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85 日看管会誌 Vol. 14, No. 1, 2010 The Journal of the Japan Academy of Nursing Administration and Policies Vol. 14, No. 1, PP 85-94, 2010 資料 看護師のワーク・ファミリー・コンフリクト (WFC) についての文献レビュー Literature Review of Work-Family Conflict (WFC) among Nurses 竹内朋子 Tomoko Takeuchi Key words : nurses, literature review, work-family conflict(WFC) キーワード : 看護師,文献レビュー,ワーク・ファミリー・コンフリクト (WFC) Abstract Objective : Review of previous studies examining WFC among nurses in Japan and overseas with the following aims: 1) To clarify research issues related to WFC among Japanese nurses. 2) To gain practical suggestions on how to reduce WFC and steps that should be taken to create a work environment enabling nurses to work and have a family life. Method : Sixteen papers were selected from CINAHL and Igaku Chuo Zasshi. Researchers, publication dates, study designs, study methods, subject attributes and numbers, ways of dealing with WFC, factors increasing WFC, outcomes due to increased WFC and other data were examined (Table 1). Results, Discussion : 1) It was found that increased WFC among nurses leads to a wide range of negative outcomes among both individual nurses and nursing organizations overall. 2) WFC among nurses is a heavy occupational burden. Since this increases when there is little support, it is possible that steps such as examining various forms of employment suitable for individual lifestyles, the establishment of systems to eliminate overtime, and the fostering of organizational culture that supports nurses at work and in the home, could reduce WFC. 3) It is hoped that future studies of WFC among nurses will use broader sampling with more unified attributes and study designs with a high level of evidence, and examine the relationship between an organizational culture that supports nurses at work and in the home and the degree of physical and mental well-being. 【目的】以下の2点を目的とし,看護師の WFC について検討した国内外の先行研究をレ ビューした.1)日本の看護師の WFC に関する研究上の課題を明らかにする 2)WFC を 低減し,看護師にとって仕事と家庭生活の両立が可能な職場環境を整えるために取り組むべ き実践上の示唆を得る. 【方法】 「CINAHL」と「医中誌」から16文献を抽出した.それらの研究内容を,研究者,発表年, 研究デザイン,研究方法,対象者の属性と人数,WFC の扱い方,WFC の増大に関連する要因, WFC の増大によるアウトカム,その他得られた知見ごとにまとめた(表1). 【結果,考察】1)看護師の WFC の増大は,看護師個人だけでなく,看護組織全体にとっ ても様々な負のアウトカムをもたらすことが明らかにされていた.2)看護師の WFC は,職 務上の負荷が大きく,サポートが少ない場合に増大するため,看護師の WFC を低減させるに は,個人のライフスタイルに対応できる多様な就労形態を検討し,残業をなくすための体制 を整備していくこと,また,両立支援的組織文化の醸成度を高めるような活動が有用である 可能性がみとめられた. 受付日:2009 年 8 月 24 日  受理日:2009 年 12 月 22 日 東京大学大学院医学系研究科 Graduate School of Medicine,The University of Tokyo

看護師のワーク・ファミリー・コンフリクト(WFC) …janap.umin.ac.jp/mokuji/J1401/10000016.pdf86 日看管会誌 Vol. 14, No. 1, 2010 Ⅰ.はじめに 仕事と家庭生活の両立にまつわる概念のひとつ

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85日看管会誌 Vol. 14, No. 1, 2010

The Journal of the Japan Academy of Nursing Administration and Policies Vol. 14, No. 1, PP 85-94, 2010

資料

看護師のワーク・ファミリー・コンフリクト (WFC)についての文献レビュー

Literature Review of Work-Family Conflict (WFC) among Nurses

竹内朋子Tomoko Takeuchi

Key words : nurses, literature review, work-family conflict(WFC)

キーワード : 看護師,文献レビュー,ワーク・ファミリー・コンフリクト (WFC)

AbstractObjective: Review of previous studies examining WFC among nurses in Japan and overseas with the

following aims: 1) To clarify research issues related to WFC among Japanese nurses. 2) To gain practical suggestions on how to reduce WFC and steps that should be taken to create a work environment enabling nurses to work and have a family life.

