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34 1. はじめに 筆者はこれまで、教育現場に新しい手法や テクノロジーを導入することにより教育実践 を改善する研究を行ってきた。これと並行し て 2007 年から東京大学におけるオープンコー スウエアのコンテンツ開発及び iTunes U の 立ち上げに関わり、2013 年 4 月から北海道 大学の教育オープン化事業に携わっている。 こうした経験を踏まえ、オープンエデュケー ションが大学に与える影響やそれがもたらす 将来像を、大学側から主体的に考える必要性 を感じるようになった。 オープンエデュケーションは、大学教育の さまざまな局面に導入されつつある。それが もたらす効果は何か、そもそもオープンエデュ ケーションは日本の大学に必要なのかという 視点から、本論では筆者なりにモデルを提示 したいと考えている。 これまでのオープンエデュケーションの海 外動向に一喜一憂する時代は終わり、すでに 現実的な対策を冷静に考えてそれを大学経営 に生かすべき時代に入っていると思われる。 2. オープンエデュケーションとは何か 2.1 オープンエデュケーションとは オープンエデュケーションとは、教育をオー プンにし、学習機会を促進する活動と言える。 さまざまな人が教育・学習に参加して学ぶだ けではなく、教える側にもなるということで もある。こうした活動が社会から非常に広い 支持を集めていて、多くの寄付財団や政府が 支援を行っている。 オープンエデュケーションの歴史は、1990 年代の e ラーニング普及まで溯ることができ る。この時期に米国で複数の大学が教育コン テンツの有料販売をおこなう WEB サイトを 立ち上げたが、いずれも結果的に頓挫して終 わっている。その理由はユーザーが集まらな かったことであり、こうした経験がコンテン ツをオープンにしていく動向につながってい ると考えられる。 その代表例が 2001 年に始まった MIT の オープンコースウエアという教育コンテンツ を大学から無償公開する活動で、これが他の 大学にも普及していった。また個人や非営利 団体がオープン教材を公開する活動もこの頃 から活発になっている。 2.2 オープンエデュケーションの特徴 ここからはオープンエデュケーションに関 わる活動について 3 つのポイントで整理して 説明していく。 学習者は通常、学ぶにあたって教科書や教 材を入手し対価を支払うこととなる。しかし インターネット上に無料の教材や教科書が存 在すれば、無料で学習することができる。こ うした無料の学習教材が提供されることが、 オープンエデュケーションの 1 つ目の特徴と 言える。 こ の 代 表 例 が Open Education Resource (OER)であるが、これはインターネット上 で公開されるあらゆる教育用素材を意味して いる。文書、画像、動画、電子教科書などさ まざまな形態があるが、共通した特徴は再利 用を促していることだ。教材とは目的や対象 に応じて作ることが必要だが、新規作成には 大変なコストがかかるので既存の教材をもと に作り直すことが効率的であり、再利用によ り教材の多様性が実現できる。再利用の際に 問題になるのが著作権だが、クリエイティブ・ オープンエデュケーション・MOOCs と大学の選択 重田 勝介 北海道大学情報基盤センター 准教授 概要:情報通信技術の発達に伴い、インターネット上で教材や教育環境を公開し学びの機会を拡大する活動「オープンエデュ ケーション」が盛んだ。OCW や OER などのインターネット上における教材の無料公開、MOOCs と呼ばれる大学レベル の教育環境をオンラインで提供する試みも活発になっている。デジタル化・オープン化が進み変化する社会において、大 学は自らの価値を高めるために何を為すべきなのか。本論ではオープンエデュケーションの可能性と課題を踏まえ、未来 の高等教育のあるべき姿について検討する。 キーワード:MOOC、オープン・エデュケーション

オープンエデュケーション・MOOCsと大学の選択 · に作り直すことが効率的であり、再利用によ り教材の多様性が実現できる。再利用の際に

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1. はじめに

筆者はこれまで、教育現場に新しい手法やテクノロジーを導入することにより教育実践を改善する研究を行ってきた。これと並行して 2007 年から東京大学におけるオープンコースウエアのコンテンツ開発及び iTunes U の立ち上げに関わり、2013 年 4 月から北海道大学の教育オープン化事業に携わっている。こうした経験を踏まえ、オープンエデュケーションが大学に与える影響やそれがもたらす将来像を、大学側から主体的に考える必要性を感じるようになった。

オープンエデュケーションは、大学教育のさまざまな局面に導入されつつある。それがもたらす効果は何か、そもそもオープンエデュケーションは日本の大学に必要なのかという視点から、本論では筆者なりにモデルを提示したいと考えている。

