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ラーキンを語る上で最も欠かすことのできない女性がモニカ・ジョーンズ
であることは、彼女の39年余りにわたるラーキンとの交際期間の長さから見
ても明白であろう。そして他の女性たちとの不適切な関係にもかかわらず、
ラーキンを愛し続けた女性としての寛容さと忍耐は、ラーキンの読者ならず
とも称賛を惜しむことはない。彼女はラーキンと同じオックスフォード出身
で、同じ年齢で、ラーキンが1946年 9 月レスター大学図書館の副司書に就任
した時には、レスター大学英文科のレクチャラーであった。レスターのロン
ドン・ロードにあったタトラー・カフェで、モニカがラーキンを見かけてか
ら始まった最初の出会いから、ラーキンが亡くなる1985年12月まで彼を支え
た芯の強い女性であった。1982年にモニカがヘイドン・ブリッジの彼女の家
で病気で倒れてからは、ラーキンが彼女をハルのニューランド・パークの自
宅に引き取り、自分が亡くなるまで 3年余りを世話していたが、その病を得
た期間を含めてラーキンのパートナーとして、創作の面のみならず人生の
様々な場面で彼を支え続けた。
ラーキンに関しては、死後、『全詩集』、『ラーキン書簡選集』、そして『フィ
リップ・ラーキン伝』などの出版と共に、その私生活や様々な私的見解や偏
見などが明るみに出されて、神話的な隠者という詩人としての仮面が剝がさ
れてしまった感がある。しかし、多少歪んだとも言えるその人間性によって、
ラーキンの詩人としての評価が決して無に帰することもなく、現在では、現
代詩人としてのラーキンの地位は決して揺らぐことはない。
モニカは、ラーキンが亡くなってからも、ラーキンの残したニューランド・
ラーキンのモニカ・ジョーンズへの手紙に見られるビアトリクス・ポターとウサギへの愛着
高野 正夫
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パークの家に住み続け、2001年の 2月に「孤独なアルコール中毒」(1)として
死んだのだった。その死後、ラーキンがモニカに40年余りにわたって送った
ほぼ2,000通にわたる手紙や、葉書が発見され、そのうち1,421通の手紙が、
2010年にアンソニー・スウェイトによって編纂され、Philip Larkin: Letters to Monicaとしてフェイヴァー社から出版された。ラーキンと最も深い関わりのあった新聞社、『デイリー・テレグラフ』紙に寄せたこの新たな書簡集
についての書評で、ジョナサン・ベイトは、「長期間にわたる恋人モニカ・
ジョーンズに宛てた、滑稽な明らかにする、文学的で親密な手紙は彼の評価
を和らげ、彼の女嫌いについての話を終わらせるだろう」(2)と述べている。
それまでに出版されたラーキンの人間性の負の面を暴露するような多少否定
的な書物とは異なって、この新たな資料は、ラーキンの愛した女性モニカと
の心温まる、愛情に溢れたコミュニケーションを通して、ラーキンの人間的
な側面を明らかにしている、とベイトは強調している。
また、『オブザーヴァ』紙に載せた同書についての書評で、アダム・マー
ズ=ジョーンズは、「1992年の『書簡選集』(これもアンソニー・スウェイト
編纂)は、特に、ポルノ趣味を共有したロバート・コンクェストやキングズ
リー・エイミスへの手紙で示された彼のいかがわしい側面に紙面を割くこと
でラーキンの評判を損ねた」(3)と述べている。確かに、いわば歯に衣を着せ
ないかなり強い口調で、きわどい直接的な表現やスラングを多用して多くの
親しい友人たちに自らの主張や見解を率直に語るラーキンには、時として、
紳士にあるまじき振る舞いや言葉という印象を多くの人が感じるであろう。
しかし、ラーキンが書簡の中でそのような不適切な卑猥な言葉を多用したこ
とに対して嫌悪感を抱き、ラーキンの人間性をいぶかむような読者や批評家
は、現在では以前ほど多くないであろう。
ラーキンを評価する立場の人からすれば、マーズ=ジョーンズの、「あの
ページの多くで、頑固さは競い合う戯れとして実践されていたようだ」(4)と
いう言葉は、ラーキンの評判の良くない側面に多少納得のいく説明を与えて
くれている。つまり、手紙の中でラーキンが友人たちに示した下品な言葉遣
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いは、ある種の冗談や戯れとして受け取るべきもので、それらの多くは、ラー
キンの真剣で真面目な本質とは多少異なったものとして捉えるべきなのであ
ろう。
ラーキンについての論争を引き起こした『書簡選集』とはまた別な意味で、
ラーキンについて新たな側面を提供してくれた、この『モニカへの書簡集』
については、『ラーキン伝』の著者アンドルー・モーションや、『書簡選集』
の編纂者であるアンソニー・スウェイトでさえも、様々な論争を引き起こし
たこの 2冊の書が出版された1990年代には、その存在を知らなかったのであ
る。モニカの死後 9年目に出版された新たな書簡集への書評を『ガーディア
ン』紙によせたニコラス・リザードは、「これは確かに専門家のためだけの
書」(5)であると述べているが、多くのラーキンの研究者や読者にとっては、
新たな興味深い発見をもたらす書であろう。
