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1 7.英語子音と歌唱 言語調音において、方言差が色濃く表れるのは母音である。音素識別の観点から母音と子音とを引 き比べた場合、子音で方言間の違いがあまりに大きい場合は意味の伝達に著しい影響が出るという必 然的理由から、主として母音の相違に方言差が収斂することになる。しかし既にみてきたように、歌 唱においては意図的に方言発音を用いる特殊な場合を除き、基本的にはRP, GAといった標準型が中 心に用いられるので、母音に関して音色の相違は一部を除き、大きくはない。一方子音については、 母音ほど多くの変種はないものの、標準型とされるRP, GA等の調音様式や調音方法に関して特徴差 が大きい一部の分節があるため、こうした相違点の調整に関する配慮が必要となる。 歌唱時の子音調音は、4.でみたように弁別素性による分類では、子音と一口にいっても個々の分節 の性格が大きく異なるので、各音の調音操作の方法に多様性が求められる。聞き手側の歌詞の理解に 支障が出ないように、楽曲の性格やスタイルなどに十分に沿いながら、個別に異なる発音処理を行な うことで子音間の音量や明瞭性のバランスをとる必要がある。一方母音と音量的に拮抗させるために は、5.でみたように日常の発話よりも高いレベルの音量拡大の備えが求められる。共鳴音に分類され る子音群は阻害音と比べて母音により近い音響的性格をもつので、音量の拡大自体は比較的容易であ るが、阻害音系の子音についてはあらかじめ発音訓練によって音量拡大が必要に応じてできるように 準備しておく必要がある。後述するが、子音の調音様式等の相違によって聞こえ度の高低差がかなり あるので、各音について細かく調音上の加減を行なわないと全体として自然な音量上のバランスを保 つことは困難である。 母語話者による日常的な発音は、常速(normal speed)が基本であるため、英語においては収縮度が かなり高い発話(今仲 1989:17-26)になる。歌唱では歌詞が曲のテンポに合わせて調音されるという 制約があるので、発話と比較すると全体的に調音の速度がかなり遅くなる傾向がある。また会話では 声楽のための英語発音法に関する分析(3) An Analysis of English Diction for Vocal Music (3) 今 仲  昌 宏 * Masahiro IMANAKA Masahiro IMANAKA 国際言語文化学科(Department of International Studies in Language and Culture) (承前)

声楽のための英語発音法に関する分析(3) · 2015-04-21 · 1 7.英語子音と歌唱 言語調音において、方言差が色濃く表れるのは母音である。音素識別の観点から母音と子音とを引

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7.英語子音と歌唱

 言語調音において、方言差が色濃く表れるのは母音である。音素識別の観点から母音と子音とを引

き比べた場合、子音で方言間の違いがあまりに大きい場合は意味の伝達に著しい影響が出るという必

然的理由から、主として母音の相違に方言差が収斂することになる。しかし既にみてきたように、歌

唱においては意図的に方言発音を用いる特殊な場合を除き、基本的にはRP, GAといった標準型が中

心に用いられるので、母音に関して音色の相違は一部を除き、大きくはない。一方子音については、

母音ほど多くの変種はないものの、標準型とされるRP, GA等の調音様式や調音方法に関して特徴差

が大きい一部の分節があるため、こうした相違点の調整に関する配慮が必要となる。

 歌唱時の子音調音は、4.でみたように弁別素性による分類では、子音と一口にいっても個々の分節

の性格が大きく異なるので、各音の調音操作の方法に多様性が求められる。聞き手側の歌詞の理解に

支障が出ないように、楽曲の性格やスタイルなどに十分に沿いながら、個別に異なる発音処理を行な

うことで子音間の音量や明瞭性のバランスをとる必要がある。一方母音と音量的に拮抗させるために

は、5.でみたように日常の発話よりも高いレベルの音量拡大の備えが求められる。共鳴音に分類され

る子音群は阻害音と比べて母音により近い音響的性格をもつので、音量の拡大自体は比較的容易であ

るが、阻害音系の子音についてはあらかじめ発音訓練によって音量拡大が必要に応じてできるように

準備しておく必要がある。後述するが、子音の調音様式等の相違によって聞こえ度の高低差がかなり

あるので、各音について細かく調音上の加減を行なわないと全体として自然な音量上のバランスを保

つことは困難である。

 母語話者による日常的な発音は、常速(normal speed)が基本であるため、英語においては収縮度が

かなり高い発話(今仲 1989:17-26)になる。歌唱では歌詞が曲のテンポに合わせて調音されるという

制約があるので、発話と比較すると全体的に調音の速度がかなり遅くなる傾向がある。また会話では

声楽のための英語発音法に関する分析(3)

An Analysis of English Diction for Vocal Music (3)

今 仲  昌 宏 *

Masahiro IMANAKA

* Masahiro IMANAKA 国際言語文化学科(Department of International Studies in Language and Culture)

(承前)

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東京成徳大学研究紀要 ―人文学部・応用心理学部― 第 17 号(2010)

常速発話による収縮形のせいで余剰性(redundancy)が低くなっても理解上大きな問題は生じないが、

歌唱においては音楽的側面からの要求に応じた音形に合わせるために、調音努力によってより明瞭度

の高い発音にしなければならない。1)

