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「絵入 ー和歌の絵画化 キーワード 絵入古今和歌集版本絵画化編集 歌意図 歌意絵 百人一首像讃抄 十六歌仙絵 I は、上段に『古今 和歌集』、中段に『和歌奇妙談』、下段に『伊勢物語』 れぞれが挿絵を持つという体裁の絵入り本である(【図 本書は、「古今集の版本というより、『伊勢物語』の版本の一 と評されるが 7) 、『伊勢物語』の挿絵だけでなく、『古今和歌集』 元禄十二(一六九九)年刊「古今/和歌伊勢 や『和歌奇妙談』の挿絵も少なくない。なかでも、『古今和歌集』 部分(以下、「絵入古今伊勢」と略す)の挿絵は、 小振りだが、全二十 五図(口絵一図を除く)で、これは、「絵入古今和歌集」版本のなかで は、延宝七(=〈七九)年刊本(以下、「絵入古今A本」と略す)の全五 に次ぐ数である。 「絵入古今 A 本」では、挿絵一図に半丁が充てられ、右肩に歌人名 が明記されるのに対して(【図版 2 】参照)、「絵入古今伊勢」では、 挿絵は、上段の一部に配置され、歌人名も記されない。これは形式 上のことだが、 その他にも、「絵入古今A本」と比較することで、挿 伊勢物 【図版1】 '慎 『古今和歌集』 『伊勢物語』 『和歌奇妙談』 (1)

キーワード 「絵入古今和歌集」(『古今/和歌harp.lib.hiroshima-u.ac.jp/hirokoku-u/file/12138...jjlJ 下 上 下 上 1 1 1 O 1 1 2 1 3 6 図 図 図 図図 図 図 図

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  • 「絵入古今和歌集」(『古今/和歌

    ー和歌の絵画化の問題を中心に|

    キーワード

    絵入古今和歌集版本絵画化編集

    歌意図

    歌意絵

    百人一首像讃抄

    十六歌仙絵

    Iま

    は、上段に『古今

    和歌集』、中段に『和歌奇妙談』、下段に『伊勢物語』を配し、そ

    れぞれが挿絵を持つという体裁の絵入り本である(【図版1】参照)。

    本書は、「古今集の版本というより、『伊勢物語』の版本の一種」

    と評されるが

    7)、『伊勢物語』の挿絵だけでなく、『古今和歌集』

    元禄十二(一六九九)年刊「古今/和歌伊勢物語」

    や『和歌奇妙談』の挿絵も少なくない。なかでも、『古今和歌集』

    部分(以下、「絵入古今伊勢」と略す)の挿絵は、

    小振りだが、全二十

    五図(口絵一図を除く)で、これは、「絵入古今和歌集」版本のなかで

    は、延宝七(=〈七九)年刊本(以下、「絵入古今A本」と略す)の全五十図

    に次ぐ数である。

    「絵入古今A本」では、挿絵一図に半丁が充てられ、右肩に歌人名

    が明記されるのに対して(【図版2】参照)、「絵入古今伊勢」では、

    挿絵は、上段の一部に配置され、歌人名も記されない。これは形式

    上のことだが、

    その他にも、「絵入古今A本」と比較することで、挿

    伊勢物語』所載)の挿絵

    【図版1】

    '慎

    『古今和歌集』

    『伊勢物語』

    『和歌奇妙談』

    (元禄十二年干Ij~古今/和歌伊勢物語~)

    (1)

  • 絵編集の様相が具体的に検討できよう。

    挿絵の構図は、

    「絵入古今A本」も「絵入古今伊勢」も概ね前後の

    特定の和歌の内容と対応する。両者で和歌の挿絵が重なるのは三図

    (

    2

    )

    O

    「絵入古今伊勢」は、和歌絵画化の問題を考察する豊富な事例

    を提供してくれる。

    f絵入古今和歌集J(r古今/和歌伊勢物語』所載)の挿絵

    【図版2】

    このような観点から、本稿では、「絵入古今伊勢」の挿絵に着目し、

    挿絵の編集方針や和歌絵画化の事例を整理、検討することを目的と

    する。なお、「絵入古今A本」や「絵入古今和歌集」の寛政二(一七九O)

    以前刊本について、

    えたい(

    3

    0

    同様の問題を考察した拙稿があることを申し添

    考察の手順としては、先ず、

    「絵入古今伊勢」の挿絵に関する基本

    的な情報を押さえ、挿絵の編集方針を確認する(

    )

    その上で、

    挿絵と和歌との対応関係について確認しよう(ニ・三)。挿絵の趣

    向は

    この検討過程で自ずと触れることになる。さらに、同じ和歌

    に対する他作品の挿絵との比較も試みよう(四)。

    以上のような手順で考察し、「絵入古今伊勢」の挿絵にみる、和歌

    の絵画化の様相を浮かび上がらせたい。

    挿絵の編集方針

    「古今/和歌伊勢物語」

    ?」斗」酢、

    (r絵入古今和歌集J延宝七年刊本)

    元禄十二年刊本(浪花書車、柏原清右衛門・鳥飼市兵衛・

    隅谷源右衛門〈順慶町心斎橋筋〉)

    無刊記本

    寛政十一(一七九九)年刊本(柏屋兵助〈勢州松阪日野町〉・

    銭屋利兵衛〈京都三条通柳馬場東入ル町〉)

    (2)

    の三版が知られる

    ;J形態は、

    一冊木

    i四冊本までさまざまある

    が、柱の丁付によって、

    (1巻第十・物名)下に分けられる。無刊

    記本の東京都立中央図書館特別文庫室所蔵本(特ω宮、

    一冊本)に拠

    り、挿絵部分の概要を略記しておこう。

    『伊勢物語』部分の挿絵は、全却図。

    いずれも、

    「嵯峨本伊勢物

    語」などの先行する伊勢物語絵と同じ場面が描かれ、挿絵自体にさ

    ほどの特色は窺えない。参考までに、挿絵が付されている章段を列

    挙しておこう。初(二図)、

    3

    22

    (日段の

    5

    6

    8、

    9(四図)、

    挿絵か)、

    83

    幻(二図)、担、

    7、

    5、8、9、汚0

    8

    9

    9

    U

    ;

    『和歌奇妙談』は、「小野小町雨乞の寄の事」「能因法し専にて雨

    50

    27

    60

    63

    65

    68

    80

    71

    82

    をふらせしこと」「かもの長明うたをよみて月をはらせしこと」とい

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    hiu-lib12テキストボックスNot Print

  • った、和歌にまつわる逸話(多くは歌徳説話)を収めたもの。版心に

    「威徳」とあり、『和歌威徳物語』とも関係が深い

    (5)

    。挿絵は、全

    二十三図。なお、元禄二(二(八九)年刊『和歌威徳物語』にも、全二十

    四図の挿絵がある

    (

    6

    )

