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1〈論 説〉 ナイチンゲール ナイチンゲール ナイチンゲール ナイチンゲールの伝染病論 伝染病論 伝染病論 伝染病論と社会改革 社会改革 社会改革 社会改革 ―― ―― ―― ―― チャドウィック チャドウィック チャドウィック チャドウィック公衆衛生改革 公衆衛生改革 公衆衛生改革 公衆衛生改革との との との との関係 関係 関係 関係をめぐって をめぐって をめぐって をめぐって ―― ―― ―― ―― 友 松 憲 彦 目 次 はじめに 1.ヴィクトリア中期の伝染病論 2.ナイチンゲールの伝染病論 3.ナイチンゲールの社会改革 1)接触伝染説批判と検疫制度 2)ミアズマ説と病院改革 むすび はじめに 19 世紀イギリスは工業化と都市化によるさまざまな社会問題に直面した 「苦難の時代」であった。一方,19 世紀は社会問題に対する諸改革が多方 面で進められた「改革の時代」でもあった。工場労働,救貧法,公衆衛生, 議会,地方行政,学校教育等が改革の俎上に上ったことは周知のところであ る。フローレンス・ナイチンゲール(Florence Nightingale,1820~1910)は この時代を生きた人である。ナイチンゲールは近代看護の創始者とされるが, 彼女が看護教育をうけ実際に看護婦として活動したのは生涯初期の数年間 であり,1856 8 月に 36 歳でクリミア戦争から帰国してから 90 歳で没す るまでの期間の活動の重点は,公衆衛生政策,病院改革,看護教育,地域医

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〈〈〈〈論論論論 説説説説〉〉〉〉

ナイチンゲールナイチンゲールナイチンゲールナイチンゲールのののの伝染病論伝染病論伝染病論伝染病論とととと社会改革社会改革社会改革社会改革 ―――――――― チャドウィックチャドウィックチャドウィックチャドウィック公衆衛生改革公衆衛生改革公衆衛生改革公衆衛生改革とのとのとのとの関係関係関係関係をめぐってをめぐってをめぐってをめぐって ――――――――

友 松 憲 彦

目 次

はじめに 1.ヴィクトリア中期の伝染病論 2.ナイチンゲールの伝染病論 3.ナイチンゲールの社会改革 (1)接触伝染説批判と検疫制度 (2)ミアズマ説と病院改革 むすび

はじめに

19 世紀イギリスは工業化と都市化によるさまざまな社会問題に直面した

「苦難の時代」であった。一方,19 世紀は社会問題に対する諸改革が多方

面で進められた「改革の時代」でもあった。工場労働,救貧法,公衆衛生,

議会,地方行政,学校教育等が改革の俎上に上ったことは周知のところであ

る。フローレンス・ナイチンゲール(Florence Nightingale,1820~1910)は

この時代を生きた人である。ナイチンゲールは近代看護の創始者とされるが,

彼女が看護教育をうけ実際に看護婦として活動したのは生涯初期の数年間

であり,1856年 8月に 36歳でクリミア戦争から帰国してから 90歳で没す

るまでの期間の活動の重点は,公衆衛生政策,病院改革,看護教育,地域医

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療等の社会改革や執筆活動に置かれた。その意味で彼女にはヴィクトリア時

代の社会問題に取り組んだ社会改革者,社会思想家としての一面がある。

本稿はナイチンゲールの伝染病認識がどのようなものであり,看護婦であ

った彼女が何故に検疫制度や病院の改革といった社会改革に踏み込んでい

ったかという問題を,伝染病論の視角から解き明かす試みである。最初にヴ

ィクトリア時代の伝染病論を概観し,彼女の伝染病認識が当時の伝染病論の

なかにどのように位置づけられるかを明らかにする。続いて,そうした伝染

病認識が後年の社会改革のあり方をどのように規定しているかを検討する

ことにしたい。

本稿は従来のナイチンゲール研究では取りあげられることのなかった伝

染病論と社会改革の関係について,新たな知見を得ることを直接の課題とし

ている。また,ヴィクトリア時代の伝染病論が社会改革に与えた影響をナイ

チンゲールを事例として明らかにすることで,19 世紀イギリス社会史や社

会政策史の研究視点についても問題提起をしたい。

1.ヴィクトリア中期の伝染病論

ナイチンゲールの伝染病認識の特徴を把握する前提として,最初にヴィク

トリア中期の伝染病論(認識)について簡単に述べておく。1849年から 55

年にかけてジョン・スノー(John Snow,1813~1858)によるコレラの水系

伝染の立証という後の細菌感染説の先駆けとなるような重要な事実もあっ

たが,一般に細菌感染説が科学的に実証され社会に受け入れられるのは,パ

スツールの結核菌,コッホのコレラ菌などの発見が相ついだ 1880年代以降

といわれる。細菌感染説登場に先立つ 19 世紀の伝染病学説を概観しておき

たい。(1)

まず,19 世紀初頭までに確立していた伝染病に関する定説があった。第

1 は,天然痘,性病,皮膚病などがヒトとヒトの「接触」により流行する。

第 2は,マラリア(2) はある特定地域の「環境」のなかでのみ発生する,とい

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う 2 点である。天然痘などは「接触伝染説」,マラリアは「環境説」で説明

されたのであるが,その他の伝染病がいずれで説明しうるかは未解決であり,

当時の伝染病論争はその帰属先をめぐるものであった。

接触伝染説は 1546 年イタリアの医師ジロラーモ・フラカストーロ

(Girolamo Fracastoro,1433~1553)が主張したとされ,「接触性病原体」

(コンタギオン contagion)という「生物の性質をもった物体」との接触に

より感染するという学説である。想像による説で実験的根拠を欠くが,内容

的には 1880 年代以降の近代的な「細菌感染説」につながるものであった。

病人に触れたり,病人の吐いた息を吸い込んだり,衣服に「毒素」が付着す

る,という形態で「特定の毒素」に「接触」して発病するとみるが,19 世

紀中葉の接触伝染説は,「毒素」は身体内部においてしか増殖しないとみる

「厳密派」と,身体外での増殖の可能性を認める「修正派」の二派に分かれ

ていた。

一方,伝染病を環境(異常な空気)と関連させるのが「環境説」である。

これも二つに分かれるが,第一はミアズマ説であり,本来これは特定の地域

に慢性的に発生する風土病 endemic の説明方法であった。局地的,局所的

に存在する動植物質の「死体,汚物,塵芥などの腐敗物,淀んで腐った河川,

沼,湿地などの発する毒気」(ミアズマ miasma,瘴気)の吸入により発病

するという医学界や社会に古くからある考えである。(3) この説は暑気や異

常な気候(気象条件)がミアズマ発生を促進するとしており,後に述べる「伝

染性大気説」と重なるところがあった。(4)

環境説の第二は,「伝染性大気」epidemic constitution説であり,突発的

で広範囲におよぶ流行病 epidemicの説明方法である。17世紀イギリスの有

名な医学者トマス・シデナム(Thomas Sydenham,1624~1684)に由来す

る説であるが,(5) 19世紀前半のコレラ流行期には,シデナム説を一面的に

単純化して,伝染病の発生や流行を大気と結びつける急進的な環境説が現わ

れた。伝染性大気説がそれであり,ある特殊な大気現象(伝染性大気)が生

ずると,地域全体がその影響下におかれ,住民全体がその影響をうけて,そ

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の大気現象の係数として伝染病が流行するという考えである。公衆衛生改革

家エドウィン・チャドウィック(Edwin Chadwick,1800~1890)が実権を

握る中央衛生局(General Board of Health)を支配した伝染病論である。

この学説も大気の「熱」と「湿気」という物理的条件が高まることで動植物

の廃棄物が分解して「有毒な発気」が発生し,それを呼吸作用により摂取す

ることで発病するとしており,その部分ではミアズマ説と接点があった。

伝染性大気説のいま一つの特徴は,伝染性大気のもとで病気の形態が発展

するという「病気発展論」といわれるものである。天候その他の環境に関わ

る物理的な外的条件が変化することによって,ある病の外見上の形態が別の

それにとって代わられるという学説であり (6),サウスウッド・スミス

(Thomas Southwood Smith,1788~1861)の 1820年代後半から 30年代

初期の著作に記述されている。(7) この説の病理学的前提となるのは,すべ

ての病気を「本質的な病」essential diseaseのヴァリエーションとみる「一

元的病理説」である。

病気発展論は接触性病原体との<接触>により病気が同じ形態で伝播す

るとみる接触伝染説に対する批判であった。チャドウィックはサウスウッ

ド・スミスの著作の 1つから公衆衛生に関する着想を得たといわれる。(8)

法廷弁護士であったチャドウィックを医学面で支えたブレーンは,サウス

ウッド・スミスのほかに,ジェイムス・フィリプス・ケイ(James Phillips

Kay,1804~1877,後にケイ・シャトルワース J.P. Kay‐Shuttleworth),ニ

ール・アーノット(Neil Arnott,1788~1874)らであり,いずれもベンサム

の思想的影響をうけ,1830 年代チャドウィックが救貧法委員会委員の時代

に政府が設置した調査委員会委員をつとめ,都市労働者の生活実態調査の経

験がある公衆衛生改革派の医師であった。彼らの共通認識は都市労働者の病

気の主たる原因は「環境」であり,劣悪な都市衛生状態によって発生する「よ

どんだ空気や有毒な発気が人びとの健康を衰えさせ,その理由で伝染病もま

たそこで最も急速に蔓延する」(9) というものである。公衆衛生改革史の金字塔であるチャドウィックの報告「労働者の衛生状態」(Sanitary Condition

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of the Labouring Population of Great Britain,1842.)も同様の認識に立ち,

