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1 ●これは東数協ニュース 2017 年 10 月号に書いたエッセイの生原稿です 《数学教育 思い出ポロッと!》 マルクスと数学 小沢 健一 2017-1867=150 徳川幕府が朝廷に政権を還した「大政奉還」は 1867 年、私も中学生のとき語呂合わせで い(1)や(8)だろ(6)うな(7)徳川慶喜 と暗記したものだった。 今年は 2017 年だから 2017-1867=150、ちょうど 150 年目にあたる。 また今年は夏目漱石生誕150 年だと新聞に出ていた。翌年は明治だから、漱石はいかにも明治 時代が生んだ文豪だ。 さらに、カール・マルクスが『資本論』を出版してから 150 年目ということで、 朝日新聞『天 声人語』には次のような文章が載った(2017/07/23)。 挑戦する人は多いが、なかなか通読できない本がある。代表例が、今年で出版 150 年と なる『資本論』だろう。著者のマルクスは生前、難解だと苦情を聞かされると「労働日」の 章を読んでくれと言っていたそうだ。英国にはびこる長時間労働を扱っている▼「わたした ちも普通の人間です。超人ではありません。労働時間が長くなるとある時点で働けなくなる のです……頭は考えるのをやめ、目は見るのをやめるのです」(中山元〈げん〉訳)。事故 を起こしたとして裁判にかけられた鉄道労働者の言葉だという▼読んでいくと、本当に 19 世紀の記述なのかという気がしてくる。食事の時間を削られ、働かされる人たちがいる。納 期に追われ過労死した若者がいる(中略)▼残業時間を規制するため法改正の動きはあるが、 どうも様子がおかしい。「残業代ゼロ」法案を通そうという流れが同時にあり、将来、規制 の抜け道に使われるのではと危惧される。対応をめぐって連合内部で意見が割れ、労働界は 大揺れである▼労働者が死と隷従に追いやられるのを防ぐ。そのための強力な法律を―─。 マルクスはそんな訴えで章を終えている。悔しいことに、少しも古びてはいない。 これを読んだとき、頭をよぎったことがいくつかあった。 一つは、私も若いころ『資本論』に挑戦して例に違わず途中で挫折した一人であるが、資本主 義社会(そもそも「資本主義」という用語はマルクスの命名だそうだ)を分析する壮大な理論構 築に圧倒され、同時になぜかその論理の明晰さが数学に似ていて好きだったこと。 二つ目は、つい3 年ほど前のことだがトマ・ピケティ『21 世紀の資本』(みすず書房)が評判 になり、 “ 『資本論』で落ちこぼれた人にも最適” というような宣伝につられて大枚をはたき、 久々に似たようなおもしろさを味わったこと。この本も『資本論』と同様にしっかり現実をふま

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1 ●これは東数協ニュース2017年10月号に書いたエッセイの生原稿です

《数学教育 思い出ポロッと!》

マルクスと数学 小沢 健一

2017-1867=150 徳川幕府が朝廷に政権を還した「大政奉還」は1867年、私も中学生のとき語呂合わせで い(1)や(8)だろ(6)うな(7)徳川慶喜 と暗記したものだった。 今年は2017年だから2017-1867=150、ちょうど150年目にあたる。 また今年は夏目漱石生誕150年だと新聞に出ていた。翌年は明治だから、漱石はいかにも明治時代が生んだ文豪だ。 さらに、カール・マルクスが『資本論』を出版してから150年目ということで、朝日新聞『天声人語』には次のような文章が載った(2017/07/23)。 挑戦する人は多いが、なかなか通読できない本がある。代表例が、今年で出版 150 年となる『資本論』だろう。著者のマルクスは生前、難解だと苦情を聞かされると「労働日」の章を読んでくれと言っていたそうだ。英国にはびこる長時間労働を扱っている▼「わたしたちも普通の人間です。超人ではありません。労働時間が長くなるとある時点で働けなくなるのです……頭は考えるのをやめ、目は見るのをやめるのです」(中山元〈げん〉訳)。事故を起こしたとして裁判にかけられた鉄道労働者の言葉だという▼読んでいくと、本当に 19世紀の記述なのかという気がしてくる。食事の時間を削られ、働かされる人たちがいる。納期に追われ過労死した若者がいる(中略)▼残業時間を規制するため法改正の動きはあるが、どうも様子がおかしい。「残業代ゼロ」法案を通そうという流れが同時にあり、将来、規制の抜け道に使われるのではと危惧される。対応をめぐって連合内部で意見が割れ、労働界は大揺れである▼労働者が死と隷従に追いやられるのを防ぐ。そのための強力な法律を―─。マルクスはそんな訴えで章を終えている。悔しいことに、少しも古びてはいない。

これを読んだとき、頭をよぎったことがいくつかあった。 一つは、私も若いころ『資本論』に挑戦して例に違わず途中で挫折した一人であるが、資本主義社会(そもそも「資本主義」という用語はマルクスの命名だそうだ)を分析する壮大な理論構築に圧倒され、同時になぜかその論理の明晰さが数学に似ていて好きだったこと。 二つ目は、つい3年ほど前のことだがトマ・ピケティ『21世紀の資本』(みすず書房)が評判になり、 “『資本論』で落ちこぼれた人にも最適” というような宣伝につられて大枚をはたき、久々に似たようなおもしろさを味わったこと。この本も『資本論』と同様にしっかり現実をふま

