り、日曜日はボランティアを理由に家を空け、それ以外は書斎にこもって、夫婦や家族

のすれ違いをないことにする。でも自分だけに書斎があるのでは後ろめたいから、奥さんに

も裁縫室があるだろう。そこだけがキミら夫婦の本当の家だ。世間体の家の中にもう一つ

の家があり、そこでようやく一息つける。夫婦が目を合わせて語り合う時間は週に何時間

くらいあるのかね、イノさん。もはや行き詰っていると思うよ、あんたは」

イノという名前は歴史資料館の斜め隣にある伊野金物のことではないだろうか。たまに

草刈機の回転刃や軍手を買うが、男の店員は力仕事や配送作業があるので水色の作業服

を着用していた。するとスーツを着たこの男は伊野金物の社長で、横の男は社員だろう。

「そんな状況でもどうにか店が回っているのは、キミが二代目だからだよ。二代目はつぶれ

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ないという言葉がある。先代が築いた銀行の信用がまだあり、先代が育てた幹部も残ってい

る。仕入先や顧客も定着していて、先代の威光は今も続いている。ここでもキミは必要とさ

れていないわけだが、キミは自分でやり遂げたような気になって、その勘違いや緊張が今の

傲慢さを生んだのかも知れん。でもその自信はいつも揺らぎ、それでキミはわしに不安をも

らし、おかげでわしの側から見ている、もう一人のキミに会えたというわけだ」

甲斐さんは一呼吸置き、「わしの直感的な計算では」と電卓を手に取って、「キミはたぶん

週に二人の人心を失っているから、一ヶ月で八人、一年なら九十六人だ。それが七年間続い

たとすれば六百七十二人。でもそれは延べ人数だから、一人当たり三回の打撃を与えたと

すれば三で割って、実際には七年間で二百二十四人が離れていった計算になる。でもその二

百二十四人はそれぞれ、キミがどれほど嫌な人間であるかを身近な人に触れ回るから、

一・五倍を掛ければ三百三十六人になる。四十人学級でいえば八クラス分に匹敵する人数

だな。でもこれ以上は増えないから安心していい。ほとんど嫌われ尽くしてどこにも相手が

いない」と決めつけた。なんだか犬を川に落として叩きまくっているみたいだった。

「ここまで言われてキミも散々だろうが、今の状況を少しでも変えたければ、自分は窮地

に立たされているという認識を持つことだ。そうすれば何らかの策が見つかる。親から教わ

らなかったことは自分で教えるんだよ。それでも五倍の三十五年はかかるだろうな。と、ま

あ、私の過去を披露したわけだが、この歳になってようやく気がついたというだけのつまらな

い話さ。今日の精神は昨日よりも廃退し、明日の体は今日よりも老いる」

イノは口を曲げて笑い、「おやじさんの話はいつも勉強になるねえ」とかわそうとしたが、

声がかすれて裏返った。それに動揺したのか身を大きくよじり、その拍子にバーボンの入っ

たグラスに肘があたって床に落ちた。作業服の男があわててそのグラスを拾おうとし、彼も

自分のタンブラーを倒したが、ほとんど空だったので無視してかまわなかった。イノも床に身

を屈め、その拍子に額をカウンターに思い切りぶつけて、ずいぶん痛そうな音を立てた。カ

ウンター全体が振動したほど大きい音だったから一瞬気を失ったかも知れない。でも彼はそ

れにお構いなしにグラスを拾い上げ、また来るから勘定はいくらかと聞いた。甲斐さんは伝

票をいじくる真似をし、しかめ面で「二万円ですね」と言った。暴利にもかかわらずイノは

「思ったより安いな」とつぶやき、財布から一万円札二枚をひらりとカウンターの上に置い

て作業服の男に「おい、帰るぞ」と声をかけ、肩を揺すって店を出た。彼の額には大きな赤い

あざが出来ており、早くも腫れて膨らみ始めていた。その後ろを作業服の男が腰をかがめ

るような姿勢で追い、店を出るとき甲斐さんに向き直ってぺこりと頭を下げた。

三十一

やはり彼は伊野金物の社長だった。課長に車を運転させてちょっと立ち寄ったふうで、し

かし何かの用事があるわけでもなかったようだ。甲斐さんのすごい剣幕は、前々から言って

やろうと思ってのことらしく、だからといってそれほど気が晴れたわけでもなく、「あの類は

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ああやって遠ざけておくに限る。自分の愚かさに気がつかないから、どこまでもつけあがって

周囲の雰囲気を台無しにする」と、汚れた床やカウンターを掃除しながら言った。

今夜のような叱罵に至った理由は、数か月前に伊野金物の若い社員が納屋に来て、社長へ

の不満を漏らしたのが引き金だった。

「あるとき新人社員が伊野社長から、仕事の調子はどうかとたずねられ、毎日頑張ってい

ますと元気に答えたら、それに社長は機嫌を悪くしたらしく、店の前に車を停めて、その

社員を半日ほど監視していたらしい」

「うへえ、こわいなあ」

「新人社員の屈託ない笑顔を見て、客の標的になるとでも思ったんだろうが、店中の社員

が震え上がったそうだ」

「そこまでやれば暴力と同じですね。さっきの話はずいぶん効いたんじゃないですか」

「どうだろうな。勉強になりましたと言うやつが行動を変えたことは一度もないからな」

川に落として引き上げるという技法を使ったのは甲斐さんの方ではないかと私が言うと、

さぞかし川の水は冷たかっただろう、土手から自分を見下ろしている顔もたくさん見えた

だろうね、でもわしは引き上げてやらないよ、自力で陸(おか)に上がる方法を教えてやった

だけ、と答えた。

「実力もないのにポジティブ意識だけ過剰な奴がああなる。ネガティブなのび太君はいつ

もその被害者だ。世界中のポジティブを標榜するやつらがもう少し自分を見つめたら、戦

争も差別もいじめも夫婦の不幸もずっと減るんだ。それに、わしはネクタイを締めたやつが

好かんのだよ。あの先がどこにつながっているような気がしないか?」

「どこかって?」

「犬の鎖だよ。そっくりじゃないか。ネクタイの先にも見えない鎖があって、その先を誰かが

握っているように見えるね。暗に飼い犬だと示しているんだよ」

「なるほど。誰かに操られているわけですね」

「だから信用できないんだよ。ネクタイを見せることで自分の背後には大きな力があると

誇示しているからな。自分を見くびるんじゃないぞ、みたいな威圧をネクタイに求めるんだ。

ネクタイを外した時の言葉こそ本音だが、花見でネクタイを締めるやつだっているだろう。

自分のもろさを知っているからネクタイでごまかすんだ。そうすれば嘘の力だって出るし、

その力の責任を取るのはネクタイの向こうにいる飼い主だ」

「じゃあネクタイを締めない人は野良犬です?」

「いや、ほとんどが飼い犬だよ。秩序は飼い犬が作るからね。鎖を水戸黄門の印籠のように

振りかざさないだけ。飢える覚悟がなければすべて飼い犬だ」

「秩序は鎖なんですか?

大切なものかと思っていましたが」

「鎖に決まっているだろう。ルールはみんなそうじゃないか。わしは鎖が不要だという話を

してるんじゃない。ネクタイからでもいろんなことが分かると言いたいんだ」

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甲斐さんは伊野社長が飲んでいたボトルを私に差し出した。「まだ半分以上残っているか

ら持って帰りなさい。代金はさっきもらったから」。

バーボンはあまり好きではないが寝酒にはなる。「それにしても二万円もふんだくるとは、

上得意を減らしてしまいましたね」と声をかけると、甲斐さんは、「そうだねえ」とつぶやき、

ふと思いついたように、ほとぼりが冷めたころに課長はまた来るだろうと言った。根拠は分

からなかったが、もしも本当に来た時には、なぜ予測が当たったかを確認してみようと思っ

た。しかしその期待はかなわなかった。数週間後に甲斐さんは姿を消した。誰にも行き先を

告げず、時枝さんにも別れを言わずに消えた。支払いはきちんと済ませてあり、店も寝床

もきれいに掃除してあったという。「勉強になりました」と言った側ではなく、言われた側が

行動した。

三十二

仕事には二種類ある。人から与えられた仕事と神様がくれた仕事。

人から与えられた仕事は断ることができるし手も抜ける。自分に合わせて変えてもい

いし、天職として全うすることもあるだろう。大半の人の抱く仕事のイメージは、人から

与えられた仕事のことである。

神様がくれた仕事は、実はすべての人に与えられている。ただしその仕事は、あたかも

透明な糸で自分と結ばれているかのごとく、頭上のはるか上方にぽっかりと浮かんでい

るために、たいていの人が気づかない。大方の人がそれを知らないまま生涯を終えるが、

それで神から罰せられることはない。

しかしごくたまに、ふと空を見上げて、自分の頭上に神様がくれた仕事がゆらりと浮

かんでいるのを見つけてしまう人がいる。その瞬間彼は知る。自分は何のためにこの世に

生を受けたのかを。その時から彼は、人から与えられた仕事で肉体を養いつつ、神様の仕

事をこなそうとし始める。その時の年齢が十代であれば後年天才と呼ばれ、三十代であ

れば開眼に至る。五十代なら、なにかの罰とも思われる。ご苦労なことに彼らは正当な

評価を受けることは決してなく、むしろその逆のことの起こる方が多いが、一度知ってし

まうと、逃げることも断ることも忘れることも出来ない。頭上を見上げるたびにゆらり

と浮かんでいるからである。

そして彼は寿命を終える。人から与えられた仕事だけをしていれば自動装置的に天国

か地獄か転生かのどれかに振り分けられる。

神様がくれた仕事に気づいた人にだけ神は会い、こう問いかける。

「あなたは、私の与えた仕事をどこまでやり通しましたか」

聞かれた人はおそらくこう答えるだろう。

「ほとんどできませんでした」

それに対して神はたぶん次のように言う。

Page 85: Bar納屋界隈ver 3

「それでいい。あなたは充分にやり遂げた」

神の仕事の見えた人だけが神と言葉を交わすことができる。その仕事が出来なかった

ことを前提にして。

とても見事な雲を見た。

午後二時ちょうどのころだった。

秋の真っ青な晴天に、適度な大きさの雲が、ほどよい距離加減で適当に浮かんでおり、そ

れが全天を覆っていた。しかもどの雲も、下面はフライパンの底のように平たくて黒々と、日

差しの陰となっており、上は真綿のようにふんわりと盛り上がって白い。私はそれを車の窓

からちらちら見上げながらBAR納屋に向かっていた。

雲が私を見下ろしているように思い始めたのは、甲斐さんからそう示唆されてからのこと

である。それでふと上空を見上げると、あくまでも雲が無言で浮かんでいるだけだった。そ

してその数ヵ月後に、今度はその雲のある場所から、私が私を見下ろしているといったふう

に感覚は変化していった。最近はもう、雲と一緒にいるようにすら、見上げた時に思う。

今朝方早くに時枝さんから電話があった。甲斐さんがどこかに行ってしまったという。郵

便受けに店の鍵が入れてあり、いろんな経費を支払った領収書も束にしてあったらしい。そ

れであわてて店に行ってみると、しんと静まり返って人の気配がなく、ブレーカーも落とさ

れていた。途方に暮れた時枝さんは店にあった住所録から私の名前を見つけ、それで連絡

してきた。

私にとっても寝耳に水だったが、今日から一週間、友人の不動産屋が管理している物件に

看板を取り付ける仕事が入り、ようやくこの時間を空けられた。

納屋に到着すると時枝さんは道端で待っており、店の中では背高の若い男が物珍しげに

内部を見回していた。彼は私に、自分は宮内夫婦の一人息子だと紹介した。時枝さんは気

が動転しており、それは、納屋をどうすればいいかではなく、なぜ甲斐さんが行方をくらま

せたのかということだった。傍から息子が、捜索願を出した方がいいのではと言ったが、事件

性のない届けを警察が相手にしてくれるわけはなく、しばらく様子を見ようということに

なった。しかし私は、甲斐さんがここに戻ってきやしないだろうと確信していた。

時枝さんをなだめて納屋を出たころには先ほどの雲はどこにもなく、空気に溶けたり薄

まったり流されたりして、ずっと向こうの蒼い山の上にひとかたまりに押しやられていると

いったふうで、頭上にはほうきで掃いたような、半透明の一筋があるだけだった。

二日後にまた時枝さんが電話をよこし、事情を知らない客が何人か来ているようなので、

店を開けておいた方がいいのではと相談された。息子にバーテンまがいのことをさせるつも

りだと話し、でも息子には経験がないので、その手ほどきを頼みたいとのことだった。店を開

Page 86: Bar納屋界隈ver 3

けることには賛成したが息子の相手は固辞したかった。しかしBAR納屋の行く末も心配だ。

それで、私のできる範囲でなら構わないと応じておいた。

その夕方、日がまだ山の上にのんびり浮かんでいる時間に納屋に行ってみると、息子はす

でに掃除を始めており、「お酒は飲めませんがよろしくお願いします」とぎこちなく頭を下

げた。何から手をつけていいのか分からない私は、いつもの席に腰を下ろし、息子の動きを目

で追いながら、彼に伝える事項を頭の中で整理した。掃除を終えた彼が目の前に座ったので、

私はまず、立場から言えば私は客に過ぎず、決定権は宮内君にあると教えた。次に、この

店は甲斐さんと気の合う人が多いから、そのうち来なくなるだろうが、それを気に病む必

要はなく、それよりも自分の客を開拓する方がいいこと、店の雰囲気を変えるのも一つの手

で、バーでなくても構わないなどと、当たり障りのない話に終始した。宮内君は殊勝な顔で

聞いていた。彼の経歴をたずねてみると、三十八歳の独身で、高校を卒業して理容師の免

許を取り、その業界で数年働いたが、病気になって辞めてからは職に就いたことがなく、外

出もあまりせずに、いわゆる世間知らずの引きこもりとして過ごしてきたため、納屋をど

うしていいか見当もつかないとのことだった。

彼にしてみれば、この機を逃せば自立のチャンスが永遠にやって来ないかもしれず、その点

で今の状況は好機到来だろう。しかし四十近くになっても引きこもりであるという負い目

から逃れるために、居場所を自室からここに移すだけの顛末になることも充分あり得た。

引きこもりの印象を漂わせて客を遠ざけ、客が来ないことを理由に今まで通りの生活を続

ける可能性は高い。そこでその危惧を指摘し、あわせて、家賃を払う心配はないから店さ

え開けておけばどうにかなるさと語り、私への質問をたずねると、一人で店に居る自信が

まったくないので、酒代は無料にするから毎日来てくれないだろうかと言う。たかが一杯や

二杯の酒をよろこぶのも馬鹿らしかったが、彼の精一杯の気持ちだろうと思い、それを汲ん

で了解した。それでも彼の顔から不安が消えないのは当たり前だった。ここは彼だけの遊び

場ではないのである。そこで、彼にシェーカーの使い方を教えた。ジンやウォッカやテキーラ

など、カクテルのベースになる酒は冷凍庫に入れて氷の温度よりも下げておくこと、それは

氷と一緒にシェーカーに入れた時、氷が融けて水っぽくなるのを防ぐためで、シェーカーに

入れる氷の量は山盛りがよく、そうしないとシェイクする際に氷がぶつかり合って分量が増

し、カクテルグラスからこぼれてしまうことなどを教えた。

私が一度やってみせ、彼にもやらせてみた。カチカチに緊張してぎこちなかったが、たかが

バーテンだ、やる気があればすぐに慣れる。こうしてカクテルを五杯ほど作り、どれも私が

飲んだ。私は彼に、昼間はここでメジャーカップの使い方、シェーカーの振り方、バースプーン

の回し方を水で練習すればいいと助言し、その期間を一週間とした。そしてカクテルブック

を開き、二割のカクテルが八割の注文を占めるから、最初は三十種類くらい作れば充分だ

ろうと伝え、私がその三十種類を選んで宮内君にメモさせ、カウンターの内側に貼らせた。

彼の目にはそれなりにやる気が見えていた。そうこうするうちに客が二人来た。岡村君と

Page 87: Bar納屋界隈ver 3

デザインショップ・スリーパーにいた池上という男性だった。

「甲斐さんに何かあったんですか」。岡村君がさっそく聞いた。スリーパーに社章のデザイ

ンを依頼しに来た客が、BAR納屋の名物マスターが行方をくらましたらしいと面白おかし

く話し、それが岡村君の耳に入ったそうだ。私がかいつまんで事情を話すと、岡村君はショッ

クを露わにしていたが、時の氏神とは彼らのことかも知れず、岡村君にはワインの知識を宮

内氏の息子に伝授してくれるよう頼み、池上には、予算のかからない範囲でいいアイデアが

あれば教えてほしいと頼んだ。彼はさっそく携帯電話で誰かに連絡していた。

岡村君は私に、これからもここに来るつもりかとたずね、成り行き上そうならざるを得

ないと知って安心したらしく、宮内君にソムリエナイフの使い方を教え始めた。そこに、顎ひ

げを伸ばした実直そうな若者が二枚のパネルを持って現われた。彼は池上から、映画「パル

プフィクション」と「ブエナ・ヴィスタ・ソシアル・クラブ」のポスターを持ってくるよう命じられた

のだった。とりあえず一枚が、店に入ってすぐに目につく場所に掛けられた。池上は「納屋

の雰囲気はあまりいじらない方がいいです。やりすぎるとアメリカ西部のバーみたいになる

から」と言った。この納屋は、まずは農耕具置場として長い間その仕事をし、次に甲斐さん

の納屋として生き、これから宮内氏の息子の店として再出発しようとしているのだと、不思

議な感覚にとらわれた。若い世代がここを自由に使えば新たな展開があるかもしれない。

池上が宮内君に「ポスターの映画はビデオで観ておいてください。あと、スモークという題

名のやつも」と伝えて帰り、岡村君も「さっき開封したワインは明日飲みますよ」と言い残し

て帰って行った。さらに運がいいのか悪いのか、彼らと入れ違いにイシちゃんが鼻歌気分でや

って来たので店番を頼み、宮内君を東町のバーに連れて行った。

この町には小さな映画館が一軒あり、その裏に「シネマクラブ」というバーがある。私たち

はカウンターに座り、宮内君にはマルガリータ、私はダイキリを注文した。カウンターのそば

のプロジェクターからR

od Stew

art

のライブ映像が大きなスクリーンに映し出されて、ちょう

どSailing

を歌い始めようとしているところだった。それをぼんやり見ながら、最近面白い話

はないかとバーテンにたずねると、「納屋のマスターが逃げたそうですね」と言った。最近店

が閉まっているのはそのせいかなと応じると、「本当に知らなかったんですか」と笑った。

「伊野金物の社長をボコボコにしたらしいですよ。瓶で頭を思い切り殴ったそうです」

「その話は本当かな。誰かが見ていたとか?」

「そばに課長がいたんですよ。その人がうちに来て話してました。コテンパにやられたって。

頭に大きな絆創膏を貼っているらしいし、本人は転んだと言ってるそうだけど、誰も信じな

いですよ。あのマスターは台湾帰りらしいからカンフーとか強かったんじゃないかな。瓶をヌン

チャクみたいに使って殴ったかもですね。それで訴えられるのを恐れて逃げたみたいです。こ

こらじゃ有名な話」

「客に暴力はいけないよね」。私はよほど本当のことを教えてやろうと思ったが、それも伊

野という人をぶざまにさせるだけだった。

Page 88: Bar納屋界隈ver 3

「伊野さんはうちでも突き飛ばされたことがありますよ。知らない客に絡んで怒らせちゃ

ったんです。もう出入り禁止になりましたけどね」

「どっちが?」

「伊野さん。あの人はしょっちゅうだから」

イシちゃんをいつまでも放ってはおけないので、ここらで切り上げることにした。スクリーン

はJohn D

enverのL

eaving on a Jet Plane

に替わっていた。店を出ると宮内君が、さっきの話

は本当かと聞いた。私は笑って、ほとんど嘘だがうわさ話はこうやって伝説になっていくのだ

と言っておいた。

シネマクラブの前で私たちは別れた。明日も早めに店をのぞくつもりだと宮内君に言い、

さっきのバーテンダーの動きをちゃんと見たかとたずねると、たぶん自分にもできるだろう

と答えた。「イシちゃんは適当に帰るよ」。そう言い残して宮内君に背を向けた。

三十三

竜王山の方から扇を開いたように白い雲が密集してこちらまで広がって来ていた。頭上に

近くなるごとにまばらになり、空が青く抜けるのを手助けしていた。夕方の太陽が竜王山

の上の詰まった雲のあたりをほんのわずか朱色に染めようとしていたが、その力はまだ弱く、

私の頭の上あたりまでは届かずに、しばらくは昼の気配に任せておこうと決めたようだった。

放っておいても昼はいずれ夕方の色に負け、勝者である夕日もじきに夜に侵食される。

たまに私は、山と雲、場所によっては海も加わって、空のデザインを相談しあっているよう

な気がする。気象学は気温や天候くらいは分かるが、今日のような空模様を言い当てるこ

とはない。つい最近まで空というものはジェット旅客機が飛んでいるあたりを言うのだと思っ

ていたが、近頃はそうではなくてもっと低く、鳥が飛んでいるくらいの高さ、いわば手を伸ば

せば届きそうなところも空だというふうに感じ方が変わってきた。この調子でいけばいずれ

目の高さまで下がってきて、私も空の端っこにいるのだと感じるようになるかもしれない。

とてもおいしそうな匂いがした。時枝さんと宮内君がカレーを作っていた。

「ここがバーになって最初のころは甲斐さんがよくカレーを作って、農作業をしている人た

ちが大勢集まってきたんですよ。まわりに家なんてほとんどなくて、なつかしいですねえ」

彼女は非常に浮かれて、息子とこんな時間を持てることがうれしくてたまらない様子で、

これを機会に彼女が夫の死を乗り越えられれば、それはすばらしいことだった。息子もそ

れは同様らしく、ようやく母親と関わりあえる足がかりを手に入れたように思えた。出来

上がったカレーを食べながら私たち三人はささやかな船出を祝った。

「なんだかとんとん拍子でうまくいきそうですねえ」

時枝さんはとても明るかった。そして、これは相談というよりも決めてしまったことですが

と前置きし、バスで五つくらい離れた楽市に住む三十代の主婦が、昼間ここで軽食の店をや

Page 89: Bar納屋界隈ver 3

りたいと借用を申し込んできたので即決したと言った。その主婦は前々からBAR納屋の外

観を気に入り、人のうわさで最近この店のマスターがいなくなったらしいと聞いて、今日の昼

に連絡があったという。

午前十時から午後三時までをランチタイムとし、夜は宮内君がバーとして営業するとい

う計画で、私に異存はなかった。こっちはあくまでも補助的な役目だ。

日が翳(かげ)って窓の外が薄暗くなったころ、軽自動車が停まって、小さな男の子を連れ

た女性が顔をのぞかせた。彼女が昼間にランチの店をやる当人で、店内の様子を見に来た

らしかった。佐々木冴というその女性は、学生時代はバレーボールでもやっていたのではない

かと思わせるほどの身長で、何事もあまり気にしない性分のようだった。

「テーブルクロスさえかけたらこのまま使えそうですね」。彼女は自信あり気な顔をした。

東南アジアや中南米のエスニック料理が主体のランチ専門店にするらしく、「店の名前はアパ

カパールでどうでしょう。入口にメキシカンハットとかを掛けておいたら目立つかも。宣伝は

あまりやらずに、チラシを近所に撒く程度にしましょう」と言い、宮内君の母親が、「この店

はだんだんハイカラになりますね」と目を輝かせた。

私が、日本人は外国の料理に馴染みがないから、客はそれほど集まらないのではとたずね

ると、「それは本場の味に固執するからで、日本人の口に合わせれば蕎麦やうどんに勝て

ますよ」と言った。そこに今度は軽トラックが停まり、四十歳くらいの男性が大人の背丈ほ

どの観葉植物の鉢を重そうに抱えて入ってきた。私の夫ですと冴さんは紹介し、「二年前に

カンボジアから持って帰ったマンゴスティンの種を植えてみたら、こんなに大きくなったんです。

ここの方が暖かい時間が長いし、ちょっとしたアクセントにもなると思って」と説明し、甲斐さ

んの使っていた寝間の入口に置いた。

「このドアの向こうには誰かが住んでいるんです?」

「マスターの甲斐さんという人が暮らしていたんです。今はもうおられませんけど」

「ああ、なるほどね。で、ここはどうされるんです?」

「できればそのままにしておこうと思って。いつか帰って来られるかもしれませんし」

時枝さんの説明を聞いて、このドアが閉ざされている限り甲斐さんの匂いはなくならない

ような気がした。私は宮内君に小声で、あれからイシちゃんはどうだったかと聞いた。宮内

君も私に、イシちゃんはこの店のバーテンダーなのかとたずね返した。昨夜のイシちゃんはと

ても張り切って、BAR納屋は彼が運営していくつもりのような態度を見せていたらしい。カ

ップルの客に、これから本格的なバーになりますよと上機嫌でしゃべっていたそうである。私

は宮内君に、イシちゃんは数日に一度来る程度の客で、甲斐さんはそうは決めていないはず

だと伝えたが、宮内君の不安は消えないようで、今後の流れを私からイシちゃんに伝えて

くれるよう頼まれた。しかしそれは筋が違う。それはキミの仕事だろう。しばらくは放って

おけとコメントしておいた。

佐々木夫妻はそれぞれの車で帰っていった。夫の軽トラックには「筑宝葬祭」の文字があり、

Page 90: Bar納屋界隈ver 3

どうやら遠賀川に面してある、この町でもっとも大きな葬祭会館に勤めているらしかった。

夜になって、昨日開けたワインを飲みに岡村君が来た。そして、三日後に鳶の仕事で高松

に行くことになったと言った。今夜も看板までいて車で寝てもかまわないかとたずねるので、

宮内君さえよければ構わないんじゃないかと答え、宮内君も、そうしてくれたら心強いで

すとよろこんだ。やがて客が二人やってきて、マスターはいつ帰ってくるのかと聞くので、未定

ですが店は今まで通りやるようですよと、宮内君に代わって答えた。客は「それならまあい

いか」とつまらなさそうにつぶやいて冷蔵庫のビールを勝手に飲みはじめた。ここで宮内君が

話題の一つでも差し向ければいいのだが、今の彼にはとても無理な話で、客はしばらくする

と帰ってしまった。それと入れ替わるようにイシちゃんが発奮顔で入ってきた。全身にやる

気をみなぎらせてカウンターに入り、この店が今後も続くために力を惜しまない、という意

味の言葉を発した。宮内君は遠慮がちにカウンターから離れているし、岡村君と私はふさ

ぎ気味だし、振りかざした言葉の降ろし所を失ったイシちゃんは、笑いと泣きが混ざったよ

うな顔になった。やがて宮内君が、彼なりの抵抗でも示そうとしたのか、Nancy S

inatra

Bang B

ang

をCDで鳴らしたり、最近流行し始めたN

orah Jones

の曲をかけたりした。また、

わざと大きな声で「佐々木さんの奥さんがディスクをくれたんですけど、ちょっと聞いてみ

ます?」と、まるっきりイシちゃんを無視して私と岡村君に声をかけ、「カンボジアでいちば

んきれいな曲らしいですね。名前は、えーっと、チョムリン・トムティウと読むのかな」と言い

ながらCDラジカセに入れた。その曲はたしかにきれいだったが、この店に似合うとは思えな

かった。この曲で岡村君が踊るのは難しいだろう。

イシちゃんは翌日も来た。しかしその張り切りようには根拠が乏しかったから、切羽詰っ

た感じもした。宮内君はカウンターから離れてイシちゃんに客の扱いを任せたが、練習で作

ったカクテルを私に差し出したり、壁に「カレーライスあります」の告知を貼ったりして、イシ

ちゃんとは無関係に店が変わりつつある様子をアピールしていた。むろんイシちゃんも彼な

りに状況を理解し、宮内君をオーナーの位置に立たせることでバーテンダーの席を確保し

ようとした。だが宮内君は無反応を示した。イシちゃんに助けを求めなければならないほ

ど宮内家は困っていなかった。結局のところ昔の地主は今もさまざまな点で裕福であり、小

作は今も労働者として貧しかった。

三日目もイシちゃんはあきらめず、鍵を預かることや酒の仕入れを申し出たが、どちら

も「お客にそんなことはさせられないです」と退けられた。宮内君はハワイアンシャツを着て、

映画のポスターも「パルプフィクション」から「パリ・テキサス」に掛け替えられるなど、店の雰

囲気も徐々に変えられていた。

四日目の夜にはイシちゃんにとってショックなことが重なった。自分が知らないのにアパカパ

ールがプレオープンしたこと、その流れで来た近所の客を宮内君が応対してカクテルをうま

く作ったこと、隣室のドアに「甲斐さんの家」という表札が掛かり、郵便ポストまで置かれて、

それを見た客の質問に宮内君が答える形で「甲斐さんカンフー伝説」が披露されたことな

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ど、イシちゃんの居場所はどこにもないことが暗に宣言された。ついにイシちゃんの堪忍袋の

緒が切れ、彼は握りこぶしをカウンターに力いっぱい叩きつけて店を出て行った。その日を最

後に彼がBAR納屋に顔を見せることはなかったが、イシちゃんという仮想敵が宮内君の自

立を促進させたことになった。

三十四

「三十種類のカクテルで八割の注文に対応できる」という助言はそう間違ってはいなかった。

作れないカクテルを注文された場合でも、自分で作ってもらえませんかとバーブックを手渡

すと、客のほとんどはよろこんでカウンターに入った。

伊野金物の課長も何人かを連れて来た。皆すでに酔っており、飲み会の流れで来たよう

だった。課長は得意げに「ここがその店だ」みたいに言い、同伴者もカウンターのその箇所を

しげしげと見た。それからずっとあとになって、甲斐さんの逃亡伝説のもう一人の主人公で

ある伊野社長も現われた。とはいえ店には足を踏み入れず、上半身だけ中に入れて店内

を見渡し、私と目が合うと会釈した。そしてどことなく納得した顔で身を返した。去ってい

く彼の横に妻らしき女性がおり、一度こちらを振り返ったが、その表情からは何も探れな

かった。

施という台湾人の客に、甲斐さんは台湾に行ったのではないかと聞いてみたことがある。で

も施は、戻る理由はないはずだと言った。彼は甲斐さんにずいぶん親しみを感じていた。と

いうのも、台南という古都の上空で繰り広げられた台湾沖航空戦で、自分の命と引き換え

に台湾人の集落を守った旧日本軍パイロットがおり、その日本兵を軍神として祀った大きな

祠が台南にあるという。今も住民が朝夕「君が代」と「海ゆかば」を流して冥福を祈り、運

営は地元の寄付でまかなっているらしかった。にわかには信じ難かったが台南では有名な話

で、空中戦を地上から目撃していた一人が甲斐さんなのだそうである。「甲斐さんの日本

語は時々台湾の発音が混ざる」。懐かしそうに言って施氏は細い目をいっそう細めた。

フィリピン人アニーと夫の権造氏も甲斐さんの失踪に落胆した。甲斐さんの骨折りで、九

大に留学しているフィリピン人大学生グループと親交が始まったらしい。甲斐さんと最後に

会ったのはアニーの妊娠が分かった日の夜のことで、甲斐さんはアニーに、「子供が何をして

も褒めなさい。何もしなくても褒めなさい。土師さんから教わったのはむしろそっちの方だ。

それでも子供は悪さをする。その時は叱らず、悲しんでみせなさい。子供が悪さをするの

はたいてい面白いことだから、叱れば隠れてするようになる。でも悲しむ人がいると知ったら

自分を律することを覚える。だから、子供に罰を与えても構わないが、その時はあなたも

一緒に受けなさい。晩御飯を食べさせないなら、あなたも食べずにいなさい。寒い夜に家の

外に立たせる罰なら、あなたも子供と手をつないで同じことをしなさい。そうすれば子供

が社会人になった時、自分が叱られることよりも誰かが悲しむことを考えるようになる」と

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助言し、権造氏に対しても「テレビよりも夢中になれる遊びを子供に与えなさい。それが出

来なければ親の敗北だ。そして子供が楽しいことに夢中になっている横で、あなたは自分の

苦手な英語を勉強しなさい。英語は学校で習ったと思っているだろうが、教わったのは英語

を勉強する方法で、よほど才能がない限り誰も身についていない」と言ったそうである。

私は権蔵氏の語った「村八分」を思い出し、その後は収まったのかとたずねると、彼は奇妙

な顔で笑い、「俺たちがこの町にいてはいけないような扱いは今でもありますよ」と言った。数

日前もアニーが背中に筋肉痛を訴えるので近所の整骨院に連れて行き、健康保険証を提

示したにもかかわらず、受付の女性からあれこれ言われて診療を拒否されたらしい。さす

がに権造氏はむっとして、「じゃあ妻の苦痛を誰に訴えればいいんだ?

あんたらに通じる

専門用語で説明しろとでも言うのか」と凄むと、受付はあわてて通してくれたそうである。

以前にもまして私はBAR納屋に通うようになり、いつの間にか宮内君の補佐のような立

場になった。好都合だったのはランチタイムの残り物が夕食として提供されるようになった

ことで、しかし主客が転倒しないようにわきまえ、空いたテーブルに目立たないように座っ

ていることが多かった。補助はイシちゃんの方が適任だったろうが、彼はチャンスの使い方を

間違えた。

店は昼も夜もうまくいっていた。クリスマスが近づいてアパカパールのクリスマスツリーに明か

りが灯り、夜には山下達郎の「クリスマス・イブ」やJo

hn Lennon

のHappy C

hristmas

が流れ

た。冴さんは人脈を駆使して多くの客を獲得し、BAR納屋の宣伝も怠らなかった。その影

響でバーの客が、甲斐さんのいた当時とうまい具合に入れ替わった。「バーテンと同じ世代の

女性が来る」と甲斐さんが冗談交じりに言ったことがあったが、本当にそうなって、三十代

の女性を中心に固定客が増えつつあったし、宮内君の幼馴染も顔を見せはじめた。

古い常連の何人かが、トイレの文章が替わらないのが寂しいと言った。それを聞いた宮内君

が、甲斐さんの部屋に便箋の束があったと言い出したので、それを順繰りに貼っていくこと

になった。私が納屋を知る以前からそれらはトイレに貼ってあり、常連は店に入ると最初に

トイレをチェックした。長い文章の時は長くいて、短い時はすぐに出てきた。

九北新聞の地元版にBAR納屋が紹介されたことも増客につながった。男の記者が取材に

来て、その夜に黒江別府記者から電話があった。彼女は甲斐さんのいないことに心底驚き、

矢継ぎ早にいろいろとたずねた。しかしどれにもまともに答えられなかったので、夜遅く納

屋にやって来た。カウンターに着くなり彼女はニコラシカを注文した。私の知る限りこの酒が

注文されたのは初めてで、宮内君には作れなかったため私が代わりに作ってやったが、彼女

はグラスをぐいっとあおって大きく息を吐き、口の中でレモンと砂糖を混ぜ合わせながら「記

事は自分がチェックして本社に送ったから、明日の朝刊に間に合うはずです」と言った。彼女

はそのあとカンパリソーダを頼み、甲斐さんから奇妙な話をされたと言った。

「人が高い所に上がろうとする時、四つの力を利用できる。一つ目は自力で上がる方法、

Page 93: Bar納屋界隈ver 3

二つ目は下から押し上げてもらうこと、三つ目は上からも引き上げてもらうこと。この三つ

が一斉に働けば上に上がるのは造作ない。しかしもう一つ、見えない力がある。それが風の

力だ。キミはたぶん風に好かれている。計画通りにことが運ぶ人は、実は風に選ばれなかっ

たんだ。このことをよく覚えておきなさい」

そして彼女はバッグから四つに折った紙を出して広げた。

三艘の小舟が川に浮かんでいる。手漕ぎの小舟は休む間もなく櫂を漕ぐが、大して動

きはせず、結局は川下に流される。

エンジンのある舟は自力で走り、自分の行きたいと

ころまで進む。行き先は自分で決める。風に祝福された舟は風にまかせて進み、風の選

んだ場所に行き着く。行き先は風が決める。

「これってしあわせなことなんですか?」

私はかつて奥義について甲斐さんから聞いたことがあったので、そこらのことだろうと予測

しながら読んだが、風のことは皆目分からなかった。

「毎日を汲々として暮らしながら生涯を終えるのが小舟だな。風は厄介としか言いよう

がないが、それをしあわせと思うかどうかは自分で決められるんじゃないか」

「この店は私にとって、困った時の納屋頼み、なんですよ」。黒江別府記者は寂しげに笑った。

大抵の記者は取材ネタのない時に訪れる場所をいくつか持っているという。私には甲斐さん

のような示唆に富んだ話はできないし、提供できる情報もない。宮内君だって同じだろうか

ら、彼女がここに来る理由は早晩なくなるように思われた。

この日の彼女はベージュのハーフコート姿で、それを脱ぐと薄い白地のブラウスにぎゅっと押

し込められた豊かな胸が張り出して、いろんな動きに連動して小刻みに揺れた。加えて顔

つきは混血そのものであり、表情も肢体もそれに適(かな)っていた。彼女と話している間中、

やはり私は彼女に呑まれ、目を合わせられないくらいに圧倒されていた。それをどう表現

すればいいか、その言葉を持てないほどだ。それは宮内君も同じだった。黒江別府記者は宮

内君と年が近いせいか、私と話しながらたまに彼の方に笑顔を振っていた。しかしついこない

だまで自室を出なかった引きこもりと新聞記者とでは貫禄が違う。宮内君は一声も発す

ることが出来ないまま壁際に突っ立っていた。

三十五

彼女が帰ったあと宮内君は顔を紅潮させて、また来るだろうかと聞いた。甲斐さんのいな

い今、その理由は見当たらなかったが、「宮内君に好意を持っているようだからまた来るんじ

ゃないか」と答えておいた。

酒を飲んでいる時の彼女はいつにも増して艶めかしかった。グラスを手にした時の小指のた

ちかた、ストローで飲む時の唇のすぼめかた、あらゆる姿が魅惑的だった。特に今夜は全身

Page 94: Bar納屋界隈ver 3

から立ち上る色香でむせ返りそうなほどだった。

「あんなに格好いい女性は見たことがないです。抜群ですよ。コスプレしたらまるでルパン三

世の峰不二子じゃないですか」

「おお!それだ。でもキミのはアニメだろう。こっちはビッグコミックの峰不二子だ」

「テレビアニメじゃないんです?」

「うろ覚えだが中一の時に創刊された月刊誌にモンキーパンチがルパン三世を描いたんだ」

「ビッグコミックは週刊誌ですよ」

「いや、最初は分厚い月刊誌だったよ。ゴルゴ13もその本に登場した」

「そんなに古くからあったんですか」

「本格的な大人向け漫画雑誌だったから評判になったね」

「じゃあ峰不二子は永遠のアイドルっぽいんです?」

「日本の漫画ファンにはマリリンモンローみたいな存在かもしれないね。たしかに黒江別府記

者はそれを彷彿とさせる」

「いい女の条件ってあるんですかね」

そうたずねられた私は適当に口を開いた。

「まずは明るいことかな。でもはしゃぎまくっているのとは違うな。それは一過性のものだ

からね。静かにしていても周囲を照らしているような存在かな。だから派手な必要もなくて、

恥ずかしがり屋でもいっこうにかまわないんだ」

「たしかに彼女はまぶしかったです」

「二つ目は品があることだと思うよ。とは言っても、クラシックバレエを習っているとか、お茶

やお花をたしなんでいるとかは、まったく無関係だとは言わないけど、時間とお金をかける

文明国の道楽で品が身につくなら、それのできない国に品のある女性はいないことになる。

でもそうではないだろう。品は、控え目とか奥ゆかしさとか、はにかみみたいな仕草を生じ

させる源みたいなもので、そのそばに優しさやいたわる気持ちがあるように思うね。だから

何もしなくても人の目を引く。品のない女はモンキーダンスでも踊って目立つしかないね」

「さっきの記者さんは存在感がすごかったです。自分がすごく小さく思えた」

「肉感的な女は男を圧倒するよ。すると三つ目は、夜はエロい、だろうな。そこはきちんと

押さえておかなくちゃ。しかし、昼もエロい、はだめだろう。でも彼女は昼間からエロすぎる」

すると宮内君は何を思ったか顔を赤らめた。

「その三つはまわりの雰囲気に大きな影響を与えますね。彼女がいた時は店が豪華でセン

スのある感じもしていました」。宮内君はそう言ったあと、「だったら、いい男の条件というの

もあるんですかね」と興味深げに聞いてきた。

「どうかなあ、最初の二つは共通するかも知れないが、三つ目は無理がある。だって男は年

中エロいから」。そうやって私は宮内君を笑わせながら、「逆に、良くない男の条件というもの

を考えてみたら分かりやすいんじゃないか」と自問し、「それはたぶん、やさしさに欠けてい

Page 95: Bar納屋界隈ver 3

る男だろうね。得をしない相手にやさしくないのは、良くない男だよ」とコメントした。

「そんなやさしさは何の意味もないんじゃないです?」

「そうかなあ、やさしさに意味が必要なのか?」

「だって馬鹿みたいじゃないですか」

「たしかに愚かでしかないね。やさしさは愚かさの入口かな」

「それで良い男なんだったら、女は誰も選んでくれませんよ」

「女は自分を上手に褒めてくれる男をよろこぶだろうね。たとえば化粧している時に、美

人が宝石になってどうするつもりだ、みたいに言う男」

「うまいこと言いますね。今度使っていいですか」

「あの記者に?

使えるものなら使ってみろよ」

私たちはクスクス笑った。

「でもね、それを愚かだと思う女は、良い女じゃないと思うよ」

「そうなるとほとんどの女性が該当するんじゃないですか」

「たぶんね。大抵の女が、どう振舞っても、本当は良い女じゃない」

宮内君と話しながら私はがっかりしていた。良い女の三条件などと大上段に言っているけ

れども、甲斐さんの「大人の三要件」に比べたらあまりにも程度が低いではないか。

翌朝の九北新聞にBAR納屋の紹介記事が写真入で思いのほか大きく載った。「昼と夜の

顔がある納屋」と横タイトル、縦にも「今も思い出が置いてある店」とサブタイトルが入り、

記事の方は、まずアパカパールを紹介し、そのあと黒江別府記者がこの町に配属されて右も

左も分からなかったころ、納屋に通うことが支えになったと紹介され、こう結ばれていた。

―BAR納屋は今、主人の帰宅を待ちながら、家主の息子宮内真一さん(三九)とこわも

ての常連客に守られている。【黒江別府理恵】―

「これじゃ客は増えませんよ」。宮内君は大笑いし、私も笑いながら、かつて甲斐さんが、客

が殺到して店の評判が落ちることを理由に取材を断ったと彼に教え、「その心配はなくなっ

た」と記事を褒めた。

時枝さんはたまにバーに顔を出し、息子が順調に社会復帰を遂げていることをよろこん

だ。彼女の人生のうちで今がもっとも幸福な時の一つであることは疑う余地がなかった。

甲斐さんの色が消え始めていた。彼を知る客の足が遠のいた。今も定期的に足を運ぶのは

にいちゃんくらいのもので、わずかに「甲斐さんの家」という表札とトイレに貼ってある文章

がその存在を示しているだけとなった。そのうち私も普通の客に戻れるだろう。

三十六

【夢】

二人の人物がそれぞれ一切れのパンを食べている。

Page 96: Bar納屋界隈ver 3

彼らは昼も夜も一切れのパンを食べ、生水を飲み、それだけで生きている。

その暮らしぶりを一人の人物は、なんと惨めな境遇なのだろうと思っている。それはま

さしくそうかもしれない。しかしもう一人の人物は少しもそうは思っていない。なぜなら

彼にはかなえたい夢があり、頭の中はそのことで満ちており、自分がいま何を食べている

かさえはっきりとは分かっていないからである。正確に言えば彼はパンのほかに夢も食べ

ている。「夢さえあれば人はパンとグラス一杯の葡萄酒で生きていける」という状態だ。こ

のように夢は、現実を直視することを妨げる。現実と向き合うことの障壁となる。それ

を効用と見るか弊害と見るかは各々の評価によるが、こういったことはそこかしこに無数

に存在している。往々にして人は、現実を正しく認識したくないために夢を作る。そして

ごくたまに、最初から夢のある人が現実のありようを気にしない。

曇天で肌寒い日だった。不動産屋の友人に呼ばれて下三緒にある朝日新聞販売店前の広

場に車を停めた。四人の男がすでに来ていた。棟梁の河野社長、土木店の小川社長、電気

工事のショウデン社長、ほかに水道工事屋もいた。これから裁判官立会いで貸家から住人を

強制退去させる。その執行を手伝うのである。我々五人と不動産屋の友人は長い坂道を

歩いて上り、一軒の家の前に立った。

敷地にゴミが散乱している古い家だった。借主は三十を幾つか越えた女性で、二人の子供

と暮らしている。家賃の支払いが三年以上滞り、督促にも応じないので、家主が裁判所に家

の明け渡しを求めたのだという。家は静まり返って、中に誰かいるのか、それとも今日の執

行を知って出て行ったかは分からなかった。しばらくすると執行官が到着し、不動産屋の友

人と少し話したあと、慣れた様子で「じゃ始めましょうか」と言って玄関の戸を叩いた。

「だれかいるようですね」。呼びかけに反応があったらしく、執行官がこっちを振り返って

家の中に消え、我々もそれに続いた。

そこはゴミ屋敷だった。床や畳が見えないほどのゴミの中に肥満女性が一人座り込んでい

た。執行官が彼女にひと言ふた言声をかけ、執行が始まった。我々は、家賃滞納のまま居

座っている女とその子供たちの所有物を一箇所に集める作業にかかった。家具や什器など

は明らかに所有物だが、判別しかねる物も多く、そのつど彼女に確認した。過度に肥満し

た彼女は神妙な態度ながら気分が高揚し、たずねもしないのに「毎晩お店に出ているから」

などと、空疎な弁明をして愛敬を振りまいていた。

家の中は散々だった。冷蔵庫を開けた誰かがあわてて閉めた。台所の洗い場も手がつけら

れなかった。敷きっ放しの蒲団をめくると異臭が鼻をついた。トイレは溢れて風呂場が代用

されていた。飲みかけのペットボトルがあちこちに転がり、洗っているのやら汚れているのや

ら分からない衣類が山のようにあり、その中に子供たちの文具が散らかっていた。漫画本

「タッチ」も何冊かあった。家の中に埃がもうもうと舞い、腐ってすえた臭いに顔をしかめな

がら私たちは黙々と作業を続けた。

Page 97: Bar納屋界隈ver 3

卒業アルバムと写真屋がくれるフォトアルバムが落ちていた。誰かが拾い上げて開いた。若い

時の彼女がいた。真面目な顔で、今のようには太っておらず、むしろ痩せているくらいだった。

クラスメイトと一緒に、顔を崩してこっけいなポーズを取ったり、ピースサインをしたり、ど

れにも若さが弾けていた。社会人となって母親らしき女性と仲良く写り、台所で若い男性

が笑いながら料理を作っている場面もあった。しあわせの絶頂にある彼女の未来が、いま私

の目の前にあった。写真の彼女の知らない未来に私はいま立ち会っている。

「もうじき田川から兄さんが来るから」

公衆電話で誰かに電話したらしく、彼女は巨体を揺らして外から帰ってきて、その言葉を

何度か繰り返した。「田川の兄さん」が実の兄なのか、夫なのか、友達なのか、あるいは夜の

店の関係者か、興味のあるところだったが、たとえ誰でも今の状況をどうにかできるもので

はない。へたなことをすれば公務執行妨害で私たちに取り押さえられる。我々はむしろそ

ういった突発的なもめ事に対処するために控えているのである。でも彼女にすれば、田川の

兄さんなる人物さえ来てくれれば、少なくとも今よりましな状況になるだろうと、空しく

寄りすがっているようだった。

家の片付けは思ったよりも早く終わった。ほとんどがゴミとして扱われた。私たち作業者

は外に出て、今度はそのゴミを一箇所に山積みする作業に移った。

そこに小学生の娘が帰ってきて、我が家のただならぬ様子に唖然とした様子だった。母親

が娘を呼んで家に招き入れ、何らかの説明をしたようだが、それに納得したのかどうか、

家の外に出て来て、身の置き場がなさそうにうろうろしていた。大人の世界のことであって

もこの娘の目に、家の物を外に投げ捨てている私たち作業者や背広を着た執行官、なすす

べもない母親の姿はどのように映っているだろうかと思うと心が痛んだ。それはほかの作業

者も同じらしく、棟梁の河野社長が自動販売機でココアを買って娘に与えた。そのココアを

娘は胸のところに固く抱き、つま先をそろえて直立姿勢をとったあと上体を九十度に折り

曲げ、声を張り上げて感謝の言葉を述べた。小学高学年の息子も戻ってきて、母親から何

かを言われたあとすぐに自転車でどこかに遊びに行った。

そうこうしていると遠くに、カマキリのように痩せた黒い背広姿の男が、肩を揺するよう

に歩いてくるのが見えた。両手をポケットに入れ、膝を外に向けて何かを蹴り上げるよう

な威圧を込めた歩き方で、やや前屈みで顎を引いているために、にらみつけるような視線

になっていた。誰の目にも彼が「田川の兄さん」だと分かったし、またそう気づかせようとす

る歩き方でもあった。家の前まで来た彼は娘の頭をちょっと撫で、大げさな歩きで家の中に

入った。そして出てきた時にはぺこぺこした態度になっていて、どこかに消えたかと思うと、

温かい缶コーヒーの入ったビニル袋を手にして戻り、「今日はご苦労さまです」と頭を下げな

がら我々作業者に配って回った。それを私は飲んだが、ほかの作業者はどうしていいか分か

らず、玄関のそばにそっと置いた。

作業がすべて終わって母親が家から出されると、執行官が河野社長に指示して二枚の板

Page 98: Bar納屋界隈ver 3

を玄関戸に打ち付けさせた。母親は娘の手を引いて「今からおばあちゃんの家に行こうね」

と言いながら小さなバッグを一つ提げて歩き始めた。その後ろ姿を我々はしばらく眼で追っ

た。「田川の兄さん」の姿はどこにもなかった。

執行官が帰って行き、私たちも疲れた足取りで坂道を下って行った。みんな無言だった。

皆それぞれに親であり、住処を失った二人の子供が不憫でならないようだった。私も、ココア

のお礼を言った娘の姿と声が頭から離れなかった。

朝日新聞販売店まで戻ってきた時、一台の軽トラックが拡声器からちり紙交換のアナウン

スを流しながら近づいてきたので、何気なくそっちに顔を向けて軽トラの運転手を見た。農

機具メーカーの帽子を斜めにかぶったイシちゃんがハンドルを握っていた。彼も私を見た。し

かしすぐに目線を外して顔を真正面に固定したまま、軽トラは古新聞とちり紙の交換を

呼びかけながら坂道をゆっくり上って行った。

第六章

三十七

記憶に残る出来事の多かった一年が終わり、正月はふるさとに帰った。二人の弟も戻って

きたので母は上機嫌だった。弟たちは自転車の趣味が同じで話が合う。私は語るべき話題も

なく、テレビにもほとんど背を向けて酒に浸った。あるいは車で隣の光市まで行き、室積の

古い町並みを見たり、虹が浜から冬の瀬戸内海を眺めたりして過ごした。マリンスポーツを

やる人がずいぶんいて、駐車広場には福岡や広島ナンバーの車も並んでいた。

何かの用事で実家に帰るたびに母はよろこぶが、私の気分は沈みがちになる。それは母に

たいしてではなく、遠くに見える標高三六五メートルの太華山や、中学三年まで使っていた

私の勉強部屋がそのような気分にさせるのである。結局のところ、どうあがいても昔の場所

に戻ってこざるを得ない。だったら最初からここを動かなければよかったじゃないか。何もす

る必要はなかった。

ずっとずっと昔、一人の若者が浜辺に立ち、沖合に目を凝らしながら、「海の向こうが

どうなっているかを知りたいのに、今はそれができる時代ではないのだ」となげき、砂に

膝をついてすすり泣いた。いつの日かこの海を渡る子孫がきっと出てくる。その子孫にこ

の無念さを託そう。若者はそう誓って、その地で生涯を終えた。

三箇日が明け、また近いうちに帰ってくるからと当てのない約束を母にして私はこの町に

戻ってきた。正月気分はまだ辻々に残っていたが、「正月」というものが自分の人生において

決定的に重要な人は果たしているのだろうか。何かが特別に増えたり減ったり、伸びたり

縮んだりするのだろうか、本質的な点において。

BAR納屋はいつものように開いていた。

Page 99: Bar納屋界隈ver 3

「家にいると暇を持て余すから」。宮内君は笑った。アパカパールは二日後からになるとい

う。話し相手もなくて私が来るのを待っていたそうである。正月特有の時間の間延び、空間

の緩さ、首あたりに停滞した寒さは店内にも流れ込んでいた。

豊山寺の住職が面白い話をしてくれたのはその翌日のことだった。新年の挨拶まわりをし

ている途中に納屋に寄り、宮内君の家には明日伺う予定だと告げ、何か法談の一つでも話

して聞かせようと思ったらしく、「盗む」についてちょっとした説法を聞かせてくれた。

仏教でいう「盗む」とは、私たちが日ごろ使う意味とは違い、「一つで足りるのにたくさん

所有する」という意味合いのことらしい。たとえば大き目のフライパンが一つあればほとんど

の料理を作れるから、鍋や釜をいくつも所有するのは「盗んでいる」ことになるそうだ。そう

すると食器を多数揃えている人も、通販で包丁十本セットを買った主婦も盗人になる。今

の時代は大多数が盗みを働いているわけだ。

この話には考えさせられた。住職が帰ったあと、今の話は意味が深いねと宮内君に言うと、

彼は反発し、「あの住職の息子は遠くの駐車場にベンツを隠してるんだって。どうせ死んだ人

のお金で買った車でしょ」と憎らしげな顔をした。

今年の初仕事は若い母親が子供一人を連れて夜逃げした家を片付けることだった。プレハ

ブ作りの小さな借家なのにゴミが二十袋以上出た。後日プロの清掃業者がここを、新たな

借主を迎えられるまでに磨き上げることになる。

訳ありで無人となった家が肌寒く感じるのは冬の寒さのせいだけではない。電気や水道や

ガスなどのライフラインが断たれ、いわば人の住まいに血液が流れていないために骸(むくろ)

の内部にいるように感じるのである。冷蔵庫やテレビや洗濯機といった大物もすでに大家の

倉庫に運び込まれ、それら家の臓器が見当たらないことも、かつて人の生活があったことを

感じさせなくしていた。

この類いの家はどこも似たところがる。たとえば、ある期を境に掃除や片付けを放棄した

こと、テレビはたいてい大型であること、子供にゲーム機や漫画本などを買い与えても勉強

するスペースは確保していないこと、百円ショップの小箱がいくつもあること、使い捨てライタ

ーがあちこちに落ちていることなどである。家の中は居住者の内面そのものだ。

片付け作業は夕方早くに終わった。折よく現場が納屋の近くだったので、宮内君がいれば

何か飲ませてもらおうと思い、モップやバケツや未使用のゴミ袋を車に積み込んで作業服の

まま納屋に向かった。しかし戸には鍵が掛かっていた。そこに八人乗りくらいのワゴン車がや

って来て、納屋の敷地にのっそり乗り入れた。運転していたのは運転席に頭が一つ出ているく

らいの小さな老婆で、彼女は車を降りるなり、甥っ子は来ているかとたずねた。まだのよう

だと答えると、自分は宮内君の母親の妹だと言い、二人でちょっと立ち話をした。

彼女の語るところでは、宮内君は生まれつき体が弱く、それを案じている時枝さんは今の

状況に満足しているようだが、自分の夫は健康で、従業員が二十人くらいの会社を長男に

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譲り、孫も四人いて、一線を退いた今でも豊かな生活ができていると自慢した。貸し家も何

軒かあるらしく、納屋に目をやって、「ここが自分たちの持ち物だったらもっとうまく運用で

きるのに」と、時枝さんを小ばかにしたような顔をした。彼女は私に「姉の一人息子をよろ

しくお願いしますね」とからかうように言って車に乗り込んだが、何度ハンドルを切っても道

路に出られなかったので、私が代わりに出してやった。そのとき助手席に新興宗教の開祖が

書いた経典が置いてあり、青い付箋が無数に挿んであるのを目にした。

遠ざかるワゴン車を見ながら、小者の大見得という言葉があるくらいだから、大きな車を

乗り回すことで己の小ささを隠しているのかも知れないと思っているところにちょうど宮内

君が来た。私は彼女の訪問を告げたが立ち話の内容は話さずにいた。すると彼の方から口

を開いた。

「あいつは半年前に倒れて病院に運ばれたことがあるんですよ。欲の皮が突っ張っていると

いうか、親父が死んですぐ、ここを管理させてくれたら家賃を取ってみせると言ったんです。

母にそんな気持ちはないから当然断ったけど、会うたびにしつこく言っていたから、それに

気を使って甲斐さんは出て行ったんじゃないかな」

それが行方をくらませた理由とは思えなかったが、そんなことよりも車の中にあった経典

が気になった。宮内君の話から推し量るに、おそらく倒れたあとにあの本を貪り読んだに

違いなかった。永遠に生きるくらいの気持ちでいたため死への心構えが出来ておらず、あわ

てて神を頼りにし、でも仏教やキリスト教の門を叩くのでは間に合いそうにないから手軽な

手段に飛びついたというところか。そして経典の「酔わせる言葉」をかき集め、そこに付箋を

貼ったのだろう。でもきりがない。経典は酔わせる言葉の行列なのだから。

このころの宮内君はかつてなく機嫌がよく、勢いもあった。それは黒江別府記者が顔を出

すようになったからである。アパカパールが閉店してからBAR納屋が開くまでの数時間の間

に来ているようだったから、私とは二度しか会ったことがない。そして二度ともあいさつ程度

の言葉を交わすとすぐに帰った。ほかにも私が納屋に向かって歩いていると彼女の自転車が

向こうからやって来て、軽く会釈をしたこともあった。頻度や、どれくらいの時間を過ごし

ているのかは分からないが、そう多くないにしても、少なくもなさそうだった。

「ここでエンヤを聴くのが好きなんだって。アイルランドに行くのが夢だそうです」

「アイルランドは納屋なのか?」。私は笑い、「そういえば、アイルランドのような田舎に行こ

う、みたいな詩があったな。作者も題名も忘れたけど」と答えて、心の中でワンフレーズを唱

えてみた。

宮内君と彼女が会っていることはちょっとした驚きだったし、幾分かの悔しさも感じたが、

若い男女が引き合うのは当然の成り行きだ。同世代の気安さがあるだろうし、開店前なら

接客態度も不要である。甲斐さんによればハンデのある男女はうまくいくという。相手にハ

ンデを見出したか、ハンデをさらけ出せる相手なのか、もっと単純に本能的な引き合いかも

Page 101: Bar納屋界隈ver 3

しれなかった。さらには、ともに未来が見えないことが挙げられるかもしれない。だからと

いって二人が寄り添えば未来が見えるかといえば、それは幻想だ。見えない者同志が集まっ

ても別の目が備わることはないが、同じ見えないのなら寄り添うことで、見えない未来の視

野を狭めることはできる。たとえば黒江別府記者がこの先ずっと独身で恋人もいなければ、

いつの日かアイルランドに住み着くことだってなくはない。そういった先の見えなさはたえず

付きまとう。しかし彼ら二人が結婚でもすれば、アイルランドに行くことはむしろ早まるだ

ろうがそれは新婚旅行としてで、先の見えなさが一つ消える。無限の可能性などというの

は誰にもありはしないが、限られた可能性からも逃れて足元に目を落とすために異性を求

めることは往々にしてあるだろう。しかし甲斐さんの表現を借りれば、黒江別府記者が風

に身を任せれば風の選んだ場所に行き着くという。そういった人が風をかわすことは可能

だろうか。

三十八

くっつく離れる虫の愛

好き嫌いの猿の愛

愛し愛され人の愛

与えるだけの母の愛

昼飯をおごらせてほしいと宮内君から申し出があったので午後一時ごろアパカパールに行

った。納屋の看板を「Apa K

apar

」と刺繍したインド綿の布で覆って外に出してあり、知らない

国の国旗が掲揚されていた。

ちょうど客が引けたところで、冴さんは食器を片付けていた。私を見て、ようやく来まし

たねと言った。次はそっちの番ですねと私も笑った。宮内君はもう来ていて、キッチンで洗い

物を手伝いながら、「今日は白身魚のメキシコタコスがお勧めですよ」と言った。私は一箇所

に並べられた数種類の料理を、手にしたプレートの上に少しずつ取った。壁の二枚の映画ポ

スターパネルがひっくり返されて、セブ島とアユタヤ遺跡の観光ポスターになっている。どのテ

ーブルにもテーブルクロスがかけられて、窓も素朴なデザインの布で覆って外の風景を遮断

していた。

「こうしてみると昼と夜の様子がだいぶ違うね」。そう感心すると、「毎日の準備が大変な

んですけど宮内さんが手伝ってくれますからね」と冴さんが言い、宮内君も口を開いて、近

いうちに屋根にカメラを設置し、店の看板と道路が同時に映るようにして、世界のどこか

らでも納屋がパソコンで見られるようにするつもりだと言った。そこらのことにはまったく疎

いので、そんなにお金をかけて採算は取れるのかと質問すると、インターネット回線と手の

ひらサイズのカメラさえあれば、業者がほとんど無料でやってくれるらしい。「要は監視カメ

ラの応用ですよ」と胸を張った。

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「じゃあ甲斐さんにパソコンが使えたら、どこかでこの店を観ることも可能なんだね」

「もちろんですよ。僕と横山さんが納屋を守っていると知ったらよろこぶでしょうね」

「イシちゃんの姿が見えないことに落胆するかどうかが俺は気になるね」

「そういえば昨晩、そのイシちゃんが訪ねて来ましたよ。今夜また来るそうです」

出し抜けにそう言われてもすぐには意味が分からなかった。

「ずっと前にここの常連だった人ですよ」

…ああ、やっぱりあのイシちゃんか。

「スーツを着て黒いクラウンに乗ってました。ああいうのを青年実業家と言うんですかね」

それはないだろうと思ったが、しかしたぶんあのイシちゃんではあるだろう。

私たちはランチを食べ、ブラックコーヒーを飲みながら、たまには客扱いされるのも気分が

いいと語り合った。会話が一段落してぼんやりタバコを吸っていると冴さんが、東南アジアに

よく旅行する人を知らないかと聞いた。彼女はラピュタファームという果樹園レストランで東

南アジアの衣類の委託販売をしており、売れ行きが好調なため在庫が底をつきそうなのだ

という。私にはアニー夫婦しか思い浮かばない。宮内君も心当たりがないと答えて、「マンデ

ィ・ガジャなんかはどうですか」と言った。駅前通りの奥まったところにある、タイやインドの

雑貨を売っている店で、私は知らなかったが宮内君は詳しかった。マンディ・ガジャとは水浴

びをする象という意味だとか、二人の姉妹と初老の母親が交替で店番をしているため、独

身の妹が店にいる時は大吉、結婚している長女がいれば中吉、母親の時は小吉だと納屋の

客が言っていたと宮内君が説明して冴さんを笑わせ、その隣の蕎麦屋は結構おいしいとか、

同じ筋の写真屋の主人にはペルーに兄がいるなどと続き、地元で生まれ育った人はさすがに

よく知っているなと思いながらもイシちゃんのことが気になっていた。最後に見た時は古紙回

収の軽トラを運転していたが、あのあと彼にどんな幸運が舞い込んだのか、今は青年実業

家のようだという。それが本当ならイシちゃんにとってよろこばしいだけでなく、私にも朗

報だった。チャンスは人を分け隔てしない証となるのだから。

アパカパールの閉店時間になったので宮内君は外の旗を片づけはじめた。私はいったん家に

戻り、陽が落ちてからいつもより早めに納屋に出向いてイシちゃんを待った。そしてやはり、

やってきたのはあのイシちゃんだった。スーツをビシッと決めて、紺色のカッターシャツに派手

な花柄のネクタイを締め、背広の上から皮ジャンを羽織っていた。ネクタイの結び目がこぶ

しくらいに大きくて息苦しそうではあったけれども。

店に入ってくるなりイシちゃんは「忙しい」を連発した。「忙しくてこんな時間になってしま

った」と。そして私にこう切り出した。

「すごく儲かるシステムがあるんです。これを聞けた人はとても運がいい」

洗剤のセットを仕入れて「親」になれば、あとは子や孫が増え、各々の売上げの何パーセン

トかが寝ていても銀行に振り込まれるようになるとか、共同出資で子牛を買って牧場主に

委託し、高く売れた成牛の利益を分配するシステムだとかを矢継ぎ早に話し、その説明会

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に行ってみないかと誘うのである。でもその情報は古すぎやしないか?

