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シススチルベン超高速光異性化における構造追跡:
10 フェムト秒インパルシブラマン分光と量子化学計算による全貌解明
竹内佐年、田原太平
背景と目的
シス-スチルベンはオレフィンの光異性化反応のモデル系
としてよく知られ、光励起状態で中央の C=C 結合まわりに
ねじれて約1ピコ秒でトランス体へと異性化を起こす(図
1)。この短い反応時間の間に分子がいかに構造を変化させ
異性化を完了するのか、興味がもたれている。しかし、多原子分子であるシス-スチルベンの反
応は多くの自由度をもつため、その反応座標は複雑である。このため、異性化の機構、ダイナミ
クスについても定性的、概念的な1次元ポテンシャルをもちいた理解に留まっていた。この「多
原子分子の反応座標」についての我々の理解をより定量的なものへと深化させるためには、反応
途中の分子構造を時々刻々と追跡し構造変化経路を明らかにすることが重要である。このような
観点から我々は極短パルスを用いた時間分解インパルシブ・ラマン分光(TR-ISRS)[1]を行い、反
応性 S1状態での構造変化を分子振動の振動数変化の形で観測することに成功した[2]。さらに高
精度 TDDFT 計算によりこの振動数変化を再現し、反応性 S1状態のポテンシャル形状と異性化に
伴う構造ダイナミクスの全貌を明らかにした[2]。
成 果
フェムト秒インパルシブ・ラマン分光はポン
プ・プローブ法と時間領域ラマン分光を組み合わ
せた形の新しいタイプの分光法である。この実験
では、まず第1の紫外光(267 nm、150 fs)で分子を
反応性 S1状態に光励起し異性化を開始させる。そ
れから遅延時間T の後に Sn←S1 吸収に共鳴する
極短パルス(620 nm、11 fs)を照射してインパルシ
ブ・ラマン過程により S1 状態に核波束を生成す
る。これはいわば、反応途中の分子をラマン活性
振動方向に揺することに相当する。この分子の揺
れを第3のパルス(620 nm、11 fs)を使って Sn←S1
吸収変化に含まれるビート成分として観測した。
図2に3つの遅延時刻T におけるビート成分を
示す。観測された信号のフーリエ解析により、反
応中の分子の〝瞬時的な″振動スペクトルを得ることができる。S1 状態に特徴的なバンド(33
モード)が強く観測されたが、最も注目すべき点はその重心振動数が 239 cm-1 (0.3 ps) → 224 cm-1
(1.2 ps) → 215 cm-1 (2 ps)のように、時間とともに 24 cm-1もの低波数シフトを示すことである
(ヘキサデカン溶液中)。また、異性化が速く進行するメタノール中で測定を行った結果、異性
cis form trans form
図2 シス-スチルベンのフェムト秒インパルシ
ブラマン信号のビート成分。これは分子の振動を
時間領域で観ていることに相当する。
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化速度と同様に、振動数シフトの速度も約2倍大きくなることが分かった(図3a)。これらの実
験結果は、異性化に伴う分子のゆっくりとした構造変化と33モードとの間の非調和結合により、
33 モードの力の定数が時間とともに小さくなると考えることで説明できる。言い換えれば、
spectator である33 モードの方向の S1 ポテンシャル曲率が異性化の進行とともに小さくなること
を意味する。
観測された振動数シフトを分子の構造変化と直接結びつけて理解するために、シス-スチルベ
ン S1 状態に対する量子化学計算を DFT/TDDFT 法を用いて行った。まず S1 ポテンシャル上の
Franck-Condon 点から出発し、逐次的に最急降下方向を見つけていく方法で反応座標を求めたと
ころ、それに沿う構造変化は2つに大別できた。すなわち、まず中央の C=C 結合長が伸び、次
いで中央の2つの水素が反対方向に面外変位し CH 部位と隣接するフェニル基との平面性が実現
されていく動きを示した(図4)。この結果、フェニル基が中央の C=C 結合まわりに大きく回転
することなく異性化を特徴付ける C=C 結合まわりの二面角は約 50°まで増大し、分子は S1最安
定構造に達することが分かった。この反応経路に沿う各構造で振動解析を行い、瞬間的な基準振
動モードの振動数を求めた。いくつかの低波数モードについて反応経路に沿った振動数変化を図
3bに示す。この図から明らかなように、実験で観測された33モードの振動数は初期の 278 cm-1
から 353 cm-1への急激な増加の後、318 cm-1までゆっくり低波数シフトを示した。この計算結果
は観測された振動数変化の特徴をほぼ完全に再現している。
このように、最先端分光と高精度量子化学計算を組み合わせることにより、シス-スチルベン
の光異性化において観測された「連続的な振動数変化」を「ねじれていく分子の構造変化」と一
対一に対応させ、反応途中の構造変化を可視化することができた。
参考文献
[1] S. Fujiyoshi, S. Takeuchi, T. Tahara, J. Phys.Chem.A 107, 494 (2003). [2] S. Takeuchi, S.
Ruhman, T. Tsuneda, M. Chiba, T. Taketsugu, T. Tahara, Science 322, 1073 (2008).
図4 光異性化の(a) 第1および
(b) 第2段階における反応座標に
対応した核の動き。
図3 シス-スチルベン S1 状態の33 モードの振動数変化。(a) フェ
ムト秒インパルシブラマン分光の結果、(b) TDDFT 計算の結果。
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