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子癇,妊娠関連脳血管障害の診断管理 【特集】妊娠高血圧症候群の治療戦略 子癇,妊娠関連脳血管障害の診断管理 大野 泰正 大野レディスクリニック院長 キーワード:子癇,脳血管障害,分娩時高血圧,妊娠高血圧症候群 緒言 妊娠関連脳血管障害は本邦における妊産婦死亡 の主原因のひとつであり,周産期医療上非常に重 要性な疾患である.妊娠関連脳血管障害には「子 癇」「高血圧性脳出血」「クモ膜下出血」「モヤモ ヤ病出血」「脳梗塞」「脳静脈洞血栓症」「脳動静 脈奇形出血」等があり,鑑別診断に難渋すること が少なくない.子癇が可逆性良好な経過をとる症 例が殆どであるのに比べ,脳出血合併例では致死 的転帰をとる症例が多い.本稿では子癇および脳 血管障害発症の観点からみた予知,診断,管理対 応につき解説する. 本邦における子癇,妊娠関連脳血管障害 の疫学 (1)厚生労働省科学研究費補助金研究「乳幼児 死亡と妊産婦死亡の分析と提言に関する研究」 全国の周産期母子医療センター,大学病院,総 合病院 1,582 施設,3,238 診療科に対するアンケー ト調査(回答率70%)によると, 2007 年における妊 娠合併脳血管障害は 184 例(脳出血 39,クモ膜下 出血 18,脳梗塞 25,脳静脈洞血栓症 5,子癇およ び高血圧性脳症82,他15)であった.発症時期は 全疾患で妊娠中が最多で,脳出血の死亡率は 25 %であった (2)AICHIDATA(愛知県周産期医療協議会調査 研究事業) 一次医療施設と高次医療施設を包括した本邦初 の大規模調査として,愛知県内全分娩施設を対象 に妊娠関連脳血管障害に関する実態調査(2007 年 調査:回答率 100%,2010 年調査:回答率 100%) を行った.2005~2009 年の総分娩数 322,599 件中, 子癇は 126 例(総分娩の 0.04%,後遺症無 125,後 遺症有 1,妊娠中発症 21,分娩時発症 50,産褥発 症55),脳血管障害は26例(総分娩の0.008%,後 遺症無 14,後遺症有 6,死亡 6,妊娠中発症 9,分 娩時発症 3,産褥発症 14,高血圧性脳出血 8,クモ 膜下出血 5,モヤモヤ病 3,脳梗塞 4,脳静脈洞血 栓 2 , posterior reversible encephalopathy syn- drome:PRES2)であった(表1) 子癇,脳血管障害発症時の血圧分布 AICHIDATA,日本産科婦人科学会雑誌(2006 ~2010年),日本妊娠高血圧学会雑誌(2006~2010 年)から,子癇あるいは高血圧性脳出血合併妊娠症 例のうち症状出現時点の母体血圧値が明らかな 35 症例を抽出し,その収縮期血圧(SBP),拡張期 日本産科婦人科学会雑誌 ACTA OBST GYNAEC JPN Vol. 64, No. 5, pp. 1406―1414,2012(平成 24, 5 月)

子癇,妊娠関連脳血管障害の診断管理fa.kyorin.co.jp/jsog/readPDF.php?file=64/5/auth/...drome:PRES2)であった(表1)2). 子癇,脳血管障害発症時の血圧分布

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子癇,妊娠関連脳血管障害の診断管理

【特集】妊娠高血圧症候群の治療戦略

子癇,妊娠関連脳血管障害の診断管理

大野 泰正大野レディスクリニック院長

キーワード:子癇,脳血管障害,分娩時高血圧,妊娠高血圧症候群

緒言

妊娠関連脳血管障害は本邦における妊産婦死亡の主原因のひとつであり,周産期医療上非常に重要性な疾患である.妊娠関連脳血管障害には「子癇」「高血圧性脳出血」「クモ膜下出血」「モヤモヤ病出血」「脳梗塞」「脳静脈洞血栓症」「脳動静脈奇形出血」等があり,鑑別診断に難渋することが少なくない.子癇が可逆性良好な経過をとる症例が殆どであるのに比べ,脳出血合併例では致死的転帰をとる症例が多い.本稿では子癇および脳血管障害発症の観点からみた予知,診断,管理対応につき解説する.