私は少し考えるふりをし、説明会に行けばお金がもらえるのかとたずねた。イシちゃんは

言葉を数秒つまずかせたあと、「これからは時代を読んだ者が勝つんですよ。わずかの出資

で莫大な利益が転がり込んでくるシステムを知らない人は、いくら汗を流して働いてもバカ

を見ることになる。運はがんばった人に与えられるのではなく、システムに乗っかった人に来

るんです」と言い、ハンドバックから分厚いシステム手帳を取り出し、空白のページに太いモン

ブラン万年筆で、「耕業社会から工業社会へ、そして考業へ」とぎこちなく書いて私に差し出

し、「自分はすでにブロンズ会員やシルバー会員として表彰台にのぼり、特別配当も何度か

得ましたよ。もうじきシートがふかふかのベンツに乗り、一年の大半をハワイやオーストラリ

アでのんびり暮らすつもりです。だからこの話に乗った方がいい。今みたいな生活をいつまで

も続けていちゃ駄目だ」と語気を強め、私の肩をつかんで強く揺さぶった。そんなにいい話を

どうして私に持ちかけるのかとたずねると、あなたに幸せになってほしいから、と言う。

「だったらイシちゃんが儲けた金をくれたらいいじゃないか」

そう答えるとイシちゃんは色をなし、「あんたみたいな奴は運に見放されて一生を棒に振

ればいいんだ」と毒づいて帰っていった。

三十九

町内公園の最後の桜が春の風に舞って淡雪のように路上に落ちていた。

天から撒かれているかのごとく小さな花びらが降って、地上に敷き詰められていた。

枝は若葉で覆われ始めている。「葉桜もまんざらでもなし」とはこんな光景をいうのだ。

今年は開花のあとに強い風が吹くようなことはあまりなく、これ見よがしに舞い散ること

はなかったし、雨もそぼ降るような緩やかな降り方で、桜には何の影響もなかった。

そんな今年の町内公園の桜も気がつけばほとんど落ちていて、町内会が気を利かせて吊

るした赤い提灯は、照らす花のない黒々とした公園を囲むように今夜も遅くまで、眠るよ

うに点いていた。敷地内には桜の花びらがまんべんなく広がっているが、提灯の明かりは暗く、

地上にはほとんど届いていない。

地面の花びらは周辺の舗装道路の上や、公園の隅の湿って黒い土の上や、何の取り柄もな

さそうな空地の草の上にも、散らばりながらその辺りだけ敷き詰めたように落ちていた。

淀んだ水溜まりに固まりながら浮かんでいる桜もなかにはあった。田に水を引く水路のと

ころどころに、やや円弧を描きながら群れて浮いている花びらもたぶんあるにちがいない。

町内公園の西側に羅漢神社の石段がある。下に立って仰ぎ見れば、青い空を背にして「羅

漢大神」と彫られた額束の掛かる石の大鳥居があり、貫にくくりつけられた青竹に太い注

連縄が渡されている。

鳥居をくぐって石段を中腹まで上り、足を止めて大きく息を吐く。たいして高くないと思

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って上りはじめたが、もう太ももが疲労している。足もとを確かめるようにしてまた上ってい

く。拝殿の屋根が現われてきたところでもう一度休んだ。

ようやく上りきり、そこで初めてふり返って石段の下に広がる町並みを見た。石段は十メ

ートルくらいの高さしかないが急勾配だった。息が上がっている。鳥居に投げ上げられた小

石の隙間に桜の花びらがわずかずつ吹き溜まっている。

拝殿までは真直ぐな石畳で、拝殿の後ろは黒々とした森である。

羅漢神社の拝殿は大きくない。屋根こそ銅版で葺かれて緑青が鮮やかだが、柱や壁など

の木部は光沢が失われている。神官は隣町の熊野神社に詰めていて、大祭の時だけ来て氏

子の相手をする。そのため拝殿の戸は閂で頑丈に閉められており、賽銭箱にも鉄板で蓋が

してあって真ん中に細い穴が開けてある。この穴からも花びらが幾弁(いくひら)か舞い込ん

でいることだろう。

拝殿の左にある名ばかりの社務所も戸に錠が下がっている。ガラス窓から中を覗くと、子

供神輿のパーツや石の台座、ロープ、戸板、畳などが置いてある。銚子や急須、湯呑みなど

を詰めた箱も見える。壁にはショベルやアルミ製の脚立のほか、「羅漢神社大祭」と染め抜い

た赤い幟(のぼり)も束ねて立て掛けてある。

拝殿と社務所の間を奥に進むとコンクリートの公衆便所があり、そばに蛍光灯の付いた

木の電柱がやや傾いて立っている。裏手が森に接しているからか落ち葉が堆積していて、その

上にも桜がずいぶん舞い落ちている。

拝殿の右には人の背丈よりも高い巨石がある。藁縄を注連縄代わりにして鉢巻のように

巻いてあり、天辺には小さな祠が安置されている。

さらに右に目をやると、地蔵が六つか七つ鎮座する屋根付きの囲いがある。かつて集落や

道の要所にあったのをここにまとめて祀ったもので、どれもかなり傷んで顔かたちが判別で

きないものばかりである。その裏手には、「お百度参り」と下手な字で書かれた木の杭が二

本立ててあり、両方は板でつないである。その板には針金が横向きに、上下に二本渡してあ

り、それぞれの針金にブリキの札が九枚ずつぶら下がっている。針金の長さを十等分する目

盛りが板に掘り込んであり、上の針金のほうは「一回」から「九回」、下のほうは「十回」から

「九十回」まで記してある。お百度参りをする際の算盤代わりに使うのだろう。

石段を上がってすぐ左、私の立っている場所の左手には石の手水場(ちょうずば)がある。

塩ビのパイプから水を流す仕組みになっているが最近使われた形跡はなく、溜まった雨水に

桜の花びらが浮かび、青い空も映っている。

そのほか左右にひしめくようにして、「三緒浦町内会植樹記念」の大きな桜だとか、ブロッ

クを円形に埋め込んだ三箇所の花壇だとか、壊れた祠の捨て場だとかがある。針葉樹が固

まって育っている所には「ネコジャラ」と呼ばれる草や名もない雑草が木々にまといつくよう

に枯れ集っている。

神社は南向きにあり、敷地の東に青いベンチ、西に電柱の廃材を利用した丸太の腰掛けが

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ある。西と南の眼下には市街地が広がり、東は農村風景となっている。北は山である。

私は丸太に腰を下ろした。そして口を尖らせてエコーを吸い、遠くに波のように広がる瓦

屋根や、幾筋もの道路や家々の間にまばらにある乾いた畑を眺めた。

朝夕に暖かさが戻ってきたとはいえ、未だに日差しは弱い。凍えるほどではないが午後のこ

の時間は風が冷たくなり、あまり心地のよいものではなかった。またあの石段を風に吹き荒

(すさ)ばれながら下りることを考えると、無理をしてここまできたことを少し後悔した。

すると境内に撒き散らされている桜も色あせて見えた。

いま死ぬのは不本意だ。本望だと言える時まで待ってくれ。

四十

「甲斐さんから手紙がきましたよ。韓国にいるそうです」

店に入るなり宮内君が叫んだ。

「元気みたいですよ」

韓国から届いたのは時枝さんへの手紙と、私に宛てたB5サイズの封筒だった。時枝さんに

は、突然いなくなったことへの詫びと、受けた恩は他の人に返すつもりであること、元気に暮

らしているから心配しないでくれとも書いてあったという。封筒には十数枚のレポート用紙

が入っており、手紙も添付されていた。カウンターから宮内君が、「ウルサンという町に住ん

でいるみたいですね」と教えてくれた。私は椅子に座って手紙を読んだ。

――――――――――――

横山君へ

この便りが無事に届いたとすれば、たぶん今もあの納屋に来ているのでしょう。納屋は今

あなたがやっているのでしょうか、それともイシちゃんでしょうか。岡村君は今も全国行脚

ですか。

私はいま日本海に面した蔚山という町で、今年四十歳になる義理の息子の朴聖黙と暮ら

しています。聖黙はスンムッと発音し、母親の経営する銭湯を手伝っていますが、ずっと前に

日本で働くのを手助けしてやったことがあり、彼は幼少期に父親と死別していることから、

長いあいだ義理の父親みたいな立場にあります。

釜山から蔚山に向かう国道沿いには桜が、日本ほど華やかではないけれどもぽつりぽつり

と咲き、ここは日本ではないかと思うこともありますが、もうすぐ散って元の韓国の風景に

戻ります。

同封したレポートは長年の研究成果を記したものです。興味がなければ破棄されてかま

いません。なにぶん年寄りの一人よがりです。

私が中学生の時に台南が米軍の大空襲で焦土と化した日がありました。その時、金持ち

Page 106: Bar納屋界隈ver 3

の台湾人が農耕馬の下敷きになって共に焼け死んでいました。大富豪とは関係なしに死ん

でいたのです。それを見て、人の命は、本人には宇宙くらいに大きく感じられても、本当は

とてもちっぽけなものではないかと思いました。金持ちの努力や運は何だったのか。死は所

詮こんなものではないのかと。

その時の光景はことあるごとに、私の人生の節々で、大きな影響を与えたことは間違いな

いでしょう。あの馬は何を暗示しているのか、富や贅沢は死に意味を持たせられるのかなど

について、ずっと考えてきたのです。

横山君が初めて納屋に来た時、ちょうど宮内君にその話をしていたところでした。彼は台

南一中の同期生で、農耕馬と金持ちの焼死体を見たとき私の横にいたのです。研究の成果

はほとんど伝えられませんでしたが、彼が亡くなる瞬間、目の前にフォルモサ台湾の青空が

広がっていたことを願わずにはいられません。

ではお体を大切に。もうそちらには戻りません。さようなら。

――――――――――――

レポートは手紙と違って難しい箇所もずいぶんありそうで、バーでグラス片手に読む代物

ではなさそうだった。

手紙を宮内君に見せると、ちょっとしんみりして、韓国なら行こうと思えば行けますね

と言った。博多から釜山までフェリーと高速水中翼船が毎日就航しているし、福岡空港か

らは直行便も飛んでいる。東京に行くよりも安上がりで、フェリーで八時間、水中翼船なら

三時間の近さだという。

蔚山は日本海に面した大工業都市で、何年か前まで門司から直通のフェリーが出ていた。

それを宮内君は調べ、外国に行ったことがあるかとたずねた。首を横に振ると、彼もないと

言う。時計の上では三時間でも、外国というだけで北海道よりも遠い。突然蔚山を訪れた

ら甲斐さんはよろこぶだろうと宮内君は言うが、強引な行動はたとえ良かれと思うことで

も、どこかに無理やいびつさを生じさせる。そういった行ないに心躍らせる年齢は過ぎてい

た。「必要があればもっと自然な形で会えると思うよ」。その言葉に宮内君は不思議そうな

顔をした。私は店の一番奥にあるピアノ天板の席に座り、レポートを最初から読み始めた。

―――――――――――

言葉や文章の受け取り方について

長年の研究成果を書き残すにあたり、まず述べておきたいのは、威厳や権威のない人の言

葉にはほとんどの人が耳を貸さないということである。たとえば小林一茶や松尾芭蕉のよ

うな著名な俳人が夜空を見上げて「月が泣いている」とつぶやけば、周囲にいた者の誰もが

感動して、その言葉を書き記す。でも普通の人が同じようにつぶやいても失笑をかうだけ

になる。「月が泣いている」という七文字の情報は同じでもこうも違う。何を言ったかではな

Page 107: Bar納屋界隈ver 3

く、誰が言ったかである。言葉は権威に依存する。しかし歌心のある人は、普通の人の「月が

泣いている」にも感動する。歌心がある人は威厳や権威に惑わされないことに注目しておく

必要がある。

ここは重要なところなので例をもう一つ挙げる。子供には威厳が少しもない。権威もまる

でない。その子供が「猫と犬はいっしょに散歩しない」と言ったとすると、大人は笑ってかわい

く思うだけである。相手が子供だからそういった反応になる。ではこれを、非常に威厳や権

威のある人、たとえば米国の大統領が言えば、キリスト教徒とイスラム教徒のことだなと

我々は類推する。ここに、威厳や権威のある者の言葉には無条件に反応し、そうでない者

の言葉は見過ごす弱さが見られる。ごくたまに、「猫と犬はいっしょに散歩しない」という言

葉を自分に置き換えて、「なるほど、あのことだな」と理解できる人がいる。言葉はそういっ

た人にだけ正しく届き、その人の何かを揺さぶる。

釜山の近くに海雲台(ヘウンデ)という海辺の町がある。この町の高台から見る夕日は韓国

で最も美しいと私は思うが、ある夕方に海雲台の海岸から沖合を眺めると、幾隻もの船が

浮かんでいた。

目に見えるのは船である。色も形も違う様々な種類の船である。大抵の人はここまでは見

る。でもそれらの船はみんな何かを運んでいる。船は見えるが荷物は見えない。しかし船は

何かを運ぶ道具である。言葉も船と同様に、何かを運んでいる。言葉は何かを運ぶ道具で

ある。受け取るのは文字や言葉(=船)ではなく、それが運んできた、見えない積荷のほう

なのだ。

ある友人に頼まれてヘルマン・ヘッセの本を貸したことがある。数日後に友人は「もう読んだ」

と言って返してきた。感想はなかった。友人はおそらく読んだのだろう。彼は海雲台の沖合

に並ぶ数々の船をすべて見た。それは容易なことだった。

なぜ彼には積み荷が見えないのか。それは、ヘッセの言葉を自分の経験に重ねる作業=翻

訳をしないからである。翻訳できれば自分の内面に土着する。土着は、ヘッセの言葉が自分

の言葉になることを意味する。ヘッセを翻訳することでヘッセが土着するのである。翻訳でき

なければ土着に至らず、未消化の食べ物のごとく何度も口から取り出して見せる技を披

露する。座右の銘を語る人の多くがそれである。

のちにその友人は私にアドルフ・ヒトラーの「我が闘争」を手渡し、これを読んで解説して

くれと言った。私がそれをやるとでも思ったのだろうか。積荷を取り出したところで、それ

は私に土着したものだから、船の説明だけ分かる彼には不本意だ。積荷が見えないとは何

と楽で、愚かなことか。彼のような人は、自分の人生を完成させるために何もしない。積荷

を見ないまま船だけ見て、ただ寝て食って欲して欺くだけだ。それだけを完成させようと努

めている。

―――――――――――

Page 108: Bar納屋界隈ver 3

ここまでは分かりやすく、甲斐さんが真面目な顔で語りかけてきているような気がして懐

かしかった。納屋も一隻の船かも知れず、翻訳と土着の使い方も彼らしかった。時間をかけ

てでも読み通そうという気になり、レポートを封筒に戻した。

そこに中年の女性が二人入って来た。一人は宮内君と顔見知りらしく、こないだはどうも

とあいさつし、私を店主とでも思ったのか名刺を差し出した。片島小学校教諭、佐藤洋子

とあった。同伴の女性はマリコという名前だと紹介し、マリコはニカッと笑ってこんばんわと頭

を下げた。二人はボンゴレビアンコを注文してビールを飲みはじめた。ボンゴレとはアサリ、ビ

アンコは白ワインを意味するパスタ料理だ。最近のBAR納屋はアパカパールの影響もあるの

か食事もする客が増えた。宮内君はアサリを洗ってフライパンで茹で、アグネス・チャンの「忘

れないで」をかけた。

私は甲斐さんからの手紙を読み返しながら、聞くともなく彼女らの会話を耳に入れた。

マリコという女性はどうやら養護施設の職員らしく、口を尖らせてタバコを吸いながら、

「もう十年以上たつと思うけどなぁ、手癖の悪い中学生を捕まえたやんかぁ」と関西弁で語

りはじめた。

職員会議で、どうも盗み癖のある子供がいるらしいとの話題が出て、会議では名前を特

定するには至らなかったが、彼女は一人の男子生徒に疑いの目を向け、それを確かめよう

と子供の遊戯室に一万円を容易に見つかるように置き、目星をつけた生徒が遊戯室に入

るように仕向けて、自分は物陰から見張っていた。そして一万円を「盗んだ」中学生を現行

犯で捕まえた。

私は反吐が出そうになった。この女の肩書きは教育者かも知れないが、実際には子供に泥

棒させている。こいつは間違いなく、甲斐さんの代理で町内祭りに出向いた際に自治会役員

の口から名前の出た、マリコだ。

そのあとこの女は、「子供は抜け目がなくて信用できないやんかぁ。せやから家でも、夜中

に娘の日記をこっそりチェックしてんねん」と当然顔で言い、「うちの娘が笑っている時は絶対

に何か隠してんねん。困っている時は隠し事なんかする余裕はないから、なるべく困るよう

に仕向けてんねん」とも言い切り、さらには「こないだ施設長に呼ばれてなぁ、若い職員がよ

く辞めるのは自分が原因や言われたんやんかぁ。一緒にやっていけないんやて」と眉をひそ

め、「ほんで夫も出て行ったんやんかぁ」と乾いた声で笑った。

夫が家を出たのは賢明な選択だ。しかし実際には逃げ切れなかった。マリコが言うには「娘

に住所を教えてんのが日記でバレバレやん。せやからこないだこっそり張り込んでみてん。家

から出てくるまでずっとな」。その話を聞いていた佐藤教諭は、相槌をうちながらも返す言

葉を失っていた。

この女は自分を教育者だと思い込んだまま生涯を終えるだろうが、もしも自分の邪悪な、

取り返しの付かない行為を認識する機会があれば、きっと崖から落ちることになる。

Page 109: Bar納屋界隈ver 3

パスタを食べ終えた二人に迎えが来て店を出て行った。宮内君は憤慨した顔で、「さっきの

話、結構むかつきませんでした?

一万円が落ちていたら俺でも拾いますよ」と言った。私と

宮内君はそれからしばらく、ああいった女は一見して体温が低い感じがし、目つきは氷のよ

うだと話した。

人の目には温度がある。その「目温度」は人生を通じてほぼ一定していて、経験の積み重ね

や精神的鍛錬で上昇するようなことはない。ただし思春期には若干の上昇を見せ、冷たい

人間の目も熱っぽくなる。マリコの夫はそこを読み違えたのだろう。

私はマリコという女に呪われ、祟られているのかもしれない。

高校の時、三人のチンピラに車で海岸に連れて行かれ、殴る蹴るの暴行を受けた。髪をつ

かまれて夜の海に浸けられながら、理由が分からないから謝りも泣きもしなかったので、チ

ンピラたちは疲れてバツの悪い切り上げ方をした。少し離れた場所で、同級生のマリコが顔

を覆って泣いていた。彼女とは廊下でたまに話す程度で、指一本触れたことはない。チンピラ

とどんな関係にあったのか、およその予想はついたが、このざまだった。

大阪で働き始めたころ、京阪モールで働いていた四つ年上のマリコと半年くらい付き合った。

最初のころは姉のようにやさしかったが、次第に命令口調になり、監視の目が厳しくなった。

手をつないで中之島公園を歩いたり喫茶店でコーヒーを飲んだりする程度の関係だったが、

布施のファイブテンで食事をしていると、突然彼女の母親が現われて同席し、含み笑いしな

がら私を値踏みし始めた。あのまま母と娘に捕まっていたら、今とは違う苦労を満喫してい

ただろう。それにしても、どこに行ってもマリコが現われる。まるで地下茎がつながっているみ

たいだ。

その二日後の明け方、夢にマリコが出てきた。

彼女は半開きの障子の向こうに身を潜め、一人の少年を操って私の前に立たせていた。そ

の少年はかつてマリコに泥棒の罠を仕掛けられた中学生だった。それに気づいた私は素早く

障子を開け、隠れていたマリコに挑みかかった。私は右腕にマリコを抱くように乗せ、左手で

彼女の首を強く絞めた。マリコの首は細くて柔らかかった。私は何のためらいもなく絞め続

け、指が首の半分まで食い込んだ。マリコはマネキンのように無表情で天井を見上げていたが、

私の行為が無駄ではない証拠に白目を剥いていた。その表情の恐ろしさにパニックに陥った私

は手にいっそう力を込め、死魚のような目で仰向いている彼女に対して「気持ち悪い、気持

ち悪い」と叫びながら、物の怪のようなその両目に人差し指と中指を突き立ててつぶしてや

ろうと考えていた。目が覚めたのは私の叫び声によってであった。

四十一

宮内君の顔が弾んでいる。カウンターの上に黒いノートパソコンがあり、画面に夕暮れの納

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屋が映っていた。手前に道路が見え、ちょうど近所の人が犬を散歩させているところだった。

しかしカメラの位置が納屋の屋根ではない。それを問うと宮内君は、斜め向かいの村田とい

う家から映していると答えた。納屋に設置すると村田家が半分くらい映ってしまうので、そ

の了解を取りに行ったら、六十過ぎの主人が出て来て、うちの二階にカメラを取り付けて

納屋全体が映るようにすればいい、インターネット回線はすでに引かれているし、息子が博

多で「開放区」というIT関連の店をやっているので手伝わせようと逆に提案され、数日の

うちにカメラの設置が完了したという。

私はパソコンを覗き込んだ。画面の上に「BAR納屋界隈」、その下に英語で「The vicinity of

Bar N

AY

A

」とある。宮内君はキーボードの真ん中にある小豆くらいの赤いボタンを人差し

指の腹で触って、カメラを左右に振ったり上下に動かしたり、ズームアップもしてみせた。薄

暗い納屋の上空が映り、アスファルトの道路が映り、左右の家が映り、納屋の向こうのボタ

山が拡大された。

「今から看板に電気を点けてみますね」。宮内君が入口のそばのコンセントにプラグを差し

込むと同時に、パソコンに映っている納屋の看板が明々と輝いた。

「このパソコンは向かいの家のカメラとケーブルでつながっているんだな」。そう納得すると、

違いますよと宮内君は言う。カメラの映像は回線を通じてプロバイダーと呼ばれる接続業

者に届き、そこから網の目のように張り巡らせたインターネットに配信されて、世界中で

見られるそうである。つまり私の見ている映像は、世界のどこかで見ている状態だと言うの

である。宮内君は「ライブカメラはたくさんありますよ」と言い、パソコンを器用に操作して、

オーストラリアのシドニーを選び、オペラハウスのそばを疾走しているクルーザーや、イギリス

のハドソン川にゆったり浮いている河舟、あるいはハワイの高速道路を走る出勤中の車のラッシ

ュだとか、南米のどこかの国の無人の浜辺に打ち寄せている波だとかを私に見せた。そして、

ちょっとやってみますかと操作を私に譲ろうとしたので、それは辞退し、客にもこれを見せ

るのかとたずねると、店に入る姿を映されたくない客もいるだろうから、冴さんには教え

ておくが、それ以上はしないつもりだと言った。

それにしても、これを見て店を訪ねてくる人は稀だろうから、あくまでも彼の道楽で、昔

にはなかったから何となく意味があるようだが、道楽が店の売り上げに寄与することはあ

まりないだろう。それよりも店内にシャワー室をこしらえて隠しカメラを設置すれば、あの

記者さんの裸を見られるかもしれないよと提案すると、宮内君は顔を真っ赤にし、それこ

そ犯罪じゃないですか、それに業者も取りつけてくれませんよと真顔で言った。パソコンは電

源が外されてカウンターの下に片付けられたが、システム自体は四六時中機能し、それを

見た人がアパカパールに食事をしに来たと、後日宮内君から自慢されたことがある。

いいことをすると見えないバス停が一つできる。たくさんいいことをすればたくさんバ

ス停ができる。でも、いいことをしようと思った行為にバス停はできない。

Page 111: Bar納屋界隈ver 3

やがて向こうから迎えのバスが来る。行先は運転手が知っているが、いいことをした末に

停まったバスだから、黙って乗ればいい。いいことをしない人にはバスが来ないから、自分

で乗り物を探すか、そこにたたずみ続ける生涯を送る。

宮内君が納屋にいた、そう長くない年月の間で、もっとも心をときめかせたのは黒江別府

記者の存在だった。そして彼にしかできなかったことがライブカメラの設置であり、いちばん

華やかだった出来事は、ある眼科医によるワインパーティだったろう。

それはアパカパールによく食事をしに来る女性からもたらされた。彼女の夫はこの町で眼

科クリニックを開業していて、土曜の夜に人を集めて納屋でワインパーティをやりたいらしい。

それが可能かどうか知りたいと、冴さんが宮内君を介して伝えてきた。地下にワインセラ

ーを作って常時百本くらいのストックがあるらしいですよと宮内君は言った。会場に納屋を

選んだのは、外にワインの空き瓶を並べているロケーションを気に入ってのことで、予定人数は

十五人前後。半数は医者で、一つ難があるのは、土曜日はアパカパールが休みだから、昼の

時間に主催医師が厨房に入り、パーティに出す料理に腕を揮いたいとの要望だった。

厨房でそんなことをしてほしくないというのが冴さんの本音だった。医師の妻はアパカパー

ルをよく利用してくれるが、夫は一度も来たことがないと宮内君から聞き、なんとなくこの

医師と納屋の位置関係が分かったような気がした。それで私は宮内君に、また冴さんを介

して医師への伝言として、パーティ会場として利用するのは了解するが、必要な席以外は他

の客も利用すること、料理の方は、メニューと食材費をもらえばこちらで作り、そちらがや

るのはワインを手配して前日の金曜日にアパカパールまで届けておくことだけ、それでいいな

ら具体的に話を進めたいと言った。

大丈夫ですか?

宮内君が心配そうな顔をした。俺が今までに、出来ないことを言ったか

ね。そう笑って答えたら、たしかにねと彼も笑った。仮に大きな失態を演じてもアパカパール

が一人の客を失うだけだ。そしてさっそく翌日の夜、医師が打ち合わせをしに来た。

さて当日の話。

店の外に「本日は原田眼科クリニックのワインパーティも併催されていま

す」の張り紙をして待機した。スタートは午後六時半から、予定は十五人である。店の体勢

は私と宮内君と、シニアソムリエの久保井君と、彼の店の亘という若いスタッフ。みんな白の

長袖シャツに黒のズボンで、それを今夜の正装とした。久保井君の存在を原田医師に教えて

いないのは、余興として面白いことになればと期待しているからである。私たちは昼から料

理を作ってワインを適温にし、テーブルも四つをくっつけて、ラ・ピエロの高価なワイングラス

を並べてある。原田医師から届いたのはノランテが五本と、ほかにそれと同格のイタリアワ

インが十本。一人が一本飲む計算だ。ノランテは岡ちゃんとバナナの木の下に座って飲んだ

ことがある。原田医師はひと月前にイタリアを旅行し、今夜はどうやら旅行自慢の場にも

なりそうだったが、それにしてはワインが安価だ。この店に合わせたか、今日来る客にはこれ

Page 112: Bar納屋界隈ver 3

でいいと考えたか、あるいは彼のレベルがこれくらいかのどれかだろう。

ブオン、ブオン、ドゥルルルル。大きな排気音がした。宮内君と亘が窓から見て、フェラーリ

だ、すごい派手じゃん、二千万円くらいするんじゃない?

と言っている。私もちらりと見た。

スポーツカー雑誌から切り取ったような、この界隈にはそぐわない、ぴかぴかの黄色だ。

原田医師が妻と入ってきて、すぐに妻を帰らせた。妻は不機嫌な顔をしていた。それは夫

がこんなつまらない見栄を張るために自分が引っ張り出されたことに対してで、店にいた私

たちには素直な笑顔を見せていた。

再び排気音を轟かせてフェラーリは帰って行き、医師が料理の按配はどうかと聞いた。四

人も集まってどんなものができたんだ?

みたいな口ぶりだ。こちらで少々アレンジさせても

らったと返答すると、よそを向いたまま、まあいいよと言った。腹の中では「食中毒さえ起こ

さなければ」くらいのことは思っただろう。事前に味のチェックをしないのは、自分も他の参

加者と共に顔をしかめたほうがよさそうだとでも考えたのだろう。

好悪でいえば私は彼を気に入らなかった。打ち合わせの時も今も、色つきレンズの眼鏡を

かけて、身のこなしに崩れたところがあり、どことなく人を見下げているような態度だった。

診察室ではにこやかにしているだろうから、その違いが私に嫌悪感を生じさせた。でもこの

日集まってきた人たちはタクシーに乗り合ったり駅から訪ね歩いてきたりして、まともな印

象を受けた。女性は四人。みな四十歳になるかならないかといったところで、一様におしゃ

れをし、黒のフォーマルに三重連の真珠のネックレスをしている女性もいた。

原田医師は皆から会費を徴収した。一人当たりノランテが七本飲める額である。料理は

いくら久保井君が作ったといっても、そこまで金をかけていない。こちらへの支払いは打ち合

わせの時に済んでいるから、ざっと計算して四割は彼の懐に入るはずだ。

皆が着席した。しかしワインは注がない。

原田医師が立ち上がってお礼を述べ、今夜の趣旨について説明をはじめた。私たち四人は

カウンター近くに立ち、いつでもワインと料理が出せるようにスタンバイしている。

五分経った。医師はまだ話している。

十分経過。自分の訪れたワイナリーについて熱く語り、参加者はまじめに聞いている。

十五分が過ぎた。フランスとイタリアの土壌の違いについて説明している。何人かはうつむ

き、何人かはごそごそしている。携帯電話をかけに外に出た者もいる。

二十分が経過した。今度は葡萄の品種の話。こっちはちんぷんかんぷんだ。

二十五分。ようやく話が終わった。パーティのはずがセミナーみたいになっている。ここがイ

タリアなら彼は外につまみ出されているだろう。

ご高説が終わって咳払い一つない中を、亘と宮内君が料理を出しはじめた。久保井君はフ

ォーマルなジャケットに着替えて、私と二人で白ワインを注いでいく。医師の熱弁が効いたの

か、女性の一人が両手をテーブルに置き、腰を浮かせて身を前かがみにし、グラスに覆いか

ぶさるように、真上から鼻を近づけて匂いを嗅いだ。私は腹の中で爆笑した。あんたは犬か

Page 113: Bar納屋界隈ver 3

よ。原田医師はどうかといえば、出された料理に目を剥いている。

ようやく乾杯になり、みんなおずおずと飲み始めた。女性が小声で、料理がおいしいねと

隣の女性にささやいた。最初は手長えびと柑橘の和え物だ。ここで本日の白ワインについて

原田医師が語りはじめるところだろうが、彼は黙してナイフとフォークを動かしながら、久

保井君をちらちら見ている。料理がパスタと豚足と豆の煮込みに替わって、二杯目の白ワイ

ンを注ぐ久保井君に女性が、胸の葡萄のバッジはどこで買ったんですかと聞いた。久保井君

は、どこにでもある安物ですよと笑った。それで私は、そのバッジは福岡に三十人しかいない

シニアソムリエのしるしですよと答えた。

「ソムリエ?

ワインの専門家なんですか?」。彼女は驚き、皆も一斉に見た。そのとき原田

医師のすべてが終わり、久保井君のすべてが始まろうとしていた。

「どうりで」。ほかの女性が言った。どうりで料理がおいしいはずだと言いたいようだった。

「じゃあ、時々フランスやイタリアに行ったりするんですか?」

「いや、行かないですね。フランスではフランスのワインしか飲めないけど、日本だと世界中

のワインが飲めますから」

「へえー、そうなんですか」

久保井君はワインを注いでまわる手を止めずに、「フランスのソムリエを天神に案内するこ

とはたまにありますよ。焼き鳥やおでんを食べさせると上機嫌になりますね」と言った。彼

は昼間、福岡に三百人ほどいるソムリエの何人かを指導し、夜は自分の店に戻る。その帰路、

甲斐さんがいたころはたまに納屋に顔を出していた。

女性たちがぱちぱち手を叩いてよろこんだので久保井君はちょっと得意になり、「そしてフ

ランスに買って帰るおみやげが、フランスのワイン。むこうでもめずらしい物が日本にはある

そうですよ」と続けた。男の客も話がわかりやすいと口々に褒めた。

「でも本当は難しいことにも詳しいんでしょ」

「ちょっとはね。でもワインのおいしさを知ってもらえばいいから、質問に答える程度です」

原田医師の存在はほとんど消えていた。そこに別の客が来たので私はカウンターに戻り、

ジントニックを作りながらパーティの方にも目をやった。

「聞かれもしないことを長々としゃべるワイン博士とはぜんぜん違うなあ」。男の参加者に

あざけられて原田医師は身の置き場のなさそうな奇妙な表情をした。各々が応分以上の

参加費を払っているのだから、言い分を述べる権利は皆にある。宮内君と亘も「ワイン博士

だって」とささやき合って笑っている。

「ソムリエさんって、家でもガウンとか着てワインを飲んでいそう」。女性がからかう。

「キムチをバリバリ食べながら安いワインを飲んでいますよ」

「キムチは合わないんじゃないですか?」

「赤と赤だから充分合いますよ。それに、同じ発酵食品ですからね」。そう久保井君が答

えると、「あー、そういうことね、チーズといっしょなんだ」と女性が反応した。

Page 114: Bar納屋界隈ver 3

「じゃあ試しにキムチを食べてみますか」。そう言って原田医師の方を見たが、断られるは

ずもない。近所の麻生スーパーから亘が買ってきたキムチを小皿に分けて出し、それを各人

が恐る恐る割り箸で口に運んで、すぐに目を丸くして大きくうなずいた。原田医師でさえ、

最初は苦々しい顔で少量を舌の先に乗せたが、舌は脳みそと違って自分をだませない。す

ぐにまた箸を動かしてワインを口に運んだ。そして、せめて一矢報いようとして、今夜の自

分の話は間違っていたかと聞いた。

「いや、あんなのでいいんじゃないですか、私もネットで読んだことがありますよ」

褒めも認めもせず、ネットに氾濫した「あんなのレベル」にご高説を置き、医師が語らなか

った地方の土壌の話を付け足して、その差が葡萄の発育に与える影響を説明した。そんな

光景を面白がって見ながら、私は別テーブルの客にも赤ワインとキムチを出した。こちらは

安物のグラスだが。

納屋を久保井君の威光が満たしていた。彼だけが特別に輝いていたのではなく、その場に

いた全員を包みいれて、日本人とはあまり馴染みのないワインがどれほど人生を豊かにす

るものであるかを、キムチを使うことで存分に納得させていた。

宮内君も久保井君の側の一人として誇らしげな動きになっていた。若さというものは、こ

んなものである。光を受けて、その色に輝く。まるで本人がその光を発しているような気に

さえなって。

久保井君のスタッフである亘は、貝のエキスで食べる温野菜や国産キノコとアスパラガスの燻

製を客に出し、その合間に食器を洗ったりグラスを取り替えたりして、普段通りに働いてい

るようだし、私も他の客に気を配っていたが、久保井君のオーラは私をも照らし、いつもよ

りほんの少し晴れがましい位置に上がっているように、私の背中は感じていた。さらに久保

井君は舞い降りたドラゴンのように、原田医師の集めた参加者に襲いかかった。彼はみんな

から百円玉を七枚ほど借り、それを一枚ずつ原田医師の手に置いて固く握らせた。そして

握りこぶしに呪文をかけて、こぶしから一枚をすり抜けさせるマジックを披露した。手を開

くと六枚になっている。それを何度もやってみせた。百円玉七枚を何回握り締めても、一枚

がすり抜けて久保井君の手の中にあった。

「これはセブンペニートリックというイギリスの手品ですよ」と彼は言い、次に、納屋に置いて

あるトランプを女性の一人にシャッフルさせ、それを手に持って、みんなに見えているいちば

ん表のカードを指で弾くと別のカードになり、手のひらで撫でるとまた別のカードに替わる

のを見せたあと、カードを伏せてテーブルに置き、女性に適当に四つの山に分けさせて、そ

れぞれの一番上にある札を言い当てた。みんな大喜びである。後から入って来た客も席を

立って久保井君の手元を見物していた。女性が興奮して「鳩を出してえ!」と叫んだので皆

が笑い、久保井君が「鳩は仕込んでいませんが、シチューは煮込みます」と応じた。そのあと

彼は亘に合図して、ピストン藤井のG

entle mind

を流させ、その曲をBGMにしながら、背丈

より少し短い紐をポケットから出して男性の一人に調べさせ、一端を自分の足で踏んで、逆

Page 115: Bar納屋界隈ver 3

の端を歯に咥(くわ)え、ピンと伸びた紐にハンカチを結んで、口から紐をはずさないまま、

そのハンカチを上にスライドさせて頭上に通り抜けさせるマジックをやって見せた。

もうだれも久保井君をからかったり、褒めたりしなかった。空間が凍りついたようになり、

そのあと大きな歓声と拍手が起こった。それが今夜のワインパーティのファイナル、終焉を告

げていた。みんなは久保井君と私に、今夜は最高だったと感謝した。しかし誰もその言葉を

原田医師に向けなかった。十五人はワインをあらかた飲み干して、足も舌も脳みそももつ

れさせながら、ラ・ピエロに行くことを口々に約束して帰っていった。原田医師の背中だけが

小さかった。彼の乾杯ではじまり、完敗で終わった。

二日後の月曜日の夜に納屋に行ったら宮内君は上機嫌の絶頂で、いまだにマジシャンソム

リエ久保井の照り返しがあった。今日の昼アパカパールに、ワインパーティに出席した女性四

人が食事をしに来て、土曜の夜は最高だったと話していたという。彼女らは調剤薬局の薬

剤師と病院勤めの管理栄養師で、医師の誘いでパーティに参加したそうである。原田医師

とはあの夜が初対面で、あの時ワインを飲んだのがほとんど初めてだったことはそっちのけで、

原田医師のことを「いなかの親分みたいなの」と呼んでいたらしい。こういったところに女性は

残酷だ。

「アパカパールとラ・ピエロに客を作っただけでしたね」。宮内君は残念がりもせず、むしろ

満足そうな顔をして、自分もソムリエになりたいと真剣な目になった。

ワインを扱う飲食店に三年以上身を置いていればソムリエの資格試験を受けられる。ワイ

ンは納屋でも出しているが、いきなり久保井君の教えを請うのは失礼だから、まずは亘の弟

子になってみようと思いついたそうである。土曜の夜のことが宮内君には魔術のように思え、

自分もやってみたいらしかった。

「じゃあ何年後かにここをワインの店にして、俺は隅っこでカクテルバーのマスターをやるよ」

それを聞いて宮内君は、ぜひそうしたい、強く願えば夢は必ずかなうはずだし、自分はそ

れに近い場所にいるんだからと自信を隠さなかった。明確な目標が彼を強くし、私もそれ

を共有すればいっそう速度を増すだろう。いよいよ彼が跳躍する時が来た。どんな格好で

もいいからうまく跳べればいい。その後押しに私がなれるものなら、なってやりたい。彼の今

の勇気とやる気は久保井君の存在が引き金になった。久保井君がゴーサインを出し、それ

に私がフライングの旗を上げなかった。疾走のエネルギーはおそらく黒江別府記者である。

ようやく肩を並べられそうだと確信したに違いない。そう遠くない将来、手の届きそうな

ところに二つの具体的なイメージが沸けば、これほど強いことはない。宮内君の思いが痛いほ

どわかった。宮内君のこれからの人生に、きわめて具体的で、彼の望む道がようやく、くっ

きりと現われたのである。このころの宮内君は、バーテンダーとしてはほぼ一人前になってい

た。口数は相変わらず少なくておとなし目ではあったが、客にカクテルを出す前のテイステ

ィングもさりげなくやれたし、ごみを指定のゴミ袋に詰める後姿もバーテンダーらしかった。

Page 116: Bar納屋界隈ver 3

酒も少し強くなり、客におごられても一杯くらいは飲めるようになっていた。

四十二

岡ちゃんが東京に引っ越すという。そのあいさつを兼ねて納屋に顔を出した。仕事も住ま

いも決まっていないが、行くことの方が先決で、そのために今の仕事は辞めたらしい。

「行かなければ何も始まりませんからね」

友達と二人で部屋を借り、そこを足がかりに何かを始めたい。それが唯一の計画だった。

「帰る予定はないですね。ずっと帰れなくても構わないです」

若い人はいつもこうだ。そうやってもがき、それを楽しむふりをする。

宮内君は岡ちゃんとそう親しくないため、最近持ち込んだ小型の赤いテレビに見入ってい

た。岡ちゃんも甲斐さんがいたころのように車に泊るつもりはなく、コーラを飲んでいた。

この地方にたいした人はいないからと岡ちゃんは言った。

「そうかも知れないけど、大抵は何かやりたいことがあって上京するんじゃないの?

この

町から逃げたいのなら別だけど」

すると岡ちゃんはちょっと攻撃的な口調になり、「全然たいしたことない人が僕にあれこ

れ助言するんですよ。でもそれはその人の中で完結しているだけのことじゃないですか」と愚

痴めいた。

彼は愚痴屋だったのか?

愚痴屋なら自分を目立たせるために愚痴の種を作り続ける。

私は少し頭に来て、「語るに落ちたな岡ちゃん。人は相手に自分を投影して、自分自身と

話をしているだけだ。自分の外に出られる人なんていやしないよ。たとえば誰かがキミに、

やめておけと言ったとしても、それは、私ならやめるというのが本心だ。そうやってみんな

自分と話している。それを知らなかったら助言に翻弄させられてしまうよ」と突っぱねた。

気まずい空気が流れ、宮内君が小さな咳をした。私はそれ以上言わずに宮内君の見てい

るテレビの方に顔を向けた。

「なるべくたくさんの人に会った方がいいと甲斐さんも言っていたからですよ」

そう岡ちゃんは弁明した。「分母が大切なんだって。この町で一番の美人よりもミス日本の

方がきれいなのは、分母の大きさが違うからだって」。

「なるほど、それで分母の大きな東京に身を置くわけか」

「その方がいいと甲斐さんは言わなかったけどね」

「そりゃ言わないだろうね」

「猫百匹も人間百人も見るのは同じと言ってたし、他人が飼っている犬や猫を見て雄雌の

区別がつかないのは、見ている人間の数が少ないからとも言ってた。意味が分かんないけど」

「それは気になる話だな」

「ほかにもエロビデオの話をしてた」

「そっちに行ったか」。私は笑い、二人の間の緊張が少し解けた。

Page 117: Bar納屋界隈ver 3

「エロビデオを早送りしても、見たい箇所だけパッパッと静止して見えるだろうと言うから、

あるあると答えたら、人と会うのも同じで、その数が多いほど自分に必要な人が瞬時に判

別できるようになると言ってた」

「そんな表現は甲斐さんならではだね」

「甲斐さんってエロかったの?」

「そりゃ岡ちゃんに合わせたんだよ」

少しずつ談笑の方にハンドルを切りながら、彼は東京でも大した人に会わないだろうと思

った。分母は数だけのことで個性は不要だから、近所の酒屋のおばちゃんとか、コンビニの店

員とか、道路工事現場で旗を振っている作業員だとかを大量に目に入れるだけでいい。その

数によって分子、つまり、大した人の質、個性の見抜き方が意図せずとも変わってくる。し

かし岡ちゃんは、数があればいいだけの分母の中に、質としての分子を見つけようとするだ

ろう。そうすれば、たとえ大した人が現われたと思っても良質とは程遠い。それは母数だか

らである。岡ちゃんに「大した人に出会う」という目標のあることが、それの達成を遠ざけ

る。さらに「猫百匹、人間百人」という言い回しを借りれば、猫でも犬でも目に入れればい

いらしい。すると、百匹の猫と生活している猫おばさんにも、大した人とそうでない人を見

分ける目が備わることになる。ここらになると私の理解を越えている。

私は岡ちゃんに別れを告げた。彼は寂しそうな顔をしたが、その気持ちを振り切ろうと

でもしているように、黙っていた。

四十三

実のある別れは共鳴するのだろうか。何日かあとに黒江別府記者が顔を見せ、取材でし

ばらく身を隠すと言った。刑事事件として大きく扱われそうなネタを密かに追っているそ

うだ。どんな事件か教えてくれないし、この町でのことかと聞いても秘密だと言う。いつごろ

決着するか分からないが全国ニュースになるくらいの事件で、納屋に来られないのは時間が

自由にならないのと、情報が漏れることへの警戒心もあるようだった。それだけを伝えて黒

江別府記者は帰り仕度を始めた。店を出る際彼女は宮内君に笑って手を振り、そのあと私

に熱い視線を投げかけた。その目に私の胸は高鳴った。

それから数か月の間、大して面白くもない夜が続いた。宮内君はもう独り立ちできている

ので、私のすることは大勢の客が来た時の補助で、しかし毎晩あるわけでもなく、大抵は椅

子に腰かけて甲斐さんのレポートを読むか宮内君とつまらない話をするくらいのことだった。

いつまで私はここにいるのだろうと思い、酒の代金を払わない立場が心苦しかった。馴染みの

客が来てもうれしくなく、それを気づかれないために努めて笑顔を振りまきながら、虚し

く、味気なかった。毎晩来る必要もなく、日曜から火曜日までの夜は納屋に行かなかった。

納屋に何らかのお返しをする必要が私にあったとしても、これくらいで充分だろう。納屋

Page 118: Bar納屋界隈ver 3

を存続させ、時枝さんの息子をどうにか一人前にした。今ここは彼の店である。

あれほどソムリエになりたいと熱っぽく語ったのに、宮内君は何度か久保井君のワインバー

を訪れはしたようだが、納屋でそれらしきことをやっているわけではなかった。一度だけ、私

にカードマジックを見せてくれたことがあった。トランプを広げていろんな種類のカードがあ

るのを私に確認させたあと、それを一つに束ねてばらばらとめくるとすべてのカードがスペ

ードのエースになっており、その束をまた広げると、やはりいろんな種類のカードだった。種

明かしをしてもらって納得はしたものの、マジックはそれきりで、ソムリエを目指すことにど

うつながるかについては触れなかった。もう熱が冷めたのだろう。

第七章

四十四

こんなにあっけなく、身近な人の命が尽きるものだとは、にわかには信じ難かった。

納屋が閉まっていたので、たまには休む日もあるだろうくらいに思っていた。けれども翌朝

早くに時枝さんから電話があって、息子が朝になっても帰ってこないが居場所を知らないか

と聞かれた。昨夜は店が開いていなかったと答えると、宮内君は昨日の昼から自分の車でど

こかにでかけたまま、連絡がないらしい。冴さんに連絡しても思い当たることはなかったそ

うだ。彼の叔母から体が弱いと聞いたことが胸をよぎった。取る物も取り敢えず納屋に行

くと時枝さんが待っていて、どこか心当たりはないかとたずねられ、こっちも同じ質問を返

した。二人とも途方に暮れるばかりで、今日の夕方までには帰ってくるだろうから少し様

子を見ようということになった。時枝さんはずいぶん憔悴していたが、慰めの言葉をかける

と逆の効果を生ずるかもしれないので、努めて平静をよそおった。

宮内君はその夜も帰ってこなかった。こうなるとただ待っているだけでは済まされない。渋

る時枝さんと一緒に警察で捜索願を提出し、担当官の質問にあれこれ答え、併せて手がか

りになる情報をたずねてみたが、あまり頼りにならない印象を受けた。しかしその日の夕

方、幸袋の西にある白旗山の中腹でパトカーが、道の脇に寄せた車の中で眠るように死んで

いる宮内君を見つけた。遺書はなかったが事件に巻き込まれた形跡はなく、時枝さんと私

が身元確認をした。死因は心臓麻痺とのことだった。突然すぎて悲しみは込み上げてこず、

時枝さんも形どおりの涙を流した程度だった。

通夜も葬儀も質素だった。時枝さんは自分の部屋に臥せって顔を見せず、出棺の時には

顔を出して悲しみをこらえていたが、火葬場で棺に火が放たれる瞬間には狂ったように泣

き叫び、気絶してその場に倒れた。あの叔母も、むろん通夜にも本葬にも顔を見せ、私を

宮内家の身内の立場に置こうと努めていた。私に好意的であると思わせておいた方が得策

だと判断したに違いなかった。黒江別府記者は来なかった。少しでも顔を出してくれたら葬

儀に大輪の華を添えたことになったはずである。それを思うと少々残念だ。

Page 119: Bar納屋界隈ver 3

宮内君の死を噛みしめながらいろんなことを考えた。その一つは、やはり彼は彼らしく死

んだということである。人の死には標準と特殊、多数派と少数派がある。畳の上で家族に

看取られながら死ぬのは多数が望むことである。それに対して行き倒れや孤独死、一風変

わった死などは特殊なことで、容易には受け入れがたい。宮内君の死は後者だが、それも彼

らしいと思いたい。彼は少数派として生き、彼らしく少数派として死んだ。多数派の側が抱

く死のイメージを追わなかった。私もやはり、多数派であろうが少数派であろうが、私らし

く死にたいと思う。私らしく生きられず、私らしく死ねずに、後にいくらほめられても、そ

つなく死ねても、残念がられても、盛大な葬儀が執り行われても無意味なことである。

私が宮内君の享年と同じくらいの歳に、どこで何をしていたか、それについて思い出すこと

はできるが、何を考えていたか、内面の充足がどれほどであったかについては、まったく未熟

だったと言い切れる。それは、経験の少なさに加えて、それを反芻して学びとする技量の拙

さも手伝ってのことである。さいわいにして今の私は、当時の自分に比べればずいぶん大人に

なった。おそらく宮内君も大人になる前に亡くなった。私がもっと大人になり、それに釣ら

れて彼も大人になればよかった。死は誰にもやってくるからかわいそうではないが、そこは残

念なところである。彼に夢や希望がなくても、生きてさえいればこれから楽しいこともいっ

ぱいあっただろう。宮内君のまぶたに黒江別府記者は浮かんだだろうか。母親は微笑んだ

だろうか。

天国のある場所を私は明確に言える。

地獄の隣に、くっつくようにして天国の入口はある。

地獄のある場所はだれもが知っている。そこら中に地獄の入口がある。だから天国への

道もそこらにごろごろある。ただし地獄を通ってのみ行ける。

真なる天国は真なる地獄のそばにある。中途半端な地獄のそばには中途半端な天国し

かない。そこを天国とは、普通は呼ばない。

どん底まで落ちて、もうだめだと観念した時、そばで地獄が口を開いて人をたじろがせ

るが、その闇のもっと深くにかすかに天国の明かりが見える。闇のむこうだから余計に明

るく見える。それでどん底にいて上を仰がない者は、地獄に飛び込んだように見えても

実は天国に跳躍したのだ。天国があるかどうかではなく、地獄のむこうに天国が、見え

るのだ。それが救いである。地獄に堕ちた者だけが救済される。

四十五

そのあと納屋がどうなったかを知らないまま、友人から与えられた仕事に精を出し、コン

クリートの打設現場で型枠を叩いたり、マンションの引越しを手伝ったり、簡単な講習を受

けて交通指導員をやったりした。仕事が早く終わった日には直方のイオンモールで映画を見、

図書館のDVDコーナーで古い映画をぼんやり見たりもした。仕事のない日は桂川町の王塚

Page 120: Bar納屋界隈ver 3

装飾古墳や、舎利蔵の村を訪ねてみた。長崎街道内野宿の銀杏巨木も間近に見たし、ちょ

っと遠出して篠栗の南蔵院で巨大な涅槃像も見物した。南蔵院にはたくさんの観光客がい

た。韓国から来た一団が、背の高さくらいある涅槃像の足の裏を力任せに叩いて大笑いし

ていた。何がそんなにおかしいのか分からないが、男も女も興奮しているようだった。一人の

若い女性が涅槃像に足を乗せてよじ登ろうとしたので、さすがに私はそれを止め、足を乗

せてはいけないと身振りで示した。すると女性はハッと気づいたような顔をして私に謝り、

そのあと次々に登ろうとするほかの韓国人に大威張りで注意していた。やがて彼らはどこ

かに去ったが、静かな霊園に彼らの騒ぎ声が響いて、どこらにいるかが分かった。日本にいる

間、どこでもあんな調子だろうが、それでも今の私よりしあわせだ。

今のアパートを友人の不動産屋が無料で貸してくれているのは、ここで一人暮らしの老婆

が衰弱死していたからである。これでは次の間借り人は見つかりにくいから、私を住まわせ

て老婆の存在を消すのである。安普請の三軒長屋。手前の二軒は陽が当たるが、一番奥は

南と西が民家に接し、東は隣室の壁だから真昼でも暗い。風通しが悪いので夏は蒸し暑く、

冬は寒さで凍りそうになる。そこに私は住んでいる。

枕元にはドライジンの瓶が五つ。どれもフィリピンのギルビーで、四つは空。あとの一つも底

に二センチしかない。ほかにボルドーワインが一本。こっちもからっぽである。

丸三日、寝ないで過ごしてみたことがあった。三日目になるとテーブルの小物が数センチ

動いた。直視すると止まるが目線を外すと動きはじめるのである。視界の淵あたりの物が

ざわめくように動いた。三日間なにも食べずにいたこともある。それで空腹と空っぽは違う

と分かった。胃はカラでも空腹にはならなかった。もしも自ら命を絶つとすれば私は餓死を

選ぶだろう。三日後に缶コーヒーを飲み、こんなにおいしく作ってあるのかと驚いた。ほかに

も、近畿大学前のジョイフルで、窓の外の光景に目をやりながら、意識の目を脳に集中させ

たことがあった。ほんのいっときが過ぎ、脳裏の天井に穴が開き、そこから文字がミミズのよ

うにぶら下がりながら降りてきた。私はその下端をつまんだが、強く引っ張ると千切れてし

まうし、引っ張らなければ穴の中に戻ってしまう。それで降りてくる意思を阻害させないよ

うに気を払いつつ、うまく引っ張り下ろしてその文字を読んだ。そこにはこう書いてあった。

「もっとも深く沈んだ人にだけ神様は高くジャンプできる足をくれる」。でもこれが役に立つ

とは思えなかった。宮内君のことを思うといっそう空虚だった。それよりもゴミ回収の日に

拾ってきたゴシップ雑誌を読むほうが大切だった。こうして私は自分を見つめながらもでた

らめな生活の中に沈んでいった。

何日も風呂に入らず、石鹸は乾いてひび割れし、髭剃りも錆びた。洗濯物も取り込まず、

台所は汚れた食器で溢れた。窓の隙間から蔦が這い入って来、黒い羽虫が壁にとまった。

ある日の未明、バネが弾けたように上体が九十度に跳ねて起き上がった。深く眠っていた

ので何事かと驚いた。すると鼻からダラダラと液体が出てきて鼻腔が焼けるように痛い。こ

Page 121: Bar納屋界隈ver 3

の歳になって鼻血かと呆れ、手で拭いたらワインだった。白のアンダーシャツに葡萄色の斑点

がいくつも着いた。それが二回あった。私は始終くたびれており、肌はつやを失い、髭が長く

伸び、幾分老けた。

ある晩には二人の娘の夢を見た。楽しくてしあわせな夢だった。娘は年ごろになっていて、

こっちを見てニコニコ笑っていたので、私は二人の頬を軽くつねり、指先に弾力を感じた。その

あと娘と私の三人は、初めて訪れた小さな町の路地裏を、協力し合ってあちこち歩き、濡

れた石畳の通路に迷い込んで古風な料亭の暖簾をくぐってみたり、日本ではないどこかの国

の草原に並んで座り、いっしょに空を見上げて、丸い雲がもくもくと動いて帆船になったり、

ほかの白い雲は鳥に姿を変えて羽ばたく様子を楽しみながら、ここがお父さんのいちばん

気に入っている場所なんだよと教えたりしながら、その様子を少し離れたところで微笑み

ながら見ている妻にも気がついていた。私と娘は田舎道をのんびり歩き、その間じゅう長女

は後ろから私に抱きつき、次女は前方で歌を歌っていた。じきに睡蓮の無数に咲いた沼に到

着し、冷たい風とともに雪が降り始めて、あっという間に睡蓮の沼に積もった。五十センチ

くらいはあっただろうか。そこに弟二人が防寒着を来て現われ、今からスキーに行くと言っ

てどこかに去った。風はずっと吹いて沼の雪の表面を泡のように波立たせた。その波打つ泡

雪はやがて水墨画のような墨絵の波となって押し寄せた。

本当に、嘘も飾りもない束の間、でも夢の中ではずいぶん長い時間を娘と過ごし、あるい

は家族水入らずの温かなひと時を全身に感じ、私はこんなに素晴らしい人生を得たのだと

天に向かって叫びたいくらいに幸福感に満たされていた。そして夢から覚め、涙が一筋流れ

落ちた。

これまでの人生は決して悪くなかった。むしろ良いほうだった。その、悪くなくてむしろ良

かった人生を一つかみのものとして振り返った時に、キラッと光るとても短い時代、いっとき

が幾度かあった。それはただ、きらきら光る箇所があるという程度のことで、いま思い出せ

ばたいして意味のないことだった。それは今の私を作る糧にならなかった。その部分はほかの

人の目に、私らしく見える理由だったかもしれないが、どれもメッキだった。それらは珍しげ

なアクセントにはなっても、私がこうしてあることへの意味を少しも手助けしなかった。メッキ

がきらきらしている時代に交わりのあった人たちは幻のように消えた。もちろん本当の幸

福に満ちていた瞬間も幾度となくあった。その数はメッキの数よりもずっと多いが、メッキの

輝きに目を奪われて目立たなかった。それらはしばしば、メッキのある箇所によって脇に押

しやられた。私の意志によって。

言葉を失ったみたいに口を閉ざした日が続いた。寒くないのに指がしびれた。体は生き長

らえながら心は怠惰の底にあった。それでも構わなかった。道に未開封のタバコが落ちていた。

車に轢かれてつぶれていた。私はそれを拾い、平べったいまま吸って得した気分になった。

たまに心のいちばん深いところから、かすかにシグナルが聞こえてきた。今ならまだ間に合

うから、どうにかして生活を立て直せという信号だった。別の信号は、それに耳を貸さなく

Page 122: Bar納屋界隈ver 3

ても済むさという合図だった。私はそのどちらも選択せず、しかし足は勝手に動いてハロー

ワークに行った。受付の女性から離職票はありますかとたずねられたが、そんなものはなか

った。パソコンで検索してくださいと言われて番号札を渡された。私はその番号のパソコン席

に付いて画面をタッチし、求人をあれこれ見たがどれも目に入らなかった。私はいったい自

分をどうしようとしているのだろう。しかしこれが私だった。本当の姿だった。

このままどこかへ行こうかとぼんやり考えた。これが私だと分かっただけでも儲け物だ。広

島の桑田君のところにでも行くか。彼の右腕になればなおさら結構だ。今なら何でもやれ

る。食べて息をするだけでいいのだから。

ハローワークを出ると外がまぶしかった。空が目に落ちてきた。広大な青いドームに覆われ

て、立っているのか傾いているのか分からなかった。風がどこか遠くの電線を震わせていた。私

は自分を見下ろす青空と風の音のただ中に立ち尽くしていた。

ぐるりと見渡すと周囲三百六十度を雲が織り成すように、遠くどこまでも取り巻いて、

それを背にして民家や工場の煙突や鉄塔や木があり、雲を切り取っていた。やや高いとこ

ろにも白い雲があり、低空を一つの黒い雲が右から左に猛スピードで移動していた。

白い鳥が滑るように飛んだ。しばらくして黒い鳥も横切った。茶色の大きい鳥は悠然と翼

を上下させていた。小鳥は群れて、右往左往するように羽ばたいていた。

私はゆるゆると歩き始め、やがて、左には延々と民家が連なり、右は芝草がびっしり生え

た土手の下に来たが、ここがどこなのか知らなかった。

硬いとも柔らかいともいえない土をつま先で踏みしめながら土手の坂を上がった。勾配が

強くなると手をつきながら上がって行った。

土手の上も道だった。眼下には汚れた川があった。川風が警告するように吹き上がり、私

はわずかに身震いした。土手も川も、遠くに見える町並みもぎらぎらして嵐の前触れを思

わせた。突如、息を止めたように風がやんで、無意味な静けさがカン!

と空から落ちてき

た。そしてまたすぐに風が巻き起こって、そこらの雑多な草を乾いた音で揺らした。

高い陽が周囲を燦然と照らしていた。日なたと影が鈎(かぎ)のような強いコントラストを

いたるところに作っていた。鉤のような影は場所によって伸びたり縮んだり形を変えたりし

ながら淡くなっていった。いつしか陽が傾き始めていた。

足元に五ミリくらいの花があった。うなだれるように一株に何輪も咲いており、よく見る

とそれは周辺の至る所にあった。その花は、時折ざあっと吹く風に、ほかの背の高い草ほど

大きく波打ちはしなかったが、やはり細かく震えて動いていた。「私はここにいるよ」と花は

言いたげだったが、それは私の耳に届かなかった。

腰や胸のあたりまでのおびただしい雑草は、地面からシュッと伸びているものや、節々のと

ころで曲がって、そこから左右に葉を広げているものや、粒状の黒く乾いた実をいくつもつけ

ているものや、先端の穂をうな垂れさせているものや、枯れて一まとめに折れているものな

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どがあった。そして上背のある草の根元にも、無数の濃い緑や淡い緑の細かな葉がびっしり

と生えて地面のほとんどを見えなくしていた。風はどこかに行った。

夕陽のあるあたりの雲が、融けた鉄のような色で染まっていた。雲の重なったところを、茜

色や赤銅色を刷毛で横に広く伸ばしたような光が溶かしあって、その反射光が、右にある

盛り上がった雲や、綿をちぎったような幾つもの左の雲や、背後の、多宝塔を真似たように

下からごつごつと積み重なった雲の西側部分を照らして、立体的に浮かび上がらせていた。

頭上には青い空がまだなおわずかに残っており、その空に淵が解けて薄い水色に見える雲

や、陽の沈んでいる側と真反対の東にあるのに強く輝いて、あたかもそちらに夕陽があるか

のように思わせる雲もあった。

一台のバイクがライトを点けて土手の道をバタバタと通り過ぎて行き、横を通過するとき

乗っていた少女の声が聞こえた。後部座席の友人に何か叫んだようだった。

きれいな夕焼けだった。言い表しようもないくらい美しかった。黄色に焼けながら朱色に

焼け、そのあと赤く焼けた。赤銅色に焼けたあと最後に灰色に焼けた。その間に紫や乳白

色などいろんな色に雲は変化した。やがて空は急速に暗くなりはじめた。色彩がどんどん

落ちていって薄墨色に変わった。夜の始まりが昼の色を食べていた。

遠方の鉄塔に赤い灯がともった。町にも明かりが点いた。私のまわりに光はなかった。目の

前にボタ山が黒くそびえていた。私はそのふもとに立っていた。真上には欠けた月が意外に

小さく、淡い光を全天に向けて放ち始めていた。その光は地上を銀色に照らして、やがて私

の足元に丸い影を薄く落とした。

四十六

納屋には足を向けなかった。一介の客に過ぎなかったから、納屋に行かなければ誰と会う

こともなく、訪ねてくる人もなかった。常連の顔が薄れて遠ざかっていった。覚えておく理由

もなかった。

黒江別府記者だけは生々しく残った。くっきりと浮かび上がり、やや卑猥で穢(けが)れ

た塑像のようにシンボル化していった。彼女は今も身を隠しているのだろうか。

そんな折り、ドアをノックする者がいた。時枝さんが訪ねてきたのだった。予想に反して元

気な様子で、笑みさえたたえていた。時枝さんは、無理を承知でお願いがあると言った。私

は彼女を土間口に招き入れた。

持ちかけられた相談は心情的に理解が容易だった。納屋が閉まったままでは、息子も夫

も甲斐さんも居なくなってしまったことが確定的になり、それに彼女は耐えられない。細々

とでもいいから営業してくれれば、息子や夫の息吹が身近にあるように感じられるので、そ

の役を引き受けてもらえないだろうかという相談だった。見返りとして家賃も水道光熱費

も彼女が引き受け、売り上げから仕入れを差し引いた利益は私がすべて取ってよく、夕食

はアパカパールで準備しても構わない。そしてこう付け加えた。「今までずっとそうしていた

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んですよ。それをこれからも続けさせてほしいんです」。

思いがけない申し入れだったが、無下に断るのも気が引けた。それで、考える時間を少し

もらい、返事は明日することにした。彼女は帰り際、甲斐さんの住んでいた部屋で生活して

はどうかと言った。しかし即座に断った。それはできない話だった。

気がかりなことはまったくなかった。あったにしても、時枝さんの希望をかなえることの前

には立ちはだかれなかった。この依頼しか、もう彼女には残っていないのである。

答えは出ていた。しかし簡単に引き受けたら、ここに至るまでのあらゆることの値打ちが

下がりそうな気がして、わざと遠回りをして捜すふりをした。でも迷う理由はこれっぽっち

もなかった。私しか頼る相手がいない人の存在は、心の奥深くに小さな火を燈した。非常に

面倒くさく、あるいは億劫な気分を何とか奮い立たせ、軋む身体にBAR納屋の再開とい

う油を差して、私の精神と体はようやく起き上がろうとしていた。

若芽が汚れた土壌に生えてきた時、別の場所に植え代えるか、土を良質なものに変え

たほうがいいとだれもが思う。そうしなければ新緑の芽は駄目になってしまうと。しかし

そのどちらかだけではない。若芽も汚れればいい。土壌に汚染されて同化すれば、その場

所でもすくすくと育つのである。

良質とは、何を以って良質というのか。よくないとされた土壌にもたくさんの樹木が強

くたくましく育って来ているではないか。そこは本当に、よくない場所なのか?

そこに学

びは一切ないのか?

怠惰な楽を狙ってのことではないのか。

四十七

まずは勢いと気分転換と体力が必要な私は安い焼肉を胃袋に詰め込んだ。そのあと長崎

ちゃんぽんを食べ、いつもより高いワインとキムチを買った。家の窓を全部開け、風呂をきれ

いにし、湯を溜めながら浴槽の中で洗髪し、歯を磨き、髭を剃り、全身をこするように洗っ

た。湯は灰色に濁り、表面に垢と油と泡が浮いた。

風呂から上がって爪を切り、そこらを簡単に片付け、洗濯物を整頓した。そのあとキムチ

を肴にワインを飲んだ。そこに、はす向かいに住んでいる高田の婆さんが入ってきて、戸を開

けっ放しにしてどうしたのかとたずねた。彼女は在日韓国人で、口うるさいことで町内には

有名だった。婆さんはタタキに立って室内をじろりと見、「別に盗られる物はなさそうばっ

てんが」と付け足した。

「命以外はね」。そう答え、ボーイフレンドの話はどうなったかと聞いた。高田の婆さんは私

の母と同い年にもかかわらず、酒は飲むし彼氏も作るしカラオケにも夢中になっている。こ

こらの年寄りの中では桁外れの元気さだ。

「もう別れたばい。ぜんぜんつまらん男やったとよ。こっちがようしてあげてばっかり」

「そりゃしょうがないよ、ほかの男もそんなんばっかりやろ?」

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「そうくさー、ばってんたまにはよか男もおるったいねー、なんぼ年寄りになっても」

彼女はそう言って、「今度パジョンを作ってあげるったい」と言い残して帰っていった。こうし

た会話を交わせるのも、高田の婆さんには私と同い年の息子が大阪におり、私も大阪に十

年ほどいたことや、ほかの近所と分け隔てなく接していたからで、それで私に親近感を覚え

ているのである。この町は隣の田川と同様に、戦前戦後のいっとき炭鉱で栄えた歴史があり、

そのため朝鮮半島の国籍を有する人は今も多い。彼らは炭鉱の盛衰とは関係なしにきびし

い状況にあり続け、差別は今もなくなっていない。それが彼ら特有の日本人観、祖国への複

雑な感情を生んだ。

高田の婆さんと言葉を交わして久しぶりに娑婆の空気を吸った気になった。日が暮れる

までには間があるが、さいわいなことにこの部屋の薄暗さは寝るのに十分だ。私は玄関をロ

ックして窓を閉め、煎餅布団を体に巻きつけるようにして寝た。眠りは深く、長かった。体

はこの睡眠をよろこんだ。夜更けに一度起きて水を飲み、またすぐに眠った。次に目が覚め

たのは翌朝の九時を過ぎていた。今日の夕方から納屋のカウンターに立つ。気力が戻ってき

たのは久しぶりだった。胃が空腹を訴えたが、あいにく食べられる物はコンソメしかなかった。

そこでフライパンに水を一センチくらい入れて沸かし、コンソメを溶かした。それでもマグカッ

プ三杯ほどのスープになり、胃袋を満足させた。昼から3Qカットで髪を短く切った。

自分に有無を言わせず、半ばやけっぱちで納屋の戸を開けた。明かりさえつけていればい

い。頭は空洞でもよかった。

BAR納屋の最初の主人は甲斐さんで、次に宮内君、そのあとは私ではなく、時枝さんだ。

ここを再開したいのは私でも客でもない。時枝さんただ一人である。彼女の中でこの場所は

生きていなければならない。私はそれを代行している。

昼間は友人からあてがわれた日雇い仕事をこなし、夜は納屋に詰めた。店を開けるとアパ

カパールの夕食が用意されていた。一度だけ、「がんばってくださいね

佐々木」とメモが添え

てあった。彼女は小さな子供もいるから日曜日は店を閉めるが、こちらは納屋にいた方が

気も紛れるので年中無休だ。宮内君はアパカパールの開店準備と片づけを手伝っていた。今

はそれがなくて冴さんは不便な思いをしているだろうが、私はそれをやらない。その時間が

ないのではなく、理由がない。私は冷淡な気持ちでいた。非情なほど落ち着き払っていた。

客は来なかった。それに安堵した気持ちがどこかにあった。音楽を聞く気にもなれなかっ

た。私は客を待たず、時間が経つのを待った。毎晩ただそうしていた。

甲斐さんのレポートは何度も読んだが、言葉は簡単でも理解に骨の折れる個所も多かっ

た。人によって何かが発露し、あるいは何かが解決するかもしれないが、それを目的に書い

たものではないから、甲斐さんの胸の内でだけ全体最適な状態にあるのだろう。でも読むた

びに、初めてこの店を訪れた時、甲斐さんが紙になにやら書き込みながら宮内氏に説明し

ていた姿を懐かしく思い出した。

Page 126: Bar納屋界隈ver 3

――――――――――

2 三つの脇道

なぜ翻訳できないかについて考えた。そして、積荷が見える能力=感度のいい受信装置だ

とすると、三つの脇道に迷い込むことで判断が曇らされているのではないかと思いついた。そ

れは「量の脇道」、「つじつまの脇道」、「記録の脇道」である。

ある人が、たまにはいい映画を見ようと思って町に出る。この時「いい映画を見たい」という

のが受信装置の要求だ。そして大方の人は、大ヒット作や超大作を選ぶ。量として大きけれ

ば正しいと思うからである。外車に乗っていれば大物、軽自動車は小者、豪邸なら人格者、

借家は非人格者だと決めつけるようなことだ。ほとんど全員が、広くて大きい道が脇道で

あると知らずになだれ込み、ここで判断がストップしてしまう。

ここを通過すると、次に「つじつまの脇道」がある。納得できるか、理屈が通っているか、で

判断する。いわば理性の脇道だ。納得いかなければ受け入れず、納得できればそこで終わ

る。曖昧であることを嫌い、蔑視する。納屋にもそんな客が一度だけ来た。九大を出たとい

う四十過ぎの男で、私が台湾育ちだと知って、まず、在日台湾人かと聞いた。日本人だと

分かると、次に、反日思想の持ち主かとたずねた。それも違うと分かったら、帰り際に、

「あなたは無知だ」と言い捨てた。彼の台湾情報と相いれなかったようだ。二極思考で知的

保留のできない傾向は、高学歴で自意識過剰な人に多い。思考の敗北を恐れるあまり、強

引につじつまを合わせる。物事を判断する際、「改革」や「国際化」にすり替えることができ

れば正しいとする、信仰にも似た信念を持ち、そこで思考が停止する。

三つ目に「記憶の脇道」がある。「記録の脇道」といってもよく、有用な知識であれば記憶し、

それ以外は捨てる。記録できる物事こそこの世の構成物であり、記録できないものは無意

味だとする。パナマ船籍のコンテナ船だと分かれば船の存在を認めるのである。この脇道は若

い人ほど本道に見える傾向がある。知識を並べたてることで知性があると思ってしまうので

ある。知識は知恵を生む障害になっていることを知らない。

これらの脇道に引っかからなかった人に、積荷が受信装置まで届く。量に目を奪われ、決

めつけ、知識として振り分ける人の受信装置には何も届かない。

受信装置の土台には経験がある。経験から受信装置が生え出ている。ここで言う経験と

は多少なりとも損失を伴うことに身をさらすことである。漁夫が夕方の空を見て、明日は

午後から通り雨が来ると分かるのは、幾多の失敗経験の末のことである。経験とは一般に、

思わしくない結果を生じたことを言い、うまくいったことは、成功体験などと呼ばれる。

経験は数であり、質ではない。高品質の経験というものはない。一人で世界一周旅行をす

るのと、子供のころ森で迷って一晩を明かすのとでは、前者が「量の脇道」として記憶に残り

やすいが、共通要素は後者と大差ない。

さらに、ある光景の中に含まれている本質(船の積荷)が受信装置までたどり着くのには

Page 127: Bar納屋界隈ver 3

時間がかかる。「遅れて口を開く人」のほうが本質を言い当てている場合が多いのはこのため

で、こういった人は反応の鈍い人だと思われがちだが、浅知恵の人ほど反応が早いというよ

うなことはしばしば見受けられる。

受信装置にたどり着いたものが幾多の経験と結びついて、発酵し、何かを合成する。気づ

きとか知恵とか呼ばれるものである。悟りと称しても差し支えないものもたまに生じる。

受信装置に届いたものは微弱である。そこで増幅装置、アンプが働く。微弱波が増幅され

ることで当人に認識される。それで本人がまず驚くことになる。いわゆる「何かが胸にスト

ンと落ちた」のであり、ストンと落ちたものだけが土着し、自分のものになる。多くの人はこ

れができない。立派な船を見れば積荷も立派だろうと予測し、粗末な船を見たら中身も

粗末だと決めつける。それで見かけに支配される。積み荷を勝手に決めつける。

――――――――――

ひま同然の日が続いた。納屋はほとんど見捨てられた。私が捨てたから捨てられていた。

地元のフリーぺーパー「チクスキ」に最小枠で広告を出した。住所も電話番号も入れず、

目立たない場所に店の名前だけを載せた。反応は少しあり、すぐに数人の客が来た。旧知

の客もちらほら来た。さらには昼間の仕事に関係している人たち、仕事をくれている人た

ちや、マサミアートの園田夫婦も遊びに来て、ビールを飲んだり、見よう見真似でカクテル

を作ってグラスを割ったりして面白がったが、客として扱ったので応対が他人行儀になった。

時期を同じくして刑事も来た。テレビドラマのような正義感の塊ではなく、目つきが鋭い

わけでも人生の悲哀を帯びてブラインドの隙間から外を見つめているふうでもなかった。い

わゆる紳士の部類で、中堅企業の総務部長という方が似合っていた。彼は久留米警察署の

津下と名乗って警察手帳を見せ、名刺も出した。警備課外事係長と肩書きが記されてい

た。階級は警部補だった。

彼は一枚の写真を出した。

「この男をご存じないですか」。

イシちゃんだった。スナックのような場所でVサインをしている。両肩に女の腕がしだれかか

っており、深酒でもしているのか目が死んでいる。一発芸でもやってみせた直後らしくて鼻に

二本の煙草を差していた。

「イシちゃんですね、それは間違いないです。でも本名は知りません」

「最後にここに来たのはいつごろか覚えていますか?