Method : Sixteen papers were selected from CINAHL and Igaku Chuo Zasshi. Researchers, publication dates, study designs, study methods, subject attributes and numbers, ways of dealing with WFC, factors increasing WFC, outcomes due to increased WFC and other data were examined (Table 1).

Results, Discussion : 1) It was found that increased WFC among nurses leads to a wide range of negative outcomes among both individual nurses and nursing organizations overall. 2) WFC among nurses is a heavy occupational burden. Since this increases when there is little support, it is possible that steps such as examining various forms of employment suitable for individual lifestyles, the establishment of systems to eliminate overtime, and the fostering of organizational culture that supports nurses at work and in the home, could reduce WFC. 3) It is hoped that future studies of WFC among nurses will use broader sampling with more unified attributes and study designs with a high level of evidence, and examine the relationship between an organizational culture that supports nurses at work and in the home and the degree of physical and mental well-being.

要  旨

【目的】以下の2点を目的とし,看護師の WFC について検討した国内外の先行研究をレビューした.1)日本の看護師の WFC に関する研究上の課題を明らかにする 2)WFC を低減し,看護師にとって仕事と家庭生活の両立が可能な職場環境を整えるために取り組むべき実践上の示唆を得る.【方法】「CINAHL」と「医中誌」から 16 文献を抽出した.それらの研究内容を,研究者,発表年,

研究デザイン,研究方法,対象者の属性と人数,WFC の扱い方,WFC の増大に関連する要因,WFC の増大によるアウトカム,その他得られた知見ごとにまとめた(表1).【結果,考察】1)看護師の WFC の増大は,看護師個人だけでなく,看護組織全体にとっ

ても様々な負のアウトカムをもたらすことが明らかにされていた.2)看護師の WFC は,職務上の負荷が大きく,サポートが少ない場合に増大するため,看護師の WFC を低減させるには,個人のライフスタイルに対応できる多様な就労形態を検討し,残業をなくすための体制を整備していくこと,また,両立支援的組織文化の醸成度を高めるような活動が有用である可能性がみとめられた.

受付日:2009 年 8 月 24 日  受理日:2009 年 12 月 22 日東京大学大学院医学系研究科 Graduate School of Medicine,The University of Tokyo

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Ⅰ.はじめに

仕事と家庭生活の両立にまつわる概念のひとつに,ワーク・ファミリー・コンフリクト(work-family conflict: WFC)がある.WFC は,「個人の仕事と家庭からの役割要請が,いくつかの観点で互いに両立しないような役割間葛藤の一形態」と定義され

(Greenhaus & Beutell, 1985),労働者のストレッサーのひとつとして心理学,社会学,経営学などの領域で広く注目されている (藤本 , 吉田 , 1999; Eby, et al., 2005).

看護師を対象にした全国調査によると(日本看護協会 , 2002),看護師は職場や働き方を選ぶ上で「家庭生活と両立できること」を最も重視している.専門職であり,なおかつヒューマンサービスの一種である看護職は,職務遂行のための心身の消耗が大きく,WFC の発生しやすい職業のひとつであることが考えられる.

現在,日本人女性の第一子出産年齢は,25 歳から39 歳が全体の 8 割以上を占めており(厚生労働省 , 2007),その後の約 12 年間が育児期間として続く.この年齢層の看護師の多くは,専門職としてのキャリアを積んだ重要な戦力であると同時に,後続するスタッフを教育し,以降の看護組織を牽引する貴重な人材として成長している.また,医療経済の視点からも,勤続約 10 年を経過する時点で,看護師ひとりを養成する継続教育のための人的・経済的投資期間から,それらの投資回収期間へ移行するとされている(角田 , 2007).したがって,この年齢層の看護師が仕事と家庭生活の両立の困難さ,すなわちWFC を理由に退職または転職していくことは,看護組織にとっては見逃すことのできない厖大な損失であり,その対策を検討する重要性は極めて大きい.

