27
研究ノート ポスト緑の革命期のインドネシア・ジャワにおける 低投入農法の普及過程 ―有機SRI(System of Rice Intensification)の 普及事例の社会ネットワーク分析― 伊 藤 紀 子 要   旨 米の自給を達成したポスト緑の革命期のインドネシア・ジャワにおいては,環境,農家経営,肥 料補助金(財政)への負担を軽減する低投入農法の普及による,持続的な米の増産が志向されてい る。しかし,「有機SRI(System of Rice Intensification)」というインドネシアにおける代表的な 低投入稲作農法の普及は遅れている。本稿の目的は,国内で初めて有機米の輸出を実現した農村に おける有機SRIの普及過程の社会ネットワーク分析を通じて,低投入農法の普及が,農家の経営収 支,農家間の社会関係,農村の農業労働者の雇用制度に与える影響を明らかにすることである。 検討の結果,(1)有機SRIを導入した農家は導入していない農家に比べ,高い経済収益を得てい ること,(2)一部の農家が有機SRIの普及の主体として別の農家に技術を指導するなど,有機SRI の普及が近隣に住む農家の間のコミュニケーションを活発化していること,(3)農村に住む零細 規模の農家や土地なし層への所得分配を促す伝統的な雇用労働制度は,主に有機SRIを導入してい ない農家によって維持されていること,の 3 点が明らかになった。 調査地における有機米のブランド化のシステムは,低投入農法の普及が,農家所得の増加・社会 関係の活性化をもたらすモデルケースとして,他地域にも適用されている。ただし,こうしたシス テムは,伝統的な雇用労働制度を衰退させ,農村の所得格差を拡大させる要因となっている。更に 低投入農法が広範囲に普及するためには,農法の変化に伴う急速な社会経済的変化の影響を緩和す るような,社会の制度の調整が必要になると考えられる。 キーワード:ポスト緑の革命期,インドネシア,有機SRI,制度,社会ネットワーク分析 原稿受理日 2018 年6月 15 日. 1.はじめに:ポスト緑の革命期の インドネシア農業の課題 インドネシア政府は,1960 年代末からの「食 料生産集約化計画」(インドネシア語でProgram Intensifikasi Produksi Bahan Pangan)の下,米 の高収量品種・化学肥料・農薬を多投する慣行 農法の普及による増産(「緑の革命」)を成功さ せ,1985 年に米の自給の達成を宣言した(加納, 1998,44 頁)。以降の「ポスト緑の革命期」 (1) おいては,翻って,環境や財政(肥料補助金)へ の負担を軽減する低投入農法や有機農業の普及を 通じた,持続的な米の増産を志向するようになっ -1- 農林水産政策研究 第29号(2018.9):1–27

ポスト緑の革命期のインドネシア・ジャワにおける …研究ノート ポスト緑の革命期のインドネシア・ジャワにおける 低投入農法の普及過程

  • Upload
    others

  • View
    5

  • Download
    0

Embed Size (px)

Citation preview

研究ノート

ポスト緑の革命期のインドネシア・ジャワにおける低投入農法の普及過程

―有機SRI(System of Rice Intensification)の普及事例の社会ネットワーク分析―

伊 藤 紀 子

要   旨

 米の自給を達成したポスト緑の革命期のインドネシア・ジャワにおいては,環境,農家経営,肥料補助金(財政)への負担を軽減する低投入農法の普及による,持続的な米の増産が志向されている。しかし,「有機SRI(System of Rice Intensification)」というインドネシアにおける代表的な低投入稲作農法の普及は遅れている。本稿の目的は,国内で初めて有機米の輸出を実現した農村における有機SRIの普及過程の社会ネットワーク分析を通じて,低投入農法の普及が,農家の経営収支,農家間の社会関係,農村の農業労働者の雇用制度に与える影響を明らかにすることである。 検討の結果,(1)有機SRIを導入した農家は導入していない農家に比べ,高い経済収益を得ていること,(2)一部の農家が有機SRIの普及の主体として別の農家に技術を指導するなど,有機SRIの普及が近隣に住む農家の間のコミュニケーションを活発化していること,(3)農村に住む零細規模の農家や土地なし層への所得分配を促す伝統的な雇用労働制度は,主に有機SRIを導入していない農家によって維持されていること,の 3点が明らかになった。 調査地における有機米のブランド化のシステムは,低投入農法の普及が,農家所得の増加・社会関係の活性化をもたらすモデルケースとして,他地域にも適用されている。ただし,こうしたシステムは,伝統的な雇用労働制度を衰退させ,農村の所得格差を拡大させる要因となっている。更に低投入農法が広範囲に普及するためには,農法の変化に伴う急速な社会経済的変化の影響を緩和するような,社会の制度の調整が必要になると考えられる。

キーワード:ポスト緑の革命期,インドネシア,有機SRI,制度,社会ネットワーク分析

 原稿受理日 2018 年6月 15 日.

1.はじめに:ポスト緑の革命期のインドネシア農業の課題

 インドネシア政府は,1960 年代末からの「食料生産集約化計画」(インドネシア語でProgram Intensifikasi Produksi Bahan Pangan)の下,米

の高収量品種・化学肥料・農薬を多投する慣行農法の普及による増産(「緑の革命」)を成功させ,1985 年に米の自給の達成を宣言した(加納,1998,44 頁)。以降の「ポスト緑の革命期」(1) においては,翻って,環境や財政(肥料補助金)への負担を軽減する低投入農法や有機農業の普及を通じた,持続的な米の増産を志向するようになっ

- 1-

� 伊藤:ポスト緑の革命期のインドネシア・ジャワにおける低投入農法の普及過程 農林水産政策研究 第 29 号(2018.9):1–27

ている(2)。本稿の目的は,ジャワ(3) における「有機SRI(System of Rice Intensification)」という農法の普及事例の検討を通じて,低投入農法の普及の農家・農村への社会経済的影響(具体的には,農家の経営収支,農家間の社会関係,伝統的な雇用労働制度に与える影響)を明らかにすることである。 米の趨勢自給(4) を農業政策目標の1つとしているインドネシアでは,天候不順による不作が発生する数年おきに米の輸入量が急増するため,安定的な増産の必要性が高い(第1図)。しかし,慣行農法の普及による従来の米の増産は,次のような側面で限界を迎えつつある。第一に,生態系や土壌など環境への影響である。ジャワにおける化学肥料の消費量は,緑の革命が本格化した1970 年代から急増し(加納,1988,58 頁),1980年代末からは,化学肥料の過剰投入による土壌の劣化や稲の倒伏が観察されている(加納,2004;ADB,2009)(5)。第二に,化学肥料価格を低水準に抑えるための補助金(subsidi pupuk)の財政支出が拡大している。1998 年に一旦廃止され,2003 年に復活した肥料補助金への財政支出は,現在のジョコウィ政権下の 2014 年には 21 兆ルピア(Rp)へと増加し,農業保護関連予算の 51%を占めるようになった(6)。第三には,稲作農家に

とって化学肥料など投入財への支出額は生産費を増加させ,経営の負担となっている(7)。また一方で,ジャワの都市部を中心に,過剰な化学肥料や農薬を投与して生産された食品が健康被害をもたらすことを懸念する消費者の間で,安全で高付加価値な食品への需要が増加している(Sugino and Mayrowani, 2010)。 こうした中政府は,慣行農法に代わる低投入農法・有機農業の普及に強い関心を示してきた(杉野・小林,2015,63頁)。2001年に開始された「Go Organic 2010」と呼ばれる有機農業振興の 10 カ年計画において政府は,2010 年までに,環境への負荷,農家経営負担の少ない農法を慣行農法に代替させていくことを政策目標としている(Siti Jahroh, 2010)。主な取組として,2002 年の有機農産物の生産基準の設置,2003 年のインドネシア有機生産者組合(Indonesia Organic Alliance:IOA) の 形 成,2006 年 のASEAN GAPの 策定,2014 年の有機農産物基準の設定が行われた(Ariesusanty, 2011;米倉,2016)。こうしてインドネシアにおいて認証を取得した有機農産物の生産面積は,2005 年の1万 7,800haから 2015 年には 13 万 400haに増加した(FAOSTAT, HP)(8)。ただし,有機農産物生産地のうちコーヒー,カカオなどの輸出向けエステート作物生産地の割合が

第1図 インドネシアの米の生産量と輸入量

資料:USDA Foreign Agricultural Service.注.生産量・輸入量とも精米重量.

輸入量生産量

- 2-

農林水産政策研究 第 29 号(2018.9)

61%と大半を占める一方,米を含む穀物のそれは1.0%にとどまっている。今後,肥料補助金の対象の多くを占める小規模稲作農家に低投入農法や有機農業を普及させることが,政府の補助金への財政支出を軽減しながら持続的に米を増産することにつながると期待できる。 ここで,投入財(種子,化学肥料,農薬など)の利用量を抑制しながらも稲の収量を増加させる効果のある有機SRIという農法に注目する。有機SRIとは,①乳苗の利用(日齢8~ 12日),②1~2本の苗の浅植え(1~2cm),③疎植正条植(25 × 25cm以上),④間断灌漑,⑤中耕除草による土壌への酸素供給,⑥堆肥(有機肥料)施用の6点を原則とする,稲の根の分げつや茎の成長を促す技術である(Uphoff and Randoriamiharisoa, 2002;Uphoff, 2009)(9)。この技術は,導入した農家が①~⑥の要素の中からほ場の条件に合った適切な技術を組み合わせることにより収量の増加を図る,現場試行型技術という特徴を持つ(Tsujimoto et al. 2009;横山・ザカリア,2009,648 頁)。1997 年にアメリカの大学教授によってインドネシアに紹介された後,各地で有機SRIの導入が種子・化学肥料・農薬の利用の減少による生産費の削減や,堆肥の利用・土壌の回復,米の品質の向上,収量の増加,農家の所得向上の効果をもたらしたことが実証されてきた(佐藤,2006, 2011;Yadi Heryadi and Trisna Insan Noor, 2016;Sukristiyonubowo et al., 2011)。2010 年には農業省も「2015 年までにインドネシア全土でSRIを導入する」と発表するに至った(佐藤,2011, 77 頁)。このように有機SRIは,今日の有機農業・低投入農法普及政策の中心をなす技術であると考えられる。 しかしながら,有機SRIの普及は遅々として進まなかった。2012 年の時点で,全国 33 州のうち29 州,2万 799haにおいて有機SRIが実践されたと報告されている(SIMPATIK, HP)(10)。その実施面積は全国の灌漑水田面積(約 441 万ha)のうち 0.5%を占めるに過ぎない(BPS, 2013)。有機SRIの普及が進んでいない要因として,緑の革命期における慣行農法の普及過程に比べて,政府の役割が小さかったということが指摘できる。慣行農法は,政府の指示の下にトップダウ

ンの方式で,全国の協同組合(Koperasi Unit Desa:KUD)の組織化・信用事業を通じて一般農家へ向けて一斉に普及した(大鎌,1990;水野,1998)(11)。つまり,政府が普及を主導した一方,農家は普及の受け手でしかなかった(加納,1988,62 頁)。それに対し,有機SRIの普及の初期段階においては農家が普及の主体として大きな役割を果たした一方,政府の役割は相対的に小さかった。有機SRIの普及は,環境問題に関心を持っていた数名の農家が主体となって形成した農民組合が,国際機関,NGO,企業などと連携をとりながらボトムアップの方式で進められてきた(横山・ザカリア,2009;横山,2011)。やがてそのような活動を,州・県政府が支援するようになっていった。また,除草や間断灌漑に手間がかかり,ほ場条件により農家が自ら改良・工夫を加える必要があるSRIは,農業以外にも就業機会が豊富であるような地域の農家には受け入れられにくい(本台・中村,2016,ⅰ-ⅱ頁)。有機SRIの普及を速めるためには,政府がより主導的な役割を果たしながら,農業以外の就業機会が少なく水管理を行いやすい灌漑設備が発達しているような純農村地帯を中心に,普及の社会経済的制約を緩和していくことが必要となる。 以上を踏まえて本稿の目的を,西ジャワ州(West Jawa Province)タシクマラヤ県(Tasikmalaya District)において国内で初めて国際有機認証を取得してフェアトレードとして有機米の輸出を開始した農民組合の活動拠点の村を事例に(12),有機SRIの普及が,①農家の経営収支,②農家の社会関係,③伝統的な雇用労働制度へ与えた影響を明らかにすることとする。調査地には,非農業雇用機会へのアクセスや灌漑の利用においてほぼ同様の条件にありながらも,有機SRIを導入している農家と導入していない農家が混住する。これらの農家について①~③の実態を比較することによって,個別の農家の社会経済的条件と有機SRIの導入・普及との関係を明らかにする。それぞれの検討課題の内容は次のようなものである。①有機SRIを導入した農家の経営収支の分析を通じて,収益の特色を明らかにする。有機SRIという低投入農法の導入・有機米のブランド化という商品経済化が農家の収益を高めるのかどう

- 3-

� 伊藤:ポスト緑の革命期のインドネシア・ジャワにおける低投入農法の普及過程

かを具体的に明らかにすることによって,低投入農法を採り入れた経営の経済的持続性を検討する。

②有機SRIの普及が農家の間の社会関係に与えた影響を検討する。2000 年代の西ジャワ州では,有機肥料や生物由来資材(Micro Organic Local:MOL)(13) を利用することで土壌を改良するアグロエコロジカル・アプローチを広めていた農家グループが主体となって,国際機関,NGO,企業などと連携しながら有機SRIを普及させてきた(横山,2011)。また,有機SRIの導入に伴って農家の集まりや技術の学び合いの機会が増えたことが,農家のエンパワーメントや社会関係資本の形成に貢献したことが示唆されている(Ishikawa, 2011;横山・ザカリア,2009;Mishra et al. 2006)。このように,有機SRIの導入を契機とする農家の社会関係の変化を検討することで,技術普及の社会的影響の一側面を明らかにする。