動植物が分解して発生する「不潔な空気」,湿気や汚物,閉ざされた過密な

住居等に関わる大気条件を伝染病の発生と伝播の原因としている。(10)

ミアズマとともに「マラリア」malariaが病因とされることもあった。例

えば,前記の公衆衛生改革派の医師による 1830年代末の救貧法委員会報告

には次の記述がある。大多数の人が天寿を全うできないのは,「大気中に放

散されているある種の毒」のためである。「マラリアは動植物性の物質が腐

敗分解しているところにはどこでも発生し,さまざまな種類の熱病を発生さ

せる。」「チフスと称される,不快で有害な監獄,病院,船舶での熱病は,マ

ラリアがつくりだしたものである。」(11) この場合の「マラリア」は今日的意

味での病名ではなく,動植物性の物質が腐敗分解した結果として,あるいは

「低湿地からの蒸発気の結果として起こる不健康な大気の状態」(12) のこと

であり,ミアズマと同じく病気の原因を意味している。(13)

以上のように,ヴィクトリア中期の接触伝染説は「厳密派」と「修正派」

に分かれ,一方それに対する環境説にも「ミアズマ説」と「伝染性大気説」

があったが,イギリス医学界の多数派を形成したのは「修正派」接触伝染説

であった。(14) しかし学説の対立にもかかわらず,これら伝染病学説には通底するものがあった。それは濃淡の差はあるが,伝染病の発生や伝播と空気

との関係を認めることである。ミアズマ説や伝染性大気説はいうまでもなく,

「修正派」接触伝染説も空気中で毒素(コンタギオン)が「増殖する」こと

を認めており,また,伝染病の個別性を強調しミアズマも病因の一つとして

認知していた。「厳密派」でさえ「毒素」に「接触」する形態の一つに「病

人の吐いた息を吸いこむ」ことをあげており,空気による伝播を認めている。

このように当時の伝染病学説は伝染病と空気の関係を否定しておらず,ミ

アズマ論は医学界に地下水脈のように浸透していた。しかし医学界の主流で

あった「修正派」接触伝染説は,接触伝染を前提に空気と伝染病の関係を容

認するものであり,また,伝染病の個別性を強調するなかで病因の一つとし

てミアズマを認める立場であった。しかし伝染性大気説はそうした容認の限

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度をはるかに超えた極論として,医学界の主流にはとうてい受け入れられる

ものではなかった。(15) 例えば,エジンバラ大学の著名な医学者ウィリアム・アリスン(William Pulteney Alison,1790~1859)は,ミアズマ発生源

の除去には反対しないが,それによってすべての病気を根絶できるかのごと

き言説に対してエジンバラでの調査によって反論する。必ずしも伝染病を発

生させない悪臭もあること,気温が低く有機物の腐敗が少ない冬季に伝染病

がむしろ多発している事実を指摘して,チャドウィック派の過度に単純化さ

れた理論に反対している。(16) 端的にいえば,伝染性大気説は公衆衛生改革を推進するための伝染病論であり,チャドウィック派は行政的要請を優先す

る医学界の異端であった。

それでは医学界の伝染病論は一般社会にはどのように受容され,大衆のレ

ベルではどのような伝染病認識や衛生思想が形成されたのであろうか。一般

大衆の認識に影響を与えたと思われるヴィクトリア中期の生活百科事典,家

政書,ルポルタージュ等を資料にして,この点を分析することにしたい。

最初に検討するのは 1840年代の資料である。「飢餓の 40年代」は労働者

階級の苦難の時代であり,また,公衆衛生改革が焦眉の課題となった時期で

もあった。1844年刊行のトマス・ウェブスター編『日常生活実用百科』は,

中流階級以上の家長を対象にする家庭の管理・運営の手引きである。実用的

知識の提供だけでなく,読者がある程度の教育,教養があることを想定して

各項目の理論,歴史,社会的背景にも踏み込んだ説明をしており,当時の科

学知識や社会的認識のあり方を知る手がかりとなる。「換気」という項目で

は次のように論じている。(17)

「清浄な空気が健康に重要なことは現在一般に認められている事実」であ

るが,換気の知識ほどないがしろにされているものはないとして室内換気の

重要性を指摘したのちに,「換気の問題は住宅だけに限定されるものではな

く,都市や町の空気へと拡大」するとして,都市公衆衛生問題に論及する。

歴史の教訓によれば,時代,国,地域を問わず,「清潔さと住宅の適切な換

気が考慮されなかった」ところに悪疫が頻繁に発生し流行した。伝染病の原

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因に関するさまざまな医学理論に立ち入らなくとも,「少し研究すれば,清

潔さの欠如が伝染病の深刻化と急速な伝播の主要な原因であったことは十

分に証明できる。もしロンドンの 1665年ペスト流行の報告書を読み,それ

と現在の状態を比較すれば,われわれがそうした災厄の再来から免れている

のは,予防策である検疫法 laws of quarantineよりは,清潔さの増大が大き

な理由であることを確信するであろう。」伝染病予防には「検疫法」よりも

「清潔さ」が有効であるとして,ミアズマ論の立場が表明される。

ペスト流行時のロンドンは,街路は狭く,建物は上階ほどせり出し,通路

に大きな看板がぶら下がっており,「住民の健康にとって不可欠な」空気の

自由な流れを妨げていた。フタのない排水溝,粗末な下水管から,また家庭

から捨てられたゴミのヤマが腐ってミアズマが絶えず発生していた。住宅の

窓は小さく,天井も低く,床は粘土でワラやイグサが撒かれていた。こうし

た都市環境では「伝染病はおそるべき速さで伝播する。」しかしその後,下

水の整備,豊富な水の供給,街路の拡幅,舗装が実施され,住宅の窓も大き

くなり,床は木で張られるようになり,都市環境の改善が「ロンドンを世界

で最も清潔な首都の一つにした。」これがペストの流行しなくなった理由で

ある。(18)

では,ロンドンがそのように清潔な首都であるならば,現下のコレラ流行

の原因はどのように説明されるのか。「ここでコレラその他の強烈な悪疫の

存在を清潔さの欠如だけのせいにするつもりはなく,自然の諸原因 natural

causes(もっともそれがなにかわれわれは知らないが)によって生ずるかも

しれないが,それは怠惰で,不潔で,乱れた習慣が一般的なところで最も破

滅的な被害もたらす」ことは明らかである。

コレラの病因として,「清潔さ」の欠如(都市の不衛生さ)だけでなく,

「自然の諸原因」をあげていることは注目される。一定の教養や教育のある

読者を意識してかミアズマ説以外の伝染病論の存在にも言及するのである

が,しかし伝染病因に関する医学論に深入りすることは避け,コレラの被害

を増幅する人間的要因である労働者・貧民の生活習慣に論述の重点を移して

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いく。換気は貧民の住まいだけでなく中流階級や上流階級の住居でも同じよ

うに重要であり,「最近のコレラの襲来は,おそらく万巻の書よりもこの問

題に真実の光を当てるであろう。伝染病の流行期間の入念な洗濯,清掃,貧

民の住宅の換気がコレラ拡大を阻止するうえできわめて有効であるのは疑

う余地がない。」

ミアズマ対策の重要性を説くが,ミアズマ発生源を上下水道整備,汚物塵

芥処理等により除去して都市環境を清潔にすることよりは,教育や啓蒙によ

り労働者・貧民の生活習慣を健全で清潔なものに導き,コレラの拡大を増幅

する要因を取り除くことを重視している。「清潔さ」はヴィクトリア時代の

中流階級の社会規範「リスペクタビィリティ」の初歩的条件である。労働者

階級に健全な生活習慣を啓蒙することが,労働者階級を道徳的堕落から護り,

健康的生活を実現し,経済的貧困から救済するというヴィクトリア時代の中

流階級の価値観をみることができる。

フリードリッヒ・エンゲルスの著作『イギリスにおける労働者階級の状態』

(1845 年)もこの時期に著わされた。エンゲルスは資本主義による労働者

階級窮乏化の文脈で都市公衆衛生状態の悪化を告発するが,その論拠として

いるのはケイ・シャトルワース,サウスウッド・スミス等の「イングランド

の一流の医者たちが,他の医者たちの報告にもとづいて作成した」報告書で

ある。「腐敗した動物性や植物性の物質から,健康に決定的に有害なガスが

発生する。ガスの自由な出口がないと,ガスは空気を汚染せずにはいない。

大都会にある,汚物やよどんだ水たまりは,まさに病気を引き起こすガスを

発生させることで,公衆衛生に最悪の結果をもたらす。汚染された川からの

発散物もまったく同様である。」チフスは換気,排水,清潔の状態が劣悪な

住居に「直接的に起因」する。「住民がひしめいて住み,有機物が近くで腐

敗している場合」には「熱病が発生」する。「熱病はほとんどどこでも同じ

特徴をもち,およそすべての場合に真性チフスへ発展する。」(19)

