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2014 年度 上智大学経済学部経営学科 網倉ゼミナール 卒業論文 タッチ・ミー・イフ・ユー・キャン タッチスクリーンから見る両立可能性とイノベーションの普及阻害 A1142589 LI KUANGCHUN LI 提出日:2014 1 15

タッチ・ミー・イフ・ユー・キャンpweb.sophia.ac.jp/amikura/thesis/2014/li.pdf2014 年度 上智大学経済学部経営学科 網倉ゼミナール 卒業論文 タッチ・ミー・イフ・ユー・キャン

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  • 2014年度 上智大学経済学部経営学科 網倉ゼミナール

    卒業論文

    タッチ・ミー・イフ・ユー・キャン タッチスクリーンから見る両立可能性とイノベーションの普及阻害

    A1142589

    LI KUANGCHUN LI

    提出日:2014年 1月 15日

  • 1

    【まえがき】

    任天堂は、2004年 12月より「ニンテンドーDS」(後続機を含み、以下 DSシリーズ)で

    タッチスクリーンというユーザーインターフェース①(User Interface;以下UI)でゲームマ

    ーケットに新たな価値提案を試みた。DSシリーズ自体は人気を博し、販売台数の伸びも著

    しいものの、タッチスクリーンというUIイノベーションは普及しているとは言い難い状況

    にある。任天堂の DSシリーズを使っているユーザーを観察すると、タッチペンを使う人よ

    りも、従来からの十字ボタンを使っている人の割合の方が高いように感じられる。これは、

    スマートフォンで「スワイプ」したり「フリック」したりする光景を目にすること自体がも

    はや日常生活の一部となりつつあるのと好対照をなしている。

    この現象は、DSシリーズがユーザーに長らく慣れ親しまれてきた従来の十字ボタンとタ

    ッチスクリーンを同時に搭載したことに由来すると考えられる。両立可能性が高いがゆえ

    に、相対的優位性が低くなったのである。その理由は 2つ挙げられる。1つ目は、潜在的採

    用者が無意識のうちに過去の体験から形成された既存の習慣と価値観と比較しなくなるた

    め、タッチスクリーンによって知覚される相対的優位性の度合いが低くなることである。2

    つ目の理由は、ゲームソフトの開発側が生産性の向上を図ろうと蓄積してきたノウハウを

    活用するため、新奇性のあるゲームソフトが少なくなるという現象にもたされた相対的優

    位性の低下である。その結果、市場に新たな価値提案をしたにもかかわらず、顧客価値と結

    びつけることができなかったため、タッチスクリーンという UIイノベーションの普及を阻

    害してしまったというのがこの論文の仮説である。

    ① ユーザーインターフェースには、入力装置と出力装置が含まれている。この論文では、

    括弧での補足説明がない限り、UIは入力装置としてのUIを指す。

  • 2

    【目次】

    まえがき………………………………………………………………………………………….1

    第 1章 問題提起と論証のアプローチ……………………………………………………….3

    1.1問題提起

    1.2 論証のアプローチ

    第 2章 本論…………………………………………………………………………………….5

    2.1 イノベーションの採用

    2.2 2つの状況と 2つの採用

    2.3 タッチスクリーンの両立可能性

    2.4 両立可能性とイノベーションの普及阻害

    2.5 「ゲーム」の構成要素

    2.6 UIとソフトウェアの関連性

    2.7 ソフトウェアが先か?UIが先か?