 これは歌詞内容の確実な伝達が不可欠であるからこそ必要な措置であり、アナウンサー等が発音訓

練の過程で、極めて余剰性の高い発音を目指して訓練し、同時に自然に聞こえるように努力するのと

似た側面がある。

7.1 閉鎖音

 無声-有声の対で調音点別に分類すると、閉鎖音には両唇閉鎖音(bilabial stop) , 歯閉鎖音

(dental stop)または歯茎閉鎖音(alveolar stop) , 軟口蓋閉鎖音(velar stop) の3対の合計6種

類の音がある。調音は発話時よりも全体的に速度が遅くなるので、その分明瞭に発音可能となる。閉

鎖音が語頭に生じる場合や後続音が母音である場合、破裂が順当に生じるように調音すればよいが、

子音が後続する場合や語末、文末に位置する場合には注意が必要となる。

 常速発話で閉鎖音が連続する場合は、通常閉鎖および破裂は一度のみとなる。例えば無声閉鎖音

について、see it togetherの下線部で/t/が連続する例、また異なる調音点による閉鎖音が連続する

wept , act //, fact , collect などでも破裂を連続して二度行なうことは常速発

音では事実上不可能である。そのため先行する閉鎖音は内破(implosion)となり、後続閉鎖音による

外破(explosion)は一度だけとなる。しかしクラシック音楽の歌唱では発音が極端に不自然にならな

い限り、一音一音丁寧に発音することによって連続する閉鎖音は折り目正しく区切って調音する。

(Marshall:30) 調音速度が遅くなるがゆえに無声閉鎖子音を連続して二度発音(破裂)することが可能

となるからである。

 同様に規則動詞変化による過去・過去分詞形で語末が/-t/になる例(liked , walked )

などでも閉鎖音の連続が頻繁に生じるが、常速発話では下線部の子音調音(破裂)は上記と同様に

生じない。これは下線部の閉鎖音が内破に近くなって、[]が後続の発音に埋没してしまうと聞こえ

なくなるからである。歌唱ではいずれも基本的には[]の弱い破裂が聞こえるように調音する。2)し

かし音楽的観点から(a)例外的に速いパッセージを歌う場合や(b)ポピュラー音楽など拡声装置(public

address system)を用いた歌唱、また(c)現代英語で口語体に近い発音での歌唱では必ずしもこのやり

方を適用しなくともよい。

 また閉鎖音が末位に来る場合、発話においては微小破裂か閉鎖のまま調音が終了するのが普通であ

るが、ここでもやはり明確に通常の破裂が必要である。語末に閉鎖音が生じる場合の処理について

は、まずオペラなどの大きな声量が要求される歌唱では、オーケストラの音量に対抗し、強く破裂さ

せねばならない。継続音のように調音の延長が可能な子音の場合は、通常より少し長く継続を保つこ

とで聴衆に聞き取りやすくすることが可能だが、閉鎖音は瞬間音であるために、特に微小破裂や閉鎖

で終了する末位では基本的に演奏会場全体に聞こえるレベルの破裂が必要となる。破裂のレベルは

ジャンルや曲調などに応じて加減する。

 (1)の例中、and のように語末有声閉鎖音の調音について、子音が後続する場合無声のケースと異

なって声帯振動が必要となるため、無破裂では無声音と混同される可能性が高くなる。とりわけ声の

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声楽のための英語発音法に関する分析(3)

出だしの時間(voice onset time)3)について、声帯振動が通常より早く終了してしまうと聞き手が無

声音として認識してしまうことから、有声閉鎖音の調音の際には十分な声帯振動を確保するために、

ある程度明確な破裂を行なうことで, , の後に弱母音が生じるように発音する。4)(2)のように

語末閉鎖音に母音が後続する場合は、-CV-の連続になるので基本的に区切る必要はない。

(1) …and that… []

(2) You will find it.]

 ただし(2)に類似した音連続でも文脈によって、you and I などの連続で を必要以上に強

く破裂させてしまうと区切りがの前にあると判断され、dieと聞き間違えられる可能性が生じるの

で、語句の意味や強勢位置に応じた破裂の強度を加減することが大切であろう。

 については、ドイツ語、フランス語、イタリア語の三言語と調音点が少し異なる点に注意が必

要である。これらの三言語では舌先が上歯茎と上歯にわたってやや広い範囲に接触して閉鎖や破裂が

行なわれ、歯音化する傾向が強いのに対し、英語では歯音化しないように歯茎から硬口蓋の前方にか

けてやや後よりの調音点で、しかもその接触面が狭いためにより鋭い破裂が生じる。舌先は調音器

官の中で最も神経が集中しており、他の器官よりも細かいコントロールが可能であるために、言語に

よって調音点の微妙な相違が出てくるのである。他の両唇音()や軟口蓋音()に比して微妙な

違いが聞き取れる閉鎖音である。

 口語体では無声閉鎖音 , , が語頭に生じた場合のみ帯気音(aspiration)が生じるが、歌唱におい

ては有声音の, , についても語中、語末、また子音が後続する場合も程度の差はあるが明瞭度を

高めるためにすべて強めに外破させることが求められる。ただし子音が後続する際に母音が間に入り

込まないように瞬時に後続子音に移行する必要がある。

 またGAの口語体では「二母音間の 」(intervocalic‘t’)として、有声歯茎弾音(voiced alveolar flap)

ないしは有声化した が使われるが、クラシックの分野では基本的にすべて明確に無声化して、

RPのような軽微な帯気を伴って発音する方が明瞭性の点からみて妥当である。有声化した, は

厳密にはとは異なる音ではあるが、わずかな違いであっても曖昧さによる誤認識を避ける意味で

も必要な措置である。

 語頭の子音結合(consonant cluster)の調音では、単子音調音に比べて後続子音の存在によって気息

化できないために破裂が弱くなり、発音として明瞭度に欠ける場合がある。通常の発話であれば不自

然なものになるが、(3)の例のように便宜的に( )内の弱母音を挿入することである程度の強さをもっ

た破裂を誘発させ、曖昧さを是正することができる。

(3) please  blue

7.2 摩擦音

 摩擦音は調音点別に無声-有声の唇歯摩擦音(labiodental fricative) , 歯摩擦音(dental

fricative) , 歯茎摩擦音(alveolar fricative) , 後部歯茎摩擦音(postalveolar fricative)