本邦における子癇,妊娠関連脳血管障害の疫学

(1)厚生労働省科学研究費補助金研究「乳幼児死亡と妊産婦死亡の分析と提言に関する研究」

全国の周産期母子医療センター,大学病院,総合病院 1,582 施設,3,238 診療科に対するアンケート調査(回答率 70%)によると,2007 年における妊娠合併脳血管障害は 184 例(脳出血 39,クモ膜下出血 18,脳梗塞 25,脳静脈洞血栓症 5,子癇および高血圧性脳症 82,他 15)であった.発症時期は

全疾患で妊娠中が最多で,脳出血の死亡率は 25%であった1).(2)AICHI DATA(愛知県周産期医療協議会調査研究事業)

一次医療施設と高次医療施設を包括した本邦初の大規模調査として,愛知県内全分娩施設を対象に妊娠関連脳血管障害に関する実態調査(2007 年調査:回答率 100%,2010 年調査:回答率 100%)を行った.2005~2009 年の総分娩数 322,599 件中,子癇は 126 例(総分娩の 0.04%,後遺症無 125,後遺症有 1,妊娠中発症 21,分娩時発症 50,産褥発症 55),脳血管障害は 26 例(総分娩の 0.008%,後遺症無 14,後遺症有 6,死亡 6,妊娠中発症 9,分娩時発症 3,産褥発症 14,高血圧性脳出血 8,クモ膜下出血 5,モヤモヤ病 3,脳梗塞 4,脳静脈洞血栓 2,posterior reversible encephalopathy syn-drome:PRES2)であった(表 1)2).

子癇,脳血管障害発症時の血圧分布

AICHI DATA,日本産科婦人科学会雑誌(2006~2010 年),日本妊娠高血圧学会雑誌(2006~2010年)から,子癇あるいは高血圧性脳出血合併妊娠症例のうち症状出現時点の母体血圧値が明らかな35 症例を抽出し,その収縮期血圧(SBP),拡張期

日本産科婦人科学会雑誌 ACTA OBST GYNAEC JPN Vol. 64, No. 5, pp. 1406―1414,2012(平成 24, 5 月)

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2012年 5 月 1407

妊娠高血圧症候群の治療戦略【特集】

表 1 愛知県における妊娠関連脳血管障害(2005-2009)

合計 大学病院周産期センター 総合病院 一次施設 自宅

施設数* 166 → 155 17 → 18 35 → 32 114 → 105分娩数 322,599(100%) 58,266(18%) 52,731(16%) 211,602(66%)子癇発症数 126(100%) 37(29%) 38(30%) 50(40%) 1(1%)子癇管理数 126(100%) 90(71%) 27(21.4%) 9(7%) 0脳血管障害発症数 26(100%) 8(31%) 5(19%) 8(31%) 5(19%)**脳血管障害管理数 26(100%) 21(81%) 5(19%) 0 0*2007 年時点の分娩施設数→ 2010 年時点の分娩施設数**自宅発症例(SAH3,脳梗塞 2)の死亡率は 2/5(40%)

合計 2005 2006 2007 2008 2009

分娩数 322,599 63,512 67,311 62,431 65,007 64,338子癇発症件数 126(0.04%) 25 29 22 31 19脳血管障害発症件数 26(0.008%) 2 7 4 4 9

血圧(DBP)の分布を検討したところ,発症時 SBPは 177.3±27.7mmHg,DBP は 106±18.1mmHgで,SBP160mmHg以上が 71%,拡張期血圧 110mmHg以上が 43%であった.死亡 4症例は全症例で SBPが 160mmHg以上であった2).

症例

(症例 1)

34 歳の初妊初産婦,妊娠中高血圧なく,39 週,40 週の尿蛋白(+)以外異常なし.40 週 5 日,陣痛発来にて前医入院(血圧 124�80mmHg).子宮口 8cm開大時に痙攣出現(血圧 210�120mmHg).抗痙攣薬使用せずに痙攣は短時間で消失したが,CTG上 bradycardia(40bpm)に陥り,A病院に母体搬送(血圧 150�100mmHg).A病院到着時には意識回復,CTG所見改善し,緊急帝王切開にて 2,979g,Apgar score 5�8,女児を娩出.手術終了 4時間後,痙攣発作再度出現(血圧 133�45mmHg),diaze-pam,phenytoin 使用.2回目痙攣発作 1時間後のT2WI,DWI にて両側基底核,橋の血管原性浮腫を認めた(図 1).Glycerin 使用,血圧正常化,術後8日目に母児共に神経学的後遺症なく退院.分娩時高血圧に痙攣,NRFSを合併,対応に苦慮する典