どんなふうでした?」

津下刑事に聞かれるがまま、覚えていることを答えた。

「イシちゃんが何かやったんですか?」

津下刑事は私の言葉をメモしながら、「まだそこまでは分かりません」と答え、今かかって

いる曲がなつかしいと言った。それはJo

an Baez

のDonna D

onna

だった。彼は、若いころのジョ

ーンバエズは美しかったが、歌は老いてからの方が素晴らしいと言い、彼女が歌えばどんな曲

Page 128: Bar納屋界隈ver 3

も地面から生え出たような力を帯びると評した。権力構造の中にいる人物からそんな言

葉が出るとは思わなかった。この刑事は靴の踵を減らしながら、自分のライブラリーからい

くつかの歌を引き出して小声で口ずさんでいるに違いなかった。

にいちゃんが納屋の再スタートをよろこんだ。じっと座って目をしばたかせているだけだが、

それでも彼にこの場所は必要だった。アニーは日本語検定の三級を取得した。それが自信に

なったのか、朗らかでよく笑い、よく話した。最初ここに来た時に一緒だった二人のフィリピ

ン人は本国に帰され、入国ビザはもう発給されないだろうと夫の権造氏は言った。フィリピ

ンパブはつぶれてしまい、アニーと権造氏は今、インターネットカフェで働いているという。美

貌の妻はフロント、夫は厨房だ。アニーは納屋の後ろに生えているバナナの葉っぱを一枚持ち

帰り、翌日の夕方に餅米とココナッツミルクで作った甘い菓子をバナナの葉に包んで持ってき

た。「葉の匂いが染みておいしいんです」と言ったが、食べてみるとそうでもなかった。

私と同い年のギタリストが新顔の客になったことがある。苗字を三好といい、水を飲ませて

ほしいと店に入って来たのがきっかけだ。疲れた表情にかつての私が幾分かいるように感じた

ので、オレンジジュースを飲ませてやった。それ以来、短期間に何度も顔を見せた。

この町の進学校から東京の大学に進み、スペイン語を学んだことが縁でクラシックギターの

教室に通い、東京のナイトクラブなど夜の世界で弾き始めたという経歴を彼は持つ。レコー

ドデビューのチャンスもあったが、実現には至らなかったらしい。

東京で成果を残して帰ってきたという話はたいてい疑わしいから適当にあしらっておいたら、

何日か後に自作のCDを持ってきて、自分の演奏を聞いてくれという。全部で十二曲、どれ

もたいしたことはなく、でもC

avatina

とMem

ory

だけは心地よく耳に流れ込んできたので、

この二曲だけは大層ほめてやった。三好は苦笑して、「それは初期のころの演奏で、ギターに

詳しい人には突っ込みどころ満載」と言ったが、他の曲はだらしなかった。彼のだらしなさを

音が告白していた。

「この店にギターを置いてくれたら毎晩弾きに来てもいい。リクエスト一曲につき酒一杯で

どうか」と彼は持ちかけた。CDをここで売りたいとも言った。私はどちらにも笑って耳を貸

さなかった。三好はまた、いずれ市のホールでコンサートをやるつもりだと言い、「そのとき初

めて、観客は本物のギターを聴くことになるだろうね」と自慢顔をした。彼は未だに東京の

香る王国にいるようだった。三好はわがままには育てられなかったから厚かましくなかった

が、甘やかされて大きくなったので虫のいいことばかり言った。付き合いを続けているとトラ

ブルになるのは目に見えていた。だからカクテルを自由に作ることはさせず、料金はほかの

客より多めに取った。

私が話に乗らないのでそのうち来なくなったが、一つだけ面白い話を残してくれた。それ

は東京の思い出で、子供にピアノを教えている女性が彼の代わりに演奏した話だった。

彼女は誰かのつてで簡単な履歴書を持ってナイトクラブを訪れた。そのナイトクラブには

Page 129: Bar納屋界隈ver 3

グランドピアノが飾り同然に置いてあったので、マネジャーは急きょ三好の代わりに弾かせて

みることにした。ギターよりもピアノの方が豪華さを演出でき、奏者が女であることも一

興だと思ったらしかった。

たしかに演奏は悪くなかったという。教科書どおりの正しさでポップスやムード音楽を弾

いたらしい。しかし客の何人かが、ピアノが耳障りだと言い始めた。三好が彼女に、酒は飲め

るかとたずねると、一滴も飲めませんと答えたので、酔っ払いになった気分で弾いてみろと

助言したら、まさしくそのように弾き始め、酔客の苦情も納まったというのである。

「つまりピアニストとピアノ教師は違うってこと」。三好はそう胸を張った。

数か月後に彼が遠賀川の土手を、相も変わらずベンハーサンダルを履いて、何かを引きず

るようにだらしなく歩いているのを見た。

四十八

納屋でテレビを見ていた時のことである。七時のニュースに「サラ金強盗の男

成田で逮捕

逃亡先のフィリピンに画商をいつわり潜伏」の見出しが踊り、カメラのフラッシュに照らされ

てゆがんだ顔をしたイシちゃんが映し出された。両脇を屈強そうな男に固められている。

アナウンサーよれば、「久留米のフィリピンパブに足しげく通っていた石村時雄は自らを画

商と偽って、一人のフィリピンダンサーと親密になり、帰国したダンサーから何度も入籍を

迫られたため、結婚資金を作る目的でサラ金に包丁を持って押し入り、現金五万円少々

を奪って逃げた。残した指紋と人相から石村が割り出されて国際指名手配され、成田に

戻ったところを待ち構えていた警視庁の刑事に逮捕された。石村は容疑をほぼ認めており、

身柄はただちに久留米署に移送される」というものだった。見出しはさらに、「マルチ商法の

被害者か、主犯格か。石村に多額の借金。アパート内に在庫の山」と続き、乱雑な室内が映

し出された。

「ブロンズ会員として表彰台に上がり」と胸を張ったイシちゃんは被告人として証言台に上

がり、「特別配当」は被害者賠償となった。「シートがふかふかのベンツ」は座席の硬い護送車、

「一年の大半をハワイでのんびり」は、拘置所や検察庁でしばらくしょんぼり、となった。

周囲から見下げられていると思っている人や、自己顕示欲の強すぎる人は、外見が豊かに

なれば尊敬されるだろうと思い、「あなたは選ばれた人」と囁かれると、「きっとそうだ」と

思ってにんまり笑う。つまり、マルチ商法まがいのトラブルに純然たる被害者は少ないのであ

る。誰もが最初は「自分は選ばれし者」と思い、あわよくば自分もベンツに乗って南国でのん

びり暮らせるという腹積もりで一口乗る。ところがそうはならない。当たりのない宝くじは

外れるのである。そのような人が「私が悪かった」と反省しても、本心は「やり方が悪かった」

と思うだけだから、また引っかかる。

順番が違えば、被害者も加害者の位置に立たされることを肝に銘じる必要がある。被害

者が被害の弁を述べれば述べるほど、己の浅はかさを紹介していることになる。

Page 130: Bar納屋界隈ver 3

イシちゃんこと石村は、根っからの悪人でないがゆえにブレーキが利かなかったのだろう。

下り坂でアクセルを踏んでしまったと言うべきだろうか。猫の笑顔=ネズミの涙のはずだった

のに、その猫も泣いた。私の脳裏を「深くしゃがみこんだ人にだけ神様は高くジャンプできる

足をくれる」という言葉がかすめた。でも彼にはそれが当てはまらないような気がした。

四十九

BAR納屋の経営は低位で安定した。客がゼロの日は滅多になくなり、にぎわう夜もなか

った。見知らぬ客には深く頭を下げ、名前を忘れた客には親しげにし、あだ名で呼べる客に

はタメ口を少し混ぜた。にいちゃんにはたまに、甘えを生じさせない範囲で無料にした。

初めてこの店のドアを開けてからいろんなことがあり、親しい人のほとんどがどこかに行っ

た。変わらないのはにいちゃんだけだった。私の生活も昼の日雇いという柱はそのままに、B

AR納屋については意図しないまま、甲斐さんと宮内君という主演者と同じ場所に立った。

甲斐さんの部屋の鍵はマンゴスティンの植木鉢の下に隠したままになっている。内部がどう

なっているのか詳しくは知らず、知る気も起こらなかった。戸が閉まっている限り、中にこも

っている甲斐さんの温もりは消えなかった。私の中では未だに甲斐さんの存在が店に満ちて

いたから、客がいない時でも一人ではなかった。

店に一組の若いカップルがいた時、マリコが一人で来たことがある。彼女はドアから半身を

入れて馴れ馴れしくあいさつし、「一人なんだけどいーい?」と鼻声を出した。

「今夜は飲んじゃおっかなー」。マリコの目が青白く燃えていた。液体窒素が沸騰しているよ

うなマイナス温度の燃え方だ。私は背筋が凍り、「今夜は予約でいっぱいなんですよ」と入店

を断った。

「そうなんだ」。マリコの落胆はいい気味だった。「じゃ、いつだったら空いてるのぉ?」

「ここんとこ毎日詰まってて、しばらく無理ですね」

「そっかー、じゃ、また来るねぇ」。でも私は顔を背けて返事しなかった。いくらバーテンと

同世代の女が集まるといっても、そりゃないだろう。

その様子を見ていたカップルの男の方が、「あれ?

ここも予約席なの?

邪魔しちゃって

る?」と気遣ったので、「その予約はさっきキャンセルになったんですよ」と答えた。女の方が

男の袖を引っ張り、「ねえねえ、さっきのおばさん、どっかの先生じゃなかった?」と囁いた。

そう?と男が聞き直し、「そうだよ、ジャージで歩いているとこ何度か見たもん」と女が説

明した。それから二人は、幼稚園の先生や女性教員はスカートを履いても大またで歩くか

らすぐ分かるなどと話していた。

私は二人に聞こえないように舌打ちをし、俺は糞なのかと罵った。

「糞にはハエがたかり、花には蝶が舞う」。三重県から出張でこの町に一週間滞在した井上

Page 131: Bar納屋界隈ver 3

雅文という男の言葉である。自分が糞か花かを知るには、どんな人が集まってくるかを見

ればいいというもので、自分を見つめるよりもずっと正しいと彼は言った。

井上は翌晩も納屋にやって来て、その時は沖縄三味線の三線(さんしん)を持参し、一週

間のあいだ毎晩この店の一番奥で眼を閉じて、周囲を気にせずにオリジナル曲を歌った。そ

の旋律のやりきれなさは深海を見つめているかのようで、なかでも「しあわせ、それは」とい

う曲は心に染みた。「どんなに小さくても大切なものを失えば、世界の片隅にその形の穴が

開き、そこから風が吹き込んで、わたしの世界が壊れる」というような歌詞だった。聞いた

人は一様に心を打たれ、うつむき、涙を浮かべた。それぞれの人生において思い当たること

があるようだった。納屋は彼の演奏会場のようになり、週の後半にはそれを聴きに人が集

まってきた。とはいえ彼はただ静かに頭をたれて弾き、静かに歌っていただけであり、そうし

て花になっていたのだった。

井上は最後の夜、ガンジス川の歌をネパール語で歌った。六番まであった。ネパールの首都

カトマンズに住んでいたことがあるらしく、歌詞の日本語訳を見せてくれた。

河があった。静かな大河が眼の前に横たわっていた。

すべての光景が河の中にあった。人の生活も自然の風景も河の中にあった。しかし空は

河に混ざりも溶け込みもせず、姿だけを川面に映していた。

上流から一人の少女が流れてきた。目に疲れと絶望が広がっていたが、自分の状況を受

け入れているのか、あるいはあきらめたか、もがいてはいなかった。しかし遅かれ早かれ

川底に沈んでいく運命にあった。

私は左手で土手の木を持って右手を娘に差し延べ、この手につかまれと言った。しかし

少女は、その手をつかんだら、あなたを引きずり込むかもしれないと遠慮し、落ちた私

が悪いのだからと言って首を横に振り、弱弱しい笑みを見せて下流に流されていった。

あわてた私は両手を差し出し、遠慮せずにつかまれ、それで私が落ちたらいっしょに流

れていこう。キミ一人をおぼれさせるくらいなら私もいっしょにおぼれて死のう。その方

が寂しくないだろう。その方が私も悲しくない、と叫んで、手をさらに伸ばした。

少女はただ一言、ありがとうと言って私の手をつかんだ。指が触れ、指がからみ、手を

握り、手首をつかみ、腕をからませた。そして私は跳躍した。いま私は彼女と河に流され

ながら空を見上げている。少女の表情は和らぎ、白い歯を見せて笑うようになった。

手を差し伸べたのは彼女かも知れない。おそらく、私は河に飲み込まれたかったのだ。

Page 132: Bar納屋界隈ver 3

その河の名を私は知らない。かつてぼんやりと目指したガンジス川は、焼かれた死体や

灰は流れても、この娘はおぼれていない。私は河を、土手の木を、娘を、そして私を見物

しない。私はどこにでもガンジス川を見つけられる者だ。コバルトグリーンの雲の下で。

井上が来なくなってからも余韻は納屋に残り、あの三線はもう聞けないのかと何人かの

客から問い合わせがあった。あの演奏をまた聞きたいと願っている間、その人の心に彼は花

としてあり、その時その人は、少なくともハエではないのだ。

コバルトグリーンの雲という歌詞はめずらしかった。その雲を井上はカンボジアで実際に見

たと言った。たくさんの雲の中に一つだけ、それもぽっこりとコブのようにある箇所だけが鮮

やかな緑色だったという。目の錯覚かと思ったが、カメラを向ける観光客もいたから、本当

に緑色の雲だったのである。三線を布の袋に仕舞いながら、「気象予報士なら、それは虹の

現象の一つで、遠くで降った霧雨がプリズムの役目をして云々とかの説明をするだろうけど、

こっちにそんな知識はないから、雲が何かのメッセージを送ってきたとしか思えなかったんで

すよ。そのうち色は消えて雲も散ったか薄れたかしたけど、強く目に焼きついて、そのあと

ムンバイでもカトマンズでも、そして今もずっと緑色の雲を探しているんですよ」と語った。

何年も前、甲斐さんがいたころに、似たような光景を夢で見たことがあるような気がした。

でも思い出せなかった。

それにしても恐ろしかったのは、マリコの入店を断った夜、店を閉めてアパートに帰ろうと

すると納屋の陰でマリコが待っていたことである。やはりマリコはあなどれない。

彼女は暗がりからのそっと現われて私に鳥肌を立たせ、表情はよく見えなかったが、「予

約客は来なかったみたいねー」と明るく接してきて、「明日は休みなのにすることがないのよ」

と言った。標的にされたのではかなわないから、こっちは家で妻や娘が待っていると答えよう

としたが、ひょっとすると尾行されるかもしれないので、寸でのところで言葉を飲み込み、

「これ以上まとわりついたら警察に通報するぞ」と顔に怒りを表した。心臓が早鐘を打ち、

嘔吐しそうになった。

「うぬぼれすぎじゃない?」とマリコが笑った。それでついこちらも売り言葉に買い言葉にな

って、「もういいからどこか見えないところに行け」と突っぱねた。すると彼女は「命令する権

利はあなたにないでしょう?」と言い返すのである。マリコの話術に乗ってしまっているのに気

がつき、ここで苦手意識を植え付けておかなければ後々尾を引くので、「あんたの立っている

場所は他人の所有地だ。不審者として警察を呼ぶぞ」と警告した。すると彼女はあわてて

道路まで出た。その様子を見て哀れに思い、聞くかどうかはお構い無しに、「あんたは自分

を客観視できないんだろうな」と問いかけた。するとマリコは、「あなたがどう思っているかは

態度を見れば分かる」と苦しそうに答えたので、「客観視というのは、俺を見るんじゃなく、

俺の目に映っているあんたを見るんだよ。職場の同僚や、辞めていった職員の目、施設の子供

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の目、去っていった夫の目にあんたがどう映っているかを想像してみろ」と教えてやった。さら

に「娘の目も借りて見たらどうだ」とたたみかけた。するとマリコは杭のようになり、目線も

おぼろになって何かを猛速度で検索しているようだった。そして悲鳴を上げて走り去った。

その悲鳴は遠くの角を曲がる時まで聞こえていた。

かなり薬が効いたようだった。でもこれで終わったと思うほど私はお人好しじゃない。相手

はマリコである。このあと放火でもされたのではかなわない。ここで気を抜かないことである。

木こりも目の高さまで降りてきて落下事故を起こすのだ。私は納屋に戻って寝ずの番をし

た。でもそれは杞憂で何も起こりはしなかった。

こんな女に目を付けられたら大変だ。この状況が続いたまま向こうが先にあの世に行け

ば、あちらの世界で潜んでいるかもしれないから、こちらは怖くて死ねない。それを防ぐに

はこちらが先に死んで遠くに逃げることである。そのためにあの女の長寿を願うとはとんで

もないことだ。

その日からたびたびマリコの待ち伏せを思い出すことになり、そのたびに心が震え上がった。

それは私の心身にまったくよくないことだった。十回思い出せば十回、百回思い出せば百回、

今日思い出せば今日もマリコに待ち伏せされていた。三年思い続ければまさしく三年殺し

だ。人が傷つくのはこういうことである。そこで意識が内に向かわないように心がけたが、

やはり時おり思い出されて私をじくじくと痛めつけた。

マリコほどではないにしても、追い払う客はほかにもいた。入店前から前後不覚に酔ってほ

かの客に迷惑をかける客がそうである。しかし顔ぶれは決まっているから、最初は「どの席

も予約済み」、次は「ここはあんたの来る店じゃない」。そう言って無慈悲に追い返す。

着席してじきに船を漕ぎ出す酔客は厄介ではなかった。まだ意識があるうちに注文を取

り、眠りこけても酒を出し、頃合いを見計らって、たとえ飲んでいなくてもポケットを探って

代金を払わせる。タクシーが必要なら呼んでやり、家族に迎えに来てほしければ連絡する。

どちらも無理なら外に連れ出しておしまいだ。歩いて帰ろうが道端で寝ようが、それでト

ラブルが起こったことは一度もなかった。

こうして私は日ごと納屋に馴染んだ。カウンターの端っこに座る客は一人になりたがってい

るので近寄らず、中央を選ぶ客は誰かと話したがっているから言い分を聞いたりポーカーを

やったりした。物思いにふけりたい客はテーブルに一人で着く。その時は音楽のボリュームを

ほんの少し下げた。

小雨のぱらついている夜に一人の若い女性がカウンターの端に座り、カシスオレンジを頼ん

だあとずっとうつむいていた。静かな雨には静かな女が似合うなと思ったものだが、ちっとも

顔を上げず、グラスにも手を伸ばさず、ずっと下を向いたままなので、彼女の前にハンカチ

をそっと置いた。すると彼女はそのハンカチを手に取って顔を覆い、声もなく泣き始め、やが

てしくしくと、そして遠慮なしに嗚咽した。それで気分が落ち着いたのか、やはり顔を下に

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向けたまま、ありがとうと言って代金を払った。

常連客の間を縫うようにして入れ替わり立ち代わり、いろんな客が来た。サイババの白い

粉を見せに来た客、料金代わりに安物の腕時計を置いて帰ったまま二度と顔を見せない客、

酔って椅子から転げ落ち、パンティをほかの客に見せてしまった女、一度来ただけなのに女

房が翌日やって来て、うちの主人にはもう飲ませないでくださいと叱られたこともあった。

女同士がつかみ合いの喧嘩になったこともある。どうせ男の取り合いだ。

黒の礼服に真珠のネックレスで飾った中年の女性がふらりと入ってきて、ものも言わずにウ

ィスキーを何杯もあおるので、「どうかされましたか」とたずねたら、「息子を若い女に取ら

れた」とぽつり。「そりゃおめでとうございます」と答えたら、「ふん」と言ってまたグラスを

口に運んだ。

離婚の相談を持ちかけてくる客もいる。女の場合はたいてい決断しているから聞き流せば

いいが、男はもめている最中が圧倒的に多い。そんな時の私の助言は簡単だ。

「離婚協議に際して妻は、住居と子供と世間体の三つを失うことを恐れる。だから夫が

家を出て別居すればいい。妻は子供と世間に夫の悪口を言って自分を弁護し、そのことで

離婚への意思が固まりやすい」。つまり私のことだ。暗に離婚の後押しをするのは、自分の選

択の正しさを確認したいためである。するとほとんどの男が「うちはそんなに簡単じゃない」

と、妻の仕打ちを話しはじめる。しょうがないので適当にしゃべらせておいて、次のように言

う。「それはあんたの愚痴」。さらにこう付け加える。「離婚は単なる選択肢だよ。分岐点が

現れただけ。どちらの道が歩きやすいか分かっているはずだ」。これで理解できないようでは

相談自体が客のネタ話だ。

ごくたまに、店に作品を持ち込む客がいる。自作のデコイとか油絵とか。私に見せるふう

を装って本当は展示したいのである。褒め方を間違うと調子に乗るから、「そこらに適当に

飾っといてよ、飽きたら片付けるから」とそっけない態度を示す。でも片付けたことはほとん

どない。一か月もすればたいてい引き取りに来る。

甲斐さんにはイシちゃんや私が補佐をした。宮内君も私がそばにいた。しかし今は一人で

全部やる。それで意識が刀のように尖ってせり出し、私は本物のバーテンのようになっている。

いや、たぶん、本当に本物のバーテンだ。

客の数は甲斐さんのいたころくらいまで回復した。宮内君がいた時よりずっと多かった。客

の六割は入れ替わっただろう。どこかに消えた分だけどこかから来た。

「バー通い人口統計」というものがあるとすれば、その数はとても少ないはずだが、納屋に

ずっといると、誰も彼もが本当はここに来たくてたまらないのに、何かを理由に我慢してい

るのだと思えてくる。一か所に居続けると、自分に都合よく見る誤りに気付きにくい。

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第八章

五十

中年のカップルが来た。男はいわゆる田舎紳士で、この俺様が来てやったぞみたいな虚勢を

張り、女は夜の世界に慣れているような身のこなしだった。

カウンターに着くなり男はどろんとした目で、ふう、と泥酔客特有の息を吐いた。そして、

窓際のテーブルで若い夫婦が誕生祝いをやっているのをじろりと見た。

「音楽がうるさいな。歌謡曲はないのか」。舌がもつれて酒臭い。こういった部類を私は「大

統領」と名づけている。

「うちは小料理屋じゃないですから」。そう言って音量を下げた。Pro

col Haru

m

のA

Whiter Shade O

f Pale

をかけていた。

「私たち、さっきまでスナックにいたのよ。うちの店で飲んでた」。なるほどそういう関係か。

大統領にメニューを出すと眉間にしわを寄せてしばらく見つめ、芋焼酎は置いてないのか

と言う。ジンならありますがと答えたら、チンって何だと聞く。

「ジンよ、ジン」

横から女が教えて、「ね、ばかでしょ」みたいな視線をこっちに寄こした。ばかはお前だ。

「焼酎と製法が同じなんですよ」。実は芋焼酎は一本あった。河内酒造の「伊藤」。対馬に

一軒だけある酒蔵の名品だ。それをこいつに出せるわけがない。

「日本人なら日本の酒を置いとけ」。大統領はそう命じたあと、「じゃあそのチンをお湯割

でくれ」と言って、女を下品な目で見た。女はうふっと笑って、またこっちに視線を流した。

大統領が朕を呑む。コーンパイプのマッカーサー元帥を遣わしたのはあなた様ですか。

「ジンはお湯で割るものじゃないですよ、ほかのにしたらどうです」

取り合う気も失せていた。カウンターに他の客がいたら出て行ってもらうところだ。

男はまたメニューを見つめ、どの酒にも値段が書いてないじゃないかと言った。

「うちはどれも時価でしてね」。それは本当だった。

大統領はたじろいだようだが、その気持ちと戦いでもしているかのように、この店でいちば

ん高い酒はどれだと聞いた。

「五千円と七千円の赤ワインですね」。一本しかないが適当に答えた。

「この店でそんな酒が売れるのか?」。小ばかにしたように大統領は笑った。

「医者や社長用にキープしてあるんですよ。そのうち売れますね」

「この人だって社長さんよ。測量会社の社長さん」。大統領の腕に寄りかかった。

「どうします?」

「じゃあその五千円のにしてくれ」

ジンにしとけばいいのに、本当にこいつはばかだな。それともいちばん高い酒は二万円のブ

ランデーだと返答しなかったこっちのほうがばかだったか。

スクリューキャップを開けてワイングラスになみなみと注いだ。大統領はグラスを目の高さ

Page 136: Bar納屋界隈ver 3

に上げて色を見、香りを嗅ぎ、口をつけて舌を鳴らし、さすがにフランスワインはうまいな

と言った。

「そちらのお客さんは?」。そう女に聞きながら、腹の中で笑った。それは六百三十円のカ

リフォルニアワインだ。この大統領はボトルを手に取ることもしない。

「お水ちょうだい」

「ミネラルウォーターも代金かかりますよ」

「じゃいいわ。お冷も出さないのね、ここは」

「食堂じゃないですから」

クラッカーの入った小皿を出すと大統領は、注文もしていないのにと口を尖らせた。オー

ドブルはサービスですよと言うと、それは何だと聞く。酒の肴のことだと説明したら、日本

人なら日本語で話せとまた命令口調だ。ここで叩きだしたらワインの代金をもらい損ねる。

そのあと二人は小声で、今度韓国に連れて行ってやろうか、とか、いつになったら籍を入れ

てくれるの?

などと話している。そこにドアが少し開き、見知らぬ娘が顔を覗かせた。年

恰好からして女子高生だ。私と目が合ったが、娘はカウンターにある背中に目をやり、お

父さん、と呼びかけた。大統領は振り向いて、「おう、どうした」と返事した。娘は泣き顔に

なって、「お父さん、私といっしょに帰ろう。お母さんが待ってるよ」と言い、「どうして毎日遅

く帰るの、お酒ばっかり飲んで」と泣きはじめた。その涙は連れ合いの女に抗議しているよう

にもみえた。娘が泣きじゃくって「もう帰ろうよう」と懇願しているのに、大統領は岩のよう

な顔で耐えていた。女の方はといえば、自分は無関係だというような顔で横を向いている。

さすがに見過ごせず、「お嬢ちゃん、お父さんはすぐ帰るから店の外で待ってなさい」と命

じ、娘がそれに応じたのを確認したあと「あんた、なにやってるんだ」と叱り、続けて小声で、

「金はいらないから二度と顔を見せないでくれ」と言って、手で追い払う仕草をした。男は首

をぐるっと回して両肩を交互に上げ下げし、財布から一万円札を出してカウンターに置い

た。私はそれを受け取り、テーブルチャージ料も一人千円いただきますねと伝えて三千円

を男のポケットにねじ込んだ。男はふて腐れた顔で店を出て行き、そのあと外で娘の嗚咽と

男の怒鳴り声が聞こえた。私は店を飛び出した。しかし二人はおらず、遠くに、自転車を

押して歩いている娘と、その後ろをうなだれて歩く男の姿が見えた。

店に戻ると女はタバコを吸っていた。

「カスだな」。そうつぶやいて手を洗った。

「奥さんにも問題があるんじゃない?」。だがこの女と話す気にもならず、疫病神に居て

もらっては困るからと言って追い出した。

テーブル席で一部始終を見ていた夫婦が、ドキドキしたがうれしかったと言った。私は笑い

ながら、リアルな悲喜劇を見られたと思えば、またこれも楽しいものだと話した。そして、

テーブルチャージは真っ赤なうそで、五千円のワインなんてありもしないと笑わせた。この夫

婦のような好ましい客が大半を占め、それとバランスを取るかのように今夜のような客が、

Page 137: Bar納屋界隈ver 3

時おり来た。間欠的に、どこかから射られているように、納屋をめがけて来た。私はそれを

かわしたり跳ね返したりしながら納屋を平常に保っていた。二人が帰ったあと、ほとんど残

ったカルロロッシを飲みながらクラッカーを食べ、Air on G

String

とZigeunerw

eisen

を聞いた。

人に話せば笑うだろうが、こちらはそうもいかない、そんな客が来たことがある。

あれはたしか、山崎という男だった。見た目は高校の社会科教師ふうで、年齢は私の末の

弟と同じ。宮崎から福岡経由で東京まで行く予定が、博多駅でホームを間違えて福北豊

線に乗った。それで今夜はこの町で一泊することにし、ここらをぶらついて納屋を見つけた。

それが今日の昼過ぎのことで、アパカパールで飯を食った際に、夜はバーをやっていることを

知った。この男のことは冴さんからすでに電話で聞いていた。ちょっとへんな男性が来たから、

夜にもう一度来てマスターにいろいろ話を聞いてもらったらいいと口添えしたらしい。そんな

余計なことをしなくていいのに。

小柄で痩せぎす、ぼさぼさ頭と度の強い眼鏡はアニーの夫に似ていた。違うところは、私

の目をあまり見ないことだった。

「昼の人から聞きました?」。「いえ。何かあったんですか」。無関心な口調で聞き返した。

「ここで昼ご飯を食べた時、後ろの客が、うなぎという言葉を使ったんですよ」

「ああ、そうですか」。土用のうなぎの日は近いのかなと頭の中でカレンダーをめくった。

「あの言葉は、お前は逃げられないぞというサインなんです。私はどこにいてもあいつらに

見張られていますから」

「あいつらって?」。その質問に彼は、ある大きな新興宗教団体の名前を口にした。

「ずっと私のあとをつけて、家にいないのを確かめると近所に悪口を言いふらす奴らです。

そして、ああやってサインを送ってくる」

「じゃあ、あなたはいつも尾行されているんですか」

「そうです。どこにいてもあいつらは私の居場所を知っているんですよ」

私は驚いて、「でも尾行なんて、その気になれば簡単にまけるでしょう」とたずねた。

すると彼は真顔になり、「私の目を使って、あいつらには分かるんです」と言った。

要約すると、彼の目にはカメラが組み込まれていて、その映像を奴らはモニターで監視し

ているらしい。しかもカメラを組み込んだのは新興宗教のあいつらではなく、それと対立して

いる公安警察だと言う。彼はその宗教団体の秘密をいくつも知っているキーマンで、公安は

彼を放っておけずに目にカメラを埋め込んで、いつでも身柄を確保できるようにしてあり、

宗教団体もその電波を盗んで居場所を知っているというのである。公安のおかげで彼は身

を守られ、それによって教団にもばれてしまっているが、彼に手を出せずに悪口を言いふら

すくらいしかやれないらしい。

こうなると尋常な話ではなく、相槌を打ちながら聞くしかなかった。

「じゃあ私の姿も公安と教団のモニターに映っているわけですね」

Page 138: Bar納屋界隈ver 3

「そうです。でもそのことを信じてくれるのは弟夫婦だけです」

「だったらもっと遠くに、外国まで逃げたら安心なんじゃないです?」

それもやってみたと彼は言う。タイのNGOで一年間ボランティアをする予定で渡航した

が、現地の宿で三日目の深夜、頭の中にビーッという音が聞こえ、「お前の逃げ場はどこに

もないぞ」と信号を送ってきたそうである。通信衛星がある限り世界のどこにも隠れる場

所はない。彼は覚悟を決め、東京の公安本部に車で突入するテロをやって、公安と教団の実

態をマスコミにぶちまけてやろうと決めた。その上京途中が今なのである。彼によると、宇

宙から信号を送ってきたのは資源探査衛星で、地球表面を透過して鉱物を探す過程で人

体のカルシウムを察知し、それで人間を判別できるという。それで時々、強い電磁波を送っ

て反体制的な人物の命を奪うが、死因は病死か突然死で片付けられているというのである。

だったら広域指定暴力団の組長を始末してもらいたいものだが、その矛盾点を突いたにして

も、暴力団と警察は裏でつながっているからと反論されるだろうから、黙って聞いていた。

彼は嘘をついていないと思う。どれも事実なのだ。彼に見えているもの、聞こえている音、

それを偽りだと言ったところで、彼は私のことを、ほかのみんなと同様に事実の見えない男

だと思うだけだし、彼を止めようとでもすれば、私も公安か教団の手先だと思われる。

覚悟を決めた人に特有の、尖ってはいるが覚めた目で、あと何日かすれば東京で大きな事

件が起こり、自分の主張が新聞やテレビで公表されるはずだと彼は言った。

本当にそうなれば、少なくとも彼は犠牲者になる。それではあまりにもかわいそうなので、

こうして会ったのも何かの縁だから、あと何日かこの町に滞在して、夜はここに飲みに来れ

ばいいと誘った。そうなれば上京費用もなくなるかも知れなかった。その提案に彼は反応を

示さず、戦う覚悟はできていると言った。

大事件の背景にはこういった精神病的な気質が関与していることもありそうだと思いな

がら、翌日からテレビニュースをチェックした。しかし何かが起こった様子はなく、半月くらい

たって、彼の弟から電話があった。

「兄が何日もお世話になったそうで」と弟は言った。実際には二時間ほどのことだったが、

そこはあいまいに返事をし、あれからお兄さんはどうされましたかと聞くと、東京に行く

とだけ言って家を出たが、途中で忘れ物をしたことに気づいて家にもどり、そのままずっと

いるという。安堵と同時に失望もした。弟は兄からアパカパールのチラシを見せられ、夜そこ

に電話をかけてお礼を言っておいてくれと伝言されたという。兄に何か変わったことはあり

ませんでしたかとたずねられたが、特にはなかった。単なるスリリングな作り話を弟に教え

ても気を揉むだけである。本人が電話口に出てもこちらは構わなかったが、何となくバツが

悪かったのかもしれないし、自分の素行が常人的であるのを弟に示したかったのかもしれな

い。突如ブザーが頭に鳴ることや、公安と教団の両組織から監視されているという思い込

みを除けば、彼はほとんど普通の人だった。

Page 139: Bar納屋界隈ver 3

今年の夏は酷暑が続いた。九月中旬になってもなお、猛暑の日が数日続いた。

暑さのために全国で十人くらいの人が死んだ日もあった。その日は汗だくになって空き地

の草を刈っていた。炎天下だし、単純な作業でもあるので、とにかく安全に気をつけた。この

仕事をくれた友人が車で立ち寄り、窓から缶コーラを二つ差し出して、「死ぬんじゃないぞ」

と笑った。日差しはじりじりと焼くように照りつける。それをさえぎる物のない場所での作

業であるため、正午前から数時間、仕事の手を止めて涼しい場所に退避した。木立の陰に

座って、わずかに吹いてくる風に当たって汗が引くのを待ったり、近所の食堂に粘ったりした。

黙々とやれば一日半で終わる仕事だが、この暑さのため、作業終了までに三日を費やした。

汗と体力を消耗していく仕事は時間だけが過ぎていく。

人は自由である。その自由を使って豊かになる。お金に豊かになる。モノに豊かになる。情

に豊かになる。人間関係に豊かになる。このどれかで人は豊かになれる。

お金に豊かになった人は貯金通帳に目をこらして悲喜こもごもの思いに満たされる。モノ

に豊かになった人は、身の回りに集めた、高価で希少なモノをながめて満足な気分に浸る。

情に豊かな人は、慈しみや愛や正義や哀しみやいとおしさや孤独を感じることで満たさ

れ、それを噛みしめる。人間関係に豊かな人は、たえず周辺に人を置き、腰を折って時候

のあいさつをし、あわただしくも楽しい中に時は過ぎて行く。

ビールをコップ半分飲んだだけで酔える人もいれば、何杯飲んでも酔わない人もいるよう

に、量は人それぞれで、望みの高い人がその分だけ満足しているかといえばそうでもなく、

望んでいること自体で満足できることもある。

額としてのお金、数としてのモノ、内面としての情、結びつきとしての人間関係。どれ選ぶ

にしても、最大限に得るには、一つを残してあとは捨てることだ。お金を目一杯増やしたけ

れば、モノや情緒や人間関係をあきらめるのが一番で、モノに恵まれるにはお金も情も人

間関係も邪魔だ。情を侵されたくなければ、お金やモノや人間関係に目を奪われないよ

うにし、人間関係を保つには、お金もモノも正直さも忘れなければならない。

でも大抵の人が、四つのどれにも特化せず、お金もそこそこ、モノもそこそこ、情もそこそ

こ、人間関係もそこそこ、といった具合である。それがかなったところで、しあわせもそこそ

こだろうから、どれ一つとして得ていないという焦燥感がたえずあるに違いない。

五十一

表に停まったのは赤い自転車だ。やはり宮内君がいた時と同様にバーとしては早い時間だ

った。黒江別府記者は私に驚かず、「宮内さんは残念なことになりましたね」と言いながら

真向かいに座った。そして両手を組んで腕を前に伸ばし、それを上に持って行きながら、「や

っぱりここは落ち着くなあ」と背伸びして体を左右によじった。彼女と宮内君との状況が分

からないので対応を迷っていると向こうから、警察から支局に彼の死が伝えられたが、事件

Page 140: Bar納屋界隈ver 3

性のないことや著名でもないことから紙面に載らなかったと教えてくれた。そのころ彼女は

「地下に潜る」と称した取材で忙しく、今日ここに来る前に宮内宅で焼香を済ませてきたと

言う。時枝さんの機嫌はそう悪くなかったそうである。

取材はもう終わったのかとたずねてみた。

「あとはガサ入れと逮捕を待つだけ。そのあとマスコミ各社に警察発表があって全国報道

される流れかな。うちは一日早く新聞に載せてもいいか警察と交渉中」

「全国報道って、そんなに大きな事件?」

「たぶん大きいですよ。内容は言えないけど悪質だから」

二人きりでいるからか、私の見知っている彼女とはずいぶん違って見えた。おそらく今の私

と同じ目で甲斐さんも宮内君も彼女を見ていたはずだ。

「それを独占取材したわけか」

「最近になって毎日新聞さんも気づいたようだけど、こっちの方が早かった。記事はほとん

ど書き終えてるし、写真もばっちり」。そう言って指で丸を作り、ウィンクした。

「話のネタに少しだけでも教えてほしいね」

そんなに知りたくはなかったが、彼女がいる間は楽しくして次の来店につなげたかった。そ

れに今のところ、こういった話題しか提供できなかった。

「それこそ危ないじゃないですか。情報が漏れたら証拠隠滅されて水の泡ですよ」

「じゃあ人に聞かれても意味の分からない範囲で教えてよ、理恵さん」

そう言いながら努めて冷静であろうとしていた。花柄模様のブラウスにむりやり詰め込ま

れて布地を目いっぱい膨らませた挙句、内側では左右の房が押し合って上に盛り上がり、そ

れによって深く長い谷間が生まれて、それが大きく開いた胸元からくっきり見えている。

「横山さんって意外に食い下がるんですね」。黒江別府記者は笑い、「女子大生がうちの社

に相談し、告発文は私が手ほどきした、でどう?」とかわした。

「それじゃちっとも分からんね。あまりにも安全すぎるじゃないか」

「バーでしゃべるなんてあり得ないですよ、しかも危険なおじさんに」

「たしかに夜更けのバーは、魅力的なあなたにとって、危険がいっぱいですが、夕方の今はゆ

りかごほどに、安全です」

黒江別府記者はうれしそうな目で私を睨んだあと、話題をはぐらかすように、「この時

間はお客がいないから、なんだか隠れ家に来たみたい」と言い、また目をこちらに合わせた。

「八時を過ぎてから忙しくなるからね。この時間に来るのは理恵さんくらいだよ」。暗に宮

内君とのことに触れてしまったようでドキリとしたが、彼女は今日の話だと思ったようだ。

「じゃあいつもその時間まで一人なんですか?」

「だから今日はこんなに機嫌がいいんだ」

それは本心だった。いつ来るかも分からない客を待つのは骨の折れることだ。私の言葉を聞

いたのか聞かなかったのか、黒江別府記者は腕時計に目をやり、「そろそろお客さんが来る

Page 141: Bar納屋界隈ver 3

時間ですね」と言って帰る気配を見せた。私の高揚は落胆に変わったが、「明日もこの時間

に開いてます?」と聞いてきたので心がまた踊った。ドアのところで黒江別府記者はこっちに

向き直り、「また明日来るね。あさってはわかんないけど」と、まるでデートの待ち合わせみ

たいに念を押した。私の心臓は跳ね上がったが、年の功で何食わぬ顔をし、軽く手を上げて

オッケーと答えた。

その夜がこんなに長く感じたことはなかった。客が三人来たがほとんどうわの空で、早め

に帰って眠りたかった。そうすれば明日が早く来る。俺は馬鹿か?

でもそれは軽々しい警

告であり、今ほど甲斐さんと宮内君の不在がありがたいことはなかったし、私がほかの誰で

もなく私自身であることに感謝もしていた。でもこれは厄介だとも思った。マリコと同程度

の厄介を背負い込む危険性がある。しかもマリコの場合は遠ざければよく、閉じて昨日のこ

ととし、忘れた時点で終わるが、黒江別府記者については遠ざからないようにし、広げて明

日につなげ、忘れることを恐れなければならないのである。冷静さを失うとマリコよりも痛

い目に合うかもしれなかったが、その予感すら忘れさせるほど魅惑に満ちていた。

五十二

翌日は昼の仕事がなかったので、夕方まだ明るいうちに納屋を開けた。胸をときめかせな

がら、いい年をして何をばかな思いに浸っているのだという気持ちが私を諌めていた。納屋は

仕事の場だ。私の部屋じゃない。

約束どおりに黒江別府記者は来た。髪をショートカットにして七三に分けていた。化粧も

いつもより濃い目だった。

「ずいぶん短く髪を切ったね」。そう語りかけるとは少しはにかんで、今日は仕事が休みだ

から昨夜はよく寝たと言い、昨日と同じ場所に座った。明日の夜は本社に泊まるが、それま

では自由なのだという。茶色のセーターは地味だったが昨日にも増して体形がくっきりと現

われている。

「こっちも昼の仕事は休みだったよ」。あらかじめ分かっていればデートできたかもしれない

と、あり得ない想像をして残念な気持ちになったから、ほとほと愚かである。

「昼間も働いているの?

どんな仕事?」

「肉体労働。これでもけっこう丈夫なんだ」。言葉の一つひとつが自分を売り込んでいる。

「昼は安全な人なんですね」

「そのぶん夜は危険だよ」

「じゃあ二つの顔があるんですか」

「顔は一つだけど心は二つあるかな」。案外そうかも知れない。私に限らず誰も彼もそう

ならいい。だったら彼女にもあることになるから。

この時間はいろいろと忙しい。掃き掃除に拭き掃除、トイレのチェック、窓を開けて空気の

入れ替え、ダスターや釣銭の準備、氷や酒類のチェックもし、オードブルを飾るハーブがな

Page 142: Bar納屋界隈ver 3

くなっていたら「船」の裏に植えているラベンダーやミントを摘んで水に漬す。すべて終わった

ら手を洗う。小さな店でも手間はかかるものである。麦茶を作ってフォア・ローゼスのボトル

に注いでいるのを黒江別府記者が見て、何をしているのかと笑うので、ウィスキー代わりだ

と教えた。手持ち無沙汰な時や、一杯おごると客に言われた時に飲むのである。「だから

ジンの空ボトルにも水を入れてる」。黒江別府記者は感心と呆れ顔を同時に表わした。「そ

れじゃお客も気がつきませんね」。こんな会話は小気味よい。

「やっぱりここは隠れ家だな。隠れられる場所って、実は裸になれる場所なんですよね」

裸という言葉を聞いてまたうろたえた私はそれを気づかれないためCDを探すふりをし、

いきなりE

nya

をかけるのも無粋な気がしたのでE

laine Paige

のDon't C

ry For M

e Argentina

かけた。

「でもここで裸になられても困るよ。俺の逃げる場所がない」

「心が裸になれると言いたいんですよ。男の人って誰でもそっちに話を持って行くんだから」

「そりゃ分かってるけど、心が裸になれば服を脱ぎたくなるんじゃない?」。平静を装いな

がら心臓はドキドキである。

「それはありますね。私は自分の部屋で裸になっている時が多いですよ」

昨晩よりも会話が際どかった。私がそのように仕向けて、彼女もそれを嫌がらない。

「俺も家では裸でいることが多いな。独り身だから誰にも文句を言われないし」

「私もそう。布団やカーペットのすべすべしたのがとっても気持ちいいの」

会話の中で二人とも裸になっている。黒江別府記者が全裸で寝そべっている姿を想像しな

がら、「こっちは洗濯物を減らしたいだけ。古い洗濯機がうるさいんだよ」と顔をしかめた。

大き目のグラスにパイナップルジュースとココナッツミルクを入れ、チェリー一つを落としたノ

ンアルコールカクテルを彼女に出した。名前はヴァージン・チチ。注文されたわけじゃなく、

私のおごりでもない。でもこういった押し引きが次への布石だ。その意を汲んだのかどうか、

彼女はストローで静かに飲んだ。

「そのバッグ、昨夜も持ってたね」。クロワッサンのような形で、小さな鋲がいくつも付いてい

る薄ピンク色の肩掛けバッグである。

「ボーナスで買ったの」

「女の人はショッピングと外食が気分転換になるらしいね」

「私は部屋に一人でいることかな。買い物や食事にはあまり出かけないな」

女にモテたければ褒めたらいいと大抵の男は知っている。でも「褒める」の意味を間違ってい

るので、間違った褒め方をしているし、どう褒めればいいのかも分からない。

正しい褒め方を手短に言うと、「女性の変化を目にとめ、それを告げる」ということだ。

女性は身だしなみをよく変える。美容院に行ったりマニキュアの色を変えたり、服や小物

もあれこれ買い揃える。それは自分に目を向けてほしいからである。でも誰も気が付かなけ

れば、あるいは気づいていても黙っていたら、暗に「キミのおしゃれは効果がない」とのメッセー

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ジを送っているのと同じになる。事実、大多数の男が女性のおしゃれに無反応である。女性

にすれば無反応も反応の一つだから、いつも女性はがっかりしている。だから、それを見つけ

て本人に言うのである。「髪を切ったね」とか「靴が新しくなったね」などのように。それ以上

は言わなくても、女性の心の中で褒め言葉に変わる。褒められたと思うのである。

もし百人の男のうち一人だけが変化を口にすれば、女性の心にはその男しか残らない。

あとの九十九人は壁のシミ、壁にうごめく影でしかない。

こんなに容易で損失も皆無なのに、それをやらずに女性から好かれたいと願っているのだ

から間抜けな話である。変化を口にするのはとてもたやすく、言えば言うほど、「この人は

私の価値の高さを知っている」と女性は思う。ただ言っているだけなのに、相手の胸の内で大

きく膨らむのである。抽象的な褒め言葉を使いたければ、直接にではなく、あいだに人を

入れて、「他人から伝われば事実になる」という心理を利用する。こちらは、抽象的な褒め

言葉が、女性の心の中で事実に変化する。

五十三

「それはそうと、甲斐さんの部屋は何かに使ってるの?」。黒江別府記者が扉を見た。

「いや、ずっと聖域になってる」。そう答えて音楽をA

ve Maria

の特集に替えた。納屋にこの

曲が流れる時、店内に若干の荘厳さを帯びさせ、柱に組み合わさった桟や梁がところどこ

ろに十字架を出現させて、あたかも古い教会にいるような感じもする。Pavarotti

は特にそ

う思わせる。

「中がどうなってるか知ってる?」。内緒めいた目で私を見た。

「全然。宮内君と母親だけかな、中に入ったのは」

「ちょっと見てみない?」。二人きりなのにそう声をひそめた。

「いや、俺の中では今も甲斐さんが住んでいるから」

「なるほど、そんな感じなのね」

まったく知らないわけではなかった。甲斐さんが出入りする際に垣間見たことは何度かあ

った。でも暗くてベッドの一部が見えたくらいのことである。

「横山さんって不思議よね」

話題がこちらに向けられた。

「そう?

自分では普通だと思っているけど」

「ぜんぜん違いますよ。だって普通の人は自分を説明できるじゃないですか。私は会社員で

すとか、運転手ですとか、今は無職ですとかね。それで立ち位置が決まるから、相手は安

心するんですよ」

「私はバーテンダーですけどね」

「うそばっかり。成り行きでそうなっただけで、バーテンの道なんて歩いてないじゃない」

「そりゃそうですが、説明がつかなければいけないわけ?」。私はちょっとおどけて見せた。

Page 144: Bar納屋界隈ver 3

「そうは言いませんけど、あまりにも縛られなさすぎなんじゃないですか」

「俺だって縛られてるよ」

「何に?」

「俺自身に。もうがんじがらめ」

「そうやってごまかすんだ」

「いま思ったんだけど、説明がつく人はそこに至るまでの物語が完結してるわけでしょ」

「そうとも言えますね」

「すると俺は完結途上ってことになるね。だから説明は無理」

「ねえ、私を子供扱いしてない?

だったら途上の説明をしてくださいよ」

「何で逃げ道をふさぐんだよ。理恵さんはSなのか?」

「そっちこそ私をじらしてSなんじゃない?

ほら、早く言いなさいよ」

いたずらっぽく笑いながらしつこく絡んでくる。時間つぶしならいつまでもどうぞ、である。

「俺だって物語の完成を目指してはいたんだ。でも左の道に行こうとしたら、だれかが右に

行けと言い、やっと席を見つけたと思えば、まただれかが、そこに座ってはいけないと言う。

それに従った結果がこれさ。それが俺の物語」

「言われるがままに?」

「厳密にはそうじゃないけど、まあ大抵それだったね」

「でもそういった生き方をしているのなら、いつかここからいなくなる?」

「誰かが呼びに来て、断る理由がなければ、そうするかな。でも理恵さんから呼ばれたら、

断る理由があっても従うよ」

冗談の中に本音が混じる。しかも九割以上。ほとんどプロポーズだ。

「じゃあ私から死ねと言われたら死ぬ?」

「それで理恵さんが救われるならね」

「もう、グッとくること言わないでよ」

「いい女にはいい言葉の花束を、だよ」

「そんなふうにしてだまされたとか利用されたとかはなかったの?」

「それは向こうのことで、こっちにその気持ちはまったくないよ」。笑ってそう言った。

「でも同年代の人は、あなたとはぜんぜん違うでしょ?」

「そうだね、みんな説明がつくだろうね」

「どうして平気なの?

あせりとか後悔とかは?」

「さあ、どうだろう。ほかの人より鈍いのかな」

「鈍いわけないでしょ。強いんでしょ」

「往々にして鈍いやつは強いんだよ」

「なんか、すごいなあ」

「これで俺の説明は終わったね。ちょっと看板に灯を点してくる」。そう言って外に出た。

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五十四

「さっきは俺を不思議だと言ったけど、理恵さんも同じだよ。甲斐さんがいたころからね」

カラになったグラスを引っ込めて彼女にミルクセーキを作ってやった。

「そう? ただの新聞記者ですけど?」

「いや、そうじゃなくて、こんな近くに、しかも真正面に座られてたんじゃ、目のやり場に

困るんだ。仕事が手につかない」

「ああ、これね」。彼女は顎を引いて自分の胸元に目を落とした。

「母親ゆずりなの。母さんもこれくらいあるよ」

いい女と話す時は相手を剥き出しの女として扱った方がいい。こっちが剥き出しの男になる

ためにそれが必要だ。でも彼女はこの種の話題に慣れっこなのか、表情も変えなかった。

「いやなんじゃないよ。でもなかなか話題にしにくくて」

「ううん、私にとってはいつものことだから」

「でもモテるでしょ?」

「胸が大きいと分かって男の人が親切になることはあるわよ。でも私のことは見ずに胸まっ

しぐら、みたいな感じじゃない?」

「同性には嫉妬される?」

「うらやましがられる方が多いよ、口先だけかもしれないけど。高校の時に初めて付き合

ってくれと言った相手は女子だった」

「俺から見ると、得することの方が多いだろうね」

「そうでもないわ。けっこうじゃまだし、歩くだけで揺れるし、不便な方が多いの」

「それくらいは不便のうちに入らないよ、むしろ贅沢」

「でもね、ブラのサイズが大きくなると、値段は上がるのにデザインは減るのよ。ちっちゃい

方がかわいいし、種類も多くて値段も安いの。女性の下着売り場に行ったことある?」

「いや、遠くから見た程度。でも花柄とかフリフリの付いたのは小さい方が多そうだね」

「そうなの。私くらいのになると、大きければいいんでしょ、みたいな作り方。単なる容器よ

ね。申しわけ程度にレースが付いているくらいで、色もベージュか濃い紫か白くらい。おしゃ

れというより固定と収納が目的だから、入るかどうかで選ぶしかないの」

「理恵ちゃんだからそう言えるんだ。普通の女性が容器とか収納とか言えば皮肉になる」

「服を選ぶのも一苦労。目立たせないようにだぶだぶの服を着たら太って見えるし、気に

入った服を試着してみたら、胸だけボタンが留まらないなんて、悲しすぎるわよ。無駄に終

わった試着は覚えきれないわ」

「小さい人にはそれも嫌味に聞こえるよ」

「ちっちゃい方が、いいことが多いんですよ。ブラで大きく見せられますからね。それに、ス

レンダーな女性はかしこそうに見えるでしょ。細身というだけで期待されるの」

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「たしかに、同じ制服を着た女性で痩せたのと太ったのと、どちらに能力がありそうかと

いえば、そうなるかな」

「私は太っている話をしてるんじゃないんですけど、ウエストではなく胸の話なんですけど」

「こりゃ失敬」

「胸の大きい女性は頭が悪いというイメージはずっとあるわ。実力を見せたら感嘆される。

それがいい証拠よ」

「じゃあ自分の胸がきらいなのか?

小さくしたいの?」

「ううん、気に入ってる。お風呂から上がって鏡でじっくり見たりするよ」

「裸のまま?」

「うん。海やプールに行かないから、部屋でビキニ着てポーズとってみたり」

「理恵さんってハーフ?」

「ううん、クウォーター。祖母が旧西ドイツ出身なの」

「やっぱりね。一人っ子?」

「姉さんが一人いるよ。でも姉はごく普通。顔も日本人だし」

「そんなに目立つと苦労もあるだろうね」

「この顔にこの体ですからね。だから外出してもここに来るくらい。お客のいない時にね」

なんとなく合点がいった。甲斐さんは老いていたし、宮内君は居ないのも同然だったろう。

「あと、友達もほとんどいない」

「結構いそうだけどね」

「友達だと思っていたら、彼氏を紹介してほしいと言われたことが何度かあって、こっちは

そんなつもりじゃないからショックだった」

「男を集める疑似餌か」。私は笑った。

「それで今も人間不信」。理恵も白い歯を見せた。

「でも新聞記者は人に会うのが仕事じゃないか」

「そうなんだけど、新聞記者って権力でしょ。それで自分を守ってるの。普通の勤め人だっ

たらもっと苦労すると思う。あからさまなセクハラとか、ストーカーみたいなのも現われた

りとか」

「なるほど。人を近づけないためにマスコミか」

「最初ここに取材に来た時、あなたのあとに若い男の人が来たでしょ?

ああいった目で見

られることが多くて。でも新聞記者だからあれ以上は近づいてこないの。田舎の人は特にね。

地方の新聞社を選んだのもそのため」

イシちゃんを思い出した。あんぐりと口を開けて固まった漫画みたいな顔を。

「俺はもっと近づきたいね、理恵さんなら」

「あはは、そこまではっきり言われたの初めて」

「俺もここまではっきり言ったのは久しぶりだよ」

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「うふふ、久しぶりだって」

「しょっちゅう言えるほどいい女はいないよ」

「ガールフレンドとかいないの?」

「いないね、今のところは」

「今のところだって。じゃあ過去にはいて、これからもそのつもりはあるのね」

「つもりはあってもチャンスはないね」

「チャンスがないのは、そのつもりがないからよ」

友人が見かねて女性を紹介してくれたことが二度あった。一人は離婚経験者で、もう一

人は独身を貫いていた。しかし、新たな人生に踏み込むパワーが双方になかった。独り身に

終止符を打つだけの結び付きに大した意味がないことは互いに分かり過ぎていた。

「痛いところを突くね、今夜は」

「たまに誰かをいじめたくなる。でも本当に困らせるんじゃなくて今日みたいなのが好き」

「かなり困らせてるよキミは。逆襲してやろうか?」

「それはだめ。いじめられるのは苦手なの」

「いじめ返してほしいからいじめているとしか思えないね」

グラスのミルクセーキは半分残ったまま氷が融け始めていた。

「結婚は?」

「していたよ。理恵さんよりちょっと若い娘も二人いる」

「え?

ホントに?」

「うん、夢の中でたまに会ってる。目が覚めるたびに胸を締め付けられるけど」

「知らなかったなあ。でもこれ以上は詮索しないでおくね」

「別に構わないよ。隠す必要はないから」

「でもそこは普通の人で安心した」

それに答えずE

nya

のCDをかけた。O

rinoco Flow

が流れ始めた。

「私の好きな曲をかけてくれたんだ」。

「俺が聞きたかったんだよ」

そう答えながら、死人に口無しという言葉が心に浮かんだ。

「エンヤが好きなの?」

「理恵さんに似合うと思ってね」

私は決して褒めていない。そう思ったまでだ。そして黒江別府記者は、満足げな顔をした。

「理恵さんってO型でしょ?」

「ブーッ、残念でしたー、A型でしたー、でもどうして?」

「尋問術というのがあってね、人は自分に関する情報が間違っていたら、それを正したい衝

動に駆られる。だから適当に言っただけ」

「なるほどねー、何型かと聞かれたら、身構えることってあるよね、異性には特に」

Page 148: Bar納屋界隈ver 3

「そうそう。だから、兄弟は?

と聞くより、姉さんがいるでしょうと質問すると、いえ、

弟です、みたいになるね。しかも自発的に言ったと思ってる。本当は誘導されたのに」

津下という刑事からちょっと教わった。でも取調べ中にカツ丼は食べさせないしコーヒーを

飲ませることもないという。「便宜供与になりますから」と彼は言った。公判で、刑事さんが

コーヒーを飲ませてくれたからあのように自白した、となることがあるそうだ。

曲がM

ay It Be

に変わった。

「この曲好き。アイルランドに行ってみたいなあ」

「どうして?」

「人口が少なそうだし、指輪物語が生まれた国でしょ。何となくミステリアス」

「あっちには理恵さんみたいな女性も多いんじゃないかな」

「大学の夏休みにシドニーに旅行したことがあるの。じろじろ見られなくほっとした」

「だったらドイツに行けばいいじゃないか。お祖母さんの祖国だろう?」

「アイルランドの方が鄙びていそうじゃない」

「俺には最果ての地という印象だね。アイリッシュウィスキーはクセがあるから置いてない」

「何でもお酒なのね」

「酒とバラの日々だよ」

「バラなんてどこにもないじゃない」

「いま目の前に咲いてるよ」

「ほめるのが本当に上手な人ですねあなたは。誰にもそんなふう?」

「大好きな客と大嫌いな客だけ」

そこにドアが開いて若い男が三人入ってきた。たまに顔を見せるサラリーマンだ。

「マスター、勘定はいつも通りにつけといて」。黒江別府記者が席を立った。

「あいよ」。私はグラスを洗いながら顔を上げなかった。

「今の子よく来るの?」。ドアが閉まったと同時に客の一人が聞いた。

「いえ、二か月に一度くらいですかねえ」

「すごいボリュームだったけどモデルかなにか?」。別の一人が興奮気味にたずねた。

「出版関係の仕事らしいですよ」

「俺たちには高嶺の花だな」。残りの一人が笑った。曲はC

hina Roses

に替わっていた。

五十五

その数日後に時枝さんが訪ねてきた。最近彼女が納屋に顔を出すことはなかった。店の

状況を知らない方が亡き夫や息子の息づかいを身近に感じていられるのかもしれなかった。

彼女は開口一番、あした息子の遺骨を墓に収めることになったと言った。一年近く経ってい

るのにまだ手元に置いていたのに驚いて、納骨に立会いましょうかとたずねたら、お坊さん

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と自分だけで済ませると言った。その表情は晴れ晴れし、未亡人となってすぐまた息子に

先立たれた哀れさがきれいに抜け落ちていた。やっと一人で生きていく決心がついたのだろ

うと思い、これからも気丈にしていてくださいと励ますと、彼女は軽い口調でハーイと答え

た。彼女のような立場の女性をほかに知らないので、やはり女は強いなと思ったが、後になっ

て、ひょっとして彼女は息子の遺骨の一部を食べたのではないかと思い、その思い付きにどき

りとした。でもそうやって息子が自分の元に帰ることは悪いことではなかった。母親にはそ

れが許されるのだ。

五十六

電話が鳴っていた。急いで戸を開けて電話に飛びついた。やはり黒江別府記者からで、も

うじき納屋に小早川尚美という女子大生が行くから待たせておいてほしいと言った。二人

で私に頼みたいことがあるという。それだけ言ってすぐ切れた。

女子大生というからにはスクープの事件に関係があるのだろう。頼みごとの見当はつかな

かったが、じきに分かることだ。そうこうするうちに戸が開き、「こちらに横山さんはおら

れますか」と、小柄で痩身の娘がこわごわ入ってきた。

「ああ、さっき黒江別府さんから電話がありました」。そう答えると彼女はほっとした顔

をした。私は彼女をピアノの天板席に案内してコーラを出した。尚美というその娘はジーパ

ン履きの軽装で、陸上選手のような敏捷さを感じさせた。彼女はコーラに手をつけずに肩

掛けバッグから一まとめの用紙を取り出し、「理恵さんが来るまでこれを読んでくれません

か。でもコピーやメモは取らないでください、お願いします」と言った。案の定、それは黒江別

府記者が手ほどきした告発文だった。

¦¦¦¦¦

前略

私は福岡県久留米市善導寺に住む小早川尚美といいます。二十一歳の大学生です。

以下の文は、久留米市内で不法就労を強いられている疑いの濃い三人のカンボジア人青年

についての情報提供です。

事の発端は私の家の近所にある、チマキングという野菜加工工場で、昨年の十二月中旬ご

ろから、東南アジアから来たと思われる三人の若い外国人男性が、朝九時から深夜まで休

日もなしに働いている姿を、私の勉強部屋から目撃したことによります。私は、これは不法

就労ではないかと思い、部屋から彼らを観察して、働いている時間を三か月ほど、可能な限

り記録しました。そのことで分かったのは、一日の労働時間は十五時間で、たまに二人の日

もありました。月に二日か三日ほど交代で休暇を取っているようです。彼らは自転車で通っ

てきていました。

もし違法ならどうなるのかと思うと怖くなり、父と母に相談しました。母は私を叱り、

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父も困った顔をしましたが、ここで目を逸らしたら私のためにもよくないと思い、ある日の

深夜、彼らの後をつけて一戸建ての住まいを見つけ、一人が休んでいる日に家の前で待ち構

えて、玄関から出てきたところに道を尋ねるふりをして声をかけました。

その時の相手は二十四歳のユイン・ヨットという人です。彼は私に、近所の人ですねと日本

語で言いました。それで私は自分の思っていることを打ち明けました。すると彼は、「わたし

たちはカンボジアの中学校で日本語を教えてくれた日本人の先生を信じて日本に来ました

が、たぶんだまされました。八時間働いて土日が休みの約束でしたが、毎日十五時間も働

かされ、月給は日本人の四分の一以下です。社長の弟から暴力をふるわれたこともありま

す。車を一台もらえる約束も、夜は日本語の勉強をして留学もできるという話も全部う

そで、あこがれていた日本が大きらいになりました。早くカンボジアに帰りたい」というよう

な話をしました。私は驚きで足が震えました。警察に訴えればいいと言うと、「自分たちが

逮捕されて、チマキングは捕まらないです。カンボジアではいくら悪くてもお金を積んだら

無罪になります。金持ちには勝てないです」と肩を落としました。私は何とか良い方法を考

えてみると約束して別れましたが、どうしていいか分かりませんでした。

でも、市の広報で外国人法律相談会が毎月一回開かれているのを知り、会場に出向いて

当番の行政書士さんに相談してみると、労働基準法と入国管理法に違反している疑いが

濃いから、匿名でも告発したほうがいいと言われました。それで何度か彼らに会って情報を

集め、パスポートも外国人登録証も見せてもらいました。

したがってこの文章は、労働基準局と入国管理局、在カンボジア日本大使館、そして福岡

県警に送ります。私は法的知識を持ち合わせていないので、読みにくい所も多いと思います

が、そこはご理解ください。以下、私の知りえたことを記述します。

三人は、Ream

Chivith

(ジワット=二十七)、Yin Y

uth

(ヨット=二十四)、Lim

Siv Vuthou

(ワットゥ=二十四)で、日本語での会話は可能です。年長のジワットがリーダー格で、いち

ばん日本語が上手です。

彼ら三人(以下ジワットら)はカンボジアの大学を卒業し、昨年十二月五日にITエンジニ

アのビザで来日しました。でも実際の勤務地はチマキングの野菜加工部門で、日本に来た二

日後から働きはじめました。労働時間は朝九時から夜の十二時までで、冬の繁忙期には深

夜一時にもなりましたが、五月ごろから夜十時までに変更されました。

休憩は昼十二時から一時間、午後四時から十五分、午後七時から八時までの一時間。

休日は月に一日か二日。これも五月から週二日に増えました。でも交代制なので一斉には

休めません。

仕事内容は野菜の選別と梱包、トラックへの積み下ろし作業で、夕方から中国人留学生

十人くらいが働きに来ます。中国人はタイムカードのある正規のアルバイト作業です。日本

人従業員は加工場に三人いましたが、ジワットらと入れ替わりに解雇されました。なぜ日

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本人がクビになったのかを社長の弟にたずねると、「日本人は時給が高いし長時間働かない」

と説明したそうです。

ジワットらの健康保険証に記載されている雇用主は飯塚市のマルテックで、IT関連の会社

だそうです。したがって外国人登録証の居住地も、久留米市ではなく飯塚市の個人宅にな

っています。

仕事を指示しているのはチマキング社長の弟、矢崎洋司で、ジワットらは彼から度重なる

虐待を受けたために一度だけ久留米市役所に相談に行き、DV担当の女性課長から久留

米労働基準監督署や弁護士事務所を紹介されましたが、自分らが解雇されて家を追い出

され、国外退去させられるのを恐れ、以降なにも行動していません。わずか数か月で帰国

することはカンボジア人として非常に恥らしいのです。これが特に大きな理由です。

虐待の内容は、首をつかんで壁に押し付けたり、野菜を梱包する機械に何度も叩きつけ

たり、あるいは立たせたまま二時間も罵声を浴びせたり、「お前たちは動物と同じ」とか、

「お前らは犬だから、殴られるのとクビになるのとどっちがいいか」などの暴言です。洋司は

さらに「犬に言葉は必要ない」と言って、作業指示を紙に書いて渡しているそうです。ジワッ

トらが「なぜ私たちをいじめるのか」と聞くと、「カンボジア人はポルポトの大虐殺があったか

ら、いじめたら静かになる」と笑ったそうです。虐待は中国人留学生にも及び、ニンジンを頭

に投げつけたりシャツを引き裂いたりして、何人かが辞めていったようです。

ジワットらと中国人留学生はカメラで監視され、洋司の母親も監視役として現場にいま

す。母親は午後二時から作業が完了する深夜までいて、ジワットらの夜食を作りますが、

食材はポリバケツに捨てられた野菜くずや腐った卵、傷んで変色した肉で、腐った臭いがす

るので食べるのを拒否したら洋司が強引に食べさせるそうです。まるで奴隷の工場です。野

菜工場の二階には事務所があり、そこにいる社長の矢崎隆司の耳に弟の怒鳴り声は届いて

いるはずだとジワットらは言いますが、社長は沈黙しています。何人かの事務員がジワット

らに、助けてあげないことを謝ったそうですが、それはずるい言い訳で、彼らも虐待に加担

しているのと同じです。

ジワットらを日本に呼び寄せた人物は二人います。一人は飯塚市にあるソフト開発会社

マルテックの社長のホウ・イエンチャイ。マレーシア人です。彼の妻は日本人で、子供もいます。

彼(もしくはマルテック)がジワットらの法的な雇用主になっています。もう一人は飯塚市本

町で野菜スーパー「サルベ」を営む坂今申(さかいま・さる)で、ホウとは懇意な仲のようです。

坂今は十年前にNGOの一員としてカンボジアの中学校で日本語を二年間教えた経験があ

り、ジワットらは坂今の元生徒。余談ですがジワットらは坂今を「さる先生」、仕事を監視

している矢崎洋司は巨漢であることから「スモウ」と呼んでいます。洋司の母親も巨漢です。

ジワットらは来日前に坂今から、「スーパーの工場で一か月働いてもらい、慣れたら店頭に

出てもらう」と説明を受けましたが、マルテックのIT技術者としてビザが発給されたので不

安になり、電話で「大丈夫か」と坂今に尋ねたところ、「三者(マルテックと坂今とチマキング)

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はグループ会社だから心配ない」と言われました。でもそれは嘘ですし、野菜の梱包作業と

いう長時間の勤務は今も続き、来日前の約束である「一日八時間勤務で、夜は日本語の勉

強」は一度も行われていません。

チマキングで過酷な労働を強いられながら、ジワットらは坂今をずっと信じ、きっと助けて

もらえると思って何度も電話で苦境を訴えましたが、いつも適当にあしらわれたので、久留

米市役所に相談に行ったことを打ち明けました。すると坂今は強い口調で「日本人の三倍

働けないならカンボジアに帰れ」とか、「腐った卵でも一人一個ならカンボジア人には贅沢だ」

と叱ったそうです。またその際、ジワットらの後輩に当たる大卒カンボジア人が六人ほど来

る予定だとも言われました。ジワットらはそこで初めて、坂今にだまされたと知りました。

でも久留米市役所に行ったことが功を奏したのか、すぐに労働時間が二時間ほど短縮さ

れて休日も少し増え、拷問まがいの腐った食事も出されなくなり、自分たちで自炊できる

ようになりました。これが来日して半年後の五月のことです。しかし社長の弟である矢崎洋

司(スモウ)の態度は変わらず、最近、「お前らの家がなぜ広いか知っているか。それはお前ら

をクビにしたあと十人のカンボジア人が住むからだ。お前たちは扱いにくい」と言い、「この

野菜工場の適正人数は二十人だから、カンボジア人でいっぱいになったら中国人を辞めさせ

る」とも説明したそうです。

六人の後輩がやがて来ると知ったジワットらはカンボジアに連絡し、来日を思いとどまる

よう伝えましたが、当人たちは日本への憧れに満たされて耳を貸そうとせず、すでに何人

かが大学の卒業証書など必要書類を坂今に送ったそうです。

補足として、矢崎社長はたまにテレビCMに出ています。弟の洋司(スモウ)は野菜工場の

駐車場に停めた車の中で暮らし、月に一度しかシャワーを浴びないのでとても臭く、彼の臭

いで工場にいるかいないかが分かるそうです。坂今申はかつて、カンボジアで日本語を教えた

ことを理由に新聞に載ったことがあるそうです。マルテックのホウ社長は九州工業大学を卒

業してIT会社を創業した人物として脚光を浴び、飯塚が日本初のIT特区に認定された

きっかけになったそうで、「日本のビルゲイツになる」と言っているそうです。

以上が私の知り得た情報です。

本来ならジワットらが関係機関に申し出て法的な改善を求めるべきでしょう。そのことを

私は三人に言いました。最近になってジワットらは、次のカンボジア人が坂今らに招かれるの

をどうしても止めたいと考えるようになりましたが、訴え出ても自分らが罰せられるだけ

になるのではと躊躇しているため、こうして私からの情報提供となりました。三人は私に、

何もしないでほしいと言いましたが、それはできないと私は答えました。ティアー・オブ・ザ・

サンという映画の最後に「善のある人が行動しなければ悪がはびこる」という言葉がありま

す。本当にその通りです。でも彼らの気持ちは痛いほど分かります。カンボジアでは、裁判

でもお金をたくさん払った方が勝つそうです。法はお金に負けるのです。

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ジワットの村で牛が二頭盗まれた事件があったそうです。警官が調べに来ていろいろとメモ

を取り、被害者に言いました。「ニワトリを一羽くれないか」。こういった権力支配のもとで

育ったジワットらが当局を頼ると思いますか?

彼らは内心で「貧乏な人が訴え出ても公

務員にお金を巻き上げられるだけ」と思っているはずです。でもここは日本なので、違法で

あれば法に則って解決されるでしょう。それに際していくつかお願いがあります。

①孤立して恐れているジワットらの話をよく聞いて適切な処置を取ってください。②ビザ

が申請された時の雇用条件に戻すなど原状回復を行い、被害者である彼らに不利益が及

ばないようにしてくれませんか。③未払い賃金があれば全額彼らに払い戻してほしい。また

過去にも同種の違法行為が行われた可能性もあるので、それが認定されれば被害者外国

人に遡及払いを課していただくよう要望します。④今後このようなことが起こらないために

マスコミに公表し、NHKの海外放送でも放映してもらう手はずを整えてくださるようお願

いします。⑤坂今ら受け入れ側の違法は厳しく罰し、放置しておけば今後も起こりうるに

違いない同種の連鎖を断ち切ってほしい。⑥来日予定のカンボジア人たちに同じようなこと

が起こらないためにビザ発給の停止もしくは延期。⑦今後もジワットらの力になりたいので、

私あてに調査の状況を教えてくれませんか。

以上、理解しにくい箇所もあったと思いますが、よろしくお願いします。日本に夢を抱い

てカンボジアで日本語を学び、やっと夢がかなって来てみたら、暴力を振るわれたりお前ら

は犬だと暴言を浴びせられたり、腐ったものを強引に食べさせられたり、苛酷な労働環境

の下で為すすべもなく働いている彼らを見て、日本人として恥ずかしさを感じました。

ヨットは私に言いました。「できることなら脳みそを取り出して洗い、日本語と日本の記憶

をなくしてしまいたい」。

あらゆる分野でアジアの範であり続けなければならない日本でこんなことがあっていいは

ずはありません。早急な改善、解決を望みます。

以上、日本国民の名において告発します。

早々

六月三十日

小早川尚美

¦¦¦¦¦

五十七

「一人でここまでよく調べたね」

別紙に記載した坂今やホウの住所と電話番号、ジワットら三人のパスポートと外国人登

録証の写し、あるいは健康保険証のコピーや尚美の調べた三人の労働時間のチェック表を見

ながら私は唸った。告発の日からすでに三か月が過ぎている。

「いえ、私だけでは無理ですよ。理恵さんの協力が大きいです」

そこにドアがあわただしく開いて黒江別府記者が入ってきた。ベージュのハーフコートの下は

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黒いハイネックだ。コートの前を留めていないので今日も豊満なボディが突出していた。

「尚ちゃん待たせちゃってごめんねえ」

「いいえ、ちっとも。こっちもさっき来たところです」

「横山さん、告発文を読みました?」

「ああ、読んだ。概略は理解したよ。それにしてもひどいね」

すると黒江別府記者は私から告発文をさっと奪い、「あぶないあぶない」と言いながらバッ

グに仕舞い込んで小早川尚美の隣に座った。そして小声で「頼みたいことも言った?」とたず

ね、尚美が首を横に振ると、隣の席をぽんぽんと叩いて私を呼び、「まさか美女二人がいる

のに店を開けはしないよね」と着席を命じた。私は納屋のドアに「今夜は貸切です。またお

越しください」と書いた紙を貼り、ドアをロックした。

「チマキングって、テレビで社長がしゃべっている、県内に五店舗くらいあるスーパー?」

「そうそう。安さの秘密は徹底したコスト削減だと大威張りで話してる男」

「コストを削減しすぎたら誰かが泣くことになるんだ。ところで俺に何か頼みたいって?」

黒江別府記者の隣の椅子を引きながらたずねたが彼女はそれに答えず、尚美に「この人

はね、私の言うことなら何でも聞いてくれるんだよ」と言った。

「へえー、そうなんですか」。尚美がこちらを見た。

「そんな約束はしていないよ」。私は座り、腰を揺すって椅子を前に動かした。

その言葉を無視して、「この人はね、私のためなら死んでもいいと言ったんだよ」と黒江別

府記者が自慢げに話したので、尚美は目を丸くして、「えっ?

まじで? 告白されたんで

すか」と、呆れとも嘲笑とも取れる顔でまたこっちを見た。

「そう。この耳でしっかり聞いたし」

黒江別府記者は私の方に体を向け、まるで事実であるかのように笑った。

「理恵さんは都合のいいように曲解してるんだよ」。そう苦笑いしたが、尚美は肩をすぼめ

て首を縮め、「お似合いかもね」と冷やかした。

「その証拠にね」。黒江別府記者はまた尚美の方に向き直り、耳元に顔を寄せて「この店で

お金を払わなくてもいいのは私だけなの」とささやいた。。

「やっぱそうよねー」。尚美は調子を合わせ、私もそれに慌てふためいて、「理恵さん、いい

加減にツケを払ってくださいよ」と懇願する真似をした。

「じゃ、ツケがいくらあるか教えてよ。でも言えないでしょ?

