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77 日看管会誌 Vol. 14, No. 1, 2010 The Journal of the Japan Academy of Nursing Administration and Policies Vol. 14, No. 1, PP 77-84, 2010 報告 患者に対して陰性感情をもつ体験に付随する 倫理的葛藤 Ethical Conflict of Nurses with Negative Feelings to Patients 松浦利江子 Rieko Matsuura Key words : negative feelings, nurse-patient relation, nursing ethics キーワード : 陰性感情,看護師 - 患者関係,看護倫理 Abstract The present study was intended to investigate the experiences of nurses in care scenes where they had negative feelings toward patients or their families. A self-administered questionnaire was used to ask about when, how, and why they had negative feelings to patients, as well as what helped them cope with or made them react to such feelings. It was distributed to 27 master course students who had worked as staff nurses, and 14 of them responded. The responses indicated that they tended to have negative feelings toward a patient when the patient communicated one-sidedly to them. The causes for their negative feelings they indicated were an action/behavior against social norm or common sense, an egocentric manner of the patient, and a demand disregarding feasibility by the patient and the family. They responded that they could manage the negative feelings and related suffering by an objective view of the situation and support from their superiors, or reacted according to a situational demand without choice. The tended to have a feeling of imperfection that they could not practice the care they aimed at, the sense of incongruity caused by the inconsistency between their sense of nursing values and what they felt, and a feeling of ineffectualness that they failed to meet a social request. However, objective observations on their situation enabled them to continue participating in the care for the patient while having negative feelings. Support by superiors and colleagues is necessary for helping the nurses observe their situation objectively, and thereby evade too serious suffering caused by awareness of having negative feelings toward a patient, and make use of the opportunities to enrich their carrier. 本研究は,患者に陰性感情をもったケア場面における看護師の体験を明らかにすることを目 的としている.看護系大学院修士課程に在籍する看護師を対象に,患者に陰性感情をもちなが らケアした時の状況,陰性感情をもった理由,対処行動をとった理由に関する自記式質問調査 を行った.27 名のうち 14 名から回答を得た.得られた結果から次のことが示された.患者に 陰性感情をもつ契機は,患者から看護師への一方的なコミュニケーションであることが多かっ た.陰性感情をもった理由は,患者の「社会通念に反した行動や反社会的な行動」,「自己中心 的な態度」などに誘発されるものと,患者や家族から出される「実現可能性を度外視した要望」 から誘発されるものがあった.対処行動をとることができた理由は,「状況の客観視」,「選択 の余地のない外的状況」,「上司からのサポート」があった.陰性感情をもつことによって看護 師は,意図したケアを実践できない不全感や,看護師としてもつべき価値観との乖離から生 じる違和感,社会的要請に応えていないことから派生する無力感をもつと考えられる.しかし 状況を客観視することが,陰性感情をもちながらも主体的にケアに関与し続けることを可能 受付日:2009 年 9 月 4 日  受理日:2010 年 5 月 22 日 自治医科大学看護学部 Jichi Medical University School of Nursing

患者に対して陰性感情をもつ体験に付随する 倫理的 …janap.umin.ac.jp/mokuji/J1401/10000015.pdfnegative feelings toward a patient when the patient communicated

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77日看管会誌 Vol. 14, No. 1, 2010

The Journal of the Japan Academy of Nursing Administration and Policies Vol. 14, No. 1, PP 77-84, 2010

報告

患者に対して陰性感情をもつ体験に付随する倫理的葛藤

Ethical Conflict of Nurses with Negative Feelings to Patients

松浦利江子Rieko Matsuura

Key words : negative feelings, nurse-patient relation, nursing ethics

キーワード : 陰性感情,看護師 - 患者関係,看護倫理

AbstractThe present study was intended to investigate the experiences of nurses in care scenes where they

