9
/ー 平成 15 年度 玉川図書館近世史料館夏季展示 江戸への道 平成 15 67日(土) ,...; 7 31 日(木) 近世史料館 1 階展示室 920-0863 金沢市玉川町 2-20 金沢市立玉川図書館近世史料館 電話 076-221-4750

玉川図書館近世史料館夏季展示 江戸への道/ー 平成15年度 玉川図書館近世史料館夏季展示 江戸への道 平成15年6月7日(土),...; 7月31日(木)近世史料館1階展示室

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Page 1: 玉川図書館近世史料館夏季展示 江戸への道/ー 平成15年度 玉川図書館近世史料館夏季展示 江戸への道 平成15年6月7日(土),...; 7月31日(木)近世史料館1階展示室

/ー

平成 15年度

玉川図書館近世史料館夏季展示

江戸への道

平成 15年6月7日(土) ,...; 7月31日(木)

近世史料館 1階展示室

干920-0863 金沢市玉川町 2-20

金沢市立玉川図書館近世史料館電話 076-221-4750

Page 2: 玉川図書館近世史料館夏季展示 江戸への道/ー 平成15年度 玉川図書館近世史料館夏季展示 江戸への道 平成15年6月7日(土),...; 7月31日(木)近世史料館1階展示室

金沢から江戸に到る下街道

近世期、金沢から江戸に向かう陸路として最短であり、また参勤交代等の利

便が高かったコースは、下街道である。金沢から北国街道を津幡、高岡に抜け、

魚津、親不知、糸魚川、高田を通って長野善光寺に至り、さらに軽井沢、碓氷

峠を越えて、追分から中山道に合流して江戸に入る約 480キロである。

下街道(金沢→高岡→高田→長野→追分→江戸) 約480キ口

上街道東海道経由(金沢→福井→尾張→箱根→江戸)約 600キ口

上街道中山道経由(金沢→福井→馬篇→追分→江戸)約 660キロ

この代表的な3コースのうち、加賀藩主が実際に参勤交代で、通ったのは、約

95パーセントが下街道だという。ゆえに加賀藩の参勤交代の道は、ほぼ下街

道のことだと思って間違いないように思われる。

次に参勤交代の所要因数であるが、天候や諸事情によって差はあるものの、

1 2泊 13日の行程が平均的である。約 480キ口を 13日間で平均すると、

毎日約 37キロ程度進むことになる。

江戸幕府が、統制支配のために、諸国大名を江戸に滞在させた制度を参勤交

代制という。寛永 12年 (1635)三代将軍家光のとき制度化され、原則として

領国 1年江戸 1年の生活を反復させるものである。江戸に向かう「参勤」と、

他藩大名と入れ代わって「交代Jし領国に戻る時期は、原則として 4月(今の

暦で 5月頃)であった。

ー、、

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展示 ロロロ 解説

各番号前の女は、絵図デジタル化済で、有料で複写可能な資料。

えんlまうねんかんかなざわじょうかず

大(1 )延宝年間金沢城下図 190 x 167cm 軸

石川県立図書館に所蔵されている 5メートル以上の大きな絵図を、

大正 2年に郷土史家・氏家栄太郎氏が書き写したもの。現代人にも読

みやすい文字で書かれている。藩政時代前期にあたる延宝期 (1673-1681年)の金沢城下図を、下街道の起点と想定して展示した。近世史料

館では、この絵図を映像室の番組「城下図を歩く」の基本図として活

用。また近年、デジタル化を行い、玉川図書館ホームページでも公開

している。 資料番号 (090-598)

しもどおりやまかわえきろぶんけんのず

女 (2)下通山川駅路分間之図さわだかずのり

(パンフレット表紙に冒頭部分)

