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小林 眞人 鹿島建設 海外支店マニラ営業所 営業所長 1. フィリピンセブ島 1 はじめに フィリピンでは初の土木プロジェクトとなったセブ 島における第2 マクタン橋建設工事 現三井住友建設との JV着工1996 10 竣工1999 7 に着任以来10 年以上が経過したこの間マニラ首都圏ほど劇的では ないにしろセブもゆったりと着実に発展を遂げてきた弊社も2 マクタン橋工事以来セブ南部沿岸道路第 1 工区工事そして現在施工中の南部沿岸道路の最終部 分であり沿岸道路とセブ市商業地区中心部を直結する 開削トンネル工事とセブ市の発展に合わせて営々と仕 事を行ってきたセブ島はリゾート地として世界的に知 られているものの意外とその地理的な場所といった具 体的なことは知られていないまずセブ島について触れ てみたい2地理 セブ島はフィリピン中部のビサヤ諸島にある島で両脇を海峡に挟まれて南北に225km にわたって伸びる 面積約4,422km 2 の細長くて大きな島である島はうね る丘と険しい山脈によって南北に分断されており山々 は高さ1,000 に達するものもあるセブ島の中心はセブ本島の東海岸に沿って広がりセブ市他周辺の市町 村を合わせメトロセブという大都市圏をなしている人口は240 万人強でありマニラに次ぐフィリピン第2 の都市であるセブは国際線国内線等の多数の航空路 線のハブであると共に国際港セブ港をも擁し海外か らのみならずビサヤ諸島からミンダナオ島にかけての物 流および旅客発着の一大中継地として商業交易産業の 中心地となっているセブは同島中部の東海岸に接する小さなマクタン島 をメインとしたリゾートとして世界的に知られているこの島には国際空港や輸出経済特区がある一方同島 の東側に延びる10km 以上の白砂のビーチ沿いが最も華 やかな地域でリゾートホテルやダイビングショッ プが林立しており周囲を多くの美しい小さな島々に囲 まれてその風光明媚さと風通しがよいことから多くの 観光客を惹き付けている3歴史 セブはスペイン人到来以前より交易の拠点として栄え ていたが1521 年ポルトガル人探検家マゼランの上陸 により世界の歴史の表舞台に登場することとなるさら にマゼランに同行していた修道士によりキリスト教の布 教が始まりセブはフィリピンにおけるカトリック信仰 の始まりの地となったマゼランはその後マクタン島 の酋長ラプラプと戦って死にスペイン遠征軍は一旦撤 退するが1565 年に再来して本格的な植民地化を開始 するこれによりセブはフィリピン最古の植民都市とな マニラにその座を明け渡す前に6 年間にわたり首都 として機能した後にラプラプはフィリピン人の侵略者 に対する抵抗の象徴となり現在はマクタン島にマゼラ ンのキリスト教布教を称えた記念碑とラプラプの戦いを 称えた記念碑が隣同士に立っている近年はビーチゾートして急速に近代化が進んだが長い歴史がつくり 出した建築物が至る所に点在し見所も多い4経済 セブの経済はこれまでは観光業や中小の雑多な産業の フィリピン セブ島概観 セブ南道路開削トンネル工事 1999 7 1999 7 1 マクタン島セブ島地図 支部通信 46 支部通信

支部通信 フィリピン セブ島概観 - OCAJI小林 眞人 鹿島建設(株) 海外支店マニラ営業所 営業所長 1. フィリピン・セブ島 1)はじめに

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Page 1: 支部通信 フィリピン セブ島概観 - OCAJI小林 眞人 鹿島建設(株) 海外支店マニラ営業所 営業所長 1. フィリピン・セブ島 1)はじめに

小林 眞人鹿島建設(株) 海外支店マニラ営業所 営業所長

1. フィリピン・セブ島1)はじめにフィリピンでは初の土木プロジェクトとなった、セブ島における第2マクタン橋建設工事(現三井住友建設とのJV、着工1996年10月、竣工1999年7月)に着任以来、早10

