46
部会資料 患者さんを守る。その薬を守る。 ~安全性情報の自動蓄積とその利用~ 平成 20 3 医薬品評価委員会 統計・DM 部会 発行 医薬出版センター

患者さんを守る。その薬を守る。 - JPMA...はじめに 薬の評価は,「その薬が人の体に入ったときに何が起きるのか」の全体像,つまり①「そ

  • Upload
    others

  • View
    1

  • Download
    0

Embed Size (px)

Citation preview

Page 1: 患者さんを守る。その薬を守る。 - JPMA...はじめに 薬の評価は,「その薬が人の体に入ったときに何が起きるのか」の全体像,つまり①「そ

部会資料

患者さんを守る。その薬を守る。 ~安全性情報の自動蓄積とその利用~

平成 20 年 3 月

日 本 製 薬 工 業 協 会 E 医薬品評価委員会 統計・DM 部会

発行 医薬出版センター

Page 2: 患者さんを守る。その薬を守る。 - JPMA...はじめに 薬の評価は,「その薬が人の体に入ったときに何が起きるのか」の全体像,つまり①「そ

目次

1 はじめに ......................................................................................................................... 1 2 安全性情報に関する規制要件と現在の調査方法による限界 ......................................... 3

2.1 本邦における市販後(製造販売後)の医薬品安全性情報収集方法 ....................... 3 2.2 米国と英国の市販後調査状況 ................................................................................. 5

2.2.1 米国 .................................................................................................................. 5 2.2.2 英国 .................................................................................................................. 5

2.3 市販後(製造販売後)調査で明らかにできることとその限界 .............................. 6 2.3.1 自発報告,市販直後調査(Case report) ....................................................... 6 2.3.2 使用成績調査,特定使用成績調査 .................................................................. 7 2.3.3 観察研究(ケース・コントロール研究,コホート研究) ............................... 8 2.3.4 データベース研究 ............................................................................................ 9

3 薬剤疫学データベースへの期待 .................................................................................... 11 3.1 医薬品の安全性と“薬剤疫学” ............................................................................. 11

3.1.1 薬剤疫学の定義,誕生から今日まで .............................................................. 11 3.1.2 薬剤疫学の安全性評価での活用 ..................................................................... 11

3.2 薬剤疫学データベースの特徴 ............................................................................... 12 3.3 データベースの成り立ちとそのタイプ ................................................................ 14 3.4 リスク回避のための薬剤疫学データベースの利用可能性 ................................... 16 3.5 薬剤疫学データベースを利用する場合の注意点 .................................................. 16

4 データベースの実例 ..................................................................................................... 19 4.1 海外のデータベース .............................................................................................. 19

4.1.1 General Practice Research Database (GPRD) ....................................... 19 4.1.2 Integrated Primary Care Information Database (IPCI) ....................... 20 4.1.3 PHARMO Records Linkage System ............................................................. 21 4.1.4 Health Services Databases in SASKATCHEWAN ..................................... 22 4.1.5 Swedish Centre for Epidemiology ................................................................ 23 4.1.6 Vaccine Safety Datalink ................................................................................ 24

4.2 日本のデータベース .............................................................................................. 25 4.2.1 久山町研究 ..................................................................................................... 26 4.2.2 日本ナースヘルス研究 (Japan Nurses’ Health Study) ........................... 27

5 薬剤疫学的な研究に利用可能な日本のデータベースと新たなリスク・マネージメント

の可能性 .............................................................................................................................. 29 5.1 概略 ....................................................................................................................... 29 5.2 シグナルの検出 ..................................................................................................... 30

5.2.1 シグナル検出とは .......................................................................................... 30 5.2.2 PMDA におけるシグナル検出とその意義 .................................................... 32

5.3 シグナルの検証 ..................................................................................................... 33 5.3.1 既存のデータベースを利用した薬剤疫学的な研究の可能性 ........................ 33

5.4 リスク・コミュニケーション ............................................................................... 39 5.4.1 薬剤疫学データベースとリスク・コミュニケーション ................................ 39 5.4.2 FDA の取り組みとリスク・コミュニケーションの今後 .............................. 40

6 おわりに ....................................................................................................................... 43

Page 3: 患者さんを守る。その薬を守る。 - JPMA...はじめに 薬の評価は,「その薬が人の体に入ったときに何が起きるのか」の全体像,つまり①「そ

1 はじめに 薬の評価は,「その薬が人の体に入ったときに何が起きるのか」の全体像,つまり①「そ

の化合物(物質)はいったい何なのか」(物性,安定性など),②「人の体に入ったときに,

人の体が薬に何を行うか」(薬物動態),③「人の体に入ったときに,薬が人の体に何を行

うか」(有効性,安全性,Quality of Life)を解き明かすための学習プロセスである。医薬

品の承認決定は,承認時点において入手可能な情報に基づいて行われる。①,②は,評価

の基礎となるもので,情報は承認時点までに完結する。③の有効性は,薬が備えるべき重

要な特性であり,開発の最終段階までに検証が行われる。真のエンドポイントを指標とし

たときの実際の医療現場での薬の価値が,市販後の大規模臨床試験で検証されることもあ

るが,承認時点までに少なくとも「この化合物(物質)は,薬として機能する」ことが確

立される。③の安全性については,承認時点までに,薬を投与された患者の多くが経験す

る有害事象を明らかにすることはできるし,発現頻度は低いが重篤であるような有害事象

を個別症例の情報として記録し,後の注意喚起とすることはできる。また,承認時点まで

に得られていない情報(どのような患者集団や条件下での情報がないのか)も明らかにす

ることができる。このような情報に基づき,ベネフィットとリスクのバランスが患者にと

って,社会にとって満足すべきものであるか否かを判断するのが医薬品の承認決定である。

その直後には,臨床試験とは異なる状況下で使用され,比較的短期間に臨床試験よりはる

かに多くの患者に使用される可能性がある実際の医療現場が控えている。有効性確立まで

の道のりがそうであるように,安全性の全体像を把握するまでには,仮説の生成,試験・

調査などの実施,仮説のアップデートを繰り返し,最終的に仮説の検証までいたる学習プ

ロセスがある。いくつかの重要な有害事象については,承認時点までに完結するものもあ

るかもしれないし,市販後早期にほぼ確証を得ることができるものもあるかもしれない。

しかし,発生頻度は高くないが見過ごすことのできない重要な安全性情報や未知の安全性

情報に関する学習プロセスは,その薬の社会的な役目が終焉を迎えるまで続ける必要があ

り,安全性プロフィールを描ききるために必要なキャンバスは,薬のライフサイクル全体

に及ぶ。我々は,この学習プロセスが,企業,規制当局はもとより,患者,医療関係者,

そして医学,疫学,薬剤疫学などの研究者が参加する社会的なプロセスであるべきと考え

ている。

統計・DM 部会では平成 17 年 3 月に「新医薬品の承認前に求められる安全性情報を考え

る―安全性の社内標準と統合解析―」をまとめ,開発段階の安全性データの標準化を推進

することにより,承認時点までの安全性情報をもっと有効に利用できることを説いた。本

1

Page 4: 患者さんを守る。その薬を守る。 - JPMA...はじめに 薬の評価は,「その薬が人の体に入ったときに何が起きるのか」の全体像,つまり①「そ

報告では,視点をライフサイクル全体に広げ,欧米と比較したときに日本の安全性情報の

学習プロセスには「大きな欠けている部品」があり,これを埋めるための活動,つまり医

療情報などが自動集積されたデータベースの構築を目指した活動が,日本でも始まってい

ること,「欠けている部品」が埋まったときにどのような社会が形成されるべきなのかを述

べる。

2

Page 5: 患者さんを守る。その薬を守る。 - JPMA...はじめに 薬の評価は,「その薬が人の体に入ったときに何が起きるのか」の全体像,つまり①「そ

2 安全性情報に関する規制要件と現在の調査方法による限界

ここでは,医薬品が市販されてからどのような調査が行なわれているかについて,日本

および海外の状況を概説する。また,現在の調査方法の限界についても考察を加え,具体

的にどのような情報が不足しがちであるか,そのために生じる可能性があるリスク・マネ

ージメント上の問題点は何かを考える。

2.1 本邦における市販後(製造販売後)の医薬品安全性情報収集方法

本邦では,市販後の安全性情報の収集が薬事法により規制を受けている。従来,「市販後

調査」は GPMSP 省令(市販後調査の基準)に基づき行なわれてきたが,平成 17 年に全面

施行された改正薬事法において,GPMSP は医薬品の安全管理に関する GVP 省令(Good

Vigilance Practice;医薬品等の製造販売後安全管理基準) 1 と GPSP 省令(Good

Post-marketing Study Practice;医薬品の製造販売後の調査および試験の実施に関する基

準)2に分離された。GVP は製造販売業の許可要件であり,厳格な適用が求められている。

医薬品の安全性に関する通常の市販後情報収集方法として,自発報告,市販直後調査,

使用成績調査,特定使用成績調査および製造販売後臨床試験がある。これらの概略を,ガ

イドラインや省令等の記載に沿って要約すると以下のようになる。

自発報告(ICH-E2D,ICH-E2E)

自発報告とは,企業,規制当局または他の組織(例えば,WHO,地域の副作用モニタリ

ングセンターRegional Centres,中毒管理センターなど)に対する医療専門家または一般使

用者による自発的な報告であり,1 種類あるいは複数の医薬品を投与された患者における 1

件あるいは複数の副作用を記述するものであって,臨床試験または何らかの系統的な方法

で収集された症例は自発報告に当たらない。

市販直後調査(GVP 省令)

厚生労働省医薬食品局安全対策課事務連絡平成 18 年 3 月 24 日「医療用医薬品の市販直

後調査に関する Q&A について」より抜粋:

医薬品の製造販売業者が販売を開始した後の 6 か月間,医療機関に対して確実な情報提

1 医薬品,医薬部外品,化粧品及び医療機器の製造販売後安全管理の基準に関する省令(平

成 16 年 9 月 22 日厚生労働省令第 135 号) 2 医薬品の製造販売後の調査及び試験の実施の基準に関する省令(平成 16 年 12 月 20 日厚

生労働省令第 171 号)

3

Page 6: 患者さんを守る。その薬を守る。 - JPMA...はじめに 薬の評価は,「その薬が人の体に入ったときに何が起きるのか」の全体像,つまり①「そ

供,注意喚起等を行い,医薬品の適正な使用に関する理解を促すとともに,薬事法施行規

則第 235 条第1項第1号イ,ハ(1)から(5)までおよびト並びに同項第 2 号イに掲げる症例等

の発生を迅速に収集し,必要な安全対策を実施して副作用等の被害を最小限にすることを

主な目的とする調査である。

GPSP 省令が規定する調査および試験には,「使用成績調査」,「特定使用成績調査」(特別

調査からの名称変更),「製造販売後臨床試験」(市販後臨床試験からの名称変更)がある。

これらの定義を GPSP 省令第二条より抜粋する。

使用成績調査(GPSP 省令)

製造販売後調査等のうち,製造販売業者等が,診療において,医薬品を使用する患者の

条件を定めることなく,副作用による疾病等の種類別の発現状況並びに品質,有効性およ

び安全性に関する情報の検出又は確認を行う調査をいう。

特定使用成績調査(GPSP 省令)

使用成績調査のうち,製造販売業者等が,診療において,小児,高齢者,妊産婦,腎機

能障害又は肝機能障害を有する患者,医薬品を長期に使用する患者その他医薬品を使用す

る条件が定められた患者における副作用による疾病等の種類別の発現状況並びに品質,有

効性および安全性に関する情報の検出又は確認を行う調査をいう。

製造販売後臨床試験(GPSP 省令)

製造販売後調査等のうち,製造販売業者等が,治験若しくは使用成績調査の成績に関す

る検討を行った結果得られた推定等を検証し,又は診療においては得られない品質,有効

性および安全性に関する情報を収集するため,当該医薬品について法第十四条 又は法第十

九条の二 の承認に係る用法,用量,効能および効果に従い行う試験をいう。

以上のような諸制度に従って,日本の「製造販売業者」は「副作用による疾病など」の

情報を収集し,行政に報告するように定められている。歴史的に見れば,1995 年に発生し

たソリブジンと抗がん剤の併用の問題等を契機として,承認審査および市販後安全性対策

の強化・充実が持続的に行われてきた。1997 年の薬事法の改正と「医薬品の市販後調査の

基準に関する省令」の制定,2001 年の「市販直後調査」の新設,2005 年の薬事法の改正と

「医薬品の製造販売後の調査および試験の実施の基準に関する省令」の制定等を通じて,

市販後のリスク・マネージメントが次第に強化されてきたことは確かである。また,市販

4

Page 7: 患者さんを守る。その薬を守る。 - JPMA...はじめに 薬の評価は,「その薬が人の体に入ったときに何が起きるのか」の全体像,つまり①「そ

前までに得られた安全性情報の質や量を考慮しながら,規制当局の側が,承認条件という

形で,市販後に収集が必要な安全性情報の内容や,場合によっては市販後調査の規模や形

態等をある程度指定することで,上述した諸制度を柔軟に運用してきた経緯もある。

その一方,制度上,特別な規定があるわけではないにもかかわらず,市販直後調査,使

用成績調査,特定使用成績調査等は対照群を置かずに,すなわち製薬企業が自社薬剤に曝

露した患者集団のみを追跡する形で実施される場合がほとんどである。しばしば指摘され

るように,制度としての枠組みは用意されているものの,どのような安全性上の懸念に答

えるためにその調査を行うのか,といった方法論的な位置づけが不明確である 3,4。このよ

うな従来のいわゆる市販後(製造販売後)調査の限界については,2.3 でさらに論じる。

2.2 米国と英国の市販後調査状況

欧米では,日本の市販直後調査,使用成績調査に相当するような共通の定型化した安全

性調査は制度として義務付けられていない 5。

2.2.1 米国

FDA は製薬企業に対して,安全性のシグナルの特定と特徴付け,および適切な観察研究

(薬剤疫学研究,登録制度,サーベイ)による追跡を要求している。製薬企業は,医薬品

の承認時に安全性研究計画の方針を作成し,これを FDA は官報で公開する。製薬企業によ

るこのような調査とは別に,FDA は,研究団体と共同で特定の医薬品の安全性に関する薬

剤疫学研究,研究団体に調査研究のための研究基金を提供し,支援を行う CERTs プログラ

ム The Centers for Education and Research on Therapeutics programを実行中である。

2.2.2 英国

英国では,医療関係者から副作用の疑いのある事象を報告させる Yellow Card 制度と新

薬に黒三角を表示させる Black Triangle 制度が運用されている。また,Medicines and

3 PMS 検討会 (座長:大橋靖雄), わが国における PMS の今後のあり方 -PMS 検討会によ

る報告-, 薬剤疫学;8:3-34 (2003) 4 望月眞弓,特集 医薬品安全対策の目指すもの 2.医薬品副作用情報報告の重要性~リス

クマネジメントとデータマイニングの視点から~,医薬ジャーナル;l42:1427-1431(2006) 5 Michael Paterson, Health Canada, Overview of Novel Drug Plan and Drug Regulatory Pharmacosurveillance Initiatives in the United States, United Kingdom, and Select Other Jurisdictions June 22, 2005, A background paper prepared for the Working Conference on Strengthening the Evaluation of Real World Drug Safety and Effectiveness, Septembre 13-15, 2005, Available from: http://www.hc-sc.gc.ca/hcs-sss/pubs/pharma/2005-pharma-surveill-int/index_e.html