宝暦 10年 (1760) 沢田員矩著 27 x 683cm 1巻

江戸~金沢の下街道を巻物に描いた江戸時代中期の色彩豊かな絵図。

分間之図とは一定の縮尺で描かれた図のこと(この図の場合、 1里が

1寸 5分)。当舘所蔵の下街道の絵図としては最も長大である。寺社や

旧蹟等を色分け表示し、個々の宿場ごとに距離を表示しである。今回、

巻頭から末尾まで広げて展示した。作者は江戸中期の大坂在住の人で

地理に精通した人物。(特 16.78-40

しもどうちゅうえまき ムー,

(3 )下道中絵巻 (説法) 27 x 11 cm 1冊

f 金沢から江戸までの下街道を描いた下道中の折本。橋など建造物を

描き、金沢城や神通川の舟橋、親不知などが強調されている。黄緑色

で木々が彩色され、美しい印象を与える。金沢城下付近と、江戸近郊

を展示した。 (090-379)

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酬明

、1

T 素

。詩集[し 」、 加 プ'-.

・ょよ正 L・・ ,i. _~. .工・JM-- j 1iJ ~¥域 rtzEfisjij や /守!

しもどおりやまかわえきろのえず ー‘且 , ~

女 (4) 下通山川駅路之絵図 (属厳笛) 21 x 495cm 1巻

作者や作成年代は不明だが、非常に細密に書かれた鳥撒図である。

鳥撒図とは鳥が大空から見たような絵図ということだが、橋などの建

造物を赤く目立つように描いてある。「駅Jとは宿場・宿駅のことで、

運送、交通の要所であり、「下通山川駅路之絵図」とは、下街道の山・

川・駅・路の図ということ。今回の展示では、一巻の後半部分を展示

し た。(090-593)

うかなざわどうちゅうあんないき

女 (5)加州金沢道中案内記(予宣伝説示) 45 x 65cm 枚(袋付)

歌川豊国画の木版。袋表紙は、本郷の加賀藩上屋敷を背に、女性が

万 2本を持っている図柄。江戸を振り出しに金沢が終点の双六になっ

ていて、あがり 1つ前の「津幡」にてサイコ口を振って、 1がでれば

上がりだが、「一つあまればつばたへかへるJ等とある。金沢の橋は、

浅野川大橋。 (090-603)

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/

トんげんかなざわどうちゅうすごろく

C6 )新板金沢道中双六 50 x 71cm 軸 1点

一寿斎芳員(歌川芳員)画。江戸和泉屋市兵衛板。幕末頃の印刷。

日本橋を振り出しに、金沢に到る双六。各宿駅への距離は記されて

おらず、前の (5)とは違った印象を与える。 (K7-129)

ごさんきんごどうちゅうにつき

(8 )御参勤御道中日記24 x 18cm 67 T 1冊

寛政8年(1796)、金沢から参勤に随行した

人持組家老役の前田図書(まえだずしょ)と、

大音帯刀(おとうたてわき)が記録した自筆の

道中日記。 67Tあるが、冒頭の金沢を出発

した 4月6日の様子を記した部分を展示中。

この古文書は、全文が用語解説付で翻刻され

ている。(藩政文書を読む会編『御参勤・御帰国

御道中日記~) (16.22-74)

え どちょうかんず

,:;,:::

??告示早年

同E

(9 )江戸鳥撤図 (彩色・木版) 45 x 58cm 1点

江戸全域を鳥献し富士山まで遠望する、鍬形紹真 (1764-1824年くわがた

つぐざね) 原画で、多くの建物が描きこまれ、非常に細密な版画である。

作者は別名・北尾政美 (きたおまさよし)等と称し、江戸や美作津山藩松平家

の御用絵師として活躍。当館には同作者の「大日本絵図J(098.9-47)を所蔵しているが、白山などが美しく迫力ある鳥撒図である。(大 964)

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つうこうきってしりょう

(1 0)通行切手資料 天保 12年(1841) 24x8cm 2点

正式には「越中境通御切手願」。越後の村人が、京都から帰るに際し、

(町奉行から特別に申請を許可された)宿屋の主人(北川屋豊右衛門、大

浦屋幸右衛門)の名で奉行所に身分保証をして関所の通行切手の発行を

依頼する書類。 (090-316)