40年近くにわたる、自らが愛した女性との様々な交際や遣り取りが交わさ
れたことからも、この書簡集は、ラーキンと、恋人そしてパートナーとして
のモニカとの愛情の絆の強さを証明するものである。そして、ラーキンがモ
ニカを“bun”という愛称で呼んでいたことは、『書簡選集』や『ラーキン伝』においても知られていたが、『モニカへの書簡集』では、その言葉の使用が、
ほとんど日常的に頻繁に使われていたことが明らかになったのだった。この
bunという言葉はウサギを意味するものであり、小さい頃にウサギのぬいぐるみを親に買ってもらってから、生涯にわたってウサギを愛した詩人、ラー
キンのもう一つの新たな側面がこの言葉の裏に見え隠れしている。そして、
ウサギに対する愛着は、後にはビアトリクス・ポターの生み出した世界中の
子供や大人たちを魅了してやまない、あのピーターラビットを通して、さら
に強いものとなっていった。
『書簡選集』でもラーキンは、親しい友人たちにピーターラビットや著者
のポターについて、分かりやすいたとえとして気さくに述べている。1958年
12月17日付の、ジュディ・エジャトンへの手紙で、図書館の女性職員たちが
パーティーを開きたがっているが、自分は億劫なのでパーティーを企画する
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ことはできないと、また、教官用談話室でも例年通り晩餐会を開いたが、自
分は行かなかったなどと述べている。そして、「グロースターの仕立屋のよ
うにほつれた糸には疲れたよ」と、ポター自身が最も好きだった、そして最
も人気のある、クリスマスの時期を舞台にしたグロースターの仕立屋と小さ
なネズミたちとの愛情溢れる物語を引き合いに出して、自らの社交的ではな
い一面をのぞかせている。
また、1974年 6 月 5 日付の、フェイヴァー社の編集者チャールズ・モン
ティースへの手紙では、ビアトリクス・ポターについて一つのたとえとして
言及している。
図書館での生活は、素晴らしい月曜の後では退屈に思われる。君の家
は、――ほとんど何かビアトリクス・ポターから脱け出したものみたい
に――とても魅力的だと思った。君の家を住めるようにするのにひどく
費用がかからないといいですね――請求書が森の巨人のように僕に襲い
かかり始めたよ。
多少おどけながらラーキンは、モンティースの家の様子を自分の大好きなポ
ターの描いた伝統的なイギリスの田舎家風の家になぞらえている。
ビアトリクス・ポターについての言及は、『書簡選集』ではこの 2例だけ
であり、ラーキンのピーターラビットやポターの作品に対する強い愛着は特
に目立つものではなかった。しかし、『モニカへの書簡集』では、ポターやピー
ターラビットについての言及が、より頻繁に行われている。ジョナサン・ベ
イトは、ラーキンとモニカに共通する趣味について、「アーチャー家とビア
トリクス・ポターへの永続的な愛(特にウサギを含む部分)と共に、クリケッ
トは、ラーキンとジョーンズをほとんど40年続いた友情に結びつけたものの
一つであった」(6)と述べている。クリケット、BBCのラジオの人気番組「アーチャー家」、そしてビアトリクス・ポターとピーターラビットの、三つの趣
味を基にして、二人はお互いの愛情を確固なものにしていったのであろう。
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ラーキンがモニカを手紙でbunという愛称で日常的に呼びかけていたのには、ピーターラビットに対して抱いた愛着が、二人に共通のものであったと
いう特別な理由があったのであり、それが二人の絆をさらに密なものにして
いったのだった。
1952年10月 9 日付のベルファストからモニカに宛てた非常に長い手紙で
は、二人で夏の休暇に旅行した湖水地方のことについて触れている。
・・・そう、良い休暇だったね。ソーリー村やすべてそれと関連のあ
るものに占められていたけれどそれにもかかわらず良かったと思う。い
ちばんはっきり覚えているのは何なのか分からないが、――多分ウィン
ダミアからの列車の旅と、ラトレル夫人の君の物真似か、多分、あの恐
ろしいドサットいう足取りが僕たちの後ろに近づくまでのアルズウォー
タ湖畔の散歩だろう。君が休暇を楽しんだのがとてもうれしかった。君
にそうしてもらいたかった、なぜなら君の人生は・・・いや君の人生と
いうつもりではなく、君には休暇が必要なんだというつもりだよ、あれ
よりももっと多くの休暇がね、だけど、君には少なくともあれぐらいは
楽しんで欲しかった。
ビアトリクス・ポターが住み多くの作品を書いた、湖水地方のホークスヘッ
ドの町とウィンダミア湖の中間にあるソーリー村のヒル・トップの家や、他
にもポターやピーターラビット関連の家や多くの展示を見ながら、モニカと
共に過ごした休暇の楽しい思い出が素直な愛情に満ちた言葉で語られてい
る。ビアトリクス・ポターという共通の趣味を基にして、二人がその愛を育
んでいったことが良く分かるが、同じ手紙の先ほど引用した箇所の少し後で、
ラーキンは、ポターの中期の作品である『パイがふたつあったおはなし』に
登場する猫のリビーについて触れている。
ねぇ、君についての、もったいぶったほのめかしやベールで覆った批
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評に関しては、僕はひどく尊大で怒りっぽく見えるに違いない。そして、