5

Page 8: 患者さんを守る。その薬を守る。 - JPMA...はじめに 薬の評価は,「その薬が人の体に入ったときに何が起きるのか」の全体像,つまり①「そ

Healthcare products Regulatory Agency (MHRA)管理下にある General Practice

Research Database (GPRD;詳細は後章で紹介)が必要に応じて薬剤疫学研究のために

活発に利用されている。

2.3 市販後(製造販売後)調査で明らかにできることとその限界

Brewer らは医薬品による副作用を,大きく次の 2 つのカテゴリーに分類している。すな

わち,①薬を使うと発生するが使わなければほとんど発生しない事象,②薬を使わない一

般の集団においてある程度発現する事象の頻度が薬の使用により増加する事象,の 2 つで

ある。この 2 つのカテゴリーは,医薬品使用と事象の発生時期との関係によって,さらに

次の 3 つの事象に分類される。すなわち,①医薬品使用後にすぐに起こるもの,②長期間

使用で起こるもの,③使用中断後時間をおいて起こるもの,の 3 つである 6。事象の発生頻

度(稀か,一般的か),医薬品使用後の時間反応関係の 2 つの要素が,調査方法の違いによ

る副作用の検出されやすさに影響を与える。医薬品の副作用を検出する方法として,自発

報告 spontaneous report,サーベイランスシステム surveillance system,市販後コホート

研究 post marketing cohort studies,統合解析 meta-analysisなど様々な方法が実際に使用

されている 6。ただし,検討が必要な安全性上の課題により,どの方法を,どのように用い

るのが適切であるかは,それぞれに異なる。リスク・マネージメントの観点からは,それ

ぞれの方法の特徴と限界を考慮して,適切な方法を組み合わせて用いるのが現実的であろ

う。

以下では,副作用を検出する様々な方法のうち,既に本邦で使用されている方法(伝統

的な観察研究を含む)に関して,その特徴と限界について触れ,最後に本資料でこの後取

り上げるデータベース研究の特徴に言及する。

2.3.1 自発報告,市販直後調査(Case report)

自発報告は,安全性情報を受身的に収集することから,疫学研究では受動的サーベイラ

ンス passive surveillanceと呼ばれており,通常,市販前の臨床試験では観察することがで

きない稀で重篤な有害事象を検出するために重要な情報源となる 6,7,8。また,一連の自発報

告 case seriesにより,薬剤との関連性に関する証拠が得られることもある。市販直後調査

6 Brewer T, Colditz GA, Postmarketing surveillance and adverse drug reactions, JAMA;281:824-829 (1999) 7 Engel RR, Grohmann R, Rüther E, Hippius H., Research methods in drug surveillance, Pharmacopsychiatry.; 37 Suppl 1:S12-15 (2004) 8 Bush JK, Dai WS, Dieck GS, Hostelley LS, Hassall T., The art and science of risk management: a US research-based industry perspective, Drug Saf.;28:1-18 (2005)

6

Page 9: 患者さんを守る。その薬を守る。 - JPMA...はじめに 薬の評価は,「その薬が人の体に入ったときに何が起きるのか」の全体像,つまり①「そ

は,医師などに有害事象の報告を積極的に促す方法 stimulated reportingで,自発報告の一

種と考えられる。

米国では,1969 年から 2002 年にかけて 75 以上の医薬品が,安全性上の問題により市場

から撤退した 9。最近では,COX-2 阻害剤の心疾患リスクの増加による市場撤退の例が記

憶に新しい。これらの多くは,自発報告または自発報告の情報を元に行われた臨床試験の

結果から,重大な安全性上の問題があると判断された。

しかしながら,自発報告のみで医薬品のリスクを評価することは一般に難しい。なぜな

ら,これらの報告制度から得られた情報から,報告率をある程度把握することが可能な場

合もあるが,正確な有害事象の発現率を求めることはできない(ICH-E2E10)。また,注意

のばらつきによる偏りは,この報告率の低さ(実際に生じた事象に対する報告数の割合は,

非重篤な有害事象で 0.1%から 4%,重篤な有害事象で 10%から 20%程度と推定されてい

る 4)以上に大きな問題であり,体系的でない自発報告では改善不可能である。すなわち,

自発報告として得られた情報が,真に医薬品のリスクを示しているのか,あるいはその医

薬品(および有害事象)に対する関心の高さや報告の程度を反映しているだけなのか,見

極めることは難しい。この点については,「5 薬剤疫学的な研究に利用可能な日本のデータ

ベースと新たなリスク・マネージメントの可能性」でも取り上げる。

2.3.2 使用成績調査,特定使用成績調査

使用成績調査,特定使用成績調査は,予め作成された調査計画書に基づく調査方法で,

使用実態下において,薬剤が使用される患者について調査様式への記入により有害事象を

収集する積極的サーベイランス active surveillanceである。この調査方法により,事象の発

現数や有害事象のさまざまな情報を得ることが可能である。これらは,比較対照を置かな

いコホート研究と見なすことができ,自発報告と併せて評価することにより,薬剤による

有害事象の発現数,因果関係の仮説に対する確信を強化することに役立つと考えられてい

る。実際,十分な被験者数さえ確保できれば,市販前の臨床試験からは知ることができな

かった発現が稀な事象についても,ある程度の情報を得ることができる。

一方,使用成績調査,特定使用成績調査においては,患者数が限られていることや,患

者の選択バイアスの問題が指摘されている。このような調査により集積された患者集団が,

9 Wysowski DK, Swartz L., Adverse drug event surveillance and drug withdrawals in the United States, 1969-2002: the importance of reporting suspected reactions, Arch Intern Med.;165:1363-1369 (2005) 10 ICH E2E:医薬品安全性監視の計画,薬食審査発第 0916001 号,薬食安発第 0916001号,平成 17 年 9 月 16 日

7

Page 10: 患者さんを守る。その薬を守る。 - JPMA...はじめに 薬の評価は,「その薬が人の体に入ったときに何が起きるのか」の全体像,つまり①「そ

患者母集団を適切に反映しているか否かは,まだ十分に評価されていない。例えば,安全

性上問題がなく有効性も期待できる,といった患者ばかりを組入れてしまうと本当の意味

での「使用実態下」の調査ではなくなってしまう。さらに,対照集団を置かないコホート

研究には,以下のような大きな限界もある。

• 因果関係の判定が困難

発現が稀な事象で,その患者集団での発現の程度がほぼ既知である事象については,既

存の情報を比較の対照 historical controlとして用いることで,因果関係の判定が可能な場

合もあるであろう。しかし,そのような情報がない場合,発現が稀ではない場合,また様々

な患者背景により発現の程度が修飾される可能性が高い場合には,対照集団を設定しない

限り,その発現が薬剤の使用に起因するものか,あるいはその患者集団で薬剤使用とは無

関係に生じうることなのか見定めることは困難である。

• 高リスク集団の特定も困難

対照集団を置かないコホート研究で,仮にある有害事象のリスクが高いと思われる部分

集団が明らかになったとする。この場合,その薬剤の使用とは無関係に,その部分集団で

はリスクが高い場合もあれば,その薬剤を使用した場合に限って,特にリスクが高くなる

場合もある。どちらが真実であるかは,過去の医学研究の成果などにより,その薬剤を使

用しなかった場合の部分集団毎のリスクが明らかでない限り,知ることができない。

以上のように,対照集団を置かないコホート研究としての使用成績調査,特定使用成績

調査には,薬剤使用と有害事象との因果関係の検証がそもそも困難である,という限界が

ある。したがって,こうした調査をリスク・マネージメントのツールと考えた場合,十分

に強力な手段とは言い難い。

2.3.3 観察研究(ケース・コントロール研究,コホート研究)

これまで概観したような通常の安全性調査方法は,薬剤との関連性についてのシグナル

を検出したり,仮説に対する確信を強化したりするための手段としては有用である。しか

し,自発報告における再投与試験が可能な場合を除き,いずれの調査方法を用いても薬剤

との関連性を検証することは困難である。このための疫学的手法として,ICH-E2E でも紹

介されている,ケース・コントロール研究 case control study,コホート研究 cohort study

など,いくつかの比較観察研究のデザインが知られている。これらの方法を用いることに

8

Page 11: 患者さんを守る。その薬を守る。 - JPMA...はじめに 薬の評価は,「その薬が人の体に入ったときに何が起きるのか」の全体像,つまり①「そ

より,関心がある薬剤への曝露の有無により有害事象の発現の程度がどれほど異なるか(コ

ホート研究),あるいは有害事象の発現の有無により関心がある薬剤への曝露状況がどれほ

ど異なるか(ケース・コントロール研究)といった観点から,薬剤の使用と有害事象の発

現との因果関係をより詳細に調べることができる。因果関係の検証という側面を重視する

なら,まさにリスク・マネージメントの主軸を担うべき方法である。

しかしながら,コホート研究では,サンプルサイズが限られること,固有の診断基準が

用いられること,調査期間が限定されることから,一つの試験の結果を他の試験と比較す

ることは困難であり,結果の一般化には注意が必要である 。また,ケース・コントロール

研究では,コホート研究の問題に加え,一般に,後知恵によってケースとコントロールの

グループが形成されるため,データの完全性(薬剤,有害事象の網羅性)が損なわれると

いう問題や,その他様々なバイアスが指摘されている 11。さらに,これらの観察研究を実

施し,結果を得るには,相応の時間と費用が必要である。つまり,このような観察研究の

重要性は明らかだとしても,コストの面から考えると,常に実施可能な方法であるとは言

い難い。

2.3.4 データベース研究

以上で述べたような,既存の調査・研究方法の限界を考えると,安全性情報が自動的に

蓄積されていくようなデータベースの活用は魅力的である。実際に観察研究を実施するこ

とを考えれば,情報収集に必要なコストが相対的に安価である。また,データベースに含

まれている情報の質と量によっては,自発報告と同様,シグナル検出のためのデータ・マ

イニングの情報源となったり,実際にコホート研究やケース・コントロール研究を実施し

た場合に匹敵する安全性情報が得られる可能性もある。このため,この後の章で紹介する

ように,海外では,英国の GPRD に代表されるような大規模なデータベースが盛んに活用

され,市販後の薬剤のリスク・マネージメントの重要なツールの一つとして定着しつつあ

る。

一方,このようなデータベースが実質的には存在しないという現状が,本邦における市

販後の薬剤のリスク・マネージメントを著しく制限していることも事実である。例えば,

既に触れた ICH-E2E では,市販前の段階で既知であり,更なる情報収集が必要と考えられ

る「特定されたリスク」だけでなく,市販前の時点ではほとんど情報が得られていない「潜

在的リスク」をも安全性検討事項の中に含め,具体的な安全性監視計画を事前に策定する

11 Ashby D, Smyth RL, Brown PJ., Statistical issues in pharmacoepidemiological case-control studies, Stat Med.;17:1839-1850 (1998)

9

Page 12: 患者さんを守る。その薬を守る。 - JPMA...はじめに 薬の評価は,「その薬が人の体に入ったときに何が起きるのか」の全体像,つまり①「そ

よう求めている。こうした「潜在的リスク」については,想定される患者集団が稀か,あ

るいは想定される有害事象の発現が稀か,いずれかの場合が多いであろう。しかし,自発

報告と市販後調査を主軸とした従来の手法によって,こうした「潜在的リスク」について

評価することが本当に可能なのだろうか。

例えば,同じ ICH-E2E に「稀な有害事象の場合,既存の大規模な集団を基盤としたデー

タベースは,必要な薬剤使用およびアウトカムデータが比較的短期間で得られる有用かつ

効果的な手段である」という記述がある。裏を返せば,「既存の大規模な集団を基盤とした

データベース」が存在しない場合には「必要な薬剤使用およびアウトカムデータ」を短期

間で得るのは不可能だということである。後から述べるように,本邦においては,こうし

たデータベースが一般に利用可能な状態に整備されているとは言い難い。したがって,「潜

在的リスク」を短期間で評価できるような「有用かつ効果的な手段」が今のところ本邦に

は存在しない,というのが偽らざる現状ではないか。

ただし,これらのデータベースは,管理や会計の目的で構築されているため,一部の研

究が必要とする詳細かつ正確な情報が含まれていないことがある 。また,個人情報保護の

観点から,診療記録の検証は困難であり,さらに解析結果に影響する様々な因子が知られ

ている ,12。それらの限界を十分意識しながら適切にデータを収集し,解析し,結果を解釈

することが重要である。

さて,薬剤疫学的な調査・研究を可能にするこのようなデータベースは,しばしば薬剤

疫学データベースと呼ばれるが,その内容や形式は多岐にわたる。次章では,薬剤疫学の

歴史を紐解きながら,このようなデータベースが成立するに至った経緯,その必要性,利

用可能性,また利用する際の注意点などについて概説する。

12 Schneeweiss S, Avorn J., A review of uses of health care utilization databases for epidemiologic research on therapeutics, J Clin Epidemiol.;58:323-337 (2005)

10

Page 13: 患者さんを守る。その薬を守る。 - JPMA...はじめに 薬の評価は,「その薬が人の体に入ったときに何が起きるのか」の全体像,つまり①「そ

3 薬剤疫学データベースへの期待

3.1 医薬品の安全性と“薬剤疫学”