年以上が経過した。この間、マニラ首都圏ほど劇的ではないにしろ、セブもゆったりと着実に発展を遂げてきた。弊社も、第2マクタン橋工事以来、セブ南部沿岸道路第1工区工事、そして現在施工中の南部沿岸道路の最終部分であり、沿岸道路とセブ市商業地区中心部を直結する開削トンネル工事と、セブ市の発展に合わせて営々と仕事を行ってきた。セブ島はリゾート地として世界的に知られているものの、意外とその地理的な場所といった具体的なことは知られていない。まずセブ島について触れてみたい。

2)地理セブ島は、フィリピン中部のビサヤ諸島にある島で、両脇を海峡に挟まれて南北に225kmにわたって伸びる面積約4,422km2の細長くて大きな島である。島はうねる丘と険しい山脈によって南北に分断されており、山々は高さ1,000mに達するものもある。セブ島の中心は、セブ本島の東海岸に沿って広がり、セブ市他周辺の市町

村を合わせメトロ・セブという大都市圏をなしている。人口は240万人強であり、マニラに次ぐフィリピン第2

の都市である。セブは国際線・国内線等の多数の航空路線のハブであると共に、国際港セブ港をも擁し、海外からのみならずビサヤ諸島からミンダナオ島にかけての物流および旅客発着の一大中継地として商業、交易産業の中心地となっている。セブは、同島中部の東海岸に接する小さなマクタン島をメインとしたリゾートとして世界的に知られている。この島には、国際空港や輸出経済特区がある一方、同島の東側に延びる10km以上の白砂のビーチ沿いが最も華やかな地域で、リゾート・ホテルやダイビング・ショップが林立しており、周囲を多くの美しい小さな島々に囲まれてその風光明媚さと風通しがよいことから、多くの観光客を惹き付けている。

3)歴史セブはスペイン人到来以前より交易の拠点として栄えていたが、1521年ポルトガル人探検家マゼランの上陸により世界の歴史の表舞台に登場することとなる。さらにマゼランに同行していた修道士によりキリスト教の布教が始まり、セブはフィリピンにおけるカトリック信仰の始まりの地となった。マゼランはその後、マクタン島の酋長ラプラプと戦って死に、スペイン遠征軍は一旦撤退するが、1565年に再来して本格的な植民地化を開始する。これによりセブはフィリピン最古の植民都市となり、マニラにその座を明け渡す前に6年間にわたり首都として機能した。後にラプラプはフィリピン人の侵略者に対する抵抗の象徴となり、現在はマクタン島にマゼランのキリスト教布教を称えた記念碑とラプラプの戦いを称えた記念碑が隣同士に立っている。近年はビーチ・リゾートして急速に近代化が進んだが、長い歴史がつくり出した建築物が至る所に点在し、見所も多い。

4)経済セブの経済はこれまでは観光業や中小の雑多な産業の

フィリピン・セブ島概観セブ南道路開削トンネル工事

1999 7

1999 7

図1 マクタン島~セブ島地図

支部通信

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Page 2: 支部通信 フィリピン セブ島概観 - OCAJI小林 眞人 鹿島建設(株) 海外支店マニラ営業所 営業所長 1. フィリピン・セブ島 1)はじめに

寄り合わせと小規模な商業が中心であったが、家具製造業の隆盛によりセブはフィリピン家具製造業の首都と言われるまでになった。毎年3月には大規模な家具見本市が開催され活況を呈している。近年はソフトウエア製作などのIT産業のアウトソーシング先として、またフィリピン人英語のスキルを活かし主に米国企業から請け負うコール・センター業務などが活況を呈している。セブ州およびセブ市は、東南アジアにおけるソフトウエアや電子情報分野でのハブになることを目指し、積極的にインフラ整備を行うと共に、マクタン島の輸出経済特区を

中心として外国企業誘致を積極的に展開している。

2. セブ南道路開削トンネル・プロジェクト1)工事概要本工事は、セブ市で進められている幹線道路プロジェクトの一環で、JBIC資金とフィリピン政府の資金で行われているいわゆるODA工事である。この幹線道路は、都市部の人口増加に伴う渋滞緩和のために計画されたもので、前述のセブ州南部から同じくODAで実施された工業団地用埋立地の沿岸部を通って、セブ市中心市街の