君はとても忍耐強いのかなと思う。それは、何もひどく恐ろしいことで
はないけれど、僕は批判されたものに対する優越性を主張するのがとて
も嫌だと感じるので、すべての批評家は、一時的にでさえ、僕がいつも
とても内気だったり恥ずかしがるので、自分が思っていることを言えな
いのではと、思うのだ。それは何もひどく恐ろしいことではないけれど、
ただそれを言うべき最善の人は、パイの57ページの人物だと僕は感じているんだ――子猫に語りかけるあるとても母親らしい実際的な年とった
猫で、僕ではないけれど。
『パイがふたつあったおはなし』は、リビーという名の猫が、ダッチェスと
いう名の犬をお茶に招待する話で、ネズミのパイを出されるのではないかと
心配した犬のダッチェスは、自分が作った子牛とハムのパイをこっそりとリ
ビーの台所のオーヴンに入れておき、それを食べるつもりだったのが、手違
いでリビーが作ったパイを食べてしまったことに気づかずに、自分が用意し
たパイの焼き型を飲み込んでしまったのではないかと大騒ぎする話である。
心配して呻き声をあげて身悶えするダッチェスに、医者を読んであげますよ
と優しく宥める猫のリビーの母親らしい落ち着いた仕草に、ラーキンはある
べき批評家の姿を感じているのであろう。
1955年 7 月22日付のかなり長い手紙では、うだるような天気の中自転車で
遠出をして、ハルの郊外のベヴァリーに出かけて、マーヴェル社のジーン・
ハートリーに会うつもりが留守だったので、会えずに帰宅して、ほとんど20
マイルほどの距離を走ったので疲れたと記している。そして、ベヴァリーで
見かけたウサギとポターについて事細かにモニカに報告している。
・・・ベヴァリーでセント・メアリー教会に入りウサギを見つけた(同
封のパンフレットを見てごらん)。僕はこの教会が好きだ。いつか君も
見ればいいんだが。このウサギはあまり魅力的なウサギじゃない。幾分
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嘲っているんじゃないかと思う。そして少し剝がれていた。それからま
た、それは野ウサギかもしれないと思う。でもそれは確かにカバンをか
けている。ルイス・キャロルの物語にどんな証拠があるのか僕には分か
らない。僕が持っている唯一の案内書にもそのことについては何も書い
ていない――ウサギのことを言ってもいないんだ。でも、ほらいるんだ
よ、憎まれた教会の要塞への孤独な侵入者が。カバンにはニンジンが入っ
ていると思う。クリケットの試合の得点を見ようと小さな新聞屋を覗い
たら沢山のビアトリクス・ポターの本を見つけて、『アプリ・ダプリイ
のわらべうた』を読んだ――特に階段の上に置かれたニンジンの贈り物
を。その本のせいで君が一緒にいてくれたらと思ったよ――というより
もむしろ、君が一緒にいてくれたならという思いを強めてくれた。自転
車に乗りながら君のことを沢山思ったよ、君の蚊のことを(僕はそうい
うものとして蚊には気づかなかったと思う)、そして君の庭のことを―
―君が剪定ばさみを使ってくれてうれしい。君は僕よりも物事をしっか
りと把握している。僕の人生はあらゆる点で止血帯で縛られている。僕
はとても疲れきってそのことを嘆くことも出来ない――そして、そうし
ようという即座の刺激が幸いにも欠けている――でもそうなんだ、そう
だ本当に。君が僕に、ロンドンでのすべての事にあまり退屈そうに見え
ないようにと諭してくれた時にも、僕は多分、多くの時間退屈している
ようだと反省したよ――僕はひどく「社交的な」気分を欠いているんだ
よ。
この手紙からは、セント・メアリー教会の壁面を飾る彫刻されたウサギを見
つけてそれをモニカに知らせているラーキンの無邪気な姿が、読み取れると
同時に、ウサギに対する特別な愛着も感じられる。また、新聞屋の店先でラー
キンが思わず手にして読んだ、『アプリイ・ダプリイのわらべうた』は、ポター
が創作したわらべうたで、非常に短い作品である。パイが大好きなネズミの
アプリイ・ダプリイや、ウサギのカトンテール、茹でたジャガイモを肉のソー
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スにつけてオーヴンで焼く豚や、年寄りのハリネズミ、そして、靴の中に住
むお婆さんのハツカネズミなど、愛らしい動物たちが登場するもので、ポター
が美しい細かな挿絵を付けて晩年に出した本である。この本の一部は、1902
年にポターの第一作『ピータ-ラビットのおはなし』が出る前の1893年にす
でに描かれていたのであるが、実際に出来上がったのは1917年であった。ラー
キンが特に気に入ったのは、ウサギのカトンテールが、ドアを叩く音を聞い
て扉を開けてみると、そこには誰もいなくて、階段の上に籠に入った大きな
ニンジンが 4本置いてあったというくだりで、カトンテールに大好物のニン
ジンを贈ってくれた誰かの心優しい思いにラーキンは感動し、その仕草に愛
するモニカを重ね合わせているのであろう。
二人の共通の話題であるポターの様々な物語を通して、ラーキンはモニカ
への率直な愛情を伝えている。そして、自分以上に現実的な生き方をしてしっ
かりと人生を歩んでいくモニカと自分の悲観的な性格を比較しながら、自ら
の非社交的な一面を反省している。
