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小川晋一/見えないディテール(立読) - Book Stackprev.book-stack.com/browsing/9784395111244t.pdfえ、効率よく仕事をこなすように心がけています。20代の多感な頃に、それぞれの

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-80 年代は、ポストモダニズムやディコンストラクティヴィズムなどの波が押し寄

せてきて、モダニズムが批判されましたが、小川さんにとって 80 年代は居心地が悪

い時代だったのではないでしょうか。

小川 遅れてきた世代としては着地する場所がなかったように感じていました。私自

身はそういった世界的な建築の動きに対してあまり興味がなかったからだと思います。

以前、丸山洋志さんにも、「ガラスの透明性によって形態を抽象化するのではなく“建築”

そのものを抽象化しようとする意識がうかがえる」(『SD』1997 年 3 月号)と、指摘

されました。結果として、それはあるかもしれないが、建築という物理的なものの抽

象化ではなく、存在なり、空間といった見えないものとか、理念の抽象化だといった

ほうがいいのではないかと思うと答えました。つまり、建築的な概念やボキャブラリ

ーから解放された抽象的なレベルから建築を組み立て直し、壁や窓といった概念を抽

象化していくことによって得られる、両義的というか、あらゆるものの同時並列する

状況を許容する空間を目指しています。その領域に到達するときに、視覚でとらえた

単純さの裏側にある、精神の豊かさのようなものへ向かうことができるのではないか

と思っています。

 77 年に交換留学生でアメリカへ渡るのですが、二度目は 84 年に文化庁派遣芸術家

在外研修員としてニューヨークへ行き、ポール・ルドルフとアルキテクトニカの事務

所で働きました。ニューヨークには、その当時ミニマルとマキシマル、両極端なもの

が共存していました。ニューヨーク・ファイブの 1 人にチャールズ・グワスミーがいて、

彼のパートナーがロバート・シーゲルでした。彼らの作品が好きで、交換留学生時代

に見に行きました。同時代に活躍していたミッシェル&ジョゴラ(アーマン・ミッシ

ェル&ロマルド・ジョゴラ)の作品は、ミニマルというかシンプルな作品でした。リ

チャード・マイヤーの作品を最初に見たのもその頃でした。『プロセス』という建築

雑誌の取材で、私がマイケル・グレイヴスにインタビューしたことがあります。ポール・

ルドルフの事務所で仕事をしようと思ったのは、その当時リチャード・マイヤーなど

アメリカ建築界を代表する建築家たちの世代を輩出していたので興味があったからで

す。それとは対照的ともいえるアルキテクトニカの事務所へ翌年入ったのは、どのよ

うな発想であのような作品がつくれるのか、知りたかったからです。

-小川さんは建築に興味を持ち、建築家になろうと意識されたのはいつ頃(何歳く

らい)からだったのでしょうか。

小川 小学校の5、6年のときには建築に興味がありました。私が暮らしていたのは

山口県の田舎町で、近代的な風景はなかったのですが、祖父が大地主で造り酒屋だっ

ミニマルとマキシマルを相互に横断する住居

小川晋一

インタビュアー:鈴木紀慶

マンハッタンの風景 ニューヨーク

ポール・ルドルフ事務所 ニューヨーク

サールツマン邸(ロング・アイランド ニューヨーク) /

リチャード・マイヤー

インビジブルランゲージ展 ニューヨーク 1991

インタビュー

005004

たため、そこは屋敷のような大きな家で、住み込みの人やお手伝いさんがいました。

その頃、テレビが普及してわが家にも入ってきました。情報が極端に少なかった時代

で、テレビから受けた影響は大きかったように思います。子供の頃はよく山に登ったり、

木の上に基地をつくったり、また防空壕のような洞穴を隠れ家にしたり、遊びでも小

屋や家をつくっていましたね。その頃住んでいた家の建て替えがあって、屋根は瓦か

らシルバーになったのですが、これでは以前とあまり変わらないと思った。せっかく

建て替えるのであれば、切妻屋根ではなく屋上をフラットにして、そこで食事ができ

るようにしたほうがいいのにと。その頃からものづくりが好きで、トランジスタラジ

オやステレオ、家具などをつくったり、自分の部屋を改装したりしていました。高校

