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文章特集 まとまらないあなたに 17 文章には入り口と出口があります。 書き出しの一行が入り口、最後の一行が出口です。 入り口にはうまく入れた、その後も順調、と思ったら、 出口を探しあぐねて右往左往。そんな経験はありませんか。 今回は、段落と段落を論理的に並べ、文章がきちんと着地できる術を考えます。 文章構成法の奥義 イラスト もとき理川

文章構成法の奥義 - コンテスト情報なら ... · ――文章がまとまらない人は、どうした最後の一文を考えてから書く 書く前にメモを作ることが大事です。

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文章特集

まとまらないあなたに!

17

文章には入り口と出口があります。

書き出しの一行が入り口、最後の一行が出口です。

入り口にはうまく入れた、その後も順調、と思ったら、

出口を探しあぐねて右往左往。そんな経験はありませんか。

今回は、段落と段落を論理的に並べ、文章がきちんと着地できる術を考えます。

文章構成法の奥義

イラスト もとき理川

18

最後の一文を考えてから書く

――文章がまとまらない人は、どうした

らいいでしょうか。

書く前にメモを作ることが大事です。

いきなり書き始めてまとまるかと言うと、

小説家ならまとまることもありますけれ

ども、普通の人の場合は、最後の一文を

決めてから書くほうが、まとめるにはい

いんじゃないかと思います。「○○とは

○○である」など自分の考え方をきゅっ

と凝縮したような一文をしっかりと作る

んですね。

――最後の一文を決め、そこに至る道筋

を考えればいいのでしょうか。

そうです。最後にちゃんと着地してい

ればまとまりますので、最初は着地点を

意識した疑問形で始めるとか、あるいは、

最後の一文に呼応するような、たとえば、

書き出しが問いになっていて、最後の一

文が答えになっているような形にしても

いいですが、最後にその一文に至るとい

う道筋にするのが、一番まとまりやすい

んじゃないかと思います。

――その道筋は論理的でなければいけな

いと思うのですが、論理的というとアリ

ストテレスを思い出します。

三段論法にとらわれる必要はないんで

すが、ただ、やはり数学の証明問題は論

証の基本ではあります。

証明問題では、仮説とか仮定があって、

そのあと論証の作業があって、最後に「よ

って何々である」っていうふうになりま

すよね。これは誰でも納得できる手順で

す。中学校の図形の証明みたいなイメー

ジでもいいんですけれども、あれも結局、

結論から逆算して考えます。

そういう意味では、話の道筋というの

は、最後の一文があって、そこから逆算

して仮説を立てる、証明問題のように「こ

れはこうだよね、これがこうで、だから

こうだ」みたいな手順をイメージしても

いいと思います。

――話の道筋というのは、起承転結とは

違うのでしょうか。

文章というのは、「普通はこう考えら

れているけれど、実はこうなんじゃない

か」というのがひとつの型なわけです。

起承転結が型なのではなくて、通常の

ものの見方に対して、そうではない角度

しても平凡な文章になるわけです。

――最後の一文を見出すには?

書く前に、まずはキーワードみたいな

ものをたくさん書いていって、あとでフ

リーな感じでつなげたりする。自分の中

のアイデアや気づきを紙の上に出すって

いう作業が必要なんですね。

最後の一文は長くてもいいんですね。

一文と言っても、「読書とは旅である」

のようにしてしまうと、漠然としたもの

になりがちなんです。もうちょっと絞り

込んだ、自分なりの定義のようなものを

見つけ出す。

ブレーンストーミングという方法があ

ります。みんなでどんどんアイデアを出

し合う。否定するということをしないで、

次から次へと芋蔓式に出していく。ブレ

ーンストーミングではそういう作業をす

るんですが、それを一人でしてもいいし、

誰か聞いてくれる人があれば、その人に

話しながらメモをする。話しているうち

に、相手の言葉がきっかけとなってアイ

デアが生まれることもありますので、話

しつつ、書き出すっていう作業をやった

らいいんじゃないかと思います。

――最後の一文はタイトルにもなる?

タイトルを工夫するのは決定的に重要

なことで、エッセイや作文を学生に指導

するとき、僕は「タイトルにすべてを賭

けろ」と言っています。

「○○について」みたいなのは絶対だめ

のついた見方を出していくという、それ

が文章の書き方のひとつの基本形なわけ

ですね。

アイデアがあるかどうか

――文章には、構成以前に、新しい見方

や視点が必要ということでしょうか。

最終的な結のところが「なるほど!」

と思えるような文章になっていれば、ま

あ成功ということになります。

アイデアがない平凡な文章、たとえば、

「読書とは自分を磨く行為である」って

言ったら工夫が足りない。もっと言う

と、「読書とは本を読むことである」と

言ったら、これはなんの工夫もないです

ね。「読書とは、本を通じて自分を見つ

めることである」っていうのだったら少

しはましですけれど、それでも目新しく

ないわけで、もっと自分の中で自分なら

ではの言葉っていうものをひとつ用意し

て、つながらないものをつなげていく。

――意外な組み合わせ?