したがって本稿は,看護師の WFC について検討した国内外の先行研究をレビューし,その動向と既得の知見を把握することにより,日本の看護師のWFC に関する研究上の課題,ならびに WFC を低減し,看護師にとって仕事と家庭生活の両立が可能

な職場環境を整えるために取り組むべき実践上の示唆を得ることを目的とした.

Ⅱ.方法

1.本稿における用語の操作的定義本稿は WFC の操作的定義として先に挙げた

Greenhaus & Beutell(1985) による定義に倣い,WFC は「仕事のために家庭での役割を充分に果たせない」というような「仕事役割から家庭役割への葛藤(work-to-family conflict)」と,「家庭での役割のために仕事が充分にこなせない」というような「家庭役割から仕事役割への葛藤(family-to-work conflict)」のふたつの方向性を持つ下位概念から成るものとする.

なお,WFC の類似概念にワーク・ライフ・バランス(work-life balance:WLB)があり,「働く者一人ひとりが,職業生活における各々の段階において仕事と仕事以外の活動(家庭,地域,学習)をさまざまに組み合わせ,バランスのとれた働き方を安心・納得して選択していけるようにすること」と定義されている(内閣府,2010).このような労働者全般の「仕事と生活の調和」を表わす WLB は,家庭における役割を持つ労働者の役割葛藤を表わすWFC とは概念の対象とする者の属性が異なることから,本稿では WFC についての理解を深めるために両者を異義語として捉え,WFC のみについて言及する.

2.文献検索、抽出方法レビュー対象である 16 文献は以下の方法により

検索,抽出した.1)海外文献海 外 文 献 は,「CINAHL(Cumulative Index to

Nursing and Allied Health Literature)」 に よ り1993 年から 2009 年の期間について検索した.キーワードは「nurses and ‘work-family conflict’」で,

3)今後の看護師の WFC 研究において,幅広く,かつ属性の統一されたサンプリングや,よりエビデンス・レベルの高い研究デザインの採用,両立支援的組織文化や心身の健康度との関連の検討が期待される.

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検索フィールドは「TX:All Text」とした.検索された 73 文献のうち,抄録または本文をもとに看護師の WFC に関する研究ではないと判断した 35文献(保健師を対象とした 9 文献,医師を対象とした 5 文献,介護施設のスタッフを対象とした 8 文献,WLB に関する 13 文献),ならびに入手できなかった 24 文献(抄録,本文共に入手困難であった海外の学位論文 14 文献,抄録のみ入手可能で本文は入手困難であった海外の学位論文 10 文献)を除外し,最終的に 14 文献をレビュー対象とした.

2)国内文献国内文献は,「医中誌 Web」により 1983 年から

2009 年の期間について検索した.キーワードは「看護師 and ワーク・ファミリー・コンフリクト」とした.検索された 3 文献のうち,海外文献との重複文献を除外し,最終的に 2 文献をレビュー対象とした.

3.レビュー方法 (表1)レビュー対象として抽出した国内外の 16 文献の

研究内容を,研究者,発表年,研究デザイン,研究方法,対象者の属性と人数,WFC の扱い方(WFC全体を 1 次元として扱っている,もしくは work- to-family conflict と family-to-work conflict のどちらかまたは両方を扱っている),WFC の増大に関連する要因,WFC の増大によるアウトカム,その他得られた知見ごとにまとめた(表1).

Ⅲ.結果

1.年代別発表文献数2005 年までは数年おきに 1 文献ずつ,2006 年以

降には 9 文献が発表されていた.

2.研究デザイン、方法1 文献(Majomi, et al., 2003)が面接調査であるの

を除き,それ以外は全て質問紙調査による横断研究であった.

3.対象者男性,非婚者,子供を持たない者を含む看護師全

体を対象にしたものは 9 文献,女性看護師のみに限定したものは 7 件,そのうちさらに子供を持つ女性

看護師にまで絞り込んだものは 2 文献(Barnett, et al. 2008: Fujimoto, et al. 2008)であった.