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すべて制問刊を用い、表面はム〈まで地名でふる・大

λFリ小たえ

Fリ-能坂{陰部)野尻{お尻)

相原

F

腹部)、古間F

いわゆる「A

るま

4」)、子

玉坂戸子日程子宝)新町{い

わゆる

「ム句ぱち

あもばら」)!ということてムうっか。るお‘「JU

せき川しは寸御問所

Lm序詞でもムリ、地名町可せ

き戸関)川」

め「せきL

に、やはリ「A

疋(せ)〈」

を川町け

ている.

む底本は「脱かず」とある.これは誤樋であ人fl

むお

このあとのご了ろ採砲の」は「筑摩川」を引

き出す序問、

「深見」は「(川の)深みしを掛ける.

a-現地では「けλこ-主古)」と発音する‘江戸時

代における信州の煙草産地であ,る.

0

「させる戸着せる)し

「煙管戸させる)」を術

けている

E

e地名「ヲ

λ町「梅野)しに「遂の」を愉ける。「速

同開く」は幸福

にfdる意.

@幸一右や説往として非常にもてはやされた百合若伝

説の主人公.大変主弓勢F

ゅんぜい)町持主で妙

義山町山中にも‘彼が腕だ酌しに射ぬいたとい

・ヲ大

が伝え勺れて

いる.

@

地名の「官同時L

に「高島」を川市けている.このあ

との「水落新町」に

(水が)落ち」を掛ける

a

@

地名「本庄」に「今生(こ

λヒJう

附ける.

(砂

地名

「能谷」

地て生まれた「焦谷直実(〈

まがい

主おさわ

けてい

る.

直実が

一町谷

内戦で平敦盛を討った話は、「平家物語」で名古同〈‘

¥J詩的

浄弱

Fまなも町に作句れて

いる.町ち、京に走リ出家している.

品。

地名「吹上」に

「吹上げる」

同じく

「渇巣」

には「コウノトリ向…一果」、同ヒ〈「大宮」には「大

きなお宮」同意を川市けている

e-6、「欧上てゆ〈L

は「鳩一果」町、「大宮町L

は「諸願成就」を引き出

す序詞でもあL

つつ.

@

{

着き)/

¥」仁「次々-っさ,,f¥)L

掛けている。

山町

内板僑」には当時加賀落下屋敷がムった.「いせ

や」も板橋にあ

った名代的はたご屋である.

@

「見るに田心ひをますかピ

み」町「か

J

A」は特に

意味をもたむい

いわぬ

る「しだ

口」

れ入

谷町鬼子母神」の類である。なお「ますかどAF真

澄鋭)」町「ます」に「増す」を川叩けている・

FULM叫僑を過

5て程む〈「白山(大権現)・

それを右に

見て中仙道奥州選と分かれる、-旧駒込村)退

分へまもうく友に加賀諮上屋敷が見

λてくる固

しちろ

λ

加賀渚上屋敷の「御門」でふるa

@

ιす」

は鶴町舞い遊ぶ僚をい一1ここ

では万歳の貰いの形についていったものであろう.

なおこれからあとが‘後唄の部分である.

1

本。寸北国下道中L

御城下

(金沢)

σ)

111

大月

魚津の町

I11

111

草島のJ庄し

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3医CE

屋 鋪

いづみ僑

町|矢{ヤ宿

庄 I~老会ん

上IJ5:木の宿

古E谷の宿|け

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本陣。

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こもゐ

Lゅ

ζ

小諸の宿を打越、えて

ほんじん

本陣。

九 i番2グ〉

御 1左EY白こり

見み

浅7閉ま

山?

