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財政再建と望ましいポリシーミックスのあり方 岩本 康志 一橋大学大学院経済学研究科 2004年6月

財政再建と望ましいポリシーミックスのあり方 岩本 康志 · 2007-02-06 · 財政再建と望ましいポリシーミックスのあり方 (Fiscal Consolidation

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財政再建と望ましいポリシーミックスのあり方

岩本 康志

一橋大学大学院経済学研究科

2004年6月

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財政再建と望ましいポリシーミックスのあり方 (Fiscal Consolidation and the Conduct of Monetary Policy)

岩本 康志

要 約

1990年代後半より、わが国の金融政策と財政政策は通常の教科書の想定を超えた、異例といえる拡張的な運営となっている。本稿では、経済状況が改善したときに平常の経済安

定化政策の運営に戻るための政策枠組みについて、以下の2つの課題を中心に考察する。 第1に、まず将来に到達すべき安定化政策のあり方を、安定化政策に関する最近の研究

の進展を踏まえて整理する。ニュー・ケインジアン・エコノミックスの最近の成果を踏ま

えて、本稿では、財政当局が安定化政策で果たすべき役割に関心をもった議論をおこなう。

第2に、金融政策の現状を考慮に入れて、持続可能な財政政策への転換をどのように構成

していくか、また量的緩和政策の解除に向けた金融政策の運営について検討する。 本稿での理論的整理で得られた、財政運営への政策的含意は以下の通りである。 (1) 流動性の罠のもとでの金融政策の運営は、金融緩和が必要とされても、時間軸効果を通してしかおこなえないため、通常時よりも多くの困難をともなう。したがって、ゼロ金

利下での財政再建は、自然利子率の低下を引き起こさないことに配慮する必要がある。量

的緩和政策が解除されるまでは、将来の支出の削減像を明確に示すことに財政再建の重点

を置き、将来の支出削減への信認が得られるようにすべきである。 (2) 財政再建開始時期は量的緩和政策解除後に設定するべきであろう。量的緩和政策の解除時期が経済条件に依存することから、財政再建開始時期を最初に設定することはできな

い。財政政策の表明としては、「デフレが収束して、量的緩和政策が解除された後に構造的

財政収支の改善に取り組む」という形が考えられる。これは、デフレが継続するならば、

非リカード的財政スタンスにコミットすることになり、「デフレの罠」脱却のシナリオと整

合的である。 (3) 量的緩和政策の解除は、2003 年 10 月の「金融政策の透明性の強化について」で示された考え方に沿うことになるが、懸案事項が2つある。第1に、量的緩和政策のもとで拡

大した当座預金とマネタリーベースの縮小をいかに円滑におこなうかという問題である。

第2に、自然利子率が正でありながらデフレが起こる「デフレの罠」の状態に陥っていた

場合には、景気が回復してもデフレが継続する可能性があり、このとき量的緩和の解除を

とることができなくなる。この場合には、流動的の罠を前提とした現在のシナリオを転換

する必要がある。

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1.序論

1990年代後半より、わが国の金融政策と財政政策は通常の教科書の想定を超えた、異例

といえる拡張的な運営となっている。財政では、公債の対 GDP比は近年、急速な拡大を示

し、先進国最高の水準になった1。金融政策もバブル崩壊後、金融緩和を続け、ゼロ金利政

策から量的緩和政策へと歴史上類を見ない緩和政策に突入している。このままの財政スタ

ンスを維持すれば、財政は持続可能でなくなる。したがって、どこかの時点で持続可能な

財政運営を目指すための政策転換が必要である。また金融政策については、景気回復のき

ざしが見え始めたなか、量的緩和政策解除に向けた「出口戦略」の議論が起こっている。

こうした現状を踏まえ、本稿では、経済状況が改善したときに平常の経済安定化政策の

運営に戻るための政策枠組みについて、以下の2つの課題を中心に考察する。

第1に、まず将来に到達すべき安定化政策のあり方を、安定化政策に関する最近の研究

の進展を踏まえて整理する。本稿で考察するような、時間軸を考慮すべき問題では、まず

将来に到達する状態を明確にして、そこに行き着く過程をつぎに考察するという手順を踏

むのが通例である。平常時の経済安定化政策のあり方については、ニュー・ケインジアン・

エコノミックスの理論的な進展が著しく、昨年にはその集大成ともいえるWoodford (2003)

が出版された。この理論的枠組みは経済主体の最適化行動を前提としていることから、厳

密な厚生分析が適用可能である。このことから、公共経済学での政府の介入の議論と整合

性がとれた形で安定化政策を考えることが可能となり、安定化政策に対する経済分析は大

きく進展した。その成果を踏まえて、本稿では、財政当局が安定化政策で果たすべき役割

に関心をもった議論をおこなう。

第2に、金融政策の現状を考慮に入れて、持続可能な財政政策への転換をどのように構

成していくか、また量的緩和政策の解除に向けた金融政策の運営について検討する。

本稿の構成は以下の通りである。

2節では、最近の金融政策の運営で重視される自然利子率(価格調整が伸縮的であった

ときに実現される金利水準)をめぐる議論について解説し、金融政策の運営は名目金利を

自然利子率の動きを追って調整すべきことを示す。しかし、何らかのショックにより自然

利子率が一時的に負の値まで低下したときには、名目金利をゼロ以下にできないという制

約から、金融緩和が十分にできない。このような、流動性の罠の状態での金融緩和政策の

議論に基づき、現在の日本銀行の政策を評価する。

3節は、Benigno and Woodford (2003)に基づきながら、2節の枠組みの延長線上に財政 1 公債の累増は戦時期に見られることが多い。岡崎(2004)にはわが国の公債残高の長期的推移が示されているが、1990年代後半からの累増は第2次世界大戦時のそれに匹敵する。