型例である3)4).(症例 2)

35 歳の初妊初産婦,両親とも高血圧あり.妊娠中妊娠高血圧症候群なく経過,35 週に前医からB病院へ里帰り紹介,血圧 112�85mmHg,尿蛋白(3+).36 週の妊婦健診にて血圧 187�120mmHg,尿蛋白(-),家庭血圧 130�100mmHg.高血圧を認めるも家庭血圧が高くなく白衣高血圧と判断された.40 週 0 日,陣 痛 発 来 入 院,血 圧 190�140mmHg.11 時間後,子宮口全開大時,頭痛出現,血圧 223�139mmHgにて nicardipine 投与開始.1時間後意識レベル低下(JCS100)にて急速遂娩(鉗子分娩),3,174g 男児,Apgar score 9�10 を娩出.会陰縫合時右上下肢麻痺出現,緊急頭部CT上,左尾状核出血,脳室内穿破を認めたため,内視鏡下血腫除去術,両側脳室ドレナージ術施行(図 1).術後 glycerin 使用.術後 32 日目歩行可能,術後 57日目リハビリセンター転院.本症例は高血圧性脳出血が血腫除去術により回復した幸運な症例である.外来で白衣高血圧と判断されたが,より厳重な血圧管理が求められる3)4).(症例 3)

27 歳の初妊初産婦,妊娠中妊娠高血圧症候群な

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1408 日産婦誌64巻 5 号

子癇,妊娠関連脳血管障害の診断管理

図 1上段:子癇症例の頭部MRI,CT画像(後頭葉局在脳浮腫)中段:子癇症例の頭部MRI 画像(基底核,橋局在型脳浮腫)(最左:症例 1)下段:妊娠関連高血圧性脳出血症例の頭部CT画像(最左:症例 2,中央:症例 3)矢印:脳浮腫および脳出血部位

く経過,前医での 31 週の妊婦健診にて血圧 124�86mmHg,尿蛋白(+).33 週 0 日,原因不明の腰部正中激痛出現し,前医院に連絡,C病院に紹介受診したが,受診時血圧 210�120mmHg,尿蛋白(4+),AST 205,ALT 196,PLT 78,000.受診1時間後に意識消失を伴う強直性痙攣発作出現,D病院へ転送.D病院到着時 JCS-200,血圧 180�102mmHg,痙攣発作重積状態のため,緊急帝王切開施行,1,390g 女児,Apgar score 6�8 を娩出.術直後から痙攣重積し,挿管状態で施行したCT上左尾状核頭部外側出血,脳室内穿破を認めたが(図1)開頭術困難な状態で,術後 20 日目に死亡3)5).本症例は基底核部が広範囲に損傷,高度頭蓋内圧亢進を認め,CT撮影時には既にかなり病状が進行していたと考えられる.純粋な高血圧性脳出血で説明可能かは検討を要し,劇症的に発症したHELLP症候群,脳出血で重症型である.

子癇の定義,発症機序

子癇は「妊娠 20 週以降に初めて痙攣発作を起こし,てんかんや二次性痙攣が否定されるもの」と定義される.子癇前駆症状として,頭痛,眩暈,眼華閃発,羞明,視力障害,胃痛,吐気,嘔吐があるが,子癇症例の 38%が前駆症状を伴わず発症するとの報告もある6).発作は意識消失,眼球上転から全身強直性痙攣を経て間代性痙攣に移行,呼吸停止を伴うが,通常数分で痙攣は弱まり昏睡に陥る.軽症例は意識回復し可逆性に経過するが,重症例は昏睡のまま発作重積し致死的転帰をとる.鑑別診断として,脳出血,脳梗塞,てんかん,脳腫瘍,ヒステリー,尿毒症等が重要である.子癇発作の発症機序として,「脳血管攣縮による

脳虚血性痙攣発作」説7)8)と「高血圧性脳症様痙攣発作」説9)~14)が報告されてきたが,我々は「脳血流量自動調節能破綻による脳血流量の異常増加が脳血

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2012年 5 月 1409

妊娠高血圧症候群の治療戦略【特集】

管関門の破壊,脳浮腫などを惹起し,痙攣発作に至り,その前後で脳血管攣縮を伴う可能性は否定できない」という新仮説を提唱している11)~13).

