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free paperœ¬誌(縮小版).pdf「PERMACULTURE A Designers' Manual」 0470- portrait { 飛行 } 写真・文 鎌田真史 ちいさな舟はどこにいったのだろう

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0470- people

本間フィル・キャッシュマンさん

インタビュー・写真・文 菅野 博

{ }

 ビル・モリソンに学ぶ

単純に子どもの頃から自然が好きだっ

た。山へ行ったり、海で潜ったり、釣

りが好きだった。20代になってからは

植物や野菜作りなどに興味が動きまし

た。年を重ねてくると世界や人類が将

来どのようになるのかという思いが強

くなっていきました。日本に戻ってき

て、友達からパーマカルチャーのこと

を知って、ネット検索したらパーマカ

ルチャーの父であるビル・モリソンか

ら直接学べることを知って全財産を投

じてオーストラリアに行ったんです。

今まで持っていた疑問が明らかになる

と思って。ビルはそのときにすでに81

才だった。ビルは昨年亡くなってしまっ

たけど。ビルは性格も魅力的で、伝え

方もものすごく面白くて吸い込まれる

ような伝え方をするんです。ビルの人

間性がパーマカルチャーの広がりを大

きくしたと思う。

 パーマカルチャーの浸透と貢献

ビルから学んで日本に戻ってパーマカ

ルチャーを広めようというよりはまず

は実践してみようと思った。実践する

うちに興味を持ってくれる人が現れ

て、東京の自由大学の講座で初めての

パーマカルチャーのワークショップを

行いました。その後、葉山のコミュニ

ティガーデン作りや、小田原のはじめ

塾でもコミュニティガーデンを作る年

間ワークショップを始めました。南房

総へは2012年からNPO

うずの林

良樹さんと一緒に地球生活学校を始め

て、彼のフィールドで1年間パーマカ

ルチャー講座をやりました。家族と越

して来たのは2013年です。当初は

もっと早く来る予定だったんですけど、

東日本大震災が起きてなかなか来れな

くなりました。震災後、岩手へ行くこ

とにしたのです。釜石市にある被災し

た幼稚園の厨房を作るお手伝いをしま

した。でも、予算がなくて、小田原の方々

や大勢の方から援助を受けて厨房を作

ることができたんです。それから、民

間の方が自分の土地を津波で遊び場を

無くした子供達の為に提供した場所に

コスモス公園という公園を作りました。

全国にはパーマカルチャーを実践する、

理解するすばらしいコミュニティがあ

[ほんまふぃるきゃっしゅまん]パーマカルチャーデザイナー&ビルダー、パーマカルチャー安房代表。1971年新潟県佐渡島生まれ。17 才でアメリカに行き物理と彫刻を学ぶ。アメリカ、オーストラリア、日本でデザイン+ビルダーとして働く。その後、オーストラリアでパーマカルチャーの父ビル・モリソンよりパーマカルチャーを学ぶ。帰国後は神奈川県葉山でパーマカルチャーの講師などを行い、2013 年に南房総市和田町へ移住。パーマカルチャー安房を立ち上げ、パーマカルチャーガーデンを実践しながら講座などを行っている。