商業地域およびマクタン島の国際空港までを結ぶ全長12.208kmの道路である。この幹線道路プロジェクトは5つのセグメントで構成されており(図2参照)、セグメント1は前述の通り当社の施工になり、2004年に竣工している。本工事は、この5つのセグメントの、最後に残った市中心の商業地域に最も近接したセグメントであり、フィリピンでは初となる地下トンネル部を含む全長973mの道路工事である。このトンネルが完成することで、セブ州南部のタリサイ市からセブ市中心部まで、これまで最悪2時間近くかかることもあったところを約30分で到達できるようになる。  工期は、原契約で2006年6月から

2009年6月までの36カ月間であったが、予想外の地中障害物が現場の至る所に出現し、特に旧セブ港のコンクリート製岸壁の撤去には多大の手間と時間を要し、2回にわたる設計変更で対応するしかなく、現状では2010年3月竣工予定である。

2004 52004 5

図2 セブ南沿岸道路工事全体

図3 セブ南道路開削トンネル工事全体平面

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支部通信

トルコでの生活事情

小玉 治信鹿島建設(株) トルコ営業所 副所長

トルコは親日国だと耳にされた方も多いと思う。実際、当地での日本の評判はおおむね良好で、好きな外国人アンケートではいつも上位にランクインするし、日本人は働き者、敬意がある、時間に忠実、製品の品質が高いとよく褒められる。われわれ現地在住の日本人としては、この先人がつくり上げたすばらしいイメージを壊さずに、かつ仕事をスムーズに進めたいと思うが、しかし、実際コレがなかなか難しい。トルコの人びとは自信に満ちあふれている。言葉は流暢で包容力にあふれ、放っておくと10分でも20分でも身振り手振りを交えながら話し続ける。彼らに比べるとわれわれ日本人はなんとアピールが下手なのかとしみじみ感じる。もっとも自信満々に話される内容が正確かというと、そうでないことも多々あるので注意が必要だ。道を聞いても答えがバラバラなので何人かに聞かなければ安心できないし、「この作業は明日絶対に終わる」と言われても、まず明後日を想定したほうがよい。当然のこと、はじめのうちは期待を裏切られるので「また言い訳か」とストレスが貯まるばかり。しかし、文句を言ったところで、そうやって国も人も回っているし、周りはみな気楽なものである。視点を変えれば、日本の感覚でイライラするのは、ある意味独りよがりだろう。極端なたとえではあるが、「明日~時に伺います」と約束した場合、トルコで少し遅れるくらいはなんでもない。もちろんTPOは大事だし、遅れないのがよいのは当たり前だが、時間を守るためだけにしゃかりきになる必要はない。なぜなら皆が言うように、時間に遅れるのは「ハプニング」のせいだからだ。日本の場合、信用に関わるので、なんとかして約束の時間に間に合わせようと努力する。「ハプニング」は言い訳にならない。その正確性は相手に期待できる分、自分にも期待される。しかしこの状態は、逆に言えば大変なプレッシャーがかかっているわけで、それはそれで別のストレスを生む。トルコで生活していると、なにごと

もオンタイムで運ばない代わりに、社会や相手から期待されるプレッシャーははるかに軽い。トルコ何年目かで、相手に対しても自分に対しても気楽に構えるようになった時、それまでのストレスは嘘のように消えていた。時間に遅れたとしても、相手も自分も悪気はないのだ。そう思えば人びとの好意の部分を素直に受け取れるし、なにごとも楽観的なトルコの人びとは、魅力と愛嬌にあふれている。といっても日系企業で働く身としては、やはり「ハプニング」は言い訳にならず、ちょっぴり頭は痛い。