③では,より長期的な視点から有機SRIの社会的影響を考察する。人口稠密なジャワ農村では,農地を所有する自作農や地主,小規模な農地を借り入れて経営する小作,農地を所有することも借り入れることもできずに他世帯の農地で農業労働従事などによって生計を立てる土地なし層(14) など,経済的格差・階層差のある世帯が密集して暮らしている。所得の平準化を促すことで農村社会の秩序を維持するための,零細農家や土地なし層の農村内包摂メカニズムの持続と変容の過程の解明こそが,農業問題の研究の根本課題であるといわれている(加納,1988,3 頁)。特に,多くの近隣住民を収穫作業に参加させることで,収穫米・稲作所得を貧しい零細農家や土地なし層に対して分配する役割を果たしてきた伝統的な雇用労働制度が,農村住民の関係を維持してきた(金沢,1988,1993;米倉,1986)。有機SRIの普及が,このような伝統的な制度の変容とどのような相互関係にあるのかを検討することで,技術普及の社会制度への影響について考察する。

 有機SRIの普及が一部で進んできた地域を事例に個別の農家が直面している社会経済的条件を検討することは,これまで有機SRIの普及を制約し

てきた要因の解明や,今後の,有機SRIに代表される低投入稲作農法の普及に向けた課題の明確化につながる。それは,米の自給を達成したポスト緑の革命期のインドネシアが,環境,財政,農家経営への負担を軽減しながら米を持続的・安定的に増産することにより,農業の高付加価値化と国民の食料安全保障を両立する方策を具体的に提示することに,貢献すると考えられる。 本稿の構成は次のようになる。続く第2節では,分析の枠組みと調査地の概要を述べる。第3節では,西ジャワ州の農村における農家調査の結果を用いながら,有機SRIを導入した農家の稲作経営収支の分析,有機SRIの普及過程と農家の社会関係・農村制度との関連の検討を行う。第4節では農業技術普及理論を参照しながら,有機SRIの普及の社会経済的影響について考察する。最後に結論をまとめる。

2.社会ネットワーク分析の導入・調査地の概要

(1)社会ネットワーク分析 本稿は「社会ネットワーク分析」(Social Network Analysis)の方法を用いて有機SRIの普及過程を捉える。社会ネットワーク分析とは,社会構造を,「社会を構成する主体の特徴の総計」としてではなく,「財貨サービス,情報,態度,行動を他の主体に伝達する主体間の社会的紐帯(social ties)のネットワーク」として捉える方法である(Scott, 2000)。換言すると,「主体の行為を,主体の属性のみならず,他の主体との関係や社会関係構造の全体によっても決定づけられる」と想定する「社会選択」という視角から,社会・経済の実態・動態を分析する(Granovetter, 1985)。例えば人を主体とすれば,その行為は,性別,年齢,所得,教育水準などの個人の属性のみならず,他の人との関係(友人関係,親族関係,隣人関係などの社会関係)のあり方,ネットワークを構成する社会関係の全体構造(集団内の人々が全体として緊密な関係を築いているのか,粗密な関係を築いているのかなど)によっても影響を受けると想定する。 社会的紐帯・主体の間の関係は,具体的にはグ

- 4-

農林水産政策研究 第 29 号(2018.9)

ラフ(主体の数を表す点と,主体相互の関係・結びつき方を表す線又は矢印からなる)によって図示・可視化される(de Nooy et al., 2005)。グラフは,それぞれの主体(点)が備える属性に関しての詳細な情報を捨象し,対象とするネットワークの中に「どれだけの主体がいるのか,主体の間がどのようなパターンで結ばれているのか」ということ(のみ)を表現する。また,主体間を直接に結ぶという二者間の関係(直接的な関係)のみならず,直接は結ばれていないが第三者を介して結ばれているような間接的な関係も,ネットワークの全体を構成する要素として考慮される。そうして,ネットワークの全体構造を俯瞰した上で全体に占める各主体の相対的地位を測定できることが,社会ネットワーク分析の利点である(安田,2001)。 本稿が社会ネットワーク分析の方法を用いる理由は,有機SRIのような複雑で利用者(農家)自身の実験・工夫による改善が志向されるような農業技術は,特定の主体が多数の農家に対して,一方的,一斉に普及するパターン(「集中型普及」と呼ばれる)をとらずに,複数の主体(組織や農家)の間のパートナーシップ・関係を通じて,徐々に部分的に普及する傾向(「分散型普及」と呼ばれる)があるためである(15)。集中型普及の過程で農家は普及の受け手でしかないが,分散型普及の過程では農家も普及の主体となりうる。先に述べたように,インドネシアにおける有機SRIの普及は政府や公式な普及組織のような特定の主体により主導されたというよりも,農家グループ(のちに農民組合連合を形成,詳細は後述する),国際機関,NGO,企業,地方政府など,複数の組織の関係が強化された過程で進んだと考えられる。本稿はまずマクロのレベルで,組織間のパートナーシップを通じた有機SRIの普及過程を明らかにする。 更に,有機SRIが初期に導入された1つの農村を事例として,特定の地域内における農家から農家への指導・助言・コミュニケーションの増加のような「農業技術普及過程における農家間の学び合いのプロセス」(以下,「ソーシャルラーニング」と呼ぶ)を伴う有機SRIの普及過程を,社会ネットワーク分析の方法を用いて捉える(石川

他,2014,175 頁;Bandura, 1971)(16)。そして,有機SRIの普及過程がソーシャルラーニングの活性化の実態,農家の社会関係,農村の社会制度とどのような関わり合いを持つのかという視角から,有機SRIの普及の社会経済的影響を解明する。ソーシャルラーニングの活性化は,地域内の一部で新技術が普及しているような状況において,まだ新技術を導入しておらず導入するかどうかを迷っている農家が新技術の試用に対して抱いている不確実性やリスクの認識・軽減に貢献するため,技術の試行を促すということが実証されてきた(Foster and Rosenweing, 2010;Bandiera and Rasul, 2006;ロジャース,2005)。また,強い信頼関係で結ばれている複数の人から情報を得ることは,複雑な技術を試用・習得する過程で重要な役割を果たす(Munshi, 2004;Todo et al., 2013)。 緑の革命期の慣行農法の普及過程では,それまでの粗放的・自給的な農業が営まれていた時代に比べ,農村の「制度・組織」が大きく変化したことが注目されてきた(Hayami and Kikuchi, 1981;速水,2000;Collier, 1977;藤田,1990a;米倉,1986 など)。「制度・組織」とは,地主と小作の間の土地貸借をめぐる契約,農作業を請け負う雇用労働者との契約関係,水利の管理に関する取り決めなどの,生産過程での農村住民の間の関わり合いといった広義の制度(Institutions)=「共同体の成員によって履行が強制されるところのルールの集まり」を指している(North, 1990;Hayami and Kikuchi, 1981)(17)。ジャワの稲作農村では,誰でも収穫労働に参加し収穫量の一定割合の米(収穫労働者の取り分は “bawon” と呼ばれる)を報酬として受け取る(雇用者は労働費用としてbawonを支払う)無制限刈り取り制度(derepan)が一般的であった。農村に住む零細農家や土地なし層にとって複数の水田で農業雇用労働に参加することによりbawonを多くの農家から受け取ることは,食料となる米を確保する上で不可欠であった。緑の革命期には,derepanに代わり,田植えや除草などの作業を無償で請け負った労働者のみが収穫労働に参加し収穫量の一定割合の米(bawon)を受け取ることができる制限刈り取り制度(cebelokan)が広がった(18)。零細農家

- 5-

� 伊藤:ポスト緑の革命期のインドネシア・ジャワにおける低投入農法の普及過程

や土地なし層は,限られた相手(通常は近所に住む農家)との間で長期的・排他的な雇用労働契約を結ぶことにより一定の米の分配を受け続けることができた。労働者を雇用する農家も,米を分かち合う文化・伝統を維持しながら労働者の人数を制限することにより収穫労働者の取り分(bawon)を調整できるようになった。同時に,農家が一方で労働者を雇いながら自らも他の農家の水田で雇用され収穫米の一部を受け取るという相互雇用を通じ,水田の広さや土壌・水利条件によって異なる米の収量・稲作所得が世帯間で平準化されてきた(金沢,1988,1993)。地代として収穫米の半分を小作が地主に支払うという伝統的な分益小作制(maro)が定額借地制へ移行するなど,地主と小作の間の農業経営費負担に関する契約も多様化した。このように,政府が主導した零細農家を含めた組織化・信用事業の実施という「上から」の慣行農法の普及と合わせ,農村社会における農業労働契約制・分益小作制の変化が起きたことによって,土地生産性・実質賃金の増加の受益者として零細農家や土地なし層も包摂するような生産関係の変化が進んだ。このような制度の変化は,世帯間の経済格差,社会的軋轢を部分的に緩和したため,比較的スムーズに多くの農村において慣行農法が普及した社会的背景となった(加納,1988,79 頁)。 他方で,有機SRIの普及過程が農家の社会関係や農村の制度とどのように関連しているのかについて焦点を当てた分析はなされてこなかった。いくつかのジャワ農村の調査は,有機SRIが普及した過程で,多くの農家が「研修や集会などを通じ,周囲の人との間で学び合う機会が増えた」,「他の人との関わりを通じて知識が増えた」と感じるようになったことを指摘している(Ishikawa,2011;横山・ザカリア,2009)。また,農家の間の水利をめぐる話し合いや地主による小作への農法の選択に関する意向が,有機SRIの導入を促したり阻害したりするという可能性が示唆されている(Takahashi, 2012;Yadi Heryadi and Trisna Insan Noor, 2016)。 本稿は,有機SRIの普及事例の社会ネットワーク分析を行うことで,次のようにジャワ農村の制度を捉える新たな視角を提示する。具体的に

は,有機SRIを導入した農家と導入していない農家が併存しているという有機SRIの普及過程にある村において,ソーシャルラーニングや雇用労働契約を通じたつながりなど,農家がどのように多様な社会関係を築いているのかをネットワーク分析の方法を用いて可視化する。更に,ネットワークの全体構造を把握した上で,それぞれの農家の相対的地位を表す「ネットワーク指標」を測定する。制度に関する先行研究の多くは,普及員から農家への慣行農法の指導,地主・小作制,農家と労働者の雇用契約など二者間の関係のパターンとして制度を捉えてきた。このような視角からは,農村における社会関係の全体像やその中でそれぞれの農家がどのような位置づけにあるのかを把握することが難しかった。それに対して社会ネットワーク分析は,間接的関係(第三者を介した二者間の関係)を考慮することができる。例えば有機SRIの普及過程では,農家は他者から指導を一方的に受けるだけでなく,他者から教えられた技術を他の農家に自ら教えるという,技術を媒介する役割を果たすことが想定される(情報は3つの主体の間で流れており,他者から指導された技術を第三者に伝えた主体が,情報の媒介・普及において最も重要な地位にあるということになる)。対象集団内でどのような農家が技術の媒介において重要な役割を果たすのかを,ネットワーク指標の1つである「中心性」(詳細は後述する)などを用いて測定することができる。農業労働者の雇用に関しても,個別の農家と労働者との間の二者間の(相互)雇用関係のみならず,複数の相手との雇用関係が構成する全体のネットワークの中で,新農法の普及に伴って変化する農家の所得分配の状況を示すことができる。このように,有機SRIが,農家の社会選択の側面,すなわち農村の社会関係を考慮した上での農業経営や生活の実態と,どのように関わり合いながら普及しているのかを明らかにする。それは,農村社会の成り立ちに対する多面的な理解を深めることに貢献すると考えられる。

(2)調査地と調査対象の選定理由 西ジャワ州では,低地における大規模・商業的な稲作と山地における小規模・自給向けの稲作が

- 6-

農林水産政策研究 第 29 号(2018.9)

同時に展開されてきたため,緑の革命後も州内における米の商品化の程度に大きな地域差があった(水野,1988)。首都ジャカルタから約 200km離れているタシクマラヤ県には,山地が多く存在する。1980 年代でも米を販売している農家の割合は 17%に留まっていたことから,自給向けの稲作が長く維持されてきたと考えられる(BPS, 1986)。年間降水量は約 2,600mm,季節は乾季(50mm以下/月),雨期(250mm以上/月),少雨期(150mm/月)に分かれ,2期作~3期作が可能である。2000 年代には,有機農業を推進する方針を示した西ジャワ州政府の後押しの下,水利条件の良いほ場で選択的・集約的に有機SRIが採用されるようになった。 純農村地帯であったタシクマラヤ県における,近年の有機SRIの導入と商業的農業の拡大は,農村社会に大きな影響を与えたと考えられる。そのため,有機SRIの普及の社会経済的影響を考察するための調査地として選定した。また,調査地の農民組合は国内で初めて国際認証の取得・有機米の輸出システムを確立・実践した。したがって調査農民の経営のあり方は,低投入農法を採り入れた商業的稲作の展開において最も先進的なモデルケースとして位置づけられる。 今日,タシクマラヤ県の有機米のほぼすべてが有機SRIを用いて生産されている(Yadi Heryadi and Trisna Insan Noor, 2016, 176 頁)。同県における有機SRIの普及過程は① 1992 年~ 2000 年の準備段階,② 2000 年~ 2005 年の導入期,③2006 年以降の定着期,に分けられる。有機SRI普及の過程では,農家グループによるNGOや農民組合の形成,州・県政府の政策的支援,海外や都市の企業による農家への農法指導・認証取得に関する支援など,組織間のパートナーシップが重要な役割を果たした(横山,2011)。①準備段階の 1992 年,タシクマラヤ県にお

けるFAOプロジェクトの一環として導入された総合的病害虫管理(Integrated Pest Management:IPM)を学んだ農家が,有機農業に関心を持ちアグロエコロジカル・アプローチの研究を始めた。これまでの肥料・農薬多投型の農業によってほ場生態系が危機に瀕しているとの認識を持つ農家はグループを作り,堆肥