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政策を位置づける。財政当局と中央銀行とを統合した政府が共通の目的をもって安定化政

策をおこなう場合には、金融政策の運営で財政状況を考慮する必要や、金融政策と財政政

策は協調して経済安定化に取り組むべきことが、理論的には導かれる。ただし、従来の安

定化政策についての役割分担の想定(中央銀行が主として経済安定化、財政当局が資源配

分に配慮を払う)からの離脱は、数量的にはそれほど大きくないと考えられ、金融政策と

財政政策の相互連関をことさら強調する必要性は少ないといえる。

4節は、わが国の量的緩和政策について、解除への手順を踏まえた上での評価をおこな

う。5節では、自然利子率が負ではないときにゼロ金利をとることによって生じる「デフ

レの罠」の状態から脱却するための、非リカード的財政スタンスのとり方を説明する。最

後に6節で、今後の財政運営についての政策的含意をまとめる。

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2.金融政策の理論的枠組み

2.1 ターゲッティング・ルール

2節では、ニュー・ケインジアン・エコノミックスの立場から、金融政策の理論的枠組

みの簡単な解説をおこなう。ニュー・ケインジアンは、経済の循環変動(トレンドからの

乖離)を価格調整が速やかにおこなわれないことによって生じると考える点で、ケインズ

経済学の立場に立つ。一方で、合理的な経済主体の行動から価格の硬直性を説明する点で、

新古典派経済学の精神を継承しており、合理的期待形成も受け入れている2。

ニュー・ケインジアンの主眼は価格硬直性のミクロ的基礎づけを与えることであり、企

業が価格づけをおこなえるような設定とするために、企業が価格支配力をもつ状況を考え

る。このため、モデルには、価格の硬直性がもたらす資源配分の撹乱に加え、市場支配力

の存在が効率的な資源配分の達成を妨げる形での市場の失敗が生じている。このことを考

慮に入れて、経済の産出量水準の変動を考える必要がある。そこで、現実の GDPを tY 、価

格調整が伸縮的におこなわれたときの産出量(これを自然 GDPと呼ぶことにする)を ntY 、

効率的な資源配分がおこなわれたときの産出量(これを効率的 GDPと呼ぶことにする)を*

tY とする。金融政策の関心となるのは、価格の硬直性による循環的変動部分であるので、

GDPギャップを ( )nttt YYx log≡ として表す。一方、経済厚生の評価は効率的な資源配分か

らの乖離で考えるべきなので、現実の GDPと効率的 GDPの乖離を ( )*log ttt YYy ≡ と定義

しておく。

インフレ率と GDP ギャップの動きについては、現在の標準的モデルでは、期待 IS 曲線

とニュー・ケインジアン・フィリップス曲線が用いられる(以下の式の導出については、

Woodford [2003]を参照)。まず、期待 IS曲線は、

( )( )nttttttt rEixEx −−+−= ++ 11 1log πσ (1)

で示される。ここで、σ は異時点間の代替の弾力性、i は名目金利であり、インフレ率は

( )1log −≡ ttt PPπ で、P は物価水準を示す。自然利子率 nr はインフレ率がゼロで、経済が

自然 GDPの水準にあったときの金利水準であり、

( ) ( )[ ]nttt

ntt

nt YgEYgr 11

1 loglog ++− −−−= σ (2)

と定義される。ここで、gは政府支出と選好に関するショックで引き起こされる需要の変動

を示す変数である。期待 IS曲線は、消費者行動のオイラー方程式

2 ただし最近は、明示的に学習過程を考慮した研究もされるようになってきている。

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( )

( )

1

1

1111

;;1

+

+++−

⎭⎬⎫

⎩⎨⎧

⎥⎦

⎤⎢⎣

⎡−

−=+

t

t

tttc

tttctt P

PGYu

GYuEiξξβ (3)

を対数線形近似することによって導出されたものである。ここで、β は消費者の割引因子、

ucは消費の限界効用、 ( )GYC −= は消費、Gは政府支出、ξ は選好ショックである。簡単

化のため、ここでは投資を捨象している。

一方、ニュー・ケインジアン・フィリップス曲線は、Calvo (1983)で想定されたような、

企業の一定割合に価格を改訂する機会が外生的に与えられる状況のもとで求められたもの

であり、

1++= tttt Ex πβκπ (4)

で表される。ここで、κ はパラメータである。(4)式は現在のインフレ率が将来の期待イン

フレ率に依存して決定されることを意味しており、従来型のフィリップス曲線において過

去のインフレ率が現在のインフレ率に影響を与えているのと対比を見せている。

価格調整と経済主体の行動がすべてミクロ的基礎づけをもっているので、金融政策の目

的関数は個人の効用関数に基づいて定義されるのが自然である。消費者が消費から効用、

労働供給から不効用を得るとし、(4)式が導出されたモデルを前提に考えると、経済主体の

厚生水準は、

[ ]∑∞

=

+0

22

ttt

t yλπβ (5)