    2.8 ソフトウェア先行型UI開発の問題点

    2.9 UIと顧客価値

    2.10 ソフトウェアの顧客価値

    2.11 ゲームソフト産業のジレンマ

    第 3章 結論…………………………………………………………………………………….12

    あとがき………………………………………………………………………………………….13

    付録……………………………………………………………………………………………….14

    引用文献と参考文献…………………………………………………………………………….15

  • 3

    第 1 章 問題提起と論証のアプローチ

    1.1問題提起

    ゲームの UI は、1982 年にゲーム&ウオッチで装備された十字ボタンが長らく業界標準

    とされてきた。それ以前の家庭用ゲーム機と業務用ゲーム機のUIをも含むと、ゲームユー

    ザーは 30年以上に渡って、「左手で方向操縦、右手で方向以外の動作や決定」という操作方

    法に慣れ親しんできた。任天堂は、2004 年 12 月より発売した DS シリーズにタッチスク

    リーンを搭載した。ゲームユーザーは従来の十字ボタン式の操作方法に加えて、「タッチペ

    ン」でゲームを操作することもできるようになった。ゲームの操作性が向上したように思え

    るものの、DS シリーズにおいて、タッチスクリーンという UI イノベーションは普及して

    いるとは言い難い状況である。タッチスクリーンを利用した UIで新たな顧客価値を提案し

    たにもかかわらず、片方は受けられず、他方は急速に普及したのはなぜだろうか。言い換え

    れば、タッチスクリーンという UIイノベーションがスマートフォンでは採用されたのに対

    して、DSシリーズのタッチスクリーンはなぜ採用されなかったのか。

    任天堂などのゲーム企業は新しい UI でないと味わえないベネフィットを提示すること

    で、イノベーションの普及と採用を促すことを意図していたと考えられる。だが、その結果

    は必ずしもゲーム企業が望んでいる通りになるとは限らなかった。こうした現象を説明す

    るためには、UI イノベーションを採用するかどうかに関するユーザーの意思決定がどのよ

    うに行われているのかについて掘り下げてみなければならない。

    1.2 論証のアプローチ

    エベレット・ロジャーズ(Everett M. Rogers)は『イノベーションの普及』(Diffusion of

    Innovations)で 5つのイノベーションの知覚属性を挙げ、イノベーションを採用するかど

    うかに関するユーザーの意思決定とイノベーションの普及速度について議論している。DS

    シリーズとスマートフォンのタッチスクリーンの普及の違いを比較するときに、複雑性が

    DSシリーズでの採用を postpone(延期)させているとは考えにくいだろう。なぜならば、

    「ゲーム機ユーザー」にとってタッチスクリーンの複雑性は「スマートフォンユーザー」が

    知覚する複雑性より低いのであろう。また、観察可能性に関して、確かに、DSシリーズの

    それは、その個々人が持つ社会的ネットワーク、そして社会システムによって大きく異なる。

    スマートフォンと比べる DS シリーズなどのゲーム機がほかの人の目に触れる機会も明ら

    かに少ない。相対的に比較すると、DSシリーズの観察可能性は低い。しかしながら、タッ

    チスクリーンという UI は DS シリーズのユーザーの間でも普及しなかった。したがって、

    複雑性と観察可能性だけで、前述の現象を説明するには不十分だ。

  • 4

    DSシリーズにおいて、十字ボタンとタッチスクリーンを同時に搭載したことが、タッ

    チスクリーンというUIのイノベーションの普及を阻害してしまったと考えられる。つまり、

    両立可能性が高いがゆえに、ユーザーが知覚する相対的優位性と顧客価値が低下し、イノベ

    ーションの拒絶が発生したと考えられる。この論文では、「両立可能性」と「相対的優位性」

    との 2つの観点にして、仮説の論証をユーザー側とゲームソフト側と、2つの異なる角度か

    らアプローチする。

  • 5

    第 2 章 本論

    2.1 イノベーションの採用

    「イノベーション決定過程は本来的に情報探索ならびに情報処理活動であって、その際

    に人はイノベーションの優劣に関わる不確実性を減少させようとする。」(ロジャーズ p.89)

    また、「イノベーションの結果につきまとう不確実性に対処する一つの方法は、実際に使っ

    てみることである。多くの人たちはイノベーションを試しに使用してみて、自身の置かれた

    状況で役に立つかどうか確信を持てるまでは採用を決定しない。」(ロジャーズ p.95)

    言い換えれば、イノベーションを採用するかどうかという意思決定を行うにあたって、結

    果の不確実性を減少させためには、試行可能であるかどうかが重要である。そして、そのイ

    ノベーションを経験してみてから、現在抱えている問題を解決できるのか、ベネフィットが

    あるのかを、相対的優位性や両立可能性などの知覚属性の観点から意思決定に至るのであ

    る。「相対的優位性とは、新たに登場したイノベーションが、既存のイノベーションよりも

    よいものであると知覚される度合いのことである。」(ロジャーズ p.164)また、「両立可能

    性とは、イノベーションが既存の価値観、過去の体験、そして潜在的採用者のニーズと相反

    しないと知覚される度合いのことである。」(ロジャーズ p.178)