さらに、晩年の1971年 8 月16日付の手紙においても、ラーキンのポターへ
の愛情は弱まることなく、『ピーターラビット』のバレー映画を劇場で見た
印象を詳細にモニカに伝えている。
親愛なる人よ
『B.ポター』からちょうど帰って来たところだよ。――待てなかったので、図書館からこっそり出かけて 4時15分の上演を見た。まあ、そ
れは素晴らしくてまったくりっぱなものだ。ただ僕から言えば、噴霧器
みたいなバレエが多すぎるということだよ。君も試しに見るべきだ。エ
ジンバラでも上演しているのかな。偽善的な言葉遣いの舞踏会はすっぽ
かして見に行ってごらん。
映画全体では一語も話されず、ただ時々ニャーオと鳴くだけだ。タビ
タ・トウィチット(と思うけど)は美しいドレスを着て登場するが、彼
女のマスクは決して十分な出来栄えではない。ジェレミー・フィッシャー
21
は夢のように素晴らしい――少しもポターのジェレミー・フィッシャー
に似ていないがとても感動的だ。カワカマスから逃げた後で、自分が大
丈夫だと分かる間合いはとても良い。ハツカネズミたちは良い、中には
他のハツカネズミよりも良いものもいる。豚は同じだ。ピーターラビッ
トは荒々しいレタスの踊りをするが、他の状況ではあまり登場しない。
リスたちは退屈だ。
まあ、君がここにいればいいんだが、多分君もどうにかして映画を見
ることだろう。それは本当に正直な仕事で、見る価値がある――血の出
るような踊りが多すぎるけれど、君もそれには我慢しなくちゃ。
ソーセージと玉葱を料理しているところだ――それほど不味くない。
君も楽しんでいることを願って、
多くの愛とキスを
フィリップ
ラーキンが見たのは、『ビアトリクス・ポターのおはなし』という題名のバレー
映画で、レジナルド・ミルズ監督、サー・フレデリック・アシュトンによる
振付で、音楽の演奏はロンドンのロイヤル・オペラ・ハウスのオーケストラ
によるものであった。動物の衣装を着たロイヤル・バレー団の演技を通して
ポターの様々な物語が伝えられ、一言も言葉が発されることのないバレー映
画だった。
会議のためエジンバラにいたモニカに向かって、ピーターラビットのバ
レー映画を見たラーキンが、まるで子供のように主人公のピーターラビット
や、猫のタビタ・トウィチットや蛙のジェレミー・フィッシャーや、豚やリ
スなどの主要な登場人物について簡単な印象を語っている。幼いころに抱い
たピーターラビットへの熱烈な愛情をそっくりそのまま、晩年にまで持ち続
けたラーキンにとって、それはまさに決して年を取ることのないNeverlandであったのであろう。このようなポターの作品に夢中になっている映画館で
のラーキンの無邪気な姿を、幼稚で子供っぽいと非難する人もいるであろう
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が、それは、詩人や芸術家に限らず、すべての人間が幾ら年を取っても持ち
続ける純粋な要素であり、子供時代の素朴な感動を忘れることのない詩人の
純粋さは、ある意味では決して老いることはないのであろう。恋人のモニカ
が一緒にいてピーターラビットのバレーを見れたらいいなと手紙に記すラー
キンの素朴な愛は、ピーターラビットへの愛着と同じように決して変わるこ
とのないように思われる。
モニカへのラーキンの愛情は、ほとんどの手紙に溢れているが、多くの手
紙をラーキンは、「ウサギ」を表す呼びかけの言葉で始めている。“Dearest rabbit”,“Dearest Bun”,“Dear bun”などと彼女に呼びかけながらラーキンは、二人の共通の趣味であるピーターラビットを通して二人の愛情の絆をより深
いものに、そしてより親密なものにしようとしたと思われる。ポターの作品
をラーキンと同じように愛読していたモニカが、ラーキンに送ったピーター
ラビットのシリーズの『アヒルのジェマイマのおはなし』に対するお礼を、
ラーキンは1952年11月28日付の葉書で述べている。
何冊か本を送ってくれてありがとう。僕はアヒルのジェマイマがとて
も好きなので、それは現在僕の心を勝ち取っている他のものです。君が
きっとそれを手放すことができると思っているなら、それは多分僕が望
むものだろう――けれども、こんなに離れていてなぜ君が僕にポターを
送ってくれたのかまったく分からない!僕の母に関して、彼女が君の招
待を断ったのは分かっている――もちろん、受け容れるかどうかは彼女
に尋ねなかった、僕はただ彼女が受け容れるだろうと思ったんだ。僕は、
夜更けや、腹黒い色々な薄茶色のヒゲの紳士たちに対する彼女の不安に
ついて忘れていたよ。それだけだよ。彼女が昼間レスターに行くのが好
きなのは分かっている。
ポター自身は、『アヒルのジェマイマのおはなし』は童話の『赤ずきん』を
修正したものであると述べている。親の言いつけをきちんと守らないと酷い
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目に会うんだよという、『ピーターラビットのおはなし』と同じような教訓
を含んだグリム童話やペロー童話の『赤ずきん』の主な登場人物をそれぞれ
置き換えながら、ポターは新たな『赤ずきん』を生み出している。赤ずきん
とおばあさんがジェマイマと卵に、狼がキツネに、そして猟師が犬などに置
き換えられているように、『アヒルのジェマイマのおはなし』と『赤ずきん』