カマン・カレホユック考古学博物館工事当社は昨年度、カマン・カレホユック考古学博物館の建設工事に携わることができた。この考古学博物館は日本の文化無償としてトルコ側に寄贈されたものであり、日土間の友好関係を示す記念碑的プロジェクトである。トルコのクルシェヒル県カマン村は、ヒッタイトをはじめとする遺跡で有名である。アンカラから南東方向に150kmほど進むと、アナトリアのなだらかな草原に包まれた大地に突然こんもりとした丘が出現する。この丘は過去5500年にもわたり人が住み続けていたという世界的にも稀有な場所で、さまざまな時代の遺物が出土する。このカマン・カレホユック遺跡では過去23年にわたり、三笠宮崇仁親王殿下および寛仁親王殿下のご支援により、考古学者の大村幸弘先生が隊長として率いる発掘隊が調査を継続している。世界最古の鉄器が発見され

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カマン・カレホユック考古学博物館所在地

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たことが日本でも大きく報道されたため、ご存知の方も多いだろう。調査結果によっては歴史の教科書が書き換えられる可能性もあり、特に解明が進んでいないヒッタイト後の暗黒時代(紀元前12~8世紀)に光を当てるものとして大きな期待が寄せられている。今回の博物館は、この遺跡から出土した遺物を、オンサイトで調査・保存・研究・展示するコンセプトの下に計画されている。博物館の隣には、三笠宮殿下の寄付により研究棟・会議棟・宿舎棟が既に建造されており、このような考古学の複合施設は世界でも類を見ない例として注目を集めている。また、隣接する殿下寄贈の日本庭園には、村の人口が2万人であるにもかかわらず、年間3万人の人びとが訪れている。発掘隊や関係者の尽力により草の根レベルの交流も進んでおり、この地域での日本のプレゼンスは非常に高い。博物館は石本建築事務所の能勢氏による設計であり、写真のように平屋建築に土と芝生をかぶせ、カマン・カレホユック遺跡を模したユニークな外観を備えている。施主はトルコ文化観光省で、今年の4月に竣工式と引き渡しを行った。1年という短い契約工期であったが、実際の工事は2カ月ほど前倒しで進み、無事故無災害で完成することができた。施工にあたっては地元の業者と協力しながら行った。この地で築かれてきた日土交流と歴史を尊重し、少しでも多くのものを「地元に還元」するために、作業員はすべて周辺の村人を起用した。当然、村レベルの品質しか知らない作業員に、日本基準を徹底させるのには苦労したが、実際に下げ振りをあてながら「どこがどう間違っている」ということを何度も示すと、こちらの言うことを理解しよう、学ぼうと努力してくれるようになった。

結果として、引き渡しの際にトルコの博物館としては他に見当たらない品質として、施主側大臣から「私の人生で最も嬉しい贈り物」との言葉を受けたことは、お世辞であっても嬉しく感じられた。この建設を振り返り、工事が順調に運んだことは、施主・協力業者・作業員をはじめとするトルコ側関係者の協力と友好的な姿勢によるところが多かったと感じる。施工中は互いに分かり合えず衝突することもあったが、最終的に相手を信頼して良好な関係を保つのが重要であることは、なにも建設現場に限ったことではないだろう。2010年は「トルコにおける日本年」として日土間の友好関係を深める大きな機会として位置付けられており、この博物館のオープニングも目玉イベントのひとつとして、来年の7月頃に行われる予定である。開館後はトルコおよび日本のみならず、世界中から多くの観光客が訪れることが予想される。冒頭で触れたように、日本とトルコで考え方や文化が大きく違うことは確かであるが、このカマンの地では長年育まれた確かな信頼関係が存在する。何千年もの歴史が眠る地で結ばれた日本とトルコの絆である。末筆ながら、このカマン・カレホユック考古学博物館が、互いを尊重し合う友好関係の礎として、この絆をさらに太く強固なものとするために活躍することを切に願う。