脳出血の発症機序

高血圧性脳出血における責任血管病変の破綻機序はいまだ確立されていない.体血圧上昇が脳血流量自動調節能逸脱による脳血流量異常増加を惹起し,脳内動脈とくに動脈壁が脆弱な穿通枝領域で血管内圧負荷が強くかかり破綻が脳内出血を引き起こし,中膜壊死,血漿性動脈壊死,小動脈瘤形成が関与するという機序仮説が最も支持されている15).

痙攣,意識障害等発症時の頭部画像診断

痙攣,意識障害など神経学的異常症状合併症例における脳内病変の評価は頭部画像撮影により行われる.脳出血,脳梗塞の有無,脳浮腫特性診断(血管原性浮腫か細胞障害性浮腫か)が主目的である.CT:多施設で 24 時間撮影可能で脳出血診断に有用.T2WI+FLAIR+DWI+ADC:組み合わせにより正確な脳浮腫特性診断が可能.MRA:血管系異常の精査が可能だが末梢血管評価には限界がある.脳浮腫局在は大脳皮質下局在型,視床,皮殻,

橋を含めた脳深部局在型,両者の混合型が存在する.子癇の重症化が高血圧性脳出血を惹起するかは不明だが,一部の子癇症例の脳浮腫局在と高血圧性脳出血好発部位が脳深部という共通部位である点は興味深い(図 1)16).

子癇,脳血管障害合併時の管理方法

痙攣,意識障害など神経学的異常症状合併妊婦の管理は,救急処置を最優先し,人手確保,バイタルチェック,気道確保,ルート確保,胎児心拍数確認が必要である.酸素投与,適切な抗痙攣治療,降圧治療を行い,分娩前の場合は緊急帝王切

開か急速遂娩を考慮する.分娩Ⅰ~Ⅱ期の痙攣発症例では瞬時にNRFSに陥る可能性を認識する必要がある.次に可能な状況であれば緊急CTによる脳出血除外診断を行い,特に脳出血合併時には脳外科との共同治療を開始せねばならない.可能な限り専門医による画像読影評価が望ましく,専門外医師による読影時には微小出血や少量のクモ膜下出血の見逃に注意が必要である.画像診断が不可能な一次医療施設においては,脳出血を示唆する症状(頭痛,視力障害,眼球位置異常,意識障害,運動麻痺)によるベッドサイド臨床診断を試み,脳外科対応可能な高次医療施設への遅滞なき母体搬送に踏み切る.我々産婦人科医は上記の症状が脳出血を示唆する重要所見であることを認識し,疲労,陣痛によると短絡的に考えてはならない.同時に,日頃より搬送先の応需情報の把握が重要である(図 2).高血圧性脳出血の好発部位は皮質下に比して深

部(被殻,視床,小脳,橋)が多く,脳出血による一次的脳障害,脳室穿破による脳圧亢進,脳ヘルニアが母体予後を悪化させる.外科的治療法として,開頭血腫除去術,CT定位的血腫吸引除去術,内視鏡下血腫除去術がある.血腫量 10mL以下の小出血,意識レベル昏睡例,脳幹出血は手術適応がないが,被殻出血,視床出血,皮質下出血,小脳出血は外科的治療が生命予後を改善させる可能性があるとされる17)18).これまで降圧剤としてmetildopa,hydraradine

が推奨されてきたが,この度 nifedipine は妊娠 20週以降使用可,labetarole は妊娠全期間中使用可となり,nicardipine 注射薬は妊婦禁忌の記載はないため, 今後 PIHに対する降圧療法の first line,second line を nicardipine を中心として再検討する必要があろう.なお,nicardipine,hydraradineは脳出血未止血時の使用は原則禁忌とされる.抗痙攣剤として phenytoine,diazepam等,痙攣予防としてMgSO4,脳圧亢進時には glycerin が各々

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1410 日産婦誌64巻 5 号

子癇,妊娠関連脳血管障害の診断管理

図 2 分娩時を中心とした子癇,妊娠関連脳血管障害診断管理法

有効である(産婦人科診療ガイドライン 2011,高血圧治療ガイドライン 2009,脳卒中治療ガイドライン 2009).AICHI DATA 2010 によると,各分娩施設の分

娩時高血圧に対する降圧開始点は,160�110mmHg(37%),180mmHg�(30%)の順であった.降 圧 剤 使 用 頻 度 は,高 次 医 療 施 設 で はnicardipine,hydraradine,metildopa,nifedipineの 順,一 次 医 療 施 設 で は hydraradine,nicardipine,nifedipine,metildopa の順であった.MgSO4 使用状況は,痙攣予防として使用:19%,痙攣重積予防として使用:16%,不使用:59%であった2).

