1
ʢฏʣ ɹɹ ʢฏʣ ɹɹ छ༣ศՄ ɹ ߸ ʢץʣ छ༣ศՄ ʢ༦ץʣ ʢ༦ץʣ 夕刊発行100年 おかげさまで 発行所 530 - 8211 大阪市北区 中之島2 - 3 - 18 電話: 06 - 6231 - 0131 www.asahi.com 朝日新聞大阪本社 阪本社 記事は山下奈緒子、写真は上田潤、グラフィックは高橋亮知、編集は大部智洋、三輪千尋が担当しました。 ■ 関西遺産は毎週水曜日に掲載しています。推薦を募ります。 〈ファクス〉06・6229・2649 〈メール〉do-kansai@asahi.com 1970314 これからも ごっつパワフル ともに歩んだ いつもの顔 織田信成さん 28大阪在住のプロフィギュアスケーター 45 199070 70 25 調68 49 西西西100特別紙面でお届けしています。1枚外すとテレビ欄など通常の紙面です 特別紙面でお届けしています。1枚外すとテレビ欄など通常の紙面です 太陽の塔 ◆1915(大正4)年10月10日発行の夕刊 は4㌻でした。1面は軍による飛行を報じた 写 真のほか、「 英 国 皇 太 子が狙 撃され負 傷」などの記事を掲載。翌日配達の地域が あったため、上にある日付は翌11日付です

D Ô y y T 5 Ô Ç Ô ý ¢ & å £ å D Ô H # ( ú Ý D 5 おかげ …...1 0 0 歳。こ れ か ら も 共 に 歩 み ま す。特別紙特別紙面面でおでお届け届けししていていまますす。。1枚外す1枚外すととテテレレビビ欄欄ななどど通常の紙通常の紙面面でですす

  • Upload
    others

  • View
    3

  • Download
    0

Embed Size (px)

Citation preview

Page 1: D Ô y y T 5 Ô Ç Ô ý ¢ & å £ å D Ô H # ( ú Ý D 5 おかげ …...1 0 0 歳。こ れ か ら も 共 に 歩 み ま す。特別紙特別紙面面でおでお届け届けししていていまますす。。1枚外す1枚外すととテテレレビビ欄欄ななどど通常の紙通常の紙面面でですす

夕刊発行100年おかげさまで発行所:〒530-8211大阪市北区中之島2-3-18 電話:06-6231-0131www.asahi.com

朝朝日日新新聞聞大大阪本社阪本社

記事は山下奈緒子、写真は上田潤、グラフィックは高橋亮知、編集は大部智洋、三輪千尋が担当しました。■関西遺産は毎週水曜日に掲載しています。推薦を募ります。 〈ファクス〉06・6229・2649 〈メール〉do-kansai@asahi.com

大阪万博開幕を報じる1970年3月14日の朝日新聞夕刊

絵・グレゴリ青山

これからも ごっつパワフル

ともに歩んだ いつもの顔織田信成さん (28)大阪在住のプロフィギュアスケーター

 

千里丘陵にドンと居座り、一帯を睥睨して

45年。何を表現しているのかはなぞだ。初めて

見たのは1990年代半ば。当時小学生だっ

た記者は「なんや、これ?」といぶかしがりな

がらも、目が釘付けになった。

 

足元から見上げて伝わってくるのは、圧倒

的な存在感だ。塔の前で写真を撮る人たちに

印象を聞くと、みんな一様に言葉が見つから

ず、ちょっと困り顔に。わしづかみにされた心

を表すのに、「かっこいい」「カワイイ」といった

平凡な賛辞では足りない。

 

太陽の塔は70年の大阪万博のためにつくら

れた。高さ約70㍍、片腕の長さは約25㍍。頭に

「黄金の顔」、胸に「太陽の顔」、背中に「黒い太

陽」という三つの顔を持つ。

 

万博のテーマ館の一部だが、作者の岡本太郎

は「人類の進歩と調和」という主題に疑問を

投げかけ、「ベラボーなものをつくる」と宣言

し、塔をデザインした。閉幕後はほかのパビリ

オンと同じく解体されるはずだったが、地元の

小中学生まで加わった撤去反対運動が起こ

り、塔だけが残った。

 

ガイドとして塔で働いた大阪府交野市の井

上哲彦さん(68)は、見るたびに当時の充実感

がよみがえる。「太陽の塔はいまもパワーを

放っている。これが残っている限り、私は熱く生

きられる」と語る。テーマ館で働いたメンバーの

同窓会を近く開くという。

 

現代美術作家で、京都造形芸術大学の教授

を務めるヤノベケンジさん(49)は、閉幕した直

後に万博会場のそばに引っ越してきた。建物

が取り壊されていく様を見守る少年の目に

も、塔は異様なものとして焼き付いた。

 「突然地面からむくむくと現れたような、

地霊のような造形物」とヤノベさんは言い表

し、「塔を目にする人の精神のよりどころのよ

うなモニュメントになっている」と語る。そして、

「大阪や関西、日本にとどまらず、宇宙規模の

思想みたいなものが隠された作品が、ここに

ある。そのことに気づいてほしい」と訴えた。

 

ありきたりなほめ言葉をはねのけ、半世紀

近くたっても人々にパワーを与え、深遠な思想

を秘める。でも実用性はゼロ。そんな「ベラ

ボー」な異物に感嘆しつつ、それを力まず受け

止める関西の懐の深さにも感じ入った。

 

関西に育まれて、夕刊はきょう100歳。

これからも共に歩みます。

特別紙面でお届けしています。1枚外すとテレビ欄など通常の紙面です特別紙面でお届けしています。1枚外すとテレビ欄など通常の紙面です

へいげい

◆1915(大正4)年10月10日発行の夕刊は4㌻でした。1面は軍による飛行を報じた写真のほか、「英国皇太子が狙撃され負傷」などの記事を掲載。翌日配達の地域があったため、上にある日付は翌11日付です

 

小さいころから遠足などで

万博記念公園に出かけていました

し、太陽の塔はなじみが深いです。車や

モノレールで仕事先と自宅を行き来する

ときにそばを通ることも多く、いまも週に1

度は目にします。選手時代、結果が良いときも

悪いときも塔を眺めながら試合を振り返ってい

たので、スケート人生とも強くつながっています。

5歳の長男は塔を見るたびに声を上げて喜んで

ます。裏側の「黒い太陽」は怖いようですが。