や生物由来資材を利用して土壌を改良することによって増産を図る方法に関する独自の研修教材(Ekologi Tanah)を作成して農民学校を開き,県内を中心に,自主的にアグロエコロジカル・アプローチを普及し始めた。

②導入期の 2000 年,農家グループはアグロエコロジカル・アプローチの研修メニューに有機SRIを採り入れた。2003 年には県内の全 39 郡の代表農家に,3日間の有機SRI研修が実施された。以前から農民学校の研修を受けていた多くの農家が,この研修を機会に県内の広域に有機SRIの情報を伝えた。

③定着期の 2006 年,我が国の企業の資金援助や農業省の協力を得て,農家グループは,有機SRIの研修・普及を主な目的とするNGOを発足させた。県政府は,2006 ~ 07 年,堆肥製造のためのチョッパー,ミキサー,堆肥舎,家畜(牛,山羊)などの購入のための補助金を提供した(19)。有機米の生産地に政府の補助で建設された真空パック機材を据える精米工場では,近隣に住む農家の妻や非農家などが雇用されるようになった。2008 年,州政府の「健康・教育・貧困削減政策」の一環として県政府が打ち出した「有機稲作振興政策」において,有機SRIは推奨技術として採用された。同じ年,農家メンバーが代表となる「シンパティック農民組合連合(Simpatik Farmers Cooperative: GOPOKTAN, 以下では「農民組合」と呼ぶ)が設立された (20)。アメリカのフェアトレード企業は,農民組合に対して「シンタヌ」(Sintanue)という西ジャワ向けにインドネシアで開発された高収量品種の有機SRIによる生産・有機認証取得を指導・支援すると同時に,シンタヌを “Volcano Rice” として商標登録した。2009 年,農民組合の農家が国内で初めてIMO(スイスの有機農産物の資格付与団体)から有機米及びフェアトレードの認証を取得した。ジャカルタの業者を通じてアメリカの企業への輸出が開始され,その後,EU,マレーシア,シンガポール,香港への輸出も始まった。更に 2013 年には中部ジャワ州で,タシクマラヤ県における有機認証取得・輸出を推進したのと同じアメリカ企業とジャカルタ業者が,同様

- 7-

� 伊藤:ポスト緑の革命期のインドネシア・ジャワにおける低投入農法の普及過程

に農民組合の農家を支援し国際認証取得,工場での包装,ジャカルタ業者による買取,ベルギー,ドイツなどへのフェアトレード輸出を開始した。また国内の都市への有機米の流通が開始された(SIMPATIK, HP)。

 2011 年に農家の費用負担により建設された “Nagrak Organic SRI Center(NOSC)” という宿泊施設や実験ほ場を備える研修センターは,全国・海外からも研修希望者を受け入れている。参加者は通常5日間のプログラムの中で,種籾の選別,苗床の準備,移植,有機肥料や生物由来資材の作製,除草,病害虫管理など稲栽培全体に関する訓練を受ける。訓練を受けた農民の中から選ばれた研修指導員は,出身村で他の農家への指導を担う。そのため研修センターは普及員の育成も実施していることになる。この研修センターは政府機関ではなく,有機SRIの普及に取り組むNGOのメンバーにより運営されているということが特徴的である(佐藤,2011,85 頁)。 本稿の調査(2012 ~ 2018 年)の対象は,タシクマラヤ県の中でフェアトレード輸出用の有機米の精米・包装工場が建設され,地域の米のブランド化の拠点となっている村である(横山,2011;伊藤,2016a,2016b)(21)。村の中でも,隣県においてインドネシアで初めて有機SRIを導入した農家と友人関係にある農家が,初期に有機SRIを導入した地区(「隣組」:Rukun Tetangga,以下「RT」と呼ぶ)内に居住するすべての農家(22)(36世帯,以下「調査農家」と呼ぶ)を聞き取り調査の対象とした。 3.調査農家の経営収支と社会関係の特色:

SRI農家と慣行農家の比較から

(1)SRI農家と慣行農家の基本的特色 以下では,調査農家を「SRI農家」(有機SRIを導入した農家)18 世帯と,「慣行農家」18 世帯(導入していない農家)に分類する。その上で,慣行農家に比べたSRI農家の社会経済的特色を,稲作経営収支や周囲の世帯との社会ネットワークのあり方を検討することで明らかにする。 ここでSRI農家を「調査時点で過去1年間に有機SRIを実践したと農家自らが認識している

世帯」と定義する(横山・ザカリア,2009,650頁)(23)。多くのSRI農家は2期作を行い,農作業を行わない時期には堆肥作りや農法の学習(研修への参加)などを行っている。一方,調査時点で有機SRIを実践したことがない,又は一度は導入したがやめたという(調査時点の過去1年間に有機SRIほ場を経営しなかった)農家を「慣行農家」と定義する。多くの慣行農家は3期作又は2年5期作を行う。調査対象のRTには,徒歩5分以内で移動できるほどの敷地に家が密集している。そのため調査農家は互いに顔見知りである。調査では 36 農家の世帯主(すべて男性)のリストを作成した上で,すべての農家に対して他の農家(35人)との関係について質問をした。 慣行農家が「有機SRIを導入しない,もしくは導入したがやめた理由」は大きく2つに分けられる(第1表)。1つ目は世帯の属性に関連する(費用・時間の制約,能力・労働力の制約,機械・設備の制約など合わせて 22 件)。2つ目は労働者・地主・近隣農家との社会関係に関連する(14 件)。田植え(間隔や植える本数などの工夫)・堆肥づくりなど,農作業を請け負う労働者に伝えるのが難しいという回答が多い(8件)。また,収穫労働者に報酬として米を与えるためという回答があった(1件,本調査地では有機SRIを用いて生産した有機米は農民組合に買い取られる)。地主の意向により導入をためらっているという意見もあった(3件)。小作と分益小作制を結んでいる地主は,農法転換後に収穫が一時的に減ることによって地代収入が減少するというリスクを避けるために,小作の技術導入に反対するということが考えられる。農薬を使用しないことによる病害虫の被害が近隣農家へ及ぶことを懸念するという声もあった(2件)。 SRI農家は慣行農家に比べて,世帯主の年齢が低く,教育水準が高い傾向にある(第2表)。SRI農家の経営耕地面積(0.67ha),そのうち自作地の面積(0.43ha),経営耕地面積のうち自作農の比率(64%),年間生産量(8t),販売率(47%),販売価格(5,064Rp/kg)は,慣行農家のそれら(順に,0.39ha,0.03ha,7%,2.4t,19%,4,358Rp/kg)を上回る。他方SRI農家の借入地の面積(0.24ha)は慣行農家のそれ(0.36ha)より

- 8-

農林水産政策研究 第 29 号(2018.9)

も小さい。収穫した米のうちSRI農家はその 53%を,慣行農家はその 81%を,自家消費や地代支払い,雇用労働者への報酬の支払いなどのために利用する。 土地の所有や貸借に関して,SRI農家においては経営耕地面積のうち自作地の割合が高く,逆に慣行農家においては借入地の割合が高い。その意味で慣行農家の方が,(農法の選択を含めた)地主の意向を経営に反映させやすいと考えられる。SRI農家のうち水田を借りていない自作農は9世帯であり,残りの9世帯は水田(すべて又は一部)

を賃借している。3世帯のSRI農家が他の農家に水田の一部を賃貸している。慣行農家のうち土地を借りていない自作農は2世帯のみである。残りの 16 世帯は,水田(すべて又は一部)を賃借している。水田を貸しているという慣行農家はいない。1世帯のSRI農家が他の調査農家(近所に住む父,SRI農家)から水田を借りている。その他の調査農家の賃借相手はすべて調査農家以外(村内外の農家及び非農家)である。このように,調査農家の集団の内部では土地の貸借があまりなされていない。借地農のうち,慣行農家 16 世帯とSRI農家7世帯が,地代として地主に収穫米の半分を支払うmaro制を実践している。 (2) SRI農家と慣行農家の経営収支 多くのSRI農家は,農民組合で毎年種子を購入する。SRIはどのような品種の米にも適用できるものとされているが,国際認証を取得するにはIR種に比べて味の良い在来品種(「赤米」や「黒米」と呼ばれる)やシンタヌの正式な種子を,農民組合を通じて毎年購入することが農家に義務づけられている。そのため有機SRI導入後に,栽培する品種をIR種からシンタヌに切り替えたという農家も多い。農家による農民組合への有機米販売価格はシンタヌ(すべてのSRI農家が生産)7,000Rp/kg,赤米や黒米(生産農家は調査対象の中で1人)1万~1万 2,000Rp/kg程度である(籾米)。組合への販売価格は,商人を通じて地元市場で米を売る相場である 4,000 ~ 5,500Rp/kgに比べて高

第1表 慣行農家が有機SRIを導入しない・やめた理由SRIを導入しない・やめた理由の分類 件数

「関係」に関連する事項労働者との関係

田植え・堆肥づくりを労働者に教えるのが大変 8慣行農法の方が労働者に米を与えられるから 1

地主との関係 地主の意向 3近隣農家との関係 無農薬で病気が発生すると周囲に迷惑をかける 2

「属性」に関連する事項

費用・時間の制約堆肥を作る費用が高い,家畜がいない,堆肥運搬が大変 5時間がかかる,手間がかかる 8

能力・労働力の制約高齢なので新しい農法がわからない,能力がない 5男性労働力の不足 1

機械・設備の制約 パソコンや農具(耕耘機など)がない 2一度試してみたが収量が上がらなかった 1

回答総数 36

資料:調査結果より作成.注.慣行農家 18 世帯から,有機SRIを導入しない・やめた理由を聞き取り,筆者が整理した.

第2表 SRI農家と慣行農家の基本的属性SRI農家(N=18)

慣行農家(N=18)

世帯主年齢(歳) 50 58世帯主教育年数(年) 12 7経営耕地面積(ha) 0.67 0.39

うち自作地(ha) 0.43 0.03うち借入地(ha) 0.24 0.36

自作地が経営面積に占める割合(%) 64 7借地農数(世帯) 9 16うち同RT内からの借地農数(世帯) 1 7年間籾米生産量(t) 8 2.4収穫回数(回/年) 2 2.5販売率(%) 47 19販売価格(Rp/kg) 5,064 4,358

資料:調査結果より作成.注 (1)SRI農家の販売率(販売価格)は,生産量のうち,

農民組合と地元の市場への販売量の合計が占める割合(全販売量の価格の平均値).

(2)ルピア(Rp)はインドネシアの通貨単位(2011年1USドル=8,770Rp,2012 年 9,703Rp,2013 年 10,461.2Rp).

- 9-

� 伊藤:ポスト緑の革命期のインドネシア・ジャワにおける低投入農法の普及過程

い。また「チヘラン」(Ciherang)という,インドネシアで広く普及している高収量品種を生産しているSRI農家7世帯はいずれも,その品種を自家消費用に生産している。有機米の買取基準(認証基準)を定めている契約書には,有機米の定義(化学肥料・農薬使用の禁止),施肥(堆肥利用)の基準,生産物の品質基準(水分など)などが定められている。これらの基準を満たしているかどうかを,毎年国際認証機関の指導を受けた組合の検査員が調査する(2014 年の農民組合での聞き取り)。 他方慣行農家の多くは,地元の市場や協同組合を通じて高収量品種(チヘランやIR)の種子を入手し2~3期作を行う。種子を毎年買わず,自家採種や種子交換を行う農家も多い。多くの慣行農家は,農村に米を買いに来る商人や地元市場,

協同組合などへ,収穫後の時期やその後現金が必要になったときに個別に米を販売している。 続いて第3表によりSRI農家と慣行農家の稲作経営収支(1ha当たり)を比較する。SRI農家の平均的な経営耕地面積,単収,粗収益,堆肥費,自作地地代,雇用労働費,生産費総額,稲作所得は,慣行農家のそれらの値を上回っている。特にSRI農家のほ場の単収が慣行農家のそれを大きく上回っているのは,SRI農家の多くが国際認証取得のために農民組合から技術的指導を受けながら,先述した6つの有機SRIの原則を忠実に実践していることに加え,優良種子の選定,水田の毎日の観察による早期の病気予防,堆肥の改良など自発的に生産量を高める活動に熱心であるためである(24)。 慣行農家の賃借料,種子費,化学肥料・農薬

第3表 SRI農家と慣行農家の稲作経営収支

      SRI農家(N= 18) 慣行農家(N= 18)

平均値 生産費に占める割合 標準偏差 平均値 生産費に占める割合 標準偏差経営耕地面積(ha) 0.67 - 0.43 0.39 - 0.20 単収(年間,t/ha) 11.80 - 6.07 6.10 - 4.51 粗収益 37,237 - 31745.57 20,144 - 14967.88

賃借料 1,071 5% 0.99 1,120 6% 1.21 種子費 108 1% 235.91 140 1% 298.36

化学肥料・農薬費 0 0% 0.00 1,648 8% 913.49 堆肥費 117 1% 3015.70 67 0% 321.28

物財費小計 1,295 6% 3067.91 2,976 15% 846.04 支払い地代 7,049 34% 9477.70 11,296 56% 6837.69 自作地地代 3,943 19% 3425.33 275 1% 1210.25

地代小計 10,992 52% 7743.06 11,571 58% 6451.81 家族労働費 1,487 7% 4497.60 4,016 20% 5044.52 雇用労働費 7,194 34% 11049.92 1,499 7% 1277.81

労働費小計 8,681 41% 10953.37 5,515 27% 5347.22 生産費総額 20,968 100% 10448.36 20,062 100% 5638.08 稲作所得 21,700 - 30286.82 4,373 - 15124.16

資料:調査結果より作成.注 (1)単収は,年間の1ha当たりの生産量を示している.SRI農家は年に平均2回,慣行農家は年に平均 2.5 回収穫を行うため,

1期当たりの単収はそれぞれ 5.9t/ha,2.4t/haである.技術の違いによる単収の差に関する詳細は,本文注 24 参照. (2)収支の計算方法は,高橋(2000,203 頁)・農林水産省(2017)の「農業経営統計調査」・「米の生産費」調査項目を参照. (3)粗収益以下の項目(平均値)の単位は 1,000Rp/ha. (4)生産費総額=物財費+労働費+地代. (5)稲作所得=粗収益-{生産費総額-(家族労働費+自作地地代)}. (6)地代支払い,雇用労働費について,現物(米)が用いられる場合,平均販売価格(4,500Rp/kg)で換算した. (7)賃借料はトラクターの賃借料. (8)標準偏差の大きい項目について,SRI農家と慣行農家の差が統計的に有意かを確かめるために有意水準5%で片側検定のt検

定を行った結果,粗収益,稲作所得については平均値の差が有意であることが分かった(t= 0.001,p<.05,t= 0.04,p<.05, t= 0.016,p<.05).生産費総額については5%水準で有意差は認められなかった(t= 0.236,p>.05).

