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センス・オブ・ワンダーという言 こと があります。自 ぜん の精 せいみょう 妙さに驚 ワンダー く気持ち、ということです。わたしは少年の頃 ころ うつく しいカラスアゲハや青いカミキリムシに夢 むちゅう 中になりました。それはまさに自 ぜん が創 つく り出した生 せい めい の色 しき さい やフォルムに センス・オブ・ワンダーを感じたからです。同時に、なぜ、こんなに多 よう な姿 すがたかたち 形と生 せい かつ けい たい をもつ生 せい めい たい が地 ちきゅう 球に満 あふれているのか、その不 さにも魅 られました。 虫好 きが嵩 こう じて、生 せい ぶつ がく の道に進むことになりましたが、やがて勉 べんきょう 強するにつれて、生 せい ぶつ がく は「いかにして(how)」 もん にはなんとかこたえることができるが、「なぜ(why)」疑 もん にはなかなかこたえることができない、ということを目 の当 たりにしました。いかにして細 さい ぼう ぶん れつ が起 きるのか、いかにして病 びょうき 気が起 きるのか、それは観 かん さつ や研 けんきゅう 究、実 じっ けん を通 して解 かい めい することができるのですが、なぜ、そんなにきれいな色をしているのか、なぜ、そんなに奇 きみょう 妙な形 けい たい をしてい るのか、は観 かん さつ や実 じっ けん で解 かい めい することができないのです。 むかし はもうすこしシンプルでした。地 ちきゅうじょう 球上に満 ちあふれている様 さま ざま な生 せい めい は、すべて神さまが創 つく り出したものだ。そう みな が信 しん じていたからです。でもこれだと、ちょっと考えるとおかしなこともあります。現 げん ざい 知られている生 せい ぶつ の種 しゅ るい およそ数百万種 しゅ 。実 じつ はこのうち半数以 いじょう 上は昆 こんちゅう 虫です。もしすべての生 せい ぶつ を全 ぜん 神さまが創 つく ったとしたら、神さまは天 てん そう ぞう のエネルギーの大 たい はん を昆 こんちゅう 虫に費 つい やしていたことになります。つまり神さまは大の虫好 きだったということになりま すよね。 虫好 きとしてはうれしいことですが、この本の主 しゅ じん こう チャールズ・ダーウィンは、神さまを登 とうじょう 場させないで、生 せい めい よう せい を説 せつ めい する方 ほう ほう がないだろうか、と考えたのです。彼 かれ は、ビーグル号 ごう という調 ちょうさ 査船 せん に乗 って世 かい を見て回りまし た。そして、いろいろな場 しょ で、似 たような生 せい ぶつ が、それぞれの環 かんきょう 境に適 てき した形 けい たい や習 しゅうせい 性を身 に着 けて、生活している ことを見つけました。また、古い地 そう から今や絶 ぜつ めつ した生 せい ぶつ の存 そん ざい を知りました。 そして長い時間をかけて思 さく を深 ふか め『種 しゅ の起 げん 』という本を書いたのです。出 しゅっぱん 版されたのは 1859 年のことでした。 この本は生 せい ぶつ がく に革 かく めい をもたらしました。神さまのちからを借 りなくても、生 せい めい の「なぜ」を説 せつ めい することを可 のう にし たからです。原 げん はシンプルです。生 せい ぶつ は絶 えず小さく変 へん している。その変 へん 自体には方 ほう こう や目 もく てき はありません。で も環 かんきょう 境が長い時間をかけてその変 へん を選 えら び取 っていく、と考えたのです。いわゆる「進 しん ろん 」でした。進 しん ろん は激 はげ しい ろん そう を呼 び起 こしましたが、いまでは生 せい ぶつ がく しゃ はみんなダーウィンの考え方を学 がく もん の中心において研 けんきゅう 究を進めています。 この本では、ダーウィンがどのようにこのアイディアを思いついたのか、そのプロセスがきれいなイラストとともに丁 てい ねい に語られます。また引 いんよう 用されているのは『種 しゅ の起 げん 』の中のダーウィン自 しん の言 こと をやさしく翻 ほん やく したものです。ぜ ひ、ダーウィンになって、生 せい ぶつ がく さい だい の理 ろん が成 せい りつ した背 はい けい を追 つい たい けん してみてください。 でも、もちろん生 せい ぶつ がく のすべての「なぜ」が解 かい めい されたわけではありません。たとえば、なぜ、いちばん最 さい しょ の生 せい めい が出 しゅつげん 現したのかは、進 しん ろん も解 き明かすことができません。また、進 しん ろん もどんどん進 しん し、新しい知 けん が加 くわ わってい ます。本書の最 さい にあるエピジェネティクスという考え方(環 かんきょう 境の作 よう も一 いち 、遺 でん しうる)もそのひとつ。生 せい ぶつ がく の未 のフロンティアはまだまだ未 らい に向 けて広がっているのです。

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Page 1: int Darwin fin‚»ンス・オブ・ワンダーという言 こと 葉 ば があります。自 し 然 ぜん の精 せいみょう 妙さに驚 ワンダー く気持ち、ということです。わたしは少年の頃