時代は音楽も好きで、ラジオを聴いて曲名やミュージシャンの名前を覚えたり、仲間

とバンドを組んで演奏したりしていました。その一方、剣道もやっていて主将で剣道

5段でした。音楽では人とのコミュニケーションの図り方、剣道では間合いを学びま

した。それは、建築家になってクライアントとの接し方や間合いの取り方に役に立っ

ているように思います(笑)。

 大学3年のときに交換留学生でワシントン州立大学へ行くのですが、いろいろな意

味でカルチャーショックを受けました。1年間の留学が終わり、このまま日本へまっ

すぐ帰るのはもったいなく思い、逆回りで大西洋を渡って世界を見てから帰ることに

しました。その頃読んだ小田実さんの『何でも見てやろう』という本の影響もあって、

2カ月かけて 1 人で旅をしました。シアトルへ行き、カナダ横断鉄道で横断し、ニ

ューヨークからアイスランド、ヨーロッパ 14 カ国を限りなく歩いたという感じです。

地図を片手に、1日中、1都市を歩き回り、疲れたら教会で休み、静かな気持ちにな

り、体力が回復したらまた歩き出すというスタイルで、夜、パンと水を買って夜行列

車に乗り込み、次の都市へ移動します。これは合理的な方法で移動時間と宿泊費の節

約になり、このような節約法は課題制作や仕事の仕方においても同じです。現在の私

の事務所でも就業時間は朝 9 時から夜 9 時までと決めて、コストパフォーマンスを考

え、効率よく仕事をこなすように心がけています。20 代の多感な頃に、それぞれの

国で都市や大自然の風景、そこに暮らす人、建築、世界のさまざまな価値観に接して

感動しました。ですから、私自身の個人史を振り返ってみると、小学生の高学年の頃

にはすでに建築家になろうと意識していたように思いますね。

-小川さんの作品はモダニズムへの回帰というよりも、正統な建築の延長線上にあ

るといえなくもないと、以前丸山さんがインタビューした際にいっていましたが、そ

の正統とは何か、が問題だといっていました。僕は(丸山さんがいう)正統とは、デ

ザインの普遍性ではないかと思うのですが。

シカゴ上空 イリノイ州

ヴァチカン美術館の螺旋階段 ヴァチカン市国

サン・ピエトロ大聖堂 ヴァチカン市国

ブルックリン橋 ニューヨーク

小川 回帰ではなく、新たなるものだと信じているのかもしれないといった記憶があ

ります。かなり時間が経っているので、そのときの記事から引用すると「そういう枠

組みの問題と、実際の建築を設計するプロセスは別の次元の問題であると思っていま

す。私の考えるところは、建築という一般的な概念を抽象化したところにある建築に

近いのかもしれません。人間の嗜好の変化やライフスタイルの変化、高度な選択性、

あらゆる事物の同時進行並列共存する状況を考えていきたい。例えば古い教会、ある

いは古い建築物には、身を置いて人間と空間が対話するようなことがあるような気が

します。そういう部分を今の建築の中につくっていきたいと思っているのですが、そ

のような非常に人間的、感情的なものとは別に、一方で感情的なものをなくしたいと

いうか、感情を出さない建築をつくりたいと思っている部分もあります」、そしてさら

に「非常に人間的な部分が薄いところもありますよね。空間の見える部分では多分感

情を出さないのでしょうね。だから、見えない部分では感情を出したいと思っている

かもしれない。ディテールについても、できるだけ思考の痕跡を消したいと思ってい

ますし、非常に内向的なのかもしれないですね」と答えています。

 昔は建築をより美しく見せるために、そこに暮らす人たちのものを片づけ、全部

隠してから撮影していました。自己矛盾もしていたのですが、そういうものではなく、

ものが雑多に置かれていても、人間の自然な営みが成立し得るような建築をつくりた

いと最近は思っています。そういう意味で、住宅はできるだけニュートラルにつくる

ようにしています。基本的な考え方として、住宅はフレームさえしっかりしていれば、

いいのではないかと思っています。建物が出しゃばらない、「空間」だけがあることに

よって、居住者が多様な生活を主体的につくれるし、長い間のライフスタイルの変化

にも対応できるのではないかと思います。

-ルイス・カーンの息子、ナサニエル・カーンが監督した映画『マイ・アーキテクト』

について、小川さんは「父カーンの面影をたどり、自分探しをして感傷に浸るような

プライベート映画ではなく、ルイス・カーンの建築の魅力を後世に伝える、その建築

がいかに多くの人に影響を与えたかがわかる、優れたドキュメンタリー映画だ」とあ