ることを知りました。

 自然と一体

パーマカルチャーを一言でいうのはと

ても難しい。一般的にパーマカルチャー

とは人間にとっての恒久的持続可能な

環境を作り出すためのデザイン体系の

ことを言うけど、広がりは無数にある

し、方法論や概念も人によりさまざま。

パーマカルチャーは原則、倫理に沿っ

ていると思うんです。生き物すべてを

大事にする思考。その思考を生活の中

に取り入れデザインする。環境や地球

にやさしくなりたいのであれば、自分

にもっと優しくすることから始めて。

自分を愛せないと自然や動物も愛せな

い。僕らは100%自然なんです。僕

らは一体なんです。自然の譲り合い、

頼り合いの現場を目の前にして何を感

じるか、地球システムの一部として活

かされているんだということを感じて

ほしい。自然から学ぶ技術と原則、シ

ステム思考の知識がパーマカルチャー

です。それを僕らがどうアプリケーショ

ンするか。人間以外のみんなはうまく

やっているから、やり方をよく見て、

知識と経験と観察力と知恵と技術をう

まく活かしていく。もしかするとみん

ながとっている行動で、健康に必要な

綺麗な水と空気を直接汚染していない

までも環境汚染に加担しているかもし

れない。では、何ができるかというこ

とを開拓する。みんなはその義務があ

ると思う。地球で生きている一人の人

間としての義務感をどこまで感じられ

るか。だから教育が大事。子供の頃か

らちゃんとそれが大切なんだよと。そ

うすれば責任をとったチョイスをする

と思うんだよね。一体感を感じる方法

のもうひとつの扉は人と人との繋がり

を感じること。自分の中の生態系を感

じる。僕が何か変なことをしていると

みんなに影響がでてしまうという。自

分の行動、活動が生態系すべてに影響

を与えるんだという意識を持ってほし

い。

 自分が変われば、社会が変わる

ビルは「元の地球には戻れない、もう

手遅れだ」と生前に言いました。ティッ

ピングポイントが過ぎてしまってドン

ドン悪化している。「できるだけ楽しめ

よ。もう時間がないから」と。ただ、

悪化するのもすごい勢いだけど、良く

なるのもすごい勢いを生み出せる。そ

の勢いを生み出すのは革命しかない。

今の手段だとそこまでの勢いは得られ

ない。自分の中の意識改革以外には。

自分の意識をどこまで改革できるか。

それを一人でも多くの人ができれば。

意識が開いている人は何百万人の意識

を変えることができる。自分が変われ

ば、社会が変わる、そう信じたいですね。

 今、すべきこと

南房総はとても豊かなところだと思

う。でも、今までここにあった文化や

技術、知識がどんどんなくなってい

る。それを継ぐ人達が価値を理解して

いない。限りない可能性が眠っている

のに。どうやって活かすかはこれから

の課題。僕はこの土地に学校を作りた

い。この自然を活かして、生き甲斐や

可能性を作っていけるか。子ども達が

自分のやりたいことができて、学べて、

それをサポートしてくれる大人がまわ

りにたくさんいると自分からできるよ

うになっていくと思う。子どもが持つ

目標をみんなで応援していける未来が

望ましいですね。2018年もパーマ

カルチャー安房の集中講座「パーマカ

ルチャーデザインコース」をやる予定

でいます。ビルの本1冊を学習します。

一通りの話を伝えます。2018年は

2週間ではなく3週間にして現場を3

つにしようと思っています。詳細はま

だ決定していませんが、興味のある方

はfacebook

でチェックして下さい。パーマカルチャー安房

https://www.facebook.com/pawapdc/

BILL MOLLISON

「PERMACULTURE   A Designers' Manual」

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0470- portrait

飛行{ }写真・文 鎌田真史

ちいさな舟はどこにいったのだろう

風にのったのか 翼をもったのか

飛んで、山の波を眺めにいったのか

房総の山は低いから

なめらかな水面は

やんちゃな友の帰りを

優しくまっているようにも

ただ眠っているようにもみえた

ただ話しているようにもみえた

急いで帰ってきたようにも

気ままな彼らの表情をみて笑った

剛健な小屋は

房総の海の旅路は暖かいから

はしゃいで、時雨と躍りにいったのか

舞ったのか 散ったのか

小さな羽はどこにいったのだろう

0470- portrait

飛沫{ }写真・文 鎌田真史

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Editor in chief. Hiroshi Kanno / Editors. Masafumi Kamada, Naoya Kotoda,Yuko Iwamatsu / All rights reserved. 2010-2017 © 0470-editorials / 発行 2017 年 11 月 30 日 /毎奇数月末発行 / 発行元 0470- 編集室 / 295-0024 千葉県南房総市千倉町平磯1301-1 / 1301-1 Hiraiso, Chikura-cho, Minami-Boso City, Chiba, 295-0024 Japan