で示すことができ、これが中央銀行の目的関数にもなる3。ここで、λ はパラメータである。

景気循環は価格の硬直性という市場の失敗によって生じることから、安定化政策の役割は

市場の失敗を補正するための政府の介入であると考えることができ、公共経済学での標準

的な議論の枠内にマクロ安定化政策を位置づけることが可能となった。

2節では、金融政策運営の議論をできるだけ簡潔に議論するために、自然 GDPと効率的

GDPの乖離が一定に留まり、 *xxy tt −= となる場合を考えよう4。このとき、中央銀行が

将来の政策にコミットできるとすると、最適な金融政策は、ラグランジュ関数

( )[ ] [ ]∑∞

=+

⎭⎬⎫

⎩⎨⎧ −−+−+

01

2*20 2

1t

ttttttt xxxE βπκπϕλπβ (6)

から導かれる最適解の条件によって記述することができる。ここから、柔軟なインフレ・

ターゲッティング・ルール(flexible inflation targeting rule)と呼ばれる、

3 選好は消費と労働供給に関して加法分離可能であると仮定する。そのため、消費行動の Euler方程式は労働供給に影響されない。(5)式の導出については、Woodford (2003)を参照。 4 政府支出と消費者の選好に対するショックは、自然 GDPと効率的 GDPの乖離を一定に保ちながら、両者を動かす。

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( ) 01 =−+ −ttt xxκλπ (7)

あるいは柔軟な物価水準ターゲッティング・ルール(flexible price level targeting rule)

と呼ばれる、

pxp tt =+κλ (8)

が導かれる。ここで、pは物価水準の対数、 pは物価水準目標(対数値)である。

2.2 ゼロ金利制約とデフレ

中央銀行が通時的に名目金利を自然利子率に等しくする政策をとれたとしよう。このと

き、(1)式より、インフレ率がゼロであれば、GDPギャップもゼロであることがわかる。ま

た、GDPギャップとインフレ率が通時的にゼロである解は、ニュー・ケインジアン・フィ

リップス曲線と整合的であることがわかる。

したがって、名目金利を自然利子率につねに等しくすることができれば、物価と所得の

完全な安定化を実現できる。この意味を直感的に説明すれば、1つの外生的ショック(自

然利子率の変動)を1つの政策変数(名目金利)で相殺できるということである。したが

って、効率的 GDPと自然 GDPの動きが異なっている場合や、金利の安定化が目的関数で

考慮される場合5には、政策変数の数が足りず、完全な安定化ができない。この場合の最適

な政策での名目金利の動きは経済条件に依存する複雑な関数となるが、自然利子率はその

動きを左右する重要な変数となる。したがって、名目金利は完全にではないが、自然利子

率を追いかけて変動することになる。

もし何らかの要因で自然利子率が負になったとすると、名目金利は負になれないという

制約があるため、自然利子率に等しくすることができない。したがって、かりにゼロ金利

となっても自然利子率よりも高い水準にあるため、結果的に金融引き締めになり、所得の

低下とデフレが発生する。

ゼロ金利に達し、金利水準を操作する余地がなくなった状態で、さらに金融を緩和する

ことができるかという問題は、Krugman (1998)によって議論され、その後の活発な議論を

呼び起こした。Krugman (1998)は貨幣残高が存在するモデルを考察し、中央銀行が将来の

5 貨幣が決済サービスを生み出すこと等から、名目収益率がゼロでも保有されるときには、目的関数に貨幣保有の機会費用(名目金利)の自乗の項が含まれる。このとき、価格が伸縮的な場合での最適なインフレ率は、Friedman (1969)が示したように、負になることが望ましいが、価格が硬直的な場合には、望ましいインフレ率は Friedmanの示したものとゼロの間になる。詳細な議論については、Woodford (2003)を参照。 本文での議論は、Black (1970)で議論されたような、貨幣取引の費用がゼロとなった極限の状態のモデルの定式化である。当然のことながら、これはわが国の現状に当てはまらないが、記述を簡単化し、安定化政策の役割分担に関心を

しぼるための仮定として、ここで採用している。

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貨幣成長にコミットすることによってインフレ期待を高めて、所得の低下とデフレを回避

する手段を提唱した。また、Woodford (1999)は、中央銀行が名目金利を操作するモデルの

なかで、自然利子率が正値に回復した後でもゼロ金利を継続することによって、ゼロ金利

時に追加的な緩和効果を得る方法を提案した。これは、インフレ・ターゲッティングと整

合的な政策ルールのなかで、金利の非負制約を考慮したものである。その後、Jung、

Teranishi and Watanabe (2001)、Eggertsson and Woodford (2003)は、この議論に厳密な

定式化を与えた。

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3.安定化政策のなかの財政政策

3.1 課税平準化

金融政策の議論は、2節で解説されたようなニュー・ケインジアン・モデルの枠組みで

精緻化されてきたが、財政政策についても同じ分析枠組みのなかに包摂するという考え方

が出てきてもおかしくない。3節では、2節の枠組みの延長線上で金融政策と財政政策を

同時に考察の対象とした Benigno and Woodford (2003)に基づき、安定化政策としての財政

政策の役割を検討する。

財政政策の設定は以下のようになっている。現在から将来への財政支出は、外生的に与

えられる。これは、経済安定化政策としては主として金融政策を用い、財政支出はそれ自

身の政策目的によっておこなうという、(わが国以外では)標準的な考え方にのっとってい

る。そして、政府の予算式は、

( ) ttttt sPBiB −+= −− 111 (9)

ttttt GYs ζτ −−≡ (10)