ミアズマによる伝染病の発生,熱病から真性チフスへの病気の形態変化と

いうサウスウッド・スミスの「病気発展論」に全面的に依拠した論述がされ

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ている。

同じ時期ロンドンを探訪したフランス人社会主義者フロラ・トリスタン

(Flora Tristan,1803~1844)のルポルタージュ(1840 年)も,ミアズマ

論によりながら都市衛生状態の悪化による労働者階級の窮乏化を告発して

いる。(20)

次に 1860年代の資料としてイザベラ・ビートン(Isabella Beeton,1836

~1865)の家政書(1861年)をとりあげる。ヴィクトリア時代を代表する

家政書であり,19 世紀の最も成功した出版物の一つとされ,刊行初年に6

万部,1868年までに約 200万部を売りあげた。中流階級を対象とする生活

技術書であるが,ミドル・クラスの女性とくに主婦の人生観,生活観,道徳

律にも大きな影響を与えたといわれる。コレラの第 3次流行(1853~54年)

と第 4次流行(1866年)のあいだに刊行された。

まず住宅を選ぶ際の主婦の心得を論ずるが,これは公衆衛生問題につなが

っていく。この数年間に「衛生知識の原理」principles of sanitary knowledge

に大きな進歩があった。住宅に関する最も重要な点は「排水」である。「排

水の不具合や不備が,毒を飲むのと同じように間違いなく健康を破壊するこ

とは無数の事例が証明してきた。これは排水が大気に悪影響を与えることか

ら起こり,その結果,われわれの呼吸する空気は不健康で有害なものになる。

だから,もし住宅の排水がうまく機能しないと,住人の健康は確実に害され,

マラリア,リューマチ,下痢,熱病,コレラにかかりやすくなることに留意

しよう。」(21) ここで説かれているのは,排水の不備→有害な発気→空気の汚

染→体力の低下→感染というロジックであり,排水からの発気(ミアズマ)

と伝染病の関係を認め,下水道の重要性を強調している。

「病気の看護人」項目で,病気の最初の段階でなすべきことは「患者の部

屋を完全に清潔な状態に保ち,適切な世話ができるよう整頓すること」であ

ると述べる。そしてナイチンゲール『看護覚え書』から,看護の第一原則で

ある「患者の呼吸する空気を,患者の身体を冷やすことなく,屋外の空気と

同じ清浄さを保つこと」(B・1・157,この表記については論文末尾の<引用

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文献>を参照)という文言を引用する。そして室内換気の方法を詳しく論じ

たのちに,適切な換気と栄養のある食事を与え自然治癒力を高めればそれで

足りるが,それでも症状が深刻になった場合の医学的アドバイスとして以下

のように述べる。

通常,感染性があるといわれている発熱性疾患の場合,病室の換気が死活

的に重要である。チフス,産褥熱,インフルエンザ,百日咳,天然痘,水ぼ

うそう,猩紅熱,麻疹,丹毒等は,空気を介して感染すると考えられている

が,部屋を完全に換気すれば感染の危険性はほとんどない。「その反対に,

もしこの本質的な点が無視されると,よどんで汚れた空気のなかで感染力は

非常に増大し強化される。それは付き添い人や訪問者の衣服に付着し(とく

にそれが毛織物の場合),しばしばこうした仕方で他の家族に伝染する。」(22)

「衣服に付着し感染を媒介するもの」すなわち接触伝染説でいうコンタギ

オンに言及していることは注目される。しかも「よどんで汚れた空気のなか

で」その感染力は増強されるとして,身体外でのコンタギオンの増殖を認め

る「修正派」接触伝染説にちかい認識を示している。当時の医学界主流の認

識をかなり正確に反映したものといえるが,大衆むけの家政書で伝染病因に

関する医学論議に深入りするのは避けるとの判断が働いたとしても不自然

ではない。実用面からする有用な知識は,「よどんで汚れた空気」の浄化す

なわち室内換気の技術であり,論述の力点はそこに置かれる。

「医師」の項目では次のようにいう。「コレラに対抗する方法で,清潔さ,

節制,理にかなった換気 judicious ventilationよりも確実で優れたものはな

いと思われる。汚物のあるところは,コレラのための場所である。窓やドア

が最も用心深く閉じられているところは,コレラが最もたやすく侵入できる

ことがわかるであろう。秋の暑い日が続く時期に暴食に身をまかせる者は,

実際に死を招くであろう。」換気や健全な生活習慣の予防効果を強調するが,

一方で「感染した場合は,ただちに医師にかかるべきである」として医療の

有効性も否定しない。医学の助けを求めることが遅れたために過去に多数の

生命が失われた。「コレラは決して生命にかかわる病気ではない」として,

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大量の塩を使うことを推奨する権威筋の見解が紹介される。(23)

医療の意義を否定するわけではないが,換気の重要性が繰り返し強調され,

さらに健全な生活習慣による「清潔さ」と「節制」が説かれる。「清潔さ」

や「節制」はヴィクトリア時代の社会規範「リスペクタビリティ」の構成要

素であり,それはコレラ予防にも有効であるとして,ミドル・クラスの社会

規範が医学面からも正当化される。

最後に 1870年代の資料として,同じく中流階級や大衆むけの生活技術書

である『カッセルの生活百科事典』(1873~74年)を検討する。

「換気」の項目では次のようにいう。科学や化学が教えるところによれば,

「不純で汚れた空気」がおそらく「病気を発生させるもの」breeder of

diseaseとして最も重要である。それが原因で発生する病気には,るいれき,

肺結核,熱病がある。そして換気の必要性と技術が説明されるが,その際に

チャドウィック派の医師ニール・アーノットの言説が再三にわたり引用され

る。居間,寝室,保育所など人が集まり閉ざされた場所の空気は,人間の排

気で汚され,火によって温められ,食物の臭いなどによって不純になってお

り,それは一般に普通の空気よりも温度が高く軽いので最初は天井へと上昇

する。その一部は煙突から外に排出されるが,残りは次第に煙突の口から逆

流して部屋全体の空気を汚染する。「こうしてアーノット博士が述べている

ように,思いもかけず健康に対する障害,そして最終的には居住者の体質

constitutionに重大な障害が起こる。都市住民の青白い顔,るいれき性体質

は主としてこの害悪によるものである。」これを防ぐために,煙突の吸い込

みをよくして有毒な空気を完全に外部に排出し,空気や煙が逆流しないよう

にする換気弁が推奨される。公衆衛生改革派の医師が,大衆むけの生活百科

事典では暖房や換気「問題についての最高権威者の一人」として登場してく

る。(24)

以上で検討した事例による限り,医学界と一般社会の伝染病認識のあいだ

に一定の乖離があったことは明らかであろう。医学界には接触伝染説を前提

に伝染病と空気の関係を容認する傾向があったが,一般社会ではその前提が

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切り捨てられ,伝染病と空気の関係が一面的に強調された。また伝染病の個

別性も捨象され,いわば過度に単純化されたミアズマ説(ないし伝染性大気

説)が浸透していた。高度で複雑な医学情報が大衆に受容されて「生活の知

識ないし知恵」となる場合,一定の単純化や一面化が働くことはある意味で

は避けられないところであろう。ウェブスターやビートンのミドル・クラス

むけの著作には,慎重な言いまわしながら接触伝染論への言及があり,医学

界の伝染病認識に対する配慮がみられる。とはいえ接触伝染論への言及は表

面的なものにとどまり,生活百科や家政書に求められる実用的知識として,

伝染病の増幅要因である「汚れた空気」の危険性と換気の重要性を強調する

ことに力点が置かれた。こうした医学情報の単純化,一面化に権威づけをし

たのがチャドウィック派の医師であり,医学界で主流派ではなかった彼らは

一般社会では伝染病の権威と評価されていた。当時の生活百科事典や家政書

の多くには「換気」という項目があり,換気の重要性や技術が伝染病との関

係で論じられていることは,チャドウィック派の説く「汚染された空気」と

伝染病の関係が,「生活の知識ないし知恵」として広く受け入れられていた

ことを示している。チャドウィック派と認識を同じくするナイチンゲールの

言説も,その社会的名声を背景として,ミアズマ論の大衆的浸透に寄与する

ところ少なくなかったとみられる。(25)

ミアズマ論が浸透したのは,一方で当時の社会にそれを受容する条件があ

ったからにほかならない。まず,「過密」と「汚染された空気」が充満する

都市スラムでの各種伝染病の慢性的な流行が,ミアズマ論を裏づける状況証

拠とみなされたという一般的背景があった。それに加えて,偶然的事情とし

て,突発的で短期間に広範囲に伝播するコレラの特質がミアズマ論にいっそ

うの説得力を与えた。さらに社会的には,ミアズマ説がヴィクトリア時代の

中流階級の社会規範を正当化し,その階級的利害を擁護するうえでまことに

好都合な学説であったことも見過すことはできない。それはミドル・クラス

の規範である「清潔さ」を労働者に啓蒙するうえできわめて有効な理論装置

であった。下層階級に「清潔さ」や「健全な生活習慣」を身につけさせ,伝

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染病の罹病率や死亡率を低下させ貧困を減少させることは,ミドル・クラス