母体救急搬送

AICHI DATA 2007�2010 によると,2005~2009年に愛知県内で発症した子癇の 40%,脳血管障害の 31%は一次施設発症,脳血管障害の 19%は自宅発症であった.子癇の 71%,脳血管障害の 81%

は大学病院と周産期母子医療センターで管理され,自宅発症脳血管障害合併妊婦の死亡率は 40%であった.分娩時痙攣合併の場合,49%の施設が即座に脳外科依頼,50%が痙攣重積時に初めて脳外科依頼するとした.痙攣の中に脳出血合併の可能性を考えると,痙攣発生時点で高次医療施設への搬送を考慮すべきである.また,AICHI DATA2007 で脳血管障害合併妊婦の搬送応需不可能な施設が地域周産期母子医療センターの中にも存在することが判明したが,周産期母子医療センターが脳血管障害,心臓循環器疾患対応力でなく産科,新生児科対応力を認定基準とした背景がある.今後,周産期母子医療センターおよび全総合病院の機能公開を行い,一次医療施設から高次医療施設への適切な搬送体制の確立が急務である(図2)2)4).

分娩時高血圧

分娩時高血圧に痙攣や脳出血を合併した場合は

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2012年 5 月 1411

妊娠高血圧症候群の治療戦略【特集】

表 2 分娩時高血圧(LOH)の母体新生児所見

normotensive(n=761)

mild LOH(n=121)

moderate LOH(n=65)

severe LOH(n=66)

入院時 SBP 117.8±11.4 129.5±12.5 131.5±16.7 138.2±17.1入院時DBP 74.0±9.1 81.6±9.1 83.7±13.2 86.6±11.9分娩中最高SBP 121.4±10.6 140.9±8.5 151.9±7.2 171.6±16.0分娩中最高DBP 73.9±9.6 82.4±11.1 88.0±12.3 97.7±21.5分娩直後 SBP 120.7±12.3 129.7±12.9 130.5±13.1 139.6±19.5分娩直後DBP 67.5±10.6 71.4±10.8 75.4±13.0 75.3±15.4分娩中降圧剤使用 0/761(0%) 1/121(0.8%) 0/65(0%) 12/66(18.2%)児出生体重 3,058.5±382.6 3,039.8±332.7 3,034.8±361.5 3,047.2±308.5AP(1分) 9.72±0.7 9.64±1.0 9.84±0.4 9.50±0.96AP(5分) 9.93±0.4 9.92±0.3 9.97±0.2 9.83±0.4臍帯動脈 pH 7.310±0.2 7.321±0.07 7.311±0.07 7.303±0.08産褥期降圧剤使用 0/761(0%) 1/121(0.8%) 6/65(9.2%) 12/66(18.2%)緊急母体搬送 0/761(0%) 1/121(0.8%) 1/65(1.5%) 4/66(6.1%)急速遂娩 86/761(11.3%) 12/121(9.9%) 7/65(10.8%) 13/66(19.7%)緊急帝王切開 11/761(1.4%) 2/121(1.7%) 1/65(1.5%) 1/66(1.5%)1カ月健診SBP 115.8±11.9 116.5±15.4 119.0±13.1 123.4±13.21 カ月健診DBP 63.7±9.3 65.0±11.0 66.6±9.2 68.4±9.71 カ月健診蛋白尿陽性 43/761(5.7%) 5/121(4.1%) 3/65(4.6%) 2/66(3.0%)

