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「都市・地域計画学」 第2回 都市計画の歴史と 都市計画の思想 (補足資料)

第2回 都市計画の歴史と 都市計画の思想 (補足資料)...「都市・地域計画学」 第2回 都市計画の歴史と 都市計画の思想 (補足資料)

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Page 1: 第2回 都市計画の歴史と 都市計画の思想 (補足資料)...「都市・地域計画学」 第2回 都市計画の歴史と 都市計画の思想 (補足資料)

「都市・地域計画学」

第2回

都市計画の歴史と

都市計画の思想

(補足資料)

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2-1.古代都市:ローマ

コッロセウム バチカン・サンピエトロ寺院

フォルム・ロマヌム(Forum Romanum)古代ローマ復元模型(4世紀頃)

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2.5.2

イギリスの都市計画:Greater London PlanとGarden City

Google Map

グリーンベルト

環状高速道路(M25)

レッチワース ウェルウィン

アーバークロンビーの大ロンドン計画(1944年)

・グリーンベルトによる市街化抑制・ニュータウン計画

ハワードの田園都市(Graden

City)構想

産業革命が進行したイギリスでは都市に人口が集中し、都市環境の悪化が深刻化していた。エベネザー・ハワードは「明日の田園都市(Garden City of Tomorrow)」を著し、人口3万人程度の限定された規模の、自然と共生し、自律した職住近接型の緑豊かな都市を建設する田園都市構想を提唱した。ロンドン北郊のレッチワース(1903年建設開始)とウェルウィン(1919年建設開始)は 初に実現した田園都市として知られている。

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2-3.フランスの都市計画:パリ

凱旋門周辺

ビスタ(見通し景) ラ・デファンス地区

オスマンのパリ大改造計画

オスマン(1853年~1870年・セーヌ県知事)はナポレオン3世の構想に沿って、パリの大規模な都市改造を行った。当時の非衛生的なパリに光と風を入れるため、幅員の広い大通りを建設するとともに、道路網の整備を行った。また、沿道建築と一体となった広幅員の街路、街路の結節点に記念碑や主要建造物を配置するビスタ景観の形成、公園系統などにより、美しい街並みを形成した。

ラ・デファンスの都市再開発

第2次世界大戦後の経済成長に伴うオフィス需要の増大を受けて、1958年からラ・デファンス地区の再開発が計画された。この地区は、ルーブル宮殿、コンコルド広場、凱旋門を通り郊外に向かう歴史軸の延長線上に位置する。

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2ー4.フランスの都市計画:リヨン

旧市街地歴史的地区の保全

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2-5.ドイツの都市計画:歩行者優先の都心空間

歩行者優先の都心空間

エッセン ボン

ミュンヘンハンブルグ

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2ー6.ドイツの都市計画:路面電車の地下化と歩行者モール

路面電車の地下駅(エッセン都心部,1985年)

地上の歩行者モール(エッセン都心部,1985年)

ドイツのエッセン市では,都心部で路面電車を地下化し,地上には広大な歩行者モールを整備して,公共交通の利便性を高めるとともに,公共交通と歩行者を優先した都市空間を実現している。

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2-7.歩行者と公共交通の優先:トランジットモール

アムステルダム都心部(1998年)

チューリヒ都心部(1985年)

トランジットモール

都心部において,自動車の通行を禁止し閉め出し,歩行者と公共交通の専用街路としたもの。バスと歩行者の専用街路の場合は,バスモールと呼ぶ。

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2ー8.スウェーデンの都市計画:トラフィック・ゾーン

ゾーン境界(1995年)

LRT(1995年)

歩行者モール

(1995年)

スウェーデン・ヨーテボリ市都心部の交通ゾーン(出所:天野光三「これからの都市交通」,都市創造No.13,1981年)

