4
1317 第72回日本感染症学会総会学術講演会座長推薦論文 Giardia lamblia,Isospora belliを 検出した輸入パ ラチフ 横浜 市 立 市 民病 院 感 染症 部1),横 浜 市 立大 学 医学 部 臨 床 検査 部2),大 阪 市立 大 学 医学 部 医 動物 学3) 坂本 光 男1)足 拓 也1)相 裕 子1) 田 か お る2)伊 章2)井 基 弘3) (平成10年7月31日 受 付) (平成10年8月31日 受 理) Key words: Isospora belli, paratyphoid fever, imported infection Isospora belliは 胞 子 虫 綱 の コ ク シ ジ ュ ウ ム 類 に 属 す る原 虫 で あ り,ヒ ト小腸粘膜上皮細胞内に 寄 生 して 下 痢 を お こす1).本 邦 に も存 在 す る が き わ め て ま れ で あ り,主 に熱 帯 地 方 に分 布 す る1).海 外 渡 航 者 数 の 増 加 に伴 い,海 外 で感 染 し本 邦 に持 ち込 む輸入感 染症 としてみ られ る可能性 もあ る. しか し これ まで に 未 発 表 の1例2)を 除 い て輸 入 感 染症 としての報告例 はみられていない.今 回我 々 はGiardia lamblia,I.belliを 検 出 した 輸 入 パ ラ チ フ ス の症 例 を経 験 した の で報 告 す る. 症 例:23歳,女 性,日 本人. 主 訴:発 熱,下 痢. 現 病 歴:1997年8月28日 よ り9月6日 まで の10 日間1人 で ネパ ー ル を旅 行 した.滞 在 中,川 のわ き水 を飲 んだ とい うエ ピ ソー ドが ある.帰 国後1 週 間 ほ ど は無 症 状 で あ っ た.9月14日 よ り1日1 ~2回 の軟便が出現したが,放 置 していた.9月 27日 よ り連 日39℃ 以上 の高熱が持続 し,近 医か ら の紹 介 で10月1日 横浜市立市民病院感染症部(以 下 当 院)に 入 院 となった. 既 往 歴:特 記すべ きことなし. 入院時身体所見:体 温39.9℃,脈 拍112回/分, 整,血 圧118/60mmHg.意 識 清 明.結 膜 に黄染, 貧 血 は認 め られ ず.口 腔粘膜の発赤 はなし.表 在 リンパ 節 は触 知 せ ず.胸 部 で は心 音,呼 吸音に異 常 な し.腹 部では腸雑音 は軽度亢進 しているが, 圧 痛,反 動 痛 は認 め られ な い.四 肢 に浮 腫 は認 め られ な い.神 経系は特に異常所見 を認めない. 入 院 時 検 査 所 見(Table 1):末 梢血液では白血 球 が2,800/μlと 減 少 を認 め,幼 若 顆 粒 球 の 出 現 を 認 め た.貧 血 は認 め られ な か っ た が,血 小板 は12 万/μlと 減 少 して い た.ま た塗沫標本上マラリア 原 虫 は認 め られ な か っ た.凝 固 系 で はFDPの 昇 は認 め られ た が,プ ロ トンビン時間比,フ ィブ リ ノー ゲ ン は正 常 で あ り,出 血 傾 向 も な く,dis- seminated intravascular coagula 診 断 基 準 に は 合 致 し な か った.生 化 学 で は γ- GTP,ALP,GOT,GPT,LDHの 上 昇 を認 め た. 腎機能,電 解 質 に は大 きな 異 常 所 見 は認 め られ な か った.CRPは19.1mg/dlと 高 値 を 示 して い た. 尿検査では特に異常所見は認めなかった.細 菌学 的 検 査 で は血 液 お よ び 糞 便 培 養 に てSalmonella Parathyphi Aが 検 出 され た.ま た糞便検査にて G.lambliaシ ス トが 検 出 さ れ た. 入 院 後 経 過(Fig.1):ネ パールより帰国後高熱 お よび 下痢 を呈 して い る こ と よ りマ ラ リア,チ ス性 疾 患,デ ン グ熱 な ど を疑 い,検 索 をす す め た. 診 断確 定 まで の 問 は抗 菌 薬,解 熱 剤 な どを使 用 し な か った.末 梢 血 塗 沫 標 本 で は マ ラ リア原 虫 は認 め られ ず,マ ラ リア は否 定 さ れ た.入 院3日 目に 入 院 時 の糞 便 培 養 お よ び血 液 培 養 か らS.Paraty- phi Aが 検 出 さ れ た.以 上 の結 果 よ りパ ラチ フス 別 刷 請 求 先:(〒240-8555)横 浜市 保 土 ヶ谷 区 岡沢 町56 横浜市立市民病院感染症部 坂本 光男 平成10年12月20日