には、極めて多くの類似が認められる。
この話は要約すれば、悪賢いキツネに騙されてキツネの小屋で卵を産んだ
ジェマイマをコリー犬のケップが救い出す話である。ジェマイマの卵を食べ
ようとするキツネの悪だくみは、ケップが防いでくれるのだが、卵は、キツ
ネ狩りに使う猟犬たちが平らげてしまい、ジェマイマは涙を流して悲しむ。
しかし、6月には彼女は新しい卵を産み、全部かえることはなかったのだが、
4羽の雛が見事にかえっていたのだった。卵を抱くのが下手なアヒルのジェ
マイマのような、のんきで人の良い優しい母親は、ラーキンの好きなキャラ
クターの一つであったのであろう。ラーキンは、原文のキツネを表す“the gentleman with sandy whiskers”をこの葉書の中では“the dark & sundry sandy-whiskered gentlemen”と言い変えて使っているが、ここにもラーキンのポター作品に対する素朴な愛情が感じられる。また一方、この葉書では母
親エヴァと恋人モニカとの関係に苦慮するラーキンの微妙な立場も感じられ
る。いわゆる「お母さん子」で、彼女が老人ホームに入ってからも週に 2通
の手紙を書くほどの強い母子の関係であり、1977年11月にエヴァが亡くなっ
た後は、そのショックでしばらく詩が書けなくなるほど母親を溺愛していた
のだった。母と恋人という、二人の愛する女性の間に挟まれながら当惑する
ラーキンの姿は、同じような立場にいる世の男性たちにとっても身近なもの
であろう。
また、1952年11月29日付の手紙では、モニカが送ってくれたと思われる『ま
ちねずみジョニーのおはなし』について長々と語りかけている。
・・・『まちねずみジョニーのおはなし』の本当の主人公は、完全に
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僕を魅了するよ。彼はまったく僕の好きな人物だ。キングズリー(やブ
ルース)に今何を言うべきかが分かるよ:「ええ、ええ、それはごもっ
ともです。皆さん本当に親切にしてくれました。でも私は体の具合が悪
いのです。」田舎で時間をどう過ごすのかについての彼の説明はとても
楽しいし、彼の葉っぱの傘はとても賢明だと思う。ええ、ええ、それは
ごもっともです。皆さん本当に親切にしてくれました:これは僕にぴっ
たりだ。彼が刈った草を運んで行く絵は!
僕はポターの本についてP.ストラングとは一種の異なった意見を持っている。彼女は彼らを「神人同形論者」として非難した。さらに彼女は、
僕がまったく動物を好きではない、ただポターの動物、炉棚の上の動物
だけが好きだと責めた。僕は幾分困ったよ。僕は時々、こういう可愛い
小さなウサちゃんが好きなのを恥ずかしく感じるけど、感情がそこには
あり、彼女はそれに触れるんだよ。彼女が、「動物」といって愚かな騒
がしく暴れる牧羊犬トウィンクルを指していることや、ある意味それは
真実だが、もちろん僕には勝ち目がなかったということも、僕は分かっ
ている。僕は決して君みたいに猫の親友ではなかった!僕は決して屋根
裏部屋に立ち寄ることもなかった。「タビタの奥さん今日は!ええお茶
を一杯飲みますわ!何て素敵なやかん敷きでしょう!ネズミの皮です
か!自分で直したのですか?」などなど。そういう幸運なことにも僕は
決してめぐり会うこともなかった。もちろんポターを読むのを止めるつもりはない。なぜなら僕は、自分を守ることができないし、そうするこ
とが出来ない自分の無能さをとにかくあまり真剣に考えないからだよ。
『まちねずみジョニーのおはなし』の本当の主人公とラーキンが述べている
のは、チミー・ウィリーのことである。チミーは田舎のねずみで、ある時野
菜籠の中でぐっすり寝ているうちに、間違って町に運ばれてしまう。野菜籠
はある家の中に運び込まれ、コックが籠を開けると驚いたチミーは壁の下の
羽目板の小さな穴に飛び込んでしまう。そこではまちねずみジョニーがパー
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ティーを開いている最中でしたが、チミーは歓迎を受けるのです。しかし、
チミーにとっては町の暮らしは合わずに病気となり、彼は野菜籠に隠れてま
た田舎に戻るのだが、冬が過ぎて暖かくなった頃にまちねずみのジョニーが
茶色のカバンを下げてチミーの所にやって来る。彼は田舎は湿気っていると
文句を言ったり、牛を怖がり、そして田舎は静かすぎると言って、まもなく
野菜籠に入って町に戻っていく。最後は、ポター自身の田舎暮らしの方が好
きですという言葉で物語は終わっている。
『イソップ物語』の「田舎のネズミと町のネズミ」を基にしたこの話は、
人間の社会を風刺し、都会暮らしの贅沢や弊害を示唆したものだと言われる
が、この素朴な話にラーキンは感動し、ビアトリクス・ポターがロンドンか
ら移り住んだ湖水地方のエスウェイト湖畔の田舎町ソーリー村での静かな田
舎暮らしに、自分自身のハルの郊外での田園生活を重ね合わせていたのであ
ろう。そして、田舎ねずみのチミーに完全に魅了されたラーキンは、チミー
を大好きな登場人物だと言っているが、その言葉の裏には都会暮らしが合わ
ない自分の性格や生き方がチミーのものに似ているのだという思いがあった
のであろう。この手紙の冒頭で、ラーキンが『まちねずみジョニ―のおはな
