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マリアナ機動戦1覇者の戦塵1944
Koshu Tani谷 甲州
立 ち 読 み 専 用立ち読み版は製品版の1〜20頁までを収録したものです。
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挿
画
佐藤道明
地
図
らいとすたっふ
DTP
ハンズ・ミケ
覇者の戦塵1944
マリアナ機動戦1
目次
序
章
軍令部特務班/昭和一九年八月
10
第一章
翔竜四三型
22
第二章
実験艦大峰
45
第三章
米潜水艦隊
77
第四章
サイパン島要塞
117
第五章
高速輸送船団
158
転章1
陣容強化
202
あとがき
211
覇者の戦塵1944
マリアナ機動戦1
10
序章
軍令部特務班/昭和一九年八月
物音に気づいて、大おお津つ予備中尉はふり返った。
遮しゃ光こう幕まくだった。出勤したばかりの木こ谷たに兵曹が、室内の空気を入れ
かえているようだ。カーテンがわりの暗あん幕まくだけではなく、閉め切っ
たままの窓を次々に開け放っている。朝のまばゆい光とともに、涼
風が大津中尉の席にまで入りこんできた。
―
今日から八月か。
時計に眼をむけた中尉は、そのことを実感した。窓の外にみえる
朝日の位置が、先月までと微妙に違っている。明るくなる時刻に大
きな変化はなかったが、気温は着実に上昇しつつあるようだ。こと
に梅つ雨ゆが明けてからは、日ごとに夏を感じるようになった。
「何か動きはありましたか」
11 序章 軍令部特務班/昭和一九年八月
作業の手をとめた中尉に、木谷兵曹が声をかけた。大津予備中尉
は曖あい昧まいな言葉で、それにこたえた。
「いや……特に何も―
」
無意識のうちに、言葉を濁にごしていた。だが木谷兵曹には、それで
充分だった。あえて問いを重ねようとせず、何ごともなかったかの
ように自分の席についた。昨夜も空振りに終わったことを、察して
いるようだ。
長いつきあいだから、言葉はあまり必要なかった。たがいの表情
をみるだけで、考えが読みとれるのだ。それがわかっているものだ
から、兵曹の顔を正視するのが辛つらかった。机の上に積みあげられた
受信簿の山を、無む闇やみにかきまわして場をとりつくろった。
アメリカ太平洋艦隊の重要拠点であるハワイは、日本と一九時間
の時差がある。そして南太平洋における主要根拠地は、日付変更線
をはさんだ広い海域に点在していた。したがって米海軍の一日は、
日本時間の夜半すぎから未明にかけて始まることになる。
かつて大津中尉はこの点に注目して、深夜の集中傍ぼう受じゅを実施した
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ことがあった。受信態勢を強化して特定の敵信を傍受し、解かい析せきする
ことで敵艦隊の動向を把は握あくしようとしたのだ。
朝になってから記録を解析するのでは、傍受員に対してきめ細か
な指示が出せないからだ。この試みは成功し、結果的に米海軍の新
造空母―エセックス級二番艦が就しゅう
役えきしているとの確信をえた。
今回おなじことをくり返す気になったのは、手詰まり感のせいだ。
あれから一〇カ月近くがすぎて、彼らの解析技術は着実に向上して
いた。ことに米太平洋艦隊の指揮下にある空母搭とう載さい航空団や、潜水
艦隊の情報は遅ち滞たいなく入手できるまでになっていた。
それなのに、大局的な動きがみえてこない。米艦隊の総合的な戦
力は推定できるのだが、戦略的な意図が読めなかった。次に彼らは、
何をするつもりなのか。そしてその時期は、いつごろになるのか。
それが知りたくて、連夜の勤務になった。
夜半すぎに出勤して当直態勢に入り、傍受部や方位測定部と連絡
をとりながら通信解析をすすめていく。作業が終了するのは中部太
平洋および東部ニューギニアの日没時だから、日本時間でも夕刻と
13 序章 軍令部特務班/昭和一九年八月
重なる。
一七時間をこえる連続作業だが、やるべきことは他にもあった。
翌日の作業にそなえて、記録を整理しなければならない。手間どる
と仮眠の時間がとれず、次の当直がはじまってしまう。ときには食
事さえ抜いて、作業に集中していた。