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東京成徳大学研究紀要 ―人文学部・応用心理学部― 第 17 号(2010)

の4対があり、合計8種類となる。これに無声声門摩擦音(voiceless glottal fricative) /h/を加えると9

種類となる。摩擦音の特徴の一つは既述したように継続音性である。音楽的側面からは継続音を一定

時間以上引き伸ばすと、識別自体は容易になるがその結果として音楽的要素である母音部分を短縮す

ることになるので、基本的には識別を妨げない範囲で最小限の長さに留めることが重要となる。

 誤発音されやすい// //等の区別については、ポイントとなる調音様式上の閉鎖ないし破裂

(瞬間音)と摩擦(継続音)の違いを際立たせることである。/v/を短くし過ぎると/b/との音響上

の違いが曖昧になる恐れがあるので、閉鎖音と誤認識されないように摩擦の最小限の長さを確保する

ことが大切になる。日本語音には唇歯摩擦音/v/自体が存在せず、日本語母語話者は代用音/b/を用

いる傾向が強いので要注意である。

 /, /は冠詞や代名詞など機能語や基本的語彙に多く生じる音であり、発話に現れる頻度が内容語

や高級語彙に比較して飛びぬけて高いということもあって、正しく発音できるかどうかが大きく問わ

れる子音である。

 誤った発音の例として比較的多く生じるのが、 の区別の問題である。英語においてはフ

ランス語からの借用語などを除いて、英語本来語では基本的に語頭に生じることがない上、対にな

る無声形の//に比べ、出現頻度が低いことも相俟って、外国人が誤発音しやすい傾向がある。多く

の言語には基本的にという音素が存在しなかったり、極端に出現頻度数が少ないという理由で、

(4)、(5)の例のようにを代用音とする傾向がある。さらに摩擦系発音よりも破擦系の方が舌を受動

的調音器官に接触させた形で調音可能なので調音がかなり容易になり、こうした誤発音は後を絶たな

いのである。

(4) decision  ○:    ×:

(5) vision   ○:     ×:

 無声声門摩擦音/h/は呼気を多く費やすので調音効率が最も悪い調音の一つで、常速発話では明確

に発音されていない傾向がある。この音は他の言語でも脱落する傾向が強く、言語によってはフラン

ス語などのように文字表記としてのhは存在するが実際の音声としては発音されない言語もある。し

かし英語の歌唱では明確に/h/を発音する必要があり、どのような位置に出てきても基本的には意識

的に調音することを心がけたい。

 次に9種の摩擦音のうち、各音の調音点によって聞き取りやすい音とそうでない音に分かれるため

に、調音上の操作が必要な例をみる。無声子音の/s, /はもともと鋭い音色をもつので比較的弱い摩

擦であっても聴衆の耳には届きやすい。一方歯音の/, /は音自体がもつ摩擦特性が大変弱く、聞き

取り難い特徴をもつ。したがって舞台上での発音としては/s, /は弱く短めに発音し、/, /は強く長

めにしてバランスをとるとよい。また歯音は他の言語と比較して特殊な発音であり、英語以外の西欧

の言語にはほとんど存在しない音なので、多くの非英語母語話者は→/s/, →としてしまうこ

とが非常に多い。特に無声音の/s/と//の音色の鋭さ(聞こえ度)に大きな落差があるので、発音を

誤るととりわけ目立つことになる。

 こうした各音の鋭さ(聞こえ度のレベルの違い)に対応する発音上の操作は独唱曲よりも合唱曲

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声楽のための英語発音法に関する分析(3)

などで特に要求される。鋭い音色の/s, /は、合唱団の構成員数が多いほど、互いに注意してよほど

弱め・短めの調音を心がけて全体で音量調整をしないとこの子音の部分だけが際立って長く大音量

になってしまうことがしばしばある。また//は聞こえ度が低いので、これを一人でも誤って/s/で発

音しようものなら、聴衆には誤発音の張本人が特定できるほど目立つ音である。したがって演奏者数

が増えるに従い、誤発音を避けることや各子音のバランスをとることが大変重要になる。実際のとこ

ろ独唱、合唱共に歌唱での子音調音のバランスがよいかどうかは演奏者に対するある種の試金石とな

る。

7.3 破擦音

 破擦は二つの調音様式を併せもつ一つの子音である。前半部分(第一要素)が閉鎖、後半(第二要

素)が摩擦である。簡易表記では便宜上二つの字母を組み合わせて音声表記()するが、音価と

してはまとまった一つの音と捉える必要がある。これを字母の形でも表せるようにと、音素表記では

一音一記号で表記する方法もある。5)