    2.2 2つの状況と 2つの採用

    ここで、まずは前述の「置かれた状況」を「回避可能な状況」と「回避不可能な状況」の

    2 種類に分類して考える必要があるのだろう。ビデオゲームを遊ぶかどうかという状況は

    「回避可能な状況」である。一方、既にスマートフォンとゲーム機を採用してからの使用に

    おいて、「入力すること」、「操作すること」は「回避不可能な状況」なのである。「回避可能

    な状況」について考察するのは無味乾燥かもしれない。なぜならば、回避してしまえば、そ

    れまでの話だからだ。たとえば、ビデオゲームを遊ぶかどうかという状況は、遊ばないとい

    う選択肢が残されている。しかし、既にスマートフォンとゲーム機を採用したならば、「入

    力すること」、「操作すること」は、「避けては通れぬ道」である②。ゆえに、イノベーション

    の採用に関する意思決定の考察の重点を「回避不可能な状況」に置く。

    ロジャーズは「一つの新しいアイデアの採用が、他のアイデアを採用する引き金になるこ

    とがある」と述べている。(ロジャーズ p.188)このような採用を「積極的な採用」だと定

    義するならば、「回避不可能な状況」においての採用は「消極的な採用」であろう。「回避不

    ② スマートフォンやゲーム機を「捨てる」という選択肢も確かに考えられる。恐らく「積

    極的な拒絶」(ロジャーズ 96)の例である。

  • 6

    可能な状況」においての「消極的な採用」に至るまでの意思決定の過程を知覚属性の観点か

    ら論じる余地はないだろう。たとえば、スマートフォンのタッチスクリーンというUIの知

    覚属性と、それまでの携帯電話機の UIの知覚属性との比較結果はどうであれ、ユーザーは

    タッチスクリーンを採用するしかない。なぜならば、スマートフォンではデフォルトでタッ

    チスクリーンという UIしか用意されていないからである。スマートフォンというイノベー

    ションを採用したならば、タッチスクリーンという UIをも採用しなければならない。それ

    に対して、DSシリーズでは、タッチスクリーン以外に、従来の十字ボタンも装備されてい

    る。ユーザーはタッチスクリーンと十字ボタンの間で採用の意思決定を行えるのである。

    2.3 タッチスクリーンの両立可能性

    タッチスクリーンと十字ボタンの両立可能性は高いかどうかは、一概に断言できない。イ

    ノベーションが既存の価値観と過去の体験に相反するかどうかと知覚される度合いは、多

    くの場合、個々の潜在的採用者がそれぞれ持っている価値観と過去の体験に左右され、主観

    的だからだ。たとえば、パソコンでマウスを使ってきたユーザーにとって、タッチスクリー

    ンはあくまでも今までマウスパッドの上にマウスで執行したアクションを指で行えるよう

    に変更したイノベーションだと感じるかもしれない。パソコンユーザーの中でも、タッチス

    クリーンがタッチパッドのユーザーとそうでないユーザーによって知覚される両立可能性

    の度合いも異なるだろう。

    だが、DSシリーズのゲーム機を一つの技術クラスターで見た場合、タッチスクリーンと

    十字ボタンを両方とも備えている DSシリーズは、ほかのゲーム機との両立可能性は高いの

    であろう。DSシリーズは従来の十字ボタンとタッチスクリーンが両方とも装備されている

    ため、どのような UI体験を持つユーザーにとっても操作しやすいのである。言わば、タッ

    チスクリーンという新たな UIを追加することによって、または、十字ボタンという従来の

    UIを残したことによって、両立可能性を高めたのだ。

    2.4 両立可能性とイノベーションの普及阻害

    しかし、両立可能性が高いがゆえに、かえってタッチスクリーンの普及を阻害してしまっ

    たと考えられる。その理由は 2つ挙げられる。1つ目の理由は、ユーザーに知覚される相対

    的優位性が両立可能性の増加によって低下したことだ。そして 2 つ目の理由は、ゲームソ

    フトの開発側の『開発生産性のディレンマ』(生稲史彦 2012)に起因すると推測できる。

    「新しいアイデアは既存の習慣と比較するなかで評価される」(ロジャーズ p.188)ので、

    潜在的採用者は新しいイノベーションの採用に対する意思決定を行うために、既存の価値