3.1.1 薬剤疫学の定義,誕生から今日まで

薬剤疫学は「人の集団における薬物の使用とその効果や影響を研究する学問」と定義さ

れており薬剤の安全性および有効性の評価に活用されている。研究の始まりは 1960 年代と

考えられており,歴史的には薬害に対する行政の対応に促される形で発展してきてきた。

契機となったのは,1960 年代初頭のサリドマイド被害で,妊婦からアザラシ肢症などの奇

形児が生まれる原因が胎内でのサリドマイドへの曝露であることが疫学的手法の活用によ

り解明された。その後,安全性監視に対する意識の高まりとともに,1968 年に英国で医薬

品安全委員会 Committee on Safety of Medicinesが発足したのをはじめ各国で自発報告に

基づく安全性監視制度が発足し,各国の情報が WHO に集約される体制が確立した。日本

においても 1967 年に副作用の自発報告制度が始まり,1972 年からは WHO の制度に加盟

している。この他,1960 年代中頃には薬剤の処方状況に関する研究が進んだ 13。

しかしながら,その後,安全性監視の改善にも関わらず,日本においても多くの被害を

もたらした 1970 年頃の亜急性脊髄視神経症(スモン)の発生についても,被害の原因が

1930 年代に発売されたキノホルムであることが判明するなど薬剤被害が相次いだ。結果,

医薬品の安全性監視へのさらなる行政の対応が促され,英国においては 1980 年に Drug

Surveillance Research Unit (DSRU)が設立され,「副作用」に限定せず,広く Prescription

Event Monitoring Database(PEM)のような「イベント」の報告を求める処方-イベン

トモニタリングが開始されるなど研究のための基盤整備が進み薬剤疫学の発展が助長され

た。また,米国においては 1977 年に Medicaid 制度に基づく医療費支払い情報を薬剤疫学

研究に利用することを目的としてデータベースを含む電子化オンラインシステムが構築さ

れた 。その後,現在までにデータベースの数,種類は増え続けており,日本以外の多くの

国々では,種々の医療情報が自動集積される多種多様な大規模データベース(以降,薬剤

疫学データベース)の整備が進み,薬剤疫学研究の重要な情報源として活用されている。

3.1.2 薬剤疫学の安全性評価での活用

市販前の安全性の評価においては,試験対象集団の規模,被験者(患者)の選択/除外

基準,実施期間などの制約がある。このため,市販後の安全性監視として,実際の医療環

13 Strom BL, Pharmacoepidemiology, 4th ed., Chapter 1, (2005).

11

Page 14: 患者さんを守る。その薬を守る。 - JPMA...はじめに 薬の評価は,「その薬が人の体に入ったときに何が起きるのか」の全体像,つまり①「そ

境に基づく長期にわたる評価の実施が望ましい。この対応として,日本においては自発報

告,使用成績調査,特定使用成績調査,製造販売後臨床試験が行われているが,自発報告

や使用成績調査については 2 章で述べたような限界がある。製造販売後臨床試験について

は,実際の医療環境に即した形で実施しようとすればするほど大規模化・長期化しがちで

あり,単一企業での実施が困難な場合も少なくない。逆に,一企業にとって実施可能な範

囲内で実施する製造販売後臨床試験には,市販前の臨床試験と同様に,安全性評価に十分

な標本サイズが確保されない場合があること,高齢者,小児,腎障害または肝障害を有す

る患者等の除外により一般化可能性が損なわれる可能性があることなどの限界があり,検

討可能な内容に限界があるかもしれない。

これらの問題点の解消のための方策としては,薬との因果関係が疑われないと報告され

ないという自発報告の欠点を補うために,英国の PEM のような「イベント」の報告を求め

る処方-イベントモニタリングを実施することや,使用成績調査を拡充し,対照群を置い

たコホート研究として実施することなどが考えられる。

PEM については平成 8-9 年度厚生科学研究「我が国における英国 PEM 類似のイベント

モニタリングを実施するための条件に関する研究班」および平成 10-12 年度厚生科学研究

「日本版処方-イベントモニタリング(J-PEM)のパイロットスタディ」にて日本版 PEM

の実施可能性が検討されているが実現には至っていない。対照群を設置した市販後調査(前

向きコホート研究)については企業独自の努力による実施が考えられるが,多額の費用と

時間が必要であり企業にとっては相当な負担となる。また,後ろ向きコホート研究やケー

ス・コントロール研究についても国内において利用可能な情報源の整備が進んでいない状

況であり研究の実施は容易ではない。

3.2 薬剤疫学データベースの特徴

後に見るように,様々な歴史的な背景を経て広く利用されるまでに至った多種多様な薬

剤疫学データベースの一般的な特徴を一言で述べることは難しい。また,「薬剤疫学データ

ベースとはこのようなデータベースのことである」といった明確な定義が存在するわけで

もない。しかしながら,このようなデータベースを用いて検討したい事項を,とりあえず

薬剤への曝露に起因するかもしれない種々のリスクの評価に絞るならば,最低限,薬剤使

用に関する情報とそれによって生じた可能性がある疾患や事象に関する情報を含んでいる

ことは必須である。また,そのような評価に必要な交絡要因に関する情報も含まれている

ことが望ましい。例えば Brian L. Strom は,どのようなデータベースが理想的であるか,

という問いに自ら答える形で,稀なイベントも検出できるほど大規模であることや,可能

12

Page 15: 患者さんを守る。その薬を守る。 - JPMA...はじめに 薬の評価は,「その薬が人の体に入ったときに何が起きるのか」の全体像,つまり①「そ

な限り豊富な医療情報が含まれていること,また必要に応じてカルテとの照合が可能なこ

と等々,実に様々な要件を列挙している 14。しかしながら,そのような理想的なデータベ

ースが実際に存在するわけでは無論なく,それぞれのデータベースが持つ限界や問題点に

配慮しながら市販後の安全性監視に様々に活用されている,というのが現状である。

さて,このように多種多様な薬剤疫学データベースの一般的な特徴をあえて要約すると,

下記を挙げることができる。

大規模

後に実例を示すように 100 万人,1000 万人といった規模のデータを持つデータベースが

少なくない。国家の人口の 5%程度の情報を持つこともある。

個人の識別子を備えている

識別子をキーとして患者背景,診断名,処方情報などのデータ間のリンケージが可能で

ある。

実医療に基づく情報が利用可能

開発時の臨床試験で対象となる患者集団と比較して,外来・入院患者,小児,高齢者な

ど,より幅広い患者層が含まれる。

情報は定期的にコンピュータに自動集積される

多くのデータベースは,日々の診療や支払いに関する情報を自動的に記録するため作ら

れたものなので,少なくとも入力対象となる情報については,その現状をリアルタイムで

知ることができる。

診断名などの情報は因果関係の有無に拠らず収集される

データベースに収集される情報は「処方薬剤に対する請求」や「診療に対する請求」に

基づく情報であり処方薬剤との因果関係の有無に拠らず収集される。

これらの特徴により,自発報告,市販後調査などから生じた安全性上の懸念を,比較的

短期間に,また低コストで検討することができる。というのは,実際に患者集団を追跡し

て行うとしたら,時間も費用も嵩むであろう観察研究を,安全性上の懸念が生じた時点ま

でにデータベースに集積された情報を用いて速やかに,また効率的に実施することが可能

だからである。このような利便性により,海外においては,薬剤疫学による安全性評価の

情報源として,このようなデータベースが広く活用されている。さらに,大規模製造販売

後臨床試験や他のデータベースから得られた結果との整合性を確認することにより,エビ

14 Strom BL, Pharmacoepidemiology, 4th ed., Chapter 13, (2005).

13

Page 16: 患者さんを守る。その薬を守る。 - JPMA...はじめに 薬の評価は,「その薬が人の体に入ったときに何が起きるのか」の全体像,つまり①「そ

デンスを高めることにも寄与すると考えられており,安全性の検討において重要な役割を

果たすことが認識されている。一方,日本国内においては公開/非公開を問わずこのよう

な薬剤疫学データベースの整備は進んでおらず,またその必要性が十分に認識されている

とも言い難い。今後は,産官学の連携のもとに,薬剤疫学研究に利用可能な大規模な広く

公開されたデータベースを早期に構築し,欧米と同様に薬剤疫学データベースを活用した

安全性監視体制を確立し,得られた知見の医療現場,患者への早期フィードバックにより

適正な医薬品使用が進むことが期待される。

3.3 データベースの成り立ちとそのタイプ

では,上記のような特徴を兼ね備えたデータベースには,どのようなものがあるのだろ

うか。実際に薬剤疫学研究に用いられている海外のデータベースを例にとって,その起源

や成り立ち,またどのようなタイプのデータベースがあるかについて概観してみよう。

公的機関が運営している代表的なデータベースの一つに,英国の GPRD があげられる。

このデータベースは,もとより,公衆衛生の向上を願って,医学研究用のデータベースと

して1987年に構築が始まり,非営利的な有償の情報提供サービスを行い,維持されている。

国レベルではなく,州や都市の行政レベルが主導しているデータベースもある。カナダ

のサスカチュワン州では,公共の健康保険制度があり,この制度を土台とした薬剤疫学デ

ータベースが構築されている。この保険制度の利用者の処方薬剤と患者背景がデータベー

ス化(通称“Drug Plan”)されている。

非営利である Health Maintenance Organization(HMO)の代表例としては米国最大の

Kaiser Permanente が挙げられる。米国の 9 つの州において 800 万人以上にサービスを提

供する総合的な保健組合で,会員に対して予防,治療,調剤などの包括的なサービスを前

払いにより行っており,処方薬剤,患者背景,入院/外来,臨床検査結果の情報が診療,

支払い,管理のための活用を目的として 8 つの地域毎にデータベース化され,整備されて

いる。

大きく見て,薬剤疫学に利用可能なデータベースには,2 つの種類がある。「診療記録タ

イプ」と「会計請求記録タイプ」である。先の“GPRD”は典型的な診療記録タイプといえ

るし,サスカチュワンの Drug Plan や Kaiser Permanente Medical Care Program は会計

請求記録タイプといえる。

診療記録タイプのデータベースの特徴として,データは医療機関の電子診療記録から入

手される。通常,一般開業医の診療記録が対象となるため,医療記録は,医師の診療記録

および患者による記録で,主としてプライマリ・ケアのデータが中心になる。入力は医師

14

Page 17: 患者さんを守る。その薬を守る。 - JPMA...はじめに 薬の評価は,「その薬が人の体に入ったときに何が起きるのか」の全体像,つまり①「そ

か事務スタッフが自分の仕事場で入力を行い,その患者の診断名,既往歴や喫煙歴,飲酒

状況,診断プロセス,治療歴などの情報が伴う。診断名は,診療での情報が用いられるた

め会計請求記録タイプよりも正確である。この他,医師か事務スタッフは,外来専門の医

院での診断名の入力,診断名を含む入院に関連する情報の入力の責任も負う。これらの情

報は,一般開業医の医院への紹介状(推薦)あるいは退院記録から入手する。

処方薬剤の情報も電子診療記録に入力されるが,通常,処方箋の作成過程で記録された

ものが用いられる。このため,処方薬剤の情報は,患者の薬剤使用に則しておらず,あく

まで処方ベースの情報である。この他,会計請求記録タイプのデータベースとは異なり,

飲酒歴,喫煙歴,BMI などの情報が含まれているのが特徴である。ただし,多くの患者で

これらの情報が欠損であることに注意すべきである。

会計請求記録タイプは,主に支払い,経理およびその他の患者治療の提供に関わる財務

業務に用いられる。このタイプのデータの主な利用目的は会計管理である。医師,薬剤師,

病院および研究機関といった医療関係者は,提供したサービスの対価として報酬を支払っ

てもらうために,請求を行う。処方情報として,外来患者が薬局で提供された薬剤の名称,

分量が,また診療内容として診断名を含む情報が記録される。ただし,患者背景について

は詳細には記録されない。薬剤の名称,分量については,その情報に基づき支払いがなさ

れるため情報の信頼性は高く,支払請求に基づく薬剤使用情報は疫学研究において非常に

有益な情報源と考えられる。一方,診断名は国際疾病分類(ICD)に基づく疾病診断群(DRG)

に分類され,病院への支払い金額はこの疾病分類に基づいて決定される。このため,医師

が国際疾病分類に基づいた診断を下す際に,より支払額が高い疾病診断群に割り当てよう

とする可能性があること,および,外来での支払い請求は診断名ではなく診療内容にした

がって行われるため正しい診断名を記載する理由がないことにより信頼性は必ずしも高く

ないと考えられる。

このように,海外で活用されている薬剤疫学データベースを見ると,大筋それがどのよ

うな背景をもっているかを知ることができる。欧米のデータベースも当初から薬剤疫学研

究での利用を意図したものではなかったが,次第にその利用可能性が認識され,薬剤疫学

研究での利用が増加してきたという経緯がある。我が国においても,様々な形で運用され

ている医療保険制度のシステム上で,膨大な医療情報が電子化されて蓄積されているし,

また,欧米の例から類推すると,民間の保険会社においてもそのような情報の蓄積はある

と思われる。先に述べたように,我が国においては公開/非公開を問わず,薬剤疫学デー

タベースが整備されていないのが実情であるが,近年の電子カルテの普及に伴って,医療

関係者の間でも,例えば英国の GPRD などをモデルとして,公衆衛生の向上に寄与する医

15

Page 18: 患者さんを守る。その薬を守る。 - JPMA...はじめに 薬の評価は,「その薬が人の体に入ったときに何が起きるのか」の全体像,つまり①「そ

療情報データベースの構築を目指す試みが始まっている。(Super Dolphin Project15など)