had negative feelings toward patients or their families. A self-administered questionnaire was used to ask about when, how, and why they had negative feelings to patients, as well as what helped them cope with or made them react to such feelings. It was distributed to 27 master course students who had worked as staff nurses, and 14 of them responded. The responses indicated that they tended to have negative feelings toward a patient when the patient communicated one-sidedly to them. The causes for their negative feelings they indicated were an action/behavior against social norm or common sense, an egocentric manner of the patient, and a demand disregarding feasibility by the patient and the family. They responded that they could manage the negative feelings and related suffering by an objective view of the situation and support from their superiors, or reacted according to a situational demand without choice. The tended to have a feeling of imperfection that they could not practice the care they aimed at, the sense of incongruity caused by the inconsistency between their sense of nursing values and what they felt, and a feeling of ineffectualness that they failed to meet a social request. However, objective observations on their situation enabled them to continue participating in the care for the patient while having negative feelings. Support by superiors and colleagues is necessary for helping the nurses observe their situation objectively, and thereby evade too serious suffering caused by awareness of having negative feelings toward a patient, and make use of the opportunities to enrich their carrier.

要  旨

本研究は,患者に陰性感情をもったケア場面における看護師の体験を明らかにすることを目的としている.看護系大学院修士課程に在籍する看護師を対象に,患者に陰性感情をもちながらケアした時の状況,陰性感情をもった理由,対処行動をとった理由に関する自記式質問調査を行った.27 名のうち 14 名から回答を得た.得られた結果から次のことが示された.患者に陰性感情をもつ契機は,患者から看護師への一方的なコミュニケーションであることが多かった.陰性感情をもった理由は,患者の「社会通念に反した行動や反社会的な行動」,「自己中心的な態度」などに誘発されるものと,患者や家族から出される「実現可能性を度外視した要望」から誘発されるものがあった.対処行動をとることができた理由は,「状況の客観視」,「選択の余地のない外的状況」,「上司からのサポート」があった.陰性感情をもつことによって看護師は,意図したケアを実践できない不全感や,看護師としてもつべき価値観との乖離から生じる違和感,社会的要請に応えていないことから派生する無力感をもつと考えられる.しかし状況を客観視することが,陰性感情をもちながらも主体的にケアに関与し続けることを可能

受付日:2009 年 9 月 4 日  受理日:2010 年 5 月 22 日自治医科大学看護学部 Jichi Medical University School of Nursing

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Ⅰ.はじめに

看護倫理の重要性や,基礎教育に系統的なプログラムとして組み込む必要性,そのための環境整備の必要性などが主張されている(習田,志自岐,2005).またそれが,理想論や表面的な規則に終わるのではなく,実践に役立つものでなければならないとの立場での議論も展開されている(服部,2007;和泉,2005).Fry & Johnstone(2002)は,様々な葛藤場面の事例を提示して,倫理的判断について考えさせ,そこでの価値の対立構造を明確化させたうえで,その状況下にあってなすべきことを導き出し,どうすれば患者の権利が守られるかを考察する手法を示している.

ところで,「実践に役立つ」看護倫理についての議論は,自律的意思決定者としての患者またはその家族が中心に置かれて展開され,そこに深く関与する看護師を含む種々の職種の人々の心情は周縁に追いやられる傾向がある(Chambliss, 1996;Fry & Johnstone, 2002; 中 岡, 大 北 2008;Thompson & Thompson, 1992).Thompson & Thompson(1992)は「専門的価値観」と並行して「個人的価値観」を吟味することの重要性を示唆し,看護師の内的葛藤にも光を当てている.しかしそれとても,最終的に患者や家族が適切かつ主体的に意思決定するための伏線としての意味合いが強い.

ケアとは本来,相互的なものとして語られうる営み(Mayeroff, 1971;Noddings, 1984)なのであれば,看護倫理はあるべき論として静態的に語られるだけではなく,患者 ・ 看護師の相互のやり取りのなかで見直されることが必要と考える.そしてそれは,看護管理に有益な視点を提示してくれるはずである.なぜなら,スタッフが患者との関係のなかで何に葛藤を抱え,何に支えられて乗り切るのか,乗り切れないのかを知る手がかりになるからである.