「読書」と「自分を見つめる」は、割と

近い位置にありますよね。近い位置にあ

る言葉っていうのは、凡庸ではないけれ

ど、でも、ありがちな言葉なんですね。

そうすると、なかなか突破はできない。

ただまとめるだけであれば、「読書とは

自分の世界を広げるものである」でもま

とまるわけですけれども、それではどう

文章は先人の真似をして

ここまで歴史が来ている

INT

ER

VIE

W

齋藤

19

で、「○○を読んで」とかそういうのも

タイトルじゃない。本を読んで何か洞察

を得たならば、その洞察っていうものを、

ほかの人はあまり言わないような一文に

してタイトルにする。

副題に「○○について」ってするのは

いいけれど、それも必要なくて、タイト

ルだけ見て惹きつけられるような、そう

いうタイトルの工夫っていうのは、して

ない人のほうが多いように思う。

タイトルというのは強くなきゃいけな

くて、タイトルだけで言いたいことをす

べて言っているというふうにしたいわけ

ですね。

そのために、最後の一文が、または最

後の一文をアレンジしたものがそのまま

タイトルになっていてもいいわけなんで

すけれども、そのぐらい、「結局どうい

うことか」ということに対して、一文で

すぱっと答えられる。そこまで洞察を磨

きぬく必要があるんです。洞察ができて

ないのに、いい文章を書くというのは難

しいんですね。

論旨をもらってアレンジする

――洞察以前に、文章そのものがうまく

まとまらないという人もいます。

群を抜くという意味ではアイデアがす

べてですが、そこまで望まない文章力と

いうか、まとめ方としては、人の意見を

まとめるっていうのが練習としてはいい

んですよね。

人の文章をまとめるっていうことを続

けているうちに、要約する、あるいは、

再生する――似たような内容なんだけれ撮影 有高唯之

ど、自分の言葉で再生するっていう力が

ついてきます。途中の段階では、誰かの

文章の言いたいことをつかんで、それを

自分の言葉で言い直すのですが、もうち

ょっと言うと、文章を要約して、もう一

度再生するっていう作業をしつつ、その

中に自分の経験をまぜて書くんですね。

そうすると、論旨自体は元の著者のも

のでも、自分の経験をまじえて書くと、

それはかなりの部分、自分の文章になっ

ていくんですね。

――「まなぶ」は「まねぶ」ですね。

本とか短い文章を読む。そうしたら自

分の経験が刺激された、それだったら自

分にもこういう経験があるっていうふう

に思えたことをちゃんとメモし、それを

まじえて話すっていう練習をする。

そうしますと、自然とアレンジしてし

まうもので、それをやったあとに文章に

してみると、スピードがあがる。文章を

書くのに、もう最後が見えているわけで

すよね。で、論旨がはっきりしていて、

自分の経験も一、二入っている。

一見、真似をしているみたいですが、

文章というのは基本的に先人の真似をし

てここまで歴史が来ているわけです。

好きな著者の文章があったとします。

それを読んで、自分の経験にひきつけて

書き直せば、自分のものになるんですね。

剽窃のように思えるかもしれませんが、

自分の経験に置き換え、しかも、タイト

ルを始め、最終的には何から何まで置き

換えていくわけですから、これはインス

ピレーションを得たということになって

くるわけですね。文章そのものを、コピ

ー&ペーストのように持ってきちゃうの

とは違うわけです。

――こうしたトレーニングは若い人でな

くても効果がありますか。

要約っていうのは文章を書く基本なの

で、これはむしろ年齢のいった方が練習

されると、頭がはっきりしていいんじゃ

ないかと思いますね。

年齢のいった方の特徴として、話が長

いっていうのがありますよね。自分の考

えはつらつら言えるんですね。しかし、

相手の話を理解して、きちんと要約して、

もう一度再生するってことをさせると、

これがなかなか難しいんですよ。

それができるように練習しておくって

ことは、脳を若く保つことにもなります

ね。トレーニングとしては、ある文章や

エッセイを読んだら、それを土台にして、

要約するような形でアレンジして書くっ

ていうのが、一番いいのではないでしょ

うか。

齋藤孝(さいとう・たかし)