- 10 -

農林水産政策研究 第 29 号(2018.9)

費,支払い地代,家族労働費は,SRI農家のそれらの値を上回る。まとめると,SRI農家の物財費(約 130 万Rp/ha)・地代(1,099 万Rp/ha)や物財費・地代が生産費総額に占める割合(順に6%,52%)は,慣行農家のそれら(順に 298 万Rp/ha,1,158 万Rp/ha,15%,58%)よりも低い水準にある。他方SRI農家の労働費(868 万Rp/ha)や労働費が生産費に占める割合(41%)は,慣行農家のそれら(順に 552 万Rp/ha,27%)よりも高い水準にある。ここに,有機SRIが投入財節約的・労働集約的技術であるという特色が現れている。 また,SRI農家の経営耕地面積,単収,粗収益,堆肥費,物財費,支払い地代,自作地地代,地代,雇用労働費,労働費,生産費総額,稲作所得の標準偏差は,慣行農家のそれらを上回る。慣行農家のトラクター賃借料,種子費,化学肥料・農薬費,家族労働費の標準偏差のみがSRI農家のそれらよりも高い(SRI農家のこれらの種類の費用は一律に低い)。このようにSRI農家集団内部では全体として,慣行農家の集団内部に比べ単収,粗収益,費用,所得のばらつきが大きい。それは,技術導入直後のSRI農家の多くが,必ずしも最適な水管理,堆肥の施用による十分な量の収穫や認証基準を満たす高品質な米の生産(高価での販売)を行えないために,経験の浅いSRI農家と熟練したSRI農家の間で収益の差が大きいためである。 以上のように,SRI農家の経営収支を慣行農家のそれと比べるとばらつきが大きいものの,単位面積当たりの粗収益が高く,化学肥料や農薬などの投入財にかかる費用は抑えられている。そのため,SRI農家の経営の収益は,平均的には慣行農家のそれよりも高い。

(3)SRI農家と慣行農家の社会ネットワーク:ネットワーク指標の比較

 次に,SRI農家をとりまく社会ネットワークの実態を慣行農家のそれと比較することを通じて,有機SRIの普及過程と社会ネットワークの相互関係を検討する。具体的には①有機SRIがどのように農家間で教えられ普及したのか表す「普及のネットワーク」,②調査農家(SRI農家と慣行農

家の両方を含む)がどのように普段から農業に関する情報を共有しているのかというコミュニケーションのあり方を表す「情報共有のネットワーク」,③社会制度としての農業労働雇用契約が,調査農家と村内の農家・非農家の間でどのように結ばれているのかを表す「雇用のネットワーク」という3つの社会ネットワークを取り上げる。そして,36 農家(点で表される)が構成する関係のパターン(点を結ぶ線や矢印で表される)から,農家の社会選択・社会構造の実態を解釈する。また,それぞれのネットワークにおける各農家の中心性(一般的に用いられる3つの指標,次数中心性・近接中心性・媒介中心性)を測定することにより,ネットワークにおける各主体の社会的地位を,定量的に把握する(25)。第4表は,3つのネットワークにおけるSRI農家と慣行農家のそれぞれのネットワーク指標の平均値を示している。また第5表は,3つのネットワークにおけるネットワーク指標の上位5世帯の世帯番号,SRI農家/慣行農家の別,それぞれの農家の中心性指標の値を表している。①普及のネットワーク 第2図は,同一RT内で,有機SRIがどのように農家同士の社会関係を通じて普及していったのかを示している。図の左の方にある農家がRT内で早い時期に有機SRIを導入した一方,右の方にある農家は遅れて導入した。2000 年,国内で初めて有機SRIを導入した農家(農民組合の代表者)の友人であるv35 が,調査農家の中で最も早く有機SRIを導入した。2002 年には,同じ農家の友人であるv5 が有機SRIを導入し,同じ年にv14 に技術を指導した。有機SRIは 2004 年から 2011 年までの間に,同RT内の農家の 50%にあたる 18 農家に普及した。 SRI農家の次数中心性の平均値は1.78である(第4表)。この値は入次数(ここでは指導を受けた相手数1)と出次数(指導した相手数 0.78)の合計である。すべてのSRI農家(18 世帯)の入次数は1であった。つまり,すべての農家が他の1人の農家から,有機SRIの導入に際して指導を受けた。他方,出次数(指導した相手数)には世帯間で差がある。v5 の出次数は 11,v21,31,35 のそれは1,その他の 14 世帯のそれは0の値をと

- 11 -

� 伊藤:ポスト緑の革命期のインドネシア・ジャワにおける低投入農法の普及過程

第 5表 ネットワーク指標の上位 5世帯

ネットワークの種類ネットワーク

指標1位 2位 3位 4位 5位

普及のネットワーク(SRI農家18世帯中)

入次数 全世帯(1) - - - -

出次数 v5(11) v21, 31, 35(1) その他(0) - -

次数中心性 v5(12) v21, 31, 35(2) その他(1) - -

近接中心性 v5(0.36) v21(0.23)v1, 2, 3, 4, 6, 8, 9,14, 24, 25(0.21)

- -

媒介中心性 v21, 31, 35(0.05) v5(0.01) その他(0) - -

情報共有のネットワーク

(調査農家36世帯中)

次数中心性 v5(S)(13) v3(S)(9) v8(S)(8)v6, 9, 23(S)(7) -

近接中心性 v5(S)(0.49) v8(S)(0.45) v6(S)(0.42) v3(S)(0.41) v23(S)(0.40)

媒介中心性 v5(S)(0.28) v23(S)(0.19) v8(S)(0.15) v33(C)(0.14) v6(S)(0.12)

雇用のネットワーク(調査農家36世帯中)

入次数 v25(S)(2)v17, 20, 27(C)(2)

v2, 3, 32(S)(1)v10, 12, 30, 33, 34(C)(1)

- - -

出次数 v9(S)(5)v11, 28(C)(5)

v5, 6, 21, 36(S)(4)v16, 34(C)(4)

- - -

次数中心性 v9(S)(5)v11, 20, 28, 34(C)(5)

- - - -

近接中心性 v20(C)(0.11)v9(S)(0.1)

v11, 12, 17(C)(0.1)- - -

媒介中心性 v17(C)(0.0012) v12(C)(0.0010) v20(C)(0.0009)v34(C)(0.0007)v33(C)(0.0004)

資料:調査結果より作成.注 (1)上位5世帯のみ(同列の場合を含む)の情報を表す. (2)vの後の数字は世帯番号. (3)括弧内の数値はネットワーク指標. (4)情報共有と雇用のネットワークに関して,世帯番号の後にSRI農家と慣行農家の区別を表記.(S)はSRI農家,(C)は慣行

農家.

第4表 SRI農家・慣行農家のネットワーク指標の平均値ネットワークの種類 ネットワーク指標 SRI農家(N= 18) 慣行農家(N= 18)

普及のネットワーク

入次数 1.00 -出次数 0.78 -

次数中心性 1.78 -近接中心性 0.21 -媒介中心性 0.00954 -

情報共有のネットワーク次数中心性 4.72 2.06 近接中心性 0.33 0.24 媒介中心性 0.06173 0.02000

雇用のネットワーク

入次数 0.28 0.61 出次数 2.28 2.06

次数中心性 2.56 2.67 近接中心性 0.05 0.06 媒介中心性 0.00004 0.00027

資料:調査結果より作成.注 (1)近接・媒介中心性の指標は,有向ネットワーク(普及・雇用のネットワーク)を無向ネットワークとみなして計算

した(de Nooy et al., 2005). (2)入次数,出次数,次数中心性,近接中心性,媒介中心性の意味・計算方法は,本文注 25 参照.

- 12 -

農林水産政策研究 第 29 号(2018.9)

る。v5,21,31,35 の4世帯は,出次数,次数・近接・媒介中心性の指標の上位を占める。一方,その他の 14 世帯は下位を占める。v5 は出次数,次数・近接中心性において1位であり,媒介中心性は2位である(第5表)。②情報共有のネットワーク 第3図は,有機SRIの情報に限らず農業全般に関する日常的な助言や情報共有がどのような農家の間で行われているのかを示している。図に描かれた 60 本の線のうち,27 本がSRI農家同士を,26 本がSRI農家と慣行農家を,7本が慣行農家の間を結んでいる。 SRI農家の中心性指標の平均値(次数中心性4.72,近接中心性 0.33,媒介中心性 0.06)は,慣行農家のそれらの値(順に 2.06,0.24,0.02)を上回る(第4表)。媒介中心性が4番目に高いv33 を除いては,中心性指標の上位世帯のすべて

を,SRI農家が占めている。v5 は,次数・近接・媒介中心性のいずれの値も1位である(第5表)。 また,先述した普及のネットワークにおける中心性指標の上位4世帯(v5,21,31,35)のうちv5 は,情報共有のネットワークにおいても次数・近接・中心性指標が1位であった。その他の3世帯は,情報共有ネットワークにおける中心性指標は高くない。③雇用のネットワーク 第4図は,調査農家が同じ村(他のRTを含む)に居住している世帯(農家・非農家を含む)との間で,どのように農業労働雇用契約を結んでいるのかという雇用のネットワークを示す。SRI農家の入次数(0.28),次数中心性(2.56),近接中心性(0.05),媒介中心性(0.00004)は,慣行農家のそれらの値(順に 0.61,2.67,0.06,0.00027)を下回る(第4表)。また,SRI農家の出次数

2000

v36

v35 v31v32

v2

v24v1

v4

v8

v9

v22v21

v25

v3

v6v14

v5

v23

2002 2004 2005 2007 2008 2011(年)

第2図 有機SRIの普及のネットワーク

資料:調査結果より作成.注 (1)●がSRI農家. (2)vの後の番号は世帯番号. (3)矢印は,技術を指導した主体から,指導を受けた主体に向けて引かれている(方向のある有向

ネットワークとして描いている). (4)縦列に並ぶ農家は,同じ年に技術を導入した農家(上の数字が導入年を表す。左側の世帯程早

く,右側の世帯程遅く導入した). (5)世帯番号のない点は,調査農家以外の,隣県において初めて有機SRIを導入した農家.

- 13 -

� 伊藤:ポスト緑の革命期のインドネシア・ジャワにおける低投入農法の普及過程

(2.28)は慣行農家のそれ(2.06)を上回る。入次数が1位であるv25,出次数・次数中心性が1位であるv9,入次数・出次数が比較的多いv2,3,32,5,6,21,36(v21 は普及のネットワーク上位者でもある)のSRI農家を除けば,上位世帯の多くは慣行農家によって占められている。特に,媒介中心性の上位5世帯のすべてが慣行農家である(第5表)。 調査農家と,村内の農家・非農家との間に結ばれた雇用契約数(矢印の数)は 77 本である。その内訳は,慣行農家と非農家の間が 33 本,SRI農家と非農家の間 28 本,慣行農家の間8本,SRI農家の間・SRI農家と慣行農家の間がそれぞれ4本である(26)。

4.有機SRIの普及事例の社会ネットワーク分析

(1)有機SRIの普及の社会的影響 本節では,前節の検討を踏まえ,調査地の農家間のソーシャルラーニングや社会制度の特色を明らかにする。SRI農家は慣行農家に比べると,農法の導入時や日常において農家同士の学び合いの機会を通じ緊密なコミュニケーションをとっている。したがって,有機SRIの普及過程におけるソーシャルラーニングの活性化が起きているということを読み取ることができる。 まず普及のネットワークにおいて,v5,21,31,35 の4世帯とその他の 14 世帯の間では,出

第3図 情報共有のネットワーク

資料:調査結果より作成.注 (1)●がSRI農家,○が慣行農家. (2)vの後の番号は世帯番号. (3)線は,調査対象農家の中から,普段から農業一般に関する助言を受けたり情報を聞いたりする相手

を無制限に選択した結果を用い,日常的な助言,情報共有の関係を持つ世帯間を結ぶ(方向のない無向ネットワークとして描いている).

v36v35

v31

v32

v2

v24

v1

v4

v8

v9

v22v21

v25

v3

v6

v14

v5

v23v29

v30 v7

v28

v34v20

v33

v26

v10

v11v12

v13

v17

v15

v16

v18

v19

v27

- 14 -

農林水産政策研究 第 29 号(2018.9)

次数(指導相手の数)が異なる(4世帯の出次数は1以上で,14 世帯の出次数は0である)。v5,21,31,35 の4世帯は,自ら有機SRIを指導する役割を担った普及の主体である。一方その他の 14 世帯は,他の世帯から指導を受けた普及の受け手である(27)。更に,v5 と,v21,31,35 の3世帯の間では,普及の主体としての役割に違いがあると考えられる。出次数,次数・近接中心性が1位であるv5 は,最も多くの農家と最も近い距離で結びついている。つまりv5 は,多くの農家に素早く情報を拡散するのに最も重要な立場にある。v5 は,先述のNOSC(有機SRIの研修センター)で学んだ正式な研修指導員(普及員)でもある。そのため他の農家は,v5 をリーダーのような存在であるとみなしている。換言すると,v5 と他の農家との間で有機SRIに関する知識や経験に大きな格差があるということが,調査農家の中で共通に認識されている。他方v21,31,35 の