 破擦音には二対あり、硬口蓋歯茎破擦音(palato-alveolar affricate) と歯茎破擦音(alveolar

affricate) である。通常前者の対は語頭、語中、語末のすべての位置に生じるが、後者は英語

では外来語の一部を除き、基本的に語頭に生じることはなく、ほとんどが語末である。規則的な複数

形(~s)や三人称単数現在による語尾変化が生じる際に形成されるのが第一の理由である。したがって

語末に[s]が付いているか否かが明瞭に認識できるように発音することが求められる。

7.4 鼻音

 鼻音は3種類( )あり、有声でそれぞれ調音点が異なる両唇鼻音(bilabial nasal)、唇歯鼻

音(labiodental nasal)、軟口蓋鼻音(velar nasal)である。このうちは、語頭には生じないため、語

中、語末のみ考慮の対象となる。鼻音は継続音性の共鳴音で、口腔音とは共鳴腔が基本的に異なるの

で、歌唱に際しては鼻腔の共鳴を高める訓練が必要である。他の子母音がすべて口腔音であることを

考えると、鼻腔の共鳴拡大(声楽の発声練習のメニューには通常含まれている)を図っておかない

と、他の子音との音量の不均衡が生じる。

 鼻音調音を明瞭化するにはまず、鼻音の調音時間を本来の長さよりも二倍程度まで延長することで

識別性を高める方法がある。/, , /の音は音響上フォルマントが互いに非常に近い関係から、文脈

のない単独発音による識別は困難である。しかし母音が後続する場合には鼻音と母音のフォルマント

が組み合わさり、連続調音されることにより鼻音→母音のフォルマント移動が聴取に際して大きく異

なるため、この条件のもとでは識別は比較的容易になる。しかし後続音のない文末では、やはり聞き

取りが非常に困難になる。(Denes & Pinson:173-174)この文末の鼻音識別の問題を解決する一方法

として、オペラなどで管弦楽の音量と歌手の声量とが競合する箇所では、良好な識別を担保するため

に鼻音の後に曖昧音(schwa)をつけて鼻音を弾くように発音し(line )、上述の鼻音+母音の

連続形を意図的に作り、識別を容易にするという手段がある。加えて調音点である両唇、舌尖、後舌

接触部に対して能動的調音器官(両唇、舌尖、後舌部)を強く弾くように発音する。これは例えてい

えば、歌舞伎で「大見得を切る」ような大げさな印象を与えるために、通常の英語の発話では不自然

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さが伴う発音処理方法ではある。しかしオペラ等では様式化され一般に多く用いられている。一方、

歌曲などの場合にはこの処理法は使われず、調音努力などの工夫で口語体により近い音形で対応する

ことが多い。

 曲中で鼻音の前後に母音が来る場合、鼻音部分を拍の開始よりも先行して調音を始め、拍の頭で鼻

音閉鎖を解放するというタイミングで発音する。言い換えると音符上では、先行する音符①の母音の

末尾に後続する語、mayの冒頭の鼻音を押し込む形、つまり早目に鼻音調音を開始して母音

が後続音符②の冒頭から開始できるようにする。発音のタイミングに合わせた文字表記では(7)の

ように割り当てられることになる。

    ①♪  ②♪

(6) × who   may

(7) ○ whom - ay

    -

 また音程が跳躍する場合においても、譜例1のI knowのは前の音符の末尾で先取りして発音

し、跳躍後の音符ではの母音で開始できるようにI kn-ow と音符上の割り付けはの前

でなく後になる。すなわち歌詞を音符に割り付けるにあたり、音符が次の音符へと移行する際の境界

と語境界を合わせるのではなく、鼻音は常に先行する音符内で調音が終了するように歌う。

譜 例 1

 日本語母語話者が特に注意すべき点は文末に生じる//の調音である。日本語の「ん」が文末に来

る場合は鼻音としての一定の発音ルールがない。(佐久間他: 37-38)そのために多くの場合負の転移

(negative transfer)が働いて英語の正しい歯茎鼻音にならなくなる。英語のは生じる位置(語頭、

語中、語末)に関係なく常に変わらず歯茎鼻音を心がけねばならない。(今仲 1996:97-108)

 に関連する調音上の重要な点として、語中に生じる(a) --と(b) --の区別がある。中位で

は finger , angry , single などのようにを挿入して発音すべき一連の語

がある。非母語話者はこの区別の存在を知らずにだけの発音になりがちである。ただし English

- , England - などの特定の語では、母語話者にも明らかな発音の「揺

れ」がある。6)さらに動詞(sing, bring, ring, etc.)において、語末に語尾変化が生じ、-ingや-erがくる

場合、[]は入らないのに対し、形容詞(long, strong, young, etc.)の比較級(-er)、最上級(-est)の語尾が

添加する場合では入るという点である。いずれの例も基本的な発音上のルールであるだけに、歌唱に

際しては厳重に確認しておくべき点である。

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声楽のための英語発音法に関する分析(3)