し』から引用した、「ええ、ええ、それはごもっともです。皆さん本当に親
切にしてくれました。でも私は体の具合が悪いのです。」という言葉は、田
舎ねずみのチミーが、まちねずみジョニーたちにもてなされたことに対して、
素直にお礼を言いながら、自分が病気になってしまったことを述べた時のも
のである。町の食べ物も自分には合わず、夜も物音が聞こえて眠れないチミー
は、早く田舎の陽のあたる土手の中の巣に帰りたいと願っている。ここでラー
キンは、田舎ねずみのチミーの中にハルの田舎暮らしに慣れた自分に似たも
のを感じて、彼の心境に共感しているのであろう。そして、オックスフォー
ド時代からの親友、キングズリー・エイミスやブルース・モンゴメリーとの
付き合い方に関しても、主人公チミーの言葉を参考にしてみようと思うほど、
ラーキンはポターの作品から多くを学ぼうとしている。
当時ベルファストのクィーンズ・コレッジの図書館に勤めていたラーキン
26
の恋人の一人であった、パッツィ・ストラングが、ポターの作品の動物たち
が擬人化されていることや、ラーキンがポターの動物以外の動物は好きでは
ないことを非難しても、彼のポターの動物たち、特にウサギに対する愛情は
決して変わることはなかった。大人となった自分が子供時代と同じようにウ
サギを溺愛していることを恥ずかしく思う気持ちをラーキンはモニカに告白
している。そして「もちろんポターを読むのを止めるつもりはない」と、自らのポターへの愛情を強調している。自分は弱い人間なのだから自分の無能
さをあまり真剣に考えないようにしているという、ラーキンの考え方にはウ
サギのようにあまり上手に自分自身を守ることが出来ない、人に攻撃されて
も強くやり返すことが苦手な彼自身の性格が反映されているのであろう。
このようなポター作品やピーターラビットに対する強い愛情は、手紙の文
面のみならず、ラーキンが手紙の中に描いた多くのウサギのイラスト、そし
てポターのウサギに似せて書いた擬人化されたウサギのイラストにも表れて
いる。1951年 6 月 7 日付の手紙でも、モニカが台所で夕食を用意している姿
を、ポターの作品をまねて、ウサギがエプロンをしてフライパンで料理をし
ている風に描いている。
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また、1954年のクリスマスには、短いクリスマスの詩とメッセージをウサ
ギのイラストと共に心を込めてモニカに送っている。
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クリスマス
その日はいかなる罠もかけられず、いかなる鉄砲もない、
犬たちは吠えることはない。
どんな年寄りや、どんな若者でさえも
暗くなるまでには飛び出す。
でも、どうしてそんな休息の時が毎年めぐって来るのか
誰にも分からない。
まるでその日には、強力なウサギの集団が
地面の上にかすかに姿を見せるように。
詩と
贈り物を、
すべての愛を込めて、
フィリップから
モニカへ
1954年の
クリスマスに。
このクリスマスの日は、ウサギたちにとっても、自分たちの命を脅かすよう
な罠や鉄砲の心配もなく、外に飛び出して自由に遊べる静かな休息の時なの
であろう。クリスマスカードに描かれたようなラーキンのイラストの下の方
では、巣穴から飛び出して来たウサギたちが元気に飛び跳ねている。まるで
自分たちがイラストのウサギのように元気良く一緒に飛び跳ねているような
気分で、ラーキンはウサギを愛する者同士としてのモニカへ自らの愛を素直
29
に伝えている。
そして、晩年の1970年 4 月 6 日付の手紙でも、ラーキンは衰えることのな
いポター作品への熱愛を打ち明けている。
・・・『グロースターの仕立屋』のオリジナル版をずっと読んでいる。・・・
後の版がいかに素晴らしいかがほんとに分かる。大粒の涙が顔から流れ
落ちた。完璧な芸術作品だ、そのためなら、すべてのプルースト――ジョ
イス――マンを犠牲にしても良い・・・
『グロースターの仕立屋』は、『ピーターラビットのおはなし』の翌年に出版
されたポターの初期の代表作の一つで、彼女が最も好きな作品だと公言して
いた作品である。内容は、グリム童話の「小人の靴屋」に良く似ており、貧
しい靴屋を仕立屋に、恩返しをする小人をハツカネズミなどに置き換えてい
るようである。グロースターの町に住む貧しい仕立屋が、クリスマスの朝の
結婚式に着る上着とチョッキの注文を市長から受ける。飼い猫のシンプキン
に食料と穴糸を買いに行かせている間に、シンプキンがティーカップの下に
閉じ込めておいたネズミたちを逃がしてやる。これに怒ったシンプキンが穴
糸を隠したため、仕立屋は病気で三日間寝込んでしまい、服の完成が遅れて
しまう。しかし、クリスマスの朝に店に戻った仕立屋は、穴糸が足りなかっ
たために仕上げることのできなかった服が、ひとつのボタンの穴を残して見
事に完成して仕立台の上に置かれているのを見て驚くのである。そして、こ
の出来事から仕立屋は運が開けて体も丈夫になり、裕福になっていったの
だった。
仕立屋は、実際にネズミたちの作業を目にすることはなかったので、誰が
上着を完成してくれたのかは分からないのであるが、猫のシンプキンは、彼
らが作業する姿を目にしていたのだ。いわゆるネズミの恩返しというこの話