本論では,看護師が患者に陰性感情をもったケア場面に注目し,それが看護師にとっていかなる事態なのか,何がそこで問題となっているのか,臨床に

おいていかなるサポートをしていくことが肝要なのか,ということを,調査の結果をもとに追究した.

Ⅱ.研究方法

1.研究デザイン本研究は,質問紙調査を用いた質的帰納的研究デ

ザインに基づく手法をとった.

2.用語の定義「陰性感情」とは概ね,否定的な感情を指して使

用されている(西本,2004;斎藤,1999;佐々木,2006).ここでは,相手との相互行為やコミュニケーションの過程で発生する,不安や嫌悪感,不快感,恐怖感,怒り,混乱,抑うつ感といった,相手に対する何らかの否定的な感情,として使用する.

3.調査1)調査目的陰性感情をもちながら相手をケアするという,矛

盾した状況にあって仕事をする看護師の心情にはどのような葛藤があるのか,陰性感情をもった理由をどのように認識しているのか,対処行動をとることができた(できなかった)理由は何か,についての実態を浮かび上がらせること.2)データ収集① データ収集期間 2009 年 3 月~ 4 月② データ収集場所 看護系大学大学院③ 対象者の選定 大学院看護学研究科修士課程

の学生④ データ収集内容と方法質問紙の内容構成は,以下の通りである.①対象者の属性,②陰性感情をもちながらケアし

た経験の有無,③その際ケアを継続したか否か,④陰性感情をもちながらケアをした時の状況,⑤陰性感情をもった理由とその時とった対処行動の理由.

①,②,③は数値書き込み及び選択式とし,④,

にしていた.患者に陰性感情をもったことを機に生じる苦悩の深刻化を回避し,発展的なキャリアの蓄積へと転換していくためには,直面している事態を客観的にみることを可能にする,上司や同僚によるサポートが重要と考える.

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⑤は記述式とした.3)分析データの分析は以下の手順で行った.① 対象者の属性は単純集計をした.② 記述内容は,質問ごとに「陰性感情が引き出

された状況」,「陰性感情をもった理由」「対処行動をとった理由」を示す 1 内容を 1 単位のコードとして取り出した.なお,「状況」には,起きた出来事,看護師に生じた感情,看護師が行動したことも含めた.

③ コードの性質の類似性と相違性に基づいて分類統合し,サブカテゴリー,カテゴリー化した.

④ 一連の分析過程は,他の看護学研究者からスーパーバイズを受けて行った.4)倫理的配慮本調査は,長野県看護大学倫理委員会より承認を

得ている(2009 年 2 月 18 日,審査番号 #26).アンケート調査の協力者には,調査依頼書,質問

紙を配布した.調査依頼書には,研究目的と研究方法に加えて,調査への協力が自由意志に基づくものであること,協力を拒否した場合においても何ら不利益は被らないこと,調査目的以外に調査結果は使用されないこと,研究が終了した時点で調査用紙は破棄すること,個人が特定されないようにすることを明記した.

Ⅲ.結果

1.対象者の概要質問紙を看護系大学の修士課程の学生 27 名に

配布した結果,14 名から回答が得られた(回収率51.9%).

調査対象者の年齢は,最年少 25 歳から最年長 51歳で,平均値は 36.2 歳であった(1 人無記載).女性が 78.6%を占めていた.通算の看護職経験年数は,最低 3 年から最高 30 年で,平均値は 11.2 年であった.主な勤務先については,精神科病棟と小児科病棟が共に 28.6%を占め,最も多かった.結婚の有無については,78.6%が既婚者であった.