1960年、静岡県生まれ。東京大学法

学部卒。明治大学文学部教授。『声に出

して読みたい日本語』『三色ボールペン

で読む日本語』『読書力』『段取り力』

など著書多数。

20

文と文の接続の種類

段落と段落の関係にはどんな種類があ

るのでしょうか。話を分かりやすくする

ために、段落と段落の関係を文と文の関

係に換えて示❶

します。

特に難しいことはないと思いますが、

文と文の関係が分からなければ、段落と

段落の関係も分からず、結果、流れのお

かしい文章になってしまいます。しっか

りと把握しておきましょう。

意外と難しい接続詞の用い方

接続詞なんて誰だって使えると思うか

もしれませんが、正しく、かつ、うまく

使うのは意外と難しいものです。

 規定枚数十枚のエッセイに挑戦した。

完成した作品は五枚だった。だから、応

募はあきらめることにした。

特に問題はなさそうですが、よくよく

考えると、「五枚だった」と「あきらめ

ることにした」には、「だから」という

ほどの因果関係はなさそうです。

それを証拠に、「五枚だった。だから、

さらに書き足すことにした」と正反対の

ことを言うこともできるわけで、その意

味ではちょっと飛❷

躍があります。

おそらく、書き手の中に「五枚以上は

書けない」という気分があって、それゆ

え「だから」なのだと思いますが、「五

枚以上は書けない」とは書かれていませ

んから、話が飛んだ気になるわけです。

規定枚数十枚のエッセイに挑戦した。

完成した作品は五枚だった。これ以上は

もう書けない。だ❸

から、応募はあきらめ

ることにした。

このように書けば「AだからB」とい

う関係が明確になります。

あるいは、「これ以上はもう書けない」

と書かなくても、そのニュアンスがはっ

きり出ていればかまいません。

規定枚数十枚のエッセイに挑戦した。

最大限長く書いたつもりだったが、よう

やく完成した作品は五枚しかなかった。

だから、応募はあきらめることにした。

大きい接続と小さい接続

ここで言う「大きい小さい」は、接続

する範囲のことです。

では、接続の範囲が小さい例から。

仕事柄、よく「プロになれますか」と

聞かれるのだが、もちろん、なれるとも

なれないとも言えない。どんな道を目指

すにしろ、なれるという保証があって始

めるものではなく、なれると仮定し、そ

の仮説が正しいことを証明するために頑

張るものだろう。だから、なりたいのな

ら、その仮説を証明してみてはどうか、

としか言えない。当然、仮説が間違って

いたと判断せざるを得なくなることもあ

文と文の関係を知る

第一章

21

るだろう。しかし、突き詰めて言えば、

それはそれでいい。

いくつか文を接続している箇所があり

ますが、いずれも直前の文章を受けてい

ます。

では、次に接続の範囲が広い例。

家にあれば笥け

に盛る飯を草枕旅にしあ

れば椎の葉に盛る(有馬皇子)

万葉集にある和歌は、非常に素朴とい

うか、ストレートである。

花の色は移りにけりないたづらにわが

身世にふるながめせしまに(小野小町)

こちらは古今和歌集にある歌だが、「色

(色恋)、降る(経る)、長雨(眺め)」と

いった掛詞が用いられている。

このように、和歌は万葉集〜古今和歌

集と時代を経るごとに技巧的になってい

き、新古今になると本歌取りといったテ

クニックが駆使されるようになる。

「このように」は直前の文を受けている

のではなく、ここまでの九行を受けて「こ

のように」です。

接続詞や接続表現を用いる場合は、ど

の文(段落)とどの文(段落)を接続し

ているかに注意しないといけません。

こんな接続詞にご用心!