母児予後が瞬時に重篤化するが,臨床現場における分娩時高血圧や分娩中母体血圧推移に対する認識はいまだ不十分である.2009~2011 年の間に当院で管理した妊娠中

PIH所見のない分娩患者 1,013 人について,分娩Ⅰ~Ⅱ期に約 2時間以内の間隔で母体右上腕血圧を測定し(OMRON,HEM-7300,HEM-722,HEM-762),normotensive 群(分娩Ⅰ~Ⅱ期最高 SBP<140mmHg),mild LOH群(140mmHg�同 最 高SBP<150mmHg),moderate LOH 群(150mmHg�同最高 SBP<160mmHg),severe LOH群(同最高 SBP�160mmHg)に分類し,新生児所見,分娩後母体血圧,母体尿蛋白,降圧剤使用率,急速遂娩率,母体搬送率,1カ月検診時母体血圧,1カ月検診時母体尿蛋白との関連を比較検討した.更に,患者背景(年齢,出産回数,BMI,高血圧家族歴,PIH既往歴,妊娠中母体血圧,妊娠中母体尿蛋白,妊娠 30 週および 37 週時点の耳血検査所見)についても各群間で比較検討した(表 2)2).対象患者

は,normotensive 群 761 人(75%),mild LOH 群121 人(12%),moderate LOH 群 65 人(6%),se-vere LOH群 66 人(7%)に分類された.SevereLOH群では,入院時 SBP(138.2±17.1mmHg)およびDBP(86.6±11.9mmHg),分娩直後 SBP(139.6±19.5mmHg),産後降圧剤使用率(18%),救急搬送率(6%),急速遂娩率(20%)産褥 1月 SBP(123.4±13.2mmHg)が他群に比較して有意に高かった.患者背景として,severe LOH群では,高血圧家族歴陽性率(31.8%),妊娠中蛋白尿(+)率(40.9%),妊娠中蛋白尿(++)率(13.6%)が有意に高く,血小板減少(-6,997±39,022)が多い傾向にあった.Severe LOH群では妊娠 16 週以降 SBPおよびDBPが正常範囲ながら高い傾向を示した.SevereLOH発症リスク因子としての odds ratio は,非妊時BMI�25=9.34,高血圧家族歴有=7.29,妊娠中尿蛋白(++)=24.8,妊娠中 SBP�135mmHg=8.3 であった(表 3)2).

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1412 日産婦誌64巻 5 号

子癇,妊娠関連脳血管障害の診断管理

表 3 分娩時高血圧(LOH)の発症リスク因子severe LOH moderate+severe LOH

Odds (95%CI) P value Odds (95%CI) P value

初産(vs 経産) 1.17 (0.71-1.92) 0.549 1.20 (0.83-1.73) 0.331年齢>_30 2.08 (1.18-3.67) <0.05 1.68 (1.13-2.49) <0.05年齢>_35 2.88 (1.67-4.99) <0.01 2.14 (1.38-3.32) <0.01非妊時BMI>_25 9.34 (4.39-19.9) <0.01 6.55 (3.24-13.2) <0.01高血圧家族歴有(vs 家族歴無) 7.29 (4.07-13.1) <0.01 11.1 (6.75-18.2) <0.01妊娠中UP(+~) 4.47 (2.64-7.56) <0.01 4.42 (2.94-6.65) <0.0136 週以降UP(+~) 4.61 (2.63-8.10) <0.01 4.26 (2.71-6.71) <0.01妊娠中UP(++) 24.8 (8.58-72.0) <0.01 48.5 (10.8-217.5) <0.0136 週以降UP(++) 26.0 (8.24-81.9) <0.01 88.8 (11.5-689.4) <0.01明らかな浮腫有(vs 浮腫無) 3.79 (2.21-6.53) <0.01 2.44 (1.57-3.80) <0.01妊娠中 SBP>_130 3.97 (2.37-6.66) <0.01 4.54 (3.06-6.72) <0.0136 週以降 SBP>_130 3.90 (2.29-6.64) <0.01 4.47 (2.97-6.73) <0.01妊娠中 SBP>_135 8.30 (4.50-15.3) <0.01 8.23 (4.82-14.1) <0.0136 週以降 SBP>_135 8.08 (4.27-15.3) <0.01 8.29 (4.73-14.5) <0.01

95%CI:95% confidence interval

家庭血圧測定(HBPM)による分娩時高血圧,PIHの早期診断

(症例 4)