そんな状態が、もう半月ちかくもつづいていた。ところが結果は、
思わしくなかった。肝かん心じんなことは、何ひとつわからない。
再建された米空母機動部隊の陣容や支援部隊の動きからして、敵
が大規模な攻勢を企図していることは間違いなかった。マーシャル
諸島でみせた水陸両用作戦ばかりではなく、空襲のみの機動作戦も
併用されるのではないか。
だが、どこに来るのかがわからない。攻勢の主正面はどちらなの
か。いまも膠こう着ちゃく状態がつづくニューギニアか。ブナ地区の堅陣を
突破して、ニューギニアの北岸づたいにフィリピンをめざすのか。
それとも中部太平洋を直進して、日本本土をおびやかすのか。
ふたつのうち、ひとつに絞るのではない。どちらか一方に限定で
14
きたとしても、具体的な進出地点を予測できなければ意味がなかっ
た。さもなければ防御態勢の隙すきをつかれて、敵の進出を許すことに
なる。
ニューギニア周辺に限っても、米軍の取りうる選択肢は広い。正
攻法であればニューギニア本島の東部やソロモン諸島西部になるが、
現実的にいってその可能性は低いのではないか。増強された空母機
動部隊を駆使すれば、日本軍の背後をつくこともできるからだ。
たとえばビスマーク海北部のアドミラルティ諸島に拠点を構築す
れば、ラバウルを無力化することができる。ラバウルのあるニュー
ブリテン島に上陸して、全島を制圧する必要さえなかった。
それを可能にするだけの強大な航空戦力を、いまの米軍は保有し
ていた。制空権を確保してしまえば、日本軍の陸上戦力は脅威には
ならない。極端なことをいえば東部ニューギニアを飛び越して、一
気に中西部ニューギニアに進出することも考えられた。
これが中部太平洋になると、範囲が広いだけに曖昧としてつかみ
所がなかった。重要な戦略拠点も多く、いずれを失っても日本の国
15 序章 軍令部特務班/昭和一九年八月
防体制は破は綻たんする。逆に米軍からみれば、日本本土にいたる反攻の
足がかりとなるはずだった。
日本海軍の重要根拠地であるトラック環かん礁しょうには、これまでにも
何度か空襲があった。最初のうちは小規模な機動作戦だったが、次
第に本格化して被害も無視できないものになっていた。これは上陸
作戦を前提にした強行偵察なのかもしれない。
無論、単なる陽動の可能性も捨てきれなかった。米軍の戦略意図
が読みづらいのは、この種の機動作戦が多いからでもあった。日本
側に動きを読まれて反撃されたこともあるが、一時的な中断のあと
以前にもました規模で作戦を再開していた。
トラック環礁は日本本土からマリアナ諸島をへて、東部ニューギ
ニアにいたる線上にある。もしここが米軍の手に落ちると、日本軍
は東部ニューギニアの戦線を維持できなくなる。米軍にとっても、
マリアナ諸島やフィリピン攻略の足がかりとなる重要拠点だった。
あるいはトラック環礁を経由せず、マリアナ諸島やパラオ諸島に
直進する可能性もあった。フィリピンの奪還を優先するのであれば
16
パラオを、日本本土への爆撃を早期に実現しようとすればマリアナ
を、まず占領しようとするのではないか。
トラック環礁やラバウルを、無視するわけではない。航空優勢さ
え確立できれば、占領する必要がないというだけだ。再建された米
空母機動部隊は、それほど強大だった。基地航空隊の攻撃圏外で、
航空撃滅戦が実施できるのだ。
かりに双方の総合的な航空戦力が、拮きっ抗こうしていても支し障しょうはなか
った。主戦場を選定した上で、戦力を集中すればいいのだ。現在の
米軍には、それが可能だった。
これに対し日本軍は、守勢に立たざるをえなかった。積極的な攻
勢を仕掛ける余裕はなく、広大な戦域に航空戦力を分散配置するし
かない。敵の動きを読み違えると、なけなしの航空戦力を各個撃破
されることになる。
その意味で戦争の主導権は、米軍が手にしていたといえる。長く
つづく消しょう
耗もう戦せんを制したのが、アメリカだったからだ。個々の戦闘
では互角以上に戦えたとしても、生産力の違いは埋められない。戦
17 序章 軍令部特務班/昭和一九年八月
いが長引くほど、その差は大きく開くことになった。
今年の前半は、そのような現実を認識させられた時期でもあった。
米軍が動いたのは四月だった。まだ再建途上の空母機動部隊を総動