これまでのオープンエデュケーションの海外動向に一喜一憂する時代は終わり、すでに現実的な対策を冷静に考えてそれを大学経営に生かすべき時代に入っていると思われる。

2. オープンエデュケーションとは何か

2.1 オープンエデュケーションとは

オープンエデュケーションとは、教育をオープンにし、学習機会を促進する活動と言える。さまざまな人が教育・学習に参加して学ぶだけではなく、教える側にもなるということでもある。こうした活動が社会から非常に広い支持を集めていて、多くの寄付財団や政府が支援を行っている。

オープンエデュケーションの歴史は、1990年代の e ラーニング普及まで溯ることができ

る。この時期に米国で複数の大学が教育コンテンツの有料販売をおこなう WEB サイトを立ち上げたが、いずれも結果的に頓挫して終わっている。その理由はユーザーが集まらなかったことであり、こうした経験がコンテンツをオープンにしていく動向につながっていると考えられる。

その代表例が 2001 年に始まった MIT のオープンコースウエアという教育コンテンツを大学から無償公開する活動で、これが他の大学にも普及していった。また個人や非営利団体がオープン教材を公開する活動もこの頃から活発になっている。

2.2 オープンエデュケーションの特徴

ここからはオープンエデュケーションに関わる活動について 3 つのポイントで整理して説明していく。

学習者は通常、学ぶにあたって教科書や教材を入手し対価を支払うこととなる。しかしインターネット上に無料の教材や教科書が存在すれば、無料で学習することができる。こうした無料の学習教材が提供されることが、オープンエデュケーションの 1 つ目の特徴と言える。

この代表例が Open Education Resource(OER)であるが、これはインターネット上で公開されるあらゆる教育用素材を意味している。文書、画像、動画、電子教科書などさまざまな形態があるが、共通した特徴は再利用を促していることだ。教材とは目的や対象に応じて作ることが必要だが、新規作成には大変なコストがかかるので既存の教材をもとに作り直すことが効率的であり、再利用により教材の多様性が実現できる。再利用の際に問題になるのが著作権だが、クリエイティブ・

オープンエデュケーション・MOOCs と大学の選択

重田 勝介北海道大学情報基盤センター 准教授

概要:情報通信技術の発達に伴い、インターネット上で教材や教育環境を公開し学びの機会を拡大する活動「オープンエデュケーション」が盛んだ。OCW や OER などのインターネット上における教材の無料公開、MOOCs と呼ばれる大学レベルの教育環境をオンラインで提供する試みも活発になっている。デジタル化・オープン化が進み変化する社会において、大学は自らの価値を高めるために何を為すべきなのか。本論ではオープンエデュケーションの可能性と課題を踏まえ、未来の高等教育のあるべき姿について検討する。

キーワード:MOOC、オープン・エデュケーション

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コモンズ・ライセンス1 を利用することで、再利用が容易になっている。

こうした流れは国際的なムーブメントになっていて、2012 年に開催された UNESCOの世界 OER 議会2 では、参加各国に対してOER の作成や普及を促す宣言が出されている。

オープンエデュケーションの 2 つ目の特徴は、OER を検索するための WEB サイトの存在だ。インターネット上には多くの教材が公開されているので、学習者はどれを使うべきか迷うことがある。そのため、学習者の目標に応じて、検索したり分類されているWEB サイトがあれば、適切な教材を取得することができるようになる。

こ の 代 表 例 が オ ー プ ン コ ー ス ウ エ ア(OCW)だ。これは大学の正規講義のシラバスや、教材、講義ビデオを無償公開しているが、あくまでも教材の公開、あるいはパブリケーションであるので、大学の単位は認定されない。OCW コンソーシアム(OCWC)という組織が大学に対する普及を推進していて、日本にも JOCW がある。最近の OCWC の主要な活動として、発展途上国向けに教材の翻訳があり、こうした活動を通じて、学習者支援ばかりでなく指導者育成にも取り組んでいる。

このような WEB サイトの提供は大学ばかりでなく、iTunes U や Khan Academy などさまざまな企業や非営利団体によって大学教材や独自教材の公開が行われている。

オープンエデュケーションの 3 つ目の特徴は、オープン教材を使って共に学び合うコミュニティーを作ることだ。オープンコースウエアの WEB サイトができて、無料教材を使って学習できる環境が提供されても、自学自習は困難なことであり、これは通信教育の時代からの課題だ。これを解決するために、学習者がお互いに教え合う学習コミュニティーが考えられるようになった。

