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ケニア人長距離選手の生理学的・バイオメカニクス的特徴の究明 ~日本人長距離選手の強化方策を探る~ 榎本靖士 要約・・・・・・・・・・・1 緒言・・・・・・・・・・・2 方法・・・・・・・・・・・3 結果・・・・・・・・・・・6 考察・・・・・・・・・・・17 摘要・・・・・・・・・・・21

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ケニア人長距離選手の生理学的・バイオメカニクス的特徴の究明

~日本人長距離選手の強化方策を探る~

榎本靖士

目 次

要約・・・・・・・・・・・1

緒言・・・・・・・・・・・2

方法・・・・・・・・・・・3

結果・・・・・・・・・・・6

考察・・・・・・・・・・・17

摘要・・・・・・・・・・・21

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ケニア人長距離選手の生理学的・バイオメカニクス的特徴の究明

~日本人長距離選手の強化方策を探る~

榎本靖士(京都教育大学)

岡崎和伸(大阪市立大学)

岡田英孝(電気通信大学)

渋谷俊浩(びわこ成蹊スポーツ大学)

杉田正明(三重大学)

高橋英幸(国立スポーツ科学センター)

高松潤二(国立スポーツ科学センター)

前川剛輝(国立スポーツ科学センター)

森丘保典(日本体育協会スポーツ科学研究室)

横澤俊治(国立スポーツ科学センター)

要約

本研究の目的は,ケニア人長距離選手の生理学的およびバイオメカニクス的特徴を日本人選手と比較

して明らかにし,日本人選手に適した持久力および走動作の改善点および改善法を検討し,日本人長距

離選手の強化に役立つ示唆を得ようとするものである.

ケニア人および日本人一流選手を被験者とし,血液,体格,筋横断面積,トレッドミルテストにおける生理

学的変量,走動作のバイオメカニクス的変量を計測した.血液では,全血液量を推定し,体格では三次元

人体形状計測装置を用いて人体の体積を計測し,その後 CAD ソフトを用いて質量,質量中心位置,慣性

モーメントを算出した.MRI は下腿,大腿,体幹における横断画像を撮影し,断面積を算出した.トレッドミ

ルテストは,320m/minから 20m/minごとに増大させ,1セット 4分間走を 1分間の休息と血中乳酸濃度

の測定を 4 セットくり返した.走動作は直線走路においてモーションキャプチャと地面反力計を用いて計測

した.

その結果,ケニア人選手の血液は,赤血球が小さく,ヘモグロビン量がやや多く,粘性は小さい傾向にあ

った.全血液量はケニア人選手と日本人選手に関係なく,酸素摂取能力と強い関係がみられた.ケニア人

選手は,日本人選手との間に LT において差は見られず,ランニングエコノミーが高いことがわかった.筋

の横断面積は,ケニア人選手は大腰筋が大きく,日本人選手は内転筋が大きかった.そのほか,ケニア人

選手は下腿が細長く,アキレス腱が長いことが明らかとなった.走動作は,キック脚のスウィングは,下腿が

すばやく,かつ大きく前傾し,支持期を通して大腿のスウィングスピードが大きい.そして,離地後,いった

ん後方へ送らせて,股関節屈曲トルクがタイミングよく,大きく発揮されることで効果的に大腿の前方スウィ

ング動作を行なえると考えられた.

ケニア人選手は,大腿の大きく,かつ速いスウィング動作により大腰筋に代表される股関節屈曲筋群が発

達しており,これは生まれつきというよりはむしろ走速度の高い,かつ起伏の激しいところを走っていること

で他の生理学的特徴とともに発達し,トレーニングの効果として表れているものと考えられる.下腿が長いこ

とは,単純に日本人選手に期待することは難しいが,これらの下腿とランニングエコノミーとの関係にあるメ

カニズムを究明することで,日本人選手にも適したトレーニング課題と方法を見出し,トレーニング効果を高

めることにつながると考えられる.現時点では,脚のスウィング動作を大きくし,できるだけ速い走速度で走

るトレーニングトレーニング強度を高める工夫をすることがケニア人選手との差を生んでいると考えられる

代表者所属:京都教育大学 京都市伏見区深草藤森町1

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Ⅰ.緒言

近年,日本人男子長距離選手の国際大会での不振が続いている.特にトラック種目(5000m,10000m)

ではここ 10 年間で世界記録は著しく向上しているのに対し,日本記録はほとんど向上しておらず,差が広

がる一方である(図 1).また,オリンピックや世界選手権での長距離レースでは,前半から外国人選手につ

いていけないことが多く,日本人長距離選手のスピード不足が指摘されている(榎本,2006).さらに,長距

離走のスピード化はマラソンにまで進んできており,近いうちにマラソンでもスピード化の問題に直面するこ

とになろう.

ケニア人選手は優れた持久力ばかりでなく,無駄なく効率的に高いスピードを獲得できる走動作を身に

つけていると考えられる.Saltin ら(1995)は,ケニア人選手が遺伝的および環境的要因により優れた持久

力が養われていること,そして体型的な特徴から特有の走動作を身につけ,それが長距離走に適している

ことなどを示唆している.これらのケニア人選手の特徴をそのまま日本人選手に当てはめ,トレーニング課

題を検討することは日本人選手の特徴を無視したもので無理があると考えられるが,ケニア人選手の特徴

を日本人選手と比較して明らかにし,それらのメカニズムを検討することで日本人選手に適した持久力およ

び走動作の改善点および改善法に関する示唆を得ることができ,日本人選手の強化方策に役立つ情報を

提供することができるであろう.

Enomoto ら(2005)は,ケニア人長距離選手のレース中の走動作を日本人選手と比較し,離地後下肢が

後方へスウィングされるときに大きく股関節屈筋群が働き,下肢が大きく引き上げられつつ前方へすばやく

引き出されていることなどを明らかにした.しかし,下肢の形態的な特徴は考慮されておらず,筋の機能的

特徴なども含めてケニア人選手の走動作のバイオメカニクス的特徴を検討する必要があろう.また,生理学

的特徴についてもケニア人の最大酸素摂取量についていくつか報告があるものの,乳酸性作業閾値,代

謝特性,末梢循環,さら

には血液の特性など総

合的に評価したものは

ないようである.

本研究は,ケニア人長

距離選手の生理学的お

よびバイオメカニクス的

特徴を日本人選手と比

較して明らかにし,日本

人選手に適した持久力

および走動作の改善点

および改善法を検討し,

日本人長距離選手の強

化に役立つ示唆を得よ

うとするものである.

26

27

28

29

30

31

32

33

34

35

1910 1930 1950 1970 1990 2010 (年)

10000m

記録

(分)

図1 男子10000m世界および日本記録の変遷(1920年~2005年)

世界記録

日本記録

高岡寿成(2001)27分35秒09

ケネニサ・ベケレ(2005)26分17秒53

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Ⅱ.方法

1. 被験者

表 1 は,被験者の特性を示したものである. 測定項目によっては,選手のコンディションなどにより測定

できなかったものもあった.

2.測定項目および方法

1)血液性状および血液量

上腕部の採血より以下の測定項目を分析した.赤血球数:1マイクロリットルの血液に含まれる赤血球の

個数.ヘマトクリット:血液全体に占める赤血球の容量の割合.ヘモグロビン濃度:100 ミリリットルの血液に

含まれるヘモグロビン(血色素)の量.平均赤血球容積:赤血球1個の平均的な大きさ.平均赤血球ヘモグ

ロビン量:赤血球1個に含まれる平均的なヘモグロビンの量.平均赤血球ヘモグロビン濃度:赤血球1個に

含まれる平均的なヘモグロビンの濃度.血液粘性(低ずり速度時):血液のサラサラ度の指標.数値が高い

ほど血液が流れにくい.血液粘性(高ずり速度時):赤血球の変形能の指標.数値が高いほど赤血球が変

形しにくい.

