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このほど、海洋ではウイルスに似た奇妙 な粒子を通じて異なる細菌種の間で遺伝 子のやり取りが行われており、遺伝子は 思いのほか簡単に細菌の間を飛び回るこ とができるという論文が発表された 1 GTA(gene transfer agent) と よ ば れ るこの粒子は、DNA を細菌のゲノムに 挿入する頻度が極めて高く、これまでの 想定の 1000 ~ 1 億倍も遺伝子の伝播が 起こっていると考えられる。このことは、 GTA が進化過程で強力な役割を果たし てきたことを示唆している。 「細菌の世界では多くの遺伝子がやり 取りされていることが知られています が、明確なメカニズムはわかっていませ んでした」と、南フロリダ大学海洋科学 部(米国セントピーターズバーグ)の海 洋微生物学者であり、論文著者の John Paul は語る。 タンパク質の外被をもつ GTA は、細 菌のゲノムに存在しており、細胞外に 出るとき宿主遺伝子の一部を持ち出す。 GTA は 30 年前から知られていたが、ずっ と、散発的な研究の曖 あいまい 昧な対象であった。 Paul らは、抗生物質カナマイシンの 耐性遺伝子を内包する GTA を作製した。 カナマイシンで処理すれば、耐性遺伝子 を取り込んだ細菌が検出できるからだ。 そして、さまざまな沿岸環境から採取し た海水を入れた袋にその GTA を封入し、 海に浮かべて可能なかぎり自然の条件を 再現した。一晩そのままにすると、袋の 中で生きてる細菌の最高 47 パーセント が GTA とその内部の遺伝子をゲノムに 取り込んでおり、GTA が多種多様な海 洋細菌に入り込むことがわかった。「節 操のないやつらですよ」と Paul はいう。 海の変わり者 米国立衛生研究所(メリーランド州ベ セスダ)の進化生物学者である Eugene Koonin は、「GTA はとても変わってい ます。遺伝子を移動させる以外に機能 をもっていないようなのです」と話す。 Koonin らは、昨年、海洋ウイルスのゲ ノム分析結果を検討し、GTA が海洋で の遺伝子の伝播に大きく寄与していると 推測した 2 細菌が変動する環境に短時間で適応し たり抗生物質耐性を迅速に獲得したりす Amy Maxmen 2010 9 30 日 オンライン掲載 www.nature.com/news/2010/100930/full/news.2010.507.html Virus-like particles speed bacterial evolution ウイルス様粒子が細菌の進化を加速 る仕組みは、遺伝子が親から子に受け継 がれるのではなく生物どうしの間でやり 取りされる「水平伝播」により説明でき る。ある細菌のもつ有益な遺伝子が集団 内のほかの細菌に広がり、それをもつ細 胞の生存率が高まることによって、その 遺伝子の普遍性が高まるのだ。遺伝子の 水平伝播は、細胞どうしの直接的な接触 や、プラスミド、細菌のウイルスなどに よって行われる。しかし、ウイルスの場 合、粒子放出時に宿主が破壊されること が多い。GTA はウイルスに似ているが、 宿主には害を及ぼさないばかりか、系統 的に無関係の細菌の間で効率的に遺伝子 のやり取りを行わせているとみられる。 研究チームは、GTA が内包していた カナマイシン耐性遺伝子にそっくりのコ ピーを、細菌ゲノムに発見した。このこ とから、遺伝子の水平伝播が GTA 以外 の手段で起こったとはとても考えにく い。論文の共同執筆者で同じく南フロ リダ大学海洋科学部に所属する Lauren McDaniel は、「ドナー株に導入したの と全く同じ遺伝子を、別種の海洋細菌が もっていたことは、本当に驚きでした」 と話す。今回は海洋細菌の研究成果であ るが、臨床で問題になっている抗生物質 耐性の伝播に GTA が加担していないと は言い切れない、と Paul は語る。 一方、エール大学(米国コネティカッ ト州ニューヘイヴン)の進化生物学者で ある Jeffrey Townsend によれば、今回 の研究は、遺伝子解析による推定ではな く、自然界で遺伝子伝播の頻度を測定し た点で、際立っているという。「細菌が 示す抗生物質耐性や病原性、はたまた有 用性を解き明かすためには、こうした形 質が遺伝子の水平伝播でどうやって進化 しているのかを解明することが必要であ り、そのプロセスを知ることは、微生物 に満ちた世界で人類が生きていくのに役 立つのです」と Townsend は話す。 (翻訳:小林盛方) 1. McDaniel, L. D. et al. Science 330, 50 (2010). 2. Kristensen, D. M., Mushegian, A. R., Dolja, V. V. & Koonin, E. V. Trends Microbiol. 18, 11-19 (2010). © EYE OF SCIENCE/SPL/PPS 遺伝情報が海洋の細菌の間でやり取りされていることは、 これまでほとんど見過ごされてきた。 遺伝子は、GTA を利用してこれまでの想定 をはるかに上回る速さで海洋細菌の間を行 き来している。 6 Vol. 7 | No. 12 | December 2010 ©2010 NPG Nature Asia-Pacific. All rights reserved