3世帯は,媒介中心性が1位であり,次数・近接中心性はv5 に次いで高い。v21,31,35 の3世帯はNOSCで研修を受けた正式な普及員ではないものの,教えられた有機SRIを習得した上で,友人や親族など個人的に親しい間柄にある1世帯の農家に対して有機SRIを指導した。これらの3世帯とその指導相手との関係の方が,v5 とその指導相手との関係よりも,より水平的で対等である。それは例えば,普及のネットワークにおけるv21,31,35 の3世帯とそのそれぞれの指導相手(順にv22,32,36)との間の次数中心性の差(2と1の差で1)が,v5 とその指導相手(v1,2,3,4,6,8,9,14,21,24,25)との間の次数中心性の差(v5 とv21 の差は 12 と2の差で 10,その他の農家との差は 12 と1の差で 11)よりも小さいということから,推察される。次に検討するように,普及のネットワークにおける指導者と被指導者であるv35 とv36 などは,情報共有のネット

v36v35

v81

v38

v39

v42

v40

v45

v43

v80

v82 v83 v84

v62

v72

v63 v59

v41

v74 v71

v73

v78

v34

v33

v29

v68

v69

v30

v28

v56

v58

v57

v51

v10

v52 v53

v16

v13

v50

v12

v49

v70

v67

v79

v54

v55v76v19

v75

v20 v18

v7

v77v27

v66

v15

v26

v44v61

v60 v46v17

v48

v47

v11

v31 v32

v2

v24

v1v4

v8

v9

v22

v21

v25

v3

v6

v14

v5

v23

第4図 雇用のネットワーク

資料:調査結果より作成.注 (1)●がSRI農家,○が慣行農家, が調査農家以外の村内の農家・非農家(RT外の農家やRT内外の非農家45世帯). (2)vの後の番号は世帯番号. (3)矢印は,調査前年に田植え,除草,収穫の作業で雇用した相手世帯(同じ村に住む世帯のみ)を無制限に選択

した結果を用い,雇用者から被雇用者へ向けて引かれている(方向のある有向ネットワークとして描いている).

- 15 -

� 伊藤:ポスト緑の革命期のインドネシア・ジャワにおける低投入農法の普及過程

ワークにおいて互いに相談している。有機SRIの指導者とその指導相手との間で,日常的で双方向的な学び合いが行われていると考えられる。 以上から,普及のネットワークにおける次数・近接中心性が1位であるv5 は,つながりの多さや他世帯との距離の近さという意味で調査農家の集団の中で圧倒的に地位が高い突出したリーダーである。一方,v21,31,35 のような媒介中心性の高い農家は,より他の農家と近い立場で情報を橋渡ししている。これらのv5,21,31,35 の4世帯はいずれも,他の農家の行為を特定の方向に向かうように影響力を行使できる「オピニオン・リーダー」という役割を果たす(ロジャース,2005,36 頁)。このような社会ネットワーク上の地位にある農家は,農業技術の周囲への拡散を導きやすいため地域内の普及率の上昇に大きく貢献しうる。 次に,情報共有のネットワークの構造とSRI農家の地位について検討する。SRI農家の中心性指標の平均値は慣行農家のそれよりも高いことから,SRI農家は慣行農家よりも緊密なコミュニケーションのネットワークを築いている。SRI農家はそれぞれの水田の状況(水利,土壌条件など)に合わせて,間断灌漑,堆肥の利用,田植えの方法などを具体的にどのように工夫すれば,収量の増加につながるのかに関するそれぞれの記録を互いに見せ合ったり,話し合いや集会の場を設けたりしている。それは,先行研究(Bandiera and Rasul,2006;Munshi,2004;Todo et al.,2013など)と同様に,調査地における有機SRIの継続にとって多数の人からの情報の取得が重要な役割を果たしていることを示している。特に,普及のネットワークにおける次数・距離中心性が1位であったv5 は,情報共有のネットワークにおける中心性も高い(次数・距離・媒介中心性がすべて1位である)ことから,日常的な相談・助言相手としても対象RTの中で最も重要な農家である。普及のネットワークにおける中心性が上位であったv21,31,35 は,情報共有のネットワークにおける上位世帯には入っていない。これらの3世帯は,特定の相手に有機SRIを教えたものの,必ずしも多くの農家にとってのリーダーとして特別な存在とはみなされているというわけではない。

代わりに,v3,6,8,23 などの情報共有ネットワークにおいて中心性の高いSRI農家は,有機SRIを他の世帯に指導してはいないが,一般的な農業技術情報を速く多くの人に伝達・拡散しやすいため,持続的に情報の伝達を促し,新農法を維持することに貢献していると考えられる。 更に,情報共有のネットワークにおいて,SRI農家と慣行農家の間で 27 件,慣行農家同士で7件のつながりがあり,慣行農家も日常的に他の農家とコミュニケーションをとること,慣行農家の中にも媒介中心性の高い(情報伝達を媒介する役割を果たす)農家(v33)がいることが注目される。ロジャース(2005,84-86 頁)によれば,人が新しい行動をとるようになるプロセスには,①技術を認知する段階,②技術の試用を検討する段階,③技術の試用を決定する段階,④技術を実際に試用する段階,⑤技術の効果を確認する段階の5つの段階がある。そして既に一部分で普及している行動については,③の技術の試用を決定する段階において最も多くの有益な情報を必要とする。調査時点で,慣行農家の全員が有機SRIがどのような技術であるのかについて,その概要を「知っている」と答えていた。慣行農家の中でも多くのSRI農家との関係を持つような主体は,ネットワークを通じた情報の取得により有機SRIの導入に対する不確実性を軽減する機会を多く持つことができるため,農法の転換を行いやすい立場にある。技術の転換を行いやすい立場にある主体を,後述するように「照射量」の測定により特定できる。 このように,自ら学び合いに参加したり,ときには他の農家に対して農法を指導したりすることについて,農家は「教わったり教えたりすることによって,知識を増やしたり確認したりすることができるため自信を持つことができる」,「環境に良い農法を広めることに楽しみを感じる」といった,自己実現などの感情面に動機づけられていることが多い(SRI農家,特に他の農家への指導を行った農家への聞き取りより)。こうした実態は,有機SRIの普及が,農家の主体性や農家同士の関わり合いの増加を通じてエンパワーメント,社会関係資本の形成につながるという他のインドネシア農村での観察の結果とも整合的である(Mishra

- 16 -

農林水産政策研究 第 29 号(2018.9)

et al. 2006;佐藤, 2011;Ishikawa, 2011;横山・ザカリア, 2009)。 次に,雇用のネットワークの構造やSRI農家の地位を検討する。慣行農家は,多くの貧しい世帯(村に住む土地なし層などの農業労働への従事などによって生計を立てる非農家)を雇う傾向があること,自らが他の農家により雇用されるという相互雇用を実践していることから,中心性(特に媒介中心性)が平均的に高い。慣行農家のうちcebelokanを実践していると答えた世帯は 94%で,SRI農家のそれ(50%)を上回る(28)。彼らが認識するcebelokanとは,緑の革命期以来維持されてきた近隣世帯(主に土地なし層)を長期的に雇用して収穫米の一部を報酬として与え続けるという温情的雇用制度である(加納,1988,77 頁)。慣行農家による労働者の平均雇用期間(16 年,基本的に毎年,同じ特定の人を雇用する),同じRT内の世帯を雇用する世帯の割合(83%),収穫労働者に対して現物(米)による報酬の支払いを行う世帯の割合(100%),相互雇用を実践する世帯の割合(56%)はいずれも,SRI農家のそれら(順に8年,50%,56%,44%)より大きい。例えば,雇用のネットワークにおける次数中心性が1位であるSRI農家(v9)は,出次数(近隣世帯を雇用する数)が1位(5)であるが,入次数(近隣世帯に雇用されている数)は0であるため一方的に雇用するのみである。他方,同じく次数中心性が1位(5)である慣行農家のうち2世帯(v34,20)は,入次数が順に 1,2,出次数が順に 4,3であるため村内の相互雇用を行っている。v34 は媒介中心性も4番目に高く,雇用を通じた関係・情報を統制しやすい中心的地位にある(第5表,第4図参照)。このような温情的雇用,相互雇用といった地域内の世帯間の平等性を維持する社会制度を踏襲する傾向が,慣行農家においては,SRI農家においてよりも明確に確認される。 他方SRI農家の半数は,cebelokanを実践していないという。SRI農家の一部は,田植え期などに他のSRI農家を労働者として雇い,互いに助言しながら適切な農法の研究・改善に努めている。除草や収穫の時期には村内外の労働者への報酬を現金で払うことが多い(相場は1日1人当たり20,000Rp)。慣行農家に比べるとSRI農家の雇用

は,契約期間の短さ,労働者との社会関係の希薄さ,現金払い,自らが雇用されることが少ないという特色がある。その要因の1つは,農民組合を通じて有機認証取得のための資金援助を受けている農家には有機SRIを用いて生産した有機米を組合に販売する義務があるため,労働者への報酬を現金で支払うことである。例えば,出次数が上位であるv9,5,6,21,36 のSRI農家は村内で多くの労働者を雇う。しかしながらv9 を除いては,近接・媒介中心性の上位を占めるSRI農家はいない。SRI農家の近接・媒介中心性の低さは,雇用のネットワークにおける他の世帯との距離が遠く,ネットワークを仲介する役割が小さいこと,つまりネットワークからの自律性が高いことを表す。反対に,慣行農家の近接・媒介中心性の高さ(他世帯との近距離での結びつき,関係を橋渡しするという重要な立場にあること)は,地域の雇用関係に深く組み込まれ直接的・間接的に他世帯と依存し合っている実態を表している。 以上のように,複数の零細農・土地なし層との雇用契約を通じて米・所得を地域内で分配するような慣行的雇用労働制度は,主に慣行農家によって維持されている。逆に言えば,雇用ネットワークにおける中心性指標の高い慣行農家(例えばv11,12,17,20,28,34 など)に対して有機SRIを普及することは,村の労働者への有機SRIに関する情報伝達・普及を急速に進める。雇用を通じた労働者への有機SRIの情報伝達・普及は,多くの慣行農家が「有機SRIを導入しない理由」として挙げた「労働者への指導の困難」(第1表参照)の解消につながる。

(2)有機SRI・低投入農法の普及を促進する方策の検討

 以下ではこれまでの事例調査結果を踏まえた上で,今後有機SRIの普及を促進する方策を,農業技術の普及理論を参照しながら検討する。SRI農家のネットワークは,ソーシャルラーニングが活性化している実態を表すと同時に,学び合う機会や雇用関係から慣行農家や土地なし層を排除するような閉鎖的・限定的特色を持っていた。すなわち,有機SRIを採り入れた有機米ブランド化のシステムは,伝統的に農村の世帯間を結び付けてき

- 17 -

� 伊藤:ポスト緑の革命期のインドネシア・ジャワにおける低投入農法の普及過程

た雇用労働慣行を変化させて経済格差を拡大させることが明らかとなったが,このような側面が,有機SRIの更なる普及を妨げる要因となっている。有機SRIの地域内の普及を促進するためには,SRI農家のソーシャルラーニングやサプライチェーンのネットワークに慣行農家や地域の非農家・土地なし層を包摂することによって,農家間の経済格差や雇用形態の変容がもたらしうる社会的軋轢を緩和することが必要である。 先に述べたように,有機SRIと慣行農法の普及過程の特色を比較すると,慣行農法の普及過程は集中的である一方,有機SRIのそれは分散的である。分散的な普及の過程を捉える枠組みとしてロジャースは,新技術の導入者を次の5つのカテゴ

リーの理念型に分けた(ロジャース,2005,228-230 頁)。すなわち,①「革新者」(新しい技術が紹介された後,すぐに導入する少数の者),②「初期採用者」(続いて導入を試みる先進的農家),③「初期多数派」(初期採用者の成功を見て導入する多くの農家),④「後期多数派」(初期多数派の成功を見て導入する多くの農家)⑤「ラガード」(残りの慎重な農家)である。特に③や④の農家は,農家間の指導や日常のコミュニケーションのようなソーシャルラーニングの活性化によって導入を促される。多数派が導入することにより,地域内の普及率は急速に上昇する。以下では,ソーシャルラーニングにおいて重要性の高い情報共有のネットワークを取り上げる。

[1.00]v35

[1.00]v36

[1.00]v31

[1.00]v20 [1.00]v34

[1.00]v24

[1.00]v26

[1.00]v21

[1.00]v14

[1.00]v25

[1.00]v1[1.00]v2

[0.00]v7

[0.00]v32

[0.00]v15

[0.00]v16

[0.00]v12

[0.00]v22[0.71]v6

[0.75]v33

[0.75]v8

[0.83]v4

[0.33]v30

[0.33]v28

[0.80]v10

[0.86]v9

[0.85]v5

[0.67]v3

[0.43]v23

[0.50]v13

[0.50]v11

[0.50]v29

[0.50]v17

[0.00]v18

[0.00]v19

[0.00]v27

第5図 有機SRIの普及に重要な役割を果たす農家の分布

資料:調査結果より作成.注 (1)●がSRI農家,○が慣行農家. (2)vの後の番号は世帯番号. (3)線は情報共有の相手を結ぶ(第3図と同様). (4)[ ]内の数値は各主体の照射量,点の大きさは照射量の大きさを反映(照射量の定義は本文参照). (5)四角で囲んだのは,情報共有のネットワークにおける「照射量」の高い主体(慣行農家のみ)と,オピニオン・

リーダー(3種類のネットワークにおける中心性の高い主体(第5表参照)).