の利害とも合致した。それがどこまで意識されていたかは別にしても,1834

年新救貧法以後の救援抑制政策のもとで労働者の私生活に「規律」や「清潔

さ」を確立し,貧困を抑圧することは,体制安定化のための「安価な」方法

であったからである。また,それとはまったく異なる体制批判の立場からで

あるが,ミアズマ説は社会主義者には資本主義批判の理論ともなった。この

ようにミアズマ論はさまざまな社会的立場から自己の利害に即して利用し

うる伝染病論として,ヴィクトリア中期のイギリス社会で大きな影響力をも

つことになった。

2.ナイチンゲールの伝染病論

次にナイチンゲールの伝染病論(認識)がどのようなものであり,当時代

の伝染病論にどのように位置づけられるかについて検討することにしよう。(26)

まず,近年上梓されたヒュー・スモール(Hugh Small)の優れたナイチ

ンゲール研究(27) によって,彼女の伝染病認識に影響を与えた個人的経験か

ら述べておこう。

ナイチンゲールの生涯の決定的な経験は,戦争よりも病気で多数の兵士を

失ったクリミア戦争の惨状であり,とりわけ 1854年 11月から 1855年 3月

に死者 5千を出したスクタリ(Scutari)の病院での経験であった。1856年

8 月帰国した彼女は,医師であり統計専門家であったウィリアム・ファー

(William Farr,1807~1883)の指導のもとに自らの管理下にあったスクタ

リでの経験の統計的検証に着手する。

ファーはパリで衛生学を学んだ医師であり,1833 年ロンドンで医療に従

事した頃から公衆衛生問題に関心を示したが,社会的評価を得たのは人口統

計学の分野であった。1837 年制定の「戸籍法」の審議過程で,戸籍制度を

公衆衛生改革と関連づけたチャドウィックは死亡登録に死亡の事実だけで

なく「死因」の項目を盛り込むよう運動しており(28),戸籍制度が確立すると

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ファーを初代戸籍本署長官トマス・リスター(Thomas Lister)の補佐とし

て事務局の概要編纂者 Compiler of Abstractsに送り込んだ。チャドウィッ

クと密接な関係にある公衆衛生改革派の統計専門家が,ナイチンゲールの統

計的検証の指導者であったことが,その検証に一定の方向性を与えたことは

否定できない。(29)

ファーの指導でおこなわれた統計的検証の結果,患者を死に追いやったの

は「粗末な食糧」ではなく,「汚れた空気」であるとの衝撃的な結論をナイ

チンゲールが認めるに至ったのは 1857 年 5 月である。「汚れた空気」と死

亡率との因果関係を認め,「衛生」問題の重要性を認めることは,自身の看

護過誤を認め,従来の自己主張の否定につながるものであった。その苦悩が

彼女を社会改革にむかわせた内面的原動力であったというのがスモールの

推論である。しかし彼女の人生の転機となったこの検証結果は,当時の医学

界には受け入れられなかった。(30) 代表的著作『看護覚え書』(1860年),『病

院覚え書』(1863年)などで述べられている伝染病論は,こうした経緯の後

に書かれたものであることに留意したい。

最初に『看護覚え書』の天然痘についての記述をみておこう。通説では天

然痘死亡率は 1796 年エドワード・ジェンナー(Edward Jenner,1749~

1823)発見の牛痘種痘 cowpox vaccinationにより低下したとされ(31),病因

も 19世紀初頭までに「接触伝染」が定説として確立していたことは前述し

た。

ナイチンゲールは「誰も種痘 vaccinationを軽視しないのはもちろんであ

る」と牛痘種痘に一定の評価を与えるが,「災禍の原因(注:天然痘の発生

原因のこと)が家の中にあるにもかかわらず,人びとの眼を家の外に向けさ

せているとしたら,種痘が社会に与えた利益も考えなおさなければならな

い」(B・1・182)と述べていることは注目される。ここで論じているのは住

宅構造と伝染病の関係であり,住居の真下に下水管を通すことの危険性を指

摘し,汚水から発生するミアズマが天然痘の原因である事実から眼をそらさ

せる役割を種痘がはたしているならば,その社会的利益は再考すべきだとい

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うのである。種痘によってミアズマが軽視されることの懸念である。

では,医学界の定説であった天然痘の「接触伝染」についてどのように考

えていたのか。やや長文であるがナイチンゲール自身の言葉を引用しておこ

う。

「私は科学的な男たちと無学な女たちの両方の教えをうけて育った。そこ

で何の疑いもなくこう信じたものだった。―たとえば天然痘というものは,

犬にも最初の犬(あるいは最初のひとつがいの犬)が存在したように,この

世の中にまず最初のものがあり,それが永久につながる鎖を伝わるように繁

殖していくものであって,親犬がいなければ新しい仔犬は生まれないように,

たとえば天然痘もまた同様に,何もないところに自然発生するようなもので

はない―と。

その後私は,天然痘が,狭苦しい部屋や,すし詰めの病棟などにおいて,

まさに最初のものとして発生するのをこの眼で見,この鼻で確かめてきたが,

それはどう考えても「感染した」はずはなく,そこで発生したに違いない。」

(B・1・197~198)

前半で述べているのは接触伝染説であり,それを「何の疑いもなく」信じ

ていたが,その後,天然痘が「過密な部屋」や「すし詰めの病棟」で「最初

のものとして」発生する事例を経験し,接触伝染説を否定するに至ったとい

うのである。接触伝染説から天然痘の接触伝染(医学界の定説)さえ否定す

る急進的な非接触伝染説へ,ナイチンゲールの伝染病認識を転換させた決定

的契機は,前述したスクタリの経験とその統計的検証であったと推察される。

自らが否定するに至った接触伝染説については次のようにいう。

接触伝染とは「<接触>によって人から人へと病気が伝わることを意味

し・・そこにはある種の微生物の存在があらかじめ想定されている。・・・

この言葉を普通に解釈すれば,科学的研究によって承認されるであろうよう

な「接触伝染」が存在する証拠はない。・・・

特定の病菌が存在するような病気はいくつか認められる。病菌は目で確か

められ,味わうことができ,分析もできて,ある種の条件下において接種に

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よって原型である病気が伝播される―たとえば,天然痘,牛痘などのように。

しかしこれらは想定されているような意味での「接触伝染」ではない。」(C・

2・201)

天然痘,牛痘などには特定の病菌 virusの存在を認めるが,それは人と人

との<接触>contact をつうじて病気を伝播する媒体ではなく,直接的な病

菌の<接種>inoculation によってのみ「原型である病気」を伝播するとい

う理解である。

天然痘予防法は 1796 年のジェンナーの牛痘種痘 cowpox vaccination が

有名であるが,それ以前の 18 世紀から 1840 年に法的に禁止されるまで広

範におこなわれていた天然痘の人痘種痘 smallpox inoculation (variolation)

を評価する見解もある。(32) ナイチンゲールのいう<接種>はこの人痘種痘

を指すとみられる。

さらに,ナイチンゲールは別の角度からも接触伝染説を批判する。接触伝

染説は「まず親犬がいて新しい仔犬が誕生する」ように,同じ病気が「永久

につながる鎖を伝わるように繁殖していく」と主張する。つまり同じ病気が

再現されるということ,「再生できる特異性」reproducible specificity が説

かれるが,(33) それに対するナイチンゲールの批判である。

「いろいろな病気が発生し,熟成し,そしてそれが他の病気に変化してい

く様子も,私はこの眼で見てきたのである。ところで,犬は猫に変化したり

はしないのである。たとえば私は,多少人員過剰になっている建物のなかで

持続性熱病が発生するのを目撃してきたし,もう少し混んでいる場所では腸

チフスが,さらに混雑しているところでは発疹チフスが発生し,しかもこれ

らすべての疾病が同じ病棟,あるいは同じ小屋の中で発生するのを見たこと

がある。」(B・1・198)

病気は発生した後に「熟成」し,「他の病気に変化していく」存在である。

室内の人間密度に比例して温度や湿度は高まり,大気の物理的条件の変化に

よって病気の形態は,「持続性熱病」→「腸チフス」→「発疹チフス」と発

展する。まさにサウスウッド・スミスがいう「病気発展論」の直接的影響を

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看取することができよう。

接触伝染を否定したナイチンゲールが伝染病因とするのが「ミアズマ」で

あることはいうまでもない。前記のようにミアズマ(あるいはマラリア)と

は,動植物質の死体,汚物,塵芥などの腐敗物,淀んで腐った河川,沼,湿

地などの有毒な発気のことである。ナイチンゲールはこれらの他に人間の排

気に注目する。人間は呼吸によって二酸化炭素と「多量の有機物」を含んだ

水分を排出する。放出された有機物は「直ちに腐敗状態」になり,「この種

の湿って汚れた空気」を呼吸作用によりふたたび体内に摂取することが「病

気を生ずる原因」である。(A・1・126)人間の排気に含まれる有機物の腐敗

もミアズマを発生させるのであり,とりわけ病人の排気は危険である。(C・

2・199)