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カマン・カレホユック考古学博物館外観

カマン・カレホユック考古学博物館内観

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2)地中障害物地中障害物では、思わぬハプニングがあった。掘削工事の最中にかつてのスペイン統治時代以前からの墓地と思われるものに行き当たり、かなりの量の陶器類を中心とした副葬品が出土した。陶器類は、専門家の鑑定では16~17世紀の明代のものと推定されるものから、陶器製のスペインのビール瓶まで多様なものが出土した。地元のメディアでもこのことは大きく取り上げられ、一時は地元文化財保護委員会による発掘調査で工事が中断かと危惧もした。出土品は弊社で責任を持って整理分類の上、同委員会に納めることで事なきを得た。いかにもフィリピン的であったのが、有名な山下財宝と称される旧日本軍隠匿財産出現かなどという噂まで立ってしまったことである。本来なら一笑に付すところを、現在でもあちこちでいわゆるトレジャー・ハンターたちがこの財宝探しをしている国柄上、警備体制を強化するなど笑えない話になってしまった。

3. おわりにフィリピンは、東南アジアでも有数の出稼ぎ大国である。この海外出稼ぎ労働者によるフィリピン国内向け送

金は2008年度で160億ドルにせまる勢いで、フィリピン経済の下支えとして貢献している。ただし、これは手放しで喜んでよい状況ではない。当国での工業化の失敗から、国内では雇用が創出されないからやむを得ず出稼ぎに海外へ行く、という構図になっているだけの話である。フィリピン人の労働適用能力は他の東南アジア諸国と比べて決して劣るものではないことを考えると、悲しむべき現状である。セブにおける開削トンネル工事をはじめとしたインフラ工事が、セブ市のみならず当国の再整備の一助となり、ひいては外資等の呼び水となって将来の工業化に繋がり、このようなフィリピン国民の現状改善に寄与することを切に願うものである。

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掘削時出土品(陶器)

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瀬川 勉大成建設(株) アメリカ営業所 所長

1. 巨大市場米国米国は、既に1980年代より世界の建設市場の1/4を占める巨大市場であった。現在もその比率に変化はない(2006年次の円グラフ参照)。2009年7月現在の建設投資額の速報値は9,580億ドル(約91兆円)で、日本のそれの2

倍以上である。サブプライムの影響は、いまだに米国経済の先行きに不透明感を持たせ、最大の落ち込み分野の住宅市場は、やっと底を打ったところである。バブルピーク時の2005年末に建設投資の57%を住宅建設投資が占めていたのは、日本で同時期35%程度であったことと比べても異常に高い比率であった。現在は、26%まで落ち込み、この数字も異常に低い状態である。最近の建設投資の落ち込みは、ピーク時より65%も落ち込んだ住宅投資によるもので、他の分野、特に公共事業では伸びは鈍ったものの、増加を続け、現在では、3,276億ドル(約30兆円)と、やはり日本の2倍以上の規模である。 現況では、建築や、小規模一般土木の案件では、住宅市場から流れてきた中小の建設会社の参入により競争は激化しているが、大型の土木案件・公共事業では、競争

は、以前と変化はなく、3~4社未満の競争が主体である。

2. 異文化環境で成功するグローバルマネージメントセミナーに出席して

1)枠を超えることがグローバル化先頃、あるセミナーに出席した。「異文化環境で成功するグローバルマネージメント」という主題であった。副題は、「世界中で高いパフォーマンスを上げるリーダーの共通した特徴とは」というもので、講師は、韓国人であったが、韓国で育ち、日本で20年日本企業のグローバル化の支援等をし、数々の日本企業の成功と失敗を見てきた話は、歯に衣を着せぬ講演で面白いものであった。結論は、リーダーである人材が、その根に持つ文化(社

風)を超えて、自民族主義から、自民族相対主義に自己意識変革をしない限り、異文化の受容もできず、順応もできないことから、グローバル企業には到底なれないということであった。逆も真なりである。現法のリーダーの話を聞けば、その人材がグローバル化の意識変革の各段階のどの段階にいるかがはっきりし、それによってその企業の成功と撤退が決まるといっても過言でないとの講師の弁である。親会社の対応はさらに重要になるとのことで、そのリーダーのグローバル化の程度で、やはり成否が分かれるとのことである。異文化感受性を発揮し、意識変革のできない人材の現地法人への派遣は、不幸としか言いようがないとの話も出た。