ウイルス様粒子が細菌の進化を加速...このほど、海洋ではウイルスに似た奇妙 な粒子を通じて異なる細菌種の間で遺伝 子のやり取りが行われており、遺伝子は

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Page 1: ウイルス様粒子が細菌の進化を加速...このほど、海洋ではウイルスに似た奇妙 な粒子を通じて異なる細菌種の間で遺伝 子のやり取りが行われており、遺伝子は

このほど、海洋ではウイルスに似た奇妙な粒子を通じて異なる細菌種の間で遺伝子のやり取りが行われており、遺伝子は思いのほか簡単に細菌の間を飛び回ることができるという論文が発表された 1。GTA(gene transfer agent)とよばれるこの粒子は、DNA を細菌のゲノムに挿入する頻度が極めて高く、これまでの想定の 1000 ~ 1 億倍も遺伝子の伝播が起こっていると考えられる。このことは、GTA が進化過程で強力な役割を果たしてきたことを示唆している。「細菌の世界では多くの遺伝子がやり

取りされていることが知られていますが、明確なメカニズムはわかっていませんでした」と、南フロリダ大学海洋科学部(米国セントピーターズバーグ)の海洋微生物学者であり、論文著者の John Paul は語る。

タンパク質の外被をもつ GTA は、細菌のゲノムに存在しており、細胞外に出るとき宿主遺伝子の一部を持ち出す。GTAは30年前から知られていたが、ずっと、散発的な研究の曖

あいまい

昧な対象であった。Paul らは、抗生物質カナマイシンの

耐性遺伝子を内包する GTA を作製した。カナマイシンで処理すれば、耐性遺伝子を取り込んだ細菌が検出できるからだ。そして、さまざまな沿岸環境から採取した海水を入れた袋にその GTA を封入し、海に浮かべて可能なかぎり自然の条件を再現した。一晩そのままにすると、袋の中で生きてる細菌の最高 47 パーセントが GTA とその内部の遺伝子をゲノムに

取り込んでおり、GTA が多種多様な海洋細菌に入り込むことがわかった。「節操のないやつらですよ」と Paul はいう。

海の変わり者米国立衛生研究所(メリーランド州ベセスダ)の進化生物学者である Eugene Koonin は、「GTA はとても変わっています。遺伝子を移動させる以外に機能をもっていないようなのです」と話す。Koonin らは、昨年、海洋ウイルスのゲノム分析結果を検討し、GTA が海洋での遺伝子の伝播に大きく寄与していると推測した 2。

細菌が変動する環境に短時間で適応したり抗生物質耐性を迅速に獲得したりす

Amy Maxmen 2010年 9月 30日 オンライン掲載www.nature.com/news/2010/100930/full/news.2010.507.html

Virus-like particles speed bacterial evolution

ウイルス様粒子が細菌の進化を加速る仕組みは、遺伝子が親から子に受け継がれるのではなく生物どうしの間でやり取りされる「水平伝播」により説明できる。ある細菌のもつ有益な遺伝子が集団内のほかの細菌に広がり、それをもつ細胞の生存率が高まることによって、その遺伝子の普遍性が高まるのだ。遺伝子の水平伝播は、細胞どうしの直接的な接触や、プラスミド、細菌のウイルスなどによって行われる。しかし、ウイルスの場合、粒子放出時に宿主が破壊されることが多い。GTA はウイルスに似ているが、宿主には害を及ぼさないばかりか、系統的に無関係の細菌の間で効率的に遺伝子のやり取りを行わせているとみられる。

研究チームは、GTA が内包していたカナマイシン耐性遺伝子にそっくりのコピーを、細菌ゲノムに発見した。このことから、遺伝子の水平伝播が GTA 以外の手段で起こったとはとても考えにくい。論文の共同執筆者で同じく南フロリダ大学海洋科学部に所属する Lauren McDaniel は、「ドナー株に導入したのと全く同じ遺伝子を、別種の海洋細菌がもっていたことは、本当に驚きでした」と話す。今回は海洋細菌の研究成果であるが、臨床で問題になっている抗生物質耐性の伝播に GTA が加担していないとは言い切れない、と Paul は語る。

一方、エール大学(米国コネティカット州ニューヘイヴン)の進化生物学者である Jeffrey Townsend によれば、今回の研究は、遺伝子解析による推定ではなく、自然界で遺伝子伝播の頻度を測定した点で、際立っているという。「細菌が示す抗生物質耐性や病原性、はたまた有用性を解き明かすためには、こうした形質が遺伝子の水平伝播でどうやって進化しているのかを解明することが必要であり、そのプロセスを知ることは、微生物に満ちた世界で人類が生きていくのに役立つのです」と Townsend は話す。 ■� (翻訳:小林盛方)

1.McDaniel,L.D.et al. Science330,50(2010).2.Kristensen,D.M.,Mushegian,A.R.,Dolja,V.V.&Koonin,E.

V.Trends Microbiol.18,11-19(2010).

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これまでほとんど見過ごされてきた。

遺伝子は、GTA を利用してこれまでの想定をはるかに上回る速さで海洋細菌の間を行き来している。

6 Vol. 7 | No. 12 | December 2010 ©2010 NPG Nature Asia-Pacific. All rights reserved