個別の伝染病についてもミアズマ病因説は一貫している。猩紅熱は「接触

伝染などのせいではなく,空気検査計が立証する「不潔」が本当の原因」で

ある。(B・1・166~167,189)肺結核は怠惰,不健康な刺激を求める生活,不

健全な食生活,興奮剤や緩下剤の乱用に「間接的」に影響されるが,「直接

的には,新鮮な空気を呼吸することの不足」(B・1・193),「家の中の汚れた

空気,つまり人の身体で汚された空気によってひき起こされる。」(B・1・190)

丹毒,膿血症は過密で換気の悪い病室の空気が原因。(C・2・202,208)子ど

もに多いるいれき(腺病)は「掛布団を頭までかぶって眠る習慣が原因で発

病する。肺から排出されたものに,さらに皮膚からの発散物によって汚染さ

れた空気を吸っているからである。」(B・1・278)ジフテリアも汚れた空気に

よる。(B・1・158)

このようにナイチンゲール伝染病認識は,猩紅熱,肺結核,丹毒,膿血症,

るいれき,ジフテリアをミアズマ説で説明し,後述のようにコレラ,熱病,

赤痢の治療にも「新鮮な空気」が有効であるとし(A・1・128),さらに医学

界の定説であった天然痘の接触伝染さえ否定する急進的な非接触伝染論で

あり,当時の医学界主流の認識からは大きく逸脱するものであった。スクタ

リでの経験の統計分析によって,「汚れた空気」と死亡率の因果関係を確信

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した彼女は,その病理学的裏づけとしてチャドウィック派の急進的非接触伝

染説(環境説)とりわけサウスウッド・スミスの医学理論に接近したものと

思われる。

こうした認識に立つとき,感染防止も医学界主流とは異なった方法になら

ざるをえない。「感染に関するこの見解から得られる明確な実際上の結論は,

大量の新鮮な空気が感染を防ぐということである。私自身のすべての病院経

験はこの結論を確証する。たとえ感染があっても,それは防ぐことができる。

もし感染したならば,それは注意の欠如または無知の結果である。」(34)

当時の社会問題であったコレラについても次のようにいう。『看護覚え書』

の序章で,看護とは「新鮮な空気,陽光,暖かさ,清潔さ,静かさを適切に

保ち,食事を適切に選択し管理し・・・患者の生命力の消耗を最小にするこ

と」(B・1・150~151)と述べた有名な文言に続いて,「コレラや熱病のとき

にも,あなたは何もしようとしないのか」という抗議があることを紹介した

うえで反論する。こうした考えは投薬こそが治療であり,「空気や,暖かさ

や清潔さを与えることはなにもしないこと」とする偏見である。それらの病

気には特定の医薬や療法が用いられているが,その効能が立証できる確実な

証拠はない。「一方,看護に目を転ずれば(上記の)注意深い看護がきわめ

て重要であることは,至るところで,あまねく経験されている。」(B・1・151

~152)コレラ,熱病,赤痢などの発酵性伝染病 zymotic diseasesにも「新

鮮な空気」が有効であり,患者を広い病室に分散させ,広い立体空間を与え

ることが重要である。(A・1・128)感染防止には自然換気が有効であり,従

来おこなわれてきた燻蒸消毒 fumigation や消毒薬は意味がない。(B・1・

177)

それに対して接触伝染説に立つ場合の感染防止法は異なった。病人やその

排気を病室内に「閉じ込め」るか,「病人から遠くに逃げ」(C・2・211)て,

コンタギオンとの接触を断つこと,すなわち「隔離」が感染防止の基本であ

った。やや戯画的な表現であるが,医療現場で医師たちは「患者の舌を診る

には望遠鏡を使えとか,膿瘍の切開は患者に自分でやらせるよう,メスを投

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げ与えよ,とか指示」された。伝染病棟では隔離のために,ペスト患者は「不

潔で狭くて換気もされない部屋にぎっしり詰め込まれ,封じ込められて」い

た。(B・1・196)

ナイチンゲールの主張は医学界主流の認識と鋭く対立した。スクタリでの

経験の統計分析によって,「汚れた空気」と死亡率の因果関係を確信した彼

女はチャドウィック派の医学理論を受け入れた。それは自らの立場を公衆衛

生改革派に置くことであり,病気の予防よりも病因の発見(医学研究)に公

的資金を投入すべきであるとして公衆衛生改革に抵抗していた医学界主流

と袂を別ち,「医師への忠誠心を捨て,医学界からのはみだし者」(35) になる

ことであった。

3.ナイチンゲールの社会改革

ナイチンゲールの伝染病論は,接触伝染説の批判,それに代わるミアズマ

説(伝染性大気説)の主張という 2つの内容を含んでいる。両者はしばしば

不可分なものとして一体的に論じられているが,そのいずれに力点を置くか

で構想される社会改革は異なってくる。接触伝染説批判は「隔離」の否定に,

伝染性大気説は「ミアズマ希薄化」すなわち「換気」に結びつくのであるか

ら,社会改革のあり方は異質なものとなる。ナイチンゲールが手がけたさま

ざまな社会改革は,相互に無関係な改革の羅列ではなく,特定の伝染病認識

に基づいた体系性をもっている。この点を検疫制度批判と病院改革という2

つの社会改革を例にみておこう。

((((1111))))接触伝染説批判接触伝染説批判接触伝染説批判接触伝染説批判とととと検疫制度検疫制度検疫制度検疫制度

接触伝染説の批判に基づく社会改革の例として検疫制度の批判がある。検

疫 quarantine は 1348 年黒死病(ペスト)の流行中のヴェニスで,入港船

舶の乗組員の上陸を 40 日間不許可にしたことに始まるといわれる。検疫制

度の根拠が接触伝染説であることはいうまでもない。イギリスでは 1709年

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に検疫法が制定されたが,19 世紀に入ると貿易障害の撤廃を望む商工業者

の圧力で規制は緩和され,1825 年には検疫の実施や期間は枢密院の自由裁

量となった。また,検疫制度の根拠である接触伝染説の非実証性は,かねて

から海外で黄熱病の治療と研究に従事した医師が指摘していたが,その声は

19 世紀中期ヨーロッパを襲った 4 度にわたるコレラ大流行により急速に高

まった。

コレラの第 1 次大流行は 1829 年ロシアのオレンブルグ(Orenburg)に

はじまり,ポーランドを経て 1831年 5月イギリスのバルト海貿易の拠点リ

ガ(Riga)に侵入し,10 月ハンブルグに達した。対岸まで迫ったコレラに

対して,イギリスでは 6月の段階で 14日間の検疫と繊維類の消毒を実施し

ている。しかし上陸が予想されたダーラムの交易都市サンダーランド

(Sunderland)で,1831年 10月 26日,最初のコレラ死亡者が認定され,

11 月 1 日サンダーランドは検疫を必要とする伝染病汚染港に指定された。

こうした防疫体制にもかかわらず上陸したコレラは北上してスコットラン

ドに達し,一方,1832 年 2 月ロンドンに侵入してテムズ河沿いに首都全域

に広がった。1832年までに死者はイングランド・ウェールズで約 2万 2千,

スコットランド 9千 600に達した。(36)

コレラの侵入は伝染病論争にも少なからぬ影響を与えた。コレラは潜伏期

間が通常数時間から 5日程度と短期であることが当時から知られており,14

日間の検疫はコレラ対策としては十分なはずであった。(37) コレラ上陸は検

疫制度(隔離)の非有効性を立証するものとして,その根拠である接触伝染

説への懐疑が医学界で強まり(38),その極にサウスウッド・スミス(チャドウ

ィック派)らの伝染性大気説が現われた。しかしそれは医学界のミアズマ容

認の限度をはるかに超えた極論として,医学界主流は強い拒否反応を示した。

こうした状況のもとでチャドウィックのとった戦略は,公衆衛生改革のた

めの世論形成であった。いわゆる「チャドウィック報告」(1842年)は,「不

潔な空気」を伝染病の発生と伝播の原因とする環境説(ミアズマ説)の立場

にたって公衆衛生改革を提起した。チャドウィックは世論形成のために議会

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文書であった「報告」を別途出版したが,それはこの種の文書としては異例

の売上げを記録して世論を誘導するうえで大きな役割をはたし(39),コレラ第

2次大流行期(1848~49年)に「公衆衛生法」(Public Health Act, 1848年)

が成立する。

一方,1856 年クリミア戦争従軍から帰国したナイチンゲールは,ファー

の指導のもとにスクタリの体験を統計的に検証し,その結果 1857年に伝染

病認識を転換した。「不潔な空気」と死亡率の関係を確信したナイチンゲー

ルは,伝染病認識に関してチャドウィック派に接近していく。

伝染病認識を転換した後に書かれた『病院覚え書』(1863年)では,接触

伝染説と検疫制度について次のようにいう。接触伝染説は「ある種の微生物」

との接触によって人から人へ病気が伝わるという考えである。その媒体は容

器に入れたり,衣服や雑貨に付着して運ばれるが,とくに羊毛 woollen stuffs

に付着しやすく,とりわけ羽毛 feathers を好むとされる。現在の検疫法で

は,伝染病流行地からの生きたガチョウの輸入は自由であるが,ガチョウが

航海中に食べられて羽毛になれば接触伝染説の説くところにしたがって輸

入禁止品になる。「この説をめぐるかような不条理をあげつらえば終わりが

ない。」(C・2・201)接触伝染説が医学的批判にとどまらず,それを根拠に制

度化された検疫法の「不条理」を指摘しながら,社会的観点からも批判され

る。

コレラ第 2次流行直後に開催された 1851年国際検疫会議にも批判はむけ

られる。この会議は天然痘など直接伝染病を一般検疫法の対象外にした。ま

た,船員や船客の「健康容疑証明書」suspected bill of healthを廃止し,「接

触伝染という仮説に理論的なとどめの一撃を与えた」が,「奇妙なことに」

一方ではペスト,黄熱病,コレラは接触伝染病として検疫対象とするといっ

たように一貫性を欠き,接触伝染説を完全には放棄していない。(C・201,f.n.)