例えば OpenStudy3 はオンライン上で学び教えあう学習コミュニティーサイトだが、OCW と連携をしているので、OCW の教材

を使って一緒に学習することができる。つまり、同じ教材を使って共に学ぶことで、学習効果を高めることを狙っているのだ。

ま た、Mozilla Open Badge4 で は Digital Badge という認定証を交付する仕組みを提供している。例えば OpenStudy で OCW のあるコースを学び終えて、学習者が理解できたと思っても、それを社会的に証明する方法はない。ここで OpenStudy がコース修了を確認して Digital Badge を交付すると、学習者はそれを自らウエブサイトに載せたり、履歴書に載せたりして、自分の学習経験を示すことができるようになる。WEB サイトなどの Badge をクリックすると、どこのオープンスタディーで、どのくらいの期間、どの教材を使って学んだなど、学習履歴を示すリンクを載せることができる。こういうものを用意することで、知識や技能を示すシグナルにすることを狙っている。

2.3 オープンエデュケーションが広まる背景

オープンエデュケーションが広まる理由としては、理念的な部分と実利的な部分が共存している。理念的な部分としては、オープンエデュケーションの活動は社会貢献活動として位置付けられる。国内で教育機会が得られなかった人たちに対して教材やオンラインコミュニティーを提供することで教育格差を是正するとか、発展途上国に対する国際教育協力として、先進国側から教育の質向上や機会の拡大のため、教材などを提供するような活動だ。

また、運営資金の大きな部分を税金に依存していることもあり、大学は公共性を持っている。そうならば、大学が活動の成果物を社会に返していくことは、「知」へのアクセスの改善として理念にも沿うことになる。つまり、社会への還元を、教育コンテンツの提供としておこなうことも、1 つの発想としてあり得ることになる。

その一方で、実利的な部分も少なからず存在する。大学の教育コンテンツを、WEB 上で高校生や社会人の入学希望者、留学希望者に見せることはリクルーティング活動ともいえる。オープンコースウエアを契機として、自分の好みに合った大学を選ぶことが考えられるからだ。実際にマサチューセッツ工科大学に入学した学生の 3 割近くは MIT のオー

1 http://creativecommons.jp/licenses/2 http://www.unesco.org/new/en/communication-

and-information/resources/news-and-in-focus-articles/all-news/news/unesco_world_oer_congress_releases_2012_paris_oer_declaration/ #.Uu4gt2dWHIU

3 http://openstudy.com/ 4 http://openbadges.org/

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プンコースウエアを見ていて、それが大学を選んだ大きな動機になったという調査結果もある。

また、日本のような非英語圏の国に顕著なのだが、英語教材を見ることで、グローバルな大学の教育を見ることができるということがある。

さらに教材を無償提供することは、教育全体のコスト削減につながる。米国では教科書代の高騰があり、教科書を無償で提供するとことにより、教育コストが大幅に削減することができる。

講義の教材としてオープン教材を使うことで、授業を改善することも可能になる。その顕著な例が、反転授業だ。反転授業とは、授業と宿題の役割が「反転」するので反転授業という訳語が付いている。通常の授業では、講師が参加者に対して講義をして、そうした知識を学生は家に帰って復習をして身に着けることになっている。けれども、反転授業ではこれが逆になっていて、事前に講義ビデオなどの教材で学び知識を習得しておいて、その後、教室で知識の確認とか、ディスカッションのような知識を応用する活動を行う。そのことでドロップアウト率の低下や、知識定着の向上が狙われていて、実際に効果が上がっているという研究もある。

このような反転授業を始めるときに問題になるのが反転授業用の教材の準備だが、新規に教材をつくるのは非常に手間がかかるので、オープン教材や MOOCs を利用することで反転授業を始めやすくなるという利点がある。

2.4 大学の抱える問題

大学自体も、現在、さまざまな問題を抱えている。大学卒業者の人材ニーズは非常に増えていて、先進国でも決して十分な水準ではない。発展途上国に至っては、若年人口が爆発的に増えているので、これに対するキャンパスや教員を用意すること自体が難しい状況にある。

しかし、いわゆる「非伝統的」な学生の割合が増加している。つまり、高校卒業後にそのまま大学に入学してフルタイムの学生になるのではなく、働きながらあるいは家族を持ちながら学ぶ人たちだ。こうした学生が増えてくると、従来の大学での教授法やカリキュラムでは追い付かず、ドロップアウトが増えてしまう。実際に米国ではこれが問題になっていて、教育効果を高めるために、大学教育

を変革する手段としてオープン化を利用するアプローチもとられている。

また米国では、大学の持続性そのものに懸念が持たれている。リーマンショック以降、公立大学は補助金が削減されたため、財政が悪化し、学費が高騰している。そのため、教育コストを引き下げる必要があり、その手段として OER を使う方向性が出てきている。