    O

    いて全二十五図。

    「絵入古今伊勢」の挿絵は、

    レイアウトの都合上か、挿絵の幅には少し聞きが

    さて、先述したとおり、

    口絵一図を除

    2013年 3月

    あって一定しているわけではない。挿絵を付す場合は、各丁に一図

    を置くのが基本だが、挿絵⑤⑥だけは、上段の上下に配される(【図

    3〕参照)

    第 9号

    【図版3】

    広島国際大学医療福祉学科紀要

    初めの挿絵から順に、①、②・::と番号を振り、挿絵の所在、対

    応和歌、部立、和歌の作者、挿絵との位置関係といった基本的な情

    報を、稿末の

    【挿絵・和歌対照表】にまとめた。本節では、

    その表

    から、挿絵の所在、各部立毎の挿絵数、和歌の作者に関する情報を

    取り出して整理し、

    そこから窺える挿絵編集の方針について検討す

    る挿絵の所在に関しては、挿絵全二十玉図中、

    二十二図は、見聞き

    で左側の丁、

    つまり、各丁オモテに配置されている。和歌の選定に

    おいても、挿絵がこの位置にくるような配慮を働かせていたようだ

    (7)

    。各部立毎の挿絵数は、【表1】

    のとおりである。

    【表1】

    「絵入古今伊勢」各部立毎の挿絵数

    (3)

    物 草書 離賀 Aζ

    秋 秋夏

    春 春

    名 旅 jjlJ 下 上 下 上

    1 1 1 O 1 1 2 1 3 6 図 図 図 図 図 図 図 図 図 図( (

    47 16 41 22 29 65 80 34 66 68 首 首 首 首 首 首 首 首 首 首

    墨歌

    雑 雑 及 恋 恋 恋 恋 恋滅

    所 雑

    歌御 喜本 下 上 傷 五 四歌等

    1 O 2 O 1 O 1 1 O l 1 図 図 図 図 図 図 図 図 図 図 図

    32 68 68 70 34 82 70 61 64 83 首 首 首 首 首 首 首 首 首 首

    * )内は、各部立の和歌数。

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    hiu-lib12テキストボックスNot Print

  • 全体的に、挿絵を付す場合、部立毎に一図または二図を基本とし

    ているようだが、春上・下の挿絵数が九図(回%)と飛び抜けて多い

    ことが注意されよう。挿絵のない部立は、

    (1巻第十)では賀のみ

    と少ないが、

    下(巻十一

    i)では、恋三、哀傷、雑下、大歌所御歌等

    と目立つ。上・下の挿絵のバランスは、十七図・八図となり、

    ほぼ

    の挿絵

    同じ割合で挿絵が付されている「絵入古今A木」と較べて(二十六図、

    二十四国)、ややバランスを欠いていると言えようか。

    いずれにせ

    「絵入古今和歌集J(~古今/和歌伊勢物語』所載)

    ょ、挿絵は、上巻、特にその前半に手厚く配されていることになる。

    その理由は判然とはしないが、初めの春上・下の和歌に多く挿絵

    を付けて編集することで、挿絵の存在は、読み手に意識されやすく

    「絵入古今伊勢」では、『古今和歌集』奏覧の場面を描いた

    なろう。

    巻頭の口絵以降、「仮名序」が掲載され、七丁ウラまでまったく挿絵

    E

    、。

    、情MJJ

    旬、ν

    ところが、

    八丁オモテの二条后歌の挿絵以降、毎見聞きべ

    ージ毎に挿絵が続く。

    ここに、絵入りを期待する読み手の心を掴む

    意図、があったものと捉えたい。

    次に、挿絵が描かれた和歌の作者について検討しておこう。判明

    した作者を、男、女、僧に区分して【表2】に示した。

    ただし、挿

    絵に対応する和歌は、認定の仕方によっては、若干の修正があるか

    も知れず、私見によるものである点をお断りしておきたい。

    『古今和歌集』で入集歌数が玉首以上の歌人は以下のとおり。

    貫之山首、期恒的首、友則必首、副割・素性白首、割判m山首、伊勢泣

    首、制伺ゆ首、川吋同首、遍昭・淵制対・剰刷げ首、卦対日首、判到

    ω首、剖刻9首、創則8首、劃・制割引・宗子6首、劇矧・剰聞H5首、

    (傍線は、挿絵に取り上げられていない歌人)

    【表2】「絵入古今伊勢」の挿絵に対応する和歌の作者

    1 2 3 図 図 図

    ーーーーーーーー

    ( 光 貰 身号人孝 之 恒丸天、て皇 友

    藤源員IJ

    原宗 男勝子臣

    奈良帝)

    ーーーーー-ーー

    母 二 伊条 勢

    衣后通

    姫紀

    手Lーーーーーーーー

    遍 素日召 性

    *読人しらずの和歌が対応している挿絵が五図。そのうち、左注

    で作者が推定されている場合は

    )で右表に掲げた。

    入集歌数の多い、著名な歌人の和歌を選んだ方が、見栄えのする

    挿絵となるだろう。朗恒、友則、貫之といった撰者の和歌が厚遇さ

    れ、女性として入集歌数最多の伊勢や、僧では素性、遍昭の和歌が

    多く選ばれている。わざわざ墨滅歌から衣通姫の和歌を選ぶという

    (4 )

    ユニークな試みもある。ただし、業平、敏行、

    小町らの和歌が選ば

    れていないのは、やや華やかさに欠ける。もっとも、業平歌は、

    段の『伊勢物語』で存分に味わえるという配慮が働いたか。

    ちなみに、全五十図の「絵入古今A木」において、

    入集歌数玉首以

    上の歌人で挿絵に選ばれていないのは、滋春・宗子・康秀の三人の

    「絵入古今伊勢」の全二十五図程度ではやむを得ないことだろう

    が、バラエティに富んだ人選とはなっていない。

    次に節を改めて、検討を挿絵と和歌との対応の問題に移そう。

    挿絵と和歌との対応

    (1)

    挿絵に対応する和歌は、挿絵の前、特に、直前に配置される場合

  • が多い(直後は一例)。たとえば、挿絵③(【図版4】参照)の直前に

    lま

    梅の花をおりて人にをくりける

    君ならで誰にかみせん梅花色をもかをも知人ぞしる(犯

    という紀友則の歌がある。

    2013年 3月

    門図版4】

    第9号広島国際大学医療福祉学科紀要

    挿絵では、賓の子に件む男性が、従者に折りとった梅の枝(短冊

    がぶら下がる)を手渡ししようとするような場面が描かれる。前後

    には他にも、(題

    しらず)

    折つれ同袖社匂へ倒相有とやこ〉に鳶のなく(読人しらず幻)

    常の笠にぬふてふ梅花折てかざ〉ん老かくるやと

    (東一二条左大臣お)