検疫制度の不備が批判されるのではなく,制度の廃止が不徹底であることが

批判される。

前述のように,ナイチンゲールが接触伝染説を放棄して非接触伝染説(ミ

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アズマ説)を採用した理由は自身の看護経験であると述べている。スクタリ

での看護経験とその統計分析に基づく接触伝染説批判は,たんなる医学論で

はなく,この学説の社会的影響も視野におさめ,接触伝染説を根拠とする社

会制度(検疫)批判と不可分なかたちで展開されるところに特徴があった。

((((2222))))ミアズマミアズマミアズマミアズマ説説説説とととと病院改革病院改革病院改革病院改革

ミアズマ説に力点を置く場合の社会改革が病院改革である。チャドウィッ

クもナイチンゲールも,過密状態や不衛生な環境による「不潔な空気」(ミ

アズマ)を病因とする伝染病認識から,その発生源の除去ないし希薄化を都

市空間と医療現場で実現しようとする共通の衛生思想に立つ社会改革を構

想した。しかし改革の方法は異なり,チャドウィックは行政官僚としてミア

ズマ発生源である「動植物の廃棄物」=「不潔なもの」を迅速に除去するた

めに公衆衛生改革(下水道普及)を推進し,ナイチンゲールは医療関係者と

して,医療現場の「換気の重要性」の啓蒙とその社会的実践(病院改革)に

むかった。しかしいずれもミアズマへの対処を伝染病予防の根幹とすること

は共通しており,それぞれの改革の補完性を認識していた。ナイチンゲール

は,室内の空気清浄化には換気が重要とする一方,「屋外の空気を清浄に保

つには,街の衛生改善と煤煙の追放しか方策はない」(B・1・294)と公衆衛

生改革の意義を強調している。また,ロンドンでの上水道普及が住宅の衛生

状態を改善したことを「衛生改革家たちのおかげ」(B・1・180~181)と評価

している。

しかし伝染病論がそれぞれの思想体系に占める位置はまったく異なって

いた。チャドウィックには,公衆衛生改革という行政目的を達成することが

課題であり,それへと世論を誘導する手段としてミアズマ説を利用したとい

うのが実態であった。(40) 一方,ナイチンゲールはスクタリの経験を分析し,「不潔な空気」と死亡率の関係を確信した結果,公衆衛生改革の推進者とな

るのであり,ミアズマ説と公衆衛生改革の因果関係はまったく正反対であっ

た。

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ナイチンゲールの伝染病論と社会改革(友松)

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前述のように,1830年代からのチャドウィックの改革努力は 1848年「公

衆衛生法」として一応の結実をみる。しかしチャドウィックの専制的性格,

性急で強引な手法はさまざまな摩擦を引き起こした。公衆衛生行政の中央集

権化に対する地方自治擁護派や自由放任主義者の強硬な反発のために,同法

は 5年間の時限立法となり,時限の 1854年議会審議で廃止に追い込まれた。

中央衛生局は廃止されチャドウィックも公職を解任された。(41)

ナイチンゲールはその直後の 1856 年にクリミア戦争から帰国している。

そしてスクタリの経験の統計的検証した結果,公衆衛生改革に生涯を捧げる

決意を固めた彼女は公職を去っていたチャドウィックに接触し,陸軍の保健

衛生改革について助言や支援を求めている。(42) こうしてナイチンゲールは

クリミア戦争で得た社会的名声と上流社会との人脈を背景に,公衆衛生問題

の地下活動の代弁者としてチャドウィックにかわる改革の担い手となって

いった。(43)

次にナイチンゲールの病院改革について検討しよう。当時,病院の衛生状

態の劣悪さは野戦病院に限られなかった。1700 年にイングランド全体で 5

つにすぎなかった病院(ロンドンにはセント・バーソロミュー病院,セント・

トマス病院)は,1800年までに少なくとも 50に増加した。しかし病院の診

療や院内環境は劣悪であり,病床数の増加が死亡率低下に寄与したかどうか

は疑問である。(44) 病院は伝染病の温床であり,病院での死亡率は同種の病

気を病院外で治療を受ける場合の死亡率よりも高く,入院は死亡の危険性を

高めるといわれた。19世紀後半にも状況に大きな変化がなかったとみられ,

『病院覚え書』(1863 年)の冒頭には,「病院のそなえているべき第一の必

要条件は,病院は病人に害を与えないこと」(C・2・185)と書かれている。

病院の衛生状態が改善されはじめるのは 1870年代以降といわれる。(45)

ナイチンゲールは病院の現状をどのように認識し改革を構想したのであ

ろうか。人間は呼吸に含まれる有機物が腐敗してできる「湿って汚れた空気」

を吸入して発病する。(A・1・126)病人の排気はとくに危険であり,「病気の

多く,それも致命的な病気の多数は病院内でつくられる。」(C・2・199)病院

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での死亡率が高いのは,ミアズマの濃度が高いためであり,それは「病院の

位置と設計上の欠陥およびそれらに付随する不完全な換気と過密」(C・2・

199)に原因がある。小さな換気の悪い病棟に一緒に収容すれば,「それだけ

で,病人の高い死亡率を招くに充分な原因となりうる。」(A・1・128)したが

って院内での発病と感染防止には,大量の新鮮な外気で室内のミアズマを

「希薄にして追い出す」(A・1・126)ことが重要である。気候が温暖ならば

「戸外に寝かせて大気にさらすことは危険がないどころか,大きな効果が得

られることも多い。」(A・128)病室の自然換気の重要性が繰り返し説かれる。

病院管理の具体的な方法は,入院患者の過密を避け,1病床あたりの空間

容積を十分にとり(1500 立方フィート以上),窓を開いて自然換気をする。

そのために病室の高さは少なくとも 15~16フィート,相対する窓と窓の距

離は 30フィート以内,といった理想的な計算値を示している。こうした「適

切な衛生上の予防策」をおこなえば,隔離病室は必要でなく,最も伝染性の

強いとされる伝染病患者も「一般の患者と一緒の病室の中で,何らの危険な

くとり扱える。」(C・2・202)

しかし根本的には病院の立地や構造に配慮する必要がある。健康的な病院

の必須条件は,①新鮮な空気,②光線,③充分な空間,④病人を別々の建物

ないしパビリオンに分けて収容すること,である。(C・2・213)②を除く 3

条件が「換気」に関わるものである。

パビリオン pavilion とは病院の「分離して造られている一棟」であり,

管理は共通であるが,それぞれが看護婦室,台所,洗面所,浴室,便所等を

備えた「独立した病院」である。他のパビリオンとは屋根つきの通路でつな

がっているが,相互には「空気の流通がない」構造になっている。(C・2・241)

こうした形式の病棟(イギリスでは通称「ナイチンゲール病棟」)は,パリ

のラリボアジェール(Lariboisiere)病院などの前例があるが,ナイチンゲ

ールはそれらを研究して(C・2・209),各パビリオンの階数,病室数や面積,

病室あたりの病床数,1病床あたりの空間と面積,窓の数と寸法,壁や天井

や床の材質から,看護婦長室,家事室,浴室,洗面所,水洗トイレ,流し等

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ナイチンゲールの伝染病論と社会改革(友松)

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の施設設備まで詳細な条件を提示している。

換気と採光を重視するパビリオン形式の病院は,当時の病院建築として一

般的ではなかった。当時主流であった「修正派」接触伝染説ではコンタギオ

ンとの接触を断つこと,すなわち「隔離」が感染予防の基本とされたために

(C・2・211),病院構造は隔離病室をもち,通風換気に無配慮のブロック形

式(図 1参照)が多くみられた。

図 1 ブロック形式の病院

FIG. 1.

Block Plan of Hôpital Necker, Paris. A. 病室 E. 事務室・看護婦室 B. 礼拝堂 F. 居住室 C. 厨房 G. 回廊 D. 薬局

B

G

A A

AD

F

C

E

FIG 2.

Block Plan of the Royal Free Hospital, London.

FIG. 3.

Block Plan of the London Hospital, London.