だってタダなんだから」

このようにして黒江別府記者は私をいじめて楽しみ、私もいじめられて楽しんだ。その様

子を尚美は、「親子ほど年が違うのにカップルみたい」と誉めそやし、「横山さんって俳優の

吉岡秀隆に似てますね」と言った。「そういえばそうね」と黒江別府記者も言う。そんな俳

優は知らないと言うと、「最近は、三丁目の夕日という映画に出ましたよ」と尚美が答え、

さらに納屋の外観を「バナナの木陰にある秘密基地」と称して賛辞を並べた。

こんな他愛もない会話は私を喜ばせた。私の心の中で黒江別府記者は、かなり前から理

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恵になっており、その理恵と並んで座れたこともうれしかった。二人の間に横たわる川、バ

ーのカウンターが取っ払われるとこんなに浮き浮きさせる。それは本当に気持ちのよい、心

の晴れることだった。そして、私への依頼事が彼女らにとって相当に重要で、私でなければ解

決しにくい内容であるのも察せられた。同じテーブルにいる私たち三人は、彼女らが告発し

た事件に私も関わることになりそうな状況を前に、軽口を叩きながらもじわじわと、呼吸

を合わせてうまくやり遂げようとする意思を確認しているようにも思えた。

告発文を読んだ限りでは彼女らが報復される恐れはなさそうだが、大きな緊張を強いる

事件ではある。当局に告発した日から三か月近くが経過し、一週間くらい前に理恵記者が

「あとはガサ入れと逮捕を待つだけ」とだけ教えてくれたが、その時がいよいよ迫ってきたに

違いない。でも私への依頼を二人はなかなか口に出さなかった。そこで再度、「俺に頼みたい

ことがあったんじゃない?」と切り出してみた。

「ええ、それが目的でここに来たんだから」。そう理恵記者は言い、「絶対に引き受けると

約束してね」と念を押した。尚美から笑顔が消えた。

「引き受けられない内容だってあるだろう?」

「あのね、できない人に頼み事は行かないものなんですよ。だから断れば、出来ないのでは

なくて、キミらを助ける気はないという意思表示になるの。それでよければどうぞ断って」

「そんな無茶な」

「むちゃな話だからここに来たのよ」

「はあ?」

押し問答に尚美はまた笑い出し、私も釣られて笑った。理恵記者は一歩も引かないし、そ

れは私にできることなのだろうが、断られることに不安を持っているようだった。

この時ほど理恵が私を頼ったことはなかった。それと関係があるのかどうか、理恵の隣に

座ってから、彼女の右足の小指あたりが私の左足に触れたままだった。最初に触れたとき私

は足を少し引いたが、理恵記者がまた寄せてきたのでそれに応じ、テーブルの下で二人の足

がひそかに触れている状態が維持されていた。その時の理恵記者と私は、一人では抱えきれ

ない重圧が彼女に圧し掛かったことで、あたかも恐れおののく女児が父親の手をそっと握り、

父親も自然に握り返して安全を保証してやるかのようであり、触れ合うきっかけをようや

く見つけたとも取れるし、この機に乗じてセクシャルな感覚を彼女も私も楽しんでいたとも

言えた。私たちはその状態のまま、尚美が笑い、私が困らされ、理恵も体を左右に向けて

話し、そのたびに二人の足が擦れたが決して離れはせず、体温の交換と愛撫にも似た摩擦

のとりこにもなっていた。

「理恵さん、お腹が空かない?」。尚美が聞いた。

「うん、実は腹ぺこ。尚ちゃん何か作れる?

冷蔵庫にあるもので適当に」

「また理恵さんのツケで?」

「もちろんマスターのおごり。それでいいよね、横山さん」

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「今夜は特別だよ」

尚美がよろこんでカウンターに入るのを目で追い、私と理恵は依然として足の先を触れ合

わせながら、理恵の口から依頼を聞いた。

¦十日以内に坂今とマルテック社長のホウ、チマキングの矢崎兄弟の四人が逮捕される。

それと同時に身柄を確保されるカンボジア人三人を預かってもらえないか¦

それが私への頼みごとだった。

第九章

五十八

依頼自体はむつかしくないが即答は出来かねた。それよりも預かる理由が先だ。

尚美がカウンターの中を面白がってアパカパールの棚まで開け始めたので私は立ち上がり、

使ってもいい食材を教えた。「ついでに何か飲み物を作ってよ」と理恵が言った。二人に今夜の

予定をたずねると、理恵は尚美を泊めるつもりだと言い、「一緒にお風呂に入るのよねー」

などと淫靡な視線を送り合っている。

「理恵さんすごいんですよ」。私をからかっているのか、何か教えたいのか、尚美がはずんだ

声で言った。なるほど、もう何度か泊まったことがあるのだ。「それくらいわかるよ」。そう答

えると尚美は「ほかにもいろいろと…」と言いながら理恵をちらりと見、叩かれる真似をさ

れて首をすくめた。私はあきれたふうを装いながら、全裸の理恵と尚美が泡にまみれなが

ら悪戯(あくぎ)に耽って喘いでいる姿を想像していた。

尚美はサンドイッチとクリームパスタを作りはじめた。私は少量のウォッカをオレンジジュー

スで割ってスクリュードライバーを二つ作り、カウンターと理恵の前にそれぞれ置いた。これ

はレディキラーとも呼ばれ、男が女を酔いつぶしたい時に飲ませるカクテルだが、実際に足

腰が立たなくなった女は見たことも聞いたこともない。

私はいつもならロックグラスに麦茶だが、今夜はゆっくり飲むつもりでワイングラスに氷を

入れ、安物の赤ワインを注いだ。

理恵記者の隣に戻り、テーブルの下で彼女のつま先を探した。すぐに見つけたが理恵は引

っ込めず、触れたままにしていた。

「どうして俺が三人を保護するんだ?

警察の仕事だろう」

その問いに理恵は「便宜供与になるから」と答えた。「ジワット君たちが証言台に立った場

合、国が生活させてくれるから被告に不利な証言をするというふうになる可能性がある

の。向こうの弁護士はそこを突いてくる。だから検事の命令で民間人に預けるわけ」

便宜供与の話は津下刑事からも聞いたことがある。

「じゃあ生活費用もこっちが負担?」

「そうね。本人の所持金も使えるけど」

「でもなぜ何の関係もない俺になるんだ?」

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「四人が逮捕されたらマスコミはカンボジア人を探すでしょ?

ほかはみな捕まってるから」

「そうなるかな」

「そんな状況で久留米に置いておくわけにいかないじゃない。いろんな人が家に押しかける

だろうし、嫌がらせもありうるからね。今の住まいはチマキングが借りているから、そこに居

続けると今度は被告人に有利な証言をすることもありうるわけ。それで警察は尚ちゃんの

父親に相談したの。それが私の耳に入って、あなたが最適だと思ったの。久留米よりこっちの

ほうが安全だから」

「なるほど」

「同僚の記者の話では、住む場所がなければ三人も検挙されるらしいの。いくらだまされ

たといっても不法就労していたのは事実だし、住まいも虚偽だから不法滞在も加わるの」

「法的には罪に問われるわけか」

「あんな目に合わされたのに処罰するのはどうかと検事も思ったんじゃないかな。起訴を

猶予する判断かもしれないね」

「それでいきなり俺か。でも警察が水商売の俺を信じるかな」

「尚ちゃんの父親と親友ということにすればいいじゃない」

「会ったこともないのに親友かよ」。私は笑った。

「尚ちゃーん、この人、尚ちゃんのお父さんが大嫌いだってー」

「おいおい、ちょっと待てよ」

「子供みたいなことを言うからよ」。理恵はそう言って私の足を強く踏んづけた。

「一か月も匿(かくま)う場所なんて思い当たらないよ」。鈍い痛みを堪(こら)えながら、

甲斐さんの部屋は絶対に駄目だぞと先回りして念を押した。

「それくらい分かってる」

「俺の家も無理だな。こっちの居る場所がなくなる」

「私は三人が住む家の話をしているの。あなたの居場所はあなたが考えなさいよ。スモウみ

たいに車宅(しゃたく)暮らしも楽しいんじゃない?」

理恵がまた足を踏んだ。今度はさっきより長かった。痛くはないがわざとしかめ面をして

みせた。でも理恵は足を重ねていることなどまるで知らないような顔をしている。それを私

はよろこぶと同時に、何年も前に読んだ本に、四角いテーブルに男女が向き合って座ってい

る場合は対立または未だに他人で、丸いテーブルに並んで座っているときは肉体関係も含め

て深い仲だとあったのを思い出した。

「それに、いくら日本語が話せても、蛇やトカゲを食べたいと言われたら困るじゃないか」

「あなた、殴られたいの?」。理恵が肘打ちをする仕草を私に向けた。

「ひょっとして外国に一度も行ったことがないとか?」。

「ないね。俺の年代ならそれが普通だよ」

「なに言ってんの。その年で海外に行ったことがないなんて、まともじゃないわ」

Page 158: Bar納屋界隈ver 3

「だったら日本はまともじゃない中年だらけだ」

「そういうこと。そしてあなたもその一人」

「海外には若い人が目を向けるんだよ、いつの時代でも」

「あのね、一度しか言わないからよく聞きなさいよ。半世紀近く生きている人と若い人と、

外国に行く機会はどちらが多いと思う?

外国のニュースにどっちがたくさん触れてる?

あなたたちでしょ?

なのに、パスポートも持たずに世界をあれこれ言っている」

「それはそうかも知れないがね、日本だってずいぶん広いんだよ」

「そう、あなたたちは必ず、日本も広いから国内のあちこちを見るのが先と言う。でもそ

れは、引きこもりが、家の中もまだまだ広いと言って外に出ようとしないのと一緒じゃない。

大人が引きこもりに有効な手が打てないのは、自分たちも同じだからよ」

「ずいぶんな言われ方だな」

「そんなだからカンボジア人を世話する話が災いになるわけ。引きこもっている部屋の窓が

開くことが怖いのよ。外に出るせっかくのチャンスなのに」

「三人を預かる相談が、どうしてそこまで責められる話になるんだ」

「預かるのは当然だからよ。私は今、それに感謝するのはあなたのほうだと言いたいの」

「尚美さーん、理恵ちゃんをどうにかしてくれよ」。しかし尚美は料理の手を休めず、「理

恵さんのお願いなら何でも聞くんでしょ」と笑っている。

「じゃあこうしよう。理恵ちゃんの部屋で暮らしていいなら俺の家を貸す。これで俺の引き

こもりも終了だ」

理恵がゲンコツを振り上げて睨みつけた。しょうがないので、効くかどうかは分からないが、

先ほどから胸に秘めていた一言を放った。

「分かったよ。俺が何とかすると久留米署の津下さんに伝えておいてくれ」

確実に効いた。呼吸することも忘れたみたいに二人の動きが止まった。

「どうして津下さんを知ってるの!」

「俺はバーのマスターだ」。ついにこちらが一本取った。いや、取られたのか?

「やっぱり理恵さんの見込んだ人だけあったね」。驚きの余韻が続く中で尚美は胸をなで

おろしたようだった。理恵は怪訝な表情のまま、「逮捕はたぶん朝いっせいにあると思う。ジ

ワット君たちも警察に連行されて、最後の取調べを受けたあとこっちに移送されるはずよ。

三人がパニックになって逃亡することはたぶんない」と言った。

料理ができあがり、私と理恵は足を離してクリームパスタとサンドイッチを食べた。味はま

あまあだったが、これでは金は取れないだろう。しょせんは女子大生の腕前だ。それでも私

は舌鼓を打ちながら、逮捕に至る概況を聞いた。

告発文は福岡県警と福岡労働局、福岡入国管理局に郵送され、カンボジアの日本大使

館にはEメールで送られた。所轄に送らなかったのはもみ消されるのを防ぐためである。

Page 159: Bar納屋界隈ver 3

反応はすぐにあり、日本大使館からはその日のうちに二等書記官からメールが届き、「も

し事実なら日本の法律で正しく罰せられるべきであり、警察の捜査に期待する」とのコメン

トのほかに、日本大使館がカンボジア人にビザを発給する手順にも触れてあった。労働局か

らは翌日、椙野(すぎの)という担当者が電話を寄こし、「管轄の久留米労働基準監督署に

当人が出向いて事実を申告してほしい」、入国管理局からは二日後に、審査部の権藤とい

う男性が電話で「あとはこっちが引き受けます」と連絡があった。久留米警察署の津下外事

係長も尚美に電話で、「県警からファックスが届きましたが、暴力行為は訴えがあれば捜査

します」と伝えてきた。しかしどの返答も遠巻きだと尚美は感じ、これでうまくいくのだろ

うかと思ったらしい。すぐに動くとは誰も言わなかったのである。

事態は遅々として進展しないように思われた。労働局に進捗を問い合わせても「本人が

久留米労基署に申告してくれれば動き出せる」の一点張りで、久留米署も洋司の暴力行

為についてしか触れず、入国管理局は沈黙を続けている。その間もカンボジア人三人の過酷

な労働は続いていた。ヨットが高熱のため医者に行きたいと洋司に頼んだが、「でもお前は立

っているじゃないか。歩けるうちは働け」と言われ、「お前らは、俺のストレスを捨てるゴミ箱」

とも言って、日本語があまりうまくないワットゥに特に狙いを定め、彼らの祖国を罵り続け

ることもあるらしかった。まさしく三人は地獄の中におり、家に戻っても朝になるのが怖く

て三時間くらいしか眠れない日が続いていた。

やはり当人が久留米労基署に出頭するしかないと、尚美と理恵は日本語の一番上手な

ジワットに、「このまま我慢しても一生の恥になる。でも勇気を持って訴え出れば、いつか胸

を張って話せる日が来る」と伝えた。意外にも彼は素直に応じ、久留米労基署に申告した

いと言った。それは後輩を同じ目に合わせたくないとの強い気持ちから生じた決意で、「後

輩に信じてもらえなくてもいいし強制帰国させられても構わない」とも言った。あとの二人

はまだ慎重で、ジワットの様子を観察する立場を崩さなかった。

久留米労基署には尚美と父親が同行した。二人の監督官が別室に案内し、井出田主任

監督官が開口一番、「日本の法律は日本人と外国人を区別しませんから安心してください」

と言い、それを聞いて安心したのかジワットはぽつりぽつりと話しはじめた。二時間に及ぶ

訴えを監督官はメモを取りながら辛抱強く聞いたが、やはりジワットは権力を前にして、

普段の半分くらいしかしゃべれず、悔しさのあまり声を詰まらせて涙ぐみ、監督官から「大

丈夫、大丈夫」となだめられる場面も幾度かあったらしい。申告のあと監督官はジワットが

書き綴っている日記や身分証明の類、そして尚美の父親の運転免許証のコピーを取った。そ

して解決の目処については、やはり「いつになるか分からない」としか言わなかった。

労基署への訴えが終わったあとも解決の兆しはなかった。実際には福岡入管と労働局、県

警は連携して捜査を進め、チマキングからマルテックに送金の事実があることも確認していた

が、極秘裏に捜査されたため、何らの変化も訪れないヤキモキした日が続いた。

Page 160: Bar納屋界隈ver 3

やがて三人は、やはり日本の法律は自分たちを守ってくれないと思うようになり、ジワッ

トを残してほかの二人はカンボジアに帰ると決めた。今なら自由に帰国できるから、飲まず

食わずで帰国費用を貯めると言い出したのである。「もう関係ない。どうなってもいい」。ヨッ

トとワットゥは言った。その横でジワットは黙っている。尚美と理恵の言葉による励ましは限

界に来ていた。

時を同じくして津下刑事から尚美に、三人と話したいと電話があった。尚美は三人の心

境を伝え、どんなことがあっても帰国を思いとどまらせてほしいと頼んだ。

非常に愚かなことに、矢崎社長はジワットに携帯電話を渡していた。どうせ何もできない

だろうとの油断がそうさせたのである。しかし三人は日本にいるカンボジア人と連絡を取

り合って、小規模ではあったがネットワークを築いていた。その中には坂今を知っている者も

多くいたため、彼らを通じて「さる先生」の悪行がカンボジアに伝わった。

津下刑事はある日の深夜に三人をファミリーレストランに集め、今の状況はもうじき解決

されると約束し、翌週から個別に久留米署に呼んで調書を取り始めた。三人の目にも、仕

事中に遠くから彼らの働く姿を誰かが写真に撮っているのが目撃され、それが二人の帰国

を思いとどまらせた。「スモウが捕まるのを見たい」とワットゥは言った。またジワットは福岡

の労働局まで出向いて実態を報告した。このような当局との接触を通じて三人は、津下刑

事や取調べに当たった部下に絶対的な信頼を置くようになった。以降、三人が何らかの決

断を迫られた際、「津下刑事を困らせないこと」を判断基準にしたという。それは、日本の

権力構造が弱者の訴えを利用して金品をせびるようなことはしないという、カンボジア人の

理想が具現化された状況とも取れるし、津下刑事をはじめ捜査担当者が紳士的だったこ

ともあるようだ。でも当局のそのような振る舞いは、告発者が日本人であることに因(よ)

るのかもしれなかった。民は主(あるじ)であるという主義を日本は採用しているから、告発

者の存在がいつも心のどこかにあったはずだ。ただしこの時点でも入国管理局は三人と接触

を持たず、捜査の状況は県警と労働局だけから尚美に報告されていた。その理由を察する

に、入管がジワットらに会ってしまうと不法就労と不法滞在を見過ごすわけにいかず、直

ちに国外退去の処分をせざるを得なくなるので、そのことが県警の捜査を妨害することに

つながるのを考慮したとも思われたし、ジワットらに違法な就労ビザを発給した挙句に十

か月間も放置していたことへの対応に苦慮しているのかも知れなかった。

さらに多くの日が過ぎ、尚美の家に津下刑事が訪ねてきた。尚美と両親を前に津下は、

告発者への最終報告だと言って、十日以内に四人が逮捕されてマスコミを大きく賑わすだろ

うこと、入管も労働局も県警もジワットらに同情的だが、不法就労の事実は消えないので

何らかの処分があること、しかし捜査に積極的に協力してくれたので逮捕も拘留もされな

いこと、したがって刑事裁判の見通しがつくまで三人を保護する民間人を必要としているこ

とを伝えた。

「まるでテレビドラマだな。しかも理恵ちゃんが担当だとはねえ」

Page 161: Bar納屋界隈ver 3

「尚ちゃんが電話してきたからよ。うちの新聞を購読してくれてるから」

実際には、新聞社に連絡するよう尚美に助言したのは彼女の父だった。娘が後に引かない

と知り、これ以上暴走させないための策だった。

「今までに刑事事件を扱ったことは?」

「今回が初めて。でも女の記者がいいだろうと本社も判断したみたい」

「カンボジア人は最終的にどうなるんだ」

「かわいそうだけど強制帰国になると思うよ」

五十九

「それでこっちに話が回ってきたんだな」

「ごめんね」

この町と久留米とのあいだには冷水峠という険しい山越えがある。直通の鉄道もなく、山

のずっとむこう、といった観がある。

「理恵ちゃんの頼みだからなんとかするけどね、マジでほかに誰もいなかったのか?」

「いるよ。大勢いる。尚ちゃんよりも先に三人の状況を知っていた日本人は九州だけでも十

人以上、東京や大阪にはもっといるみたい。三人がカンボジアで知り合ったやさしい日本人

たち。カンボジア大好きNGOみたいなのとかね。ジワット君たちが電話で実情を訴え続け

ていたのよ」

「どういうこと?

そいつらは助けてくれなかったのか?」

「三人を哀れんで長崎の花火大会や北九州のスペースワールドに連れて行って、広島の原

爆ドームも見学させたみたい。お寿司や焼肉を食べさせてくれたり熊本の温泉に行ったり

とかね。三人の家まで来て料理を作った女性もいたって。でも仕事に対してはみんな励ます

だけで、自己責任だと断じた人もいたんだって。あとはせいぜい、三人の前で坂今を罵るく

らいかな」

「そいつらも最低じゃないか」

「うん、最低。だって三人を励ましたら誰がよろこぶの。おいしいものを食べさせたら誰が

助かるの。旅行させたら誰が笑うの。もっとジャンジャンやってくれってことでしょ。だったら

三人の代わりに働いてやればよかったのよ」

「結局は地獄を長引かせただけのことだな」

「その人たちが救援を求める手を払い除けたことが解決を長引かせた要因の一つではあっ

たでしょうね。そんなだから尚ちゃんに会うまで、がんばれない自分たちが劣っているのだ、

となっていたわけ。坂今たち四人は地獄を作ったけど、そこに落ちたジワット君たちの上か

ら蓋をかぶせたのは、カンボジア大好き日本人ってことよね」

「でもそいつらに悪意はないんだろうなあ」

「警察もそこをとても警戒していて、今の状況を絶対に知らせるなとジワット君たちに言

Page 162: Bar納屋界隈ver 3

っているみたい。解決しそうだと知ったら何を始めるか分かったものじゃないからね。支援者

の顔をして押し寄せたり、坂今に抗議や忠告をしたりして捜査が発覚するとかね」

「なるほど、やりそうな話だな」

「苦しいフルマラソンを最後まで走らせておいて、ゴールしそうになると並んでテープを切

るような人たちなのよ。そして記念写真は走者よりも大きく写ろうとするの」

「うまいたとえだなあ」

「ほかの取材でもそんな人たちを大勢見てきたからね」

「それにしても悪い日本人がいるものだな」

「でも、動機がまだ不明らしいの。チマキングがマルテックに払っている額は三人の社会保険

料程度で、社長のホウは儲けていないみたいだし、坂今はそのどちらとも金の受け渡しがな

くて、警察は首をひねってる。逮捕すれば分かることだけど」

ドアを誰かがガタガタ揺すった。開けてみたら兄ちゃんだった。額に汗を浮かべている。彼

を招き入れて尚美の作ったサンドイッチを出してもらった。女子大生を前にして兄ちゃんは

照れ、黙ってそれを口に運んだ。

さらに幾日かが過ぎた。例年になく暑い夏が終わって秋の気配が濃くなった。空には鱗雲

がたまに現れた。

津下刑事から電話があった。いつぞやはどうもと挨拶し、小早川さんと親しいらしいです

ねと彼は言い、このたびは感謝しますと述べて、三人の住む場所は決まりましたかとたずね

たので、この店の家主が離れの一室を貸してくれることになったと答えた。

「一人暮らしの未亡人なので何かと好都合でしょう」

安堵が電話の向こうから伝わってきた。私は時枝さんの住所と電話番号を教え、こっちに

連れてくる前の日に連絡してほしいと頼んだ。津下刑事は了解したあと、「ところで」と前

置きし、「九北新聞の女性記者さんに知り合いはいますか」と聞いた。

「知りませんねえ、うちは新聞を取っていませんから。それがどうかしましたか」

ひやりとして心臓が早鐘を打ちはじめた。

「あの新聞社にかなり情報が漏れていましてね、そちらに行くかもしれませんので気をつ

けてください。まだ三人は処分保留の身ですから」

「久留米の記者ならここを気づかないですよ、たぶん」

「ところがそちらの支局なんですよ」

これはカマをかけているのかなとの思いが沸いた。

「三人は家から出さない方がいいんです?」

「いえ、自由にさせて構いません。ただしどこにいるかは把握しておいてください」

ではまた後日にと言って電話が終わった。

時枝さんは快諾してくれていた。離れに広い部屋があるから遠慮なく使ってくれたらいい

Page 163: Bar納屋界隈ver 3

と言った。台湾から引き揚げた夫が本土で苦労したこともあってか積極的ですらあった。で

も隣近所に言い触らされては困るので、事情は大まかに説明しておいた。

津下刑事から連絡のあった二日後にマサミアートの園田君が電話をくれ、明日の夕方に

ささやかな持ち寄りパーティをやるので参加しないかと誘われた。誰かの誕生日らしく、

飲み物と食べ物は各自が持参する集まりだそうだ。納屋の開店時間と重なるが、すぐに客

は来ないだろうから顔を出すことにした。店は八時ごろ開けてもいいだろう。たまにこんな

ことがあって、ようやく普通の店になるのだと勝手に決め付けながら、理恵記者と小早川

尚美がカンボジア人三人の話を持ち込んで以降、なんとなく納屋がぎくしゃくし始めたよ

うに思い、あたかも自転車のチェーンが外れる直前にペダルがカクカクと空踏みし始めるよ

うな感覚に見舞われてもいた。

六十

電車で二駅、無人の浦田駅から線路沿いの県道をマサミアートまで歩いた。田んぼにセブ

ンイレブンができていた。パナソニックの店も建っている。緑色がつぶされて便利になっていく。

手提げのビニル袋にはデッドストックのコロナビールが七本、それにレモン一個とスナック菓

子一袋。どんなパーティか知らないが、一人に一本ずつ行き渡ればいい。酒を飲まない人も

いるだろうし。

久しぶりに訪れたマサミアートは、玄関にも廊下にも園田君の作品が飾られ、作業場だっ

た奥の一室もショールームに作り変えられて、そこにも鉄で作った大小の作品が並べられて

いた。アイアンアート以外にも、いろんなアーティストによるステンドグラスや油絵や陶芸や

木彫品が陳列され、写真や切り絵もあった。私の見知っていた看板屋は跡形もなくなって、

小さいながらも立派なギャラリーに作り変えられていた。

十人以上が集まっていた。互いに見知っている間柄のようで、二人か三人のグループに分か

れ、壁に掛かった作品を見ながら会話したり、椅子を寄せて世間話をしたりしていた。参加

者の中では私が最高齢らしかった。

看板屋の園田君がアイアンアーティストに変身する萌芽は昔からないわけでもなかった。

私がここの二階に暮らしていたころ、彼は看板業で生活しながら、鉄板や丸鋼を切ったり曲

げたりし、それに亜鉛めっきを施したり彩ったりしてユニークな作品をいくつも完成させ、国

内のコンクールで賞をいくつも受賞していた。彼の作る看板にはアート心が生かされて、ふち

取りに独特の装飾が施されたものも多く、それが発注者をよろこばせて次の客につながる

ことも多々あったようだ。しかし今夜、本当に久しぶりに来てみて、看板業はやめたことが

分かった。何かのきっかけで彼は自分の創作物を、デザインからアートに飛翔させたのだ。

私の考えでは、デザインというものは伝承可能な、いわば学問のようなところがある。た

とえば「色彩学」というのがあったとすると、そこには色の組み合わせのルールが存在するか

ら、それを学べば、美に富んで安定もしている色使いができるようになる。デザイナーはそ

Page 164: Bar納屋界隈ver 3

ういった世界を扱っている。それに対してアートというのは、伝承が不可能な、学問に収ま

りきらない、新規性に富んだもの、ということになる。したがってアートは、製作者以外の目

には、不安定で奇妙で、すぐには受け入れがたい印象を与えることがある。むろんデザイン

とアートはかなりの部分で重なり、優れたデザインは非常にアート的で、優れたアートも

また、デザインとしてもすばらしい。

私が過去に最もアートを感じたのは、大阪の万博記念公園に今もそびえる太陽の塔だっ

た。あの不思議な存在は私を不安な気持ちにさせた。一九七〇年に開催された大阪万博

は「人類の進歩と調和」がテーマだったが、シャマンの土偶をイメージさせる太陽の塔は進歩

と相容れず、調和を乱すばかりでまったくメイン会場にそぐわなかった。

しかし今、半世紀近い歳月を経て当時のまま残されている太陽の塔は、人類の行き着くべ

き先を象徴的に表しているように見える。回帰と調和に向けて大きく舵を取ることへの示

唆を秘めているように思われるのである。だから太陽の塔はいつまでも新しい。

日本全体が今よりもずっと将来に夢と期待を抱いていた当時、ずいぶん多くのデザイナ

ーが輩出された。まったく新しいデザインが次々に発表され、たくさんの人々に好意を持っ

て迎え入れられた。しかし現在、斬新だったデザインのほとんどが時代の波に消えた。それ

らは時代を彩り、あるいはほんの少し先を示すことはしたが、それ以上をやれなかった。な

ぜならデザインは時代から突出することができないのだから。

デザインはそのうち役目を終えるものだと私は思う。デザインは齢を取る。そしてアート

は、役目自体がないゆえに齢を取らない。時代をつきぬけ、岡本太郎の言葉を借りれば爆

発し、その現象がのちに整理されて残滓の一部がデザインの世界に取り入れられる。その

ようなことをパーティが始まるまでのわずかな間、陳列された作品を見ながら感じ、あるい

は思った。

そろそろパーティを始めましょうと園田君の妻、寿恵さんの呼びかけで、ショールームに並

べられたテーブルに皆が集まった。私以外の参加者は十二人いて、男は園田君と私、それに

若いジャマイカ人ハリーの三人だった。酒を飲まないのはハリーだけだったのでコロナビールは

取り合いになり、ジャンケンで決める羽目になった。園田君が私のことを、「ここの二階に住

んでいた不思議な人」と紹介して笑いを誘い、ほかの参加者についても一人ずつ簡単に説明

していった。マサミアートに作品を展示している女性が三人おり、そのうち二人は月に一度

ここで教室を開き、何人かの生徒がいるらしかった。あとの一人は数日前にフランスから帰

国した写真家で、あさって夜行バスで郷里の京都に帰る予定でいた。寿恵さんが私の右にハ

リーを座らせた。彼は日本語がほとんどしゃべれなかったので、私の隣に座らせておけばど

うにかなると思ったようだ。

ハリーは無言でコーラを飲みながら鶏のから揚げばかり食べ、私と目が合うと黒い顔に白

い歯を見せて携帯電話を取り出し、私の方に向けて見せた。生まれたての赤ん坊の写真が

あった。「My son

」。僕の息子です。「Lovely son

」。かわいいじゃないか。英語を話したのはこ

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れが初めてだった。「Are you m

arried?

」。結婚しているのか?

「Yes

」。

赤ん坊は色が白かった。日本人とジャマイカ人のハーフだなと言うと、「Bat his P

assport is

full」。でもパスポートは日本人百パーセントですよと笑った。なかなかうまい返答だ。「Sure

」。

たしかにね。私もうなずいて笑い返した。「W

hat's your father's job?

」。お父さんはなにをや

っているんだ? 「Architect, not carpenter

」建築家。大工じゃないよ。

私の席と反対の方で歓声が上がった。眼鏡をかけた小柄な若い女性が、まるで相撲力士の

ように腰を落として、両手を交互に前に出しながら歩いている。それを見てみんなが笑い転

げているのである。ワインを注ぎに来た園田君にたずねると、あれは井藤という毎日新聞の

記者で、今日が彼女の誕生日のためパーティを開いたのだと言った。今やっているのは炭坑節

の踊りだが、岩手県出身の彼女には難しいようで、あれじゃまるでロボットだと園田君は笑

った。井藤記者はマサミアートをずいぶんひいきにし、展示会を何度も地方版に載せている

そうだ。私はそれを上の空で聞いていた。理恵の言う毎日新聞の記者は彼女かもしれない。

距離を置く方がよさそうだった。

ロボット的炭坑節が拍手の中で終わってちょっとした静寂が戻り、寿恵さんがハリーにジャ

マイカの歌をリクエストした。ハリーの家系には音楽家が多く、彼の母もプロの歌手で、ハリー

自身も歌手を目指していると寿恵さんが紹介した。ぜひ聞きたいと全員が言い、それでハリ

ーは照れくさそうに皆の前に立ち、小型の赤いカセットデッキからジャマイカの音楽を流し

て歌い始めた。歌手志望の彼にすれば歌う環境どころではなかったろうが、しかし聞く側に

してみれば、これほど素晴らしい歌に出会ったことは滅多になかった。歌い始めたとたんに

空気が一変し、ジャマイカに行ったことがないのに、ジャマイカの風に吹かれ、波しぶきが顔

にかかり、遠くに山々が霞み、決して豊かとは言えない生活と、本当に豊かな文化が、彼の

歌声に乗って伝わってきた。歌唱力のすごさとはこういうことを言うのである。

歌が終わり、ため息の聞こえる中を彼は私の隣に戻ってきた。そして何事もなかったよう

にまたコーラとから揚げを口に運び始めた。ハリーの横顔を見ながら岡ちゃんが納屋で踊っ

た時のことを思い出した。それで何かが私の胸中に沸いたわけではなく、めずらしい体の動

きを見たことがあったという程度のことだった。

そこにまた園田君がワインを注ぎに来たので、ハリーの歌を絶賛した。園田君の話では、あ

る日ハリーがやって来て、ここで働かせてもらえませんかと頼むので、週に一度か二度、マサ

ミアートの仕事を手伝わせているそうである。二十二歳になったばかりのハリーには、生命

保険の外交をしている年上の日本人妻がいるが、ハリーが働いていることを快く思っていない

らしかった。ご飯は食べさせてあげるから家にいなさい、出かけていいのはコンビニだけ、と厳

しく命じているという。ペットのつもりか、という言葉を私は飲み込んだ。

そろそろ納屋を開けた方がいい時間になったので園田君にそれを告げ、トイレにでも行く

ような顔をして席を立った。井藤記者のそばを通った時、彼女はちらりと私を見たが、何か

の話に夢中になっていて、すぐに話題に戻っていった。

Page 166: Bar納屋界隈ver 3

六十一

一人か二人の客は来たかもしれなかった。

灯りを点けた。店内はひんやりし、私の帰りを待ちかねていたようだった。エアコンをいれて

換気し、Roberta F

lack

のKilling M

e Softly with H

is Song

を聞きながら、遅い開店準備に取り掛か

った。ラップで包んだアパカパールの晩飯は白粥。今夜はずいぶんシンプルだ。ゆで卵が二つ付いてい

て、メモに「東南アジアのどこかで食べたことのある塩卵です。タテに二つに割って、スプーンですく

っておかゆといっしょに食べてください。たぶんイケますよ」とあった。どうなんだろうと思いなが

ら包丁で殻の上から軽く叩いて二つに割り、ちょっと食べてみると黄身も白身も塩が効いている。

メモの通りに冷えた白粥と一緒に食べてみた。なるほど、これはうまい。粥と塩と卵。それがこん

なにおいしいのだ。ゆで卵をどうやれば上手に塩漬けできるのか、今度ぜひ聞いてみよう。

甲斐さんの部屋の入口にあるマンゴスティンの木がカンボジアから持ち帰った種から育った

ことを思い出し、CDケースからカンボジアの音楽を探し出した。全部で八曲、Lam

leav

かChok K

om P

eus

、Rom V

ong

などと書いてある。どうにか発音できそうだが意味が分から

ない。でもこれは三人を楽しませるだろう。そう思って試しに聞いてみた。

男女が交互に歌う曲が多かった。軽快な曲もあれば緩やかな曲もある。楽器もキーボー

ドから古風な弦楽器まで様々だった。それらを順番に聞きながらマンゴスティンの木にちら

ちら目を向け、白粥と塩卵を口に運んだ。ほんの瞬間だが納屋が別の場所になった。

大阪で働いていた二十歳のころ、池田君が京都大学に行こうと私を誘った。何かの集いが

あるらしい。彼は鉄道高校を出て私と同じ会社で働いていた。私は旋盤を回し、彼はコアに

コイルを巻いていた。京都に行くことはあまりなかったし、大学の門をくぐったこともないの

で、彼について行った。

大きな講堂に若者が大勢集まっていた。リーダーらしき学生が前に出て、カンボジアが大

変なことになっていると言った。内戦が起こって大虐殺が行なわれているという。ポルポトと

かイエンサリ、シハヌーク国王という名前が出た。クメールルージュという言葉もあった。「連

帯」とか「団結」とかの言葉を織り交ぜながら、ポルポトの蛮行を非難したが、それでどうな

るわけでもなかった。私には何のことか分からなかったし、分かったところでどうもできない。

日本政府ですら解決の手立てはなかっただろう。

私の娘が食事を食べ残した時、「カンボジアの子供は食べる物も満足にないのに」と叱ったこ

とがある。ポルポトの大虐殺から逃げ延びた人の子供が成長して日本で酷使され、もうす

ぐ私を頼って来るのである。

店の電話がけたたましく鳴った。理恵からだった。腹立たしそうな口調で「今まで何をして

いたの」と言った。何度かけても出ないので心配していたそうである。

Page 167: Bar納屋界隈ver 3

「客のパーティに呼ばれていたんだよ、何かあったのか?」

「逮捕の日が決まったの。十四日の朝八時。逮捕者は予定通り四人。矢崎兄弟とサルとホ

ウ。罪名は入管法違反と不法就労助長罪」

「三日後か」

「こっちは逮捕当日の朝刊に載せてもいいか飯塚署と交渉中。それが無理でもガサ入れの

時に四人のコメントを取りたいと申し入れてるの。そのあと即逮捕。それでも夕刊に間に合

うし、警察発表は午後になるから、他社は翌日の朝刊になるでしょうね」

「九北新聞のスクープになれば理恵ちゃんの株が上がるね」

「でもここで油断しちゃだめなのよ。最後まで何があるか分かんないから」

「こっちはどうしてりゃいい?」

「普段通りにしていて。ジワット君たちも逮捕されるんじゃないかと私はまだ疑ってるし」

「分かった。連絡を待ってるよ」

「今夜は何時までいる?」

「いつもと同じくらい。開けるのが遅かったから客足はどうかな。こっちに来る?」

「分かんない。でも電話はする」

「OK、待ってるよ。そっちもがんばって」

「ありがとう」

電話が切れてまた鳴った。何か言い忘れたかと思ったら園田君からだった。今から納屋で

パーティの続きをやる話になっている。もつれた舌でそう言った。横から寿恵さんが「百人の

予約でーす」と叫んでいる。背後では笑い声や音楽がやかましい。人数を尋ねると「行けば

分かりまーす」。すでにかなり酔っている。

パーティの続きというからには井藤記者も来るに違いない。そして十五分後、タクシー二

台に分乗して六人がなだれ込んできた。園田夫妻と井藤記者、そして三人の作家である。

何が楽しいのか笑いずくめで、倒れ込むようにテーブルに着き、みんなが落ちつく音楽をか

けてくれと言うので、Righteous B

rothers

のUnchained M

elody

を流し、店からのサービスだ

と言ってお冷やを出した。最初に水を出すバーなんてどこにもない。

「ここは何年か前、九北さんに載りましたよね」。いきなり切り出された。やはり記者は侮

れない。彼女が出した名刺には井藤葉菜とあった。

「そんなことがあったみたいですね、前任者の時だったか、あるいはその前だったか」。名刺

をポケットに入れ、ワインのコルクを開けながら無関心を装った。

「たぶん名物マスターがいなくなった直後じゃなかったです?」

ドキリとしたとたんにポンと栓が抜けた。

「さあ、そうかもしれませんね、なんかゴタゴタしていたみたいだから」

過剰な反応も、無関係を過剰に示すのも禁物だ。私はコルクを園田君に渡し、六つのグラ

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スに均等にワインを注いだ。そしてクッキーを皿に入れて出した。

「そのころに間違いないですよ、アパカパールのオープンと重なったから覚えているんです」。小

さな乾杯のあと井藤記者がそう説明した。

「私がここに入ったのは、そのずっとあとですよ」

「でもカクテルを教えてたりはしてましたよね」

「酒飲みの道楽ですよ。毎晩ひまだったし」。やけに詳しい。冷や汗が出そうになった。

「そのころ、うちの川津がここの客だったんですよ。今は小倉にいますけどね」

「男のお客さんは覚えてないですね」。その言葉に彼女は笑った。

記憶になかった。影のように飲んでいたのだろう。

「川津さん元気にしてる?」。園田君がたずねた。

「うん、たまに戻ってくる。私と追っかけてる事件があるから」

「どんなの?」

「不法就労関係」

「川津さんは中国語ぺらぺらだからね」

「葉菜ちゃんもここを紹介してあげてよ」

園田君の横槍は余計だった。今この店に注目されては困るのだ。

「フランスのカクテルはないんですか」。写真家がたすねた。この横槍は助かった。「赤ワイン

を温める飲み方がありますが、もったいないから私は作りませんね」。すると別の女性が、

日本のカクテルはあるのかとたずねるので、「グラスのふちを砂糖で巻いた雪国か、口当たり

の強いカミカゼを飲んでみますか?」と聞くと、もう充分に酔っぱらったので、味が分からな

いだろうと二人は言った。そこで私は「今の皆さんには美しい曲が似合いますよ」と言って、

The P

latters

のOnly Y

ou

とか、Sm

oke Gets In Y

our Eyes

、あるいはN

at King C

oleのF

ly me

to the moon

やStardust

を流した。

客をうまくあしらうには、まず沈黙、客の自慢話には相槌だけ打ち、話に乗る時は酒か

客の趣味、あとは野球とサッカー。政治の話は禁物だ。地域の話も、人の名前を出すのは避

けた方がいい。褒めたつもりでも「バーで盛り上がっていた」では誰もうれしくない。

井藤記者は寿恵さんとしゃべり続けている。あとの女性三人もなにやら話に夢中だし、

園田君は目を閉じて眠っているように見える。そろそろパーティは終わりだ。

また電話が鳴った。理恵からだった。園田君が目を開けて腕時計を見た。

「そっちに毎日さん行ってるでしょ」。しかし返事のしようがない。

「あいにく貸し切り状態なんですよ」

「やっぱりね」。理恵は笑っている。

「余計なことは言ってないよね」

「ええ、大丈夫ですよ、明日でしたら」

Page 169: Bar納屋界隈ver 3

「明日また電話するね」

「ありがとうございます。席は押さえておきます」。そう答えてメモ用紙に人数と名前を

適当に書き、壁に留めた。

タクシーの停まる音が聞こえた。二台来ていた。園田君が勘定を済ませ、一台に園田夫婦、

もう一台に井藤記者ら女性四人が乗った。私は深々と頭を下げて出発を見送った。あわた

だしくてスリリングな夜がようやく終わった。店に戻った私はB

ob Marley

のNo M

ore

Tro

uble

を聞きながら店の片づけを始めた。

六十二

好きな人にいくら寄り添っても、相手の心の中に入れてもらえなければ、そばにいない

のと同じ。その悲しみから逃れたければ、相手を自分の中に入れることである。そうす

れば永遠に相手はあなたのそばにいてくれる。

約束どおりに理恵から電話があった。私のアパートに早朝かかってきた。いきなり「携帯電

話なんて持っていないんでしょ」と言った。なくても困らないと答えると、「昨夜みたいなこと

があってもまだそんなことが言えるの?」と言われた。「それとも固定電話を頭に乗せて昼

の仕事をするつもり?」とも言われた。「当局はあなたの生活に合わせて連絡しなくちゃい

けないの?」。そして最後にこう言った。「この機会を逃したら携帯電話を持つチャンスは二

度と来ないわよ」。またそれだ。

午後一時にアパカパールで理恵と待ち合わせた。今日でなければだめなのだそうだ。私が少し

早く到着して冴さんから塩玉子の作り方を聞いた。大き目の容器に濃い食塩水を作り、そこに生

卵を二週間ほど浸けておけばいいだけだった。卵は浮くのでたまにかき混ぜる。比重の違いで卵の

中の水分と塩水が入れ替わるのである。なるほど合点がいった。そこに理恵が来た。私との待ち合

わせと知って冴さんは不思議な顔をした。今日のメインディッシュはハラル・チキンの串焼きだ。

「携帯電話を持とうと思ってね。それで店を紹介してもらうんですよ」

ああ、なるほどと冴さんは納得し、今まで使ってなかったことに驚いた。

「三人は十四日のことを知ってる?」。チキンの串焼きを食べながら小声で聞いた。理恵との間に

秘密があるのはうれしいことだ。ちょうどFMからR

ichard C

layderman

のBalad

a Para A

delina

が静かに流れ、私たちを祝福しているようにも思えた。

「言ってない。だってサルやスモウに、お前たちはもうじき捕まると言われたらぶち壊しじゃない。

数時間あれば証拠を隠滅できるだろうから」

「それもそうだ」

「NHKと共同通信社も感づいたみたい。福岡のNHKが飯塚市役所の建物を撮りはじめてる」

「テレビに出るほど大きな事件?」

「ITビザの悪用事件としては日本で初めてかな」

Page 170: Bar納屋界隈ver 3

「ところで昨夜はなぜ毎日新聞がいると分かった?」

「葉菜ちゃんから電話があったの。今から納屋に行くから来ないかって」

「親しいの?」

「同じ地域の担当だから、大抵どこでも会う。彼女は有能な記者よ」

「川津という記者と二人で今回の件を追っているみたいだったけど」

「あっちは全国版にも載るはずよ。うちは県紙だからそこは勝てないな」

「理恵ちゃんの動きを知らないのか?」

「警察に圧力をかけていれば、その時点で気づくはずよ。私を誘ったのはそれもあるかも」

ハラル・チキンのお味はいかがですかと冴さんが聞いた。スパイスに臭みがなくて食べやすいですと

理恵が答え、「ムスリムはよく来るんですか」とたずね返した。

「たまにインドネシア人の夫婦が来ますよ。国立工大の学生とかIT技術者として働いている人

とかね。この町でハラル・フードが食べられるのはうちだけですから」

「ハラルってなに?」。そう理恵にたずねた。

「イスラムの儀式で殺した動物の肉ですよ。食べてもいいという意味で、食べていけないのはハラム。

うちは博多から取り寄せています」。冴さんが代わって答えた。

「この町にITの会社がいくつかあるけど、外国人の技術者は多いんです?」

「それは知らないけど、うちによく来るのはマルテックという会社の人ですよ」

理恵の顔がこわばった。しかしすぐに消えた。

「じゃあ社長も食べに来るんでしょうね」

「いえ、来たことはないですね。社長はマレーシア人だから中国系かも知れないです」

話はそこで終わり、私たちは店を出た。ありがたいことに勘定は理恵持ちだった。

車に理恵を乗せた。彼女の自転車はバナナの木の陰だ。

「さっきはびっくりしたね」

「俺も。でも社員の方がもっと驚くだろうな」

「会社ぐるみの可能性もあるわね。ビザの手続きはホウがしたわけじゃないだろうし」

カーラジオから素朴な音楽が雑音を引き連れて流れていた。

「今日は運がいいな。アイルランドのフォークソングよ」

たしかにきれいだった。Teddy O

'Neill

という曲だそうだ。

「ピアノが弾けたらと思うことがたまにあるよ。音楽の授業は2か3だったけど」

「今から習えばいいじゃない。ピアノを買いに行くなら付き合ってあげてもいいよ」

「冗談だろ」

「ほら、そうやって可能性の芽を自分で踏み潰す。自分の気持ちは尊重したほうがいいわ」

「一念発起するかな」

「それよりも、ようやくたどり着いた、の方がいいんじゃない。小学生でも決心できる程度

のことだから一念発起は大げさ」

Page 171: Bar納屋界隈ver 3

「ああ、俺はそっちだな、たぶん」

「どんな曲を弾きたいの?」

少し考えた。

「やっぱりシューベルトのアベマリアかな」

「アベマリアを弾くおじさんも悪くないね。納屋にピアノは似合うと思うし」

「ちょっと考えてみるよ。でも高いだろうな」

「中古のエレキピアノならお酒を十日ほどやめれば買えるでしょ」

ぐいっとハンドルを切って車を停めた。もうじき携帯電話の所有者だ。

登録番号の001に理恵の電話番号が登録された。インターネットもメールもない最低料

金の契約で、夜の九時から深夜の一時までを除いた時間、理恵との通話は無料らしい。胸の

ポケットに入れてみるとけっこう重く、洗い物をしている時に落としそうなので、ズボンのポ

ケットに入れておくことにした。

「私は今から取材があるけど、あなたはどうする?」。納屋に戻る途中で理恵が聞いた。

「夜まで暇だよ。取材に同行しちゃ駄目かな」

「青年会議所の理事長に会うんだけど」

「じゃ、やめとく」

「でも夜はボサノバのライブに行くよ。気に入ったらインタビューするの」

「それなら行きたいな。有名な歌手?」

「山本のりこという人。何度かテレビのCMで歌ったことがあったかな。乗せていってくれた

ら助かるけど、八時からよ」

「店は休むことにするよ」

「最近閉めることが増えてない?」

「誰のせいだよ」

「人のせいにしないでよ」

「バーテンってそんなものさ。ところでキミは横顔がナスターシャ・キンスキーに似てるね」

「いきなりだれよ、それ」

「ベルリン出身の女優。美人だよ。映画を二つ見た。キャット・ピープルとパリ・テキサス」

「ああ、ポスターがあったわね。エヴァ・ソネットに似てると言われたことはあるわ」

「そっちこそだれだよ」

「ポーランドのモデル。アルバムも出てる。でも知らない方がいいよ、目の毒だから」

「凄そうだな」

「もちろんよ、私よりもずっと」

「そう言われたらどんな女か知りたくなった」

「インターネットならすぐ見られるわよ。お店に一台どう?」

Page 172: Bar納屋界隈ver 3

「金食い虫だなキミは」。インターネットならすでにつながっているしパソコンも実はある。で

もあれ以来ほったらかしだ。うまく動くかどうかさえ分からない。

「バーテンさんが代わったら店の雰囲気も変えなきゃ」

「俺がクールなだけじゃ駄目かい?」

「ケチくさい男に限って自分をそう言うのよ」

「キミには勝てないな」

「私を好きだから負かされてうれしいの。嫌いだったら絶対に勝とうとするはずよ」

「だったらキミは俺のことを嫌いなんだな」

「女は逆よ、男とは」

「じゃあキミも俺が好きってことになるよ」

失言に気づいた理恵が笑った。私は胸がドキドキしていた。こんなに胸が高鳴ったのは本当

に久しぶりのことだ。ちょうどそのとき車は納屋に到着した。

「今夜七時半ごろここに来てもいい?

ボサノバの予約を追加しておくから」

「今から取材に送っていくよ。終われば携帯に電話してくれたらいい」

理恵がうれしそうに笑った。私も照れずに笑い返した。しかし私と彼女は、急速に接近し

ているように見えても、それはいくつかの秘密や今夜のような約束があるからで、それがな

ければ一定の距離を保ったままでいるはずだ。「ヤマアラシ指数」という言葉がある。私や理

恵のようなタイプはあまり人に近づき過ぎると長い針で相手を傷つけてしまい、それで孤

独に追いやられているに違いなかった。理恵はそれを私に見出し、私も彼女の中にそれを見

つけ、それで二人は傷つけ合わずに互いを暖め合う距離を測っているという推測もできた。

長い針の持ち主は針の短い者を遠ざけて孤独を余儀なくされる。針の長さの違う者同士は、

何もせずとも長く一緒にいることはできないのである。

六十三

網を持って蝶を追う。蝶は右に左に、ひらりと逃げる。それに合わせるように網も動く。

網はひっきりなしに向きを変えている。しかし網にすればまっすぐ進んでいるのだ。蝶に

向かって。

網は充実している。周囲の風景がめまぐるしく変わるのを楽しめるのも、蝶を追うが

ゆえである。何も追うものがなく風景だけが替わっても、網はそれをよろこべない。

カフェ・アラビカは車で十五分くらいのところ、稲築支所の隣にあり、入口は白熱灯が強く

光っていた。道路を挟んでファミレスのジョイフル、後ろは小さな稲田で、その背後に民家が

立ち並んでいる。ジョイフルの明るさが際立っている以外はあたり一面どっぷりと夜の闇に覆

われていた。

店内はそんなに広くなかった。天井に太い梁が数本渡してあり、登山者用の山小屋を思

Page 173: Bar納屋界隈ver 3

わせた。数箇所に白熱球のランタン照明が吊り下がっていたが明るくはなく、六つの小さな

テーブルとカウンター席にロウソクが揺れていた。入口と反対側の壁際にスタンドマイクが三

本と、真ん中に椅子が一つ置いてあって、客はすでに満席に近く、若い女性が八割を占め、

小さな子供も含めて二十数人が開演を待っていた。子供ははしゃいでいたが大人は咳払い一

つせず、私の苦手な、重苦しい雰囲気の中にあった。

前の方のテーブルに案内された私たちは並んで座り、相席の二人の女性に会釈した。向こ

うも軽く頭を下げたが、明らかに困惑し、顔をすぐステージの方に向けた。

そんな態度は分らないでもない。理恵が目立ちすぎるのである。南方の民族衣装っぽい緑

色のドレスが人目を引いた。女性二人もお洒落をしていたが、理恵の前では普段着も同然だ

った。そこに小さな女の子が近づいてきて、理恵の顔をじっと見て膝に抱きついた。理恵はそ

の子を抱き上げ、名前と年齢を聞いた。その出来事もまた二人の気を悪くさせたようだっ

た。女の子の母親は少し離れたテーブルにいて、ちょっと首をすくめただけだった。理恵と母

親の距離はお互いにとって安全だった。でも一メートルくらいしか離れていない二人の女性に

は不幸だった。理恵の長い針が二人を刺していた。その場を動けないため磔の刑に処されて

いるのも同じだった。

女の子が母親の元に戻って行き、そのあと背の高い色黒の外国人男性が理恵に歩み寄った。

彼は国立工大で数学を教えているインド人で、名前をBAVAといった。二人は英語でしゃべ

った。バヴァから私の素性をたずねられた理恵は、ボディガードだと答えた。バヴァは深い目

で私を見て右手を差し出した。そんなやり取りを目の前にして、二人の女性は姿を透明に

していた。こんな状況が頻繁に理恵に起こり、それで独りを好むようになったのだろう。

一人の女性がステージに歩み出てギターを抱えた。ライブが始まりそうな気配になったの

でバヴァは自分の席に戻った。

山本のりこのボサノバは伸びやかだった。彼女は簡単な自己紹介をし、福岡県には今日が

初上陸だと話した。明日は博多のライブに出演するが、この町に彼女の熱烈なファンがおり、

それで福岡公演前夜にここでライブを開催したと言った。彼女は知らない曲ばかりを歌い、

In My L

ife

もポルトガル語で歌って、「ビートルズの曲はボサノバによく合う」と話した。二人

の女性の前にスパゲティが運ばれて来、私たちにはメニューが示された。ライブ用のメニューで

品数は少なく、私はジンジャーエールを選び、理恵は黒ビールを注文した。お腹は空いていな

いのかとたずねると理恵は私の耳元に口を寄せ、「人の大勢いるところで大口を開けて食べ

たくないから」とささやいた。目の前の二人に聞こえたらタダでは済みそうになかった。

休憩を挟んで後半の部に移った。私は三度ほど店の外でタバコを吸い、大きく息を吐いた。

歌はよかった。ギターとパーカッションの伴奏もよく合っていた。しかしそれを聞く観客が面

倒だった。ほとんど身動きせず、授業中のように姿勢を正していた。それは息苦しいことだっ

た。脳裏では飛んだり跳ねたりしているのかも知れないが、それを微塵も表わさない。まる

で修行の場だ。私が指先で軽くテーブルを叩いても、足で小さくリズムを刻んでも、同席の

Page 174: Bar納屋界隈ver 3

二人の女性から抗議の視線が飛んできた。お前らは脳味噌で聞いているのか?

耳で聞け

ばリズムを刻みたくなるんじゃないのか?

それでも演奏の方は順調に進み、うまく盛り上

がったところで終わった。店内がざわつく中、理恵が山本のりこに名刺を出し、取材を申し

込んだ。何人かの観客がCDを買ってサインをもらい、歓談も適当に済ませたあと山本のり

こと理恵と私はテーブルの一つに着いた。バヴァは出口の近くから理恵を見ていたが、じき

にいなくなった。二人の女性の姿は跡形もなかった。

明日の福岡公演の意気込みを理恵は聞いた。ボサノバが日本でどう受け入れられている

かについてもたずね、山本のりこは専門的な表現を避けながらそれに答えた。最後に理恵

が、「あなたからは?」とこっちに振った。不意のことで驚いたが、歌を聞きながら思った質問

を一つした。それはライブを成功に導く秘訣についてである。

「あなたは観客をざっと見渡して平均値を探り、どこら辺に合わせて歌えばいいかを経験

則で知っているのか。それとも観客のことはほとんど無視し、一年のうち今日が最高の日で

あるようにコンディションを高めて歌い、それに客が飲み込まれてしまうのか。つまりライブ

をうまくやるには客と自分とどちらが重要か」。それに対して彼女は、「聞く人のことはあ

まり気にしないですね」と答えた。どうよろこんでもらおうかと考えたらうまくいかない場

合が多いそうだ。

山本のりこと伴奏者が引き揚げ、店に私と理恵だけが残った。「なにか飲みましょうよ」と

理恵が誘い、お勧めのお酒はありますかと店主らしき若い男に聞いた。「ブラジルのカシャッ

サが丸々残っています。せっかく今日のために取り寄せたのに」。理恵は面白がってそれを頼

み、私は車の運転があるのでアイスティーを注文した。

私の質問は記者には思いつかないと理恵に言われて悪い気はしなかった。

「やっぱり根っからのバーテンじゃなかったね」

理恵は眠そうだった。カシャッサが今ごろになって効いてきたようだ。

「バーテンのほうが幸せだよ。何も考えなくていい」

車は闇の中を遠賀川に沿って疾走していた。電柱の白い明かりが車内を探りながら後方

に去って行き、それの作り出す影が理恵の上体を後ろから前に流れた。

「店に着くまで寝ていてもいいよ」

「ううん、我慢する」

「じゃ面白い質問をしてあげようか」

「どんなの?」

ライトアップされて闇に浮かび上がった高い水門がゆっくりと近づき、無言で遠ざかった。

「もし過去に戻ることができたら、何歳に戻りたい?」

「どうして?」

「戻りたい年齢は、その人の精神的成長が止まった時だって」

Page 175: Bar納屋界隈ver 3

「ふーん。そういえば、私が化粧品を買っているお店の奥さんから聞いた話があるわ」

「どこのメーカー?」

「言っても分かりゃしないわよ」

「たしかに」

「彼女の母親が亡くなる直前に言ったらしいの」

「なんて?」

「自分の心はまだ二十歳なのに、鏡を見るとお婆ちゃん。だから二十歳に戻りたい、って」

「それはかわいそうな人生だったな」

「そうよね。何十年も無駄にしてる。私は今でいい。もう就職活動なんてしたくないし」

「俺もわけの分からない年代に戻りたくないな」

「わけの分からないことばかりしてたんでしょうね」

「たぶんね」

前方をのんびり走る車を追い越した。切り込むように前に出てさらにアクセルを踏んだ。

「こないだ読んだ漫画に面白いことが載ってた」。思い出したように理恵が言った。

「何という本?」

「どうせ知らないでしょ」

「だろうな」

「自分の年齢を三で割ると、一日の時刻になるんだって」

「どういうこと?」

「私の歳を三で割れば十とちょっとだから、朝の十時過ぎ」

「それは面白いね」

「横山さんは何時?」

「夜の七時くらい。もう日が暮れてるよ」

「でも寝る時間じゃないね」

「そうだな。これから夜遊びを楽しむ時間だ。星が出てりゃいいんだが」

「なるほどね。だから昼間に戻りたくないのね、夜遊びの方がスリルがあるから」

「そうかもしれない」

「三で割る話を支局長にしたら、じゃあ六で割ってみろと言われた」

「どうなるの?」

「季節になるの。今は何月かということ」

私は自分の年齢を六で割った。

「秋の真っただ中だ。秋の香りにあふれてる」

「収穫物は実ってる?

他人の畑から盗んじゃだめよ」

「それは大丈夫。夏のあいだちゃんと世話しておいたから。理恵ちゃんは初夏だな」

「うん。でも種は全然蒔いてない」

Page 176: Bar納屋界隈ver 3

あの絵は誰だったか。種まく人。堂々として蒔いていた。こっちは落穂拾いだ。

「ジュースでも飲む?

おごるわよ」

「どうせ行きつけの、自動販売機だろ」

「うまいこと言うわね」

「じゃあ冷たい缶コーヒー。微糖がいい」

しばらく走って車を脇に寄せ、道端の自動販売機で缶コーヒーとミルクティーを買った。

それを飲みながら、アイルランドの民謡を引き続き聞いた。このチャンネルは今夜、アイルラ

ンドの音楽を特集していた。

「これもいいけど、隣のイギリスも悪くない」

「どんな曲?」。そうたずねながら車を発進させた。

「俺はビートルズ世代だよ」。

「名前は知ってる。イエスタディがそうだった?」

「ポール・マッカートニーの名曲だな」

「中学校の英語の教科書にイマジンがあったよ」

「解散してからジョン・レノンが作った曲だよ。そういえば彼について面白い話がある」

「教えてよ」

「弟が仕事で青森県に行った時、恐山のイタコにジョン・レノンを呼び出してくれと頼んだ」

「で、どうだったの?」

「イタコはちゃんと呼び出した。でも的外れな言葉を津軽弁で話したんだって」

理恵が吹き出した。

「これにはオチがあって、そばにいた地元のガイドが弟に、ビートルズの出身地リバプールの

方言は日本語でこんな感じですよと説明しながら、ウィンクしたってさ」

よほどおかしかったのか理恵は手足をばたつかせた。

「そのガイドすごい。本当の話?」

「いま俺が作ったんだ」

「さすがバーテンさんね」

「夢を売るのが商売だからな」

「自分には夢なんてないくせに」

「切り売りしてりゃなくなるよ」

「じゃあ次は私の番」

「え、なになに?」

「自殺の名所、富士の樹海の奥深く、恋に破れた女が一人、泣きながら歩いていました」

「何をおかしそうに話してるんだよ」

「いいから黙って聞きなさい」

「はいはい」

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「その日は自分を捨てた男の結婚式。女は樹海の木にスプレーで大きな字を書きました」

「なんて?」

「女は、呪ってやると書いたつもりですが、字を間違えて、祝ってやるになっちゃいました」

今度はこっちが大笑いする番だった。

「面白いでしょ。その写真を見たことあるよ」

「樹海の木?」

「そう。赤い字だった。本当に樹海かどうかは分からないけど」

「出来すぎている話だね。それにしても散々な女だな」

「あなたも思い当たる女とかいるんじゃない?」

「いるわけないよ、いたとしてもそうはならないね」

「ほんとかなあ?」

「小学生の時に母親が言ったんだよ。女を泣かせるような大人になってはいけないって。で

も妻と娘を泣かせたけど」

適当に話してはいるが母の言葉は本当だった。もう一つ、「どうせ遊ぶなら歳の多い子供と

遊びなさい」もあった。父の言葉はまるきり記憶にない。

家まで送ろうとしたが自転車で帰るという。速度を落とし、小さな交差点を左に曲がっ

た。ライトが材木工場の塀を照らし、その向こうにサイクロンが見えた。時刻は十一時を過

ぎていた。

「壊れた自動販売機の話をしてあげようか。記者の研修で聞いた話」

理恵はしゃべり詰めだった。

「自動販売機に百円入れたらジュースが出てくるでしょ」

「冷たい缶コーヒーも出たよ」

「まさしくそれね。お金入れると、ほしいものが出てくるのが正常な自動販売機」

「タバコの販売機からアイスクリームが出てきたら困るな」

「百円がそのまま出てきても困るよね。一円玉が百枚出てきたらもっと困る」

「何も出てこなかったら泥棒の自販機だ」

「そうよね」

「そんな話を研修でするの?」

「先輩から受けた研修だけどね。取材をインプットだとすると、記事はアウトプット。百

円入れて、百円を出すな、ということね」

「なるほど、記者が自販機か」

「そうそう、記事をどう書くかをよく考えろという話」

「記者になれるかな」

「わたしは百円入れないわよ、あなたの読者にはなりません」

そんな話をしながら、自動販売機のコイン投入口に理恵を入れたら、取り出し口から裸

Page 178: Bar納屋界隈ver 3

で出てくればいいのにと思った。

あと二つか三つ角を曲がれば納屋に着く。夢のような世界が徐々に薄まって、日常がゆっ

くり振り向きつつあった。

「今日は運転手になってくれてありがとう」

「お礼を言うのはこっちだよ」

「そう?」

「俺の仕事だからね」

「仕事って?」

私は黙っていた。「キミを一人ぼっちにさせないことだよ」と言いたかったが、それはこっちの

方だった。私はいま一人ぼっちではなかった。

小さな砂利を踏んで車が停まった。納屋もバナナの樹も寝入っている。

「ラム酒を一杯飲んでから帰る」。そういい残して車を降りた。理恵も降りて、寂しそうに

私を見た。暗がりに目だけが光っている。

「もう遅いから帰りなさい。酒はとっくに醒めているだろう」

それはまさしく父親の言葉だった。理恵は素直に身を翻して自転車を発進させた。

私は納屋の明かりを一つだけ点け、グラスに注いだバカルディを手に、G

arry Schyman

Praan

を聴きながら、人の年齢を三で割る話を思い起こした。朝の十時といえば、その日が

晴れるか荒れそうかくらいは分かる時間だが、昼間の強い日差しも知らないし、午後には

日が傾ぎ始め、やがて空が茜色に染まって日没が来ることも想像の中でしか知らない。太

陽の上昇だけを実感できている理恵には、日暮れにいる私のような年代は気の毒としか思

わないだろう。でも私にとって昼の暑苦しさはうんざりだ。わけの分からない何かに突き動

かされていた時間帯が一体どうだったと言うのか。日よけの城や砦を建造しようとして躍

起になったが、工事現場のバラック一つ建てられなくてこの時間だ。しかし布団に入るにはま

だ早い。甲斐さんはずいぶん深夜まで遊んでいたが、二度と日の出を拝めない眠りについて

しまったかもしれない。宮内君は死の瞬間に何を、誰を思い浮かべただろう。それが母親な

ら詫びただろう。理恵であれば甘酸っぱい果樹園が現われたのではないか。

第十章

六十四

朝から携帯電話に客や知人の電話番号を入力した。そのあと秦商店で野菜を買ったり、

切らした酒を仕入れたり、水回り用品を揃えたりした。昼はアパカパールに顔を出し、近日

中に三人のカンボジア人を預かる旨を冴さんに伝えた。

事情を知った冴さんは驚きと怒りと同情が顔に出た。たまにアパカパールで皿洗いをさせ

るくらいなら当局も目をつむるはずだと言うと、心から招待しますと言った。

納屋を開けると思いもよらない人物が訪ねて来た。小早川尚美の父親だった。黒縁の眼

Page 179: Bar納屋界隈ver 3

鏡をかけ、額はずいぶん後退していたが、年齢は私より十歳くらい若いようだった。

「顔も知らない親友というのもどうかと思いまして」と訪問の理由を告げた。娘の厄介を

引き受けさせて申しわけないと頭を下げ、こんな物がうちにあったと恐縮しながら赤ワイ

ンを一本差し出した。それはラベルに石原裕次郎の顔写真があるゲノックという一九九七

年物のカリフォルニアワインで、銘柄は話には聞いていたが目にするのは初めてだった。台所の

隅に長く置いてあった代物だそうである。私も恐縮しながら受け取ってカウンターに置き、

いちばん上等なピアノ天板席に案内した。

名刺には小早川恵三とあり、久留米市内の日電波という精密機械加工会社で課長職に

就いている。今は電波望遠鏡を駆動させる装置の設計をしているらしかった。

「娘さんには一度だけお会いしましたが、真っ直ぐに育ったようにお見受けしました」

本心からそう褒めたが彼は少し表情を緩めただけで、「それにしても私の家にこんな話が

舞い込むとは思いもよりませんでした」とため息をついたので、「大切な仕事は、それの出来

る人のところに行くものらしいですよ」と、理恵から聞いた言葉を伝えた。

「そう解釈すべきでしょうね。他の人ではここまでたどり着けたかどうか分かりません」

親はいくつになっても親ばかだなとほほえましく思いながら、そう言える彼がうらやまし

かった。

「しかし明後日以降はもっと面倒なことがそちらに持ち込まれますねえ」

「いや、こっちは当事者でない分、ちょっとした楽しみでもあるんですよ」

それは嘘でもやせ我慢でもなかった。理恵との距離が近いままでいられるからである。

小早川氏はドラフトビールを注文し、サーバーから生ビールをジョッキに入れている私の姿

を見ながら、娘から聞いた印象とはずいぶん違うと言った。

「もっとこわもてだと思ったんでしょう?

あるいはちゃらちゃらした遊び人だとか」

彼は、「まあそうですね」と照れ笑いし、上唇についたビールの泡を拭きもせずに「それにし

てもいろんな人をご存知で」と言った。それは理恵記者であり、久留米署の津下刑事のこと

だった。

「この年でこんな仕事ですからね」。そう答えて、彼の趣味が磯釣りであることから、釣り

のクラブで知り合った間柄にしておこうと話をまとめた。そのあと彼は、尚美の一途な気性

は母親譲りだとか、今回の件で急に大人びて、そこに若干の寂しさを感じていると話し、腕

時計を見つめて、もうこんな時間だと腰を浮かせて大きな札を一枚テーブルに置いて、お

釣りはいりませんからと言った。それで私は、このお金は娘さんが次に来た時か、カンボジア

人のために使わせてもらいましょうと答えたが、彼ら親子と会う機会はもうないだろうと

思っていた。彼もそのつもりでいるだろう。

小早川氏が帰ったあと理恵にミスコールを送った。向こうは取材中の場合もあるから用件

のある時はこうすると二人で決めていた。理恵からミスコールがあった場合は、早急に話し

たいことがあるが今は手が離せないという合図だった。そのコールは今までに一度もなかった

Page 180: Bar納屋界隈ver 3

が、今夜は初めてそれがきた。こっちが送ってすぐだった。向こうも話があるようだ。

こんな日に限って客がいつもより多く来た。私は理恵からの連絡を待ちわび、それが客に

伝わってしまって「今日のマスターは心ここにあらずじゃないの?」と指摘された。

電話はずいぶん遅い時間にあった。理恵は客の引けたのを確認し、今から行くと言った。

朝まで待っているよ、そう答えると電話の向こうで小さく笑った。そのあとかなりの時間が

経過して、自転車のブレーキ音が聞こえた。理恵は戸をわざと遠慮がちに開け、「こんな夜

更けに済みませんが、お水を一杯飲ませていただけませんか」といたずらっぽい顔をした。

私も「当店はあなた様のようなすてきな方のためにこそあるのです」とおどけて見せながら、

内心では抱きしめてやりたかった。今ここには秋の私も初夏の理恵もおらず、同じ季節を

共有していた。

今夜の彼女はスウェットスーツを着ていたので全身のラインがあらわだった。うかつにも目が

それに張り付いてしまったが、理恵は手を腰と頭に当ててモデルみたいに身をよじり、「昼に

こんな格好でいたら人の目を惹くよね」と笑った。私は人の目ではないのか?