は、仕立屋が助けてあげたネズミたちに助けられるという素朴な物語ではあ
るが、ラーキンにとっても感謝の心を忘れないネズミたちは、愛すべき生き
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物であったのであろう。プルースト、ジョイス、トーマス・マンを犠牲にし
てもこの作品を選ぶという所は、多少大げさではあるが、彼にとっては、ポ
ターの作品は、子供のみならず大人が読んでも涙を流すほど人の心を惹き付
ける不思議な魔法のような力を秘めているのであろう。
ポターの作品は主に子供のために書かれたものと思われがちである。第一
作の『ピーターラビットのおはなし』にしても、お母さんの言うことを聞か
ずにマグレガーさんの畑に行くと、お父さんと同じようにパイにされてしま
うのですよという、非常に分かりやすい教訓を子供たちに伝える絵本となっ
ている。そして、第二作の『りすのナトキンのおはなし』でも、島の主であ
るブラウン さんに、木の実を取る許可を得るための贈り物を持って行かず
に、終始反抗して さんをからかったり、苛々させてばかりいるナトキンが、
最後にはブラウン さんの怒りを買い、尻尾を半分失ってしまい、ピーター
と同じように酷い目に会うのである。しかし一方で、ポターの作品には、ヴィ
クトリア朝のイギリス社会に深く横たわる階級構造や職階制の問題が暗示さ
れており、『りすのナトキンのおはなし』においても、ブラウン さんは19
世紀の地主を、ナトキンは当時の労働者階級を表しているのだと言われてい
る。
このような意味からすると、単純に子供のための無邪気で素朴なおとぎ話
のような印象を持たれていたポターの作品には、極めて社会的な大人への
メッセージも込められていたとも言える。恐らく、ラーキンもポターの作品
には、子供だけでなく大人にも訴えかけるいつの時代も変わることのない普
遍的な真実や魅力が潜んでいると感じたのであろう。
そして、ラーキンのウサギへの愛情は晩年になっても止むことはなく、
1983年 3 月 1 日付のモニカへの非常に短い手紙でも、ラーキンは、テレビで
スヌーカーを見ている自らの後ろ姿をウサギに戯画化しながら、その独特な
愛らしいイラストを添えている。
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1983年 3 月1日
ハルにて
最愛の人へ
今夜ベッチマンをうまくスタートさせたよ、
やれやれだ。 1ページ半だ。今メオとリアダンを
見ているところだよ。いつかケーブル・テレビを
引いたら、多分スヌーカーのチャンネルもあるだ
ろうし、君も 1日中見られるよ・・・
オックスフォードのオール・ソウルズ・コレッジの名前入りの便せんに書き
込まれた手紙で、内容は、1983年 3 月13日付の『オヴザーヴァ』紙に掲載さ
れたジョン・ベッチマンに関する本についての自らの書評と、テレビでのス
ヌーカーの試合について触れたメモに近いものである。1980年代のスヌー
カーのスター選手であったイングランドの若手、トニー・メオと、ウェール
ズの伝説のプレーヤーで、2011年にスヌーカーの殿堂入りを果たしたドラ
キュラというあだ名の、レイ・リアダンの試合を酒を飲みながら夢中になっ
ているラーキンの極めてくつろいだ姿は、ハルの隠者という厳めしい、堅苦
しいものとは違って、ラーキンの知られざる別の一面を写し出している。ビ
アトリクス・ポターの生み出したピーターラビットの愛くるしいイメージは、
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ラーキンにとっては日常生活の様々な場面でほっとするような癒やしを与え
てくれる、身近なものであったことがこのイラストからも想像できる。
1985年にラーキンが亡くなった後もハルのニューランド・パークのラーキ
ンの家に住み続けていたモニカが2002年 2 月に亡くなった時、この家はラー
キンの姪のローズマリー・パリーに遺されたのだった。彼女が家を売りに出
すと、ハル出身の女性実業家ミリアム・ポータ-が購入し、かつてラーキン
が住んでいた家は、ラーキンとモニカの持ち物や関係するものも含めてすべ
てが取り払われることになった。『タイムズ』紙のアン・トレネマンは、こ
の家が新しい所有者に引き渡される前に中を見て、その時に目にした家の中
の様子を「醜い小さな家」という題名の記事(2002年 2 月13日付)で詳細に
レポートしている。
モニカは、ラーキンの亡き後、15年以上もこの大きな家に住み、そして、
家の中の多くをラーキンが亡くなった時のままにしておいたのだった。彼女
が病気であったということも家の中の物がそのままであった理由の一つと考
えられるが、トレネマンは、この家の中に入って目に付いた様々なラーキン
の持ち物について細かく書いているが、それ以外にも主な物を 4点写真付き
で説明している。トイレのタンクの上に掛けられたテッド・ヒューズが講演
している写真、父親のシドニーが傾倒していたヒトラーの小さな彫像、ポル
ノを収めていたと思われるファイル、そして、次のようなビアトリクス・ポ
ターの磁器のウサギの置物であった。
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ポターのキャラクターには多くの様々な動物や生き物がいるが、その中でも