医療現場でも換気の重要性は認識されていなかった。室温維持のために多

くの「医者たちは,回診しながらきまってその窓を締めて立ち去る」のが実

情であった。ナイチンゲールは,ある看護書がせめて 1日 2回,数分間,窓

からの自然換気を勧めていることを取りあげ,1時間 2回でも不十分である

と批判している。(B・1・161)ロンドン最大級の一病院では立派な換気装置

がありながら適切に使用されていなかった。(A・1・127~128)

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駒沢大学経済学論集 第 39 巻第 1号

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こうした医療現場の現実に対して,ナイチンゲールは「ミアズマ希薄化」

の立場から,病院管理を改善し,病院構造を隔離型から換気重視型にするこ

とを主張した。しかもそれを啓蒙活動のレベルにとどめることなく,病院改

革という社会改革として実践的に追求していった。

1850 年代末から社会的な広がりをみせた病院改革を担ったのは,ナイチ

ンゲールのほか産科医ジェイムズ・シンプソン(James Simpson,1811~

1870),ウィリアム・ファーらであった。院内感染率や死亡率は一般にブロ

ック形式の大病院が高かったが,それを解体してパビリオン形式または通風

換気が良好な H 型の病院に建てかえて,院内感染,過密,換気不足,看護

不備の改善をめざす改革が大病院を中心に実施された。ロンドン最古の病院

の一つセント・トマス病院は小単位に分割され,首都全域に分散して再配置

された。(46)

現在建設中であり,完成後は全ヨーロッパで最も理想的なパビリオン形式

の病院になるとナイチンゲールがいうのがハーバート病院(図 2参照)であ

る。(C・2・287~289,)ナイチンゲールの精神的支援者シドニー・ハーバー

ト(Sidney Herbert,1810~1861)にちなむ病院であり,ハーバートが陸相

在任中にガルトン(Captain D.Galton)によって設計され,1866年テムズ

河南部ウーリッジ(Woolwich)のシューターズ・ヒル(Shooters Hill)に

建設された。ウーリッジ駐屯軍のための病院であり,平行して建てられた 6

病棟から成り,病床数は 600~700,中央パビリオンは礼拝堂,昼間部屋,

図書室,調理場等を備え,道路に面して管理棟があり,屋根つき廊下で結ば

れていた。(47)

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図 2 パビリオン形式の病院(ハーバート病院)

一方,構造的に換気不良になりがちな大病院ではなく,小規模な療養所

cottage refuge を設置する動きも盛んになった。1859 年アルバート・ナッ

パー(Albert Napper)の提唱によりサリーのクランリィ(Cranleigh)に

最初の療養所が設置され,それ以降,1865 年 18,1889 年 400,病床数は

約 4千と急速に増加した。簡単な設備を備えた簡素で家庭的な施設で,収容

数は 4~20人,料金は通常週 2シリング 6ペンスであった。(48)

こうして 1860 年代から 80 年代に建設あるいは改築された病院にはパビ

リオン形式が多く採用され,ナイチンゲール思想とともに国際的な広がりも

みせた。しかしパビリオン形式の病院や小規模な療養所は,19 世紀末細菌

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感染説の登場により理論的根拠を失い,敷地面積の節約,病室管理の利便等

から病院はふたたびブロック形式が主流になっていく。(49) パビリオン形式

病院はミアズマ説とともに 19世紀後半に盛衰した病院建築様式であった。(50)

むすび

ヴィクトリア中期は伝染病学説の歴史において特異な時代であった。アカ

デミックな医学界では接触伝染説が大勢であったが,空気と伝染病の関係を

完全には否定しない「修正派」が主流を占めていた。とくに 1830年代初期

から 60年代の 4度におよぶコレラ大流行により,医学界には接触伝染説に

対する懐疑,伝染病の発生や伝播と空気の関係を容認する傾向が強まり,そ

の極には伝染病を大気現象と結びつけるサウスウッド・スミスに代表される

伝染性大気説が現われた。しかしこれは医学界のミアズマ容認の限度を超え

る急進的な非接触伝染論として,主流とはなりえなかった。しかし一般社会

では医学界の伝染病認識が一面化されて受容され,過度に単純化されたミア

ズマ論となって浸透したが,それに権威づけをしたのがチャドウィック派の

医師であった。

一方,ナイチンゲールの伝染病認識を根底にあったのはクリミア戦争従軍

時のスクタリでの個人的経験であった。彼女が公衆衛生改革派の統計専門家

ウィリアム・ファーの指導によりスクタリの経験を分析し,接触伝説説を否

定して,過密状態や不潔な環境による「汚れた空気」と死亡率との因果関係

を認めるに至ったのは 1857年である。この伝染病認識の転換を病理学的に

裏づけるものとしてサウスウッド・スミスらの伝染病論に接近し,クリミア

戦争で得た社会的名声を背景に,チャドウィックにかわる公衆衛生改革派の

中心的存在となった。それは「看護婦ナイチンゲール」が診療医学・看護の

立場から予防の立場に重点を移し,社会改革に踏み込むことを意味した。こ

うしてナイチンゲールは,伝染病予防の基本を自然換気による「汚れた空気」

の浄化(ミアズマ希薄化)に置き,それを社会制度改革によって追求するこ

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ナイチンゲールの伝染病論と社会改革(友松)

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とになった。検疫制度批判,パビリオン形式の病院,公衆衛生改革等は,ナ

イチンゲールの伝染病認識の論理的帰結であった。

ナイチンゲール社会改革の歴史的意義はどのように評価されるのであろ

うか。接触伝染説の否定とミアズマ説という医学的には誤った伝染病論から

導かれた社会改革に限界があったことは確かである。例えば,彼女が検疫と

いう公共衛生上の重要な制度を否定していることがそうである。しかしナイ

チンゲールの社会改革が総体としてどのような意義を有したかは,それとは

別に評価すべき問題であろう。「ミアズマ対策」であった公衆衛生改革や病

院改革は,伝染病因に直接打撃を与えるものではなかったが,客観的には伝

染病予防にとっての重要な貢献であったことは明らかである。1880 年代以

降登場する細菌感染説が治療法と結びつくにはなお一定の時間を要したの

であり,19 世紀末期からの伝染病死亡率の低下は,労働者の実質所得上昇

による栄養状態改善および公衆衛生改革に負うところが大きかったからで

ある。(51)

最後に,ナイチンゲールの社会改革は,ヴィクトリア中期の公衆衛生問題

とコレラ大流行を背景に台頭したチャドウィック派の伝染病論の影響を強

く受けていた。この伝染病論は,ナイチンゲールに限らず,ヴィクトリア時

代の社会改革者や社会改革に影響を与えることはなかったのであろうか。そ

の影響は社会的にどの程度の広がりと深さをもって,諸改革にどのような影

響を及ぼしたのであろうか。伝染病論の視角から 19世紀イギリス社会史や

社会政策史研究にどのような新たな事実認識が得られるのか,今後の課題と

したい。

<引用文献>

ナイチンゲールの以下 3著作からの引用は下記の形式で本文中に記す。いずれも湯槇ます監修・薄井坦子・小玉香津子他訳『ナイチンゲール著作集』全 3 巻,現代社,1988~1989年,所収。訳文は一部変更した。

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(A) Subsidiary notes as to the introduction of female nursing into military hospitals in peace and war,1858.(鳥海美恵子・薄井坦子・小南吉彦訳『女性による陸軍病院の看護』)

(B) Notes on nursing: what it is and what it is not, new ed., 1860.(薄井坦子・小玉香津子・田村真・小南吉彦訳『看護覚え書』)

(C) Notes on hospitals, 3rd., 1863.(小玉香津子・薄井坦子訳『病院覚え書』) *例えば(A・1・72)は,文献(A),『ナイチンゲール著作集』第 1巻,72頁を示す。

<注>

(1) 以下は見市雅俊「インド・コレラとイギリス・マラリア」(見市雅俊他著『青い恐怖 白い街』平凡社,1991年,所収)103~110頁に負うところが大きい。(以下,「インド・コレラ」と略す。)

(2) 本稿,注 12参照。 (3) ピエール・デルモン(寺田光徳・田川光照訳)『人と細菌:17-20 世紀』藤原書店,2005年,108~117頁参照。

(4) 川喜田愛郎『近代医学の史的研究』岩波書店,上,2006年,184~185頁。 (5) 「流行条件」の訳語が当てられる場合もある。川喜田『前掲書』上,327~328頁。見市「インド・コレラ」105~106頁。

(6) 見市「インド・コレラ」,108頁。 (7) 見市「前掲稿」,118頁。 (8) A. Brundage, England’s “Prussian Minister” : Edwin Chadwick and the Politics of Government Growth,1832-1854 (The Pennsylvania State Univ. Press.1988) 廣重準四郎・藤井透訳『エドウィン・チャドウィック』ナカニシヤ出版,2002年,99頁。

(9) J.P. Kay‐Shuttleworth, The Moral and Physical Condition of the Working Classes Employed in the Cotton Manufacture in Manchester (London: Ridgway,1832. rept., Irish Univ. Press. 1971.) p.15.

(10) Report to Her Majesty’s Principal Secretary of State for the Home Department, from the Poor Law Commissioners, On an Inquiry into the Sanitary Condition of the Labouring Population of Great Britain, 1842(HL-), Vol.XXVII. by Edwin Chadwick, 369. (Health General 3,IUP) 本報告書はM.W.Flinnの詳細な解説を序文として付して 1965年出版された。Report on the Sanitary Condition of the

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Labouring Population of Great Britain, by Edwin Chadwick 1842, edited with an introduction by M.W. Flinn (Edinburgh Univ.Press,1965.), p.422. 以下,Sanitary Reportと略記し,引用頁数はこれによる。序文は Sanitary Report,introduction by Flinn.と略記する。

(11) Fourth Annual Report of The Poor Law Commissioners, Appendix A, No.1, Supplements Nos.1,2 and 3, 1837-38 [in 147] Vol.XXVIII, By Neil Arnot, and James Phillips Kay, 68. (Health General 3, IUP)

(12) OED参照。malariaが今日的意味での病名になるのは 19世紀末以降であり,それ以前は agueとか間欠熱 intermittent feverとの用語が使われたとされるが(見市「インド・コレラ」121頁), malariaを病名とする用例もある。(本稿 2, 9頁参照。)

(13) チャドウィックはミアズマとマラリアを比較して,過密で換気不良の部屋で発生する「人間のミアズマ」human miasmsの方が,熱病の原因として,マラリアよりもはるかに強力としている。Sanitary Report, pp.413~414.