3.4 リスク回避のための薬剤疫学データベースの利用可能性

これまでに安全性に関する仮説の証明のため薬剤疫学データベースを利用した数多くの

研究が行われている。GPRD のデータを用いた事例として,肥満治療に用いられたフェン

フルラミンやその誘導体であるデクスフェンフルラミン使用患者をフェンテルミン併用と

非併用に分けたコホート研究が実施され,併用群でより脳卒中のリスクが高まるとの結果

が得られ,規制当局による販売中止の判断の際に活用されたことが知られている 16,17。こ

の他のデータベースの活用事例については 4 章で述べる。

3.2 および 3.3 節で述べた薬剤疫学データベースの制約を踏まえると,安全性に関する研

究においてデータベースの活用により以下のことが可能といえる。

非常に多くの患者が対象となっていることから,稀な発生頻度の事象でも検討が可能

である。

有害事象は因果関係の有無に拠らず収集されるため分母の値を推定できるので,発生

率の算出が可能である。

当該有害事象について,当該薬剤を使用していない対象患者群での発生率の推定が可

能であり,薬剤使用時の発生率との対比による検討が可能である。

長期に渡り情報が集積されることから,長期的作用,遅発性および潜伏性の事象の検

討が可能である。

すでに蓄積されたデータを用いての回顧的研究が可能である。

早期の評価により,行政・企業として素早い対応が可能である。

外来・入院患者,小児および高齢者といった幅広い患者層が含まれ,臨床試験のよう

な薬剤使用の制限もないことから実医療に基づく評価が可能である。

類薬での状況との比較検討が可能である。

これらの特徴は,シグナル検出および仮説そのものの生成にも寄与すると考えられ,安

全性監視での幅広い活用が期待される。

3.5 薬剤疫学データベースを利用する場合の注意点

しかしながら,薬剤疫学データベースの本来の利用目的や成り立ちは様々であり,元々

15 http://133.95.89.5/dolphin/ 16 Laura E. Derby, Marian W. Myers & Hershel Jick. Use of dexfenfluramine, fenfluramine and phentermine and the risk of stroke. British Journal of Clinical Pharmacology. 47(5):565-569(1999) 17 Wood L, Martinez, The General Practice Research Database Role in Pharmacovigilance.Drug Safety; 27 (12): 871-881(2004)

16

Page 19: 患者さんを守る。その薬を守る。 - JPMA...はじめに 薬の評価は,「その薬が人の体に入ったときに何が起きるのか」の全体像,つまり①「そ

研究を目的として構築されたものではないことから,以下のような点に注意すべきである。

データベースの対象集団は大規模であることが多いが,それでも全体の集団との間に

は少なからず違いがありデータベースを活用した研究の結果の一般化には注意が必要

である。

主な弱みは診断名情報の妥当性が不確かなことである。このことは特に会計請求記録

タイプや外来患者のデータで言えることである。入院患者の診断名は比較的正確であ

るが,質の向上のためにカルテなどの診断記録との照合を行う場合があり,この作業

には相当の手間と時間を要する。

潜在的な交絡因子の情報が欠落していることがある。例えば,会計請求記録タイプに

は,喫煙歴,飲酒歴,閉経の日付など,研究にとって重要な情報が含まれていないか

もしれない。このため,患者記録か医師記録などの外部情報へのアクセスが必要にな

ることがある。したがって,データベースの内容によっては,その研究に必要なだけ

の情報が入手できない場合もある。研究者は,その研究課題に適したデータベースを

見極める選択眼を求められることになる。

主に会計請求記録タイプの弱みとして,職業の変更や経営者側の都合による健康保険

の変更,特定の従業員への補償範囲の変更,家族構成の変更などにより対象集団が変

わりやすいことが挙げられる。このため,長期にわたる研究において,頻繁に起こる

保険対象者の新規登録,退会が研究の阻害要因と成り得る。

一般に,データベースは OTC の処方情報を含まないため,興味の対象となっている薬

が処方箋なしに入手可能な場合は研究に適さない。

データベース共通に言えることとして,臨床的に注目すべき重症度以上の病態のみが

記録されることに留意する必要がある。ただし,記録されない事象は非常に軽度であ

ると考えられ,これらの事象を対象とした調査は通常実施されないことから,多くの

場合このことは問題とならない。

薬物の服用状況を正確に把握することが困難である。

服用の情報は次の 3 段階に分けられるが,各過程においてそれぞれの不確実さがある。

1. 医師による処方請求情報

2. 薬局での処方情報

3. 患者へのインタビュー

まず,医師が処方箋を出しても患者が薬局で薬剤を受け取らないかもしれない。次に,

患者が薬剤を受け取った場合でも,薬剤を服用しない可能性がある。さらに,インタビュ

ーにおいては服用したのに報告しない,あるいは服用していないのに服用したと報告する

可能性がある 18。

薬剤疫学データベースの使用に際しては上記の問題点を踏まえて,複数あるデータベー

スの中から研究目的に合致するものを選択する必要がある。また,個々のヘルスケア・デ

18 Jesper Hallas, Pharmacoepidemiology – current opportunities and challenges. Norwegian Journal of Epidemiology; 11(1): 7-12 (2001)

17

Page 20: 患者さんを守る。その薬を守る。 - JPMA...はじめに 薬の評価は,「その薬が人の体に入ったときに何が起きるのか」の全体像,つまり①「そ

ータベースには特徴があるので,研究者がデータについてよく知っていることが重要であ

る。

18

Page 21: 患者さんを守る。その薬を守る。 - JPMA...はじめに 薬の評価は,「その薬が人の体に入ったときに何が起きるのか」の全体像,つまり①「そ

4 データベースの実例

4.1 海外のデータベース

別表 1 に示すように,海外では薬剤疫学研究に利用可能なデータベースが多数存在して

いる。本表は International Society for Pharmacoepidemiology (ISPE)がリストアップ

しているデータベース 19 について,その中の URL 情報を元に,筆者らが各データベース

のウェブサイトなどから情報収集し,要約したものである。ウェブサイトを持たないもの,

アクセスできなかったもの,情報が不足しているものについては,可能な限り他のウェブ

サイト,文献などにより情報収集を試みた。表にはデータベース名,国名,URL,地域,

運営母体,ソースデータ,規模など,データベースの概要を要約して示した。

以下にそれらのデータベースのうち 6 つのデータベースについて,その歴史的背景,目

的,規模,運営母体,データソース,利用のされ方などについて詳細を述べる。診療記録

タイプのデータベースの代表例として家庭医 General Practitioner (GP)制度を基盤にした

英国の GPRD とオランダの Integrated Primary Care Information Database (IPCI)の

例を,会計請求記録タイプの代表例としてオランダの PHARMO とカナダの Health

Services Databases in SASKATCHEWAN の例を,そしてユニークな事例として,国民背

番号制度をもとに全国民の医療関連の登録情報をカバーしているスウェーデンの例と米国

のワクチンの安全性データベースの例を取り上げた。

4.1.1 General Practice Research Database (GPRD)17,20,21

英国は GP 制度の発達した国の一つである。住民は必ず 1 人の GP に登録され,何らかの

健康問題が生じた場合には,まず GP を訪れ,GP の守備範囲を超えると判断された場合に,

二次医療レベルである専門医に紹介されるシステムになっている。

以前は,Value Added Medical Products (VAMP) Research Databank と呼ばれてい

た GPRD は,1987 年に作成された世界的にも最も大規模な母集団に基づく医療データベー

スの一つである。GPRD は 1994 年,UK Department of Health に寄付され,1999 年 4 月

から Medicines Control Agency (MCA)(2003 年 4 月に医薬品庁との合併により MHRA

となる)によって維持,管理されている。GPRD には 4,600 万 patient-years のデータが

集められており,試験の目的に合わせて様々なデータソースを提供することができる。

19 Management of Safety Information from Clinical Trials: Report of CIOMS Working Group VI, Appendix 9, Geneva (2005) 20 http://www.gprd.com/ 21 Strom BL, Pharmacoepidemiology, 4th ed., Chapter 22, (2005).

19

Page 22: 患者さんを守る。その薬を守る。 - JPMA...はじめに 薬の評価は,「その薬が人の体に入ったときに何が起きるのか」の全体像,つまり①「そ

GPRD は MHRA の他,Electronic Privacy Information Center (EPIC)から利用でき,

次のような特徴を持つ。

Population-based methods が使用できる。

大きいサイズ(340 万人の現在観察中の患者,合計で約 1,300 万人の患者),数年にわ

たる長期的な連続するデータ記録であるため,臨床試験の中で検出できない希少な結

果(1/10,000 以下の発生率)でも,統計的に調べることができる。

データベース管理者が継続的に精査している。

オンラインで利用できる。

コホート研究やケース・コントロール研究,ネスト化したケース・コントロール研究利

用に際し,新規の症例データ収集が不要で,迅速なアクセスが可能である。近年,薬剤疫

学的な研究での利用が目立っている(peer reviewed journal に発表されたもので 250 以上

あり)。データへのアクセスは,MHRA からの許可の下で提供されており,サービスと料金

の概要は,GPRD ウェブサイトで確認可能である。1995 年には,Vision と呼ばれる新しい

Windows ベースの臨床システムソフトウエアが導入された。データベースに寄与してきた

ほとんどすべての医療関係者が,診療の際にこのソフトウェアを使っている。

4.1.2 Integrated Primary Care Information Database (IPCI)22

オランダは英国と並び,GP 制度の発達した国の一つであり,GP 制度が医療制度の中心

的な役割を担っている。オランダでは GP における電子化が進んでおり,幾つかの GP デー

タベースとして集約されている。これらの GP データベースのほとんどはオランダにある 8

つの医科大学のいずれかに接続されており,そのうちの代表的なものが IPCI である。

IPCI はオランダ全土から選ばれた 150 の GP の電子カルテ情報をベースにした長期観察

研究用のデータベースである。エラスムス大学医療センター医療情報部 the Department of

Medical Informatics of the Erasmus University Medical Center(ロッテルダム,オラン

ダ)によって 1992 年より運営が開始されている。

50 万人の患者データを保有し,現在も観察が継続している患者は 35 万人(男性:49%)

となっている。登録患者の平均年齢,SD は 38±22 歳であり,これはオランダの人口の平

均年齢より1歳若いだけである。性別,年齢構成はオランダの他の GP のそれと類似してい

る。登録患者の保険加入率はオランダの平均値よりも高い。

カバーされている情報は,生年月日,性別,患者 ID などの人口統計学情報の他,症状お

よび診断名,処方薬剤,療法,入退院,身体所見,臨床検査値などである。GP のコンピュ

22 http://www.ipci.nl/UK/index%20UK.htm

20

Page 23: 患者さんを守る。その薬を守る。 - JPMA...はじめに 薬の評価は,「その薬が人の体に入ったときに何が起きるのか」の全体像,つまり①「そ

ータから匿名化されて IPCI データベースに毎月ダウンロードされている。IPCI データベ

ースは疫学研究や薬剤疫学研究のための高品質で安定したデータであると言われている。

本データの応用例の一つに,554 例の心因の突然死患者データと IPCI からのデータを使

用し,抗精神病薬の使用と QT 延長および突然死との関連性を示したケース・コントロール

研究がある 23。

4.1.3 PHARMO Records Linkage System24,25

PHARMO Record Linkage Systemは 90年代前半にオランダのユトレヒト大学およびロ

ッテルダム大学に構築されたデータベースであり,地域薬局のデータベースと種々の医療

記録とが自動的にリンクされた薬剤疫学データベースである。オランダではプライバシー

保護の規制があり,ユニークな個人識別番号を持たないため,本データベースでは匿名性

を保ちつつ,年齢,性別および GP コードの 3 つの項目によりリンクする方式が用いられ

ている(感度 94.6%,特異度 96.8%)。患者の病歴は処方薬剤の使用と費用(薬局データベ

ース),病院からの診断/治療のデータ(LMR),臨床検査データ,病理学所見,GP 記録お

よび入院時薬歴とリンクしている。現在,オランダのおよそ 200 万人の住民の情報が収集

されており,オランダを代表するものである。

その特色は薬局データベースにある。オランダでは公的被保険者(人口の約 2/3)は特定

の地域薬局1箇所だけを指定される政策であったため,患者が一つの薬局しか利用しない

という長い伝統があり,薬局のコンピュータに入力される外来患者の薬歴はほぼ完全な形

で把握ができ,質の面で他の追随を許さない。現在,薬局データベースは保険のタイプに

かかわらず 200 万人以上の住民のデータをカバーしており,これはオランダの人口の 12%

に相当する規模である。

PHARMO は薬剤による副作用評価のための追跡調査,ケース・コントロール研究,その

他の疫学研究の強力な手段として,大学,規制当局,製薬会社に広く利用されている。応

用例の一つとして,92年にFDAにより,抗ヒスタミン薬であるTerfenadineによる torsades

de pointes の危険性が提起された際,オランダの規制当局は本データベースを用いて調査

を行った。その結果,その可能性が低いことが示され,オランダ国内で行政措置が必要か

どうかを決定するのに利用された 26。

23 Sabine MJM Straus et.al.,Antipsychotics and the risk of sudden cardiac death, Arch Intern Med, 164: 1293-1297 (2004) 24 http://www.pharmo.nl/ 25 Strom BL, Pharmacoepidemiology, 4th ed., Chapter 20, (2005) 26 Herings RMC, et al., Public health problems and the rapid estimation of the size of the population at risk, Pharm World Sci; 15: 212-218 (1993)

21

Page 24: 患者さんを守る。その薬を守る。 - JPMA...はじめに 薬の評価は,「その薬が人の体に入ったときに何が起きるのか」の全体像,つまり①「そ

4.1.4 Health Services Databases in SASKATCHEWAN27,28

サスカチュワンは人口およそ 100万人のカナダ西部に位置するカナダ 10州の一つである。

サスカチュワンには基本的に住民なら誰でも利用できる公的な保険制度があり,その副産

物として膨大な情報が蓄積され,薬剤疫学や薬剤の使用経験調査などに利用されている。

この保険制度を利用するためには登録が必要で,名前,性,誕生日などの情報を確認し,

health services number (HSN)が割り当てられる。HSN は一生用いられるユニークな

番号で,この番号によりデータベース間のリンクが可能となる。連邦政府の医療制度対象

者(全体の 1%未満)を除くすべての人が対象で,小児,妊婦および高齢者を含む広範な住

民が含まれる。

Prescription Drug Database は,処方薬剤管理制度のリストに掲載されている薬剤が対

象で,OTC や院内処方は対象外であり,また用法用量,処方理由,コンプライアンスとい

った情報を持たない。Hospital Services Database には州にある 5 つの州立病院,6 つの地

方病院と 100 以上の地域病院から性別,誕生日,診断名(国際疾病分類:ICD),処置方法な

どの情報が集められる。Physician Services Database では専門分野,病院,年齢,性別な

どの医師に関する情報が利用可能である。Cancer Services Database には,州の法律で規

定された Cancer Agency への癌患者の登録の義務化により,すべての癌患者について記録

され,また,州から転出した後もカナダ国内であれば州立病院を介した追跡調査が可能で

あり,約 3%と低い脱落率を維持している。他にも Vital Statistics,Supportive Care

Services,Mental Health Services,Laboratory Services などといったデータベースがあ

る。

サスカチュワンのデータベースシステムの長所として,HSN によるデータベース間のリ

ンクが可能なこと,ICD 使用により診断名が標準化されていること,また医療機関の承認

は必要だが診療記録へのアクセスも可能なこと等が挙げられる。その一方,稀なリスクを

検出するにはサンプルサイズが不十分であること,処方薬剤管理制度のリストに掲載され

た薬剤の情報しか得られないこと,中央の検査情報データがないこと,重要な交絡因子情

報(例えば,喫煙,飲酒)がないことといった短所が挙げられる。

データベースの利用については,州に申請することで使用できるが,患者,医師の個人

を特定する情報はマスクされる。その利用例として Prescription Drug Data や Cancer

Services Dataなどを用いたスタチン系製剤の使用と乳癌の発生に関するヒストリカルコホ

27 http://www.health.gov.sk.ca/ 28 Downey W, et al. Health services databases in Saskatchewan. Pharmacoepidemiol Drug Saf, 4: 295-310 (2005)