2.分析結果分析結果は,陰性感情を伴ったケア場面の状況を表 1に,陰性感情をもった理由を表 2に,対処行動をとることができた理由を表 3に示した.以下の記述において,【 】はカテゴリー,< >はサブカテゴリー,[ ]は代表的データ例,( )は意味の通りをよくするための補足を表すこととする.1)陰性感情を伴ったケア場面の状況看護師が患者に対して陰性感情を抱く場面状況

は,【しつこく言いがかりをつけられて苛立った】,【召し使いのようにわがままな態度をとられて,関

表1 陰性感情を伴ったケア場面の状況

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わりたくないと思った】,【言葉の攻撃,暴力,危険な行動,易怒的な態度に恐怖感をおぼえた】,【入院目的にそぐわない態度に困惑した】,【判断能力に支障を来している状況から派生する危険な行動への対応に困惑した】から構成された.カテゴリー,サブカテゴリー,代表的なデータ例を表 1に示した.【しつこく言いがかりをつけられて苛立った】と

いうのは,<あげ足をとられて苛立った>,<言いがかりをつけられて,しつこく言われ続けて苛立った>から成り,相手が自分の言い分を執拗に押し通そうとしてくることから,看護師側の心理状況が乱される構図になっている.【召し使いのようにわがままな態度をとられて,関わりたくないと思った】というのは,看護師の状況にも,同じ病室の他の患者の状況にも全く配慮せず,自分の用事や言い分だけを,細部まで妥協することなく押し通そうとすることから,看護師側の心理状況が乱されるもの.【言

葉の攻撃,暴力,危険な行動,易怒的な態度に恐怖感をおぼえた】というのは,相手の言うことには耳を貸さず,自分の理屈ばかりを押し通そうとすることに加えて,怒りっぽくて,体格も大きいために恐怖感という強い陰性感情をもったというもの.【入院目的にそぐわない態度に困惑した】というのは,リハビリテーションが目的であるのにも関わらず,それに積極的に参加しようとしない態度をとり続けていることに困惑したもの.【判断力に支障を来している状況から派生する危険な行動への対応に困惑した】というのは,ICUシンドロームの患者に一人で対応しなければならず,患者の身の安全を守らなければならない責任感の裏返しという意味で陰性感情が生じた状況を指している. 2)陰性感情をもった理由看護師が患者に対して陰性感情をもった理由は,

【社会通念に反した行動や,反社会的な行動をとる

表2 陰性感情をもった理由

表3 対処行動をとることができた理由

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ため】,【自己中心的な態度をとるため】【安全の侵害の危険性を感じたため】から構成された.カテゴリー,サブカテゴリー,代表的なデータ例を表2に示した.【社会通念に反した行動や,反社会的な行動をと

るため】とは,無断外出や万引きなどの反社会的行動や,自分の言い分ばかりを強力に押し通そうとするなど,常識的ではない言動から陰性感情が引き起こされるものである.【自己中心的な態度をとるため】とは,同じ病室の他の患者の状況やそれに関与する看護師の状況をまったく考慮せずに自分の用事ばかりを言いつけてくることなどから陰性感情が引き起こされるものである.【安全の侵害の危険性を感じたため】とは,患者の意識状態が朦朧としているために患者の安全が脅かされるリスクを懸念して引き起こされるものである.3)対処行動をとることができた理由

【状況の客観視】,【選択の余地のない状況】,【上司の存在】,【対処不可能】から構成された.カテゴリー,サブカテゴリー,代表的なデータ例を表3に示した.【状況の客観視】とは,「こういう患者もいる」「こ

のような感情になる自分をみとめる」といったように,生じている事態を自分自身も含めて客観的にみることによってその場を乗り切ろうとしている対処法である.この場合,関心は患者に向けられている.

【選択の余地のない状況】とは,病棟の体制の関係上,または,人に嫌われることを避けるなどの自分自身の傾向などから,それ以外の選択肢がないということである.【上司の存在】とは,上司に信頼を寄せて相談をもちかけたり、困ったことは上司に相談・報告をすることという職場のシステムを利用して対処した,ということである.【対処不可能】とは,治療上の問題もあり,退院に至ってしまったケースや,患者に対して状況を説明して納得してもらい,協力を得るという対応ができなかったことを指す.

