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第2章 裁判官の倫理と規律 はじめに 裁判官の地位は憲法上高いものと位置づけられ、手厚く身分保障がされて いるが、反面、その規律保持には一定の厳しさが求められる。裁判官には、 プロフェッションとしての法曹共通の倫理のほか、裁判官固有の倫理も要請 されているのである。 この章では、プロフェッションとしての裁判官とは何か、裁判官倫理とは 何か、裁判官の服務、身分保障、懲戒制度、弾劾制度などの問題について、 考えてみることにしよう。 プロフェッションとしての裁判官 設 問 プロフェッションとは何か、リーガル・プロフェッションとは何か、 裁判官もプロフェッションといえるのかなどについて議論してみよう。 1 プロフェッションとは プロフェッションとは、石村善助教授の定義に従うと、「学識(科学また は高度の知識)に裏づけられ、それ自身一定の基礎理論をもった特殊な技能 を、特殊な教育または訓練によって習得し、それに基づいて、不特定多数の 市民の中から任意に呈示された個々の依頼者の具体的要求に応じて、具体的 奉仕活動をおこない、よって社会全体の利益のために尽くす職業」(石村善 助『現代のプロフェッション』25頁(至誠堂、1969))である。その定義か らもうかがうことができるが、プロフェッションには、「①高度の学識と専 門的技能、②高い職業倫理、③職能団体による後継者養成と規律維持」とい

第2章 裁判官の倫理と規律...第2章 裁判官の倫理と規律 Ⅰ はじめに 裁判官の地位は憲法上高いものと位置づけられ、手厚く身分保障がされて

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Page 1: 第2章 裁判官の倫理と規律...第2章 裁判官の倫理と規律 Ⅰ はじめに 裁判官の地位は憲法上高いものと位置づけられ、手厚く身分保障がされて

第2章 裁判官の倫理と規律

◆Ⅰ はじめに

裁判官の地位は憲法上高いものと位置づけられ、手厚く身分保障がされて

いるが、反面、その規律保持には一定の厳しさが求められる。裁判官には、

プロフェッションとしての法曹共通の倫理のほか、裁判官固有の倫理も要請

されているのである。

この章では、プロフェッションとしての裁判官とは何か、裁判官倫理とは

何か、裁判官の服務、身分保障、懲戒制度、弾劾制度などの問題について、

考えてみることにしよう。

◆Ⅱ プロフェッションとしての裁判官

 設 問 

プロフェッションとは何か、リーガル・プロフェッションとは何か、

裁判官もプロフェッションといえるのかなどについて議論してみよう。

1 プロフェッションとは

プロフェッションとは、石村善助教授の定義に従うと、「学識(科学また

は高度の知識)に裏づけられ、それ自身一定の基礎理論をもった特殊な技能

を、特殊な教育または訓練によって習得し、それに基づいて、不特定多数の

市民の中から任意に呈示された個々の依頼者の具体的要求に応じて、具体的

奉仕活動をおこない、よって社会全体の利益のために尽くす職業」(石村善

助『現代のプロフェッション』25頁(至誠堂、1969))である。その定義か

らもうかがうことができるが、プロフェッションには、「①高度の学識と専

門的技能、②高い職業倫理、③職能団体による後継者養成と規律維持」とい

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う要素を内在している(加藤新太郎「職業としての法律家」早稲田法学71巻

