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佛教大学大学院紀要 第36号(2008年3月) 天草版平家物語 序説 一 ハ ビ ア ン抄 の 方 法 一 〔抄 録〕 日本 人キ リシタ ン ・ハ ビア ン(1565~1621)の 手になる 『天草版平家物語』は、 1592年 天 草 刊 行 の ロ ー マ 字 表 記4巻400ペー ジ余 の書 で あ る。 こ れ まで 主 に 日本 語 学 の 分 野 で研 究 され 、 日本 人 著作 の 一作 品 と して 文 学 史 に位 置付 け る論 は 少 な い。 この書はイエズス会士の日本語 ・日本歴史学習教材 として企図され、師はハビアン に、平家物語を① 厂両人相対 して雑 談 をなすが ごと く」、②登場人物名 を一定 して語る こ と、 さ らに 、③ 福 音 を弘 め る た よ りに な らぬ こ とは 除 くべ し、 との指 示 を与 え た。 これ を受 け た ハ ビ ア ン は、 ① 聞 き手 と語 り手 の 問答 と独 特 の 章 題 に よ り物 語 る形 式 を生み出し、②の師命実現にも努めているが、特定人物の呼び方には疑問がある。③ に 関 連 し て、 古 典 平 家 物 語 と は異 な る 形 で 、 巻1・II・皿の 重 要 な箇 所 に 置 か れ た 「天 道 」 に注 目す る。 以 上 三 点 は この作 品 の構 成 と抄 訳 の 態 度 を解 明 す る 要 点 で あ る。 キーワード ハ ビアン、天草版平家物語、問答体、人名称呼、天道 は じめ に 『天草版 平家 物 語 』 も し くは 『キ リシタ ン版 平 家物 語 』 と通称 され る書 は、 正 し くは、 NIFONNO/COTOBATO/HistoriauonaraixirantoFOSSVRVFITONOTAME一 ノNIXEVANI YAVARAGVETA-/R,VFEIQENOMONOGATARI(日 本 の 言 葉 とHistoria<イ ス トリア 歴史 〉を 習 い 知 ら ん と 欲 す る 人 の た め に 世 話 に や は ら げ た る 平 家 の 物 語) とい う長 い表 題 の 『FEIQENOMONOGATARI』 である。扉紙最下段に 厂IESVSNOCOMPANIA NOCollegioAmacusanivoite」(イ エ ズ ス の コム パ ニ ア の コ レジ オ 天 草 にお い て)「Goxuxxe yori(御 出 世 よ り)M.D.L.XXXXII.」 と明記 されている通 り、1592年似 ス鱒 コレジオ 刊 行 の ロ ー マ 字 表 記408ペー ジ の活 字 本 で あ り、 現 在 は 、 『QINQVXV金句 集 』 『ESOPONO FABVLASエソポ の ハ ブ ラス 』 と と もに三 書 合 綴 の形 で大 英 図書 館 に所 蔵 され る孤 本 で あ る 。 古典平家物語十二巻(1)を「世話にやはらげた」抄訳者は、序文 「Docujunofitonitaixitexos (読誦 の 人 に対 して 書 す)」の末 尾 に 「FucanFabiantsuxxindexosu(不 干 ハ ビ ア ン謹 んで 書 す)」 と名を記した不干斎ハビアン、日本名を知られていない日本人キリシタンである。ハビアンは 31一

天草版平家物語 序説...天草版平家物語 序説(玉 懸 洋子) 1565年(永 禄8年)の 生まれ、初め禅僧であったが母と共に受洗してイエズス会で研鑚を重ね、

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Page 1: 天草版平家物語 序説...天草版平家物語 序説(玉 懸 洋子) 1565年(永 禄8年)の 生まれ、初め禅僧であったが母と共に受洗してイエズス会で研鑚を重ね、

佛教大学大学 院紀要 第36号(2008年3月)

天草版平家物語 序説

一 ハ ビアン抄の方法 一

玉 懸 洋 子

〔抄 録〕

日本人キ リシタン ・ハ ビアン(1565~1621)の 手になる 『天草版平家物語』は、

1592年 天草刊行のローマ字表記4巻400ペ ージ余の書である。これまで主に日本語学

の分野で研究され、日本人著作の一作品として文学史に位置付ける論は少ない。

この書はイエズス会士の日本語 ・日本歴史学習教材 として企図され、師はハビアン

に、平家物語を① 厂両人相対 して雑談をなすがごとく」、②登場人物名を一定 して語る

こと、さらに、③福音を弘めるたよりにならぬことは除くべ し、 との指示を与えた。

これを受けたハビアンは、①聞き手 と語 り手の問答 と独特の章題により物語る形式

を生み出し、②の師命実現にも努めているが、特定人物の呼び方には疑問がある。③

に関連 して、古典平家物語とは異 なる形で、巻1・II・ 皿の重要な箇所に置かれた

「天道」に注目する。以上三点はこの作品の構成と抄訳の態度を解明する要点である。

キーワード ハ ビアン、天草版平家物語、問答体、人名称呼、天道

は じめ に

『天 草 版 平家 物 語 』 も し くは 『キ リシ タ ン版 平 家物 語 』 と通称 され る書 は、 正 し くは、

NIFONNO/COTOBATO/HistoriauonaraixirantoFOSSVRVFITONOTAME一 ノNIXEVANI

YAVARAGVETA-/R,VFEIQENOMONOGATARI(日 本 の言 葉 とHistoria<イ ス トリア 歴 史

〉を習 い 知 らん と欲 す る人 の た め に世 話 に や は らげ た る平 家 の物 語)

とい う長 い表 題 の 『FEIQENOMONOGATARI』 で あ る 。 扉紙 最 下段 に 厂IESVSNOCOMPANIA

NOCollegioAmacusanivoite」(イ エ ズ ス の コム パ ニ ア の コ レジ オ 天 草 にお い て)「Goxuxxe

yori(御 出世 よ り)M.D.L.XXXXII.」 と明 記 さ れ て い る通 り、1592年 似 ス 鱒 コ レ ジオ

刊 行 の ロ ー マ 字 表 記408ペ ー ジ の活 字 本 で あ り、 現 在 は 、 『QINQVXV金 句 集 』 『ESOPONO

FABVLASエ ソポ の ハ ブ ラス 』 と と もに三 書 合 綴 の形 で大 英 図書 館 に所 蔵 され る孤 本 で あ る 。

古 典 平 家 物 語 十 二 巻(1)を 「世 話 にや は ら げ た」 抄 訳 者 は、 序 文 「Docujunofitonitaixitexosu

(読誦 の 人 に対 して 書 す)」 の末 尾 に 「FucanFabiantsuxxindexosu(不 干 ハ ビ ア ン謹 んで 書 す)」

と名 を記 した 不 干 斎 ハ ビア ン、 日本 名 を知 られ て い な い 日本 人 キ リ シ タ ンで あ る 。ハ ビア ン は

31一

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天草版平家物語 序説(玉 懸 洋子)