でもグラマラ

スな姿態を私に見せたくて着替えたのなら、からかい半分にしても歓迎だ。

尚美の父親が来たことを告げてゲノックを見せた。理恵は背面のラベルを読み、「外見より

も中身が大切よね」と言った。

ゲノックを二人で飲みながら、理恵から、今日の夕方に毎日新聞の井藤記者とカンボジア

三青年不法就労強要事件について打ち合わせたことが説明された。井藤記者は今日の午

後にジワットを取材し、そこで初めて理恵の存在を知らされた。驚いた井藤記者はさっそく

理恵に連絡してきた。二人に共通していたのはジワットらへの同情心だった。二人はそれぞれ

支局長に連絡し、逮捕時の記事については二人が内容を分担してもかまわないとの了解を

暗黙ながら取った。それで理恵と井藤記者は大まかに、ジワットらが自室でインタビューに

応じた記事と写真は毎日新聞、重さ一トン以上もある積荷を重そうに運んでいる横でスモ

ウが監視している望遠レンズの写真は九北新聞が使うことに決めた。話の流れから、井藤記

者は逮捕の日時を警察から知らされておらず、尚美や私の存在も知らないようだった。そ

こは警察も口をつぐんでいた。

「でも、それも時間の問題よね。逮捕が長引いたら葉菜ちゃんに感づかれちゃう」

「逮捕が遅れて困るのはキミよりも三人のカンボジア人の方じゃないのか?」。遠まわしに

戒めると理恵は舌を出して恥じた。

事件全体がこちらに乗っかって来そうな気配を感じた。表に出ていない厄介ごとまで明ら

かになりそうな予感もしはじめていた。話題の渦中となる三人を預かるのは簡単でも、カン

ボジア大好きNGO、あるいは国内にいるカンボジア人に、三人を介して情報が流れるかも

知れず、坂今の経営するサルベとホウの会社はこの町にあるから、ここが彼らに知られる可

能性は低くない。

理恵の話では、九北新聞は四人が逮捕される朝の朝刊で1面トップにするという。つまり、

Page 181: Bar納屋界隈ver 3

逮捕は朝の八時に執行されるが、それより六時間も前の深夜二時には、四人の逮捕を報じ

た新聞が刷り上がるのである。それが本当なら、配達される早朝から八時までの間に四人

のだれかが感づけば、連絡を取り合って証拠を隠滅できるし、ジワットらの身に危険が及ぶ

可能性もある。その危惧に対して理恵は、「逮捕状はもう出ているので、四人が不審な動き

をした時点で捕まるし、前夜から刑事が見張っているので大丈夫」と言ったが、警察がそこ

まで新聞社に譲歩しているとは意外だった。理恵はほかにも、ジワットらは日本国憲法下で

の法の平等から除外されるかもしれないので、弁護士をつけたほうがいいと言った。

「今夜はなんだか酔っ払ったみたい。私らしくないな」。理恵の目がとろんとしている。今日

が限界なのだろう。ここまでよく頑張ってきたものだ。私は彼女を最大限に褒めて、「逮捕の

あとは俺が引き受けるから安心しなさい」となだめ、私がもっと若ければキミに選ばれたい

が、もうそんな世代に戻りたくないのが残念だと本心を言った。時刻は深夜の一時を過ぎ

て私にも酔いが回っている。こっちはいくらでも夜更かしできるが理恵はそうはいかない。と

ころが彼女は、あさってから帰宅できないかもしれないくらい忙しくなりそうなので、明日

は休暇をもらっているから、ずっと一緒にいたいと言うのである。その言葉の意味するところ

は一つしか考えられず、でも彼女は酔って前後不覚に近いから、さすがにその話には乗れな

かった。私は思いとどまり、彼女に恥ずかしい思いをさせるのもよくないので、いつ遊びに行

くかは素面(しらふ)の時に相談しようと答えて指切りし、タクシーを呼んであげるからも

う帰りなさいと諭したが、そんなお金は持っていないと甘えた声を出す。料金は尚美の父親

からもらっているからと言って自転車を店内に運び込み、タクシー会社に電話した。でも理

恵は目を座らせて、まだここにいたいとか、あなたは酔いが足りないなどと不平を言い、タク

シーが到着しても、この時間に一人で帰るのは危ないと駄々をこねはじめたので、「マンション

まで送って行くから」と言って店をあわただしく閉め、転がり込むようにタクシーに便乗し

た。ほかの酔客なら外に放り出して終わりにするところだ。

タクシーの後部座席で私たちは触れた指先を互いに絡ませていた。それは強くも弱くもな

く、ごく自然なことのように思えた。理恵の手は柔らかくて熱く、若かった。タクシーはす

ぐに到着し、私は理恵の手を取ってマンションのエレベータまで送った。電話で帰宅を確認する

と、理恵は眠たそうな声でおやすみなさいとだけ言った。電話を切った私は秋の深まった中

を家に向かって歩いた。肌寒くはあったが体の中からふつふつと沸いてくるものがあり、それ

に何度か身震いしながら。

六十五

自転車を置きっぱなしにしていることが気になって、昼前に店に顔を出した。冴さんが私

を見てちょっと笑い、店を開けてすぐに理恵が来たと言った。機嫌はどうだったかとたずね

ると、いつもと同じでしたよと答え、何かあったんですかと女性特有の興味を示した。自転

車にも乗れないほど酔ったからタクシーで送っていったんですよとありのままを答えながら、

Page 182: Bar納屋界隈ver 3

これは邪推されたかもしれないなと思ったが、昨夜はそうなってもおかしくなかった。冴さ

んは面白そうに笑って、まあ仲良くやってくださいねと、もっと邪推したような口ぶりで言

った。それでこっちも笑い、客の中でいちばん扱いづらいんですよとため息まじりに答えたら、

若い子を泣かせちゃ駄目ですよとからかい、ふと思い出したように、知人に二十歳以上も

年の離れた夫婦がいると言った。どう受け答えしても、困る方向に話が進んでしまいそうだ

った。私はそ知らぬ顔でコーヒーを注文し、夜食を準備してくれていることへのお礼を述べた。

冴さんは、いつも余り物ですみませんねと恐縮し、代金は大家さんが払っているからこちら

も助かりますと言った。そのことを私は深く知らなかった。こういったところに男は鈍く、女

は巧みだった。

「そういえばもうすぐでしたよね」。「ええ、あさっての朝です」。

「何人捕まるんでしたっけ?」。「この町で二人、久留米でも二人です」。

「何という会社です?」。「飯塚はマルテックのホウ社長とサルベの坂今申、久留米はチマキン

グという安売りスーパーの経営者兄弟ですよ」。

すると冴さんは目を見張って、たまにサルベで野菜を買っているし、チマキングも社長がテレ

ビに出ているでしょうと言う。マルテックの社員もたまに食事に来るので、その時どんな顔を

したらいいか分からないとも言った。

「こことサルベは近いじゃないですか。カンボジア人を連れてきて本当に大丈夫なんです

か?」。「行きがかり上そうなってしまったんですよ」。

「まさか歩いて行けるくらいの距離に自分の元生徒が保護されているなんて、サルって人も

マスコミも気がつかないかも」。「文字通り灯台下暗しですよね」。

「四人はどれくらい儲けたんですか?」。「チマキングは安売りでずいぶん儲けたでしょうが、

違法ビザを申請したホウはカンボジア人の社会保険料ほどしかチマキングからもらっていな

いらしいし、坂今にいたっては皆目で、そこはまだ謎だそうです」。

「チマキングに弱みを握られていたとか?」。「さあねえ。でも女子大生が自室から見つけ

たくらいだから、それくらい間抜けだってことですよ」

そんな説明をしながら、理恵のことが気になった。すねているのか気まずいのか、怒ってい

るのか、それともこっちのことをどうも思っていないのか、電話の一つもくれない。

「そういえば冴さんはカンボジアに行ったことがありましたよね」。「ええ、一週間ほどでし

たけど、二回行きましたよ」。彼女はそう言ってちらりとマンゴスティンの樹に目を向けた。

「カンボジア人の肌は真っ黒です?」。「いえ、夏に日焼けした中学生、といった程度かな」。

「国民性は日本とだいぶ違います?」。「仏教国だから日本人に似ていますね」。

「だったら少し安心ですね」。「たぶん横山さんとはうまくやっていけますよ」。

「やはり貧しい国なんでしょうね」。「日本に比べればね。でもお金持ちも多いです」。

「そうなんです?」。「貧富の差が大きいんです。日本みたいな救済のシステムがないから」。

「国民はそれに不満を持たないのかな」。「ポルポトの事件はそれが引き金だったみたい」。

Page 183: Bar納屋界隈ver 3

「食事はどうですか」。「主食はお米で、バイチャという炒飯がポピュラーですよ」。

「三人に気を配る点はあります?」。「どうなんだろう。頭に手を乗せないことかな」。

「それだけ?」。「あとは、シャワーが大好きかな。日本人より清潔かも」。

「残念だな。若い娘だったら良かったのに」。「理恵ちゃんに言いつけますよ」。

私は、またそれかという表情だけして、あさって以降、何か困ったことがあれば遠慮なく

教えてくれと伝えた。冴さんは、なにが起こるか分からないので少し怖いけど、楽しみでも

あると言った。

納屋を開けても理恵は姿を見せなかった。夜の十二時過ぎまで閉店を延ばしたが、店の

戸が開くことも電話が鳴ることもなかった。この日はP

raan

のCDをくれた家庭教師が長い

時間いてくれて気が紛れた。明日アメリカ人の友人を連れて来たいが英語は話せるかとた

ずねられ、年相応の語学力ですよと答えたら、納得したような顔をした。彼は酔いつぶれて

車を置いて帰った。

その翌日は朝からすることがなく、何度も携帯電話を取り出した。逮捕の前日だからそ

れどころじゃないかも知れないが、連絡くらい寄こせるだろう。

夜になっても理恵の沈黙は続いた。わずか二日間なのにずいぶん長く感じられ、何か大き

な獲物を取り逃がしてしまったような感覚に満たされはじめていた。あの時ああしていれば

こうしていればと想像ばかりして、そのたびに落胆した。

昨夜の約束通り家庭教師が大柄な金髪の男を連れてきた。この町で英会話の教師をして

いるそうだ。名前をトニーといった。彼はビールを飲み、「Beer makes m

y body」と私に言って

笑い転げた。こっちは気もそぞろだったが仕方なく「Me too, m

aybe you are my son

」と返事

してまた大笑いさせた。気をよくしたトニーが家庭教師に何か言い、家庭教師が私に、外国

人が困っていたらどう話しかけるかとたずねた。私はちょっと考え、「メイ・アイ・ヘルプ・ユ

ー?」と答えた。「Good

」とトニーが言い、家庭教師が、「Dou you have problem

?

」と話しか

けてはいけないと言った。会話として成り立っても、「何か文句でもあるのか」とケンカをふっ

かける意味になり、状況次第では「あなたは知能に障害があるのか」ともなるそうである。

そこでトニーのそばに立ち、懇切丁寧な口調で「ドゥー・ユー・ハブ・プロブレム?」と質問する

と、トニーは大仰に驚いて爆笑した。

そばから家庭教師が、思い出したように聞いた。

「こないだから気になってるんだけど、トイレに貼ってある文章はマスターが考えたの?」

【かみさま】

出会った人が最後に言う言葉。

お金がほしい。お金をください。あなたはお金になりますか?

そのあとわたしは鼻歌を歌う。

Page 184: Bar納屋界隈ver 3

「いや、この店をはじめた人。なかなか面白いでしょ」

「最後の一行が特にね。ぼくだったら、そのあとわたしは猫に餌をやる、になるけど」

「猫を飼ってるのか」

「うん、猫二匹と暮らしてる」

「俺はタイトルが面白いね。平仮名にしてあるのはお札の紙とかけてるんだよ、たぶん」

「ああ、なるほど。神様ってお金のことだったんだ」

「初詣で拝んでいる人なんか皆そうだ。手を合わせて、お金がほしい、お金をください、私

はお金になりますか?

と祈ってる」

「両親や兄貴と話しても、言葉の端はしに、金がほしい。金をくれ。お前は金になるのか

い?

みたいな本心が出てますよ」

「だから猫なのか」

「猫はそんなことを言わないから」

しかし私には、先月掲示していたこっちの方が気になった。

やさしさを忘れた時、愛は無言で別れを告げる。

この文章は私を刺した。私がたえず愛を見失い、感じ取ることも少ないのは、優しさに欠

けているせいだと思い当たったのである。愛しているが優しくしない、という愛があるだろう

か。愛されているのに優しくされない、そういった愛はあるだろうか。私は妻にも娘にも優

しくせず、優しいふりだけした。おそらく優しさと愛は不可分で、私はそれに鈍感なのだ。

夜の十時を過ぎた。輪転機が唸りを上げているころだ。明日の九北新聞に四人の逮捕が

報じられ、数日中に三人のカンボジア人がこちらに移送されてくる。加害者と被害者の誰

とも一面識もないのに、明日から関係者の一人になる。あっちで何かが終わり、こっちで何

かが始まるのだ。などと思っているところに携帯電話が鳴った。理恵からだった。

「逮捕が延期になった」。早い口調でそう言った。「ホウがITのシンポジウムで神戸に出張

していて、今夜は家にいないのよ」

「新聞の方は?」。送話口に手を当てて囁いた。

「印刷の直前に版を組み替えた。あぶなかった。ジワットたちにも明日の逮捕はないと連

絡した」

「いつになりそう?」

「たぶん十八日。それと、四人を見張っていた百人の刑事がいっせいに動いたから、やっぱり

毎日さんが感づいた。それで葉菜ちゃんと相談して、逮捕の朝に二社が独占報道すること

になったの」

「ほかのマスコミは?」

Page 185: Bar納屋界隈ver 3

「大丈夫みたい。NHKも動いてないよ」

「あと四日か。長いな。カンボジア人は待ち切れないんじゃないか」

「それも大丈夫。日本に来ていちばんうれしい日よ。あとでそっちに行ってもいい?」

「二日間も連絡してこなかったくせに。客がいるけど追い返す」

「これからずっと連絡しなくてもいいけど」

「だったら三人を預かる話をキャンセルする」

「うふふ、じゃあまたあとでね」

この時の私の気持ちは、逃したと思っていた獲物が瑞々しい水しぶきを跳ね上げて戻って

きたというのが正直なところだった。逃げたのではなく回遊していただけだ。私の感覚の中で、

理恵に親しい相手は私以外におらず、それは私も同様で、会っていない時の私たちは互いに

一人ぼっちだった。そうあってほしかったし、そうでなければならなかった。

閉店の時間だと偽って家庭教師とトニーに帰ってもらった。二人はタクシーを呼んで次の

店に行った。今夜も車は置き去りだ。それと入れ替わるように理恵が来た。空腹を訴える

のでチキンコンソメだけで味付けしたスパゲティを作ってやることにした。今日はまたカッコい

いジャケットを着ているねと私は大げさに目を丸くし、ちょっときついのよ、太ったのかなと

理恵は胸元に目を落とした。しかし私の目には太ったのではなく、ダークブラウンのジャケッ

トが一回り小さかった。まるで小柄な妹の服を借りたみたいだ。

「昼もその服?」。フライパンに湯を沸かして塩を二つまみ入れ、鷹の爪も一つ落とす。

「ううん、トレーナーで目立たせないようにしてた」。理恵は冷蔵庫からコーラを出した。

「昼もそれだったら歩行者が電柱にぶつかるよ」。スパゲティを真ん中から二つに折る。

「あはは。今までに何回かあったかも」

「だろうね。昨日はゆっくりできた?」。タイマーをセットする。茹で上がるまで七分だ。

「そのぶん今日は大忙しだったけどね。そっちこそ暇を持て余したんじゃない?」

「きのうは冴さんとキミの悪口で盛り上がったよ」。皿を棚から取り出した。あと四分だ。

「え?

冴さん何か言ってた?」。なぜか理恵はあわてた。

「だから悪口だよ、キミの」。金ざるをフライパンの横に置く。

「彼女は私の味方よ。褒めたんでしょ?」

「男を惑わせるから気をつけてと言われた」。スパゲティをざるで湯きりしてまた戻す。

「それでなんて答えたの?」

「もう手遅れだと泣き伏したよ」。チキンコンソメを小さじ二つ分入れて手早く絡ませる。

「相変わらずお上手ね。ところで外の車は誰の?」

「さっきまでいた客のだよ。タクシーで町に出た」。皿に盛り付けしてバジルを振り掛ける。

「ここは駐車場があって便利だよね」

「たまに自転車を放置する客がいるけどね」。皿を理恵の前に置く。

フォークを握った理恵はすぐに手を止め、このスパゲティはパサパサしていると顔をしかめ

Page 186: Bar納屋界隈ver 3

た。そりゃそうさ、オイルを使ってないんだから、でも食べられるだろ。うん、味はわるくな

い。この店のまかない料理で、名前はドライスパゲティ。だからパサパサ?

いや、ドライジン

やドライマティーニみたいに男の味かな。ふうん、こんなの食べてるんだ。スパゲティを使った

豚骨ラーメンもおいしいよ、作り方を教えようか。いえ、けっこうです。

そのあと私たちは事件が最良の解決を迎える道筋について話し込んだ。それは深夜に二

人だけで会う理由を作っている作業のようでもあった。一昨晩のことには触れなかった。

六十六

なにか符号でもあるのだろうか。不動産屋の友人から電話があった。

「よう軟骨くん」。軟骨とは彼のあだ名である。中学生のころから同級生にそう呼ばれ、

それが気に入って名刺にも刷り込んでいる。

「今のアパートを退去してくれないか。入居者が決まった。ちょっと急ぐ。できれば一週間

以内。どうせたいした荷物はないだろう」。そう矢継ぎ早に言った。次の住まいは八階建ての

マンションではどうかと聞く。冷蔵庫も洗濯機もエアコンも備え付けてあり、しかし家主の手

前、さすがに家賃は必要で、ほかの入居者の半額でどうだと提案するのである。

私は笑った。「今度は誰が死んだ?

首吊りか?」。

「いや、病院で死んだ」

無賃住まいに異議を申し立てる権利はない。こっちも大変なことが起こる前に引っ越して

おく方がよかった。それにしても急すぎる話だ。

「こんなぼろ屋に住まなくてもいいだろうに」

「先方はシャワーさえあればいいんだ、とにかく急いでいる」

「湯に浸からないのか」

「ああ、マレーシア人の夫婦が住む」

当てずっぽうで「マルテックの社員か」と聞いたら「いや、副社長が安い家を探している。なぜ

分かる」と唸った。

「これでもバーテンだからな。マルテックは儲かっているんじゃないのか」。そうごまかした。

「役員の住宅手当が今月でなくなるらしい。それで安い部屋を探している」

それにしてもこんな安アパートを選ぶとは、月々の収入もかなり少ないと見てよさそうだ。

火の車という実情が、理恵の追っている事件の背景にあるかも知れなかった。

「社長はこの町が日本初のIT特区となった立役者だろう」。すると軟骨君は、「なにがIT

特区だ。市が宣伝に使っているだけじゃないか。マルテック程度の会社は福岡に数え切れない

ほどある。日本はそんなに甘くない」と小ばかにした。

「じゃあすぐに移るよ。鍵はあとで大地不動産に取りにいく」

「車は隣の空き地に停められる。土地の所有者は別の町にいるから気にしなくていい。ただ

し車上荒らしは自己責任で」

Page 187: Bar納屋界隈ver 3

冴さんに電話して逮捕は延期になったと伝え、引越しの準備を始めた。

アークヒルズというマンション名は方舟丘陵とでも訳せばいいのか。なんとも大層な名前だ。

納屋までの距離は前とそう違わらない。歩けば、夏には額に汗が浮かぶし、冬は芯まで凍

る。それくらいの場所に、やはりBAR納屋はある。

部屋は五階の五〇一号。ドアを開けると左右に洗濯機と小さな下駄箱、一歩上がると

右にユニットバス、左に水洗トイレがある。キッチン一つに、部屋一つ。典型的な学生マンション

だ。面積だけなら前の方が広かった。でもこれからは陽のたっぷり入るマンション暮らし。ベラ

ンダにエレベータにユニットバスだ。五階はほかに入居者がおらず、全体でも十所帯ほどらしい。

しかしその方がありがたい。早朝から近所の子供の騒ぎ声が聞こえるのは、きらいではない

がうれしくもない。

ベランダに出てみた。周辺には民家が多い。遠く正面にボタ山が見え、右に龍王山がかす

む。左は遠賀川が流れているが、このマンションの陰になっている。

引越しは二回の往復で足りた。布団と衣類と少しの鍋釜、食器類。ヤドカリの気楽さだ

が、はたから見ればどんな宿を借りているかで中身が決まる。モルタルアパートからエレベー

タのあるマンションに、偽のストーリーを持つカクテルと似ているなと思いながら引っ越した。

ガスと水道、電気を開放してもらい、固定電話を移し、市役所で新たな住民票をもらって

警察署で免許証の住所を変え、郵便局にも出向いて配達先変更の手続きをした。車両保

険などの住所変更手続きは軟骨君の会社ですべてやってくれる。最後にアパートを掃除し

て鍵をかけ、高田の婆さんにあいさつした。小さい町だから、いずれどこかで会える。そう

言い残して。

引っ越ししながら、もうじき世間をにぎわす事件に巻き込まれてしまうことが脳裏に浮

き沈みし、マルテックの副社長に住まいを追い出されたような気分にもなっていた。おそらく

一両日中に副社長は住まいをあの部屋に移す。私の匂いはたっぷり残っており、そこに事件

の関係者が腰をすえるとは、まるで何かの予告であるような気がして落ち着かなかった。そ

れとも次のマンションがご褒美なのか?

大地不動産に鍵を返しに行ったとき軟骨君はおらず、事務員のスミちゃんが路上生活者

のような風体の老人を相手にしていた。その爺さんは舌がもつれて何を言っているのかよく

聞き取れなかったが、二人のやり取りから、家の鍵を紛失してしまったから合鍵を作ってほ

しいと頼んでおり、家に戻るタクシー代もないから連れて帰ってくれと言っているのだった。

もう一人の事務員の赤嶺さんが鍵の束を手にして、老人を子供のようにあつかいながら

事務所から連れ出して行った。私が鍵を返すとスミちゃんが、「引越しは終わったと?」と言

いながら、事務所の奥にある鍵の保管場所に鍵を仕舞い、その背中に私が「厄介な客だね」

と声をかけると、「あれでも銀行の支店長やったと」と言った。

Page 188: Bar納屋界隈ver 3

「鍵はしょっちゅうなくすし、いつもお金を持っとらんで、家賃も滞納しとっとよ」

支店長だったのなら退職金も年金もあるだろうとたずねると、「それが若い女に入れ込ん

でくさ、たぶん巻き上げられとると」と暗い顔をした。彼女の説明によれば、半年前に入居

してきた時は中年の女性と一緒だったが、じきに独り身になり、それ以降ずっと今のような

状態らしい。「こっちはどうにもできんちゃねー」。そうスミちゃんは言い、最後にはどうなる

のかとたずねると、「うちの社長がどうにかするんじゃなかと?」と言ってケラケラ笑った。

スミちゃんはどこかに電話し、鍵が戻ってきたから今日か明日中には掃除をしてくれと頼

んでいた。受話器を置いた彼女から、マルテックの副社長はリン・ウイウイという名前である

ことを聞き出した。見るからに真面目実直で、廃車同然のおんぼろ車に乗っていると言う。

尚美の告発した社長のホウとうまく結びつかなかったが、十八日の朝にはホウもリンも度肝

を抜かれることになる。そしてスミちゃんも赤嶺さんも軟骨君も、まるで事件の関係者であ

るかのように気分が高揚するだろう。

マンションに布団を広げて横になり、テレビはいらないなと思う。納屋から戻ってシャワーを

浴び、寝酒を飲んでから寝る。たぶんそれの繰り返し。枕元には酒の瓶が並ぶだけになる。

新居に移った初日から気になる夢を立て続けに見た。

最初の夜はこうである。

荒野で、野良犬に石を投げて遊んでいる男がいた。耳のそばをひゅっとかすめたり、痛くな

いところにあちこち当てたり、逃げようとすると前方に回り込み、向かってきたら地面を

どんと踏んでたじろがせ、そうやって野良犬を思いのままに、右に左にいたぶってげらげら

笑っていた。それを見て私もなんだかやってみたくなり、小石を拾って犬に投げた。すると

犬はすごい迫力で私に襲いかかり、手を思い切り噛まれた。弱い犬ではなかった。私が間抜

けだったのだ。

私は男に聞いた。そんな荒っぽいことがどうして平気でできるのかと。

「だれだってできるよ」。そう言って男が袖をまくると、腕には無数の噛み傷があった。

男は笑いながら足元の小石を拾いはじめた。

「もうちょっと下がって。そこじゃ痛いよ」

私はあわてて逃げ出した。

翌日の明け方には人の登場しない夢を見た。私からの問いかけに、私が答えていた。

直径が同じメタル色の大きな歯車が二つ、少し離れて並んでいた。

右の方がゆっくり回り、夢の中の私が語りかけた。

「左も回すにはどうすればいいと思う?」

すると二つの歯車は内側に寄りはじめ、歯が噛み合って左も回り始めた。

「回り始めたね」。夢の私が言った。さらに「せっかく回っているのに逆回りだ」とも言った。

Page 189: Bar納屋界隈ver 3

二つの歯車は離れ、間に別の小さな歯車を挟んで噛み合い、再びゆっくり回りはじめた。

「ほら、こうすれば同じ方向に回るよ」。声はうれしそうだった。そこで歯車は消えた。

次に登場したのは二つのプーリーだった。こっちも右が回りはじめ、「どうすれば左も回る

だろう」と問いかけたあと、二つにベルトが掛けられた。「ほら、同じ方向に回っている」。

さらに夢は極端に大きさの違う歯車を噛み合わせ、「大きな方はゆっくりで、小さい方は

すごく早い」と驚いてみせ、プーリーも同様にした。

この夢はきっと、男と女は逆だと言った理恵の言葉や、草刈りをしながらハンデについて考

えていた時に歯車の凸と凹を思い描いたことなどがきっかけで見たのだろうが、あいだに挟

んだ小さい歯車は何を意味しているのか、ベルトは日常でどのようなことを指しているのか、

そこにはいくつも答えがありそうだった。蒲団の中でそんなことを考えていたら、どこか遠く

で念仏のような声が聞こえてきた。低くしゃがれてよく通る声が続いている。耳を済ませる

と、競りをしている男の声だった。そういえば近所に野菜の卸売市場があった。これから毎

朝この声で目が覚める。それも一興だ。でもそのうち耳が慣れて気にならなくなるだろう。

六十七

逮捕まであと二日。そのうちの一日は、アーケード街の狭い一角に園田君の製作したモニ

ュメントを設置する仕事を手伝った。軽トラックで搬入されたパーツを二人で降ろし、ボルト

や溶接で固定して、高さが六メートルほどもある鉄製の「大きな椅子」が完成した。この作

品は街づくりイベント事業の一つとして経営者団体から依頼されたもので、飯塚がかつて長

崎街道の宿場町として発展したことにヒントを得たという。作業の後片付けをしながら、ハ

リーのことを思い出し、こないだのジャマイカ人は手伝いに来ないのかとたずねると、園田君

は小指を立てて、「これでうちに来なくなった」と表情を曇らせた。

彼がとつとつと話すところでは、あのパーティの数日後にハリーが一人の女性を連れてマサ

ミアートを訪れ、二人の浮気がばれて家を追い出されたので、住む場所と仕事を探しても

らえないかと頼んできたという。園田君は呆れて、一緒に来る相手が違うだろうと叱った

ところ、ハリーは「ジャマイカでこんなことは普通なのに、日本はむずかしい」と頭を抱え、

「Difficult

」を連発した。同行の浮気相手をハリーは「日本語の先生」と呼んだ。しかし教員

免状を持っているわけではないから、どこにもいる日本女性に過ぎず、そこが私にはすごく

おかしくて、「だったら女房から習えばいいじゃないか」と笑った。園田君が「ジャマイカでも

普通なはずがないのに」と憎らしげな顔をするので、「そいつらのレベルでは世界のどこでも普

通なんだよ」とさらに笑った。その後ハリーはその女にも見捨てられたらしく、市役所に出

向いて住まいと仕事がほしいとゴネたり、バス停のベンチで寝ているところを警察に保護され

たこともあったらしい。二人の関係は蛍の寿命ほども続かなかった。地表に出た蝉の命の方

が長かった。なんだ、二人とも虫じゃないか。「くっつく離れる虫の愛」というやつだ。

Page 190: Bar納屋界隈ver 3

昼の時間をそういったことに費やしながら、頭の隅には二つの動輪がずっと浮かんでいた。

夜にも納屋で、左右の動輪を私と理恵ということにして考え続けた。客が来て途切れ、い

なくなるとまた考えた。

「男と女は逆」は理恵の言い分だが、二つの歯車が噛み合いさえすれば一応は回る。けれ

ども反対方向だ。別の小さな歯車をあいだに挟めば、回る方向は同じになる。この小さな

歯車を便宜的に整転歯車と名づけた。二人に共通するプライベートな理由のようなもので

ある。カップルであれば結婚を目指し、夫婦なら子育てというふうに。でも整転歯車が大き

すぎると視界を遮(さえぎ)られる。視野の狭い人は、整転歯車に目を向けるとほかが見え

なくなるだろう。

整転歯車がない状態では、両者はむき出しで触れ合って逆に回る。ここは注目に値する。

理恵と私はカンボジア三青年の救済を整転歯車として同じ方向に回転できるが、それのな

い場合、露わな男女として触れ合うことになる。そうすると、整転歯車があることでうま

くいっているからといっても、一個人の男女としてうまくかみ合うかどうかは分からない。現

に私と妻の場合、二人の娘が整転歯車の役割を果たしていたことは疑う余地がなかった。

次にプーリーのベルトのようなつながり方について考えてみると、ベルトは外側にかかってい

るので、外向けの理由があって同じ方向に回転できることになる。例を挙げれば二人して同

じボランティアをやるとか、夫が社長で妻が経理とかである。世間体に適う結びつきはベル

トでつながっている間柄で、両者がじかに触れなくて済む。密接に関わらずに同じ方向に回

転できるのである。こういった関係は案外多いのではないか。そういえば、近所に住んでいる

中学校の校長が脳溢血で倒れ、半身マヒの彼を見て妻がこう言ったそうである。「この人は

私の夫じゃない」。彼女は校長の妻として結婚し、生身の人間として関わり合うことはなか

ったのではないか。

夢には出なかったが、一方が歯車で他方がプーリーの組み合わせについても考えてみた。

歯車はじかに接したいため、個人的な関わりを望む。だがプーリーはそれを求めない。必

要なのは接近せずに済ませられる世間向けのベルトなのだ。これではうまくいかない。

直径の差は「ヤマアラシ指数」でいうところの針の長さ、人物の大きさの違いと考えてもいい。

ボサノバのライブで同席した二人の女性の場合、理恵に話しかけて、自分が小さくならない

ようにすればよかった。似た年代、同じ女性、ボサノバ、同席したことなど会話の糸口はい

くらもあった。理恵に圧倒されたのなら、職業をたずねたり、どうやって英語を習得したの

かと聞いたりしてもよかった。会話をすることが、威圧されることを弱める最善の方法だ。

六十八

逮捕前日。世間は落ち着き払っている。太陽が昇り、沈んでいった。

Page 191: Bar納屋界隈ver 3

六十九

逮捕当日の十月八日、普段と変わらない朝だった。目覚ましが六時に鳴り、すぐに起き

て九北新聞の販売店に車を走らせた。

大きな横見出しが目に飛び込んだ。「カンボジア人に不法就労を強要」。縦にも太い中見

出しで「飯塚、久留米の四経営者、今朝にも逮捕か」、さらに「一日十五時間、悪夢の労働

十か月」の小見出し。その下にリード文、「IT技術者の名目で来日させた大卒カンボジア

青年三人を、実際には久留米市内の野菜加工場で働かせたとして、福岡県警は飯塚と久

留米の経営者ら四人の逮捕状を取った。今日にも逮捕の方針。(社会面に関連記事)」とあ

った。

本文。「今年六月下旬、久留米の野菜加工工場でカンボジア人三人が不法就労を強要さ

れていると久留米市民から告発を受けた福岡県警は、不法就労助長罪などで同市のスー

パー社長ら四人を逮捕する方針を固めた。関係者によれば、飯塚市のIT関連会社社長

(三九)と同市のスーパー社長(三一)らは昨年夏ごろ、二十代のカンボジア人三人に『日本

のスーパーで働ける』と持ちかけ、来日する際のビザ申請で、日本での職業を『IT技術者』

とするよう指示。実際には久留米市にあるスーパーの倉庫で野菜を袋詰めするなどの作業

をさせていた。三人は来日した翌日に、飯塚市内で就労するエンジニアとして、飯塚市から

外国人登録証明書を取得、健康保険証も飯塚市内のIT関連会社から発給されている。

居住地登録は飯塚市内になっている。福岡県警は、久留米のスーパーからIT関連会社に

毎月金銭が支払われている事実を確認しており、三社の共謀も視野に入れて捜査を進め

ている。【特別取材班】」。

写真は葉書大でモノクロ。見るからに東南アジア系と思われる三人の若者が、倉庫のよう

な建物を背景に、二メートルくらいの高さの積荷を重そうに運んでいる場面で、トラックの

荷台が一部見える。服装は統一していない。一人は細身で背が高く、一人はずいぶん小柄、

一人はずんぐりしている。リーダー格のジワットはどれだろう。そばに巨漢の男が腕をだら

りと下げて立っている。顔は判別できないが、この男がスモウに違いない。

社会面でもほぼ一ページを割いて扱われていた。見出しは「つらすぎる日本、早く忘れたい」

と「苦境を知って背を向ける日本人の友だち」。記事は告発文を、現地取材したかのように

うまく書き換えてあった。写真は二枚あり、一枚は三人の暮らす部屋の枕元に置かれた、

大きな寺院の絵とカンボジアの小さな国旗で、写真説明に、「三人はアンコールワット遺跡と

国旗で苦しい日々を耐えていた」と説明があった。もう一枚は台所にあるカップラーメンの

空き容器。「『日本のミー(

乾麺)

はおいしい』。三人は少ない収入をやり繰りしてカンボジアに

住む親や兄弟の生活を支えていた」とある。さらに近所に住む人の証言として「フォークリ

フトも運転していたようだ。公道でトラックに荷物を積み降ろししているのを何度も見た」

とあり、無免許運転を指示されていたことも示していた。そして別枠で小さく、ITビザは

他の技術者よりも二年長い五年の就労が許され、一般の就労手続きよりも簡単であるこ

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とが解説されていた。

大まかに目を通したあとコンビニで毎日新聞の朝刊を買った。

こちらもトップに大きく「『技術者』で来日させスーパーで労働」。「IT社長ら逮捕へ」。「不

法就労助長容疑」の見出し。写真はなかった。記事は九北新聞とそう変わらなかったが、

「IT技術者ビザを使った外国人労働者あっせん行為が表面化するのは極めてまれ。県警は

社長らが安価な外国人労働力をあっせんして見返りを得た疑いもあると見て、全容解明

をはかる」ともあった。

社会面を開くと、「橋や学校造ってくれた日本へ」。「あこがれ裏切られ」。「先生は言った。

『大丈夫』『留学できる』」の大きな見出し。写真は九北新聞と同様モノクロで、子ども向け

漢字ドリル数冊のそばに座るカンボジア青年の姿が、腕から上をカットして縦二段で掲載さ

れている。記事は【伊藤葉菜恵、川津啓介】の署名入り。逮捕前なので容疑者の名前は出て

いないが、サルを信じて憧れの日本に夢を抱いて来てみたら、約束はすべてうそで、日本人の

恩師にだまされて途方に暮れている様子を取り上げていた。

二紙をマンションに持ち帰って繰り返し読んだ。朝日や読売や西日本新聞は今ごろこの記

事を知って驚いているだろう。時計を見ると七時半。もうじき四人が逮捕され、カンボジア

人も保護される。サルかホウの会社に行ってみようかと思ったが、テレビニュースで見るよう

なガサ入れの最中かもしれないし、場所も知らない。どうせ一段落つけば理恵から連絡が

あるだろうと思い、それを待つことにした。ここで右往左往しないことである。

八時半を少し過ぎて携帯電話が鳴った。

「予定通り四人が逮捕されたよ。ジワット君たちは携帯電話に出ない。たぶん警察に没収

された」

「今どこ?」

「マルテックの前。ほかの社もみんな集まってる。葉菜恵ちゃんはムービーを撮ってる。テレビ

ニュースで流すんじゃないかな」

「久留米の方は?」

「うちの記者がチマキングのガサ入れを押さえた。スモウが車から引きずり出されたって。

ジワット君の家の近くにパトカーが二台停まってるらしいけど、三人の居場所がわかんない

の。逮捕されたかも知れない」

「保護じゃないのか?」

「警察はそのつもりでも、入管が乗り出してきたら国外追放もあり得るよ」

「そうなのか」

「こないだも言ったけど、警察の仕事は国内法の範囲内でしょ?」

「そりゃそうだろうな、日本の警察だから」

「でも入管はその範囲外ということも多いの。範囲内なら警察や労働局があるから」

「なるほどな」

Page 193: Bar納屋界隈ver 3

「それに警察だって、ジワット君たちの言葉を鵜呑みにする理由もないわけ。不法就労で

逮捕して入管に引き渡すのがいちばん楽だし簡単よ」

「じゃあサルやチマキングはどうなる?」

「不法就労助長の証拠は山ほどあるし、ジワット君たちの証言も調書で充分よ」

「三人は不用ってことか」

「不法に入国したカンボジア人が証言台に立たなければ裁判を維持できないような捜査

を警察がするはずないよ。だったら裁判所が逮捕状を出すわけがない」

「そうなると、こっちには打つ手がないな」

「まあね。国外退去だったら入管の施設に送られるだろうし、日本にまだ居させるつもり

なら、今日中に横山さんに引き渡すはずよ」

「何日かあとじゃないのか?」

「今日中に連絡がなければ留置所か入管送りね。津下さんの家に泊めると思う?」

理恵の言い分はもっともだった。今夜どこにいるかで三人の処遇が決まる。理恵との会話

を終えて、念のため時枝さんに電話をかけた。

「新聞に出ていましたね」

「今朝、逮捕されたそうです」

「悪い人たちが捕まってよかったです。三人はいつごろうちに?」

「ひょっとすると早まって、今日かもしれないそうです。でも来ない可能性もあります」

「こちらはいつでもいいですよ」。時枝さんは落ち着いていた。

十時ごろ冴さんに電話した。新聞を見たと彼女も言った。彼女の家は西日本新聞なので、

九北新聞の販売店まで買いに行ったそうだ。実際に逮捕されたことを教えると声を弾ませ

てよろこんだ。

昼にも理恵から電話があり、警察から連絡はあったかと聞かれた。ないと答えると、ジワ

ットたちの所在がわからず、久留米署も飯塚署も県警に聞いてくれと言っているらしい。と

にかく変化があれば連絡を取り合うことにした。

夕方の四時ごろまた携帯電話が鳴った。津下刑事からだった。いま三人の最後の調書を取

っており、それが終わり次第そちらに連れて行きたいが、夜の七時ごろになりそうだと言っ

た。居住する家に直接連れて行くと近所の目に触れるおそれがあり、納屋の方が駐車場も

広いからいいだろうということになった。三人の到着後、時枝さんに納屋まで迎えに来ても

らう手はずになった。

津下刑事との話が終わってすぐ理恵に電話した。彼女はとても安心し、他紙の状況

を教えてくれた。それによると、九北と毎日にすっぱ抜かれて上司から怒鳴られた記

者もいたそうだ。また、午後の記者会見で、カンボジア人は県内の支援者のところに

いると発表され、記者からそれ以上つっこんだ質問はなかった。毎日新聞の井藤記者

もそれを信じ、長崎の入管施設にいるのではないかと理恵に言ったそうである。

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夕刊は各紙とも大きく書き立て、逮捕者を実名で扱った。チマキング社長の矢崎貴

史は四十歳、スモウこと矢崎陽史は三十六、坂今申は三十一、マルテック社長のホウ・イエンチャ

イは三十九歳である。

「IT社長ら4人逮捕/不法就労助長の疑い」(西日本新聞=一面)。「IT特区の広告塔

なぜ/逮捕の社長飯塚市が支援」(社会面)。

「『IT技術者』に不法就労/カンボジア人スーパーで野菜詰め」(朝日新聞=社会面)。

「『IT技術者』で来日 スーパーで労働

不法就労社長ら助長」(読売新聞=社会面)。

毎日新聞は、マルテックを家宅捜索する捜査員の写真入りで「IT社長ら4人逮捕/技術

者で入国、スーパーで労働/福岡県警二十ヶ所捜索」(一面トップ)。社会面にも「IT不法

就労『地域再生計画』を悪用/入管の審査優先処理」の記事。

九北新聞も一面に、自転車に乗った三人がチマキングに入っていく後ろ姿を載せ、「見かね

た地域住民が救いの告発/問われる入国審査の甘さ」の見出しと記事。社会面は「不法就

労が安さの秘密」と題し、チマキング博多店の野菜売り場を載せた。ほとんど空っぽだった。

記事によれば、チマキングは野菜部門で大きな競争力があり、五店目の出店計画も進んで

いたようだ。

納屋は予定通り開けた。こんな日は余計な工夫をしないほうがいい。

夜の七時過ぎ、橋本と名乗る刑事から、近くまで来たのでもうすぐ到着すると電話があ

った。そして数分後、一台のワゴン車が納屋の駐車場に停まった。店にはSm

etana

のMoldau

流れていた。

運転席と助手席のドアが開いて、ずんぐりした男と細身の若い男が現われ、若い方が橋本だと

名乗った。津下さんは来ないのかと聞くと、今日はもう帰宅したと言った。二人は後方の扉を開

け、中から三人の青年が降りてきた。十月の初めだというのに真冬並みの厚着をしていた。三人

は両手に大きな旅行かばんを引き、刑事に促されて私のほうに歩み寄って、コンバンワと挨拶した。

こっちはカンボジア人にどう対処したらいいかわからない。とにかく店の中に招き入れた。

三人は店内を見回し、一番背の高い一人がマンゴスティンを指差して奇妙な言葉を発し、

背の低い小柄な男とずんぐりした男がそれに応じてまた奇妙な言葉で話した。私は三人を

テーブルに着かせ、刑事から差し出された預り証にサインした。その間も三人は店の中を

きょろきょろ見回している。ここで暮らすのかと思っているのかもしれなかった。刑事から彼

らの住む場所を確認しておきたいと言われたので時枝さんに電話し、店まで来てくれるよ

う頼んだ。時枝さんがやってくるまでの間、冴さんからもらったカンボジアの音楽をかける

と、三人は明らかに喜び、白い歯を見せて笑った。ようやく安心したようだ。名前をたずね

ると、身長一五〇センチくらいなのが日本語の最もうまいリーダー格のジワット、ずんぐり

しているのが、日本語がうまくなくてスモウの一番の標的にされたワットゥ、身長一八〇セ

ンチくらいの長身がヨットだった。彼らはみな色が浅黒かった。時枝さんは三人を見て涙ぐ

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み、これからは何の遠慮もいらないからと言った。三人も少ししんみりし、「ヨロシクオネガ

イシマス」と頭を下げた。どうやら日本語で困ることはないようだった。

刑事と時枝さんとカンボジア人がいなくなり、私は店で一人ぼんやりとカンボジアの曲を聴い

た。日本の歌謡曲にどこか似ていて、明るかった。踊りがあるならあのカンボジア人は踊れるだろ

うか。半時が経って刑事だけが戻ってきて、三人は疲れていたのですぐに寝たと報告し、形式的な

あいさつだけして帰っていった。今夜のところは大きな騒ぎにならなかった。私は普段どおりに深

夜まで営業し、普段どおりに客が来た。理恵は来なかった。

七十

翌朝八時ごろ時枝さんの家に行き、三人と今後の打ち合わせをした。新聞もテレビもラジオも

朝から大々的に報道し、逮捕された四人のうち、チマキングの社長である矢崎貴史は早々と容

疑を認めたが、他の三人は否認していることや、IT特区を売り物にしている飯塚市の驚き、地

元IT企業の困惑などが各紙に載り、電波で流された。毎日新聞の東京版にも掲載され、五日

後にはインターネット配信の英字新聞「The M

ainichi Daily N

ews

」にも載った。

九北新聞と毎日新聞の情報は群を抜いていた。九北の朝刊には公道でフォークリフトを使ってい

るカンボジア人の写真の横に「不審がられたら母国語で話せ」、毎日には「過酷労働日記につづる

―今日はお盆休み

私たち3人だけ働く」の大きな見出しで、日々克明につけているジワットの日

記が公開された。他紙は警察発表の域を出なかった。

主犯格が逮捕されてカンボジア人も姿を消したので、マスコミは副社長のリムに証言を求めた。

リムはマレーシア人ではなく、ホウと同じ大学に通ってマルテックを共同創業したインドネシア人で、

「突然のことで驚いている」、「経営は順調だ。家賃も滞納せず払っている」などの返答に終始した。

逮捕の数日前、ホウは神戸のシンポジウムで言いたい放題だったろう。それが今は鉄格子の中で

ある。日本人の機微も分からないまま自分を高いところに置いていたはずだ。甲斐さんに「アレ」

と称された自治会長がいたが、それと同じくらい間抜けだ。

私は三人に、一緒に出歩くことはしばらく避けた方がいいこと、国名をたずねられたら他国を

名乗り、遠くに出かける時は居場所を教えることなどを命じた。しかし退屈するのもいやだろ

うから、交代で昼間はアパカパール、夜は納屋を手伝ってもいいと言っておいた。その話が終わ

ったあと、ジワットが携帯電話を貸してほしいと言った。日本の友だちが心配していると言

う。今の居所を教えない条件で私から電話を受け取ったジワットは部屋を出て行き、ワット

ゥとヨットが目配せして笑って、小倉のガールフレンドに連絡するのだと言った。そのガールフ

レンドはジワットよりも背の低い日本人で、介護施設の職員だという。今までもずっと、ジワ

ットが休みの前の晩に車で迎えに来て、働く日の朝早くに小倉から久留米まで送り届けて

いたらしい。彼女はかつてカンボジアで日本語の先生をしていたことがあり、その時からの関

係だと二人は話した。なるほど、セックスフレンドか。そうであれば、じきにジワットはこの家

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から姿を消すだろう。そして実際にそうなった。週に一度の外泊が週に数回になり、戻って

くるのが週に一回になり、やがて居を小倉に移した。

それと似たことがヨットにも起こった。彼の場合は週末だけ佐賀から若い女性が車で迎え

に来た。とはいっても私と会うことはなく、近所の街角でヨットを拾い、佐賀まで連れ帰って

ホテルで土日を過ごすのである。一緒に暮らさないのは、この女性が親と同居しているから

で、彼女もまたカンボジアで日本語の先生をしていたという。つまり平日はワットゥとヨット

の二人がいて、土日はワットゥだけが家に残されるのである。ワットゥにそんな話がないのは、

彼にはプノンペンに婚約者がおり、帰国したら結婚式を挙げることになっていたからだ。

そういったことを知るにつれ、不思議さとおかしさが混ざった気分になった。二人の女は

十か月ものあいだ、違法で過酷な日々を知っていた三人に助けの手を差し伸べず、でも週に

一度は久留米まで来て、ジワットとヨットをそれぞれ連れ帰り、濃密な一夜か二夜を過ご

したあと久留米まで送り届けることを繰り返していた。小早川尚美が告発しなければ今も

それは続いていただろう。尚美の告発文にあった広島の原爆ドームや北九州のスペースワー

ルドに連れて行ったのは小倉の女で、長崎の花火大会を見せたのは佐賀の女だったに違いな

い。ワットゥは余計者としてどれも見物させてもらっていないはずだ。こんな女たちが来日以

来ずっと寄り添っていた。もしも彼女らが私の娘だったら、何とか助けようとして私に相談

するだろう。まったくの他人である小早川尚美でさえそうしたのである。そして理恵と伊

藤記者が救出に手を貸し、父親も動いた。その先に私がおり、時枝さんも冴さんも出来る

範囲で手を差し伸べた。小倉と佐賀の女はその陰に、まるで女忍者みたいに隠れ、今もジワ

ットとヨットをむさぼっている。彼女らは人として大丈夫なのか?

せめて時枝さんに手土

産の一つことづけてもよさそうなものである。あるいはワットゥのことも気遣ってやれないの

かと思うが、私の常識とは別の世界に棲息している生き物なのだろう。

久しぶりにジワットが顔を見せた時、小倉のガールフレンドと結婚するのかと聞いてみると、

カンボジア人を選ぶと答えた。ヨットは同じ質問に笑っただけだった。ワットゥに二人の女の

感想をたずねたら、両方の人差し指で目を吊り上げて「カオガ、チープ」と言った。

七十一

「ボランティアに丸投げ、名ばかりの国際交流都市」。「カンボジア人の実情知らず。『プラ

イバシーに配慮』が理由」。九北新聞はこの町に住民登録している外国人の実態把握がずさ

んであることを突いた。市役所に国際交流担当を置いているが、実際には日本語を教えてい

るボランティアに丸投げで、「プライバシー保護」を理由にフォローしていなかった。西日本新

聞は「IT促進、国際交流に打撃」、「留学生支援の市民ら動揺、入国制度に疑問の声も」、

「自社ソフト導入狙い派遣」。読売は「期待された企業…残念」、「スーパー側200万円入

金、あっせん見返りか」と載せた。毎日新聞は「最低賃金も違反か」、「あっせん他にも計画

か、カンボジア人に紹介依頼」の見出しで、最低賃金で計算するとカンボジア人が手にした

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額の五倍になることや、「次は女子学生がほしい」とサルから話をもちかけられた三人は、

それを断ったと書いた。

十月二十六日には一斉に、サルが容疑を認め、飯塚市が国や県と再発防止の協議をはじ

めたと報じられた。そして十一月三日には「不法就労あっせんマルテック、飯塚市が指名停

止」、五日の朝刊には朝日新聞が「点検『入管任せの感』」として、事件発覚まで飯塚市は三

人の来日を知らなかったことを明らかにした。そして十一月八日、サルとホウと矢崎社長

が出入国管理法違反、不法就労助長の罪で起訴され、スモウは証拠不十分で処分保留と

なった。「三人が日本に来た経緯はしらない。自分は仕事を命じていただけ」と言い張ってい

たらしい。本件は暴力行為を問うてはいないのである。裁判は福岡地裁久留米支部で行な

われることになった。

甲斐さんの文章を久しぶりに貼りかえた。

幸せのなり方

幸せになるには二つの道がある。

一つは、自分が目指したい人なり形なりをみつけ、それを目標に生きる道である。

もう一つは、自分の助けを必要としている人に援助の手をさしのべることである。

この二つのどちらか一つ。両方ともは無理だ。人がなかなか幸せになれないのは、この

二つのどちらかに身体が正しく向いていないからである。

時枝さんは同居人をとてもよろこんだ。息子が帰ってきたかのように、孫を授かったかの

ように、ヨットとワットゥの面倒を見た。近所には留学生を短期で預かっていることにし、好

きなものを食べさせ、自由にさせ、たまに買い物に同行させて荷物を持たせた。二人は食

費の一部を負担しようとしたが時枝さんはたいてい断り、しかしたまには受け取った。おか

しそうに私に、モツ鍋をよろこぶとか、朝晩入浴するがシャワーしか使わないと笑ったこと

がある。

ヨットは昼間アパカパールで冴さんの仕事を手伝い、ワットゥは私と一緒に現場仕事で汗を

流した。彼ら二人は酒がほとんど飲めなかったから夜に納屋に来ることは滅多になかった。

週末になるとヨットも佐賀の女忍者と闇に消えたので、土曜の夜だけワットゥは納屋で過ご

した。九工大の留学生アルバイトという触れ込みで、国籍はタイではどうかと聞くといやな

顔をしたのでインドネシア人ということにし、客のいる時は英語だけ使うようにした。日本

に不慣れで会話もままならないという設定で、彼はそれを面白がり、客もよろこんだ。

客のいない時はワットゥから踊りを習った。両手を腰のあたりでチョウみたいにヒラヒラ動

かして腕を広げたり狭めたりするのがサラヴァン、人差し指と親指で輪を作り、それをゆっ

くり広げながら蓮の花の開花を表現するラムヴォンとラムリーヴ、もっとも優雅なのはタロ

ーンだ。CDの踊りは五種類あり、ワットゥは四つをうまく踊った。私たちは無邪気に笑い、

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互いのうまさを褒めあった。残念だったのはワットゥが酒を一滴も飲まないことで、それどこ

ろか体に良くないから量を減らした方がいいと言った。私が、「長生きしようと思って酒を

やめようとしたら、ワインが『それで千年生きられるのか』と笑った」と話すと不思議な顔を

した。さらに、「カンボジアにも日本にも、楽しく生きられずに亡くなった人がたくさんいる。

その人たちの代わりに、楽しく生きようじゃないか」と話したら、いい言葉だと褒めた。また、

「仏陀は生きる苦しさの中に真実を見つけようとしたが、楽しく生きるのはそれと同じく

らい真実だ」と言うと、本当にその通りだとうなずいた。

ワットゥとヨットと一緒に、車で十分くらいのところにある川筋太鼓ジャパン・マーベラスの

練習場を見学した。荒々しい気質の和太鼓で、海外公演も頻繁に行なっている。ちょうど老

齢の代表者がおり、彼には二人がカンボジア人であることを正直に言った。代表者は私たち

のような突然の訪問者に慣れており、練習生や指導員の手を止めさせて、ワットゥとヨット

を特別な観客と見立てて一曲演奏してくれた。二人は和太鼓に強く心を打たれたようだ

った。さらに代表者は二人にバチを握らせ、指導員をつけて三十分ほど練習させた。こうい

った心配りが川筋気質を思わせた。その二週間後にコスモスコモンでライブがあるというので

チケットを四枚買い、ジワットを呼び戻してみんなで見に行った。ステージでスポットライト

を浴びたジャパン・マーベラスは輝きを放ち、満席の観客を陶酔させた。ステージが終わり、

マーベラスの団員みんながバチに名前を寄せ書きしてワットゥとヨットにプレゼントしてくれ

たが、ジワットの姿は消えていた。逃げるように小倉への帰路についていた。

日曜日に二瀬公民館で秋の国際交流バザーが開かれた。二瀬地域の恒例イベントらしく、

アニーの屋台をワットゥと私が手伝った。ほかにブラジルとインドネシア、中国、バングラデシ

ュのテントが張られ、町内会や子供会、九工大のへたなジャグラーも参加してずいぶんにぎ

わった。ブラジルはコーヒーと手作りケーキ、インドネシアはチキンの串焼き、中国は水餃子、

バングラデシュはカレーを売り、アニーは一度食べたことのある餅米の菓子を販売した。ブラ

ジル人と中国人は大声で客を呼んでいた。私とワットゥはインドネシア人のテントに近づか

なかった。マルテックとつながっている人もいるだろうから、ここで不要なトラブルは起こした

くなかった。

公民館の建物の中にミャンマー支援の写真展示があり、一人の老人が腰掛けていた。どこ

となく甲斐さんに似ていたので、アウンサン・スーチーの国ですねと関心を装って近づいた。

この老人は元国鉄職員で、定年退職してミャンマーに学校を建てる活動を一人でやっており、

すでに九校建てたと言った。資金は古紙回収でまかなっているらしい。最近カンボジア人が

話題になっていますねと話すと、老人は「ホウがあんなことをしたとは今でも信じられない。

良かれと思ってやったことだろうが、不幸な目に合って気の毒だ。日本の法律に疎かったこと

が裏目に出たのだろう」と、にこやかにではあったが、非はホウ以外にあるような口ぶりだっ

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た。ホウが学生だったころからのつきあいで、引越しも手伝った仲だという。「佐賀県のNGO

がサポートしていたらしい」。そう水を向けると彼はにやりと笑い、佐賀のNGOはミャンマ

ーにも来ているが、現地のランク付けでは日本のNGOの中で最低だと言った。

テントに戻ってワットゥに、ホウと親しい老人がミャンマーのコーナーにいることを教え、アニ

ーに料理の売れ具合をたずねると、材料費は日本語教室から支給されているので赤字に

ならないから、早く売り終えて帰りたいと言った。子供を夫に預けているのである。そこで

公民館職員から赤のマジックインキを借り、料理の値段表示の上から「半額」と大書した。

それに釣られて客が集まりはじめ、じきに完売した。

片づけを手伝いながらアニーに、納屋にピアノを置いたら弾きに来るかとたずねた。彼女

は、家に中古の電子ピアノがあるが、家事や子供の世話でほとんど使っていない、買って損を

した、納屋に置かせてくれたら練習しやすいかもしれない、と言った。今もネット喫茶で夫

と働いており、時間をやり繰りすれば週に何度か、昼か夜に練習できるそうである。彼女

は車の運転免許を取り、行動範囲が広がっていた。ピアノの値段を聞くと安かったので、そ

れを買い取っても構わないと申し出た。

翌日の夕方、アニーが軽自動車でピアノを二回に分けて運んできた。鍵盤と脚をボルト二

本で固定するのは簡単だった。代金を受け取ったアニーは私の求めに応じて一曲弾いた。竹

田の子守唄だった。最初の発表会で弾いた曲だそうだが、これではピアノバーは無理だ。

ワットゥはたまに私の携帯電話でカンボジアに電話をかけた。短時間だが、日をおいて何

度も話した。うれしそうな表情と甘ったるい声で、話し相手が婚約者だと分かった。コンビニ

で国際電話のカードを買い、そのカードのナンバーを祖国の電話番号の前に入力すれば、千

円で一時間以上話せるのである。

三人はカンボジアの家族に日本の状況を詳しく説明していなかった。心配するからという

のが理由だが、日本語学校仲間や善意のある現地医療NGOの日本人、そして三人のあと

から日本に来る予定だった後輩らは事件の概要を、日本各地のカンボジア人から知らされ

たはずで、それは三人の親や兄弟にも伝わっていただろうと、彼らが帰国したあとになって

思う。いくら電気のない田舎でも、日本からの送金が絶え、住まいが変わり、連絡がついて

も帰国のことを口ごもれば、重大なトラブルに見まわれていると感づいたはずである。

インターネットが身近にあれば婚約者と頻繁にメールのやり取りができるとワットゥが言

った。カウンターの下にノートパソコンがしまいこんであるのを思い出し、今もインターネット

につながるかどうかは不確かだったが、それをごそごそ取り出してカウンターの上に置いた。

ワットゥが目を輝かせ、さっそく電源をつないでスイッチを押すと、XPという文字が現われ

て起動音が鳴った。しかしここから先が分からない。弁当箱くらいの大きさの黒い箱の配線

が分からなかった。それで斜め向かいの村田の主人に頼んだ。村田氏は簡単につないでくれ、

カメラはあれからずっと作動し続け、それを見てアパカパールの客も増えたので、彼の妻が

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何度かアパカパールに招待されたと言い、納屋の客も増えたのではないかと聞いた。私は首

をひねってそんな客は知らないと答えたが、たまに一見客がいないわけでもなかった。

ワットゥはさっそくだれかに英文のメールを送っていた。土曜の夜だったが客が来るまでに

時間があった。私がいつものように開店準備をしていると、ワットゥが私を呼び、パソコンのホ

ルダーに保存された動画を見せた。そこには納屋に入っていく理恵が映っていた。納屋の前

に赤い自転車を停め、ドアを開けて中に消えるまでの短い時間を、ウェブカメラの録画機能

を使って宮内君がコレクションしていた。ほかに動画はなかった。私は彼をいとおしく思った。

これを宮内君の仕業だと教える必要はないので、私のいたずらだと説明すると、ワットゥは

両手でSのカーブを描いて「ボディガスゴイネ」と卑猥に笑った。「リエサンハ、メンキョハアルケ

ドウンテンシナイ」とも言った。この動画が理恵に見つかると叱られるので消すことはできな

いのかとたずねると、ワットゥはホルダーを画面上のゴミ箱の中に捨てた。なるほど、なかな

かよくできている。

第十一章

七十二

カンボジアの三人は帰国までの日々を安穏と暮らしていたわけではない。私の手を必要と

する出来事に何度か見舞われた。

彼らがカンボジアで知り合った老人グループが東京におり、そのうちの何人かが博多に遊

びにくることになった。事件のことはカンボジアに関係のある日本人に知れ渡っていて、久し

ぶりに会いたいとジワットに連絡してきた。ジワットはガールフレンドから携帯電話をもらっ

ていたので頻繁に連絡を取り合っていたようだ。その話を聞いて私は「博多でおいしいものを

いっぱい食べさせてもらったらいい」と快諾した。

約束の日の朝に三人はうきうきした顔で博多に出かけ、夕方に沈んだ顔で帰ってきた。ど

うしたのかとたずねると、会えるはずの老爺老婆は来ておらず、代わりに鮒内という見知

らぬ男が一人いて、行政書士の名刺を出し、福岡から逃げろと言ったらしい。ジワットたち

の話を総合すると鮒内はこう言った。「このままではキミたちも罪に問われて強制送還され

る。私のところに来たら、日本政府は新しいビザをくれるし、働くこともできる。入管にだ

まされてはいけない。キミたちを助けるために私たちがマスコミに登場してもかまわない」。

あきれた話だった。女忍者だけでなく年寄りもこうだ。カンボジア人三人を保護した者と

してテレビに出たいのである。だったら最初から助けてやればよかった。でもそれはやらずに

尚美にさせた。しかし彼ら年寄り連中もかなり頭が悪いとみえ、鮒内は名刺をヨットに渡

していた。事務所の所在地は東京都新宿区となっている。私は津下刑事に連絡し、福岡入

管にも電話して強く抗議した。津下刑事はその日のうちに納屋に来て、ちょっと調べてみる

と言って名刺を預かった。そしてジワットら三人に、いま逃亡しても新しいビザはもらえない

し、警察は保護する立場から追う立場に変わるから、逃げ隠れして暮らすことになり、も

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っと過酷な目に合うだろうと諭した。それでどうにか収まったが、難儀なことにそのあと、

名刺を津下刑事に渡したことにヨットが腹を立てた。他人に見せないと鮒内に約束したの

だという。まるで子供の立腹だ。辟易し、うんざりし、どうでもよくなった。

鮒内は翌日からたびたびジワットに電話をよこし、入管への対応を指示した。「入国管理

局が何を言っても、すべて保留し、その内容を私に連絡しなさい」。三人にすれば、東京に

強力な援軍がいると感じていたようだった。今のままではおそらく、まずジワットが逃げる

だろう。そうなると厄介がこっちに回ってくる。理恵に相談すると、久留米で日曜日に開催

されている外国人法律相談会に三人を連れて行けば、行政書士はそこらにいることがわか

るのではないかと言った。ただし今、理恵が久留米に行く理由はなくなっていた。そこで私が

自分の車で連れて行くことになった。

三人は久しぶりの久留米を懐かしがったが、うれしそうではなかった。こっちだってうれし

くはない。あらかじめ県の行政書士会に連絡しておいたので、相談会には五人が待っていた。

尚美が相談した相手もいた。三人は行政書士と話して、こういった職にある人は鮒内のよ

うにうろちょろしないと分かったようだ。そしてその席にいた一人から、外国人労働に詳し

い川島弁護士を紹介された。民事訴訟を起こして未払い賃金や損害賠償を請求したほう

がいいとの助言である。それでまた後日の平日、三人を私の軽自動車に乗せ、冷水峠をのろ

のろ走って久留米まで連れて行った。どうしてここまでしなければならないのかと思いつつ。

川島弁護士は、訴訟を起こせばおそらく勝てるが、二年か三年の長丁場になること、示

談に持ち込むにしても今の滞在期間中には間に合いそうもなく、しかし書面で裁判は続け

られるので、それでよければさっそく手続きに入ると言った。費用の支払いはすべてが終わっ

てからでいいという。異存のあるはずがなかった。勝てば三人は大きな金を手にし、罪を逃

れたスモウとスモウの母親にもダメージを与えられる。

三人の同意を私から聞いた川島弁護士は、こんなことを言った。

「久留米の組合に助けてもらうつもりだ。住む家を手配するので、こちらで生活して、組

合の人たちとチマキングに圧力をかけたらいい」

それは即座に断った。「カンボジアから来て一年もたたないのに、デモ行進の最前列で横断

幕を持って歩かせたり、労働者の集会で訴えさせたり、プラカードを持たせて大声で叫ば

せたり、募金箱を手に街頭に立たせたりはしないでください。自分が何をやっているか理解

できないことをさせて英雄扱いするのはよくない」。弁護士は言い分を引っ込めたが、弁護

するはずの者が、主張する者にすり替わろうとする臭いを感じ、若干の不信感を抱いた。

サルらの裁判は久留米で行なわれた。初公判の日に三人は裁判を傍聴し、九北新聞久留

米支局と大手各紙の記者、津下刑事も来ていた。川島弁護士は自分の存在を隠しておいた

方がいいとの理由で来なかった。傍聴席にはサルの父親がいて、ジワットらに形ばかりの謝罪

をした。スモウの母親も離れたところにいた。ジワットたちは、被告人席で手錠をかけられ

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たサルを見て複雑な気持ちになったようだ。被告人三人は情状酌量をねらって、容疑をほ

とんど認めたという。私は傍聴に行っていないので、あとでワットゥが教えてくれた。

二回目の公判には、佐賀県にあるカンボジアNGOメンバーで、ジワットたちから日本の母

親のように慕われている中年の女性が、被告側証人として証言台に立った。彼女は「坂今さ

んはいい人。純粋な気持ちでカンボジア人を助けようとした」と証言した。矢崎社長の母親

も証言台に立ち、検事から「カンボジア人に非人道的な食事を与えたのではないか」とたず

ねられて、記憶にないと答えた。ホウの妻は「夫は悪い人ではない。たぶん巻き込まれたのだ

と思う」と無実を訴えた。閉廷してジワットらはカンボジアNGOの女性に、なぜサルを弁護

したのかと詰め寄った。すると女性は、「あなたたちは小学生と同じ。日本人はみんな毎日

十五時間以上働いている。どうして私たちに助けを求めなかったの!」と叫んだという。彼

女も愚かというよりほかなかった。自己責任だと三人に言い、がんばれと煽ったのがこいつら

だろう。尚美の告発があるまで沈黙を続け、自分たちが保護者に選ばれなかったことを恨

んでサルの側に立った。納得できないジワットは同日の夜、その女性に電話して、いかに三人

が彼女を慕っていたかを話したら、電話の向こうで泣いて謝ったらしい。ワットゥがあざ笑う

ように言った。「ニホンノオカアサン、サヨウナラー」。

三人を保護していた間にこういったことが起こり、しばらく人間不信になった。後進国を

援助する日本のNGOは案外、うだつの上がらない人たちが自他を見返す場にしているのか

もしれない。

ほかにも、カナダで妻と暮らしている成沢という男から国際電話があった。内容を要約す

ると次のようになる。

「先日、東京の息子から電話があり、毎日新聞の記事を読んでくれました。それを聞いて

いる途中で涙があふれ、息子の声が聞こえなくなりました。日本にあなたのような人がいて、

とてもうれしいです。久留米の市役所にジワット君たちを連れて行ったのは私です。三人が

大学生だったころにカンボジアで親交が生まれ、彼らが日本に来てすぐ、カナダから会いに

行きました。そこでとてもひどい扱いを受けていることを知り、久留米市役所に連れて行っ

たのですが、一日しか久留米にいることができず、はらわたの煮え返る思いで東京に帰りま

した。本来なら私のやるべきことを引き受けていただいて、感謝の言葉もありません」

ジワットからのメールで私の携帯番号を知ったらしく、年齢は私よりも五歳上、大学を卒

業してカナダに渡り、日本に納入される米国製のミサイルや軍事レーダーの性能試験をや

っていると言った。あとでジワットに確認したら、市役所に行く前に善導寺駅前の交番に一

緒に行き、そこの署員から役場に申告しろと言われたらしい。

さらにもう一つ。NHKの記者と称する男からも携帯電話に連絡があった。三人をインタ

ビューしたいと言う。私は緊張した。時枝さん宅や納屋に連絡があれば情報が漏れたと推

察できるが、携帯番号を知っているのは理恵と尚美の父親と、ジワットらと、津下刑事と、

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入国管理局、労働局くらいである。この男はNHK記者ではなく、こちらの理解を超えたと

ころで大きな落とし穴が仕掛けられようとしていると私は考え、「三人がどこにいるか知ら

ない。会おうと思えば会えるが、それは久留米署を経由してのことで、もし会いたければ津

下刑事に連絡したらどうか」と伝えた。男は落胆を露わにし、三人の所在のヒントでも知り

たいと食い下がるので、片島のジョイフルで会うことにした。ともかく一度会って、危険であ

れば排除しておく必要があると考えた。電話のあとすぐに理恵に連絡し、NHKの記者に

私の電話番号を教えたかと確認した。でも理恵は、他社に教えるはずがないと言った。

待ち合わせ時間ちょうどに背の高い、若くて骨ばった男がジョイフルのドアを開け、誰かを

探しているようだったので、手を挙げて呼んだ。彼はNHK記者の名刺を出し、最近、関東か

ら福岡に単身赴任したと言った。中村という報道記者で、私の電話番号をどう知ったかは

口が裂けても教えられないと言う。取材に応じたら出演料をもらえるのかとたずねると、

「そんな場合は取材を断るようにしています」と答えた。それで彼を信用し、三人を会わせ

ると約束して、明日NHKに電話すると伝えた。

一週間後、中村記者は手のひらサイズのビデオカメラを持って時枝さんの家に現われた。

ポータブルだがハイビジョンで、照明も音声担当も不要だという。彼は三人の首から下だけ

を撮りながらインタビューした。途中で一度だけ、顔を撮りたいと私に申し出た。むろん断

った。やはり記者は目が離せない。何をするか分からない。

取材が終わって中村記者は三人を食事に連れて行った。それには干渉しなかった。あとで

聞くと焼肉を食べたそうである。NHKはカンボジアでも見られるらしく、日本を代表する

テレビ局に取材されたことは三人のプライドをくすぐった。NHKとしては暴力的取り扱い

に焦点を当て、スモウの起訴と同時に、三人がチマキングの建物を指差し、「それはこの建物

の中で行なわれた」という流れにしたかった。しかしスモウが不起訴になったため、放映は見

送られ、お蔵入りになった。

ある時、三人のうちの一人にたずねてみた。

「サルはばかだから、たぶんまたカンボジアに行く。それを知ったらキミらはどうする?」

答えはすぐに、よどみなく返ってきた。

「そのことはいつも考えている。それがいちばん簡単。カンボジアには銃がたくさんある。サ

ルが消えたら、やっと頭から先生が消える」

私の心に小さなよろこびが走った。でも理性は、それはよくないとたしなめた。三人のうち

の誰かが、あるいは共謀してサルを葬れば、生涯だれにも言えない秘密を持つことになる。

それはあまりにも大き過ぎ、心を蝕んでいくことは目に見えている。それで私は笑いながら、

そんなことをしたらサルと同じレベルになって損をすると話したが、本心ではやはり、サルも

ホウもスモウも兄も、スモウの母親も、この世から消えてしまうことを願っていた。

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何日かに一度、納屋は理恵と私だけの作戦室みたいになった。店を閉める時間に理恵は

自転車で、たまに菰田駅から歩いてきて、記事にならないことをいろいろ教えてくれた。た

とえば逮捕された四人は県内の別々の署に一人ずつ拘留されて取り調べを受けていること

や、スモウは久留米から飯塚署に連行されたが、体のあまりの臭さにシャワーを浴びるよ

う命じられ、四日後にようやく取り調べができるようになったというような話である。

「逮捕した刑事さんは鼻が壊れたんじゃないかなあ」

「さらに車で飯塚まで二時間だからな、車内の刑事は気を失いかけたんじゃないか」

私たちは笑った。スモウを裁く前に刑事が罰を受けているのだから酷刑(こっけい)だ。

マスコミはジワットたちの行方をあまり気にしていないようだった。長崎にある入国管理局

の施設か、北九州の検察庁官舎に半ば拘束され、それを民間の支持者が援助していると思

い込んでいるようで、この町にいることは毎日新聞も知らなかった。

坂今申が金銭の授受もなく不法就労助長に手を貸した理由についても語られた。サルと

親しい知人の証言として、サルは次の市議会議員選挙に立候補するつもりだったらしい。中

高生時代に素行が悪くて何度も補導され、困った父親がカンボジアに行かせたというのが

真相のようだが、そのサルが日本語教師として活躍していることが新聞に載り、地元で名士

の端くれになっていたようだ。立候補が本当なら、教え子の面倒を今も見ているとのふれこ

みでポスターやチラシに三人を登場させる腹積もりはあっただろう。「最後まで責任を持つ

明日の政治家」。そんなところか。でもその算段が崩れ、立候補する前に新聞やテレビで名

が売れた。それにしても、女忍者たちもサルも、そしてジャマイカ人のハリーとくっついた女

も、みんな「日本語の先生」だ。

理恵はほかにも、副社長のリムが毎晩遅くまで警察の取調べを受けたことや、サルの父親

はどこかの業界団体の有力者で国会議員に顔が利き、サルたちが逮捕されると直ちに一人

の国会議員が久留米署を訪れて署員の失笑を買ったこと、県内五か所にあるチマキングの

売り上げが激減しているらしいことも話してくれた。

判決は年内に出た。年をまたがないだろうとは言われていた。予想通り執行猶予付きの

有罪判決で、それとほぼ同時にジワットらは民事訴訟を起こした。サルとホウと矢崎社長

は、カンボジア人はもう日本にいないと思い込み、裁判官の心証をよくするために容疑をす

べて認めて、「三人のカンボジア人には誠意をもって償いたい。未払い賃金も全額払うつもり

だ」と証言していた。川島弁護士はその言葉を待っていた。

年末年始の休みはワットゥを車に乗せて山口県の実家に帰った。岩国の錦帯橋や米軍基

地周辺を見せ、広島の山奥まで遠出してスキーにも連れて行った。ノーマルタイヤの軽自動

車だったから相当こわかったが、それの分からないワットゥは窓の外の雪景色に何度も感嘆

の声を上げた。冬に来日したから雪は初めてではなかったが、久留米とは積もりようが違っ

た。中国自動車道は雪かきがされており、天候にも恵まれた。初めてスキー板の上に立った

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ワットゥは転んでばかりだったが、初心者教室のコーチがうまく誘導し、すぐに真っ直ぐ滑