血液量は,被験者に一酸化炭素を吸引させ,指先より血液を採取し,ヘモグロビンの一酸化炭素の吸着

率を測定することにより,全身のヘモグロビン量を,そしてヘモグロビン量とヘモグロビン濃度から全身の血

液量を推定した.

2)体格

光学式三次元人体形状計測装置(3D スポーツ人体計測装置 C8300,浜松ホトニクス社製)を用いて,

高さ2.5 mm間隔で立位姿勢における身体表面上の点群の三次元位置座標を取得した.計測した点群デ

ータを三次元 CAD ソフト(SolidWorks 2008,ソリッドワークス社製)に読み込み,点群により構成される身

体形状をソリッド化して,人体モデルを作成した.

表1 被験者の特性

年齢 [yr] 身長 [cm] 体重 [kg]

平均 22.1 170.3 55.8

標準偏差 0.9 5.6 4.2

範囲 20.6~23.5 161.7~180.2 45.5~61.8

平均 20.3 171.5 56.9

標準偏差 2.8 3.6 5.1

範囲 17.5~24.3 165.1~175.8 52.2~66.3

日本人選手

(n=14)

ケニア人選手

(n=6)

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これらのデータに屍体標本から得られた身体部分の密度を乗じて質量,質量中心位置,3つの慣性主軸

(x 軸:左右軸,y 軸:前後軸,z 軸:上下軸)まわりの主慣性モーメントを算出した.さらに,質量比(身体部

分質量の身体質量に対する比),質量中心比(上端点から質量中心位置までの距離の部分長に対する

比),回転半径比(慣性モーメントを部分質量で除して 1/2乗した値(回転半径)の部分長に対する比)を算

出した.

写真1 3D スポーツ人体計測装置による計測の様子

3)筋の形態

大腿部,下腿部,体幹部の MRI 画像を撮影し,得られた画像から,各部位を構成する,筋,骨,皮下脂

肪等の横断面積を測定した.さらに,下腿部の画像からヒラメ筋腱(アキレス腱)および腓腹筋腱を同定し,

それらの長さを測定した.

4)トレッドミルテスト

ケニア人選手と日本人選手の酸素摂取および血中乳酸値の特性を比較するため 300m/min(日本人選

手)または 320m/min(ケニア人選手)を初速度とし,20m/min ずつ漸増負荷する 4 分間×4〜5 セットの

間欠的走行テストを行なった.図 2は,トレッドミルテストのプロトコールを示したものである.

採血

320 340 360 380 m/min

4分 1分

図2 トレッドミルテストのプロトコール

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5)走動作

モーションキャプチャ(VICON)を用いてレーススピード(6.2m/s)での走動作を計測した.6.0m/s前後の

走速度(10000m レースペース)で実験的に走らせ,三次元動作解析システム(VICON612;Oxford

Metrics社製)により 250Hzで撮影し,身体分析点の三次元座標を得,走路に埋設した 6台のフォースプ

ラットフォーム(9287A;Kistler 社製)により地面反力を計測した(写真 2).反射マーカ位置をもとに構築し

た身体の三次元座標および地面反力データから,下肢のキネマティクスおよび下肢関節トルク,パワーな

どを算出した.

写真 2 走動作の計測の様子

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Ⅲ.結果

1.血液成分および血液量

図 3は,ケニア人選手と日本人選手の血液成分および血液粘性を比較したものである.酸素を肺から筋

肉に運ぶ働きを担っている赤血球とヘモグロビンの濃度には,群間で差はみられなかった(①~③).また,

これらの値は全ての選手で基準値の範囲内で,血液が薄すぎる「貧血」や,逆に濃すぎる「多血」の選手は

一人もいなかった.つまり,血液の濃さは,日本人選手とケニア人選手で差はなかった.

図3 日本人選手(13人)とケニア人選手(6人)の血液成分値(①~⑥)および血液粘性(⑦~⑧)の比較

30.5

31.0

31.5

32.0

32.5

33.0

33.5

平均

赤血

球ヘ

モグ

ロビ

ン濃

度(

g/d

l )

26

27

28

29

30

31

32

33

平均

赤血

球ヘ

モグ

ロビ

ン量

(pg

86

88

90

92

94

96

98

100

平均

赤血

球容

積(μ

m3)

14.0

14.5

15.0

15.5

16.0

16.5

17.0

17.5

ヘモ

グロ

ビン

濃度

(g

/dl )

440

460

480

500

520

540

560

580

赤血

球数

(万

/ μl )

42

44

46

48

50

52

54

ヘマ

トク

リッ

ト(%

)① ② ③

④ ⑤ ⑥

3.4

3.6

3.8

4.0

4.2

4.4

3.8

4.0

4.2

4.4

4.6

4.8

5.0

5.2

5.4

5.6

血液

粘性

(m

Pa

·s)

血液

粘性

(m

Pa

·s)

低ずり速度時 高ずり速度時

日本人選手、個人値平均値±標準偏差

ケニア人選手、個人値平均値±標準偏差

図4 日本人選手(12人)とケニア人選手(5人)の血液量(①)、ヘモグロビン量(②)、および血漿量(③)の比較

50

55

60

65

70

75

80

血漿

量(m

l/kg)

13

14

15

16

17

18

19

20

21

ヘモ

グロ

ビン

量(g

/kg)

90

100

110

120

130

140

血液

量(m

l/kg)

日本人選手、個人値平均値±標準偏差

ケニア人選手、個人値平均値±標準偏差

① ② ③

解析から除外( )

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一方,④~⑥に示すように,赤血球1個の大きさや中に含まれるヘモグロビンの量は,日本人選手に比

べてケニア人選手が低い傾向にあった.また,⑦~⑧に示すように,血液粘性は日本人選手に比べてケニ

ア人選手が低い傾向にあった.つまり,日本人選手に比べてケニア人選手の血液は,赤血球が小さく,粘

性が低いことを示していると考えられる.ケニア人選手の赤血球が小さいのは,遺伝的特徴と考えられるが,

ケニア人選手の血液粘性は一般人平均的値の範囲内であるので,高いパフォーマンスを説明する要因で

はないと考えられる.一方,数名の日本人選手の血液粘性は一般人よりやや高い傾向にあった.

図 4 は,血液量,ヘモグロビン量,および血漿量を示したものである.血液量,ヘモグロビン量,および

血漿量には,ケニア人選手と日本人選手の間に差はみられなかった.

図 5 は,血液量と最大酸素摂取量との関係を示したものである.血液量と最大酸素摂取量は有意な正

の相関関係がみられた.この関係は日本人選手とケニア人選手別でみても同様の傾向であった.つまり,

血液の酸素運搬能力と酸素利用能力には,日本人選手とケニア人選手で差がないことを示していると考え

られる.

2.体格

表 2は,日本人選手とケニア人選手の身体部分慣性係数を絶対値で示したものであり,表 3は相対値で

示したものである.図 6は,日本人選手を基準にしたケニア人選手の割合を示したものである.

質量は,頭部では日本人選手の方が有意に大きく,上肢の身体部分ではケニア人選手の方が有意に大

きかった.一方,下肢の身体部分には有意な差がみられなかった.相対差をみてみると,日本人選手に比

べてケニア人選手の頭部は 8 %ほど小さく,上肢の身体部分では 15~30 %ほど大きかった.質量比は,

上肢の身体部分に加えて大腿および足もケニア人選手の方が有意に大きい結果となった.しかし,下腿に

は有意な差はみられなかった.相対差をみても,質量と同様の傾向がみられた.