4.WFC の扱い方WFC 全 体 を 1 次 元 と し て 扱 っ た も の は 8 文

献,work - to - family conflict と family - to - work conflict のどちらかまたは両方を扱ったものは 8 文献だった.

5.WFC (work-to-family conflict、family-to-work conflict)の増大に関連する要因

WFC の増大に関連する仕事の属性・特性として,就労形態が希望に沿わない(Burke & Greenglass, 1999),離職率の高い病院に勤めている(Stordeur & D’Hoore, 2006), 夜 勤 が あ る( 本 間, 中 川,2002),労働時間が長く,不規則なシフト(Barnett, et al., 2008), 心 身 の 健 康 度 が 不 良 で あ る こ と

(Sveinsdóttir, et al., 2008)が挙げられていた.また,WFC を下位概念ごとに扱った文献では,work-to-family conflict の増大にはフルタイム勤務(Burke & Greenglass, 2001), 仕 事 量 が 多 い(Burke & Greenglass, 2001),スタッフ間の衝突がある(Burke & Greenglass, 2001),仕事の要求度が高い(Simon, et al., 2004: Yildirim & Aycan, 2008), 就 業 時 間が不規則(Simon, et al., 2004: Yildirim & Aycan, 2008),残業を強いられる(Simon, et al., 2004),3交代シフト(Fujimoto, et al., 2008),上司からの支援が少ない(Yildirim & Aycan, 2008),育児に関する職場からの支援が少ない(Fujimoto, et al., 2008)ことが関連すると示されていた.family-to-work conflict の増大に関連する仕事の属性・特性について検討した文献はなかった.

また,WFC の増大に関連する家庭の属性・特性としては,0 ~ 6 歳の子供がいる(本間,中川,2002),子供の育児・教育の悩みがある(本間,中川,2002),夫以外の家族と同居していない(本間,中川,2002),夫の育児協力に満足していない(上村ら,2005)ことであった.family-to-work conflict の増大には子供がいること(Burke & Greenglass, 2001)が関連するとされていた.家庭の属性・特性としてwork-to-family conflict の増大に関連する要因について検討した文献はなかった.

さらに,個人の属性・特性としては,30 歳代(本間,

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88 日看管会誌 Vol. 14, No. 1, 2010

1996 378

1999 1,362

2001 686

2002 280

2003 20

2004 27,603

2005 128

3

2006 1,213

65

2006 1,538

2006 1,175

2008 110

8 14 55

2008 378

2008 464

2008 391

2008 243

2009 576

表 1 文献の概要

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89日看管会誌 Vol. 14, No. 1, 2010

0 6

30

35

3

表 1 文献の概要(つづき)

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中川,2002)あるいは 35 歳以上(上村ら , 2005)であること,眠れない(上村ら , 2005),うつ症状の自覚や焦燥感など心身の健康度が不良であること(上村ら , 2005:Sveinsdóttir, et al., 2008:Höge, 2009)が WFC の増大と,自身の年齢が低いこと(Burke & Greenglass, 2001)が family-to-work conflict の増大に関連するとされていた.個人の属性・特性として work-to-family conflict の増大に関連する要因について検討した文献はなかった.

6.WFC (work-to-family conflict、family-to-work conflict)の増大によるアウトカム

WFC が増大することにより,母子間の気持ちの分離が亢進(上村ら,2005),幼児への愛着が不安定化(上村ら , 2005),心身の不快症状が増大(Höge, 2009)するとされていた.

また,work-to-family conflict の増大によって,バーン・アウト(Burke & Greenglass, 2001),離職意図(Simon, et al., 2004)や職業性ストレス(Pal & Saksvik, 2008)の増大,職務満足度の低下(Kovber, et al., 2006), 生 活 の 満 足 度 の 低 下(Yildirim & Aycan, 2008)につながることが明らかにされている.

family-to-work conflict の増大によっては,専門職としての‘efficacy’が低下するとされていた(Burke & Greenglass, 2001).