れるようになった。私はスキーに興味はなく、食堂でコーヒーを飲みながら、誰かが置き忘

れた「アルケミスト」という文庫本を読んで時間をつぶした。母はワットゥを親切にもてなし

た。我が家を訪れた初の外国人というだけでなく、事情を知り、新聞の切り抜きを繰り返

し読んで、普通の日本人なら怖がって助けないだろうと言って尚美をほめた。私が預かった

ことには当然顔をし、三人が日本を嫌いになるのではと心配した。そこには素朴な日本人

の感想があった。そして私がワットゥから踊りを習っていることにとても驚き、笑い転げた。

七十三

入管も検察も裁判が終わるまで、三人の生活費はまったく気にかけず、所持金は徐々に

減っていった。便宜供与を避けるとはいえまったくの放置状態だったので、私は福岡入管に帰

国費を、労働局には未払い賃金の早急な払い戻しを何度か求め、その都度はぐらかされた。

むろん入管も労働局も何もしなかったわけではない。二度か三度、宮内さんの家で三人の

証言を取って事実を明らかにしようとしていた。しかしあまりにも作業はのろく、私は業を

煮やして入管に悪態をついた。

「三人は韓国製の中古バイクを一台買えるくらいのお金しか残っていない。自費でカンボジ

アに帰れないので、彼らに荷物をまとめさせて福岡の入管まで連れて行く。そうすればあ

なたたちの目の前に不法滞在の三人がいることになるから、無視するわけにはいかなくなる。

法に従って強制退去させてくれたら、私も三人も大助かりだ。それとも路上に放り出して

警察に通報しようか。飯塚署はしぶしぶ三人を保護し、入管に引き渡すはずだ。もっと早

くにそうすればよかった」

困った入管はすぐにマルテックと交渉し、三人の帰国費用だけは捻出させた。

労働局はチマキングに経営責任を問う証拠固めに実態を明らかにしようとはしたが、違

法な就労だから正当な賃金は請求できない、未払い分は民事で争えとの態度に終始した。

三人の帰国が近づいていた。ワットゥは私に、カンボジアに遊びに来てくれたら村を挙げて

歓待すると言った。結婚式にも参列してほしいと言われて悪い気はしなかった。私と彼との

間に友情は芽生えなかったが、親しさは増していた。彼は婚約者のことを想い、私にカンボ

ジアの踊りを教え、ジワットとヨット、そして小倉と佐賀の女忍者からほったらかしにされて

も笑顔を絶やさずにいた。

いよいよ帰国の日が決まり、それを告げに入管の職員が二人来た。ジワットも呼び戻され、

職員は三人に、一月十三日の朝八時に車で迎えに来ること、強制処分だから五年間は日

本に来られないことなどを通知した。三人は無表情で聞いていたが、自分たちにはペナルテ

ィが課せられ、スモウは無罪放免じゃないかと思っていただろう。民事裁判は訴状を出した

ばかりで、はじまってもいない。結末が見え、解決は見えなかった。

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私は職員の一人を外に連れ出し、身柄を引き取りに来る時刻を一時間早めた方がいいと

言い添えた。万が一の可能性としてジワットが直前に逃げ出すかもしれないからである。ジ

ワットは帰国の前の晩から宮内さんの家に戻るが、朝早くに小倉方面から一台の車が静か

に現われ、荷物とともに消えてしまうのではとの疑いを私は持っていた。行き先は鮒内のと

ころである。女忍者はそれくらいやりそうだし、あとで責められても泣きじゃくるだけのこ

とだろう。それを聞いて、スキンヘッドであごにひげのある関西弁の若い職員は了解した。

ようやく余計なことが終わったという安堵と虚しさに包まれた。どうなるか分からなかっ

たことが、どうにかなった。まさしく一休和尚の「大丈夫、なんとかなる」だった。それにして

もサルとスモウらは余計なことをした。多くの人に無駄なことをさせた。ありもしない知恵

を絞り、ありもしない縁を使った結果がこのざまだ。はたから見ると大事件だったが、内情

の一つ一つは、私や川島弁護士の立ち回りも含めて、どれも安っぽい。賞賛は尚美だけにふ

さわしい。ほかの者は皆、やらなくていいことをやらされた。自分の身に起こることのすべて

に何らかの意味があると言うが、もはや踊ることもないカンボジアの踊りを習ったことと、

スモウが四日間連続でシャワーを浴びることができたこと以外に、どんな意味があったのだ

ろう。時間と金をドブに捨てただけである。それが、安堵と虚しさの理由だ。

三人の帰国の日を私から聞いて、理恵はようやく決まったかという表情をした。時枝さん

も、ついに来るべき時が来たというような顔をした。冴さんは三人に何かプレゼントをしたい

と言った。津下刑事は、別れの挨拶をしたいからフライトの時刻を入管に聞いてほしいと私

に頼んだ。もっともだと思って問い合わせると、三人は強制退去なので空港で誰にも会えな

いとの返事だった。それが決まりならしょうがなく、私も空港まで行かなくて済むわけだ。

しかし事情を聞いた津下刑事は、そこまでやるのかと言葉に憎しみを込めた。私は津下刑

事に親近感を抱いていた。もし私が罪を犯して逮捕されるとすれば、彼に手錠をかけられ

るなら納得する。

帰国まであと数日。私はワットゥに、カンボジアで日本人はどんなふうかと質問し、彼の

知っている範囲で教えてもらった。

現地の女性と結婚したある日本人は、妻の名義で広い土地を買ったが、今は一日のうち

十六時間、妻を見張っている。目を放したすきに「自分名義」の土地を売って換金してしま

うことを恐れているのである。九州出身の老人は幼な妻との間に三子をもうけたが、三人

目が実の子供ではないことを彼だけが知らないまま死んだ。二人の四十代の日本人は、ど

ちらもカンボジア人の妻が現地の男性と不倫をして妊娠したので、一人は息子を日本に連

れ帰って消息不明、もう一人は現地で独身暮らしをしているという。中古のベンツを乗り回

していた五十代の男は、カンボジア人の妻との間に生まれた子供のDNA鑑定をしようとし

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たが、妻は絶対に応じないらしい。

そういった話にびっくりして、カンボジアの女は皆そんなに下半身がだらしないのかとたず

ねると、カンボジアでそんな目にあうのは、路上の物売りや田舎出身の店員など、最初に会

う女をすべてのカンボジア女性だと思い、これならどうにでもなると高をくくる。実際には

金持ちで高学歴のカンボジア人は多く、エアコンも炊飯器もホットシャワーも水洗トイレもあ

る家は少なくない。しかしその階層の人たちは日本人の目に到達しないという。カンボジア

人がルノーを運転している横を日本人は安いサンダルで歩いている。下半身は日本の女のほ

うがゆるいとワットゥは言った。

いちばん驚いたのは、アンコールワット遺跡のある町にはエレベーターやプールのある五つ星

の高級リゾートホテルが国道沿いにいくつも並び、金持ちのカンボジア人は高級住宅街で昼

間からバレーボールをやって遊んでいるという話だった。地雷で足のない子供と学校がなくて

勉強できない子供、あるいはHIVの子供の多い国だと思っていた。ワットゥに言わせると、貧

乏でかわいそうな面だけが報道されて外国から観光客が大勢来るようになったらしい。か

わいそうな国を訪れていい気持ちになる。これがカンボジアを有数な観光地にした。「貧乏

国を哀れむ楽しみ」というテーマパークが観光客によって作られた。

ワットゥは「ジャポンガール・ウォーク」なるものを実演して見せた。つま先を内に向けて立

ち上がり、尻を後方に突き出してアヒルのように歩いた。こうやるとみんなが「ジャポン!」

と囃し立てて笑うそうである。ワットゥは調子に乗り、ゆかたを着て腰に木刀を差した「ナ

ゴヤのサムライ」が警察に連行された話や、身の丈ほどのギターを背負った小柄な日本人女

性がわき目も振らずにストリートの端から端まで通過したという謎めいた話をしてくれ、

どれも私を笑わせたが、少女売春の釣果を自慢しあう老年日本人グループや、孤児の娘

を探し回って警察の事情聴取を受けた老人、若い妻を求めて面接したがすべて女の方から

断られた老医者などは笑えなかった。こういったことが現地であからさまに行なわれている

ので、カンボジア人の目に日本は「エロと絶倫の国」と思われており、日本のレストランでは女

性が全裸で横たわり、その上に盛られた寿司や刺身を日本のファミリーが食べていると、カ

ンボジア人の多くが信じているらしい。カンボジアのドラッグストアに売られている滋養強壮

剤はどれも中国製だが、たいてい「日式」の漢字と日の丸が印刷されているそうである。ワッ

トゥら三人が来日して日本のテレビを見た時、積水ハウスのCMが「セクシーハウス」と聞こえ

て仰天したことなども教えてくれた。

帰国の日が明日に迫り、夕方にジワットが小倉から戻ってきた。冴さんがちょっと顔を出

し、消しゴムで消えるボールペンとネクタイを三人に渡した。宮内さんはそわそわしているだ

けだった。三人は少ない所持金の中から、冴さんにはどこかのスーパーで買った菓子類、宮

内さんには冬用の靴下をプレゼントした。私には赤ワインを六本と、クロマーという木綿の首

巻きも各人がくれた。私は感謝の言葉以外に何も彼らに与えず、クロマーの一本を首に巻

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いてみせると、ワットゥが「ニアウネ」と言った。

普段と変わらず店を開けた。理恵も津下刑事も連絡をよこさず、静かな夜になったが、

三人が宮内さんと悲喜こもごもの会話を交わしたならそれでよかった。

翌朝、入管はやはり一時間早く来て、無事に帰路についたと、あとで宮内さんから聞か

された。みんないい子だったと彼女は言った。ヨットはカンボジアの料理を作ってくれ、なかで

も豚肉の生姜炒めはとびきりおいしくて、冴さんに食べさせたらアパカパールの定番メニュー

に加えることになったそうである。最後の夜、宮内さんは息子の使っていたカメラで互いに記

念写真を撮り合い、それをカンボジアまで送りたいと言った。そして、生きていたらいいこと

もある、あの子たちとまた会えるだろうかと、独り言のように聞いた。もしも三人が日本に

来ることがあれば真っ先にこの家に来ますよ、だってここはいつまでもいられる自分の家です

からね、そう私は言っておいた。

二日後に理恵が来て、ジワットたちがプノンペン空港に到着したとメールがあったことを教

えてくれた。しかし直行でカンボジアに帰ったわけではなく、さんざんな道中だったらしい。

福岡空港から台湾に行き、そこで乗り換えて香港、さらに別の機でタイに降り、タイの空

港施設に一泊したあと、ようやくカンボジアに帰れた。福岡から入管は付き添わず、カン

ボジア大使館の職員が同行したわけでもなく、三人だけで特別なドアから機内に乗り込み、

行く先々で空港職員から犯罪者まがいの扱いを受けたようだ。タイの宿泊部屋には悪人面

の不法入国者が何人もおり、折しもタイとカンボジアには国境をめぐって武力衝突が起こっ

ていたので、三人は部屋の隅っこにうずくまって、腹いせにタイ人から殺されるかもしれない

と恐怖の一晩を過ごしたそうである。

私は、「タダでそれだけの国に行けたのだから幸運じゃないか」と答えて笑った。ジワットと

ヨットが震え上がったのはいい気味だった。でもワットゥは気の毒だった。理恵が納得いかなか

ったのは、福岡からカンボジアまでは、ベトナムを経由して、その日のうちに着くのに、なぜそ

んな航路が手配されたのかという疑問だった。「日本のお荷物として扱われたんじゃないか」。

そう腹を抱えて笑うと彼女は私を強くにらんだ。

その二か月後、飯塚市から指名業者を外されたマルテックは経営不振で自主廃業し、十

数人のマレーシア人とインドネシア人の社員は福岡のIT企業が身請けした。ホウは妻と子

供が日本国籍であるために国外退去を逃れたが、永住ビザが取り消されて一年ごとの更

新となった。チマキングも数億円の負債を抱えて倒産したと新聞に載った。サルはサルベを兄

に任せ、韓国色の強い民団主党に取り入って、地元選出国会議員の私設秘書になったらし

いとのうわさが流れた。

さらにずいぶん日にちが過ぎて、津下刑事が納屋に来た。彼は自宅が福岡市内にあり、

久留米まで通勤していた。これでもう会うことはないでしょうねと互いに労をねぎらったあ

と、もうじき久留米署から本部に転勤になると津下刑事は言った。栄転なら彼の良い性分

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が理由だろうし、そうでなければ、やはりそれも彼の性分が原因だろう。私は彼に、ずっと

納得できないでいることを質問した。それは、川島弁護士が労働組合を引き連れて解決に

あたろうとしたことである。あれは法廷闘争上、必要なことだったのか?

津下刑事はしばらく黙ったあと、これから話すことは個人の発言だし、マスコミを通じて表

ざたにもなっていることだと前置きして、ある不法就労事件について語った。

日本の縫製業は斜陽産業と呼ばれて久しい。ライバルは中国や、中国を迂回して日本に

入ってくる北朝鮮の縫製品だ。3K労働のため労働者の確保がむつかしく、そのため日本の

縫製業者は、労働研修の名目で外国人を雇い、最低賃金で働かせて中国や北朝鮮に対抗

している。長崎県にある原口縫業もそういった一社で、かつては十人以上いた従業員も定年

退職や転職でいなくなり、社長夫婦だけになった。そこで業界組織を通じて中国人研修生

を九人雇い入れた。全員が若い女性だった。生産性は日本人に及ばなかったが、そこはあき

らめるしかない。社長と女房だけでは営業すらできなかった。

九人は、それなりによく働いた。三か月を過ぎたころ、明姫という娘が、昼の休憩時間も

会社にいるから、一時間分の賃金を払ってほしいと言い出した。しかし原口社長が、「午後か

らちゃんと仕事を始められるなら、会社の外に出ても構わない」と答え、彼女の言い分は通

らなかった。さらに三か月たってまた明姫が、残業させてくれと申し出た。原口社長が、

「外国人研修生の時間外労働は法律で禁じられている」と説明すると、明姫は困った顔をし

て、「日本に来るために中国の派遣会社に百万円払った。今の給料は親への仕送りでほとん

ど消えるから、日本で働く意味がない」と訴えた。しかし残業させようにも、それだけの仕

事がない。そうなだめても明姫は引き下がらず、日本に遊びに来たんじゃないと食い下がっ

た。よその縫製工場で中国人が残業をせがんで暴れた話を原口社長は思い出し、明姫の事

情も酌んで、割増ではなく時給三百円でよければ九人全員に残業させると約束した。その

金額で働いてもらえれば、もっと仕事が取れるという腹積もりもあった。明姫らにしても夜

はどうせ暇だから、この提案は魅力だった。

違法とはいえ、このまま三年の研修期間が終わればよかった。ところがそうならなかった。

明姫の母親がぜいたくを覚え、もっと送金してくれと連絡してきた。困った明姫は同僚の

中国人四人から借金して中国に送った。母親のぜいたくはとどまるところを知らず、やが

て明姫は中国人ルートを通じて製品の横流しを始めた。しかし半期に一度の棚卸で発覚し、

激怒した原口社長は明姫に、ただちに帰国するよう命じた。そうなると、明姫に金を貸し

た四人が困る。そこで明姫と四人は相談し、横流しの証拠となる発送伝票などを焼却し、

五人で市内のユニオンに駆け込んだ。残された四人は口々に、「あんたらのような中国人が

いるから、日本人に信用されない」と抗議したという。

その数日後から毎日のように、ユニオンの街宣車が原口縫業にやって来て、中国人を時給

三百円で残業させている会社だと、大音量で騒ぎ立てた。それと同時にユニオンの弁護士が

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弁護団を結成し、明姫ら五人を原告として、原口縫業に総額五千万円の損害賠償請求を

起こした。裁判所は一千万円に減額して支払いを命じ、原口縫業は倒産した。果たして一

千万円は支払われたのか、明姫ら研修生の手にどれほどの額が渡されたかは知らない。ユニ

オンは勝利集会を開き、弁護団も記者会見を開いて原口縫業をこき下ろした。弁護士の横

には明姫が、正義の象徴のような自信に満ちた顔で座っていた。

「だれがいちばん悪いんです?」

「もちろん原口縫業ですよ」

「釈然としませんねえ」

「原口縫業以外にだれが悪いと言えるんです?」。津下刑事は表情を変えなかった。

七十四

素晴らしい出来栄えのものはすべて収束の挙句にもたらされたものだ。

Jo

hn Lennon

の歌うB

en E. K

ing

の Stand by me

が軽快に鳴っていた。納屋全体が小刻み

に踊っているような気がしていた。

何か月かのあいだ理恵と私は戦友のように助けあった。これからその必要はなく、黒江別

府という若い女性記者と中年のバーテンダーという立場に戻る。短期間の他人事を思い出

として引っ張り続けることの意味のなさは、たぶんどちらも感じていた。

ワットゥのいない物足りなさを、たまにアニーが埋めてくれた。今はムーンリーバを練習し

ていて、やはり聞けたものではなかった。でも昼の練習はアパカパールの客をよろこばせている

そうである。きれいなフィリピン人がへたなピアノを弾く、といったような光景になっていて、

そばから教えてくれたり自ら弾く客もいたりするらしかった。納屋の方は理恵がよろこん

だ。さっそくバイエルとアイルランドの曲を流れるような音で弾き、たまたま来ていた近所の

会社員をよろこばせた。理恵は私にアベマリアを教えようとしたが、まったくモノにならず、

「あなたは、口は上手だけど指先は全然だめ」と言われた。

鍵盤に指を置いた理恵の姿は美しかった。たいてい客のいない時に弾くので、納屋は私だけ

のライブ会場になった。私は本心から、きみはどこをとっても完璧な女性だと褒めた。

「それはうれしいけど、私と知り合った人は、私のことをぜんぜん違うふうに言うの」

「そう?

みんな同じように見るんじゃないの?

違って見えるってどんな目なんだよ」

「最初はそうね。モデルみたいだとか、知性的な仕事をしていそうとか、英語もしゃべれる

だろうとかね」

「そして趣味も高尚なんだろう?」

「聞かれもしないわ。でも、カラオケですと答えたら幻滅されそうな雰囲気」

「ピアノですと答えても当たり前すぎるな。もっと気高くなけりゃだめだ」

「じゃあ、ハープだと答えてやるわ!」

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「それはすごいね、すばらしい」

「みんな最初はそんなふうに見て、そのあとばらばらなことを言いはじめるの」

「たとえば?」

「そこなのよ。私をやさしいと思う人は、本当はその人がやさしくて、したたかだと言った

人は、実は私ではなくその人のことだし、冷淡だと言う人は本人が冷淡で、エロい女だと決

めつけた人こそエロのかたまりで、みんな私を評しているつもりで、実際にはその人自身を告

白していることに気がついたの」

「じゃあ俺が理恵ちゃんの感想を言えば、それは俺のことを言ったことになるわけか」

「そう。見かけ以外のことは全部あなた自身。ためしに言ってごらんなさいよ。私は強い

女?

さみしい女?

やさしい女? こわい女?

でもそれはあなたのことじゃないの?」

これにはうかつな返事はできなかった。

「今あなたが黙っているのは頭がいいからよ。認めたの。というふうに私はあなたを見て、私

自身を語っているわけ。あなたのことなんて未来永劫わかるわけないわ」

「どうせろくなことを考えていないよ俺は。だってそれが俺だからな」

「でも心配しないで。私も同じ。世界中のみんなが同じなの」

「じゃあ聞くけど、理恵ちゃんの目に俺はどう見えるんだ?」

「あなたバカじゃないの?

何を告白させたいのよ」

「ばれたか」

「ばれるに決まってるじゃない。でもこの話にはもっと続きがあるの。聞きたい?」

「聞きたくなくてもどうせ話すんだろ」

「そう。理想の異性とはなにか、についての話」

「それなら聞きたいね、本心から」

理恵の話はずいぶん興味深かった。そして理解した分だけ寂しさも募った。

人には元来、それぞれの胸のうちにまったく完全な異性がおり、それは年齢や経験の増

加とともに変化はしていくものの、その人にとってずっと完璧であり続ける。それはあまり

に完全すぎて、言葉で言い表すことも姿かたちを思い浮かべることも、絵筆で描き出すこと

もできないから、心のもっとも深い場所にそれが横たわっていることを、誰も知らない。これ

を理恵は「絶対理想異性」と呼んだ。人の多くは、自分にとって好ましい異性に心をときめ

かせるが、そのときめきの度合いは、心の中にいる絶対理想異性への充足率に比例するとい

う。当初はうまくいっていた男女のあいだに隙間風が流れ、やがて反りが合わなくなってし

まうのは、絶対理想異性との違いへの失望によると理恵は言うのである。

非常にウマの合う出会いは充足率が高いが、絶対理想異性を超えられない。いくら仲睦ま

じくてもふと寂しさを感じてしまうのは、絶対理想異性との差異が原因だと彼女は語った。

たまに襲ってくる言い表しようのない孤立感を、相手への裏切りや自分の冷たさだと捉え、

自分の誠意を疑いはじめる。その誠意は、実は絶対理想異性にささげていることを、ほとん

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どの人が気づいていない。そんな状況は男女双方にあるのだが、その心境を互いに告白しあ

うことはないから、それぞれが胸のうちで自責の念に駆られることになる。

全員と言い切っても構わないほど、恋人同士であれ夫婦であれ、結びついている男女はそ

うであり、でもそれは悪いことではなく、不誠実でもなく、人それぞれに絶対理想異性が

あるから仕方のないことだと理恵は言った。だから、結婚を先延ばしにし、あるいは生涯独

り身でいる人は、決して寂しい人生を送っているわけではなく、ずっと絶対理想異性と共に

いて、その強い支配に満足しており、生身の異性を選ぶことで絶対理想異性をぶち壊され

てしまう愚に手を出さないようにしていると思えば、マイナスイメージで見られがちな独り

身が積極的な意味合いを持ってくる。絶対理想異性は自分を裏切らない絶対神であり、各

人のよりどころなので、人によっては暴君であったり破壊神であったりもするから、ソドムの

中に安住し、依存して幸福な人もいることになる。

「そう考えてみたら気持ちが楽になると思わない?」

その論を否定する理由はなかった。各々にあっても構わなかった。話を聞きながら私は、

知りうる限りの人物を、私も含めて判定していた。そして、そうではないと太鼓判を押せる

人は見当たらなかった。

「結局のところどんなに仲良しのカップルも、相手に対していくらかの埋めようのない不満

があるのよね。善良であればあるだけ、その空虚な隙間を相手に伝えられなくて、負い目

や自責や不満を持ち続けているのよ」。理恵は先ほどの言葉を繰り返した。

人はみな理想的異性に誠実であるという考えは興味深かった。私は理恵に、じゃあキミの

絶対理想異性はどんな男かと聞いてみようとしたが、そんなことを言えばこちらも教えな

ければならなくなるし、理恵のことだから、「あなたの絶対理想異性は、今までうまくいか

なかった女たちとは逆の個性の持ち主よ」とでも言われそうだ。そこで彼女に、もしも世界

中の人がそのことに気づいたら世の中はどうなるだろうとたずねてみると、たぶん今よりず

っとよくなると答えた。すべての人が相手への負い目や不満から解放され、本当の意味での

自立が発見されて、それによって自分と相手は同じ立場だということにも気がつくから、そ

のとき人はようやく的を外さずに助け合えるようになるだろうと言った。「私とあなたは

最後のところで一つになれないのだ」という理解を皆が得ることで、ばらばらになるのではな

く、逆に一つに結びつくはずで、そうならない今の方が実はばらばらで、それが永遠に続く

ことから逃れられないだろうと理恵は結論づけた。

「そういった考えは理恵ちゃんに外国の血が混ざっていることや、とても人目を引く容姿

や、新聞記者という職業も影響してるのか」と聞くと、「そうかも知れない。甲斐さんの言

葉に、境遇はどうであっても自分の心に城は立つのだ、というのがあったでしょ。あれもそう

だし、あなたを見て私の考えが間違っていないことに確信が持てたの」と言った。

若い時に男女の引き合いが強いのは、動物的な性衝動の方がまさっているからで、そのとき

絶対理想異性は性衝動の陰に隠れており、老いてからの引き合いは、生活に不便が多いこ

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とや間近に迫った死への不安から気を紛らわせるため、あるいは独り身の寂しさを補うこと

に主眼が置かれる。しかし今の時代は独りで生活する不便さがほとんどないため、独身の

まま絶対理想異性と暮らす人が増え、テレビアニメやコミックなどのサブカルチャーがそれ

に拍車をかけているのではないかと理恵は推測していた。「生身の異性はなにかとリスクが大

きいと感づきはじめたのよ。未婚率や離婚率が高いのは根っこに絶対理想異性が横たわって

いるというわけ」。

「そうなると日本人は減っていく一方だが、それで大丈夫なのか」

「内面のことだからいいも悪いもないじゃない。あなたの心配は経済と年金の話でしょ」

理恵は続けて、この論を私に当てはめると、性衝動に目がくらんで結婚した私は、そのあ

とどうにも満たされないことに気がついて、それが日を追うごとに増大していき、自分の絶

対理想異性が粉々に砕ける直前まで来て、それを防ぐために独り暮らしをはじめたのだろ

うと話した。私は顔をしかめて、理恵の次の言葉を予想していた。そしてやはり彼女はそれ

を口にした。「あなたもいずれ、生活の不便や先行きの不安を解消するために、また女性と

暮らしはじめる」と。「でも、絶対理想異性のことを私から聞いているので、相手に不満を感

じても、原因は相手の非ではなく、相手も同様の感情をあなたに抱いていることへの申しわ

けなさが日増しに強くなり、最後には、心の底からありがとうと言う。それは、絶対理想

異性を守りきる努力と同じくらいすばらしいことだわ」。

ガタガタと窓が揺れた。白と茶のぶち色の猫がジャンプして窓枠に爪を立てて顔をのぞか

せていた。外に出てみると、窓にぶら下がっている猫の下から黒い犬がすばやく暗がりに姿

を隠した。猫は地上にすとんと降りて丸まった。私は小石を拾って犬の消えたあたりに二つ

ほど投げ、身をかがめて猫を呼んだ。しかし野良なのか、犬に追われた恐怖が解けないのか、

こちらを見たまま動こうとしない。私は「ちょっと待ってろよ」と猫に言いつけて店に戻り、パ

ンのかけらをいくつか猫の前に投げてやった。猫は首を伸ばして匂いを嗅ぎ、私への警戒をゆ

るめないまま、一つを加えて足早に、犬の消えた方角とは別の方に駆け去った。どこかに子

猫がいるのだろう。またあの犬に襲われていなければよいがと勝手に想像し、もし無事なら

あの猫は残りのパンくずも運ぶだろうと思いながら店に戻った。

「居ついちゃうわよ」。理恵がカウンターから振り向いてそう言い、すぐに顔を戻した。その

とき私は彼女の姿に、孤独に完成された独りの人間を見た。彼女はだれともつながりを持

とうとしていなかった。だから寂しそうには見えなかった。

「そうなったらそうなった時のこと」。そう返事して何か飲むかと彼女の背中に声をかけた。

適当に作ってよと言われたのでカンパリオレンジを作ってやりながら、肉厚の体にまた目をや

った。セザンヌが理恵を見たら、きっと水浴びしている姿を描きたくなるに違いない。セザン

ヌ自身の絶対理想異性になんとか近づこうとして。

理恵が帰って店を閉める時、猫のいた場所を見るとパンはあらかた無くなっていた。

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七十五

たしかに人は自分の中で暮らしているのかもしれない。本当の居場所は自分の中にある。

でもそこにいては生命が維持できないので、働いて食料を得、服を買い、寝床を確保する。

働いているあいだは、自分の中から外に出るのではなく、中にいることを忘れる。中にはい

ないが、外にもいない。そして仕事を終えると中の自分が起き上がり、次に労働がはじまる

まで自分の中で過ごす。「自分の時間を過ごす」とはそういうことである。

その場所を便宜的に「内居地」と呼ぶなら、大人数で遊んでいるように見えても、実は一

人遊びを大勢でやっている。「みんな一緒」ではなく、「皆それぞれの内居地にいるというこ

とだけが一緒」、というふうになる。

内居地にいる時間を増やしたければ、働く時間を減らすか、仕事自体を自分の時間に作

り変えることである。「仕事を好きになればこの世は天国」というわけだ。生きるためにし

ぶしぶ働くのではなく、お金をもらって遊んでいるというふうに評価を変え、働いているのや

ら遊んでいるのやら分からないようにする。内居地にいる時間を確保しやすい職業に就い

ているという点で、私と理恵は似ていた。

内居地が明るい人は、その明るさで外を照らすから世の中が明るく見える。内居地が闇

の人は暗さが外を照らすので、世の中が暗く見える。個性とは内居地が外に滲み出た様子

をいう。だから、見かけを重んじて内居地と違う自分を演じる人は分裂する。悪人が善で

あろうとすれば、善によって分裂する。悪人が分裂しないためには悪であらねばならない。

七十六

駅前はがらんとしていた。約束の午後二時まで二十分あった。

自転車の将棋倒しになる音が聞こえてふり返った。帽子をかぶった老人が、倒れた自転車

の上にうつ伏せになっている。二十代の女性がひとり駆け寄って助け起こそうとした。でも

なかなかうまくいかないようだった。

それを見て私は二人に歩み寄った。一方の手で老人の腕を抱くように持ち、もう一方を

逆の脇に添えた。老人は「大丈夫」と言ったが、私はそれを無視し、手を貸そうとする女性

に、「この人は私にまかせて、あなたは自転車を元通りにしてください」と頼んだ。あたふた

しているのでもう一度くり返した。

老人はなかなか起き上がれなかった。こちらも強く引き上げはしなかった。

体がようやく自転車から離れ、再び「大丈夫」と言った。でも上体はまだ水平で、腰もふ

らついている。「気にしなくていいですよ」。そう言ってゆっくり起こした。彼は「なさけない」と

言った。

ようやく体が起きたので、どの自転車かと聞いた。杖代わりに押していたと思ったからで

ある。老人は、「タクシーに乗ろうとして」と言った。「でもなかなかつかまらなくて」。

目の前はタクシー乗り場である。一台がドアを開けて停車中だ。なるほど、それでここま

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で歩いてきたのか。

老人は私の介助でじわじわ歩を進めた。「申しわけない」、「大丈夫」、「なさけない」とまた

言い、私は「これも何かの縁ですから」と応じつつ、なんとかタクシーにたどり着いた。

後部座席に座らせて足を中に入れながら運転手を見ると、顔をこちらに半分向けて、目

で舌打ちをしている。私と老人がこの車に歩き寄ってくるのを車中でじっと見ていたのである。

私は少しむっとして、「明日のあんただ、ちゃんと運べよ」と言葉を叩きつけた。

タクシーが去ったあと、先ほどの女性がこちらに歩いてきた。黙って去るわけにいかず、父

親くらいの年齢の私にどう対応していいかも分からない、そんな困惑が見えていた。

「大丈夫でしたよ」。そう言ってすぐそのあとに、「無事に家に着いてからあの世行き」と笑

いかけた。娘は「えーっ」と目を丸くした。私なら言える冗談で、この娘が言えば毒になる。

「あの爺さんは私なんですよ」。しかしその言葉は娘に伝わらなかった。

「私はいずれあの爺さんになるんです」

これにも反応はなかった。うかつに口を開くと失礼になると思ったのだろう。

「だから私は、未来の自分を助けたんですよ。私が私を助けた。そしてあの爺さんも、過

去の彼から助けられた。ただそれだけ」

そこまで聞けば、あまり利発そうに見えない彼女にも飲み込めたようで、わずかながら

深い目で私を見ていた。「いつの日か私もああなる。そして誰かが助けてくれる。その誰かと

は、誰か。それは『善意』ですよ。私の生きざまが善意となって助けてくれる。だからあの爺

さんも、彼の過去、つまり善意が彼に手を差し伸べたんですよ、私じゃない」。

そう言いながら、今のままでは善意は私を助けないだろうと思った。それはいずれ分かる

ことだ。

娘と別れて、あの娘が私の実の娘ならよかったのにと思った。だったらもっと分かってくれ

たはずだ。でも私が大病で入院するか危篤にでもならない限り娘は私の前に現れないだろ

う。私が娘に助け起こされることは、たぶんない。

携帯電話が鳴った。どうやら理恵の乗った電車が近くまで来たようだ。

両手に大きなかばんを提げて理恵が駅から出てきた。それを持ってやりながら近くに停

めた車まで歩いた。老人を助け起こしたことは話さなかった。どうせ若い娘がいたから駆け

寄ったのだろうと言われる。そんな他愛もない言葉の遊びを楽しむのもよかったが、言葉に

した時点で特別な行ないの自己採点になる。

納屋にバーテンでいる時も、こうして彼女といる時も、私はたぶん、本当の私とは違う自

分を演じていた。私はずいぶん前に非日常の中に身を置いた。ずいぶん前というのは、中学

を卒業するころかも知れなかった。生活が日常化すると、必ずと言っていいほど強力な非日

常を持ち込み、そっちに関心を向けた。非日常の中で羽根を伸ばしていたという方が今と

なっては正しく思える。

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はた目に日常にいるように見えても、本当の自分を取り戻す隠れ家を多くの人が持ってい

るとすれば、それはいいことだった。偽善なボランティアとしてしか私の目に映らない人でも、

非日常の遊戯で彼ら自身を救出するのも結構なことである。なんといっても援助する側は

非日常であり、される側は日常なのだから。

「北海道はどうだった?」

「まあまあね、いつもと同じ」

「俺におみやげは?」

「私が帰ってきたのがおみやげよ。白い恋人たちでも食べたいの?」

車はマルイチ商店のかどを右に曲がり、穂波川にかかる飯塚橋を渡った。渡りきったとこ

ろに少女のブロンズ像があった。

「今日は、お店は休み?」

「いや、それとも休む理由を作ってくれるとか?」

「勝手に作りなさいよ。私は疲れたから早めに寝るわ」

「じゃあ夕方まで俺は一人ぼっち?」

「シャワーを浴びたり掃除したり、こっちにもいろいろあるのよ」

「店にも来ないの?」

「うん。というか、しばらく行かない」

「どうして?

何か嫌なことでも言った?」

「ううん、ちょっと行き過ぎかなと思って。入り浸っているみたいでしょ」

「三日か四日に一度じゃないか。そんな常連は何人もいる」

「それはお店にとっていいことだわ。でも私は中年のバーテンさんに入れ込んでいるみたいに

勘ぐられるわ」

「そう見えても構わないじゃないか。それに、入れ込んでるのはこっちだよ」

「え?

そうなの?」

「入れ込んでるというのは、お金をつぎ込んでるってことだろ。だったら俺のほうじゃないか。

付けがいつの間にかおごりに変わってる」

「そんなこと言うのならもっと行かない」

「じゃあ次はいつ来るんだよ」

「百年後」

「それまで待っていろと言うのか。いったい何歳なんだよ。だったら店をたたんでどこかに行

く。理恵ちゃんが来ないなら、この町にいる理由はないから」

「その年じゃ知らない土地はきついわよ」

「余計な心配しなくていいよ。どうせもう会わないんだから」

「うふふ、すねちゃって。しょうがないから行ってあげるわよ」

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「今までどおりに?」

「うん、でも今夜は許して、もうくたくた」

「なら許す。それから、浜崎あゆみの歌をキミに捧げるよ」

「なにそれ」

「理恵ちゃんのことを歌ってる。ユー・ドント・ノウ、ハウ・ビューティフル・ユー・アー」

理恵が無言で私の左腕をつねった。

最近は頻繁に理恵が顔を見せるようになった。夕方は減り、深夜が増えた。自転車で汗

だくになって来て、コーラか度数の低い酒を一杯か二杯飲み、申し訳なさそうな顔はするが

代金は払わない。たいした原価ではないからそれで構わなかった。客の来なくなった深夜が、

私にとって本当のBAR納屋だった。

互いに、自分から言い出すまで、過去の話はしなかった。理恵が自転車に乗るのは、博多で

地下鉄を使っているうちにペーパードライバーになってしまったそうで、私も、高校に進学し

た最初の年から授業をさぼったため退学になり、ほかの高校に転校して四年がかりでどう

にか卒業したと話したくらいである。たまに、私の言葉の中に理恵は何かを見つけ、洒落て

いるとかキザだとか言った。「知識は俺の脳を鍛えたけど、心をノックしたのはそこらの人だ

った」とか、「百人に拍手された人の百一人目になるより、一度も拍手されない人の最初の

一人になりたい」などである。あまりにも大仰に褒めるので、代金の代わりにしようという

魂胆が見えないわけでもなかった。

七十七

この季節にしてはめずらしい天候の崩れだった。薄墨色の雲が幾重にも重なり、その隙間

から太陽の光がわずかにもれ出て地表に落ちているといったふうで、朝から夕暮れが続いて

いるような空模様だった。湿った風も強く吹いており、そこら中のものを舞い上げて、道端に

停めてある車の上に落ち葉や紙くずを貼り付けた。私はその日、立岩の高台にあるアパー

トの駐車場に車を停め、側溝のまわりに生え茂った草を除去する仕事をしていた。湿った空

気のせいか土も湿って柔らかく、草を束ねてちょっと強く引くとすぐ抜けた。

その作業を午前中にやり終え、午後からは溝の中に落ちている空き缶やこぶし大の石や、

プラスチック玩具の一部を拾い歩いた。軍手はすぐに湿って指先に冷たさが伝わった。その

作業が終わると今度は、溝の底に溜まった汚泥を鍬(くわ)で掻き出した。

抜いた草が風に巻き上げられて溝の中に大量に落ちたので、草の上に汚泥を乗せて飛ば

ないようにしたが、風によって溝の底に草が堆積していくことは避けられなかった。

高台までの坂道を、付近に住む人たちが時おり歩いて上がったり下ったりし、帽子が飛ば

ないように頭の上で押さえている初老の男性や、自転車のかごに入れた買い物袋をバサバサ

いわせながら押している女性もいて、この程度の天候の崩れなのに、人がどことなく小さく、

為すすべがないように見えた。

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その坂を白いトラックが上がってきて、私のいる駐車場に停まった。荷台にアルミのスライド

梯子を乗せ、車体に河野組と書いてある。運転席のドアが開いて河野社長が降りてきた。

このアパートの外壁を塗装するための足場を組むそうである。アパートには住人がいるか

ら、作業期間中にクレームがこないようにするための気遣いが大変だと河野は言った。

「あんときの娘はどうなったっちゃろうね」。あの時の娘とは、家賃の長期滞納を理由に家

の明け渡しを裁判所から執行された母子家庭の娘のことである。

「小学校の高学年か中学生になってるんじゃないか」と答えて、同じ日の夕方に廃品回収

車に乗ったイシちゃんを思い出した。あれからずいぶん日にちが経って、テレビのニュースで彼

を見たのが最後だ。裁判でどうなったか、おそらく初犯で執行猶予がついただろうから、死

にでもしない限り日本のどこかでどうにか暮らしているはずである。

河野社長は携帯電話で誰かに、いつごろ到着しそうかとたずねた。あとから足場の資材

でも運んでくるのだろう。そのあと彼は荷台から梯子を下ろし、黄色のロープや赤のコーン

や、足場用のステップを一箇所にまとめて下ろし、ブルーシートで覆い隠そうとしたが、風

は相変わらず強く吹いてシートを大きくはためかせたので、私はその作業を手伝った。河野

社長は笑って礼を言い、あとでまた来るからと言い残して車でどこかに行った。

抜いた草がそこら中に散らばっていた。適当な固まりをゴミ袋に入れ、いっぱいになると足

でぎゅうぎゅう踏んづけて押し込んだ。集め損ねた草は風がどこかに運んでくれる。

夜になっても天候はすぐれなかった。風が間を置いて納屋の戸を揺らし、時おり窓に小雨

が撒き散らされた。こんな夜には来る客もいない。店内に明かりはあっても看板を出してい

ないので閉店しているのも同じだ。私は刺すような電灯の下で甲斐さんのレポートを読んだ。

冒頭の夢の話や貨物船の話が好きだった。

突然ゴオッと強い風が戸を押し開けて、理恵が立っていた。

風が怖いからと言った。私が腰を浮かせると目の前まで歩いてきて投げやるように座り、

テーブルのレポートに目を落として、勉強中?

と聞いた。甲斐さんが送ってきたと答えて

脇に寄せた。

納屋の外を荒々しい音を立てて吹き抜けていく風が二人を孤立させた。

理恵はジントニックを少しだけ飲んだ。夜の強い風を怖がる歳でもないだろうに、目をきょ

ろきょろさせて落ち着かなかった。曲のリクエストを聞くと、何でもいいと言う。気もそぞろ

だった。気分が高揚しているか、沈んでいるかのどちらかだろう。

坑鬱薬を服用している女子大生がこの店に来たことがあり、その時と様子が少し似ていた。

今夜のような彼女は初めてだった。いつもは快活でよくしゃべり、弾ける肉体と小生意気な

精神をうまく調教して周囲に魅力を振り撒いているのに、今夜はその舵取りを放棄してい

るように私の目に映った。

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「ねえ」。理恵が口を開いた。「手首を縛られるの、好き?」。唐突な質問だった。

「いや、別に。理恵ちゃんは好きなのか」。すると彼女は小さくうなずいた。

「手とか足とか、縛られて拘束されるのが好きなの。すごく気持ちよくて頭がぼうっとし

てくる」

「だれかに時々してもらってるの?」。声がかすれた。こんな時は誠意のある会話を心がけ

るべきだ。かといって深刻に受け止めない方がよさそうだった。

理恵は首を横に振って、自分で足首を縛ったり猿ぐつわをしたりしているが、手首は自分

で縛れないので経験がなく、一度は他人に縛られてみたいと、すごく言いにくそうに、小声

で言った。彼女の手首はまだバージンだった。

この時ほど胸がドキドキしたことはなかった。大笑いすれば理恵はとても傷つく。私にそん

な趣味はないと言っても痛手をこうむるだろう。聞き流すだけでも彼女には悔いの残る告

白となる。それで、こちらも声を落とし、じゃあ誰にも内緒で手首を縛ってあげようかと誘

うと、理恵はうつむいたまま、テーブルの上に両手を揃えて出した。

カウンターの中にクロマーが三本保管してあった。その一本で両手首を縛り上げた。力の

加減が分からなかったので、痛くないかとたずねると、甘えた声で「もっと強く」と言った。

拘束した両手をテーブルに落とすように置いた。理恵の表情は髪に隠れて見えなかった。

二本目のクロマーを細くしごきながら後ろに回った。理恵は桃源郷にいるのか少しも動か

なかった。彼女の両肩の下に、盛り上がった乳房が花柄のブラウスを前方に押し出していた。

「口も縛るよ」。そう言ってクロマーを咥えさせ、後頭部で強く結わえた。理恵の鼻息が荒く

なり、呼吸するたびに背中や胸がフイゴのように動いた。私は何が何だか分からなくなって

思考がほとんど停止しており、そのぶん人間をやめていればいいから楽で、人と動物のあい

だで生まれて初めての魅惑に迷い込もうとしていた。外は風が荒れ狂い、戸や窓を叩いたり

揺すったりしていた。

理恵の顔が見えないことが私を大胆にさせた。三枚目のクロマーで次はどこを縛ろうかと

思い、「今度は足?

それともほかのところ?」と、語気を強めて聞くと、猿ぐつわの奥から

「目隠しして」と声を絞り出した。

縛られて興奮しているみじめな理恵を、私も同様に興奮しながらじっくり見た。私もみじ

めな階段を下りて行った。これはいつかどこかで見た写真でも映画でもない。理恵のむき出

しの悦楽が目の前に燃え立っていた。

クロマーを噛んでいる理恵の歯が小さく震えていた。彼女はいま闇の中で歓喜のスパークが

起こっている最中のようだった。私の知っている理恵とはまるで違っていた。鼻で荒く呼吸し、

興奮の渦の中に溺れていることがうかがえた。湧き出る唾液をすする音が聞こえたので、そ

れくらいの理性はまだ残っていた。手首を縛られて狭まった両腕のあいだで、胸が上に盛り

上がっていた。何かの罰を受けて辱めを受けているような、あるいは理恵の正体が拘束によっ

て押さえ込まれ、そこから弾け出ようともがいているようでもあった。

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ここから先をどうすればいいかわからなかった。もっとエスカレートして足も縛った方がいい

のか、それとも拘束を解いて感想を聞くべきか、混乱の中にあることも楽しみつつ、理恵か

らこちらが見えないのをいいことに、私は目で彼女を姦淫していた。

その時わずか一秒ほどだったが風がやんで、外が静まりかえった。そのタイミングを待って

いたかのように車のライトが納屋の窓を照らした。そしてタイヤが砂利を踏む音が聞こえて

誰かの車が納屋の駐車場に乗り入れられた。私の頭はフル回転し、もっとも無駄なく働いた。

私は理恵に、誰か来たと耳打ちし、入口のドアまですっ飛んでいって施錠した。外のライトが

消えた。私は動物のように跳ねてマンゴスティンの植木鉢の下を探った。鍵が見つからなけれ

ば万事休すだ。でもすぐ手に触れた。甲斐さんの部屋を開けるのと納屋のドアがノックさ

れたのとほとんど同時だった。私は理恵の腕を引き揚げ、ノックを繰り返す某人に返事を

しながら彼女を部屋に押し込み、何食わぬ顔でドアを開けた。ごおっと強い風が吹き込ん

でカウンターの上のシェーカーを床に落とした。

訪問者は常連の塾講師だった。私は彼をちょっと招き入れてドアを閉め、こんな日だから

帳簿をつけていると、目を店の奥に振った。彼はテーブルの上のレポートを会計資料だと思

い、労をねぎらってすぐに帰った。私は車が走り去るのを確認してから再び鍵をかけ、危機

を回避できたことに胸をなで下ろしながら甲斐さんの部屋の戸を開けた。

理恵はすぐ横の壁にもたれていた。目隠しをされ、口と手を縛られて、三重苦の中で顔を

やや上に向けていた。

「帰ったよ。あぶなかった。鍵はかけた」。同じ秘密を共有する者として、人に知られたら

共に破滅する者として彼女の耳に囁きかけた。その言葉が届いたのかどうか、理恵は体を

よじってむこうを向き、壁伝いにおずおずと、障害物をつま先で確かめながら、ずっと奥ま

で歩みを進めて甲斐さんの使っていた簡易ベッドを探り当て、マットレスの上に座った。もはや

甲斐さんの空間ではなかった。私の中から聖域が消え、その代わりに、うらぶれた薄暗い廃

屋に監禁されている肉欲の女神が現れた。

嘘が消え、本音が出現した。きれいごとが消え、本音が露出した。私と理恵の嘘ときれい

ごとが消え、二人の本音が生肉のようにむき出しになった。電撃が私を貫いた。私を打ち

破ろうとする何かが溢れ、それは私から噴出した。私は理恵をマットレスに押し倒し、上か

ら覆いかぶさった。

七十八

バイクの音がだんだん大きくなった。

停まり、アイドリングの柔らかな音に変わる。スタンドを立てるキュッという音。

カタンとポストに落とす音。そしてバタバタとアクセルを吹かせて小さくなって行く。

暗やみの中で鳥がクワッと鳴いた。どこか遠くで犬が吠えた。

少しの間をおいてまた、クワックワッと鳴くのが聞こえた。犬が今度は何度も吠えた。

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それに呼応して、方々で犬が吠えはじめた。

目を開けているのかつむっているのか、真っ暗な中で天井を見ているとそれが分からなくな

る。私はカビの臭いのするタオルケットをゆっくり首まで上げた。そして息を大きく吐いた。

時が過ぎた。

私は眼だけを動かしてほんの少し明るくなった窓をちらりと見た。

鶏が甲高く鳴くのが聞こえた。

それが合図であるかのように急速に夜が明けはじめた。

闇が灰色になった。

スズメが鳴きはじめた。

窓は白に変わり、徐々に黄色く色付いていった。

また朝がきた。でもきのうまでの朝ではなかった。

私は眼を閉じた。そして少しのあいだ眠った。

最初の眠りから覚めた時、横に理恵の体はなかった。

朝の明るさが外から入ってきて、クロマーが三枚きちんと折りたたまれて置いてあった。

このようなことはこの町に来て初めてだった。それ以前には若い女性との秘密は幾度かあ

り、理恵も昨夜のようなことは初めてではないようだった。

私は床に脱ぎ捨てた服を着て、ぼんやりしたまま顔を洗った。精根つき果てても体と心は

軽かった。長いあいだの緊張が解放を得て緩んでいた。一つの残念は、甲斐さんの部屋がかび

臭い物置部屋になったことである。「甲斐さんの部屋」と名づけられた空間の呼吸が止まっ

て死んだ。甲斐さんはここを出て行った。

納屋に施錠して大きく息を吐いた。朝帰りは本当に久しぶりのことだった。何かが満ち足

り、大切な何かが欠け落ちたような気がした。車の前で何気なく空を見上げた。ひとかた

まりの雲が青空を背景に、そんなに高くもなく頭の上に浮かんでいて、一辺があざやかな

緑色をしていた。私は放心状態になって見とれ、ネパールで緑色の雲を見た男を思い出した。

空にはその雲一つきりだったので、まるで意思があるかのようだったが、かといって私に何か

メッセージを発しているようにもみえなかった。目が疲れているのかとも思って固くつむって

また開けてみたが、やはり同じだった。納屋の斜め向かいの家の窓ががらりとあいて、父親

と娘がその雲を見上げた。そこに母親も加わって空にカメラを向けた。父親が私に気づき、

軽くお辞儀した。この緑色の雲のことはその日の夕刊とテレビでニュースになった。

第十二章

七十九

おごそかなA

ir On T

he G String

を鳴らした。昨夜のことが全身の毛穴から漂い出ていた。客が、

いつもと違うと言った。「そうですか?」。「鼻歌を歌ってないですか?」。「いえ、歌いませんよ」。

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動きがきびきびしていると言う客もいた。「いつもと変わりませんよ」。「少しやせました?」。そ

んな会話もあった。普段と変わらないつもりでも常連客には違って見えた。

閉店する時刻になって理恵が静かに入って来た。照れくさそうに含み笑いをし、店のいち

ばん奥の、ほかから見えにくい場所に座った。私は急いで店じまいにとりかかった。看板を中

に入れ、施錠して店の灯りを落とすと、理恵は立ち上がって私に抱きついた。二人は手をつ

ないで、昨夜まで「甲斐さんの部屋」だった物置にまた身を隠した。そして重なりながら、こ

こは危ないことを説明した。今日の昼に冴さんから電話があり、マンゴスティンの木がわずか

に移動しているが、甲斐さんの部屋を掃除したのか、それともあの部屋を何かに使う予定

なのかと聞かれた。これだから女はおそろしい。絶対に感づかれるのでこの場所は今夜限り

にしようと囁き、理恵もあえぎながらうなずいた。

翌日から幾晩か、理恵は納屋まで歩いて来て、店の片づけを手伝いながら私の腕をつねっ

たり脇をつついたりしてふざけた。私も同じようにやり返しながら急いで店を閉め、理恵を

車に乗せて私の部屋に帰った。そして一時間か二時間を過ごしたあと、また彼女を車に乗

せ、彼女のマンションから少し離れた薄暗い場所に降ろした。数日後に合鍵を渡し、理恵は

私の部屋で帰りを待つようになった。部屋に着いたら納屋の電話を一回鳴らした。それのな

い日は来なかった。小さな町だし、彼女は目立つので、自転車で来たり歩いたり、電車やバス

を使ったりして行動が固定するのを避けた。休日の前の晩は泊まり、私も時間をやり繰り

して翌日の夕方まで一緒にいた。終日部屋にいる時もあれば、遠くまでドライブにでかけ、

昼間からラブホテルで過ごすこともあった。最初の夜のようなことを理恵はいつもせがんだ

わけではなかった。それは稀で、一度か二度、ほほを平手で叩いたくらいのことだった。誰も

来そうにない山の中腹に車を停め、森の中で長い時間を過ごした。深夜の鉄橋の下に身を

潜めたこともあった。暗闇の高架の下にある小さな広場の隅っこにコートを広げ、そこに横

たわる彼女の白い肢体はこの世のものとは思えないほど美しかった。そんな場所をあちこち

探した。私たちは偽の王と妃になり、つがいの野犬になった。このような関係に私は自分を

忘れ、彼女も私をむさぼった。唇は柔らかくて温かく、指はしなやかでみずみずしかった。

私たちは思いつく限りを試して楽しんだが、将来のことは話さなかった。大切なのは今だっ

た。その今が連なって時が過ぎて行った。

理恵に転勤の打診があったが、彼女はそれを拒み、受け入れられた。この町に赴任したが

る記者がいなかったからである。でも二度は断れない。そうなれば従うしかないと理恵は言

った。次に転勤を命じられた時、彼女がどうするかを私はあまり気にしないようにした。生

涯という時間の午前中に彼女はおり、私はとうに日が暮れて、あるいは彼女の絶対理想異

性になれるわけでもない。その意味で私たちは一緒にいながら別々を生きていた。

ある土曜の晩、理恵は私の腕枕で、ずっと前に関東のどこかで、女子高生と中年の独身男

性が心中した事件があったと言った。一方が未成年だったから報道されたが、両人は近所

に住んでいたそうだ。私は聞く側にまわった。その女子高生はたぶん相手の男性を純粋に異

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性として見て、独り身の中年男性も相手を女子高生とは見ず、シンボル化された女性と見

た。それで二人は急速に接近したのではないかと理恵は推測した。でも現実には女子高生

と中年男だったから、心中という行為で一つになろうとしたのだろうと言った。私はふんふ

んと聞き続けた。理恵は私の肩のあたりに頭を寄せ、でも彼はやさしくなく弱かっただけ、

女にとって強い男というのは、女性をかばえる人のことだ。もしも女子高生が強い男を選べ

ば、相手が中年であろうと老人であろうと、心中を選びはしなかっただろうと言った。私は

うつらうつらし、理恵も体を曲げて額を私の胸に押し当てるようにして、二人は眠りに落

下していった。

理恵が小学生の時の担任に私は似ているらしい。彼女は容姿が目立ったから、女子児童の

集団いじめによく合った。そんな時に稗田という担任が理恵をかばい、学校を休むと迎え

に来てくれて、謝る母親に、「いい子はみんな通る道ですから」と笑った。いつも全身が笑って

いるような明るい担任で、納屋で私を見た時、稗田先生が迎えに来てくれたような気がし

たという。小さな子供が時々あなたをじっと見ていない?

と聞かれたが思い当たるふしは

なく、「ガキは気にしないね。ある時から若い姉ちゃんだけを目に入れるようにしている」と

答えて、頬を強くつねられた。

担任といえば、私が小学一年生の時の担任は、光市三井に住む山本という女性で、家庭

訪問の時に私のことを、「この子は、ボクは学校に行かなくても別にかまわない、というよう

な顔をしている」と言ったらしい。母がどんな気持ちで聞いたのかは分からないが、たしかに

これまでの私は、たいてい自分の思うようにした。

高校を一年ダブったため十九歳で社会に出た。私は大阪で工員になった。

ひょろりと痩せて青白い、選挙権すらなかった私が今のようになるとは夢にも思わなかっ

た。もしも誰かが、十九歳の私を訪ねて、途方もなく長い年月の末にどうなっているかを教

えたら、何を感じ、何を思うだろう。当時も悩みはあっただろうが、過ぎてしまえば何もか

もが美しく、そしてやるせない。たいしたこともない困難はいつしか霧のように消えていく。

ただ一つ、自分は将来どうなるのだろうという不安は私の重大な関心事だった。風呂のない

四畳半の安アパートでその思いにとらわれて涙をこぼしたことがある。

もしも十九歳の私と今の私が、小一時間ほど話す時間を持てたとすれば、私は何を話し、

彼は何を聞き取るだろう。私は若い私から、「あとをたどりたくないほど無駄で無意味な

人生だが、それも私自身だ」と、少しは楽しそうな眼差しを向けられるだろうか。

八十

ずっと前、菰田駅前で将棋倒しの自転車の上に倒れこんだ老人が、碇橋を渡って駅の方に

歩いていた。そのそばを車で通りながら、急ぐ用事もなかったので停車した。近くなら乗せ

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て行きますよと声をかけると不審な顔をしたので、駅前で倒れていたのを起こしたことがあ

ると言った。彼は声もなく笑った。手にトライアルの袋を提げ、鼻汁が少し垂れていた。

彼はボタ山のふもとの、炭鉱住宅の面影を残した長屋に住んでいた。このあたりは朽ち落

ちるのを待っているような民家が多かった。石炭を滅多やたらに掘ったせいで、坑道が崩れ

て土地が陥没したのか、広い平地は少なく、空き地には土管が顔をのぞかせたり、育ちの悪

い柿の木が立っていたりした。雑貨店などはとうの昔に撤退し、商いとしては一軒だけ、金

本商会という廃品回収業者が看板を上げていた。

老人が合板の戸を開けると、茶色の老犬がうなだれて出てきた。トライアルの袋に食パン

の耳がたくさん入っていたので、この犬はパン食かとたずねると、「トビにやる。トビを餌付け

したから」と言った。私が空を指して、鳥のトビかと聞くと、老人は自慢げに、「何羽もいる。

あしたの朝十時ごろ散歩に行くから、そのとき見に来ればいい」と言って、犬を急かしなが

ら家に入った。

翌朝の九時半ごろ老人の家に行ってみると、二羽のトビが上空を旋回しながらピーヒョロ

と鳴いていた。戸が開いて老人と老犬が姿を現したころには五六羽に増え、高度を半分く

らいまで落としてクルクル回り、いっそう大きな声で鳴いた。ゆっくり歩きはじめると、十羽

以上が目の高さまで降り、狂ったように鳴きながら老人のまわりをぐるぐる回りはじめた。

トビは大きく、まるでトビの竜巻に閉じ込められているようだった。犬は老人のずっと後ろ

をついてきて、その犬にトビは関心を示さず、犬も吠えなかった。老人は歩きながらトライ

アルの袋に手を入れた。パンの切れ端を取り出すと飛びながら奪い取り、くわえたまま遠く

に飛び去ったり地上に降りてついばんだりした。手から取る際に翼の端が地面に触れて、シ

ュッとこする音を立てた。上空に放るとうまくキャッチした。私は少し離れたところで、前に

なり後ろになりして付き添った。袋がカラになるとトビはどこかに去った。私は理恵に老人

の存在を教え、数日後の夕刊に、私の目にした光景が大きく載った。この餌付けはテレビ報

道もされて有名になった。

その数か月後に老人がこの世を去ったと理恵から聞かされた。老犬は直方に住む娘に引

き取られた。そこで金本商店の社長が後釜に座ろうとして老人を真似たら、手に針で縫う

ほどの大怪我をしたそうだ。

八十一

時枝さんから、ぜひ参加してほしい集まりがあるので家に来てほしいと言われた。夜の会

合だったので、その日は特別に店を休みにした。

宮内家のふすまが広く開けられ、十五人くらいの人たちが集まっていた。時枝さんの妹も

冴さんもいて、どこかで見た顔が幾人もおり、甲斐さんから「アレ」と命名された自治会長

まで来ていた。おそらくここらの顔役がみんないた。

正面に背広姿の男と時枝さんが神妙に正座しており、背広の男が時枝さんに顔を向けて

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うなずいたあと、正座のまま、自分は時枝さんの所有している土地や建物や有価証券の類

を管理している弁護士だと言い、今夜の会合の理由を説明した。

意外な提案だった。時枝さんは自分の資産を担保にしてこの地に非営利団体を作り、地

域福祉に貢献したいと話した。NPOという言葉は知らないわけではなかったが身近には初

めてのことで、ほかの人も緊張し、いぶかりもしたが、出席者の中に市の福祉職員や医師も

おり、続く説明でどうにか理解できた。それによると、時枝さんは全財産をこの地域の弱

者救済に使いたいと考え、そのために低所得者向けマンションを二棟建て、診療所や介護施

設なども設けて、このあたりを福祉コミュニティにしたいと考えているようだった。非営利団

体といっても、儲けをすべて排するのではなく、運営で生じた利益を別の目的に使わないと

いう意味らしい。NPOの約款を達成するためであれば事業が規制をうけることはなく、利

益を職員の給与やほかの活動に充当させるのは構わないという。非営利団体として申請す

る理由は、時枝さんがこの世を去ってしまうと資産は国に没収されるので、それならこの地

域のために使おうと思ったそうである。私と冴さんが会合に呼ばれたのは、納屋の運営は

今まで通りで構わないが、所有はNPO法人になり、賃料などもNPOの会計に繰り入れら

れるらしかった。組織の代表は当面時枝さんで、ほかの役員はこれから決めるつもりだと弁

護士は説明した。時枝さんの妹はあからさまに悔しげな表情を見せ、唇を何度も噛んでい

た。「アレ」は弁護士の発言のたびに「ほう!」の表情を連発していた。

途中で休憩時間が取られたが、帰る人はいなかった。誰もが自分に迷惑の及ばないことを

確認したかったし、何らかの当事者でもありたかった。

一人の女性が膝を畳にこすりつけながら私に歩み寄ってきて、知り合いからお礼を託って

いると言った。この女性はかつてマリコと納屋に来たことのある片島小学校の教諭だった。彼

女の話では、何かしら思うことのあったマリコは園長に辞表を出した。園長はこの時とばか

りにそれをつかみ取ろうとし、マリコは半ば演技であったために辞表の端をしっかりと握り、

一通の辞表が二人に引っ張られてプルプル震えていたが、マリコが手を離し、めでたく受理さ

れた。その光景をほかの職員が見ていて、面白おかしく佐藤教諭に報告したそうだ。マリコ

は今、老母と関西の田舎に暮らしており、この地を去る前に、私に礼を言っておいてくれと

教諭に頼んだそうである。なにがあったんですかと聞かれたが、思い出すのも嫌だった。マリ

コを新飯塚駅で見送ったのもこの教諭だけで、改札口で別れる際マリコは、「この町に来ていい

ことは一つもなかった」と涙を浮かべたという。

「目にゴミでも入ったんですよ」。そう私が突き放すと教諭は口をつぐんだ。

会合の後半には箕坂という医師が進み出て、今は飯塚病院で外科医をしているが、癌患

者の緩和ケアクリニックを施設の一階に作って病院と連携すること、老人介護や長時間保

育の施設も建て、スタッフは当地で採用して雇用にも貢献したいと話した。彼は「看取りの

医療」という言葉を使い、「日本のどこにも健康と長寿を求める場所しかなく、それに漏れ

た人たちの行く場所がないので、残りわずかな一瞬を光り輝けるようにしたい。どんな人に

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も輝いていた時代があり、それを種火として最期にまた輝ける」と言った。弁護士も発言し、

自分は博多の合同法律事務所に所属しているが、この町には弁護士が一人もいないので、施

設の一室に法律事務所を設け、職員を常駐させて、患者の権利を守る窓口にしたいと話し

た。最後に市の職員が、わずらわしい手続きや申請は行政の方で担当者を置くつもりだと

説明した。医師と弁護士、そして市職員の発言は大きかった。「アレ」の丸一日の御託より、

甲斐さんの咳払いの方に威厳があるのと同じである。

会合が終わって皆が立ち上がった。時枝さんが私に、折り入って相談したいことがあるので

明日の夕方、納屋に行くと言った。私は彼女に、今夜の話はマスコミに教えた方がいいのでは

ないか、必要なら知り合いに記者がいると話すと、今夜集まった人はめいめい勝手に言い回

るだろうから、正確に伝わるなら新聞に載る方がいいと言った。

翌日の夕方、約束通り時枝さんが納屋に来た。昨夜の労をねぎらうと、「自治会長さん

がどう勘違いしたのか、自分が役員になったみたいに言って回っているんです。あとでショック

をうけなければいいんですけど」と苦笑いした。私も「あちこちに火を点けながら、自分が

火だるまになっているわけですね」と笑い、役目を終えた人工衛星が燃えながら落下してい

く様子を思い浮かべた。その火消がこちらに回ってきかねなかった。

時枝さんは一枚の葉書を私に見せた。韓国の朴聖黙からの便りで、甲斐さんは今も蔚山

で元気であることが、たどたどしく綴られていた。甲斐さんの消息をたずねる葉書を出し、

その返事が返ってきたのだという。時枝さんは私に、韓国に行って今の状況を甲斐さんに説

明し、できれば帰国して助けてもらいたい。そう伝えてくれないかと依頼した。女性が老い

て独り身になると、それまでの近所づきあいが変化して軽んじて見られることが多々あり、

NPOを続けていく上でもそういったことは必ず起こるから、運営を停滞させないために強

い存在が必要なのだと言った。

もっとも私がふさわしく、意味もあることだった。夫も息子も亡くなって、頼る相手はほ

かの誰でもなく甲斐さんだということが私の胸を揺さぶった。彼女はいま甲斐さんを必要

としていた。思い返せば、納屋に私が通うようになったころから時枝さんは、妻として、母

として、家主として、あるいはカンボジア人の面倒を見る立場で、ずっと誰かを支えていた。

そして今、NPOの発起人として、援助を甲斐さんに求めている。甲斐さんの元気がいつまで

続くか分からないにしても、時枝さんを失望させることなく夢と希望を与えることは、彼

なら容易なはずだ。

私が了解したので時枝さんはほっとした顔をし、費用はすべて出すと言った。でも私は、こ

れは私の仕事だから自費で行くと返事した。

八十二

パスポートを申請したあと津下刑事に電話をかけ、イシちゃんはその後どうなったかをた

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ずねた。津下刑事は事件のことをすっかり忘れていて、少し時間を要して思い出した。

「彼はいま結婚して、まじめに働いていますよ」。その言葉に耳を疑った。ほかの誰かと勘違

いしているのではないかとたずね直すと、イシちゃんに間違いなく、住所を教えてくれた。こ

の町から少し離れた大和町の明和荘三号室。そこに妻と二人で住んでいた。

日曜日の昼前にドアをノックした。中からくぐもった男の声がし、戸が静かに開いてぼさ

ぼさ頭のイシちゃんが顔を出した。

「よう、久しぶりだな、覚えているか」。イシちゃんはすぐに思い出したようだ。「あ、ああ、

お久しぶりっす」とあわてて言った。

「いろいろ大変だったな、元気にしているか」。そう言って、津下刑事に住所を聞いたと伝え

ると、「お金は借りていませんよね」と不安な顔をした。「元気な顔を見に来ただけだよ」。

その言葉に安心して中に入れてくれた。

豊かではないが安定した若い夫婦の暮らしがそこにあった。イシちゃんは私に座布団を出

しながら、「結婚したんすよ。じきに女房が帰ってくるので紹介するっす」と言った。私は、彼

の事件には触れず、あのあと宮内君が死んで、納屋は私が引き継いでいると教えたが、彼に

はもう関わりのないことのような顔をして、「横山さんと会えてうれしいっす」とだけ答えた。

そこに女房が帰ってきた。緑色の作業服を着て、手に提げたビニル袋には野菜が入っていた。

私は体を回して挨拶した。

「近所の会社で部品を作っているっす」。イシちゃんがそう説明し、「この人が前に話した横

山さん」と紹介した。女房は緊張を解き、台所でお茶を入れはじめた。すらりとして、目が

糸を引いたように細かった。控え目というよりも野暮ったく、利口そうには見えなかったが

笑顔は悪くなく、質素な生活が似合っていた。

イシちゃんは今また山田送風機で働いていた。私が集金に行ったあとしばらくして倒産し、

株主総会が開かれて再出発したあと社員が何人か辞め、それにつられてイシちゃんも辞め

たらしい。戻ることになったのは津下刑事が頭を下げて頼み込んでくれたためで、会社とし

てもイシちゃんの復帰はありがたかったようだ。「社長はまじめに働くようになったっす。で

も仕事も社員も減ったっす」。そんな説明を聞きながら、もうじき韓国に十日ほど旅行す

るので、そのあいだ何日でもいいから、遊びに来るつもりで納屋を開けてくれないかと頼んだ。

それに対してイシちゃんは、あんな事件を起こして敷居が高いと言った。それはそうだねと

私は応じ、でもいつかは人前に出なければいけなくなるので、その練習だと思えば納屋は来

やすいのではないか、それに客のほとんどは当時と入れ替わっているからと話した。すると

イシちゃんは、明日かあさって、夫婦で納屋に行ってもいいかと聞いた。「イシちゃんの奥さん

なら特別ゲストで招待するよ」と答えると女房はうれしそうな顔をした。遠くで正午のサ

イレンが聞こえ、イシちゃんと女房と私は輪になって畳に座り、ナルトとネギが入っただけの

うどんを食べた。二人は言葉少なだったが幸せそうだった。小皿の沢庵をかじりながら、満

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足というものはこれ以上大きくも小さくもないような気がした。ここに幸せは容易に見つ

けられた。

昼食のお礼を言って家を出ると女房もあとから出てきて深々と、長いあいだお辞儀をし

ていた。その後ろでイシちゃんは開いたドアのノブに手をかけたまま、たたきから上体だけ

出して私をぼんやり見ていた。

翌日の夕方、納屋にイシちゃん夫婦がやってきた時、ちょうどアニーも来ていて、竹田の子

守唄を弾いた。やはりうまくはなかったが、女房は感心して眺めていた。しかしイシちゃんは、

相手がフィリピン人だったため表情が陰った。アニーは薄紫色のブラウスがとても似合ってい

た。薄いために透けて下着が見えていた。オレンジ色のサンダルは踵が高く、スカートも膝小

僧が出てかわいらしかった。実際の年齢より三つも四つも若く見え、独身でも充分通用しそ

うだった。

私はイシちゃんに、何でもいいからカクテルを作ってくれと頼み、女房には、あなたの夫は

昔この店の客が望むカクテルをすべて上手に作ったと褒めた。女房はその話が初耳ではない

らしく、夫を誇りに思ったようだった。イシちゃんは店を見回して、「昼間もやっているんす

ね」と言った。私はアパカパールの説明をし、甲斐さんの部屋もそのうち雑貨を売る店にな

りそうだと話すと、マンゴスティンの木に目をやって、「甲斐さんはどうなったんすか」とたず

ねた。「韓国にいる。それで会いに行くんだ。イシちゃんのことはうまく伝えておくよ」。私の

言葉を聞きながら彼は、ずいぶん傷んで古くなったバーブックをめくり、女房とアニーのた

めにノンアルコールのカクテルを作り、自分にはジントニックを作った。私に出されたソルティ

ドッグはイシちゃんの味がした。

帰り際に合鍵を渡し、いつでもいいから納屋に来て調子を取り戻し、私のいない間の売り

上げは、七割を取り分にすればいいと伝えると、出発日を教えてくれれば、そのあと何日

かは来るつもりだと言った。アニーは女房と楽しそうに話し、イシちゃんは私とカウンター

に向き合っていた。いろんなことに巻き込まれ、大きな事件を起こし、多くの人と出会い、

迷惑をかけたり助けられたりして、イシちゃんなりに大人になっていた。被害者への弁償は、

たいした金額ではないが長い年月を要することや、イシちゃんの女房は山田送風機の近くに

ある食堂で働いていたことがあって昔からの顔見知りで、山田送風機の社長の仲介で結婚し

たと聞かされた。

自分がまた愚かなことをするのではないかと心配している…そうイシちゃんが言った。

「俺には泥棒の血が流れているっす」。そしてそのあと耳を疑うような話を聞かされた。

イシちゃんはこの近くの施設で育った。親の名前は分からず、施設長が今も父親というこ

とになっている。彼が中学生の時、施設で一万円を盗んで職員に見つかり、施設長と職員か

らひどく叱られた。窃盗の現場を見つけた職員が警察に通報したほうがいいと言ったのでイ

シちゃんは震え上がり、施設長がその場をおさめたが、それ以降、ことあるごとにその職員

はイシちゃんに、秘密は誰にも言わないが、泥棒の血は消えないからどうせどこかまた何か

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やる。その時が最後だと、高校を卒業して施設を出るまで言い続けたという。