  • 7

    観と過去の経験を参照することになる。新しいアイデアをどのように評価するのであれ、両

    立可能性が低い場合、新しいアイデアと既存の習慣の間に存在しているギャップはより鮮

    明であるはずだ。つまり、新たに登場したイノベーションが既存のイノベーションよりも優

    れているかどうかはともかく、潜在的採用者が知覚する度合いは高くなるはずである。逆に、

    両立可能性が高いと、潜在的採用者は無意識のうちに新しいイノベーションを過去の体験

    から形成された既存の習慣と価値観と比較しなくなる可能性が考えられる。その結果、新し

    いイノベーションが潜在的採用者によって知覚される相対的優位性が低下するだろう。

    DS シリーズは従来の十字ボタンとタッチスクリーンが両方とも装備されているため、

    ユーザーは今までの体験と価値観を参照して、比較する必要性も、比較によって知覚する相

    対優位性も低くなる。また、タッチペンを採用するかどうかという意思決定を行う必要性も

    低いだろう。DS シリーズでユーザーがタッチスクリーンという UI を採用するかどうかと

    いう意思決定もさほど重要ではない。なぜならば、タッチペンを採用しなくても、DSシリ

    ーズのゲームを遊べるからだ。言い換えれば、DS シリーズの UI に限ってみれば、ユーザ

    ーの顧客ニーズがUIの本質的サービスに一致しているからである。つまり、タッチスクリ

    ーンという UIを採用するかどうかという意思決定の結果にかかわらず、ユーザーが知覚す

    る顧客価値は変化しないだろう。ゆえに、本来タッチスクリーンによって知覚されるはずで

    あろう相対的優位性の度合いは、タッチスクリーンと十字ボタンが同時に搭載されている

    ことで低下したと推測できる。

    2.5 「ゲーム」の構成要素

    UIの本質的サービスは、「操作すること」、「入力すること」にほかならない。DSシリー

    ズに限らず、ゲーム機のUIは「ゲームソフトを操作すること」という顧客ニーズを満たし

    ている。しかし、ゲームユーザーは「ゲームソフトを操作すること」ができれば、満足する

    わけではない。「ゲーム」という商品が提供している顧客価値とユーザーが求めている顧客

    満足を考察するにあたって、「ゲーム」を「ハードウェア・ソフトウェア・UI」で構成され

    るサービスの束だと捉える必要がある。ここからは、この 3 つの構成要素の密接性と顧客

    価値の実現の関連性について検討したい。

    ゲームという商品の顧客価値の実現はハードウェア・ソフトウェア・UIという 3つの要

    素③が相互に密接に関連している。ゲームのコンセプト、アイデアといった抽象的な無形サ

    ③ インターフェースは UIのほかに、ハードウェアの間に存在するハードウェアインター

    フェースとソフトウェアの間に通信を行う手段としてのソフトウェアインタフェースがあ

    る。ここでは、ゲームという商品の顧客価値の実現に着目しているため、UIのみを取り上

    げている。

  • 8

    ービスはソフトウェアによって可視化される。ユーザーは UI(入力装置)を介してソフト

    ウェアを操作する。そのソースコードはハードウェアによって執行される。そしてその結果

    もまた UI(出力装置)を介してユーザーに提示される。

    2.6 UIとソフトウェアの関連性

    ゲームソフトの開発において、これらの要素が相互に影響を与えながら、相互に制限しあ

    う場合もある。たとえばグラフック機能はゲーム機のハードウェア性能によって制限され

    る。また、UI の設計と操作性によって、適しているゲームのジャンルも変わってくる。た

    とえば、レーシングゲームでは、十字ボタンやスマートフォンの「スワイプ」よりは、ハン

    ドルタイプのほうがよりリアリティーをもたらす。多くのアクションゲームと RPGは十字

    ボタンやジョイスティックのほうの操作性が高い。一方、麻雀、将棋、カードゲームやパズ

    ルゲームなどは、十字ボタンで一単位ずつ動かすよりは、タッチスクリーンで「スワイプ」

    したり、「タップ」したりしたほうが操作しやすいだろう。このように、ゲームソフトの開

    発はUIの設計と操作性に制限される部分が多い。

    2.7 ソフトウェアが先か?UIが先か?