7.5 側音:/l/

 英語の/l/は歯茎側音(alveolar lateral)といい、基本的な調音方法は舌尖を上歯茎につけて舌の両側

または左右どちらか一方の側を声が通過するときに出る有声音である。ただし異音として明るいL

(clear L)と暗いL (dark L)という2種類の[l]があり、前者は(1)語頭および母音の前に生じる硬口蓋化し

たもので、後者は(2)語末および子音の前に生じ、軟口蓋化したものである。この二つの音は相補分

布的関係にある。

 歌唱での留意点は、暗いLの調音についてである。調音の仕方は明るいLと異なり、後舌面が軟口

蓋に向かってもり上がって発音され、ややくぐもった暗い音色を帯びるので「暗い」という名称を冠

している。音楽的な面からはあまり美しい音色とはいえず、識別の点でもの音色に近く、判別が

難しいので歌唱では使用を避けることが多い。これはの発音型の一つとも共通するが、中舌面が

もり上がることで声道を狭隘化させ、声の共鳴および声の自由な放出を妨げるので、対処法としては

原則的に明るいLのみを用いる。また暗いLは舌面後部を強く緊張させるので、疲労度の問題も回避

理由として挙げられよう。

 従って基本的にすべての[l]を明るいLで発音するか7)、または暗いLにこだわるのであれば、発声

上調音器官の負担が少なく、音色の近い母音で代用する方法がある。

 強音節の前や速いパッセージなどで明瞭度を高める場合は、舌尖を強く歯茎に押し当てた状態から

弾くように発音する。また遅いテンポの場合は長めの調音を心がけるとよい。

7.6 半母音

7.6.1 

 母音の部の6.3で任意扱いの「母音+r」についてはすでに述べたが、ここでは音素としての に

ついて考察する。英語ではの標準型が複数存在し、変種間の相違が大きく、どの変種を選択する

かが難しい問題を提起する。二大標準型であるRPとGAとではの性質や聴覚印象がかなり異なるの

で、丁寧に扱う必要がある。

 RPは語頭で有声歯茎(voiced alveolar)または後部歯茎接近音(postalveolar approximant) として発

音され、そり舌で無摩擦(frictionless)であることが基本的条件である。円唇の度合いは後続母音に左

右され、前舌、中舌母音などが後続する際には平唇であるが、後舌母音特に等の場合には円唇と

なる。語中、特に二母音間に生じる場合は6.3の「連結の‘r’」で述べたように舌尖歯茎叩き音(apico-

alveolar tap)が多く使用され、イギリスの古典的な楽曲やヘンデルのオペラなどではRPの単顫動音ま

たは弾音を用いるのが適切である。このように語頭と語中では異なる変種を使い分ける場合がある。

語末に来る「母音+r」については、いわゆるr-dropperのRPでは発音しない。GAと比較して発声上

調音器官への負担が少ないために多く採用される型である。

 GAの場合はRPに比して、の流音(liquid)としての性格がより強く、発音方法が二通りある。もり

上がり舌(bunched)とそり舌(retroflex)の[]である。調音上はいずれの型でも音色の相違はほとんどな

いので、GA話者は通常どちらか一方を用いている。前者は前舌面後部から中舌面が口蓋頂に向けて

盛り上がる形で調音されるのに対し、後者は舌尖が歯茎の後部から硬口蓋の前方にかけて反り返った

状態で調音が行なわれる。声楽では調音上後者の方が調音器官の疲労が軽減できるだけでなく、声道

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東京成徳大学研究紀要 ―人文学部・応用心理学部― 第 17 号(2010)

をより広くした状態で発声が可能であるために多用されている。また母音の共鳴腔を広くすることも

できるので広範囲で使用されている。またGAは後続母音とは無関係に常にわずかながら唇の突き出

し(protrusion)を伴って円唇で発音されるという特徴がある。(Bronstein: 116)

 楽曲によりGAのわたり音または半母音としての が使われるケースが増えている。基本的に英

語のの調音が声楽的にあまり効率が良いとはいえないために、曲の背景や地域性などを配慮した

うえで、どの変種が最も適しているかを考えて選択する必要がある。大まかに指針を示すとすれば、

オペラなどでは調音過程がより短く、調音器官の疲労度を最も軽減できることや発声上の利点、子音

性を際立たせやすいことなどの理由により、RPの単顫動音または弾音を用いることが多い。宗教曲8)や芸術歌曲などではより歌詞内容への傾斜を強め、現実の言語使用に近い音色を得る必要がある

ために、そり舌音の使用9)が慣例となっている。10)

 顫動音(trill)のように舌尖が複数回歯茎を打つ調音方法は伝統的にイタリア、ドイツ、フランス語

のオペラ等では若干の相違を除けばおおむね類似した形11)を用いている。調音自体も比較的容易で

あるが、英語音として用いるには響きが大幅に異なるなので、基本的に用いられることはほとん

どない。ただし非英語母語話者が英語の の調音上の特殊性を十分理解せずに、イタリア語やドイ

ツ語等の歌唱用の顫動音 を英語の歌唱に転用してしまう例も多く観察される。オペラの役作りで

外国人訛りを示すような発音として意図的に使う場合は例外である。12)ただしその場合ある種の綴

り字発音となり、 の綴りが表れる箇所は母音+rも含めて、一貫して顫動音で発音すべきである。

7.6.2 

 は円唇軟口蓋半母音(rounded labio-velar semi-vowel)と呼ばれ、唇のまるめはいわゆる円唇母音

よりもやや強い程度で大きな違いはないものの、円唇母音と異なる点は、調音開始時の絶対的な舌面

位置はないという点である。それは後続母音に左右されるためで、前舌母音が続く場合(, etc.)な

どはやや前寄りになり、後高舌母音が続く場合(, etc.)はの舌面位置よりも著しく後寄りで高

い位置になる。特に後者は → という舌面の移動と円唇度の差が最も少ない音同士の変化なの

でとりわけ調音が難しい音である。

 歌唱で注意すべき点はここでも基本的にこの音を含む音符直前に発音を終了し、後続母音が音符の

開始と一致するように調整することである。例えば譜例2の their words という歌詞で単音節語がそ

れぞれ一つずつ音符に割り当てられている場合、words のは前の音符の末尾に調音し、

二つめの音符の開始はから始まるようにするという点である。またを強調する場合は、円唇

の解放を瞬時に行なうか通常よりもやや長めにする二通りの方法がある。

譜 例 2

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9

声楽のための英語発音法に関する分析(3)

