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連載講座 29 No. 225 2019 社会とエネルギー 連載講座 第 13 回 1. はじめに 熱エネルギーに関する理論的な理解は、18 世紀半 ばに遡る。ドイツの医師であったマイヤー (J.R.Mayer,1814 ~ 1878)は、熱と仕事の間には関 係があると信じて考察を開始し、気体の定圧比熱と定 積 比 熱 の 差 か ら 換 算 関 係 を 定 量 化 し、1 kcal が 367[kgfm] になることを示した。また、水の温度を 1℃ 上げるためには 365[m] の落差が必要であるという結 論を導いた。一方、イギリスのジュール(J.P.Joule, 1818 ~ 1889)は電気に興味を持って、電気が仕事を すれば抵抗を発熱させるところから、仕事と熱量の関 係を思いつき、この換算関係を支配する係数が一定で あることを発見し、1[kcal] が 424[kgfm] なる値を得た。 こうした人々の努力によって、閉じたシステムでエネ ルギーは保存されるという熱力学の第一法則が確立さ れた。現在では、仕事と熱の変換係数は次のように正 確に求められている。 J = 426.9[kgfm/kcal] = 4.186[kJ/kcal]      J:熱の仕事当量 A = 1[kcal] / 426.9[kgfm] = 1[kcal] / 4.186[kJ] A:仕事の熱当量 熱エネルギーと熱とは互いに異なる概念である。熱 エネルギーは、物質を構成する個々の分子や原子によ る内部エネルギーの一つである運動エネルギーの総和 である。それには、分子や原子の間に働く位置エネル ギーや巨視的に見た物質自体の持つ力学的エネル ギー、またアインシュタインの静止質量エネルギーも 含まれない。 一方、熱とは、高温の物体から低温の物体へと温度 差によって流れる物理量である。つまり、内部エネル ギーを増減するフローであり、力学的仕事と同じ仲間 で、エネルギー移動の結果として生じるものである。 “ 熱をすべて仕事に変えることはできない ” という熱 力学の第二法則がフランス人のカルノー(N. L. Sadi.  Carnot,1796 ~ 1832)によって生まれた。熱力学で は物質系の熱的現象を状態間でのエネルギーの移動過 程ととらえ、移動するエネルギーを熱と仕事の 2 種類 に、物質の持つエネルギーを内部エネルギーとして包 括的に扱われている。これにエネルギー保存を表す第 一法則、不可逆変化の方向を与える第二法則、補足的 な第三法則を併せて用い、物質系の巨視的現象の説明 を組み立てている。 ここでは、熱や熱エネルギーに固有な性質や現象に 関連して、状態量、熱力学の法則、内部エネルギー、 エントロピー、エンタルピー、ヘルムホルツの自由エ ネルギー、ギブスの自由エネルギーなど熱力学の基礎 となる概念を紹介する。 2. 熱力学 (1)熱力学の系 熱力学での対象は “ 物体(または物質)” といい、 物体の集まりが “ 系 ” である。系は、原子や分子など 多数の粒子から成っているが、巨視的な熱力学では構 成粒子を連続的かつ均質な系と捉えて、その平均的な 性質を取り扱っている。系は “ 境界 ” で囲まれたある 領域内に存在し、その境界の外側にあるすべての物体 を “ 周囲 ” と呼ぶ。 系には “ 閉じた系 ” と “ 開いた系 ” とがある。閉じ た系とは、物体と周囲との間に熱や仕事が境界を通し て周囲と交換されても、その領域内に同じ物体がいつ までも存在している場合である。一方、開いた系では、 熱や仕事が境界を通して授受されると同時に、物体自 身も境界を通して領域に流入したり流出したりする。 図1 に閉じた系としてエンジンシリンダーを、開い た系として蒸気タービンを示す。圧縮過程にあるエン ジンシリンダーでは、弁が閉じた状態にあり、系と周 囲との間で物体の授受がない閉じた系となる。それに 熱力学の基礎 basis of thermodynamics 内 山 洋 司  (うちやま ようじ)一般社団法人日本エレクトロヒートセンター会長(筑波大学名誉教授) 社会で利用している化石燃料、原子力、再生可能エネルギーなどすべてのエネルギー資源、そして力学、 化学、電気・磁気、核、光・放射線など様々なエネルギー形態も、最終的には熱に変換される。熱は、暖房、 給湯、調理、そして動力源として社会で広く利用されている。熱力学は熱を機械仕事へ変換するための 学問として発展し、自然界がエネルギーの変化を伴いながらその姿を変えていく過程を論ずる科学とし て完成した。ここでは、熱や熱エネルギーに固有な性質や現象に関連して、内部エネルギー、エントロピー、 エンタルピー、自由エネルギーなど熱力学の基礎となる概念を紹介する。