2.5 社会が支えるオープンエデュケーション

こうした活動は社会から支えられている。ヒューレット財団、ゲイツ財団、セイラー財団など多くの寄付財団が、大学や非営利団体、非営利組織に投資をして、オープン教材の製作や公開を後援している。米国労働省が多額の資金を拠出して、二年制大学向けのオープン教材を制作・公開していて、そのことによりカレッジにおける教育コストを削減している。

またアジア及びアフリカで、教育機会の不足を補うということで、オープンエデュケーションが推進されている。つまり、大学は活動の媒体となっているわけだ。大学がこのようなさまざまな機関の支援を受けながら、オープン化を進めているという背景がある。

3. MOOCsの普及と大学教育の「融合」

3.1 MOOCsとは

MOOCs が普及していく過程で、大学教育との融合が始まっている。そのことにはメリットもあるが批判も多いので、論点を整理していく。

MOOCs と は、Massively Open Online Courses の略で、日本語では「大規模公開オンライン講座」という訳が定着している。これは数週間で学べる学習コースを開設しているが、OER のように教材を公開するだけではなくて、教育全体を行ってしまうのが特徴だ。1 つのコースで数万人を超える受講者を集めて、世界中の人が参加できる学習コミュニティーをつくるのも特徴だ。受講は無料であり、教育へのアクセスを高める。コースの完了者には認定証を発行するが、これは大学の単位ではないので「認定証(Certificate)」と呼ばれ、有償の場合もある。

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3.2  オープンエデュケーションの進化系としての MOOCs

MOOCs の初期には、cMOOCs というものがあった。これは 2008 年ごろにアメリカやカナダの大学教員が開設したオンライン講座で、ここで学んだ内容が「connectivism」という概念だったために、頭に「c」がついたのだった。参加者による共同的な知識構築を目指したもので、Coursera や edX のようにきっちりとした学習ポータルサイト上ではなく、ブログなどを使って交流的に学んでいくことが目指されていた。

その後、2011 年頃に大学レベルのオンライン講座をスタンフォード大学の教員が始めたもう 1 つの動きが、xMOOCs と呼ばれた。これは大学レベルの教育を大規模にオンラインで開講していくというもので、現在のMOOCs に非常に近い教育の取り組みになる。

こうして MOOCs が誕生した背景には、技術イノベーションの発達があった。WEBブラウザ上で稼働するシミュレーションソフトや YouTube によるビデオデリバリーの改善などがあったり、リッチなメディアやインタラクティブな学習ツールを簡単に提供できるネットワークインフラとソフトウエアが普及したという面も見逃せない。さらに AWSのようなスケーラビリティの高いクラウドサービスの出現が、このような大規模なオンライン講座の運営を後押ししている。

3.3 MOOCs 事例

ここから MOOCs の事例を紹介していく。(1)Coursera

Coursera は、大学講義を MOOCs として公開するプロバイダで、2012 年にスタンフォード大学の教授たちが設立した教育ベンチャー企業だ。2011 年に教員個人としてオンライン講座を開設したところ 10 万人を超える受講者を集めたことをきっかけにしている。

Coursera は 8,000 万ドル超をベンチャーキャピタルや大学から調達しており、この資金を基に運営されている。Coursera は世界中の 102 大学の 400 以上のコースを開講しており、現在 500 万人以上の受講者がいるといわれている。講座は英語が多いが、一部にイタリア語や中国語で提供されているものもあり、最近は日本語の字幕が付いたコンテンツも登場している。日本から東京大学が参加し

ており、2 コースを公開している。(2)Udacity

Udacity も大学レベルのコースを公開するプロバイダで、Coursera と同時期にスタンフォード大学の教授が設立した教育ベンチャー企業だ。Coursera と比較した Udacityの特徴は、Coursera は大学と契約して大学名でコースを公開するのに対して、Udacityは教員個人と契約して個人の名前で公開している点だ。Udacity には、人工知能によるロボットカーの制作などの非常に特殊な講義もあったりする。現在 28 コースが公開されていて、203 カ国に学習者がいるが、受講者数の公開情報は見つからない。

2013 年 11 月に、Udacity は MOOCs の新しい形態を探すために学習支援を強化していくと発表している。MOOCs は受講者が自主的に参加をして受講するものだが、それでは完了率が上がらないので、学習者に対して有償で学習コーチを付けるサービスを追加することを宣言した。Udacity は現状の MOOCsの枠にとどまらず、オンライン教育の環境に学習支援サービスを付加していくことを考えているようだ。