と表される。ここで、B は公債残高、s は基礎的財政収支、τ は税率、ζ は外生的な移転支

出を表す。Gとζ はそれぞれ確率的なショックと考える。前者は自然 GDPおよび自然利子

率に影響を与えるのに対して、後者は資源配分に撹乱をもたらさないショックであるとい

う違いがある。政府負債の形態については、本稿では最も単純なものとして、安全な名目

短期債のみを考える。

財政当局の安定化政策のための政策変数は各期の税率である。価格が伸縮的な状況での

研究は、Barro (1979)による課税平準化の議論がよく知られている。消費者の時間的視野が

無限であり、租税の撹乱費用が存在しない場合には、公債の等価命題が成立する。しかし、

税制による資源配分の撹乱要素を考慮すると、税率が高まるとそれ以上に厚生損失が大き

くなるので、財政当局は税率ができるだけ変化しないように財政を運営することが望まし

くなると考えられる。課税平準化の考えにしたがえば、一時的に大きな財政需要がある場

合には、同時期に大幅な増税をおこなうよりも、当面は公債発行で資金調達をし、より規

模の小さい増税を将来にわたっておこなうべきである。このとき、財政需要がある時期に

は、財政赤字が発生することになる。このような大きな財政需要の典型例には、戦費があ

る6。

Barro (1979)の課税平準化の議論は、貨幣の存在しない実物経済のモデルによって展開さ 6 なお、課税平準化の議論は合理的行動としての財政赤字の発生を説明しようとするが、現実の財政赤字はこのような合理的行動としては説明できないと考えられており、政治的理由によって政府が合理的な行動をとれないことによって、

財政赤字が生じるという考え方が有力とされている。こうした考え方については、Alesina and Perotti (1995)を参照。

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れていた。これに対して、Bohn (1990), Chari, Christiano and Kehoe (1991)は、貨幣経済

で価格が伸縮的な場合には、一時的な財政需要の増加に対して、インフレ率の増加で対応

することが望ましいことを示しており、実物経済での議論とは相当に異なった帰結になっ

ている。しかし、貨幣経済であっても価格調整が硬直的な場合には、インフレ率による財

政ショックの調整は、所得の変動も引き起こすことから、厚生水準を悪化させるかもしれ

ない。価格調整が伸縮的でない場合での課税平準化の問題を検討したのが、Benigno and

Woodford (2003)である。

3.2 財政政策と金融政策の相互作用

ここで焦点となるのは、金融政策と財政政策を同時に考慮することによって、金融政策

の運営において財政の状況に配慮しなければいけないかどうかである。金融政策と財政政

策の相互作用については、以下の2つの側面に注意する必要がある。

第1に、財政規律を考慮する必要がある。これは、租税が撹乱効果をもつ場合に限らず、

もたない場合でも考慮が必要な問題である。2節で説明されたモデルの背後には、将来の

政府負債は、

( )[ ] 0;lim =−∞→ TTTTTcT

T

TPBGYuE ξβ (11)

のように、その実質価値が消費者のもつ割引率以上に拡大していかないという条件を満た

すことが想定されている。これは、No Ponzi Game (NPG)条件と呼ばれる。将来の価格変

数のあらゆる経路について、NPG条件が満たされるよう財政政策が運営されているときに

は、リカード的財政スタンスと呼ばれる。一方、特定の価格変数の経路のもとで NPG条件

が満たされないような財政運営は非リカード的財政スタンスと呼ばれる。

一意の合理的期待均衡が求められるためには、インフレ率の変動に対して名目金利がそ

れ以上に反応することが必要であるとされている(金融政策が能動的であると呼ばれる)

が、この背景には財政スタンスがリカード的であることが仮定されており、かりに財政政

策が非リカード的であれば、一意の合理的期待均衡を得るためには、逆に金融政策が受動

的でなければならないことが示される7。したがって、合理的期待均衡が一意となるために

は金融政策と財政政策には2つのあり方があることになるが、Woodford (2003)は、能動的

金融政策とリカード的財政スタンスが、通常の安定化政策ではとられるべきあることを議

論している。

3.3 財政ショックの影響

7 Leeper (1991), Woodford (1996)を参照。

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第2に考慮すべき問題は、税が資源配分を撹乱する効果をもつことから、財政当局の政

策変数が効率的 GDP に影響を与えることである。本節の財政政策の設定のもとでは、(4)

式のニュー・ケインジアン・フィリップス曲線は、

[ ] 1ˆ ++++= tttttt Euy πβτψκπ (12)

のように書き直すことができる。ここで、uは効率的 GDPギャップと税率以外でインフレ

率に影響を与える外生的ショックの集合である。(12)式は、税率を変更することによって、

uの動きを相殺する余地が生じることを示している。このことを、より端的に表現するため

に、uの変動を丁度相殺する税率の動きを *τ̂ とすると、(12)式を

( )[ ] 1*ˆˆ ++−+= tttttt Ey πβττψκπ (13)

と変形できる。かりに財政当局が、τ̂ を *τ̂ に等しくすることができれば、効率的 GDPと自

然 GDP の乖離が一定に保たれ、政府が関心をもつのは現実の GDP と効率的 GDP との乖

離であっても、GDPギャップに関心をもつことと実質的に同等になる。

政府の通時的予算制約式は、 (9)式と(11)式を用いることにより、

( ) ( )∑∞

=

−−− −=−

tTTTTTc

tTttttc

t

tt sGYuEGYu

PPb ξβξ ;;1

1 (14)