 センス・オブ・ワンダーという言こと

葉ば

があります。自し

然ぜん

の精せいみょう

妙さに驚ワンダー

く気持ち、ということです。わたしは少年の頃ころ

美うつく

しいカラスアゲハや青いカミキリムシに夢むちゅう

中になりました。それはまさに自し

然ぜん

が創つく

り出した生せい

命めい

の色しき

彩さい

やフォルムに

センス・オブ・ワンダーを感じたからです。同時に、なぜ、こんなに多た

様よう

な姿すがたかたち

形と生せい

活かつ

形けい

態たい

をもつ生せい

命めい

体たい

が地ちきゅう

球に満み

あふれているのか、その不ふ

思し

議ぎ

さにも魅み

入い

られました。

 虫好ず

きが嵩こう

じて、生せい

物ぶつ

学がく

の道に進むことになりましたが、やがて勉べんきょう

強するにつれて、生せい

物ぶつ

学がく

は「いかにして(how)」

疑ぎ

問もん

にはなんとかこたえることができるが、「なぜ(why)」疑ぎ

問もん

にはなかなかこたえることができない、ということを目ま

の当あ

たりにしました。いかにして細さい

胞ぼう

分ぶん

裂れつ

が起お

きるのか、いかにして病びょうき

気が起お

きるのか、それは観かん

察さつ

や研けんきゅう

究、実じっ

験けん

を通

して解かい

明めい

することができるのですが、なぜ、そんなにきれいな色をしているのか、なぜ、そんなに奇きみょう

妙な形けい

態たい

をしてい

るのか、は観かん

察さつ

や実じっ

験けん

で解かい

明めい

することができないのです。

 昔むかし

はもうすこしシンプルでした。地ちきゅうじょう

球上に満み

ちあふれている様さま

々ざま

な生せい

命めい

は、すべて神さまが創つく

り出したものだ。そう

皆みな

が信しん

じていたからです。でもこれだと、ちょっと考えるとおかしなこともあります。現げん

在ざい

知られている生せい

物ぶつ

の種しゅ

類るい

およそ数百万種しゅ

。実じつ

はこのうち半数以いじょう

上は昆こんちゅう

虫です。もしすべての生せい

物ぶつ

を全ぜん

部ぶ

神さまが創つく

ったとしたら、神さまは天てん

地ち

創そう

造ぞう

のエネルギーの大たい

半はん

を昆こんちゅう

虫に費つい

やしていたことになります。つまり神さまは大の虫好ず

きだったということになりま

すよね。

 虫好ず

きとしてはうれしいことですが、この本の主しゅ

人じん

公こう

チャールズ・ダーウィンは、神さまを登とうじょう

場させないで、生せい

命めい

多た

様よう

性せい

を説せつ

明めい

する方ほう

法ほう

がないだろうか、と考えたのです。彼かれ

は、ビーグル号ごう

という調ちょうさ

査船せん

に乗の

って世せ

界かい

を見て回りまし

た。そして、いろいろな場ば

所しょ

で、似に

たような生せい

物ぶつ

が、それぞれの環かんきょう

境に適てき

した形けい

態たい

や習しゅうせい

性を身み

に着つ

けて、生活している

ことを見つけました。また、古い地ち

層そう

から今や絶ぜつ

滅めつ

した生せい

物ぶつ

の存そん

在ざい

を知りました。

 そして長い時間をかけて思し

索さく

を深ふか

め『種しゅ

の起き

源げん

』という本を書いたのです。出しゅっぱん

版されたのは 1859年のことでした。

この本は生せい

物ぶつ

学がく

に革かく

命めい

をもたらしました。神さまのちからを借か

りなくても、生せい

命めい

の「なぜ」を説せつ

明めい

することを可か

能のう

にし

たからです。原げん

理り

はシンプルです。生せい

物ぶつ

は絶た

えず小さく変へん

化か

している。その変へん

化か

自体には方ほう

向こう

や目もく

的てき

はありません。で

も環かんきょう

境が長い時間をかけてその変へん

化か

を選えら

び取と

っていく、と考えたのです。いわゆる「進しん

化か

論ろん

」でした。進しん

化か

論ろん

は激はげ

しい

論ろん

争そう

を呼よ

び起お

こしましたが、いまでは生せい

物ぶつ

学がく

者しゃ

はみんなダーウィンの考え方を学がく

問もん

の中心において研けんきゅう

究を進めています。

この本では、ダーウィンがどのようにこのアイディアを思いついたのか、そのプロセスがきれいなイラストとともに丁てい

寧ねい

に語られます。また引いんよう

用されているのは『種しゅ

の起き

源げん

』の中のダーウィン自じ

身しん

の言こと

葉ば

をやさしく翻ほん

訳やく

したものです。ぜ

ひ、ダーウィンになって、生せい

物ぶつ

学がく

最さい

大だい

の理り

論ろん

が成せい

立りつ

した背はい

景けい

を追つい

体たい

験けん

してみてください。

 でも、もちろん生せい

物ぶつ

学がく

のすべての「なぜ」が解かい

明めい

されたわけではありません。たとえば、なぜ、いちばん最さい

初しょ

の生せい

命めい

が出しゅつげん

現したのかは、進しん

化か

論ろん

も解と

き明かすことができません。また、進しん

化か

論ろん

もどんどん進しん

化か

し、新しい知ち

見けん

が加くわ

わってい

ます。本書の最さい

後ご

にあるエピジェネティクスという考え方(環かんきょう

境の作さ

用よう

も一いち

部ぶ

、遺い

伝でん

しうる)もそのひとつ。生せい

物ぶつ

学がく

の未み

知ち

のフロンティアはまだまだ未み

来らい

に向む

けて広がっているのです。