- 18 -

農林水産政策研究 第 29 号(2018.9)

 第5図は,情報共有のネットワークにおける,ソーシャルラーニングの活発化やSRI農家のネットワークの開放に大きな役割を果たす農家を表している。例えばv3,5,6,8,9,21,23,31,35 などのSRI農家や,v17,20,26,33,34 の慣行農家などが,社会構造上,効果的な技術普及にとって重要な地位を占めている。これらの主体を選定した理由は以下2点である。 第一に,中心性指標が高く多くの人に影響を与えうる農家(オピニオン・リーダーと呼ばれる他人の意見に主導的に影響を及ぼす人)に重点的に情報を付与することは,効率的な情報の伝達・拡散に寄与する。例えばv3,5,6,8,23 のSRI農家や,v33 の慣行農家は,情報共有ネットワークにおける中心性指標が高い(第5表)。そのため,多くの人に素早く情報を拡散しやすい立場にある。また,普及や雇用のネットワークにおける中心性指標の高いSRI農家(v9,21,31,35)や慣行農家(v17,20,34 など)も,他の農家や労働者への技術普及の主体となりうる。 第二に,照射量の高い慣行農家に対して重点的に情報を付与するという方法もある。ある主体の照射量は,「点(主体)が他の点(主体)との間に持つ関係の量全体(第5図では,直接的な情報共有の相手の数)のうち,すでに新技術を採択している者(SRI農家)の比率」として計算される(de Nooy et al.,2005)。v20,26,34 の慣行農家の照射量は,最も高い1の値をとる。これらの慣行農家は,普段から助言を受けたり情報を交換したりする相手のすべてがSRI農家である。このような農家は実際にSRIの試用を検討しており,そのことをSRI農家に相談することも多い。持続的にSRI農家の指導を受けることが容易であるため,農法を変更した後も経営を継続できる可能性が高い。 一方で,照射量の低い慣行農家(v7,12,15,16,18,19,27 の照射量は0)は,有機SRIの概要を知っていたとしても,それを導入することによる不確実性やリスクを正確に認識したり軽減したりするのに必要なSRI農家から情報を得る機会が不足している。特にv18,19,27 は,情報共有の相手を同じRT内に選ばず,他の農家からも選ばれなかった(彼らは慣行農法に関連する種子,

化学肥料補助金,病害虫への対応などに関する情報を,主に協同組合(調査農家以外)から取得する。2014年の聞き取り)。こうした農家に対して,同じRTの農家の集会への参加を呼びかけるなど社会ネットワークへの包摂を働きかけることが,地域内の普及率向上につながる。情報共有のネットワークは,すでに多くのSRI農家と慣行農家を直接的・間接的に結びつけている。SRI農家から慣行農家への情報の流れが更に円滑化され,慣行農家が農法の転換に伴う不確実性を解消できれば,慣行農家にも有機SRIが持続的に受け入れられる可能性は広がるであろう。 最後によりマクロのレベルから,現在は地理的に限定して導入されている有機SRIや低投入農法を,全国(ただし,農法を受け入れられるような社会的・地理的条件に合う地域)へ広める方策として2つの方向性が提示される。第一は,事例で取り上げたような有機米の生産・流通システムをブランド化拠点のモデルケースとして他地域に適用する方向である。有機米の輸出システムの構築や普及は,有機農産物の狭い国内市場を補完しながら買取先・買取価格を保証することで農家の有機農業の導入を促進する。タシクマラヤ県の調査地では,有機SRIの普及を契機とする農家所得の増加,農民組合,民間企業,地方政府,国際機関などの異分野の組織間連携強化を確認した。2013年には中部ジャワ州において,地域の米のブランド化と輸出というシステムが地域振興策として適用された。 また第二の方向性として,地方政府が主導的役割を果たしながら多くの農家を巻き込む形での,代替的な低投入農法の普及方法も模索されている。本稿の事例は,SRI農家のネットワークの閉鎖性・限定性という側面,すなわち高齢・低教育・土地の少ない農家が国際基準を満たすような高品質米を生産することが難しいため,ブランド米の生産・サプライチェーンから排除される傾向があること,労働者との契約制度の変更が米の分配慣行を通じた格差の是正機能を低下させている現状を示唆していた。国際市場動向などの影響を受けやすい外国企業に対して,認証取得の資金支援や有機米の買取を依存し続けることのリスクも,長期的に見れば小さくないと考えられる。例えば中

- 19 -

� 伊藤:ポスト緑の革命期のインドネシア・ジャワにおける低投入農法の普及過程

部ジャワ州スラゲン県(Sragen District)では,「無化学農薬米」という化学肥料の初期段階での少量施用を認める方法で生産された米の流通システムが,地方政府の主導で形成されつつある。農家は無化学農薬米を,県・州政府の出資・補助する流通企業との契約を通じて販売する。流通企業は,通常栽培米よりやや高い価格で農家から無化学農薬米を買い取り国内で販売する(杉野・へニー マイロワニ,2009)。こうして認証基準自体を緩和することにより,地域内の多くの農家が参入しやすく安定的な買取を見込めるという,より自律性の高い流通網の形成を進めている。またバリ島では,農家による消費者への直販が試みられている。地方政府の支援の下,農家がメンバーとなる有機米販売組織の形成事業が開始された。農家と消費者(地域の富裕層)の意思疎通の改善により,地域のニーズに合わせた柔軟な生産・流通システムを農家自身が構築していくことが期待されている(MacRae,2011)。このような方策をとることで,生産者と買取者(消費者)との間に長期的・安定的な信頼関係が構築されるならば,より多くの農家が有機SRIのような低投入農法の導入に踏み切ることができるであろう。

5.おわりに:低投入農法の普及に向けて

 本稿は,ポスト緑の革命期のインドネシアにおける低投入農法の普及の農家・農村への社会経済的影響を明らかにするために,有機SRIという代表的な低投入稲作農法が,慣行農法に代替しながら普及している先進的な事例を分析した。具体的には,タシクマラヤ県の有機SRI導入村の 36農家への実態調査を通じて,有機SRIの普及が,農家の経営収支,農家間の社会関係,農村の農業労働者の雇用制度に与える影響を検討した。検討の結果,(1)有機SRIを導入した農家は導入していない農家に比べ,高い経済収益を得ていること,(2)一部の農家が有機SRIの普及の主体として別の農家に技術を指導するなど,有機SRIの普及が近隣に住む農家の間のコミュニケーションを活発化していること,(3)農村に住む零細規模の農家や土地なし層への所得分配を促すような雇用労働制度は,主に有機SRIを導入していない農家に

よって維持されていることが,明らかになった。 本稿の特色は,社会ネットワーク分析の手法を用いながら同じ地域に住む世帯が構成する直接的・間接的な関係の全体構造を「制度」として捉えることによって,有機SRIの普及がもたらす社会的影響を次の2側面から解明したことにある。第一に,SRI農家間のコミュニケーションが慣行農家間においてよりも活発に行われているという,有機SRIの普及を契機とするソーシャルラーニングの活性化の実態を定量的に明らかにした。第二に,SRI農家の形成する雇用のネットワークは,農村に住む零細農家や土地なし層を有機米のサプライチェーンから排除する傾向があるため,温情的な雇用労働制度(cebelokan)を通じた所得分配機能を衰退させていることを指摘した。 このような事例調査の結果を踏まえると,SRI農家のネットワークに地域内の慣行農家や土地なし層を包摂していくためには,多くの農家に対して農法の転換を促すことのできるオピニオン・リーダーの立場にある農家や,SRI農家との関わり合いが深くかつ地元で多くの土地なし層を雇用し続けている慣行農家など,社会ネットワークの構造上有機SRIの普及にとって重要な農家を特定した上で,政府などの外部者が優先的に有機SRIに関する技術や関連制度の情報を供与するという方策が提示される。 調査地で実施されているような有機米のブランド化のシステムは,有機SRIのような低投入稲作農法の普及が,農家所得の増加・社会関係の活性化をもたらすモデルケースとして他地域にも適用されている。ただしこうしたシステムの,伝統的な雇用労働慣行が担ってきた地域社会の格差是正機能を縮小させるような側面は,低投入農法の更なる普及を妨げる要因となっている。更に広範囲への普及を促すには,高収益をもたらす低投入農法を導入する過程で新たに発生しうる経済格差や社会的軋轢を緩和するような制度を構築していくことが必要になる。例えば,政府が主導しながら,農村に住む零細農家や土地なし層の生計の維持・社会への包摂を促すための農村雇用機会の開発(水野,1995),高齢者・非就業人口に対する社会保障制度の構築(末廣,2014)を進めていくということが考えられる。

- 20 -

農林水産政策研究 第 29 号(2018.9)

付記:�2012年から2014年にかけての現地調査は,環境省総合推進費「持続可能な発展と生物多様性を実現するコミュニティ資源活用型システムの構築」(研究代表者:矢坂雅充・東京大学大学院経済学研究科)を用いて行われた。2012 年から 2018 年の調査は,ボゴール農科大学(Institut Pertanian Bogor)イスワンディ・アナス(Iswandi Anas)氏の協力の下,行われた。

注⑴ 「緑の革命」とは,土地利用集約的な技術革新が熱帯アジアに成功裏に移転した過程を指す(速水,2000,105頁)。1960 年代後半以来の東南アジア農村の経験を,「緑の革命」時代と「ポスト緑の革命」時代とに時代区分した北原は,ポスト緑の革命時代の特色として①農家の農外就労の増加と兼業化,②一部農家だけが担う農業の一層の商品経済化への動きの2点を指摘する(北原,2000,192 頁)。なお,本稿における「緑の革命期」とはインドネシアの米の高収量品種の普及・農業の土地生産性の向上が本格化した 1970 年代から 1980 年代前半を指し,「ポスト緑の革命期」とはスハルト政権が米の自給宣言をした 1985 年以降の時代を指す。ポスト緑の革命期には,農業生産性の増加率は低迷し,農地・農業従事人口が急速に低下した(加納,2004)。

 ⑵ インドネシア政府は,1985 年と 2007 年に米の自給達成の宣言をした(Antara,2013)。1980 年代後半からは有機農業学校の建設などが進み,低投入農法・有機農業への社会的関心が高まった(Siti Jahroh,2010)。2000 年代には国際的にも,有機農業,有機農産物の取引が広まった。2008 年には国際有機農業運動連盟(International Federation for Organic Agriculture Movement:IFOAM)が,以下のように有機農業を定義している。「有機農業は,土壌・自然生態系・人々の健康を持続させる農業生産システムである。それは,地域の自然生態系の営み,生物多様性と循環に根差すものであり,これに悪影響を及ぼす投入物の使用を避けて行われる。有機農業は,伝統と革新と科学を結びつけ,自然環境と共生してその恵みを分かち合い,そして,関係するすべての生物と人間の間に公正な関係を築くとともに生命・生活の質を高める」(IFOAM,HP)。

 ⑶ インドネシアの国土はジャワ島とそれ以外の数々の島(「外島」と呼ぶ)からなる。本稿における「ジャワ」は,ジャワ島に含まれる6州(ジャカルタ,西ジャワ,中部ジャワ,ジョグジャカルタ,東部ジャワ,バンテン)を指す(本台・中村,2016,32 頁)。ジャワの面積は全国の面積の約7%であるが,ジャワの人口は全国の人口の58%を占める(BPS,2017)。

 ⑷ 趨勢自給とは,米の在庫約3ヶ月分(150 ~ 200 万t)を維持するため,必要に応じ米を輸入するという政策の

方針である(米倉,2003)。 ⑸ 東南アジアの農業は気候変動や土壌の影響を受けやす

く,地球温暖化に伴う気温上昇,降雨量の減少,化学肥料・農薬の大量利用による土壌劣化などの影響により,将来,米の収量が減少すると懸念されている(ADB,2009)。

 ⑹ ルピア(Rp)はインドネシアの通貨単位(2011年 1USド ル = 8 , 770 Rp,2012 年 9 , 703 Rp,2013 年10,461.2Rp)。政府による肥料補助金の対象の化学肥料は,尿素,TSPなどである(米倉,1988;加納,1988)。肥料補助金への財政支出額は,1990 年代には平均3億5,000 万Rp,農業保護関連予算の約 17%を占めた。2005年から支出額が急増し,2010 年には約 18 兆Rp(農業保護関連予算の約 37%)となった(OECD,2012;Kementerian Pertanian,2011;米倉,2016,27 頁)。

 ⑺ 2014 年のセンサスでは,稲作農家の化学肥料・農薬への支出の生産費に占める割合は 10%以上を占めていた(BPS,2015)。

 ⑻ Indonesian National Standardization Bodyという組織によって有機農産物の国の生産基準(National Standard for Organic Food)が制定されたものの,本基準による認証は法律などによる義務づけが行われていない。そのため輸出向けの農産物を除いては,インドネシア国内では認証を受けていない農産物も「有機農産物」と表示して流通させることができる(杉野・小林,2015,63 頁)。

 ⑼ インドネシアで実施されているSRIは,有機SRI(化学肥料・農薬を利用しない方法)と,基本SRI(化学肥料・農薬を利用する方法)に分けられる。2007/08 年の時点では,基本SRIが実践されている面積は 9,065ha,有機SRIが実践されている面積は 3,610haとされている(佐藤,2011,77-79 頁)。2010 年までにSRI(有機SRIと基本SRIの両方を含む)のほ場実験がなされた国は 42 か国になる。インドネシアはマダガスカルに次いで導入されたという意味で最も早くSRIを導入した国の1つである(佐藤,2011)。6つの原則のうち,①~③は稲の成長を促進するため,④~⑥は稲の根と土壌の状況を改善するものである。特に④の間断灌漑(いったん湛水したら水の流入を止め,土壌が乾いてきたら再度湛水するというサイクルを繰り返す水管理)は,灌漑設備の発達したほ場という条件の下でのみ実践することができる。⑥の堆肥の利用は有機SRIの実践において行われる。堆肥の原材料は稲わら,有機材料,家畜の糞尿を混ぜる。堆肥作製には3週間程度かかる。インドネシアにおける有機SRIの収量は基本SRIより若干低く,6.5 ~ 7.0t/ha程度である。農家の話では,有機SRI米は通常の米の2倍近い値段で売れるため,労力が増える有機SRIを導入することに問題が無いという(佐藤,2011,81 頁)。本稿は,化学資材の投入を抑える農法である有機SRIに焦点を当てる。