として求められる。ここで、b は公債の実質値である。(14)式に(10)式を代入して、対数線

形近似すると、

( ) ( )[ ]∑∞

=

−−− −+−+−=−−

tTTTTTy

tTttttt bybEfyb *1

1 ˆˆ1ˆ ττββσπ (15)

が得られる。ここで、fは政府の予算式に影響を与える外生的なショックの集合である。

したがって、統合政府にとってのラグランジュ関数は、

[ ] [ ]

( )( ) ( )[ ]}11

11

12

011

220

ˆˆ1ˆ

ˆ21

+−

+−

=+

−−−+−−−−+

⎩⎨⎧ −−−++∑

tttttytttt

tttttttt

t

ybbybyb

yyE

σπβτβσπϕ

βπτψκπϕλπβ

τ

(16)

と書かれ、最適解の1階の条件は、これを by ,ˆ,, τπ で微分することによって、

( ) ( ) 01,221,11 =−+−+ −− ttttt ϕϕϕϕπ (17.a)

( )[ ] 01 1,21

21

1 =++−−− −−−

ttytt by ϕσϕσβκϕλ (17.b)

( ) 01 21 =−+− tt b ϕβψϕ τ (17.c)

1,22 += ttt E ϕϕ (17.d)

として求められる。

(17.c)式は、財政当局は効率的 GDPと自然 GDPとの乖離を調整するように、税率を操作

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することを意味している。また、 2ϕ は政府支出の限界費用の効用での評価値に対応してい

るが、最後の式は、徴税のタイミングを変えることで、この限界効用の平準化を図ろうと

している。かりに完全な平準化が図られて、すべての期の 2ϕ が等しくなったとすれば、2

節と同様の柔軟なインフレ・ターゲティング・ルールとして、

( ) 01 =−+

+ −tty

t yybb τψκ

λπ (18)