「『そして』を使わないで書け」と言い

ます。「そして」は使❹

い勝手がよく、ど

んな局面でも使えてしまいますので、な

るべく使わないようにしましょう。多用

すると文章修業にもなりません。

外は雨。だから、布団を干さなかった。

外は雨。しかし、布団を干した。

前者は順接、後者は逆接で、「だから」

と「しかし」の入れ替えはできません。「外

は雨。しかし、布団を干さなかった」で

はおかしいですよね。

ところが、「そして」は順接、逆接ど

ちらでも使えます。

外は雨。そして、布団を干さなかった。

外は雨。そして、布団を干した。

こんな便利な接続詞だから、小❺

学生は

つい使ってしまうのでしょう。

「しかし」も要注意です。

「しかし」は逆接の接続詞ですが、実は

そうでない場合もあります。

山はいいな。しかし、いい天気だ。

この「しかし」は、「山はいいな」か

ら当然導き出される事実を裏返している

わけではなく、一種の話題の転換と言え

ます。誤りではないですが、読み手に勘

違いされないようにしたいです。

それからもうひとつ。接続詞ではあり

ませんが、「しかし」と同じ働きをする

接続助詞に「が」があります。「投函は

したが、住所不明で戻ってきてしまった」

のような使い方の「が」ですね。

では、以下の文はどうでしょう。

明け方になってようやく原稿を書き終

えたが、ここまでの道のりの長かったこ

とと言ったらなかった。

この「が」は「しかし」という意味で

はなく、「明け方になってようやく原稿

を書き終えたが、(それにしても)ここ

までの道のりの長かったことと言ったら

なかった」というニュアンスです。これ

も逆接ではなく、話題の転換ですね

【注】

❶文と文の関係は細かく分類しだすと

きりがありませんので、ここでは14

種類に分けています。

❷文と文の関係は飛躍していてもかま

わない場合もありますが、理屈として

おかしいのはいけません。

❸ここでは敢えて「だから」と書いて

いますが、前後の関係から、読めば

「だから」の関係だと分かる場合は、

接続詞は省略できます。

 例・規定枚数十枚のエッセイに挑戦

した。完成した作品は五枚だった。こ

れ以上はもう書けない。応募はあきら

めることにした。

❹「そして」は順接でも逆接でもつな

いでしまうだけでなく、なんでもくっ

つけてしまう強力な接着剤みたいな接

続詞です。

 たとえば、「外は雨」と「お腹がす

いた」というまったく関係ない文が

あった場合、論理的な関係を示す接続

詞は入らないはずです。

「外は雨。だから、お腹がすいた」

「外は雨。しかし、お腹がすいた」

「外は雨。なぜなら、お腹がすいた」

「外は雨。ただし、お腹がすいた」

 ところが、「そして」だけはどんな

文と文でもつなげます。

「外は雨。そして、お腹がすいた」

❺小学生に限らず、書きなれない人は

接続詞が多い傾向にあります。しか

し、だからと言って、接続詞を削れば

いいわけではありません。

「作文を書こうとした。しかし、急用

ができた。結果、何も書けなかった」

 接続表現を取ってみましょう。

「作文を書こうとした。急用ができ

た。何も書けなかった」

 誤りではないですが、接続が滑らか

ではないですし、読み手自身が「しか

し」なのか「だから」なのかを考え

なければいけないという意味では、

ちょっと不親切です。

「作文を書こうとした。そこに急用が

入ったので、何も書けなかった」

 やり方は無数にありますが、接続表

現は取っても、文と文の接続の関係ま

で断ちきってはいけません。

文と文の関係なら分かるが

たとえば、以下のような文があったと

します。

昨日、インド料理専門店に行った。明

日も行こうと思った。

特に問題はなさそうですが、先行する

文と後続の文との間❶

に、やや大きめの溝

があります。それを埋めてみましょう。

昨日、インド料理専門店に行った。さ

すがに本場の味は素晴らしく、明日も行

こうと思った。

では、こんな文はどうでしょう。

昨日、ブラジル料理専門店に行った。

十万人もの人がいた。

こうなると、文間に溝があるというよ

り、溝が深すぎてわけが分かりません。

前後関係から、間に入るべき文を適当に

考えてみます。

昨日、ブラジル料理専門店に行った。

店内ではサッカー中継を放映しており、

画面を見ると、十万人もの人がマラカニ

アンスタジアムを埋め尽くしていた。

このように、文と文の関係を考えたり、

文と文の隙間を埋めたりするのはさほど

難しい作業ではありませんが、これが段

落と段落の関係になると、少し難度が上

がります。

段落を要約し、主題を明らかに

自分で書いた原稿を読み返してみても、

段落と段落の関係が分からないとすれば、

それは段落自体がまとまっていないから

でしょう。

 川渕三郎氏は、東京オリンピックで逆

転勝利を収めたアルゼンチン戦において、

劇的同点ゴールを決めた元日本代表フォ

ワードである。当日は朝から小雨が降る

悪天候だった。(a)

同氏は、二〇〇二年、日本サッカー協

会会長に就任すると、翌年、会長に代わ

る愛称を公募し、採用作に「キャプテン」

話の道筋とは?

文章の一つの型に起承転結がありま

す。これは便利な面もあります。

たとえて言うと、起承転結はサインプ

レーのようなお約束です。

サッカーを知らない子に、フィールド

内を自由に動けと言っても、どう動いて

いいか分からないと思いますが、 

サイ

ンプレーによって、「Aくんがボールを

持ったら、Bくんはおとりとなるべく右

に走り、空いたスペースにCくんが走り

込む」といったように型を教えれば形に

はなります。

これと同じで、書きなれない人や読ん

だ経験自体があまりない人の場合は、書

きたいことを起承転結で構成すると、そ

れなりにまとまります。

しかし、毎度毎度サインプレーという

わけにはいきませんし、いいパスの出所

が見つかったのに、型を重視するあまり

それをしないのではもったいない。

こうなると、起承転結という型が枷に

なってきます。書けるようになると起承

転結を考えなくなるのは、そうした理由

からでしょう。

では、文章に型はない? 

文章そのも

のにはないかもしれませんが、思考の道

筋には型があります。

思考の道筋と言うと、アリストテレス

の三段論法のような、

「人間はいつか死ぬ」

「私は人間である」

「ゆえに私はいつか死ぬ」

といったものを思い出しますが、そん

なに難しい話ではなく、私たちは何かを

考えるときは、無意識に論理的に道筋を

たてて考えているでしょう。

たとえば、ある人がこんなことを考え

たとします。

「お腹が空いたな。一時間後に来客が

あって、二時間は食事がとれないな。じゃ

あ、今のうちに食べちゃおう」

ある前提があり、そこになんらかの条

件が加わり、その結果、どうしたらいい

か答えを出しています。これも一つの論

理的思考でしょう。

理論的に道筋をたてて考えるには、少

なくとも三つの柱が必要です。

エッセイでも小説でも、話の骨格を取

り出してみると、「こう思われているけ

ど、こうだから、こうじゃないか」とか、

「何が、どうして、どうなった」のよう

に、三つの柱で構成されていたりします。

昔話「桃太郎」だって、「桃太郎は鬼

が島に行きました。終わり」では、話が

着地しません。

逆に言えば、まず着地点を見出し、そ

こに向かう前段が二つあれば、そして、

それらが論理的な関係であれば、話は

すっきりまとまると言えます。

22

第二章

段落と段落の関係を把握するすす

を選んだ。就任前はJリーグチェアマ

ンだった。(b)