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は追ど

軽 t分R井いの

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宿

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@4きあす

宿

LAMんじようじ。う句

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宿

、リやお'A

宿

鴻…果的

並 2木き

松ミ蕨士もの

打 t宿 h過すに〈

ぎ 御 ζ

て本2陣E

け泊わ

ζ

釘巧みや

桶川越、えて大宮の

ぉ,A

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L

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戸と

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もλ

ζ〈

t』

に現われる地名・神社仏閣・名所旧跡一

八幡の八幡

4昔宿

グ〉

倶利伽羅

糸魚

能生権現

立 山

I'J 木峠

ありま川

中手

キサ

三 塁の峠

相生町八幡

小矢部川

瀬川

正力

重力

十卯

I章

t 、寸

四十八瀬

愛本の僑

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1毎

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宿

111

111

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主見

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荒井の宿

自著

I11

{果

碓氷峠|古 l

坂本町宿|小 玉

義山|新町の宿

松井田|警光

中宿|川?

高崎の |丹 波I青岸寺

筑摩

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111

大だんさ o)

小だんぎり

l

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{椙山

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ト純日

(J)

浅間山

追分の f百

111

1卸門ひらける一ヶ国

(服藩1上屋敷/

i1i

グ〕

σ3

t工

戸田の渡し

板橋いせ

下屋敷

(加賀藩)下屋敷/

(~{量員)

4品

{卸

fラー司君新

基編

万ム戚也

AWよソ

nHロ↓昔、

品川μ

カノ金

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歴代の藩主をはじめ、士民の最も多くの人気を集めてきたのが、この万歳である。内容は、加賀藩が参勤交

代で、北陸街道・北国街道・中仙道、そして江戸に至る道中を唄ったものである。前唄と後唄を付け、十二番

(十二日)に分けて唄

って

いる。歌詞は、道中の地名・名所、あるいは名物をできるかぎり挙げ、それをそっ

くり掛詞としても用いている。そのあたり憎

いというか、まさに巧みそのものである。

この「下道中L

は、太夫・オ蔵二人の舞いによるもので、途中の附惜しはない。舞いも

「式舞」の型を踏むが、

式三番自主のように厳格ではない。唄は、あくまでもゆったり・・とうたい上げる、代表的な「番物」である。

作者不詳。成立は、

越前万歳「五十三次」の影響を受けたものと推測されるので、一応化政期

ご八

O四

|

三O)以降かと思われる。

なお、この評判が新たに「北国上道中」を生み出し、

先々代が作ったものと伝えられる。

賀北 i

(3)

この「色」は「なさけL

の意戸新古今・維「明石

潟色むき人の袖を見よ」)。

に立てる「道旦({山惜)」のことをいう。普通

は.二本一対である.ここは‘その「対之御道具」

に加え‘そのあとにつづくいわ吻る「御中道具」一

本を加えていったものであ,Af--F昭一五・一二『石

川県史』第参編参田

)

①以下、「浅」

・1

春日」「大樋」は、それぞれ

フ心が浅い(南情)し.「かすかF

幽か)」

E

「大

火」

を紛けた術詞に立って

いる。また「柳」には.

当然中国「折柳町故事」に倣い、別雛町民しがこめら

れ唄われている。「君が心は」「すこ

L2ζリは」

「胸は」「義理と情は」は.それぞれ話法的に

は、「浅の川」

・「春日町」・「大樋」

仰僑」

を引き出す序詞である。

市川)

以下の道中は「今町-八幡・二日市太田」の順

が正し

い。明

の調子から‘その道順を敵意に変えた

ものであろう。主お、「八幡の八幡」とは、現花閏

八幡町内

「披自加弥

戸はじかみ

)神社

-を指す。

⑤底本では「に」とある。

@

たさ、(同世笹)

L

に「官接る」を出聞け‘

ねぎ‘や」て可竹阿倍」の序詞に弘る・

不動F

お不動様)」

に「不同」を掛付.おそ主

え餅に大小さまざまあることをおかしくいっている.

e地名町「岩瀬」に「言ごを掛けている・また、

岩瀬はその流れ

の君主ことか句「主にか岩瀬の」

「飛」を引き出す序詞とも五っている.なお、ここ

で「団子」といったの口、岩瀬町縁語としていった

ものであろっ。岩瀬は古くか句よく知られた萩の

名所であるe

@

地名の「滑川」に「嘗む・証

L」を船けている。

また「ロと定とを」は-滑川」的序詞であP

る・

⑪「早月」に「早着込ごを掛けている.