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2-9.日本の城下町:岡山城下町の歴史

岡山城と城下町の形成経緯

元亀元年(1570) 宇喜多直家が金光宗高を滅ぼし、岡山城接収。

天正元年(1573) 宇喜多直家が岡山城に居城を移し、城下町の

経営に着手。

天正19年(1591) 宇喜多秀家が豊臣秀吉の指示により、岡山城

本丸を石山から岡山へ移転し、城の大改修と

城下町建設に着手。

慶長2年(1597) 岡山城天守閣が竣工。城下町の形がほぼ整う。

慶長5年(1600) 関が原合戦で宇喜多秀家は敗れて除封となり、

替わって岡山に小早川秀秋が封ぜられる。

慶長6年(1601) 小早川秀秋が岡山城に入り、城の改築に着手。

二十日掘と呼ばれる外堀を新たに築く。

慶長8年(1603) 池田輝政の五男忠継が備前国を与えられる。

元和元年(1615) 池田忠雄が、本丸改築や大手門改築等を行い、

岡山城の形が完成する。

寛永9年(1632)

鳥取城主の池田光政が岡山へ転封。

元禄13年(1700) 御後園完成。

明治2年(1869) 版籍奉還。池田章政を岡山藩知事に任命。

明治4年(1871) 御後園の名称を「後楽園」と改め、一般に公開。

明治8年(1875) 外堀の埋め立てに着手。中堀、内堀も埋め立て。

明治15年(1882) 天守・月見櫓、西手櫓、石山門を除き、破却。

明治24年(1891) 山陽鉄道が岡山まで延伸、岡山駅が開業。

大正11年(1922) 後楽園が国の名勝に指定。

昭和6年(1931) 岡山城天守閣が国宝(旧国宝)に指定。

昭和8年(1933) 月見櫓、石山門、西手櫓を国宝(旧国宝)に指定。

昭和20年(1945) 米軍の空襲により、天守閣、石山門、後楽園

の主要亭舎を焼失。岡山市中心部も消失。岡山城下町と現在の市街地(岡山シティミュージアム制作)

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2ー10.日本の都市計画:明治維新~第2次世界大戦直後

1872年~1877年

銀座煉瓦街の建設

1872年の大火による東京の銀座一帯消失後、政府による欧化政策の一環として、イギリス人技師ウォトールスが設計した。煉瓦建築物、広幅員街路等が整備された。

1888年(明治21年)

東京市区改正条例

日本の首都である帝都(東京府)を改造し、近代的な中央集権国家としての体裁を整え、内外に誇示し、不平等条約の改正を進めることを目的とした。帝都改造を国家事業と位置づけ、国の機関として市区改正委員会を設置し、設計や事業に当たった。

1919年(大正8年)

都市計画法(旧法)の制定

1919年に市街地建築物法(現在の建築基準法の前身)と都市計画法(旧法)が定められ、翌年施行された。都市計画事業は内務省所管となり、内務大臣が都市計画を決定する際に、審議を行う機関として、内務省に都市計画審議会の設置を規定した。

1923年(大正12年)~

関東大震災と帝都復興計画

1923年の関東大震災は、東京をはじめ関東地方において10万人以上の死者と46.5万戸の住宅消失という未曾有の被害をもたらした。政府は帝都復興院を組織し、帝都復興事業として約3千haを超える土地区画整理事業をはじめ、約7年をかけて東京都心の大改造を行った。

1945年(昭和20年)~

戦災復興都市計画

第2次世界大戦中に空襲で破壊された都市の復興のため、「戦災復興院」が設置され、戦災復興土地区画整理事業による都市計画が実施された。戦災復興院は「戦災復興計画基本方針」を策定し、閣議決定を行った。全国の戦災115都市が大正となり、当初は合計で約600平方㌔が区画整理の対象に予定された。(後の280平方㌔に縮小された。)

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2-10.(補足)1945年~

戦災復興土地区画整理事業(岡山市)

北長瀬駅(2005年10月)

岡山ドーム(2003年4月)

岡山市役所

山陽新幹線

山陽本線

林原跡地・5万㎡(イオンモール岡山)

イトーヨーカドー

西部第1~第4土地区画整理事業(市施行・285ha)

今地区土地区画整理事業(組合施行・223.5ha)

天満屋岡山店

岡山大学医療系キャンパス

岡山操車場跡地(約21ha)

吉備線 岡山市都心部震災復興土地区画整理事業