1565年(永 禄8年)の 生まれ、初め禅僧であったが母 と共に受洗 してイエズス会で研鑚 を重ね、

平家物語抄訳の文禄年間(27-28歳)に は天草 コレジオの日本語教師をつとめていた。その後、

林羅山との宗論論争に参加、シメオン黒田如水の追悼 ミサの説教を担当するなどイエズス会の

修道士 として活動するが、後に背教、という変転の生涯を送る(2)。これを彼の著述で見るなら

ば、キリシタンとして護教書 『妙貞問答』(1605年、40歳)を 著 し、イエズス会を離れてのち排ハ ダ イ ウ ス

耶書 『破提宇子』(1620年、55歳)を 著すことになる一人の若き日本人イエズス会士 としての仕

事が、平家物語の抄訳であったということになる。

ハビアン抄訳 『FEIQENOMONOGATARI』(以 下 『FEIQE』 と略称)四 巻は、これまで 日本

語史資料として重要視 され、主にこの分野で研究が進められてきた。 日本文学史においてはキ

リシタン文学の、「教外作品」(3)として紹介 され、平家物語の特異な異本である、と略述される

ことが多い。

早 く柊源一氏は、キリシタン文学全般について 「現在はもはや吉利支丹版 を、単に愛書好事

家の眼を以て逐ふ時ではな く、……バテレンの園に妖 しく咲いて、はかなく散つてしまつた異

国の花としてみるべ き時でもない。また単なる国語学の第一資料 としてのみ尊重すべきで もな

い。日本の学問が衰微 したと言はれる戦国争乱の世に当つて、わが国の文学史上、初めて世界

的宗教 ・思想 ・文学と密接に関連 した文学として、また東西思想が初めて極東の島国で接触 し

て開花 した文学として考へてみなければなるまい。」 と述べた(4)。これを受けて米井力也氏は、

キリシタン文学の一書 『コンテムツス ・ム ンヂ』が、ガラシャ細川玉を主入公にした永井路子

著 『朱なる十字架』、三浦綾子著 『細川ガラシャ美人』 と、また島原の乱を描いた堀 田善衛著

『海鳴りの底から』と交響する様子を述べた上で、同書は 「たんに翻訳文学であるというにとど

まらず、日本文学史上に位置づけられなければならない」 と、重ねて強調 している(5)。

信心書 『コンテムツス ・ムンヂ』(『イ ミタチオ ・クリスティ』すなわち 『キリス トにならい

て』)は 教義書 『ドチリナ ・キ リシタン』と並んでキリシタン書の中心に位置 し、「教外」の

『FEIQE』 とは内容も成立事情 も異なる。しかし 『FEIQE』 も同じキリシタン文学の土壌に花開

いた、一人の日本人キリシタン文学者が明確な意図をもって著述 した魅力ある一作品である。

その特徴の第一は、キリシタン時代の口語によって古典平家物語を生 き生 きと再現 した文章の

力であ り、第二、平家物語全篇を均等に抄抜 してあらすじを辿るのではなくぐある所は大胆に

省略する一方で選択 した章段は丁寧に語るという特徴的な方法で四巻をまとめた構成の力、そ

して第三に、印象鮮明な人物像にキリシタン文学者の姿が投影されているように思われる点で

ある。

私はこの稿において、抄訳者ハビアンが与えられた条件の下、 どのような態度と方法で平家

物語を再編成 し一作品として著述 しようとしたかに着目し、これを明らかにすることをもって

『FEIQENOMONOGATARI』 論の序説としたい。

使用する本文は、ローマ字表記の原本を漢字 ・かな交じり文に翻字した 『ハビアン抄 キリシタン版

一32一

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佛教大学大学院紀要 第36号(2008年3月)

平家物語』(改訂版、亀井高孝・阪田雪子 翻字、吉川弘文館1980年)で ある。その原本を影印した

『天草版平家物語』(大英図書館蔵本影印勉誠社1994年)を 参照する。

1.抄 訳 者ハ ビア ンの受けた師命

『FEIQE』 の序文 「読誦の人に対 して書す」は、次のように書 き出されている。

それIESVSのCompanhia(イ エズス会)のPadreIrman(神 父 修道士)故 郷を去って蒼波

万里 を遠 しとし給はず,茫 々たる巨海に船渡 りして粟散辺地の扶桑にあとをとどめ,天 の

御法をひろめ,迷 へる衆生を導かんと精誠をぬきんで給ふことここに切なり.予 もまた造

悪不善の身にして,い ささかもって功力なしといへども,こ の人々を師とし,そ の しりへ

に従 ひ,願 ひを同じうす.

「蒼波万里」を越えてわが国に来たり、「天の御法をひろめ,迷 へる衆生を導かんと」するイ

エズス会士を師と仰 ぎ、同労者たらん、 と力強く宣言がなされ、続いて、

師ここにおいて予に示 し給ふは,… …われらこの国にきたって,天 の御法を説かんとす

るには,こ の国の風俗を知 り,ま た言葉 を達すべきこと専 らな り.か るがゆゑにこの両条

の助けとなるべ き日域の書をわが国の文字にうつ し,梓 に鏤めんとす:汝 その書を選んで

これを編めと:… …

師の命を受けた彼は 「日域の往時をとむらふべき書」 として 厂叡山の住侶,文 才に名高 き玄

恵法印の製作平家物語にしくはあ らじ」 と応 じ、さらに次のような編訳上の具体的指示を受け

た。

またわが師のたまふは:今 この平家物語をば書物のごとくにせず,両 人相対 して雑談を

なすがごとく,こ とばのてにはを書写せよとなり:(第 一の指示、以下 「両人雑談の指示」

と略述する)… …この国の風俗 として,一 人にあまたの名,官 位の称へあることをも避 く

べしとなり:ゆ ゑいかんとなれば,こ れものの理をみだすによって,他 国のことばを学ば

んとする初心の人のためには大 きなる妨げなり.(第 二の指示、以下 「人名称呼の指示」 と

略述する)

最後に師は言う。

今 この ことばを学ばんと自他企つ ること全 くもって別の儀にあ らず:尊 きおん主Iesu

ChristoのEuangelho(ゑ はんぜ りよ二福音)の 御法をひろめんためなれば,こ の志願のた

よりとならざることをばみなもって除かずんばあるべからず との儀なり.(福 音を広める志

願のたよりにならぬことは除くべ し、以下 「根本の指示」 と略述)

ハビアンはこの 「志願のあてどころに応 じ、師の命に従って」、「力の及ぶ ところは本書のこ

とばをたがへず書写 し、抜書となした」。この困難な課題に向き合って編訳の工夫を凝 らし、実

現を見たハビアンの高揚は、「情深うして才の短きを嘲弄することなかれ」という謙辞をも含め

て、「時にご出世、1592.Dezembro.10.(12月10日)不 干Fabian謹 んで書す」 という年記 と署名

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天草版平家物語 序説(玉 懸 洋子)

に誇らかに籠っている。

序文が記すこのような事情を踏 まえ、ハビアンが 「師の命」第一、第二をどのように実現 し

たかを検討 し、併せて 「師の命 根本の指示」に関連 してハビアン抄特有の 「天道」について考

察する。

2.師 命第一 「両人雑談の指示」の実現

第一の指示 「両人相対 して雑談をなすがごとく」、すなわち口語の問答体によって著述を進行

する形式は、『ドチ リナ ・キリシタン』のようなカテキズモ(教 義書)の 師弟問答、後にハビァ

ン自身が著わす 『妙貞問答』の妙秀尼 と幽貞尼の問答を見れば、キリシタンにとってはな じみ

深いものであったと想像される。また、仏法唱導の場に生 まれた日本文学の語る伝統に連なる

方法で もある。これ らは教義を説 き、入門志願者 ・初心者を信仰に導 くという明確な意志 のも

とに編述 され、問答は師と弟子 との問に交される。 しかし、ハビアンが編み出そうとするのは

歴史物語の語 り方である。

ハビアンの工夫の第一は、問答する二人を右馬之允(聞 き手、VMと 略表記される)と.喜 一

検校(語 り手、QIと 略表記される)に 設定した点である。右馬之允は古典平家物語から推すに(6>

老練な武家の家人もしくは戦場を踏んだつわ ものの風貌を、喜一検校は言 うまでもな く平曲の

語 り手を思わせる。

以下、『FEIQE』の引用例示には巻数をローマ数字、章数をアラビア数字、「古典平家物語」の引用

例示は漢数字を用いる。

[例1]VM.(右 馬之允)検 佼の坊,平 家の由来が聞きたいほどに,あ らあら略してお語 りあれ.

