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-1- 2011 年度秋学期 「刑法 II(各論)」講義 2011 10 18 【第 7 回】詐欺および恐喝の罪(その 11 詐欺罪[246 条] 《山口刑法 pp. 311-322 /西田各論 pp. 184-207、山口各論 pp. 244-2741-1 総説 1-1-1 基本構造 交付罪である。→ 占有者の「意思に基づく占有の移転」が必要。 この点で、同じく移転罪であるが、占有者の意思に反する占有の移転を要件とする盗取罪(窃盗罪 ・不動産侵奪罪、強盗罪)とは異なる。 ただし、「意思に基づく占有の移転」といっても、占有の移転が完全な意思に基づくものでは なく、「瑕疵ある意思」に基づくことが必要。 詐欺罪においては、同罪(の既遂罪)の成立には以下の因果の経過を経る必要がある。 i) 欺罔行為(詐欺行為・欺く行為) ii) 錯誤 iii) 処分行為(交付行為) iv) 財物または財産上の利益の移転 【第 9 回】4 にて検討する予定の恐喝罪[249 条] 【詐欺罪】 【恐喝罪】 においては、上記 i)が「恐喝行為」(=暴行・脅迫)に、 欺罔行為 恐喝行為 ii)が「畏怖」に置き換わるだけで、構造的には詐欺罪の 場合と同様である。両罪は同じく交付罪であり、その 錯誤 畏怖 手段の相違によって区別されることとなる(右図の通り である)。 財物または財産上の利益の移転 1-1-2 保護法益 詐欺罪は財産罪であり、その保護するのは個人の財産であって、取引における信義誠実は直 接の保護法益ではないと解される。 詐欺罪が財産罪である以上、その成立のためには財産的損害が必要であるとされる。 2011 年度秋学期「刑法 II (各論)」講義資料

【第 7 回】詐欺および恐喝の罪(その 1fukao/lecons/11-2-DPS/resume07.pdf- 1 - 2011 年度秋学期 「刑法II(各論)」講義 2011 年10 月18 日 【第7 回】詐欺および恐喝の罪(その1)

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2011 年度秋学期

「刑法 II(各論)」講義

2011 年 10 月 18 日

【第 7 回】詐欺および恐喝の罪(その 1)

1 詐欺罪[246 条] 《山口刑法 pp. 311-322 /西田各論 pp. 184-207、山口各論 pp. 244-274》

1-1 総説

1-1-1 基本構造

交付罪である。→ 占有者の「意思に基づく占有の移転」が必要。

※ この点で、同じく移転罪であるが、占有者の意思に反する占有の移転を要件とする盗取罪(窃盗罪

・不動産侵奪罪、強盗罪)とは異なる。

ただし、「意思に基づく占有の移転」といっても、占有の移転が完全な意思に基づくものでは

なく、「瑕疵ある意思」に基づくことが必要。

詐欺罪においては、同罪(の既遂罪)の成立には以下の因果の経過を経る必要がある。

i) 欺罔行為(詐欺行為・欺く行為)

ii) 錯誤

iii) 処分行為(交付行為)

iv) 財物または財産上の利益の移転

※ 【第 9 回】4 にて検討する予定の恐喝罪[249 条] 【詐欺罪】 【恐喝罪】

においては、上記 i)が「恐喝行為」(=暴行・脅迫)に、 欺罔行為 恐喝行為

ii)が「畏怖」に置き換わるだけで、構造的には詐欺罪の ↓ ↓

場合と同様である。両罪は同じく交付罪であり、その 錯誤 畏怖

手段の相違によって区別されることとなる(右図の通り ↓ ↓

である)。 処 分 行 為

↓ ↓

財物または財産上の利益の移転

1-1-2 保護法益

詐欺罪は財産罪であり、その保護するのは個人の財産であって、取引における信義誠実は直

接の保護法益ではないと解される。

詐欺罪が財産罪である以上、その成立のためには財産的損害が必要であるとされる。

2011 年度秋学期「刑法 II(各論)」講義資料

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~「個人の学習目的での利用」以外の使用禁止~

ただし、そこでいう財産的損害とは財物・財産上の利益の交付(=財物等の喪失)自体であ

ると解されている。(――個別財産に対する罪との理解)

→ 実質的には財産的損害を不要とする立場と変わりがない。

しかし、詐欺罪が財産罪である以上、何らかの意味での財産上の損害が要求されるべきでは?