(3)edXedX は教育ベンチャー企業ではなく、大

学コンソーシアムが運営をしている。Coursera や Udacity を後追いするような

形で、MIT とハーバード大学が合計 6,000 万ドルを出資して 2012 年に設立された。世界27 カ国の大学が参加しており、100 万人を超える受講者がいる。日本から京都大学が参加していて、2014 年の春からコースを公開すると発表している。edXの特徴は、そのプラットフォーム自体がオープンソースソフトウェアになっていて誰でも利用できることだ。また 2013 年夏に、Google と mooc.org5 という新しい WEB サイトをつくると発表している。これに関して具体的な発表はないが、プラットフォームを用意することなく MOOCs を開講できるサービスを立ち上げることが考えられている模様だ。

(4)FutureLearnFutureLearn は、 イ ギ リ ス の The Open

University6 が所有する企業により設立されたもので、大学と密接な関係を持って運営されている。イギリス、オーストラリア、アイルランドの大学が参加しており、20 以上の

5 http://mooc.org/6 http://openuniversity.jp/

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コースが公開されている。(5)JMOOC

日本でも MOOCs の利用普及を図る協議会が設立された。聞くところによると、複数の MOOCs プラットフォームが提供され、2014 年春以降に 13 コースが公開されることになっている。

3.4 MOOCs の「学習コース」とは

MOOCs の学習コースのテーマは学部生レベルの入門講義が多い。教材の構造は、eラーニング教材にコミュニティー機能が組み合わされたもので、ビデオ、資料、クイズを使った教材の配列ができていて順を追って学習するようになっている。その中には、ブラウザ上で稼働するシミュレーション教材や、数万人の学生を講師が採点するのは困難なので、レポートの採点も学生同士でピアレビューをする機能が組み込まれている。また、ディスカッションボードがあって質疑応答を行うことができる。そして修了者に対して認定証を交付する仕組みになっている。

3.5 MOOCs の特徴

MOOC と従来の e ラーニングの相違点を挙げると、誰でも受講でき学費が不要だが、単位は与えられないというものだ。また、通常の大学では履修する授業を決めて完全に修了することを目指すのだが、MOOCs では教材を見るだけという使い方もできるので、コ ー ス 完 了 も 必 須 で は な い。 そ の た めMOOCs の修了率は 10 パーセント程度といわれている。

もう 1 つ、世界規模で広がる学習コミュニティーという特徴がある。Coursera には数百万人の学習者が参加しているので、ディスカッションボードへ掲載された質問に対し、瞬く間に回答が返ってくる。世界のどこかで常に誰かが学んでいる学習コミュニティーは、これまであり得ないことだった。また、オンライン上で学ぶだけではなく、オフラインで出会うミートアップが行われていて、日本でも東京や札幌で開催されている。これはCoursera の学習者が喫茶店などで会合を開き、情報交換して互いの学習意欲を高めたり、質疑により学習効果を高めるといった、Face to Face のつながりを生み出している。

図 1 OER と MOOCs の違い

OER を使った学習コミュニティーと比較すると、MOOCs では講師が居て、数週間のコースを一緒に学ぶ、修了すれば認定証が与えられるというサイクルができていることが相違点になる(図 1)。

3.6 大学教育に導入されるMOOCs

MOOCs が大学教育に導入される事例が増えている。MOOCs は本来フルオンラインで学ぶことを想定しているが、大学ではリッチメディア豊富な教科書として、あるいは反転授業のコンテンツとして使われていて、学習効果が期待されている。サンノゼ州立大学では edX のコースを使って反転授業をおこなった結果、授業の修了率は 50%から、90%に上がったというデータも出ている。

また MOOCs を使ったオンライン大学院設立の取り組みもある。ジョージア工科大学に新設されたコンピューターサイエンス・コースは、Udacity で提供されるコースを使う前提により7,000ドルで修士号を取れる格安コースになっている。また 8 人の教員増で、1 万人の学生を受け入れ可能になったので、これまでの大学院からすればあり得ないスケールで学生の数を増やすことができ、非常にコスト対効果が高い大学院が実現している。

3.7 大学単位を取れるMOOCs 認定証

また、MOOCs の認定証は単位でないと説明をしてきたが、実は大学単位を取れる認定証も存在する。それはCourseraの「Signature Track」で、WEB カメラで本人の写真付き身分証明書を取得して本人認証を行い、テストの際にキータイピングをパターン認識して成り済ましを防止する工夫をした上で認定証を 交 付 す る 仕 組 み に な っ て い る。 こ の