編集後記*********

地球への負荷はティッピング

ポイントを超え破滅へと向

かうのでしょうか?でも、地

球ってそんなに柔じゃないと

思うのです。もちろん行き過

ぎた人間の行動は正さない

といけない。地球システムの

中にいる人間が共生につい

てしっかり考える。共生への

ティッピングポイントへ向か

おう。(菅野)*******

今回は、名もなき漁港を時間を

変え、訪れました。時間帯によ

り、みえる景色もかんじる景色

も違うなと思いました。誰もい

ない場所にいると自然や人工

物にも日々の重なりがあるよ

うに感じ、大きく変わらなくて

も日々のちいさな違いに目を

向けられる暮らしがしたいと

思いました。これからの寒さも

楽しめそうです。(鎌田)***

note

を担当して早くも2年

が経ちました。この間私の環

境も変わりました。小さい事

でいえば例えば雨漏りに焦ら

なくなったり、室内でカニを

見かけても驚かなくなった

り。そんな事です。人間慣れる

ものですね。いつもありがと

うございます。少し早いです

が、よいお年をお迎えくださ

い。(小藤田)*******

0470- instinct

三嶋風車{ }写真・文 菅野 博

0470- note

今日もそこにある{ }写真・文 小藤田尚也

 「風車とローズマリーの里 

丸山町」

水田の耕作には水が必要です。丸山町の海岸近くの水田

は砂利田のため、地下への浸透が激しく、農家の人たち

は常に水管理に苦労していました。昭和初期に地区の人

のアイデアで、風の力を利用して風車を回し、風車に連

動する「ガチャポンプ(手押しポンプ)」

により水を汲

み上げる農業用揚水施設を考案しました。これが「

三嶋

風車」

の初めです。最盛期の昭和18年ごろには、100

基以上の風車が農村ののどかな風景を演出し、人々の心

を和ませてくれました。しかし、昭和35年ごろに石油発

動機の普及によりその姿を消しました。「風車とローズ

マリーの里」を合言葉に、魅力的な町づくりを推進する

中でのシンボルとして、丸山町固有の農業技術文化であ

る「風車」を再登場させました。また、「ローズマリー」

は地中海沿岸(北緯35度付近)に広く自生しており、丸

山町は「北緯35度日本東端の地」に位置することから気

候風土が栽培に適しているため、数あるハーブの中から

選定しました。このふたつを組み合わせて、「風車とロー

ズマリーの里」によるまちづくりがスタートしました。

  

〜道の駅

ローズマリー公園内にある案内板より〜

 

昭和に活躍し、復元された町のシンボルも風化しつつ

あります。案内板も劣化し見ることができません。進む

時代に消えつつある風景。便利な世の中に消えてしまう

過去の遺産。でも、ボクは自然の力を利用したこの技術

はこれからの時代に必要であると感じます。過去の力が

未来の力となり、見直されることを願っています。

冷たい北風ぴゅうと吹く頃

陽に照らされたレンガにもたれ

雨が降り始めるのは明日の午後

水面きらきら湊川

ほら首の長い鳥があそこにいるでしょう

一羽で何をしているんだろうね

って向こうから見たらきっと私も

一人で何をやっているんだろうね、だ

いつもの団子を買ってきたんだ

団子っていいよね

素晴らしいよね

餡子かみたらし

ううん悩ましい

首長鳥がこっちを見てるよ

胸を張って言ってやろうぜ

時々ここで橋脚にもたれて

団子を食べているんだぜ

餡子もみたらしも食べるのです

背中のレンガが温かいのです

【旧湊川橋脚・富津市湊】

関東大震災の後の1925年に架け替えられた現在の湊川橋梁のそばには、今からおよそ100年前の1916年の鉄道開通時から、震災ま

で使われた橋梁の脚だけが現存している。一見不思議な光景だが、煉瓦造りの美しさも相まって今もなおその存在感は薄れることがない。

【大野屋・富津市湊 65】

いつの頃からか看板の店名が外れてしまったという、知る人ぞ知るお団子屋さんの老舗。ご夫婦で丁寧にこしらえるお団子は、手触

りの良い竹串に 3 つという完璧なフォルム。塩気のある餡子と香ばしいみたらし。どちらもあとを引く美味しさだ。1 日・15 日定休。