(この点、詳細は後掲 1-5 にて取り扱う。)

* 国家的法益と詐欺罪の成否について

国・地方公共団体が所有する財産についても詐欺罪は当然成立し得る(この場合は国・地

方公共団体は財産権の主体として問題となっているに過ぎない)が、本来の国家的法益に対

して向けられた詐欺的行為について、詐欺罪の成否が問題となる。

a) 脱税の場合

判例は詐欺罪の成立を否定(大判明治 44 年 5 月 25 日刑録 17 輯 959 頁)。

← しかし、この場合は各種税法の租税逋脱罪の規定が詐欺罪の特別法として適用ほ

されている(そのために詐欺罪の適用が排除されている)に過ぎない。

b) 各種証明書の不正取得の場合

旅券・印鑑証明書の交付の場合について、詐欺罪の成立を否定した判例あり。

(前者について(328)、後者について(327)を参照。)

← しかし、これらの場合に詐欺罪が成立しないのは、別個の理由(例えば、財物

性あるいは財産上の利益がない、など)があるからと解すべきであり、詐欺的手

段によって封鎖預金の払い戻しを受ける行為(判例(324))、配給食料を不正に受

給する行為(最判昭和 23 年 11 月 4 日刑集 2 巻 12 号 1446 頁)、営農意思を偽

って国有地を買い受ける行為(判例(321))について詐欺罪の成立を認めうるで

あろう。

(この点についても、詳細は財産的損害との関連で後掲 1-5 にて取り扱う。)

1-2 客体

1-2-1 財物

財物[246 条 1 項]: 他人の占有する他人の財物

財物の意義については【第 2 回】2 を参照。

電気についての特例[245 条]、自己の財物についての特例[242 条]、親族相盗例[244 条]

が 251 条によりそれぞれ準用される。

窃盗罪の場合と異なり、不動産も財物に含まれる。

1-2-2 財産上の利益

「財産上不法の利益」[246 条 2 項]とは、不法に財産上の利益を得ることをいい、利益自

体が不法性を有する必要はない。

財物以外の財産的利益一切をいい、債権・担保権の取得、労務・サーヴィスを提供させるな

どの積極的利得のほか、債務免除や支払猶予を得るなどの消極的利得をも含む。

ただし、以下の各点には注意が必要。

1. 移転性のある利益に限定される。←詐欺罪が移転罪であることより。

従って、情報・サーヴィスなどについては、一般的に詐欺罪を肯定することができな

い。

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2011 年度秋学期「刑法 II(各論)」講義資料

ただ、対価を支払うべき有償のサーヴィスについて、請求しうる料金の免脱という財

産上の損害があり、行為者にはサーヴィスを不正に取得することによって料金に対応す

る財産上の利益を取得したと観念する余地があり、この限度で 2 項詐欺罪を肯定しう

る。

2. 「不法な利益」も本罪の客体たり得るか?

← 財産罪の保護法益の問題と同質の問題

[例](1) 欺罔により売春行為や犯罪行為を行わせた場合

(2) 欺罔により売春代金を免脱した場合

(2)については、裁判例は肯定説(判例(337))と否定説(判例(338))にわかれている。

3. 物の請求権の取得について

財物詐取を目的として欺罔行為を行い、被害者に財物交付の約束をさせた場合に、こ

れを「物の引渡請求権の取得」とみて 2 項詐欺罪の成立を認めてよいか?