32 歳の初妊初産婦,高血圧家族歴あり(実母).34 週 3 日の妊婦健診で血圧 115�67mmHg,尿蛋白(±),35 週 6 日自宅で右側頭部痛あり不眠.36週 2 日の妊婦検診で血圧 121�81mmHg,尿蛋白(++++),強度下肢浮腫出現しHBPM開始.36週 3 日朝の家庭血圧が 200�100mmHgに上昇したため当院に連絡あり高次施設搬送受け入れ要請,患者来院時血圧 221�120mmHg,hydralazine10mg 内服して救急搬送.Hydralazine 90mg�日にて血圧コントロール不良のため 36 週 6 日緊急帝王切開にて 2,608g,Apgar score 8�9,女児を娩出.Nifedipine にて血圧正常化,産褥 6日目に母児共に退院19).PIH急激悪化症例や分娩時高血圧に対する妊婦

健診時血圧測定による早期診断には限界がある.以前から高血圧管理上のHBPMの有用性が多数

報告されているにもかかわらず20)~22),周産期領域におけるHBPMの有用性は十分に検討されてこなかった.我々は SBPが 150mmHg以上の場合連絡するよう患者に説明しているが,症例 4ではHBPM開始翌日に血圧急上昇を認めており,HBPMで早期診断しなかった場合に自宅で脳出血や子癇発作を発症した可能性を否定できず,HBPMにより救命できた症例といっても過言ではない.従来,高血圧診療における血圧測定は外来随時

血圧測定がゴールドスタンダードであったが,本邦におけるHBPM装置普及台数が 4,000 万台以上となり,諸研究によりHBPが随時血圧より優れていることが報告されている.世界初のHBPMを用いた一般住民ベースの疫学研究である「大迫研究」は国際的ガイドラインにおけるHBPの臨床的意義の記述の基礎となる下記の成果を報告している23)24).① HBPMの脳卒中発症予測能は随時血圧測定より優れている.②家庭脈拍数高値は脳心血管系死亡リスクである.③HBPMにおける日間血圧変動の高値は脳卒中発症と関連する.④白

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2012年 5 月 1413

妊娠高血圧症候群の治療戦略【特集】

衣高血圧者(診察室血圧�140�90mmHg,HBP<135�85mmHg)は 8年後に真の高血圧となるリスクが真の正常血圧者より高い.AICHI DATA 2010 に よ る と,HBPMを PIH

や分娩時高血圧の予知上有用と考える施設は83.9%,実施施設は 63.2%であった.HBPMが将来の PIH管理の重要な tool になると期待される.

子癇の用語使用法

妊婦の痙攣に関する記載は紀元前 2200 年のエジプトに遡るとの説もあり,紀元前 4世紀にHip-pocrates は妊婦痙攣が死亡に繋がる可能性を指摘,1739 年に Bossler が子癇の概念を紹介した25).このように「子癇」は,脳内病態の解明がなされるかなり以前に定義され,現在も使用され続けている.近年の頭部画像診断法の進歩によりその主病態が一過性血管原性脳浮腫と解明され,「子癇」と考えられていた痙攣症例の中に脳出血合併例が存在することも明らかとなった.我々が「子癇」「痙攣発作」「PRES」「高血圧性脳出血」を混同使用していることが正確な病態解明と理解の障害となっている.今後さらに病態解明を進め,「子癇」という表現法の適不適を含めた根本的な再検討が必要であろう.

脳神経外科との collaboration

妊娠関連脳血管障害を管理するうえで,産婦人科,脳神経外科,神経内科,放射線科,救急科の連携は不可欠であるが,現状では全ての医療施設で円滑な連携が構築されているとは言い難い.致死率の高い脳出血という観点から考えた場合,各医療施設での産婦人科と脳神経外科の連携構築の必要性は言うまでもないが,日本産科婦人科学会と日本脳神経外科学会という主要学会間の共同研究,合同シンポジウム開催などの collaborationが重要と考えられる.日本脳神経外科学会の平成23 年度公式事業として「日本全国における妊娠脳

卒中の後方視的検討」が開始されたことは画期的なことである.平成 24 年 8 月に開催される脳血管障害関連学会(Mt Fuji Workshop on CVD)のメインテーマに「妊娠脳卒中」が採用され活発に討論される予定である.

文献

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1414 日産婦誌64巻 5 号

子癇,妊娠関連脳血管障害の診断管理

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Management of Eclampsia and Cerebrovascular Diseases during Pregnancy

Yasumasa OHNOOHNO Ladies Clinic, Director

Key words: Eclampsia, Cerebrovascular disease, Labor onset hypertension, Pregnancyinduced hypertension