 ⑽ インドネシアの州の数は,2014 年に東カリマンタン州から分離した東北カリマンタン州を含むと,現在は 34 と

- 21 -

� 伊藤:ポスト緑の革命期のインドネシア・ジャワにおける低投入農法の普及過程

なっている(BPS,2015)。 ⑾ 食料生産集約化計画の下,1978 年以降導入された第2

種トビロウンカ耐性種と化学肥料の投入増加による増産実績はめざましかった。「ビマス計画」(Bimas Massal)という初期の集約化計画,集団指導計画の参加者は,政府の農業指導員の下に組織化された富農層からなっていた。続く「インマス計画」(Inmas;集団的集約化)というより柔軟化された 1970 年代後半以降の事業には,かなり零細な経営農家も参加した。高収量品種による増産政策が最も効果を上げたのは灌漑整備地域であり,山地や湿地などの灌漑非整備地域では在来種生産が存続した(加納,1988,78-79 頁)。多くのジャワ農村地域で,協同組合が生産資材と金融の供給チャネル,生産物の集荷機構として,国家による米作農業の組織化に貢献した。しかし協同組合が機能せず米の商品化が大幅に遅れたという地域もあった。西ジャワ州の高地の村では,農業省から派遣されている普及組織の普及員が3つの村を担当しており,作付期,品種の指導が行われているものの公然とその指示に従わない農家が多かった(水野,1998)。

 ⑿ 有機農産物の国内市場が限られているインドネシアにおいて,海外への輸出は重要な販路となっている(杉野,2009;Sugino and Mayrowani,2010;Siti Jahroh,2010,2-3頁)。

 ⒀ 病害虫対策,堆肥の発酵促進,稲の生育促進などのために利用される,地元にある資材を組み合わせた物を「生物由来資材」と呼ぶ。有機SRIの農家研修では,生物由来資材の作り方と使い方に多くの時間が割かれている(佐藤,2011,81 頁)。例えば横山・ザカリア(2009,652 頁)の調査地においては,地元で入手できる生物素材として,米とぎ汁,柑橘果実,ヤシ果汁,バナナ根茎,スクミリンゴガイ,カエルなどが利用されている。

 ⒁ インドネシア・ジャワにおける「土地なし層」とは「農村に居住し,かつなんらかの実質的な自家所有地をももたない世帯」である(加納,1988,262 頁)。実質的な自家所有地とは,その世帯員が利用できる耕地のことを指す。ジャワにおける大量の土地なし層の存在は,農村の生産関係や社会構造の基本的特徴であり,土地をめぐる紛争や土地関連政策の策定の背景となってきた(加納,1988,3 頁;加納,2004,244 頁)。土地台帳の整備が遅れているため土地なし層に分類される世帯数を正確に把握することができないものの,2000 年代のジャワの全農村世帯数に対する土地なし層の比率は3分の1以上であったと推計されている(加納,2004,326 頁)。また,東南アジア・南アジア農村研究において広く土地なし層の存在が指摘されている(藤田,1990bなど)。

 ⒂ アメリカの雑種トウモロコシ研究から生まれた農業エクステンション・サービスや,東南アジアの緑の革命期の慣行農法の普及過程は,専門家による技術開発,中央政府から一般農家へ向けた一方的な情報提供に特徴づけられる集中型普及システムとして捉えられる(ロジャー

ス,2005,376 頁)。他方で,集中型と対照をなすような分散型のシステムとして捉えられる普及過程において,技術の利用者は相互理解に達するために互いに情報を生み出し共有する。友人・隣人関係のような横のつながりに媒介され,専門家や公式な普及員以外の主体(農家自身)も別の農家に指導するなど,普及の主体となりうる。これから述べるように,組織間のパートナーシップや農家間のコミュニケーションを通じたインドネシアの有機SRIの普及過程は分散型システムとして捉えられる。

 ⒃ 特に開発途上国においては,新しい農法の普及を担うような公式の普及員が量的・質的に不足している。そのためいったん普及員から農家に伝えられた技術が,農家自身によって自発的に隣人や友人とのつながりを通じて普及していくという二次的移転(ソーシャルラーニング)の役割が大きい (Conley and Udry,2010)。

 ⒄ 新制度派(North,1990 など)は,方法論的個人主義の立場をとり,経済合理性に従って制度が発展していくというシカゴ学派の考え方に沿いながら制度変革のための共同行為がどのような場合に可能かという議論を展開する。

 ⒅ 緑の革命期,一部のジャワ農村では,収穫前の水田を業者が買い取る青田買い(tebasan)が大規模農家の間で進んだ(加納,1988,66-67 頁)。そのことによって近隣農家や土地なし層の収穫労働への参加が制限された。ただし,tebasanが実践された地域は限られていたといった指摘がある。

 ⒆ 調査地における農家の多くは,牛などの家畜を個別には飼育していない。そのため,堆肥は庭先で作られず農民組合の管理する牛舎で作製され,農家に買い取られる。

 ⒇ 2009 年,農民組合の会員(2,333 人)による県内での認証米の生産量は約 4,900t,販売量は約 100t(精米歩留は 50 ~ 60%),9割が輸出向けであった。2010 年,組合員が国際有機認証を取得した水田面積は 292.24ha(1戸当たり平均 0.15ha),土地利用率は 258%(2期作~3期作)であった。また,農民組合の会員のほ場における収量は6~7t/ha程度であり,県の平均的値とほぼ同水準であった。ただし農家によって3t/ha~ 10t/haまで幅が大きかった(横山,2011)。2012 年には,農民組合の会員数は 1,909 人,有機SRIを実践している作付面積は8,693ha,収穫面積は 7,562ha(作付・収穫面積には,国際有機認証を取得していない水田面積が含まれる),生産量 59,619t,生産性 7.9t/ha,輸出量 113tであった(Yadi Henyadi and Trisna Insan Noor,2016)。

 � タシクマラヤ県における関係機関,農民組合,農家への聞き取り調査は 2012 年から 2014 年にかけて,全国の有機農業関連,有機SRI普及関連の文献調査は 2016 年から 2018 年にかけて実施した。現地調査では主に,調査前年の1年間(2011 年 10 月~ 2012 年9月)の土地利用・生産などに関する情報を収集した。2013 年~ 2014 年には収集した情報に関する補足や確認を行い,2016 年~

- 22 -

農林水産政策研究 第 29 号(2018.9)

2018 年には文献調査,農業省,政府機関における有機米生産振興政策に関する聞き取り調査などを行った。調査年当時の調査対象の村(Desa)の人口は 4,578 人,面積は 196ha,31 のRT,11 のRWから構成されていた(RTは最小の行政区分。その上に,複数のRTからなるRutun Warga(RW),Desa(村)が配置される,大鎌,1990,121 頁)。村は4つの地区(Dusun)に分かれている。調査地区は50.5ha,9のRT,3のRWからなり人口は1,325人であった。村の人口密度は 23.35 人/ha,調査地区の人口密度は 26.23 人/haと計算される。調査年のインドネシア全国の人口密度が 1.30 人/ha,ジャワの人口密度が10.97 人/ha,外島の人口密度が 0.60 人/haである(BPS,2013)ことから,ジャワの中でも人口稠密な地域である。主要産業は農業であり,稲作,トウモロコシ,大豆,野菜,果物(ヤシの実)の生産が盛んである。村の人口のほとんどがイスラム教徒(2名のみがキリスト教徒)であり,主な職種は公務員,農家,農業労働者,個人経営事業,トレーダー,職人などであった(県政府で入手した資料より)。

 � 「農家」は,調査時点から過去1年の間に,所有・もしくは賃借した水田において,自らの意思決定により稲作経営を行った世帯と定義する(高橋,2000)。意思決定とは,農法の選択,投入財の選択,労働者との契約,作業内容などについて(地主や労働者からの意見を考慮しながらも)最終的に自ら判断するということである。農家が自らの水田で農業労働者を雇用する一方で,自らも他人の水田で農業労働を請け負うという相互雇用の慣行が広くみられる。こうした相互雇用を実践する世帯も,本調査では「農家」に含む。他方「非農家」には,農地を所有することも借りることもできない土地なし層を含む(注 14 も参照)。調査地における土地なし層の多くは,他人の水田で田植え,除草,収穫などの労働を請け負い賃金や報酬としての米を受け取ることで生計を立てる農業労働の提供者である(農業労働の提供者は経営の意思決定をする主体ではないため,「農家」とみなさない)。また,所有する水田のすべてを賃貸しており地代収入で生計を立てる地主(高齢の世帯など)や,稲作経営を行わず非農業所得(公務員,会社員などの正規非農業活動従事者,季節的な建設労働など非正規非農業活動従事者)で生計を立てる世帯も「非農家」に含む。

 � SRI農家の 18 世帯のうち7世帯は,一部のほ場で有機SRIを,他のほ場では慣行農法を実践している(有機SRIを導入しているほ場の面積は7世帯平均で 0.25ha,有機SRIを導入しているほ場と別の場所にある,慣行農法を維持しているほ場は 0.24ha)。慣行農法を部分的に残すことは,農家が技術導入後に一時的に収量が減るというリスクを分散しようとする行為の一環である。慣行農法のほ場を維持するSRI農家7世帯は,SRIほ場と慣行農法を維持するほ場に対して厳密な労働投入の区別などをしておらず,両方のほ場を合わせた米の生産量や労働投入量

などの情報のみを聞き取ることができた。そのため第2表,第3表におけるSRI農家の情報は,慣行農法を実践しているほ場の情報を一部含んでいる。

 � 調査対象のSRI農家はすべて,乳苗の利用,浅植,疎植,間断灌漑,頻繁な除草,堆肥の利用という原則を重視していた。SRI農家の単収(1年間に 11.8t/ha,年に2回収穫するため1期当たり約 5.9t/ha)は,慣行農家の単収(1年間に 6.1t/ha,年に 2.5 回収穫するため1期当たり約 2.4t/ha)に比べて1期当たり 93%大きい。これらはインドネシアの平均的な有機SRIほ場の単収(6~7t/ha),慣行農法のほ場の単収(4t/ha)と比べるとやや少ない(佐藤,2006,2011)。インドネシア東部スラベシ島のほ場実験(2002 年から 2006 年)の結果,SRI農家のほ場の平均単収(7.6t/ha)が慣行農家のそれ(4.3t/ha)に比べて 78%高かった(佐藤,2011,95 頁)。在来品種の利用,育苗日数の短さ(8~15日),移植の株間の広さ(30× 30cm),間断灌漑,有機肥料・MOLを用いた病害虫管理,除草機を使用した4回の除草が,有機SRIほ場の単収が比較的高い要因であった(佐藤,2011,95 頁)。西ジャワ州のチアミス県(Ciamis District)における 2008年の調査では,有機SRIほ場の単収(1期当たり 7.3t/ha)は,それ以外のほ場の単収(6.0t/ha)より 21%大きかった(横山・ザカリア,2009,651-652 頁)。堆肥・MOLの施用,溝切りなどの水管理,種子更新,良質の種子の使用(塩水選)が,単収を増加させた。チアミス県の事例では,SRI農家以外がSRI農家の作業を模倣し堆肥の利用を除くSRIの原則を多くのほ場に適用したため,単収が全般的に高かったとされている(横山・ザカリア,2009,652 頁)。先行研究に比べ,調査農家においては研修や学び合いの機会がSRI農家に限られる傾向がある。SRI農家と慣行農家との間の情報量や農業への取組の主体性の差異が,結果的に単収の差につながったと考えられる。また調査農家のうち9世帯が米以外(トウガラシ・トウモロコシなど) を生産・販売しており,7世帯が非農業活動(農業雇用労働,工場労働,行商,教師,商店経営,運転手,農業指導員など)に従事する。稲作以外の所得に関しては経営費や非農業活動の費用を把握していないため推定値を用いると,SRI農家の所得に占める非農業所得の割合(39%)は,慣行農家のそれ(33%)よりも高い。

 � 中心性は,ネットワークを構成する各点がネットワーク内でどの程度中心的な位置にあるかを示す指標である。本稿ではグラフの表示に用いたソフトであるPajekで用いられている定義を採用する(de Nooy et al.,2005)。次数中心性(degree centrality)は,その点の次数をその点の中心性とする中心性指標である。次数とは点に接続している紐帯の数である。他の点との間に紐帯を持つほど,その点が中心的な位置にあると考える。有向グラフの場合,入次数(その点に向かって他の点から来る関係の数),出次数(その点から発し他の点に向かう関係

- 23 -

� 伊藤:ポスト緑の革命期のインドネシア・ジャワにおける低投入農法の普及過程

の数)からなる。近接中心性(closeness centrality)は,その点とネットワーク内の他のすべての点との距離に基づく中心性指標である。他のすべての点の数を,その点と他のすべての点との間の距離の総和で割った値として定義される。他のすべての点への距離が短いほど,中心的な位置にあると考える。このことは,他のすべての点に対して影響を及ぼしやすい,情報を伝達しやすい,他のすべての点からアクセスされやすいと解釈できる。媒介中心性(betweenness centrality)は,その点が他の点同士の関係を媒介する程度に基づく中心性指標である。他の点同士のペア間のすべての測地線において,その点が含まれる割合として定義される。他の点同士の関係を媒介しているほど他の点の間の関係や情報を統制できるため,中心的な位置にあると考える。