左右軸および前後軸まわりの慣性モーメントは,頭部のみ日本人選手のほうが有意に大きく,四肢の身

図5 日本人選手(6人)とケニア人選手(4人)の最大酸素摂

取量(VO2max)と血液量の関係

60

65

70

75

80

85

90

95

VO

2m

ax

(ml/

kg

/min

)

90 95 100 105 110 115 120 125 130 135

血液量 (ml/kg)

R = 0.92, P < 0.001

Y = 0.82X –20.2

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体部分のほぼ全ての部分で,ケニア人選手の方が有意に大きかった.上下軸まわりの慣性モーメントは,

左右の前腕,手および足でケニア人選手の方が有意に大きかった.相対差をみてみると,左右軸および前

後軸まわりの慣性モーメントは上肢の身体部分で 40~60 %ほどケニア人選手の方が大きかった.同様に

下肢の身体部分でも,10~30 %ほどケニア人選手の方が大きかった.しかし,回転半径比(質量と部分長

を考慮した場合の慣性モーメントの相対値と考えられる)をみると,左右軸および前後軸まわりで有意差が

みられるのは下腿と足のみで,慣性モーメントでは有意差のみられた上肢については,回転半径比では有

意な差はみられなかった.相対差をみても,左右軸および前後軸まわりの回転半径比では,ほとんどの部

分で 2 %未満であったため,大きな差はみられなかったといえるであろう.

表2 日本人選手とケニア人選手の身体部分慣性係数の比較(絶対値)

頭 * 5.28 + * 14.9 + * 331 + † 298 + 180 4.88 14.0 279 240 164( 0.33 ) ( 0.7 ) ( 43 ) ( 38 ) ( 16 ) ( 0.26 ) ( 0.7 ) ( 26 ) ( 21 ) ( 16 )

胴体 24.3 * 49.5 + 8080 8820 2120 23.3 47.2 7260 7920 2130( 1.8 ) ( 1.7 ) ( 990 ) ( 1060 ) ( 270 ) ( 2.2 ) ( 1.4 ) ( 1370 ) ( 1550 ) ( 410 )

右上腕 * 1.33 - † 25.3 - † 90.0 - † 87.8 - 11.4 1.52 28.1 125 122 13.3( 0.15 ) ( 1.1 ) ( 15.1 ) ( 14.7 ) ( 2.3 ) ( 0.22 ) ( 1.0 ) ( 19 ) ( 18 ) ( 3.9 )

右前腕 † 0.767 - † 23.8 - * 34.5 - * 35.0 - † 4.09 - 0.926 26.2 51.1 51.5 5.34( 0.079 ) ( 0.8 ) ( 4.3 ) ( 4.4 ) ( 0.65 ) ( 0.127 ) ( 1.4 ) ( 10.5 ) ( 10.7 ) ( 1.22 )

右手 † 0.377 - † 8.48 - † 8.23 - † 7.08 - † 2.00 - 0.488 9.47 12.7 11.1 2.77( 0.063 ) ( 0.59 ) ( 1.92 ) ( 1.6 ) ( 0.44 ) ( 0.064 ) ( 0.50 ) ( 2.5 ) ( 2.3 ) ( 0.52 )

右大腿 7.21 * 40.0 - * 1090 - * 1050 - 219 7.81 42.5 1310 1270 236( 0.64 ) ( 2.0 ) ( 180 ) ( 180 ) ( 29 ) ( 0.92 ) ( 2.2 ) ( 220 ) ( 210 ) ( 57 )

右下腿 2.69 † 38.2 - † 296 - † 292 - 34.0 2.70 42.5 381 377 30.0( 0.33 ) ( 1.8 ) ( 55 ) ( 54 ) ( 7.4 ) ( 0.22 ) ( 0.91 ) ( 36 ) ( 35 ) ( 4.8 )

右足 0.842 † 24.4 - † 30.0 - 6.29 † 31.8 - 0.933 25.6 37.7 6.78 39.7( 0.098 ) ( 0.8 ) ( 5.0 ) ( 1.22 ) ( 5.3 ) ( 0.081 ) ( 0.88 ) ( 4.8 ) ( 1.04 ) ( 5.2 )

上胴 15.1 31.1 1860 2520 1370 14.4 30.2 1710 2310 1330( 1.6 ) ( 1.6 ) ( 290 ) ( 370 ) ( 210 ) ( 1.5 ) ( 0.9 ) ( 270 ) ( 380 ) ( 240 )

下胴 9.19 19.1 707 817 606 8.86 18.0 676 728 575( 0.97 ) ( 1.3 ) ( 134 ) ( 130 ) ( 83 ) ( 1.10 ) ( 1.4 ) ( 128 ) ( 188 ) ( 121 )

左上腕 * 1.25 - † 25.2 - † 82.5 - † 81.0 - 10.1 1.46 27.8 114 112 12.4( 0.15 ) ( 1.7 ) ( 19.0 ) ( 18.9 ) ( 1.8 ) ( 0.23 ) ( 1.3 ) ( 22 ) ( 22 ) ( 3.8 )

左前腕 † 0.777 - † 23.5 - † 35.1 - † 35.5 - † 4.22 - 0.969 26.8 56.5 56.7 5.68( 0.087 ) ( 0.7 ) ( 4.8 ) ( 4.9 ) ( 0.75 ) ( 0.126 ) ( 1.1 ) ( 9.9 ) ( 10.1 ) ( 1.30 )

左手 † 0.397 - 8.68 † 8.93 - † 7.64 - † 2.19 - 0.512 9.20 13.2 11.4 3.11( 0.068 ) ( 0.73 ) ( 2.09 ) ( 1.81 ) ( 0.50 ) ( 0.085 ) ( 0.60 ) ( 3.3 ) ( 3.0 ) ( 0.68 )

左大腿 7.07 † 39.8 - * 1050 - † 1020 - 213 7.74 42.4 1300 1250 233( 0.63 ) ( 1.8 ) ( 160 ) ( 160 ) ( 28 ) ( 0.82 ) ( 1.8 ) ( 190 ) ( 190 ) ( 48 )

左下腿 2.72 † 38.6 - * 312 - * 308 - 34.6 2.74 42.1 386 381 31.4( 0.33 ) ( 2.0 ) ( 58 ) ( 57 ) ( 7.0 ) ( 0.22 ) ( 1.3 ) ( 45 ) ( 45 ) ( 4.7 )

左足 * 0.798 - † 24.3 - † 27.7 - 5.71 † 29.7 - 0.921 25.8 36.4 6.70 38.5( 0.096 ) ( 0.8 ) ( 4.8 ) ( 1.19 ) ( 5.0 ) ( 0.063 ) ( 0.8 ) ( 3.9 ) ( 0.76 ) ( 4.4 )

1) *,†印は群間の有意差を示す(* p<0.05, † p<0.01, + 日本人>ケニア人, - 日本人<ケニア人 ).

2) カッコ内の数値は標準偏差を示す.