QI.(喜 一)や すいことでござる:お ほかた語 りまらせうず.ま ず平家物語の書 き

始めに……[巻1の1]

[例2]VM.と てものことに平家に対 しておこされた謀叛の起 りをまちっとお語 りあれ.

QI.か しこまってござる.[巻1の2]

この問答は[巻1の1]に のみ9組 あ り、[巻1の2]か らはほぼ一章に一問答、巻1(12章)、

巻II(10章)、 巻 皿(13章)、 巻IV(29章)、 合計64章 に73組 の問答がある。問答の実際を見る

と、①上の二例の ように、聞き手が 「平家の由来」「平家に対 しておこされた謀叛の起 り」 とい

う話題を示 してその内容を 「お語 りあれ」と語 り手を促すもの、また、

②[例3]VM.し て俊寛はなんと果て られたぞ?

QI.そ のおことちゃ:[巻1の12]

のように、質問の形で主題を絞って語 りを誘 うものとがある。ほとんどが①②に類するが、③

次のように、聞 き手の人物評を含み、読者を物語に引き込む能動的な働きをする場合もある。

[例4]VM.さ てさて忠盛 といふ人はy>で あったの?[巻1の1]

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佛教大学大学院紀要 第36号(2008年3月)

[例5]VM.さ ても重衡はいとほしいことであったなう?

[巻IVの13](前 章の重衡東下 りを受けて)

このような聞き手の率直簡潔な感想は、前章か らその章へ話頭を展開する契機をも作ってい

るQ

[例5]の 続 き一また小松の三位の中将のことをもお語 りあれ。

④ さらに積極的に物語の内容に批評が加えられる問答 もある。

[例6]VM.さ ても平家はいかう歩齟 の?

QI.ま こと天道か らはなされ られたと見えてござる.[巻 皿の6]

[例7]VM.し て木曾は都へ上って躾 などはよかったか?ま た時宜法をも知った者でおち

魍?

QI.そ のおことちゃ[巻 皿の11]

前者は平氏の衰運を 「天道」か ら見放 されたものとし、後者 は疑問の形で木曾の行状を否定

的に誘導 している。問答の両人が単なる進行係ではな く、物語の内容に入 り込んでいる例であ

る。

安達隆一氏は日本語学の立場か らこの問答形式を詳 しく検討 している(7)。私はこれを参考に

しなが ら、ハ ビアンの語る方法を明 らかにするには、問答体部分に加 えて各章の章題を関連さ

せて考えるべ きかと思 う。実際、ハビアンが各章に付 けた章題は独特のものである。今、上掲

[例3](巻1の12)を 例に取ると(a~cの 符号を私に付 した)、

(a)王 が に落って 洳由に ひ:(b)俊 寛死去せらるれば荼毘をして,そ の遺骨を首

にかけ,都 にかへ り上 り,(c)々 廖 して その漏 をとむら'た こと

小見出しを並列 したように(a)(b)(c)と 重ねた長い章題が、QIと刪 両人の問答(前 傾[例3])

と連動 し、物語を導 き出すところに、抄訳者の工美がある。

ここで、[巻Hの1]を 具体例として、章題と問答、物語の語 り始めと語 り納めの関係を見て

おく(a~gの 符号を私に付 した)。

(章題)(a)妓 王清盛に愛せ られたこと:(b)同 じく仏 といふ白拍子に思ひかへ られてのち,

親子三人尼になり世を厭うたこととまた(c)そ の仏も尼になったこと.

(問答)VM.(d)て ことにたれに かれに 注成は をか}た"や の?(e)ま .た

その妓王がことをも聞きたい,お 語 りあれ.

QI.(D長 いことなれども.申 さうず.

(物語)(g)注 成はこの'に をu.に …(ほ とん ど原典 を省略 しない十数ページの 「長

いこと」が続き)…(h)余 念 力'堀 生を,'て つひに紐 に終ったと.

まず章題では語 られる話題(a)(b)(c)三 点が予め提示される。次の問答で聞き手は前章の内

容をまとめ(d)、 その中の一点に絞って語 りを促 し(e)、語 り手は応諾する(f)。物語は 「清盛は

……」(g)と 始まり、「~た と申す」(h)の 枠の中で語 る。これが全巻64章 を通 じてハビアンの

一35

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天草版平家物語 序説(玉 懸 洋子)

採った語 りの枠組みである。

さて、この例において、VMの(d)「 まことに」 と受けた内容を考えてみると,清 盛が 「難儀

をかけた」のは、「たれにも かれにも」 とあるから直前[巻1の12](巻1の 最終章)の 俊寛 ・

有王だけを指すのではあるまい。成親 ・西光など反平氏の人々、それに連なる門脇宰相 ・重盛

など、巻1に 登場する人物 とその物語の全体を受けていると見なければならない。その[巻1

の1]の 語 り出しは、「まつ平家物語の書きはじめには,人 を人とも思はぬやうなる者はやがて

滅びたといふ証跡に…(大 唐 ・日本の例を)か つ申してか ら,さ て六波羅の入道前太政大臣清

盛公と申した人の行儀の不法なことをのせたものでござる.」であ り、それは巻1末 の 「そのや

うに人の思ひ嘆きの積る平家の末はなんとあ らうか?お そろしいことちや.」 に照応し、巻1

は見事にまとまっている。これを受けて[巻IIの1]のVMの 発話 「まことに」がなされている。こ

のように章題と問答は一体 となって、巻の主題を明らかにしながら巻と巻 とを繋いでいる(8)。

巻II(高 倉宮 ・頼政の謀叛 と頼朝挙兵を内容とする)か ら巻 皿(木 曾の物語)は 「謀叛」の

テーマで連続するが、新 しい反逆者 「木曾殿」 を登場させ、巧みに転調する。次に見るように、

前章 との繋がりを 「ゆふべの物語」でさりげなく感 じさせながら、「全塵 」「その謀叛のや

う聾 」と新 しい物語を開始する。

(章題)(a)丞 曾胞 由塞 と(b)平 家に対 して謀叛をおこされ、(c)平 家の味方の長茂と合戦

してうち勝たれたこと

(問答)VM.(d)ゆ ふべの物語があまり本意ないほどに、今はまた(e)木 曾殿の並 、孟

の壹'の'を もお語 りあれ.

QI.さてさて果てしもないことをおほせらるる:(f)さ らばまた語 りまらせう.

(物語)(g)づ この は のころYの 玉に………(h)ま ことに言ふかひないことども

蟹.[巻 皿の1]

同じように、巻 皿から巻IVへ は、木曾の物語の終結、頼朝 ・範頼 ・義経の源氏三兄弟の登場

で新たな物語世界を開いている。

(章題)(a)が 悪たを いて れをしつむるために'古 と て のkと1Y

一 を聞いて,(b)木 曾平家と一味をせうと使ひを

一(c)平 家同心せられなんだこと

(問答)VM.(d)は がこの'カ を いてしづめ1と せられカんだか?