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Signature Track 認定証を取得すると、ACE Credit という米大学の単位推薦サービスの単位と交換できる。例えば Coursera で心理学入門の Signature Track の認定証を取ると、在籍している大学で ACE Credit を使って大学の心理学入門の単位を請求可能となる。ACE Credit はあくまで推薦サービスなので、それを受け入れるか否かは、大学の判断になるが、現状では全米の 2,000 大学と単位の置き換えが可能といわれている。つまりMOOCs だけで学位を取ることは難しいが、単位の補完には使える状況ができている。

3.8 MOOCs 導入への批判

大学に MOOCs が入り込んできているが、それに対する批判も多い。まず大学教員から、大学の自由、教える自由を奪うという懸念の声があがっている。

サンノゼ州立大学本部は、edX で公開されているハーバード大学のマイケル・サンデル教授の講義を哲学科の授業で使うように教員に依頼したが、拒否されるということが起きた。哲学科の教授たちは、マイケル・サンデル教授個人に対して、MOOCs を大学に普及させることは大学の自由を奪うことだとして質問状を出す事態になった。またハーバード大学内でも MOOCs の使用が検討されており、その是非を問う委員会をつくるべきだとの意見も出ているようだ。

こうした批判の理由として、大学によってMOOCs に対する関わり方が二極化してきているという状況がある。つまり、トップ大学は MOOCs を開発して独自性の高い学習コースを公開できるが、中堅大学や二年制カレッジは、既存の MOOCs にある学習コースを教材に使うだけになる。

一方で、MOOCs を作る大学と使う大学の仲介をするのはプロバイダの役割なのだが、Coursera の場合、大学が単位を出す授業にコースを使用すると利用料が課金され、その一部は MOOCs を作った大学に入る仕組みになっている。つまり、作る大学と使う大学の間で、いろいろなレベルの移動が起こることになっている。

批判の 2 つ目は、本当に MOOCs は無償なのかという点だ。先に Signature Track を説明したが、この発行には数十ドルの事務手数料が必要で、個人認証や剽窃防止のための対価としては適当かもしれないが、受講者は対価を払っているともいえる。

また、プロバイダは学習者の履歴データを収集できるので、それを利用してコースを改善することができる。つまり、学習者は学習を通じて、コースの改善に協力しているともいえる。

3 つ目の批判として、そもそも MOOCs が教育と呼べるのかという疑問の声がある。その理由はドロップアウト率が 9 割前後と非常に高い状況がある。こうした批判に対し、Udacity は学習支援を強化することを発表している。これまでは無償でコースを公開してきたのだが、参加者に有償のコーチを付けることを提案するという内容だ。こういう対応をすると、従来型の e ラーニングとの違いが曖昧になってくるという、別の議論もある。

また、受講者への効果にも疑問が持たれている。ペンシルバニア大学が MOOCs の受講者を調査したところ、受講者の多くは大学の学位を持っていることが判った。もともとMOOCs は、これまで教育機会が得られなかった人たちに高等教育を与えることがミッションといわれていたが、まだその効果は高くないということになっている。

3.9 MOOCs のアドバンテージ

しかしながら MOOCs にアドバンテージがあることも確かだ。1 つはビジネスモデルだ。修了証の発行手数料は数十ドルにすぎないが、Coursera は修了証の収入が 100 万ドルを超えたと発表している。また、優秀な受講 生 を 企 業 に 斡 旋 し て、 そ の 紹 介 料 をCoursera、Udacity などのプロバイダが受け取ることもあるようだ。

また、MOOCsのMassiveがもたらすメリットもある。大学が優秀な受講者を発掘して学生として獲得するとか、膨大な学習履歴データをビッグデータ的に活用して大学がつくる教育コンテンツの改善に役立てることも可能だ。

また、MOOCs を開設する主体は大学に限定されない。米国 Yahoo ! は企業内研修にCoursera を使っているし、Open Education Alliance7 は米国 AT & T などの IT 企業が主体で IT の若手人材を育成するためのカリキュラムを開発しているが、それを Udacityが MOOCs として開講していく取り組みになっている。

7 https://www.udacity.com/opened

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3.10 オンライン教育がもたらすもの

図 2 直線的なキャリアモデル

高等教育は、社会へ出る準備を完了させることを想定している。図 2 の通り、直線的なキャリアとしては、高等教育を修了した人が、近年の e ラーニングによって働きながら学び、また企業に戻っていくということが想定できる。つまり、このように大学の教育環境を広げるということに貢献してきた一面がある。