(14) 19 世紀前半の医学界ではミアズマ説が支配的であったとするアッカークネヒトの古典的見解(E.H.Ackerknecht, “Anticontagionism between 1821 and 1867”, Bulletin of the History of Medicine, vol.22,1948.)は近年の医学史研究では否定されている。見市雅俊「衛生経済のロマンスーチャドウィック衛生改革の新しい解釈」

(阪上孝編『1848国家装置と民衆』ミネルヴァ書房,1985年,所収),81~82頁。(以下,「衛生経済」と略す。)

(15) 見市「インド・コレラ」,111頁。「衛生経済」81~82頁。 (16) William Pulteney Alison, “Observations on the generation of fever”, Local Reps.Scot. p.13. in Sanitary Report, introduction by Flinn .p.63.

(17) Thomas Webster ed., An Encyclopedia of Domestic Economy (London, Longman, Brown, Green, and Longmans, 1844.rpt., Athena Press Vol.1, 2005.) Vol.1, pp.106~110.

(18) 17世紀末以降のイギリスでのペスト消滅については,見市雅俊「栄養・伝染病・近代化」,『社会経済史学』第 53 巻 4 号,1987 年,106~109 頁。(以下,「栄養・伝染病」と略す。)

(19) F. Engels, The Condition of The Working-Class in England (1845), in Marx and Engels on Britain (Moscow,1962), pp.130,132. 一條和生・杉山忠平訳『イギリスにおける労働者階級の状態』岩波文庫,上,192,195頁。訳文は一部変更した。

(20) Flora Tristan, Promenades dans Londores, 1840. 小杉隆芳・浜本正文訳『ロンドン散策』法政大学出版局,1987年,183~184頁。

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(21) Isabella Beeton, Mrs Beeton’s Book of Household Management, 1861. (Oxford World’s Classics ,Oxford Univ. Press, 2000.) p.31.

(22) Ibid., pp.468~469. (23) Ibid., p.531. (24) Cassell’s Household Guide to Every Department of Practical Life, Being Complete Encyclopedia of Domestic and Social Economy, (Cassell Petter&Galpin,1873-4. Vol.III, Edition Synapse,2001.) pp.11~12.

(25) ナイチンゲールの社会的影響力はミドル・クラスだけでなく労働者階級にも及んだとみられる。例えば,『看護覚え書』の第 3版(1861年)は Notes on Nursing for the Labouring Classesと題する労働者階級むけの縮刷・廉価版であり,1898年までに 9 度増刷され総発行部数は 41 万 5 千以上に達した。 Victor Skretkowicz ed., Florence Nightingale’s Notes on Nursing (London, Baillie Tindall, 1992.) 助川尚子訳『ナイチンゲール 看護覚え書 決定版』医学書院,2004年)の序文参照。

(26) 以下で論ずるのはクリミア戦争帰国後の 1850年代末から 1860年代初期のナイチンゲールの伝染病論(認識)であり,細菌感染説が登場する 1880年代以降の彼女の伝染病認識は研究対象外となる。

(27) Hugh Small, Florence Nightingale, Avenging Angel (New York,St.Martin’s Press, 1999.) 田中京子訳『ナイチンゲール 神話と真実』みすず書房,2003年。

(28) Sanitary Report, introduction by Flinn. p.28. (29) ファーの自説はパリ時代から軍の罹病率,死亡率は医学的治療法ではなく衛生に関係するというものであり,戸籍本署の統計専門官となってからは,死因統計を利用

して自説を広めるための啓蒙的文章を年次報告書に執筆している。例えば Second Annual Report of The Registrar General, Births Deaths and Marriages in England,1840. Appendix. Causes of Death in England and Wales. pp.69~98. Third Annual Report, 1841. Appendix, pp.71~109. その意味でナイチンゲールの指導依頼は自説を証明する好機であった。Small,op. cit., pp.78. 邦訳 108頁参照。

(30) Ibid., p.88~94. 邦訳 122~130頁。 (31) 伝染病予防法の発見と予防の社会的システムの確立は別の問題である。牛痘種痘発見後 1840 年にワクチンの公費接種が法制化され,1853 年種痘法により乳児の強制接種が義務づけられたが,親の子どもを監督する「自由」への侵害として強制種痘

反対同盟 An Anti-Compulsory Vaccination Leagueによるワクチン接種による死亡キャンペーンや反対運動が展開され,接種よりも収監を望む親も現われた。種痘をめ

ぐる「個人の自由」と「公共の利益」の対立は,1898 年同法の廃止により「個人の

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自由」派の勝利に帰結している。E.Royle, Modern Britain: A Social History 1750-1985 (London,Edward Arnold,1987). p.198.

(32) P.E.Razzell, “Population Change in Eighteenth-Century England. A Reappraisal” Econ.Hist.Rev.2nd.ser., XVIII, 1965. in Michael Drake ed., Population in Industrialization (London,Methuen,1969), pp.128~156.

(33) 川喜田『前掲書』,上,188頁。 (34) Notes on Hospitals, in Lori Williamson ed., Florence Nightingale and The Birth of Professional Nursing, Vol.3 (Edition Synapse,1999.) p.22.(邦訳ではこの部分は省略されている。)ナイチンゲールの「換気重視」については次のような理解

がある。「ナイチンゲールが繰り返して新鮮な空気の重要性を強調する背景には,当

時,世界中で最も空気の汚れていたロンドン市や,その汚れた空気に対して無関心で

あった人々の存在なども強く意識されているのであろう」(「看護婦の訓練と病人の看

護」(1882年)の訳者注4(『ナイチンゲール著作集』第 2巻,337頁)ここでは「換気重視」がナイチンゲールの伝染病認識と関連している点が看過されている。

(35) Small,op. cit., p.136. 邦訳 187頁。 (36) 見市雅俊『コレラの世界史』晶文社,1994年,36~65頁。(以下,『世界史』と略す。)

(37) 見市『世界史』,16頁。 (38) もっとも,コレラ上陸を阻止できなかったのは検疫制度ではなく,税関当局の怠慢(税関規則の無視)が原因との声は当時からあった。また,陸上交通規制がなかっ

たことも被害を拡大した。(見市『世界史』50~52 頁。)そもそもコレラは病菌に汚染された飲食物の摂取が原因であり,ペストを前提とした当時の検疫自体に限界があ

った。 (39) Sanitary Report, introduction by Flinn.p.55. (40) 見市「衛生経済」,84~87頁参照。 (41) 武居良明『イギリスの地域と社会』御茶の水書房,1984年,7・8章参照。 (42) Cecil Woodham-Smith, Florence Nightinggale 1820-1910 (London,Constable,1950), pp.296,310. 武山満智子・小南吉彦訳『フローレンス・ナイチンゲールの生涯』現代社,1999年,上巻 407頁,下巻 6~7頁。

(43) 1854 年公衆衛生法および中央衛生局の廃止,チャドウィック失脚と続いて中央集権的公衆衛生行政は頓挫するが,それは改革の後退を意味するものではなく,地方

自治体による給排水・下水道建設は 1870年代にむかって着実に前進していた。武居『前掲書』,245~246頁参照。

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(44) Thomas McKeown and R.G.Brown, “Medical Evidence Related to English Population Changes in the Eighteenth Century”, Population Studies, Vol.IX, 1955.in Michael Drake ed., op.cit., pp.48~49.

(45) F.B. Smith, The People’s Health 1830-1910 (New York, Holmes & Meier 1979), p.267.

(46) Ibid., pp.275~277. (47) James Thorne, Handbook to The Environs of London (1876:rept.,1970), p.556. Edward Walford, Old and New London, A Narrative of Its History, Its People, and Its Places, Vol.VI (London,Cassell,1897.rept.1984), p.236.

(48) Smith, op.cit., p.277. (49) B.Trinder ed., The Blackwell Encyclopedia of Industrial Archaeology (Cambridge,: Blackwell,1992), p.336.

(50) 近年,病室内の空気汚染と健康との関係,建材等に含まれる化学物質による健康被害によりナイチンゲールの病院建築思想が建築学でもふたたび注目されている。柳

澤忠監修,柳澤・宮治・三田編『健康デザイン』医歯薬出版,2000年,51~61頁。 (51) 医学的発達と死亡率低下の因果関係が明確な天然痘を除けば,結核等は栄養状態改善,腸チフス,赤痢,コレラ等は公衆衛生改革によるといわれる。見市「栄養・伝

染病」,112頁,村岡健次「病気の社会史」(角山栄・川北稔編『路地裏の大英帝国』平凡社,1982年,所収)参照。