→ 引渡請求権の取得に独自の価値・意義があるような例外的場合を除き、1 項

詐欺罪の未遂罪の成立にとどめるべき。

判例について、不動産詐取の事案において 1 項詐欺罪の既遂には所有権移転の意思

表示があっただけでは足りず占有または登記の移転が必要とするもの(判例(296))は

この意味で理解できるが、詐欺賭博の事案において客に債務を負担させた段階で 2 項

詐欺罪の既遂の成立を認めたもの(判例(297))は疑問である。

4. 債務履行の一時猶予

判例によれば、債務履行や弁済の一時猶予も財産上の利益にあたり、2 項詐欺罪が成

立しうるとされる(判例(295))。

しかし、2 項詐欺罪の成立を認めるうえで財産上の利益を得たというためには、財物

の移転と同視しうるだけの具体性・確実性が必要であるとされる。

→ 債務履行の一時猶予の場合には、これにより債権の財産的価値が減少したこと

が必要。(なお、判例(294)参照)

1-3 欺罔行為(詐欺行為)

1-3-1 総説

欺罔行為とは? → 人(=処分行為者)の錯誤を惹起する行為

人に向けられたものである必要

a) 「機械は錯誤に陥らない」から、

* 通貨類似の金属片を自動販売機に入れて商品等を不正に取得する行為は、詐欺罪で

はなく窃盗罪となる。

* 偽造キャッシュカードまたは拾得したキャッシュカードにより現金自動支払機

(CD)から金銭を引き出す行為も、詐欺罪ではなく窃盗罪である(判例(291)参照)。

* 通貨類似の金属片を利用して、公衆電話機、コインロッカー、ゲームセンターのゲ

ーム機等を不正に利用しても、利益窃盗に過ぎず、現行法上は不可罰である。

b) 欺罔行為は財物・財産上の利益の処分行為に向けられたものでなければならない。

* 買い物客を装って洋服を試着中に逃走する行為

* 偽電話により家人を外出させた間に家に侵入して財物を領得する行為

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~「個人の学習目的での利用」以外の使用禁止~

などは、偽計的手段を用いてはいるが、それ自体は処分行為を目的としたものではないか

ら、詐欺罪は成立せず(未遂にもならない)、窃盗罪が成立する。

1-3-2 欺罔の対象・程度

取引の相手方が真実を知っていれば財産的処分行為を行わないような重要な事実を偽るこ

と。

従って、

* 品物の名称を偽っても、その品質・価格に変わりがなく、買い主も名称にこだわらず

自己の鑑識をもって購入した場合(大判大正 8 年 3 月 27 日刑録 25 輯 396 頁)

* 担保物である絵画が偽物であっても十分な担保価値を有する場合(大判大正 4 年 10

月 25 日法律新聞 1049 号 34 頁)

には詐欺罪にはあたらないとされる。

また、談合入札についても、予定価格以下の受注である以上は、注文者には価格の点につい

ての錯誤が欠けると解されていた(大判大正 8 年 2 月 27 日刑録 25 輯 252 頁)。

※ なお、この問題は 1941(昭和 16)年の改正により談合罪規定(96 条の 6 第 2 項)の新設により

解決された。

一般の取引において多少の駆け引きや誇張は許容されることより、欺罔行為であるというた

めには、取引の相手方の知識、経験を基準とした場合に、一般人を錯誤に陥らせるに足る程度

の事実の虚構等が必要であり、その程度に至らない場合には不可罰か、せいぜい軽犯罪法上の

虚偽広告の罪(同法 1 条 34 号)が成立し得るにとどまる。

1-3-3 不作為による欺罔

欺罔行為は不作為による場合(=すでに相手方が錯誤に陥っていること、または錯誤に陥ろ

うとしていることを知りながら真実を告知して錯誤を解消しようとしないこと)も可能である。

← この場合、不真正不作為犯であるので、作為義務として告知義務(=真実を告げる

義務)が要求される(大判大正 6 年 11 月 29 日刑録 23 輯 1449 頁)。

[具体例]

* 生命保険契約の締結に際して既往症を告知しなかった場合(判例(286))――法令上

告知義務がある場合である(保険法 37 条参照(ただし、同法施行日前に締結の保険契約につ

いては、保険法施行に伴い削除された商法 678 条の規定が適用される。(保険法の施行に伴う関係法

律の整備に関する法律[平成 20 年法律 57 号]2 条))。

* 準禁治産者(現在の被保佐人にあたる)がそのことを秘して金銭を借り受けた場合(判

例(284))