QI.(e)な 塑.

(物語)(D頼 朝もこの狼藉を聞いて……(g)京 中の人もただ少水の魚に異ならぬものでござ

った.[巻IVの1]

以上に見たように、章題と問答が一体となって、章と章、巻と巻をつなぎ、次々と物語 を展

開する力 となって働 く様は、この作品の語 り方の大きな特徴である。また各章の物語は語 り始

めと語 り納めの枠を持つから、結局この作品は聞き手のと語 り手二人による、原則 として一話

一36一

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佛教大学大学院紀要 第36号(2008年3月)

完結型の六十四話連続の続 き物語なのである(9)。飽 くことなく問い語 り続ける両人は、「師弟」

「僧俗」などの抽象的な存在ではなく、右馬之允、喜一検校 という固有の名を持ち読者に具体的

な像 を結ばしめる。その両人の問答が物語世界と一体 になり、一話一話興味尽 きることな く物

語が展開する。問答の二人は、主題の提示 ・物語の進行 という役 目を担いつつ、時に観察者 ・

批評者 としての目を働かせる。

こうしたハ ビアン工夫の両人相対雑談の形が、結果 として師の需めにかなったのかどうか興

味ある問題であるが、今は問わない(10)。ただ、師の命に従って問答体の結構により著述を始め

たハビア ンが、次第に自在な語 り口を得て行 く様子は興味深い。両人応答の基本形は、VM(聞

き手)「 お語 りあれ」もしくは、厂~~であったぞ?」、QI(語 り手)「か しこまってござる」ま

たは 「そのおことちや」であるが、巻が進むにつれて二人の言葉が自由に滑 り出し、「それをば

明日と存ずれども,さ らばただ今申さうず」(巻 丑の6)、 「さても飽 く期 もない人でこそこされ.

さりなが ら語 りまらせ う」(巻 皿の2)、 など種々の変奏を見せる。右馬之允が 「この茶 を飲う

で……まちっとお語 りあれ」と促すと、喜一は 「はあ,こ れはかた じけない:冥 加 もないお茶ママ

で こそ ご ざれ:極 と見 え ま ら して ご ざ る.寿 永 三 年 … … 」(巻IVFの10)(11)と 応 じ、 息 の合 った

「両 人 相 対 して雑 談 」 の 体 が 実 現 して い る。

なお 、 この両 人応 答 の 形 は巻IVに お い て 巻1・1・ 皿 とは 異 な る姿 を見 せ て い る。 巻IV全29

章 の 内 半 数 を越 え る16章 にお い て 、VMの 問 い を 受 け るQIの 言 葉(「 そ の お こ とち や」 な ど)が

な く直 接 物 語 に入 っ て い る 点 で あ る。

[巻IVの26]VMさ て もあ は れ な こ とで あ っ た な う:そ の 女 院 の お こ と を も ま ち っ とお 語 り

あ れ.

QI.文 治 二 年 の 春 の こ ろ法 皇 は女 院 の大 原 の 閑 居 の … …

こ の よ うな語 り始 め は 、 巻1・1・ 皿に お い て はそ れ ぞ れ2章 ・2章 ・1章 に見 られ るの み

で あ り、 巻N問 答 体 の特 徴 と考 え られ る。

3.師 命 第 二 「人 名 称 呼 の 指 示 」 の 実 現

次 に、 「人 名 称 呼 の指 示 」 は どの よ うに 実現 され た で あ ろ うか 。 この指 示 は、 古 典 平 家 物 語 に

お い て、 清 盛 を 「入 道 相 国」 「太 政 入 道 」、 重 盛 を 「小 松 殿 」 「小 松 大 臣」、 頼 朝 を 「鎌 倉 殿 」 「源

二 位 」 「右 兵 衛佐 」 な どの よ う に、 一 人 の 人 物 が 通称 あ るい は官位 な どに よ り複 数 の呼 び方 を持

つ こ と に注 意 し、 抄 訳 に 当 っ て は 呼 称 を一 定 して 日本 語 学 習 者 の便 を 図 る とい う趣 旨 と思 われ

る。 この 指 示 の 実 現 に 関 連 して 、 ハ ビ ア ンは序 文 の 下 に凡 例 を掲 げ 、本 文 の 該 当 す る語 の 左 肩

に そ の記 号 を付 した。

f.Fito(人),q.Quan(官),c.Cuni(国)t.Tocoro,1,Teranaritoxirubexi.

(所 あ るい は寺 な りと知 るべ し)

-37一

Page 8: 天草版平家物語 序説...天草版平家物語 序説(玉 懸 洋子) 1565年(永 禄8年)の 生まれ、初め禅僧であったが母と共に受洗してイエズス会で研鑚を重ね、

天草版平家物語 序説(玉 懸 洋子)

これによって、学習者は大文字表記のその名詞が、人名か、官位か、また国名、地名、寺な

どの名を表すのかを判別する便を得た。実際、開巻のページか ら、f.の符号を付 したQiyomoriママ

(清盛)、Xiguemori(重 盛)、q.を 付 したSaqinoDanjodaijin(前 の太政大臣)、C.を 付 した

Nippon(日 本)、t.を付 したRocufara(六 波羅)を 見ることが出来る(こ れは翻字本には表記さ

れていない)。

しかし、人名称呼を一定せ よとの指示が実現 されたか どうかは問題である。すでに 『ハ ビァ

ン抄 キリシタン版 平家物語』を翻字 した亀井孝 ・阪田雪子氏がその巻末 「札記」において、

「人名に関する方針が貫かれていない」「原則 としてつねに実名なのは、忠盛、清盛、重盛の三

人だけなのである」 と指摘 しているが、実際の人名称呼は次のように多様である。

[実名で一定]○ 忠盛 ・清盛 ㌧重盛の他、範頼 ・義経も全巻実名で呼ばれる。

[実名以外で一定]

○義仲は 「木曾」「木曾殿」、○教経 ・時子は、それぞれ、「能登殿」、「二位殿」と呼ばれ

る。

○以下の人々は次の形で呼称一定。「法皇」「主上」「先帝」「高倉宮」厂俊寛」「西光」「文

覚上人」「法然坊」「滝口入道」「有王」「妓王」「横笛」「小宰相」厂千手の前」

[実名 と官名+敬 意語の二種型]

○宗盛(「 宗盛」と 「大臣殿」)○ 頼盛(「 頼盛⊥と 「池の大納言殿」「池殿」)

○維盛(「 維盛」と 「小松の三位の中将」「三位の中将」)

○頼政(「 頼政」と 「三位の入道」「源三位の入道」)○ 頼朝(「頼朝」と 「鎌倉殿」)

これをさらに巻別に注 目して整理すると、

匿IIIで は、原則 として実名による呼称。例外は 「嫡子権亮」(維盛)、 「少将殿」(成経)な

ど。

圜 では、それまで実名呼称であった知盛 ・頼盛 ・時忠がそれぞれ 「新中納言」「池の大納言」

「平大納言」(ま たは 「時忠卿」)と なる。

團 において、平氏の主要人物は 「大臣殿」(宗盛)、 「少松の三位中将」(維盛)の ように古典

平家物語 と同じ名で呼ばれる。巻II・ 皿で実名であった頼朝は 「鎌倉殿」「鎌倉前右兵衛佐

頼朝」 も用いられる。

以上を一見 して何 らかの基準を見出すことは難 しい。 しかし次の点を考慮に入れると、ハビ

アンは全体 として師命に基いて著述 を進めていると見るべ きかと思う。すなわち、「一人に(a)