ラーキンは特に、ピーターラビットを中心としたウサギの彫像が好きなよう
であった。「ラーキンはウサギを愛していた。彼とモニカは、お互いのため
に『艶めかしいウサギ語』を考案していた」(7)と彼女は書いているが、モニ
カと同様ラーキンにとってもウサギは、生涯にわたって愛すべき極めて大切
な生き物であったのだろう。
ハル大学の教授であったジョン・ケニョンは、在職中ラーキンと親しく交
際していて、お互いの家を訪問し合う中であったが、1987年にケニョン教授
が書いたその頃のラーキンについての思い出をトレネマンは、記事の中で引
用している。
・・・彼は私の妻ととても気が合っていて、ある折、私たちはピアソ
ン・パークの彼の高い所にある部屋に入り込みさえしたが、そこで、彼
と私の妻はビアトリクス・ポターの作品に共通の興味を持っていること
が分かったのです。私は、ジェリー・ロール・モートンを 2, 3曲聞け
ると願っていたのだけれども、その代わりに、ピーターラビットのとて
も御茶目なレコードと思われるものを聞かねばならなかった。(8)
ケニョン教授が、ジャズが大好きでジャズの評論まで書いていたラーキンの
ことを思って、クラシック・ジャズの名ピアニストであり、作曲家であった
ジェリー・ロール・モートンのレコードを聞けると期待するのも尤もなこと
である。しかしその期待に反して、ピーターラビットのレコードをかけて教
授夫妻をもてなしたという、ラーキンの御茶目な一面は、あまりラーキンの
作品には反映されることはないが、この逸話は、彼の死後ラーキンの家に残
されていたポターのウサギの彫像と同様に、ラーキンのビアトリクス・ポター
の動物たち、特にピーターラビットを代表とするウサギに対する並々ならぬ
愛着を示すものであろう。
『フィリップ・ラーキン:モニカへの書簡集』に記された、ラーキンのピー
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ターラビットのシリーズや、作者ビアトリクス・ポターへの強い愛着は、こ
の書簡集が出版されるまではこれほど明らかにされることはなかった。その
理由の一つには、ラーキンの作品にはピーターラビットのようなおとぎ話や
魔女や魔法使いなどが登場するものが少なかったということがあげられる。
ラーキンが、「理性主義」、「リアリズム」、そして「経験主義」を拠り所とし
た、ムーヴメント派の一員であったということを考えれば、それは自然な成
り行きであろう。そして、批評家にとっても、ラーキンとポターやピーター
ラビットとの関わりを論じることはそれほど意義のあることとは思われな
かったのであろう。しかし、今後この書簡集を契機として、ラーキンとビア
トリクス・ポターやピーターラビットとの関わり、そして、ラーキンとモニ
カがお互いに使った秘密の「ウサギ語」などについての更なる解明が進むこ
とであろう。
注
使用テクストは、Selected Letters of Philip Larkin 1940-1985, ed. Anthony Thwaite (Faber and Faber, 1992)とPhilip Larkin: Letters to Monica, ed. Anthony Thwaite (Faber and Faber & Bodleian Library, 2010)に拠る。1. Jonathan Bate,‘Philip Larkin : Letters to Monica ed by Anthony
Thwaite: review’,telegraph,17 Oct 2010, http://www.telegraph.co.uk/culture/books/philip-larkin/8062118/Philip-Larkin-Letters-to-Monica-ed-by-Anthony-Thwaite-review.html.
2. Ibid.3. Adam Mars-Jones, ‘Letters to Monica by Philip Larkin; edited by
Anthony Thwaite-review’,The Observer, Sunday 17 October 2010, http://www.theguardian.com/books/2010/oct/17/philip-larkin-letters-monica-jones-review.
4. Ibid.5. Nicolas Lezard,‘Letters to Monica by Philip Larkin-review’, The
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Guardian, Thursday 4 August 2011, http://www.theguardian.com/books/2011/aug/04/letters-monica-philip-larkin-review.
6. Jonathan Bate, op.cit.7. Ann Treneman,‘An ugly little house’,The Times, Wednesday February
13 2002, p.4.8. Ibid.
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