* 抵当権が設定登記済であることを秘して不動産を売却した場合(判例(285))、など

← 信義誠実の原則に基づき、かなり広い範囲で告知義務を認めている。

しかし、そのような場合であっても、個別的な取引の内容に関する重要な事実か否か、相手

方の知識、経験、調査能力等の諸事情を考慮して告知義務の存否を判断すべきであろう(判例

(288)参照)。

ただし、個別的な契約の履行意思や履行能力とは異なり、一般的な営業状態や信用状態につ

いては告知義務が認められないと解すべきである(判例(287)参照)。

◇ 挙動による欺罔について

[具体例]

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2011 年度秋学期「刑法 II(各論)」講義資料

* 最初から代金支払意思がないのに食堂で注文して飲食する場合(いわゆる無銭飲食)

* 最初から代金支払意思がないのに商品を発注して納入させる場合(いわゆる取込詐欺)

← これらは不作為による欺罔があるようにも見えるが、「支払意思があるかのよ

うに装って注文する」という作為による欺罔と解すべきである(無銭宿泊・飲食

の事案について、判例(301)参照)。

[問]いわゆる釣銭詐欺の場合はどうか?

1000 円の商品を購入するに際し、5000 円札を渡したところ、売主が 1 万円札と勘違い

して 9000 円の釣銭を買主に渡した場合、

(1) 釣銭受領後、売主の間違いに気付きながらその場を離れた場合

→ 占有離脱物横領罪[254 条]

(2) 売主が釣銭を渡そうとする際に間違いに気付いたが、そのまま受領した場合

→ 学説はこの場合に買主に告知義務を認め、不作為による詐欺罪の成立を認める

ものが多数。

しかし、そうだとすると、相手方の財産の保護義務を肯定することになりはし

ないか?

(3) 釣銭を渡した後に売主が余分に渡したのではないかと尋ねたのに対し、買主がこれ

を否定した場合

→ この場合の欺罔は横領の手段に過ぎず、2 項詐欺罪は成立しない(占有離脱物

横領罪のみが成立する)。

1-4 処分行為(交付行為)

詐欺罪が成立するためには、欺罔により錯誤を生ぜしめ、その錯誤による瑕疵ある意思に基づ

いて財物・財産上の利益を相手方に移転させる行為(=処分行為)が必要

※ 従って、処分行為に向けられた欺罔はあるが、相手方が錯誤に陥らずに別の理由(例えば憐憫の気持ち

から)財物を交付した場合には、詐欺罪の予定する因果関係が切れるため未遂犯が成立するにとどまるこ

とになる。

交付の相手方は欺罔行為者以外の第三者でもよいとされるが(2 項詐欺については 246 条 2 項

において明文で規定されている)、全く無関係の第三者に交付させる場合は除外されるべきであ

り、

(i) 第三者に交付することによって、欺罔行為者が交付を受けたと同視しうる場合、

(ii) 欺罔行為者が第三者に取得させることを目的としていた場合(大判大正 5 年 9 月 28 日

刑録 22 輯 1467 頁参照)、

などといった特別の関係を有する第三者の場合に限定されるべきである(判例(315)参照)。

[問]欺罔行為により一旦財物を放棄させ、その後取得する行為の罪責如何?

(例えば、当せんした宝くじを外れたものと騙して捨てさせ、その後取得するような場合)

A. 窃盗罪と解する見解

B. 占有離脱物横領罪と解する見解

C. 詐欺罪の成立を肯定する見解

学説上は C 説が多数を占めているが、詐欺罪の成立が認められるのは、被欺罔者の放棄と

欺罔行為者による取得との関係から、被欺罔者の放棄により占有を取得したと解しうるような

場合(第三者にはわからない場所に投棄させ、のちにこれを回収するような場合)に限定され

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~「個人の学習目的での利用」以外の使用禁止~

るべきではないか?