    月ょにはそれ共見えず梅花かを尋てぞ知べかりける

    (凡河内射恒

    ω

    のような梅花を折るというモチーフの和歌が並んでいるが、これら

    では「鴬」「かざす」「月夜」といった要件、が加わるので、やはり、直前

    の友則歌の詞書「梅の花をおりて人にをくりける」を念頭に絵画化し

    た挿絵である。

    挿絵⑨(【図版5】参照)の前には、

    挿絵③)

    やよひのつごもりの目、雨のふりけるに、藤のはなをおりて人につ

    かはしける

    (r絵入古今伊勢J10オ

    ぬれつ』ぞしゐておりつる年の内に春はいくかもあらじと恩へば

    (在原業平山

    ( 5 )

    亭子院の寄合に春のはての寄

    けふのみと春を思はぬ時だにも立事やすき花の陰かは(凡河内病恒

    134

    という和歌が並ぶ(春下の巻軸の二首)。

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  • 挿絵に藤の花が描かれているので、業平歌と関係がありそうだが、

    業平歌は、雨の降る日に、藤の花を折って人に贈ったときに詠じら

    れた和歌なので、状況的に合致しない。

    一方、弼恒歌は、

    三月尽以前の花の陰を引き合いに出して、逝く

    春への愛惜の思いを詠じたものである。挿絵では、庭前の藤の花を

    の挿絵

    眺める男たちの姿が描かれている。和歌では詠じられていない藤の

    花を、三月尽の日にふさわしい景物として想定し、男たちが春を惜

    「絵入古今和歌集J(~古今/和歌伊勢物語』所載)

    しむ具体的な場を設定したところが、この挿絵の趣向となっている。

    挿絵⑫(【図版6】参照)は、対応する和歌が、唯一、挿絵の直後

    にある事例である。構図の中心は、左下の、男性が、撫子の花(【図

    版7】参照)に向かって、

    見得でも切っているかのように立つ部分

    だろう。

    よく見ると、花の周囲には、虫(螺蜂)が潜む。視点人物が

    僧侶の姿で描かれていないという問題点はあるが、

    これらは、明ら

    かに、挿絵の直後の素性歌、

    我のみや哀と思はん益なく夕景のやまとなでしこ(制)

    を踏まえた構図である。

    カ3描挿か絵れで

    華は、

    や多吟くな川

    君愛君主情 ;ニミ趣紅が来

    夏鹿官女表郎現 1R

    i藤る袴

    ご尾。花斗(

    主き

    女郎花を折り取って、男性に何かを語りかけているかのような女性

    も描かれる。男性との関係はよく分からないが、女郎花の和歌には、

    恋の雰囲気の感じられるものも多く

    (9)

    、何か日くありげな構図に

    仕立てられている。

    【図版6】

    花草「石竹(なでしこ)J)

    ( 6 )

    ( ~司11 蒙国葉』巻第二十

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  • 挿絵⑬(【図版8】参照)は、次の二首の聞にレイアウトされる。

    題しらず

    龍回川紅葉乱て流るめり渡らば錦中や絶なん(読人しらず

    283

    此寄は、ある人、ならのみかどの御寄也となん申す

    2013年 3月

    たった川紅葉ば流る神なびのみむろの山に時雨降らし(捌)

    又は、あすか川もみぢばながる。此寄不注人丸寄

    どちらも龍田川を紅葉が流れるという情景は共通するので、両方

    の和歌を念頭に置いた構図としても捉えられそうだ(叩

    )O

    ただし、

    第9号

    傘を持つ従者を従えた視点人物は、装束も豪華で、背後に牛車の一

    部が描かれていることから、高貴な身分であることが示されている。

    こうした描写は、加番歌左注の「此寄は、ある人、ならのみかどの

    御寄也となん申す」に拠り、作者を奈良の帝と解したからであろう。

    したがって、対応する和歌は直前の加番歌となる。

    広島国際大学医療福祉学科紀要

    【図版8】

    (r絵入古今伊勢J24オ

    挿絵⑭(【図版9】参照)の前には、

    (題しらず)

    梅花それ共みえず久方のあまぎる雪のなべてふれ』ば

    (読人しらず、左注「此寄は或人の云柿木の人丸が寄也」制)

    梅の花に雪のふれるをよめる

    花の色は雪に交て見へず共かをだに匂へ人の知ベく(小野筆悶)

    雪のうちの梅の花をよめる

    梅での降をける雪にまがひせば誰かことぐ分て折まし(紀頁之制)

    雪のふりけるをみてよめる

    雪降ば木ごとに花ぞ咲にける何れを梅と分ておらまし(紀友則初)

    といった、雪に紛れた梅花が詠じられた、著名な歌人の和歌が並ぶ。

    【図版9】

    (7)

    挿絵⑬)

    挿絵は、視点人物の男性が、雪の降りかかった梅木を眺める構図

    で描かれており、

    どの和歌とも対応しそうだが、

    手前に雪持ちの松

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  • が大きく描かれ、男性が、梅木と見較べている構図だと捉えれば、

    やはり、直前の友則歌の「木ごとに花ぞ咲く」「何れを梅と分て」とい

    う表現を絵固化したものと考えられる。

    挿絵⑮(【図版印】参照)の前後には、遠い国へ旅立つ人との名残

    を惜しむ離別の和歌が並ぶ。

    の挿絵

    源のさねがつくしへゆあみんとでまかりける時に、山崎にて別おし

    みける所にてよめる

    「絵入古今和歌集J(~古今/和歌伊勢物語』所載)

    命だに心にかなふ物ならば何か別の悲しからまし(白女

    387

    山崎より神なびのもりまでをくりに人々まかりで、帰りがてにして

    別おしみけるによめる

    人やりの道ならなくに大方はいきうしといひていさ帰りなん(源実

    今は是よりかへりねとさねがいひけるおりに読ける」(却オ)

    慕れてきにし心の身にしあれば帰るさまには道もしられず(

    藤原兼茂

    藤原のこれをかがむさしのすけにまかりける時に、おくりにあふ

    さかをこゆとてよみける

    かっこへで別れもゆくかあふさかは人だのめなる名にこそありけれ

    (紀貫之

    あふみのちふるがこしへまかりけるむまのはなむけによめる

    君が行越の白山しらね共ゆきの随意跡は尋ん(藤原兼輔飢)

    挿絵では、男たちが、袖で涙を拭いながら別れを惜しむ場面が描

    かれるので、間番の白女歌ではないだろうが、他は、遠国へ旅立つ

    人との別れの歌だから、情景的には似通ったものではある。しかし、

    挿絵の右下に描かれた門に注目すれば、これは直前の貫之歌の逢坂

    (の関)を絵固化したものと解せよう(日

    )O

    詞書を踏まえ、逢坂の関

    で別れを惜しむという構図が採用された。

    【図版印】

    388

    (8)