    ゲーム産業では、ソフトウェアの開発が先なのか、それとも UIの開発が先に行われるの

    か。殆どの場合、UI を含むゲーム機の設計と開発が先に行われ、それに合わせてゲームソ

    フトの開発が行われるのである。「ゲーム&ウオッチを含むマイコンを使用したゲーム玩具

    の開発の特徴は、いわゆるハードと呼ばれる部分、マイコン、インターフェース、表示装置、

    ハウジングが出来上がると、後はキャラクターデザインを含むゲーム内容の開発が中心と

    なる。」(ファミコンとその時代 p.88)

    2.8 ソフトウェア先行型 UI開発の問題点

    確かに、ゲームソフトに合わせてUIを開発する例もある④。アルファ電子株式会社(現・

    株式会社エーディーケイ)は 1981 年 5 月に、「ジャンピューター」というアーケード向け

    の麻雀ゲームを発売した。ジャンピューターには 2つの特徴がある。1つ目は、後に「マー

    ジャンパネル」と呼ばれる麻雀ゲームの専用コントローラーを初めて採用したゲームであ

    ④ 「ジャンピューター」の例では、ゲームソフトウェアとコントロールパネルが一体化し

    たアーケードゲームとして同時に発売されている。どちらの設計と開発が先行しているか

    を示す資料を見つけることができなかった。しかし、いずれも「初」であることと、「同

    時」に発売されていることを踏まえると、ゲームソフトに合わせてUIを開発する例とし

    て挙げるのは適切だと考える。

  • 9

    ること。そして 2つ目は、このゲームが実質上、初の麻雀ゲーム⑤であること。だが、ゲー

    ムソフトに合わせて開発したUIには、多くの場合、汎用性が低いという課題が横たわって

    いると考えられる。

    ジャンピューターの麻雀ゲームの専用コントローラーがその一例である。この専用コン

    トローラーにはそれぞれの麻雀牌にボタンが振り分けられていると共に、チー、ポン、ガン、

    リーチ、ロン等、麻雀を打つ上で必要な操作もボタンで全て振り分けられている。後に「マ

    ージャンパネル」と呼ばれるこのUIの仕様は、現在でも様々な麻雀ゲームに採用されてい

    るが、麻雀ゲーム以外に採用されることは全くない。

    一般的に UI の設計と開発はゲームソフトウェアより先行していると既に述べた。UI の

    設計が先行している過程で開発されたUIの汎用性が高いと推測できる。そして、ゲームソ

    フトウェアに合わせて設計および開発された UI の汎用性は低いのであろう。なぜならば、

    ゲームソフト開発者が様々なジャンルのゲームの開発をできるように、UI が設計と開発さ

    れるはずであるからだ。このような前提において、新たなUIを設計と開発する必要性が表

    れるのは、特定のジャンルのゲーム性とコンセプトをより実現したい場合だと考えられる。

    ゆえに、UI の設計と操作性によってゲーム性とコンセプトの実現が制限されたジャンルの

    ために設計されたUIもまたそのジャンルに制限されることになる。

    2.9 UIと顧客価値

    ゲーム性とコンセプトの実現可能性は UI の設計と操作性に制限されることが多いなら

    ば、「ゲーム」という商品が提供しようとする顧客価値は UI によって実現されると推測す

    るのは妥当だろうか。確かに、UI の設計と操作性によって実現される顧客価値もある。十

    字ボタンは、1982 年にゲーム&ウオッチの「ドンキーコング」で装備されて以来、長らく

    業界標準とされてきたのは、設計と操作性が顧客ニーズと一致しているためだと考えられ

    る。

    (以下引用)いろいろやっているうちに、十字型のキーだったら、手元を見なくても、指

    の触感でどっちの方向に入っているかというのがわかる。原理は押しボタン四つと同じこ

    となんですけど、十字キーの場合上を押せば、下が浮き上がるでしょう。これが大切なんで

    すね。触感だけで押している方向がわかる。(引用ここまで)(横井軍平ゲーム館 p111)