※ 処分行為は財物・財産上の利益を相手方に移転させる行為であるから、処分行為により直接移転する

ことが必要であり(これを直接性の要件と呼ぶ)、占有取得のために相手方がさらに占有移転行為を行う

ことが必要となる場合では足りない(このような場合には占有の弛緩が生じているに過ぎず、その後の

占有移転行為が被欺罔者の意思に反している場合には詐欺罪ではなく窃盗罪が成立することになる)こ

とからみて、上記のように考えられるべきではないか。

なお、財物・財産上の利益の移転の際に第三者の行為が介入することは、上記の直接性の要件との関

係では問題とならない。欺罔行為により被欺罔者に信販業者とクレジット契約を締結させて、信販業者

から欺罔行為者宛に立替払いをさせた事案においては、被欺罔者が信販業者に財産を交付させたことを

もって処分行為と評価し、(欺罔行為者との関係で)被欺罔者自ら被害を受けたと解することができる。

判例(314)参照。

◇ 処分意思

処分行為の有無は被欺罔者による「(瑕疵ある)意思に基づく占有の移転」の有無によって決

することになる。

※ もし処分行為によらずに財物・財産上の利益の移転が発生した場合、財物については窃盗罪が成立し、

財産上の利益については利益窃盗となり不可罰となる。従って、特に後者については処分行為の有無は

可罰性の限界を画する重要な意義を有することになる。

そこで、問題は「被欺罔者にいかなる意思内容が認められるときに処分行為があるといえる

か?」 → 「処分意思」の問題

まず、被欺罔者の瑕疵ある意思に基づいて財物等の占有が終局的に移転したことが必要。

従って、

* 自動車の試乗のため一定時間の単独走行をさせたところ乗り逃げした場合

については、単独走行をさせた時点で処分行為が認められ、詐欺罪が成立する(判例(300))。

他方、

* 洋服の試着を許された者が店員の隙を見て逃走した場合

* 老人が銀行で預金の払い戻しを受ける際、付添のように装って現金を受け取り銀行か

ら逃走した場合

については、いずれも意思に基づく占有の終局的移転が否定される。(「占有の弛緩」では足り

ない。前者について、広島高判昭和 30 年 9 月 6 日高刑集 8 巻 8 号 1021 頁、後者について、

判例(299)。後者については、現金の占有は銀行にあるとされた。)

* 詐欺目的で被欺罔者に金銭を用意させたところ、現金を玄関に置いたまま便所に行っ

たのでその隙にこれを持ち逃げした場合

については、判例は詐欺罪の成立を肯定している(判例(298))が、この段階では占有はなお

被欺罔者に残っており、未だ意思に基づく占有の終局的移転があったとはいえないのではない

か?

問題は、移転する財物・財産上の利益自体についての認識がない場合について

※ 例えば、本に 1 万円札がはさまっていることに気付きながらその本を 500 円で買い取る場合や、

10kg 入の魚箱に実は 15kg の魚が入っていることを知りながら 10kg 入として買い取る場合がこれ

にあたる。なお、告知義務の存在を前提とする。

A. 意識的処分行為説(処分意思必要説)

ある特定の財物・財産上の利益を相手方に移転させるという被欺罔者の認識を処分行為

の要件とする。

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2011 年度秋学期「刑法 II(各論)」講義資料

B. 無意識的処分行為説(処分意思不要説)

被欺罔者の認識が個々の財物・財産上の利益の移転についてまで及んでいる必要がない

とする。(=無意識の処分行為を認める)。

B 説は

* 財物・財産上の利益の占有が被欺罔者の意思に基づいて相手方に移転したといえれば

詐欺罪の成立を認めてよい。

* 相手方に、移転する客体を認識させないという最も典型的な類型を詐欺罪から除外す

るのは妥当でない。

ことを理由とする。

一方、A 説からは、とりわけ処分行為を無意識で(=無意識の処分行為)かつ不作為のもの

(=不作為による処分行為)で足りるとした場合には、利益窃盗との区別が曖昧になる点が指

摘されている。

[判例]

* 判例(301)

旅館の宿泊客である被告人が自動車で帰る知人を見送ると欺いて逃走して宿泊代金の支

払を免れた事案について、相手方の債務免除の意思が必要であるとして、処分行為の存在

を否定している。

※ ただし、当初より所持金・支払意思のないことを秘して宿泊・飲食した点で、本件について詐欺

罪の成立を認めている。

また、「今晩必ず帰ってくるから」と欺いて逃走した場合には詐欺罪の成立を認めている(判例

(303))。

* 判例(294)