その職員は十中八九マリコである。今もなおイシちゃんは、自分はまた泥棒をはたらくだ

ろうと怯えている。あまりにも深刻な状況なので口をつぐんでいるわけにいかなかった。私

はイシちゃんに、今から話すことを最後まで黙って聞いてくれと前置きし、この近くの施設

に勤めていたマリコという職員が、あてずっぽうに犯人と決めた生徒を罠にはめ、ずっとあと

にそれを悔いて職場を辞めたと、作り話も交えて伝えた。イシちゃんは視線をおぼろげに

して沈黙していた。

「その生徒はたぶん普通の子供だったと思う。お金が落ちていたら誰でも拾うよ。お金と

はそういうものだから」

イシちゃんの目に涙が光った。そして一しずく、あごまで流れた。それを手でぬぐい、「その

生徒はどうなったんでしょうね」とぼんやりした目で聞いた。「立派な大人になったと思うよ。

いい人と出会って結婚し、少数ながら友人もいる。誰でも大人になるまでにいろんなことが

ある。それだけのことだよ」。それを聞いてイシちゃんはえへへと笑い、今日は来てよかった、今

の話はあとで女房にも教えようと言って、またえへへと笑った。

イシちゃんの薄っぺらな笑いは懐かしかった。長い年月が過ぎて、私たちは当時とずいぶん

違っているはずだが、今は彼の笑顔がありがたい。そういえば山田送風機にスナックの請求

書を持っていった時、顔面凶器のような班長がいた。

「ああ、西さんだ。今は幽霊みたいっす。怪我をしてしばらく休んでいたっすからね」

何かを思い出してイシちゃんはクックックと笑った。そして俄然雄弁になった。こんなにイシ

ちゃんが浮かれてしゃべくるのを初めて見た。

イシちゃんの復帰後しばらくして、山田送風機の敷地内で犬が飼われた。隣の会社に浮

浪者が忍び込んだからである。でもその犬は多少の物音で犬小屋に隠れてしまうくらい臆

病だった。人の顔色を伺い仰ぐような、負け犬特有の目つきで、コロという名前にも駄犬さ

がよく出ていた。

そのコロを西班長はよくいじめた。最初はマジックインキで眉やメガネを描く程度だったが、

やがて全身シマウマ模様、餌をやるふりをして唐辛子を食べさせたり、犬小屋の中にザリガ

ニを放り込んだりしてよろこんでいた。それは徐々にエスカレートし、ある時コロが油断してい

る所に、般若の面をつけて物陰から現われると、コロは喉を枯らして悲鳴をあげた。その時

のコロの声をイシちゃんは真似した。「キェァーッ!」。コロは白目を剝き、身を固くして絶叫し

続けた。そして般若が引っ込むと我に帰り、犬小屋から半日ほど出てこなかったという。西

は笑い転げたが、それを見ていたほかの者は誰も笑わなかった。

それから何日かあと、西班長はコロの鎖の端にバケツの取手を結び、胸の高さから落とし

た。大きな音に驚いてコロが飛び退くと、バケツは鎖に引っ張られ、また大きな音を立てて転

がった。そしてコロが逃げると跳ねながら生き物のように追いかけた。コロは必死で逃げるが

バケツは執拗に追ってくる。工場の塀に行き当たったコロは一切をあきらめて立ち止まった。

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するとバケツもぴたりと止まる。コロの頭の中は疑問だらけで、バケツの様子を見ながらそっ

とその場を立ち去ろうと試みた。するとまたバケツがカランと音を立て、コロはビクッとして

立ちすくむ。これが何度か繰り返されて、ついにその場にへたり込んでしまった。それを見な

がら西班長は腹を抱えて笑った。そして身動きしなくなったので面白くなくなり、バケツか

ら解放してやろうとして鎖を解こうとした時、コロはいきなりその手に噛み付いた。

「キェァーッ!」。西班長の悲鳴はコロのとそっくりだったという。振り解こうとしても手に食

い込んだ牙は簡単には離れなかった。コロとダンスしているようだったとイシちゃんは笑った。

「脳震盪って言うんすかね。西さんは足をもつれさせてこけ、鋼材に頭をぶつけて気を失っ

たっす。ヘルメットはいつもかぶっていなかったからね」。

転倒して動かなくなった西班長の首をコロは狙ったが、それは誰かが止めた。しかし手から

肉を露出させて倒れているのに、救急車を呼ぼうとする者はいなかった。結局、誰かがゆっ

くり二階の事務所に上がって事故を知らせ、119番通報した。

「右手と頭を何針か縫ったらしいっす。大きな包帯をして出てきたっすよ」。イシちゃんは

またクックックと笑った。それ以降コロは、西班長が近くを通ると狂ったように吠えるように

なった。「仕事中にコロが吠えたら、たいていその近くに班長がいるっす。まじで番犬っす」。

しかし犬が人を噛んだのである。処分するか否かの話が出たが、「コロは悪い人間を見分け

るじゃないか」の社長の一言で救われた。「西さんは毎日ビクビクっすよ。何かの拍子に鎖か

ら離れたら、いきなりガブリっすからね、クックック」。西班長はその名前からハチ公と呼ば

れていたが、ハチがコロに噛まれて「ハチコロ」になり、それが変化して今は「パチンコ」になった。

この騒ぎで皆の目が西班長に向いたのなら、復帰して肩身の狭かったイシちゃんも少しは

働きやすくなっただろう。

アニーが帰り、そのあと客が二人来た。どちらもイシちゃんを知らず、シェーカーさばき

をちらちら見ていた。

八十三

パスポートを持って旅行会社に出向いた。しかし担当者は私が観光目的ではないと知り、

個人的な旅行は天神のナンバーワントラベルという旅行代理店が得意で、もしくは博多港の

釜山行きフェリー乗り場にパスポートを持って行けば、たいていキャンセル席があると言った。

片道八時間、急ぐなら水中翼船で三時間、飛行機は一時間で釜山に到着するそうだ。距

離にして二百五十キロメートルは桑田君の家までくらいだが、外国となるとちっともイメー

ジが沸かない。蔚山への直行便はなく、ガイドブックには、釜山から地下鉄で梵魚寺(ポモサ)

まで行き、そこで蔚山行きのバスに乗るのが簡単だと書いてあった。手っ取り早いのはタクシ

ーだが、何時間もかかるからずいぶん高くつくことになる。

ナンバーワントラベルで、帰国日を自由に選べる水中翼船の往復チケットを買った。十日以

内に帰ればいいそうだ。帰りの船は釜山港で予約してくださいと言われた。

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出発までの二日間、衣類をリュックに詰め込む以外にたいした準備はなく、ガイドブックに

ある簡単な会話をいくつか、単語記憶カードに書き出した。

初めて外国に行くことを理恵は面白がって、たぶん女遊びをするだろうとか、目つきが悪

いから銃や薬物の密売人だと思われて徹底的に調べられるだろうとからかった。私も笑い

ながら、内心は不安だった。言葉が通じないうえに文化も法律も違う。トラブルが起こった

ら誰が助けてくれるのか。隣国とはいえ心から受け入れてくれるとは言いがたい関係にも

ある。私は理恵に、わずかな本心も込めて、釜山に着いたら民衆が日本の総理大臣の人形

を燃やして騒いでいて、足元には日の丸の旗が踏みつけられているのではないかと話した。理

恵はその質問に悪乗りせず、十年に一度しか起こらないようなことが日々繰り返されてい

るように思うのはマスコミの責任もあると言いながら、何年か前に領土問題で逆上したソウ

ルの学生と大学が相談し、日本の国旗の上を歩かなければ講堂に入れないようにした出来

事があったと教えてくれた。そしてさらに、他国の国旗を踏むような、人として未熟な行

為はさすがに日本人はやらないが、仮想敵がいれば国内がまとまるので、政治の手法とし

て日韓の緊張がよく使われると話した。なるほどとは思ったが、その説明が今回の旅行の役

に立つわけでもなく、不安が増し、緊張が高まった。

理恵は時枝さんからNPOの理念や本心を聞き終え、医者と弁護士の構想も取材して、

今は建物の設計者から話を聞いているところだった。五回の連載になるようで、地元の声も

なるべく多く取り上げたいと言った。でもあまり時間をかけると他紙の耳に入ってしまうの

で、私が日本にいない間に記事になる。正確さと内容の深さと速さ。それが記者の仕事だ。

韓国に行く前夜も納屋は普段通りに開けた。近所にある鉄工所の社長が新顔で来た。会

議が長引いて、ちょっと一杯やろうという気になったという。居酒屋かスナックでは騒ぎ慣れ

ているがバーでの過ごし方は分からない。そんなふうだった。こんな客はおそらく二度は来

ない。何か面白い話をしてくれと言うので、ビールを注ぎながら、バーテンや昼の肉体労働

から学んだことをいくつか話した。たいした内容ではなかったが、その客は感心の表情をした

あと、こう言った。「私がずっと前から知っていたことを、あなたも気がついてうれしい」。私

は次の言葉を呑みこんだ。彼の方がいくつか年上というだけで、負けん気の強い男だった。

閉店したあと納屋の入口に「マスター慰労のため十日ほど休みます」のボードをぶら下げ

た。朝になれば冴さんが外し、アパカパールの営業時間が終わるとまたぶら下げる。それを

私が戻ってくるまで続けてもらう打ち合わせをしておいた。韓国に一人で大丈夫ですかと

冴さんから聞かれ、私が口を開こうとする前に、理恵ちゃんに叱られないようにしてくだ

さいねと言われた。またそれか、というような顔をするしかなかった。理恵との仲を気づか

れているとは思えなかったが、余計な言葉を返すと話が余計な方向に進む。

冴さんと甲斐さんは面識がない。ただ、あの部屋を私と理恵が二晩ほど使って、数日のち

に内部を冴さんに見せ、店舗の拡張をしてもいいのではないかと提案していた。冴さんは興

Page 232: Bar納屋界隈ver 3

味深く見回し、アジアの小物を陳列したら売れるだろうと言った。私にバーを広げる気は

なかったので、そのうち冴さんの言う通りに話が運ぶはずだったが、今回の件で保留になっ

た。甲斐さんがまた暮らしはじめるかも知れない。そうなれば納屋とアパカパールの営業に

も影響が出そうだった。

釜山行きの水中翼船は日本船と韓国船が交互に乗り入れている。日本船は「ビートル」、

韓国船は「ジェビ」。カブトムシとツバメである。私の乗ったのはビートルで、船内は外から見る

よりも広く感じた。出国はすんなり行きすぎて拍子抜けしたほどだった。パスポートを見た

係官はちらりと私の顔を確認し、スタンプを押して終わり。金属探知機も難なく通過でき

た。ビートルは埠頭でゆっくり揺れながら乗客の搭乗を待っていた。私は指定された座席に

腰を下ろし、窓から福岡の高速道路やサンパレスホールや博多タワーを見た。

ほぼ満席で、何割かが韓国人のような顔をしていた。出航時間が来てエンジン音が大きく

なり、船は徐々に岸から離れていった。時刻は午前十時ちょうど。午後一時半には釜山に

到着する。私は何ともいえない不安に駆られた。窓の外はまだ日本だが、パスポートを提示

して出国したから、おそらく船の中は日本ではない。何かあれば、たとえば急におなかが痛

くなっても、あるいは海に飛び込んで下船を企てても、たぶん日本の法律とは違う国際法み

たいなものが適用されて面倒なことになる。船長も船員も、たとえ彼らが日本人でも別の

顔をするだろう。

右隣には背広を着た中年の男がいる。彼はハングル文字新聞を広げている。顔もどう見て

も韓国人だ。でも手にひらひらさせているのは菊の紋章のついたパスポートだった。斜め前に

座っている二人の若者も日本人に違いなかった。博多のどこにでもいる若者だ。休みを取って

小旅行でもするのだろう。でもその手には日本のよりも長くて大きな韓国のパスポートがあ

り、耳を澄ますと意味不明の言葉を話していた。

今からこんな調子では、どこもかしこも韓国人だらけの釜山でどうなるのか。若者に「ア

イ・ウォント・ゴー・トゥー・ウルサン」と話しかけても助けてくれるとは限らないし、何かあ

れば地元の警察を探すしかないが、「パチュルソ・オディエヨ?」がどうにか通じて派出所が見

つかっても、そこから先がわからない。英語で「アイ・ロスト・パスポート」とか「アイ・ロスト・マ

ネー」と言ったところで、現地の警官は韓国語でしかしゃべらないだろう。地下鉄やバスにち

ゃんと乗れるのか、乗り場を間違えて目的地以外の場所に着いても、それに気づく方法も

ない。そういった心配事が次から次に浮かんできたが、もう引き返せない。このまま釜山に

行くよりほかないのである。

定刻通りに出航したビートルはなかなか沖に出なかった。湾内をぐるぐる旋回しているの

を窓の外の風景が教えていた。「今日の操縦はヘタだな」。隣の日本人がつぶやくように言っ

た。「どうかしたんですか?」。そうたずねると、水中翼船が浮き上がるには背ろから風に

押してもらう必要があり、その風を探しているところだそうである。まるでヨットじゃないか

Page 233: Bar納屋界隈ver 3

と思ったが、船体を海面上に出して時速八十キロで走るのだから、そんなこともあるのだろ

う。この男からいろんなことを教えてもらおうかと思ったが、いい年をして無知なまま外国

に行くことがばれるのが恥ずかしかった。男も目をつむって寝はじめた。

ビートルはようやく風をつかまえたようで、エンジン音がやかましいほど大きくなり、船体

の振動が増し、徐々に速度を上げはじめた。

八十四

ふいに携帯電話が鳴った。理恵からだった。

「今どこらへん?」。「船が出港したところ」。

「いつごろ帰るの?」。「まだ行ってもいないのに」。

「おみやげを期待してるだけ」。「何がほしい?」。

「病気は持って帰らないでね」。「なんの期待だよ」。

笑いあって電話を切った。行く前から帰りを待ってくれる人がいるのはうれしいことだった。

そのうれしさが不安の中でしばらく燃えていた。

日本海は波が高く二メートルくらいあった。風が強くて波頭がしぶきになり、うねる波の

上を滑るように、左に対馬を見ながら船は進み、しばらくして別の水中翼船とすれ違った。

あれはたぶんジェビである。前と後ろの翼を海中に潜り込ませ、船底を海面に露出させて

猛スピードで通過した。遠くに白いフェリーが見えたが、まるで停泊しているようだった。

まさかと思いながらも理恵に電話をかけてみた。

「どこをうろついているのよ」。噴き出してそう言った。

「さっき対馬を通過した」。「ああ、もうそんなところに」。

「あした帰国してもいいよ、ご要望とあれば」。本心だった。

「対馬はどう?」。「白いガードレールが見える」。「とにかく無事に帰ってきてね」。

訪韓の前に甲斐さんのレポートを彼女に貸している。どんな感想を持つか興味深いところ

であり、少し怖くもあった。今は読んでいる最中だろうか。

ビートルの座席は座り心地が悪く、じきに飽きてきた。隣の男はまた新聞を広げて読んで

いるが、ハングルだから意味がわからない。そんな彼を横目で見ながら、国籍は日本でも母

親のいる母国は日本ではなく、祖先の眠る祖国はよその国かもしれないと考えた。

立ち上がってコーヒーカウンターに行き、苦いコーヒーを飲んだ。足元に船酔いの客が二人

横たわって乗務員に介抱されていた。カウンターの隣に免税店が開店して女性店員が一人

いたが客の姿はなかった。適当に時間をつぶして席に戻りかけると、ビニル袋の中におう吐し

ている客がいた。外に見えるのは大海原だけ。船の揺れはひどく、船酔いする人には過酷な

三時間だ。こちらも少し気分が悪くなり、おそらく三十分くらいうつらうつらしていた。

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船が速度を落としたような気がした。窓の外に小島がいくつか見えて、しばらくすると前

方に陸地が現われた。高層マンションが海にせり出すようにいくつも建っている。ずいぶん大

きな都市である。釜山に到着したのだ。

大きな岩が二つ三つ海面に出ていた。ここを通過するといよいよ釜山港である。船のスピー

カーからチョーヨンピルの「釜山港へ帰れ」が流れてきた。

見るからに観光客と思しき人たちは浮き足立ってがやがやと下船の準備をはじめ、隣の

男や二人の若者はまだのんびりしている。こっちはリュック一つの軽装なので、旅慣れてでもい

るかのように座ったままでいた。隣の男が立ち上がってから彼と同じことをすればいい。

エンジン音が低くなってビートルがターミナルに接岸し、港湾労働者が船を太いロープで固

定した。でも私の感覚では、ここは日本の端っこだ。その証拠に、下船する客に頭を下げてい

るのは日本人の船長であり、日本人の乗務員だ。私はいま外国にいる。わずか三時間後に

そう頭を切り替えるのは難しかった。

生まれて初めて外国に足を乗せた。広大な大陸の東の隅っこに降り立った。この両足を、

何も考えずに交互に動かし続ければ、徒歩でヨーロッパまで行ける。視野は韓国の国土にあ

っても、私はヨーロッパに歩いて行ける東の端に立っている。その感動が私を貫いた。

入国のゲートは帰国者用と外国人用に分けられていた。外国人の列には西洋人が二人い

るほかは日本人ばかりのようだった。そしてみんな手に、パスポートとは別の紙を持っていた。

それは入国申請書で、私は列を離れてその用紙のある場所まで戻り、所定の用紙に名前や

パスポート番号や、現金を一万ドル以上持っているかどうかの申告、旅の目的、宿泊先など

を記述して列に戻った。目的は観光―Sightseein

g

、宿泊は適当にU

lsan Hotel

としておいた。

私の番がきて、職員はパスポートの写真と私を見比べて無表情でスタンプを押し、入国をあ

ごで促した。

ついに韓国という国に立ち入った。それと同時に、一斉に韓国語が四方八方から耳に飛

び込んできた。私はまずターミナル内の銀行で日本円をウォンに交換した。外に出ると、目

の前はタクシー乗り場と駐車場だ。地下鉄駅はここから十数分歩いた場所にある。遠くに

白いタワーが見えた。私はフェリーターミナルを背にして山の方に、高いタワーのある方に向

かって歩きはじめた。

年老いた男女が四人、ひとかたまりになって立っていた。持っているプラカードに「日本語で

案内します」と書いてある。見るからに善良そうで、私は彼らに、地下鉄で梵魚寺に行きた

いと告げ、老婆が駅まで連れて行ってくれることになった。

中央洞(チュアンドン)駅までそう遠くなかったが、横断陸橋を渡るとき老婆は少しつらそ

うだった。道すがら、海外旅行は初めてで、蔚山まで友達に会いに行くのだと話すと、大し

て表情を変えず、困ったら誰かに声をかけなさい、困っていることを知らせなければ、あな

たは困っていないと誰もが思うだろう、と言った。そして、入国の時に入国管理官が失礼な

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態度を取らなかったかとたずねるので、そんなことはなかったと答えると、以前は日本人旅

行者にわざと横柄にふるまい、韓国の心証を悪くするように努めていたと言った。彼女自

身については、日本が統治していた時代に日本語を習わされたが、近所にとても仲のよかっ

た日本人の友達がいて、今でもその友達のことを懐かしく思う、戦争が終わって友達は日本

に帰国し、それ以来一度も会ったことはなく、どこに住んでいるのかも知らない。来てくれ

たらいつでも会えるのにと、少々愚痴めいた。

地下鉄の乗車券の買い方は日本とは逆で、最初に行き先のボタンを押し、金額が表示さ

れてからお金を入れた。そこまでを老婆は教えてくれ、困ったら誰かに話しかけるようにと

また言った。私は何度もお礼を言って地下鉄のホームに降りた。梵魚寺は終点の一つ手前で、

途中に西面(ソミョン)という分岐駅がある。

車内は混んでいなかったが空いていたわけでもなく、私はリュックを背負って吊革を握ってい

た。横に立っている女性は細身で目が大きく、美人だった。車両が揺れてリュックが彼女の腕

に当たり、日本語で「すみません」と謝ると、「ケンチャナヨー」と微笑んだ。すると目の前に

座っていた女子大生くらいの娘が緊張した顔で立ち上がり、私に席を譲った。老人扱いして

ほしくなかったが断るのも失礼なので「ありがとう」と言って座り、少しはにかんでいる彼女

に、「カムサハムニダ」と感謝の意を伝えた。外国で初めての会話が「ケンチャナヨー」、「カムサ

ハムニダ」だった。

およそ四十分後、地下鉄は梵魚寺に着いた。思っていたほど遠くなく、東莱(トンネ)あた

りから高架になったのも珍しかった。

梵魚寺駅は大きく立派だったが、外に出てみると、駅周辺に新しい建物はあっても、周囲

に広がるのは田舎町の風景だった。駅前で植木を売っており、右にロッテリアがあった。時計

を見ると午後三時半。十時に博多を出てから何も食べていなかった。でも食事をどこで取れ

ばいいか分からない。私はロッテリアに入り、メニューを指差してフライドチキンとポテトチッ

プスとコーラを注文し、それを乗せたトレイを持って席を探した。しかし空席がなく、男子

高校生と同席することになった。

目の前に座った私を見て、男子高校生は困った顔をした。憎い日本人にどう応対したらい

いか分からない、そんな顔になった。私から話しかければよかったが、そんな余裕はなかった。

彼は食べ終わるまで一度も顔を上げず、私もよそを向いて口を動かした。彼は不意打ちを

食らい、逃げられなかった。味も感じなかったかもしれない。私もそれは同じだったが、彼よ

りはずっと軽かった。でもこれくらいの反応があった方が韓国らしい。

食事を終えた少年は不機嫌極まりないといった態度で席を離れた。私はこの国に何かした

わけではない。少年を見下げたりあざけったりもしていない。でも彼は傷ついたかも知れな

かった。これが歴史と教育のもたらした結果だ。

突然目の前に手が出てきた。ウェットティッシューを握った手だった。さっき席を立った少年

が、このティシューで手と口を拭けとジェスチャーで指示し、不機嫌な表情のまま店を出て行

Page 236: Bar納屋界隈ver 3

った。今後、どれだけ年月が経とうとも、私はこの瞬間のことを覚えているだろう。

ロッテリアを出て、目の前を横切った若い女性に、パズルのような英語でバス停をたずねた。

「Excuse me, I w

ant to go to ULSA

N. D

o you know bus stop?

」。

うまく舌が回らずカタカナ発音のようになった。女性は立ち止まって険しい顔をし、自分

について来いというような仕草をした。そして先ほどの少年と同じくこわばった表情のまま、

私の存在などまるでないようにバス停まで案内し、乗車券売り場に声をかけた。そして自分

の財布を取り出したので、私はそれを制止し、料金を聞いて少し多めに手渡した。彼女は

無表情のままそれを受け取り、蔚山までの乗車券を私に手渡して歩き去った。私とは一度

も目を合わさなかった。後ろからカムサハムニダと大声で感謝しても振り向かなかった。

停車中のバスは大きかった。運転手はハンドルにあごを乗せて出発時刻が来るまで時間をつ

ぶしていた。乗車券を見せて「UL

SAN

OK

?

」とたずねると、「ネー」と言った。乗客は半分く

らいいて、その服装から、このバスは生活に利用されることが多そうだった。

エンジンがかかって車体が小刻みに震え、バスが動き出した。窓の外を流れる韓国の風景は

日本とどこか似ていた。人がいて生活があるのは同じだった。しかし看板などの表示はハング

ル文字ばかりで、読めるのは数字とアルファベットだけだった。小さな町をいくつも通過し、

そのつどバスは客を降ろし、また乗せた。田舎の風景は日本ほどにはきれいではなかった。山

もあまり手入れされていないようだった。田畑のあいだを流れている川もそれは同じだった。

ずいぶん大きな町に入った。道路もとても広くなった。運転手がちらりと私のほうに顔を

向け、すぐに前を向いた。二つか三つくらいのバス停でそれを繰り返したので、私は運転手の

そばまで行き、蔚山かとたずねると「ネー」と答えたので次の停留所で降りた。蔚山という

大きな町のどこかには違いなかった。そろそろ家の窓に明かりが点るころだった。

薄暗がりの中にタクシーが一台停まっていた。運転手に朴聖黙の住所を書いたメモを見せ

た。漢字ばかりだったから読めるかどうか心配だったがすぐに分かった顔をした。

日本なら一級河川に指定されるくらいの大きな河を渡り、ゆるやかな上り坂をタクシー

は登って行き、左のわき道に入ってパン屋の前を通り過ぎ、また右に曲がってしばらく行った

あたりで停まった。運転手が車を降りて四角い建物の中に入り、大きな声でだれかを呼ん

だのを見て、私も車を降りた。女の声が誰かを呼ぶ声が聞こえ、奥のほうから男がそれに

応えた。

八十五

大柄な若者がのっそり出てきた。それが朴聖黙だった。本当に巨体で、体重は百キロ近く

ありそうだった。私を見て怪訝な顔をするので、日本語で、甲斐さんに会いに来たと告げた。

すると彼は顔を崩して、甲斐さんは近所に家を借りていると言った。彼の出てきた建物は

銭湯で、見上げると高い煙突に赤い温泉マークが描かれていた。

朴聖黙は番台にいる母親に一声かけたあと私と連れ立って少し歩き、まず安宿を数日分

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借りた。床に薄っぺらな布団を敷いただけの狭い部屋で、チマチョゴリとかいう民族衣装を着

た人形が置いてあった。旅館からさらに五分くらい歩いて、古い民家がごちゃごちゃ建て込

んだ一角に足を踏み入れ、赤レンガの塀に囲まれている古い平屋の戸を聖黙は叩いた。敷地

内は草ぼうぼうで、手入れが行き届いていなかった。

甲斐さんはひどく老けていた。小柄な体がもっと小さくなって、迫力とか存在感とか、あ

るいは私とのつながりとかもほとんど消え、うっかりすると見過ごしてしまいそうだった。老

いた人間がさらに老いるとこんなふうになるのだ。私の突然の訪問に彼は意外な顔をし、そ

のあと懐かしそうに笑った。私は手短に、時枝さんからの託けがあるために来たのだと説明

した。レポートを何度も読んで、時間を縮めることが少しはできるようになったことも伝え

た。聖黙が横から、宿を一週間くらい確保したと口を挿むと、さらに懐かしそうな目にな

り、明日の朝十時ごろ聖黙の家で話そうと言った。瞳の奥にかつての甲斐さんのいたずらっ

ぽい光が見えたような気がしたが、私と彼との、時間的、距離的、経験的な隔たりは小さ

くはなかった。

甲斐さんの家を出ると、食事に行きませんかと聖黙が言った。たしかに胃袋は空っぽだ。

聖黙は私を一軒の食堂に連れて行った。デジクッパという料理を食べさせる店で、デジは

豚肉、クッパは雑炊、つまり豚肉雑炊の店である。正確な発音はクッパのあとに小さなpが付

く。このpは発音せずに下唇を軽く噛み、「クッパp」みたいになる。このデジクッパを説明す

る場合は、「透明な豚骨スープにご飯とチャーシューを混ぜた雑炊」とでもなるだろうか。ど

んぶりのそばにスライスしたニンニクと青い唐辛子がついており、好みでニンニクを入れ、青唐

辛子は味噌につけて丸かじりするのである。両方やってみて、どちらもうまく食べられたた

め、朴が、私のことを北朝鮮の人間みたいだと言っておかしがった。その様子を見ていた店主

が話しかけてきたが意味がわからなかった。でもどうせ味のことだろうと思い、「マシッソヨ

ー」と答えると、けらけら笑って店の奥に消え、紙コップに入れたコーヒーを「コピ、サビス、

サビス」と言って出した。味はよくなく、香りだけ甘かった。

納屋のことを聖黙は知っていた。甲斐さんのレポートを日本に送ったことがあったので、銭

湯の仕事が終わった夜遅くに近所のネットルームに行き、住所に見当をつけて検索してみた

ら、暗闇に点灯している看板のウェブカメラ映像を見つけたという。開店準備をしている私

の姿も見たことがあると言い、昼間はアパカパールとして開けていることも知っていた。しか

しそれらのことは甲斐さんには教えていないと言った。私たちは「C1」という名前のビール

を飲んだ。さっぱりしていて、韓国の濃い味には合いそうだった。

翌日の朝も聖黙が宿に来て、朝ごはんを食べに行きましょうと誘った。それで昨夜とは違

う食堂に行き、もやしと小さな河豚を煮込んだスープをおかずに朝食を食べた。韓国の食

器は椀も皿も箸もコップも、どれもがステンレス製で、歯に当たるといやな感じがした。朴の

説明では、あるメーカーがステンレスの食器を考案し、テレビで「割れず、壊れず、衛生的で

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長持ち」と宣伝したところ、瞬く間に広がったそうである。もし日本で同じことをしてもそ

うはならない。そこは国柄の違うところだ。聖黙は私に、日本のプロ野球の王監督は韓国人

なのを知っていますかと、得意げな顔でたずねた。そして王監督が台湾人であることを私か

ら聞き、すごく失望した表情になった。人がこんなに落胆した姿を見たことがなかったので

ちょっとおかしかった。日本で活躍している黄色外国人=韓国人という図式があるようだっ

た。彼はさらに、日本に空手を教えたのは韓国人で、インスタントラーメンも最初に作り、

剣道も武士道も韓国から伝わったのだと話した。そして、韓国に美人が少ないのは、ずっと

昔に韓国の美人を日本が連れ帰ったからだと笑った。日本の美人=韓国のDNAと言いたい

のである。私は笑い、しかしどうでもよかった。美人はどの国にもいる。

朝食を終えて聖黙の家に行った。母親は韓国人女性特有の顔立ちで、私を見るなりタオ

ルと歯ブラシを手渡した。一風呂浴びろというのである。甲斐さんとの待ち合わせまで時

間があるし、行くところもない。それで好意に甘えることにした。

私は脱衣所のかごに服を入れ、大きな湯船に浸かった。日本の銭湯とほとんど同じで、中

年の客が一人だけいた。体を洗って体重を計り、風呂から上がると番台に通されて、母親

と聖黙が交代した。親子の交わす会話が理解できず、番台にあるテレビを見ながら時間を

つぶしていると甲斐さんがやってきた。私たちは目で笑い合い、二階の居間に上がった。

韓国に着いてから不自由さはほとんどなかった。困れば誰かが助けてくれ、お金を払えば

宿に泊まれるし食事もできる。これが観光ならもっとよかった。旅行客として聖黙に会えば

もっと楽しかっただろう。しかし時枝さんからのメッセージを携えている。目的があってここ

にいる。それがなければ別の韓国が見えたはずである。

第十三章

八十六

最初に、宮内君のことを話した。納屋を継いでうまく行きはじめたころに亡くなり、その

あとを私が引き継いだことや、昼間は食堂として近所の主婦が営業していること、岡村君

は東京に行き、にいちゃんは少し大人び、イシちゃんは結婚して元気にしていること、アニー

に子供が生まれ、納屋に彼女のピアノが置いてあること、カンボジア人を保護する大きな事

件に巻き込まれて理恵記者と時枝さんが尽力したこと、あの部屋はアジア雑貨を売る店に

改装されるかもしれないこと、そして「アレ」も元気なようだと、覚えていそうな人のことは

すべて話した。理恵との深い関係だけは内緒にして。

甲斐さんは時枝さんに深い同情を寄せた。彼のいた部屋の改装については、その方が建物

もよろこぶだろうと言った。それ以外のことは、いまさらそんな話を聞かされても面倒なだ

けという表情をした。朴が盆に盛ったミカンを置き、すぐに出て行った。甲斐さんは一つ取

り、私に差し出した。それを受け取って皮を剥きながら、本題に入った。

Page 239: Bar納屋界隈ver 3

時枝さんの願いを知って甲斐さんは困った顔をした。

「旅客機が今まさに滑走路に着陸しようとする時、地上は猛スピードでせり上がり、ある

いは機体がものすごい速さで地面に沈み込んでいくような錯覚に陥る。このとき乗客は最

大限に緊張する。それまでの航路が良かったのか悪かったのかなど忘れて、無事に着陸する

ことだけを願う。どこに降りるかなんてどうでもよくて、とにかく事故を起こさないように

と祈るだけだ。それなのにキミは、また上空に戻れという。着陸する場所も示さずに」

私は返事をしなかった。

「人は外には死なない。内側に閉じるだけだ。オレ様がいよいよ死ぬぞと外向けの準備をす

るのは愚かなことだ。自分の死は自分にしか見えない。しかもその機会は一度しかない。わ

しはそれをうまく迎えたいのだ」

それにも私は黙ったままで、レポートにあった津波の避難を呼びかける女性職員のような

光景は甲斐さんにもたらされるのだろうかと考えていた。甲斐さんは話題を変え、韓国が

初めてなら、聖黙に慶州(キョンジュ)まで連れて行ってもらい、仏国寺(プルグクサ)や石窟

庵(ソクラム)を見たらいいと言った。私には甲斐さんがまったく違う人に見えていた。色の

落ちた役に立たない古い思い出がわずかにあるだけだ。

昼飯を食べに出ようと聖黙が誘いに来たのは救いだった。彼は私を理由に外に出たがって

いた。

聖黙は歩きながら、自分には二人の兄がいて、長男は釜山の大学で体育の教師、次男はソ

ウルで政治活動をやっていると言った。どちらも妻子があるという。父親は聖黙が小さいこ

ろ病気で亡くなったらしい。ふるさとは東莱で、高校生のころ蔚山に越してきた。

聖黙は私を蛸炒飯(ナチポコンパp)の店に連れて行った。口を手で扇ぐほど辛く、にんにく

の味も強かったが、香ばしくてうまかった。じきに全身から韓国が匂い立ってくるだろう。

甲斐さんはあの時間に時々来て昼過ぎまでいるらしい。朝鮮語は話せないが、家と銭湯の

往復がほとんどなので困らないようだった。聖黙は、普段は朝早く起きてボイラーに火を入

れ、昼は母親と交互に番台に座ったり仮眠を取ったりし、夜に店が閉まると風呂を掃除し、

そのあとようやく自分の時間になる。ただしこの一週間は手伝いを雇い、それで自由が利

くようだ。聖黙は福岡で日本語を学び、甲斐さんの骨折りで広島の会社に勤めたことがあ

ったが、ストレスで心の病気になり、一年で帰国した。道すがらそう話した。

夜も聖黙が迎えに来て、焼肉プルコギを食べたあと別の店でドンドンジュという酒を飲んだ。

木の容器に入っている白濁した米の酒を、木の杓ですくって木の椀に入れて飲むのである。

肴は長いねぎの入ったお好み焼きのようなパジョンで、ドンドンジュにはパジョンと決まっている

ようだった。

インターネットで納屋を見たかったのでネットルームに入った。若い客ばかりで、大抵がマシ

ンガンを手に戦うゲームをやっていた。はたから見れば画面を見つめたまま手が少し動いて

いるだけだったが、彼らは排泄と睡眠と食事さえできれば今のままで構わない部類のよう

Page 240: Bar納屋界隈ver 3

に見えた。私たちも席に着き、聖黙がキーボードを叩くと、画面に納屋が現われた。

少し粗い映りで、窓から灯りが洩れ、看板も輝いていて、The vicinity of B

ar NA

YA

、「BA

R納屋界隈」とタイトルが上の方にあった。かつて宮内君と見た光景を、いま韓国で聖黙と

見ていた。

私は聖黙に、今から日本に電話できるかと聞いた。聖黙が携帯電話を出したので納屋の

番号を教えると、彼は日本の国番号81を押して納屋の番号を入力した。何回かコールが

あってイシちゃんの女房が出たので、外に出て看板のそばに十秒ほど立ってみてくれと頼む

と、納屋のドアが開いて明るい光が外に広がった。

電話口にイシちゃんが出た。いま韓国に納屋が映っていると教えたら、じゃあ俺はどんな

服を着ていますかと聞くので、建物が映るだけだと答えた。イシちゃんは声を弾ませて、

「明日は俺の会社から二十人くらい来るっすよ。俺のおごりっすけどね。いま社長が飲みに

来てるっす」と言った。

二日後には理恵から連絡があった。慶州に行く列車の中だった。「ヨボセヨー」。右に日本

海を見ながらそう応じると理恵は笑い、納屋が開いているようだが誰がやっているのかと聞

いた。説明が面倒くさいので、客の一人がやっていると答えた。甲斐さんと会えて時枝さん

の託けを伝えたので、もう帰国したいと言った。行きたい場所や見たいものは何一つない。

八十七

慶州には一泊しただけだった。円墳群や仏国寺を訪れ、山の中腹まで徒歩で登って石窟

庵の巨大な石仏を見た。この石仏は、日の出の時間だけ姿を現わすように横穴の奥に作ら

れたもので、長い年月の末に土に埋もれていたが、旧日本軍が付近住民から噂を聞き、山の

麓から道路を作って掘り出したという。今は観光名所になっているので、広い洞窟が煌々と

照らされ、奥まったところにある大きな石仏をガラス越しに眺めることができる。私が訪れ

た時には十数人の韓国人が手を合わせて拝んでいた。その一団が去って私と聖黙だけにな

り、私が「この石仏の美しさは世界で一二を争うだろう」と言うと、参拝客を監視していた

尼僧が小さなくぐり戸を開け、さあここから入ってと日本語で言い、私たちのあとから歩

いてきたカップルにも韓国語で、あなたたちもどうぞと急かしたようだった。聖黙とカップル

は悲鳴のような声を上げ、尼僧を何度も拝んだ。石仏は近寄るとずいぶん大きかった。天

井はドーム状に石が組んであり、周囲には十体以上の石像が彫ってあった。

慶州から戻る列車は混雑し、私たちは二人の老人と相席になった。彼らは私に日本語で

話しかけ、「ナツカシイナア」と言って、若いころ日本軍の兵士として行進の練習をしている

時に足のゲートルが解け、馬に乗った憲兵から鞭で強く叩かれたと笑いながら話した。日

本の歌も手拍子で合唱した。「クサツーヨイトコー、イチドハーオイデー、ハアドッコイショ」。

そして一人が「ワタシノニホンゴハタダシイデスカ?」と聞きながらタバコをくわえたのでライ

ターで火をつけてあげると、彼は真顔で万歳をした。日本人が自分のタバコに火をつけたこ

Page 241: Bar納屋界隈ver 3

とに勝利感を味わったようだった。戦後半世紀以上も経っているのにこれが事実だった。

蔚山の手前の駅で老人二人は降りた。その際「あなたはいい人だから、今夜私の家に泊ま

りませんか。うちは金持ちだから部屋はたくさんある」と誘われたが、さっきのような話を

夜更けまでされたのではかなわないので丁重に断った。当時の韓国はそんなに抗日の戦いは

しなかったし独立国でもなかったので戦勝国ではないが、虐げられた末に戦勝の側に立ってい

るので、語る言葉は無数にあった。こちらはその逆だ。

二人が降りて列車が動き出した。私は窓から身を乗り出して彼らを呼び、手を振った。

二人の老人は身を返して私の方を見、軽く手を振り返しながら遠ざかっていった。

蔚山にいるあいだ、甲斐さんとそれほど話はしなかった。始終にこやかではあったが、バー

のマスターと客ほどの親しさもなかった。酒も音楽も以前ほど好んではおらず、親しい人に

囲まれてもいなかった。一度だけ柳(ユウ)という老人が甲斐さんを訪ねて来ていた。柳氏の

口から、自分は戦前長崎で暮らしていて被爆し、今は蔚山の教会で牧師をしているが、例年

八月九日には日本政府の招待で長崎を訪れていると言った。日本語は流暢で、銀縁眼鏡が

知性を感じさせた。この牧師も、列車で出会った二人の老人も、釜山港から中央洞駅まで

連れて行ってくれた老婆も、若いころは日本人から見下げられて悔しさに唇を噛む思いを

たびたびしたはずなのに、当時をずいぶん懐かしがった。梵魚寺で会った仏頂面の高校生や

若い女性とはまったく異なる素直な笑顔を、ふんだんに私に向けた。

あした蔚山を離れて日本に帰ることを告げた時、甲斐さんの目に寂しさが横切った。ま

た来ますよと愛想を述べてもよろこばないと分かっていたので、時枝さんの依頼は別にして

も、一度日本に戻ってみんなに元気な顔を見せたらいいのではないかと最後の提案をした。

そうだろうなと甲斐さんは言い、足腰がまだ自由になるうちにいっぺん帰るよと約束した。

私は気分が晴れ、こうして韓国に来られたのもイシちゃん夫婦が納屋を開けてくれている

からで、一番よろこぶのはイシちゃんかもしれないですよと言うと、子供のような顔になっ

て笑い、イシちゃんを散々からかったことを謝りたいし、時枝さんにもきちんと挨拶をして

おくべきだった、と言った。寝泊りするところはどうにでもなるから、ずっといても構わない

でしょうと私は返し、甲斐さんも、じゃあ納屋の客としてイシちゃんに接客してもらおうと、

また笑った。ようやく甲斐さんから土産を持たせてもらい、次に会う時は納屋でと念押し

して銭湯をあとにした。

翌朝の十時ごろ蔚山からバスに乗った。今夜は釜山港近くのタワーホテルに聖黙と二人で

泊まる。釜山を観光するなら案内すると聖黙に言われたからである。彼もそれを理由に

釜山まで行けることがうれしいようだった。

バスの景色は往路と同じだったが飽きはしなかった。沿道に植わっている木の中に、咲いては

いなかったが桜の木がたまにあった。あれはサクラだねとたずねると聖黙はうなずき、日本

Page 242: Bar納屋界隈ver 3

で満開の桜を見て、美しさに感動したと言った。

梵魚寺から地下鉄に乗り、釜山には直行せずに、西面で別の線に乗り換えて海雲台まで

行った。甲斐さんの手紙に、夕日が韓国で最も美しい海岸だと書いてあったからである。

ずいぶん大きな砂浜だった。高層ホテルもいくつかあった。海岸と道路の境にある建造中の

建物を聖黙は指差して、もうじき水族館ができると言い、遠くのビルを示して、「あそこで

射撃ができますよ。銃を撃ってみますか」と聞かれた。それで二階の射撃場に行ってマグナム

を撃ってみたが、反動で腕が上に跳ねるわけでも、体が後ずさりするわけでもなかった。ダ

ーティーハリーの映画は嘘っぱちだ。この歳になるまで映像にすっかりだまされていた。

砂浜を歩きながら聖黙はよくしゃべった。日本にいた一年間で多くの友達ができたが、病

気で帰国したとたんにゼロになったと寂しそうに笑った。今は釜山で食堂を経営するのが夢

だそうだ。

そんなものだよと私は答えた。カウンター越しのマナーという言葉が浮かんだ。あいだにカ

ウンターを挟むと非常にうまい接客をする。ユニフォームを着ている間は懇切丁寧、私服に

戻れば冷酷無慈悲。それで一生突っ走れると思っている。

「甲斐さんはボクが日本に連れて行きますよ、とんこつラーメンはおいしいですよね。寿司

も食べたいんですよ」。聖黙の言葉に甲斐さんの帰国が現実味を帯びた。多少の縁のある者

としてうれしかったが、最期に立ち会うようなことになればつらくて面倒だろう。

陽が傾きかけていた。百メートルくらい向こうに数十羽の白い鳥が一塊になって舞い飛ん

でいた。一組の若い男女が餌を投げているのだった。そこから少し離れた場所に小さなテー

ブルを置いて椅子に腰掛けている女性がいた。私は彼女から餌を買い、海辺に向かって歩き

はじめた。鳥たちはうるさく鳴きながらすぐに私のまわりをてんで勝手に舞い回り、トビほ

ど荒々しくはなかったが、やはり放り投げた餌を空中でキャッチしたり、地上でついばんだ

り、手を伸ばせば届きそうな距離で空中停止して私と目が合ったりした。あとで聖黙が大

笑いしながら、白い鳥の中に私が隠れてよく見えなかったと言った。甲斐さんの好きな高い

場所は、遠く東の方にある丘の上で、そこにある食堂を甲斐さんは好んでいると聖黙から

聞いた。

釜山には夕方遅くに着き、ホテルにチェックインしたあと晩御飯を食べに出た。中央洞の

雑踏を歩き、どこか交差点の角にある店の二階に上がって蔘鶏湯(サムゲタン)を食べた。鶏

の中に米や野菜やナツメを詰めて煮込んだスタミナ料理で、かぜをひいた時や体力のなく

なった時にいいらしい。興味津々で箸を伸ばしたが、朝鮮人参の噛みにくい食感と埃のよう

な臭いは苦手だった。

聖黙は今の退屈な暮らしをどうにか変えたいらしい。ここでも新しい店の話をした。どん

な店でも一歩踏み出せば、客や雇い人の中に縁のある女性が現れるかもしれない。そう話

すと彼は照れ、今度韓国に来たら龍宮寺(ヨングンサ)に行こうと誘った。海雲台のずっと東

にある海寺で、縁切り寺として有名らしい。「別れたい女性はいますか」。「いや、別れたくな

Page 243: Bar納屋界隈ver 3

い女が一人だけいる」。だったらソウルに行ってみましょうと言った。そこからタクシーで北に

一時間ほど走れば北朝鮮との国境にあるイムジン河(リムジンガン)に着く。河の向こうは北

朝鮮で、統一展望台の双眼鏡を覗けば人も見えるそうである。その展望台に聖黙は行った

ことはなく、彼が軍隊にいた時は東の国境の、ソラク山にあるレーダーを警護していたと話

した。聖黙は韓国の徴兵制について、家の事情で機動隊員や軍隊の郵便物を配る職務に就

く者もいるが、兵役が若い力を削ぐから、韓国はいつも日本に遅れている。でも戦争になっ

たら男はみんな戦えると話した。聖黙も銃を撃てるし格闘もできるそうである。そこは日

本の男と決定的に違うところだ。それでも日本の方が戦後ずっと敵を退けて平和をうまく

勝ち得ているかのように、私を含めて日本人全体が思っている。でも勝ち得たのではなく、

負け得たのが本当だ。日本人は民主主義の国と戦い、負けた戦利品が民主主義だった。

民主主義とか平和とか、自由という言葉、あるいは人権のようなものは、本気で望んだわ

けでもないのに東の空から毎朝昇るくらいにしか日本人は思っていない。民衆が苦労の末に

得たのではないから、自主主義を実現する環境として民主主義が保障される必要があるこ

とを知らず、目的を取り違えた歪なものになっている。自主主義、あるいは自立主義が芽

を出すためには民主主義の沃土が必要だ。しかし希求していないものを与えられても取り

扱いに困惑するだけで、民主主義という土壌に、わがまま勝手主義という雑草が伸び放題

になっている。

私のような生き方は軍国主義のもとでは許されず、不穏分子として祖祖父のように刑事

から見張られるだろう。イシちゃんや岡ちゃんも叩き直しを理由に軍隊に放り込まれ、で

も直らないため蝦夷地で強制労働か。宮内君は豪農の息子だから少しはましな扱いをされ

るだろうが、こちらも役立たずとして持て余される。理恵は妖しげな容姿と美貌から女工

作員に仕立て上げられ、尚美は女スパイ理恵の忠実なしもべ。「アレ」は学徒出陣壮行会の

会長を仰せつかり、出征兵士に「明日の日本のために死んで戻ってこい」と激を飛ばす自分

に酔い、その言葉の矛盾を突いた甲斐さんは官憲に追われて地下に潜伏。津下刑事は昇進

できずに万年巡査で、二人の女忍者は女子挺身隊の分隊長、マリコは鞭を振り回す女蟻地

獄収容所の所長といったところか。サルはカンボジア人を狩り集めて日本に送り、それを華

僑のホウがスモウに売り渡して大儲け。スモウ親子は奴隷工場を全国展開して財閥になる。

昼と夜が入れ替わっても、ダークサイドはやはりダークなままだ。

八十八

体がニンニクくさいと言って理恵は近寄らなかった。血液検査もした方がいいと冗談めかし

て言われた。でも一日だけのことで、私たちはまた「くっつく離れる虫の愛」をはじめた。

イシちゃんが納屋をうまく仕切っていたことは、売り上げの三割を受け取って分かった。女

房が手伝い、アニーも二晩来てピアノを弾いた。この一週間の客が、イシちゃんの勤める会社

の人たちも含めて、また来てみようという気になったら彼の実力だった。小さな町の小さな

Page 244: Bar納屋界隈ver 3

店である。事件のことを覚えている人はいなかったし、いてもイシちゃんと結びつけることは

ないだろう。いずれ誰かが言い出すにしても、その時は笑って肯定すればいい。「ええ、私で

すよ」と答え、「おかげでひどい目に遭いましたよ」でも「おかげで今の自分があるんですよ」

でも、何でもいいから答えれば、そこで話題は落ち着く。そこからイシちゃんのミニストーリ

ーは次の場面に進むことになる。

甲斐さんが戻ってくるかもしれないことをイシちゃんは心待ちにしながらも恐れていた。

納屋は居心地がよく、女房がいる今はなおさらで、甲斐さんの帰国によって、かつてのよう

に軽んじられて隅っこに追いやられるのではないかと思ったようだ。そんな彼の気持ちとは

別に、私は冴さんと相談し、時枝さんの了解も取り付けて、納屋に隣接した船室をアジア

雑貨の店として再生しようとしていた。店の名前を考えるのは冴さんで、仕入れも彼女の

担当になる。女性は男性よりも行動が早い。相談しているあいだに雑貨が運び込まれはじ

めていた。冴さんのつながりでバリ島やカンボジアやインドから、あるいは新飯塚商店街のは

ずれにあるアジア雑貨のマンディ・ガジャから、そしてアニーのふるさとフィリピンからも手ご

ろで素朴な民芸品が届きはじめていたし、理恵に頼んで新聞に載せてもらうことも計画し

ていた。さらに冴さんは、ショップをイシちゃんの女房に手伝ってほしいと言った。土日を中

心に、平日も夕方の一時間か二時間、軽い気持ちで店番をしてもらいたいという。そのこと

を私はイシちゃんの妻に伝え、大まかな了承を得た。イシちゃんと一緒ならどこにいても構

わないからである。

時枝さんは甲斐さんの滞在が長期に渡ってもいいように、いくつかある貸し家から一軒を

選び、納屋に放置してあった荷物を運び込んだ。施設建設の方は測量が進んでいるところで、

完成予想図を見せてもらったが、何ごとも実際にやってみなければわからないようなこと

はよくある。雇用は地元からという話にしても、介護や看護が中心となるから資格が必要

だ。地元民の特権として資格が得られるわけでもない。

私が韓国にいる間に「NPO金剛の里」の構想が九北新聞に載り、他紙もそれに続いた。テ

レビのローカル番組にも取り上げられて、このあたりが脚光を浴びているように住民は感じ

ていた。他の地域の者にはどうでもいい話なのだが、自分たちが特別に選ばれたような、時

代の先を見る目が備わってでもいるかのような、あるいは特段に弱者を思いやる地域でもあ

るかのような、そういった勘違いが生まれて住民を浮かれさせ、井戸端や茶の間の話題とな

った。大半の住民には関係のないことなのに、各々の人生の中に組み入れられ、反面、手の

届かないことへのあせりも生じさせた。みんな情報を知りたがり、幾人かは大きな期待とむ

なしさが同時に進行している目をして納屋に来た。案の定、酒は飲まずにコーヒーだけで済

ませ、情報が得られないとわかるとすぐに帰った。

根拠のない主人公気分と、自分は時流の外にいるのではないかという不安が菰田地域を

覆っていた。米屋や八百屋は、施設が大量購入してくれることを期待し、タバコ屋はタバコが、

和装店は反物が、下駄屋は下駄が、酒屋は酒が、いつもよりは売れるだろうと算段していた

Page 245: Bar納屋界隈ver 3

が、そのために何か行動するわけでもなく、漫然とした期待を抱き、普段とは違う明るい

日差しに包まれたような気がし、皆のまなざしがやわらかくなり、年よりは多弁になった。

工事関係者の車とすれ違うと軽く頭を下げ、測量士や図面を持った作業員に出くわすと

優しい視線を向けた。なかでも「アレ」は象徴的だった。熱を帯びたような目で、何かに取り

憑かれたように走り回っていた。

彼らは火事の見物人と似ていた。目前の対象物に興味津々なのだが近寄れず、周囲の見

物人と情報をやり取りするのだが、誰も何も知らない。でもその場を去ると損をしそうな

気がして、成り行きを見守っているのだった。見物人同士として会話はいつもより弾んだだ

ろう。台風が去った翌朝に、普段はあいさつも交わさない人がこもごも語り合うのと似て。

八十九

店の名前がプノムに決まった。カンボジアの言葉で山の意味だという。「アジア雑貨のプノ

ム」。改装はブルーメ造園の上野社長に頼んだ。

駐車場から店内に直接入れるように、レンガを漆喰で固めたアーチの中にドアが作られ、

甲斐さんが使っていた箪笥や浴槽や寝床のたぐいはガラクタとして撤去された。棚が壁面

に備えられて床には不規則な形の石が張られ、採光窓やモダンな照明も取り付けられた。

レジスターや姿見などの備品も購入された。「甲斐さんの部屋」と書かれた表札は外され、

郵便受けは外に置かれた。バナナの木のそばにタイルを敷き、低木を植えてミニガーデンを

作った。オーバーグランドプランツも並べられた。ぶどう棚のようなパーゴラも備えられたの

で、そのうち蔓バラが這い上がるだろう。マンゴスティンの木は急速に枯れ、幹の根元に若い

芽が三つ出ていた。冴さんはよろこんで掘り出し、別の鉢に植えてプノムの店内に置いた。

そうこうしているうちに聖黙から電話があった。甲斐さんを日本に連れて行くが、滞在で

きる場所はあるかと聞く。一軒の家を準備してあると伝えた。

聖黙に付き添われて甲斐さんが帰ってきた。そのまま新居に入り、聖黙だけが納屋に来

た。今夜は甲斐さんの家に泊まり、明日の朝には韓国に帰ると言う。仕事が忙しくて休み

が二日間しか取れなかったと説明したが、厄介な荷物を運んで来ただけのように思えた。

韓国での聖黙は本当によくしゃべり、「ボクの名前は、黙っていたら聖人になるという意味

でつけられたそうです」と言って私を笑わせたが、今は言葉数が極端に少なく、気も落ち着

かないようだった。

翌朝甲斐さんを訪ねると聖黙の姿はなく、小さな卓袱台の上に食べ終えた朝食の盆があ

った。聖黙が一夜で帰ったことに不満を漏らすと、日本で心の病を発症し、今も投薬治療

を続けているので、病状の悪化を怖がっている。今や日本は鬼門なのだと言った。その言葉に

は、聖黙の状況がよほど改善しない限り再びここに来ることはなく、甲斐さんも一人で蔚

山まで行くのは体力的に難しそうだから、余程のことでもない限り二人が会うことはない

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との意味も含まれていた。

膳を下げに来た時枝さんはたのしそうで、安堵感のようなものが漂っていた。長生きすれ

ば悲しいことがいくつも起こる。それが長寿の代償だ。彼女の夫と甲斐さんは子供のころか

らの親友で、それは身内よりも深かった。再び甲斐さんが身近にいることで、彼女は一人ぼ

っちではなくなった。甲斐さんは今や彼女の唯一の支えかもしれず、それはほかの誰にもで

きない役割だった。これから心おきなく二人で話せる日が来る。彼女の少女時代や女学生

だったころのみずみずしい思い出、台南で軍国少年として育った夫についての回想、そして戦

後の日本での、思いつく限りのさまざまな心に残る経験と体験。そのことを振り返っている

間、二人は失われた時間を取り戻していることになる。夫婦のなれそめや新婚時代を乙女

のように話し、息子の誕生や成長を語る時、その死は遠ざけられるだろう。その時代の自

分に戻って笑う時、その人は語る時代のすべてになる。人生は行きつくところ、失われた時

間を取り戻せる手段を得られたかどうかだけである。

甲斐さんがこの町にひっそり帰ってきたことは、かつての客や同年輩の人たちに静かに広

がった。しかし人がひんぱんに訪ねて行くようなことはなかった。ただし「アレ」だけは、といっ

てもこのころには林大作という名前であることは私も知っていたが、林はさっそく、町内を

代表するかのように仰々しく訪問した。しかし甲斐さんを見た途端、その場に膝をついて

泣き出した。それは、甲斐さんが弱弱しく小さくなっていることへの驚きと、その反射で自

分も同様に老けたことを知り、それに打ちのめされたのである。林は魂が抜けたように帰っ

て行き、やがて町内会長を辞退した。甲斐さんの一層の老いが、「アレ」を少し成長させた。

アジア雑貨の店プノムがオープンした。昼は冴さんがアパカパールとの両方を、夕方からと

土日はイシちゃん夫婦が開けた。

イシちゃんは納屋での立場が揺らがないことに安心し、甲斐さんが来店すると張り切って

シェーカーを振った。そのそばにいるイシちゃんの女房を甲斐さんは褒めちぎった。宇摩権造

氏とアニーも子供を見せに来たが、甲斐さんに抱き上げられることはなかった。シニアソム

リエの久保井氏も顔を出して時候のあいさつを交わした。にいちゃんのことは覚えていなかっ

た。理恵に会うと「ますますいい女になったな、男でもできたか」とからかい、どんなに立派

な新築の家も年とともに柱が傷んで外観を支えられなくなるから、内面を充実させて、柱

の代わりにしたほうがいい。なかにはわざわざシロアリに食い荒らさせる女だっているんだか

らな、と話した。私はひやりとした。

九十

時枝さんが語るところによると、甲斐さんには水島の造船所で働いている長男と、牡蠣の

養殖をしている漁民の元に嫁いだ長女、そして津山市役所に勤めている次男の三人の子供

が岡山にいるという。妻は先に死に、そのあとこの町に来たそうだ。韓国にいる間にもたま

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に岡山に帰っていたらしい。甲斐さんは三人の連絡先を時枝さんに教え、今この町にいるこ

とは伝えてあるが、時枝さんから連絡する必要が生じた場合は、必ず死後であることを約

束してほしいということだった。「死に際に多数を集めるのは得策ではない。関係が密であれ

ばなおさらで、たくさんの泣き顔を見ながら目が閉じていくのは愚策というよりほかない。

加えて、無念を嘆いて逝くのは避けるべきだ。最期を看取った者にそれは受け継がれやすい

から」が理由らしい。この世を去る時に子供はどこかで楽しく暮らしていればよく、自分も

その方が安らかに死を迎えられると三人の子供に伝えてあるそうだ。

「もうこれくらいの年になると、死ぬことが思っていたほど怖くはないんですよ」。そう時枝

さんは自分を重ねて言った。年を取るにつれて「みんな元気でね、バイバイ」くらいの気分ら

しい。でも年寄りが皆その心境に至るわけではないだろう。それを問うと、「そりゃそうで

すよ。財産に未練があったり満足のいく生き方をしてこなかったり、良くない生き方をして

いる人は恐いでしょうね」といたずらっぽい顔をした。彼女によれば、人は今まで生きてきた

ようにしかこれからも生きられないので、自分の身に起こった、すぐには受け入れ難い大き

なトラブル、たとえば会社の倒産、解雇、離婚、身内の死、裏切り、大病などの時にどう対

処したかで最期の処し方が予想できるという。だから甲斐さんは最後まで気丈でいられる

だろうと言った。

知恵とはこのようなことだ。歯のない人にも食べられる卵焼きのようなもの。見過ごして

もいっこうに構わない単純なもの。おそらく知恵を持つ人は、子供にもわかる言葉でそれを

話し、でも簡単すぎるために聞き逃され、見過ごされる。

葉書が納屋に届いていた。私宛だった。送り主は林大作。

絵手紙とでもいうのだろうか。淡い水彩でナスと瓜を素朴に描き、余白に筆ペンで「あなた

に会えたことに感謝

林拝」。そして隅っこに手掘りの朱印「は」が小さく押してある。今度

はこれか。私はなるべく目に入れないようにし、端っこを摘まんで屑篭に捨てた。こんなこと

をする暇があれば困っている人を助けたらいい。でもそれはやらず、自分だけが称賛される

新手の技を繰り出してくる。甲斐さんはかつて、「芋虫のまま大きくなる」と表現したが、こ

いつは「その芋虫の内部が腐っている」とでも言い換えたほうがよさそうだ。

九十一

施設を建設する音が聞こえはじめた。何台もの重機が菰田地区に運び込まれ、溝を作り、

縦穴を掘りはじめた。現場は防護柵で囲われ、足場が組まれ、シートが張られた。プレハブ

の飯場が作られて簡易トイレが備えられた。とても大掛かりな工事で、朝早くから夕方ま

で、いつもどこかで音が聞こえ、新たな町づくりでも始まったかのようだった。大型ダンプカ

ーや生コン車が走り、建材が運ばれてきた。

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甲斐さんは静かに生涯を終えた。一年はいなかった。看取ったのは時枝さんとイシちゃん、

アニー、医師の箕坂氏と看護師、そして介護士の六人で、イシちゃんを立ち合わせたのは、

身寄りがない彼に必要な経験だと思ったからである。その時間、私は普段どおりに納屋を

開け、イシちゃんの妻と訃報を待った。

そのいきさつを簡単に記しておくと、健康診断で甲斐さんの肺に癌がみつかった。手術で

除去しにくい場所で、麻生病院の医師は、「これからは一年や半年ではなく、一か月単位で

考えてほしい」と前置きして病状を説明し、これから癌と闘うのもいいし、治療をやめてタ

ーミナルケアを受けてもいいと言った。それに対して甲斐さんは、誰も千年は生きられない

から、この歳で病気が見つかってもたいしたことではなく、「これからも家の布団で寝たい」と

答えたそうだ。

箕坂医師に相談すると、回復の見込みがないのに抗がん剤や放射線治療の副作用で苦し

むより、予後を楽しく過ごす方がいいのではないか、最近は医学が進み、痛みはかなり緩和

できるし、動けるうちは外食も旅行も自由で、いよいよという時には鎮静剤を投与して深い

眠りにつかせられると説明し、希望するなら担当医になってもいいと言った。そして、亡く

なる二日前まで酒を飲んでいた人もいるから、そうなれば本人も周囲の人もしあわせだろ

うと話した。終着駅という意味でターミナルと呼ばれる状況にも医師や看護師が控えてい

ることを甲斐さんは知り、積極的な治療はしないと決めた。

箕坂医師はさらに、重大な時に身内があれこれ言いはじめることがあるから、そうなら

ないために治療への意思表示=リビングウィルを書き、意思表示ができなくなった時のため

に家族の誰かを代理人に決め、家族が認めれば他人でもそれを引き受けられると言った。

こういった話を甲斐さんは総合的に考えて、とても単純で分かりやすい結論に至った。そ

れは、「自分が意思表示できなくなってからの延命治療は一切拒否する」というものだった。

それを文面化し、三人の子供と箕坂医師、そして時枝さんに配った。

甲斐さんが納屋にやって来て状況を説明した。でも私は暗くならなかった。時枝さんから

すでに概要を教えてもらっていたのと、いずれ私にも順番が回ってくるからである。

「自分の寿命があらかじめ分かるのは運がいい。限られた時間の中でいい思い出を繰り返し

思い浮かべるのは楽しいことだ」。甲斐さんはそう言って、台湾で交わりのあった同世代の友

だちの名前を何人も出した。土手から落ちて額から血を流して泣いた久保田君、勉強がで

きたのに素行が悪くて、終戦のあと行方不明になった須子君、彼は台湾人に報復されたと

うわさが立ち、両親と警察と教師が懸命に捜したが見つからなかった。花田君の家は仏壇

屋で、台湾人に売れなくて家計は苦しかったようだ。合田君の父親は大工で、台湾人に好

かれた。村上は知恵遅れの娘に恋をしていた。たしかに美人だったな。三谷君は小学校に上

がる前に病気で死んだ。病名は知らないが母親の泣き顔は覚えている。腎臓を患って中学

校を退学した戸山は面白いやつだったが、たまに寂しそうな顔をしていた。英語の米田先生

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は、生徒にノートを取らせなかった。今わしがどうにかこうにか英語をしゃべれるのは米田

先生のおかげだ。戦争が激しくなって英語の授業は中止になったが、最後の授業で、敵を知

らずに勝てるだろうかと話した。戦争が終わってほとんどの友だちは運よく日本に戻ってき

た。そのあとそれぞれ自分の道を歩んだが、まさしくそれぞれで、しあわせになれたどうか

はわからんな。そう言って笑った。「僕もあとから行きますから、その時こっちで起こったこ

とを教えてあげますよ」。そう答えると甲斐さんは、ああ、そうしてくれ、いろんなことを

聞きたいから長生きしてくれよと言って納屋をあとにした。

その夜にリアルな夢を二つ見た。

一つ目には長女が出てきた。場面はどこかの建物の中で、少し離れた場所から長女が快

活に、私によくしゃべった。でも離れていると私の娘なのに、近づいたら顔がぼやけて形作ら

れなかった。ずっと会っていないのでディテールを忘れかけているのだ。そのとき空からウリく

らいの硬いうす緑色の果物が雨のように大量に降ってきた。地面に落ちて破裂し、煙のよう

に舞い上がって山にも町にも降り積もり、まるで緑色の雪景色だった。とても甘い匂いがし

たが、その堆積物が実は麻薬のような毒を含んでいることを私は知っていた。遠くで町内会

の拡声器が、子供は口に入れてはいけないとしきりに呼びかけていた。私のそばを三人の東

南アジア系の若者が通ったので、この堆積物は火力の強い燃料になると教えて感心させた。

二つ目は、日本の城のそばにある砂利の歩道に私は立っていた。とても天気がよく、空気

がおいしかった。そして城の石垣をよく見ると、石と石のあいだの暗い隙間に小さな私が住

んでいて、その狭い穴の中を世界全体だと思っていた。人から見つかりにくい、暗くて狭い秘

密めいたこの場所も居心地がよかった。外から射してくる光にほのかに照らされて、丸裸の

理恵が一輪の花として体育座りでしゃがんでいた。彼女に語りかけたが返事をしなかった。

私は外に出て明るい空気を吸い、暗い隙間の中でも深呼吸した。私は外にも穴の中にもいら

れた。たまに外で理恵を見かけた。声をかけるとつまらなそうにこっちを向いた。体は太陽

の下にあるのに花は穴の中に咲いていた。

九十二

映画を見たくなって一人で中間市まで出かけた。日曜日の朝のことで、「マトリクス」という

アメリカ映画が上映される初日だった。遠賀川を左に見ながら一時間近く車で駆けた。空

は高く、空気は澄んでいた。広くて明るい風景をのんびり見るのは久しぶりのことだった。

ずっと納屋と甲斐さんに関わってきた。理恵とは依然として続いていた。意見は合わなか

ったが肌は合った。そろそろ誰かに感づかれているかもしれないと心の片隅で思いながら、そ

れを防ぐ手立ては打ちようがなかった。甲斐さんの思わしくない状況を、時枝さんは非常

に冷静に受け入れていた。甲斐さんが韓国に行ったまま消息が絶えてしまうと、それを夫

に報告しにくいので、死のうにも死ねない。韓国から帰ってもらった理由にはそれもあると

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いう。甲斐さんが先に逝くなら自分が看取りたいし、自分が先でも安心して幕が引けると

いうものですよと言った。時枝さんは妹よりほかに身寄りがないので、彼女なりに自分の結

末について考えていた。

中間市内をうろついているうちに方角が分からなくなり、映画を見る気が失せた。道を

たずねるため車をゆるゆる走らせていると、木製の装飾品を製造販売している店があった。

アメリカンスタイルの、いわゆる「ウッディな工房」で、往来に人影はなかった。

店の前に車を停めた。店内には木製の家具や小物が並び、壁にもたくさん掛けてあって、

木工場特有の木の香りが鼻をついた。

工房の戸を開けて声をかけると背が低くて太った黒いシャツの女性が出てきた。帰りの方

角をたずねると、「地図を描きましょう」と言う。「女の人の地図はちょっと」と顔をしかめ

ると、まあひどいと笑って、奥の部屋で作業していた男性に、「女の地図はだめだって」と声を

かけた。それを聞いて男性は、「そりゃそうだよ。女の描いた地図は読めないよ」と言い、チラ

シの裏に鉛筆で分かりやすく描いてくれた。

男性は口ひげを生やし、作務衣を着て米穀店の前掛けをし、頭にタオルを巻いていた。私

と同じ年くらいかと思っていたら五歳上だった。黒いシャツを着た女性は妻で、年老いたら山

に小屋を立てて夫婦で住みたいと言った。それで山小屋の話にひとしきり花が咲いた。道を

聞くだけのつもりが長居になり、それを詫びて店を出た。車に乗る背中に、「また会いまし

ょう」と声が聞こえた。

帰りの運転をしながら工房にいた男性のことを考えた。木工作業に作務衣は不適切だ。

前掛けも電動ノコなど回転物に巻き込まれる危険性があるし、米穀店のものでなくてもい

いだろう。木の粉塵が頭髪にかからないようにするにはタオルよりも作業帽のほうがよく、

口ひげも同様だ。

彼が作っていたのはアメリカ直輸入ふうのものだった。ペンキが乾いたあとサンドペーパーで

こすって古く見せるやり方で、緻密に作らないことで不器用なアメリカ人の手によるものと

いった雰囲気を出していた。一昔前に、車のナンバーの横にアメリカのナンバープレートを並べ

て、運転者がなにかアメリカに関係でもあるかのように示している車をたまに見た。工房に

あった物はどれもその手の物だった。日本人が作ったアメリカの偽物だから、客はアメリカが

自分の生活にマッチするという大きな誤解をして、おそらくよく売れる。引退したら山小

屋に住みたいと言うのもうそ臭く、疑わしかった。

自分を何か別な者に見せようとする行為があまりに過ぎると、帽子をはすにかぶってな

んとか黒人ラッパーらしく見せようとするラッパーもどきのような滑稽を演じることにな

る。ほとんどダサくてセンスがない。小手先で気取ればいいとするラッパーもどきの人生観が

見事に表現されてイモになっている。あれで最強のつもりだから笑わせる。

最強のウルトラマンのファスナーが開けば、背中から等身大の虚弱な人間が現れてしまう

Page 251: Bar納屋界隈ver 3

が、そうなればカラータイマーが鳴らずにずっと地球にいられるし、怪獣も消える。怪獣は

着ぐるみの自分が出現させている。球根が割れて青い芽が、さなぎが割れてきれいな蝶が、

ウルトラマンも怪獣も背中が割れて弱い人間が続々と出てきたらいい。ピグモンも脱がせて

やったらいい。こんなことを漫然と考えながら車を走らせた。遠くにボタ山が見えてきた。

九十三

甲斐さんの容態は、最初の一か月くらいは重篤な病人とは思えず、食欲もあったしよく

眠れていた。納屋にも来て台南の話をよくした。米軍の上陸に備えて町のいたるところに壕

を掘ったが米軍は来ず、落ちたのは日本軍のトラックで、上陸艇を阻止するために海岸に

も壕を作ったのに一夜のうちに波で消えてしまったと、まるで昨日のことのように話した。

低空飛行で町を機銃掃射するグラマン戦闘機のパイロットが赤い顔をしているのが見え、ま

さしく鬼畜米英だと思ったが、彼にも親や恋人はいただろうとしんみりもしたし、戦争に

負けて日本に引き揚げる準備をしていると蒋介石軍の将校が家に来て、軍靴を鳴らして敬

礼したあと、ベートーベンのレコードがあると聞いたが不要ならもらえないかと言われ、大切

に聞いてくれるならと差し出したら、うやうやしく受け取ったあとまた背筋を伸ばして敬

礼したとも言った。私が韓国に行ったことには感謝しているそうだ。ひょっこり訪ねて来た姿

を見て、死ぬ場所を示されたと思ったという。意味のあることは必ず向こうからやってくる

ものだと甲斐さんは言った。あとはうまく着陸できるかどうかだ。なんといっても長旅でぼ

ろぼろの機体だから。そう言った。でも内心は、私よりも岡山の子供と毎日会いたかったの

ではないだろうか。

私はひたすら、相槌を打ちながら聞くことに努めていた。私の話す時間を彼に使ってほし

かった。ずっとあとになって箕坂医師から、それは傾聴というんですよと褒められた。

甲斐さんが納屋を訪れている時に旧知の何人かと鉢合わせした。彼らの目に甲斐さんは、

老けはしたが末期癌であるようには見えなかったはずだが、誰もが懐かしがりはするものの

それ以上立ち入らず、普段どおりの表情のまま離れて座った。

九十四

やがて激しい息苦しさが間歇的に甲斐さんを襲い、胸部の痛みも時々訴えるようになっ

た。このころから甲斐さんに時枝さんとイシちゃんの女房、そしてアニーが交代で付き添っ

た。隣近所の主婦も買い物や洗濯を引き受け、短時間ならそばにいてくれた。わずか三十

分でも助かった。さらに箕坂医師の提案で顔見知りの町内会役員や山笠の古参役員も集

まりはじめ、最初はこわごわと、そのうち甲斐さんのそばで酒宴を開くこともあった。私は

参加せず、代わりにイシちゃんを行かせた。私の代理であり、納屋の代表でもあった。

検査のため麻生病院に数日入院したのは、時枝さんたち介護者を休養させるためでもあ

った。介護で身も心も疲れ果てて、うつ病になったり争いを起こしたりするケースもあるら

Page 252: Bar納屋界隈ver 3

しい。脳への転移は認められなかった。痛みのコントロールがうまくいけば、もうしばらく希望

があると箕坂医師は言った。

三人の子供が納屋に集まった。子供といっても私くらいの年齢で、甲斐さんが帰国して何

度か顔を見せに来ていたから、初対面ではなかった。

箕坂医師が現状の説明と今後の見通しを伝え、リビングウィルに従うが、いざという時に

判断を仰ぐこともあるから、誰か代理人になってほしいと求めた。長男が、長く生活してい

たこの地域の人になってほしいと言った。それで私が、時枝さんが適任ではないかと口を挟み、

すんなり決まった。時枝さんは、「今のうちに甲斐さんに遺言を書いてもらった方がいいが、

自分からは切り出しにくいので、箕坂医師から口添えしてもらいたい」と言った。私は甲斐

さんのレポートを思い出し、遺言ではないが、それらしい文章を預かっていると打ち明けて、

バインダーから最後の一枚、「巷の人々」を取り、時枝さんに渡した。

時枝さんは静かに読んだ。二回ほど読んで立ち上がり、壁の方を向いた。そしてレポート

を額のあたりで拝した。背中が震えていた。子供らも無言で回し読みした。娘が、コピーを

くれと言った。「ほかにもあれば、それも」と次男が言った。私はコンビニで複写して皆に配っ

た。そのあと三人は甲斐さんの家に行き、短時間ではあったが親子水入らずの時間を過ご

した。その後も何度か訪ねてきて、そのたびに甲斐さんは、危篤状態になったら岡山で父親

のことを偲びながら楽しい時間を過ごしてほしいとの言葉を忘れることはなかった。

甲斐さんと最後に話したのは、薬の副作用で躁状態になっていた時である。「このまま治っ

てしまうんじゃないかと勘違いしそうなくらいだ」。そう言ってジンに少し口をつけ、チョコレ

ートを一かけら食べて、「長くてもあと二週間。わしの合図で箕坂先生が最後の鎮痛剤を

投与してくださることになっている。最後まで意識が保てるのはありがたい。子供につらい選

択を迫らなくて済むからな。合図ができなかったら時枝さんが代行してくれる」と言った。

「今は見るもの聞くものすべてが美しく、まるで天国にいるようだ。赤が赤として、緑が緑と

して、青が青として目に飛び込んできたのは初めてだ。着陸の準備万端ヨーソロー」。そう言

ってぎらぎらした目で私を見た。極限の躁状態ではこんな目つきになるらしい。

箕坂医師が、そろそろ準備しておいた方がいいだろうと言ったため、時枝さんの了解を経

て長男に、十日前後が山場だろうと知らせた。長男は、臨終の知らせを聞いたらすぐ駆け

つけると言った。そして、自分たち三人の子供は父親と別れの時間が充分に持てたと何度

もお礼を言うので、医師も万全の構えでいるから苦しむことはないだろうし、甲斐さんが思

い残すことのないように町内会の人たちも入れ替わり立ち代わり顔を出しているので、岡

山の方でも精一杯楽しい日々を送ってくださいと頼むと、長男は声を上ずらせた。しかし

甲斐さんの言い分がどうであろうと、最期の場には家族が立ち会うべきだろうとの思いは

消えなかった。

Page 253: Bar納屋界隈ver 3

九十五

緑色の顔というものを初めて見た。顔面蒼白を通り越したら緑色になる。

イシちゃんが女房に介助されて納屋に来た。顔が緑色だ。ふらついて壁に寄りかかり、う

わ言のように、「甲斐さんが狂って、それが俺に乗り移ったっす」と言っている。そして自分の

手に何もないのに、何かがあるように右手のひらを凝視して、グハアァァ…とかクウゥゥ…み

たいな声を絞り出している。どうしたのかとたずねると、「甲斐さんが俺に魔法をかけたっ

す」と、また右手を見ながらグハアァァ…と唸っている。甲斐さんをどうこう言う前にイシち

ゃんが狂っていた。

そばから女房が言うには、二人で納屋に来る途中、民家のあいだの路地に甲斐さんがい

るのが目に留まった。他人の家の生け垣に何かしており、見てはいけない気がしてイシちゃん

は身を隠したが、女房を甲斐さんが見つけて手招きした。そばに行ってみると甲斐さんが、

「この葉っぱに手を乗せてみろ」とイシちゃんに言った。言われるがままやってみたが意味が

分からない。甲斐さんは歩きながら、家々の生垣や、道路にせり出している植木の葉をイシ

ちゃんに撫でさせたり触らせたりした。そして、「この花に軽く手を置いてみなさい」と、紫

色の小さな花が群生している箇所を示した。イシちゃんは花の上に手をそっと乗せた。

「そこからこの人がおかしくなったんです」。そう妻が言った。

イシちゃんが説明を交代した。

「花に手を乗せた途端にびっくりしたっすよ。何と言ったらいいか、おりこうさんって言う

んすかね、花はおりこうさんだったっす。それを手のひらが感じたっす。何かが伝わったっす。

甲斐さんが、もう一回葉っぱを触ってみろと言ったからそうしたら、今度は葉っぱからも伝

わってきたっす。ただの緑色だけかと思っていたけど、ものすごく疲れていたり、威張っていた

り、水を欲しがっていたりしたっす。葉っぱはみんながんばっていたっす。でも花はどれもおり

こうさんだったすよ。俺、狂ってるっすか?」

そうまくし立てられても、こちらは答えようがない。

「俺、頭は全然よくないけど、足りない分が手にあったっす。手にも脳があったっすよ。びっ

くりして、みんなできるのかと聞いたら、植物を撫でるやつは十万人に一人くらいのものだ

と言ったっす。本当っすか?