Ⅳ.考察

1.看護師が患者に対してもつ陰性感情に注目する意義

患者に対して陰性感情をもちながらも対処行動を

とることができた(対処することを避けた)理由について丁寧に検討していくことは,看護師が何を支えに難局を乗り切っているのか,あるいは何につまずくのかを端的に知ることにつながる.これまで積み重ねられてきた陰性感情をテーマにした研究報告の多くは,それをいかに解消するかに照準が合わせられる傾向にあった.解消することを目的に設定するということは,すなわちそれをよくないこととする価値判断がベースにあることを指すと考えられる.そのような議論の土壌が問題なのは,看護師は理由の如何に関わらず,陰性感情をもったこと自体に自責の念をもつことになったり,たとえ一時的に肯定したとしても,看護師の都合を優先させた言い訳に過ぎないと反省するなどの思考過程をたどる傾向に偏ることになり,そこに存在する問題や可能性が浮上してこなくなる恐れが生じることにある.

2.看護師が患者に陰性感情をもつ契機とそのことによって阻害されるもの

「陰性感情を伴ったケア場面の状況」をみると,看護師が陰性感情をもつに至る契機は,コミュニケーション経路の一方が絶たれている場合が多いことがわかった.コミュニケーションは双方向の営みだが,一方向だけになるとそれは,「言いがかりをつけられ」た,「召し使い」のようにあつかわれた,「わがままな態度」をとられた,と受け止められた.それが「あげ足」と受け止められるのか,「言葉の暴力」と受け止められるのかは,一方的である度合いや,文脈に応じて異なるのではないかと考える.また,看護師のなかに生じる感情も,「苛立ち」,「困惑」,「関わりたくないという気持ち」,「恐怖感」と様々であった.

この結果を受けて,コミュニケーションが適切にとれないことによって,何が阻害されているのかを考えてみる.森岡(1989)は,看護には「行為の意味」という側面と「行為の態度」という側面があるという見方を示している.前者は,言わば看護の機能的な側面のことを指し,後者は,「お互いが人間として成長するための行為」のことを指し,これが「ケア」であると述べる.松浦(2009)は,看護師が直面する困難とは,いかなる行為をするのが妥当かというような行為としてのケアに関する事柄もさることながら,むしろそのケアをする際の看護師の内面

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的な事柄にあるのではないかと考え,それを追究していく際の視点として「心性としてのケア」という視点を提示した.先に紹介した森岡(1989)は,職業としての看護においては必ずしもケアという態度がとれない心理的状態にあることも多いことに言及したうえで,ケアの態度が要求される場面において,必ずケアの態度で臨むことが肝要だと主張する.そこで,コミュニケーションが一方的であるために阻害されたものは,ケアの態度が要求される場面にありながら「ケアの態度で臨むこと」ができなかったこと,と考えてみる.たしかに,表1の No.M1-2 やNM1-3 は,処置を求める患者の訴えの言外に別な問題が潜在しており,それに対して「ケアの態度で臨む」ことが求められているケースかもしれない.ところが,一方的なコミュニケーションによってケアへの意欲は削ぎ落とされ,陰性感情だけが残ったという解釈が成立する.一方,M1-1やNM1-5のように,疾患由来の精神的不安定さを抱えているような患者には,機能的に対応することも手法の一つに想定して患者と向き合うことで,「ケアの態度」だけでトライすることによって過剰なダメージを受けることを避けることができる.今後は,看護実践のなかの機能的な側面が活躍する看護場面と,「ケアの態度」を要する看護場面との識別ラインをどのように引くのかを明確にすることで,看護師が必要以上に「心性としてのケア」にまつわる苦悩を抱え込んで消耗したり,ひいては職業継続への意欲を低下させたりという事態を回避し,「ケアの態度」が必要な時にそれが十分に発揮できるような支援策につなげていくことも大切であると考える.

3.患者に陰性感情をもつことから派生する不全感・葛藤・無力感

陰性感情をもった理由は主に,患者の社会通念に反した行動や反社会的な行動と,自己中心的な態度の二つに分けられた.