が求められる。経済への撹乱効果をもたない定額税が利用可能な状態(ζ が外生的ショッ

クではなく、政策変数である)がこれにあたる。しかし、ここでの設定のように、政府支

出の限界費用の平準化が完全ではない場合には、ターゲッティング・ルールに政府支出の

限界費用の予測誤差が加わったものが得られる。

上の議論からは、統合政府が金融財政政策を運営するのであれば、金融政策の運営には

財政ショックへの考慮が必要であり、金融政策と財政政策は同等に経済安定化に注意を払

うべきであるということが導かれる。しかしながら、現実の金融政策の運営では、財政シ

ョックへの配慮は明示的に認識されていないと思われる。これが問題のある政策運営とな

るかどうかは、財政支出の限界費用の変化がどれだけの数量的な影響をもつかに依存する。

Benigno and Woodford (2003)ではその数値計算がおこなわれているが、インフレ率の調整

はわずかであり、税率の変化で多くが調整されている。さらに政策当局が効率的 GDPや自

然 GDPの変動を正確に把握することが困難なことを考えると、数量的影響の小さい財政シ

ョックに正確に対応することにも困難があると考えられる8。したがって、理論的には金融

政策と課税平準化は相互作用する関係にあるが、実際の政策運営において財政ショックに

対してインフレ率を調整させる意義が大きいとは考えられない。

3.4 財政政策の手段

本節での財政政策は、(1)税率は毎期伸縮的に調整可能である、(2)政府支出は外生的であ

り、安定化政策の手段には使えない、と想定されている。どちらも極端な仮定であるので、

これを変更した場合に、本節の議論がどのような影響を受けるかを考察しよう。

税率を金融政策と同様に、経済の動向に合わせて、四半期単位で調整することは、実務

的には不可能に近い。税率が硬直的であるとすれば、財政当局は(17.c)式を満たすように税

率を操作する努力をするものの、(17.c)式は完全に満たされなくなる状況が生じる。この場

合、2つのラグランジュ乗数の関係は時間を通して変化することになり、ターゲテッィン

8 財政当局が意図する政策変数の動きを読み取ることは可能かもしれないが、財政ショックには、それだけでなく、経済環境の変化によって生じる政策の変化も含まれている。

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グ・ルールもその影響を受けて変化する。

一方、政府支出を政策変数とできる場合には、政府は2つの制約式に影響を与える手段

を新たにもつことができる。しかし、こちらも税率と同様に、四半期単位で伸縮的に調整

することは困難である。これは、経常的な経費は支出のタイミングを選択できる余地が小

さく、支出のタイミングをある程度操作できる政府支出は公共事業に限られると考えられ

るからである。

以上のことから、本節のモデルは、財政当局が税率、政府支出およびその他の手段を用

いて、効率的 GDPと自然 GDPの乖離を縮小することを図る姿を描写したものと解釈する

ことができる。

なお、政府支出を政策手段とすることができるならば、自然利子率に影響を与えること

が可能になる。現在の政府支出を増やし、将来の政府支出を減少させると、(2)式からわか

るように自然利子率を上昇させることができるので、かりに自然利子率が負であるならば、

このような政策をとることが望ましい可能性がある。しかし、将来に政府支出を減らすこ

とにコミットできず、もし現在も将来も政府支出を増やすことになると民間部門に予想さ

れれば、自然利子率は上昇しないことにも注意する必要がある。いったん増加した政府支

出を減少させることは、政治的抵抗が強く、困難がともなうと考えられる。また、増分主

義の予算編成のもとでは、前年度実績が予算編成の出発点になってしまうので、将来のコ

ミットメントを必要とする政策を安定化政策として機動的におこなうことは、金融政策以

上に困難であるといわざるを得ない。

一方、現在の政府支出を増やさずに、将来の政府支出を減少させることの信認ができた

場合も、自然利子率が上昇する。したがって、将来の支出削減の道筋をたてることも、名

目金利の非負制約を緩和して、金融緩和効果を引き出す手段となると考えられる。

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4.デフレ下での日本銀行の政策

4.1 ゼロ金利政策と量的緩和政策

4節では、ゼロ金利政策以来の日本銀行の政策について検討しよう。いわゆるゼロ金利

政策は、1999 年2月 12 日の金融政策決定会合において「当面の金融政策運営について」

が発表され、「より潤沢な資金供給を行い、無担保コールレート(オーバーナイト物)を、

できるだけ低めに推移するよう促す」とされた。いつまでこのゼロ金利政策を続けるかに

ついては、4月 14日の総裁記者会見において、デフレ懸念の払拭が展望できるような情勢

になるまで」ゼロ金利政策を継続することが示された。ゼロ金利政策は、2000 年8月 11

日に解除された。この時期より、日本銀行に対してインフレ目標政策をとるよう主張する

声が大きくなったが、日本銀行は 10月 13日に発表した「『物価の安定』についての考え方」

で、「『物価の安定』の定義を数値で表すことは適当でない」、「『物価の安定』を数値で示す

ことができるかどうかという問題について、今後とも引き続き検討を行う」として、イン

フレ目標を明示的に掲げることを避けている。

ゼロ金利解除後、経済の状況は悪化し、2001 年3月 19 日には、日本銀行は量的緩和政

策をとることになった。これは「主たる操作目標を、これまでの無担保コールレート(オ

ーバーナイト物)から、日本銀行当座預金残高に変更する」ことで、ゼロ金利政策と違い、

ゼロ金利となった後でもマネタリーベースの拡大を意図するものである。また、「消費者物

価指数(全国、除く生鮮食品)の前年比上昇率が安定的にゼロ%以上となるまで」量的緩

和政策を継続することを同時に明言し、金融緩和の継続の期待が長期金利を低下させる効

果も期待している。2003年後半には消費者物価の下落傾向に低下が見られたが、 10月 10

日に発表された「金融政策の透明性の強化について」において、解除の条件をよりくわし

く説明し、量的緩和政策継続のコミットメントの明確化を図った9。

自然利子率が回復して、正の数値となると、非負制約が拘束的でなくなり、金融緩和が

できる。量的緩和政策時の追加的緩和効果は、自然利子率が正値になっても、しばらく金

融緩和を続けることによって生じる。ここには時間整合性の問題があり、コミットメント

を覆して、インフレを防ぐために金利を引き上げることが事後的には望ましくなるという

問題点がある。中央銀行がコミットメントを高める手段としては前もって将来の政策スタ

ンスを強く表明することで、事後的にルールから外れることを回避しようとすることが考

えられ、2003 年 10 月の「金融政策の透明性の強化について」は、このような努力の現わ

9 量的緩和政策の解除には、「直近公表の消費者物価指数の前年比上昇率が単月でゼロ%以上となるだけでなく、基調的な動きとしてゼロ%以上であると判断できること」、「消費者物価指数の前年比上昇率が、先行き再びマイナスとなると

見込まれないこと」の2つの条件が必要とされる。ただし、これらは必要条件であって、十分条件ではない。

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れと解釈される。

以上の日本銀行の政策運営の特徴を4つにまとめると、(1)ゼロ金利のもとで、金融緩和

を将来も継続することにコミットすることで追加的な緩和効果(時間軸効果)を得ようと

することに腐心、(2)量的緩和政策としてマネタリーベースの拡大を意図、(3)明示的なイン

フレ目標値は設定しない、(4)長期国債買い切りオペの資産効果は大きくないと判断、とい

える。

これに関して、筆者は(1)、(4)は妥当であると考えるが、(3)については、ゼロ金利脱却後

の物価水準目標値が必要であり、(2)については、その目標値と整合的なマネタリーベース

の供給をおこなうべきではないかと考える。図表1は、1990年以降のマネーサプライ、マ

ネタリーベース、日銀当座預金の動きを示したものである。図より、量的緩和政策以降の

日銀当座預金とマネタリーベースの伸びが顕著であることがわかる。マネーサプライは緩

やかに成長しているが、マネタリーベースの動きとの間に大きな乖離があり、貨幣乗数の

大幅な低下が見られることに注意する必要がある。将来にはゼロ金利からの脱却と貨幣乗

数の回復が図られなければならないが、これだけ膨張したマネタリーベースの水準がその

ときに維持されるとすれば、物価水準は途方もなく大幅な上昇をしなければならない。政

策当局にそのような物価上昇の意図がないとすれば、マネタリーベースが将来のコミット

メントが不確かなまま、妥当な水準以上に膨張していることになる。これは、デフレから

脱却して量的緩和政策を解除する時点での政策の枠組み(いわゆる出口戦略)にとって障

害となる。量的緩和解除時の妥当な物価水準を示し、それと整合的なマネタリーベースの

調節をおこなうべきである。

図表1 貨幣残高の推移

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-0.2

0.0

0.2

0.4

0.6

0.8

1.0

1.2

1.4

1980 1981 1982 1983 1984 1985 1986 1987 1988 1989 1990 1991 1992 1993 1994 1995 1996 1997 1998 1999 2000 2001 2002 2003 2004