    挿絵⑮)(r絵入古今伊勢J30ウ

    389

    挿絵⑫(【図版什】参照)は、

    「絵入古今伊勢」のなかでは、視点人

    物の描かれない数少ない挿絵の一つである。

    挿絵に対応するのは、直前の、

    390

    さ〉、まっ、びは、ばせをば

    いさL

    めに時まつまにぞひはへぬる心ばせをば人にみへつ〉

    であることは明らかで、

    言司書

    刀三

    された四イコの物名を取り集め

    て 454

    紀乳母

    図に描いたものである。

    「絵入古今A本」の物名歌の挿絵二図では、

    視点人物が描かれ、和歌の意味を汲んで絵画化されている。この挿

    絵⑪では、男の訪れを期待する女の心を詠じた紀乳母歌の歌意には

    hiu-lib12長方形

    hiu-lib12テキストボックスNot Print

  • 拘らず、

    即物的な構図である。

    【図版日】

    2013年 3月第 9号広島国際大学医療福祉学科紀要

    挿絵⑫(【図版印】参照)は、挿絵の構図や視点人物が女性である

    ことを考えれば、直前の二首が候補だろう。

    相しれりける人の、ゃうやくかれがたになりけるあひだに、やけた

    るちのはに文をさしてつかはせりける

    時過て枯行をの』浅ぢには今は思ひぞ絶ずもへける(小町が姉別)

    物思ひけるころ、ものへまかりける道に、野火のもへけるを見てよ

    める

    冬枯の野ベと我みを思ひせばもへでも春を待まし物を(伊勢削)

    「枯行くをの』浅茅」とも「冬枯の野べ」と

    挿絵に描かれた野原は、

    も見えるが、別番歌は、「焼けたる茅の葉に文を挿して遣はせりけ

    る」という限定的な状況で詠じられており、

    「物へまかりける道に、

    野火の燃えけるをみて」という道中で詠じられた削番歌の方が、女

    性が屋外に件む挿絵の構図と合致する。女性の目の先に、

    わずかに

    芽吹いた柳が見えるが、これは、春の到来を期待する伊勢歌の心を

    暗示したものか(ロ)。

    【図版ロ】

    挿絵⑪)

    ( 9 )

    挿絵⑮)

    (r絵入古今伊勢J35オ

    (r絵入古今伊勢J48ウ

    参照)も、

    挿絵⑪と同じく、

    視点人物が描

    かれていない。

    対応するのは、直前の、

    (題しらず)

    大あらきの森の下草生ぬれば駒もすさめず刈人もなし(読人しらず脱)

    又は、さくらあさのおふの下草おひぬれば

    である。視点人物が描かれなかったのは、読人しらずの和歌だから

    だろうか(口

    )O

    左注の異文に拠って、絵画化さ

    れている点が注意される。「さくらあさ(のおふの下草ごとは、古来

    この挿絵では、主本文ではなく、

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  • より歌学書などで問題とされてきた難儀の語である(日)。挿絵では、

    単純に

    「桜と麻(が生えている場所の下草ごと解して絵固化されて

    いる点、がほほえましい(日

    )O

    【図版印】

    の挿絵「絵入古今和歌集J(~古今/和歌伊勢物語』所載)

    対応する和歌が挿絵の直前(直後)に配置されており、読み手にやさ

    しいレイアウトが心掛けられているようだ。

    F-守

    F

    -

    J

    ナJナJ1L

    少し離れた前

    の位置にレイアウトされている事例もある(三例)。次節では、

    これ

    らの挿絵を取り上げて、和歌との関係を検討しておこう。

    挿絵と和歌との対応(2)

    挿絵⑩(【図版川】参照)の前後には、時鳥を詠じた和歌が多い。

    挿絵では、

    二人の男性が、空を飛ぶ時鳥に目を遣る(声を

    山中で

    聞く)姿が描かれる。

    直前には

    ゃょやまて山時鳥ことづてん我世中に住わびぬとよ(問)

    山へ帰る時鳥が詠じられ

    という三国町の和歌があるが、和歌では、

    ており、

    しかも、三国町(仁明天皇の更衣、貞登の母)は女性である

    から、視点人物を男性に描いた挿絵とは合わないのである。

    挿絵の前後には、

    山時鳥や山へ帰る時鳥を詠じた和歌が並ぶが、

    挿絵の構図との関係が想定できるのは、前の丁にある友則歌である。

    おとは山をこへける時に、郭公の鳴をき〉てよめる

    音羽山けさこへくれば時鳥梢はるかに今ぞ鳴なる(四)

    山中にいて、時鳥の鳴き声を聞くという状況は、挿絵の

    詞書の、

    構図と符合する。

    「梢はるかに」という措辞までも挿絵の描写に活か

    されているように思われる。

    (10)

    【図版川口

    挿絵⑩)(r絵入古今伊勢j17オ

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  • 2013年 3月

    なお、この友則歌は、「絵入古今A本」でも挿絵が描かれていた(【図

    版印】参照)。視点人物の装束などは異なるが、構図は同じである。

    問題の挿絵⑩も、この友則歌を絵画化したものと考えられる。

    実際のレイアウトを見ると、友則歌の直後(大)は、挿絵⑩を挿入

    するにはやや手狭であることが分かる(【図版印】参照)。そこには

    後続する和歌を順次詰め、凶番歌の詞書「題知らず」が三国町歌まで

    掛かるので、その後に挿絵⑩を置いた。こう考えれば、このレイア

    ウトにもそれなりの必然性があると考えられまいか。他の二例につ

    いても、挿絵⑩と同様の事情が想定できるレイアウトとなっている。

    {図版印】

    第 9号

    (r絵入古今和歌集」延宝七年刊本)

    広島国際大学医療福祉学科紀要

    【図版印】

    会f一一一一「

    三国町歌

    挿絵⑩

    (r絵入古今伊勢J16ウ・17オ)

    (11)

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  • 挿絵⑪(【図版円】参照)の前後には、

    題しらず

    木間よりもりくる月の影みれば心づくしの秋はきにけり

    大方の秋くるからに我身社悲しき物と思ひ知ぬれ(同

    185 読)人

    しらず

    の挿絵

    我ためにくる秋にしもあらなくに虫のね聞ばまづぞ悲しき同

    m)」(日ウ)

    間)

    「絵入古今和歌集J(~古今/和歌伊勢物語』所載)

    物ごとに秋ぞ悲しきもみぢつ〉うつろひ行を限りと思へば(同

    間)