Iy Iz慣性モーメント [kg・cm2]

ケニア人選手 (n=6)部分

質量 [kg]部分長[cm] Ix

日本人選手 (n=14)

慣性モーメント [kg・cm2]質量 [kg]部分長[cm] Ix Iy Iz

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表 3 日本人選手とケニア人選手の身体部分慣性係数の比較(相対値)

頭 † 9.50 + 85.3 53.0 50.3 * 39.2 - 8.62 86.2 54.1 50.2 41.5( 0.49 ) ( 3.6 ) ( 2.3 ) ( 2.2 ) ( 1.6 ) ( 0.68 ) ( 4.5 ) ( 2.4 ) ( 2.4 ) ( 1.9 )

胴体 † 43.5 + 47.1 36.8 38.5 * 18.8 - 40.9 47.1 37.2 38.9 20.2( 1.5 ) ( 1.5 ) ( 1.2 ) ( 1.3 ) ( 0.8 ) ( 1.5 ) ( 1.3 ) ( 1.2 ) ( 1.3 ) ( 1.3 )

右上腕 † 2.38 - † 40.7 - 32.5 32.1 † 11.5 + 2.66 42.7 32.3 32.0 10.5( 0.19 ) ( 1.3 ) ( 0.4 ) ( 0.5 ) ( 0.5 ) ( 0.17 ) ( 1.0 ) ( 0.6 ) ( 0.5 ) ( 0.8 )

右前腕 † 1.38 - † 41.6 + 28.1 28.3 * 9.67 + 1.63 40.5 28.2 28.3 9.12( 0.10 ) ( 0.5 ) ( 0.3 ) ( 0.3 ) ( 0.40 ) ( 0.15 ) ( 0.7 ) ( 0.3 ) ( 0.3 ) ( 0.70 )

右手 † 0.674 - 81.5 55.0 51.0 27.1 0.859 82.1 53.7 50.2 25.2( 0.091 ) ( 3.4 ) ( 2.4 ) ( 2.2 ) ( 1.9 ) ( 0.087 ) ( 2.5 ) ( 2.8 ) ( 2.4 ) ( 1.9 )

右大腿 † 12.9 - 38.5 30.6 30.1 * 13.8 + 13.7 38.6 30.4 29.9 12.9( 0.3 ) ( 0.5 ) ( 0.5 ) ( 0.5 ) ( 0.6 ) ( 0.5 ) ( 0.4 ) ( 0.4 ) ( 0.2 ) ( 1.1 )

右下腿 4.81 41.1 † 27.3 - † 27.1 - † 9.26 + 4.74 40.5 28.0 27.8 7.83( 0.34 ) ( 0.7 ) ( 0.3 ) ( 0.3 ) ( 0.50 ) ( 0.16 ) ( 0.5 ) ( 0.5 ) ( 0.5 ) ( 0.41 )

右足 † 1.51 - † 57.0 - 24.4 † 11.2 + 25.1 1.64 56.0 24.8 10.5 25.4( 0.11 ) ( 0.6 ) ( 0.3 ) ( 0.4 ) ( 0.3 ) ( 0.06 ) ( 0.8 ) ( 0.4 ) ( 0.3 ) ( 0.3 )

上胴 27.0 39.9 35.7 41.6 30.6 25.4 41.3 36.0 41.9 31.7( 2.1 ) ( 1.2 ) ( 0.9 ) ( 1.4 ) ( 1.7 ) ( 1.9 ) ( 1.8 ) ( 1.0 ) ( 1.3 ) ( 1.5 )

下胴 16.5 64.3 45.9 49.5 42.7 15.6 64.2 48.5 49.9 44.9( 1.5 ) ( 3.9 ) ( 2.9 ) ( 2.9 ) ( 3.1 ) ( 1.0 ) ( 1.2 ) ( 3.2 ) ( 1.9 ) ( 6.1 )

左上腕 † 2.24 - * 43.4 - 32.1 31.8 * 11.3 + 2.56 44.8 31.8 31.5 10.4( 0.14 ) ( 1.3 ) ( 0.4 ) ( 0.4 ) ( 0.6 ) ( 0.20 ) ( 1.3 ) ( 0.6 ) ( 0.5 ) ( 1.0 )

左前腕 † 1.39 - † 41.9 + 28.5 28.7 † 9.86 + 1.70 41.0 28.4 28.5 9.00( 0.12 ) ( 0.5 ) ( 0.3 ) ( 0.3 ) ( 0.41 ) ( 0.14 ) ( 0.9 ) ( 0.2 ) ( 0.3 ) ( 0.64 )

左手 † 0.709 - 79.3 54.6 50.5 27.1 0.900 82.1 54.8 50.9 26.8( 0.096 ) ( 5.3 ) ( 3.8 ) ( 3.6 ) ( 2.4 ) ( 0.124 ) ( 3.8 ) ( 3.2 ) ( 2.8 ) ( 2.3 )

左大腿 † 12.7 - 38.6 30.6 30.1 * 13.8 + 13.6 38.8 30.4 30.0 12.9( 0.4 ) ( 0.5 ) ( 0.4 ) ( 0.4 ) ( 0.6 ) ( 0.4 ) ( 0.5 ) ( 0.2 ) ( 0.1 ) ( 0.9 )

左下腿 4.87 41.1 * 27.6 - * 27.4 - † 9.20 + 4.83 40.5 28.1 27.9 8.02( 0.36 ) ( 0.7 ) ( 0.3 ) ( 0.3 ) ( 0.49 ) ( 0.22 ) ( 0.5 ) ( 0.6 ) ( 0.6 ) ( 0.44 )

左足 † 1.43 - 57.0 24.1 * 10.9 + 25.0 1.62 56.9 24.3 10.4 25.0( 0.10 ) ( 0.8 ) ( 0.5 ) ( 0.4 ) ( 0.4 ) ( 0.03 ) ( 0.8 ) ( 0.3 ) ( 0.3 ) ( 0.2 )

1) *,†印は群間の有意差を示す(* p<0.05, † p<0.01, + 日本人>ケニア人, - 日本人<ケニア人 ).

2) カッコ内の数値は標準偏差を示す.

3) 質量比は身体質量に対する比,質量中心比は部分長に対する中枢端からの距離の比である.

4) 足,上胴,下胴の質量中心比は,それぞれ足先,胸骨上縁面中心,最下肋骨下縁間の中点からの距離の比である.

5) 回転半径比は回転半径の部分長に対する比であり,部分質量,部分長を考慮した場合の慣性モーメントの相対値に相当する.  

回転半径比 [%]質量比 [%]

質量中心比 [%] %kx %ky %kz %ky %kz

回転半径比 [%]ケニア人選手 (n=6)

部分質量比 [%]

質量中心比 [%] %kx

日本人選手 (n=14)

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図6 日本人選手を基準にしたときのケニア人選手の割合(絶対値)

質量

-30%

-15%

0%

15%

30%

45%

60%

頭 胴体 右上腕 右前腕 右手 右大腿 右下腿 右足 上胴 下胴

部分長

-30%

-15%

0%

15%

30%

45%

60%

頭 胴体 右上腕 右前腕 右手 右大腿 右下腿 右足 上胴 下胴

x軸まわりの慣性モーメント

-30%

-15%

0%

15%

30%

45%

60%

頭 胴体 右上腕 右前腕 右手 右大腿 右下腿 右足 上胴 下胴

y軸まわりの慣性モーメント

-30%

-15%

0%

15%

30%

45%

60%

頭 胴体 右上腕 右前腕 右手 右大腿 右下腿 右足 上胴 下胴

z軸まわりの慣性モーメント

-30%

-15%

0%

15%

30%

45%

60%

頭 胴体 右上腕 右前腕 右手 右大腿 右下腿 右足 上胴 下胴

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以上のことから,日本人選手とケニア人選手の慣性モーメントの相違は,身体部分の質量と部分長の相

違が大きく影響していると考えられる.すなわち,ケニア人選手では上肢の身体部分において,質量と部分

長のいずれもが日本人選手より大きいことが,これらの部分の慣性モーメントが大きいことが原因であると考

えられる.同様に下肢の身体部分で,ケニア人選手の方が日本人選手よりも左右軸および前後軸の慣性

モーメントが大きかったのは,質量には大きな差がみられなかったが,部分長が大きいためであるといえる.