応募は五十通しかなく、パスの供給量

は少なかった。しかし、氏は「キャプテ

ン」という熱い呼称を得た。(c)

段落は、改❷

行によって区切られた一つ

の意味のまとまりですが、段落を構成す

る個々の文が、その段落の主❸

題にあって

いるかどうかを確認するためには、段落

を要約して主題を明らかにする必要があ

ります。

では、前出のまとまりのない段落を強

引に要約してみましょう。

(a)川渕三郎氏は、元日本代表フォワ

ードである。

(b)会長に代わる愛称を公募し、採用

作に「キャプテン」を選んだ。

(c)応募は少なかったが、氏は「キャ

プテン」という熱い呼称を得た。

この主題に照らし合わせてみると、主

題から逸❹

れた文があることに気づきます。

それを削ってみましょう。

川渕三郎氏は、東京オリンピックで逆

転勝利を収めたアルゼンチン戦において、

劇的同点ゴールを決めた元日本代表フォ

ワードである。(A)

同氏は、二〇〇二年、日本サッカー協

会会長に就任すると、翌年、会長に代わ

る愛称を公募し、採用作に「キャプテン」

を選んだ。(B)

応募は五十通しかなく、パスの供給量

は少なかった。しかし、氏は「キャプテ

ン」という熱い呼称を得た。(C)