    独ぬる床は草ばに非ね共秋くる宵は露けかりけり(同

    開凶幽

    これさだのみこの家の寄合のうた

    いつはとは時は分ねど秋のよぞ物思事の限り也ける(〈大江千里〉

    かんなりのっぽに人々あつまりて、秋のよおしむ豆町よみけるついで

    によめる

    かく斗おしと思ふ夜を徒にねて明すらん人さへぞうき

    (凡河内射恒

    といった、秋の物思いの和歌が並ぶ。

    しかし、挿絵の構図は、

    天の

    川を挟んで件む、織姫と牽牛の姿を姿を描いたものである。対応和

    歌の候補は、これらの前に配列された、

    m番im番歌の七夕の和歌

    である。

    この七夕歌群では、七夕の夜以前の和歌から、当夜の和歌へと「時

    間的な経過を軸として排列されてゐる」(同)。ただし、挿絵⑪では、

    牽牛が織姫に背を向け、名残惜しそうに振り返っているような構図

    で描かれる(袖で涙を拭う)。

    これは、【図版印】

    のような、典型的

    な後朝の別れの構図である。よって、挿絵⑪と対応する和歌の候補

    は、歌群末尾の二首となろう。

    なぬかの夜のあかつきによめる

    184

    今はとて別る〉時は天川渡らぬ先に袖ぞひちぬる(源宗子

    ゃうかの日よめる

    けふよりはいまこん年の昨日をぞいつしかとのみ待渡るべき

    間)

    視点人物を織姫と捉え、忠琴歌の挿絵と解せないこともないだろ

    (壬生忠明守

    うが、

    「別る』時」に袖が涙で濡れると歌う宗子歌の方が、挿絵の描

    写と近いようだ。挿絵では、牽牛は天の川を渡っており、

    先に袖ぞひちぬる」と若干食い違うが、時間的に少し後の状況が描

    189

    かれているのであろう。

    【図版行】

    190

    182

    「渡らぬ

    (12)

    挿絵⑪)cr絵入古今伊勢J19オ

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  • 【図版印】

    2013年 3月第9号広島国際大学医療福祉学科紀要

    *あり明のつれなく見えしわかれより

    あかつきばかりうきものはなし(壬生忠峯

  • 一めみし君もやくると桜花けふは待みて散はちらなん(紀貫之

    78

    これは、親しく交わっていた人がやってきて、帰った後に、

    その

    「あひしれりける人」は、友

    人などを指すという解釈もできるが(小沢正夫(げ))、

    人の再訪を期待して贈った和歌である。

    「男女が深い

    関係になっている場合を言うことが多い」ともいう(片桐洋一

    の挿絵

    ゆえに、貫之が女の立場に立って詠じたという理解も成り立つが、

    挿絵⑦では、作者が貫之であることから、視点人物を男とし、女が

    「絵入古今和歌集J(~古今/和歌伊勢物語』所載)

    訪れている場面が描かれたのであろう。

    和歌の絵画化にあたっては、和歌や詞書の内容を勘案しつつ、

    さまざまに工夫して描くことが許されているようだ。

    この貫之歌の

    内容からは、男が桜を前に一人待っているような構図がイメージさ

    れるが、挿絵⑦では、男が期待した、女の再訪の場面が描かれてい

    るのではないか。

    挿絵⑦と頁之歌と同じような関係を示す事例を延宝六(一六七人)年刊

    『百人一首像讃抄』(江戸版、菱川師宣画)から一図上げてみよう。

    【図版印】は、

    名にしおはばあふさか山のさねかづら人にしられでくるよしもがな

    (三条右大臣お)

    という三条右大臣歌の歌意図(歌意絵)である。三条右大臣歌には、

    出典の『後撰集』に「女につかはしける」という調書がある(恋三

    川)。現在では、第五句「くるよしもがな」の「来る」を「行く」と同意

    と考える見方が一般的だろう。しかし、『百人一首像讃抄』の歌意

    図では、女が男の許へ来ると解して歌意図が描かれている点で注目

    される(凹)。和歌では、女の来訪を期待する表現であるのに、歌意

    図では、すでに女が訪れている場面が描かれている点で、挿絵⑦の

    場合と同じ趣向である。

    【図版印】

    (14)

    ここまでの検討で、

    「絵入古今伊勢」の挿絵が、概ね、特定の和歌

    の内容と対応する構図で描かれていることが明らかになった。和歌

    の絵画化の事例を整理、検討するという本稿の目的は達成できたよ

    うに思う。次節では、視点を変えて、

    「絵入古今伊勢」の挿絵を、同

    じ和歌を絵画化した他作品の挿絵と比較することで、挿絵の趣向を

    考察してみよう。

    他の歌意図との比較

    『百人一首』や『三十六歌仙』は、多数の作品で、和歌絵画化の

    「絵入古今伊勢」の挿絵と対応する和歌のな

    多彩な事例を提供する。

    かには、『百人一首』と共通するものが二例(挿絵②⑮)、『三十六

  • 歌仙』の挿絵と共通するものが一例(挿絵⑮)ある。

    それほど数は多

    くないのだが、これらと比較することで、挿絵の趣向を相対化して

    みよう。

    挿絵②(【図版引】参照)の前後には、若菜摘みの和歌が並ぶ(日

    12番歌)が、対応する和歌は、直前の、

    仁和のみかどみこにおはしましける時に、人にわかな給ひける御う

    2013年 3月

    君がため春の』に出て若な摘我衣でに雪は降つ』

    光孝天皇幻

    である。和歌の内容からは、春野で若菜摘みをする情景がイメージ

    第9号

    される、が、

    調書の「人にわかな給ひける」に着目して、若菜を献上す

    る場面が想定されたようだ。

    広島国際大学医療福祉学科紀要

    【図版引】

    を載せた脚付きの折敷は、耀綱縁の畳に座った天皇に献じられる。

    視点人物は、献じられた若菜のそばで、衣手で口元を覆う男性とい

    うことになろうか(叩)。

    光孝天皇歌では、若葉が誰に贈られたのかは明示されていないた

    め、「君」をめぐっては、注釈史でさまざまな解釈が行われているが

    (幻)、挿絵では、和歌の「君(がためごを天皇と限定的に解して、こ

    のような構図が選ばれたのではないだろうか。

    そして、挿絵②の構図は、『百人一首像讃抄』のような歌意図と

    関連がありそうである。『百人一首像讃抄』は、上方版も江戸版も、

    同じような構図の歌意図で、江戸版(菱川師宣画)の歌意図を【図版

    位〕に示す。

    【図版包】

    醐膚

    光孝天皇歌歌意図)

    (15)

  • 挿絵②がこの歌意図に直接依拠したというわけではないが、何ら

    かの形で、構図上のヒントをこうした「百人一首絵」から学んだと考

    えられるケ

    lスであろう。

    さて、挿絵⑮({図版幻】参照)は、直前の、

    ほのぐと明石の浦の朝霧に嶋がくれ行舟おしぞ思ふ(読人しらず側

    「絵入古今和歌集J(~古今/和歌伊勢物語』所載)の挿絵

    此寄は、ある人の云、柿本の人丸が也

    と対応する。

    【図版お】

    挿絵⑩)(r絵入古今伊勢J32オ

    この挿絵は、視点人物を人丸の歌仙絵に描いているところが特色

    であろう。片膝を立て、右手に筆を持ち、

    左手に巻紙を持って、視

    線を上に上げて見上げるポ

    lスは、すでに、佐竹本『三十六歌仙絵』

    に見える、典型的な人丸歌仙絵の一つである。視点人物に人丸の歌

    仙絵を用い、海辺の賎家から島隠れ行く船を遠望するという趣向で

    描かれている。

    【図版MA

    (16)