齟 、(b)宜 位盛 あることを避 くべ し」 との師命 を厳 しく、(a)(b)共 に実現すると

すれば、実名称呼で一貫するほかはない。しか し、登場人物の言葉とともに場面をあ りあ りと

語る物語叙述の実際にはその場 と人間関係に応 じた称呼が必須であるから、この指示は無理な

ものとも言える。たとえば、[巻IVの24](堀 川夜討の章)に 見える会話、

(義経)い かに一・昨日から上られたと聞 くに,今 までかうと申されぬぞ?ま た瀏 か らお文

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佛教大学大学院紀要 第36号(2008年3月)

などはないか(と たつねられたれば),

(昌尊)そ のことでござる:嚠 よりはさしたることもござらねば,御 状は進ぜ られぬ:

の頼朝の実名称呼は、頼朝 ・義経 ・土佐坊 昌尊の関係か らいかにも不自然であ り、「鎌倉殿」の

必要性は理解できよう。このようにハビアンは物語の場面上会話になじまない場合 も実名を用

いて、あるいは、実名以外の 「一定の呼び方」を用いて基本方針 を貫こうとしている。

その中で、次の場合は何 らかの意図によって基本方針 と異なる呼び方を用いたものと見なけ

ればならない。第一一に、源頼政 と木曾義仲 との場合である。巻IIの 頼政の称呼は、反平家の行

動に立ち上が り、戦い、敗れる物語には 「三位の入道」が、死後その武勇を語る 「鵺」の段で

実名が用いられている。また、巻皿からIVにかけての主要人物義仲の実名はただの一度も用い

られず、常に 「木曾」「木曾殿」である。これはどういうことであろうか、大いに疑問である。

第二に、平氏の主な人々の呼称が巻IVで(一 ・部の人は巻 皿から)古 典本文の呼称に近づき、そ

れまで守っていた基本方針が放棄されたように見える点である。これはおそ らく巻IV抄 訳の特

徴に関ると思われるが、その申でもっとも特徴的なのは平維盛の場合である。

平維盛は巻II・ 皿において実名か、「入道の孫」「大将軍」「大将」を冠して必ず 厂維盛」 と呼

ばれている。 しかし、巻Nで は一例を除けば常に 「小松の三位中将」厂三位中将」「中将」であママ

る。維盛はハビアン訳巻IVに おいて10章 、13章 、14章 の主人公であ り、SanminoChujo(三 位

の中将)は20ペ ージ以上にわたり何度 も現れる呼称である。しかも、古典平家物語において実

名を含む場合 もある(第 九十五、九十六句)と ころに、ハビアンはすべて 「三位の中将」 と呼

ぶ。しか し、これでは古典を参照することなしにこの人物を同一と捉えることは難 しい。古典

平家物語巻十のもう一人の主人公、呼称も同 じ 「(本)三位の中将」重衡の場合、維盛物語 と同

じく2章 を費 し、善知識たる上人によって受戒 し死の道を備える共通の物語 を持つ人物である

が、呼称は基本的に 「重衡」であり、維盛 とは明らかに扱いが異なる。

このように師命第二は第一に比べて、全巻に一貫して実現 したとは言えず、しかもその規準

を明らかにしがたい。これを抄訳者の努力の不足や不注意 と見てよいであろうか。その意図は

明らかではないが、①巻IVに おいて(一 部の人物は巻皿から)平氏の主要人物が実名ではなく古

典 と同じ呼称を持つこと、②その中で維盛の場合が特別であること、それは同じく巻IVで は

「大臣殿」とのみ呼ばれる宗盛 と共に、平氏一門の中でも特異なものであること、は指摘 し得る。

以上①② の二点は、師命に応えることとは別の意味において、抄訳者の何 らかの意図を示 して

いるように思われる。また以上の観察から振 り返って、③巻H・ 皿の頼政 ・義仲の呼称の意味

も合わせ考えるべ きか と思 う。

4.ハ ビツ ン抄 『FEIQE』 の 「天道」(tent6)

この節では、ハビアンが受けた師命の内、キリシタンとしての 「根本の指示」(「志願のたよ

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天草版平家物語 序説(玉 懸 洋子)

り」にならざることは除 くべ し)に 関って、「天道」について述べる。

次に挙げる 「天道」6例 はすべてハ ビアン訳独 自のもので、古典平家物語 と対応 しない(12)。

「天命」「天」の例②'も含めて、対応する古典平家物語の本文とともに示す。

①[巻1の1]さ て清盛五十一にて病におかされ,存 命 も不定に見えたによって,そ の祈 り

のためにか出家入道 して法名を浄海と名の られてござった.天 道か らその所作を御納受な

さるるしるしにか,病 もたちどころに平癒 して,[*傍 線部古典本文1其 しるしにや宿病たI

lちどころにいえて天命を全うす。1(巻一 「禿」)]

②[巻1の6]今 これらの莫大の御恩を忘れて,み だ りがわしう法皇を傾けさせ られうずる

ことは,天 着の〃 証に む い らせ られ'":[*傍 線部古典本文医照大神、正八1

幡宮の神慮 にも背候 なんず。 日本はこれ神国な り。神は非礼 を享給はず(巻 二 「教訓

状」)]

②'[1の6]君 のお為にはいよいよ奉公の忠勤をつ くし,民 の為にはますます撫育の哀憐を

いたされば,命 にかカはせ られ の〃 雲 らば 君 もおぼしめしなほすことな どご

ざるまじいか?[*傍 線部古典本文 明の加護にもあつかり、仏陀の冥慮にそむ くべか

1らず、神明仏陀の感応あらば、1(同上)]

③[巻1の10]人 の思ひを休めさせ られば,お ぼしめすこともかなひ,人 の願ひをかなへ さ

せられば,天 道これを御納受あって,御 願もすなはち成就いたいて中宮やがて皇子御誕生

なされて家門の栄華もいよいよ盛んで,[*傍 線部古典本文C:≡](巻 三 「赦文」)]うがひ

④[巻IIの10]頼 朝馬か らとんでお りて甲をぬぎ,手 水鵜飼(マ マ、原本vgai)し て都の方を

伏 し拝 うで,こ れは全 く頼朝が高名ではない,ひ とへに天道の御計ひぢゃと言うて喜ばれ

た.[*傍 線部古典本文 レt大 菩薩の御はか らひなり1とそ(第 四十八句 「富士川」)]

⑤[巻 皿の6]VM.さ ても平家はいかう歩が悪かったの?

QI.ま ことに天道からはなされられたと見えてござる.