下腿では,日本人選手は部分長,左右軸(x 軸)および前後軸(y 軸)まわりの慣性モーメントと回転半径比

がケニア人選手より有意に小さかった.予想に反して,左右軸まわり(下腿の引きつけ動作,振り出し動作,

振り戻し動作など,ランニングにおいては最も慣性の影響が大きいと考えられる軸まわり)の下腿の慣性モ

ーメントは日本人選手よりもケニア人選手で約 25%程度大きかった.これは部分長の影響が大きいと考え

られるが,質量と長さを考慮した相対値である回転半径比でみても xおよびy軸まわりではケニア人選手の

方が大きかった.一方,質量中心比と上下軸(z 軸)まわりの回転半径比は日本人選手の方が有意に大き

かった.下腿の質量中心比が大きいことは相対的に質量中心位置がより下方に位置していることを意味し

ている.これは日本人とケニア人の下腿三頭筋の形状の違いが反映されたものであると考えられる.すなわ

ち,日本人選手は筋腹(筋のふくらみ)がより下方から始まっており,ケニア人選手は腱が長く,筋腹がより

上方から始まっていることに起因していると考えられる.また,日本人選手の上下軸まわりの回転半径比が

大きいことは下腿が長さに比して太いことを意味している.このことは,日本人選手では下腿長がケニア人

よりも約 10%短いにもかかわらず,下腿の質量はわずかながらケニア人よりも大きいことからもいえる.

3.筋の形態

表 4 は,日本人選手とケニア人選手の大腿部の横断面積を示したものである.ケニア人選手は,日本人

選手よりも縫工筋や薄筋が大きかった.また,内転筋がケニア人選手の方が低値を示しており,これが主要

因となって筋面積の前後比がケニア人選手の方が大きくなっていた.

表 5 は,日本人選手とケニア人選手の下腿部の横断面積を示したものである.ケニア人選手は,日本人

選手よりも底屈筋群が小さかった.このため,全筋横断面積や全横断面積も,ケニア人選手の方がより低

値を示した.

表 6 は,日本人選手とケニア人選手のヒラメ筋腱および腓腹筋の長さを示したものである.ケニア人選手

は,日本人選手よりもヒラメ筋腱(アキレス腱)や腓腹筋腱が長かった.これは,下肢長に対する割合でみて

も同じ結果であり,ケニア人選手は下腿が長く,さらに下腿における筋が小さく,アキレス腱が長いことがわ

かった.

表 7は,日本人選手とケニア人選手の体幹部(ヤコビーライン)の横断面積を示したものである.ケニア人

選手は,日本人選手よりも大腰筋が大きかった.

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大腿四頭筋 68.5± 7.3 70.9± 8.0 42.6± 2.7 45.0± 2.3縫工筋 3.9 ± 0.9 5.7 ± 1.7 ** 2.4 ± 0.5 3.6 ± 0.7 **外側ハムストリング 13.6± 1.5 13.9± 1.8 8.4 ± 0.7 8.8 ± 0.6内側ハムストリング 18.5± 2.4 17.5± 2.3 11.5± 1.3 11.1± 0.8内転筋群 27.0± 3.1 22.2± 4.0 * 16.9± 1.8 13.9± 1.2 **薄筋 4.3 ± 0.8 5.2 ± 1.3 2.7 ± 0.4 3.3 ± 0.4 *

全筋横断面積 135.7± 10.9 135.5± 17.6 84.5± 2.4 85.6± 2.0皮下脂肪 16.2± 4.2 14.6± 6.0 10.1± 2.4 9.0 ± 2.5骨 6.1 ± 0.4 5.9 ± 0.6 3.8 ± 0.3 3.8 ± 0.7その他(血管、神経他) 2.5 ± 0.4 2.5 ± 0.7 1.6 ± 0.3 1.6 ± 0.5全横断面積 160.6± 12.2 158.4± 22.4周囲径(cm) 40.5± 1.5 40.2± 3.0

前面の筋/後面の筋比 1.08± 0.11 1.21± 0.07 *

部位名日本人選手 ケニア人選手

横断面積・絶対値 (cm2) 横断面積・相対値 (%)

相対地は,全横断面積に対する割合)

日本人選手 ケニア人選手

平均値±標準偏差、*P<0.05、**P<0.01、前面の筋:大腿四頭筋、後面の筋:ハムストリング+内転筋+薄筋

大腿四頭筋

その他(血管・神経等)

縫工筋外側ハムストリング内側ハムストリング内転筋薄筋

骨皮下脂肪

表4 日本人選手とケニア人選手の大腿部横断面積の比較

背屈筋群 10.7± 2.0 10.2± 1.2 11.6± 1.8 12.5± 0.9腓骨筋 4.6± 1.0 4.1± 1.1 5.0± 1.2 5.0± 1.2深部底屈筋群 7.1± 0.9 5.5± 1.2 ** 7.7± 1.0 6.8± 1.5下腿三頭筋 52.7± 8.2 44.5± 4.4 * 57.0± 2.7 54.7± 2.8

全筋横断面積 75.1± 9.7 64.3± 5.8 * 81.3± 1.6 78.9± 3.3 *皮下脂肪 7.7± 1.5 7.3± 2.0 8.4± 1.4 9.0± 2.3

8.3± 1.2 8.8± 0.8 9.0± 1.1 10.9± 1.3 **その他(血管、神経他) 1.2± 0.3 0.9± 0.3 1.4± 0.4 1.2± 0.4全横断面積 92.3± 11.3 81.4± 5.8 *

周囲径(cm) 31.0± 1.9 29.2± 1.2 *前面の筋/後面の筋比 0.17± 0.03 0.19± 0.01

横断面積・相対値(%)

日本人選手 ケニア人選手 日本人選手部位名

横断面積・絶対値(cm

ケニア人選手

平均値±標準偏差、*P<0.05、**P<0.01、背屈筋群:前脛骨筋+長指伸筋+長母指伸筋、深部底屈筋群:後脛骨筋+長指屈筋+長母指屈筋、下腿三頭筋:ヒラメ筋+腓腹筋外側頭・内側頭、前面の筋:背屈筋群、後面の筋:腓骨筋+深部底屈筋群+下腿三頭筋

背屈筋群(前脛骨筋、長指伸筋、長母指伸筋)腓骨筋深部底屈筋群(後脛骨筋、長指屈筋、長母指屈筋)下腿三頭筋(ヒラメ筋、腓腹筋外・内側頭)

脛骨

皮下脂肪

腓骨その他(血管・神経等)

表5 日本人選手とケニア人選手の下腿部横断面積の比較

ヒラメ筋腱長(cm) 7.0 ± 1.5 9.5 ± 1.8 **

ヒラメ筋腱長/身長 0.041 ± 0.009 0.055± 0.011 **

ヒラメ筋腱長/下肢長 0.081 ± 0.018 0.102± 0.022 *

腓腹筋腱長(cm) 20.1 ± 2.2 25.1 ± 1.3 **

腓腹筋腱長/身長 0.118 ± 0.013 0.146± 0.007 **

腓腹筋腱長/下肢長 0.234 ± 0.024 0.269± 0.013 **

日本人選手 ケニア人選手

平均値±標準偏差、*P<0.05、**P<0.01

部位名測定値

腓腹筋

ヒラメ筋

ヒラメ筋腱(アキレス腱)

腓腹筋腱

表6 日本人選手とケニア人選手のヒラメ筋腱および腓腹筋の長さの比較

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4.トレッドミルテストの結果

表 8は,ケニア人選手と日本人選手のトレッドミルテストの結果を示したものである.