注:いずれも対数値。1980年1月を0に基準化。

マネーサプライ

マネタリーベース

当座預金

4.2 出口戦略

名目金利がゼロのときに貨幣需要が完全に弾力的であれば、物価水準を貨幣需要関数に

基づいて決定することができない。しかし、ゼロ金利脱却時には貨幣需要関数にしたがっ

て、貨幣と物価が関係づけられなければいけない。したがって、貨幣残高は量的緩和政策

解除時に条件が課されるが、そこに至るまでは自由である。

図表2は、量的緩和時の貨幣残高の動きについていくつかの経路を示したものである。

経路 A は量的緩和時に大幅な貨幣残高の拡張をおこない、解除時に一気に貨幣残高を圧縮

するものである。すなわち、量的緩和時に巨額の買いオペをおこない、解除時に一気に手

仕舞いをすることになるが、この手仕舞いを一気におこなうことが実務上可能かどうかと

いう問題がある。こうした貨幣残高の縮小を避ける手段としては、金利引上げ時に当座預

金に付利をする手段が考えられる。これは、現状で日銀当座預金と短期金融市場での運用

先が完全代替になっている事態を、金利を引き上げながらそのまま維持することで、資金

の急激なシフトを避けることを意図している。しかし、当座預金への付利を永続的なもの

にすると、短期金融市場の働きをまったく変えてしまう。したがって、単なる出口戦略の

議論だけで実行に移すことには軽率に過ぎ、慎重な議論が必要である。一時避難の手段で

あるならば、貨幣残高はつぎの経路 Bのような動きになると考えられる。

図表2 ゼロ金利のもとでの貨幣残高の動き

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t

m

A

B

C

経路Bは量的緩和解除時に先駆けて、手仕舞いを段階的におこなっていくものであるが、

これは手仕舞いを始めた時点で、事実上量的緩和政策は解除されることになり、中央銀行

が利上げに動くものと市場が誤解する可能性がある。したがって、手仕舞い段階で量的緩

和政策からいったんゼロ金利政策に移行して、その後に正の金利水準へ移行するという手

順を踏む必要がある。

経路 C は、望ましい物価水準目標とゼロ金利と整合的な最低限の貨幣残高を維持しする

政策であり、解除時の手仕舞い額を必要最小限に保つとともに、段階的な手仕舞いをおこ

なわないものである。この経路 Cが望ましい貨幣残高の動きと考えることができる。

つぎに、正の金利水準に移行するときに生じる事態について検討しよう。量的緩和政策

がとられてから、民間銀行がコール市場ではなく、日銀当座預金で余裕資金を運用するよ

うになってしまったため、コールが当座預金と銀行貸出によって代替されてしまった。し

たがって金利が上昇するならば、当座預金からコールへの資金シフトが生じるであろう。

民間銀行が銀行間市場で資金を調達することに問題がなければ、日本銀行からの借り入れ

はコールの借り入れに移行し、中央銀行が同額分だけ銀行貸出を減少させれば、その調整

は円滑におこなわれる。

民間銀行の貸出が伸びてくると、貨幣乗数が回復して、マネーサプライが増加してくる

であろう。かりにコールへの資金シフト分を減じた当座預金額を維持したままで、90 年代

前半の貨幣乗数まで回復するとなると、マネーサプライは相当量の増加となり、物価水準

がそれに合わせ大幅に上昇しなければならなくなると予想される。したがって、貨幣乗数

の回復が見られた場合には、マネタリーベースおよび当座預金残高を縮小する必要がある。

かりに 90年代前半の水準に回帰するとすれば、大幅なマネタリーベースの縮小がされなけ

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ればいけない。

以上の考察から、量的緩和政策でのこれまでのマネタリーベースの動きは、経路 A ない

し B に近いものであり、このことが出口戦略を描くときの大きな障害となることが懸念さ

れる。

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5.「デフレの罠」の可能性とその対応策

ここまではわが国で自然利子率が一時的に負である状態にあることを前提として議論し

てきたが、本当に現状で自然利子率は負なのか、についても検討の余地があるように思わ

れる10。Eggertsson and Woodford (2003)では、自然利子率が一時的に負になり、再び正に

回復する時期が確率的であるショックのもとでのゼロ金利の継続効果をシミュレーション

によって示している。このシミュレーションでは、自然利子率が負の時期が長引くと、正

への回復確率が上昇するので、インフレに向かうことになる。彼らのシミュレーションで

はインフレに回帰するのはショックの発生から数四半期後であるが、わが国でこれをはる

かに超えてデフレが継続している。自然利子率の負となる時期を長く設定すれば、シミュ

レーションでデフレの継続を再現できることが予想されるが、そのようなものを「一時的」

と呼ぶことが適当であるか、またそのような長期にわたるが、いつかは回復する自然利子

率のショックとは具体的にどのようなものか、という点に疑問が生じる。

かりに自然利子率が負ではなく、現在も将来も正値であるもとで、ゼロ金利政策を継続

していると、ゼロ金利政策自体がデフレの原因となる理論的可能性があることが、Benhabib,

Schmitt-Grohe, and Uribe (2001)によって指摘されている。このような状態を「デフレの

罠」と呼んで、自然利子率が一時的に負となっている状態と区別することにする。Benhabib,

Scmitt-Grohe, and Uribe (2002)は、デフレの罠に陥らないためには、デフレの罠のもとで

非リカード的財政スタンスをとる必要があることを示している。このような政策について、

ここで簡単に触れておこう。より詳細な議論は、岩本(2004)を参照されたい。

デフレが継続する状態では政府の通時的予算制約式が満たされず、デフレが解消すれば

リカード的な財政スタンスをとる(財政規律が保たれる)政策は以下のようなものになる。

(9)式を公債の実質価値の変動を示すように変形すると、

ttt

tt sbib +

++

= −−

11

11

π (19)

