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東レリサーチセンター The TRC News No.114(Nov.2011) 31 ●[特集]医薬品分析(7)Dried blood spot(DBS)を用いる薬物濃度測定 1.はじめに 医薬品の開発では開発薬物やその代謝物の体内濃度と 薬効や毒性との関係を明らかにすることが必須であり、 血漿、血清、全血や尿をはじめとする生体試料中の薬物 や代謝物の濃度を正確に定量する技術が重要である。生 体試料には目的物質の定量を妨害する脂質、タンパク 質、塩などの多様な内因性物質が多量に存在するため、 前処理の成否が信頼性の高い定量法構築のキーポイント となる。生体試料中の前処理法としては、一般的に①除 タンパク、②液液抽出、③固相抽出が用いられるが、近 年ろ紙を用いたDBSDried blood spot)法が簡便かつ 有用な手法として欧米を中心に利用が広がりつつある。 DBS法は全血をそのまま使用するため、血漿を分離する 操作が不要となるだけでなく、採血量が少なくて済むた め、試験に必要な動物数を削減できるなど、動物愛護や コスト削減の観点でも優れており、今後、日本国内でも 徐々に利用が進む可能性が高い。すでにDBSの利用が始 まっている欧米では、議論も盛んに行われており、詳細 European Bioanalysis Forum[EBF] conference 2009 バルセロナ)や workshop2010ブリュッセル)な どの資料をご参照頂きたい。本稿ではDBS法の概略や有 用性と、DBS法を用いて昨年弊社で実施した分析法バリ デーション及びTK測定の結果を紹介する。 2.DBSとは 動物やヒトの血液をろ紙にスポットして保存・輸送す る方法は40年以上も前から利用されている技術であり、 現在でも新生児スクリーニングや遠隔地でのtherapeutic drug monitoring(例:HIVB型・C型肝炎、梅毒など の各種検査)で利用されている。一方で医薬品開発への 適用は比較的新しく、血中濃度測定用技術として広く利 用・紹介されるようになったのはここ数年である。DBS 法は読んで字のごとく、全血を用いるのが一般的である が、血漿や尿、髄液などのマトリックスにも応用できる ことが知られている。 DBS法の手順は極めて簡便である。以下に代表的な手 順を紹介する(図1)。①全血試料(1020μL)をDBS 用のろ紙にスポットし、室温で2時間以上乾燥させる。 ②ろ紙の全血スポット部から直径3mm又は6mmのディス クを打ち抜く。③内標準物質を含んだメタノールやアセ トニトリルなどでディスクから薬物を抽出する。④抽出 液を必要に応じて適切な溶媒で希釈後、 LC-MS/MS(液 体クロマトグラフ-タンデム質量分析計)などの分析機 器で測定する。 DBS用のカード(ろ紙)は、GE Healthcare社など数 社から発売されているが、ろ紙に塗布されている薬剤の 有無や種類によって、ろ紙上での安定性やろ紙からの回 収率、LC-MS/MS測定時のマトリックスの影響が異な る場合があるので、分析法確立の際には適切なカードの 選択が重要なポイントとなる。 LC-MS/MS DBS 図1 DBS 法による血中薬物濃度測定 3.DBSの利点 DBS法の主な利点を下記する。 必要採血量が少量のため、動物数削減やサテライト群 が省略可能。 ・小動物から経時採血が可能。 ・幼弱動物を用いた試験の実施が可能。 ・血漿分離操作(遠心分離、移し替え)が不要。 ・室温での検体輸送・保存が可能。 ・酵素活性を阻害し薬物変換を回避できる。 ・微生物・ウィルスを不活性化できる。 4.分析法バリデーション DBS法を用いてラット全血中のバルサルタン(図2濃度測定法を開発した。ラット全血(ヘパリンナトリウ [特集]医薬品分析 (7)Dried blood spot (DBS)を 用いる薬物濃度測定 薬物動態研究部 神田 壮紀 野口 隆典

(7) Dried blood spot (DBS)を 用いる薬物濃度測定...東レリサーチセンター The TRC News No.114(Nov.2011)・31 [特集]医薬品分析(7)Dried blood spot(DBS)を用いる薬物濃度測定

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東レリサーチセンター The TRC News No.114(Nov.2011)・31

●[特集]医薬品分析(7)Dried blood spot(DBS)を用いる薬物濃度測定

1.はじめに

 医薬品の開発では開発薬物やその代謝物の体内濃度と薬効や毒性との関係を明らかにすることが必須であり、血漿、血清、全血や尿をはじめとする生体試料中の薬物や代謝物の濃度を正確に定量する技術が重要である。生体試料には目的物質の定量を妨害する脂質、タンパク質、塩などの多様な内因性物質が多量に存在するため、前処理の成否が信頼性の高い定量法構築のキーポイントとなる。生体試料中の前処理法としては、一般的に①除タンパク、②液液抽出、③固相抽出が用いられるが、近年ろ紙を用いたDBS(Dried blood spot)法が簡便かつ有用な手法として欧米を中心に利用が広がりつつある。DBS法は全血をそのまま使用するため、血漿を分離する操作が不要となるだけでなく、採血量が少なくて済むため、試験に必要な動物数を削減できるなど、動物愛護やコスト削減の観点でも優れており、今後、日本国内でも徐々に利用が進む可能性が高い。すでにDBSの利用が始まっている欧米では、議論も盛んに行われており、詳細はEuropean Bioanalysis Forum[EBF]のconference(2009年 バルセロナ)や workshop(2010年 ブリュッセル)などの資料をご参照頂きたい。本稿ではDBS法の概略や有用性と、DBS法を用いて昨年弊社で実施した分析法バリデーション及びTK測定の結果を紹介する。