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2 え、単なる理論のための理論に終わらないところが優れている。さらに論理の明快さが似ていると思った。久しぶりにメモを取りながらかなり夢中に読んだ。 頭をよぎった三つ目は、「そういえばマルクスは数学にも強く、マルクスが書いた数学の本を買って持っていたはず」ということだった。

思い出がポロッと 『天声人語』がきっかけになって、書棚の奥から探し出したのが マルクス『数学手稿』 (菅原仰訳、大月書店、1973年第1刷発行) である。 目次はつぎのようになっている。 微分学についての二つの手稿 1 導関数について 2 微分について 論文「微分について」の草稿と補足 1 第一草稿 ~ 4 第四草稿 微分学の歴史について ノート中の紙片 1 第一草稿 2 歴史的な発展の歩み 3 草稿の続き テイラーの定理とマクローリンの定理.ラグランジュの解析関数 1 手稿「テイラーの定理.マクローリンの定理.ラグランジュの導関数論」より 2 手稿「テイラーの定理」より 手稿「微分学の歴史について」への付録.ダランベールの方法の分析 1 「極限」および「極限値」という用語の多様性について 2 ダランベールの方法と代数的方法の比較 3 もう一つの例によるダランベールの方法の分析 注釈 文献目録

この本を買ったのは今から 40 数年も前のこと。ページをめくりながら当時を懐かしく思い出した。高校教師生活も10年ほど経過し、授業にも安定感や自信を感じはじめた頃だった。 当時、一読して驚いたことはマルクスの数学勉強の程度は尋常ではないということだった。 目次の内容をみても数学の専門家並みだが、「注釈」によると、数学に関する見解や学習メモ

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3 などが書かれた手稿のフォトコピーは1000ページにも及ぶという。その中には、 経済学ノート中の算数および代数計算、幾何学的図形 といった経済学への数学の応用についてのものもある。これは『資本論』の著者として当然かもしれないと納得しやすいが、ところがそれだけではない。「注釈」によれば 数学史および力学史にかんするポッぺの著作からの抜粋および梗概 放物線の接線問題 三角法、商業算術にかんする最初の要約 円錐曲線論についての手稿 といったものまである。 はからずも今回、マルクスと数学の関わりについての記憶が忘却の彼方から “ポロッ”とこぼれ出した。とりわけマルクスの勉強家ぶりに「これはスゴイ!」と心底驚き、たいした勉強もしないで生徒の前で知ったかぶりするようでは恥ずかしい、と自戒したものだった。

マルクスの微分論 1870 年代以降に書かれた手稿の内容は微分に関するものが中心だった。しかも多くはマルクスが体をこわして療養中のものらしい。私が今回本棚から探し出した『数学手稿』は、目次からわかるように微分に関する手稿を集めたものであり、いわばマルクスの微分論である。 18 世紀はニュートン力学が理論的にも実践的にも近代科学の主役として大活躍を始めたのだが、往々にしてあるように、理論の一番基礎のところにはあいまいさを残していた。マルクスはそのあたりをきびしく追求し、たとえば導関数や微分の定義について、1)ニュートン、ライプニッツ=神秘的微分学、2)ダランベール=合理的微分学、3)ラグランジュ=純粋に代数的な微分学、と評して詳しく分析している。 さて、この本でマルクスは、導関数を求めるのに代数計算的に代入で行う。

たとえば y = x2を微分すると、導関数は dydx

= 2xになることは次のようにする。

【xがx1まで変化したときyはy1まで変化するとすれば、

y1 − y = x12 − x2 = (x1 − x)(x1 + x)

だから、変化の割合(xが時刻、yが位置座標のときは平均速度にあたる)は

y1 − yx1 − x

= x1 + x

となる。瞬間的な変化の割合(瞬間速度)はx1をxとおいて

00= 2x

が得られる。 】

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この 00はいくつかの理由で すぐに dy

dxとも書くことになるのだが、このあたりから私はつ

いていけなかった。 訳者の菅原仰氏が「訳者序」で、 「極限法を排除するマルクスの微分学は、もちろん今日の数学からすれば異端的であり、彼の数学がそのままの形で今日意味をもちうるとは考えられない」

と書いているのでホッとしたものだった。 ただし、続けて「…「批判」を通すことによってあたらしい意味をもちうるだろうから、マルクスの全体像を知るためにも、検討・批判が重要な仕事ではないか」というような意向を書かれている。 先日、ここでいわれている「重要な仕事」に挑戦したと思われる資料をいくつか見つけた。 一つは、古い単行本 カール・マルクス『数学に関する遺稿』 (玉木英彦・近野武雄訳著、岩波書店、1949年第1刷発行) である。遺稿の訳出範囲は『数学手稿』とほぼ同だが、後半に今野氏の2編の論文 『歴史的科学としての自然科学の再編成の一つの試み ─カール・マルクスの微分学に就て─ 』 『マルクスの微分学手稿について』 が入っている。 もう一つは,中央大学経済学研究会の雑誌 『経済学論纂』(1976年5月) に載った,小林道正氏の論文 『マルクス「数学手稿」と微分の基礎』 である。 前者は古本屋で手に入れ、後者は国会図書館でコピーをした。 いずれも程度が高くて私には難しそうだ。でも、“新しい思い出作り” になるかもしれない。

(2017年10月)