4号152頁(1996))。とりわけ、プロフェッションがプロフェッションとし

て社会的に認知・承認されるためには職能団体は不可欠のものであり、プロ

フェッションは、いずれも職能団体を形成し、団体として活動する。そし

て、職能団体は、プロフェッションとしての高度の学識と専門的技能の養

成、訓練、向上のために基本的な責任を負い(後継者養成)、構成員である

個々のプロフェッションの行為規範を定め、その非行に対して懲戒を行う自

己規律の面でも責任を持って活動する(規律維持)。要するに、職能団体が

提供すべき役務(サービス)の質の確保と倫理の確立維持を保障する機能を

持っているわけである。

そのような定義に当てはまる職業には、どのようなものがあるか。

心の問題を扱う聖職者(僧侶、神官)、体の問題を扱う医師、人と人、人

と社会との関係の問題を扱う法律家こそが、伝統的なプロフェッションの典

型である。いずれも、人々が人生の危機に直面したときに接するという仕事

である。加えて、極めてプライベートな事柄を扱うが、パブリックな面に繋

がるという要素も内在させた職業である。こうしたプロフェッションは、そ

の属性として、高い職業倫理を持たなければならないとされるのである。

2 リーガル・プロフェッションとは

プロフェッションの中でも、リーガル・プロフェッションは、「たんに法

的な情報・知識をもっているだけでなく、法システムやその核心をなす司法

制度の社会的役割をふまえ、法による正義の実現のために、その知慧を活か

そうとする価値観・使命感をもち、状況感覚と的確な判断力でもって専門的

技能を活用」(田中成明「司法の機能拡大と裁判官の役割」司研論集[2002

-Ⅰ]104頁)すべき職能である。

この中でキーワードとなるのが、「法システム・司法制度の社会的役割に

ついての見識を備え、正義の実現・法の支配を確立すべく価値観・使命感を

もつこと」すなわち、司法制度への忠実義務である。リーガル・プロフェッ

ションは、司法制度=実定法システムへの忠実義務を共通に負い、司法制度

の円滑な作動に協力することにより、法の支配を実現し、司法の独立を擁護

することを共通の職責としているのである。

このことを日本法律家協会の法曹倫理研究委員会(団藤重光委員長)によ

る「法曹倫理に関する報告書」(法の支配32号50頁(1977))は、法曹共通の

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第2章 裁判官の倫理と規律

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第4章 社会の求める裁判官像

◆Ⅰ 社会の裁判官に対する期待の内容

 設 問 

1.裁判官に対してどのような期待を持っているかなど、各自が考える

「社会の求める裁判官像」について、議論してみよう。

2.裁判官に対して、どのようなイメージを持っているか、そのイメー

ジは、国によって違うかについて、考えてみよう。

3.裁判官としては、専門的な知識を必要とする裁判(知的財産権訴

訟、医事関係訴訟、建築関係訴訟等)に対して、どのような準備や対

応をすべきか、考えてみよう。

4.裁判官にふさわしい人柄、人間性とはどのようなものか、考えてみ

よう。

5.裁判官の市民的自由、個人的自由は、裁判官であることにより、ど

の程度制約されても仕方がないと考えるか。具体的な事例をあげて議

論してみよう。

1 総説

わが国においては、国の規制の撤廃又は緩和が一層進展し、行政による事

前規制・調整型の社会から、司法による事後監視・救済型の社会に転換する

ことが想定されている。このことは、小さな司法から大きな司法への移行を

意味し、司法の役割は、ますます増大し、また、司法の中核を担う裁判官の

役割もますます重要になると考えられる。とりわけ、21世紀になって、社会

が複雑高度化・多様化し、また、交通手段の飛躍的な発達や情報通信技術の

革新等に伴って加速度的にグローバル化が進展する時代にあっては、多様で

豊かな経験、知識等を備えたより質の高い裁判官が求められている。このよ

うな裁判官を安定的・継続的に確保し、裁判官に独立して職権を行使させる

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Page 4: 第2章 裁判官の倫理と規律...第2章 裁判官の倫理と規律 Ⅰ はじめに 裁判官の地位は憲法上高いものと位置づけられ、手厚く身分保障がされて