前者から,看護師は患者に対して「許せない」という気持ちをもったり,「人間としてあなたはどうなの」という気持ちを抱くに至っていた.このような心理状況は,次の二つの要素を派生させていると考えられる.一つ目は,看護師の仕事への意欲が患者への陰性感情によって削がれると,当初持ち合わせていた意欲が据え置かれてしまって不全感を抱く

に至る,という状況である.二つ目は,看護師の倫理規定に関連した葛藤をもつという状況である.国際看護師協会(ICN)の「看護師の倫理綱領」(ICN, 2005)でも,日本看護協会による「看護者の倫理綱領」(日本看護協会,2003)でも,人権の尊重や,生命への尊厳を守ることが看護の本質と定められており,誰もがもつ「敬意のこもった対応を受ける権利」(ICN, 2005)が守られるように実践していくことが重要なことと記述されている.そのような価値観が低流にある基礎教育を受けている看護師にとって,自分の抱く患者に対する感情が,看護師としての価値観に反すると思ってしまうことから生じる違和感は容易には不問に付しにくく,自ずと葛藤を抱えることになる.

後者の場合,なかでも患者やその家族から出される実現可能性を度外視した要望は,看護師を理想と現実のギャップに直面させ,ひいては社会的要請に期待通りに応えられていない無力感に苦悩することにつながると考えられる.

人々の健康面のニーズを満たす看護の目的を果たすうえで,相手を尊重することが非常に大切なこととされているわけだが,それを日常的かつ恒常的に実践するにあたっては,調査結果に現れているような様々な葛藤を抱え込む現実があることは,等閑視することはできない.

4.看護師がとった対処行動各種対処行動をとることができた理由は,状況を客観

視できることや,選択の余地のない状況や,上司の存在などがあった.なかでも,状況を客観視できることが陰性感情をもちながらも主体的にケアに関与し続けることを可能にするカギとなるようである.これはすなわち,看護過程のような枠組みをもち,長期的な観点にたって事態を客観視,つまり観察することができていることを指す.Peplau は,患者 -看護師関係に治療的な意味を読み込み,対人関係理論を活用した患者援助の有効性を説いているが,対人関係理論が有効だとされるのは,「看護状況をより知的に観察」できるからであると主張する.加えて,「専門職教育とその後の経験を通じて自己認識が深まるにつれて,看護婦は,だんだん主観的要素を除外することができるようになり,看護婦自身参加者であるところの対人関係現象についての感性豊

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かな観察者に成長していく」と述べる (O'Toole & Welt, 1989).思考の枠組み,つまり看護過程の実践枠組みに自覚的に立ち返ることが,目先の葛藤や,それゆえに受けた自身の精神的ダメージをも客観的に観察し,冷静に向き合い,そのうえで看護の目的を達成するために相手に主体的にケアを提供し続けていくことを支えるようである.しかし今回の調査では,勤務病棟で看護過程を導入しているかどうかを質問項目に設定していないため,この点は推測に過ぎない.

選択の余地のない状況の制約と,「人に嫌われるのがイヤな性格なので」という,個人的な信条に根ざした対応は,どちらも当座しのぎの対応と考える.これらは,その場をしのぐことはできたとしても,葛藤自体は解消されていないため,精神的ダメージを毎回受ける危険性を孕むと言える.

上司からのサポートを受けて対応するスタイルには,日頃から上司に信頼を寄せていて,相談相手として主体的に上司を選ぶものと,病棟のシステムとして「相談することと決まっていたので」相談するものの二つがあった.二者は主体性の有無の点で,似て非なるものとも言える.しかし後者にも,上司からのアドバイスを受けることによって視野が広がり,陰性感情をもちながらも主体的に看護に取り組むための方向性や態度が形成されていく可能性は包含されている.

5.患者に陰性感情をもった際の看護師への支援策対処できなかった理由としては,疾患面からの患

者理解を深めることができなかったことや,患者への説明が適切にできずに,言われるがままになったというものがあった.