7.その他WFC の発生率を検討した文献では,work-to-

family conflict の 方 が family-to-work conflict より も 現 わ れ や す く(Burke & Greenglass, 2001: Grzywacz, et al., 2006),51% の看護師が慢性的なwork-to-family conflict を抱えている(Grzywacz, et al., 2006)とされていた.看護師は仕事と家庭生活の均衡を保ちにくいことが質的研究を扱った文献によって描写され(Majomi, et al., 2003),看護師は看護職以外の職業に携わる女性に比べて WFC スコアが高いことも明らかになっていた(本間,中川,2002).

また,管理職にある看護師の WFC を男女比較した研究では,男性管理職の方が女性管理職よりもWFC が発生しやすいこと(Rozier, 1996)が,また,異なる人種の看護師間では,WFC 増大と職業性ス

トレスの関連に相違がある(Pal & Saksvik, 2008)ことも明らかにされていた.

Ⅳ.考察

1.日本の看護師の WFC に関する研究上の課題1)発表年からみる看護師の WFC 研究への関心

の推移今回レビュー対象として抽出された文献は,2006

年以降に発表されたものが大半を占めていることから,看護師の WFC 研究は,国際的にみて近年特に注目され始めた研究領域であると言える.さらに,日本の看護師の WFC 研究として国際誌に原著論文として報告されているものは 1 文献(Fujimoto, et al., 2008)のみであり,日本の看護師の WFC 研究はほとんど黎明期にあると言っても過言ではない.

日本の看護師の WFC への関心が高まり始めた背景のひとつには,2006 年度診療報酬制度改定に伴う看護人員 7:1 制度の導入により,各病院施設における看護師確保が激戦化し続けていることが考えられる.いわゆる「看護人材確保の 3 つの R」として,新卒看護師の雇用確保(Recruitment),潜在看護師の再雇用(Return)に続き,第 3 の「R」である現職看護師の定着(Retain)のための施策が重要視され始めた.この第 3 の「R」の要となるのは,看護師が働き続けられる職場を整備することであり,それを阻害する要素を排除していく組織的な活動である.先に挙げた意識調査の結果が示すように,看護師の最も重視する「仕事と家庭生活の両立」を阻害する概念としての WFC への関心は,このような背景の中で日本でも今後ますます高まりゆくものと考えられる.

2)研究デザインについてレビュー対象のほぼ全文献が自記式質問紙調査

による横断研究であり,画一的なデザインが踏襲されている.看護職以外の労働者を対象としたRantanen, et al.,(2008)の縦断研究では,ベースラインで WFC を抱えている労働者は 6 年後も WFCを抱え続けている,という結果が得られている.

看護師の WFC 研究においても,より質の高いエビデンスが得られるような研究デザインが求められる.

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3)対象者について今回のレビュー文献では,看護師であること以外,

対象者の性別,婚姻状況,扶養児童の有無などが統制されていないものが大半を占めていた.家庭における役割負担や家事・育児に関する価値観には男女による性差が存在し(Burke & Greenglass, 1987),日本では特に働く女性の役割負担が大きい(前田 , 2004)との知見を踏まえると,男女を混合して分析することは避けるべきである.また,WFC が「仕事と家庭における多重役割から生じる葛藤」と定義される以上,婚姻状況や扶養児童の有無がある程度統一されたサンプルが望ましい.

また,全ての文献の対象者は,調査時点で看護職に携わっている者であった.つまり,WFC を含めた様々なストレッサーに曝されながらも,何とか就労を継続できている者だけでなく,WFC がために退職に至った者についても対象に加えていくことで,より有意義な結果が得られるものと思われる.

4)WFC の扱い方について現時点における看護師の WFC 研究では,WFC,

work-to-family conflict,family-to-work conflict の概念が混在したままのものが多い.WFC は,work -to- family conflict と family-to-work conflict という2方向性をもつ下位概念の上位に位置するものであり,これらの概念は明確に区別される必要がある.看護師以外の労働者を対象としたパス解析では,ふたつの下位概念はそれぞれ異なるものであることが明らかにされており(Michel & Hargis, 2008),多くの研究では両者を別個に分析している.