    (松会版『歌仙金玉抄』 柿本人丸歌歌意図)

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  • 2013年 3月

    同時代に描かれた、

    違いを見せる。

    たとえば、『歌仙金玉抄』という三十六歌仙の絵入りの注釈書の

    歌意図を上げてみよう。同書には、天和三一(二〈八=一)年刊金屋半右衛門

    版(京都)と、松会版(江戸)がある(【図版M】参照)。

    この両歌意図の、視点人物の位置の違いについては、山下則子が

    指摘するように{台、人丸歌に対する、当時行われた二様の解釈が

    反映していると考えられる。すなはち、「作者が島隠れ行く舟に乗

    っている」という理解で、天和三年刊本は描かれているのである。

    それに対して、松会版は、視点人物を描くことなく、人丸が眺めた

    であろう光景を叙景的に描いていることになろう。

    さらに、元禄九(=(九六)年刊『歌仙大和抄』(江戸・須藤権兵衛版)

    では、次のような歌意図を載せる(【図版部】参照)。

    【図版お】

    同じ和歌の歌意図では、

    視点人物の描き方に

    第 9号広島国際大学医療福祉学科紀要

    この歌意図では、視点人物を馬上に描き、従者を引き連れた旅の

    途上であることが強調される。

    これらの挿絵のなかでは、天和三年刊『歌仙金玉抄』の歌意図の

    ユニークさが際立つが、他の三図でも、視点人物をどのように描く

    か(描かないか)で、それぞれに趣向が凝らされていることが、この

    ように具体的に比較することで分かる。

    おわりに

    柿本人丸歌歌意図)

    本稿の内容をまとめ、今後の課題を確認したい。

    「絵入古今伊勢」では、挿絵は、概ね、前後の特定の和歌の内容に

    対応する構図で描かれている。『古今集』和歌の絵画化の事例とし

    て、「絵入古今A本」の五十例に、さらに「絵入古今伊勢」の二十五例

    を加えることができた。

    対応する和歌は、挿絵の前後(特に直前)にレイアウトされること

    が多く(二十二例)、結果的に、読み手が挿絵に対応する和歌を特定

    しやすい配慮がなされている。紛らわしい和歌がある場合でも、そ

    の微妙な内容の差に応じた構図や描写が選ばれ、挿絵は、和歌の配

    列を意識して、巧まれた趣向で描かれているのではないか。

    同じ和歌を絵画化した複数の挿絵(歌意図)があれば、その違いに

    着目することで、挿絵の意図が浮かび上がってくる場合もある。今

    後は、対応和歌に拘らず、挿絵の趣向のレベルでの比較検討が必要

    となってこよう。その際に、特に、視点人物をどのように描いてい

    るか(描いていないか)に着目することで、挿絵の趣向が浮かび上が

    ってくる点に注意しておきたい。

    今後も、和歌の絵画化の問題を検討するために、『古今和歌集』

    に限らず、和歌の絵画化の事例を整理、検討する作業を続けたく思

    λノ。

    (17)

  • 〔注〕(1)川上新一郎「古今和歌集版本考|前稿の補訂をかねて|」

    (2)挿絵①(二条后)、挿絵⑥(伊勢)、挿絵⑩(紀友則)

    (『斯道文庫論集』弘、平ロ・

    2)

    (3)拙稿「「絵入古今和歌集」(寛政二年以前刊本)の挿絵その編集方針をめぐって|」(『広島国際大学医療福祉学科紀要』

    5、平幻・3)、

    同コ絵入古今和歌集」(延宝七年刊本)の挿絵ーその編集方針と趣向について

    附・影印|」(『広島国際大学医療福祉学科紀要』7、平お

    の挿絵

    -3)、同「「絵入古今和歌集」(延宝七年刊本)の挿絵・続考1

    和歌の絵画化の問題を中心に」(『広島国際大学医療福祉学科紀要』

    8、平M

    -3)

    「絵入古今和歌集J(~古今/和歌伊勢物語』所載)

    (4)書誌情報などは、注(1)川上論考参照。

    「元禄十二年の刊記を有するものが初印で、無刊記本これに次ぎ、寛政十一年の修印本が最も遅

    れる」とある。島根大学附属図書館・寄託資料、

    石井家(夷屋)文庫蔵本(∞∞)の二冊本は、巻末に「古文字屋市左(右)衛門(版ごの刊記があ

    る(耳石一¥¥唱唱者・

    2σ・田げ吉田口出l戸・白口・旨¥。¥ロOH戸

    2

    Z

    oロ¥丸山

    ¥ι白・即日℃450品⑦」汁全門戸MHOS、NOZ¥Oω¥NOアクセス)。

    (5)森山茂コ和歌奇妙談」考ーその一」(『宇部国文研究』

    2、昭釘)、

    同コ和歌奇妙談」考ーその二」(『宇部国文研究』3、昭幻)、柳津良一

    「『和歌奇妙談』(上)|研究と翻刻」(『北陸古典研究』3、昭日・8)、同「『和歌奇妙談』(下)|研究と翻刻l」(『北陸古典研究』

    4、

    (18)

    平元・

    1)。

    Qd

    (6)元禄二年刊『和歌威徳物語』は、古典文庫却『和歌威徳・和歌奇特・七小町物語』(昭町)で影印紹介されている。

    (7)『伊勢物語』部分の挿絵も全却図中部図、『和歌奇妙談』部分の挿絵は、全二十三図中十三図が見聞きで左側にレイアウトされる。

    (8)素性歌の直後には、

    緑なるひとつ草とぞ春はみし秋は色々の花にぞ有ける(読人しらず

    245

    百草の花の紐とく秋の〉に恩ひたはれん人なとがめそ(同制)

    の二首が並び、素性歌の前には、秋草の歌群(女郎花

    mi認、藤袴日

    1MM、花薄必

    -m)がある。

    円J

    ηム

    ηムの

    r4

    参考までに、『百人一首像讃抄』(江戸版、菱川師宣画)から、秋草の情景が描かれている歌意図と和歌を掲げておく。

  • 【図版部】

    2013年 3月

    (W百人一首像讃抄』文屋朝康歌歌意図)

    (W百人一首像讃抄』藤原顕輔歌歌意図)

    第 9号広島国際大学医療福祉学科紀要

    しら露に風の吹しく秋の〉はつらぬきとめぬ玉ぞちりける(文屋朝康幻)

    秋風にたな引雲のたへまよりもれ出る月のかげのさやけさ

    (19)

    (藤原顕輔叩)