第72回日本感染症学会総会学術講演会座長推薦論文 …journal.kansensho.or.jp/kansensho/backnumber/fulltext/72/...はGiardia lamblia,I.belliを 検出した輸入パラ

  • Upload
    others

  • View
    2

  • Download
    0

Embed Size (px)

Citation preview

Page 1: 第72回日本感染症学会総会学術講演会座長推薦論文 …journal.kansensho.or.jp/kansensho/backnumber/fulltext/72/...はGiardia lamblia,I.belliを 検出した輸入パラ

1317

第72回日本感染症学会総会学術講演会座長推薦論文

Giardia lamblia,Isospora belliを 検 出 した 輸 入 パ ラ チ フ ス の1例

横浜市立市民病院感染症部1),横 浜市立大学医学部臨床検査部2),大 阪市立大学医学部医動物学3)

坂 本 光 男1)足 立 拓 也1)相 楽 裕 子1)

川 田 か お る2)伊 藤 章2)井 関 基 弘3)

(平成10年7月31日 受付)

(平成10年8月31日 受理)

Key words: Isospora belli, paratyphoid fever,

imported infection

序 文

Isospora belliは胞子虫綱の コクシジュウム類

に属する原虫であり,ヒ ト小腸粘膜上皮細胞内に

寄生 して下痢 をおこす1).本 邦 にも存在するが き

わめてまれであ り,主 に熱帯地方に分布する1).海

外渡航者数の増加に伴い,海 外で感染し本邦に持

ち込む輸入感染症 としてみ られる可能性 もある.

しか しこれ までに未発表の1例2)を 除いて輸入感

染症 としての報告例 はみられていない.今 回我々

はGiardia lamblia,I.belliを 検出した輸入パ ラ

チフスの症例を経験 したので報告する.

症例:23歳,女 性,日 本人.

主訴:発 熱,下 痢.

現病歴:1997年8月28日 より9月6日 までの10

日間1人 でネパールを旅行 した.滞 在中,川 のわ

き水 を飲 んだというエピソー ドがある.帰 国後1

週間ほどは無症状であった.9月14日 より1日1

~2回 の軟便が出現したが,放 置 していた.9月

27日 より連 日39℃以上の高熱が持続 し,近 医か ら

の紹介で10月1日 横浜市立市民病院感染症部(以

下当院)に 入院 となった.

既往歴:特 記すべ きことなし.

入院時身体所見:体 温39.9℃,脈 拍112回/分,

整,血 圧118/60mmHg.意 識清明.結 膜 に黄染,

貧血は認められず.口 腔粘膜の発赤 はなし.表 在

リンパ節 は触知せず.胸 部では心音,呼 吸音に異

常なし.腹 部では腸雑音 は軽度亢進 しているが,

圧痛,反 動痛は認められない.四 肢 に浮腫は認め

られない.神 経系は特に異常所見 を認めない.

入院時検査所見(Table 1):末 梢血液では白血

球が2,800/μlと 減少を認め,幼 若顆粒球の出現を

認めた.貧 血は認められなかったが,血 小板 は12

万/μlと減少 していた.ま た塗沫標本上マラリア

原虫は認め られなかった.凝 固系ではFDPの 上

昇 は認められたが,プ ロ トンビン時間比,フ ィブ

リノーゲンは正常であ り,出 血傾 向もな く,dis-

seminated intravascular coagulation(DIC)の

診 断基準 には合致 しなかった.生 化 学 で は γ-

GTP,ALP,GOT,GPT,LDHの 上昇を認めた.

腎機能,電 解質には大 きな異常所見は認め られな

かった.CRPは19.1mg/dlと 高値を示していた.

尿検査では特に異常所見は認めなかった.細 菌学

的検査では血液および糞便培養にてSalmonella

Parathyphi Aが 検出された.ま た糞便検査にて

G.lambliaシ ス トが検出された.

入院後経過(Fig.1):ネ パールより帰国後高熱

および下痢 を呈 していることよりマラリア,チ フ

ス性疾患,デ ング熱などを疑い,検 索 をすすめた.

診断確定までの問は抗菌薬,解 熱剤などを使用し

なかった.末 梢血塗沫標本ではマラリア原虫 は認

められず,マ ラリアは否定された.入 院3日 目に

入院時の糞便培養および血液培養か らS.Paraty-

phi Aが 検出された.以 上の結果よりパラチフス

別刷請求先:(〒240-8555)横 浜市保土ヶ谷 区岡沢町56

横浜市立市民病院感染症部 坂本 光男

平成10年12月20日

Page 2: 第72回日本感染症学会総会学術講演会座長推薦論文 …journal.kansensho.or.jp/kansensho/backnumber/fulltext/72/...はGiardia lamblia,I.belliを 検出した輸入パラ