山宿」に「車問

L」を叫叩ける.

@「一夜」

U下

「子支の」まで、「泊」にかかる序

詞と見ることができる.「愛本橋」は‘当時「日本

三斎倍」の

一といわれたは

ね僑で、今は鉄橋ともり

かつての面影は古い。「愛本町僑を渡りて」

には、

愛町橋を在る‘つまリ「ちさリを結,ごの青u

が掛け

られて

いる.したが

って「泊」にも‘「

{干{玉が)

宿る」的意味を掛けていると見られる.

@地名である?ヲた戸歌)」「駒返リ{駒返)」

に、

「馬子唄」「駒返し」を柚聞けている.

川」以下、「姫」「青海」「糸色」

には

それぞれ「お姫繰L

J

注見」

1

厭ひ」を掛けて

いる.

リ」以下「長浜町」まで、「奴六尺」を引

き出す序詞である。主お「長浜」の「長」

には、当

然「長い」を掛けている.

@

地ではコ

』ち」と発音している.

@地名の「由。屋鋪」に「中屋敷L

F

江戸時代

上屋

敷町住えとして設けた屋敷)を掛けている.

従しに

「相性々

FLJうヒよ-1/ここでは“酒

で赤〈五った者"の意)しを掛けている.

したが

て「主従在る」はまた「

いづみ僑」を引き出す序て

ある.路曲『狸々』によれは高風が程々に酒を中

るまうと、高風向査に汲酌どもつきぬ酒向泉をたた

えてくれたとある.

⑬地名「怯崎」町「松」に「(客を)待つ」を船け

てい

る.

@

名「関山」の

1

関しに「急(せ)〈」、同じ「二

俣」的「俣」には「股(また)」を掛けている。

U下

数行にわたリ.極めて好色もものともっているが、

ーしはし

国 i

これは幕末の頃、

今の横安江町

「近八」

(古書庖)の

ζ

ζζろ

わずいろ

みが

世の、君が心は一色

もろ

はは

乙る

-h

,〈ヒ吟う

さえっきしゅ〈じゅ〈

宿

日〈リ〈ヰヲ

はんじよ

L〈

5

まんざい

宿

ζと

奉る。

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υ

Uさ

A

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ζ〈

ε

宿

Ew

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たけ

はし

まいざか

ζ

Sわ

賑しき。

一げふとう

2:ゆヲ

はちまんふし

おが

岡t部べ

の 川Z

{在日 ピ,c,、f本tにろ

~.車 E か

着つる

き七2給t瀬一ふ }IIt

'Aとまり

ζ

ζ

白と

二番の御泊、

、えて、音に

わ仁

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むすめ

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御泊、

υ

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@

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宿

へ共

っち

E

Ltヲヲ

は今

ζ

四十八瀬の川越、えて

橋 Yを

わや九

ιだかり

よAU'A

おん

の御

とまリ

L叩〈

C

陪んじん

泊の宿に御本陣。

A17

うち

ζ

@

二まがえ

宿

f-

つ会み

Lhaず

@

υ

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ζ

,E

五番の御泊、

涼干し

いと

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すな

Uま

Lゃ〈

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長浜の、

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Lsavしゅヲじ・ヲ

L

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Lゆ〈

宿

κも

A

また

その

国元の奥方の、

吉岡

ζ

荒井の宿を打越、えて

きゃく

松ミ崎fグ〕

L A、

7

曹、t

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一一一・ 11.J日賀藩のーーニ「参勤交代道

.0 波

-dも下

宿

加賀藩史料を読む』

関所・

(平凡社〉

より転載