[*傍 線部古典本文[王:≡](第 六十八句 「法皇鞍馬落ち」)]

⑥[巻 皿の10]平 家は天道にも離され,君 にも捨てられまらして,都 を出て,波 の上に落人

となって漂ふを,[*傍 線部古典本文1宿 報尽きて神明にもはなたれたてまつ り1(第七十三

句 「緒環」)、*1神明にも放たれたてまつ り1(高野本)*「 平家悪行年積つて隋 運忽ちに尽1

きぬ。仏神にも放れ君にも捨てられぬ(源 平盛衰記)]

このように 「天道」は、「納受」「内証」「計らひ」と共に、人の行動を嘉しとし、それに叛 く

ことを畏れ られ、その計らいを喜ばれる存在 としてハビアン抄に現れる。それはまた、古典の

「天照大神、正八幡宮の神慮」「八幡大菩薩」「宿報、神明」に代って用いられているものでもあ

る。

この点については、市井外喜子氏の論がある(13)。その結論、

「天照大神」「正八幡宮」「八幡大菩薩」および 「神明」 を、デウスを意味する 「天道」に

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改めた不干ハビヤ ンの、日本在来の仏教や神道に対峙した視点をうかがうことができる。

には、考慮すべ き二点があるように思う。

第一に 「デウスを意味する天道」についてである。「天道」は 「キリシタンは当初デウスに天

道を宛てていたが、それが 日本朱子学の勃興につれ、儒教的誤解を招 くので避けるようになっ

た」と注意されている語であり(14)、『日葡辞書』が、「Tennomichi天 の道,す なわち天の秩序

と摂理 と.以 前は,こ の語で我我はデウス(Deos神)を よぶのが普通であった.け れどもゼ ン

チ ョ(gentios異 教徒)は 上記の第一の意味[天 の道]以 上に考えを及ぼ していたとは思われな

い」と、慎重に解説 している語である。キリシタンの人々は布教の初期に、彼らの神を 「天道」

「天帝」 と呼んだことがあるが、1592年 以降のキリシタン書には一度も現れない。そこでは、モ ノ グ ラ ム

彼 らの神は常に 「デウス」と呼ばれ、表記はDsの 合字符号によることが多い。

一方、『QINCVXV』 ・『ESOPONOFABLAS』 は、「歴史」を語る 『FEIQE』 と通 しページを打

って綴 じ合わされ,そ れぞれ 「道徳」・「寓話」の姉妹編 として成立したものであるが、その中

に次のような 「天道」の例が見 られる。「総序」に 「これ らの作者はGentio(異 教徒)に て」と

あることか らも、この 「天道」をただちに 「デウスを意味する」ということは出来ないだろう。

・隠れた善があれば、X道 よりその報いをなされず してはかなはぬ。

(『金句集』263「 陰徳あれば必ず陽報あり」の 「心」)

・恩をも知 らぬ悪人に恩を施さうずる時は、偏に玉道 に対して召されい。

(『エソポのハブラス』「鶴 と狼の事」)

さらに、『御伽草子』の 「二十四孝」に見える例(15)に照 らし、また当時戦国大名の間で流行

していた天道思想(16)を視野に入れて考えると、「天道」が直ちにキリシタンのいう 「神」デウ

スを指すと考えるべ きではない。ハビアンは、儒学由来の 「天道」を特定の宗教 ・学問の術語

としてではなく、当時広 く通用 した摂理、道理の意味で用いているものと思われる。

第二に、ハビアンは 『FEIQE』 において決して仏教に関わる語を排除してはいない。排除ど

ころか 「後生」「後世」「出家」「念仏」などの語は物語の重要な場面に重要な意味を担って頻繁

に用いられている。これらの語なしには 『FEIQE』 主要の 「俊寛」「妓王」「維盛」の物語など

を語ることはできまい。従って、ハビアンが古典平家物語開巻の 「祇園精舎の鐘の声……」を

訳出していないことをもってこの作に 「仏教の無常観」がないと決めてしまうのも間違いであ

る。彼が注意深 く除いた り書 き換えた りしたのは、「天照大神」「春 日大明神」「厳島大明神」

「日光権現」「那須の温泉大明神」など、平氏を守る厳島や源氏の神八幡などのごく狭い範囲の

人々を守護する神々であ り、それ らのもたらす現世招福、呪術的 ・神秘的祈祷や夢告の物語に

は全 く触れることはない(17)。市井氏の言う 「神仏に対峙」する仕方は 「神」 と 「仏」では異な

ると見なければならない。それに対 して、重盛教訓[巻1の6]の 中に 「仁義礼智信の法」や

「四恩」が 「天命」「天の御加護」 と共に堂々と登場するのは、前掲②'で見た通 りである。この

ように、簡単に 「日本在来の仏教や神道」 と神仏をひと括 りにはできない し、儒学関係の語 も

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天草版平家物語 序説(玉 懸 洋子)

見なければ 「日本在来」 も片手落ちになる。

しか し、以上 を確認した上で、 もう一度ハ ビアンの 「天道」を 「天命」「天の加護」「御内証」

とともに見直す と、キリシタンの神を直接意味するのとは別の積極的な意図を読み取ることが

できるように思う。「天命」は古典平家物語に 「(清盛が)天 命を全 うす」(巻 一)の ただ一例で

あるが、① に見るようにここでハ ビアンはこの語を用いない。ハビアンの用いた 「天命」は

『日葡辞書』に、「Tenmei天,あ るいは,デ ウスの命令,あ るいは指図」 と明確に規定 された

「天の命令」である。また 「御内証Gonaix6」 は古典平家物語に見えない語で、ハビアンもここ

一箇所 に用いるのみであるが、重盛の父清盛への必死の 「教訓」、「天道の御内証にもそむ きま

いらせ られうず」は強い響 きを持つ。「内証」は本来 「自己の心内に会得 した仏教的真理。内心

のさとり」(『岩波古語辞典』)を 意味する語であるが、『日葡辞書』には 「内心または意志」 と

あり、例文 として 「Deosnogonaix6uosomuqu.(デ ウスの御意志やお許 しに違背する)」があ

げられている。また 『ドチリナ ・キリシタン』『コンテムツス ・ムンヂ』に多数の例があ り、キ

リシタンにとってはデウスの意志を意味する親 しい語だったに違いない(18)。このように、ハビ

アンは当時広 く一般に通用 した 「天道」に、「天命」「御内証」などを添えることにより、『日葡

辞書』が示すキリシタンの理解にも通 じる、人間を超えた 「高きもの」の存在を表そうとした

のではなかろうか。

次に、この 「天道」が使われる位置に注 目する。巻1に おいて平氏一門の 「運命」に心 を致

す重盛 は父清盛を諌めて 「天道」の語を繰 り返す。一度 はその出家入道を 「天道か ら納受」さ

れて栄えた清盛 と平家一門も、「天道の御内証」に背けば 「天道か ら離され」るほかはない。そ

して、巻IIで は新たな勝者頼朝が 「天道の御 はか らひぢや」 と勝鬨を上げるのである。'「天道」

の支配に関る、あるいはそれを語る人物は、以上の清盛 ・重盛 ・頼朝三名のみである。巻 皿に

登場する義仲には 「運命」も 「天道」もない。ひたすら戦い、敗れて死ぬ(19)。天道に離されて

都 を落ちて行 くのは平氏一門であるが、平氏の勢い衰え行 くさまを 「天道か ら離 された」 と批

評的に語る二箇所 をもって 「天道」は退場 し、巻IVに は一度 も現れない。

一方、古典平家物語には全篇に渡って 「運命」が大きな力をもって働いている(「運命」17例、

「運」及び 「御運」は計30例(20))。 これについては多 くの論考があるが、杉本圭三郎氏によれ

ば(21)、

(平家一門の興隆、没落、などが歴史的事件として語 られる)そ の背後には、そこに登場

す る人間の意志 とはかかわ りなく、その存在や行為を支配している運命のはたらきを物語

の作者は認知 していた。繁栄 も衰退 も、その運命がひらけるか、尽きるかによって決定づ

けられる。

という。古典平家物語において 厂運命」は例えば次のように現れる。次に挙げるのは、全巻の

初めと半ば、そして平氏滅亡の場面の3例 である。

[例1]此 仰承候に、御運ははや末に成ぬと覚候。人の運命の傾かんとては、必悪事 を思ひ

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佛教大学大学院紀要 第36号(2008年3月)