22

Page 25: 患者さんを守る。その薬を守る。 - JPMA...はじめに 薬の評価は,「その薬が人の体に入ったときに何が起きるのか」の全体像,つまり①「そ

ート研究が報告されており,閉経後女性においてスタチン系製剤の服用による乳癌発現の

リスクは小さいと結論付けている 29。

最近は,データベースへのアクセス簡便化のためのシステム強化や処方箋情報を処方薬

剤管理制度のリスト外の薬剤に拡大することに取り組んでいる。

4.1.5 Swedish Centre for Epidemiology30,31

スウェーデン保健福祉局疫学センターSwedish National Board of Health and Welfare,

the Centre for Epidemiology (EpC)により維持管理されている疫学データベースである。

スウェーデンでは国民医療保障システムの利用により,巨大バイオバンクに情報が蓄積さ

れてきている。疾病率,死亡率,遺伝的特徴などの情報を含む地域住民データベースに,

それぞれ癌情報や,数世代における情報,双生児の情報などが登録され,疫学研究に利用

されている。

スウェーデンでは国民背番号制度が導入されており,個人 ID 番号により,それぞれのバ

イオバンクと登録内容がお互いにリンクするようになっている。登録は全国規模で全スウ

ェーデンの住民をカバーしている。脱落率は非常に低く,通常 4-5%以下である。登録デー

タは研究,評価,計画のために様々な利用者に利用されている。毎年主なもので約 550 の

データアクセスの請求がある。

種々の登録制度のうち,スウェーデン保健福祉局疫学センターでは下記の登録に関して

責任を受け持っている。登録 Registerとそのデータの規模を示す。

癌登録:1932 年以降に生まれた 1,050 万人(360 万家系)の情報を含み,期間中に癌

に罹患した症例が 90 万人含まれている(2004 年時点)。

出産登録:年間 85,000-120,000 件

先天性異常登録:年間約 2,000 件

新生児の両親の喫煙習慣登録:年間約 90,000 件

退院登録:4,700 万件(1964-2003 年)

死因登録:95,000 件(2002 年)

妊娠中絶登録:年間約 35,000 件(個人 ID 番号なし)

不妊手術登録:年間 7,000-10,000 件

母乳養育登録:年間約 90,000 件

介助出産登録:年間約 11,000 の処置,約 2,700 の生存新生児

29 Beck P, et al., Statin use and the risk of breast cancer. J Clin Epidemiol, 56: 280-285 (2003) 30 http://www.sos.se/epc/epceng.htm 31 http://www.fpcr.or.jp/enterprise/taigan3/lecture063ol.html

23

Page 26: 患者さんを守る。その薬を守る。 - JPMA...はじめに 薬の評価は,「その薬が人の体に入ったときに何が起きるのか」の全体像,つまり①「そ

急性心筋梗塞統計:退院登録あるいは死因登録に登録されたすべての症例をベースに

している。急性心筋梗塞のある人として 502,000 件が登録(1987-2002 年)

傷害統計:退院登録あるいは死因登録に登録されたすべての症例をベースにしている。

200 万件以上(1987 年以降)

ヨーロッパ家庭内および余暇時の事故サーベイランスシステム:(2001 年以降,全国的

規模ではない,個人 ID 番号なし)

疫学センターではスウェーデンの異なるポピュレーションにおける健康,疾病,社会問

題,健康および社会サービスの利用とその決定要素について,叙述,分析および報告を行

い,その情報を議会,政府,その他の規制当局,地方議会,地方自治体,研究者,メディ

アおよび一般大衆に対して提供している。本データを利用した例として,膨大な癌登録情

報を用いた癌発生に関わる遺伝要因と環境要因の寄与についての研究がある 32。スウェー

デンでは人口の約 10%が世界中の様々な国々からの移民であることから,種々の民族間で

の相違点や世代間での違いについての解析が可能となる特徴も有している。

4.1.6 Vaccine Safety Datalink33

Vaccine Safety Datalink(VSD)は米国がワクチンの安全性問題を研究する際の情報不

足を補う目的で 1990 年から開発されたプロジェクトである。VSD は米国疾病対策センタ

ーCenters for Disease Control and Prevention (CDC)の国家免疫計画 National

Immunization Program (NIP)と 8 つの大きな私設健康管理組織(HMOs)および米国健

康保証計画 America's Health Insurance Plans (AHIP)との間で協同開発された。各 HMOs

や低所得者医療制度扶助制度計画 Medicaid Programsなどのデータベースに繋がる巨大デ

ータベース Large Linked Database (LLDB)を有し,900 万人以上のデータを管理し,毎

年 550 万人(米国人口の約 2%)のワクチン接種に関する情報を入手している。入手される

患者背景(生年月日,死亡など),病状(外来,入院,救急),ワクチン接種(ワクチンの

タイプ,接種日,製造メーカー,ロットナンバー,接種施設,同時投与されたワクチン)

などの情報から,今までに 75 以上の研究発表が VSD の研究者によって行われている。VSD

の目的および目標は,① 人口に基づく免疫安全性問題の調査の実施,② 医学文献,受動

的調査システム,予防接種スケジュールの調節,新ワクチンの導入から発生する免疫安全

性仮説の評価,③ 国家の免疫政策決定の誘導,④ヘルスケアプロバイダー,公衆衛生当局

およびその他の公共団体による免疫のリスクと利益に関する最も良い情報の共有である。

32 Lichtenstein P, et al., Environmental and heritable factors in the causation of cancer: Analyses of cohorts of twins from Sweden, Denmark, and Finland, N Engl J Med; 343: 78-85 (2000) 33 http://www.cdc.gov/od/science/iso/about_iso.htm

24

Page 27: 患者さんを守る。その薬を守る。 - JPMA...はじめに 薬の評価は,「その薬が人の体に入ったときに何が起きるのか」の全体像,つまり①「そ

開発開始から約 10 年間はプライバシー保護などの目的で,その利用が VSD に所属して

いる NIP および HMOs の研究者に限られていた。外部の研究者にはワクチン有害事象報告

システム Vaccine Adverse Event Reporting System (VAERS)だけが利用可能であった。

VAERS はワクチン接種に関わった人(製造者,接種者,被接種者,被接種者の保護者)か

らの報告に基づき FDA および CDC によって構築されたデータベースであり,年間 1 万

5,000 件以上(累積で 20 万件以上)の報告を受けている。しかし,有害事象が起こった場

合の報告であるため全接種者数に比べてデータ量が少なく,また,受動的なシステムであ

るため報告バイアスが入ったり,必要な情報が欠落していたりしてワクチンと有害事象と

の因果関係を明確に判断することができなかった。しかしながら,市民団体などによる情

報開示の要請を受けて 2002 年 8 月からは,必要経費を支払いガイドラインにしたがって研

究を実施すれば外部の研究者でも LLDB データを入手することが可能となり,ワクチンの

安全性研究のデータリソースは VAERS から LLDB に移行している。

VSD によって研究報告された事例として,以下のようなものが挙げられる。

百日咳ワクチンあるいは MMR ワクチン接種後の発症リスクを定量化する研究 34

MMR と他のはしかを含むワクチンの調査 35

肺炎球菌多糖類ワクチンによる再ワクチン接種の安全性の試験 36

チメロサールを含むワクチンの安全性を調べる VSD データの評価 37

4.2 日本のデータベース

先に示したように,海外では薬剤疫学研究に利用できるデータベースが数多く存在して

いるが,国内に眼を転じると,現状ではほとんど存在しない。数少ないデータベースの実

例として,前向きコホート研究である久山町研究と日本ナースヘルス研究の例を述べる。

ただし,これらのデータベースは研究に参加している研究者以外は利用することはできな

い。

34 Barlow WE, et al., The risk of seizures after receipt of whole-cell pertussis or measles, mumps, and rubella vaccine, N Engl J Med; 345: 656-661 (2001) 35 Davis RL, et al., Measles-mumps-rubella and other measles-containing vaccines do not increase the risk for inflammatory bowel disease: A case-control study from the Vaccine Safety Datalink project, Arch Pediatr Adolesc Med; 155: 354-359 (2001) 36 Jackson LA, et al., Safety of revaccination with pneumococcal polysaccharide vaccine, JAMA; 281: 243-248 (1999) 37 Geier DA, et al., A two-phased population epidemiological study of the safety of thimerosal-containing vaccines: A follow-up analysis, Med Sci Monit; 11: 160-170 (2005)

25

Page 28: 患者さんを守る。その薬を守る。 - JPMA...はじめに 薬の評価は,「その薬が人の体に入ったときに何が起きるのか」の全体像,つまり①「そ

4.2.1 久山町研究 38,39

1961 年から,九州大学と福岡市に隣接する久山町(人口約 7,000 人)の共同事業として,

久山町住民を対象に脳卒中,心血管疾患などの疫学調査が行われており,そのデータが集

積されている。本研究は日本を代表する生活習慣病の疫学研究であり,米国の Framingham

Study と並び,世界的に高く評価されている。研究開始当初は脳卒中の実態とその危険因子

の解明が研究の中心テーマであったが,現在はさらに虚血性心疾患,悪性腫瘍,痴呆,糖

尿病,高血圧などのテーマに広がっている。また,最近生活習慣病に関するゲノム疫学研

究も開始された。

この研究が開始された理由は,日本の脳血管死亡率が諸外国と異なり非常に高いという

報告に対して,国外から診断精度に疑問が投げかけられ,その結果の検証のために開始さ

れたものである。本研究の成果の一つとして,脳出血が日本では欧米諸国よりも多いこと

が示され,また脳卒中の各病型と血圧との関係や動脈硬化と血圧との関係が報告されてい

る 40,41。

本研究は 40歳以上の全住民を対象にし,前向きコホート研究の手法を研究の基本として,

研究スタッフが健診とともに往診して疾患発生の詳細な情報を収集している。この研究の

特徴の一つは亡くなった住民の 80%以上を剖検して死因,臓器病変を調べていることで,

この剖検率の高さは他の研究に類をみない。また対象住民の 80%以上を常に検診しており,

開始からの追跡率も 99%以上と高率であり,信頼度の高い情報が得られている。また,本

研究は 40 年以上にわたる長期の調査研究であり,1961 年の第1集団,1974 年の第 2 集団,

1988 年の第 3 集団と,3 つの集団からなるため,時代別の比較が可能という特徴も持つ。

その成果として,高血圧は第1集団と比べ,第 2 集団以降で有意な減少がみられ,降圧剤

の服用が普及するにつれ,脳卒中死亡率が低下したことが明らかとなった 42。

38 http://www.med.kyushu-u.ac.jp/intmed2/naiyou/hisayama.html 39 http://physician.pfizer.co.jp/member/cardiology/topics/2002/M3527221.html 40 Ueda K, et al., Prognosis and outcome of elderly hypertensives in a Japanese community: results from a long-term prospective study, J Hypertens; 6: 991-997(1988) 41 Tanizaki Y, et al., Incidence and risk factors for subtypes of cerebral infarction in a general population: The Hisayama study, Stroke; 31: 2616-2622(2000) 42 藤島正敏, 高齢者の心血管病-久山町研究から, 日老医誌; 36:16-21(1999)

26

Page 29: 患者さんを守る。その薬を守る。 - JPMA...はじめに 薬の評価は,「その薬が人の体に入ったときに何が起きるのか」の全体像,つまり①「そ

4.2.2 日本ナースヘルス研究 (Japan Nurses’ Health Study)43,44,45

前向きコホート研究により,生活習慣の健康への影響や女性ホルモン剤の長期使用にか

かわる有効性と安全性の評価を確立することを目的として,群馬大学医学部保健学科 林

邦彦教授を責任者とし,2001 年より研究が開始された。

米国では,ハーバード大学の研究者が中心となって,1976 年から 20 年以上にわたって,

約25万人以上のナースを対象に女性の健康問題についての調査The Nurses’ Health Study

が実施され,その結果,喫煙や肥満と各種の疾患,栄養摂取と骨折,経口避妊薬の長期使

用の癌への影響,ホルモン補充療法と心血管系疾患予防の関係など,多くのことがわかっ

てきた。日本人では米国人とは人種や生活習慣,なりやすい病気などが異なるため,日本

においても女性ホルモン剤使用のメリットとリスクに関わる根拠を確立することが強く求

められていたことから,本研究が開始された。

25 歳以上の女性看護職(2005 年度から対象年齢を拡大)を対象に,喫煙・飲酒・運動と

いった生活習慣,女性ホルモン剤やビタミン剤の使用状況,妊娠,出産などのリプロダク

ティブ・ヘルス,病気の罹患状況などについて,2 年に 1 回,その時点での状況を記入した

調査票からデータを収集し,10 年間(計 6 回)にわたって調査中である。

この研究を通して,生活習慣や女性ホルモン剤の使用が健康にどのような影響を及ぼす

のか,すなわち女性ホルモン剤の使用が乳癌,子宮癌,狭心症,骨粗鬆症などの病気とど

のように関係しているのか,またこれらの病気と喫煙,飲酒,運動習慣などとの関係はど

うなのか,などの問題が検討されている。

2001 年の開始から,2005 年 3 月末現在で約 17,000 人が参加しており,最終的に 50,000

人の参加を目標としている。

これまでの研究結果の例として,以下のような報告がある。

閉経後女性において性成熟期間とホルモン補充療法の乳癌リスクに及ぼす影響を,閉

経後女性 3,990 名を対象に調査。長い性成熟期間の閉経後女性では短い性成熟期間の

女性と比べてリスクの上昇が見られ,閉経後女性の性成熟期間と乳癌リスクとの間に

は正の相関があることが示唆された 46。

43 http://www.niph.go.jp/wadai/ibra/keikakusho/03007a.pdf 44 http://plaza.umin.ac.jp/~jnhs/ 45 Hayashi et al., Design of the Japan Nurses' Health Study: A Prospective Occupational Cohort Study of Women's Health in Japan, Industrial Health; 45:679-686(2007) 46 藤巻淑ら, 閉経後日本人女性における性成熟期間及びホルモン補充療法の乳がんリスク