グローバルな巨大市場米国から見たグローバル企業の条件について

支部通信

建設投資 公共投資

民間投資 住宅投資 非住宅投資

Bil US$

1,400

1,200

1,000

800

600

400

200

0

1993199419951996199719981999200020012002200320042005200620072008

その他 22%

その他 アジア 4%

中国 7%

日本 11%米国 26%

西欧州 30%

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米国 建設投資額

国別に見た建設市場(2006年次)

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2)グローバル化の意識改革の段階異文化感受性の発展モデルでその意識改革の段階が示せるとされ、その段階は6段階で、文化の違いに対し、発展段階が以下の順に進む説である。

  ❶否認 → ❷防衛 → ❸最小評価 → ❹受容 → ❺順応

→ ❻統合    

 ❶から❸が上記の自民族中心主義で、❹から❻が自民族相対主義に属す段階としていた。自分の体験でも、米国の4年間の経験で見ると、当初は、カルチャーの違いとの遭遇の連続で、海外関連経験が23年目であったにもかかわらず、発展途上国、それもアジアの経験ばかりだったこともあり、戸惑いの連続であった。2年目あたりから、受容の段階に入ることができた気はするが、未知との遭遇はその後も途絶えることはなかった。苛立ちと敵愾心が増大することがやっと減ってきたのは、受容できる意識変革ができたからだと思うが、その段階で先方のよい面が見えてくると共に、日本のよい面との統合を考えるようになってきた。セミナーでは、人により❸から❹に行く時間が相当違うとしていたが、❸で止まる人も相当の割合でいるようである。そのような人がリーダーである会社は、失敗や、撤退する確立は非常に高いとのことであった。元もと素質を持った人もいるとのことであったが、自分を振り返るに、素質というよりも、土木工事で非常によい米国のJV相手が見つかり、工事を進める上で、腹を割って先方の人格者である社長と話ができたこと、コミュニケーションを非常に多く取ってきたことにより意識の改革ができたのであろうと感じる。早い段階での受容は単独工事では無理であったと思う。

3)日本を持ち込むことの成否米国は、そのものが多国籍からなる人種の統合体のようなものであり、そのものがグローバルと言え、グローバルになりやすい面がある。反面、超大国であるがゆえ

に国益先行で、国の方針をグローバルにしてしまう強引さもある。どちらにしてもグローバルへの意識改革がやりやすいのは確かである。一方、日本は、到底グローバルさを内在しているとは言えそうもない国に見える。日本の常識は、世界の非常識とか、ガラパゴス化とか、村八分の文化とか、グローバルとは正反対の表現で示されることも多い。製造業では、多くのグローバル企業が育ちつつあるが、成功する企業のほとんどが、苦労して文化の許容と統合を果たし、経営者の意識改革を成功させた企業とセミナーで講師が語っていた。統合の段階まで行けば、日本式を反映できるようになるとも言っていたのは印象的であった。一般的に、社風、日本式を初めから持ち込むことで、失敗に繋がっていくことが多く見受けられるが、反面、意識改革が成功し、グローバル企業になることで、逆に日本式のよい部分を持ち込み、さらに成功するケースが多くあるという。米国での成功に希望が持てるということが理解できると共に、時間と忍耐が必要であることを今回のセミナーで再認識させられた。また、米国は、世界の中で、グローバル化を会得する最もよい教師であり、グローバル企業を目指すのには最適の場所とも感じられた。ただ、セミナーでは触れられなかったが、米国では、契約もコスト、スケジュール、仕様、多くの点で広く共通認識があるものとなっており、相対的にリスクが管理しやすい世界である。グローバル化には最適な国であるのは間違いはないが、気になる部分は、訴訟の件である。弁護士の多さの弊害もあり、多発する傾向にある。次に、その防止策について少し述べてみる。

3. 訴訟について米国は、弁護士の多さもあいまって、訴訟は絶えない国である。建設業界でも訴訟は減っていないとのコンサルタントの情報である。しかし、1980年代、1990年代に多く起こった大型工事の施主とコントラクターの争