1318  坂本 光男 他

Table 1 Laboratory findings on admission

Fig. 1 Clinical course

と診断 した.入 院時に末梢血液に認 められた幼若

顆粒球はパ ラチフス感染に伴 う類 白血病反応 と考

えられた.直 ちにciprofloxacin 600mg/日 の投与

を開始 した.投 与開始4日 目以降36℃ 台に解熱 し

た.CPFX投 与中GOT 246IU/l,GPT 259IU/l

と上昇を認めたが,そ のまま投与 を続 けた ところ

自然の経過で低下 したため,パ ラチフスに伴 う一

過性の肝障害 と考えた.腸 出血などの合併症は認

められなかった.経 過良好のためCPFXは14日 間

で中止 した.そ の後発熱の再燃 はみられず,血 液,

尿,糞 便,胆 汁のいずれからもS.Paratyphi Aは

検出されず,治 癒 と判断した.

下 痢 に関 し て は整 腸 剤 の 投 与 の み で 改 善 し た

が,糞 便 検 査 に てG.lambliaシ ス ト(Fig.2)が

検 出 さ れ た た め,CPFX投 与 終 了 後metronid-

azole 750mg/日 を7日 間投 与 した.そ の後 の 糞 便

検 査 で はG.lambliaは 消 失 し た.さ らに 糞 便 検 査

を続 けた と ころI.belliオ ー シ ス ト(Fig.3)が 検

出 さ れ た.パ ラ チ フス は す で に治 癒 して お り,下

痢 も改善 し て い るた め10月30日 退 院 と した.そ の

後 は 患者 の 希 望 に よ り横 浜 市 立 大 学 医 学 部 附 属 病

院 に て 治療 を行 っ た.ST合 剤1,920mg/日 の10日

間 投 与 に よ りI.belliは 消 失 し た.

感染症学雑誌  第72巻  第12号

Page 3: 第72回日本感染症学会総会学術講演会座長推薦論文 …journal.kansensho.or.jp/kansensho/backnumber/fulltext/72/...はGiardia lamblia,I.belliを 検出した輸入パラ

イ ソス ポー ラ を検 出 した輸 入 パ ラ チ フス  1319

Fig. 2 Giardia lamblia cyst detected from feces

Fig. 3 Isospora belli oocyst detected from feces

考 察

イソスポーラ症はI.belliに よる腸管感染症で

ある.病 原性は比較的弱 く,健 常人が感染した場

合には症状は一過性で自然に寛解することが多い

が,免 疫機能低下者が感染すると慢性的な下痢が

数ヵ月から数年 におよぶ こともある3).熱 帯地方

に多 く分布するが本邦や欧米など先進国にも存在

する.成 熟オーシス トを経 口的に摂取することに

よ り感染す る.男 性同性愛者の問では性行為で感

染する場合 もある1).欧 米ではAIDSに おける下

痢の原因微生物 として注 目されている4)5).本邦で

は まれ な感 染症 で あ り,こ れ まで にAIDS6)や

ATL7)~9)における日和見感染症 として10数 例が報

告されているにすぎない.熱 帯地域に多 く分布す

ることより,輸 入感染症 として本邦にもちこまれ

る可能性 は高い.し かしこれまでの ところ旅行者

下痢症あるいは輸入感染症 として報告された症例

は我々が検索 した範囲内では未発表の1例2)を 除

いてはみられなかった.

今回の症例 は23歳 の日本人女性であるが,夏 休

みを利用 して10日 間のネパール旅行をしている.

ネパール旅行 は3回 目であ り,過 去2回 は特に問

題な く過 ごしていたため,慣 れ と油断から水道水

や川のわき水 を飲んでいた.飲 料水 は消化器系感

染症 の重要な感染源である.特 に東南 アジアや南

アジアは上水道に比較 して下水道の整備が遅れて

いるため細菌などの混入があり,殺 菌 も不充分で

ありほとんどの地域で外国人が水道水 をそのまま

飲むことはできない10).本 症例の一連の感染症 は

すべて経 口感染による消化器系感染症であり,ネ

パール滞在中に飲料水か ら感染 したものと推定 さ

れる.帰 国1週 間後より下痢 を認 めていたが,症

状が軽度のため放置していた.こ の時期に医療機

関を受診 し,適 切な糞便検査 を受けていればより

早期 に検出された可能性がある.ジ アルジア症や

イソスポーラ症 は健常人では症状が軽 く医療機関

を受診しない可能性 もあり,無 症候性キャリアー

として見過 ごされている場合 もあると考 えられ

る.本 症例でもパラチフスを発症 していなければ

見過 ごされてしまった可能性が高い.