    共に、和歌では詠じられていない秋草が描かれ、華やかな秋の野を視覚的に演出した歌意図である。co

    (9)「名にめでてをれるばかりぞをみなへし我おちにきと人にかたるな」(『古今集』秋上・遍昭・2)「あきくればのべにたはるる女郎花い

    ヮ“

    t

    づれの人かつまで見るべき」(同・雑体・読人しらず

    -m)など。

    44

    (印)『大和物語』は、「おなじ帝、龍田川のもみぢいとをもしろきを御覧じける日」に、柿本人麿がお番歌を詠じ、奈良の帝がお番歌を唱和

    Aせ

    するという短い逸話を収める(百五十一段)。」

    8番歌は、『拾遺和歌集』では、柿本人麿詠として、「奈良のみかど竜田河に紅葉御覧じに

    つ山

    行幸ありける時、御ともにつかうまつりて」の詞喜とともに、再び入集する(冬山)。

    (日)たとえば、『百人一首像讃抄』(江戸版)の蝉丸歌歌意図など。

    nhu

    (ロ)「霜枯れ冬の柳は見る人の薙にすべく萌えにけるかも」(『万葉集』巻第十・春雑歌・加)「浅緑染め掛けたりと見るまでに春の柳は萌え

    t

    にけるかも」(同・制)など。

    (日)「絵入古今伊勢」で、挿絵の対象となっている和歌のうち、「読人しらず」の和歌は五首。挿絵⑬、⑮の場合は、左注に拠って、和歌の作

    口口

    者が特定される。挿絵⑫では、視点人物が僧侶に描かれる。当該歌は、『古今和歌六帖』では、素性歌(叫)とされる。歌仙家集本系統の

  • 『遍昭集』にも収められる(『新編国歌大観』遍昭集解題)。和歌の内容からも、作者は僧侶と考えられる。挿絵⑮も、視点人物は僧侶に

    描かれる。内容的には恋歌だが、仏教語「閤浮(の身なればごという表現が用いられていることから、作者を僧侶と解したか。

    の挿絵

    (日)たとえば、『古今余材抄』には、「注に、さくらあさのをふとは、樫麻苧生也。高葉にもよめり。棲麻とは、麻のすなほに生ひたちた

    るか。枝葉さへ棲に似たれば云にや。棲の咲ころ麻をまけば棲麻とも云も一説也。苧生は只苧をまける所也。名所にはあらず」(『古今

    齢材抄尾張乃家直全』園墜院大皐出版部明必)と説明する。

    (日)【図版幻】

    「絵入古今和歌集J(W古今/和歌伊勢物語』所載)

    米穀『麻J)(悶11蒙園嚢』巻第十六

    (20)

    (日)松田武夫『古今集の構造に関する研究』(風間書房昭却)

    (口)日本古典文学全集『古今和歌集』(小学館昭羽)

    (日)『古今和歌集全評釈(上)』(講談社平日)

    (印)ジヨシユア・モストウ『

    22呂田。司昌開田昌司呂田正長EEH回目

    E

    E唱。ユ白

    EHE白問。』呂志ロロ

    H4022可O内出血唱

    tJHUE町田)

    (加)別の解釈として、詞書に拘らず、視点人物は、光孝天皇として描かれていると解することができるだろうか。『百人一首像讃抄』の注

    釈、すなわち、「幽斎抄」では「是は、臣下などに若菜をたまふときの御歌なり」とある。ただし、この捉え方では、若菜が光孝天皇に献じ

    られている構図がうまく説明できないように思われる。

    (れ)吉海直人『百人一首の新考察』(世界思想社平5)

  • (幻)

    ジヨシユア・モストウは、『百人一首像讃抄』の歌意図を、

    一人の貴族(恐らく「君」を指す)が一人の廷臣によって切られている若菜を受け取っている

    (」「FOUOHHけ回口白]{Hロ汁叩吋匂吋叩け印件同Oロ由。吋けFH由匂O冊目田町田冊目仲07白〈田町田仏]土日汁HOH回目】印口けODHけ臼〈仙回口白]{】1N白けHOロ臼-H,Y叩叶唱O白日UHU円。田口町田臼

    mHけFO吋臼}Hod『白ロ白HaH町件。口吋胆汁(HUH-O凹己居間ゲ){司、宮山『HO吋仏、、)吋叩ロ巾庁〈HHH開什『由同He∞∞口問け}戸白け白岡田

    σ叩H口問ロロけ

    σ可白口O戸吋け同叩吋w白白仲口付}戸叩NO白血ロ

    田町O[]{町|]ニwO吋HY∞可凹70耳白『仲間町門担ロ}内]FDmロOC円仲Hm円(百円由回己目白σ日可けFOH)同ムロロ叩)仏同一円。ロけ回口聞け}HO岡田己戸叩吋同口問。向けげ叩間同叩叩ロ臼ゆ白田仲口出国的叩

    2013年 3月

    間同耳白[円町lω]白ロιHY自問白口四日刊orc[]戸町lN]||仲FO]{伯けけ由同仲ロ什佃吋℃HO汁出HHOD--白白O自由唱町田仲口同O由。一円HO仲町田甘02Hヘ白O円仲間同ロ∞]{口Oロけ叩H4?:・・・)

    場面と解釈する(注目掲出書)。

    (幻)「役者絵『見立三十六歌撰』について文学と歌舞伎からl」(『国文研ニューズ』)陥幻、平

    μ・5)

    こうした理解は、

    下前辺長流『歌仙抄』や『歌仙金玉抄』のような「三十六歌仙」の注釈書のほか、『古今余材抄』など、『古今集』注釈

    第 9号

    書にもある(竹岡正夫『古今和歌集全評釈上補訂版』(右文書院初版昭日)参照。

    [掲載図版リスト](「絵入古今伊勢」を除く)

    O『鉄心斎文庫所蔵伊勢物語図録』第二集伊勢物語絵入り版本の展開(鉄心斎文庫伊勢物語文華館平4)【図版1】

    O人間文化研究機構国文学研究資料館蔵『古今和歌集』(HNIgi-(i山)【図版2】

    O近世文学資料類従参考文献編4

    『訓蒙園葉(附索引)』(勉誠社昭日)【図版7】【図版幻〕

    O版本文庫9

    『百人一首像讃抄』(国書刊行会昭印)【図版印】【図版印】【図版泣】【図版部】

    O『江戸時代女性文庫卯』(大空社平日、解題・吉海直人)【図版日】の天和三年刊司歌仙金玉抄』

    O『京都大学蔵大惣本稀書集成第十巻歌書』(京都大学文学部国語学国文学研究室編臨川書店平7、解題)

    【図版剖】の松会版『歌仙金玉抄』

    (21)

    広島国際大学医療福祉学科紀要

    O人間文化研究機構国文学研究資料館蔵『歌仙大和抄』(ナ215271112)【図版部】

    [参考文献]

    O竹岡正夫『古今和歌集全評釈(上・下)補訂版』(右文書院初版昭日)

    O片桐洋一『古今和歌集全評釈(上・中・下)』(講談社平日)

    Oジヨシュアモストウ『Z2呂田宅昌開田昌司叶Z5島EEH回目EE君。ユ白ZH呂田mLESEE耳目仲与え出血EHJ宇目的回)