すでに履行期限が過ぎたリンゴ売渡契約の履行を督促された被告人が、すでに発送手続

を完了しているように見せかけたところ債権者が安心して帰宅したという事案について、

「安心して帰宅した」というだけでは処分行為を認めることはできないとした。

※ ただし、必ずしも無意識だから処分行為がない、としているわけではない点に注意。

* 大判明治 43 年 10 月 7 日刑録 16 輯 1647 頁

文書の内容を偽って債務証書に署名させる行為について、文書偽造であって詐欺罪は成

立しないとする。

* 判例(309)

電気計量器の針を逆回転させて料金の支払を免れる行為について、(この場合は利益の移

転につき認識のない場合であるが)詐欺罪の成立を認めている。

※ この問題点については、とりわけ無銭飲食・宿泊の事案やキセル乗車の事案において問題となるが、こ

れらの事例については、【第 8 回】1-6 にて取り扱うこととする。

1-5 財産的損害

詐欺罪が財産罪である以上、その成立のためには何らかの財産上の損害が必要であるとされる。

ただし、そこでいう損害とは財物・財産上の利益の交付(=財物等の喪失)自体であると解さ

れている。(――個別財産に対する罪との理解)

→ 実質的には財産上の損害を不要とする立場と変わりがない。

しかし、詐欺罪が財産罪である以上、何らかの意味での財産上の損害が要求されるべき。

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~「個人の学習目的での利用」以外の使用禁止~

判例(336)は、本来受領する権限を有する工事の請負代金を詐欺的手段によって早期に受領し

た場合について、「欺罔手段を用いなかった場合に得られたであろう請負代金の支払とは社会通念

上別個の支払に当たるといい得る程度の期間支払時期を早めたものであることを要する」とする。

※ ただし、近時一部学説において、財産上の損害を詐欺罪の成立要件とすることによりその成立範囲を限

定しようとすることには法文上の根拠を欠くので妥当ではなく、法益侵害性の有無の判断はむしろ被欺罔

者=処分行為者に「法益関係的錯誤」《山口刑法 p. 86 を参照》が存在するか否かによって判断すべきであ

るとする見解が主張されている。この見解によれば、財産は交換手段あるいは目的達成の手段として保護

されているのであるから、「財産交換」「目的達成」の点において錯誤がある場合には「法益関係的錯誤」

があり、詐欺罪の構成要件としての錯誤が認められるので、それの基づく処分行為による財物・財産上の

利益の移転について法益侵害性が肯定されて詐欺罪が成立することとなり、「財産交換」「目的達成」とは

直接関係しない付随的事情について錯誤があるにすぎない場合には「法益関係的錯誤」が否定されるので

詐欺罪は成立しない、とされる。(以上の見解については、《山口各論 pp. 267-268》のほか、下記の《参考

文献》に掲げた山口教授の各論稿を参照されたい。このような見解によるならば、このレジュメの以下の

各問題についても、それぞれ法益関係的錯誤の存否(さらには、法益関係的錯誤を生じさせるような欺罔

行為の存否)の問題として論じられることになろう。この点について、十分に注意されたい。)

非常に魅力的な見解ではあるが、いわゆる法益関係的錯誤説自体について議論のあるところであり(少

なくとも、法益関係的錯誤説は判例の採用するところではない。判例(4)参照)、また、構造的には同様の犯

罪である恐喝罪については結論に差を生ずることになるとの指摘もなされているので、その当否について

はさらに詳細な検討が必要であると思われる。従って、この講義においては、さしあたり従来の議論の通

り財産上の損害の問題として以下の各問題を取り扱うが、結局のところは、ともすれば成立範囲が拡張し

がちな詐欺罪の成立範囲の限定を、財産上の損害を要求することにより行うのか、錯誤の要件の問題とし

て法益関係的錯誤の存否によって判断するのか、という問題であるように思われる。

1-5-1 相当対価の給付

問題となるのは、「価格相当の商品を提供してもなお詐欺罪が成立するか?」という点につい

て。

[判例]