となる。2節で紹介したWoodford (2003)のモデルが実質経済成長率をゼロとしているので、

bの動きは公債の対 GDP比とほぼ同等のものと考えることができる。ここでは便宜上その

仮定を維持するが、以下の議論を経済成長がある場合に拡張することは容易である。

実質金利が変化しなければ、(19)式右辺にある bの係数は変化しない。したがって、プラ

イマリー収支をインフレ率にかかわらず一定に保つと、インフレ率にかかわらずリカード

的となっているか、非リカード的となっているかのどちらかになる。

10 わが国で自然利子率は負ではないという主張は、Nishimura and Saito (2003)に見られる。

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そこで、状況に応じてプライマリー収支を変化させて、インフレが生じる場合には公債

の対 GDP比を一定に保つ財政規律を維持するが、デフレの場合はこれを一定に保たない方

法が考えられる。現状では、財政当局は財政の持続可能性を維持することを表明している

が、デフレ時を例外とするという言明はないので、リカード的な財政スタンスとなってい

る可能性がある。

プライマリー収支のなかでインフレ率に反応するのは中央銀行の納付金であるので、納

付金の変動を他の収支項目を用いて完全に調整することをせずに、デフレのもとではプラ

イマリー収支が悪化するような財政スタンスをとるとすれば、非リカード的となる。岩本

(2004)では、現状のわが国で物価上昇率の4%ポイントの違いに対応するプライマリー収支

の変化を推計している。日銀納付金はおおむね、金利ゼロである負債に対応する資産の運

用収益に相当する。名目金利が4%になると、これに対応するマネタリーベースは 40~50

兆円程度と推測されるので、日銀納付金の増加は、約2兆円弱になる。したがって、当初

デフレの罠でリカード的財政スタンスにあったとすれば、4%ポイントの物価上昇率の増

加を起こすためには2兆円程度の減税をすればよく、それ以上の大規模な財政拡張を必要

とするものではない。

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6.結論

『改革と展望』以来、政府は 2010年代初頭に国と地方を合わせた政府のプライマリーバ

ランスの黒字化を目標とするとしている。集中調整期間は不良債権問題の解決などを優先

し、財政再建には高い優先順位を与えていない。集中調整期間中の国の一般会計では、支

出は横ばいから低下したが、税収の低下により、基礎的財政収支は改善していない。

集中調整期間は 2004年度で終わり、その後に基礎年金の国負担割合の引き上げと国から

地方への財源委譲がスケジュールにあがっており、これに応じて税制改革がおこなわれる

ことから財政再建に対する考え方をこの時期に整理しておく必要がある。本稿での理論的

整理をもとに、財政運営への政策的含意を整理し、本稿を閉じることにしたい。

(1) 流動性の罠のもとでの金融政策の運営は、金融緩和が必要とされても、時間軸効果を

通してしかおこなえないため、通常時よりも多くの困難をともなう。したがって、ゼロ金

利下での財政再建は、自然利子率の低下を引き起こさないことに配慮する必要がある。か

りにやみくもに各年度の支出削減を図っていった場合に、それが現在時点のみの支出削減

と認識されると、自然利子率の低下を招き、金融緩和を一層困難にする可能性がある11。逆

に、将来の支出が削減されるという信認が得られるならば、自然利子率の上昇要因となり、

金融緩和の効果をもつ。したがって、量的緩和政策が解除されるまでは、将来の支出の削

減像を明確に示すことに財政再建の重点を置き、将来の支出削減への信認が得られるよう

にすべきである。

(2) 財政再建開始時期は量的緩和政策解除後に設定するべきであろう。量的緩和政策の解

除時期が経済条件に依存することから、財政再建開始時期を最初に設定することはできな

い。財政政策の表明としては、「デフレが収束して、量的緩和政策が解除された後に構造的

財政収支の改善に取り組む」という形が考えられる。これは、デフレが継続するならば、

非リカード的財政スタンスにコミットすることになり、「デフレの罠」脱却のシナリオと整

合的である。

(3) 量的緩和政策の解除は、2003 年 10 月の「金融政策の透明性の強化について」で示さ

れた考え方に沿うことになるが、懸案事項が2つある。第1に、量的緩和政策のもとで拡

大した当座預金とマネタリーベースの縮小をいかに円滑におこなうかという問題である。

第2に、自然利子率が正でありながらデフレが起こる「デフレの罠」の状態に陥っていた

場合には、景気が回復してもデフレが継続する可能性があり、このとき量的緩和の解除を

とることができなくなる。この場合には、流動的の罠を前提とした現在のシナリオを転換

11 デフレの罠の状態では、自然利子率の定常値の低下はデフレの緩和につながるが、ここで発生するのは自然利子率の一時的な低下であり、対応する名目金利の引き下げがなければ、所得の低下をもたらす。

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する必要がある12。

12 どのようにすべきかについてのより詳細な議論は、岩本(2004)を参照。

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