最終走行速度(Peak speed)については,日本人選手のうち 2名が 380 m/min(1000mを 2分 37秒

ペース) ,4名が 360 m/min(1000mを 2分 46秒ペース)であったのに対して,ケニア人選手は 5名全

てが 380 m/minであった.全員が完走した 360 m/min走行後の主観的運動強度(RPE)については,日

本人選手平均が18.3(17が「かなりきつい,Very hard」)に対して,ケニア人選手平均は11.4(11は「楽で

ある,Fairly light」)と有意に低かった.この RPEの差については,初速度設定や総セット数が異なること

や,日本語と英語の差異および表現に関する前提条件(「きつい」「Hard」などの意味解釈の相違)などを

考慮する必要がある.しかしながら,検者らが測定状況を観察した限りにおいても,ケニア人選手のほうが

明らかに「楽に」走っていたという印象であったことから,トレッドミル走におけるパフォーマンスに関しては,

両者の間に差がみられたといえるだろう.

最高心拍数(Peak HR)は,日本人選手平均が 188.5bpm(185〜198),ケニア人選手平均が

186.8bpm(180〜196)と両者の間に明確な差はみられなかった.体重あたりの最高酸素摂取量(Peak

VO2)は,日本人選手平均が 73.5ml/kg/min(63.4〜89.9),ケニア人選手平均が 74.1ml/kg/min(65.7

〜87.5)であり,両者の間に明確な差は認められなかった(日本人選手とケニア人選手ともに個人差は大き

い).最高血中乳酸濃度(Peak lactate)は,日本人選手平均が 8.6mmol/l(6.9〜11.5),ケニア人選手平

均は 9.3mmol/l(7.0〜11.7)と,両者の間に明確な差は認められなかった.日本人選手で Peak lactate

が10mmol/lを超えたのは渡辺選手のみであったが,ケニア人選手では2名が超えていた.すでに述べた

ように,ケニア人選手は第 4セット終了時のRPEが低く,見た目にも疲労困憊まで追い込んでいるようには

見えなかったが,事前に「最低 4 セットは走って欲しい」とリクエストしていたため,結果的に全ての選手が

腹直筋 13.6± 2.8 13.9± 3.2 3.9± 0.7 3.9± 0.8外側腹筋群 48.4± 5.3 51.5± 8.2 13.8± 1.5 14.3± 2.1大腰筋 35.1± 3.7 38.5± 1.7 * 9.9± 0.7 10.8± 1.3腰方形筋 13.2± 2.6 15.4± 2.0 3.7± 0.6 4.3± 0.5脊柱起立筋 46.8± 5.4 44.6± 3.1 13.3± 1.4 12.4± 1.1

全筋横断面積 157.1± 13.8 163.8± 11.9 44.6± 2.9 45.6± 3.9皮下脂肪 34.4± 8.7 33.1± 6.0 9.7± 1.9 9.2± 1.2骨 25.8± 2.6 26.2± 2.9 7.4± 1.0 7.3± 0.6その他(血管、神経他) 135.0± 15.9 137.7± 23.3 38.3± 3.1 38.0± 4.4全横断面積 352.3± 27.4 360.8± 29.8

周囲径(cm) 62.5± 2.2 63.0± 3.4腹側筋群/背側筋群比2.38± 0.25 2.69± 0.34*

平均値±標準偏差、*P<0.05、外側腹筋群:外・内腹斜筋+腹横筋、腹側筋群:腹直筋+外側腹筋群+大腰筋+腰方形筋、背側筋群:脊柱起立筋

ケニア人選手ケニア人選手 日本人選手

横断面積・相対値(%)

日本人選手部位名

横断面積・絶対値(cm2)

腹直筋

外側腹筋群

大腰筋

腰方形筋

脊柱起立筋

その他(内臓等)

皮下脂肪

表7 日本人選手とケニア人選手の体幹部横断面積の比較

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第 4セット(380 m/min)で測定を終えている.仮に,全ての選手が第 5セット(400m/min)を行った場合,

ケニア人選手の Peak lactateはさらに高まることが予想され,このことは,ケニア人選手が,日本人選手に

比べてより中距離選手に近い生理学的特性を有する可能性を示唆するものであるといえる.

340 m/min走行時の酸素摂取量(340 VO2)は,日本人選手平均が 65.6ml/kg/min(60.0〜70.5)であ

ったのに対して,ケニア人選手平均は 58.1ml/kg/min(52.7〜62.8)と有意に低かった.一般的に,同速

度走行中の酸素摂取量は「ランニングエコノミー(走の経済性:RE)」の指標として用いられている.このRE

は,同じ仕事を少ない酸素によって賄えている,すなわち同速度走行中の酸素摂取量が低いほど効率が

よいとする考え方がベースになっており,VO2max よりも長距離走パフォーマンスへの影響が大きいことが

指摘されている.したがって,340 VO2 にみられた日本人選手とケニア人選手との差は,両者の RE に差

がみられることを示していると考えられる.

表 8 ケニア人選手と日本人選手のトレッドミルテスト結果

5.走動作

表 9 は,走動作計測における走速度,ステップ長(ストライド),ステップ頻度(ピッチ)とその内訳を示した

ものである.ケニア人選手と日本人選手の間に走速度に有意差はなかったが,ケニア人選手は,ステップ

長が大きく,ステップ頻度が小さかった.さらに,接地時間が長く,支持期距離(支持期の重心移動距離)

が長かった.

Peak speed Peak RPE 360 RPE Peak HR Peak VO2 340 VO2 Peak lactate

(m/min) (6〜20) (6〜20) (bpm) (ml/kg/mim) (ml/kg/mim) (mmol/l)

K1 380 11 10 184 70.2 60.6 11.4

K2 380 17 13 185 87.5 58.0 9.4

K3 380 11 9 189 65.7 56.5 7.0

K4 380 11 12 180 72.5 52.7 7.1

K5 380 15 13 196 74.4 62.8 11.7

Average 380.0 13.0 11.4 186.8 74.1 58.1 9.3

J1 380 - 14 185 69.5 63.6 8.1

J2 380 - 17 189 89.9 69.5 8.8

J3 360 20 20 178 63.9 60.0 6.9

J4 360 19 19 198 77.9 70.5 9.3

J5 360 20 20 191 76.6 66.5 6.9

Average 368.0 19.7 18.0 188.2 75.5 66.0 8.0

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図 7 は,ケニア人選手と日本人選手の支持脚のキック動作をスティックピクチャで比較したものである.ケ

ニア人選手では,接地から離地まで大腿の動作範囲が大きく,とくに支持期前半に下腿が大きく前傾し,

その後大腿が大きくスウィングしている様子がわかる.とくに大腿が垂直になる姿勢では,その違いが顕著

である.

図 8は,1サイクルにおけるケニア人選手と日本人選手の平均の下肢関節トルク(関節を屈曲および伸展

する力)を示したものである.0~25%あたり支持期,その後回復期になっている.日本人選手は支持期中

盤の股関節伸展トルクが小さく,離地後なだらかに屈曲トルクが上昇していたのに対し,ケニア人選手は支

持期中盤に股関節伸展トルクが大きく,離地後日本選手よりも遅いタイミングで急激に大きな股関節屈曲ト

ルクを発揮していた.ケニア人選手は,脚を一度後方へ送った後で強く股関節屈曲トルクを発揮し,鞭を振

るようにキックした脚をリカバリーしていたと考えられる.