7.6.3 

 この半母音は非円唇口蓋半母音(unrounded palatal semi-vowel)と呼ばれ、yの綴り字に現れること

が多いため、一般的にy-soundとも呼ばれる。GAなどでは、duty, dew, endure, new, といった語で

と調音されることがあるが、歴史的にも[]が省かれるようになったのは比較的現代に近い時期で

あることもあって、識別の観点からはRPののように口蓋半母音[]を挿入する方が識別上有利で

ある。したがって歌唱ではGAの背景をもつ歌詞であっても後者を用いる方が適切である。こうした

[]の( )内の音の選択の余地がある語については、これを含んだ調音を心がける必要がある。表1

のように語によっては[]の存在の有無により語自体が変わる場合もあるために、識別の点から同音に

なることを避け、RP方式に従って余剰性を高める意味でものある発音が望ましい。

-       -

dew       do

new       nu

lute       loot

表 1

8.声門閉鎖音

 日常の英語発音において、母音で始まる語は声門閉鎖音(glottal stop)で開始することが多い。し

かし声楽では基本的に二つの理由からこれを避けるように指導が行なわれる。第一には音楽的配慮か

ら、第二に声帯疲労の回避という点からである。(今仲 2009:31-32)

 声門閉鎖音を母音の前につけて発音すると母音の開始が唐突で、拍動が生じているような印象を与

えると同時に審美的にも美しい声立てとはみなされない。日本語、英語ともに母音で始まる語ならび

に句の途中などで母音で終了する語と母音で開始する語の接点では発話で通常区切りのために声門閉

鎖音が挿入されることがあり、歌唱でも無意識に挿入してしまう傾向が強い。つまり習慣化している

発音に対し、改めて意識した矯正的な練習が重要となる。歌唱指導では初期の段階で必ず注意を受け

る点である。

 また歌唱時に声門閉鎖を多用すると声帯の疲労を早めるという問題がある。母音で開始される発音

のたびに声門閉鎖を用いていると、歌唱に必要な振動とは異なる動きを声帯に頻繁に強いることにな

るために、声帯自体を速く疲労させることになる。

 声門が開いた状態から滑らかに母音の声立てを開始するには、左右の声帯振動部を徐々に近づけて

呼気をわずかに声門から漏らすようにしながら振動状態に入るようにする。声帯が一旦完全に閉じた

状態から振動状態に移ることのないように、繰り返し練習をすることである。これはデリケートな声

帯の内転(adduction)運動が求められるので自在にできるようになるまで行なう。

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東京成徳大学研究紀要 ―人文学部・応用心理学部― 第 17 号(2010)

9.音節主音的子音

 音節主音的子音(syllabic consonant)とは母音以外に音節主音を形成可能な子音を指す。子音の中

でも母音に近い性格をもつ一部の共鳴音のみが音節の核(syllabic nucleus)となることができ、音節

主音的子音ないしは成節的子音と呼ばれる。例えば、 suddenは二音節であり、口語体発音では通常

となるが、稀に のような発音が生じることもある。しかし常速発話では鼻孔破裂(nasal

plosion)が生じ、 のように第二音節に弱母音が挿入されない形が普通である。これは調音速度

と調音限界の関係から、弱母音を省略する方が基本的に調音が経済的で容易になるからである。しか

し声楽では作曲技法上、ほとんどの場合この音節には音符が割り当てられる。

 歌唱においてこの音節の核に音符が割り当てられた場合、どのように発音処理をするかが問題とな

るが、基本的には個別に対応策を考える必要がある。まず拡声装置を用いた歌唱では発音を通常発話

に近い形にすることが可能なので、母音を挿入することなく成節的子音のままで発音することが可能

である。しかしクラシック音楽やそれに準ずる声楽では、拡声と共鳴の点から二つの子音の間に母音

を挿入して発音し、すべての音符をある程度の声量をもって歌えるようにする必要がある。したがっ

て楽曲の性格やメロディーなどの影響を受けるのは当然であるが、通常は先行子音と後続する音節主

音的子音の間に何らかの母音を挿入する形をとることになる。

事例1:sudden (a) [], (b) []

 (a) は口語体に最も近い音形で無難な母音挿入方法である。(b) はいわゆる綴り字発音である。第二

音節にいずれかの母音を挿入して歌う場合、弱いながらも母音挿入による強勢が生じてしまうので、

二つの音節の強勢のコントラストが弱くなり、聞き手が語の識別に戸惑う可能性がある。この問題を

解決するためには、母音を挿入しても強勢の差が極力残るような歌い方をすることである。

事例2:candle

 この発音ではが音節主音的子音となるが、この音節に長い音符が割り当てられると、[] 自体を

引き伸ばすことは音楽的には避けねばならない。そのため、 というようにschwaを挿入

し、母音を音符に合わせて引き伸ばすことで解決を図る。

事例3:heaven //

 この場合は楽曲の性格やテクストの内容にもよるが、綴り字発音 [] の形をとるか、英語母語

話者にとって声量を確保しやすく、音色がより収縮形に近いと考えられる [] を挿入した[] が

候補として考えられる。いずれも弱音節であるため、強勢のコントラストに配慮する点は他の事例と

同様である。

 音節主音的子音をもつ子音結合の例は表2のように、一定の子音に続いて鼻音ないしは側音が語末

にくる場合である。13)

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声楽のための英語発音法に関する分析(3)