員して、ギルバート諸島およびマーシャル諸島の全域に猛烈な空爆
を加えてきたのだ。
投入された艦載機群の規模や空爆の密度は、それまでの機動作戦
を大きく上まわっていた。しかもハワイを出撃した米艦隊は、上陸
部隊とおぼしき輸送船団をともなっていた。間違いなかった。米軍
は中部太平洋において、本格的な反攻を開始しようとしている。
ただしこれは、予想できない事態ではなかった。大おお和わ田だ通信隊に
常駐する軍令部特務班は、米空母機動部隊の作戦再開がちかいこと
を予測していた。ところが上陸作戦の実施までは読めなかった。三
カ月前の失敗にこりて、米軍が防ぼう諜ちょう態勢を強化したのが原因だっ
た。
年初の一月に起きた珊さん瑚ご海かい航空戦で、米空母機動部隊は手痛い打
撃を受けている。新型噴ふん進しん爆弾「翔しょう
竜りゅう」を装備した五二一空の銀ぎん
18
河が隊が、機動作戦を実施中だったエセックス級空母などを雷撃した
のだ。
相当の戦果があったことは、その後の通信諜報で確認できた。該
当する空母搭載航空団の識別符号が、航空戦のあと受信できなくな
っていた。このことから母艦であるエセックス級空母は、撃沈ある
いは長期の修理が必要な損傷を受けたものと判定された。
それから約三カ月間にわたって、米海軍は機動作戦を手控えてき
た。だが、このままで終わるはずがない。アメリカの工業力をもっ
てすれば、多少の被害は容易に回復できるはずだ。いずれ体勢を立
て直して、再度の攻撃を加えてくるのではないか。
そう判断して、機動作戦の再開にそなえた。今度は陸上爆撃機の
銀河に加えて、錬れん成せい途上の第二航空戦隊を中核に機動部隊が特設さ
れた。来襲する敵空母機動部隊を待ち伏せして、少しでも多くの戦
果をあげようとしたのだ。
ところが三カ月ぶりの空襲は、それまでと大きく様相が違ってい
た。「ヒット・エンド・ラン」と通称される機動作戦ではなく、上
19 序章 軍令部特務班/昭和一九年八月
陸部隊を伴った本格的な反攻作戦が開始されたのだ。
予想を上まわる規模の空襲に、日本側は有効な反撃ができずにい
た。しかも敵の戦略意図を読み切れず、空襲される地点も特定でき
なかった。日本側の空母機動部隊と増強された銀河隊は、偽ぎ電でんに惑
わされて戦機を失っていた。
三カ月の間に、米軍は防諜態勢を徹底的に見直していた。以前は
成功した通信解析の手法は、今回まったく通用しなかった。このた
め日本側の迎撃態勢は混乱し、結果的に敵の上陸を許すことになっ
た。
圧倒的な航空優勢を確保した米軍は、マーシャル諸島クエゼリン
に上陸部隊を送りこんできた。これも当初の予想を裏切るものだっ
た。米潜水艦隊の動きや空襲の激しさから、最初の上陸地点はギル
バート諸島タラワと考えられていたのだ。
マーシャル諸島への上陸を、予想していなかったわけではない。
だがそれは、ギルバート諸島を制圧してから―少なくとも一カ月
は先と考えられていた。蓄積された情報は、すべてこのことを裏づ
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けていた。だがそれは、巧妙に仕組まれた欺ぎ瞞まんだった。
クエゼリンを占領した米軍は、次々に周辺の島を制圧していった。
マーシャル諸島全域が敵手に落ちるまで、それほど時間はかからな
かった。だがギルバート諸島は放置された。補給路を断たれた孤島
は、戦略的な価値を持たないと判断されたようだ。
同様の認識は、日本側にもあった。上陸作戦は実施されなかった
が、基地航空隊は戦力を失っていた。執しつ拗ようにくり返された空襲で滑
走路を破壊され、わずかに残った稼働機も地上で撃破された。
それ以上、ギルバート諸島を維持することは無意味だった。最低
限の補給と連絡は可能だが、損害は次第に無視できなくなっていた。
封鎖と空襲の隙をついて守備隊が撤てっ退たいしたのは、クエゼリンの占領
から二カ月後のことだった。
そしてさらに二カ月が過ぎた。マーシャル諸島への侵攻から、四
カ月も間が空いていることになる。次の作戦が開始されても、おか
しくない時期になっていた。だが米軍の動きは、あいかわらず読み
とれない。
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