図 9 は,ケニア人選手と日本人選手の下肢関節の 1 サイクルの平均パワーを示したものである.股関節

の平均パワーはケニア人選手の方が有意に大きく(p<0.05),股関節による出力を強調した走動作になっ

走速度(m/s) 6.10 ±0.16 6.14 ±0.07

ステップ長(m) 1.79 ±0.07 1.91 ±0.11 *

支持期距離(m) 0.88 ±0.03 0.95 ±0.05 **

非支持期距離(m) 0.91 ±0.08 0.96 ±0.09

ステップ頻度(steps/s) 3.41 ±0.17 3.23 ±0.17 *

接地時間(ms) 145 ±6 156 ±9 **

滞空時間(ms) 149 ±15 155 ±14

*: p<0.05, **: p<0.01

日本選手 ケニア選手

表9 走速度,ステップ長,ステップ頻度,およびその内訳

ケニア人選手

日本人選手

図7 ケニア人選手と日本人選手の支持脚の比較

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ていた.長距離走のレースにおいて走速度が高い

選手ほど股関節の出力が大きいと報告されており,

本研究の結果は長距離走において股関節の出力

を高めることの重要性をさらに強調するものであろ

う.これは接地期の股関節伸展トルクの大きさと離

地後の股関節屈曲トルクパターンが影響している

と考えられる.

股関節(+:伸展,-:屈曲)

-3

0

3

6

0 50 100

日本人選手

ケニア人選手

膝関節(+:伸展,-:屈曲)

-3

0

3

6

0 50 100

足関節(+:底屈,-:背屈)

-3

0

3

6

0 50 100規格化時間(%)

図8 ケニア人選手と日本人選手の下肢

関節トルクの比較

関節

トル

ク(

Nm

/kg)

0

2

4

6

8

10

12

14

U23 Kenyan

hip

knee

ankle

図9 1サイクルにおける下肢関節平均パワー

パワ

ー(W

/kg)

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Ⅳ.考察

国際的な研究チームは,ケニア人長距離選手を対象にさまざまな研究を行ない,ケニア人選手がかなら

ずしも持久的な能力に優れているわけではないこと,それが遺伝的に影響しているわけではないことを報

告している(Saltin,2003).しかし,Saltin(2003)や Lucia ら(2006)は,ケニア人選手,あるいはエリトリ

ア人選手のランニングエコノミーが高いことが長距離走における高いパフォーマンスの決定因子であること

を報告するとともに,彼らの高いランニングエコノミーは下腿の周囲が小さいこと,軽いことが影響していると

関係づけている.しかし,下腿の軽さ,あるいは小さい慣性モーメントが関係しているのであれば,それは走

動作に影響してランニングエコノミーと関係しているはずであるが,走動作については言及していない.

そこで,われわれは国際的な研究と同様に生理学的なデータを確認しつつ,体格や筋の形態と走動作

の関係をとくに詳細に検討した.

まず,生理学的な観点からケニア人選手と日本人選手の間に大きな違いはみられなかった.血液成分

については,ややケニア人選手のほうが赤血球が小さく,ヘモグロビン量が多い,血漿量が多いことで,血

液の粘性が低いことがみられたが,個人差も大きく,トレーニングの影響を受けていることを加味すると,パ

フォーマンスに直接影響しているとは考えにくいものであった.

本研究では,血液量を評価した.これは,これまで長距離走ではヘモグロビン濃度に代表される血液成

分の濃度が高いことが酸素運搬能力と関係し,長距離走パフォーマンスやトレーニング評価において重視

されていた.しかし,近年の研究から持久的なトレーニングによって血液量が増えることが報告されており,

本研究においても被験者数が少ないものの高いレベルの長距離選手間においても血液量と酸素摂取量と

の間に相関関係がみられた.これは,血液量が多ければ,心臓に帰ってくる血液の量が増えるため,より多

くの血液が心臓から筋に流れ,より多くの酸素が筋に行き渡るためであると考えられる.よく知られているよ

うに,ヘモグロビン量は高地や低酸素環境(低酸素室や低圧室など)に滞在すると増加し,血漿量は高強

度のトレーニングや暑熱環境下でのトレーニングで増加します.これらのトレーニングを織り交ぜて血液量

を増加できれば,それに伴って最大酸素摂取量,そして長距離走パフォーマンスがさらに向上すると考え

られよう.

本研究においてもケニア人選手のランニングエコノミーが高いことが確認された.図 10は,走速度と酸素

摂取量との関係を示したもので,エリトリア人選手とスペイン人選手のデータは Lucia ら(2006)から引用し

たものである.走速度の増大にともない酸素摂取量が大きくなっており,同速度であれば,酸素摂取量が

低いほどエコノミーが高いと考えられる.ケニア人選手は他国の選手より同じ速度あたりでは低く,より高い

速度では大きく増大しており,ランニングエコノミーが高いばかりではなく,最大酸素摂取量も高いことが窺

われる.トレッドミルテストにおける最大乳酸値からもわかるように,ケニア人選手は乳酸値がかならずしも低

いわけではないことがわかる.近年,長距離走では乳酸域値(LT)がパフォーマンスと関係が強いことが示

され(大後ら,),LT を高めるためのトレーニングが主流となっているようである.しかし,ケニア人選手は最

大下速度において乳酸値の高い選手はテストでの最大乳酸値も高く,最大下において乳酸が低ければ最

大値も低い関係がみられた.すなわち,これらの結果は,ケニア人選手には長距離タイプと中距離タイプの

両方がいることを示していると考えられるが,どちらのタイプであってもランニングエコノミーが高いことが明

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らかとなった.

ケニア人選手の走動作では,キック脚における下腿と大腿のスウィング動作は日本人選手とは大きく異な

り,さらに離地後に一度大きく後方へ送られる特徴のあることが報告されている(Enomoto ら, 2005).さら

に,ケニア人選手は後方へ送った大腿を前方へスウィングするために後方スウィングから前方スウィングに

切り返すところで大きな股関節屈曲トルクを発揮することも指摘している.本研究においても短い走路にお

ける実験走ではあるものの同様の動作の特徴と股関節屈曲トルクの発揮がみられた.

MRI においてケニア人選手の大腰筋の横断面積が日本人選手より大きいことがわかった.大腰筋は,

股関節の屈曲に大きく関与する筋であり,表 7 において示した図からもわかるように,股関節屈曲筋群(腹

筋群)の中でも大きい筋であることがわかる.一方,内転筋は日本人選手のほうが大きかった.大腿直筋や

ハムストリングなどの他の股関節屈曲および伸展に関与する筋では差はみられなかった.すなわち,内転

筋は股関節の屈曲と伸展に作用する筋であり,日本人選手の股関節屈曲動作にはより内転筋が貢献して

おり,ケニア人選手では大腰筋が貢献している可能性を示唆していると考えられる.