ための制度的な仕組みを整備することが大きな課題となる。

裁判官の任用制度を世界的にみると、ドイツやフランスなどにみられる

キャリア・システム(職業的裁判官制度)とイギリスやアメリカなどにみら

れる法曹一元制度がある。

わが国では、明治の中ごろに、ドイツの裁判官制度を模範として、近代的

な司法制度が整備され、裁判官の任用制度についても、キャリア・システム

が採用された。その後、第二次世界大戦後には、アメリカの影響を強く受け

て、憲法をはじめ多くの法律が抜本的に改正され、また、司法試験合格者の

統一修習など、司法制度も改革されたが、キャリア・システムは、今日まで

維持されている。

裁判官制度については、従来は、キャリア・システムがよいのか、法曹一

元制度がよいのかという、いわば0か100かの議論に終始してきたきらいが

ある。しかし、今後は、これにとらわれず、司法制度の利用者であり、ま

た、主権者である国民から見て、裁判官として望ましい資質・能力や経験は

何なのか、また、このような裁判官が、日本国憲法が保障するように、法律

と良心のみに従って独立して職権を行使できるためにはどのような仕組みが

よいのかなどについて議論していくことが求められる。それこそが建設的な

態度というものであろう。そのためには、世界各国の実情をよく検討して比

較法的知見を得るとともに、明治以来のわが国の法曹の歴史を知ることも大

切である(→第1章Ⅰ4(3)(4)、6(1)~(4)。椎橋邦雄「これからの裁

判官に求められる役割と技能」小島武司ほか『ブリッジブック裁判法』116

頁(信山社、2002))。

2 国民が求める裁判官像

国民が求める裁判官像は、さまざまである。

司法制度改革審議会中間報告(以下「審議会中間報告」という。)では、

「人間味あふれる、思いやりのある、心の温かい裁判官」、「法廷で上から人

を見下ろすのではなく、訴訟の当事者の話に熱心に耳を傾け、その心情を一

生懸命理解しようと努力するような裁判官」、「何が事案の真相であるかを見

抜く洞察力や、事実を的確に認識し、把握し、分析する力を持った裁判官」、

「人の意見をよく聴き、広い視野と人権感覚を持って当事者の言い分をよく

理解し、なおかつ、予断を持たずに公正な立場で間違いのない判断をしよう

と努力するような裁判官」などの意見が出された。そのような意見が総合さ

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第4章 社会の求める裁判官像

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第6章 民事訴訟における裁判官の役割

◆Ⅰ 訴訟運営と当事者主義

 設 問 

1.民事訴訟と裁判官についてそれぞれあるべき役割について考えてみ

よう。

2.民事訴訟の目的についてどのように考えるべきかを討論してみよ

う。

3.各自の考える民事訴訟の目的との関係で、裁判官が果たすべき役割

について考えてみよう。

4.民事訴訟において、裁判官が主体的に活動できる場面はどのような

ものかについて考えてみよう。

1 民事訴訟の目的と裁判官の役割

(1) はじめに

① 裁判官が果たすべき役割とは

民事訴訟において裁判官が果たすべき役割とは何か。

民事訴訟を担当する裁判官は、この問題に日々直面している。この問

題を考えることは、裁判官として、その職責を果たす前提となるであろ

う。

結論からいえば、適正かつ迅速な裁判の実現に向けて、当事者に主張

を尽くさせて争点を的確に把握し、その上で適切な証拠を取り調べて、

筋が通って落ち着きのよい結論の判決を明快な文章で書く、あるいは、

当事者を情理を尽くして説得し、当事者双方が納得する和解を成立させ

る。これが民事訴訟を担当する裁判官の役割であろう。

② 適正な裁判の実現

民事訴訟における裁判官の役割を考える際に、そのすべてを貫いてい

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る要請は、裁判官は、勝つべき者が勝ち、負けるべき者が負ける裁判を

しなければならないということであろう。勝訴者と敗訴者の双方が納得

する正しい裁判をすることが裁判官の目標であり、同時に最低限の要請

である。アリストテレスがいうように、国家という共同体が正義と結び

つく性格を持つとすれば、それは正不正の判断が裁判においてなされる

からである(アリストテレス[牛田徳子訳]『政治学』11頁(京都大学

学術出版会、2001))。当事者間の私益の争いに過ぎない民事訴訟であっ

ても、正不正、理非曲直の判断に誤りがあってはならない。

裁判はただ結論が出されればよいというものではなく、裁判制度に期

待されているのは、その結論が正しいことである。しかし、正しい裁判

とは、何かという問いに対して答えることは難しい。

事実認定について正しい裁判とは、それが客観的真実と一致している

ことであると答えることができよう。しかし、事実認定は、当事者主

義・弁論主義に基づく民事訴訟手続の制約の中で、限られた証拠資料、

しかも誤りの多い人間の記憶や判断力に基づく証拠資料を取捨選択する

範囲内でなされるものであり、そもそも構造的に常に客観的な真実と一

致した事実認定が可能である保障はない。もともと過去に生じた事実を

確認することは、それが実験によって再現することはできないから、タ

イムマシンでも発明されない限り、科学的な実証が不可能である。した

がって、事実認定そのものは、実験による検証ができない事実について

は、厳密な意味での科学的客観的判断の対象とはなり得ないといえよ

う。それでも正しい事実認定というものがあるとすれば、それは民事訴

訟手続の対論的性格を前提として、公平性を介して正当化されるもので

あろう。

法律の解釈適用の面を考えてみよう。ある法律の規定を解釈適用する

場合に、現在の判例理論に従ったとしても、その判例自体が近い将来に

変更されることは当然ありうる。判例も、その後の社会的な変化によっ

て妥当性を失ったり、理論的解明が進んだために、変更すべき場合が生

じることは、内在的に予定されているところである。その意味では、裁

判官は、法律解釈においてさえ、最高裁判所の先例に従っておきさえす

ればよいということはできない。また、学説で通説といわれるものも、

その時代に応じて変わっていく。したがって、判例や通説に従ったから

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第6章 民事訴訟における裁判官の役割