: rhythm * : bottle

: chasm * : candle

* : forgotten * : shackle

* : garden * : single

: listen : baffle

: reason : pencil

: maple : muzzle

: able : tunnel

表 2

10.音の脱落

 常速発話では特定の音声環境において、ある分節音が失われる現象を脱落(elision)と呼ぶ。母

音と子音いずれについても生じるが、弱母音の脱落が特に多くみられる。歌唱において確立同化

(established assimilation):歴史的に脱落が確立したと考えられる音形(表3に*で示した例)につ

いては、原則として音形を変えることなくそのまま発音14)し、偶発同化(accidental assimilation):偶

発的な脱落は脱落前の辞書項目的な音形、引用形式(citation form)15)に戻して用いるのが望ましい。

基本的には記譜されている音符に従って調音を行なう。つまり作曲者の指示により、音符が付された

分節音を脱落させることはできないということである。

 例えば母音について、表3の例の( )内の音が収縮形では脱落することが多いが、これに音符が割

り当てられていれば、明確に音化する必要がある。また歌唱自体が常速発話と同じ速度で発音される

ことはまれなので、極力( )の音を含む発音を用いることが望ましい。

母音脱落の例:suppose    difficult 

       camera    family 

子音脱落の例:*cupboard     *handsome

       exactly     handbag

表 3

11.音の同化

 英語の常速発話では互いに隣接する音の組み合わせによって、各調音が相互に影響を与え合うため

に様々な同化現象(assimilation)が生じる。脱落の項で示した原則と同様に、いわゆる確立同化につい

ては音形の変更を行なわずそのまま発音し、偶発同化については同化生起前の発音に統一する。確立

同化は過去のある時点で調音上偶発的に生じた同化が年月を経るうちに、確立した発音として定着し

たものであるため、調音の遅速とは関係なく音形を変えずに発音する必要がある。一方偶発同化は速

度によって音声変化が生じるものなので、常速発話で生じた同化を歌唱で用いるのは不自然になるか

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らである。(今仲1990:25-31)

確立同化:have to used to

偶発同化:let you → would you →

         fast   slow       fast    slow

表 4

12.語境界の調音

 常速発話においては隣り合う語同士は連続して調音するのが普通であり、これを連結発話

(connected speech)という。歌唱においても基本的に音符が連続している場合、音楽的側面からもや

はり途切れることなく音声連続として歌うのが望ましい。しかし語の並び方によっては語境界で接す

る分節音のつながりが不明瞭になる場合があり、状況に応じて区切りを入れる必要が出てくる。原則

として音声連続で別の語を想起させる可能性のある連結部について区切りを入れる。

 例えば、big eyes – big guysの例では、常速発話において の破裂はいずれも一度だけになる。

この時の長さ「無音の間(ま)」が一個分か二個分かの相違によって明確に認識できるので、

両者の区別は容易である。聞き手は「閉鎖→圧縮→破裂」を行なうまでの時間(無音状態)の長さ

を子音調音の一個分か二個分かをきちんと判別できるからである。つまり二個分の場合、心理的実

在(psychological reality)の影響によって瞬時に閉鎖音が二つ分あることを認識できるからである。

(Linell 1979: 62)

 一方歌唱では音符の長さやメロディーなどの動きが調音そのものを制約するので、発話時よりも

識別が困難になる。つまり楽曲に定められたテンポに従って調音を行なわねばならないために、bi(g)

guys → be guysのような解釈も可能になる状況もあり得る。従って聞き手に対する配慮として、語

境界にわずかな区切り(間)を入れるか、を二回調音するのが望ましい。

 次に語境界で母音が連続する場合、隣り合う母音が異なるものであれば、the earth, the other な

どのように音色の変化が生じるので必ずしも区切りは必要ない。しかし隣り合う母音が同一の場合

(the evening, so old, etc.)には、わずかな区切りを入れて語境界を示すことが肝要である。16)

13.声と疲労

 オペラ歌手が大音量をもって歌うのは声帯疲労しやすいと一般的に考えられがちであるが、実は日

常的な発話時の方が疲労度は高くなる。その理由は主に二つあり、まず声帯は音程をつけずに振動さ

せた場合(喉頭原音)、左右の声帯が接触する面が歌唱時と比べやや広くなり、振動の周期も不規則

になるために、特に声帯の接触面が早く疲労する。歌唱の場合は無理のない、正しい発声法によって

正確な音程で歌えるならば、声門の接触面積が平均的に小さくなるうえ、振動も常に一定の音程をと

ることになるので、音程の変化が頻繁に生じる場合でも、各音声の振動自体は常に周期的であるため

に、声帯疲労が少ないのである。また声量を拡大する場合は声帯振動自体を強めるのではなく、正し

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声楽のための英語発音法に関する分析(3)

い発声法に基づいた共鳴腔による共鳴の拡大によるならば、この点でも発話時よりも疲労は少なくて

すむ。

 また発話時の声帯の使い方は、もともと生まれたときから自然に身につけたものなので、専門的に

発声法の訓練を受けた人であっても、必ずしも自分の声に合った音域を用いたり、話し方をしている

とは限らない。そのため後天的に学んだ発声法の方が声帯に負担をかけないということがあり得るの

である。

14. 綴り字発音

 既述したように発話では母音が生じない位置に音楽上の理由から母音を挿入しなければならない歌

唱発音が多々ある。その場合どのような母音を挿入するかを判断する基準として、原則的に綴り字に

よることが最も多い。例えば音節主音的子音の例では、spokenは口語体で と発音表記され

るが、二音節語として二つの音符に割り当てられる場合、と発音するのが順当である。こ

の場合譜例3のように第二音節が曲のコーダの部分では長い音符となっているので、口語のリズムを

考慮すると本来ならば弱母音が望ましいが、長い音符として歌わねばならないという制約から綴

りに合わせた形での母音が使われる。

譜 例 3

 次にRPとGAとで発音の扱いが異なる例として、語頭のw- とwh-の綴り字上の問題がある。表5に

みられるように、二つの綴りの相違について、RPでは基本的にwh-の綴りもすべてのみになるの

でいずれの語も同じ発音になるのに対し、GAではwh-は丁寧形ではと発音するので綴りの違い

が音に反映する。歌唱においてはRPの方が望ましい背景をもつ楽曲であっても、音声を頼りに文字

を想起してもらう必要からGAの音声上の区別を取り入れて余剰性の高い発音にすることで、区別し

やすくするべきである。17)