(A)と(B)の論旨がはっきりしたこ

とで、(一応は)話が分かるようになり

ました。

段落と段落の関係を整備する

しかし、道筋が見えたら見えたで、今

度は話が着地していないことがあらわに

なりました。

「『日本サッカー協会会長』に代わる愛

称を公募し、『キャプテン』という熱い

呼称を得た」ことは分かります。しかし、

「だから何❺

?」がない。

三段論法で言うと、「MはPである」「S

はMである」だけ言って、「だから、S

はPである」がないというか。

また、最初に「川渕三郎氏は、元日本

代表フォワードである」と書いています

が、この一文と呼応する文脈がないので、

段落(A)が浮いています。

一読して分かるとおり、この例文は愛

称公募の話ですが、枕❻

としてふられた話

題は東京オリンピックの話ですので、こ

の枕と文章全体のテーマとがどう関わる

のかが見えないわけです。

では、それを補ってみましょう。

川渕三郎氏は、東京オリンピックで逆

転勝利を収めたアルゼンチン戦において、

劇的同点ゴールを決めた元日本代表フォ

ワードである。

同氏は、二〇〇二年、日本サッカー協

会会長に就任すると、翌年、会長に代わ

る愛称を公募し、採用作に「キャプテン」

を選んだ。

応募は五十通しかなく、パスの供給量

は少なかった。しかし、氏は「キャプテ

ン」という熱い呼称を得た。

応募者からのキラーパスをスルーせず

に決めたその頭は、四十七年前の劇的ゴ

ールを彷彿とさせる知のダイビングヘッ

ドだったと言えよう。

【注】

❶先行する文と後続の文との間のこと

を文間と言います。文間の溝が深すぎ

ると文と文の関係が分かりませんが、

かといって、文間の隙間が狭い文が

延々と続くと、親切すぎる説明書きを

読んでいるような停滞感を覚えます。

 一方、文間の溝が適度に空いている

と、 「どんな関係?」と思った直後に

「そうか」と分かり、右脳が刺激され

て読んでいて心地よくなります。太宰

治がその名手と言われています。

❷「改行は思考の句読点」と言いま

す。ある意味のまとまりがあり、適切

な位置に改行があって、その次の意味

のまとまりに移行すると、前後する段

落の関係が明らかになって、話が分か

りやすくなります。どこで改行するか

に決まりはありませんが、細切れの段

落が続いたり、あまりにも長い段落が

あるようであれば、話の道筋自体を再

考する必要があるかもしれません。

 ただし、セリフを独立させるために

改行したり、ある一文を強調するため

に改行したりすることはあります。そ

うした場合は、ある主題のもとに括ら

れた段落ではなく、前後する段落に従

属するもの、その一部と考えたほうが

いいでしょう。

❸ここで言う主題とは、ある段落を要

約し、これ以上は短くできないくらい

つづめた「段落の核」を指します。

❹ある段落があり、そこに入れるべき

文かどうかは、段落の主題に沿ってい

るかどうかで決めます。主題が分から

ないと、その判断ができません。

❺「だから何?」と言うと、結論と思

うかもしれませんが、必ずしもそうで

はありません。たとえば、「モラルの

ない人を見た」という話を書く場合、

それに対する筆者個人の立場を明確に

し、何が言いたいのかははっきりさせ

ますが、それは作品を通じて言うべき

ものであって、最後になって総括する

形で結論を書いたりすると、意見の押

しつけ、蛇足になりがちです。話が着

地したら、感想は読み手に委ねて、す

ぱっと終わるほうが余韻が出ます。

❻本題に入る前の導入部。

23

パーツが連動した円環構造

文章は、紙にしろ、パソコンの画面に

しろ、平面上にあります。どの文も等し

く同じ面の上に並んでいます。

しかし、〝関係〞となると、因果関係

だったり、逆接や敷ふ

えん衍

だったりして、必

ずしも並列の関係ではありません。段落

の位❶

相が違うわけです。

もしもすべての段落が並列であれば、

図1のように話が延々と横❷

滑りしていく

構造になってしまいます。

図1は、自己紹介としては申し分なく

「私」を紹介できていますが、個々の話

題の関連がないので、詰まるところ、最

後に「ええと、ということで、よろしく

お願いします」と言うよりなくなるパタ

ーンですね。

では、それぞれの話題が関係しあうよ

うに仕組んでみましょう。

図2の場合は、書き出しの①を受けて、

②↓③と話が積み重なっていき、最終的

に④は②と絡み合いつつ、①に戻ってい

ます。このような円環の構造にすると、

だいたいの文章は着地できます。

この構造(建物のようにそれぞれのパ

ーツが微妙な力学の上にバランスを保っ

ている構造)の場合、どれかひとつでも

パーツを取ってしまうと、構成が歪んで

しまったり、最悪の場合、話が壊❸

れてし

まったりしますが、それは巧みな構成の

特徴でもあります。

逆に言えば、図1の場合、①〜④のど

れかが抜けても大勢に影響はありません。

それぞれが孤立し、機能しあっていない

からです。

機能していないパーツを修正する

たとえば、以下のような作文がありま

す。全文は書けないので要約します。そ

れが図3です。

一読して、「?」と思ってしまうのは、

③の部分。これは起承転結の転を履き違

えたものでしょう。

よく起❹

承転結の例として引き合いに出

される頼山陽の俗❺

謡では、

起 

京の三条の糸屋の娘

承 

姉は十六、妹十四

転 

諸国大名は弓矢で殺す

結 

糸屋の娘は目で殺す

のように転で趣意を変えていますが、

転は孤立しているわけではなく、最終的

には結に係っています。

しかし、図3の③は孤立していますか

ら、いっそのことこれを削り、

①最近髪を切った。いわゆるショートカ

ットだ。

②すると、まわりの人に「失恋でもした

の?」と聞かれた。

④他人がなんと言おうと、私はショート

カットを楽しみたい。

としたほうがいいですが、②と④が連

動するように③を書き換えてもいい。

①最近髪を切った。いわゆるショートカ

ットだ。

②すると、まわりの人に「失恋でもした

の?」と聞かれた。

24

第三章

最初に戻れば話は終われる

③それはショートカット(短絡)ではな

いか。

④他人がなんと言おうと、私はショート

カットを楽しみたい。

たとえて言うと、これは「2×3+○

=9」の空欄を埋めるような作業です。

統括するパーツを加える

今夏は節電の夏と言われていますが、

節電自体は昔から呼びかけられていたも

のの、なかなか実現できませんでした。

しかし、今夏のような状❻

況になってしま