横山さんはできるんすか?」

いや、できないよ、やったこともない。そう答えるとイシちゃんは、「俺の右手は今すごいこ

とになってるっす」と、また訳のわからない言葉を吐いた。

「甲斐さんが俺に、まわりを見てみろというから、ぐるっと回ってみたら、家も電柱も道も、

みんな死んでいたっす。どれにも命はなかったす。植物だけが生きていたっすよ。高い木が俺

を見下ろしていたっす。俺たちは植物と暮らしているっすよ。だから花は切っちゃいけないっ

す。見たかったら咲いているところに行けばいいっすよ。庭に植えたらいいっす」

Page 254: Bar納屋界隈ver 3

妻が水を一杯飲ませた。イシちゃんは一息ついて椅子に座り、「さっき甲斐さんと別れた

時、俺のことを、これからも今のままでいいと言ってくれたっす。甲斐さんがすごい魔法をか

けてくれたかもしれないっすね」と、困りながらうれしそうな顔をした。

九十六

甲斐さんが動けなくなったと時枝さんが知らせてきた。まだ意識はしっかりしているが、

たまに苦しそうな顔をするらしい。いよいよ命が燃え尽きる。甲斐さん流に言えば着陸だ。

それとも船出の別れとでも言った方がいいのか。

モルヒネが効かなくなり、意識の混濁もはじまった。時枝さんとイシちゃん、アニー、箕坂

医師と看護師、そして介護士がそばにいた。甲斐さんは苦しみながら、ついに最後の鎮痛剤

を決断した。箕坂医師が時枝さんを見、処置にかかった。

投薬で静かになり、白目を薄く開いていた。まだ耳は聞こえているかもしれないと箕坂医

師に言われ、時枝さんは甲斐さんの手を握って耳に口を寄せ、夫も息子も私もとてもしあ

わせだったと感謝の言葉を告げた。少しの沈黙のあとアニ―が歩み寄り、タガログ語で別れ

の挨拶をした。最後にイシちゃんがうながされてそばにしゃがんだ。どうしていいかわから

ず、時枝さんが握手させた。イシちゃんはぼそぼそと、身寄りのない自分にとって父か祖父

のようだったと語りかけた。すると甲斐さんが深呼吸し、何かつぶやいた。時枝さんが大き

な声で、言い残したことがあるんですかと呼びかけると、「作ってくれ」と喉の奥で言い、も

う一度はっきりと、「いつものやつを作ってくれんか」と言って大きく息を吐きながら、息を

引き取った。

そのころ私はイシちゃんの女房と納屋で待機していた。店は開けたが客は断った。物音一つ

ない静かな夜で、どこかで遠吠えが聞こえた。イシちゃんの女房が、いま甲斐さんが亡くなっ

たと言った。なぜ分かるのかとたずねると、あれは夫の泣き声ですと答えた。夜の十一時半

ごろのことだった。

九十七

翌朝、岡山から親族が来た。幼い子供の手を引いている孫もいた。通夜と告別式は冴さん

の夫が勤める筑宝葬祭で行なわれた。こういった手配は時枝さんがすべてやった。町内から

大勢の人がやってきた。特に昔からこの地で暮らしている人は、大なり小なり甲斐さんと関

わり、それが心の中で再生された。このあたりが水田ばかりだったころ、甲斐さんから叱ら

れたり褒められたり、ちょっとしたことを教わったり、何かをもらったりしたような、ささい

なことが光を放った。みんな胸の中で、大小はあったにしろ、甲斐さんがこの地域の一員と

して息を引き取ったことを認めていた。

私もほんの少し顔を出した。林も娘さんらしき女性と来ており、私を視野に入れていな

がら気づいていないふうを装っているのは相変わらずだった。自治会長という最後の砦を失っ

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たあとに飛びついたのが絵手紙で、彼の人生がどれほど中身のないものだったかを知らしめ

る姿になっていた。でもまた何かしでかすだろう。

九北新聞の夕刊に小さく甲斐さんの死が報じられた。「台湾生まれ。岡山県出身。BAR

納屋の開設者でNPO法人金剛の里誕生のきっかけになった。造詣が深く、地域住民の相談

相手として長く慕われた。晩年のいっときを韓国で暮らした。享年八十四」と評されていた。

理恵の配慮が遺族をよろこばせ、新聞で知った人が次々に筑宝葬祭に顔を出して、各々の

関わりを遺族に語った。聖黙には知らせなかった。甲斐さんも了解してくれるだろう。

遺体は甲斐さんの希望で灰になるまで焼かれた。理科室の人骨標本のような姿を、悲嘆

にくれる遺族に見せてどんな得があるのかというのがその理由だった。

遺品整理のために長男が残った。夜はイシちゃんに酒を届けさせて話し相手をさせた。人

に対して免疫力がないので、いい人に会えばいい方向に、悪いやつに会えば悪い方に流され

る。それをコントロールできなければいつか女房が泣く。葬儀に間に合わなかったと残念がる

客にも息子がまだいると教えた。束の間でもあの部屋がBAR納屋の別館になればいい。

長男が納屋に来た。韓国に迎えに行ったことをイシちゃんがしゃべっていた。深々と頭を下

げられて、レポートの原本を見つけたと言った。これをどうすればいいかと聞くので、子供の

ために書いたんでしょうと答えた。そして、いくら甲斐さんの希望でも臨終の場に家族を立

ち会わせなくてよかったのだろうかと、疑問を聞いた。さあ、分かりません、でもそばにいて

ほしい人はちゃんといたんじゃないでしょうかと息子は答え、一枚の便箋を見せた。「キミの

背中が二つに割れて、中から蝶が飛び立てばいい」。そう書いてあった。今度はこっちがコピー

をほしいと申し出て、そのあと二人でしみじみ飲んだ。あした岡山に帰るそうである。

店を片づけながらアルビノーニのアダージョをかけ、私も甲斐さんに別れを告げた。その

あとT

he BO

OM

の「風になりたい」を流した。

人の死は、親しかった人の心に暗い影を落とし、親しさの度合いで傷つける。その傷は時と

ともに癒えるが、人によってはたえず向き合わせる。

父が死んだ時、母が残ってよかったという安心感が心の大半を占めた。通り一辺倒の悲し

みはあったが、それよりも次は母で、そのあと自分だという確信のほうがまさった。甲斐さ

んの死からはそういったことを学ばなかったが、納屋がなければ理恵ともイシちゃんとも会

うことはなかったし、この町に居続けたかどうかも分からない。いろいろ貼り替えてきた甲

斐さんの言葉は、みんな息子に渡した。そして便箋のコピーを額に入れて納屋の目立たない

ところに飾った。

甲斐さんは本当にいい生き方をした。葉の先から小さなしずくを一つだけ落とした。

九十八

金剛の里の建設は順調に進んでいた。高い足場の上で作業員がホイッスルを吹き、親指を

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上に立てたり下に向けたりしてコンクリート打設車のホースを上手に操った。巨大な蚊帳の

ような防護網の中で化粧タイルが張られ、新たに設置された電柱から電線が引き込まれ

て血管のように配線されたあと天井が吊られた。作業者の手際は見事だった。

納屋はいつも通りに開け、アパカパールもプノムも普段通りに営業した。金剛の里から離

れているので建設作業員が来ることはなかったが、NPO法人設立の会合が何度もここで持

たれた。役員に予定されているのは、時枝さんを筆頭に、彼女の妹の夫、市の福祉課の課長、

行政書士、箕坂医師、看護婦、介護士、ソーシャルワーカー、弁護士、そして私で、ほかに

箕坂医師の紹介で四十代の女性精神科医が加わることになっていた。彼女は精神医療の傍

ら、統合失調症の若者を集めて小さな出版社を経営しており、事務所を金剛の里の一角

に移したいらしかった。バーテンダーが参加することをいぶかる人もいたが、時枝さんの夫の

遠い親戚だと紹介されたようだ。彼女の背後に懐刀が控えているように思われるのなら効

果がないわけでもなかった。甲斐さんは内規で名誉理事になった。

冴さんが、いい死に方の実例を二つ話してくれたことがある。一つは彼女の祖母で、「この

体、もういらんわ」と言った翌日に亡くなった。二つ目は、給食の宅配業をしている黒川とい

う友人が、一人住まいの老女の家に夕食を届けたら、「来週よそに行くので、今日で解約し

ます」と言われ、翌週の月曜日に死んだという。私の祖祖母も、老いた足では到底行けない

ような遠くの親戚に会いに行って、帰ってきた時には意識が朦朧とし、翌朝布団の上に突っ

伏して死んでいた。どれも女性の話で、男性はほかの手順があるのかもしれないが、こういっ

たことは表沙汰にならなくても当たり前のように起こっているのかもしれない。私は冴さん

に、納骨の前に母親が息子の骨を食べることはあるだろうかと聞いてみた。夫が筑宝葬祭に

勤めているから何か知っているだろうと思ったのである。

「それは骨噛みというんです。たくさんの人がやっているのに誰も知らないんですよ。ご主

人が奥さんの骨を口に入れることもあるそうですね。でもご主人の骨を奥さんが食べるこ

とはないそうです」。冴さんはそう教えてくれた。

九十九

人が自分の過去を語る時、すべて物語として表現される。BAR納屋も甲斐さんも私の中

で大きな物語としてあるが、いずれ小さな物語になって、いくつもある物語の一つとして記

憶にとどまるだろう。イシちゃんや時枝さんは、納屋と甲斐さんのストーリーに欠かせない

名脇役として織り込まれる。理恵と私の関係は生臭く続いているが、人の出会いはどのみち、

振り返って語られる物語として形成される定めにある。

理恵が久留米に転勤するかもしれない。三か月後に結婚退職することになった女性記者

の補充だという。毎日新聞の井藤記者も春の異動で青森に移り、もう戻ってくることもな

い。でも理恵の後任は決まっていないし、今の支局長が理恵の異動に猛反対しているという。

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理恵が筑豊支局に来てから契約部数が微増を続けているので、もしもそれがストップした

ら本社は責任を取れるのかというのが支局長の言い分らしい。「その笠井さんも熊本に転勤

が決まっているのよ」。理恵は感情を顔に出さずに言った。

理恵がこの町から久留米まで電車通勤するには片道二時間かかり、車なら一時間だか

らそう遠くないが、理恵の健康上よくないことだった。車の免許があるのに運転しないのは、

厄介な病気を持っているからだと、私の腕の中で告白したことがある。

「癲癇(てんかん)って知ってる?

私は癲癇なの。癲癇持ち。いつ倒れるか分かんないの。最

後に倒れたのは大学の時。自分の部屋でね。それ以降は薬のおかげで発症しなくて、それで

病気を隠して就職したの。でも政治部の仕事がきつくて、危ないと思ったから上司に打ち明

けて、それでこの町に来たの。ボーイフレンドはいたけど、病気のことを知ったらいなくなった。

尚ちゃんもたぶんそれで遊びに来なくなったと思う。しょうがないわよ。誰も悪くない。そ

れがみんなのためにいいの。台所で火も使えないし、お風呂もシャワーだけ。自転車だって本

当は危険なのよね。だからたぶん、結婚はしないほうがいい。でも子供はほしいな。その子も

発症するかもしれないけど、生まれてよかったと思うはずよ。だって私がそうだから。もち

ろん治るものなら治りたいけどね。さあどうする? もう来るなと言ってもいいよ。チャンス

かもね。私は平気。ずっと楽しかったし、損したことは一つもないわ」

理恵を強く抱きしめた。苦悩を抱えて生きている一人の人間がここにいる。華でも妖精で

も女神でもなかった。淫靡な秘密を共有するとびきりの女性というだけでもなかった。

しかし本当の理恵を知ってもそんなに驚かなかった。本人が今まで一人で背負ってきたも

のを、どうして私が問題にするのだ?

そのことはたいした困難だと思えなかった。しかし私

が毎晩、店を閉めたあと久留米まで車を走らせても、彼女の仕事に差し支えることはあっ

てもプラスにはならないだろう。私は彼女の父親と同じくらいの年齢だし、財力もなく、明

日の見通しもいつも立っていない。

私たちは各々を自由にできなかった。これからのことを相談しようにも、選択肢は一つき

りだった。それは、成行きに任せるという、消極的でやるせないことだった。ここでどちらか

が、特に私の方がもっと勇気を出すべきだろうか?

そして近い将来、二人の老人、理恵の

父親と私の両方の面倒を見させたらいいのか?

それともここで私が立ち去るべきなのか?

何かが大きく舵を切り、それに連動して私たちと周辺のあらゆるものが、それぞれあるべ

き方向に、じわりと向きを変えているような感覚を受けていた。

ワットゥが結婚することになったと理恵にメールで知らせてきた。そういえばそんな話も

あった。彼はいま首都プノンペンのパソコンショップで働いており、賃金は月三百ドル。ヨットは

プノンペンで靴を作る日本の会社に就職している。収入はワットゥとほぼ同じ。ジワットはベ

トナムとの国境近くにある日本の工場に通訳スタッフとして勤めている。こちらの収入はや

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や高くて四百五十ドル。民事訴訟がどうなったかは分からないが、帰国に際して川島弁護

士はジワットらに、それぞれ三千ドルを貸してくれたそうだ。理恵はそう説明し、ワットゥ

の結婚式に一緒に行こうと私を誘った。三人の消息を記事にするという理由で五日間の休

暇を認められたという。

いきなり何を言い出すんだ、俺は行かないよ、大した関わりがあったわけじゃないし、行く

義理もない。むこうも本気で来てほしいわけじゃないだろう。そう言って断った。

「日本の猛暑日が十か月も続くそうじゃないか、スルメになっちゃうよ。言葉だってふざけ

てる。チカイは犬で、トーイは小さい、だから子犬は、近い遠い。カワイイは椅子、アンコール

はオンコー、そりゃ三人は温厚だったさ。極めつけはカンボジア語のありがとう。ソウクサバ

イだって。博多弁のまんまじゃないか」

もう必死である。とにかく思いつくことを並べ立てた。

「人の名前もおかしすぎる。ジワットを津下さんはチビットさんと呼んでいた。たしかにち

びっとチビだったよな。ワットゥもオットさん。もうじき夫になるけどね。ヨットも日本人の

耳には、ヨッ。よっ元気かい?

それに、シハヌーク国王の幼名はトウキョウだったそうじゃな

いか。なんでそんな国に行くんだよ」

理恵は少しむくれて、「あなたが行かなくても私一人で行くわ、一人で飛行機に乗り、一

人ぼっちでワットゥの結婚を祝い、一人でホテルのベッドに寝て、一人でシャワーを浴びて、一

人きりであちこち見物してまわるから心配しないで。そして日本に帰ってきたら、どうだっ

た?とあなたは聞くのよ。身長二メートルの人たちばかりだったと答えてやるわ。嘘だなん

て言わないでね、行けるのに行こうともしないで」。そう言って私の脇腹を肘で小突いた。

さらに私のことを、中身が空っぽだと言った。空っぽに日本の文化を詰め込んで一人前の

つもりでいるから、それが外国で通用しないことを恐れているというのである。団体で海外

旅行する人は大抵そうで、集まっていればどこでも日本だから安心だが、トラブルが起こっ

て一人で処理する必要に迫られると頭の中が真っ白になり、その国を罵って自分が侵され

ないようにする。そんな人がどこに行こうと、実はどこにも行っていないと決めつけた。

私が黙っているのをいいことに、そんな人たちは魂のないゾンビだとまで言った。魂があれば

世界のどこにいようと自分を見失わず、むしろ行く先々で生活や文化を楽しむが、ゾンビ

は魂がないから、過剰なまでの日本への誇りや、その逆の自虐的な日本観を魂の代用にし、

今の私はそれがカンボジアに投影されているというのである。

「あなたは韓国には行けるのよ。アメリカにもどうにか行けるわ。現地で困ったら、『俺は

日本人だ』と言えば解決する。でも日本との関係が薄れるごとに自分が薄れていくから、

魂のないゾンビは存在できなくなる。だから団体旅行なら、あなたはカンボジアによろこん

で行くのよ」。…そこまで言うか!

じゃあ外国に一人で行く人は魂があるのかと聞くと、外国がどうこうよりも、魂のある

人はその場その場で自分に従い、他人のせいにしたり他者に判断を仰いだり、多数のゾンビ

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たちの顔色をうかがうようなことはしないと強弁した。

理恵の「魂とゾンビ論」はとどまるところを知らなかった。

ゾンビには映画「エイリアン」のマザーみたいな連中がおり、「世界を日本化することが人類

の進歩になる」と狂信的に」思い込んで、日々ゾンビを増やそうとしているらしい。「幹癌ゾ

ンビ」という言葉を理恵は使った。ゾンビの親玉という意味で、幹癌ゾンビは冷遇されている

高学歴者に多く、私は抗体ができているのでゾンビを発症しておらず、魂を取り戻すまで

あと一歩のところらしい。私がカンボジア人と関わったのは、魂を引き寄せるためにずいぶ

ん前から計画されていたことだとも言った。彼女は何が何でも私をカンボジアに行かせよう

として、どこまで本当か分からないことを一方的にまくしたてた。

「世間に調子を合わせて生きるのが苦手な人は、心の奥に魂が潜んでいることもあるから、

それを見つけてあげなければかわいそう」だの、「魂のある人は自立しているから集うことは

少ないが、ゾンビは集まらなければ不安になる」だの、「ゾンビが千人いても一つの魂を怖が

り、排除にかかる」、あるいは「幹癌ゾンビは魂の代わりに、凝り固まった思想や、自由に解

釈できない絶対神で自分を防護する」、「魂のある人の判断脳がキュウリの大きさなら、ゾン

ビはピクルスくらいのサイズ」といったようなものである。「どんなに大きな円を描いても、そ

の外側の方がはるかに大きいのに、ゾンビは近視だからそれが見えない」とも言った。

いつまでも言い続けそうだったので、「じゃあ、天神地下街を歩いていると、ずらりと並ん

だ左右のショップから、ニャーニャーと猫の鳴き声とも詩吟とも取れる、鼻のつまったような

甲高い声で若い女性の売り子が呼びかけるが、あれもゾンビなのか?」と質問すると、理恵

は吹き出して、また私にひじ打ちを食らわし、「高い声の方が遠くまで届くことを知らない

の?」と言って膝蹴りまでしようとするので、私は逃げ回りながら降参した。

しかしまだ言い足りなさそうな顔をしているので、ゾンビはどれくらいいるのかとたずねる

と、魂のある者が三%、ゾンビに感染していない者が十七%、感染しているが発症していない

者(宿主を含む)が六十%を占め、発症して魂を恐れているゾンビが十七%、大本の幹癌ゾ

ンビは三%ほどだと答えた。でもどうせ適当なことを言っているのだ。

ゾンビと魂のある人間を見分ける簡単な方法があるという。たとえば学校のホームルーム

で手を挙げて、「私たちは」と主張し始める出来のいい子供が幹癌ゾンビで、それに同調する

のが発症ゾンビ。納得できないが黙って従う子供は、感染しているが発症はしておらず、「私

は違います」と自分の意見を述べたために、みんなからつまはじきにされる子供が魂のある

人間だと言った。これは分かりやすかった。

突如、稲妻のようなものが落ちてきた。「四つの意識」の図だった。仏陀が生まれた時、両

指先で天と地を示し、「天上天下唯我独尊」と示したという。天は虚意識、地を無意識だ

とすれば、人は魂(虚意識)とゾンビ(無意識)を両極として、その間のどこかに位置している

とも言える。キリストはゾンビを救おうとしたのかもしれない。

Page 260: Bar納屋界隈ver 3

私がカンボジア行きを断ったのは、興味がないこともむろんあるが、理恵の健康が気がか

りなためでもあった。医療が整備されていない国で癲癇を発症したら最悪の結果を生じる

ことになる。でも理恵の気持ちはその逆で、私がそばにいればすべてうまくいくと根拠のな

い確信を持っていた。だから彼女の願いを翻意できなければ、きっとこう言うだろう。「じゃ

あカンボジアで癲癇になってもあなたは構わないわけね?」。

理恵の症状は、顔がけいれんし手足が強く突っ張るが、意識を失うことはない。薬の飲み

忘れ、激しいストレス、過度の疲労、睡眠不足にさえ気をつければ、時差の小さい国への旅行

は可能だと医者は言っているそうだ。現に学生時代にオーストラリアに一人旅行しているし、

カンボジアはそこまで遠くない。私をゾンビだとか、魂を引き寄せる位置にあるとか言い、こ

き下ろしたり持ち上げたりして、カンボジアに行く意志の強いことが分かり、もはや拒否す

ることができなくなった。

百一

ワットゥの結婚式に出席するのに最もふさわしい人、宮内時枝さんを誘った。しかし話に

乗ってこず、祝儀として十万円を渡された。彼女にとって三人のその後を知るよりも、好ま

しい印象のままにしておく方が人生上の事実なのだろう。津下刑事に電話してあらましを

伝えると、元気に暮らしていることをよろこんだ。さらに理恵は、本当に余計なことをして

くれた。冴さんを誘うならまだしも、私とカンボジアに行くことだけ教えたのである。「つい

にそうなっちゃいましたね」と、どうとでも取れる言葉を向けられ、こちらは眼をぱちぱち

させてしかめ面をするしかなく、ついでに何か仕入れてきたくださいと、お祝い金も含めて

五万円を渡された。

福岡空港を朝十時に発ち、その日の夕方にはカンボジアに到着する行程で、プノンペン空

港にはワットゥとヨットが迎えに来ることになっている。理恵はシルクの民族衣装を作りたい

と浮かれ、私はワットゥの結婚式に出席したあと冴さんに依頼された雑貨や小物の買い付

けをする。でも全然ピンとこない。ほかには長距離バスでシェムリアップという小都市まで行っ

てアンコールワット遺跡を見学するというお定まりのコースだ。

納屋の方は「マスター慰労のため…」の掲示をし、冴さんとイシちゃんが外したり付けたり

する。納屋の売上はNPOの会計に繰り入れられ、そこから私に賃金が支払われ、イシちゃ

んにも利益の一部が還元されている。アパカパールとプノンは賃貸で、イシちゃんの妻には冴

さんが時給を払っている。

フライトの二時間前には空港で手続きをしなければならないので、朝の六時起きとなる。

それなら前の晩は博多駅近くのネットカフェに泊まろうと、理恵が勝手に決めた。早朝いっ

しょに博多行の電車に乗るのではなく、出発前日の夜に博多で合流することになった。

Page 261: Bar納屋界隈ver 3

百二

この歳になって初めてジェット機に乗った。フルスロットル音と突然の滑走、機体の振動と揺

れに全身がこわばり、両足を踏ん張った。背中を座席に強く押し付けられたまま、空港施

設がどんどん後方に流れていき、機体が浮くとあっという間に地上が雲の下に消えた。

「石になっていたわよ」。水平飛行になってしばらくして、シートベルトを外してもいいとアナ

ウンスがあったあと理恵が笑った。しかし私は言葉が出ない。小窓から見える主翼は、軽く

作ってあるせいか微妙に揺れている。吊り下げているエンジンも重そうだし、この機に限って

空中分解するのではないかと恐怖がよぎった。そんな気持ちを尻目に理恵は客室乗務員か

ら毛布を借りてシートを倒した。それを見て私の気持ちはやや落ち着いた。

怖いのは理恵の方だろう。何かがきっかけでいつ癲癇が起こるかもしれない。医学がもっと

進歩して全快する見込みが立つまでは、その恐怖を抱えて生きなければならないのである。

私がそばにいることで不安が少しでも弱まるなら、今ここに私がいるのは必要なことだった。

私はカンボジアに行くのではなく、理恵の行動範囲を広げるためにいる。そう思えばどこに

でも行けるような気がした。

ワゴンサービスが来たので赤ワインをコップで二つもらい、理恵をつついたら薄目をあけて、

いらないと言った。気圧のせいか、機内の空気が乾燥しているせいか、ワインはおいしくなかっ

た。それでも半分飲み、コップを持ったまま窓の外を見た。

小窓のはるか下に地上があった。遠すぎてもはや見えはしなかった。

私の乗った飛行機は高い空にひたすら浮かんでいた。

ずっと向こうに、真っ白で巨大な積乱雲がにょっきりとそびえていて、下の方はほかの雲に

かくれてかすんでおり、天辺はキノコ雲がかった膨張を、背後に覚めるような青空を携えて

誇らしげに見せていた。

その大きな入道雲の横を私の乗ったジェット機が豆粒のように通り去った。

入道雲が、「キミはたしかに今そこにいる」といったような表情をこちらに向けた。

(完)

Page 262: Bar納屋界隈ver 3

【甲斐さんから届いた手紙と研究レポート】

横山君へ

この便りが無事に届いたとすれば、たぶん今もあの納屋に来ているのでしょう。納屋は今

あなたが運営しているのでしょうか、それともイシちゃんでしょうか。岡村君は今も全国行

脚ですか。

私はいま日本海に面した蔚山という町で、今年四十歳になる義理の息子の朴聖黙と暮ら

しています。聖黙はスンムッと発音し、母親の経営する銭湯を手伝っていますが、ずっと前に

日本で働くのを手助けしてやったことがあり、彼は幼少期に父親と死別していることから、

長いあいだ義理の父親みたいな立場にあります。

釜山から蔚山に向かう国道沿いには桜が、日本ほど華やかではないけれどもぽつりぽつり

と咲き、ここは日本ではないかと思うこともありますが、もうすぐ散って元の韓国の風景に

戻ります。

同封したレポートは長年の研究成果を記したもので、ふと横山君を思い出し、送ることに

しました。興味がなければ破棄されてかまいません。なにぶん年寄りの一人よがりです。

私が中学生の時に台南が米軍の大空襲で焦土と化した日がありました。その時、金持ち

の台湾人が農耕馬の下敷きになって共に焼け死んでいました。大富豪とは関係なしに死ん

でいたのです。それを見て、人の命は、本人には宇宙くらいに大きく感じられても、本当は

とてもちっぽけなものではないかと思いました。金持ちの努力や運は何だったのか。死は所

詮こんなものではないのかと。

その時の光景はことあるごとに、私の人生の節々で、大きな影響を与えたことは間違いな

いでしょう。シンボルとしてのあの馬は何を暗示しているのか、富や贅沢は死に意味を持たせ

られるのかなどについて、ずっと考えてきたのです。

横山君が初めて納屋に来た時、ちょうど宮内君にその話をしていたところでした。彼は台

南一中の同期生で、農耕馬と金持ちの焼死体を見たとき私の横にいたのです。残念ながら

研究の成果はほとんど伝えられませんでしたが、彼が亡くなる瞬間、目の前にフォルモサ台

湾の青空が広がっていたことを願わずにはいられません。

ではお体を大切に。もうそちらには戻りません。さようなら。

Page 263: Bar納屋界隈ver 3

言葉や文章の受け取り方について

長年の研究成果を書き残すにあたり、まず述べておきたいのは、威厳や権威のない人の言

葉にはほとんどの人が耳を貸さないということである。たとえば小林一茶や松尾芭蕉のよ

うな著名な俳人が夜空を見上げて「月が泣いている」とつぶやけば、周囲にいた者の誰もが

感動して、その言葉を書き記す。でも普通の人が同じようにつぶやいても失笑をかうだけ

になる。「月が泣いている」という七文字の情報は同じでもこうも違う。何を言ったかではな

く、誰が言ったかである。言葉は権威に依存する。しかし歌心のある人は、普通の人の「月が

泣いている」にも感動する。歌心がある人は威厳や権威に惑わされないことに注目しておく

必要がある。

ここは重要なところなので例をもう一つ挙げる。子供には威厳が少しもない。権威もまる

でない。その子供が「猫と犬はいっしょに散歩しない」と言ったとすると、大人は笑ってかわい

く思うだけである。相手が子供だからそういった反応になる。ではこれを、非常に威厳や権

威のある人、たとえば米国の大統領が言えば、キリスト教徒とイスラム教徒のことだなと

我々は類推する。ここに、威厳や権威のある者の言葉には無条件に反応し、そうでない者

の言葉は見過ごす弱さが見られる。ごくたまに、「猫と犬はいっしょに散歩しない」という言

葉を自分に置き換えて、「なるほど、あのことだな」と理解できる人がいる。言葉はそういっ

た人にだけ正しく届き、その人の何かを揺さぶる。

釜山の近くに海雲台という海辺の町がある。この町の高台から見る夕日は韓国で最も美

しいと私は思うが、ある夕方に海雲台の海岸から沖合を眺めると、幾隻もの船が浮かんで

いた。

目に見えるのは船である。色も形も違う様々な船である。大抵の人はここまでは見る。で

もそれらの船はみんな何かを運んでいる。船は見えるが荷物は見えない。しかし船は何かを

運ぶ道具である。言葉も船と同様に何かを運んでいる。言葉は何かを運ぶ道具である。受

け取るのは文字や言葉=船ではなく、それが運んできた、見えない積荷のほうなのだ。

ある友人に頼まれてヘルマン・ヘッセの本を貸したことがある。数日後に友人は「もう読んだ」

と言って返してきた。感想はなかった。友人はおそらく読んだのだろう。彼は海雲台の沖合

に並ぶ数々の船をすべて見た。それは容易なことだった。

なぜ彼には積み荷が見えないのか。それは、ヘッセの言葉を自分の経験に重ねる作業=翻

訳をしないからである。翻訳できれば自分の内面に土着する。土着は、ヘッセの言葉が自分

の言葉になることを意味する。ヘッセを翻訳することでヘッセが土着するのである。翻訳でき

なければ土着に至らず、未消化の食べ物のごとく何度も口から取り出して見せる技を披

露する。座右の銘を語る人の多くがそれである。

のちにその友人は私にアドルフ・ヒトラーの「我が闘争」を手渡し、これを読んで解説して

くれと言った。私がそれをやるとでも思ったのだろうか。積荷を取り出したところで、それ

Page 264: Bar納屋界隈ver 3

は私に土着したものだから、船の説明だけ分かる彼には不本意だ。積荷が見えないとは何

と楽で、愚かなことか。彼のような人は、自分の人生を完成させるために何もしない。積荷

を見ないまま船だけ見て、ただ寝て食って欲して欺くだけだ。それだけを完成させようと努

めている。

三つの脇道

なぜ翻訳できないかについて考えた。そして、積荷が見える能力=感度のいい受信装置だ

とすると、三つの脇道に迷い込むことで判断が曇らされているのではないかと思いついた。そ

れは「量の脇道」、「つじつまの脇道」、「記録の脇道」である。

ある人が、たまにはいい映画を見ようと思って町に出る。この時「いい映画を見たい」という

のが受信装置の要求だ。そして大方の人は、大ヒット作や超大作を選ぶ。量として大きけれ

ば正しいと思うからである。外車に乗っていれば大物、軽自動車は小者、豪邸なら人格者、

借家は非人格者だと決めつけるようなことだ。ほとんど全員が、広くて大きい道が脇道で

あると知らずになだれ込み、ここで判断がストップしてしまう。

ここを通過すると、次に「つじつまの脇道」がある。納得できるか、理屈が通っているか、で

判断する。いわば理性の脇道だ。納得いかなければ受け入れず、納得できればそこで終わ

る。曖昧であることを嫌い、蔑視する。納屋にもそんな客が一度だけ来た。九大を出たとい

う四十過ぎの男で、私が台湾育ちだと知って、まず、在日台湾人かと聞いた。日本人だと

分かると、次に、反日思想の持ち主かとたずねた。それも違うと分かったら、帰り際に、

「あなたは無知だ」と言い捨てた。彼の台湾情報と相いれなかったようだ。二極思考で知的

保留のできない傾向は、高学歴で自意識過剰な人に多い。思考の敗北を恐れるあまり、強

引につじつまを合わせる。物事を判断する際、「改革」や「国際化」にすり替えることができ

れば正しいとする、信仰にも似た信念を持ち、そこで思考が停止する。

三つ目に「記憶の脇道」がある。「記録の脇道」といってもよく、有用な知識であれば記憶し、

それ以外は捨てる。記録できる物事こそこの世の構成物であり、記録できないものは無意

味だとする。パナマ船籍のコンテナ船だと分かれば船の存在を認めるのである。この脇道は若

い人ほど本道に見える傾向がある。知識を並べたてることで知性があると思ってしまうので

ある。知識は知恵を生む障害になっていることを知らない。

これらの脇道に引っかからなかった人に、積荷が受信装置まで届く。量に目を奪われ、決

めつけ、知識として振り分ける人の受信装置には何も届かない。

受信装置の土台には経験がある。経験から受信装置が生え出ている。ここで言う経験と

は多少なりとも損失を伴うことに身をさらすことである。漁夫が夕方の空を見て、明日は

午後から通り雨が来ると分かるのは、幾多の失敗経験の末のことである。経験とは一般に、

思わしくない結果を生じたことを言い、うまくいったことは、成功体験などと呼ばれる。

経験は数であり、質ではない。高品質の経験というものはない。一人で世界一周旅行をす

Page 265: Bar納屋界隈ver 3

るのと、子供のころ森で迷って一晩を明かすのとでは、前者が「量の脇道」として記憶に残り

やすいが、共通要素は後者と大差ない。

さらに、ある光景の中に含まれている本質(船の積荷)が受信装置までたどり着くのには

時間がかかる。「遅れて口を開く人」のほうが本質を言い当てている場合が多いのはこのため

で、こういった人は反応の鈍い人だと思われがちだが、浅知恵の人ほど反応が早いというよ

うなことはしばしば見受けられる。

受信装置にたどり着いたものが幾多の経験と結びついて、発酵し、何かを合成する。気づ

きとか知恵とか呼ばれるものである。悟りと称しても差し支えないものもたまに生じる。

受信装置に届いたものは微弱である。そこで増幅装置、アンプが働く。微弱波が増幅され

ることで当人に認識される。それで本人がまず驚くことになる。いわゆる「何かが胸にスト

ンと落ちた」のであり、ストンと落ちたものだけが土着し、自分のものになる。多くの人はこ

れができない。立派な船を見れば積荷も立派だろうと予測し、粗末な船を見たら中身も

粗末だと決めつける。それで見かけに支配される。積み荷を勝手に決めつける。

夢の正体について

ずいぶん昔にこんな夢を見た。

高い山の中腹に、有名なケーキ会社の本社ビルがそびえていた。私はその一室でチョコレー

トケーキを食べていた。壁の大きなテレビにはケーキのCMが繰り返し流されていた。

テレビが自慢するようにチョコレートケーキはおいしかった。たぶん値が張るだろうと思い、

近くにいた社員に聞いてみると、一個五〇円だと言う。あまりの安さに驚いて、知人に送っ

てやろうと思い、カタログはあるかと聞くと、あると答えた。それを見せてくれと頼んだが、

社員は笑うだけで動かない。何度頼んでも笑っているだけだ。私が怒るとようやくこちらま

で来て、テーブルにハンカチを広げてゆっくり折りたたみながら、理解不能な説明をしはじ

めた。困惑した私は、だれか上の者を呼んでこいと怒鳴った。すると社員はひどく悲しそう

な顔をし、奥の方から恰幅の良い黒服の男が出て来て、柔和な表情で言った。

「あなたの知

らないことを、私たちは説明できません」。

そこで目が覚め、寝床の中で納得した。黒服の言う通り、夢は自分が作るものだ。でもそ

れを夢の中では忘れているから、興味にまかせていろんなことをやろうとする。夢はそれに

応えようとして懸命に努力するが、それがかえって仇となり、最後には説明がつかなくなる。

いくらケーキが好きでもカタログを作るほどの知識は私にない。引っ込みがつかなくなった夢

は、それでも夢の主を困らせたくないので奇妙な光景を見せて気を逸らせようとした。

夢は全部こうなのだ。人が眠っている間、自分の中の誰か、あるいは脳にそういった働きが

あって、先回りして夢を作っている。しかし夢が楽しければ楽しいほど、人はその先を追求し

たがるから、やがて材料が空っぽになり、夢は困り果ててステージを替えるしかなくなる。

その仕業にうまく乗っかればさらにいろんな場面を楽しめるが、一つに固執すると風景が

Page 266: Bar納屋界隈ver 3

急速に揺らいで目が覚める。夢はしばしば勝利し、たまに敗北もするのである。

私はいま韓国の蔚山にいる。日本を離れたのは次のような夢を見たからである。

カラフルに明るく輝いている広場があった。小さな町で開かれている小さなフェスティバルと

いった風情があって、私は晴れ晴れとした気分になっていた。原色で着飾った若い男女が数人

おり、紙ふぶきがたくさん落ちていたからフェスティバルはちょうど終わったところかもしれ

なかった。向こうから着ぐるみがゆっくり歩いてきて、それを二三人の若い女が取り囲んで

笑っていた。その着ぐるみは頭部が一抱えもあるほど大きくて硬く、口の所から覗き込んで

も内部が見えないように目張りがされていた。それでも強引に顔を近づけて覗こうとした

ら、中から「私はもうここから出られなくなったのです」という声が聞こえた。それが義理の

息子の朴聖黙だったのでとても悲しくなり、私は張りぼての頭を抱いて泣いた。その姿を見

て彼女らはまた笑った。

目が覚めて考えた。祭りはもう終わりだ。共にいる人たちは未だに明るくカラフルな装い

で楽しくしているが、私の内心はそれを捨てて義理の息子に会いに行けと命じている。だか

らその声、偽らざる自分の声に従うことにした。

一枚の風景画

私の通った台南一中はほとんどが日本人の生徒だったが、郭(かく)英明という台湾人もい

た。郭君は戦後渡米して医師となり、向こうで没したが、「竹園慕情」という同窓誌に「人の

一生は一枚の風景画に例えられる」という題で次の日本語文章を寄せている。

「風景画は遠景、中景、近景がバランスよく描き込まれて一つの安定を得る。遠景は幼少

の思い出である故郷の山河を示し、雲は少年の夢を示している。中景にある平野は自己のア

イデンティティを確定していく時代を示しており、最も重要な部分だ。そして近景に示さ

れた落葉樹の大木は、社会活動から引退した状況を示しており、美しい紅葉が少しずつ落

ち始めている。人の一生はその生涯をかけて、この一枚の絵を描いてゆく道程だといってよい

だろう」

さらにこう続ける。

「老年に入って、しみじみと自分が描き続けた風景画を眺めて、人は深い感慨を持つもの

だ。この感慨は、老いの進行とともにともに変わり始める。『老い』という色眼鏡をかけて眺

めると、遠景・中景・近景の三景のバランスとそれぞれの意味が少しずつ変容していく。まず

遠景が、少しずつ次第に大きく浮かび上がってくる。幼少のころを思い出しては、故里の山

河を思い出し、おふくろの味が好ましくなって、望郷の念が深まるのである。中景もさらに

大きく変容する。中景は生きた証とでもいうべきさまざまな記録や成果がいっぱい詰まって

おり、人生を支えてきた素晴らしく甘味なジュースが充満している。だが老いによってこの中

景の風景が変わっていく。次第に甘味なジュースが減少し、その代わりに支柱が太く硬くな

Page 267: Bar納屋界隈ver 3

っていき、中景の構造を支えるようになる。こうして見かけは体裁を保ってはいるが、その内

面は次第に荒涼たる風景に変容してゆく」

そして最後にこう結ぶ。

「近景には、老いを背にした日常生活があるのだが、この近景が大きく膨張していく。日常

における不自由さが前面に出揃い、毎日の生活を不自由にする。人生五十年の時代にはこ

の近景がなく、人生の成熟途上で死亡するから、ある意味では幸せだったかもしれない。こ

のように、老いていくことは人生の遠景と近景が大きく意味を持つようになり、最も大切

な中景の内部がどんどん空虚になっていくことだともいえる」

一中時代の郭君は差別を感じるなどの苦労もあっただろうが、全体としては成功者とし

ての人生を獲得した。でも寄稿文を読んでみるとやはり老いの寂しさや悲しさが見て取れ

る。彼の晩年はこの風景がますます色濃くなっていったに違いない。

人生の長さ

ある時こんな夢も見た。

老いた男が野原に立って、「わしは川喜田二郎だ」と名乗った。文化人類学者である彼の名

前は知っていたが、実際に会ったことはなかった。私は川喜田氏に、「あなたの考案したKJ

法を何度か使った」と話しかけた。すると彼は、「あれはかなり普及したが、わし以上に熟

達した使い方のできた者はいない。わしを越えたければ自分の道具を作ることだ」と言い、

「しかしラベルでくくるやり方はずいぶん手間が省けた」と言いながら、姿が徐々に薄くなり、

それと同時に上の方から文字が幾筋もの雨だれみたいに垂れてきて、やがてそれが全面を

覆った。その文字は一つの文章になっていたので、夢の中で懸命に読んで記憶に刻んだ。

「人は類似性の高い記憶を一つにまとめる傾向がある。地下鉄で何年通勤しても一回分

として記憶される。痴漢に間違われたとか、心を寄せている女子社員と偶然出会ってお茶

を飲んだとか、駅前で一杯やるのが常だったとかの体験は別の記憶として扱われる。違った

ことが起これば別に記憶される。強烈で珍しい体験ほどそうなる。無論それらも、繰り返

されれば一つに扱われる。

少年期や青年期には初めて体験することが多く、どれも強い興味や感動を伴うので鮮烈

に記憶される。壮年期や老年期に起こったことは若い時の体験ほど印象に残らず、類似性

のあるものも多いので記憶されにくい。似ていれば後の方が外される。

人生を一本の道だとすると、珍しい風景のある場所に旗が立つ。遠くからでもよく見え

る赤い旗である。若いころには、見慣れない風景が多いから旗はいくつも立つが、やがて見慣

れた風景ばかりになるのでほとんど立てられなくなる。人生を振り返った時、旗が密集して

いれば道は鮮明で長く、粗ければ不確かで短いことになる」

目が覚めて驚いた。夢を借りて私が私に教えていた。でもまったく知らないわけでもなかっ

た。なぜなら夢は、本人の知らないことは作り出せないからである。これだけの長い文章を

Page 268: Bar納屋界隈ver 3

覚えていられたのも、それをすでに分かっていたという証拠でもあった。

わかる時には瞬時に分かるものだ。若いころの私は、人生は一本の絨毯のようなもので、

時と共に長く伸びていくのだと思っていた。しかし実際に歳を重ねてみると、後ろからどん

どん巻き上げられて短くなっていく。最後には一巻の幅に如かないだろう。

郭君は人生を一枚の絵で表現し、私は川喜田二郎氏の夢によって一本の道になぞらえた。

そして端に立って振り返り、道がいかに短いかを知った。道は横から見れば長いが、端っこか

ら振り向けば、長さはいつも、ほとんどゼロだと気がついたのである。しかも青年期が終われ

ば思い出も粗となる。もっとずっとあとに糸川英夫博士も現われた。彼は広い空き地で鉛

筆くらいのロケットを、角度や火薬の量を変えていくつも打ち上げて軌道を計測していた。

そしてそばにいる若い研究員に、「飛び上がったものは必ず落ちるね」と笑いかけ、「急上昇

が得意なものは急降下も得意だ」とも言った。

人生曲線

川喜田二郎氏の夢によって人生を一本の線でうまく表わせたから、それを糸川英夫博士

の言葉に従って、弧に曲げてみる。縦軸に量V、横に時間Tをとって、放物線を書く(図1)。

飛行機の軌跡、トビウオが空中に飛び跳ねて海中に没するまでの姿、発射された砲丸の軌

道などがそうで、これを単純な一つの曲線として描いたものである。

放物線が始まる地点を、「誕生=p0

」、右の終点を「死=p4

」と定め、全体を「人生曲線」

と名づける。P

は本来、ポイントとかプロットの意味だが、ここではperson=個人ということ

にする。

そうすると人(p

)は、誕生して右上がりに移動していく。上昇の途中にp1

を打ち、ここを

「成長期」「上昇期」などのプラスの言葉で表わせば、縦軸の量Vは「所有量」とでもなるだろ

う。Vは「言葉に出来るすべてのもの」であり、これを古来の中国では色(しき)とも呼んだ。

P

はさらに上昇し、やがて横向きになる。曲線のいちばん高いところにp2

を打つ。量Vの

最も多いところで、ここらは「成熟期」「到達地点」「限界点」あるいは「開花期」である。

時間は右に進むので、p

もそれにならって右下がりに移動する。P3

は「衰退期」「喪失帯」

「下降期」である。飛行機なら着陸準備の段階だ。そしてp4

、つまり死に至る。

p1

は若者のことである。時間の経過につれて肉体が成長し、知識も増大する。ここではさ

まざまな才能が求められる。それはp2

を押し上げるためである。p1

での推進力が強いほど、

p2

で大きな量が約束されることは、ほぼ正しい。

p2

に到達して以降のことを若い人が予測できないのは、若い人に教育するのは、おもにp2

にいる親や教師だからである。彼らは、彼らのいる場所P

2

までのことしか教えられず、もっ

と高く上がれと励ますだけである。両者(p1

とp2

)は、曲線がやがて下降することへの実感

がない。今日も明日も明後日も上昇が続くと思っている。

Page 269: Bar納屋界隈ver 3

p1

の時代を過ぎてp2

にたどり着いた時、人は自分の得た量を知る。それは人それぞれだ

が、違いとして比較する。

比較とは量Vを比べることである。これは容易にでき、判定が揺らぐことはない。比較は

違いを見出すことだが、往々にして評価にすり替えられる。違うものに優劣をつける前段

階として、比較がしばしば行なわれる。比べたあとに優劣をつけるのは人の常である。

p1

を終えてp2にある時、個々の内面ではいつも最大だ。というよりも、各p

の量的現状が、

その人の人生上でたえず最大なのである。これを受け入れることを、「足るを知る」と古人

は言った。

「足るを知る」というのは、自分の器を知ることである。器の大きさまでは入れられるが、

それ以上は溢れてこぼれる。ここで大方の人は、こぼさないように器を大きくしようとする。

でもVはp

より高くならないので、溢れないように努めたら、ほかのなにかが失われていく。

では溢れたものはどうすればいいのか。それが施しの正しい解釈だ。私は自分に溢れたもの

を施し、溢れていないものはケチった。

人には虚栄心や欲や、その裏返しとして不満や負い目があり、いわれのない競争にもさら

されているので、「足るを知る」の心境にまで達せず、せいぜい「残念だがこれくらいが自分に

相応なのだ」とあきらめる。今で充分なのだと認めれば、比較の上で量的な大小、多少はあ

っても、自分の量Vに充足感がある。自己の正当な評価とはこのことである。勝ち負けや優

劣とは無縁だ。

ある未開の国で、痩せた牛の小便で頭を洗い、口をゆすぐ少年が満足している横で、大統

領が、いくら食えども腹の満たない餓鬼ということはありうる。

イシちゃんという、記憶力も理解力も乏しい青年がいた。その点では私の方がはるかにま

さっていた。しかし彼は私をうらやまず、自分を卑下もしなかった。私も彼に対して、それ

と逆のことは思わなかった。それで我々二人はうまくやっていけた。

野鳥観察の専門家によると、人間の生活圏にいるスズメやカラスの死骸を目にしないのは、

すぐ土に戻るからだという。羽も骨も軽くできているので、朽ちる速度がずいぶん早いとい

う。そうすると老いて倒れた象などは、ハイエナやハゲタカに気のすむまで食い荒らされ、ハエ

がたかってウジが湧き、腐臭をずいぶんまき散らした末に、ようやく土にかえったと思って

も、骨はそのままむき出しで残る。所有の挙句がこのざまだ。日本人ならこのことは、小学

校の算数で習ったはずである。四の位、「資産(4×

3)自由に」「死後(4×

5)に自由」と。

量的成長期であるp1

の目に、p3

にある人の姿は、年寄りとだけしか映らない。まさか自

分がその場所に身を置くことになろうとは思いもしない。年寄りは先のないかわいそうな

人々のように見える。それは、上昇角度の上に老人がいないからである。生きるというのは

量Vが増え続けることだと思い込んでいる若者に、量的減少を理解できるはずがない。

p3

にある人が自分の人生をどう見るかは、医師の郭君の寄稿文や、夢に現われた川喜田

Page 270: Bar納屋界隈ver 3

次郎氏の言葉のようなものである。どう威勢を張っても、p2

の時よりは量Vが失われ、回復

の目途が立ちそうにないことを薄々知っている。もしもp3

に足を踏み入れてしばらく進ん

だ人に、若者p1

の教育を任せる機会を与えれば、いかにp2

を高くするかよりも、p3

をう

まく受け入れる準備を教えるだろう。しかし若者にすれば、それはp2

を低くさせるための

妨害でしかないから耳を貸さない。その愚かな反応もp3

の人にとっては懐かしい。

p1

の地点で老年p3

に気がつき、p2

よりp3

が重要だと思う若者がいるかもしれない。彼は

若いにもかかわらず老年を目指す。p1

から横移動して、無駄なくp3

に至ろうとする。その

ことは理屈の上では間違っていない。しかし残念なことに、目指すp3

には到着できない。な

ぜならp3

の位置はp

2

の高さで決まるから、横滑りする彼のp2

は決して高くはなく、彼自

身のp3

は、目指すものより低くなる。

P2

は山の頂上である。ここより上には行けない。ふと気がつけば、p1

あたりで一緒にいた

はずの仲間が遠く離れてしまい、今は自分だけがいる。それぞれが自分の道を行く。それは

p3

で顕著になる。p3

に身を置くとはどういうことか。それは量的世界が狭まることである。

最後の力を振り絞ってしがみつこうとしても人生曲線は下向きに進み続け、量Vは0を目

指して減り続ける。

この様子を飛行機にたとえると、降下を着陸態勢に入ったとみる乗員は、着陸地点を捜

しながら、自分なりの着陸準備をはじめる。降下を墜落と見る乗員は、もっと飛ぶために

推進力を全開にする。手っ取り早いのは降下を認めないことである。視界を青空で満たして

いるあいだは飛び続けると、呪文めいた確信を持つのである。この方法は少しのあいだ、人に

よってはp4

に到達するまでずっと、青々とした空をながめ続けられる幸運に恵まれる。「人

生は死ぬまで青春だ」と言い張る人が稀にいる。まさしく彼は、死ぬまで青空なのである。

気の毒なことだ。

人は必ずp4

に至る。ただし旅客機と違うのは、乗り手の姿が消えるということである。そ

の直前のほんの〇・〇一秒前、肉体と精神は何を見るだろう。何を思い、何が聞こえ、何が

心に流れるのか。それが風景であれば、おそらく窓一つ分の広さに満たず、音なら一曲の

うちのワンフレーズ、思い浮かべる顔はせいぜい一人か二人だろう。

量Vがまだあるうちは、笑って死ねればいいとか、あらゆる感謝に満たされてとか言う。

それは確かにそうだが、p4

はそれを実現してくれるのか。願いに反して醜いものに取り巻か

れて幕が下りるのではないか。私が研究を始めたのはこの一点を解明することだった。

私の人生は全体として、ほかのあらゆる人と同様に、この曲線のどこかにかならずあり、

時折思い出が後戻りはさせてくれたが、懐かしさはいつも哀しさを伴っていた。たくさんの

人と知り合ったが、それも量だった。そして皆それぞれに、様々な量を抱え込んでいた。

子供のころ、丸い円からはじき出されないように押し合う、押しくら饅頭という遊びをよ

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くやった。円の面積をVだとすると、p3

でその円が徐々に小さくなっているのに気がつく。自

分に不要な順に失っていき、大抵はいい思い出だけが残るが、憎んだり恨んだりした人生の

人は、憎々しい人の顔、恨めしい人の顔だけが最後に勝ち残る。

ある時、「我が身はいかにあろうとも、心の中に城は建ちゆく」という言葉が思い浮かんだ。

大勢の人が心の外に城を建てようとした。そして実現させ、それを他人に披露してうらや

ましがらせたが、もっと立派な城は周囲にいくつもあり、それらの前では小さくなった。

心の城の建材は自分で調達し、設計図も必要だが、建て増しや改造は自由で、建てなが

ら住むこともできる。内に建てる技量がない人のうち幾人かは、他人設計の城を建てても

らって間借りする。心の城なのに、外に向けて家賃を払い、家主との取り決めで増改築も畳

替えもできない。その内なる他人の城を俗に、宗教と言う。

ほどよく心に城が建ったにしてもp4

で消滅する。それでも外の城(つまり量V)の劣化に比

べて、ずっと長く持ちこたえる。別の言い方をすれば、心の城に逃げ込むことができれば、外

の城がどうなろうと気にならない。

突然の事故死で人生曲線が切れることがある。p1

で起これば残念なことだ。p2

なら家族

は困るだろうが、本人は幸福かもしれない。p3

であれば、これも寿命だと片づけられる。

この曲線を教えてくれたのは台南一中同窓生の林君で、彼とは同じクラスにならなかった

が、平成になって熊本で開催された同窓会あとの茶会でのことだった。彼はそのころ関東で

経営コンサルタント会社を細々とやっていて、知識の一つとしてこの図を披露してくれた。と

は言えここに記したことは少しも話さなかった。p

もVもなかった。林君は曲線の右端あた

りを指し、我々はそのうち終わると言ってその場にいた数人を苦笑させた。私はこれを面

白い話だと思った。そのずっとあとに川喜田次郎の夢を見た。

ここまで思索が進んだが、どうも釈然としなかった。本当にこんな単純な曲線で済ませら

れるのか、ジェットコースターのように途中でダイナミックな起伏がいろいろあるのではないか

とも考えた。一本の線上に肉体と精神とが合わさっていることも不自然だった。知識はVで

構わないが、心のありようは別にありそうだと思って曲線をいろいろ書いてみたら、十六種

類に増えて手に負えなくなった。これに何年かを費やした。曲線だらけになった机の上をな

がめて、これは正しくないと思った。美しくなかったからである。それで思い切ってぜんぶ捨

てた。美しいかどうかは大切なことである。追うからこんなことになるので、いずれ向こうか

ら答えが来るだろうと放っておいた。

解決してくれたのは一枚の紫蘇の葉だった(図2)。人生曲線を上下反転させて、下にも

書き、p1`

、p2`

、p3`

の点を打つ。こちら側の弧を、飛行機の航路に対して、潜水艦の航路と

名付ける。まさしく年月とともに深まって行き、そのあと浅くなっていく。

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この二つを合わせて「人生葉」とし、下の深さをD=D

epth

とする。P2`

までの深まりは、量

的なものではなく、知識や経験の増加による知性の深まり、直観力や洞察力の鍛練といっ

たようなものである。P2`

以降の上昇でDが小さくなっていくのは、知性が知恵に変化してい

く様子を示している。受信装置が能力を最大発揮しはじめて、壮大な人生が短いおとぎ話

に作り替えられる領域だ。人によってはDの上昇を、精神の救済と見る。漆黒の闇に沈んで

いた精神に、p4の接近とともに光が射す。p4

のもう一つの役割だ。この手の人とってp4

=死

は、心待ちにしていた永遠の休息が訪れることを意味する。

紫蘇の葉はほかのことも教えてくれた。人生は山あり谷ありという。この弧=葉のどこか

一点を拡大すると、葉っぱのギザギザ、さざ波が起こっているかのごとく、小さなアップダ

ウンがある。青年期における失意や失敗、老年期でも孫が生まれたとか褒章を受けたとか

の一時の喜びのようなものである。「一喜一憂」などというのがこれで、全体としてはいいも

悪いもなく、単純なカーブを描き、数十年のうちに終わる。

人生葉のピーク、p2

とp2`

を中心に左右が対称であるとは限らない。真ん中よりも左にあ

る人もいれば、右に寄っている人もいる。特に精神面に顕著で、それで葉っぱの形はみな違

う。人間社会というものは、はらりはらりと枯れ落ちる葉がある一方で、若芽もたえず吹

き出している木のようなものである。

極限まで老いて、ほとんどすべてを失った時、その人は子供のようになる。その人が子供の

時、そのようだったのだ。三つ子の魂だけが最後に残る。

四つの意識

では、人生曲線と人生葉で点にすぎないp

自体はどうなっているのか。

縦軸と横軸の交わったところを0とし、0を起点として、右の線を実意識、左の線を空意

識、上の線を虚意識、下の線を無意識とする。さらに0点を中心にして円を描き、円上の

右上にC点を打つ(図3)。Cとは意識(Conscious

)のことである。

C点が円の一番上に上がれば、虚意識が最大で実意識は0、円の一番下に降りたら、無

意識が最大で、実意識はやはり0になる。Cが実意識の上にある時は、虚意識も無意識も

0になり、実意識は最大だ。このようにして人の意識は、円の右半分を上下する。

実意識を私は「腕時計の時間」と呼んでいる。たとえば腕時計を一分間見続けたら、けっ

こう長い。五分も見続けるのは私には無理である。でも時計から目を話し、考え事をした

り誰かとしゃべったりしていると、あっという間に十分や二十分は過ぎてしまうが、こっちの

ほうが腕時計の五分よりも短く感じる。これは、Cが実意識の線上から離れて虚意識に向

かうために、虚意識c2

の増加に伴って、実意識上のc1

が短くなっていくからである。虚意識

は、イメージ意識のことで、何かの思いに没頭している時や夢を見ている時、夢見心地、妄

想にある時に最大となる。

腕時計時間(実意識)を短くするもう一つの意識が無意識である。ここを私は「手で考え

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る」とも呼んでいる。手に職のある者がここで忘我する。

こうしてCが上がり下がりしながら、人生曲線上のp

としてp4

に向かって移動してゆくが、

Cは操作が可能で、特に時間を縮ませるのに役に立つ。私は暇な時、鼻歌を歌うことが多

かった。

空意識に足を踏み入れることはできない。時間は逆方向には進まないし、もし入りたけれ

ば、意識Cを虚意識上で狂人に、無意識上を通過するには植物人間になる必要がある。こ

こ(狂人か植物人間)からちょっとでも左に振れたらこの世には戻ってこられないから、空意

識は「あの世」である。ダンテの「神曲」に、「地獄を通って天国へ」とある。何となくそれと通

じるものがある。

虚意識を夢想、無意識を手足の思考だと考えると、虚意識と無意識が合体して同時進

行することがある。スポーツや音楽演奏などで超高度な状態にある時、手足が神技を披露

しながら意識が自由になっている状態だ。この図が縦に折り合わさった状態と言ってよく、

熟達した職人の作業にもしばしば見られる。

この図は私が考えたのではなく、聖黙の三つ四つ上の先輩、李一鎮(リ・イルチン)が持って

いた本にあった。日本の物理学者が禅を数式で解明しようと試みたもので、親交のあった日

本人からもらったという。ぱらぱらめくってみると、ほとんどの頁に書き込みがしてあり、

必携の書であることがうかがえたが、李は数時間のちにいなくなったため、詳しい内容まで

は知らない。私の目に飛び込み、おぼろげに覚えているのはこの図だけである。

李一鎮のこと

李は、釜山を拠点にした財閥の息子として生まれた。頭がよく、親が金持ちだったからか、

徴兵のあいだは憲兵として軍隊を取り締まった。除隊のあと親の出資で、大規模なコンピュ

ーター販売店を始めたが、じきに数億円の負債を抱えて店を閉めた。

羽振りのいい時はお抱え運転手もいた青年起業家が、今はすべて失って、勘当同然の身と

なった。楽しかったはずの思い出が刃となって次々に襲ってくる日々から逃れるために、李は

日本語の勉強をはじめた。勉学に集中することで、生々しく忌まわしい記憶から避難した

かったのである。しかし頭がいいからすぐに上達してしまい、隙間のできたところにまた苦し

さが流れ込んできた。

韓国では、大きな失敗をした者は自殺するか狂うか仏門に入るか、土下座写真を新聞で

公開されたあと物陰で息を殺して生きながらえるかしかなく、李は僧を選んで山寺にこも

った。その李がひょっこり聖黙を訪ねてきた。携帯電話もなく家族とも連絡を取らず、最近

は深夜喫茶に寝泊まりしているらしかった。

背が高く、まっすぐ立っている印象があった。非常に的確な日本語を使い、仏陀や道を勉

強していると私に言った。そして、「アマについて知っていますか」と聞いた。尼僧のことかと思

ったら、黒い潜水衣を着て海に潜る海女のことだった。白い尼と黒い海女。発音が同じアマで

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あるところが面白い。

李は、「いくら修行しても、黒いアマが心に潜り込んできてかき乱す。修行には体が邪魔だ。

この体から出たいが、出る方法が分からない」と苦しそうな顔をした。私はふふんと鼻で笑

い、「自分の体から出るのは簡単だ」と言ってやった。すると聖黙まで驚いて、本当ですかと

問う。「たくさんの人が毎日やっているくらい簡単だね」と答えると、李ほど深く考えない聖

黙すら興味津々で、李も深刻な表情でぜひ教わりたいと言い、土下座までした。

韓国人の土下座はよそでもされたことがあり、条件反射のようなものである。私はまあま

あと手を差し伸べて李を立ち上がらせ、彼の目を見ながら「お母さんのために生きようと

してみなさい。そう思った瞬間、きみの心は体から出て、アマも消える。でもお母さんのため

に生きるには、その体が必要なのだ。心も体も、きみを困らせようとはしていないよ」と話し

た。すると李は、仏陀はそうは教えていないと言った。李が別れを告げてどこかへ去ったあと、

「彼の修業はたぶんいい結果を生まない」と聖黙に伝えると、全否定されたと思ったらしく、

困った顔をした。

この文と図も船である。受信して増幅したものを、岸から見える船にこしらえ直したらこ

うなった。「文字や図は何かを運ぶ道具」だと冒頭に述べたとおりだ。私の中で混沌としつつ

も解決したものを、強引に表現するとこのようになる。古今の創作物は皆この方法に依って

いるが、大抵の人はそこに船しか見ない。積み荷は書いていないからそうならざるを得ない。

「木を見て森を見ない」あるいは「森を見て木を見ない」という言葉で足踏みしている人は、

木も森も船であることが分からない。木の根元や森の奥に魂のかけらを見つければ、いつの

間にか森を抜けている。船が運んでいるのはそれだ。積荷はどれも私の魂のかけらだった。

巷の人々

昭和五十八年に東北の日本海側で大きな地震が起こり、数分後に押し寄せた最大十五

メートルの津波で百人が亡くなった。そのなかに、避難を呼びかけるマイクを最後まで離さ

なかった役場の職員がいた。若い女性だったという。ほかにも、住民を避難誘導しながら波

間に消えた消防団員もいた。彼は、逃げる人の群れの中に妻を見つけた。妻も夫を目にと

めた。夫は妻に敬礼し、最高の笑顔で見送ったそうだ。若い女子職員も消防団員も、逃げ

る身であれば自分の死が怖かっただろう。さらには、海に浮き沈みしながら、見知らぬ男

子小学生と中年女性の手を離さなかった女性もいた。彼女も若かった。そばに流れてきた

流木に二人をつかまらせたあと、力尽きて沈んでいったという。この女性は私の知人の姪っ

子だった。

彼らほど滅私と利他について教えてくれた人はいない。神の手がマイクを握り、敬礼し、波

にさらわれた人をつかんだ。助かった人と命を失った人のどちらを神の手は救ったのだろう。

日本はこれからも同様の大災害が起こる。そのとき自分の手は自分を救うのか。

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麻生病院の待合室に車椅子の老女がいた。話しかけると、少し痴呆があるようだったが、

股関節の治療をしていると言った。お子さんはおありですかと聞かれ、息子二人と娘が一

人いると答えたら、彼女はまったくの無表情で、自分の息子は十年前に死んだと言った。

「もうすぐ会えますよ」と私は言い、同じ言葉をもう一度繰り返して、会った時にいろんな

話を聞かせてあげるために長生きしてくださいと励ました。

私が七十を過ぎたのはずいぶん前だが、そのころから死があまり怖くなくなった。もちろ

んライターの火を手に近づけると、手はさっと引いて、まだ生きたいと肉体は訴える。だか

らしばらくはそれに従うが、最近はあまりやかましく言わなくなった。外の城の本丸が朽

ち落ちていこうとしている。しかし精神は、探照灯の照らす範囲が徐々に狭まってきている

とはいえ、まだ明晰だ。

私のまわりには知らない人たちばかりがいる。知らない人が、知らない生活をしている。こ

こはどこだろうと思うほど、今いるところは知らない場所だ。

私の知っている人はみんな向こうにいる。慣れた生活は向こうにある。私と遊んだ人や育

ててくれた人が向こうで集まって、私に笑いかけている。泣き虫だった坂本君も笑っている。

それくらい向こうとの距離は近く、垣根は低い。遅くなってごめんと、向こうに帰って仲間

入りし、みんなと一緒にこっちを見て、次に来てほしい人に笑いかけたい。

お母さんがずっと私を待っている。もうすぐ私は流転しなくて済む。父とも引揚船のデッ

キで話したことを懐かしみ、姉には、内心自慢の姉さんだったんだよと言いたい。また家族

四人が顔をそろえる。でもいちばん会いたいのは妻である。本来なら妻が子供のために残っ

た方が良かった。私はその代役を一パーセントもやれなかった。でもあの世で妻にそれを告

げても、あなたが残ってくれてよかったと言うだろう。夫婦はどちらが先に逝っても、自分

でよかったと思うものだ。そのあと宮内君とも会って、あんな図は不要だったが時間つぶし

にはなったねと笑い転げたい。みんな空意識に、永遠にいる。p4

はその入口だ。心が体から

出る日は近い。だからその邪魔をしないでもらいたい。

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