輸入感染症では複数病原体が検出されることも

まれではない.当 院における過去5年 間のデータ

によると235例 の旅行者下痢症 と26例 のチ フス性

疾 患 を認 め て い るが,本 症 例 も含 め て28例

(10.7%)か ら複数の病原体が検出されている.合

併する感染症の種類 によってはそれぞれ潜伏期が

異なることもあり,同 一症例が時期を異にして別

の感染症 を発症する可能性 もある.よ って輸入感

染症では1種 類の病原体が検出されても,検 体,

検査方法などを変 えてその他の病原体の検索も行

う必要がある.

イソスポーラ症 は本邦ではまれな感染症である

ため,経 験のある臨床検査技師が少な く,糞 便中

にオーシス トが存在するにもかかわらず,見 過ご

されている可能性 もある1).AIDSやATLな どの

免疫機能低下者に激 しい水様性下痢 を認めた場合

はもちろんであるが,熱 帯地方か らの帰国者では

輸入感染症 として認められることもあるので,た

平成10年12月20日

Page 4: 第72回日本感染症学会総会学術講演会座長推薦論文 …journal.kansensho.or.jp/kansensho/backnumber/fulltext/72/...はGiardia lamblia,I.belliを 検出した輸入パラ

1320  坂本 光男 他

と え下 痢 が み られ な くて もイ ソ ス ポ ー ラ を は じめ

とす る まれ な 原 虫 症 も考 慮 にい れ て検 査 をす す め

る必 要 が あ る.

本論文の要 旨は第72回 日本感染症学会総会(1998年,大

阪)に おいて発表 した.

文 献

1) 井関基弘: AIDSの 日和見感染症-イ ソスポーラ

- . 臨床 と微生物1989; 16: 333-338.

2) 井関基弘: わが国におけるイソスポーラ症. 病原

微生物検 出情報1995; 16: 77-78.

3) 阪本 聖, 三宅明美, 宮重真美, 他: イソスポー

ラ ・ベ リー長期感 染の1症 例. 衛生検査1988;

37: 70-74.

4) Dehovitz JA, Pape JW, Boncy M, Johonson

MD: Clinical manifestations and therapy ofIsospora belli infection in AIDS. N Engl J Med1986; 315: 87-90.

5) Pape JW, Verder RI, Johonson RD: Treat-

ment and prophylaxis of Isospora belli infec-

tions in patients with AIDS. N Engl J Med

1989; 320: 1044-1047.

6) 坂 本 光 男, 足 立 拓 也, 相 楽 裕 子, 井 関 基 弘: イ ソ

ス ポ ー ラ症 に よ る 下 痢 を初 発 症 状 と した 外 国 人

AIDSの1例. 感 染症 誌1998; 72: 643-646.

7) 山根 孝 久, 竹 川 勝 宏, 田 中一 巨, 他: イ ソス ポ ー

ラ ・ベ リー感 染 症 を合 併 し た成 人T細 胞 性 白血

病. 臨 床 病理1993; 41: 303-306.

8) 河 野文 夫, 西 田健 朗, 栗 崎 寛治, 他: 成人T細 胞

性 白血 病 にお け る イ ソス ポ ー ラ ・ベ リ感 染. 臨床

血液1992; 33: 683-687.

9) 橘 川桂 三, 上 平 憲, 木下 研 一 郎, 他: 戦 争 イ ソ

ス ポ ー ラ寄 生 に よ る吸 収 不 良症 候群 と重 症 水 痘 を

合 併 したT細 胞 性 悪性 リンパ 腫 の一 剖検 例. 臨床

血 液1981; 22: 258-265.

10) 月 舘 説 子: 海 外 諸 国 の飲 料 水 事 情. 臨 床 成 人 病

1996; 26: 1357-1362.

A Case of Imported Paratyphoid Fever Associated with Giardia lamblia and

Isospora belli Infection

Mitsuo SAKAMOTO, Takuya ADACHI & Hiroko SAGARADepartment of Infectious Diseases Yokohama Municipal Citizen's Hospital

Kaoru KAWATA & Akira ITOHDivision of Clinical Laboratory Yokohama City University, School of Medicine

Motohiro IZEKIMedical Zoology Oosaka City University, School of Medicine

We report a case of imported paratyphoid fever associated with Giardia lamblia and Isospora

belli infection. The patient was a 23-year-old Japanese female with complaints of high gradefever and diarrea after 10 days traveling to Nepal. Salmonella Paratyphi A was isolated from the

blood and fecal cultures on admision and Ciprofloxacin of 200 mg tid was administered for 14

days. Fecal examination revealed cysts of G.lamblia at the same time and metronidazole of 250mg tid for 7 days was effective for their eradication. During the follow-up studies oocysts of I .belli were found and cotrimoxazole of 960mg bid for 10 days was effective for their eradication.Fecal examinations on parasites which is rare in Japan such as I. belli are recommended to the

cases returning from tropical areas.

感染症学雑誌 第72巻 第12号