一方、オープンエデュケーションによる学びは、さらに広い複線的なキャリアを包含する学習環境となる。図 3 の通り、大学から一度 ド ロ ッ プ ア ウ ト し て も、MOOCs でSignature Track を取って、大学の単位を補完して卒業することができるし、企業を辞めてから MOOCs で学び直して違う企業に行くことも可能になる。学び直しが前提とされるこうした制度の枠組み部分をオープンエデュケーションが支えることになる。こういう社会では、誰でも自由に教えることができ、自在に学ぶことができる。これまでは真ん中の太線のような直線キャリアが標準的だったが、ラジカルになると制度の中に入らなくなってきて、自ら OER や MOOCs で学ぶことにより、必要なスキルを自律的に身に付けることも不可能ではなくなる。

図 3 複線的キャリアモデル

非常に興味深いのは、MOOCs の認定証の価値は、社会が決めるということだ。そのため、大学が MOOCs の認定証は特に意味がないと言っても、企業が意味を認めれば認定証を取った人を雇用することも可能になる。そうなれば、大学の単位や学位と比較されるある種の資格になる可能性もあるだろう。

4. オープンエデュケーションと大学「経営」

4.1  オープンエデュケーションの拡がりによる大学価値の再考

オープンエデュケーションが広がることによって、大学の価値の再考が迫られている。何故なら、大学の単位や学位が相対化され、MOOCs の認定証が大学の単位と同種のシグナルとして捉えられるようになったからだ。ま た、 能 力 に 応 じ た 単 位 認 定 を 行 な うCompetency based Approach という概念があるが、いくつかのオンライン大学では、授業の時間ではなく、社会で身に付けた技能に応じて単位を与えることが始まっている。これによって、企業に勤務している専門家は、自分の専門業務について大学で学習しなくても単位が取れることになっている。そうなれば、社会人大学に通う社会人が大学を卒業しやすくなる。

大学教員もグローバル競争の例外ではなく、例えばマイケル・サンデル教授のような方と、オンライン上の教育環境で競合することになるのだが、これは逆にいえば独自性の高い教員は強みを増すことになる。また MOOCsを利用して反転授業をおこなう場合には、講義をする技術だけではなく、学習支援をおこなうためのファシリテータの職能が大学教員に求められるようになるが、すべての教員がそういう職能を持っているとはいえない現状がある。

また、Coursera や Udacity など、高等教育にはさまざまなプレーヤーが参入してきており、プレーヤー同士の競争も激しくなってきている。

オープンエデュケーションの要諦は「教える」自由にあるので、誰もが教えられる社会になっていくと、大学が社会での競争にさらされることになる。つまり大学外部のイノベーションによって、大学の価値が問い直される状況が出てくることになる。

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4.2  オープンエデュケーションは大学にとって「ペイ」するのか?

一方で、オープンエデュケーションは大学にとってペイするのかという問題がある。教育コンテンツのオープン化は大変な作業であり、著作権処理も大変な労力を必要とする。ウエブサイトをつくることも大変なので、Coursera や JMOOC などの外部の公開サービスを使うことがコスト削減につながる。

しかも、オープン化の副次的効果として、大学のプロモーションであるとか、優秀な学生の確保などが期待できる。しかし、副次的効果のみでペイするかは、非常に疑わしいのが現状の理解だ。つまり、コンテンツ制作・公開の効果が、優秀な学生を発掘するだけで本当にいいのかということだ。また広報効果の測定が非常に難しいので、大学の持続的な取り組みとして、投資をするに値するかの判断は、非常に難しいというのが現状だろう。

筆者はこの副次的効果を高める必要があると考えている。その 1 つの方法として、例えば新規に科目を立ち上げるとか、大学間連携の授業を開始するとか、利用目的の明確な教育コンテンツを作ることが考えられる。その余禄として、出来上がったコンテンツから優れたものを OCW や MOOCs で公開してオープン化していくという流れだ。こうすれば、もともとの目的で投資が回収できていれば、広報などの副次的効果が仮に多くは見込めなくとも、ペイしうると考えられる。

また、アウトソーシングによるコスト削減は必須であり、JMOOC のようなプロバイダを使うことで広報的効果を上げることも可能だろう。

4.3 導入モデル

オープンエデュケーションを大学経営に活用する方法を、これまでの説明を踏まえ 3 つの導入モデルとして提案する。

(1)導入モデル 11 つ目のモデルは、MOOCs を自ら開講す

ることにより大学の魅力を発信することだ。これは、MIT、ハーバード大学、日本の東京大学、京都大学などのトップユニバーシティーが採用する戦略で、各大学の優れた教育を公開して、副次的効果を狙うことができる。