る雑誌で評していましたが、小川さん自身が影響を受けた建築家についてうかがいた

いと思います。

小川 20 代の後半、ニューヨークに暮らしていたとき、カーンの作品をいくつか見

ました。なかでも、「イェール・アート・ギャラリー」には特別な思いがあります。生

き生きとした素材の使い方と大胆な吹き抜けの空間に「建築の原型」を見た思いがし

ました。カーンの建築は思想的で建築という物質ではなく、空間に主体があり、空間

そのものが何かを語っているように感じられます。

ミラノ・トリエンナーレ出展ビデオ作品 1996

イェール・アート・ギャラリー/ルイス・カーン

イェール大学英国美術研究センター/ルイス・カーン

アメリカ大陸 ワシントン州

007006

 例えば、カーンの建築は哲学的で「見えないデザイン」なのに対して、ミースはサ

イエンス的で「見せないデザイン」、ル・コルビュジエはアート的で「見せるデザイン」

ではないかと思います。カーンの建築の特徴はディテールではなく、見えない部分が

あってそれが空間をつくりだしていることです。一方、ミースは即興的なものを信じず、

理性的で、普遍性という時間をプランニングしている。だから、ミースはジャズのよ

うな即興演奏を好まなかったようです。そして、ル・コルビュジエはディテールに至

るまで視覚的で、自らの感情を建築に託しています。スカルパの建築も素晴らしいと

思いますが、あそこまですべて見せる必要はないように思いますね。個人的には、カ

ーンの「キンベル美術館」は作品として見ると少し饒舌過ぎる(とくにサイクロイド

曲線の屋根が喋り過ぎている)感があってあまり好きではないのですが、「イェール・

アート・ギャラリー」と「イェール大学英国美術研究センター」の空間とフラットな

屋根には惹かれます。

 私自身はカーンとミースの建築の影響を受けていますが、素材に対する考え方はカ

ーンよりもむしろミースの影響が強いように思います。ミースは、「ファンズワース邸」

などのように、表面は徹底的にシンプルに見せていますが、見えない部分(裏側)で

は非常に複雑なことをやっています。この本のタイトルである「見えないディテール」

とは、裏を返せば「見せないディテール」であり、カーンの「見えないデザイン」と

ミースの「見せないデザイン」がヒントになっています。

-小川さんの設計する住宅は白く、きわめてシンプルでミニマルなものが多いため、

小川さん自身もストイックな人間だと思われていませんか。

小川 多少誤解されているところがありますが、実際の私は自由な雰囲気を好む普通

の人間です。個人的には、移り変わる都市と自然の風景が好きです。私の事務所は広

島と東京にありますが、両方とも都市と自然の風景が眺められる立地を重視していま

す。東京の事務所は、最近、築地が見える勝どきから、新宿中央公園が見渡せる西新

宿に移りました。広島の事務所にいると、電車が橋を渡ったり、車が行き交う街の風

景や川沿いを歩いたり、ジョギングしている人の姿が見えます。自然だけでは物足り

なくて、人や電車や車といった日常風景の両方が見えることが大事です。住宅はさま

ざまなものや情報が錯綜する空間でもあるし、静かな空間でもあると考えているので、

都市の風景と自然の景色を眺めつつ音楽をかけて、いつも仕事をしています。

-小川さんは、「アブストラクトな空間は、遍在することや、日常の美学、人間が主

体性を生む場所をつくるための原則である。建築は変容するための身体を許容し、包

み込み、身体の延長として変容している。変容する身体の中に変容する建築が存在す

バルセロナ・パビリオン/ミース・ファン・デル・ローエ

ハーバード大学カーペンター視聴覚芸術センター/

ル・コルビュジエ

上:広島事務所からの風景

下:東京事務所からの風景

マンハッタンの夜景 ニューヨーク州

る。建築空間を既成の様式や概念だけで成立させるには不十分である。(中略)私たち

現代人はもはや、ある固定した空間に生きられない。住居はさまざまに変容する都市

そのものである。音環境や熱環境と同じように、視覚環境も同レベルで扱いたい。変

容するための住居であるためには、生活するためのプリミティブな構造を空間とする

ことが必要である」(『新建築住宅特集』2003 年4月号)と書いています。それがボ

ックスカルバートの箱となって現れ、現在はそれが積層されたり、ずらして配置され

たり、さらには横に連続するような形で、カルバン・クライン社の 2007 年秋冬コレ