52 支部通信

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いとは違い、住宅市場から公共事業等に流れた中小企業による勝手の違いにより発生する争いが増えているそうである。前者の大型工事の高額な訴訟に財政的にも疲れきった施主が中心になり、訴訟にならないための各種の手法を1980年代後半から数多く編み出してきた。裁判外紛争処理(ADR)と呼ぶもので、一部では大きく効果を上げてきている。代表的なものが紛争処理委員会(DRB)の設置やパートナリングである。大型公共事業では、かなり契約書に反映されている。パートナリングとは、施主、エンジニアとコントラクターが、ファシリテーターと称される第三者のコンサルにより問題解決のコミュニケーションを促進させ、問題が大きくなる前に解決するために1980年代後半に開発された方式で、英国のそれとはまったく違う形態の法的強制力のないものである。たとえば、アリゾナ交通局は1991年から本格的にパートナリングに取り組み、現在では年間200件の案件に適用している。1991年に訴訟等が60件あったものが、次年度に20件に減り、その後2008年までの16年間に6件で、皆無の年度が11回と、訴訟は激減した。また、DRBも土木案件のみであるが、1982年から

2005年までの1,400案件強で、1,800件以上の委員会が開かれ、ほぼ98%近くが訴訟・調停・仲裁等の次の段階へは進まず解決されているというデータもある。さらに、最近の大型公共工事の、トンネル・鉄道案件では、入札前に最終入札図書のドラフトを各方面に配布

し、意見を徴収することも始めている。その際、入札の関心表明をし、PQを通過した業者にも配布し、レビュー期間後に各社との協議の場を設け、意見交換をし、リスク低減の見込める事項や、間違いや、あいまいな部分の変更を最終図書に折り込み入札図書とする。先頃、京都大学の教授の意見として、新聞に談合のよい部分は制度化すべきとの記事が掲載されていたが、考えてみれば、この米国の制度などはそれの一種と言えなくもない。その教授の弁によれば、談合は元もとは、話し合いの意味であり、全否定するべきものでもなく、よい部分は制度化したらどうかといった内容であったと思う。米国は、訴訟はあるものの、対策方法も多くあり、最大限それを利用し、対応をすることと、自分の枠を超えることで、各制度・法も整っている国であることもあり、他の途上国に比べ工事もリスク管理も、やりやすい国になるのではないかと感じた。

53

160

140

120

100

80

60

40

20

0

案件数

年1982198

3198

4198

5198

6198

7198

8198

9199

0199

1199

2199

3199

4199

5199

6199

7199

8199

9200

0200

1

DRB実施案件数 1982~2001年

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支部通信

2016年オリンピックリオデジャネイロに決定!

林 恒清ブラジル戸田建設(株) 取締役社長

1. はじめに2009年10月2日に、2016年リオデジャネイロオリンピック開催決定のニュースが届いた時は、ブラジル中が歓喜の声に包まれ、リオデジャネイロはもちろんのこと、サンパウロのパウリスタ通りでさえ夜遅くまで決定を喜ぶ声が響いていました。ブラジルのルーラ大統領は、自分でも人生で最良の日だとのコメントを発していましたし、多くのブラジル人も彼の持つ強運を改めて感じたことと思います。2002年に初めて大統領に選任された時、彼の政権は1年持つのだろうかとの噂が飛び交いましたが、蓋を開けてみれば既に政権2期8年を全うし、来年10月には大好評のうちに引退を迎えようとしています。今後、2014年にはサッカーのワールドカップ開催があり、その2年後にはオリンピック開催となるわけで、いやが上にもブラジルがこれを機に発展していくシナリオができ上がったと言えます。

2. 短期間のうちに終了しそうな経済危機2008年後半に起こった世界同時不況は、もちろんブラジルにもその影を落としました。2008年11月から2009年2月までに60万人以上の失業者が発生し、5カ月連続でGDPが減少しました。しかし、政府主導の積