うと、意外とできてしまうものなのだな

あ、そう思った人がいたとします。

こういうのを「気づき」とか「見つけ」

と言います。着眼点ですね。

これが見つかると、あとはこの前段を

考えるだけですので、

①節電は昔から呼びかけられていた。

②でも、わが家は実現できなかった。

③今夏の月の電気代は二割減だった。

④今までは本気じゃなかったのかも。

というように、落とし所が見えている

と、文章はそこに向かってまっすぐに進

んでいけます。

しかし、いい気づきほど見つけるのは

難しく、なかなか書き出せないでいる人

も多いと思います。

では、着地点が見えないまま、書き出

してしまいましょうか。

①減量したいが、つい食べてしまう。

②節電したいが、ついエアコンをつけて

しまう。

③ところが、エアコンが故障したら、扇

風機だけで夏を乗りきれてしまった。

さすがにまとまりがありません。

①と②は並列、②と③は逆接でつなが

っていますが、①〜③を統合するものが

ありませんね。

柱はあるが、それを束ねる屋根がない

といった状態です。

では、屋根を乗せましょう(図6)。

①減量したいが、つい食べてしまう。

②節電したいが、ついエアコンをつけて

しまう。

③ところが、エアコンが故障したら、扇

風機だけで夏を乗りきれてしまった。

④体も故障すれば、あっさり減量できる

かも。

着地点が見えないまま書き出すのはベ

ストとは言えませんが、書いているうち

に着地点を見出すこともあります。それ

は書くことが考えることだからです。

【注】

❶「A、かつ、B」や「A、また、B」

のような並列(列挙)の関係の場合、

段落Aと段落Bは同じ位相にあると考

えられます。一方、「A、だから、

B」や「A、しかし、B」のように論

理的に展開している場合、段落Aと段

落Bは積み木のように縦方向に積み重

なっているものと考えられます。

❷「テーマは一つに絞ること」と言わ

れ、あるテーマのもとに素材を集めた

まではいいですが、段落相互の関係が

なく、箇条書きを膨らませて並べただ

けのような文章になってしまった例も

しばしば見かけます。

❸綿密に練られた推理小説なども「建

物のようにそれぞれのパーツが微妙な

力学の上にバランスを保っている構

造」と言えます。このような作品は、

仮にそれが100枚であれば100枚でバ

ランスをとっており、どんな名作で

あっても、その構造のまま50枚にし

たり、200枚にしたりすると、とたん

にバランスを失って空中分解します。

❹起承転結は、もとは漢詩の絶句の構

成法です。

・起句 詩思を提起する。

・承句 起句を承ける。

・転句 詩意を一転する。

・結句 全詩意を総合する。

 文章術の起承転結はこれを文章に応

用したもの。つまり、もとは借り物で

すから、まとまらない考えを型に納め

るのには適していますが、報告書など

実用文や小論文などでは間尺に合わな

い場合もあります。

 また、序破急、三幕構成法、三段

論法、論文の「序論・本論・結論」

など、三部構成のものもあります。

「四」より「三」のほうがまとめやす

ければ、それでもかまいません。

❺「京の三条」が「京の五条」であっ

たり、「弓矢で殺す」が「刀で斬る

が」であったり、出典によって多少相

違があります。

❻一庶民からすると知らぬまに実現で

きたという感じかもしれませんが、そ

こには様々な方々のご努力があったこ

とと思います。

25

構成力の養成トレーニング

まとめる力を養う

26

 

( 

)内に適切な接続詞を入れてください。

「日本人は、奈良時代には梅が好きだった。ところ

が平安時代から好みが変って、桜を愛するようにな

った」

と、こんなことを教室で教えられたり、本で読ん

だりしたことは、ないだろうか。少なくとも私はそ

うだった。こう書いてある本も、いっぱいある。

(   

)、そんな事実はない。太古以来、日本人

は桜を愛してきたのである。

(    

)、どうしてこんな間違いがおこったの

か。じつは奈良時代にできた『万葉集』という歌集

でいちばんたくさん詠まれた花は、梅である。( 

  

)、みんな、梅が好きだと思った。

 

太字の接続詞(接続表現)を取り、しかし、 

  

接続の意味は残るように書き換えてください。

今やヅケは寿司の定番メニューになっている。し

かし、以前は、関東以外では全く無名だった。なぜ

なら、ヅケは江戸前寿司特有の製法だからだ。三十

年前、急にこのヅケが食べたくなった。それで回転

寿司に行った。ところが、チェーン店にはヅケなん

【解答編】(一例)

Q1 「日本人は、奈良時代には梅が好きだった。ところ

が平安時代から好みが変って、桜を愛するようになった」

 

と、こんなことを教室で教えられたり、本で読んだり

したことは、ないだろうか。少なくとも私はそうだった。

こう書いてある本も、いっぱいある。

 

しかし、そんな事実はない。太古以来、日本人は桜を

愛してきたのである。

 

それでは、どうしてこんな間違いがおこったのか。じ

つは奈良時代にできた『万葉集』という歌集でいちばん

たくさん詠まれた花は、梅である。だから、みんな、梅

が好きだと思った。

(中西進「日本人と桜」より抜粋)

Q2 

今やヅケは寿司の定番メニューになっているが、

以前は、関東以外では全く無名だった。ヅケは江戸前寿

司特有の製法だからだ。三十年前、急にこのヅケが食べ

たくなって回転寿司に行ったが、チェーン店にはヅケな

んてものは回っていなかった。よほど「ヅケください」

と注文しようかと思ったが、「なんですか、それ」と言わ

れそうで怖くなり、ヅケなんてネタはないのだと思って

あきらめることにした。胃は治まらなかったが。

Q3 

このように上下や前後、内外と言った言い方は基

準によって変わる。

Q4 「画廊」「簿記」は「ギャラリー」「ブックキーピン

グ」の当て字だそうだが、大量の外国語が輸入された明

治期にはこうした訳語が数多く生まれた。これらを新名

詞と言う。

 

西洋語を母国語に翻訳しなければならないのは中国も

同じで、現在も「可口可楽(コカコーラ)」のように様々

な外国語が意訳、音訳されているが、日本生まれの新名

詞は漢字だから中国語に直す必要がなく、日本語と同じ

てものは回っていなかった。だから、「ヅケくださ

い」と注文しようかと思った。しかし、「なんです

か、それ」と言われそうで怖くなってしまった。結

局、ヅケなんてネタはないのだとあきらめることに

した。けれど、胃は治まらなかった。 

 

以下の文章の趣旨をまとめ、

 