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連載講座 29No. 225 2019

社会とエネルギー連載講座 第 13回

1. はじめに

 熱エネルギーに関する理論的な理解は、18 世紀半ば に 遡 る。 ド イ ツ の 医 師 で あ っ た マ イ ヤ ー

(J.R.Mayer,1814 ~ 1878)は、熱と仕事の間には関係があると信じて考察を開始し、気体の定圧比熱と定積 比 熱 の 差 か ら 換 算 関 係 を 定 量 化 し、1 kcal が367[kgfm] になることを示した。また、水の温度を 1℃上げるためには 365[m] の落差が必要であるという結論を導いた。一方、イギリスのジュール(J.P.Joule,1818 ~ 1889)は電気に興味を持って、電気が仕事をすれば抵抗を発熱させるところから、仕事と熱量の関係を思いつき、この換算関係を支配する係数が一定であることを発見し、1[kcal] が 424[kgfm] なる値を得た。こうした人々の努力によって、閉じたシステムでエネルギーは保存されるという熱力学の第一法則が確立された。現在では、仕事と熱の変換係数は次のように正確に求められている。

J = 426.9[kgfm/kcal] = 4.186[kJ/kcal]       J:熱の仕事当量A = 1[kcal] / 426.9[kgfm] = 1[kcal] / 4.186[kJ]  A:仕事の熱当量

 熱エネルギーと熱とは互いに異なる概念である。熱エネルギーは、物質を構成する個々の分子や原子による内部エネルギーの一つである運動エネルギーの総和である。それには、分子や原子の間に働く位置エネルギーや巨視的に見た物質自体の持つ力学的エネルギー、またアインシュタインの静止質量エネルギーも含まれない。 一方、熱とは、高温の物体から低温の物体へと温度差によって流れる物理量である。つまり、内部エネルギーを増減するフローであり、力学的仕事と同じ仲間で、エネルギー移動の結果として生じるものである。 “ 熱をすべて仕事に変えることはできない ” という熱力学の第二法則がフランス人のカルノー(N. L. Sadi. 

Carnot,1796 ~ 1832)によって生まれた。熱力学では物質系の熱的現象を状態間でのエネルギーの移動過程ととらえ、移動するエネルギーを熱と仕事の 2 種類に、物質の持つエネルギーを内部エネルギーとして包括的に扱われている。これにエネルギー保存を表す第一法則、不可逆変化の方向を与える第二法則、補足的な第三法則を併せて用い、物質系の巨視的現象の説明を組み立てている。 ここでは、熱や熱エネルギーに固有な性質や現象に関連して、状態量、熱力学の法則、内部エネルギー、エントロピー、エンタルピー、ヘルムホルツの自由エネルギー、ギブスの自由エネルギーなど熱力学の基礎となる概念を紹介する。

2. 熱力学

(1)熱力学の系 熱力学での対象は “ 物体(または物質)” といい、物体の集まりが “ 系 ” である。系は、原子や分子など多数の粒子から成っているが、巨視的な熱力学では構成粒子を連続的かつ均質な系と捉えて、その平均的な性質を取り扱っている。系は “ 境界 ” で囲まれたある領域内に存在し、その境界の外側にあるすべての物体を “ 周囲 ” と呼ぶ。 系には “ 閉じた系 ” と “ 開いた系 ” とがある。閉じた系とは、物体と周囲との間に熱や仕事が境界を通して周囲と交換されても、その領域内に同じ物体がいつまでも存在している場合である。一方、開いた系では、熱や仕事が境界を通して授受されると同時に、物体自身も境界を通して領域に流入したり流出したりする。図 1 に閉じた系としてエンジンシリンダーを、開いた系として蒸気タービンを示す。圧縮過程にあるエンジンシリンダーでは、弁が閉じた状態にあり、系と周囲との間で物体の授受がない閉じた系となる。それに

熱力学の基礎basis of thermodynamics

内 山 洋 司 (うちやま ようじ)一般社団法人 日本エレクトロヒートセンター会長(筑波大学名誉教授)

 社会で利用している化石燃料、原子力、再生可能エネルギーなどすべてのエネルギー資源、そして力学、化学、電気・磁気、核、光・放射線など様々なエネルギー形態も、最終的には熱に変換される。熱は、暖房、給湯、調理、そして動力源として社会で広く利用されている。熱力学は熱を機械仕事へ変換するための学問として発展し、自然界がエネルギーの変化を伴いながらその姿を変えていく過程を論ずる科学として完成した。ここでは、熱や熱エネルギーに固有な性質や現象に関連して、内部エネルギー、エントロピー、エンタルピー、自由エネルギーなど熱力学の基礎となる概念を紹介する。