極的な減税政策(工業製品税の減免等)や金利抑制政策が功を奏し、GDPの60%を占めると言われている国内市場が活性化され、今年の7月1日を年の初めと考えれば、今後12カ月のGDPは2.9~4.5%というかなりの成長が予想されるところまで回復してきました。前述した60万人の失業者も今年末までには解消されそうなほど雇用創出も進んでおり、ブラジルは不況にあえぐ世界の各国に先駆けてこの状況から脱出すると見られています。

3. 建設業の動向2008年は後半になって世界同時不況の影響を受けたものの、ブラジル建設業界の総受注金額はR$65,000M

レアル(約3.25兆円)で1999年の2.5倍とここ10年来では最高値を記録しました。これは1月から10月まで続いた好景気、ルーラ大統領率いる現政権(労働党)が打ち出したPAC(経済成長加速化計画)等に誘引されたものと思われます。この結果、建設業界の人件費、資材、機材の高騰、および人手不足にも拍車がかかりました。ところが、10月以降の景気落ち込みは予想以上のもので、建設業界の状況は一転して負のスパイラルに陥りました。この状況は2009年の第二四半期まで続き、建設各社の受注も伸び悩みました。しかし、上記にも述べましたようにブラジルにおける経済危機は比較的短期間に終わり、建設業界の状況も好転するものと思われます。こ

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大喜びのリオの人びと決定を喜ぶルーラ大統領とペレ

Page 10: 支部通信 フィリピン セブ島概観 - OCAJI小林 眞人 鹿島建設(株) 海外支店マニラ営業所 営業所長 1. フィリピン・セブ島 1)はじめに

れはPAC政策に述べられている、❶インフラ整備への投資 ❷金融資本市場の強化 ❸投資環境の改善 ❹税制の改善、および税負担の軽減 ❺長期的財政措置の5項目

が確実に実施されていること、また、各政策が建設業に影響のある、住宅融資対象枠の引き上げ、政府系金融機関による金利の引き下げ、および建材に対する工業製品税の減免措置に結びついて建設投資を促していることに裏付けられます。そして、2014年のワールドカップ、2016年のオリンピック、リオデジャネイロ~サンパウロ間の新幹線計画など、ここ数年、インフラ投資や国家的大プロジェクトがめじろ押しで、建設需要はいやが上にも増えていくものと思われます。

4. おわりに以上の通り、ブラジル経済は急速に回復基調を続けています。それでも年前半が経済危機の影響を受けたおかげで、2009年全体のGDPは昨年を下回る可能性があると思われます。しかし、はじめにも述べましたように、2014年のワールドカップ、2016年のオリンピックを大きな目標として、今後は日本が東京オリンピックで高度成長を遂げたような勢いがここブラジルで再現されるような気がしてなりません。ブラジルの持つ明るい気候風土と根っから明るいブラジル人気質が、必ずやブラジルを世界の一流国入りを可能なものにするでしょう。しかし、ブラジルには、年初にその年のよい予測が報じられると、何かが起きてその結果は予想とかけ離れたものになった事実が、過去に何度もあったことを忘れてはなりません。このようなことが再現されないためにも、選ばれたよき指導者の下で過去の悪い体制や風習を積極的にチェンジしていく、前向きな姿勢を国民全体で推し進めていくことが不可欠だと思います。

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表2 ブラジル建築業界総受注金額の推移

0

10,000

20,000

30,000

40,000

50,000

60,000

70,000

1999 2000 2001 2002 2003 2004 2005 2006 2007 2008

27,10033,000

36,400 39,50032,900 31,200 32,400

37,800 44,000

65,000

(年)

(百万レアル)

表1 前年対比GDPの推移と予想

2007年

第1四半期 5.3%

第2四半期 5.8%

第3四半期 5.4%

第4四半期 6.1%

2008年

第1四半期 6.1%

第2四半期 6.2%

第3四半期 6.8%

第4四半期 1.3%

2009年

第1四半期 ▲1.8%

第2四半期 ▲1.6%

第3四半期 0.5%

第4四半期 5.0%

2010年第1四半期 6.5%

第2四半期 4.4%

*2009年第3四半期以降は予定値。