に及ぼす影響:Japan Nurses' Health Study, 第19回国際薬剤疫学学会国際会議, 2003年8月21-24日

27

Page 30: 患者さんを守る。その薬を守る。 - JPMA...はじめに 薬の評価は,「その薬が人の体に入ったときに何が起きるのか」の全体像,つまり①「そ

出世時体重および若年期の生活習慣,BMI と糖尿病診断歴との関連を調査。出生時の

低体重は,両親の糖尿病歴および若年期の生活習慣,BMI とは独立の糖尿病危険因子

であることが示唆された 47。

47 片野田耕太, 出生時体重および若年期の生活習慣と糖尿病との関連:Japan Nurses' Health Study, 第 15 回日本疫学会学術総会, 2005 年 1 月 21-22 日

28

Page 31: 患者さんを守る。その薬を守る。 - JPMA...はじめに 薬の評価は,「その薬が人の体に入ったときに何が起きるのか」の全体像,つまり①「そ

5 薬剤疫学的な研究に利用可能な日本のデータベースと新

たなリスク・マネージメントの可能性

5.1 概略

前章までの紹介からも明らかなように,現時点において,薬剤疫学的な研究に利用可能

なデータベースの大半は国外のものである。また,仮にこうしたデータベースに日本人患

者,もしくはアジア人患者に関する情報が含まれていたとしても,その情報量は限られて

いる。さらに,国内で同様なデータベースを探しても,まったく存在しないか,存在して

も利用可能な状態に整備されていない,というのが現状であった。

しかしながら,下に述べるように,近い将来,日本においても薬剤疫学的な研究に利用

可能なデータベースが実現する可能性が高い。そこで,本章では,近い将来に実現する可

能性がある日本のデータベースを紹介するとともに,その利用が市販後のリスク・マネー

ジメントにどのような可能性を切り開くのか,なるべく具体的に紹介してみたい。そのた

めに,まず市販後のリスク・マネージメントを,以下の 3 つの段階に分けて検討する。

シグナルの検出

安全性上の懸念,すなわち更なる検討が必要な安全性上の問題点が見出される段階

シグナルの検証

見出された安全性上の懸念が,真に注意を払うべきリスクなのか否かを,さらに検証し

明らかにする段階

リスク・コミュニケーション

見出された安全性上の懸念や,検証されたリスクの内容をめぐり,複数の利害関係者た

ちが相互にコミュニケーションを行う段階

なお,このような分類は,あくまでも今後のリスク・マネージメントのあり方を整理す

る上での便宜的なものである。実際のリスク・マネージメントにおいては,安全性上のあ

る懸念についてはシグナルとして検出された段階,また別の,市販前から注意を払ってき

た懸念については検証中,さらにこのような懸念すべてに関してリスク・コミュニケーシ

ョンが同時進行的に継続中,といった複雑な様相を呈することが,むしろ一般的であろう。

しかしながら,このように段階を分けて考えることで,どの時点で,どのような情報源を

用いて,どのような安全性上の問題について検討することが可能なのか,多少なりとも整

29

Page 32: 患者さんを守る。その薬を守る。 - JPMA...はじめに 薬の評価は,「その薬が人の体に入ったときに何が起きるのか」の全体像,つまり①「そ

理しやすくなるのではないかと考える。

5.2 シグナルの検出

5.2.1 シグナル検出とは

シグナルとは「いまのところ未知であるか,不完全にしか記録されていない有害事象と

薬との因果関係の可能性に関して報告された情報」48 のことである。このような情報は様々

な段階で,また様々な情報源から得られることになるが,市販後の段階では,医療関係者

もしくは消費者から得られる自発報告が主な情報源となる。例えば FDA は,市販後に寄せ

られる自発報告を一例毎に注意深く調査することにより,さらには同様な自発報告をまと

めて調査することにより生成されるシグナルを,まず評価するように勧めている 49。この

ような評価は,無論,日本の製薬企業においても,自社製品に関する自発報告の情報に基

づいて実施されており,市販後のリスク・マネージメントの主要な,そして最も基礎的な

部分を構成している。

ところが近年,欧米では,得られた自発報告の情報をすべて包含する大規模なデータベ

ースを用いて,より系統的にシグナルの検出を行うことが盛んに試みられている。大規模

なデータベースの中から注目に値する情報を「掘り出す」ことを,一般にデータ・マイニ

ングと呼ぶが,このデータ・マイニングの手法を用いたシグナル検出が発展してきている。

このような手法は統計的・数学的な方法論に基づいており,場合によっては計算も複雑

だが,その考え方は比較的単純である。例えば,関心のある薬剤(X)と事象(Y)の組み

合わせ毎に,以下のような分割表を作成する。

報告された薬剤 報告された事象

事象 Y その他 薬剤 X A C その他 B D

そして,薬剤 X と事象 Y に関して得られた A 件という報告件数が,他の薬剤や事象に関

して得られた報告件数(B,C,D など)と比較して,どの程度「期待」を上回るかという

度合いを,指標として表現する。例えば,「その他」に含まれる薬剤に関する報告全体(B+D

48 World Health Organization. The importance of pharmacovigilance: safety monitoring of medicinal products. WHO, Geneva (2002)

49 U.S. Department of Health and Human Services, Food and Drug Administration, Center for Drug Evaluation and Research (CDER), Center for Biologics Evaluation and Research (CBER). Guidance for Industry, Good Pharmacovigilance Practice and Parmacoepidemiologic Assessment. U.S. Department of Health and Human Services, Food and Drug Administration. (2005)

30

Page 33: 患者さんを守る。その薬を守る。 - JPMA...はじめに 薬の評価は,「その薬が人の体に入ったときに何が起きるのか」の全体像,つまり①「そ

件)のうち,事象 Y に関する報告(B 件)が占める割合は B/(B+D) である。ここで,

薬剤 X についても,報告全体に占める事象 Y の報告件数の割合が「その他」の薬剤と等し

いと仮定すると,薬剤 X に関する事象 Y の報告件数の期待値を (A+C)×B/(B+D) と

計算することができる。一方,実際には,薬剤 X と事象 Y に関する報告件数は A 件であっ

た。そこで,この実際の報告件数を,先に計算した報告件数の期待値で割ることにより

( ) ( )( )( )DBB

CAADBBCA

A++

=+×+

=報告件数の期待値

実際の報告件数

という指標を計算することができる。この指標を比例報告比 Proportional Reporting

Ratio (PRR)と呼び,値が大きいほど「薬剤 X と事象 Y に関する報告件数が,他と比較し

て多い」と解釈する。

以上のような計算を,すべての薬剤と事象の組み合わせ毎に行い,指標の値がある大き

さを超えるものを「シグナル」とする。あるいは,さらに事象の内容や重要性に応じて優

先順位をつけるなどの手順を追加して情報の取捨選択,あるいは絞込み(フィルタリング)

を行い,最終的に残ったものを「シグナル」と見なす場合もある。シグナル検出について

は,例えば『重要な安全性情報を早期に検出する仕組み-Signal Detection の最近の手法

について-』50 で詳しく紹介されている。

以上の計算手順からも明らかなように,このようなシグナル検出は,様々な薬剤の,様々

な有害事象に関する自発報告のデータが同時に利用可能であることを前提としている。こ

のため,主に自発報告のデータが集中する規制当局により行われてきた。しかしながら,

その一方で,例えば米国では,FDA に集積された自発報告のデータが定期的に公開されて

いる。したがって,多少のタイムラグは生じるものの,製薬企業においても,規制当局が

用いたものと基本的には同じデータベースを用いて独自にシグナル検出を実施することが

可能であり,実際,広く行われるようになってきた。また,英国 51,オランダ 52 および

カナダ 53 の関連当局も様々な形で自発報告のデータベースの公開に取り組んでいる。

従来,日本では,このような多数の薬剤に関する自発報告の情報を集積した大規模なデ

ータベースが,使いやすい形では公開されていなかった。このため,製薬企業の側で収集

50 日本製薬工業協会医薬品評価委員会統計・DM 部会. 重要な安全性情報を早期に検出す

る仕組み-Signal Detection の最近の手法について-. 医薬出版センター (2003) 51 Medicines and Healthcare products Regulatory Agency (MHRA) website:

http://www.mhra.gov.uk/home/idcplg?IdcService=SS_GET_PAGE&nodeId=741 52 Nethrlands Pharmacovigilance Center LAREB website:

http://www.lareb.nl/bijwerkingen/index.asp?lg=EN 53 Health Canada website:

http://www.hc-sc.gc.ca/dhp-mps/medeff/databasdon/index_e.html

31

Page 34: 患者さんを守る。その薬を守る。 - JPMA...はじめに 薬の評価は,「その薬が人の体に入ったときに何が起きるのか」の全体像,つまり①「そ

可能な自発報告のデータは自社製品のものに限られ,上で紹介したような形でのシグナル

検出の実施は現実的でなかった。しかしながら,近い将来,この状況が変わろうとしてい

る。日本においても,規制当局に寄せられた自発報告の情報が定期的に公開される予定で

ある。その概略を紹介するとともに,公開の意義について考えてみたい。

5.2.2 PMDA におけるシグナル検出とその意義

独立行政法人医薬品医療機器総合機構(PMDA)では,「中期計画期間中に審査等業務及

び安全対策の向上に係る目標を達成するためにとるべき措置の1つ」として,データ・マ

イニングの手法を平成 20 年度までに業務へ導入する計画である 54。すなわち,PMDA が

保有する自発報告のデータベースを用いてシグナル検出を行い,その結果を定期的に公表

するのに加え,PMDA がシグナル検出に用いたデータベースを公開することが計画されて

いる。平成 18 年度の段階では「平成 20 年度末までの中期計画期間中に導入するデータ・

マイニング手法の確定を目的として,シグナル検出手法の精度評価,層別シグナル検出,

併用薬分析を中心としたシグナル検出手法の高度化,業務試適用としてのインパクト分析

の試行を行った」とされている 55。

さて,PMDA が保有する自発報告のデータが公開された場合,製薬企業内でもシグナル

検出を行うことが可能になる。様々な用途が考えられるが,主なものとして,例えば以下

が考えられる。

シグナルの見逃しがないことの確認

自社に寄せられる自発報告は,情報が入手されるたびに検討され,必要に応じてさらな

る情報収集が行われる。こうした,一例毎の検討では見逃しが生じる懸念がある。これ

を補強する目的で,PMDA のデータを用いて定期的にシグナルの再検討を行うことが可

能であろう。すでに知られている方法でシグナル検出を行うことも有意義であろうが,

単に事象毎の報告件数を集計するだけでもシグナルの発見に結びつくかもしれない。と

いうのは,同種の事象が時間を置いて散発的に生じていた場合や,やはり同種の事象が

微妙に異なる用語で報告されていた場合,このような単純な集計によりそれらを「一つ

の事象」として捉え直すことができるかもしれないからである。

他社の同系統の薬剤との比較

関心のある薬剤(群)の情報を取捨選択して,自社製品の情報と比較することも可能で

54 http://www.info.pmda.go.jp/kyoten_iyaku/dm.html 55 PMDA, データマイニング手法の導入に関する検討結果報告書 (2007 年 3 月)