「だから何」を最後に書き加えてください。

「木の下」の「下」は垂直方向の下方、つまり、地

面に近いほうを指すが、「上着」「下着」の場合は身

体に近いほうが下ということになる。「靴下」も同

じで、「靴の中」にあっても「靴中」とは言わない。

いずれも意味としては「中」だ。

日本語で「面前」と言えば衆人環視の状態だが、

麻雀では「牌の面を自分に向けている」状態を言う。

また、日本では「白線の内側に」と言うが、中国で

は「白線の外側に」と表現するそうだ。

 

前後の文脈を考え、

 

「……」の部分に入る内容を考えてください。

「画廊」「簿記」は「ギャラリー」「ブックキーピング」

の当て字だそうだが、大量の外国語が輸入された明

着想を得ても、一つの作品としてまとま

らなければ日の目を見ません。構成力を

鍛えましょう。

27

表記のまま洪水のように中国語の中に流れ込んでいった。

 

清末の政治家、張之洞はこうした情勢から「中国語が

日本語になる」と危機感を抱き、「新名詞を使うな」と提

言したが、この「新名詞」という言葉自体が新名詞だっ

たのはなんとも皮肉だ。

Q5 

象や虎、豹はアジアにもいるから漢字があるが、

キリンはアフリカに棲み、大昔から中国人におなじみと

は思えないのに、麒麟と漢字で書かれる。実は、この麒

麟は、聖人が出て王道が行われたときに現れるという中

国伝説上の一角獣であり、キリンとはなんの関係もない。

 

ところが、明の時代、キリンが永楽帝に献上された際、

ソマリ語で「ゲリ」(首の長い草食動物)と紹介され、こ

の音が「キリン」と似ていたため、実在する麒麟という

ことにされてしまった。

 

これが和名の元になるのだが、本家中国では、今はな

ぜか長頸鹿と言うそうだ。

Q6 

治期にはこうした訳語が数多く生まれた。これらを

新名詞と言う。

西洋語を母国語に翻訳しなければならないのは

中国も同じで、現在も「可口可楽(コカコーラ)」

のように様々な外国語が意訳、音訳されているが、

(………………)。

清末の政治家、張之洞はこうした情勢から「中国

語が日本語になる」と危機感を抱き、「新名詞を使

うな」と提言したが、この「新名詞」という言葉自

体が新名詞だったのはなんとも皮肉だ。

 

以下の文章は、書いているうちに自分でも何が

 

書きたかったのか分からなくなってしまった例

 

です。当初のタイトルは「麒麟はなぜ漢字で書

 

かれるか」だったとして、このタイトルに沿う

 

よう不要な部分を削ってください。

象や虎、豹はアジアにもいるから漢字があるが、

ジャガーはカタカナで書かれる。豹とジャガーはよ

く混同されるが、豹はアジア、アフリカに生息する

大型猫科の動物で、英語ではレパードと言う。姿か

たちはジャガーそっくりだが、ジャガーはアメリカ

大陸に棲む別種である。

ちなみに、パンサーは大型の猫を指す総称(古語)

であり、パンサーという種はない。ブラックパンサ

ーは体毛を剃ると豹柄をしており、種としては豹だ。

チーターという似た種もいるが、こちらは頬に涙線

という涙の跡のような線があり、顔を見れば一目で

それと分かる。

キリンはアフリカに棲み、大昔から中国人におな

じみとは思えないのに、麒麟と漢字で書かれる。実

は、この麒麟は、聖人が出て王道が行われたときに

現れるという中国伝説上の一角獣であり、キリンと

はなんの関係もない。

ところが、明の時代、キリンが永楽帝に献上され

た際、ソマリ語で「ゲリ」(首の長い草食動物)と

紹介され、この音が「キリン」と似ていたため、実

在する麒麟ということにされてしまった。

これが和名の元になるのだが、本家中国では、今

はなぜか長頸鹿と言うそうだ。

クック船長率いる探検隊がアボリジニに「あの動

物の名は?」と聞いたところ、現地の言葉で「カン

ガルー(〈英語は〉分からない)」と答えたため、そ

れがそのまま名前になったという説があるが、中国

語ではカンガルーは「袋鼠」と書かれる。

 

漢字の読みについて書かれた

 

以下の文章を読んで、内容を図にしてください。

漢字には、いろいろな読み方がある。

大別すると、まずは訓読みと音読みがあり、訓読

みは漢字の意味に相当する和語を読みとしてあてた

ものである。音読みは漢字の字音による読み方で、

これには遣隋使や遣唐使、留学僧が持ち込んだ漢音

と、それ以前に朝鮮半島経由で日本に伝わり定着し

ていた呉音がある。このほか鎌倉時代以降に入って

きた唐音もある。

旁つくりや

脚から推測して読むことを百姓読みと言い、

これは「堪か

んのう能

」や「消

しょうこう耗

」を「たんのう」「しょうもう」

と誤って読んでしまうような例を言うが、それが定

着して正解となってしまう場合もある。これらを慣

用音と言う。