判例(320)は「たとえ価格相当の商品を提供したとしても、事実を告知するときは相手方

が金員を交付しないような場合」には詐欺罪が成立するとする。

← 財産的損害が詐欺罪の要件でないことから、正当であると理解されてきた。

他方、判例(319)は、ある薬を相当価格で売る場合に、自分が医者であると詐称した事案

について、被害者に財産上の損害がないことを理由に詐欺罪の成立を否定した。

一見すると矛盾するように見えるが、

判例(320)の事案においては、被害者は購入価格以上の価値を獲得しようとしていた(そこ

に財産上の損害があった)のに対して、

判例(319)の事案においては、被害者はまさにその薬を得ようとしていた(医者と詐称した

ことは財産上の損害を基礎づける要因ではない)点で異なる。

即ち、被害者が獲得しようとして失敗したものが、経済的に評価して損害といいうるものか

どうかにより、財産上の損害の有無を決すべき。

(損害の概念をこのように考えるならば、詐欺罪も財産上の損害を要件とすると解すべき。)

← このように考えるならば、国家的法益との関係で問題になるとされる、配給詐欺(判

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2011 年度秋学期「刑法 II(各論)」講義資料

例(322)参照)、国有地の不正取得(判例(321)参照)の場合についても、公定価格が本

来より低く設定されている点や、限られた資源を国家政策により公平または効率的に分

配するという利益も経済的価値を有する点から、詐欺罪の成立を認めうることになろう。

※ 学説において、これらの場合に詐欺罪の成立を否定する見解は、行政的規制に反した点が問題

であるに過ぎず詐欺罪の定型性に欠けることをその理由とする。また、詐欺罪の成立を肯定する

見解も、財物の交付自体が損害であることを理由とするものであった(しかし、この理由による

ならば、18 歳未満の者の購入が禁止されている書籍を 16 歳の者が年齢を偽って購入した場合に

詐欺罪が成立することになり、不当であろう)。

1-5-2 証明書等の詐取

財産的損害の要件との関連で、虚偽の申し立てにより各種証明書の交付を受ける行為が問題

となる。

[判例]

以下の各場合については、詐欺罪の成立を否定する。

* 建物所有証明書(大判大正 3 年 6 月 11 日刑録 20 輯 1171 頁)

* 印鑑証明書(判例(327))

* 旅券(判例(328))

学説は、その理由として、(1) 行政的規制の潜脱であって詐欺罪の定型性を欠く、とする

ものもあるが、むしろ(2) 財物性・財産上の利益が欠如するため、とするものが有力である。

ただし、157 条 2 項(免状等不実記載罪)の存在が考慮されるべき。

← 免状・鑑札・旅券の間接無形偽造には当然に内容虚偽の証明書の受交付という詐欺

罪の類型まで処罰されている(従って別罪を構成しない)との理解。

であれば、他の証明書の詐取についても、刑の均衡の観点から詐欺罪での処罰は許されな

いと解すべき。

しかし、157 条 2 項は、それ自体としては経済的価値の低い事実証明についての公文書の

間接無形偽造を処罰するものであるから、同条項の対象外の公的文書であって社会生活上重

要な経済的価値を有するものである場合(特に一定の給付を内容とする文書)は、詐欺罪の

成立を認めてよい。

[判例]

以下の各場合については、詐欺罪の成立を肯定している。

* 米穀通帳(最判昭和 24 年 11 月 17 日刑集 3 巻 11 号 1808 頁)

* 輸出証明書(大阪高判昭和 42 年 11 月 29 日判時 518 号 83 頁)

* 健康保険証(判例(329)(333))

※ ただし、下級審レヴェルではあるが詐欺罪の成立を否定したものとして、判例(330)(331)

がある。

* 簡易生命保険証書(判例(332))

また、以上のことは私文書についても妥当する。他人名義で銀行預金口座を開設し預金通

帳の交付を受けた事案については、判例(334)を、預金通帳等を第三者に譲渡する意図であ

ったのにそれを秘して自己名義の銀行預金口座を開設し預金通帳等の交付を受けた事案につ

いては、判例(335)をそれぞれ参照のこと。また、最近の判例として、国際線搭乗手続にお

いて他人を搭乗させる意思を秘して自己の航空機搭乗券を交付させた事案について、詐欺罪

の成立を認めているものがある。最決平成 22 年 7 月 29 日刑集 64 巻 5 号 829 頁参照。

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1-5-3 不法原因給付と詐欺罪

民法 708 条「不法な原因のために給付をした者は、その給付したものの返還を請求す

ることができない。ただし、不法な原因が受益者についてのみ存したときは、この限り

でない。」

不法原因給付物については返還請求できないのであるから、これを詐取しても詐欺罪は成立

しないのではないか?