    ドンキーコングはそれまでのゲーム&ウオッチと違い、マルチスクリーンという二つの画

    ⑤ それまでには「麻雀」を題材としたゲームは 2タイトルあったが、麻雀本来の内容では

    ないため、ジャンピューターが初の麻雀ゲームだとされる。

  • 10

    面を搭載している⑥。コントローラーを見なくても十分に操作できるような UI 設計が必要

    であった。その顧客価値を実現したのが十字ボタンである。その後、1983 年に発売された

    ファミリコンピューター(以下 FC)でもそのような必要性があった。「ゲーム&ウオッチの

    ように表示装置をもっておらず、離れたところにあるテレビ受信機を表示装置として使用

    している。したがって、ユーザーがコントローラーを見なくても移動方向などが決定できる

    コントローラーでなければならない。」(ファミコンとその時代 p104)十字ボタンの設計と

    操作性がその後のゲーム機のイノベーションによって発生した顧客ニーズと一致している

    ため、FC を皮切りに据え置き型ゲーム機に十字架ボタンという UI イノベーションが採用

    されてきたのである。

    しかしながら、ゲーム性とコンセプトの実現可能性はUIの設計と操作性に制限されるこ

    とが多い、そして、設計と操作性が顧客ニーズと一致しているUIイノベーションは採用さ

    れる、したがって、「ゲーム」という商品の顧客価値は UI によって実現されると、結論付

    けるのはあまりにも乱暴である。それはあくまでも、顧客価値が UIによって実現される部.

    分.があることを示しているに過ぎない。ゲームユーザーは「コントローラーの操作」そのも

    のを楽しんでいるわけでもなければ、コレクターでもない限り、コントローラーを所有する

    こと自体に顧客ニーズが満たされるわけでもないだろう。

    2.10 ソフトウェアの顧客価値

    両立可能性のところで、DSシリーズのゲーム機を一つの技術クラスターで考える必要が

    あると同様に、「ゲーム」という商品の顧客価値を考察する際に、ゲームをハードウェア・

    ソフトウェア・UI という 3 つの要素で構成された「商品」で認識する必要があるだろう。

    両立可能性が高いがゆえに、顧客価値が低下し、かえってタッチスクリーンの普及を阻害し

    てしまった 2つ目の理由は、ゲームソフトの開発側の「開発生産性のディレンマ」に起因す

    ると述べた。次節では、ゲームソフト産業で観察されるイノベーション・パターンと開発生

    産性のディレンマからアプローチし、両立可能性が顧客価値の低下をもたらす原因を検討

    したい。

    2.11 ゲームソフト産業のジレンマ

    (以下引用)開発生産性のディレンマに根ざす、開発ノウハウの蓄積と活用による製品開

    発活動の効率化と、それに整合的な「類似性を優先する戦略」は、市場・ユーザーに由来す

    る要因と共に、ゲームソフト産業のイノベーション・パターンを現出させた要因であったと

    ⑥ ゲーム&ウオッチシリーズでの初マルチスクリーンは、「ドンキーコング」より 1週間前

    に発売された「オイルパニック」である。

  • 11

    考えられる。(引用ここまで)(開発生産性のディレンマ p203)