32

Page 35: 患者さんを守る。その薬を守る。 - JPMA...はじめに 薬の評価は,「その薬が人の体に入ったときに何が起きるのか」の全体像,つまり①「そ

あろう。現在広く知られているシグナル検出の手法は,何らかの薬剤で何らかの有害事

象の報告が目立って多いようならば検出する,という非常に広範囲なスクリーニングを

目的としている。しかし,製薬企業の場合,関心がある薬剤(群)はある程度決まって

いるであろうし,関心がある,もしくは注目すべきと考えられる有害事象についても,

例えば市販前の情報などからある程度絞られていることが少なくない。こうした状況下

では,漠然とシグナルを検出するのではなく,さらに的を絞った検討が重要であろう。

以上のような作業を通常業務の一貫として行うためには,定期的に寄せられるデータの

管理,解析の実施,結果の検討と判断といった一連の作業が必要となる。社内ですべてを

まかなうことが難しければ,外注という選択肢もあるであろう。海外でも,シグナル検出

の代行をサービスとして提供している企業があり,一定の成功を納めている。近い将来,

日本にもそのような企業が現れる可能性がある。

また,自発報告のデータが公開されるようになると,製薬企業の外部でもシグナル検出

の実施が可能になる。例えば,企業外の研究者たちが,新たなシグナルを指摘するかもし

れない。また,薬害の防止に関心を持つ市民団体が,安全性情報の監視を強化し,製薬企

業の見逃しを指摘する場合もあるであろう。すなわち,データの公開はデータの共有をも

意味するので,同じ情報源を用いたシグナルの再検討,再検証が活発化する可能性が高い。

また,実際に利用可能なデータベースが存在することで,さらに優れた方法の開拓や提案

といった方向での研究の進展も期待される。このように,自発報告のデータが公開される

ことの影響は決して少なくないものと予測される。自発報告のデータに限らず,一般に利

用可能な,開かれた情報源の存在は,様々な社会的な意義を持ちうると考えられるが,こ

の点については,さらに『5.4 リスク・コミュニケーション』で検討する。

5.3 シグナルの検証

5.3.1 既存のデータベースを利用した薬剤疫学的な研究の可能性

しばしば指摘されるように,自発報告のデータのみを用いて,偏りのないリスク評価を

行うことは困難である。FDA が指摘するように,自発報告のデータによって「すべての有

害事象を確実に特徴付けることは不可能であるし,何らかの過小報告は避けがたく,治療

期間や治療を受けた人数についても不完全な情報しか得られないので,患者に対する実際

のリスクを知ることは不可能」 だからである。

このため,自発報告のデータベースから検出されたシグナル,言い換えれば安全性上の

懸念を補強もしくは打ち消すための検証作業が必須となる。シグナルの検証に際しては,

33

Page 36: 患者さんを守る。その薬を守る。 - JPMA...はじめに 薬の評価は,「その薬が人の体に入ったときに何が起きるのか」の全体像,つまり①「そ

ICH-E2E にも記載されているとおり,断面的研究,ケース・コントロール研究およびコホ

ート研究(前向きおよび後ろ向き研究)といった研究デザインに基づく疫学研究が有用で

あることは,あらためて議論するまでもない 10。

しかしながら,シグナルが明らかになるたびに,実際の患者集団の観察に基づく前向き

研究を計画し,実施するというのは現実的には困難であろう。もっと早期に一定の結論を

得たい場合がほとんどであろうし,実施に伴うコストの問題も軽視できない。このような

場合,比較的安価に,また最良の場合には,実際の患者集団の観察に基づく疫学研究に匹

敵するエビデンスが得られる可能性もある方法として注目に値するのが,既存のデータベ

ースを利用した薬剤疫学的な研究である。前章で具体例を紹介したように,海外には,こ

のようなデータベースが多数存在し,また様々に活用されている。

例えば FDA は,元来こうしたデータベースの活用に積極的であったが,最近になって 3

つの HMO(Kaiser Permanente,United Health Care,Harvard Pilgrim),および大学

(Vanderbilt 大学)が保有する計 4 つのデータベースを利用するための契約を締結した 56。

これらのデータベースには 2,000 万人を超える患者情報が含まれ,複数の地域と多様な患

者集団がカバーされることになる。データベースの用途として,「安全性解析の実施」や「緊

急の安全性上の懸念に対する速やかな対応」に加え,「FDA に報告された有害反応の疑いに

より生じた仮説を検証すべくデザインされた薬剤疫学的な共同研究」も挙げられており,

まさに迅速かつ柔軟なシグナルの検証を視野に入れた上での契約であることがわかる。

日本でも,薬剤疫学的な研究に利用可能なデータベースの実現が予定されており,近い

将来,こうした情報源の利用を前提とした市販後のリスク・マネージメントが現実のもの

となる。そこで,本節では,数年のうちに日本で実現する可能性が高いデータベースそれ

ぞれについて,その利用法を探ってみたい。

レセプトのデータベース

本来,診療行為に伴う会計請求の記録を管理する目的で構築されたデータベースが,薬

剤疫学的な研究にも有益な情報をもたらしうることはすでに論じたとおりである。現在,

日本でも 2011 年を目処に,レセプトのデータベースの統合が進んでいる。国民皆保険制と

いう我が国特有の保険システムの特徴がそのまま表現された,世界にも類を見ない巨大な

データベースが実現しようとしている。

このタイプのデータベースには,会計請求として発生した診療上のイベントのみが,し

56 Staffa JA. Office of Surveillance and Epidemiology contracts expand rapid evaluation of newly marketed drugs. CDER News Along the Pike September 15, 2006. http://www.fda.gov/cder/pike/September2006-4.htm

34

Page 37: 患者さんを守る。その薬を守る。 - JPMA...はじめに 薬の評価は,「その薬が人の体に入ったときに何が起きるのか」の全体像,つまり①「そ

かも会計請求された勘定項目でデータ化されている,という特徴と限界はあるものの,様々

な活用法があることが知られている。

例えば,医薬品使用実態調査 Drug Utilization Studyへの利用が考えられる。このタイプ

の調査は,大きく量的研究と質的研究に分けられるが,量的研究では,薬剤の使用実態の

現状,その経時的なトレンド,また年齢・性別などで定義される様々な患者集団への薬剤

使用の増加・減少の時間的な傾向などを量的に記述することで,様々な患者集団における

薬剤の使用実態をモニタリングすることができる 57。また,このような情報は,一種の「分

母」情報として用いることもできる。例えば,ある種の薬剤の使用実態から,その薬剤に

よる治療が必要な疾患の有病状況(prevalence)を大まかに把握するなどである。

一方,質的な医薬品使用実態調査では,薬剤の適正使用に関する情報を引き出すことが

狙いである。安全性上の懸念が高い不適切な患者集団への投与が際立って多い傾向はない

か,また情報の持ち方によっては投与量の適切性についても大まかな情報が得られる可能

性がある。ある種の基準を設けてデータベースを探索することで,有効性が期待できない

集団やリスクが高い集団に投与が行われている可能性について調べることができる。

また,このようなデータベースに含まれている情報を様々に活用することで,仮想的な

コホート研究やケース・コントロール研究を実施することが可能である。例えば,医薬品

に関する会計請求の情報から,薬剤の使用状況を大まかに把握することができる。また,

医薬品の使用と関連性があるかもしれない有害事象の情報も,何らかの会計請求の情報を

手がかりにして取り出すことができる。もちろん,臨床検査値の変化や症状・兆候といっ

た詳細な医療情報は入手不能である。しかしながら,より重篤な事象については,死亡,

入院,救急治療に関する請求,その事象の発現に伴い実施される可能性が高い検査や使用

される可能性が高い薬剤に対する請求などを手がかりにして,有害事象の発現状況を大ま

かに把握することが可能である。

こうして得られた薬剤の使用と有害事象の発現に関する情報を活用することで,同種の

薬剤間のリスクを比較することが可能となる。また,年齢,性別,傷病名などの情報を用

いて,ある程度の交絡調整も可能である。

一般に,このタイプのデータベースは,規模の大きさそれ自体が大きな特徴であり,強

みでもあるから,発現が稀で重篤な事象について調べる際,特に有用であろう。また,患

者 ID などを通じて,より詳細な医療情報とのリンクが取れる場合には,さらに適切な検討

が可能となる。

57 Lee D, Bergman U. Studies of drug utilization. Chapter 27 in Pharmacoepidemiology, 4th ed. Strom BL. 401-417 (2005).

35

Page 38: 患者さんを守る。その薬を守る。 - JPMA...はじめに 薬の評価は,「その薬が人の体に入ったときに何が起きるのか」の全体像,つまり①「そ

使用成績調査・特定使用成績調査などのデータベース

日本では,使用成績調査,特定使用成績調査に関する情報は各製薬企業に散在して蓄積

されているのが現状である。したがって,国内で比較的類似した患者集団に対して複数の

調査が行われている場合でも,それらを互いに比較検討することは現時点では不可能であ

る。

このような状況の中,「くすりの適正使用協議会」と統計数理研究所リスク解析戦略研究

センターとが協力して,14 万人を超える使用経験からなる降圧薬関連データベースおよび

9 万人超の経口抗菌薬データベースが作成され,他の薬効群についての構築も計画されてい

る。これらはすべて製薬企業により前向きに実施された使用成績調査,特定使用成績調査

のデータであり,複数の薬剤に関するデータを含んでいる。調査によっては,特に厳しい

選択・除外基準を設けることなく,降圧薬や経口抗菌薬の適応対象となる一般的な患者集

団に関する情報を収集している。すでにこのデータベースを利用した研究がいくつかある

が 58,59,例えば以下のような活用方法も考えられる。

• 有害事象の発現頻度の推定

同種の薬剤に対する有害事象情報が集積されることで,様々な有害事象の発現頻度を,

より高い精度で推定することが可能になる。発現が稀な事象についても,複数の調査デー

タを併合することで,より詳しい情報が得られるものと期待される。

• Historical control としての利用

様々な有害事象の発現頻度に関する情報を,いわゆる historical control として用いるこ

とも可能である。対照群を置かない使用成績調査,特定使用成績調査から得られた安全性

情報であっても,それを既存の情報と比較することで,ある程度の解釈や判断が可能にな

る場合がある。

• 仮想的なコホート研究の実施

例えば海外で,ある特定の薬剤に関して安全性上の疑義が生じた際,もし既存のデータ

ベースにその薬剤の情報が含まれていれば,新たな試験を開始することなく,速やかに情

報収集を開始することができる。検討すべき問題に応じて必要な情報の内容や量が異なる

ので一概には言えないが,投与量や被験者背景の相違から,日本人被験者にとっては大き

58 藤田利治,真山武志,降圧薬の使用成績調査データベース構築とその活用例,日本統計

学会誌;36:205-217(2007) 59 Yoshida M, Matsumoto T, Suzuki T, et al. Effect of concomitant treatment with

CYP3A4 inhibitor and a calcium channel blocker. Pharmacoepidemiology and Drug Safety; 17: 70-75(2008)

36

Page 39: 患者さんを守る。その薬を守る。 - JPMA...はじめに 薬の評価は,「その薬が人の体に入ったときに何が起きるのか」の全体像,つまり①「そ

な問題とはならないことが解明される場合もあるかもしれない。

このように,使用成績調査,特定使用成績調査の情報をデータベースとして統合するこ

とにより,薬剤の適正使用に役立つ有用な情報が得られる可能性がある。ただし,このよ

うなデータベースを利用する際,いくつかの限界があることを把握しておくことが重要で

ある。このデータベースでは,以下の問題点があるものと考えられた。①併用薬の有無に

関する情報はあるが,併用薬の使用期間が不明である,②降圧薬と併用薬の使用用量が不

明である,③身長,体重の欠側が多い(BMI の算出ができない),④追跡期間が短い,⑤医

薬品コードが同定できない 60。これらの問題点は,データベースの情報源となった使用成

績調査や特定使用成績調査の多くで,以上のような情報が収集されていなかったことを意

味しており,このデータベースの限界を示していると考えられる。

今後も,さらに様々な薬効群において同様なデータベースを構築していくことが望まし

いが,以上のような経験を踏まえ,薬効群毎に必須調査項目を定めるとともに,データベ

ースの構造などに関する標準化を推進していくことが重要であろう。

コントローラー委員会が管理してきた臨床試験のデータベース

統計数理研究所リスク解析戦略研究センターでは,日本製薬工業協会医薬品評価委員会

の協力の下で,以前に実施された臨床試験のデータベースの構築を進めている。約 900 試

験に組入れられた,約 18万例の被験者データから構成される大規模なデータベースであり,

疾患領域毎に特徴のある臨床試験データベースが構築されるものと期待される。このデー

タベースには,プラセボ対照試験のデータも数多く含まれる予定であり,さらに有効性の

証明に成功しなかったため承認申請されなかった臨床試験データも含まれている。このデ

ータベースを利用することで,以下のことが可能になると考えられる。

• プラセボ効果の推定

プラセボを対照としたランダム化比較試験を計画する際,プラセボ効果の推定は重要な

問題である。推定結果が,症例数などの見積もりに直接関わってくるからである。ただし,

プラセボ効果の大きさは,対象となる疾患や,その被験者背景により異なる可能性がある。

このデータベースに含まれているプラセボ対照試験のデータを適切に用いることでプラセ

ボ効果の推定が可能になり,より現実的な試験計画の立案に役立つものと期待される。

• 有害事象と薬剤の因果関係の検証

有害事象と薬剤の因果関係を検証する際にも, ランダム化比較試験から得られたデータ

60 くすりの適正使用協議会. 薬剤疫学部会勉強会レポート. RAD-AR News; 75: 14 (2006)