2.DBSとは

 動物やヒトの血液をろ紙にスポットして保存・輸送する方法は40年以上も前から利用されている技術であり、現在でも新生児スクリーニングや遠隔地でのtherapeutic drug monitoring(例:HIV、B型・C型肝炎、梅毒などの各種検査)で利用されている。一方で医薬品開発への適用は比較的新しく、血中濃度測定用技術として広く利用・紹介されるようになったのはここ数年である。DBS法は読んで字のごとく、全血を用いるのが一般的であるが、血漿や尿、髄液などのマトリックスにも応用できることが知られている。 DBS法の手順は極めて簡便である。以下に代表的な手順を紹介する(図1)。①全血試料(10~20μL)をDBS用のろ紙にスポットし、室温で2時間以上乾燥させる。②ろ紙の全血スポット部から直径3mm又は6mmのディス

クを打ち抜く。③内標準物質を含んだメタノールやアセトニトリルなどでディスクから薬物を抽出する。④抽出液を必要に応じて適切な溶媒で希釈後、LC-MS/MS(液体クロマトグラフ-タンデム質量分析計)などの分析機器で測定する。 DBS用のカード(ろ紙)は、GE Healthcare社など数社から発売されているが、ろ紙に塗布されている薬剤の有無や種類によって、ろ紙上での安定性やろ紙からの回収率、LC-MS/MS測定時のマトリックスの影響が異なる場合があるので、分析法確立の際には適切なカードの選択が重要なポイントとなる。

LC-MS/MS

DBS

図1 DBS 法による血中薬物濃度測定

3.DBSの利点

 DBS法の主な利点を下記する。・ 必要採血量が少量のため、動物数削減やサテライト群が省略可能。・小動物から経時採血が可能。・幼弱動物を用いた試験の実施が可能。・血漿分離操作(遠心分離、移し替え)が不要。・室温での検体輸送・保存が可能。・酵素活性を阻害し薬物変換を回避できる。・微生物・ウィルスを不活性化できる。

4.分析法バリデーション

 DBS法を用いてラット全血中のバルサルタン(図2)濃度測定法を開発した。ラット全血(ヘパリンナトリウ

[特集]医薬品分析

(7)Dried blood spot (DBS)を用いる薬物濃度測定

薬物動態研究部 神田 壮紀野口 隆典

32・東レリサーチセンター The TRC News No.114(Nov.2011)

●[特集]医薬品分析(7)Dried blood spot(DBS)を用いる薬物濃度測定

ム処理)にバルサルタン溶液を添加し、FTA DMPK-Aカード®(GE Healthcare)に20μLをスポットして2時間風乾した。次にスポット部分から直径3mmのディスクを打ち抜き、内標準物質含有のアセトニトリルで抽出した。抽出液に0.1%ギ酸を加えて希釈し、LC-MS/MSで測定した。本分析法について、選択性、直線性、再現性、マトリックス効果、カード上の安定性などの確認を行った。

図2 バルサルタンの構造式

 その結果、定量に影響を及ぼす妨害物質やマトリックス効果は認められなかった。全血中のバルサルタン濃度10~10000ng/mLの範囲における直線性は良好であり、日内再現性は、真度99.5~106.0%、精度1.4~7.3%であった(表1)。また、カードにスポットした全血中のバルサルタンは室温乾燥状態で7日間安定であった。また、スポット血液量が10~25μLの範囲内で正確な定量値が得られることを確認した。

表1 日内再現性(DBS)

5.DBSを用いたTK測定例

 次にラット(Crl:CD(SD))にバルサルタンを経口投与(60mg/kg)して経時採血し(採血時点:投与後0.5、1、2、4、8、24時間)、DBS法とBlood/water法(全血を冷水で溶血させた後に固相抽出する方法)の二通りの方法で前処理後、LC-MS/MSで全血中のバルサルタン濃度を測定した。DBS法とBlood/water法で得られた結果について、全血中濃度推移(動物番号01)を図3に、雌雄各2個体の血中濃度-時間曲線下面積(AUC)を表2にそれぞれ比較して示す。いずれの方法でも同等の結果が得られ、前処理に要した時間は、DBS法がBlood/water法の半分以下であった。

図3 全血中濃度推移(DBS vs. blood/water)

表2 血中濃度- 時間曲線下面積(DBS vs. blood/water)

DBS Blood/water (A)/(B)(A) (B)

01 14856 14965 0.9902 20876 19171 1.0903 30476 31882 0.9604 14948 14970 1.00

Female

Sex Animal

AUC0-24h

(ng·h/mL)

Male

6.DBSの課題と期待

 以上の結果から、DBS法がTK測定に有効な方法であることが確認できた。一方、DBS法ではヘマトクリット値(血液中の血球の割合)の異常が定量値に影響を及ぼしたり、一部の不安定な化合物には適用できない可能性があることが知られている。こうした事象への対応やDBSカードからの抽出作業の自動化などが課題として挙げられる。しかしながら、前述のように、DBS法は良質なデータの取得、動物愛護、検体輸送・保存などの観点から極めて利点の多い有用な手法であり、生体試料中の薬物濃度測定に今後広く活用されるようになることが期待される。

■神田 壮紀(かんだ そうき) 薬物動態研究部 専門:薬物動態分析 趣味:野球、nano block

■野口 隆典(のぐち たかのり) 薬物動態研究部 主任研究員 専門:薬物動態分析 趣味:旅、産業遺構、子供とテニス