立候。(重 盛の言葉、巻二 「教訓状」)

[例2]平 家は、去々年小松殿薨ぜ られぬ。今年また入道相国失せ給ふ。運命の末になるこ

.とあらはなりしかば、年来恩顧のともがらのほかはしたがひつ く者なかりけり。

(第五十八句 「須俣川」)

[例3}い くさは今 日をかぎりなり。おのおのすこしもしりぞ く心あるべからず。天竺、震

旦、わが朝にならびなき名将勇士といへども、運命尽きぬれば力及ばず。

(知盛の言、第百四句 「壇の浦」)

このうち[例1]は ハビアン訳にそのまま 「このおほせを承るにご運ははや末になったと存

ずる:人 の運命の傾かうとては,か ならず悪事を思ひたつものでござる」 とあるが、[例2]と

[例3]は ない。ハビァンは清盛 と重盛の死を語 らず、全巻の半ばを閉じる[例2]の 部分を持

たない。また、[例3]の 壇浦合戦の場面で知盛にこの語を言わせていない。古典平家物語の

「運命」が持つ重みとは明らかに異なる。ハビアン訳の 「運」・「御運」(計13例)と 「運命」

(3例)は 、ほとんど巻1、 皿に現れ、巻 皿以降 「運命」の語は見えず、「運」 も、分量 ・密度

ともに大 きい巻IVに あっては印象が薄い。この点、古典平家物語(覚 一本)に おいては、「壇の

浦合戦」の知盛の言(前 掲[例3])と 並ぶ二位の尼の最期の言 「悪縁にひかれて御運既につ き

させ給ひぬ」が灌頂の巻 健 礼門院の回想)で もう一度繰 り返され、「運命」「運」が全巻の終 り

まで強 く響いているが、それとの対比において際立つハビアン訳の特徴である。

以上を見るに、ハビァン抄 『FEIQE』 の 「運命」は、古典平家物語のそれが歴史 と人間を語

る軸として全巻を通して強 く働いているのに比 して力が弱い。ハビアンは、人間の意志や力 と

は関 り無 く開けた り、傾いた り、尽 きた りする 「運命」よりも、一定の秩序をもって運行する

道理をあらわし人の行為に応報作用を持つ 「天道」にその役割を担わせたかったように思われ

る。彼 は、単に 「神明」「宿報」などを除くという消極的な態度ではなく、当時有力な思想 とな

っていた 「天道」を背景に、キリシタンの神 とも重なる 厂天道」の働 きをも意識 しつつ、「天道」

「天命」「天道の御内証」を有効に働かせ るという積極的な指針を持ったのではないだろうか。

これが師より受けた根本の指示に関って、ハビアンが定めた抄訳の態度であったように思われ

る。しか し、巻 皿で 「天道」に見離された平氏は、巻Wに おいて戦い敗れ、滅ぶ。長大な巻IV

の世界では、もはや 「天道」は何の働 きもなす ことはない。

結 び 一 まとめ と課題一

抄訳者ハビアンは、師の命に応 じて、 まず雑談の体 に問答を交す実在感のある両人を設定 し

た。その問答が独特の章題を伴い一話ごとにまとまりをつけなが ら連鎖 して語 り続ける独特の

形式を生み、物語本文も生き生きとした当時の語 り口に移された。第二の師命による実名称呼

の原則 は、全巻に一貫 していない。源平主要の特定人物の特異な呼び方にどのような信号が隠

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天草版平家物語 序説(玉 懸 洋子)

れ て い る の か 、 大 きな疑 問 で あ る。 第 三 、 古 典 平 家 物 語 の 「運 命 」 との比 較 に お い て ハ ビ ァ ン

抄 の 「天 道 」6例 が 注 目 され る。 抄 訳 者 は こ の 時 代 の 人 々 に浸 透 して い た 「天 道 」 を背 景 に、

キ リ シ タ ンの 神 に も通 じ る人 間 を超 え た道 理 の 象 徴 と して これ を用 い て い る と思 われ る。 そ の

「天 道 」 が 巻 皿で 消 えて しま う と、 巻IVを 支 配 す る もの は何 で あ ろ うか。

以 上 の 三 点 の考 察 は 、 この 作 品 の 特 徴 の い くつ か を明 らか に して い る が 、 同 時 に巻IVの 特 異

な 姿 を強 く指 し示 して い る。 巻1・II・mと 巻Wと の 問 に は編 抄 訳 の態 度 ・方 法 に変 化 が あ る

と考 え な け れ ば な らな い 。 この稿 で触 れ る こ とは 出 来 な か っ たが 、Historia(歴 史)を 語 る 書 と

して 重 要 と思 わ れ る時 間の 記 述 につ い て も巻1・II・ 皿 と巻IVで は異 な る点 が あ る。 これ ら を

踏 ま えて 、 『FEIQENOMONOGATARI』 四巻 の構 成 を検 討 す る必 要 が あ る 。 また キ リシ タ ン弘

法 の 志 願 に沿 うべ き著 述 を期 待 さ れ て い る 『FEIQE』 に お い て、 仏 教 の 教 え に よ り 「後 生 」 を

願 う人 々 の 物 語 が 多 量 に、 しか も詳細 ・丁 寧 に 訳 出 され て い る こ とは最 も注 目さ れ る点 で あ る。

ハ ビ ア ンは平 家 物 語 を 「異 教 で あ る仏 教 的 な 視 点 で は な く」 語 ろ う と した と い う今 ま で の 論 は

見 直 され な け れ ば な らな い。 仏 教 に 関 わ る 物 語 を共 感 を こめ て語 る抄 訳 者 の態 度 に は 日本 人 キ

リシ タ ン文 学 者 の 重 要 な問 題 が 潜 ん で い る 。

これ らの 問 題 につ い て続 稿 にお い て 考 え た い と思 う。

〔注 〕

(1)平 家物 語諸本群 を仮に一括 して 「古典 平家物語」 と呼ぶ。ただ し、清瀬 良一氏 『天草版平 家物語の

基礎 的研 究』(渓 水社 、1982年)に よ り、ハ ビア ン抄 との比較 に用 いるのは、[巻1]お よび[巻II

の1]は 覚一本 、それ以 降は百二十句本であ る。

(2)ハ ビア ンの生涯 につ いて は、井手 勝美氏 「不 干斎 ハ ビア ンの生涯 」(『キ リシタ ン思想史研究 序説』

ぺ りか ん社 、1995)に よる。

〈3)「 教外作 品」 については、『FEIQE』 『QINQVXV』 『ESOPONOFABVLAS』 三作合冊 の総序 「これ ら

の作 者はGentio(異 教徒)に て,そ の題 目も さのみ重 々しか らざる儀 な りと見 ゆる といへ ども,且

うは ことば稽 古 のため,且 うは世 の徳 のため,こ れ らの た ぐひの書物 を板 に開 くことは,Ecclesia

(教会)に おいて珍 しか らざる儀 な り」 に、 その意味が知 られ る。

(4)新 村 出 ・柊源一氏 校註 『吉利支丹文学集1』(東 洋 文庫)の 解説。

(5)新 村 出 ・柊源一氏 校註 『吉利支丹文学 集2』(東 洋 文庫)の 解説。

(6)古 典平家物語 に登場 する 「右 馬之 允」 は、 もと平重衡 に仕 えた八条女院の 「大工右 馬之允政時」(第

九十三句 「重衡受戒」)、平家 重代相伝 の家人 「橘の右馬之允公長」(第 百十一句 「大 臣殿最後」)、源

氏渡辺党の 「右馬之允番」(第 百五句 「早 鞆」、諸本多 く名 を 「眤」 とす る)。

(7)安 達隆一氏 「『天草 版平 家物語 』の構 成 と言語」(一)(二)一 問答形式 の特性 につ いて一」(『人文学

部研 究論集』2000年)。

(8)ハ ビアン抄[巻IIの1](妓 王 と仏の物語)は 次の 問題 を含 む。①ハ ビア ン抄巻1は 古 典平家 物語の

..