witch – which wile – while

wear – where weather – whether

watt – what wail – whale

表 5

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15. おわりに

 これまでみてきたように、英語の発音は英語圏の拡大および発音の分化により英語話者・変種が飛

躍的に増加したため、他の言語にはみられない複数の標準型が誕生した。この点がある意味で声楽上

の発音基準の一本化を妨げた大きな一因となったことは否めない。したがって統一された形での発音

はやはり原則としてRPに沿ったものが望ましいが、声楽的に優れた発音、歌詞の意味を誤りなく伝

えるという考えから、実際の運用に当たっては音楽的、音素識別の点から優れているGAなどの一部

の調音を取り込んだものが中心になっている。歌のジャンルの拡大によって、現在は様々なスタイル

や型が存在するものの、基本となる体系は本稿である程度示すことができたと考える。

注1)通常の発話では余剰性が低くなっても、聞き手が問題なく理解できる収縮形が頻繁に出現する。歌唱に

おいては歌詞をメロディーの進行に合わせるために、音程の変化や速度などについて制約を受けることになる。例えばピッチアクセントを用いる言語では特に理解の妨げになる要因が生じる。作曲家はヤナーチェクが用いた発話旋律(“speech”-derived melodic lines)のように常にメロディーを実際のピッチの高低変化に合致するように作曲するわけではなく、語句本来のピッチの動きと実際のメロディーでは逆になったりするなど、メロディーを優先するのが普通だからである。

2)例外的に語境界で[]が連続する例では、同音が連続して破裂するとやや不快な印象をもたらすとして、先行する[]の無破裂を推奨する考え方もある。(Marshall:78)

3)調音器官による閉鎖の解放に連動して声帯振動が始まり、喉頭原音が聞こえ始めるまでの時間的なずれを指す。閉鎖音-の識別について、通常有声子音は両唇閉鎖の解放前に声帯振動が開始され、無声子音では解放と同時かまたは少し遅れて声帯振動が始まる。そのずれが0.02秒以上だと無声音に、0.02秒以下だと有声音に聞こえるという音響上の原則がある。

4)ここでは強勢の問題が絡むので、機能語andを弱く発音してコントラストをつける必要がある。その際に語末に挿入する母音の候補(shadow vowel)として、,の弱母音などが考えられるが、いずれの弱母音を使うかの判断は文脈や調音の連続関係による。はイタリア語発音のように聞こえてしまうとして、を推奨する場合がある。(Labouff: 136-137)

5)アメリカ式の音素表記は右の通り。=, =.6)歴史的には--が長く使われてきた型なので、このように二通りの選択肢がある場合は前者を用いるほ

うが望ましい。7)ドイツ語の/l/は明るいLのみなので、ドイツ語母語話者の英語発音/l/には暗いLが聞かれないことが多

い。そのためこの処理方法だと英語の日常発音としてはドイツ語訛りのような違和感が残る。8)宗教曲でもオラトリオなどのように、編成の大きなオーケストラと共演する場合、音量との競合が問題

になり、楽曲中でオペラと同じ扱いにすることがある。9)いわゆるポピュラー系の歌唱と同様に拡声装置を用いる場合、拡声に対する配慮が必要ないので、発話

に近い音形が使われる。10)ただし、(1)曲の性格や歌詞内容から荘重さが求められる場合、(2)高い声域での歌唱、(3)劇的な歌唱、が

必要な箇所などでは、RPの変種が適切と判断される。またオペラの配役については、映画の場合と同様に王侯貴族の役はRP、一般市民の役柄はGAを用いるなどの使い分けがなされている。英語圏ではイタリアオペラやドイツオペラの英語版なども比較的多く上演されるが、この場合も同様に扱われる。これは他言語に比して標準型や変種が複数存在することが逆に利点となっているともいえる。

11)フランス語、ドイツ語の口語発音では有声口蓋垂ふるえ音(voiced uvular trill )が多く用いられるが、歌唱では調音器官の疲労度が極めて高くなるので、通常歌唱時のみ伝統的に顫動音を用いる。

12)楽曲中でオーケストラの大音量を背景にした時、最強音が必要となる場合や高音部では、聞こえ度を高めるためにその部分のみ例外的に顫動音を用いることがある。

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声楽のための英語発音法に関する分析(3)

13)ただし*がつく6例の子音結合については、先行する子音(両唇音を除く閉鎖音)と後続する, との間に通常同一調音点によって瞬間的に完全な声道の閉鎖が生じるため、閉鎖音の弱い破裂が本来の調音点ではなく、それぞれ後続子音の調音点である鼻腔破裂(nasal plosion)、舌側破裂(lateral plosion)として生じることになる。したがって他の例と比較すると、母音挿入は母語話者にとってはやや特殊で違和感のあるものとなる。

14)脱落、同化いずれの現象においても歴史的に確立した音形は綴り字通りの発音から一部が離脱し、全体として異なる音形になっている。したがって、元の発音に戻すと聞き手側に意味の取り違えが生じる可能性があるからである。

15)共時的な意味において文脈や発話速度によって状況に応じた音形が用いられているので、意味の取り違えが生じる心配はない。

16)区切りを入れた後、後続の母音の声立てについては6.9で述べたように声門閉鎖ではなく、声門の左右の接触面を自然に内転させながら声立てを開始する。同一子音が連続する場合は7.1を参照。

17)現在のRPではwh-とw-の音声上の違いは失われているが、歴史的にはGAのように区別があったことを考慮すれば、むしろGAに合わせるというよりは古い時代のRP発音に合わせるといった方が適切であろう。いわゆる「植民地的遅れ」(colonial lag)の現象である。Marckwardt (1958:80), Dillard (1992:42)

参考書目

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