    生稲は開発生産性の向上と製品機能の拡充が両立し難い現象を開発生産性のディレンマ

    と定義している。そしてゲームソフト産業では、「一定の期間を経るにつれて創造的イノベ

    ーション」が発生しにくくなり、代わって継承的イノベーションの発生が活発になった」と

    いうイノベーション・パターンが確認されていると述べている。

    DSシリーズでも、ゲームソフトの開発がこの「開発生産性のディレンマ」の現象に影響

    を受けている。しかし、それは単にゲームソフト産業全体にこの現象が確認されているから

    でもなければ、「類似性を優先する戦略」を採用することによって、ゲームソフトのシリー

    ズ物が多く見られるようになったからでもない。十字ボタンとタッチスクリーンを同時に

    搭載していることに起因するのである。十字ボタンとタッチスクリーンを同時に搭載する

    ことによって、ゲームソフトの開発側は十字ボタンに加えて、タッチスクリーンを利用する

    という選択肢も提供されることになる。しかし、逆に言えば、タッチスクリーンを利用しな

    いという選択肢も同時に提供されることになる。ゲームソフトの開発側はそれまでに蓄積

    しノウハウを活用しようとすればするほど、必然的に十字ボタン重視のゲームソフトを開

    発する方向に進行する。なぜならば、これまでに蓄積してきたノウハウは十字ボタン向けの

    ゲームソフトの開発経験だからだ。その結果、新奇性のゲームソフトが少なくなる。ゆえに、

    ユーザーが知覚する相対的優位性の低下とともに、顧客価値を押し下げる要因になったと

    考えられる。

  • 12

    第 3 章 結論

    DSシリーズは十字ボタンとタッチスクリーンを同時に搭載することによって、従来のゲ

    ーム機との両立可能性を高めたのである。しかし、両立可能性が高いがゆえに、相対的優位

    性が低くなった。その理由は 2つ挙げられる。1つ目は、潜在的採用者が無意識のうちに過

    去の体験から形成された既存の習慣と価値観と比較しなくなるため、タッチスクリーンに

    よって知覚される相対的優位性の度合いが低くなることである。2つ目の理由は、ゲームソ

    フトの開発側が生産性の向上を図ろうと蓄積してきたノウハウを活用するため、新奇性の

    ゲームソフトの現象にもたされた相対的優位性の低下である。その結果、市場に新たな価値

    提案をしたにもかかわらず、顧客価値と結びつけることができなかったため、タッチスクリ

    ーンという UIイノベーション普及を阻害してしまったと考えられる。

  • 13

    【あとがき】

    家庭用ゲーム機、携帯用ゲーム機、そしてアーケードゲームでは左手が方向を操縦し、右

    手がそれ以外の動作決定ボタンを押すのに対して、パソコンではカーソルキーとマウスが

    右側にある。この違いは十字ボタン派にとって、PC ゲームを遊ぶ際に克服しなければなら

    ない問題点であると共に、ゲームソフトの開発側が解決しなければならない課題でもあっ

    た。以前、ソフトウェア開発の事業を営んでいた時に、PCゲームの設計と開発を経験した

    ことがある。その時、色々な動作をキーボードとマウスにどのようにアサイン(割り当てる)