クション“ワールド オブ カルバン クライン”の会場となった「ザ ハウス」(3m ×

6m × 36m のガラスの家)や「36m の家」などへ展開していき、現在は 48m という

空母のような形の住宅(「48M ハウス」)を設計されていると聞きましたが、トンネル

のようにやたら長い空間でも家になり得るのですね。そして、昔から「森の中に住ん

でいるような空間」に興味があったということですが、小川さんがいう「ミニマルと

マキシマルを相互に横断する住居」というのはどういうものなのでしょうか。

小川 ニュートラルでアブストラクトな空間は、経済上、機能上、構造上、もっとも

つつましく、かつ有効であり、建築の幅、空間の質の幅を許容します。私がつくる住

宅は、住まわれる方の家具が入る前と後ではまったく違う空間になります。人や家具

が主役なので、入居前と違った方向になったとしても、それはそれでいいと思ってい

ます。住まい方を規定しない大らかな家がいい家の条件であり、「ミニマルとマキシマ

ルを相互に横断する住居」とは限られた敷地でも広く感じられ、生活の変化に対応で

きる包容力のある家のことです。自然と人工、ミニマルとマキシマルなど、住宅には

対照的なものを同時に受け入れられる幅の広さが必要だと思っています。

 もうひとつの観点は、周囲の自然を取り込むことで、風通しがよく、四季の変化が

感じられることです。私は子供の頃、日本の伝統的な住まいに暮らしていたので、夏

は障子や襖を開け放すと内と外が曖昧になり、開け閉てだけで、空間が広くなったり

狭くなったり、無限大に変容することは知っていました。もし、私の建築を見て、東

洋的なものを感じるという人がいるのであれば、ニュートラルな建築を志向している

ため限りなくゼロへ近づこうとするその空虚性、それと四季を感じるための自然換

気を利用したインヴィジブルなデザインに、和室の空間との共通点があるのかもしれ

ません。住宅は本来プライバシーを守るためのものですが、カルバン・クライン社の

ための「ザ ハウス」は、長さ 36m の全面ガラス張りの家がステージで、外から内部

を見ることができるようになっています。会場を取り囲んでいる人たちを木に見立て、

この家も「森の中のガラスの家」というコンセプトでつくっています。

 中尾佐助の「照葉樹林文化」ではないですが、西南日本に長く暮らしていたせい

か、昔から森の中に住んでいると感じられるような空間に興味がありました。それで、

イソベスタジオ&レジデンス 1996

ワールド オブ カルバン クライン・ザ ハウス 2007

ミニマリストの家 1990

コートハウス 2004

009008

「36m の家」でも、10m × 36m の箱の中に、プールや中庭といった「外部の部屋」や「内

部の庭」が挟み込まれ、内と外が曖昧になっています。光、風、空、緑、雨、雪など

の自然を感じられるように設計しています。先ほども言ったように、住宅はできるだ

けニュートラルにつくるため、壁やフレームなど囲いとなる部分を最小限にしてシン

プルにつくる。「見えないディテール」にするために、余分な線が空間に現れないよう

にディテールを詰めていきますが、だからといって高度な特殊技術を必要とする無茶

苦茶な納まりではなく、新しい技術や素材を積極的に取り入れています。十数年間表

面上はなんら変化していないように見えても、「見えないデザイン」にするために水

面下では確実に進化しています。

 -ミニマルアートを代表するドナルド・ジャッドのボックス状の作品は、多くの

建築家やデザイナーが共感し、強い関心をしめしています。小川さんのボックスカル

バートも、ジャッドの作品に共通するものがあるように思います。小川さんの建築は、

建築家やデザイナーだけでなく、現代アーティストにもファンが多いのは、どうもそ

の辺りにあるように思えるのですが。

小川 私自身もジャッドの作品は好きですし、空間的な形状や素材の使い方などに強

く惹かれるものがあります。これについては、以前、鵜沢隆さんが「ジャッドの作品では、

しばしば簡潔な形態のなかに異種の素材が併置されることで対象に対するわれわれの

意識が覚醒され、振幅し続けたのと同様に、小川の空間では、われわれの視線は透明

なボックスと閉じた箱との間を漂い続けるのである。しかも、形態はことごとく単純

化され、ディテール“建築”というよりも純粋な“幾何”へと還元されることで、わ

れわれの意識は“建築”へと向かうよりは、“空間”へと磨ぎ澄まされるのである。(中略)