[例]麻薬を売ってやると欺いて代金を詐取した場合、給付者は代金の返還を請求できないか

ら、詐欺罪は成立しないのでは?

[判例]

判例は一貫して詐欺罪の成立を肯定している。

* 通貨偽造の資金と欺いて金銭を詐取した場合(大判明治 43 年 5 月 23 日刑録 16 輯

906 頁)

* ヤミ米を買ってやると欺いて金銭を詐取した場合(判例(339))

* 売春をすると偽って前借金を詐取した場合(最決昭和 33 年 9 月 1 日刑集 12 巻 13 号

2833 頁)

* 詐欺賭博の場合(判例(297))

以上は、「欺罔手段によって相手方の財物に対する支配権を侵害した以上、たとい相手方の財

物交付が不法の原因に基いたものであって民法上其返還又は損害賠償を請求することができな

い場合であっても詐欺罪の成立をさまたげるものではないからである」(統制物資の詐取の事案

についての、最判昭和 25 年 7 月 4 日刑集 4 巻 7 号 1168 頁(#))という点をその理由とする。

[学説]

A. 否定説

民法 708 条本文により返還請求が認められない以上、財産上の損害がないことを理由と

する。

B. 肯定説

B-1. 被害者は欺かれなければ財物を交付しなかったであろうことを理由とする。

B-2. 交付する財物・財産上の利益そのものは、交付するまでは不法性があるものではなく、

むしろ欺罔行為によって被害者の適法な財産状態を侵害するものであることを理由とす

る。

[問]代金を支払うと欺いて売春させたり、報酬を支払うと偽って犯罪行為を行わせたうえに支

払を免れた場合にも、2 項詐欺罪が成立するか?

売春の事案について、判例は肯定説(判例(337)。詐欺罪の処罰根拠は、単に被害者の財産

の保護のみにあるのではなく、かかる違法な手段による行為は社会秩序を乱すことにある、と

する)と否定説(判例(338)。売春行為は公序良俗に反するから、契約は無効であって債務を

負担することはない、とする)に分かれている。

→ 売春行為が公序良俗に反する以上、それ自体法的保護に値する財産上の利益とはいえ

ないので、欺罔により代金の支払を免れることも財産上の損害を生ぜしめるものではな

いと解すべき。

~「個人の学習目的での利用」以外の使用禁止~

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《参考文献》

1-4 について

* 山口厚「詐欺罪における交付行為」『問題探究 刑法各論』pp. 146-160 のうち、pp. 146-153 の部分

* 井田良「処分行為(交付行為)の意義」『刑法の争点』pp. 182-183

* 山口厚「詐欺罪における交付行為」『新判例から見た刑法[第 2 版]』pp. 190-203(検討の素材は判例(314))

1-5 全体について

* 山口厚「詐欺罪における財産的損害」『問題探究 刑法各論』pp. 161-175 のうち、pp. 161-172 の部分

* 酒井安行「詐欺罪における財産的損害」『刑法の争点』pp. 190-191

1-5-1 および 1-5-2 について

* 伊藤渉「不正受給と詐欺」『刑法の争点』pp. 188-189

1-5-2 について

* 山口厚「文書の不正取得と詐欺罪の成否」『新判例から見た刑法[第 2 版]』pp. 190-203(検討の素材は判

例(334)(332))

1-5-3 について

* 豊田兼彦「不法原因給付と詐欺・横領」『刑法の争点』pp. 192-193

※ 最判昭和 25 年 7 月 4 日刑集 4 巻 7 号 1168 頁(項目 1-5-3 の(#)

印)は、『判例刑法各論[第 5 版]』には未登

載であるが、『刑法判例百選 II 各論[第 6 版]』に No. 44 の判例として登載されているので、必要があればこ

ちらを利用していただきたい。

《『刑法各論の思考方法[第 3 版]』参照箇所》

(1-3 および)1-4 について: 第 13 講

1-5-1 および 1-5-2 について: 第 14 講のうち、特に pp. 225-237 の部分

1-5-3 について: 第 6 講のうち、特に pp. 118-121 の部分

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