このモデルでは、研究や知の体系化、人材

育成などは大学が担うべき機能なので、これは内部に残しながら、教育機能の一部をアウトソーシングしていく。アウトソーシングの1 つが、教育プラットフォームを外部に任せる と い う こ と だ。 例 え ば 東 京 大 学 はCoursera を、京都大学は edX を利用しているが、これは自ら MOOCs プラットフォームを開発するのは大変なリソースが必要になるのでアウトソースによってコストを削減し、コンテンツだけを公開することで宣伝効果を狙っている。

(2)導入モデル 22 つ目のモデルは、MOOCs を大学教育に

使っていくモデルだ。これは、自作したオープン教材や MOOCs を授業に用いるほか、外部のものを使うこともある。こうしたことにより、従来の大人数の授業を、OER やMOOCs を使った反転授業に転換して、教育の質向上を目指すことができる。

このモデルは、以前からさまざまな事例がある。例えばカーネギーメロン大学の Open Learning Initiative8 ではオンライン教材を開発している。これは知的 CAI 技術を採用した個別指導システムも導入しており、カーネギーメロン大学や周辺のカレッジにおいてブレンド型学習として使用されている。この結果、理解度が高まり、学習の進度が早まるとか、これまで 1 年かかっていた学習が半年で修了するという成果も挙がっている模様だ。

(3)導入モデル 33 つ目のモデルは、大学連合モデルだ。つ

まり、単独ではメリットが出にくいので、複数の大学で OER や MOOCs を共有する方法だ。例えば、複数の大学で共通科目をつくることにより、教育内容の多様化を狙うとか、反転授業に使うことで教育の質を高めていくアプローチが可能になる。

このモデルも海外に事例がある。Project Kaleidoscope9 は、教員が教材を共同で開発して授業で使っていくものだが、この活動はFD にもなるというものだ。またミシガン大学の dScribe は終了済のプロジェクトだが、学生が教材をつくることにより、学習するという活動をしている。こうした取り組みをオープンエデュケーションの実践(Open Education Practices)と呼び、教育の質の向

8 http://oli.cmu.edu/9 http://www.aacu.org/pkal

Page 9: オープンエデュケーション・MOOCsと大学の選択 · に作り直すことが効率的であり、再利用によ り教材の多様性が実現できる。再利用の際に

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上が期待されている。

4.4 北海道大学の事例

最後に北海道大学の事例を紹介するが、北海道大学は、「導入モデル 3」のアプローチを取って新しいプロジェクトを始めている。

北海道大学は大学間連携事業をおこなっているが、この枠組みの中で道内の国立大学間の教員教育の連携を計画している。この連携では、参加する全大学を双方向のビデオ会議システムで接続しているが、その効果を高めるためにオープン教材を開発することになった。そのためにリポジトリを開発して、これを使って各大学でアクティブラーニングをおこなうプロジェクトを 2014 年秋からパイロットで始める予定だ。

このプロジェクトの成果物は、将来的にはMOOCs として公開していく計画になっている。教材を英訳して MOOCs を開講することで、オープンな教育環境をつくることができるし、国際化の推進にも役立つものと期待している。このような副次的な効果も狙っているわけだ。

開発するデジタル教材リポジトリにはOpen edX を使用して、オープンソースにしていく計画だ。グローバルスタンダードを使用することで、リポジトリ自体の持続性を高めることができるからだ。

このようにオープンエデュケーションによる教育の多様化や質向上を通じて、大学改革や教育改革も可能だと考えており、筆者自身も今後ともこの活動に関与していきたいと考えている。

5. まとめ

オープンエデュケーションの活動の広がりを説明してきたが、それは大学から切り離されたものではなく、大学教育との融合も試行されている現状が明らかになった。MOOCsに関る話題が盛り上がっているが、今後、その意義の見直しは避けられないだろう。何故なら、MOOCs は世界的な高等教育に成長する可能性がある反面、ドロップアウト率が非常に高く、本当の教育効果が生み出せるかが疑 問 を 持 た れ て い る か ら だ。 そ の た めMOOCs という呼称が廃れていく可能性があるし、違う名称の付いたオンライン教育環境が生まれることもあるだろう。

しかし大学は教育のオープン化を活用でき

るものと確信している。オープンエデュケーションは、大学にとって多くの副次的効果を持つので、これを利用して大学の魅力発信や教育の質向上、多様化が実現できるからだ。

本論では 3 つの導入モデルを提示したが、どのモデルを選択するかは、それぞれの大学が持つ文化や歴史に依存するだろう。つまり各大学が、自らの特色や教育における課題を見据えた上で、それぞれの戦略をとっていくことが、大学経営にプラスの影響をもたらすと考えている。