    [付記]

    資料の掲載について、ご許可を賜りました、東京都立中央図書館特別文庫室ならびに人間文化研究機構国文学研究資料館の関係

    者の方々に御礼申し上げます。

  • 【挿絵・和歌対照表】

    挿絵番号

    「絵入古今和歌集J(~古今/和歌伊勢物語』所載)の挿絵

    8オ

    9 オ

    問オ

    11 オ

    ロオ

    ロオ

    日オ 丁

    和歌(新編国歌大観歌番号)

    二条のきさき春のはじめの御寄

    雪の内に春はきにけり鴬の氷れる涙今やとくらん

    仁和のみかどみこにおはしましける時に、人にわかな給ひける御うた

    (4)

    君がため春の〉に出て若な摘我衣でに雪は降つ〉

    (幻)

    梅の花をおりて人にをくりける

    君ならで誰にかみせん梅花色をもかをも知人ぞしる(見)

    山のさくらをみてよめる

    見てのみや人に語らん桜花手毎に折て家づとにせん

    (日)

    さくらの花のさけりけるを見にまうできたりける人によみてをくりける

    我宿の花みがてらにくる人は散なん後ぞ恋しかるべき(訂)

    亭子院耳合の時よめる

    見る人もなき山里の桜花ほかの散なん後ぞさかまし(侃)

    あひしれりける人のまうできて、帰りにける後に、よみて花にさして

    っかはしける

    一めみし君もやくると桜花けふは待みて散はちらなん(冗)

    しがより帰りけるをうな共の、花山にいりて藤の花のもとに立よりて

    帰りけるに、よみてをくりける

    部立

    春上

    春上

    春上

    春上

    春上

    春上

    春下

    作者

    条后

    光孝天皇

    紀友則

    素性法師

    凡河内期恒

    伊勢

    紀貫之

    挿絵との位置関係

    直前

    直前

    直前

    直前

    (22)

    直前

    キ⑥の伊勢歌を挟む。

    直前

    二首前(前丁)

  • 2013年 3月第9号広島国際大学医療福祉学科紀要

    日オ

    Mオ

    口オ

    円オ

    21 ウ

    MA

    幻オ

    30 ウ

    ロオ

    日オ

    よそにみて帰らん人に藤の花はひまつはれよ枝は折共(山)

    亭子院の寄合に春のはての寄

    けふのみと春を思はぬ時だにも立事やすき花の陰かは

    (問)

    おとは山をこへける時に、郭公の鳴をき〉てよめる

    音羽山けさこへくれば時鳥梢はるかに今ぞ鳴なる(問)

    なぬかの夜のあかつきによめる

    今はとて別る〉時は天川渡らぬ先に袖ぞひちぬる(問)

    (寛平御時きさいの宮の寄合の寄)

    我のみや哀と思はん華なく夕景のやまとなでしこ(胤)

    題しらず

    龍田川紅葉乱て流るめり渡らば錦中や絶なん(加)

    此寄は、ある人、ならのみかどの御寄也となん申す

    雪のふりけるをみてよめる

    雪降ば木ごとに花ぞ咲にける何れを梅と分ておらまし(初)

    藤原のこれをかがジ、むさしのすけに罷ける時に、をくりに相坂を

    こゆるとて読ける

    かっこへで別れも行か相坂は人だのめなるなに社有けれ(別)

    (題しらず)

    ほの介¥と明石の浦の朝霧に嶋がくれ行舟おしぞ思ふ

    此寄は、ある人の云、柿本の人丸が也

    (制)

    さ与、まつ、びは、ばせをば

    いさ〉めに時まつまにぞひはへぬる心ばせをば人にみへつ〉

    (制)

    春下

    春下

    夏秋上

    秋上

    秋下

    え再建53IJ

    覇旅

    物名

    僧正遍昭

    凡河内荊恒

    紀友則

    源宗子

    素性法師

    読人しらず

    紀友則

    紀貫之

    読人しらず

    紀乳母

    直目IJ

    直目リ

    十一首前(前丁)

    七首前(前丁)

    直前

    直前

    (23)

    直目IJ

    直前

    直前

    直前

  • 「絵入古今和歌集J(~古今/和歌伊勢物語』所載)の挿絵

    日川オ

    判オ

    判オ

    48 ワ

    日オ

    ωオ

    (題しらず)

    白波の跡なきかたに行舟も風ぞたよりのしるべ成ける(仰)

    (題しらず)

    夏虫を何かいひけん心から我も思ひにもへぬべら也(側)

    (題しらず)

    今こんといひし斗に長月の有明の月を待出つる哉(飢)

    物思ひけるころ、ものへまかりける道に、野火のもへけるを見てよめる

    冬枯の野べと我みを思ひせばもへでも春を待まし物を(矧)

    (題しらず)

    大あらきの森の下草生ぬれば駒もすさめず刈人もなし

    又は、さくらあさのおふの下草おひぬれば

    (腕)

    題しらず

    あふことの

    まれなる色に

    はる〉時なく

    ふじのねの

    なにしかも

    人をうらみん

    思ひはいまは

    いたづらに

    かくなはに

    思ひみだれて

    えぶのみなれば

    猶やまず

    こがくれて

    たぎっ心を

    人しりぬべみ

    墨ぞめの

    歎き余り

    せんすべなみに

    おく露の

    衣のそでに

    おもひそめ

    わが身はつねに

    あま雲の

    もへつ〉とはに

    思へども

    あふことかたし

    わたつみの

    おきをふかめて

    思ひてし

    なりぬベら也

    ゆく水の

    絶る時なく

    ふる雪の

    けなばけぬべく

    思へども

    思ひはふかし

    あし引の

    山した水の

    誰にかも

    色にいでば

    相かたらはん

    タベになれば

    ひとりゐて

    あはれノ¥と

    にはに出て

    立やすらへば

    思へども

    白たへの

    けなばけぬべく

    猶なげかれぬ

    恋恋恋四

    恋五

    雑上

    藤原勝臣

    凡河内朗恒

    素性法師

    伊勢

    読人しらず

    直前

    直前

    直前

    直直前

    (24)

  • 2013年 3月第9号広島国際大学医療福祉学科紀要

    併オ

    “ォ

    春がすみ

    あはれと回'己A、

    1001

    雑体

    読人しらず

    よそにも人に

    題しらず

    。。

    よをいとひこのもと毎に立寄てうつぶし染の麻の衣也(悩)

    雑体

    読人しらず

    巻第十四

    思ふてふ言のはのみや秋をへて下

    そとをり姫のひとりゐてみかどをこひたてまつりて

    直前

    直前

    (墨滅歌)衣通姫

    凸U

    我せこがくべき宵也さ〉がにの蜘のふるまひかねてしるしも(日)

    和歌の引用は、東京都立中央図書館特別文庫室所蔵本(特誌とに拠る。濁点、句点を適宜振った。

    直前

    (25)