5)WFC (work-to-family conflict、family-to-work conflict)の増大に関連する要因について

レビュー文献では,看護師以外の労働者の研究で用いられている仕事の要求度や就労形態など一般的な職場特性を始め,看護職特有の勤務体制などを考慮した変数も用いられていた.また,育児に対する職場からの支援(Fujimoto, et al., 2008),上司からの支援(Yildirim & Aycan, 2008)など,両立支援的な組織文化を構成する断片的な変数が加えられた研究も現われ始めている.両立支援的な組織文化は,看護師以外の WFC 研究においては予てより重要視されており, ’Work - Family Culture Scale’

(Thompson, et al., 1999)や ’Family-Supportive

Organization Perceptions Scale’(Allen, 2001)など,両立支援的組織文化測定のための尺度が開発されている.看護師のWFC研究においても,これら信頼性・妥当性の検証された尺度を用いた研究や,あるいは看護職の組織文化の特性に応じた新たな尺度開発などにより,両立支援的組織文化と WFC の関連について検討していく必要がある.

6)WFC (work-to-family conflict、family-to-work conflict)の増大によるアウトカムについて

看護師以外の労働者の研究で多く用いられる変数と同様,離職意図や職務満足が検討されているものが多かった.看護師の WFC 研究への関心につながる背景のひとつが,現職看護師の定着の必然性であればこそ,これらのアウトカム変数が選択されることは自然である.しかし,看護師の離職意図や職務満足には抑うつや蓄積疲労など,心身の健康度が関連していることを考えると,離職意図や職務満足に先行する変数として,WFC と心身の健康度についても検討していく必要がある.

7)その他海外研究の日本への応用について日本国内と海外では育児をとりまく背景が大きく

異なるため,海外での研究知見を国内の研究に応用する際には,安易な比較や引用が適切でない場合がある.公的な育児支援制度や育児に関する実情,意識は,日本,米国,スウェーデンを例にしても相当に異なる(表 2).前田(2004)によると,米国では家庭と仕事の両立は基本的に労働者の自己責任あるいは企業の努力責任とみなされているため,政府は介入せず,育児サービスも市場に任されている.優良企業に勤務する高収入層の女性ほど,企業からの手厚い支援を受け,良質のサービスを購入し,仕事と育児の両立が容易になるような構造になっており,働く女性の二極分化が著明である.スウェーデンでは,整備された両立支援制度を利用して,育児中も就労を継続するケースが非常に多い.これは,介護や保育といった福祉分野を充実させる政策によって,この分野の公的労働の拡充が女性労働力の吸収先になり,同時に両立支援制度施行のための人的確保につながるという,良い循環が生じたことによるとされている.

日本では社会経済の変化に伴い,性別分業制度を前提とした雇用慣行や社会保障制度,価値観の大き

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な変革を迫られているにも関わらず,情勢の変動にこれらの変革が追い付いていない状況にある.また,長時間労働信奉に加え,「育児は女性の義務」との価値観が根強く,諸外国に比べて育児をしながら働く女性に厳しい社会であるのも日本の特徴とされる.

日本においても遅まきながら,ようやく看護師のWFC が注目されるようになってはきたが,日本と海外の背景の違いを充分に踏まえた上で,国内外の企業での研究を参考にしながら研究結果を蓄積していく必要がある.

2.日本の看護師の WFC を低減するために取り組むべき実践上の示唆

1)WFC 低減のための取り組みの位置づけ1990 年代から本格化した政府による様々な少子化

対策を受け,企業では従業員の仕事と育児を両立させるための取り組みが進んでいる.2005 年に施行された「次世代育成支援対策推進法」において,厚生労働省は,301 人以上の従業員を雇用する事業主に対して両立支援に関する行動計画書の提出を義務付けており,2006 年 3 月までの届出率は 99.1%と発表している.多くの企業が仕事と家庭生活の両立支援に積極的に取り組む目的には,政府の謳う少子化対策以外にも,短期的には優秀な人材の確保や人事労務面でのコスト削減,長期的には生産性の改善や企業イメージの向上など経営全般のメリットを得ることも含まれている.従業員の WFC を低減させ,仕事と家庭生活を両立させるための取り組みは,単なる法令遵守という受動的な活動としてではなく,今

日の企業にとって,経営戦略のひとつとして重要な意義を持つようになってきており,この傾向は病院組織にとっても例外ではない.