    するのかを常に考えなければならなかった。

    メインストリームとしてはキーボードの「W・A・D・S」に方向操作をアサインするタイ

    プとカーソルキーやマウスにアサインするタイプがある。前者のメリットとしては、十字ボ

    タン派がなじみやすいことであるが、方向の「押し間違い」が起こりやすいというデメリッ

    トもある。そして、「Enter」と「Space Key」または「Ctrl」のみに動作をアサインする傾

    向がある⑦ので、当然に開発側もそれによって実現できる動作が限られてしまう。一方、後

    者の場合はキーボードユーザーにとって違和感を全く与えない。また色々な動作をアルフ

    ァベットキーにアサインできる。しかし、動作の「押し間違い」も起こりやすい。いずれに

    せよ、「押し間違い」はゲームユーザーにとって「死活問題」であると考えると、十字ボタ

    ンは実にゲームユーザーにとって最高なイノベーションだといっても過言ではないだろう。

    思い出してみれば、これが今回の卒業論文のテーマを考えるようになったきっかけだっ

    たかもしれない。当時はこの現象を認識しているものの、「何故なのか」を問うこともなけ

    れば、その背後にある論理を探求することもなかった。振り返ってみれば、物事の捉え方や

    問題発見の能力などが成長したと感じるようになったため、最後に、指導教授である網倉久

    永教授へ心より感謝の気持ちと御礼を申し上げたい。今回の卒業論文の執筆にあたっての

    アドバイスもさることながら、普段からも熱心にご指導して頂いた。貴重な時間を割いて頂

    いたにもかかわらず、不出来な論文になってしまった原因は不出来な私自身に帰すもので

    あると言うまでもない。これについては、深く反省している。

    ⑦ キーボードのサイズと設計が多様であり、両手ができるだけ離れていること、そしてど

    のようなキーボードでも備えていることから考えると、必然的にこれらのキーのみを利用

    するのが最も合理的だと考えられる。動作を多くしようと、一時期「Page Up」「Page

    Down」「Home」「End」にもアサインする流行があった。しかし現在ではほとんどこのよ

    うにアサインしなくなった。恐らくノートパソコンの小型化に伴い、これらのキーがファ

    ンクションーキーにアサインされたり、ほかのキーと一緒にアサインされたり、「Fn」と

    同時に押さなければならないからだと考えられる。

  • 14

    【付録】

    手元には App Storeでの iOS版ドラゴンクエストⅤのレビューを集計し分類したデータ

    がある。面白みのないデータで、結局、論文の中で使うことはできなかったが、それなりに

    大変な作業だったので、ここに載せておく。

    期間:2014年 12月 12日から 2015年 11月 11日まで

    対象:App Storeでの iOS版ドラゴンクエストⅤのレビュー 合計 563件

    カテゴリの定義:

    ポジティブ・操作性:操作性に対するポジティブレビュー

    ポジティブ・要望:不満はないが、追加してほしい機能などについてのコメント

    ポジティブ・感想:感動した、懐かしい、などのコメント

    ネガティブ・操作性:操作性に対するネガティブブレビュー

    ネガティブ・不具合:不具合の報告

    ネガティブ・要望:改善すべき点に言及したレビュー

    その他:

    1. レビューが二つ以上のカテゴリに属する場合は、下記のように判別をする。

    ⅰ. ポジティブ>ネガティブ;

    ⅱ. 操作性>要望(不具合)>感想;

    2. 「不具合」には単に攻略できなくてゲームが進めなくなったことを不具合だと

    勘違いしているケースも含まれる。

    3. 「ネガティブ・感想」というカテゴリを設けていない理由は、「ポジティブ・感

    想」の場合、「感動した」や「懐かしい」など、個人的な感情しかないのに対し

    て、「ネガティブ・感想」の場合は、個人的な感情以外にも何かしらの要求、要

    望が一緒にコメントされているからだ⑧。

    4. 536件のレビューのうちに、上記の表に集計していないレビューが 18件ある。

    主に下記の 4種類に分類することができる。

    a. 意味を持たないネガティブレビュー。ex.クソゲー、クズエニ

    b. 他のレビューに対する批判や反論。

    c. 進捗度報告と思われるレビュー。ex.はぐれメタル仲間になったー

    d. 意味不明なレビュー。ex. ファイナルファンタジー最高におもろい

    ⑧ 「ある製品に不満がある場合は、不満を解消するために顧客自身もその原因を特定しよ

    うと努力をする。しかし満足している場合には、『自分はなぜ満足しているか』を考える

    必要はない。」(網倉・新宅 2011)がここにも伺える。

    操作性 要望 感想 操作性 不具合 要望 合計3 41 323 71 76 31 545

    ポジティブレビュー ネガティブレビュー

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    【引用文献】

    網倉久永・新宅順二郎(2011)『経営戦略入門』日本経済新聞出版社

    生稲史彦(2012)『開発生産性のディレンマ』有斐閣

    上村雅之・細井浩一・中村彰憲(2013)『ファミコンとその時代』NTT出版

    横井軍平(1997)『横井軍平ゲーム館』アスペクト

    ロジャーズ,M.エベレット(2007)『イノベーションの普及』(三藤利雄訳)翔泳社

    【参考文献】

    伊丹敬之(1980)『経営戦略の論理ーダイナミック適合と不均衡ダイナミズム』日本

    経済新聞出版社

    井上理(2009)『任天堂“驚き”を生む方程式』日本経済新聞出版社

    延岡健太郎(2006)『MOT技術経営入門』日本経済新聞出版社

    牧野武文(2010)『ゲームの父・横井軍平伝ー任天堂の DNAを創造した男』角川書

    山崎功(2013)『携帯型ゲーム機コンプリートガイド』主婦の友インフォス情報社

    山崎功(2014)『家庭用ゲーム機コンプリートガイド』主婦の友インフォス情報社

    横井軍平(著)・影山祐樹(編)(2012)『枯れた技術の水平思考とは何か』Pヴァイ

    ン・ブックス

    渡辺修司・中村彰憲(2014)『なぜ人はゲームにハマるのかー開発現場から得たゲー

    ム性の本質』SB クリエイティブ