 � 社会ネットワーク分析を行うに当たり,調査世帯の間の血縁関係の有無も調査した。その結果,農法指導のネットワーク(第2図の矢印 17 本)のうち2本,情報共有のネットワーク(第3図の線 60 本)のうち2本,雇用のネットワーク(第4図の矢印 77 本)のうち8本は,親子,兄弟などの関係にある親族世帯間を結ぶ紐帯であった。このように親族関係の紐帯の数は分析対象のネットワークの中では少なかった。調査地では住宅や水田が狭小であり,結婚した後に子は異なるRT,RW,村に移り住むことが多く,近隣に居住することが少ないためであると考えられる。

 � ここで,有機SRIの普及のネットワークにおけるv5,21,31,35 以外のSRI農家 14 世帯については,入次数が1,出次数0,次数中心性1,媒介中心性が0である(第5表の「全世帯」,「その他」にあたる)。一部の高齢の慣行農家からの聞き取りによれば,慣行農法の普及過程では外部の農業普及員から,農家が個別に農法の指導を受けたという(2014 年聞き取り)。したがって,慣行農法の普及過程における農家の入次数,出次数,次数中心性,媒介中心性の値は,有機SRIの普及のネットワークにおける 14 の農家と同じ値(それぞれ 1,0,1,0)であったということが推測される。有機SRIの普及のネットワークでは一部の農家(v5,21,31,35)の次数・媒介中心性が高かったが,慣行農法の普及のネットワークではすべての農家の次数・媒介中心性が低いため,普及の過程で農家同士の関係が分断されているような状況にあった。また,近接中心性の値はネットワークの構成人数に依存するため,有機SRIと慣行農法の普及のネットワークについて比較をすることはできない。

 � cebelokanの定義は農家に任せた。そして「cebelokanを実践している」と答えた農家が実際にどのような雇用契約を結んでいるのかを聞き取ることで,農家が認識するcebelokanのイメージ・実態を明らかにすることとした。

[参考文献]

石川達也・Petr Matous・石渡文子・戸堂康之(2014)「農業普及員による直接的技術移転とソーシャルラーニングを介した間接的技術移転:エチオピアの農村を事例として」『国際開発研究』23(1):175-188 頁。

伊藤紀子(2016a)「農村の社会関係とコミュニティ:ケニアとインドネシアの事例」国際開発学会第 17回春季大会報告要旨集,82-84 頁。

伊藤紀子(2016b)「モラル・エコノミーの地域間比較:インドネシア・ケニアの農村社会における食料の消費過程に注目して」国際開発学会第 27 回全国大会発表要旨集,177 頁。

大鎌邦雄(1990)「インドネシアの農村組織と農村社会構造:西部ジャワ州の天水田の農村調査から」『農業総合研究』 44(2),109-151 頁。

金沢夏樹(1988)「ジャワ稲作農民の生産ビヘービアー:稲作労働投入をどう読むか」,松田藤四郎・金沢夏樹『ジャワ稲作の経済構造』,農林統計協会, 15-55 頁。

金沢夏樹(1993)『変貌するアジアの農業と農民』,東京大学出版会。

加納啓良(1988)『インドネシア農村経済論』,勁草書房。

加納啓良(2004)『現代インドネシア経済史論:輸出経済と農業問題』,東京大学出版会。

北原敦(2000)「東南アジアの農業と農村」北原敦他編『東南アジアの経済』,世界思想社, 195-208 頁。

佐藤周一(2006)「東方インドネシアにおけるSRI稲作の経験と課題」『根の研究』15(2), 55-61 頁。

佐藤周一(2011)「インドネシアのSRI」,J-SRI研究会編『稲作革命SRI : 飢餓・貧困・水不足から世界を救う』,日本経済新聞出版社, 77-104 頁。

末廣昭(2014)『新興アジア経済論:キャッチアップを超えて』,岩波書店。

杉野智英・小林弘明(2015)「経済発展に伴うインドネシア農業・農村の変化と課題:就業多様化と商品経済化の視点から」『食と緑の科学』69, 55-68 頁。

杉野智英・へニー マイロワニ・スプリヤティ(2009)「インドネシア地方政府における無化学農薬米生産支援政策の到達点:中部ジャワ州スラゲン県の事例」日本農業経済学会論文集,499-506 頁。

- 24 -

農林水産政策研究 第 29 号(2018.9)

高橋昭雄(2000)『現代ミャンマーの農村経済:移行経済下の農民と非農民』,東京大学出版会。

農林水産省(2017)『農業経営統計調査報告 平成 27年度 米及び麦類の生産費』,大臣官房統計部。

速水佑次郎(2000)『新版 開発経済学』,創文社。藤田幸一(1990a)「ジャワ農村における労働慣行に関

する一考察:西部ジャワ州天水田地域の農村調査から」『農業総合研究』44 (3), 1-53 頁。

藤田幸一(1990b)「バングラデシュにおける土地なし貧困層への金融:グラミン銀行をめぐって」『アジア経済』31(6・7), 143-160 頁。

本台進・中村和敏(2016)『インドネシアの経済発展と所得格差:日本の経験と比較分析』,日本評論社。

水野広祐(1988)「インドネシアにおける稲作農業の展開と商業化のパターン:西ジャワの北部平野部とプリアンガン高地を中心に」,梅原弘光編『東南アジア農業の商業化』,アジア経済研究所,115-161頁。

水野広祐(1995)『東南アジア農村の就業構造』,アジア経済研究所。

水野広祐(1998)「インドネシアにおける村落行政組織と住民組織:西ジャワ・プリアンガン高地農村の事例」,加納啓良編『東南アジア農村発展の主体と組織:近代日本との比較から』,アジア経済研究所,221-256 頁.

安田雪(2001)『実践ネットワーク分析:関係を解く理論と技法』,新曜社。

横山繁樹・アマル カダル ザカリア(2009)「現場試行型集約稲作の技術特性に関する予備的考察:インドネシア西ジャワにおける有機SRI(System of Rice Intensification)を素材として」日本農業経済学会論文集, 648-655 頁。

横山繁樹(2011)「インドネシア西ジャワにおける有機SRIの普及:農家,行政,民間の社会ネットワークに注目して」J-SRI研究会資料。

米倉等(1986)「ジャワ農村における階層構成と農業労働慣行」『アジア経済』27 (4), 2-35 頁。

米倉等(1988)「インドネシアにおける肥料産業組織と補助金問題」,梅原弘光編『東南アジア農業の商業化』,アジア経済研究所,325-367 頁。

米倉等(2003)「構造調整視点から見たインドネシア農業政策の展開:80 年代中葉からの稲作とコメ政策を中心に」『アジア経済』44(2), 2-39 頁。

米倉等 (2016) 「AECの発足とインドネシア農業」『国際農林業協力』39 (2), 25-34 頁。

ロジャース, エベレット,三藤利雄訳(2005)『イノベーションの普及』,翔泳社。

ADB (2009) The Economics of Climate Change in Southeast Asia: A Regional Review, Asia Development Bank.

Antara (2013) FAO Award for Indonesia not end of homework, Antaranews.com, June 17, 2013. (http://www.antaranews.com/en/news/ 89398 /fao-award-for-indonesianotend-of-homework)

Ariesusanty, L. (2011) “Indonesia: Country Report”, in Willer, H. and L. Kilcher, ed., The world of organic agriculture, Statistics and Emerging Trends 2011, IFOAM and FiBL, Bonn and Fric: 137-139.

Bandura, A. (1971) Social Learning Theory, General Learning Press.

Bandiera, O. and Rasul, I. (2006) “Social Networks and Technology Adopt ion in Northern Mozambique,” Economic Journal, 116: 869-902.

Budan Pusat Statistik(BPS)(各年号)Statistik Indonesia (Statistical Yearbook of Indonesia) . BPS.

Collier, W.(1977) Agricultural Evolution in Jawa: The Decline of Shared Poverty and Involution, Agro Economic Survey.

Conley, T. and Udry, C.(2010) “Learning about a New Technology: Pineapple in Ghana,” American Economic Review, 100(1): 35-69.

FAOSTAT, HP (http://faostat.fao.org/)Foster A.D . and Rosenzweig M.R . (2010)

“Microeconomics of Technology Adoption,” Annual Review of Economics, 2: 395-424.

Granovetter, M. S.(1985) “Economic Action and Social Structure: The Problem of Embeddedness,” American Journal of Sociology, 91(3): 481-510.

Hayami, Y. and Kikuchi, M. (1981) Asian Village Economy at the Crossroad: An Economic Approach to Institutional Change, University of Tokyo Press.

IFOAM, HP (https://www.ifoam.bio/en)Ishikawa, A. (2011) “An Option for Alternative

Agricultural Development in Rice Cultivation

- 25 -

� 伊藤:ポスト緑の革命期のインドネシア・ジャワにおける低投入農法の普及過程

Area of West Jawa, Indonesia: Can SRI Contribute to Alleviating Multidimensional Rural Poverty?” 東京大学博士論文.

Kementerian Pertanian, Indonesia (各年号) Statistik Pertanian (Agricultural Statistics), Government Printer.

MacRae, G.(2011) “Rice farming in Bali,” Critical Asian Studies, 4(31): 69-92.

Mishra, A., Whitten, M., J. W. Ketelaar and V. M. Salokhe (2006) “The System of Rice Intensification (SRI): A Challenge for Science and an Opportunity for Farmer Empowerment towards Sustainable Agriculture,” International Journal of Agricultural Sustainability, 4(3): 193-212.

Munshi, K.(2004) “Social Learning in a Heterogeneous Population: Practice Diffusion in the Indian Green Revolution,” Journal of Development Economics, 73: 185-213.

de-Nooy, W., Mrvar, A. and V. Batagelj (2005) Exploratory Social Network Analysis with Pajek, Cambridge University Press.

North, D. C. (1990) Institutions, Institutional Change and Economic Performance, Cambridge University Press.

OECD (2012) Review of Agricultural Policies: Indonesia 2012, OECD Publishing Paris.

Scott, J. (2000) Social Network Analysis: A Handbook, SAGE Publications.

SIMPATIK, HP (https://www.sunria.com/pages/simpatik-farmers)

Siti Jahroh (2010) “Organic Farming Development in Indonesia: Lessons Learned from Organic Farming in West Java and North Sumatra,” Innovation and Sustainable Development in Agriculture and Food.

Sugino, T. and Mayrowani, H(2010) “Perspective of Organic Vegetable Production in Indonesia under the Regional Economic Integration : Case Study in West Java” in Ando M. Ed., Impact Analysis of Economic Integration on Agriculture and Policy Proposals toward Poverty Alleviation in Rural East Asia, JIRCAS Working Report,

69: 57-65.Sukristiyonubowo R, Wiwik H, Sofyan A, Benito

H. P, and S. De Neve (2011) “Change from Conventional to Organic Rice Farming System: Biophysical and Socioeconomic Reasons,” International Research Journal of Agricultural Science and Soil Science, 1(5): 172-182.

Takahashi, K. (2012) “The Roles of Risk, Ambiguity and Learning in the Adoption of the System of Rice Intensification (SRI): Evidence from Indonesia,” the JASID 23th Conference.

Todo, Y., Matous, P. and Mojo, D. (2013) “Effects of Social Network Structure on the Diffusion and Adoption of Agricultural Technology: Evidence from Rural Ethiopia,” Paper Presented at the Centre for Study of African Economics Conference 2013, University of Oxford.

Tsujimoto, Y. , Horie, T. , H. Randriamihary, Shiraiwa, T. and Homma, K. (2009) “Soil Management: The Key Factors for Higher Productivity in the Fields Utilizing the System of Rice Intensification (SRI) in the Central Highland of Madagascar,” Agricultural System, 100: 61-71.

Uphoff N. and Randoriamiharisoa (2002) “Reducing Water Use in Irrigation Rice Production with the Madagascar System of Rice Intensification (SRI),” Waterwise Rice Production, IRRI, 71 -87.

Uphoff, N. (2009) “Case Study, System of Rice Intensification,” Final Report Agricultural Technologies for Developing Countries Annex 3, European Technology Assessment Group.

USDA, Foreign Agricultural Service(https://apps.fas.usda.gov/psdonline/app/index.html

#/app/home)Yadi Heryadi and Trisna Insan Noor (2016)

“SRI Rice Organ ic Farmers ’ Di lemma : Between Economic Aspects and Sustainable Agriculture”, Economics, Business and Management Research, 15: 176-180.

- 26 -

農林水産政策研究 第 29 号(2018.9)

� J. of Agric. Policy Res. No.29 (2018.9)

- 27 -

Post-Green�Revolution�Diffusion�Process�of�Low�Input�Agricultural�

Technology�in�Jawa,�Indonesia:�Social�Network�Analysis�of�Organic�SRI�

(System�of�Rice�Intensification)�Diffusion

Noriko ITO

Summary

  After achieving self-sustainability in rice, post-green revolution Indonesia now aspires to achieve sustainable enhancement in rice production through the diffusion of low-input agricultural technology or organic farming, which can reduce the burden on the environment, farmers’ operations, and public finance for subsidize chemical fertilizers. However, the diffusion of the typical low-input rice cultivating technology in Indonesia called the “organic System of Rice Intensification (SRI)” is slow. This study employs social network analysis for organic SRI diffusion in a community that is the first organic rice exporter in Indonesia, to examine the effects of low-input agricultural technology diffusion on farmers’ operations, social networks among farmers, and local agricultural labor employment institutions.  The results are as follows. (1) The income of farmers who introduced organic SRI is higher than those who did not. (2) The diffusion of organic SRI activated the farmers’ social networks through mutual learning of technology. (3) Farmers who have not introduced organic SRI mainly maintain the local employment institutions, which distribute income to small-sized farmers and landless individuals.  The local rice branding system of the case community, using low-input agricultural technologies such as organic SRI, has increased farmer income and activated the local socio-economy; this is now applicable to other communities as a model case. At once, the diffusion of low-input agricultural technology has caused a severe decline in the income distribution function of the traditional employment system. For further diffusion of low-input agricultural technology, it is necessary to adjust social institutions to correct the socio-economic disparity between farmers that can introduce organic SRI and farmers that cannot.

Key words: Post green revolution, Indonesia, Organic SRI, Institutions, Social network analysis