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佛教大 学大学 院紀 要 第36号(2008年3月)

巻一、二、三 に対 応 してい るか ら、.本来巻1に 位 置すべ き ものであ る。ハ ビア ン抄 で古典 との順序

入れ替 えは他 にない し、原拠本 文 もこの段 までが覚 一本系 と分析 されて いる。 これ を巻 ∬の初 めに

置 くの は編訳上何 らかの問題が ある ごとを覗 わせ る。②物語 の本筋か ら独立 している長い女 人往生

説話 を省略 な しに口語訳 して いるハ ビアンの意 図は何 か。従 って、 この段の章題 ・問答 は特殊 な例

とも言 えるが、だか らこそこの方法 の力 を意識 して存分 に用 いた典型例 と見 ることが 出来 よう。

(9)千 草子氏 は、「ハ ビア ンまちっ とお語 りあれ」 と促 す尾花丸 と往時の 自作 「ヘ イケ」 を繰 って語 る不

干ハ ビアンの二人 を主人公 にして小説 を書 いた。 その題 を 『ハ ビアン平家物語夜話』(平 凡社、1994

年)と い う。この書 は小説 の形 を借 りたハ ビァ ン抄 『FEIQE』 論 である。

(10)ロ ドリゲス 『日本語小文,典』(マ カオにて刊 行、1620年 。岩波文庫、池上岑夫訳)に は、 日本語学習

教材 『FEIQE』 に対す る一見否 定的な評価 が載る。(第 一部 〈上 〉の 「日本語の学習 と教授 にふ さわ

しい と思われ る方法 につい て」)。なお、千草子氏 は(注9)の 創作 の中で、ハ ビア ン抄 『FEIQE』

が実 際の 日本語学習 に生 かされ、 ミサ説教 に利用 され て聴 衆の感動 を誘 った場面 を描いて いる。因

み に大英図書館蔵の孤本 『FEIQE』 には書入れが あ り、一人の 日本語 学習者 の手沢本であ る。

(11)巻IVの 「第十.通 盛 の北 の方,小 宰相 の局通盛に後れ,身 を投げ られたこ と」 の次章 に、再 び 「第

十」 として 「都 で平家一 門の首 を渡いた こと,三 位の 中将夫婦 の沙汰」が ある。後者 の 「第十」(実ママ

は十一章)は 「第十」 として翻字 されてい る。

(12)古 典平家物語の 「天道」2例 は全 く別の箇所にあ りハ ビア ンは訳出 していない。

*無 実 の罪 によ ッて、遠流 の重 科 をか うむ る事 を、玉 道あ はれみ給 ひて、 九耀 のかたちを現 じつつ、

一行 阿闍梨 をまぼ り給ふ。(巻 二、一行阿闍梨之沙汰)

*運 を玉道 にまかせ、 身を国家 になげ うち、試み に義兵 を起 し、 凶器 を退 けんと欲す 。(第 六十三句

「木曾 の願書」)

(13)市 井外喜子氏 『天草版平家物語私考』(新 典社、2000年)。

(14)海 老沢有道氏(『 日本思想大系 キ リシ タン書 排耶書』 の 「妙貞問答」の頭注)。 米井力也氏 も 「『天

草 本平家物語』 の 「天道」 を 「デウス」 と同定す るこ とには、 この書物 が もともと日本語 文献であ

る とい うことか ら慎 重にな らざるをえない」 と し、本 論の 「天道」6例 の うち② の重盛 の言につい

て も言及 している。(『キ リシタ ンの文学』平凡社選書、1998年)

(15)『 お伽草子』 「二 十四孝」の 「天 道」 の例。 「ひ とへ に玉 道 の御 あはれみ を頼み奉 るとて、祈 をか け

て大 きに悲 しみ……是 ひ とへ に、孝行 の深 き心 を感 じて、五道 よ り与へ給へ り(「孟宗」)。他 に三例

あ り(「姜詩」、 「郭巨」、 「朱寿 昌」)。

(16)石 毛忠氏 「戦国 ・安土 時代 の倫理思想一天 道思想の展開一」

(日本思想史研究会編 『日本におけ る倫理思想 の展 開』吉川弘文館1965年)

石毛氏 によれ ば、戦国大名 に とって 「天道」 とは① 「理非 を超越 して運命 を司 る」「予見 を拒否す

る」 「不定 で とらえ難い」神秘性 と、② 「旧秩序 を破壊 し」た新権力者 たちが求めた 「因果応報 の観

念」 に よる 「倫 理的権威性」 の両面 を持つ ものであ った が、統一事業 の進行 とと もに② の側面が 緊

張 し、「織豊二政権 お よび徳 川政権 を正当化す る機能」 を果す事 にな った、 とい う。そ して一時 的に

「天道」が デウスに当て用 い られた例 として、吉利支丹武士大村澄忠 の祈請文 「玉道之離加邏遮

盤 ≧弓箭之運命竭 終」 を挙 げている。

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Page 16: 天草版平家物語 序説...天草版平家物語 序説(玉 懸 洋子) 1565年(永 禄8年)の 生まれ、初め禅僧であったが母と共に受洗してイエズス会で研鑚を重ね、

天草版平家物語 序説(玉 懸 洋子)

なお、 『信長公記』(太 田牛一、1600年 頃)に も 「天道」 の例が ある。

(17)鈴 木則郎氏 「天草本平家物語の性格(三)一 抄訳者ハ ビア ンのキ リシタン思想 との関連 を中心 に一」

(宮城学院女子大学基督教文化研究所 『研究年報』第6-7号 、1973)

(18)「 わがぞ んぶ んをさ しを き,Dの 御 ない しや うの ま ・につ とめ奉 る人は まことのち しやな り」

(『こんてむつす むん地』第三 真実の をしへ の事)な ど多数の用例がある。

(19)古 典平 家物語で は義仲 が 「木曾願書」 の中で 「運 を天道 にまかせ」 と言 う(注12)が 、ハ ビァ ン訳

([巻 皿の3])で は願書本文が訳出 されていない。結 果、古典平家物語唯一の 「天道」発言者義 仲は、

ハ ビアン訳 において、 「天道」 と聞 らない ことにな った。

(20)こ の数字 は、『日本古典文学大系 平家物語』(岩 波書店)の 本文に よる。

(21)梶 原正 昭氏 編 『平家物語 必携』(別 冊 国文学 改装版1985年,「 平家物語 の理念 と方法」)。なお、小松

茂人先生 「軍記 物にお ける運命観一 『保元物語』・『平 治物 語』・『平家物語』}(『中世軍記物の研 究』

桜楓社1962年)を 参考 に した。 以上

(た まか け よ う こ 文 学 研 究 科 国 文 学 専 攻 修 士 課程 修 了)

(指導:黒 田 彰 教 授)

2007年10月11日 受 理

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