それは、ひたすら寡黙なまでに空間をたたずませることになるのだが、微妙なディテ

ールやプロポーションの差に機能の差が重なり合って、空間には多様な表情に満たさ

れた豊饒さすら呼び醒まされるのだ」(『SD』1999 年 6 月号)と書かれています。そ

れはカーンの空間にもいえることだと思うのですが、建築が寡黙であるがゆえに、空

間が豊饒になるのではないでしょうか。私にとって、空間をプリミティブなままで増

幅させていくことは、ジャッド作品に共通しているようにも見えますが、さまざまな

様式や概念から解放され、中立に存在することが必要であるように思います。ものと

しての建築が主張するのではなく、空間自体はニュートラルであり、ものや情報の流れ、

さまざまな交通が自由に存在する。中立な空間は、人間の意思や感情、行為の交換を

促す基盤となり、多様な解釈、視点、機能を生み出す地平となるのではないでしょうか。

上:平面構成模型 36m の家

下:コート構成模型 36m の家

48M ハウス 2007-

18m × 9m ハウス 2008-

8m × 8m ハウス 2008-

1st floor plan 1/500 2nd floor plan 1/500

2nd floor plan 1/1200

ABSTRACT HOUSE / アブストラクトの家広島県 2002

court

dining living

master bedroomroom

court

kitchen

entrance

bathroom walk-incloset

court

plan 1/300

north

court kitchen dining living court

elevation 1/300

elevation 1/300

section 1/300

site

virtical plate

ABSTRACT HOUSE

furniture

horizontal plate

011010

この建物は 2枚の垂直平面の壁と 1枚の水平平面のスラブの最小限の構成による、夫婦 2人のためのコートハウスである。敷地は広島県尾

道市、新興住宅団地の一角にあり、周囲は住宅あるいはその予定地に囲まれている。計画では雑然とした団地の中でプライバシーを確保しつ

つ、自然環境にできるだけ開く空間とすることを意識した。南側に前面道路があり、南北にコートハウスとして建物を開放することで、採光、

通風を確保している。周辺環境に対して Y軸方向に平行な 2枚のソリッドな垂直平面としての壁と、X軸方向に平行な 2枚の半透明なガラ

ス壁が建物の領域を規定し、住居の機能を満たすための 1枚のソリッドな水平平面としての屋根が置かれている。

内部空間と外部空間はフラットに連結され、内外が一体の居住空間をつくりだしている。南北にある 2つのコートは、西側のパブリックルー

ムと東側のプライベートルームに共有され、外部の部屋や内部の庭として空間を連結し、住居機能を拡張する。パブリックルームはキッチン、

ダイニング、リビングが一体の空間として連続し、プライベートルームは個室、主寝室が可動式の収納家具によって可変的に連続する。中央

に置かれた 2.4m× 1.8m× 9mのコアボックスには、各設備機能、バスルーム、収納などが組み込まれ、パブリックルームあるいはプライベー

トルームを分節し、また連結している。

南北にある 2つのコートとは別に、バスルームにプライベートな坪庭が配置されている。3つのコートは、建物全体に対して外部から自然を

取り入れ、内部空間に対しては外部の部屋として連続する。すべての部屋はいずれかのコートに面しており、外部の光や風、緑などが建築の

構成要素の中に抽象化され、居住環境をつくりだす。この住宅は、自然や周辺環境にあるさまざまな環境エレメントも含めて、住宅内部の空

間をつくりだしている。ディテールから建築全体まで抽象的な位相から建築を再構成することで、住居の概念が拡張されることを試みている。

南側のコートから、ボックスカルバート状の内部空間を見る。内部と外部が連続したフラットな空間