今回のレビュー文献においても,看護師の WFCの増大は,職務満足度の低下や離職意図の増大,専門職としての能力の低下など,職務遂行上の様々な負のアウトカムにつながることが明らかにされていた.長年慢性的な人材不足を解決できずにいる看護職においては,これら WFC 増大のもたらす負のアウトカムを回避するために,企業で為されているのと同等以上の努力をしていく必要性が示唆されていた.

2)ライフスタイルに応じた多様な就労形態、残業対策の重要性

今回レビューした多くの文献が,看護師の WFCの増大に関連する要因として,不規則な就業シフト,夜勤,残業の強要などを挙げていた.これには「勤務時間が雇用主によって厳格に規定され,労働者側の意向は採択されにくい」(角田 , 2007),「手当の有無に関わらず,残業を命じられたらそれに従うのが労働者の美徳」という日本の労働事情の特色(前田 , 2004)が背景のひとつにあるためと思われる.看護職は,不規則な長時間勤務や突発的な残業を避けることが困難な職業のひとつではあるが,近年,正規社員の短時間勤務や時差出勤,個人の希望に沿った変則シフト,ノー残業デーの導入などに取り組む病院が増えつつある(尾崎 , 2008).本稿でレビューした文献の多くは,看護師の WFC 低減のために,個人のライフスタイルに対応できる多様な就労形態を検討し,残業をなくすための体制を整備していくこ

表 2 公的な育児支援制度や育児に関する実情・意識の海外比較例

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との有用性を支持する結果を示していた.3)両立支援的な組織文化の重要性Fujimoto, et al.(2008) と Yildirim & Aycan

(2008)による研究では,育児や家庭での役割に対する職場や上司からの支援が WFC (work-to-family conflict)の関連要因であるとされていたが,WFCの低減にとってこのような仕事と家庭生活の両立に支援的な組織文化が重要であることは,看護職以外の労働者における WFC では既に周知されている.Thompson, et al.(1999)は,両立支援的組織文化を「従業員の仕事と家庭の統合を組織が支持し,価値を置く程度に関して,従業員が共有する暗黙の了解・信念・価値」と定義し,組織での両立支援施策が効果を生むためには,単にそれらの制度を導入するだけでは充分でなく,背景となる両立支援的な組織文化の醸成度を高めることがより重要であると述べている.これら組織文化の改革には組織のリーダーとなる者の果たす役割が大きく,企業では管理職に相当する人物を対象としたセミナーなどの啓発活動が行われている.看護職においても,WFC 低減策のひとつとして先に挙げた就労形態や残業対策と併せて,両立支援的組織文化の醸成度を高めるような活動が望まれる.

Ⅴ.まとめ

看護師の WFC に関する国内外の 16 文献のレビューにより,今後の研究上の課題ならびに WFC低減のための実践上の課題として以下の 3 点の示唆を得た.

1)看護師の WFC の増大は,看護師個人だけでなく,看護組織全体にとっても様々な負のアウトカムにつながることが明らかにされていた.

2)看護師の WFC を低減させるためには,個人のライフスタイルに対応できる多様な就労形態を検討し,残業をなくすための体制を整備していくこと,また,両立支援的組織文化の醸成度を高めるような活動が有用である可能性がみとめられた.

3)今後の看護師の WFC 研究において,幅広く,かつ属性の統一されたサンプリングや,よりエビデンス・レベルの高い研究デザインの採用,両立支援的組織文化や心身の健康度との関連の検討が期待さ

れる.

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