図 11 は,1 サイクルの下肢関節パワーの平均値をケニア人選手と日本人選手の平均値で示したもので,

右が推定した身体部分慣性係数(BSP)を,左が本研究で実測した体格値から算出した選手の個々の

BSP を用いて関節トルクパワーを算出したものである.ケニア人選手は股関節のパワーが大きい特徴が明

らかになっているが,そのような特徴はどちらの BSP を用いても変わらなかった.すなわち,身体慣性特性

の影響は小さいことがわかる.また,Saltin(2003)は,ケニア人選手の下腿の軽さがランニングエコノミー

に影響していると述べているが,本研究ではケニア人選手の下腿は細いが,長いために重さには日本人

選手と差はなく,慣性モーメントではむしろ大きくなっていた.すなわち,ケニア人選手の下腿そのものはス

ウィングしやすいわけではないことを示唆するものであろう.以上のことは,Enomoto ら(2005)がすでにケ

ニア人選手の技術として示唆しているように,彼らはキックしたのち後方へスウィングした脚が股関節まわり

に大きな慣性モーメントとなっているときに大きな股関節屈曲トルクを発揮し,前方へのスウィングが始まる

VO

2(m

l/kg

/min

Running speed(km/h)

40

50

60

70

80

16 18 20 22 24

JAPAN

KENYA

ERITREA

SPAIN

Lucia et al, 2006

図10 日本人選手とケニア人選手のランニングエコノミーの比較

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と,下腿を大腿に引きつけ,慣性モーメントを小さくして,前方へのスウィングを効果的に高めているという

仮説を支持するものであろう.

図 12 は,ランニングエコノミーとバイオメカニクス的変量との関係を示したものである.これまで走動作の

評価項目として提案されてきた平均パワー,力学的エネルギーの伝達量,有効鉛直スティフネスはランニ

ングエコノミーとの間に有意な相関はみられなかったが,左右軸まわりの角運動量とランニングエコノミーと

の間には有意な相関がみられた(r=0.723,p<0.01).左右軸周りの角運動量は,走速度を増大すると負

に大きくなることが報告されているが(Hinrichs,1987),ケニア人選手は同程度の走速度で走っていても

0

2

4

6

8

10

12

14

U23 Kenyan

Hip

Knee

Ankle

0

2

4

6

8

10

12

14

U23 Kenyan

Hip

Knee

Ankle

実測BSP使用 推定BSP使用

図11 下肢関節パワー(絶対値)のサイクル平均値

パワ

ー(

W/k

g)

40

60

80

100

10 15 20

Mean power (W/kg)

r=0.155n.s.

20.0 25.0 30.0 35.0 Energy transfer between

segment (J/kg)

r=-0.199n.s.

200 300 400 500 600

Kv (N/kg/m)

r=0.057n.s.

40

60

80

100

-6 -4 -2Average angular momentum

about X axis (kg・m2/s)

JapaneseKenyan

r=0.723p<0.01

VO

2 @

36

0 (m

l/m

in/k

g)

図12 ランニングエコノミーとバイオメカニクス的変量との関係

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前方回転の角運動量が大きいことを示していると考えられる.さらに,前方回転の角運動量は,脚の回転に

より大きくなるため,同じ走速度でもケニア人選手が大きく,かつ速く脚のスウィング動作を行なっていること

を行なっており,その動作がランニングエコノミーと関係していることを示唆するものであろう.これらのメカニ

ズムについては今回の研究では明らかにできなかったが,図 13に示すように,新たな仮説構造を提案でき

るものであろう.すなわち,長い下腿は,支持脚のスウィング動作とともに回復脚のスウィング動作にも効果

的に作用し,これらが角運動量として評価されている.そして,それらは,力学的エネルギーの伝達を効果

的に行なっていることを示すと考えられ,これがランニングエコノミー,さらには長距離走パフォーマンスに

影響を及ぼしていると考えられ,もう一方では,支持脚のキック動作を効率的なものにし,ランニングエコノミ

ー,長距離走パフォーマンスへと関連している可能性も考えられよう.Kram(2000)は,支持脚のトルクの

発揮がランニングエコノミーに影響していることを示唆している.これらは今回のバイオメカニクス的分析の

みでは明らかにすることができず,さらなる実験による検証が必要であろう.

Long shank

High performance

High running economy

Efficient muscle coordination during kicking motion ?

Great energy transfer between legs

Shank and thigh effective interaction during support

greater follow through after toe off and pick up shank

during forward swing

Angular momentum about medio-lateral axis

図13 ケニア人選手の下腿がパフォーマンスに影響を及ぼす仮説構造

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Ⅴ.摘要

本研究で得られた結果をまとめ,ケニア人選手の特徴を記述すると以下のようになる.

① 血液の濃度には大きな差はみられないが,赤血球が小さく,血漿量が多いことから血液がより流れや

すくより酸素を運搬できる可能性がある.

② 血液量はとくに多いわけではないが,ケニア選手に関わらず酸素摂取量が多い選手は血液量が多

い.

③ 体格的特徴は,下腿が細長く,下腿の筋も小さいが,脚を前後にスウィングすることへの影響は小さい

(慣性モーメントは日本人選手と比較して小さくない).

④ アキレス腱が長く,腹筋(大腰筋)が発達している.

⑤ 生理学的特徴は,乳酸域値や最大酸素摂取量には大きな差はないと考えられるが,ランニングエコノミ

ーが高く,高い走速度でのトレッドミル走を比較的楽に走ることができる.

⑥ キックしたのちの脚の前方スウィング開始あたりで大きな屈曲トルクをタイミング良く発揮している.

以上の結果から,ケニア人選手の特徴はとくに走動作においてキックした脚が後方へ一度送られ,それ

を大腰筋が強く働いて前方へ勢いよく振り出していると考えられる.これがトレッドミル上で楽に走れることと

も関係していると推測できる.そして,これは下腿の軽さの利点よりも技術的な要素が強く影響していると考

えられる.ケニア人選手の高い長距離パフォーマンスは,これまで重視されてきた血液成分や LT ばかりで

なく,ランニングエコノミーと強く関係しており,これは体格よりも走動作に影響されていると考えられ,日本

人選手は走動作のトレーニングを行なうことでその差を埋められる可能性を示唆していると考えられる.何

よりもケニア人選手の特徴は,遺伝的な体格や筋の特徴とトレーニングによる筋の発達,生理学的特徴が

走動作を介してパフォーマンスとして効果的に発揮できていることにあると考えられる.日本人選手にとって

長距離走パフォーマンスを高めるためのトレーニングモデルを提案し,個々の選手の課題をあげ,トレーニ

ングを実行し,課題を克服していくことが必要であることを再確認するものであった.

トレーニング現場への示唆

1)高い走速度や大きな走動作で走る機会を増やし,股関節屈曲筋群の筋力トレーニング,脚の前後スウィ

ング動作の技術的トレーニングを積極的に行なう.

2)体力的には LT を高めるばかりではなく,様々な強度と量を組み合わせたトレーニングを行なうことが長

距離走においても重要であり,そのときにランニングエコノミーを高める工夫を入れるべきである.

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引用文献

Enomoto Y, Ae M (2005) A biomechanical comparison of Kenyan and Japanese elite long

distance runner’s techniques. Book of abstracts ⅩⅩth Congress of the International Society of

Biomechanics, No. 852.

Hinrichs R N (1987) Upper extremity function in running. II: Angular momentum

considerations. Int. J. Sport Biomech. 3, 242-263.

Kram R (2000) Muscular force or work: what determines the metabolic energy cost of running?

Exerc. Sport Sci. Rev. 28, 138-43.

Lucia A et. al (2006) Physiological characteristics of the best Eritrean runners- exceptional

running economy. Appl. Physiol. Nutr. Metabo. 31, 530-540.

Saltin B(2003)The Kenya project - Final report. New Studies in Athletics, 18: 15-24.

謝辞

本研究は,(財)日本陸上競技連盟および国立スポーツ科学センターの協力により行なわれました.また,実験にお

いては大塚製薬陸上競技部河野監督,コニカミノルタ陸上競技部酒井監督をはじめ多くの関係者のご協力とご支援

により実施することができました.ここに記して感謝の意を表します.