37

Page 40: 患者さんを守る。その薬を守る。 - JPMA...はじめに 薬の評価は,「その薬が人の体に入ったときに何が起きるのか」の全体像,つまり①「そ

は有益である。例えば,プラセボを対照としたランダム化比較試験のデータベースを用い

ることで,薬剤(もしくは類似した薬効を持つ薬剤群)に起因する有害事象について調べ

ることが可能になる。

• メタアナリシスへの利用

ある仮説に対応する複数の試験結果が存在する際,そのすべてを併合して再検討するた

めの方法論としてメタアナリシスがある。理想的には,結果の成否,公表・出版の有無に

係わりなく,それまでに実施されたすべてのランダム化比較試験の結果を併合することが

望ましい。しかしながら,否定的な結果は公表されないことも多く,いわゆる出版バイア

スが生じやすい。このデータベースには結果の成否とは無関係に,多くのランダム化比較

試験のデータが含まれており,メタアナリシスの実施に適しているものと期待される。さ

らに,通常の文献ベースのメタアナリシスとは異なり,個人データを利用することができ

るので,共変量の影響を考慮するなどして,より詳細な検討を行うことも可能である。

なお,市販前の臨床試験は,ほとんどの場合,市販後に薬剤が投与されるであろう患者

集団と比較すると,限定された患者集団で行われる。このため,得られた結果の一般化可

能性に関して限界があることは確かである。また,発現が稀な事象についての情報は,複

数の試験を併合してもなお,十分に豊富とは言い難いかもしれない。しかしながら,市販

後に問題となった重篤な有害事象の「前兆」と見なせる事象について,新たな視点から再

検討することは有意義かもしれない。このように,市販後に実施することが困難なランダ

ム化比較試験の結果を参照することで,有益な情報を引き出すことが可能なケースは少な

くないものと考えられる。

医薬基盤研究の一環として計画中のデータベース

独立行政法人医薬基盤研究所の研究プロジェクトとして,「癌における前向き臨床試験に

基づく,薬剤奏効性・安全性に関わる臨床および分子情報の解析」,および「循環器領域な

どにおける前向き臨床試験に基づく,薬剤の奏効性・安全性に関わる臨床および分子情報

の解析」があげられている。これらの研究では,データベースの構築と公開が計画されて

おり,乳癌患者や循環器系の疾患を有する患者における様々な疫学データが利用可能にな

るものと期待される。

以上で概観したように,近い将来,様々なデータベースの実現が予定されている。薬剤

疫学的な研究を可能にする,このようなデータベースは,それぞれの限界を補いながら,

他の情報とも併せて用いることで,より適切なリスク評価を行うための礎となるだろう。

38

Page 41: 患者さんを守る。その薬を守る。 - JPMA...はじめに 薬の評価は,「その薬が人の体に入ったときに何が起きるのか」の全体像,つまり①「そ

もちろん,薬剤の種類や,適応対象となる患者集団の特性によっては,なかなか利用可

能なデータベースがないという状況が続くかもしれない。以上で取り上げた事例も,レセ

プトのデータベースを除けば,何らかの目的を持って前向きに実施された試験や調査によ

って得られたデータベースの転用であり,自動的に医療情報が収集され蓄積されていく,

いわゆる診療記録タイプのものは含まれていない。

また,すでに触れたようにデータベースを用いた研究には限界もあるので,利用可能な

データベースの増加により,実際の患者集団での安全性の検討が不要になるわけでもない。

むしろ,このようなデータベースの存在は,市販後のリスク・マネージメントに利用可能

な選択肢の一つ,あるいは情報源の一つとして受け止めるべきであり,それを利用するこ

との妥当性については個別に判断すべきであろう。

5.4 リスク・コミュニケーション

5.4.1 薬剤疫学データベースとリスク・コミュニケーション

得られた安全性情報は,最終的には適正使用を目指して規制当局,医師および患者に還

元される。その際,その情報源が基本的には公開されているというデータベースの特性は,

あらたなリスク・コミュニケーションの次元を切り開く可能性を孕んでいる。

例えば,規制当局が検出したシグナルに関して,企業の側が独自の調査・研究を行うと

いった動きが活発化するだろう。また,医師,研究者,あるいは市民団体が,また別の観

点から,同じデータベースを用いて新たなシグナルを見出し,警鐘を鳴らす場合もあるで

あろう。つまり,リスク評価に用いる情報源の公開が進むほど,リスク・マネージメント

の主体が規制当局や製薬企業のみならず,一般市民をも含む複数の利害関係者たちへと分

散し,ある種の「相互監視」に近い状況が生じる基盤をもたらす。すると自然に,以下の

ような状況が想定される。

シグナルの量的な増加

その質はさておき,複数の視点から,それぞれのタイミングでリスク評価を行った場合,

これまで未知であった安全性上の懸念が様々な形で掘り起こされ,新たなシグナルとし

て提示される機会が増加する。

リスク・コミュニケーションの機会の量的な増加

シグナルの量的な増加に伴い,それらに対し,様々な立場の利害関係者たちの間でコミ

ュニケーションが生じる機会もまた増加する。

39

Page 42: 患者さんを守る。その薬を守る。 - JPMA...はじめに 薬の評価は,「その薬が人の体に入ったときに何が起きるのか」の全体像,つまり①「そ

このような状況下では,情報提供の遅れや,その内容的な欠陥は致命的である。特に同

じ情報源から異なる結論が導かれたような場合,いずれの判断がどのような意味で妥当な

のか,その根拠をわかりやすく提示することは重要である。つまり,規制当局のみならず,

医師も患者も,客観的なデータに基づくより合理的な説明を,これまで以上に製薬企業に

求めるようになると予想される。実際,同じデータベースを用いれば,企業側が提出した

結論を検証することは容易であり,このことは企業が行う調査・研究の質,方法論などに

対して多方面から監視の目が働くことを意味する。

5.4.2 FDA の取り組みとリスク・コミュニケーションの今後

リスク・コミュニケーションの機会が増大するにつれ,その内容と形式の双方に対して,

これまで以上に注意を払う必要が生じる。例えば,対象となる集団に応じて,伝達すべき

情報を取捨選択すべきであろうし,また情報伝達の方法にも工夫をこらす必要がある。ま

た,情報伝達の回数も一度きりということではなく,状況に応じ,さらなる情報提供を試

みる必要があるだろう。例えば,2005 年の 12 月に FDA の CDER が主催した公開ヒアリ

ング Current Risk Communication Strategies for Human Drugs において,FDA に対し

て以下のような改善を求める意見があった 61。

ヘルスケアの専門家を雇用すること

FDA は,患者との対話を向上させるようなリスクとベネフィットに関する情報を医療関

係者に提供するという従来からの役割に注力すべきである。リスク・コニュニケーショ

ンに関する教育を向上させるためにも,専門家グループと密に作業すべきである。

インターネットへのアクセスの向上

特定の安全性上の懸念に関する情報の入手が,患者,介護士,医療専門家,すべての人々

にとって容易なものとなるように,ウェブサイトを改良すべきである。

リスクとベネフィットのバランスを維持すること

医薬品のベネフィットに言及することなくリスクを強調することは患者をおびえさせ,

実際には有効な治療から患者たちを遠ざける危険もある。FDA,医療専門家,患者では

61 U.S. Department of Health and Human Services, Food and Drug Administration, Center for Drug Evaluation and Research (CDER). Public Hearing on CDER's Current Risk Communication Strategies for Human Drugs, December 7-8, 2005. http://www.fda.gov/cder/meeting/RiskComm2005/default.htm

40

Page 43: 患者さんを守る。その薬を守る。 - JPMA...はじめに 薬の評価は,「その薬が人の体に入ったときに何が起きるのか」の全体像,つまり①「そ

リスクに対して異なる理解をしていることが少なくない。それぞれの立場の人々がどの

ような理解をしているかを知ることは,リスクとベネフィットのバランスが取れた情報

伝達を行う上で本質的である。

標準化され一元化された情報伝達

現在 FDA が情報伝達の手段として用いる方法は多様であり,様式や内容に不整合もあ

る。規制当局と製薬企業のために Good Risk Communication Practices を作成しては,

という意見もあった。

医療専門家でない人や,英語が不得手な人たちへの対応の必要性

言葉遣いなどを含めた伝達すべき情報の内容と形式,外国語への対応など,多岐にわた

る提案があった。

この公開ヒアリングの結果も踏まえ,2007 年 3 月に出されたガイダンス Drug Safety

Information – FDA’s Communication to the Public では,「あらたに生じた薬剤安全性情

報(emerging drug safety information)」という概念が提起されており,このような安全

性情報の公開は,以下のような要因を検討した上で決定されると考えられている 62。

データの信頼性

リスクの大きさ

問題となる有害事象の,治療中の疾患と比較した場合の相対的な重篤度(例えば,重

症度や回復可能かどうか)

薬剤の使用と有害事象の発現との因果関係の妥当性

曝露の程度(例えば,その薬剤がどれくらい汎用されているか)

患者集団全体でのリスクの予防や軽減の見込み(例えば,モニタリングにより)

医療行為への影響

特定の集団への特異的な影響(例えば,小児や高齢者への)

ただし,FDA がこのような安全性情報の公開に踏み切ったからといって,それが直ちに

FDA が薬剤と有害事象との間に因果関係があると結論したことを意味するわけではない,

とも注記されている。また,このような安全性情報は,少なくとも一般市民,患者・消費

62 U.S. Department of Health and Human Services, Food and Drug Administration, Center for Drug Evaluation and Research (CDER), Center for Biologics Evaluation and Research (CBER). Guidance, Drug Safety Information – FDA’s Communication to Public. U.S. Department of Health and Human Services, Food and Drug Administration. (2007)

41

Page 44: 患者さんを守る。その薬を守る。 - JPMA...はじめに 薬の評価は,「その薬が人の体に入ったときに何が起きるのか」の全体像,つまり①「そ

者,医療専門家という 3 種類の対象者に対して,それぞれに適切な内容を用意した上で提

供される,とされている。

以上は,規制当局としての対応の例であるが,製薬企業が今後のリスク・コミュニケー

ションのあり方を考える際の参考になるだろう。例えば

バランスのよい情報提供

リスクの大きさがどの程度のものか,またエビデンスの強さはどの程度か(例えばシグ

ナルが検出された段階なのか,その検証が終えた段階なのか),さらにリスクに対するベ

ネフィットの側の情報をバランスよく提供すること。また,医療専門家に向けては(ま

たそれを希望する非専門家に対しても必要に応じて),より詳細な情報も参照可能な状態

にし,そうした情報へのアクセス方法も明示すること。

情報提供の形式

コミュニケーションに用いる媒体と情報の選択。関連して,言葉遣いやイラストの使用

なども含めた伝達の形式を,情報を伝えたい相手ごとに配慮すること。医療専門家向け

と,非専門家向けの情報伝達の形式がまったく同一ということは有り得ない。単にウェ

ブ上のページが医療専門家向けと,非専門家向けに分かれている,といった程度の対応

に留まらない,リスク・コミュニケーション全体の,より入念な設計が必要。

社内専門家の育成

以上のようなリスク・コミュニケーションを,時期を逸することなく適切に行う上では,

様々な専門家の協力が必要。医療関係者はもちろん,患者の「感じ方」を適確に理解し

た上でコミュニケーションの内容と形式を設計できるような人材も必要。また,コミュ

ニケーションの礎となるエビデンスを得るためには,薬剤疫学の専門家,データ管理者,

統計家などの参画も必要。

以上で概観したように,薬剤疫学的なデータベースの実現は,単に市販後のリスク・マ

ネージメントの手段を増加させる,ということに留まらない社会的な意義を持ちうる。特

に,それが公開されているという特性は,リスク・コミュニケーションの活発化や,その

質の向上を様々に促す可能性が高い。こうした,より開かれた,透明性の高い状況下で,

日本の市販後のリスク・マネージメントは新たな展開を迎えることになるであろう。

42

Page 45: 患者さんを守る。その薬を守る。 - JPMA...はじめに 薬の評価は,「その薬が人の体に入ったときに何が起きるのか」の全体像,つまり①「そ

6 おわりに

日本の安全性情報の学習プロセスには,「大きな欠けている部品」がある。それは,薬剤

疫学的研究が可能な,公開されたデータベースである。この欠落を過小評価してはならな

い。実際問題として,このようなデータベースなしには,評価することすら難しい薬剤の

リスクというものが確実に存在する。同じ安全性上の懸念に対して,海外では検討可能だ

が日本では不可能といった不均衡が,長期的にみた場合,様々な弊害をもたらす可能性が

ある。英国の GPRD のように全国民の情報のよい縮図を与えるようなデータベースを,日

本で構築することは現状では困難であるように見える。しかし,不可能ではない。5 章で述

べたように,自動集積されたデータベースが利用可能となり,リスク・コミュニケーション

が成熟した日本社会を目指して,そこへつなげていくことを意図したいくつかのプロジェ

クトが進行中である。

海外の成功したデータベースでは,その国独自の制度や習慣をうまく利用しているもの

がある。英国やオランダの General Practitioner 制度,オランダの薬局利用政策,スウェ

ーデンの国民医療保障システムなどである。日本には国民皆保険制度があり,これをうま

く利用していく道もあるかもしれない。レセプトの完全オンライン化は,まさに国民皆保

険制度がもたらす,世界に誇ることのできる「会計請求記録タイプ」のデータベースとな

る可能性がある。しかし,薬剤疫学的研究という二次的な利用を考えると,それだけでは

十分ではない。GPRD のような「診療記録タイプ」のデータベースを実現するには,医療

情報の IT 化を推進することと,異なった情報源のデータの相互接続性,相互利用を実現す

るためのデータ標準を推進することが必要である。

日本の電子カルテの普及状況は,2005 年度時点で 14.4%に留まっている。2006 年の調

査において,オランダは 98%,ニュージーランド,英国は約 90%,オーストラリアは 79%

であり,日本はかなり水をあけられている。2006 年の時点で比較的遅れていた米国(28%)

では,2010 年までに米国全土で電子カルテ化を実現し,患者の医療情報が全国どの端末か

らも読み取れるようにする計画が進行している 63。なぜ IT 立国日本が遅れをとったのか。

会計請求や各病院内の診療といった目先の利用目的を追求して作りこみを進めた結果,相

互接続が困難になるとともに,メンテナンスなどのランニング・コストも下がらない,コ

ストが壁になり導入を躊躇するという悪循環に陥っているのではないだろうか。そこには,

63 三ノ宮浩三,医療における IT 化の取組み~電子カルテ,レセプトオンライン化の現状と

課題~,政策研ニュース,No.22,19-22,2007 年 3 月

43

Page 46: 患者さんを守る。その薬を守る。 - JPMA...はじめに 薬の評価は,「その薬が人の体に入ったときに何が起きるのか」の全体像,つまり①「そ

別の施設,別の団体とデータを相互接続し,より大きなデータの集まりを作って活用する

という哲学が欠如していた。重要なことは,会計請求や各病院内の診療といった目先の利

用目的だけでなく,薬剤疫学的研究への利用という社会的価値の高い二次利用も考えて自

動集積の仕組みをデザインすることである。

データ標準については,CDISC(Clinical Data Interchange Standards Consortium)64

の進展に注目すべきである。CDISC は,世界的な学際的非営利組織であり,1997 年にボラ

ンティア団体としてその活動を開始,2000 年に法人化(非営利)され,現在 150 団体以上

の会員を有する。CDISC がイニシアチブをとり,電子カルテの仕様を定めた Health Level

Seven(HL7),National Cancer Institute(NCI),FDA との共同プロジェクト CDASH

(Clinical Data Acquisition Standards Harmonization)が進行中であり,2010 年ころま

でに医療情報全体の標準を策定しようとしている。CDISC の究極の目標は,現場の医療と

医学研究に必要なデータのシームレスな相互接続であり,同じ情報を別の目的のために入

力しなおすことの徹底的な排除である。そのようなデータ標準が利用可能になれば,診療

記録タイプと会計請求タイプの融合型データベースも考えられるかもしれない。患者が有

害事象を経験したときに,「医師に申し出ても,調剤薬局の薬剤師に申し出ても最終的に同

じデータ・ウェアハウスに格納されている」ということも技術的には夢ではなくなる。

「その薬を待っている患者さんがいる。」

このことが,製薬企業で働く我々の誇り,倫理観を支えている。患者さんが期待してい

るのは薬の有効性と,薬を安心して使用できることであり,防ぐことができた副作用被害

を可能な限り早期に察知し,適正使用に結びつけ,患者さんを守ることができる力を,現

在よりももっと備えた社会の仕組みを考える時期に来ている。適正使用が広がることは,

患者さんが安心して薬を使用できる機会を確保すること,あるいはそのような機会を広げ

ることを意味し,必要としている患者さんが存在する「その薬を守る」ことにもつながる。

厳しいビジネス環境にある製薬企業にとって,安全性の問題による最悪のシナリオ,薬の

市場撤退は,製薬企業の収支バランスを崩しかねない大きなリスク要因であり,薬を守る

ことは,このリスクを回避することにもなる。

64 http://www.cdisc.org/index.html

44