対処行動をとることができた理由として浮かび上がってきた結果から,客観的に物事をみる手法や,上司に相談して事象の捉え方の視野を広げるやり方を,看護師を支援する有効な方策としてあげた.対処できなかった理由にあがった二つの問題に対しても,これらは有効と言えよう.ただしこれは,陰性感情から派生した内的不全感や,倫理綱領との乖離から生じる違和感および葛藤や,社会的要請に応えられない無力感を解決してくれるとは限らないかもしれない.しかし少なくとも患者との関わりでもつ陰性感情に大きく左右されたり,押しつぶされて閉

塞感に苛まれたりするような事態は避けられるのではないかと考える.以上のことから,看護師が患者に対して陰性感情をもつという困難に直面した時は,事態を客観視することを可能にするためのサポートと,事象の捉え方の視野を広げる助言が重要と考える.

Ⅴ.本研究の限界と課題

本研究の限界は次の三つである.一つ目は,調査の対象数が少ないこと.二つ目は,調査対象者が看護系大学の大学院生であることから,看護の仕事へのコミットの度合が比較的深いと想定されること.三つ目は,平均 11.2 年の臨床経験があることから,様々な経験知・実践知を蓄積している人が多いと考えられることである.以上のことから,教育背景や経験年数に幅のある多くの看護師に対して,今回得られた結果を即座に一般化することはできない.今後は,病棟の看護師を対象に,対象者数も増やして調査を実施していきたい.

Ⅵ.結論

患者に対する陰性感情が引き出された状況の結果から,陰性感情をもつ契機は患者から看護師への一方向的コミュニケーションにあり,それが,患者に

「言いがかりをつけられ」た,「召し使い」のようにあつかわれた,「わがままな態度」だという印象を看護師がもつことにつながっていた.一方的なコミュニケーションによって阻害されているものは,看護師の「ケアの態度」への志向性である場合も考えられ,そうだとすればこれは「心性としてのケア」にまつわる苦悩でもあると考えられる.

陰性感情をもった理由は,患者の社会通念に反した行動および反社会的な行動に誘発されるものと,自己中心的な態度に誘発されるものがあった.前者はさらに,患者への陰性感情によって看護への意欲が実践に結びつきにくくなって不全感を抱くという要素と,看護師の倫理規定とはそぐわないことから生じる違和感に葛藤を抱くという要素に関連していくことが考えられる.後者の顕著な例は,患者やそ

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の家族からの実現可能性を度外視した要望であり、それが看護師の社会的要請に応えていないという無力感につながっていくことが考えられる.

対処行動をとることができた理由では,状況を客観的に見ることが,主体的に看護に関与し続けることを可能にしていた.選択の余地がないという状況の制約と,「人に嫌われるのがイヤな性格なので」という個人的な信条に従っているものは,非主体的で当座しのぎに過ぎないため,その都度心理的ダメージを受ける危険性を孕むものである.上司からのサポートを受けて対応するスタイルには,上司を相談相手として主体的に選ぶ場合と,病棟のシステム上「相談することと決まっていた」という場合があった.

陰性感情をもった理由をみると,倫理綱領でうたわれている看護師の価値観を,相手との関係性が良好ではない状況で実践に移すことの難しさが浮き彫りになる.倫理綱領は職業倫理である以上,職業人として看護師が果たすべき責任を示すことがその役割であり,それを実践する際に抱え込む葛藤のことにまで言及しないのは当然である.倫理綱領がいついかなる状況下でも機能するためには,患者に対して陰性感情をもつという事態の解明をしたうえで,それに対するサポート体制も整備する必要があると言える.

謝辞:本研究の調査にご協力いただいた大学院看護学

研究科の学生のみなさまと,ご指導をいただきました長

野県看護大学の鈴木英子先生、多賀谷昭先生、渡辺みど

り先生に心よりお礼申し上げます.

■引用文献

Chambliss, D. F. (1996) /浅野祐子訳 (2002) ケアの向こう側―看護職が直面する道徳的・倫理的矛盾: 83-121,日本看護協会出版会,東京.

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